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2010年11月

2010年11月30日 (火)

マーク・ミラー&ジョン・ロミタJr.『キック・アス』 ('10、マーヴル・コミックス)

[あらすじ]

 金髪、メガネの冴えない高校生が、アメコミのヒーローを気取ってウェットスーツに目差し帽でコスプレ。
 火災現場から愛犬を救け出したり、チンピラの集団と乱闘したり、自警活動にせっせと励んで、ネットで大うけ。
 おまけに、学校でゲイのふりをしたら、かわいい彼女まで出来た。(ま、やらせちゃもらえないんだが)
 しかし、身を挺してのヒーロー活動は徐々に危険な領域へとスライドし、遂にはマフィアに徹底的にボコボコにされ、睾丸に電極を挟まれ拷問される憂き目に。
 そこへ颯爽と救出に現れたのは、明らかにやばい、完全に殺人狂としか思えないコスプレの不審な親娘であった・・・。

[解説]

え?そんな話が面白いのか、って?

 いや、それが面白いうえに、異常に読みやすいんだよ。どうなってんだ、これは。
 非常にまずい事態である。
 最近のアメリカ人、日本のマンガを相当読み込んでるし、積極的に自分たちのフィールドに取り込んでる。
  「アメコミ、読みにくぅーーー!」
 なんて云ってた人たちって、昔からたくさんいたんだけど、今やその認識は勉強不足でしかない。

 これ、200P程の長編一本分だけど、サクサク読めます。
 (私は一気読みした。)

 といいますか、実は「ヤンマガ」連載でしょ?これ。

 確かに、チンピラの頭が輪切りにされるとか、コンプレッサーで車ごと人間一名圧壊とか、メーター振り切り気味の暴力描写は多々ありますけどさ。
 そんなの、別のミラーさんが『ダークナイト・リターンズ』で『バットマン;イヤー・ワン』で、そうそう、『ハードボイルド』(ガラスの割れかたはまるで同じだ)でもやってましたし、これはまた別の人だけど、『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』なんていうのでも、執拗な暴力描写をにやらかしてましたなー。
 懐かしいですなぁー。
 ヒロシとトオルですよ。ミポリンだ。ミポリン。

 ロミタJr.の絵は、なんか、もろ『ハードボイルド』の頃のジェフ・ダロウっぽいタッチを使ってるけど、いい感じ。話に合ってる。
 ひさびさに見た、正調メビウス波及の影線のつけかたである。

 意外とスケール小さい話になってる理由は、主人公が子供だからというよりも、ネット社会だ、ボーダーレス化現象だとかいいつつ、所詮は狭いコミニュティーが乱立するだけのせせこましい世の中だからじゃないのか。
 あたしは、実際にキック・アスのmy Spaceが開設されていても、アクセスしないし、YouTubeで動画観たりもしないだろう。きっと。

[評価]

 まぁまぁ。

 でも、楽しく読めましたー。

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2010年11月28日 (日)

『蜂女(インベージョン・オブ・ザ・ビー・ガールズ)』 ('73、WHDジャパン)

[あらすじ]

  アメリカのとあるど田舎。昆虫と人間の生殖細胞を結合させる、という目的がさっぱりわからない研究をしているクルクル博士がいた!
 (居るには居たが、博士自身は一度も画面に登場しないのだった。予算の都合だろう。)

 邪悪かつ好色な、金髪の美人助手(ちょっとしゃくれ顔)は、博士がヨーロッパの学会に出掛けて留守なのをいいことに、研究の成果を悪用。
 町じゅうの有閑マダムを、蜂人間にしようとたくらむ!

 さて、「蜂人間」とは、なにか?
 細かい説明が一切ないので詳細は謎だが、要するに女王蜂の指令に忠実な、セックス好きの女集団のことらしい。
 人類との、外観上での主な相違点は、眼球が光彩なしの真っ黒な複眼だってこと。他、一切なし。
 カラーコンタクト入れて撮影。こりゃ究極の安上がりモンスター。
 『ビヨンド』の、常に白目を剥いているおばさんよりは多少はエロチックだろう。
 ちなみにその特徴を隠すため、常に大型のサングラスを着用。
 あからさまに怪しい。


 蜂女には、なぜかカマキリの如く、交尾の絶頂でオスを殺す性質があり、研究所の要人が次々とプレイに誘われては、当然の如く全裸死体となって発見される。
 全員、すごい間抜けなイキ顔のまま死亡していて、面白いのだが、でもこの映画の方向性は全然コメディではないのだ。かといって真剣とも思えない、なんとも中途半端な印象だ。

