仲井戸麗市『I STAND ALONE』('09、EMIミュージックジャパン)
火星周回軌道上に、宇宙船はあった。
太陽系第四惑星、火星。
かつて軍神と讃えられた星。だがその実体は、希薄な大気と乾ききった荒涼の大地。
“火星地球化計画”<テラ・フォーミング・プロジェクト>とは、人類が生き延びるには余りに過酷な環境を改造し、植民可能な世界に作り変えようという遠大な計画であった。
幾億の作業員を費やし、莫大な予算を投じ、永い歳月をかけて推し進められてきたプロジェクトは、今、完成への最終段階に差し掛かっていた。
『・・・ヒューストンより、D。
作戦開始まであと十分程だ。準備はいいか?』
「こちら、D。」
宇宙服の男が、コクピットから手を振る。
「ヒューストン、感謝するぜ。連載開始以来、これが初のまともな任務だ。」
『ヒューストンより、Dへ。まぁ、気にするな。
どっかの宇宙ステーション勤務の連中ばかりに、でかい顔させる訳にはいかないからな!!・・・なぁ、野口?!
それよか、磁力牽引装置の調子はどうだ?』
分厚い手袋の両手がコンソールを這い回り、各所のモニタリング装置を連続でチェックに入った。
宇宙船は衛星軌道に対し微妙な進入角をつけて周回している。
本体下部に急遽取り付けられた磁場生成コアから、無数の力線放射アンテナが伸びており、複雑に絡み合う磁力線のフィールドは宇宙船の背後へ向かっている。
宇宙船を起点とする磁場の網は、背後に数億トンに及ぶ巨大な氷塊を幾つも捉えていた!
「・・・システム点検、異常なし。
しかし、なんだなぁ・・・一体どこで見つけてきたんだよ、こんなでかい氷?」
通信機から戻ってきた返答は、夢見るような響きを帯びていた。
『かつて・・・まだ人類が誕生するより以前、地質年代で云えばそう、白亜紀の頃だ・・・。火星と木星の間には、ひとつの美しい惑星が存在していた・・・。』
「まさか、それって・・・カタイン・・・?!」
『そう、カタインだ。火星で発見された古代王朝の記録は、その名前で伝えている・・・。』
(注釈)参考文献、エドモンド・ハミルトン『時のロストワールド』(野田昌宏訳、ハヤカワ文庫SF)
『しかし有史以前に起こった太陽系規模の大異変、連鎖する大地殻変動により、カタインは崩壊し宇宙の藻屑と消えてしまった。僅かな生き残りの人々は、衛星ユグラを宇宙船に改造して、遥かデネブの彼方へ新天地を求めて旅立っていったのだ・・・。』
さすがのDも、息を呑んで尋ねた。
「では・・・まさか、この氷の塊りが・・・?!」
『そう、飛び散ったカタインの大洋の一部だよ。
宇宙空間の絶対零度の中で、ずっと保存されてきた貴重な水源だ。
カタインの破片の一部が木星に大赤班を形成し、残る大半が小惑星帯として火星と木星の間に漂っているのは、知っているだろう。
その中には、かつて海を構成していた物質もあったのだ。
この水が天から降り注ぎ、大いなる海洋を形成し、乾ききった火星の大地に再び緑をもたらすのだ!』
「テラ・フォーミング計画か・・・。まさに人類の長年の夢だな・・・!!」
『・・・うむ。カウントダウンまで、もう少し、時間があるようだ。
ヒューストンより、Dへ。
・・・RCの悪口、云ってもいいか・・・?!』
「エ?!・・・RCって・・・RCサクセション?!
うわぁッ、そりゃ、やべぇ!!なにを言い出すんだ、お前は・・・?!こんな緊急時に心臓に悪いじゃないか。」
『こちら、ヒューストン。
私もそんな気はさらさら無かったんだが、つい出来心で、先日出たチャボの弾き語り二枚組を購入してしまったんだ。
ライブハウスでの清志郎追悼公演で、RC時代のナンバーを連続で弾き語っている奴な。
素晴らしい演奏内容だとは思うんだが、
それはそれとして、こう、長時間聴いてるうちに、ムラムラと俺の精神内部に悪魔が忍び寄り・・・。』
「うわッ!!やめろ!!コッチまで自爆に捲き込むんじゃない!!
俺は、妻も家庭もある身だぞ!!
こちとら、ちんちんはでかいが、気は小さいんだ!!!」
『まぁ、いいじゃないか。気にするな。
特攻精神、これ、ロックなり。内田裕也先生の言葉より。』
「大嘘を平気で書くな!しかも、本当に云ってそうじゃないか!!」
『このアルバム、いい曲揃いだと思う。
アルバム全体を通して、コンセプトが明確で、トータルするとアコースティックブルースの質感が残るんだ。
自分自身をバンドのメンバーとして紹介してしまう、お馴染みのオープニングナンバー「よぉーこそ」からして、大人目線の諧謔がバシバシ効いていてなぁー、やっぱりチャボは一味違うと感心しきりだ。』
「おい、なんか絶賛しているように聞えるんだが・・・。」
『こちら、ヒューストン。
告白しておくが、セカンドソロ「絵」以来のチャボファンです。』
「なんなんだ、お前は?!
