『残酷の人獣』 ('59、リン=ロメロ・プロダクション)
黒豹か・・・?おっさんか・・・?
あなたは、どちらの人生を選択するだろうか。
どちらも、境目なく悲惨な現実が続くことには違いないのだが。
誰もが子供心に一度は思っていただろうが、あの島に住むモロー博士は相当におせっかいな人物である。
動物を人間に変化させるだって・・・?いったい、なんのために?
わからんのかね、愚かな諸君?
進化の秘密を握ることにより、人は神の御業に近づくことができるのだ。種の起源を探り、その秘密を手に入れろ。
さすれば、お前はハワード・ザ・ダックを作り出すことだって出来るだろう。
(それが嬉しい発明かどうかは抜きにして、だ。)
『残酷の人獣』はアメリカ=フィリピン合作の、実は結構、傑作の部類に入れられる映画。
ドライブイン・シアターでヒットして、シリーズ化もされている。
お話は単純で、例によって例の如く、進化の秘密を弄ぶ後先無視の無謀なサイエンティストがいて、妻と助手を連れて移り住んだ孤島で、豹を人間にする、というメリット皆無の研究をしている。
そこへ乗ってたタンカーが爆発して漂着した男が現れ、彼含め5人しかいない主要登場人物の関係が非常にギスギスしていく。
これだけ。
そんな映画が果たして面白いのか?本当に?
この映画の面白さは、無意識にだろうが、モロー博士の守備範囲を抜け出して、ルイス・ブニュエルの映画に偶然接近してしまっている辺りにある。
非常に丁寧な日常描写と、暗喩と直喩を駆使して描かれる登場人物の性的関係の放埓さ。
博士の妻が、性的欲求不満に悶えるブロンドだというのは最早定番の設定であるし、内部のワイヤにより突き出た胸の尖り具合を強調するという、かの偉大な発明品ハリウッドブラを揺らして、カーテン陰の獣人に見せつけるように、太腿を撫で下ろし、吐息をつくオナニー・シーンまで披露してくれる。
博士の助手はフィリピン人の美少女メイドを性的奴隷にしていて、豪雨の中、彼女の手を引いてジャングル小屋の物陰に消える具体的な売春描写まで存在する。
この映画の単調な物語に緊張感とリアリティーを与えているのは、例えば、互いに惹かれ合い、遂に一線を越えてしまった難破船の男と博士の妻が、翌朝、朝食のテーブルで顔を合わせると、女は罪悪感に捉われ、すごく冷たい、などという場面だ。
博士は、妻より研究が好きだ。
そんな博士を妻はまだ好きなのだ。あぁ、面倒臭い。
フィリピン人の少年の描写も微妙だ。冒頭付近、難破した男がベッドで目覚めると、手に摘んだばかりの花を幾本も握り締めた少年が近寄ってくる。見つめ合う少年と男。妙に長いワンカット。やおい描写?と思って観ていると、台詞で、その花が死んだ少年の母親の墓に供えられるものだと判明する。
やがて、その母親は人獣に喰い殺され犠牲となったらしいことが解ってくるのだが、それにしても微妙な扱いの場面だ。映画の魔が入り込むほどに。
モンスターのテイストは、ハマーのフランケンシュタイン物に似ている。(こちらは直接参考にしていると思われる。)
クリストファー・リーが体当たりで痩せて長身の怪物を演じた、『フランケンシュタインの逆襲』('57)に、全身を覆う包帯といい、動きといい類似。
映画のテンションを持続する為、その顔はクライマックス付近までまともに映ることがない。
その理由は明らかだ。
この怪物の造形、豹の精悍さからは程遠い、薄汚い浮浪者のおっさんにしか見えないからだ。
全身はほぼ包帯に包まれているので、首から上の顔面しかハッキリ拝むことができないのだが、その部分の特殊メイクの出来が汚ならしい。獣毛の表現なんだろうが、体表が黒ずんで汚れて見えるのが致命的。口髭を表現したらしい、黒くて太い直毛が頬から何本も飛び出しているのも気持ち悪い。尖った短い耳がニュッと頭頂付近の位置から突き出しているのは、かろうじてキャラクター設定を思い出させてくれるのだが、全体の印象は、生活苦に疲弊した中高年の浮浪者が全身黒くなる奇病を患っている姿である。
ジャック・ターナーの『キャットピープル』が敢えてやらなかったことを、わざわざやって見せてくれた野暮に敬意を表したい。
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