 研究者のおやじが下卑た笑いを浮かべて云う。

 「なにしろ、イクときと逝くときが同時なんだぜ!たまんねぇよな!」

 
なんのために合衆国政府が、こんな下らない連中に金を出資しているのかは不明だが、とにもかくにも国家機密にかかわる重大な研究をしているブラント(誰?)研究所ではあるので、異常事態の調査の為、国務省のお役人が派遣されて来る。
 しかし、こいつが、到着後まずしたことは、研究所の秘書を飲みに誘うことだった。
 穴倉のようなウェスタン・バーでカクテルを傾けながら、気の利かない会話。

 「なんか、最近あやしいことってない?」
 「うぅん、別にないと思うわ」

 そんな間抜けな会話の最中も、背後より、秘書をぎらつく目でウォッチする好色なおやじの群れ。
 なにしろ、ここはクソ田舎。
 愉しみといえば酒とセックスと乱交だけなのだ。お陰様で公然とスワッピングの秘密クラブまである始末。
 
 あいつぐ不審死に勝手に危機感をつのらせた主人公、公衆電話ボックスから国務省長官を叩き起こし、軍隊の派遣を要請する。
 その間、ひとり待ちぼうけの秘書は建物の裏手に連れ込まれ、車のボンネットの上でレイプされる。
 ギャー、ギャー。イグーーー。
 三発連続で濃い射精をキメられたところへ、遅ればせながら救援に駆けつけた主人公は、悔しまぎれにレイプ犯たちをグーで思い切り殴りつけ、ボコボコにするのであった。

 一方、悪の親玉、研究所の女助手は、要人たちを殺害後に必ずその妻を誘拐(なぜ?)、レズプレイで手なずけ、蜂女をバンバン増やしていく。
 『フレッシュ・ゴードン』にも登場した、謎のセックス光線を浴びて心身ともに淫らになった蜂女たちは、町に出てはフェラチオ、野原をゴロゴロ転げまわっては青姦(このカットの間抜けさには特筆すべきものがある)のち殺害、と無軌道極まる暴虐を繰り返す。
 あとには例によって限界のエクスタシーにカッと目を見開いたおっさんの変死体だけが残され、空しさ百倍。
 そして、次第に町の住民達の間にもパニックというには微妙すぎるレベルの恐慌が拡がっていく。

 「やりまくりの女が暴れまわっているんですって!」
 「まぁ、うらやましい!」

 地元の高校でも、バカ学生が雁首揃えて云う。

 「あの校長、若い女とやりまくって腹上死だってよ!」
 「エッ、マジかよ・・・?!
 く、くゥッ、ボビー、こいつはキンたまんねぇーぜ!!」

 事態を重大視した、親切きわまる米国政府は遂に軍隊を出動させ、町を完全封鎖。非常警戒態勢を敷いて、自動小銃を担いだ陸軍兵士たちに二十四時間監視にあたらせた。
 自分たちが一体何のために駆り出されたのか知らぬまま、真面目に警戒を続ける兵士たち。
 
 かくして、つのる微妙な危機感のなか、研究所内に仕掛けられた秘密の仕掛け(書棚の本を抜くと、書架がドアとなり秘密室への通路が開く。少年探偵団レベルのからくり)を見破った主人公は、クルクル博士の『ダ・ヴィンチ=コード』を軽く凌駕する、恐るべき真実を知る、篠山紀信似のパーマの男と出会う。

 「そもそも、蜂女はどうやって男を殺すんだね・・・?」

 「まんこから毒を吐くんだ」

 驚愕する主人公。

 「しかし、博士はどうして・・・。なぜ、彼は犠牲にならなかった?!」
 「あいつ・・・ホモなんだ。俺が、その相手さ」

 そのころ、蜂女の本性を剥き出しにした金髪の女助手は、聞き込みに訪れた地元の警察署長をふたつの谷間を使って誘惑。
 パックリ開いた秘密の部分に、思わず、生ツバを飲み込むゲーハー・ブーデー、口ひげがトレードマ-クの、かなりの精力家と思しき署長ではあったが、寸でのところで、自宅で待っているブタ妻のことを思い出し、一気に萎えきり、矛先を収める。

 露駐したパトカーへ去っていく署長の背中を見つめ、蜂女はローレン・バコールのようにアンニュイな微笑みを浮かべるのであった・・・。

[解説]

  観る価値なし。

 だが、何も説明しないし、何も解決しない姿勢の潔さにはちょっと共感。

 脚本、ニコラス・メイヤー。
 ジャケ裏に『マニアック・コップ(地獄のマッド・コップ)』のウィリアム・スミス主演、とあるのだが、ハテ、そんなやつ、出てたっけ?

