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2010年5月

2010年5月31日 (月)

『人喰いアメーバの恐怖No.2』 ('71、ジャック・H・ハリス)

 映画から落ちそうになった経験って、あるかい?

 あぁ、あんたはわかってる筈だよ。
 この世には二種類の映画があって、つまりは“のれる”映画と、そうじゃない奴さ。
 そういう意味では、『人喰いアメーバの恐怖No.2』は完璧すぎる。
 これは、どうしようもない作品だ。

 前作にあたる『マックィーンの“絶対の危機”』も、この続編もかつては死ぬほどテレビでやっていてね、でもどんな話だか、さっぱり覚えていなかった。
 巨大アメーバが出てきて、人間を喰う。ただ、それだけの映画。
 特に、この二作目は酷いね。
 よせばいいのに、コメディー仕立てにしてあるしさ。最悪だよ。
 でも、俺が不覚にも笑った箇所が一個あって、ボーリング場のオーナーが主人公(というには余りに弱い、おにーちゃん、おねーちゃんカップル)に絡んで嫌がらせし、逆ギレされて道に並べた缶ビールを大量に車で踏み潰されるシークエンス。
 ビール踏まれて怒ったオーナーが、怒りの余り、足を車にぶつけて蹴って、勢いでこけて大転倒するところ。ベタ過ぎて笑った。

 あとは、特に、いいかな・・・。
 
 この映画の製作者、ジャック・H・ハリスってのは、かのカーペンター(と、ダン・オバノン)のデビュー作『ダークスター』の製作もやってる人なんですよ。
 カーペンターは、とにかくコイツが大嫌いだったらしく、インタビューで、
 「ブロブを造ったのが、唯一の自慢なゲス野郎」とハッキリ罵倒している。
 まぁ、そりゃ、ああいう魂入った名作を撮るカーペンターと、映画産業自体を舐めてるような自主プロデューサーじゃ当然相性悪いでしょうけど。

 こういう、アメリカの低予算プログラムピクチャーを見慣れた方には頷いて貰えるかな、と思うんだが、
 まったく心無い感じがカルトっぽさを漂わせる瞬間、ってあるじゃないですか。
 
 この映画にも、オーラ少な目ですけど、それがありますよ。
 それは無造作過ぎるカット割りだったり、気を効かしたつもりが滑りまくる台詞だったり、無意味すぎるナレーションだったりしますけど、
 この映画の場合は、猫ちゃん。
 冒頭で、怪物に飲み込まれて哀れな最期を遂げる、白い猫ちゃん。
 可愛く撮れてると思いますよ。
 それに続く、黒人夫婦の頭悪い乳繰り合いも、なかなか見所で、あんまり損した気分にはならないのでありました。

 ただ、九十分も尺いらない内容だったね。
 だいたい、怪物の襲撃がテンポ悪すぎるし、登場人物もあんなにいらない。
 ボーイスカウトキャンプとか、場面転換だけで全滅しちゃってるし。間抜け過ぎ。
 こんな映画、七十分で充分。
 後半に行くほど、無駄な場面、長すぎ。ブロブ凍らせるラストも、さっぱり盛り上がらない。それまでたいした活躍をしない不定形ゼリーだから、ま、当然だが。
 それも済んであぁしんどかったと思ったら、ラスト、保安官が演説なんか始めやがって、嫌がらせか。そんなの、最早誰も聞いてないよ。さっさと切っちまえ。

 誰だよ、脚本?!
 ・・・ジャック・H・ハリス?

 あぁ、そういうことか。

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2010年5月29日 (土)

ジャックス『レジェンドBOX』 ('08、EMIミュージックジャパン)

 宇宙船内で、真っ赤な光が明滅している。
 エンジンの唸りは壁を引き裂かんばかり、到る所から白い蒸気が噴出する。

 銀色の宇宙服を身に纏った男が、コンソールに身を屈めて、叫ぶ。

 「メーデー送信、メーデー送信!」

 
壁に、グリーンのランプが点った。

 『こちら、ヒューストン。メーデー確認。どうした、D?』

 「Dより、ヒューストン。当機の運行に障害を与える重大な問題が発生した。大至急、解答を頼む。
 SMの女王様は居るのに、なんでSMの帝王っていないんだろうか?」

 『・・・梅宮辰夫じゃないのか?』

 「それは、 夜の帝王だ。」
 
 
『・・・そんな用件か?もう、電話切るぞ。』

 「Dより、ヒューストン。確かにふざけて聞えるかも知れないが、本当に緊急を要する事態なんだ。最優先で、連想分析コンピュータの起動を要請する。」

 『山田正紀「地球・精神分析記録」か。・・・なんだかなぁ。』

 「・・・なんだかなぁ。」

 『(キーボードの操作音)よし、北極圏のコンピュータ団地と回線が繋がったぞ。ログイン。
 パスワードを要求されています。』

 「え?!それで、パスワードは・・・?!」

 『当然、忘れた。メモもない。こんなに頻繁にパスワード登録と更新を要求される未来社会なんて、サイバーパンクの連中は予言できていたんだろうか?』
 
 「俺の巨根に誓って、答えは“ノー”だ。眉村卓先生だけは、確実に予見していたと思うが。」
 
 『こちら、ヒューストン。じゃ、お勝手口から失礼します。』

 「・・・あるのか、お勝手?!お前は、出入りの業者か?」

 『マイ・コンピュータ>コントロールパネル>(クラシック表示に切り替える)>インターネット・オプション>お勝手、ね。よい子は試してみてね。
 回線、開いたぞ。メインメニューです。検索キーワード入力。SM&帝王。団鬼六と、中野D児を除外。連想類推分析。サーチ開始!』

 地球の北極圏には、永久凍土を刳り貫いて地殻マントル層まで届く、巨大な浚渫坑が掘られ、幾重にも積み重ねられたスーパーカーボナイト樹脂製のメモリバンクが全長数万キロに及ぶ記憶バンクを形成している。
 連想分析コンピュータはこれら、人類の叡智の集合体に自在にアクセスし、googleやyahooを凌ぐ超絶に細かい精度のハイパーメディア検索を可能にするのだ。

 「・・・説明がやけに形容過多だな。詰まるところ、普通のサーチエンジンとどういう違いがあるんだ?」

 『こちら、ヒューストン。さぁ?・・・早速、検索結果が表示されたぞ。五兆件。』

 「では、先頭画像を表示してくれ。・・・こ、これは・・・?!」

 画面にはワイルドな髪型で、黒いレザーを装着しバイクに跨る男の姿があった!

 『トーカッター、ですな。マッドマックスの悪役の。』

 「むむ、SMの帝王とは、トーカッターのことだったのか!!」

 「嫌な予感がする。検索順位、上位から順に連続で表示。」

 映画『ストリート・オブ・ファイヤー』のウィリアム・デフォー。『北斗の拳』のケンシロウ。トラボルタ。

 「・・・なぜ、トラボルタが?!」

 『映画「バトルフィールド・アース」で、悪の宇宙人に扮した時のやつですよ。レアです。』

 「そういう問題ではないと思うが・・・。
 ヒューストン、どうも、この検索エンジンは使えない気がする。」

 『・・・同感だ。

 それよか、ジャックスって、いつの間にかデビュー40周年だったんだな!』

 「なにを、2008年の話題をしている。」

 『当時流行のSMH-CDで、ボックスが出てたんだが、\4、800もしやがるの。結果として売れ残って、デッドストックが中古屋に流れてきて、俺が購入した。未開封、\2,800ナリ。
 オリジナルアルバム二枚を紙ジャケ、リマスター。シングル音源追加ボーナス。ラジオ音源「エコーズ・イン・ザ・レディオ」も同梱。
 内容的には、まったく文句がない。聴くと、目の前が真っ暗になる素晴らしい出来だと思う。
 ザッとまぁ、こういうワケでさ、親方。』

 「誰の物真似をしているんだか、サッパリわからん。
 それよか、ヒューストン、SMエッチって・・・。」

 『結局、業界の無駄な抵抗、タコが自分の足を喰う行為だったんだろうな、SMH-CD。
 プリンスの「1999」とか買ってみたが、どこが音質向上してるんだかさっぱり理解できなかったゾ。
 通常CDで、丁寧なリマスタリングのリトルフィートに負けてどうする。新素材。』

 「こちら、D。
 それ、ヴィニールレコードの時代から繰り返されてる長い歴史っスから。
 ・・・それよか、さっきからSMH-CD、SMH-CDと連呼しているのは、ひょっとして、SHM-CDのことか?」

 『・・・・・・・・・え?!』

 
 そのとき、全宇宙の時計が停止し、狂ったように逆行を始めたという。
 大天使ガブリエルの吹き鳴らす喇叭の音が聞こえ、浅倉久志は永劫の眠りに就いた、と黙示録の記述では伝えている。

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2010年5月25日 (火)

日野日出志『地獄の子守唄』 ③('83、ひばり書房)

       3.

 「こんちは。なかなか、凄いお店ですね。」 
 その青年は、愛想の良い笑顔を振りまきながら云った。地味なブルゾンにジーンズ、一見真面目そうな印象だが、どこか得体の知れないものがある。
 店主は読んでいた本をパタンと閉じると、客に向き直った。
 「・・・なにか、お探しで?」
 妙に勘に触る、耳障りな声だ。青年が手ぶらなのを不審に思っての発言である。
 「ええ。ボク、こういうものです。」

 「怪奇・・・探偵?」
 
 与えられた名刺の文字を読みながら、店主は胡乱げに呟く。
 「ハイ。この世のありとあらゆる怪奇と神秘を解明したい。ある日そんな念願に駆られまして、こんな職業を自主的に名乗らせて貰っているのですが・・・。」
 「そりゃまた、若いのに殊勝な心掛けだ。儲かりますか?」
 青年はニヤリと笑って、手を横に振った。
 「金銭目当てなら、もっと実際的な方面に活動しますよ。かといって、趣味と呼ぶには、ちと違う。なんというか、ごく個人的な、精神内面の切羽詰った欲求に憑かれて、こうして当て所なく冬の街を彷徨っているのです。」
 「あなたのような方を、昔は高等遊民とか呼んでたんでしょうな。」
 店主は物憂げに、天井を振り仰いだ。
 「千葉の百姓の末裔ですよ。そいつは買い被りというもんでしょう。吸血鬼さん。」

 「は・・・?!」
 店主は動きを止めた。ピンと突き出した長い耳が震える。
 「いま、なんと・・・?」

 「あなたは、吸血鬼です。ボクはこの方面には造詣が深いのです。この店の内部の配置を見て、直ぐに解りましたよ。」
 照明は昏く、消えてしまいそうだ。
 カウンター越しに向かい合ったふたつの人影は微動だにしなかった。表で雷鳴が小さく閃き、降り続く雨が木戸を濡らしている。

