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2010年12月14日 (火)

竹本健治『匣の中の失楽』 ('78、講談社)

[あらすじ]

 ミステリファンの浮かれた若者たちの集団の中で殺人事件が起き、それが仲間内の人間が書いたプロットをなぞっているらしいというので、ちょっと話題になる。

[解説]

 この本を褒めるような奴は最低だ。

 と書くと、自動的に推薦人の中井紀夫先生を敵に廻すことになるわけだが、なに、構うものか。相手は死んでるんだ。
 断っておくが、私は『虚無への供物』が大好きだ。
 だからこそ、こんなへんちくりんな本を許すわけにはいかないのだ。
  これはもう、神が俺に与えた使命だと勝手に直感。
 しかし、ちんけな使命だな。

 私はこの本を正確に二回読んだ。
 二十代の頃と、四十代のつい先日と。

 一回目、あまりの速読で読み飛ばしたから(さっぱり面白くないので)、ひょっとしてなにか読み違えたのかと思い、捨てずに取ってあったのだ。意外と律儀な性格だ。
 それにしても間で平気で二十年ぐらい経過してますが。
 ある、ある。
 そこのきみ。そんなの、ザラにあるよね。

 随分薄味のオープニングだが、ハテ、いつか本当に面白くなるのだろうか。
 疑心暗鬼にかられながら読み進めていくうち、プロットがどんどん混乱し始め、しかもそれが明らかに作中人物により意図的に操作されたものだとわかり、
 無性に腹立たしくなり、
 そもそもこの小説、キャラクターが無駄に多すぎやしませんか、
 造形も顔も曖昧な連中が何人も出てきて、こりゃ一体誰が誰なんだ、いい加減にしろ、と怒りをつのらせていると、
 突如話が湿っぽくなり、なんか人が死んで、いつの間に幕切れ。

 なんだこりゃ。金かえせ。 

 これが私の二十代の頃の感想だったわけなんだが、いくらんなんでも、そんなバカな。
 さすがにそんなわけはないだろう。
 相当な速読だったせいで、なにか重要な一行でも読み飛ばしたんじゃないのか。
 確かに退屈すぎて、途中寝ながら読んだ気がする。当時は冷房もない部屋で、西日の射す最悪の環境だったしな。
 (風呂なし、共同トイレ)
 だから、いつか暇があったら読み返してみようと考えていた。

 驚いたのは、あれから二十年も経過しているのに、私の感想は以前とまったく同じだったことだ。
 どういうことだ、これは。
 いろいろ事件が起こって、どんでん返し的なものもあって、以前よりは内容を把握したつもりだ。
 しかし、この小説の作中人物たちには、あいかわらず1mmも共感できないのであった。
 栗本薫の『ぼくらの時代』をうっかり読んだときのような嘔吐感を覚えた。
 本当に気持ち悪い人たちが多数出てくるという点では、我が国の若さが抱える典型的な病巣を的確に描写している、と云えなくもあるまい。

 特定の対象を手放しで称揚し、恥もしない厚顔無恥極まる人間が世の中にはたくさんいる。
 そういう連中には、同じような恥知らずな仲間がたくさんいて、こっちは絶対に勝てない、そういう構造になっている。

 だが、俺は決して負けないし、断じて妥協はしない。
 てめえら、全員、真冬の廊下にパンツ一丁で立たせてやる。
 親の小遣いなんか全部取り上げてやるから、そう思え。

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