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2010年11月24日 (水)

11/24 ウンベル、へそくりを大公開

「ありゃー、なんだー、この記事はー?」

佐藤師匠が無邪気な声で云った。
ウンベルはバーの止まり木にだるそうに凭れて、喋る。

「師匠、ルフィの物真似で話すのはやめてください。
だいいち、おたくのぼっちゃんは仮面ライダーに夢中なんでしょうが」

「まぁなー、けどよう、お前のブログ、今月ぜんぜん更新しないじゃんかよー?
オレは毎日、クリックしてるんだぜ。いつまでたっても、デボネアばっかしじゃん。
いいかげん、アタマにきた!
今日はこの場でページを借りて、お前を絶対ぶっ飛ばす!!」

 

「・・・すいません。ゴムゴムのナントカだけはやめてください。
記事にしたいものは日々たまる一方なんですが、なかなか時間がとれなくて」

「ホントかよー、たとえば、どんなネタがあるのよ?」

「今月、川島のりかずだけで三冊、拾いました」

「そういうのを書いて欲しいなー。オレ、あんたの記事でのりかずの名前を知ったんだよー。
思わず、検索しちゃったよー。」

ウンベル、ガバと平伏する。

「へ、へー。恐縮すぎるお言葉。
だいたい、あたしの記事はレビューとは名前ばかりで、まともな作品紹介が一切ないという・・・。」

「ホントだよなー。
だいたい、今やってる『恐ろしい村』だっけ?アレ、長すぎ。やばい」

「かれこれ、半年はやってますからねー。同時収録の短編「蝶の家」にも触れないとまずい、とは思いつつ・・・。」

「創作を披露する場所を切り離したほうがいいんじゃない?
僕は、タブラと育児は分けて考えてますよ」

「(そりゃそうでしょう、と云いたいが堪えて)へ、へー。
さ、さすが、師匠。もったいないお言葉。
そこで、いちおう、こちらも対策を考えてみました!」

「んー、どんなんだー?」

「まだルフィですか。
従来のウンベル総司令とスズキくんのシリーズを『川島のりかず劇場』と呼ぼうと思います。
これと『川島のりかずレビュー』を分けて考える方法論です」

「んー、いいんじゃないー?さっそく、やれば・・・?」

「第一弾、『化けもの赤ちゃん』!近日公開!乞う期待!」

佐藤師匠、グビと手にした黒霧島のロックを飲み干した。

「そうか、そうか。
そりゃ、よかった。
・・・んじゃば、いってみよーか。
ゴムゴムのぉーーーー・・・!!!」

「え?!」

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2010年11月21日 (日)

相米慎二『光る女』(’87、大映+ディレクターズ・カンパニー)

世界先進国経済首脳会議。

彼らは三角形の黒いテーブルにおのおの陣取り、世界経済の命運を決しようとしている。
重鎮達の外観は諸君の好みにお任せしよう。そう、例えば---でっぷりと太って汗だくの男、猪首。あるいは極端に痩せこけ、眼鏡で、しかも黒眼鏡で狂気じみた笑いを浮かべる者。中には双眸から鷹のように鋭い眼光を放ち、周囲を睥睨し続ける者もある。まったく何様か。
ご本人は勿論、随員たち含め臨席するメンバーは残らずスーツにタイを着用していて、さすがに一国を代表する切れ者たち、仕立ての良い糊の効いたワイシャツはパリパリに乾き、指を当てたら本当に切れそうだ。

作者がここで特に注意を喚起しておきたいのは、現在この集団の中に地球外から来た未知の存在が複数混ざり込んでおり、常に介入のチャンスを窺っていることである。
実のところ、あらゆる重要会議には彼らが密かに参加しており、すべての会議が常に紛糾し碌な結果を生まないのは、このためである。