 「悪魔その人に忠誠を尽くすのも結構だが、大概にしておかないと命取りですよ。稀覯本の山に隠して人目を眩ませたつもりでしょうが、あいにくこちとら、無駄飯喰ってた訳じゃないんだ。」
 つかつかと店主の背後の書架に歩み寄ると、壁に真紅の釘で打ち付けられた小さな古文書を示す。
 「第一点。北壁に吊るされた逆字聖書。十二世紀、ヘブライ語で書かれた原著本ですな。旧約聖書の、あの印象的な人とエホバの対話編を璧言漏らさず、逆さに綴ったものです。原典は神との約定を成文化した、格式張った儀杖的印象の強いものでしたが、ところが、文言を逆にし意味を反転させると、見事な悪魔召喚の呪文となり果ててしまう。まったく、恐るべき代物です。禁書指定もむべなるかな。」
 大げさな溜め息を吐く。
 「そうそう、欧州の覇権を握った大教皇インノケンティウス三世配下の異端審問官達が、数世紀に渡って追い求めたのがこの著作でしたが、まさかこんな極東の国でお目にかかろうとはね。」

 二の句も接げない店主を尻目に、青年は講釈を続けた。

 「こいつを起点に紡錘星の形に、魔術の七大要素が配置されている。すなわち、蛇の眼球。蠍の息。蜥蜴の舌。鶏骨。水銀。それに、処女の子宮。ランターンに詰めて、装飾の様に見せ掛けるなんて、とんだ悪巫山戯だが、まぁあの呪われたフィレンツェの王妃もかつてしたことだ。独創性はちょいと疑わしいでしょうな。」
 なるほど、青年の指差す先には、書棚の装飾のように見せかけた飾りランプが要所要所に配してある。
 店主の額を脂汗が滴り落ちた。
 顔面が蒼白に変わっている。
 「それから、悪魔崇拝で知られる、カルパティアの領主がおのが居城の守りに用いた護符。天井の梁ごとに仕掛けるなんざ、憎い所業ですねぇ。あいつを生成するには、正真正銘生まれたての赤ん坊の掌が必要な筈ですが、獣脂に漬け込んで石蝋化するまで丹念になめしやる苦労、よくわかります。」

 「そ、そこまで・・・・・・。」

 「とどめが地べたに描かれた文様です。こいつの出自は、ちょいと難しかった。古代アズテックの神殿によく似た神像が出てくる。アスラトゥガル、暗黒世界を司る蛇体母神。黄金の杖に鱗模様の克明な彫刻を施し、その尖頭に猫の顔のヘッドピース。握りを解いて、飾りを地面に展開図のように開いてごらんなさい。ボクの驚きが解る筈だ。なんとまァ、こいつはそっくりの相似形を成しているじゃありませんか。」

 店主はいまやギラギラと異様に輝く双眸を剥き出しにして、青年を睨み付けていた。
 隙あらば飛び掛ろうとでもいうのか、両の手をギュッと握り締めている。

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2010年5月23日 (日)

CG②『アバター』 ('09、20世紀FOX)

 まぁ、あれだ。

 酷評されても世界興収は記録更新一位だし、相変わらずだな。キャメロン。
 カット割りはタメ排除の予告編みたいな造りだし、チャカチャカうるさいCGだし、いろいろ問題点は山積しているのだが、最後までちゃんと観れましたよ。
 (ま、正確にはあんまり長尺なんで、飽きて、DVD止めて寝て、翌日ようやく完走したんだが。)

 なんかね、ジャパニメーションみたいな話だなー、と思って観てたら、偶然、鑑賞途中で田舎の甥っ子六歳から電話が掛かってきて、
 「いまねー、おーむのDVD、観てるのー。」って、云う。
 「鸚鵡?」
 子供がオウム真理教(『A』とか)観るわけねーしなー。と思ったら、これが『ナウシカ』。
 (家にDVDがあるのに、なぜかレンタル屋で借りる、って云い張って聞かない、と弟が愚痴ってた。)

 これは偶然の一致だが、なるほど、この『アバター』って、単なるジブリアニメだって思って観ると、疑問点がいろいろ、スッキリするんだわー。
 エコで、森林伐採に反対、とかね。
 『もののけ』+『ナウシカ』。これは、たぶん、多数のブログで同様意見が頻出してるかな、と。
 あと、空中要塞を撃破する展開はギガントだよね。『コナン』。
 実際、過去ログ調べたら、キャメロン、「宮崎監督へのオマージュ」って、プレス相手に著作権問題の予防線張る発言、かましてるし。アメリカさんは、凄いねー。
 エイリアン対宇宙海兵隊、って図式は自作の『エイリアン2』ね。
 (そういう意味で、あたしは人類頑張れ、とずっと思ってましたけど。)
 これに、『アラビアのロレンス』足して、空中に岩が浮いてる奇景はロジャー・ディーン、光りモノ多用の背景はラッセンのエアブラシ。うけそうな要素、総動員。
 でも、新しくはないんだ。どっかで見たことあるヴィジョン。
 途方も無く金かかってるんで、見応えあるけど。別に、どってことない。

 キャメロンに関しては、『ターミネーター2』がターニングポイントだった、って気がするな。
 あそこで、あの人、完全に方向性を確信したでしょ。
 普通の意味での映画を撮るのを、完全にやめた。
 映画の進行を妨げる狭雑物は、一切、排除。観客を飽きさせないために、手をかえ品をかえ。
 映画自体の、徹底したアトラクション化。ある意味、スピルバーグより徹底した。
 それでも、最後まで観れるってのは、キャメロンの映画的実力ってことで、例えば、『アバター』のクライマックスで、主人公の足が萎えている、って設定がちゃんと活かされている。
 こういう、抜け目ないとこはいいなー、と思うんですけど。

 さすがに、あの青い馬人間はねーよなー、って気がする。
 当然ペニスも馬並みなのか、と思ったら、まるで無性生物みたいなおとなしい描写だし。
 『ロード・オブ・ザ・リング』の時も感じたんですが、CGって生物描写に向いていないよ。
 がんばって造り込むほどに、ありえない感が増大する。
 無臭。しかも、なんかテカテカしてんだよね。生き物でテカってんのは、ローション塗った女優だけでいいよ。

 あと、あの岩の島。どうやら“磁力の渦”に乗っかって空中に浮いているらしいんですが、てことは反撥力?
 そういう物質が内部にある、ってことでしょ。
 普通に考えても、木より、そっちの方がよっぽど掘り出す価値のある貴重な資源じゃないですか。
 「会社」のピーター・バラカンさん?

 

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2010年5月22日 (土)

5/9 「異物挿入」(「北インド古典声楽の夕べ」)

 極めて真面目なライブのレポートに、「異物挿入」ってタイトルもいかがなものかと思うんですが、まぁ、いいじゃないですか。

 どうせ、儲からないんだし。

 なにせ、正式な呼び名は「北インド古典声楽の夕べ」ですよ。小泉文夫先生でしょう、これ。
 国民の何パーセントかが、いまPC画面の前から退却するのが見えたね。
 しかも、列で。
 ちゃんと、整列してお帰りになったね。
 たいしたことのない趣味を誇る、偉大なる観客の皆さんは、ほんと、もう、すぐ逃げたがる。
 そういう方々を具体的に恫喝する手段として、今回の文章は書かせて頂いております。悪しからず。

 という訳で、異物マニアのみなさん、こんばんは。

 みなさん、本当にへんなものがお好きですよねぇー。あたし、吃驚しちゃいます。

 初めてその世界に触れたのは、忘れもしない、アートビデオ「悪魔族闇姫2・半獣病棟の処女」('88)だったかと記憶しますが、
 まぁ、あれだ、精神を病んだ女が病院に監禁されているわけですよ。「精神を病んだ」という設定だけで、Dくん的にはたまらんと思いますが。
 あたし的にツボだったのは、これが痩せこけた神経質そうな、リストカット常習みたいな女ではなく、拘束具の似合うむちむち系だったことですかね。石田理絵さん、最高です。
 理絵さんがお使いになる、シェイクして泡が全開で吹き出るコーラ瓶。
 これが黒船ですね。
 来ましたよ、浦賀水道にペリーが。日本の夜明けですね。

 あと、つげ義春の短編で、「同棲している、腐れ縁の彼女のあそこにビール瓶を突っ込んで、ものも見事に嫌われる」というのがありまして、これもリアルでよかった。というか、実話でしょ、絶対。
 男と女、狭い部屋の中で顔をつき合わせてると、確実に脳を病んでくる。
 
現代社会の閉塞感を象徴する表現ともとれないこともないあたりが、つげ先生が新潮文庫からも出ている理由なんでしょうが、まぁ、難しいことは抜きにして、面白いですよね。こういうの。

 ・・・と呑気に思ってましたら、皆さん、いろいろなものをお詰めになる。
 男女問わず、年齢問わず、対象も種々雑多で、ここまでジャンルの幅が広いと、あの部分に入らないものはないんじゃないか、とすら思えてくる。
 「地下鉄はどこから入れたんでしょ~か?」の答えが、“あの部分”だったら、よい子の皆さんは困りますよね。
 ご家庭でご視聴の、お父さん、お母さんも非常に困る。
 困って、おっ始めちゃったりなんかすると、さらに困った事態となり、国会で青島幸男が答弁する破目になったりする。

 で、以上の説明から、「異物挿入」の魅力は片鱗なりともお判り頂けたものとしまして、本題のライブレポートなんでございますが、
 まず、出てくるのが、「言語の壁の問題」ですね。(あッ、あんた、今逃げようとしましたね。)
 インドの言葉は、普通、わかりません。
 だいたい、ヒンドゥー語なんじゃないか、といい加減な知識で検索してみると、そんなことァない。
 「ヒンディー語とウルドゥー語を同一起源の言語とみた場合の、ヒンドゥースターニー語」(※以上Wikiより孫引き)が共通語だそうなんだが、なんだ、それは。
 
  非常に面白い。


 ここで引く人と、身を乗り出す人とで、人間は二種類に分割されるわけですが、別にどっちがエライとか言わねぇよ、俺は。大学の先生じゃないからね。
 そっちで決めろ。
 だがね、あんたの偏狭な価値観に異物を挿入することが、今回の記事の主眼なんだ。
 なァに、痛いのは、最初だけだからね。続けるよ。

 長々と引っ張って参りましたが、去る五月九日、高円寺さんさん福祉芸術館にて行なわれました「北インド古典声楽の夕べ」に関するレビューです。これは。
 わが盟友、佐藤哲也氏が素敵な喉を披露する。タブラは斯界の巨匠、逆瀬川健治先生で、島田博樹先生のエスラジ、相馬光さんのタンブーラが聴ける。
 いやぁ、実に極上の演奏内容でして、とてもじゃないが、あたしの下品な文章からは推察できないと思います。
 お客さんも、なにかやってらっしゃるような、それもロシア語で歌唱とか、一味違うひねりの効いた方ばかり。
 ひさびさに学生の頃を思い出しましたね。あたしは、哲学科美学美術史専攻ですのでね、ゼミにそういうレアな方々がわさわさと居ましたよ。
 行きすぎた歌舞伎好きとか、クロノスカルテット聴いてる奴とか。ライヒぐらいは常識でね。
 向精神薬飲みすぎて、頭がテンパッた御婦人とかも居ましたけどね。
 そこはオーケストラ、クラッシック系の人種が多かった上に、度重なる留年を更新してましたんで、誰とも仲良くなかったですけどね。
 
(・・・あ、山田くんがいたわ。
 お金持ちのおばさんと不倫してた売春少年。
 お前は、岡崎京子のキャラか、
という突っ込みしとけばよかったな。
 おーい、元気か、山田?)

