« 9/5 ウンベル、場末のカフェーを一軒灰にする | トップページ | 羽生生純 『千九人童子ノ件』 (’10、コミック・ビーム) »

2010年9月 8日 (水)

森 由岐子『魔怪わらべの唄』 ('88?、ひばり書房)

問答無用の名作!というのではなく、議論を要する傑作として、本書を推奨申し上げたい。

かつて唐沢俊一が編集・出版した貸本復刻『森 由岐子の世界』の出来が極端に悪かったため、私の中での森の評価は決して芳しくないのだが(何事につけファーストコンタクトというのは重要なものだ)、この本含め無視することが出来ないオリジナリティーを持っている作家だと思う。

露骨に悪しき古典的少女マンガのスタイルを持つ画風。
どこかで見たような、異様に既視観を刺激するストーリー展開。
なにより森は「この人は真性のバカではないのか?」と読者に疑念を起こさせる、工夫のない、ある意味非常にピュアなサムシングを感じさせてくれるところに特徴がある。

『魔怪わらべ』は、実は発端部のアイディアに最大の値打ちがあって、この独自性は評価されていい。

とある新興宗教の勧誘員の女の子が、強引に入り込んだ平凡な外観の家。駅からも、周囲の家からも離れた場所にひっそりとたたずむ一軒家。
冷たくあしらう相手の態度も完全に無視して一方的な説法を続けるうち、彼女はだんだん尿意を催してきてしまい、「すいません、お手洗いはどこですか?」とちゃっかり玄関から中へ上がりこもうとする。
メガネをかけた教育ママ風の女性は頑強に押しとどめようとするが、彼女はあっさり無視して家中の捜索を開始する。

「ない!ない!ない!・・・この家にはトイレがない!!」

家中のドア、押入れを開けまくり、勝手に全力疾走する宗教勧誘員。
「そうだ、きっと二階にあるのだわ!」(私は、ついこの辺で吹きだしてしまった。)
だが、二階の奥の部屋には、目玉をギョロつかせた不気味な子供達が遊んでいるだけだった。
困った彼女はそのまま、その家を飛び出し草むらで用を足す羽目に。
「生まれてから、あんなに恥ずかしかったことはないです。」
(このト書きと一緒に放尿中の少女の顔が描いてある。その筋のマニアは一見の価値あり。)

のち、恋人と喫茶店でその家の異様さを回想する少女。
「そういえば、あの家にはトイレも、洗面所も、お風呂さえもなかったわ!一体、どうなっているのかしら?」
「それはありえないよ。」
半信半疑で、笑いながら否定する恋人のルポライター。線の細い二枚目。
「どんな生き物だって食べたら、必ず排泄するもんだ。そうして生命を維持してるんだから。」
「じゃあ、食事も、排泄もしないなんて、あの家の人は・・・この世のものじゃないってこと?幽霊か、宇宙人・・・?」

はい、ここまで。
完全にギャグそのものの次元から、新しいホラーを紡ぎ出す姿勢が素晴らしい。
ここから物語は「一度入ったら出られない恐怖の家」をめぐる怪異譚へと移行し、主人公が目撃した不気味な子供達の正体の解明が主眼となっていくのだが、まぁ、予想通りの展開に突っ込みどころ満載のオチが待っている、王道のひばり路線である。
ぜひ、最後まで読み通してから、呆れて呟いてみて欲しいのだ。

  「・・・この人は真性のバカではないのか?」

なお、私の発見した本書最大のホラーは、表紙カバーこそ『魔怪わらべの唄』のくせに、カバーをめくると、『『魔怪わらべ 恐怖の家』と印刷されていたことだ。
売れ残った本をカバーを変えて新刊本として出荷する。素晴らしき商魂!

|

« 9/5 ウンベル、場末のカフェーを一軒灰にする | トップページ | 羽生生純 『千九人童子ノ件』 (’10、コミック・ビーム) »

マンガ!マンガ!!マンガ!!!2」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 森 由岐子『魔怪わらべの唄』 ('88?、ひばり書房):

« 9/5 ウンベル、場末のカフェーを一軒灰にする | トップページ | 羽生生純 『千九人童子ノ件』 (’10、コミック・ビーム) »