「いいかね。」机を叩く音。
すべての種類の映画の評価は、女優の乳首の露出にかかっているんだ。この事実をまず認めて貰いたい。」
堂々とした態度で、米国通商代表が云った。脇で秘書官がテレコを廻し発言を公式のものとして記録している。
「どんなくだらない映画でも、女優の決心ひとつで救うことが可能だ。実際いろいろなタイプの映画が、そうそう、特に“芸術”と呼ばれる退屈なジャンルの映画が、献身的な女優の貢献により見るに値するレベルに引き上げられてきた、驚嘆すべき歴史がある。これはもう奇跡の域、神の御業だ。まさに恩寵、無価値のクズ山からの神聖なるサルベージ行為と申し上げていい。」

「それは、例えばVシネ・・・とか?」
地球上では経済的動物として広く知られる日本人が尋ねた。彼の発言は通訳されることなく、世界的な慣例に従い無視された。

禿げ頭のドイツ代表が汗を拭き拭き、モノクルを外し片手を挙げた。
「それは、つまりポルーノこそ最上のものである、という極論に結び付かないーか、アメリカ人?アルタミーラの洞窟に穴居人が壁画を描いた昔より、われわーれは、いかーに、ポルーノから遠ざかるかをひとつーの命題としーて、文明を木築沙絵子ではなーかったーのかね?」

「・・・だからって、木築沙絵子はねぇんじゃねーの?」
日本人が再び小声で言った。彼はまた無視された。

「左様。」
英国の経済大臣が、秘書の耳たぶを噛みながら首肯する。
「人類は愚かだ。クソのようなものだ。ゆえに国家元首は衆愚を束ねる羊飼いとして、集団を適切な方向に導くべき使命を負っているのだ。」
「やめてください。大臣。」秘書が下を向きながら言った。彼は若い男性だった。
大臣の指先はテーブルの下で、彼の柔らかく敏感な部分、やがて直ぐにソフトな印象はなくなる場所をまさぐっていた。
アフリカの小国からやって来た青年が手を挙げた。
「議論の方向性が今ひとつわかりませんが、ポルノは退屈ではないですか?何度も観てると、確実に飽きますよ。私は日に三度オナニーしますが、そのうち二回はエロ本です。」
銀縁の眼鏡がキラリと光った。
オランダ通商代表が存外まともな発言をした。「われわれは、ここにポルノの定義を話し合いにきているのではないでしょう。
問題は、相米慎二だ。」

「その通りです。」
貴族的な物腰でベルギー代表が発言した。
「『翔んだカップル』。『セーラー服と機関銃』。『台風クラブ』。相米には間違いなく日本を代表する巨匠となりうる才能があった。これら初期作品は、どう考えてもへんな映画として分類されるべきものだが、若く眩しい才能の迸りを感じさせる、幾つかの印象的なショットを含んでいた。誰もが彼に期待した。バブル期の日本にはまだ動かせる資金があった。そうして、時間を掛け、キャスティング、ロケーションなど入念な下準備のもとに満を持して撮り上げられたのが、大作『光る女』だ。」

「だが、彼は失敗したアルよ。」
中国代表が髭をしごきながら、冷徹に断じた。
「真の革命精神を理解しなかったのが原因とされるネ。」

「毛語録の引用はもういいよ!ハラショー、モスクワ!」
ロシア人が持ち込まれた湯船の中で、ウオッカをがぶ飲みしながら大声で吠え立てた。巨大な熊そっくりの容貌が真っ赤に染まり、血液の循環に重大な支障をきたしていることは火を見るより明らかだった。

「必然性のないストーリー。意味なくフェリーニ的な意匠を散りばめた、空疎に華美なガジェット。そのくせ、新宿西口バス放火事件を劇中に取り入れてみせる、時事への目配せ。なにがいいたいんだか、さっぱりわからねぇ難解を装っただけの小賢しい象徴主義。あぁ、退屈だ、へい、ご退屈様!」
 
盛大に屁をこいた。
「女優を連れて来い!乳首を見せろ!ウィー!!ガブッ!!」
彼はいきおいで会議のテーブルを齧ってしまった。

アメリカ代表があまりの乱暴狼藉に目の端を吊り上げて怒鳴った。
「黙れ、北海の熊め!
秋吉満ちるの乳房は、確かにいいかたちだよ!!誰か、そこに不満のある者は・・・?!」

