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2010年10月15日 (金)

伊藤潤二「赤い糸」(’90、月刊ハロウィン掲載、朝日ソノラマ『脱走兵のいる家』収録)

医者の待合。周囲はもう暗い。

名前を呼ばれた怪奇探偵スズキくんは、プクプクのおなかを捲ると、引き戸を開けて診察室へ入って行った。
この病院は、いまどき木造である。赤い傘つきの裸電球が照らし、あやしげなオキシドールの匂いが漂っていて、戦時下の傷痍病棟みたいだ。
「はい、座って。」
医者はピカピカ光る大きな反射鏡をかざして、スズキくんの喉元を覗き込んだ。
「あー、きみ、こりゃいかんね。そうとう、病状が進行しとるな。食事に気をつけろとあれ程言ったのに。普段なにを食っとるのかね?」

「最近はそう無茶はしてませんよ。」
スズキくんは頭を掻いた。「でも、ゲッターを少々・・・。」

医者は大げさな溜息をついた。
「石川賢のゲッターロボかね?あれは健康に良くない。不健全極まりないことに、マンガそのものの面白さに溢れておる。読んだら、たちまちイチコロだよ!
・・・で、どこまでいった?」
「はぁ、新ゲッター、真ゲッター、ゲッターロボ號・・・あと残すはゲッターロボアークを制覇、ですかね。最後はてんとう虫コミックス版で〆る予定です。」
「三食すべて、ゲッター三昧じゃないか!脂分が多過ぎだよ、キミ!」
「ですから、〆はお茶漬けでサラサラと・・・。」
「石川賢は、全部お肉なの!それも霜降り!コレステロールの塊り!」
「ところで、早乙女博士、ゲッター線の正体っていったい何なんですかね・・・?」
医者は溜息をついた。
「こりゃいかん。脳まで完全に汚染されとるなぁ・・・。」

ゲッター搭乗員の如く常にギラギラしたオーラを纏わせ、いつでも沸騰点寸前の危険な状態のスズキくんを眺め、医者は懐から一冊の新書版コミックを取り出した。
「こういうときには、これで冷やすに限る。」

半ばミイラ化した、防空頭巾着用の腐乱死体と、戦時中の格好をした男女が描かれた表紙絵で、表題は『脱走兵のいる家』となっている。

「これぞ“JUNJIの恐怖コレクション”その①じゃ!」
「ジュンジ・・・?稲川?」
「違―――う!!伊藤潤二じゃ!!
でも、今気づいた。確かにジュンジは恐怖の水先案内人!!ジュンジとつく奴は、みな怖いかも!!」
「高田純次なんて人もいますが・・・。」
「それもある意味、怖いじゃないか。清川虹子の宝石を奪って飲み込んだときはどうしようかと思ったぞ。」
「どうもネタが古いなァー。嘘でもいいから現代に歩調を合わせるポーズをしてくださいよ。」

途端に黙った医者を尻目に、スズキくんはページを捲る。

「なるほど、今は亡き月刊ハロウィンに掲載された読み切りを集めた本ですね。今は亡き朝日ソノラマから刊行されたシリーズ本だ。」
「どんだけ、“今は亡き”なんだよ!当時なぜかホラーマンガのブームで、怪奇マンガ専門誌が各社から競って出ていたなんて、確かに夢のような話だが・・・。」
「時代の仇花のような状況でしたね。末期とはいえ、世間にはまだバブルの残り香が漂っていたし。」
「うむ・・・私も定職もなくブラブラしていたし、まさかこうして毎日日銭稼ぎにあくせく駆けずり廻る立場になるとは思ってもみなかった。」
「無駄に歳を喰ったってことですよ。」
医者のこぶしが反射的にグーになるのを横目で観察しながら、平然とした顔でスズキくんは続けた。
「さて・・・「赤い糸」はこの本に第四話として収録されている、独立した短編ですが・・・。」

「うむ。
この作品をチョイスした理由は、伊藤潤二の作風を解り易く解説するには最適と踏んだからなのじゃ。
潤二先生は基本的に優れた短編作家だ。代表作とされる『うずまき』も『富江』も連作長編のかたちをとっているし、そのうち取り上げたい長編『ギョ』など少数の例外を除けば、長い話はあまり見あたらない。
そして、その長編も他所のマンガ家さんとは構造からして異なる。
普通、我が国のマンガ家が長編を描く場合、登場人物のキャラクターをもっと掘り下げようとか、見せ場を徹底的に描こうとか(『ドカベン』の一試合が何巻続いたか、想起されたい)、凡庸な方向に走りやすい。
潤二先生は、登場人物の心理はすべて類型で構わないと踏んでいる節があり、丸尾末広的な神経質な細い線で描かれる主役級の登場人物は美男美女揃いだ。
類型的な美男美女が異常事態に遭遇し、ドヒーと発狂したり、死んだりする。
だから、ここでの主役は実は、異常なシチュエーションそのものなのだ。
「首吊り気球、現る!」とか「阿見殻断層に奇妙な人型の穴が!」とか、主役を担うのは異様な状況設定そのものなのだ。語りたいのは、その奇妙としか言いようのないアイディアであり、人間はそれに驚き、翻弄され、怒り、絶望し、死んでいく無力な存在に過ぎない。
潤二先生の超自然力に対する信仰の深さは、対話可能な存在として幽霊を貶めて描く凡百のオカルト作家とは比較にならないほどである。」

