日野日出志『地獄の子守唄』 ②('83、ひばり書房)
2.
俺の読んでいる本の中で、主人公の怪奇マンガ家は、指を切断したり耳を削いだりしている。
この過剰な表現が信頼できるのは、「彼は正気でない」という状態を伝えるのに有効な形容だからだし、その真摯な姿勢に一縷のブレもないからである。
日野日出志は、やはり一種のメルヘン作家なのだ、と思う。
メルヘンの本質とは、具象の抽象化、転じて抽象を具体性として語るやりくちにある。
(まぁ、“北風と太陽”みたいなもんだ。)
だからこれは、「お話」だ。異形の意匠を凝らした工芸品なのだ。
主人公は呪われた出自を持つ怪奇マンガ家。
父親は陰険な工場経営者、兄はやくざ。そして、母親は完全な狂人である。
陰気で無口な子供は、幼い頃から「気味悪いもの」「グロテスクなもの」に興味を持ち、小蛇を瓶に集めたり、犬の腐乱死体を棒で突付いて遊んだりしていた。
やがて趣味が嵩じて来ると、磔にした犬を生きたまま腑分けし、目玉を刳り貫いて収集し、あるいは猫を火焙りの刑に処して、もがき苦しむ様を見て楽しんだ。
「そのうち、ほんとうに人間を殺したら、どんなに楽しいことだろうか、と思うようになっていた。」
そんな、ある日、主人公は自分が素晴らしい能力を持っていることに気づく。
金銭を要求され、殴り小突かれ、さんざんいじめ倒された近所の悪餓鬼三人が、呪いながら描いた落書きのままに死亡してしまったのだ!
呪いながら絵を描くことで、現実に人を殺せる!
これに気づいた主人公は、「うれしくて、うれしくて」夜も眠れぬ程だった。
自分を虐待し抜いた母親をマンホールに落として腐乱死体化せしめ、父親は工場の機械に挟まれ圧死を遂げ、やくざ者の兄は抗争に捲き込まれて哀れ、刺殺されてしまう。
金を持ち逃げした友人の頭上に建築現場の鉄骨の雨を降らせ、これまた惨殺。成人しマンガ家となった後は、立ちはだかるライバル、作品を理解しない編集者を次々と虐殺していった。
そんな男の、最後の標的は・・・この本の読者!
「こんなおそろしい秘密を知られたからには、きみに生きていてもらっては困るのだ。」
物凄く、勝手な言い草!
「きみはこのマンガを見てから、三日後に必ず死ぬ。その死に方は、わたしの胸の中に仕舞ってある。」
「死ね、死ね!地獄の底へおちろ!おちてしまえ!」
・・・いやだなぁ。
俺が思うに、日野先生の最大の特徴は、その優しく温かみのある画風にある。
血や蛆虫や、ホルマリン漬けの蛇やイモ虫などを好んで描いているので理解はされにくいが、その絵は独自のデフォルメを交えつつ、優美で丁寧だ。丸っこい造形は、極めて杉浦茂的である。斜線を多用し影をつけ、墨ベタを塗り、陰影をどんなに濃くしようと、昭和三十年代的な優しいフォルムは崩れない。
特に、初期の日野先生は異様にそのフォルムに執着し、キャラクターから背景の木々に到るまで、画面全体のデザインにいかにもマンガ的な形状を残しつつ、残虐を余すところ無く描き切ろうとする。
果敢な挑戦であり、世界をおのれの意のままに変革しようという、強い精神を発現を感じる。
芸術とは、本来そうしたものだ。
そうさ、俺だって。
手に汗握って思いつめていると、カウンターに近寄ってくる客の姿が見えた。
ここは、単なる書店で、俺は商売の真っ最中だったのだ。
ときどき、それを忘れてしまう。
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