場内を静寂が覆いつくした。

カラカラと車椅子を手で押して進み出たのは、片腕が義手の老人だった。
「おぉ!これは、これは、Ⅹ博士!」
「眉毛の濃い女は、体毛の濃さを連想させる。これ、すなわち、アソコの毛の多さを連想させる、ということだね。」
博士は、印象的なしわがれ声で核兵器以上の破壊力を持つ内容の発言をした。
「80年代の日本女優はみな、盛大な眉毛を誇っていたものだ。なにもそんなに、というくらい、濃くて太い眉毛をキリリと引いて、それがバブル期の日本を鼓舞する重要な戦略兵器となっていたのだ。いわば、セックス業界のスターウォーズ構想といえる。」
「おぉ!ボディコン!」
「ボディコン!」
「タイト!」
「タイト!」

会場に紛れ込んだ数人の異星人が、我が意を得たりとシャウトした。彼らは全員、異星人である証拠に黒いサングラスにソフト帽、ビジネスコートを着用し、片言の言葉で喋る。街で見かけたら注意した方がいい。

博士は黒手袋を被せた義手を高く頭上にかかげ、軽く衆声を制止した。
「しかるに!
昨今の堕落はどうだ!茶髪、茶髪でギャル系だと?!ふざけんな!!バカめが!!そんなAⅤで本当に抜けるのか、お前?!どうなんだ!!」
興奮した博士は車椅子から身を乗り出し、アフリカから来た青年の胸倉を掴んだ。
「おい、お前?!
さっき、オナニーは一日三回と抜かしていたお前に訊く!!
どんな女優が好みだ?世界首脳の面前で発表してみろ!!いわば、世界の中心で愛を叫んでみろ!!」

青年は困ったように、うなだれた。
「いや、あの・・・。名前はあんまり・・・。」

「ホレ、みろ!!ホーーーレ、見なさい!!僕の世界の中心は、きみだ!!」
あまりの急激なテンションの上昇に、博士は鼻から血を垂らし始めた。
「いまや、女優とは名前ではないのだ!!否!!そうではない、唯一、それが残っているのが“芸能人降臨”シリーズだってんだろ?!
だが、ここには致命的な陥穽があるのだ。」
博士は大きく息を吸い込んだ。

「そんな芸能人、誰も知らへんのんじゃーーーーーーーッ!!!」

声を限りに絶叫したⅩ博士は、そのまま背後に倒れ込んで失神した。

「やっぱり、ポールノ談義ではないか?」
「誰かまともに映画に見識のある奴はおらんのか。」
会議は途轍もなく混乱し、異星人たちはにんまり笑った。
地球征服の日は近い。

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2010年11月14日 (日)

朝倉世界一『デボネア・ドライブ』③ (’10、エンターブレイン)

デボネアに乗って、旅に出よう。
気持ちいい風が吹いているだろう。
太平洋を右手に見ながら北へ。日本列島は意外と縦に長いのだ。夏。晴れた日が続く。そういう休日をかわいく、カッコよく、バカバカしく写し撮ってみせてくれたコミックはそうそうなかった。
映画的とか、そういうんじゃなくて、あくまでマンガ。
マンガだからウソも描いてあるんです、ってことだ。単細胞諸君。

それにしても、楠みちはるの横浜は、どうなのか。
ヤンキー。
そう、日本の街道には常にヤンキーが常駐していて、デニス・ホッパーに憧れて旅に出るバカ者をへこませてくれる。だから、ロードムービー的な設定はVシネと親和性が高く、それはそれで悪くはないのだが、普段着にアロハを着るがごとき違和感は、常磐ハワイアンセンター通いの親父への侮蔑と嫌悪に帰着するしかなかった。
これまでは。

朝倉先生が切り開いたのは、見た事ありそうで実は見たことがない、見慣れたものが微妙に定点を変えて、自由にフラフラ動き回る不安定な土壌だ。
その次元においては、やくざがかわいい老人となり、盗癖のある女がサーフライダーで、くらげ拳の秘密は運動時に沁み出してねばりつく体液の一種だ。
例えば、三巻126Pを開いて。
この見開きは一貫して松本大洋が描き続けている、あのお馴染みの高揚する場面とまったく同じなのだが、それが日常に平気で降りてきて差し挟まれている。それをこのページ数でやってのけてしまうのだから、恐れ入る。
要するに、途方もなく高度なのだが、それはどうでもいい。そういう気楽さが古い甕に新しい酒を注いでいる。

物語が終着するとき、われわれには幾つかの場面が残っている。登場人物と知り合い、その印象が残る。幾つかの台詞が交わされた場所が。
それが記憶されるようなら、物語は成功したのだ。

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2010年11月 5日 (金)

小田一郎の『ワンピース』

まさに、役に立たない情報のコーナー。

Img_00020003

文化の日、私はずっと、『ワンピース』の動画を観ていた。
その結果、なにか解ったかって?

