ルチオ・フルチ『地獄の門』 ('80、ダニア・フイルム)
おそらく『サンゲリア』と『ビヨンド』が突出し過ぎているのだ、フルチは。
勇んで買ってガッカリしている諸君の顔が見えるようだ。
それでも、ドリル頭部貫通があったじゃないか。
意味なく、蛆虫の雨が降ったじゃないか。
ジャンニ・デ・ロッシのゾンビメイクは全然悪くないぞ。
ドロドロで汚らしくて、最高だ。
うむ、擁護点は多々あるよな。
それは私も男だ、潔く認める。
しかし、だ。それにしても、だ。
演出上の致命的な欠点を指摘しよう。
パッと出て、パッと消える古典的な(というか安すぎる)怪談演出、アレは絶対いかん。
アレだけは絶対に許さん。
パパはそんな子に育てた憶えはないぞ。
ドリフのコントみたいな死人の出しかたも最悪。
ズンドコである。
かなりなズンドコぶりだ。
下からライトに頼りすぎ。安い。大蔵怪談映画みたい。
ストーリーはいいのだ、これで充分。
支離滅裂すぎて、お話の体裁を成していないが、これでいい。
シナリオ学校、クソくらえ。
どんな異常事態が起ころうと、いっさい説明がない点が最高だ。
傑作『真昼の用心棒』を思い出してみたまえ。
フルチの映画に筋は不要だ。炸裂する凶悪なイマジネーション、それのみ。
やたらと凶暴で、狂っていて、男女問わず、登場人物がギラギラしている。
画面に漲る、正体不明の悪意。
われわれは、それを鑑賞しにやって来たのではなかったか。
そういう意味では、『地獄の門』は、いかにもおとなしく、こじんまりとしている。まるで後期ハマーフイルムみたいな仕上がりである。
(自殺する神父がクリストファー・リーみたいに扱われている。)
動きが少ない点は、まさか古典的怪奇映画へのオマージュというんではなかろうな?
だが、これはこれでいいような気がする。さっぱり面白くないんだけど。
類似品との最大の違いは、ゾンビの人間に対する襲いかただろう。
後頭部を鷲摑みにして、頭皮をめくりとる。脳ミソ、床にボチャリ。
常にこの攻撃を繰り返す、オリジナルすぎる設定。
かえって襲いにくいと思うよ。なぜ、それに拘るのか。まったく理解不能で、やはり凄い。
お陰で、人間の脳ミソが画面に登場する回数が、世界有数になってしまった。
その筋のマニアの方には、ぜひお勧めしたい。
そういう意味の、名作である。
| 固定リンク
「映画の神秘世界」カテゴリの記事
- 『人類SOS!』 ('63、TRASH MOUNTAIN VIDEO)(2012.12.24)
- トビー・フーパー『悪魔のいけにえ2』 ('86、CanonFilms)(2011.12.16)
- 『ある日、どこかで』 ('80、Universal)(2011.12.13)
- 『この子の七つのお祝いに』 ('82、松竹-角川春樹事務所)(2011.12.03)
- 『宇宙水爆戦』 ('55、ユニヴァーサル)(2011.11.12)
コメント