 話が逸れた。

 そういう、アカデミックなバックボーンとかとまったく無縁に、ずーーーっと勝手に地下での闇のウンベル稼業に邁進して参りましたのでね、ひさびさに純粋アートの高邁な空気に触れますと、出てくるのは見事に下品な感想ばかりですわ。これが。
 それじゃいかんのやないか。高尚なものは相応しい切り口でやらな、あかんのやないか。お父ちゃんに怒られへんやろか。
 と、ジャリン子チエみたく悩んだりもしてみたんですが、関係なかった。

 沈黙は、金です。
 黄金色です。
 すなわち、うんこです。 


 語るか、語らないか、を天秤にかけて、語ることを選ぶ。
 よくわからないことを相手にするんだから、大間違いの記述もありましょうが、そこは恥を掻こうやないですか。どんだけ、お前が偉いっちゅーねん。

 (・・・あかん。
  これじゃ、ちっとも、レビューになっとらへん。
  話を戻す。
  どうも、ニセ関西弁が登場した辺りから、怪しい。)

 佐藤くんは、インドに修行にいってたくらいだから、当然、インドの言葉で歌います。
 これが、まったくわかりません。
 悲しいくらい、理解不可能。
 歌詞カードと対訳があればまだしも、手がかりゼロですから。
 異物感、バリバリ。

 そこで、違う方面から曲に入っていってみようではないですか?!お客さん。(イノキ)
 
 一曲目は、十二拍子から始まる曲で、なるほど、数えてみますとちゃんと十二になってる。
 6足す6で、12なのね。
 われわれが日頃慣らされているのは、4足す4の8とか、16ですから、目の前に十二拍子で演奏している人を見るのは単純に面白い。感動的です。
 リズムは世界の共通語です。
 民族音楽系の演奏では、平気でヘンなビートが飛び交いますから、まずは一緒に拍子をとってみるのがよろしいかと。
 中東方面では二十三分の七とか、異常なやつが平気で演奏されますからね。
 
 ビートがあるか、ないか。
 あるなら、それは何拍子か。
 
(備考・この世には、一定律で演奏されないフリーミュージックが多数存在するが、複数演者のアンサンブルとしては成立しにくい。
 その理由として、「合わせ辛いから」という理由が挙げられる。)
 

 リズムの概念は、未知の音楽に接するにあたっては、基本のチェックポイントです。私は小学校の音楽の授業でやったけど、あなた、覚えてます?
 クラシックを流して、鉛筆でノートに音符の強弱を一本線で書き取らせるやつ。
 あれは、「拍」という概念を教えてたんだ、って今頃気づいてますけど。
 (あ、ちなみに私の音楽の成績は常に“2”だった。的確な判定だと感心する。)
 でも、子供だって、数ぐらいは数えられるでしょ。
 幼児体験は、意外と重要です。

 それから、拍以外に音楽を律する要素、「律」というのがある。
 音階の枠組み。スケールですね。
 キーは何か、というお話。
 インド音楽の場合、基調になる音をドローン(持続音)で鳴らし続けていますから、これがキーになる。
 弦楽器も、歌も、これに合わせてチューニングされる。
 面白いのは、太鼓(タブラ)も音階を出せるところで、調律が違ってくると、演奏中にトンカチで叩いて修整してる。
 打楽器だから、音が狂いやすいのは、当然ですから。
 これは、かなり、珍妙で面白い光景です。
 初めて見る人は、びっくりすると思う。演奏しながら、チューニングしてる。しかも、トンカチ。
 してやられた、って感じです。 

 で、拍子がいつもと違うということは、譜割りが変わるということになりますから、のっかる歌(や楽器)のメロディも自然に違ってしまうワケです。
 さらに、そこへ未知の言語が乗っかると、一気に事態が儀式めいてくる。
 神秘の世界。
 でも、ここで投げないで。
 学究や、その道に精進する人はさすがにまずいけど、客は何をしようが構わない。
 勝手に聴いて、面白がればいいのだ。

 例えば。

 一曲目、佐藤くんは一連のメロディを繰り返してから、キメに入ると、

 「♪モレ、シャン」

 と、必ず云っておりました。
 ここは太鼓と呼吸を合わせてキメ押しする、重要ポイントですから、この楽曲のかなめ、すなわち、サビと考えてよろしい。(ま、サビという概念は、厳密には違うんだが、いいじゃないか。大間違いで。)
 しかし、それが「モレシャン」って・・・。
 日本の、一定の年代から上の皆さんの考える「モレシャン」って、アレだろ。
 「ワ~タシの国ではァ~」って喋る、ヘンなフランス人のおばさん。
 ここで、偶然の一致によりそう聞えるのは、完全な誤解であるのだが、待て。

 音楽を聴くことが、誤解であって何が悪いのだ?

 自由に演奏される音楽を、自由に解釈して、なにか不都合があるのだろうか。
 これは、「テクストの誤読」とか、ちょいと難しい方面に膨らませられる話なのだが、まぁ、そんなのはどうでもいい。
 勝手にしやがれ。ゴダール。ピストルズ。
 そういう意味で、この曲は「モレシャン」なのである。

 (同様に最後の曲は「トリバキ」、あるいは「バキ」である。)

 異物を取り込んで、楽しむ。
 そこになんの不都合があるだろうか。


 解釈というのは、観客の数だけ存在していて、その中に優れた解釈もあれば、凡庸な意見というのもある。
 ライブ演奏を見る、というのは、自分なりの切り口を探す作業なのだ、といつも思う。
 金を払って、そのうえ作業だって?
 怠惰な輩はそう云うだろうが、そんな姿勢じゃ何も始まらないよ。

 閑話休題。

 佐藤くんの声は、優しい声なんですよ。そんなに高いところが出るわけじゃないが、彼の人格が滲み出る。温かみのある声です。
 まぁ、つべこべ云わずに、いちど、聴きにいらっしゃい。
 あたしのように、何を歌っても気違いの絶叫にしかならない人間からすると、ジェラシーメラメラですよ。

 次回は、六月六日です。ダミアン、出ます。

 

6月6日(日)
高円寺さんさん福祉芸術館
13時開場  13時30分開演 予定
出演
龍  聡 タブラ(SOLO)
島田博樹 エスラジ
佐藤路子 カタックダンス
増田MASA タブラ
佐藤哲也 ヴォーカル&タブラ
チャージ前売り 2000円 当日 2500円
 

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2010年5月21日 (金)

日野日出志『地獄の子守唄』 ②('83、ひばり書房)

    2.

 俺の読んでいる本の中で、主人公の怪奇マンガ家は、指を切断したり耳を削いだりしている。
 この過剰な表現が信頼できるのは、「彼は正気でない」という状態を伝えるのに有効な形容だからだし、その真摯な姿勢に一縷のブレもないからである。
 日野日出志は、やはり一種のメルヘン作家なのだ、と思う。
 メルヘンの本質とは、具象の抽象化、転じて抽象を具体性として語るやりくちにある。
 (まぁ、“北風と太陽”みたいなもんだ。)
 だからこれは、「お話」だ。異形の意匠を凝らした工芸品なのだ。
 
 主人公は呪われた出自を持つ怪奇マンガ家。
 父親は陰険な工場経営者、兄はやくざ。そして、母親は完全な狂人である。
 陰気で無口な子供は、幼い頃から「気味悪いもの」「グロテスクなもの」に興味を持ち、小蛇を瓶に集めたり、犬の腐乱死体を棒で突付いて遊んだりしていた。
 やがて趣味が嵩じて来ると、磔にした犬を生きたまま腑分けし、目玉を刳り貫いて収集し、あるいは猫を火焙りの刑に処して、もがき苦しむ様を見て楽しんだ。
 「そのうち、ほんとうに人間を殺したら、どんなに楽しいことだろうか、と思うようになっていた。」
 そんな、ある日、主人公は自分が素晴らしい能力を持っていることに気づく。
 金銭を要求され、殴り小突かれ、さんざんいじめ倒された近所の悪餓鬼三人が、呪いながら描いた落書きのままに死亡してしまったのだ!
 呪いながら絵を描くことで、現実に人を殺せる!
 これに気づいた主人公は、「うれしくて、うれしくて」夜も眠れぬ程だった。
 自分を虐待し抜いた母親をマンホールに落として腐乱死体化せしめ、父親は工場の機械に挟まれ圧死を遂げ、やくざ者の兄は抗争に捲き込まれて哀れ、刺殺されてしまう。
 金を持ち逃げした友人の頭上に建築現場の鉄骨の雨を降らせ、これまた惨殺。成人しマンガ家となった後は、立ちはだかるライバル、作品を理解しない編集者を次々と虐殺していった。
 そんな男の、最後の標的は・・・この本の読者!
 「こんなおそろしい秘密を知られたからには、きみに生きていてもらっては困るのだ。」
 物凄く、勝手な言い草!
 「きみはこのマンガを見てから、三日後に必ず死ぬ。その死に方は、わたしの胸の中に仕舞ってある。」
 「死ね、死ね!地獄の底へおちろ!おちてしまえ!」
 
 ・・・いやだなぁ。

 俺が思うに、日野先生の最大の特徴は、その優しく温かみのある画風にある。
 血や蛆虫や、ホルマリン漬けの蛇やイモ虫などを好んで描いているので理解はされにくいが、その絵は独自のデフォルメを交えつつ、優美で丁寧だ。丸っこい造形は、極めて杉浦茂的である。斜線を多用し影をつけ、墨ベタを塗り、陰影をどんなに濃くしようと、昭和三十年代的な優しいフォルムは崩れない。
 特に、初期の日野先生は異様にそのフォルムに執着し、キャラクターから背景の木々に到るまで、画面全体のデザインにいかにもマンガ的な形状を残しつつ、残虐を余すところ無く描き切ろうとする。
 果敢な挑戦であり、世界をおのれの意のままに変革しようという、強い精神を発現を感じる。
 芸術とは、本来そうしたものだ。

 そうさ、俺だって。

 手に汗握って思いつめていると、カウンターに近寄ってくる客の姿が見えた。
 ここは、単なる書店で、俺は商売の真っ最中だったのだ。
 ときどき、それを忘れてしまう。

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2010年5月18日 (火)

日野日出志『地獄の子守唄』 ①('83、ひばり書房)

 (と、ある回想記より転載。) 

    1.

