日野日出志『地獄の子守唄』 ③('83、ひばり書房)
3.
「こんちは。なかなか、凄いお店ですね。」
その青年は、愛想の良い笑顔を振りまきながら云った。地味なブルゾンにジーンズ、一見真面目そうな印象だが、どこか得体の知れないものがある。
店主は読んでいた本をパタンと閉じると、客に向き直った。
「・・・なにか、お探しで?」
妙に勘に触る、耳障りな声だ。青年が手ぶらなのを不審に思っての発言である。
「ええ。ボク、こういうものです。」
「怪奇・・・探偵?」
与えられた名刺の文字を読みながら、店主は胡乱げに呟く。
「ハイ。この世のありとあらゆる怪奇と神秘を解明したい。ある日そんな念願に駆られまして、こんな職業を自主的に名乗らせて貰っているのですが・・・。」
「そりゃまた、若いのに殊勝な心掛けだ。儲かりますか?」
青年はニヤリと笑って、手を横に振った。
「金銭目当てなら、もっと実際的な方面に活動しますよ。かといって、趣味と呼ぶには、ちと違う。なんというか、ごく個人的な、精神内面の切羽詰った欲求に憑かれて、こうして当て所なく冬の街を彷徨っているのです。」
「あなたのような方を、昔は高等遊民とか呼んでたんでしょうな。」
店主は物憂げに、天井を振り仰いだ。
「千葉の百姓の末裔ですよ。そいつは買い被りというもんでしょう。吸血鬼さん。」
「は・・・?!」
店主は動きを止めた。ピンと突き出した長い耳が震える。
「いま、なんと・・・?」
「あなたは、吸血鬼です。ボクはこの方面には造詣が深いのです。この店の内部の配置を見て、直ぐに解りましたよ。」
照明は昏く、消えてしまいそうだ。
カウンター越しに向かい合ったふたつの人影は微動だにしなかった。表で雷鳴が小さく閃き、降り続く雨が木戸を濡らしている。
「悪魔その人に忠誠を尽くすのも結構だが、大概にしておかないと命取りですよ。稀覯本の山に隠して人目を眩ませたつもりでしょうが、あいにくこちとら、無駄飯喰ってた訳じゃないんだ。」
つかつかと店主の背後の書架に歩み寄ると、壁に真紅の釘で打ち付けられた小さな古文書を示す。
「第一点。北壁に吊るされた逆字聖書。十二世紀、ヘブライ語で書かれた原著本ですな。旧約聖書の、あの印象的な人とエホバの対話編を璧言漏らさず、逆さに綴ったものです。原典は神との約定を成文化した、格式張った儀杖的印象の強いものでしたが、ところが、文言を逆にし意味を反転させると、見事な悪魔召喚の呪文となり果ててしまう。まったく、恐るべき代物です。禁書指定もむべなるかな。」
大げさな溜め息を吐く。
「そうそう、欧州の覇権を握った大教皇インノケンティウス三世配下の異端審問官達が、数世紀に渡って追い求めたのがこの著作でしたが、まさかこんな極東の国でお目にかかろうとはね。」
二の句も接げない店主を尻目に、青年は講釈を続けた。
「こいつを起点に紡錘星の形に、魔術の七大要素が配置されている。すなわち、蛇の眼球。蠍の息。蜥蜴の舌。鶏骨。水銀。それに、処女の子宮。ランターンに詰めて、装飾の様に見せ掛けるなんて、とんだ悪巫山戯だが、まぁあの呪われたフィレンツェの王妃もかつてしたことだ。独創性はちょいと疑わしいでしょうな。」
なるほど、青年の指差す先には、書棚の装飾のように見せかけた飾りランプが要所要所に配してある。
店主の額を脂汗が滴り落ちた。
顔面が蒼白に変わっている。
「それから、悪魔崇拝で知られる、カルパティアの領主がおのが居城の守りに用いた護符。天井の梁ごとに仕掛けるなんざ、憎い所業ですねぇ。あいつを生成するには、正真正銘生まれたての赤ん坊の掌が必要な筈ですが、獣脂に漬け込んで石蝋化するまで丹念になめしやる苦労、よくわかります。」
「そ、そこまで・・・・・・。」
「とどめが地べたに描かれた文様です。こいつの出自は、ちょいと難しかった。古代アズテックの神殿によく似た神像が出てくる。アスラトゥガル、暗黒世界を司る蛇体母神。黄金の杖に鱗模様の克明な彫刻を施し、その尖頭に猫の顔のヘッドピース。握りを解いて、飾りを地面に展開図のように開いてごらんなさい。ボクの驚きが解る筈だ。なんとまァ、こいつはそっくりの相似形を成しているじゃありませんか。」
店主はいまやギラギラと異様に輝く双眸を剥き出しにして、青年を睨み付けていた。
隙あらば飛び掛ろうとでもいうのか、両の手をギュッと握り締めている。
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