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2010年5月10日 (月)

ゆめのよう『助けて!だれか。』 ('87、リップウ・レモンコミックス)

(※以下の文章は、5/10初出を5/11全面的に改稿したものである。) 

 死んだ魚の目を持つ少年。

 パソコンゲームだけが友達だ。限度を越したいじめを受け続ける少年の恨みが、パソコン本体にのり移り、復讐が始まる。
 ゲームの世界の死刑執行人が、現実に現れ、殺戮を繰り返す。
 その名は、“レディ・ネーター”。

 レディ・ネーターは解像度を荒くしたアニメキャラみたいな造形である。
 黒い女囚さそり風の服に、不自然になびくカクカクの髪の毛。聖悠紀『超人ロック』的な、不自然極まりないヘアー。色はたぶん、赤。血の色だ。
 武器はナイフ連続投げと、レーザーマグナム銃。(レーザー弾を撃ち出すマグナム銃だそうだが、それはマグナムとは呼ばない。)
 あと、手首に細い鋼鉄のロープを隠し持っていて、いじめっ子の手足をスパスパ切断する。首とかも飛んだりする。
 もっさりした絵柄のわりに残虐度は高いので、「とにかく子供が酷い死に方をする」話が読みたい方には、お勧めだろう。
 しかし本当に居るのか、そんなやつ?
 (確実に、存在する。しかし、事は単純に善悪では済まない。)

 それにしても、ゆめのよう先生(この名前だけは記憶に値する。)は、この話でなにを伝えたかったのだろうか。

 まさか、とは思うが、
 いじめはよくない、というメッセージ?
 
 まさか。
 ゆめのようだ。(言うと思った。)

 この物語は、連続殺人鬼とそれを操る幼い少年に対し、目撃者の中学生少女が救いの手を差し伸べる、という構造を持っている。
 勧善懲悪的な価値観が全面に押し出され、少女は殺戮の推進者を止めることは出来ないが、彼女の優しさは少年に理解され、彼は彼女を救うために我が身を投げ出し、見事死亡する。
 自己犠牲による贖罪。
 マンガはいつだって、そういうものだ。
 陳腐といわれようが、構わない。人を殺した者は、死んで罪を償ったのだ。王道とはそういうことだ。むしろ、複雑化する責任構造をまんま描き出すことは、物語を高度化することは出来ても、停滞を招き、読者離れを呼ぶ。

 正義は単純で、美しくなくてはならない。
 しかし、事態はそれでは足りなくなっていた。


 現実は歪み、価値観は多様化する。

 いじめっ子は解り易い悪の存在だが、たんなる子供でもあるのだ。
 懲罰とはいえ、どこまでの反撃が許されるのか。


 だから、もはや悪を実行する者を、ただ単に倒すばかりが物語の結論ではないのだ。
 しかも、悪を生んだ構造自体にメスを入れないかぎり、ふたたび似たような悪の増殖は押さえ切れないだろう。
 しかし、子供に?
 そんな面倒な事態の解決をゆだねる?正気か?

 ここで問題になるのは、マンガの描く正義が往々にして純粋、かつ独善的なものだったという事実だ。
 正義は、読者の共感を得られてこそ、輝くものだ。
 そして、そのベースになるのは戦後政治と共に脈々と国民に受け継がれてきた伝統的な価値観である。
 その守備範囲に事態を着地させるのは途方もなく困難だろう。

 ならば、そうだ、
 悪の代行者を単純化してしまえばいいのではないか。


 悪人は、いつでも悪事をたくらむものだ。
 誰にでもわかる悪いこと。
 
大量殺人、破壊兵器の所有や、おのれの欲望のために他人を犠牲にしようとすること。
 それをのさばらせておくことは、世界の安全を保つ上で危険な筈だ。
 
 なんだか、これは某国アメリカの議会演説に似ているな(笑)。

 しかし、悪を単純化して描くことは物語をいたずらに矮小化することだった。 
 袋小路は、既にぽっかり口を空けていて、われわれは否応なしにそのブラックホールへ吸い込まれていったのだ。
 その彼方は、現実とは違う別の宇宙。
 マンガの世界のヒーロー達は、いまもそこで戦い続けている。

 ・・・私には、興味のない話だ。
 現実に話を戻そう。  

 暴力に相対するものが、暴力でしかない不毛。あるいは、狂気。
 といえば、川島のりかず先生のオハコだが、その破壊的な内容の真髄は、救済に到る道のすべてが途絶しているという、極めて歪みきった異常な構造にあるのだ。
 そして、これは現実そのものだ。
 正論は、結局、事態を解決しない。
 いじめでも、殺人でも、なんでもいい。
 異常な情況に投げ込まれた人間を救済しうるのは、「狂気」だけである。
 これが、のりかずの最終結論だった。

 そして、驚くべき的確さと、手抜きスレスレの描写密度によって、のりかずは現代に通用する不毛の世界を描き出してしまった。
 だから、ここには悲惨な現実の犠牲者しかいない。事態を解決する手段は、あらかじめ失われているのだ。
 誰が、そんなマンガを喜ぶものか。
 だから、この世の真実を描いた、呪われた作家は、忘れら去られるしかなかったのだ。

 それを、当時の(おそらく良心的な)普通の作家さんと比較するのも、無益なことだとは思うが、
 それでも、もう少し詳しく事の詳細が知りたければ、ゆめのようとまったく同じテーマで、不条理に子供たちが無意味に死んでいく傑作、『たたりが恐怖の学校に!』(改題・『いじめっ子は死んだ』)をお読み頂きたい。
 私の主張も少しはご理解いただけるのではないだろうか。
 それでも、なお、あなたが持論に固執するというのならば。

 暴力反対!と唱えて、世界を救ってみせろ。
 

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