 その古本屋は、路地の片隅に捨てられたように蹲っていた。
 ある冬の日、あてどなく町を逍遥していた私は、仕組まれた運命のように、その店を見つけ、重いガラス戸を開いたのだ。

 遠くで、踏み切りの遮断機が気ぜわしげに鳴っていた。

 「いらっしゃい。」
 店主は読んでいる本から顔も上げずに、挨拶した。
 黴臭い書棚が壁を埋め尽くし、狭い店内は入り組んで、外見よりも奥行きが在りそうだった。
 床には、店主の不精か、仕入れたばかりらしい書物が仕分けもされないまま積み上げてある。
 どうせ安物のゾッキ本ばかりだろうが、捨ててもおけぬ。期待もせずに手を伸ばすと、野原正光『闇に光る青い手』が現れた。

 私は、小さく「アッ。」と云ったのだと思う。
 瞬間、店主が訝しげにこちらを見たからだ。慌てて奥付を確かめると、昭和五十六年二月。初版本だ。状態も悪くない。最後のページには鉛筆で、「¥100」と走り書きされていた。
 
 郷土史の研究者だった姉が、山奥の村で消息を絶つ。
 主人公・千恵は姉の行方を求めて叔父の教授や研究所員たちと共に、大樹海の懐に抱かれた謎の村、玄幽境へと旅立った。
 平家の隠し金を狙う者、千恵に好意を寄せる者。こいつら、本当に研究者か、というくらい俗っぽい調査隊は、原始林の群生を越え、霧のなか木橋を渡り、怪しい祈祷師の老婆に支配される、現代とは思えない村へ到着する。
 村には、正体不明の霊獣、我修羅さまの伝説があり、村人は百二十を越す異常な長命を誇っている。彼らは外界と交信することを厭い、決して村から出てはならぬ、という戒律を忠実に守って暮らしている。
 さもなくば、霊獣が襲い掛かり、喰い殺されてしまうというのだ・・・。

 私は既にこの本を読んでいたが、なにせ値段が値段だ。これは、押さえておくべきではないのか。
 それにしても、この店。
 
 (・・・できる。)
 
 地味で陰気な佇まいをして、これはもしや、とんでもない店ではないのか。
 心臓が早鐘のように鳴り出した。

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2010年5月17日 (月)

ジョー・ダンテ『ピラニア』 ('78、ニューワールド)

 ジョー・ダンテにとって、映画を撮るというのは、何か新しい悪ふざけをするということなのだ。

 あなたは、映画が何を語る装置だと思っているか。
 愛、感動、ロマン?それもいいだろう。
 怪奇、戦慄、サスペンス。大いに結構。
 エロや笑いだって、立派な映画の構成要素だ。
 映画は、なんだって語れるのだ。そう、たちの悪い冗談だって。

  ジョー・ダンテが映画史全体に対して、独自の立場を主張できるとしたら、その愛すべき、ひねくれた幼児性においてだろう。
 つまりは、映画をひねった悪戯にしてしまうこと。
 彼は、そういう種類の天才なのだ。(ゆえに、あまり尊敬されていない。)

 『ピラニア』は、あからさまに『ジョーズ』を模した場面から始まる。
 テキサス北部、山間に隠された軍の実験施設。
 五年前に遺棄されたその場所では、ベトナム戦争で河に撒くため(!)、凶悪な生物兵器が極秘で開発されていたが、結局、活躍の場を与えられないままに終戦を迎え、軍は研究を凍結、設備を閉鎖。すべては闇に葬られた筈だった。
 しかし、只一人研究所に残った老科学者は、なんの目的があるのか分からないが、熱帯の淡水魚ピラニアを低温・塩水にも耐える無敵の殺戮機械に改造しようと、今日も今日とて、不毛の実験を続けている。
 そこへ柵を壊して、麓の町の若いアベックが迷い込み、おっぱいなどチラ見させてくれた挙句に、「♪暑っついわぁ~」とプールにダイブ。あっさり喰われて骨だけになる。
 あぁ、またか。
 確かに。お馴染みの導入部だ。
 だが、待って貰いたい。この映画が独自性を発揮するのは、この後からだ。

 行方不明者の捜索を依頼された興信所の女調査員は、わざとらしくプレイしていたJAWSのTVゲームを途中で止め、ジープを飛ばして山へと向かう。
 この女の性格は、アメリカン・コミックキャラそのものだ。
 情報収集として、山小屋で暮らすバツイチの髭男の家へ勝手に上がりこみ、厚かましくも無償で協力をとりつけ、他人の酒は飲む、食事はたかる、挙句、「あたし、もう、パンツ脱いじゃった。」
 
まさに、行き当たりばったりの適当な展開。調査はさしたる理由も無く、翌日に順延される。
 翌朝。現在、失業保険で生活する男も、実のところ暇なので、文句ダラダラ垂れながらも女に同行。(女がバックスバニーなら、こいつはダフィーダックだ。)
 そして、見るからに怪しいプールに当たりをつけたふたりは、勝手に施設に潜り込み、たいした考えもなく排水バルブを解放してしまう。
 「・・・な、なにをするんじゃ?!」
 
怒って襲い掛かって来た老科学者の頭を鈍器で強打。失神。

 かくて、異常な繁殖力を持つという、ピラニアの群れは一般河川に放流されてしまった。
 完全な人災である。
 しかも、主人公達自身の手による。
 
 ジョー・ダンテのニヤニヤ顔が見えるようだ。

 さて、この研究所であるが、さまざまな生物の開発が行なわれていたらしく、標本やら実験体が無数に並んでいる。
 中に、明らかにハリーハウゼンへのオマージュとして登場する、子犬ぐらいのサイズの半魚人がいて、ロジャー・コーマンの低予算映画だというのに、わざわざ手間隙かかるモデルアニメのコマ撮りで撮影されている。
 人間全般の扱いが基本的に粗末なジョー・ダンテだが、モンスターは非常に大事にする。
 こいつだけは愛情たっぷりの細かい演出をつけていて、背後舐めで姿を見せるところから、最後の瞬きして隠れる顔のアップまで、(ハリーハウゼン的に)完璧である。
 別の映画かと思うくらい、見事だ。

 しかし。
 このクリーチャーは物語の本筋にはまったく関係しないのだ。
 ただ、出て来ただけ。

 ジョー・ダンテ、大爆笑である。
 (たぶん、ランディスも笑っている。)
 
 まぁ、万事がこの調子と申し上げてよいのであるが、さすが『アリゲーター』の名脚本家ジョン・セイルズ、ふざけまくるダンテのケツを叩くように、物語は定石通りに進行する。

 博士が乗り逃げしようとした、という脈絡的に回収不能な、かなり強引な事故発生により、車が壊れてしまった主人公たち。
 博士を伴い、筏で河を下って、町へ危機を知らせに戻ることに。
 ピラニアにいる河下り。
 一見サスペンスフルな展開だが、相手が、所詮、小魚だからなぁー。
 襲ってくると、絶対大惨事になるジョーズに比べて、あからさまに弱いよなぁー。数だけいてもなぁー。小さいし。水から出れないし。
 スタッフたちも、当然それには気づいていて、ピラニアをバカにしながら撮ってるんじゃないか。無理もない。

 それにしても、なんで、一般家庭に筏なんかあるのだろうか?
 聞かれた髭男が、適当に答える。
 「娘がハックルベリーフィンに憧れてね。」
 ・・・絶対、ウソ。(ダンテ、またも笑う。)
 
         ↓
 河を下ってちょっと行くと、まず、髭男の知り合いの呑気なおやじが釣りの最中に喰われて、愛犬がキャンキャン鳴いている。
 (もちろん、ダンテの愛情に満ちた視点は、おやじより犬の方に傾けられている。)
 ここでは、スタッフのフラストレーション爆発で、ピラニアが水中から飛び出し、おやじの顔面に齧りつくという、無茶な襲撃シーンが見られる。
 おやじの実に無念そうな死に顔。
 白目剥いてて、血を垂らして、凄い変な顔で、これ絶対、面白がって撮ってるだろ。ダンテ。不謹慎だ。
 片足が見事に白骨化しているのも、マンガ的なギャグ表現だな。絶対。
  
         ↓
 次に、地元の父親が、息子とボート釣りに来て、襲われる場面に遭遇。
 パパはあっさり絶命、転覆したボートにしがみつく息子に危機迫る。この状況、どう捌くかと思ったら、考え無し!
 いきなり水中に飛び込み、泳ぎ出す博士!無策すぎる。
 博士、喰われながらも、見事子供は助け出し、鮮血にまみれて死亡する。当然の結末に呆然とする主人公達(と、観客全員。)
 そこへ、筏を直接に攻撃してくるピラニアの群れ!博士の死体から流れる血潮が、奴らをおびき寄せているのだ!大馬鹿者だ!
 でも、死体を捨ててもまだ襲ってきます!

 丸太を繋ぐロープを切り裂かれ、筏は崩壊。かろうじて、岸に逃れる主人公一行であったが。

      ↓
 不審尋問され、州警察により逮捕。収監されてしまう。
 (ダンテ、爆笑。)
 そこを逃れる実にバカげた策略(トイレの貯水器の蓋を武器にする)も含め、演出はノリノリだ。
 保安官が見ているTVに『大怪獣出現』('57)のカタツムリ怪獣が映っている点も、見るからに大したことのない治安組織の実態を浮き彫りにする高等ジョーク。(単なるオタクネタだが。)
 警察なんて、バカの集団だ。
 この描き方はランディスの『ブルース・ブラザース』にも共通する特徴などと思っていたら、奪ったパトカーが、爆走して空中ジャンプをキメる場面が!
 やるな、ダンテ。


      ↓
 続いて、髭男の一人娘が参加している、サマーキャンプで大惨事。呑気に泳いで、はしゃいでやがるから当然だ、と云わんばかりの勢い。
 容赦なく、小学生の子供たちがピラニアの餌食になっていく!
 若年者に対する配慮は、一切なし!
 その姿勢の潔さたるや、ピラニアよりも危険!だが、実はおもてがえって親切極まる演出なのではないか、昨今は。

      ↓
 ここで、ダンテが単なる意地の悪いひねくれ者ない証拠、アメリカの良心の象徴ともいうべき、西部劇の演出が来る。
 娘を救けた主人公は、単身、さらに下流の町へと向かう。
 よせばいいのに、新レジャーセンターのオープンだとかで、町中の人間が河岸でジャブジャブやってやがるのだ。危機を知らせに行かねば。
 もはや、警察権力などあてには出来ない。
 俺が行かねば、誰がやる。
 「・・・気をつけて。」
 先刻までの尻軽娘も、アーラ不思議、クレメンタインに見えるじゃないの。
 パパ、パパと取りすがる少女を払い除け、男は荒野に馬を走らせるのでありました。

 瞬間、ジョン・フォードになるのだから、驚いた。
 これぞ、徹底して根性のひねくれた者だけが到達できる、アメリカ精神の真髄なのかも知れない。
 

 (なお、ジョー・ダンテの最高傑作は、間違いなく、底意地の悪さが映画本編を破壊しまくり、最早物語すら形骸を留めない『グレムリン2・新種誕生』なのであるが、こちらはまた、別の機会に。
 この映画は、愛しのフィービーちゃんが出ているので、それ抜きに語れないのだよ。悪しからず。)

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2010年5月16日 (日)

SUPER46『フー・ショット・ザ・マウス?』 ('10、牛人会レコーズ)

限に広がる大宇宙。
 
 そこには人知を越えた不可思議な現象、謎が数多く存在する。
 その秘密に迫るため、そして、新たな世界を求めて、今日も宇宙船は飛行を続けている。

『ヒューストンより、D。応答せよ。』

 干渉電波のノイズが激しい。マイクから飛んでくる声も、乱れ気味だ。
 ハンモックチェアーに寝転び、煙草を吸っている男は、気の無い返答を返した。

 「こちら、D。どーじょー。」
 
 『ハタ坊か。古いな!
 どうした、D?勤務中だというのに、性行為直後のような、虚脱した声だぞ。』
 
 「・・・実は、缶コーヒーが切れたんだ。・・・買ってきてくれないか、ヒューストン?」

 『またか。
 お前は、缶コーヒーを飲まないとまともに仕事しない男だからな!