それじゃ一体、何の不満があるというんだ?!」
『いや、チャボのすべてに諸手を挙げて賛成というワケでもないのだよ。われわれ、薄汚れた俗衆が想像する限界を遥かに越えて、チャボはピュアで純粋なアーチストなのだよ。
実際、そこに感動もする訳だが・・・。
例えば、このライブには清志郎追悼文的な文章の朗読が折り込まれて、ポエトリーリーディングの普及に積極的なチャボらしく、テクニックや脅かしは一切抜きで、さりげなく気取りなく感情に訴え掛けて来る、実にテンションの高い技を披露してくれるんだが・・・。
やはり、キヨシは特別な存在なんだろうなぁー。
ちょいと、オーバーフロー気味なんだよ。』
「・・・キヨシロー。」
『うわッ!!!』
「・・・キヨシロー。」
『ひぇぇぇー、お前が物真似するんじゃない。耳が腐るかと思ったぞ。』
「Dより、ヒューストン。
いまのはエンディングに収録されている、チャボの朗読の一番かなめの部分です。
これは絶対必要な呼びかけの箇所なのだが、ここをどう受け止めるかで、あなたの人間としての器の大きさがわかる!
ぜひ、一度お試しあれ・・・!!
・・・それよか、そろそろ、作戦開始の時間ですよ。
頼むから、いい加減、カウントダウンを始めてくださいよ・・・。」
かくて、ショックに心ここにあらずのヒューストンからの秒読みを受け、宇宙船の姿勢制御エンジンは全開で噴射を開始した。
進行方向に対し、極端な仰角となる。一種の射撃体勢だ。
巨大な氷塊を拘束していた磁場網がするすると解けて、火星の大気圏まで伸びる長いレールを形成して行く。
磁気制御体を循環する電子は高速回転をかけられ、無限の密度にまで圧縮されていった。射出力場はスペクトル発光し、ありえない程の高温となって、いかなる物質をも融解する危険なフィールドが展開していった。
『3・・・・・・2・・・・・・1・・・・・・ゼロ。』
「ファイヤー!!!」
磁気制御体はさらなる圧縮を続けながら、宇宙空間を漂う巨大な氷塊に衝突し、瞬間、閃光と共に爆発的な加速を生み出した。
超高速で押し出された氷の塊りは、一直線に落下軌道を描いて、火星表面へ向かって墜落して行く。
「・・・やった。成功だ。」
『あぁ・・・火星に新しい時代が始まる。
ひょっとしたら、われわれは創造主にも匹敵する大事業を成し遂げたのかも知れないな・・・。』
-------それから、数週間後。
墜落した氷塊の発生させた、濛々たる蒸気の霧が火星の大気圏を厚く取り巻いているのを、静止軌道上からジッと観察している男があった。
定時連絡の通信が飛び込んで来る。
『ヒューストンより、D。
どうだ、まだ霧は晴れないのか・・・?!』
「まぁ、あれだけの質量が激突したんだ、そうそう簡単に成果が確認できるもんでもないさ・・・・・・。
・・・・・・んん??」
『どうした、D?なにか、見えたのか?』
「いや・・・。しかし、なにか聞えるんだ・・・。」
『聞える・・・?
宇宙空間は真空なんだぞ。音声などの伝達には不向きなんだぞ。』
「いくら俺でも、そのくらいの科学知識はあるわ!
いや、そうじゃなくて、なんか、か細くもハッキリと、遥か遠方から聞えるんだ、ありがたいお声が・・・!!」
そう、それは確かに念仏読経の声だった!
「ん・・・これは、まさか?!・・・もしや・・・!!」
火星表面を覆った分厚い蒸気の靄を透かして、見え隠れしているのは、確かに巨大な仏教寺院の甍の連なりであった!
並ぶ黄金の仏像の微笑みは無限の仏の慈悲心を象徴し、天空には彩られた五色の雲、仏閣は十重二十重に高く聳え、幽玄なる楽の音と高僧達の有り難い読経の声が響いている。
「こ、こいつは・・・。
テラ・フォーミングのつもりが、寺フォーミングになっちまったぞ!!!」
『ギャッフン!!』
「でも、確かになにかに俺達は成功した気が・・・する。
ええぃ・・・バンザーイ!!バンザーイ!!」
『バンザーイ!!!バンザーーイ!!!』
| 固定リンク
「テーブルの隅の音楽」カテゴリの記事
- ザ・ドアーズ『L.A.ウーマン』(L.A. Woman)1971、エレクトラ・レコード(2022.09.18)
- 戸川純+Vampillia『わたしが鳴こうホトトギス』 ('16、VirginBabylonRecords)(2017.01.14)
- 相対性理論『ハイファイ新書』 ('09、みらいレコーズ)(2013.11.25)
- ポール・マッカートニー&ウィングス『レッド・ローズ・スピードウェイ』 ('73、東芝EMI)(2013.08.14)
- スティーヴ・ライヒ『MUSIC FOR 18 MUSICIANS』 ('97、Nonesuch)(2013.07.23)
コメント