いやぁ、なんにも。

小田一郎の絵は動体視力のいい絵だと思う。
(スズキくんはローソンで60巻を買ったそうだ。)
本来、止まっている筈の絵を動かすってのは、楽しいことだ。


Img0003

そうそう、こんな感じだ。

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2010年11月 2日 (火)

『ジャイアント・スパイダー大襲来』(’75、グループ・ワン?)

不細工な映画の襲来に戦慄したまえ。
 歴然と安く、人の記憶に残らない、見るも無惨なセルロイドの屑束。
 なんでこんなものを創るのか、製作者?そしてまた、なぜそれを好んで観ようとするのか、われわれは?

 ある日、地球にミニブラックホールが落ちてくるのだ。必然性などまったくない。
(ミニ・ブラックホールの問題をもう少し真面目に扱った、ラリィ・ニーヴンのヒューゴー賞受賞短編「ホール・マン」は同じ’75年だから、これは単に当時旬の科学トピックスだったのだろう。だから何だ?と云われても困るが、エクスプロイテーション映画ほど、流行に敏感なものはない事実の証明にはなる。)
 映画の冒頭、宇宙空間に幾筋もの光芒が映し出され、地球にズガーーーンと衝突する。下手くそなイメージ映像。当然ながら、ノーCG。
 場面変わって、胡散臭さ満点のロイド眼鏡の博士がどうでもよさそうに解説を入れる。

「あれは、ミニ・ブラックホールが地球に衝突したのです!」

 後出しじゃんけん。 
 この手法でなら、何だって云える。
 が、得てしてジャンルの映画はこんなもの。呆れるしかあるまい。重力場や輻射の複雑な問題は全て無視だ。

 さらに必然性を無視し、未知の空間に繋がる暗黒の穴から姿を現したのは、誰の役にも立たないハリボテの大蜘蛛の集団だった!!
 彼らはダイヤモンドを多量に含む、固い殻から孵化し、ぐんぐん巨大化する。その数、数万匹!!(ちょっと、大げさに書いた。実は十匹くらい。)
 撮影は、本物の蜘蛛と、人間が操る信じがたいくらい出来の悪いハリボテの二種類で行なわれ、同じ年に公開の『ジョーズ』がいかに怪物の見せかたに長けていたかを実証する、貴重な資料となっている。

 蜘蛛の集団は当然の如く、裸の若いねぇちゃんを襲う。
 キャーーーッ。画面にこぼれるおっぱい。
 さらに、欲深な農場主を襲う。これまた、お約束。
 次に運の悪いバイカーが犠牲になる。ここで一瞬、血みどろのゴアメイクが画面に映ったりして、明らかにこの映画、お子様向けではない。
 ようやく恐怖の正体が明らかに。完璧にやっつけ仕事。
われわれは、その事実に戦慄するしかあるまい。

 そして、蜘蛛の集団は(やはり)巨大化し、街道を台車に乗って走る。
(楽しそうなエキストラの皆さんの背後から、台車が見え見えの蜘蛛のハリボテが滑って来る。)
 誰もこの時点で真面目に映画など観ていないだろうから、さして問題がないのだが、それにしても酷い場面だ。頭の悪い子供の夢のようだ。
 結局、蜘蛛集団の意図はよくわからないうちに、ブラックホールを科学者が爆弾で吹っ飛ばすと、映画は唐突に終わる。

 ・・・それにしても、われわれは、一体何を見せられたのだろうか?

 届きそうで届かない人の意識の暗闇。一般の映画が決して到達し得ない、表現の深み。
 それは激しくぬかるみ、常に滑る。資金もない。意欲もなにもない。アイディアも既に枯れ果てた。出来ることは下手くそな真似事だけ。でも、納期は否応なく迫ってくる。

 だが、映画がその恐るべき歪んだ真実の容貌を振り向けるのは、いつも、そんな不毛の次元ではなかったか。
 そういう意味で、これは満足できる意欲作だ。
 万人にお勧めする。

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