 そんなこともあろうかと、宇宙船内に自販機を設置しておいた筈だが。』

 宇宙服の男は大きく、かぶりを振った。 

 「実は、小銭も切れたんだ。
 駅で両替してきたいが、構わないか?」

 『・・・その前に聴いてくれ。今日は用件を急ぐ。地球の危機が近づいているのかも知れない。』

チャリ、とディスクの押し込まれる音が響いた。
 サウンドシステムが反応し、宇宙船のキャビン内に耳障りな音楽が流れ始める。

 「Dより、ヒューストン。なんだこれ?」

 『宇宙からの謎の信号だ。
 パロマ地方気象台が偶然、琴座のベータ星から送信されているのをキャッチしたものだ。
 信号はニュートリノ粒子波で、二十六分数十秒単位で、無限に繰り返されている。
 ピッチは一定、送信内容の具体的な解読はまだだが、その複雑で奇怪な内容からして、なんらかの宇宙人からのメッセージではないか、と科学者チームは云っている。
 きみはどう思う、D?』

 「こちら、D。ふーーーむ。
 なんか、音楽みたいに聞えるな。」

 『こちら、ヒューストン。われわれも同じ結論だ。二十六分の合間に、信号の途切れる箇所があるんだ。それを数えると、都合、十曲入りのアルバムということになるな。』

 「二十六分間で、十曲を演奏してるというのか。
 随分、せっかちな宇宙人だな。早漏ドピュピュ星人だ。」

 『ヒューストンよりD。その宇宙人が登場するビデオは現実に存在するが、おそらく誰も知らんだろう。諦めて解析を頼む。』

宙服の男は、缶コーヒーを諦めて煙草を吸いながら、スピーカーから流れる音楽にジッと耳を傾けていたが、3本ばかり灰にしたところで、早々に聴き終えたらしく、再び口を開いた。

 「・・・なるほど。
 さすがに、二十六分。あっという間だ。
 Dより、ヒューストン。ひとつ、解ったことがあるぞ。」

 『こちら、ヒューストン。なんだ?』

 「琴座星人の演奏力は、たいしたことないようだな。」

 『ヒューストンより、D。
 大きなお世話だ。


  ・・・しかし、なんだ、科学者の中には、この信号群に単なる音楽以上の、特別な意味を見出すよう主張する者もいるんだ。
 あまりに、えぐい内容だからな。
 現在、学会を中心として活発な議論が捲き起こっている。』

 「エッ?そりゃ、なに学会だ、ヒューストン?」
 
 『超心理学会。』

 「心霊学会じゃねぇか!オカルトかよ。
 その方面は、またにしようぜ。話がややこしくなる。」 
 
 『率直に云って、どうだ、この十曲を聴いた感想は?伝授してくれないか?どうぞ。』

 「自ら伝授を望むとは、いい度胸だ。褒めてやろう。

 これは、ポップソングのアルバムのようだ。
 楽曲の構成は必要最小限の単位に纏められていて、明らかにそこに腐心した形跡がある。
 小節が冗長な箇所は確かに一箇所も無い。
 この点は、モータウンや50年代のポップヒットの構成に酷似している。
 無論、そのこと自体は例えばパンクの連中も意識していてやっているから、独自性は余り主張できないが、ここで演奏される音楽には、本来短くならない筈のブルースロックや、ファンクなどのレア要素も含まれる。」

 『・・・本当は、テクノとレゲエも加味したかった。』

 「Dより、ヒューストン。いま何か、云ったか?
 
 次はマイナス面だ。
 勢いがあって荒削りなのは結構だが、お陰でかなり聴きづらいな。特にボーカルはきつい。難聴になるかと思ったぞ。
 なんで、この男の声がこんなに大きく、ミックスされる必要があるんだ?」

 『琴座で、いちばん大声の男なんじゃないか?』

 「歌詞や歌い回しからすると、粗暴で、遠慮が無い性格が見受けられる。しかも、こいつは打たれ弱いな、実は。
 他人に頭ごなしに噛み付かれると、黙るタイプだと思うな。
 議論下手だから、社会的に成功できる人物ではないぞ。」

 『ヒューストンより、D。知るか。』

 「しかし、バックの演奏にはなかなか、見るべきものがあるな。
 皆さん、がんばっている。
 特に、バンジョーを弾いてるおにいさん、がんばれ。」

 『個人的な応援メッセージは、や・め・ろ。
 しかし、それを云うなら、ふたり出てくるリードギターの人も素晴らしいぞ。片方は渋くて、片方は狂っているな。』

 
「ドラムも、三人いるみたいだぞ。
 やたらくねくねした男と、お調子者と、落ち武者だ。」

 『コーラスで出てくる、山田辰夫に似た人は誰だ?』

 「コラ、見えるんか、顔が?!
 
Dよりヒューストンへ告ぐ。
 一応、ブログの記事なんだから、過度な内輪受けは自重してくれ。読者が逃げる。」

 『うるせぇ!!
 ・・・あッ!!・・・ちょっと待ってくれ!!』

 「どうした、ヒューストン?
 琴座の宇宙艦隊でも攻めて来たんじゃないだろうな・・・?!」

 『メッセージの最後に、URLが記載されているんだ。
 ここから、注文できるようだな。
 サンプルの試聴もできるようだ。

 http://homepage3.nifty.com/gyu-dynamite/gyujin_index.htm

 営利団体じゃありません、ってわざわざ書いてある。』 

 「まったく、ご苦労な連中だな ・・・うわッ!!!」

 『どうした、D?!』

 「宇宙空間に、異常な質量反応を検知・・・重力波に乱れが生じている。」

 『さては、ブラックホールか・・・?!』

 「規模は大きいが、そこまでの巨大質量じゃないな。惑星や衛星レベルより、ずっと小さい。アステロイドか何かじゃないか。
 モニターに拡大してみよう。」

 画面に、接近中の小惑星が映った。

 「むッ・・・・・・!!!」

 『こ、これは・・・・・・一体?!』

 小惑星には、巨大な立て看板がつくられマジックで『オナニー禁止』と書かれてあった!!

 「・・・学生時代、銀河系に伝わる伝説で聞いたことがある。
 これは、もしや、禁欲主義者の宇宙領域じゃないか・・・?!」

 『ヒューストンよりD。
 データバンクを検索してみた。その場所は、お前の言うとおり、宗教上の戒律により、過度な性行為を自粛して滅亡した、百万年前のデネブ星人の版図だ。
 まだ、こんなところに遺産が漂っていたとはな!
 
 ・・・しかし、マズいぞ、おい、下手な動きをするんじゃない!
 そいつは、超時空素子を通じて、周囲の性行動を監視してるんだ!
 不適切と見做された性的接触があると、たちまち反応して周辺20パーセクの空間が量子的大爆発を引き起こすぞ!!』

 「し・・・しかし・・・。
 オレは・・・、ご存知だろうが、やたらと巨根で・・・。
 何をするにも・・・このへんが、突っ張って・・・。
 ・・・すぐ、当たっち・・ま・・・う・・・ウウッ!!!!!!』

 『・・・D!!どうした、D!!』


 (その直後、近隣の宇宙基地からも観測される、大規模な爆発の発生が確認された。爆発は恒星系をひとつ丸ごとふっ飛ばし、周囲の天体運動にも多大な影響を及ぼした。
 回収に向かった捜索隊は、宇宙船の残骸すら発見できていない。)

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2010年5月14日 (金)

川島のりかず③『恐ろしい村で顔をとられた少女』 【流血牧場編】('85、ひばり書房)

 画面いっぱい、海亀が産卵する映像。
 体内の塩分を排出するため、涙を流している。

[ナレーション]
 お詫びと訂正。
 先日手に入れた資料によれば、『恐ろしい村で顔をとられた少女』 は、'87年ではなく、'85年が目撃された最も古いバージョンのようだ。
 だからなんだ、と云われても困るが、ひばり書房には重版という概念が存在しないので、タイトルを変えての出し直しなど日常茶飯事。
 背中の通しナンバーも、まるでデタラメなので、好事家の格好の餌食になっているのだ。

[オープニングタイトル]

  人生劇場・スズキくん
 第二十三話、「アニキ、俺だって男だ!!」

[キャスト]
 スズキくん      河原崎長一郎
 黒沢刑事       オダギリジョー
 彦根沢レイ子    安原麗子(少女隊)
 マリリン松坂     淡島千景
 小野教諭       本人
 村人A        つくもはじめ
 村人B        レイ・マンザレク
 
 安藤社長      常田冨士男

 その他        劇団のんぽり 東京演技研究所

  ウンベル総司令  ジョー・ストラマー

[シーン8・山道]

 狭い道が尾根伝いに延びている。
 荷物を背負ったスズキくんと黒沢刑事、来る。
 ふたりとも、登山の格好で、そのうえ機器類を無数にぶら下げているので、暑苦しい。

 「そろそろ、登り着いてもいいと思うのですが。」
 スズキくんが手にした地図を見ながら、云う。
 「五合目って、山のどのへんですか。」

 呆れた黒沢、口に含んだ水筒の水をびゅッと吐く。

 「やれやれ、おめぇは、英語が出来ないだけじゃなく、一般常識もねぇのか。
 いいか、こう、山があるよな。」

 手で、空中に女体のかたちを描き、指差した。

 「臍ぐらいだ。」

 「す・・・すると、乳房、あるいはその先端に位置する秘密の蕾までは・・・。」

 「まだまだ、遠いな!」

 急にうなだれ始めたスズキくんを励ますように、黒沢、肩を叩き、

 「もう少し、歩けば右手に沢がある。そこで昼飯といこうじゃないか。
 元気を出せよ、なぁに、娑婆の空気を吸えるだけ、まだマシだァな!!」

 スズキくん、樹幹越しに太陽を見上げる。
 昨夜のウンベル総司令との会話が記憶に蘇る。(ディゾルブ)

[シーン9・宿]

 テレビスクリーンに浮かぶ、ウンベル。踊っている。
 背景に、人類救済計画の本部。並ぶ端末。深夜にも関わらず、みんな、真剣に仕事している。

 「♪タリラリラ~ン、ハビラビラ~ン。ムヘー。ムヘー。
   (決めポーズ。)

 
・・・実はな!
 先日アララギ山付近で、ロケを行なっていた学生映画の連中がな、偶然、安藤社長の姿をカメラに収めていたのだ。」

 「エッ?!そんな映像があるのですか?」

 「ところが、どっこい。
 その連中が原因不明の失踪を遂げ、われわれの手元に回収できたのは、最後の、数分間を映したと思しいリールだけ、だ、っ、た、のだ~~~♪」

 裏声のソプラノで歌い出した。

 「むむむ。どっかで聞いたような話。」

 「♪まぁ~、そう云わず~、映像を~見てくれ~~~。ポチッ、とな!」

[粒子の粗いフィルム、インサート]

 山間にある農家の庭先。
 女優らしき女が、画面向こうから駆けて来て、前景の腕に取りすがる。
 振り向く老人のバストショット。

  
(画面外の声、「あっ!!安藤社長!!」)

 端正な容貌の、小柄な老人である。
 落ち窪んだ黒目がちの双眸は、深い虚無的な光を湛え、彼方を見つめているようだ。
 
 「おじいちゃん、あたし、結婚するとよ!」
 女優は下手な芝居口調で言う。
 「大好きな人の、お嫁さんば、なるとばい!」


(再び画面外より声、「方言指導が必要だな。どこの言葉だ、これは?」)

