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2010年8月29日 (日)

ルチオ・フルチ『地獄の門』 ('80、ダニア・フイルム)

 おそらく『サンゲリア』と『ビヨンド』が突出し過ぎているのだ、フルチは。
 勇んで買ってガッカリしている諸君の顔が見えるようだ。

 それでも、ドリル頭部貫通があったじゃないか。
 意味なく、蛆虫の雨が降ったじゃないか。
 ジャンニ・デ・ロッシのゾンビメイクは全然悪くないぞ。
 ドロドロで汚らしくて、最高だ。
 
 うむ、擁護点は多々あるよな。
 それは私も男だ、潔く認める。

 しかし、だ。それにしても、だ。
 
 演出上の致命的な欠点を指摘しよう。
 パッと出て、パッと消える古典的な(というか安すぎる)怪談演出、アレは絶対いかん。
 アレだけは絶対に許さん。
 パパはそんな子に育てた憶えはないぞ。

 ドリフのコントみたいな死人の出しかたも最悪。
 ズンドコである。
 かなりなズンドコぶりだ。
 下からライトに頼りすぎ。安い。大蔵怪談映画みたい。

 ストーリーはいいのだ、これで充分。
 支離滅裂すぎて、お話の体裁を成していないが、これでいい。
 シナリオ学校、クソくらえ。
 どんな異常事態が起ころうと、いっさい説明がない点が最高だ。

 傑作『真昼の用心棒』を思い出してみたまえ。
 フルチの映画に筋は不要だ。炸裂する凶悪なイマジネーション、それのみ。
 やたらと凶暴で、狂っていて、男女問わず、登場人物がギラギラしている。
 画面に漲る、正体不明の悪意。
 われわれは、それを鑑賞しにやって来たのではなかったか。

 そういう意味では、『地獄の門』は、いかにもおとなしく、こじんまりとしている。まるで後期ハマーフイルムみたいな仕上がりである。
 (自殺する神父がクリストファー・リーみたいに扱われている。)
 動きが少ない点は、まさか古典的怪奇映画へのオマージュというんではなかろうな?
 だが、これはこれでいいような気がする。さっぱり面白くないんだけど。
  
 類似品との最大の違いは、ゾンビの人間に対する襲いかただろう。
 後頭部を鷲摑みにして、頭皮をめくりとる。脳ミソ、床にボチャリ。
 常にこの攻撃を繰り返す、オリジナルすぎる設定。
 かえって襲いにくいと思うよ。なぜ、それに拘るのか。まったく理解不能で、やはり凄い。

 お陰で、人間の脳ミソが画面に登場する回数が、世界有数になってしまった。 

 その筋のマニアの方には、ぜひお勧めしたい。
 そういう意味の、名作である。

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