「確かに。」
スズキくんは、おやじの、否、医者の長弁舌に相槌を打った。
「今回、意外と真面目に語りますねぇー。どうしたんですか。」」

「潤二を読んでると、小説の方だとJ・G・バラードの世界三部作なんかを思い出すんだよ。あれを演繹して方法論を変えて毎回実験してる感じ。特に、風がある日どんどん強くなり始め、止まらなくなり、遂には海を巻き上げビルをなぎ倒し地上の文明を破壊し尽くす『狂風世界』なんか、典型的に伊藤潤二の世界だよなー。」
「ああ、面白そうですね。」
「人類があんまり無力なんで、世界滅亡テーマと誤解されがちだが、実は違う。核になってるのは、奇妙としかいいようがないワンアイディアなんだよ。それを地球規模にまで推し進めていくと、結果として世界が破滅する。」
「本人、“またこのオチかよー!”と自虐笑い。」
「そう、潤二先生の場合、サービス精神旺盛に恐怖マンガのお約束的展開やビジュアル的見せ場はちゃんと用意されているんだが、本人、そこでうっかり笑っちゃってるふしがありますな。」
「“こんなになるのかよー!”みたいな。」
「一種のギャグマンガとして捉える人がいるのも解りますよ。だって、潤二先生がたぶん最初にウケてる筈(笑)」

「うん、そこで「赤い糸」に話を戻すんだが、これ、俗に言う運命の赤い糸が実在したら・・・という思考実験の産物でしょ。
潤二先生の面白いところは、抽象的な観念の産物が具体性を持って主人公に襲い掛かってくるところだよね。登場人物は全員、状況の被害者。対処のしようがないから、事態はどんどん悪くなるばかり。」
「まず、主人公の高校生の男が彼女にふられるんですよね。すると、翌朝、手首に赤い糸の縫い目ができてる。」
「皮膚に糸が縫いこまれていて、ガッチリ食い込んでいる。切ろうとしても切れないんだよね。ここでうまいのは、糸が皮膚に食い込んでいる描写だな。生理的不快感を煽るうえに、単純な状況じゃないから、推理のミスリードを誘発してしまう。」
「昔死んだおばあちゃんが、あの世から針と糸を持って現れ、自分を千人針の土台にしようとしている、というありえない、意味不明な妄想(笑)しまいに霊界から裁縫の得意な老婆の集団を引き連れて襲って来る(笑)」
「文字にしてみると、無理ありまくりだよなー。でも、ひばり書房クラスの作家なら、平気でこんなオチに200ページ使ってしまいそうだ。」
「単行本一冊?杉戸先生、勘弁してください(笑)」
「潤二先生は一流作家だから、そんな小ネタは幾らでも湧いて来るんだろ。そこはあっさり使い捨てて、もっと恐るべき真相に突入だ!」

「男と女を繋いでいた運命の赤い糸が切れたら、どうなるか?
・・・答え、切れた糸が男にぐんぐん捲き付き始める!」>

「見えなかった赤い糸が物理的恐怖として、主人公を襲うんだよね。女には実は新しい恋人がいて、男の方が未練がましく執着している。その執着心の物理的比喩として、赤い糸がどんどん具象化してからみついて来る訳だ。」
スズキくんは腕組みして、嘆息した。
「見事な着想ですよね、あらためて考えると。無茶なアイディアを成立させるのに、男女の心理描写を巧みに織り込んで、ちょっとクラシカルな純文学的なテイストもある。でも、肝心の見せ場はちゃんとマンガの強みを最大限に活かしてる。」
「糸がぐんぐん巻き付いて、数十メートルの固まりとなって蠢く訳だからね。で、こうなりゃやぶれかぶれだ、女を飲み込んでしまおうと襲うが、誤って女の新恋人の大山くんを飲み込んでしまう(笑)」
「“ちがう!!大山くんじゃないんだ!!”」
「あやうく逃げおおせた女がホッと一息、“あぁ、よかった。あたしの糸はあんなに長くなくて。”」
「女の手首には、短い赤い糸の縫い目が刻まれている(笑)」

「完璧だ。パーフェクト。
・・・ホラ、どうだね、気分は?」
医者は笑いながら云った。
「ありがとうございます。なんだか、スーツとしたみたい。」
「結構、結構。
みんな、健康の為、マンガの読みすぎには注意しようね!!」

「お前が言うな、お前が!!」

突如、病棟に現れた杉戸光史が巨大なハリセンで医者の頭を一撃すると、吸血紅こうもりの集団と共に呪われた地獄の島へと去っていった。
あまりの急展開に呆然としたスズキくんが、思わず呟いた。

「なんだこりゃ・・・まるで、マンガみたいだ。」

医者、あらため古本屋のおやじは血まみれの唇を震わせ、苦々しげに言葉を吐いた。

「ググッ・・・お前が言うな、お前が・・・。」

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