 穏やかに微笑む老人。
 
 ゴキッ、と首がのびる。


(「!!」「・・・・・・?!」)

 たちまち、四肢が異様な角度にねじくれながら伸びて、急速に姿が変形していく。
 スクリーンの隅で、女優が目玉を剥いて立ちすくむのが見える。
 カメラマンらしき男が、怒声を吐く。
 伸びる手足に、またたくまミシミシと剛毛が生え始め、色もどす黒く変わって、まるで甲殻類の足のような形状だ。
 その向こうの胴体は、無数の棘が並び、大きなだんごのように丸まった。
 急激な変身のためだろうか、苦痛に満ちたうめき声が、空中に伸びた首からほとばしる。
 その顔は、黒目が反転し、顔の両脇に寄って、鼻梁を縦に割ってまっすぐ亀裂が走っている。
 新たな口が生まれようとしているのだ。
 異様に長い、真っ赤な舌がべろりと飛び出し、唇を拭った。飛び出した白い牙が幾本も生え、じゅうじゅうと泡を噴きこぼしている。

 
 「ギヨェェェェェーーーーーッ!!!」

 スズキくんが、異様な吠え声に振り向くと、黒沢刑事が悲鳴を上げて立ちすくんでいた。

[シーン10・沢]

 お昼ご飯に、宿で作って貰った弁当をパクつくふたり。

 静かな渓流のほとり、カワセミの声がする。川面に映る新緑がどこまでも青々しい。
 山の清澄な空気は、あたりを森閑と包んで、平和としかいいようがない眺めだ。

 「あれは、いったい、なんだったんでしょうか・・・。」

 スズキくんがポツリと呟く。
 箸を持った黒沢の手が止まる。

 「うん・・・なんか、見ちゃいけねぇもんを見たって感じだな・・・。」
 
 「あそこでフィルムはブッツリ終わってますが。あのあと、あの連中、どうなったんですかね・・・?」

 黒沢、煙草に火を点ける。
 白い煙を吐いた。

 「・・・さぁ、な。
 他人の心配より、わが身だぜ。俺たちゃ、あのロケ地を探して山を登ってるんだ。」

 「ミイラ取りが、ミイラにならなきゃいいんですが・・・。」

 スズキくんは、考え深げに山頂の方向を仰ぎ見た。

 雲がかかり、深い緑に覆われた山肌を隠している。
 さんさんと太陽が降り注いでいるのに、なぜか暗い感じがした。

(以下次号)

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2010年5月10日 (月)

ゆめのよう『助けて!だれか。』 ('87、リップウ・レモンコミックス)

(※以下の文章は、5/10初出を5/11全面的に改稿したものである。) 

 死んだ魚の目を持つ少年。

 パソコンゲームだけが友達だ。限度を越したいじめを受け続ける少年の恨みが、パソコン本体にのり移り、復讐が始まる。
 ゲームの世界の死刑執行人が、現実に現れ、殺戮を繰り返す。
 その名は、“レディ・ネーター”。

 レディ・ネーターは解像度を荒くしたアニメキャラみたいな造形である。
 黒い女囚さそり風の服に、不自然になびくカクカクの髪の毛。聖悠紀『超人ロック』的な、不自然極まりないヘアー。色はたぶん、赤。血の色だ。
 武器はナイフ連続投げと、レーザーマグナム銃。(レーザー弾を撃ち出すマグナム銃だそうだが、それはマグナムとは呼ばない。)
 あと、手首に細い鋼鉄のロープを隠し持っていて、いじめっ子の手足をスパスパ切断する。首とかも飛んだりする。
 もっさりした絵柄のわりに残虐度は高いので、「とにかく子供が酷い死に方をする」話が読みたい方には、お勧めだろう。
 しかし本当に居るのか、そんなやつ?
 (確実に、存在する。しかし、事は単純に善悪では済まない。)

 それにしても、ゆめのよう先生(この名前だけは記憶に値する。)は、この話でなにを伝えたかったのだろうか。

 まさか、とは思うが、
 いじめはよくない、というメッセージ?
 
 まさか。
 ゆめのようだ。(言うと思った。)

 この物語は、連続殺人鬼とそれを操る幼い少年に対し、目撃者の中学生少女が救いの手を差し伸べる、という構造を持っている。
 勧善懲悪的な価値観が全面に押し出され、少女は殺戮の推進者を止めることは出来ないが、彼女の優しさは少年に理解され、彼は彼女を救うために我が身を投げ出し、見事死亡する。
 自己犠牲による贖罪。
 マンガはいつだって、そういうものだ。
 陳腐といわれようが、構わない。人を殺した者は、死んで罪を償ったのだ。王道とはそういうことだ。むしろ、複雑化する責任構造をまんま描き出すことは、物語を高度化することは出来ても、停滞を招き、読者離れを呼ぶ。

 正義は単純で、美しくなくてはならない。
 しかし、事態はそれでは足りなくなっていた。


 現実は歪み、価値観は多様化する。

 いじめっ子は解り易い悪の存在だが、たんなる子供でもあるのだ。
 懲罰とはいえ、どこまでの反撃が許されるのか。


 だから、もはや悪を実行する者を、ただ単に倒すばかりが物語の結論ではないのだ。
 しかも、悪を生んだ構造自体にメスを入れないかぎり、ふたたび似たような悪の増殖は押さえ切れないだろう。
 しかし、子供に?
 そんな面倒な事態の解決をゆだねる?正気か?

 ここで問題になるのは、マンガの描く正義が往々にして純粋、かつ独善的なものだったという事実だ。
 正義は、読者の共感を得られてこそ、輝くものだ。
 そして、そのベースになるのは戦後政治と共に脈々と国民に受け継がれてきた伝統的な価値観である。
 その守備範囲に事態を着地させるのは途方もなく困難だろう。

 ならば、そうだ、
 悪の代行者を単純化してしまえばいいのではないか。


 悪人は、いつでも悪事をたくらむものだ。
 誰にでもわかる悪いこと。
 
大量殺人、破壊兵器の所有や、おのれの欲望のために他人を犠牲にしようとすること。
 それをのさばらせておくことは、世界の安全を保つ上で危険な筈だ。
 
 なんだか、これは某国アメリカの議会演説に似ているな(笑)。

 しかし、悪を単純化して描くことは物語をいたずらに矮小化することだった。 
 袋小路は、既にぽっかり口を空けていて、われわれは否応なしにそのブラックホールへ吸い込まれていったのだ。
 その彼方は、現実とは違う別の宇宙。
 マンガの世界のヒーロー達は、いまもそこで戦い続けている。

 ・・・私には、興味のない話だ。
 現実に話を戻そう。  

 暴力に相対するものが、暴力でしかない不毛。あるいは、狂気。
 といえば、川島のりかず先生のオハコだが、その破壊的な内容の真髄は、救済に到る道のすべてが途絶しているという、極めて歪みきった異常な構造にあるのだ。
 そして、これは現実そのものだ。
 正論は、結局、事態を解決しない。
 いじめでも、殺人でも、なんでもいい。
 異常な情況に投げ込まれた人間を救済しうるのは、「狂気」だけである。
 これが、のりかずの最終結論だった。

 そして、驚くべき的確さと、手抜きスレスレの描写密度によって、のりかずは現代に通用する不毛の世界を描き出してしまった。
 だから、ここには悲惨な現実の犠牲者しかいない。事態を解決する手段は、あらかじめ失われているのだ。
 誰が、そんなマンガを喜ぶものか。
 だから、この世の真実を描いた、呪われた作家は、忘れら去られるしかなかったのだ。

 それを、当時の(おそらく良心的な)普通の作家さんと比較するのも、無益なことだとは思うが、
 それでも、もう少し詳しく事の詳細が知りたければ、ゆめのようとまったく同じテーマで、不条理に子供たちが無意味に死んでいく傑作、『たたりが恐怖の学校に!』(改題・『いじめっ子は死んだ』)をお読み頂きたい。
 私の主張も少しはご理解いただけるのではないだろうか。
 それでも、なお、あなたが持論に固執するというのならば。

 暴力反対!と唱えて、世界を救ってみせろ。
 

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2010年5月 8日 (土)

CG①『パラサイト・イヴ』 ('97、ポニーキャニオン)

 この映画を貶める方法は、たくさんある。
 
 ひとつは、原作小説と比較することらしい。
 何か賞のひとつも獲ったらしいから、いくらなんでももう少し、ましな内容になっているんだろうが、あいにく私は読んでいない。
 出た当時、店頭でパラパラ読みして、これは読まなくていいと判断させて貰った。
 私の判断が常に的確であることは、例えば高校時分に、出たばかりのマイケル・ジャクソン『スリラー』を友人Aから聴かされ、即座に「つまらん。これは売れないよ。」と即座に断言した事実からもお判り頂けるだろう。
 (私は現在もこの判断に非常に自信を持っている。)

 そもそも、理系の大学院生が書いた小説が面白い筈がないじゃないか。
 あぁ、失礼。今のは、暴言だ。忘れて。

 それから、ゲームの方面かな。
 別の友人から借りたプレイステーション版は、昔プレイしたことがある。
 いい時代であった。
 なんか舞台がニューヨークで、キャラが八頭身だったのが(当時としては)目新しかったぐらいで。
 あとは、バイオハザードみたいだったり、FFっぽかったり(調べてみたら、同じスクエアのスタッフだった。ということは、あのCG映画の大惨事の主犯・・・。)
 内容は記憶喪失にかかりまったく思い出せないが、そこそこ飽きない程度の、印象に薄い物語だったと思う。
 いくらなんでも、映画の方がスクエアの考える、ひねり回し過ぎてまったく意味不明となったストーリーよりはましだったと云いたいが、どうだろう。
 微妙な勝負だ。
 どちらも赤点クラスなのは間違いないのだが。

 あるいは、もっと俗に、ポニーキャニオン的な商売のやり口を批判する方向も考えられる。
 脚本、君塚良一が『踊る大捜査線』に関わっていくのはご承知の通りだ。
 あまりの想像を絶する酷さに、カルト映画寸前までいって破産した『踊る大捜査線ザ★ムービー2、レインボーブリッジ封鎖できません!』は、我が国の皆さんが正常な判断力を失っている現状を浮き彫りにさせた大ヒット映画であるが、まぁ、あんな感じだ。
 (どうも私は、この方面について語る熱意を持たないようだ。)
 
 それからCGの腐った使用法として、(局は違うが)『三丁目の夕日』という例もあるが、私が指摘したいのは、それに絡めて別の、もっと重要な話だ。

 葉月里緒菜の乳首を隠すCG。
 あれに巨大なダメ出しをしたい。
 すなわち、CGがNGだ。


 何らかのかたちでご覧になっている方が多いと思うので、詳細は省くが、この映画のクライマックスは病院を襲撃した全裸の葉月里緒菜が、病院内を台車に乗ってウロウロする場面である。
 書いてる私も、なんだか相当変な場面だと思うが、これは事実だ。嘘だと思うなら、観てみろ。
 それにしても、なんでこんな奇妙な事態になったのか、と由来を考えるに、これはもしや、トビー・フーパーの傑作『スペースバンパイア』へのオマージュシーンではないのか、と思い当たった。
 恐るべき錯誤。
 あれも、全裸の女バンパイアが病院内をウロウロし、兵士を超能力で投げ飛ばしたりしていた。(うろおぼえ。)
 あと、全裸の美女エイリアンがガラスを破って実験病棟から逃走する、困った凡作『スピーシーズ』というのもあったな。
 ここで申し上げたいのは、マチルダ・メイの乳房の方が、ナスターシャ・ヘンストリッジの細身より質・量感の面において圧勝であるという厳然たる真実だが、ナスターシャは後にジョン・カーペンターの傑作『ゴースト・オブ・マーズ』で男を見せたので許す。
 あれはいい映画だった。

