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2010年7月26日 (月)

江戸木純『『世界ブルース・リー宣言』 ('10、洋泉社)

 極端な言説、偏った論考というのは、危険を孕んでなお感動的だ。

 「いま、世界にブルース・リーが足りない。それは間違いなく、徹底的に足りない。」
 と、著者が説くとき、われわれは無意識レベルでその真意を察知し、既に賛同している状態だ。
 問題はそのアジテーションの外側にいる人々だろう。これでは意味が解らない。
 だから世界は間断のない闘争状態にあり、理解と無理解との熾烈な戦いは日常の到る所で繰り返されている。

 でもね、相手がきみだから砕けて云うが、すべてを納得させる結論なんて出ないんだよ。
 
 ユリ・ゲラーは、本当にスプーンを曲げていたのか?
 それを知ってどうする?


 だから、この本の立場は積極的に「ユリの側に立とう!」という宣言の書であるのだが、でも、相手は自称・超能力者なんかじゃないからね。
 世界の映画史上、空前絶後の大スターですから。
 (この言い方自体が、私自身の信仰のカミングアウトになってしまうな。)
 1995年に洋泉ムックが出した『映画秘宝Vol.3 ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進』にグッときちゃった困った人々にとっては、窮天の慈雨、ショコタンにレイプされ(結果としてあれは、メディアによるレイプだと思う)ボコボコにされた映画界最大のイコンからの、返礼の一撃ということですよ。
  で、返す刀で湯村輝彦のヘタウマ絵画も断罪ってことですよ。
 作家としての湯村氏の評価はともかくとして、確かにあの絵(※'97『燃えよドラゴン』リバイヴァル時のパンフ)はねぇよなー。そういう説得力があります。

 そもそも、世界正義の規範がブルース・リーであって何か問題はあるのか?

 ね?
 
 諸君、今こそ地上に蔓延るすべての悪を殲滅するときが来た!
 立て、万国の労働者!ってことですよ。

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