日野日出志『地獄の子守唄』 ④('83、ひばり書房)
4.
あたしはメールの送信ボタンを押した。
「見るからに、激ヤバイ店発見。おやじとイケメン、にらみ合っている。」
同時送信先に指定されたグループから、瞬時に返信が返ってくる。スリムなピンクの携帯は連続する着信バイブに身を震わせる。
スピーカーはもちろんOFF設定だが、あたしのメール着信音は「シタール」だ。さぞかし、玄妙な響きが鳴り渡っていたことだろう。想像にしばし陶然となる。
本当は開封する必要もないのだけれど、メールボックスを開けて一通ずつ確認する。
メッセージはどれも短い。
「???」
「なに、それ?なに屋さん?今から行くよ」
「あんたヤバイDEATH、命」
「!!!ケンカだ!!!ポリを呼べ!!!ポリ、死亡!!!残念!!!」
「では、イケメン(絵文字)の写メ、よろしく~(絵文字)」
返信は、送信先のすべてからではない。
でも、今返事してきた連中は、あたしと同じく、暇を持て余して悪天候の中をほっつき歩いているようなイカレポンチばかりだ。好奇の輩、というやつだ。
小学生だというのに。
あたしは、フランソワーズ・サガンみたいな溜息を漏らし、昨日読んだ川崎ゆきおの『恐怖!人食い猫』を思い出した。
もも子は現実から逃げ出したい中学生。親も友達も学校も、みんな、うざい。ある日街角の喫茶店で見かけた猫女の後を追って、非現実世界の猫町に入り込んでしまった。
人間の首はスパスパ飛ぶし、人面疽は出来放題だし、思わず寝食を忘れてしまいそうな楽しい世界。クラスメイトは全員、お化け顔。授業は学校の暗い地下室でやっている。
だが、そんな自由気ままな世界にやって来たもも子の願いは、元の平凡な現実に戻ることだった。
「自分で、自分の現実を見つけるのじゃ。」
街頭で会った易者に諭され、親切な鬼婆に教えを受け、夢の中から抜け出そうと苦しむもも子。途端、楽しげに見えた異世界は一変し、執拗な攻撃を仕掛ける迷宮と化す!
ギロチンで斬首され、顔面にピストルの弾を撃ち込まれ、悪夢から目覚めると依然として悪夢は続いている。意志を挫かれ、弱音を吐くもも子に、鬼婆が最後の力を貸す。
襲いかかる巨大な顔面の群れ、地面から足首を掴む猫女。果たして、もも子は現実に戻れるのか?そして、戻った現実はどのように変化しているのか・・・・・・?!
「傑作だったわ。」
本を閉じ、あたしは思った。現実を補完するために夢があるのではないのだ。それは実は、一枚岩の別の面を目撃しているに過ぎないのだ。どれほど、突飛でかけ離れていようと、真実の相はただひとつ。片方を称揚し、一方を蔑むのは正しいやり方ではない。
どんな絶望的な現実でも、ある種のファンタジーを宿しているのだし、幻想、おとぎ話の中に残酷な真実がある。
それがないお話など、力のない、ひどく無味乾燥とした退屈な作り事だ。
そのとき、ぱりん、とガラスの割れる音が響いた。
降りしきる雨の中に、砕け散るガラス片。路面に突っ伏す、黒い影。
仕込み刀の刀身が閃き、ザッと血がしぶいた。
「イケメン、勝った。おやじ、血まみれ。」
あたしは電柱の後ろに隠れて、メールを打つ親指を動かし続けた。
だが、それはあたしの単なる願望であり、本当に勝ったのは、醜い顔の不気味なおやじだったのかも知れない。
でも問題は、あたしがこの現実をどう見るかなのだ。
あたしは、メールを送り続けた。
(完)
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