 それよか問題は、葉月の乳首だ。
 
 実際はボディスーツか何か着用で、上からストラクチャー(っていうのか?)を貼り付けて加工したんだろうが、ある筈の乳首がない。
 物凄く、へんてこな状態。

 否応無く奈美悦子の訴訟事件を連想させるが、そういった悲劇の匂いがする。
 葉月が昏睡した少女を抱いている絵柄は、聖母像をイメージしたような、ロマン主義的色調で彩色されているので、さらに果てしない安さに拍車を掛ける結果となっている。
 
 エジソンの発明以降、女優が乳首を見せ渋って成功した映画など一本もないという歴史的事実を、この映画の製作者たちはちゃんと認識していたのだろうか。
 (例、『黄金の犬』の島田陽子。乳首にバンドエイドが貼ってある!)
 ちなみに、ご承知の通り、のちに葉月はヘアヌード写真集を発売しており、使い込まれた立派なイボ乳首が鑑賞できる。
 この映画の時点で、普通に露出していれば、つまらん映画の救いの神になったろうに、惜しいことをした。

 結論。
 女優は、演技開眼の一環として、乳首を見せるタイミングを決して逃さないように。

 文句を言われるより先に、初登場で、いきなり乳首を露出しているのも可とする

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2010年5月 5日 (水)

川島のりかず③『恐ろしい村で顔をとられた少女』 【顔面剥奪編】('85、ひばり書房)

(前号までのあらすじ)

 怪奇ハンタースズキくん。学会から追放され異端の道を歩き続ける、二十代の好青年。
 川島のりかずの正体は宇宙人?!証拠の鍵を握る、建設会社エイチ・シーの安藤社長は、しかし、マスコミ相手の記者会見でも鉄面皮を貫き通した。
 警視庁の黒沢刑事と共に、会見場を去る社長のタクシーを追ったスズキくんだったが、手榴弾による攻撃を受ける。怒った黒沢のライフル狙撃により、タクシーは横転、火を噴いた・・・。


[タイトルバック]

 アニメーションで文字が飛んでくる。

 「大河」「ふしぎ」「ロマン」

   「ジ ャ ン グ ル 大 帝」

[シーン4・首都高、再び]

 ゴウゴウと燃えるタクシー。
 その傍らに、停まったスズキ9号車。

 持ち出した消火器を手に、消火活動に余念のないスズキくん。

 その間、ヘリが着陸し、黒沢刑事が駆け寄ってくる。

 「おう、おう、ご苦労さん。」
 ポケットから出したハンカチで額の汗を拭う。
 「所轄には連絡した。おっつけ、応援が来るだろう。」

 「おっつけ、じゃありませんよ!!
 これを見てください!!」

 車内から転がり出る、真っ黒焦げになった焼死体!!

 「・・・お、おおッ、タワーリング・インフェルノ・・・?!」

 「あんたの不用意な攻撃でこの始末だ。
 死んじまったら、情報も証言もなにも取れんじゃないですか。
 どげんするとですか、星くん?!」


[ナレーション]

 しかし、スズキくんの怒りを他所に、検死解剖の結果、ふたつの遺体は、タクシー運転手、同乗していたエイチ・シー社職員のものと判明。
 安藤社長の遺体は、遂に発見されなかった・・・・・・。

[テロップ]

  三ヵ月後。  

[シーン5・奥秩父]

 長閑な昼下がり。山中に鳥の鳴き声がする。周囲に人気はない。

 古めかしいバスが来て、停留所に止まる。

 荷物を担いで降りるスズキくん、黒沢刑事。
 ふたりとも目立たないよう、一般の登山客に変装している。

 「群馬県、アララギ山。標高5,137m、旧約聖書でノアの箱舟が流れ着いたとされる伝説がある。」
 「本当かなぁー。」
 スズキくんは首を傾げる。「アララギ派って、短歌じゃありませんでしたっけ?」
 「伊藤三千夫はこの山を見て、代表作『TAN-TAN 短歌』を書いたそうだ。」
 コンビニ本を片手に解説する黒沢刑事は、あくまで真顔である。
 「チェッカーズといえば、フミヤのメタボ化が心配だな!」
 
 うそくせー、うそくせーと毒づくスズキくんを無視して、リュックを持ち上げた。
 「行くぞ。
 この村で、安藤社長の目撃証言があったんだ。」

[シーン6・村]

 聞き込みをするスズキくんと、黒沢刑事の連続ショット。

 ・鍬をかついだおばあちゃんに話しかけるふたり。
  おばあちゃん、何を聞いても「YES、NOVA!!」としか答えない。

 ・村の駐在をつかまえるが、黒ぶち眼鏡の駐在は体操技しか見せない。
  仲本工事だったようだ。

 ・伝説の大蛇と格闘。丸呑みにされる黒沢刑事。
  洋服から何からデロンデロンになって、吐き出される。

 ・秘湯。疲れを癒すふたり。
  背後でうさぎちゃん二名が泉質と効能を紹介している。

 ・スタローンしか登れない、切り立った崖を登攀するふたり。
  画面手前、垂直に立った全身白塗りの子供が、キャッキャ駆けていく。

[シーン7・人類救済計画の本部]

 ドン、とテーブルを叩く手のアップ。
 
 「で?!・・・わしに、ショートコントを観せてどうするつもりだ?」

 怒り狂うウンベル総司令を尻目に、通信機のスクリーンに映ったスズキくんが新書サイズの本を持ち報告を始める。

 「主人公は、匿名希望の少女フッコ・・・。
 この物語は、某県谷中村へ消息不明の姉を捜して乗り込んだ、彼女が遭遇する怪異譚です。
 『あの村には行かんほうがえぇ、行方不明事件がよく起こる村じゃ。』
 途中で会った不気味な農家のおばさんの親切極まる忠告を無視した主人公、地面に開いた穴に飲み込まれ、異次元世界の村に辿り着きます。
 この世界では、同じ顔を持たない人間は、即、ギロチン処刑!!
 
主人公もいきなり処刑されそうになりますが、反体制組織の人間に匿われ、からくも窮地を脱して、逃げ回ります。
 村人は全員、能面みたいな同じ顔に改造され、毎日人面岩の洞窟で電波で洗脳されています。
 個性を持つのは、犯罪!!
 毎日が、洗脳生活!!

 素敵過ぎる設定ですが、なにせ全員が同じ顔なので、誰が誰だかわからない(笑)。
 
メジャー誌なら、笑って編集者にボツにされてるところでしょう。
 “どこにも出口がない村”というのは、明らかに『プリズナーNo.6』のいただきですが、この世界の番人は巨大なボールとかじゃなくて、アグレッシブな一つ目メカ!!
 ちょっと、描いときましょう。

Img

 動力源、不明!ピッピッって、云いながら空中に浮いてるだけ!
 おそろしい!!」

 「なんか、フランク・R・パウルが描きそうなデザインだな。
 まるっきり、アメージング・ストーリーズの表紙じゃないか?」

 博識なウンベル総司令が意見を述べる。

 「そうです。そして、我が国にこんなメカを紹介する人物は、故・野田昌宏先生しかありえない。
 よって、のりかずは当時日本版スターログを読んでいたに違いない、と確定!!」

 「・・・ほんと二十代か、お前?」

 「で、逃げ回っていたフッコですが、匿いきれなくなった組織の一方的な都合により、顔面の皮膚をはがされ、他の連中と同じ、能面みたいな顔に改造されてしまいます。
 しかも、剥がした医者は、その顔を外部世界と通じる裏切り者に売っていた!
 秘密を知られた奴らは、「殺せ!殺せ!」と云いながら、襲ってくる!
 自分の顔をした、屈強な男に追いかけられる斬新な恐怖(笑)!!

Img0001

 後ろの坊主頭が、主人公の姉の顔を盗んでた奴。
 世の中、悪い奴がいるもんですね!!」

 「・・・それがまとめかよ?!
 ともかく、早く安藤社長を発見するんだ!!」

(以下次号)

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2010年5月 3日 (月)

白石晃士『ノロイ』 ('03、Entertainment Farm+オズ+ジェネオン エンタテインメント+ザナドゥー+PPM)

 不吉な感じ、呪われた状態というのには、ある種の魅惑があるように思う。

 日常の変貌というのは、例えようもなく不快だが、鮮烈な印象を人にもたらすものだ。

      ※        ※        ※        ※

 朝の公園に捨てられたエロ本。

 雨でもないのに湿気ってガビガビの、女の股ぐらの写真は、なんとも説明し難い、駄目過ぎる印象を発見者に投げかけてくる。

 強制力。

 そこに一種の磁場が発生し、見る者は否応無く、その地点に捕らわれてしまう。


 早朝のカプセルホテルで、ごみ箱に無数に捨てられた週刊誌のヌードグラビア。

 くしゃくしゃに丸められたカラーページの隙間から漂うやるせなさは、せわしなく共同洗面所で髭剃りを使う、男たちのきびきびした動きと相対照して、なんともダルな感じを残す。

 人生、丸ごと駄目になりそうな、説明不能の虚脱感。 

 これらは男性生理に即してのわかりやすい説明だが、一般性を持たせるなら、「バスタブの排水溝に詰まった無数の髪の毛」だとか、「玄関横に放置された、犬のふんを始末する自分」だとか、不愉快な状況はいくらでも想起されるだろう。

 (そういえば、ある朝、道路の真ん中にひり出された、あきらかに子供のものではない一本ぐそを見つけたことがあるな。)

 他人の生理現象と、その結果。

 われわれは、それを嫌悪する。

 (あるいは、執着する。いずれも同根だ。)

    ※         ※          ※          ※

 「電車できちがいに話しかけられる」という状況も、これに同じである。

 精神活動も、生理現象のひとつの表れに他ならないからだ。

 ただし、設定はもう少し、複雑になる。

 受け止める側の態度の問題が絡むからだ。

 「見ず知らずの他人に恋愛を告白される」というのは、どうだろうか。

 たいてい、これは、ストーカー被害を連想させる不幸なシチュエーションだと思うが、中には喜ぶ人だっているかも知れない。

 人間は、複雑だ。

 「お前は、クビだ」ですら、ちょっと弱い。

 「マンガ喫茶、出入り禁止」も、考えようによっては、面白そうだ。

 では、以下のケースはどうだ。

 あなたは、バスに乗った。

 やがて、どこかのバス停で乗り込んで年かさの女が、降車口の手すりをつかんで、立ちはだかり、

 「♪あーーくーまーーー、あーーくーまーーー」

 と、大声で歌いだす。

 子供の、うそ歌のような、素朴な節回しだ。

 いやな予感がする。 

 案の定、歌い終えた女はくるり振り返り、ほとんどいない乗客の中から、よりにもよってあなたを指差し、絶叫する。

 「今日はァーーー!!!」

 え?

