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2010年6月 1日 (火)

牛次郎・ビッグ錠『包丁人味平11』地雷包丁の巻('76、ジャンプ・コミックス)

 私は、マンガの面白さを探求する者。
 まぁ、一種のソルジャーと申し上げていいだろう。葬流者、と書いて“ソルジャー”ね。夜露死苦。

 ・・・と、出だしで格好をつけておいてなんだが、私は長いマンガが苦手である。諸君はどうか。大長編はお好きか。
 「続いていく」というのが我が国の連載マンガの醍醐味であることは、百も承知している。確かに全巻揃いというのは魅力だ。「野望の王国」全巻なんてのは、見るからに威圧感があるし、第一、途中だけ抜き出しても、意味不明になってしまう危険性がある。
 熱心なファンにしてみれば、途中の一冊だけを摘み食いされて、尤もらしく評論めいた言説を述べられるなど、苦痛以外の何物でもないだろう。

 だが、しかし。
 そこに実は、巨大な陥穽があるのではないか。


 続きマンガの一冊は、未知のパズルを完成させる為のピースではなくて、あくまで、ただ、ただ、単なる一巻の単行本に過ぎないのではなかったか。
 そこに表れざる大きな物語を読み取れ、というのは、この国の出版業界が意識的、無意識的に仕掛けた暗黙の遺制ではないのか。

 マンガなど、好き勝手に読んでいいのだ。
 そこに私は魅力を感じるし、そのいい加減さを信頼している。
 
 という訳で、今回は『包丁人味平』の11巻だ。
 前後は、一切なし。
 まぁ、一般によく知られている事実は補完させて貰うけどね。この本の紹介は多いから。
 でも私が手に入れて、本当に読んだのは、今回この一冊のみ。
 本当にいいのか、それで?

 今回、個人的にはかなり意欲的な試みだと自負している。


 さて、味平のことは、諸君もご存知だね?結構、有名だし。
 これは、下町の大衆食堂ブルドックに勤務する庶民派料理人味平が、立ちはだかる強敵「包丁貴族」、「無法板料理人」などを次々と撃破していく物語だ。
 ここでの料理は、一種のバトルフィールドに過ぎない。
 野球大嫌いの私が平然と読める『アストロ球団』が、球場を単なる死闘と流血の舞台に変えたように、逆巻く渦潮を切り裂いて出現する「荒磯の板場」は、男のコロシアムである。
 内部が空洞となっている岩島。轟音を上げて雪崩れ込む潮流は、船を木の葉のように押し流し、島内を一分三十秒かけて一周し、出口となっている岩窟へと押しやって行く。
 この間に、激しく揺れる船上で刺身を捌き、料理をつくれ。
 なぜ?
 問いかけは無意味だ。
 この世界の因果律は料理を中心に構成されており、登場人物達は全員、料理勝負以外のことには目もくれない異常者ばかりだ。
 例えば、味平の宿敵、無法板の練二のことを考えてみたまえ。彼は人間の大人ぐらいあるマグロを瞬時に捌く、地雷包丁の使い手だ。
 “地雷包丁”とは何か?
 数十本の包丁を魚体の到る処に突き刺し、咥えた煙草(そう、調理中も彼は喫煙を止めない!)で発破の火薬に火を点ける。爆砕される巨大マグロ。このとき、体組織の合わせ目に沿って慎重に突き立てられた包丁が肉を切り裂き、爆煙が晴れると、見事、マグロは骨だけ残して切り身になってしまっている。
 手も触れずに、三枚におろしたのだ。
 「さすが、練二!」場内は、拍手喝采だ。

 この力学的に不可能な早業に、対戦相手の、ごく常人たるホテルの板長も鼻白む他はないのであるが、なにせ巧妙に唆され、自ら百万もの大金を勝負に積んでしまっている、大馬鹿者だ。
 読者は、一切同情しなくて済む。
 権威とはバカげたものであり、勝負はアナーキーな側に常に分がある。
 これを称して、ファンタジーと云う。

 だいたい、荒磯対決に向けて、老舗の料理屋で修行する味平が、重度の魚アレルギーであるという、話を盛り上げるに都合のよすぎる設定。(触っただけで、蕁麻疹が出て、寝込んでしまう。)
 さらに、その味平に入れ込む料亭の一人娘が、料理勝負の賭け金として、親の貯めていた嫁入り資金700万、自分の貯金400万、合計額一千万強を積んでしまう、という無分別にも程がある凄い展開。
 これをファンタジーと呼ばずして、なんと呼ぶのか?

 諸君は、味平といえばブラックカレーである(麻薬入りカレーを食わせて、客を中毒にしてしまう。料理人もその味に取り憑かれ、遂に発狂!)という、知ってて当然の前知識は、既に脳内にインプット済みのことと思う。
 だが、そんな危険な飛び道具の以前に、この物語は、極端な無茶の連続、論理の飛躍によって成立していることを忘れてはならない。
 麻薬入りカレーに突っ込むことは、猿でも出来る。
 真に恐るべきは、物語を進める快適なテンポ、仕掛けの周到さ、その常識からの逸脱加減にあるのだ。
 しかも、それは全編に漲り、強力な磁場を発生させている。
 空手が世界の中心原理であるような、ある種のマンガと同じく、『味平』もまた、一種の異世界ファンタジーと定義してよい。
 
 この世界の玉座には、途轍もない、狂った何かが座っている。
 それを“神”と呼ぶのだ。
 あるいは、“世界原理”である。


 ビッグ錠の絵柄は、意外や達者で、現在は死滅したぶっとい主線でゴリゴリ描く、という劇画の花形の洒脱さを見せてくれる。
 これが、物凄く気持ちいい。
 最近のマンガは、どれも描線が細過ぎてダメだ。
 野太すぎるペンが自在に踊ってこそ、真のマンガの王道が開くのだ。
 全巻揃いは高いけど、中途の巻なら、一冊2~300円。大人買いなど無意味だから、今すぐ撤回。

 一度、ご賞味あれ。

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