 「わるい、日!!!」

 な?・・・・・・・なんだ、それは・・・?

 類似の効果をかもし出す用法として、「ブッ殺してやる」など、直接的かつ暴力的な言動を他人に吐く場合が想定されるが、常人のそれと比べて、きちがいのたわごとは、明らかによりたちが悪い。

 目的が、あきらかでないからだ。

 説明できない、不快な感じ。

 理屈にならない、もどかしさ。悪意。

 あなたは、呪われてしまった。

   ※         ※          ※           ※

 どうやら、私は、

 「そもそも人間は呪われた存在であり、それを忘れて、日常生活を送っている。」

 という公然の事実を指摘したいらしい。

 そして、それを諌める規範として、宗教が成立し、国家が形成されたのだと説明すれば、何か解決したような錯覚に陥るだろうが、本当のところ、そうではない。

 呪いは、たしかに存在するのである。

 いま、この状況でも。

 誰にも解決できない状態で。

 今日も、人を殺し続けている。

 そちらの方が、世界の実相により近いようだ。

   ※         ※          ※           ※

 白石晃士はエンターティナーであり、これは楽しめる映画だ。

 きちがい女の復活させた前近代の呪法により、連鎖的に殺害されていく人々。

 気持ちいいぐらい、登場人物はどんどん死ぬ。

 劇中の、超能力少女のつぶやき、

 「たぶんね・・・・・・もう、ぜんぶ、ダメなんだよ。」

 というのは、実に魅惑的な考えだ。

 ノストラダムス的な救済願望だ。

 そう、「ぜんぶ、ダメ」でない、今日も日常を生きているわれわれの方が、よっぽど呪われた存在なのだ。

 そのことを念頭に置いて、観て欲しい。

 この映画の、もっとも呪われた部分というのは、劇中の架空TV番組に、飯×愛が出演しているところだろうから。

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2010年5月 2日 (日)

川崎ゆきお『猟奇王大全・大阪は燃えているか』 ('96、チャンネルゼロ)

 い部屋に集う、怪しい面々は適当に飲み食いしている。

 「しかし、あれですな、巨乳に段差のある女っているじゃないですか。あれはどうなんでしょう?」
 牛乳瓶の底のようなメガネの男が云う。
 適当に脱色した茶色い髪が額にかかり、うるさげだが意に介していない。

 「あぁ、片桐摩美とか。舞坂ゆいもその傾向はありますね。」
 応えたのは、忍者の衣裳に身を包んだ、痩せぎすの男だ。
 それなりに年配であることは、例えるAV女優の古さから知れる。
 「乳房全体が長いと、途中が盆のくぼのように、くびれるようです。重力と脂肪が作り出すマジックでしょう。」

 そこへ上座に座る老人が苛立たしげに口を挟む。
 頭頂部が見事に禿げ上がり、落ち武者のような風貌だ。しかも、年輪からして大将首間違い無しだ。
 「ぼくは、そういうの、ダメなんだ。欧米か、ってね(笑)。
 やっぱり、女性はふっくらと丸みを帯びていないと。やっぱり、母子相姦じゃないと!」

 「あんたのお母さんなら、九十いくつだ。」
 
 ガヤガヤと座が乱れたところで、目つきの鋭い野良犬を思わせる風貌の男が一喝した。
 髑髏をぶっ違いさせた、黒い皮のキャップを被っている。

 「あんたたち、いい加減にしなさーい!(三枝のポーズ)
 ほぉら、四の五の言ってるうちに、師匠が来ちゃったじゃねぇのーーーッ!!」

 部屋を包む、赤い垂れ幕を押しのけ、にこやかな笑みを湛えた人物が入ってきた。
 
 「ハイ、みなさん、どうもーーーッ。」

 全員、席から起立し、一斉に拍手した。
 食べかけの手羽先を慌てて取り置いて、むせ返る者もいる。

 「本日は、お招きいただいて、ありがとね。」

 師匠は温厚な笑みを溢れさせ、着席した。見事なメタボ体型だが、どことなくダージリンティーの香りがする。米の飯だけではこうならない、異国的な豊満さだ。

 「・・・師匠、お飲み物は?」

 先ほどまで黙っていたスーパーの袋を覆面代わりに被った男が注文を聞いた。異様に地味だが、幹事役のようだ。

 「そうね。焼酎を貰おうか。黒霧島のロックね。」

 師匠はかなりの呑んべえらしく、相好を崩している。
 ひとまずは、しめやかに乾杯が執り行われた。座が和んだところで、眼光鋭く、師匠自らが話題の口火を切った。

 「それで?
 私をわざわざ呼んだ理由は・・・?」

 「はッ!!ご配慮、恐縮至極であります!

 ご存知の通り、帝都に潜む、怪人猟奇の徒の集まりである、われわれ変人会でありますが。」
 スーパー袋の男が云った。
 「結成当初は野望に燃え、全国制覇だ世界が相手だ等々、スケールのでかい戯言をほざいていたのでありますが、近年に於ける資金力不足、計画の頓挫、メンバーの離反など諍いごとが後を絶たず、
 現在、スペクター、ショッカーに続く大型国際謀略組織としての存亡も危うい状況に追い込まれております。
 ここはひとつ、偉大な指導者である師匠のお力をお貸しいただき、今一度、組織の建て直しを図るべきとき。さもなくば、窮地泥にまみれんか、と・・・。」

 ふん、ふん、ふんと物分り良く聞いていた師匠が、穏やかに云った。

 「で・・・?私に、どうしろというのかな・・・?」

 袋男、いきなりガバと平伏した。

 「いまいちど、組織の頂点に返り咲きいただき、ご指導願いたいのです。
 思えば師匠が陣頭に立たれ、指揮を執っていた頃の変人会には、夢があった!尽きせぬロマンの香りがあった!
 心を燃えさせる非日常の連続こそ、堕落した管理社会のくびきに繋がれた猟奇の徒を解放するなによりの手段かと、拙者、愚考するのです。」

 背後の怪人たちに、顎をしゃくり、

 「皆も同じ気持ちでおります。
 ・・・これ、例のモノをこちらに。」

 メガネの男と、帽子の男がうやうやしく赤い布を被せた台座を運び入れてきた。
 パッ、と布を捲ると、金色に輝く巨大な杖が出現した。
 互いに尻尾を呑み合う、見事な蛇の浮かし彫りが、うねうねと刻まれている。

 「変人会、大錫杖!!

 怪人二十面相が拵え、孤島の鬼が鍛えし逸品!!
 ひとたび、その杖を振れば帝都に血腥い風が吹き、風紀紊乱、公序良俗を完膚なきまでに破壊するも思うがまま!!
 地に伏せる猟奇の徒を呼び起こし、ロマンの月の下を狂い咲きに走らせる。怪人、悪鬼の必需品!百気圧防水!いまなら、素敵なネックレスも同時にプレゼント!
 どうか、どうか、いま一度、杖をお取りくだされ!師匠ーーーッ!!」

 師匠はにこやかに聞いていたが、ひとこと、

 「・・・うーーーん、困るなぁー。」

 「はッ?!」

 「二十代の世間を知らない若造ならともかく、こちらも家庭や子供という振り分け荷物を担いだ身だよ。
 到底、そんな無謀な真似はできません。
 だいたい、先日、某大学より非常勤講師のお話を頂戴したばかりでもあるし。」

 「し・・・師匠・・・。」

 「まぁ、つべこべ抜かすより、この本をお読みください。」

 机上に放られたのは、文庫サイズよりやや版型の大きい一冊のマンガ本だった。

 「むッ、 『猟奇王大全』・・・『大阪は燃えているか』・・・?!
 これは、さぞや血みどろ、かつ異常犯罪、反社会的な内容の・・・・・・・?!」

 血気に逸る忍者が、呟く。
 しかし、笑って否定する手振りをした師匠は、

 「これは、現代社会に猟奇やロマンが本当に存在しうるか否か、真剣に考察した貴重な文献ですよ。
 川崎ゆきおはかの『ガロ』出身の雄であり、余りに独自性に満ちた描線で知られる、優れたマンガ家です。この絵に似た人は見たことがありません。
 日常に即した哲学的思索と、極めてベタなネタのサンドイッチ。決して業界の主流にはなれない暗い宿命の仇花です。
 『猟奇王』は、彼の代表的シリーズ物で、マンガ有り戯曲有り、出版社までコロコロ変えて七十年代から脈々と描き綴られてきている大河ロマンです。話はちっとも前に進みませんが(笑)。
 大阪市外の軍需工場跡に隠れ潜む黒マスク、黒スーツの怪人猟奇王は、手下の忍者と共に、猟奇に走る、走れないで押し問答を繰り返します。
 基本設定は、それだけ。ほんと、それだけ(笑)。
 
旧家の秘宝やナチスの残党、探偵、少年探偵、警視庁の仲代警部や、怪人鉄の爪、ヘビ婆ァにロイド眼鏡の殺人鬼、怪傑紅ガラス、東京猟奇軍団や、日本海軍が瀬戸内海の島に隠した第二連合艦隊の謎、二十面相の孫娘やらうらぶれ夜風・・・。
 面白げな事件があるたび、あるいは日常に追われおのれの存在に確信が持てなくなったとき、猟奇王は月夜に躍り出て、ロマンに向かってひた走ります。
 退屈な日常に辟易している町中の人間も、これを捕えんと真夜中に街路へ飛び出して心ひとつにして走り出します。
 しかし、走って、どうなるのか・・・・・・?
 その先に、なにがあるというのか・・・・・・?


 そもそも、猟奇に走る、とはどういう意味なのでしょうか?

 どうです、そこのところ、突き詰めて考えてみたことがおありですか、みなさん?
 言葉の意味を誰でも解るように、はっきり答えることが出来ますか?
 ハイ、そこのきみ。」

 指差された落ち武者が、しどろもどろに答える。

 「そりゃ・・・当然、社会のモラルに反するような・・・き、近親相姦とか・・・。」

 「いい加減、そっから離れろ!!」

 全員が声を揃えて叫んだ。

 「・・・あー、ではきみ、どう思いますか、メガネ男くん?」

 「エエ・・・凄く残酷な殺人とか、死体の無茶な損壊。人肉食事件だとか、拷問、死姦。幼児誘拐とか、無差別大量殺人のような犯罪。・・・」

 「だいぶマシな答えになりましたが、それは正解ではありません。
 先日、殺した母親の生首を持って警察に出頭してきた二十代の青年の事件がありましたが、まだご記憶でしょうか?
 では、質問です。
 あれが、真の猟奇犯罪といえるでしょうか?
 よしんばそうだと認めたとしても、そこにロマンの香りはありますでしょうか?

 そう、かつて猟奇とは、単なる陰惨な現実を塗り変えてしまう、超越的なロマンではなかったでしょうか?」

 一同、シーンと押し黙った。

 「行為としての残虐だけでは、猟奇とは呼ばないのです。
 これが川崎ゆきお先生の発見です。」


 沈黙を破って、たまりかねたように、袋男が口を開いた。

 「・・・それで、師匠、今後われわれはどうすればよろしいのでしょうか・・・?」

 ぐびり、と焼酎を飲み干した師匠はにやり、笑った。
 重い錫杖を軽々と持ち上げ、仁王立ちでポーズをキメる。

 「お逝きなさい。」

 全員、一斉に拍手喝采した。

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