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2010年4月

2010年4月29日 (木)

マイク・ミニョーラ/ダンカン・フェグレド『ヘルボーイ:闇が呼ぶ』 ('07、ダークホース)

 「ミニョーラ以外が絵を描くなんて・・・。」

 と、ケチな料簡で、店頭で手にするもパスしていたヘルボーイ最新刊だが、意外や面白かった!
 私は、ダンカンさんにお詫びしたい気持ちでいっぱいだ。
 ごめんなさい。

 ただし、私が薦めてもここから読み出さないように!
 これは、続き物マンガの「新章、開始!」の一冊である。
 諸星先生の『西遊妖猿伝』で、いきなり「西域篇」から読み出すようなもんだ。話はとっくに佳境を過ぎて、仕切りなおしの再スタートなのである。
 それでも、気合いの入った絵は堪能できると思うが、話がサッパリ解らない筈だ。面倒だが、このへん、ちょっと説明を加えておくのが、仏心というものだろう。
 私は、ヘルボーイに関してはちょっと詳しいから、安心して附いてきたまえ。
 
 (最初にミニョーラの絵を見たのは、おしぐちたかしが「マンガの森通信」なるコラムをやっていた『ホットミルク』誌だと思う。小さなワンカットだけで巧さが伝わるのが、ミニョーラの凄いところだ。
 さっそく洋書を捜して読んでいたら、日本版が出始めた。以来の愛読者である。)

 映画にもなったし、今更ヘルボーイが何者か、諸君もとうにご存知だろう、自らの意志で額の角を毟り取った地獄の悪魔だ。
 第二次大戦中、ナチスとラスプーチン(!)が主導した悪魔召喚の実験の結果、生まれたとも云われるし、それより以前の魔女と悪魔の婚姻に起源を持つとも考えられている。
 (このへん、曖昧にしておくのがお約束というもので。)
 オカルト学会の世界的権威、トレバー・ブルッテンホルム博士に育てられたヘルボーイは伸びてきた角をカットし、人間として生きる選択をする。
 皮膚は、全身真っ赤だが。
 ま、酔っ払ったでかいおやじということで。
 
しかし、まともな就職は出来なかったので、アメリカの超常現象捜査局という、半魚人やら超能力者やらホムンクルスやら片目の黒人やらが勤務する、見るからに胡散臭い役所に働いている。
 いろいろ請け負う、市役所の土木課みたいなところです。
 世界各地で魔女を退治し、ゴブリンを塔から投げ飛ばし、吸血鬼と格闘するうちに、徐々に明らかになるヘルボーイ誕生の秘密。なんで、生まれた時から右手に巨大なグローブが嵌まっているのか。
 実は、その腕は世界に破滅をもたらす扉を開ける鍵であり、ヘルボーイの正体は、例の聖書に出てくる、黙示録の獣だというのだ・・・。
 
 ここまでが、単行本でいうと四巻目ぐらいまでかな。
 以上明確にネタばれ記述だが、いまさら問題ないでしょ。これが出たのが、何年前の話だと思ってるんだ?
 それに、ヘルボーイの面白さは、基本的にミニョーラの絵の凄さだから、安心してネ。熱海に来てネ。

 さて、実はこの辺りから盛り上がったストーリーは、突如低迷を始める。
 以前やったネタの焼き直しが増えてくる。ミニョーラはもともと作画出身で、決して褒められたストーリーテラーではないし、画風もどんどん省略が多用され限界まで煮詰まっていくし
 正直申しまして、『滅びの右手』以降の、『妖蛆召喚』、『人外魔境』、『プラハの吸血鬼』の三冊はなくていい
 それでも、独自の、無駄がない、いい絵だとは思うが、くるものが無い。
 『魔神覚醒』での、まだリアルタッチを残した細密描写も、『縛られた棺』での神がかったノリノリの省略表現も、もはや一過性の奇跡か、と思わせるものがある。魔術を成立させていた、重要な要素が欠落していくのがわかる。
 (たぶん、それは画家の内部にある熱量のようなものだ。あ、いしかわじゅん的表現をしてしまったな。失礼。)
 おまけに、この間、映画の製作やアニメ版、無数のスピンオフが生まれ、ミニョーラはひとりでじっくり机に座って絵を描く時間をどんどん奪われていく。
 もともと、ミニョーラのごく個人的な世界として、原作・作画もひとりで担当し(知らんだろうが、下書きとペン入れまで分業のアメコミ業界では、このスタイルはかなり異端である。)、始まったヘルボーイのシリーズであったが、
 ま、売れてくると、いろいろありますヨ!!
 辛い話だ。身につまされる。

 ・・・という経緯により、すっかり読む気が減退していた私は、「ミニョーラ以外の男が、本編の絵を担当する」と聞いて、この最新作、手を出し損ねていたのだが、
 古本屋で覗くと、ちょっと前の『妖蛆召喚』なんか八千円もする!
 もともと在庫が異様に細いアメコミ日本版であるが、こりゃうっかり読みたいと気まぐれを起こすと、エライ目に遭うゾ!と危機感に駆られ、まだ定価よりちょい安い状態の最新刊に思わず手が伸びてしまったワケだ。
 (あ、定価だと三千円ちょいなのね。実際財布に優しくないが、それは諸君がアメコミなどまったく読んでくれないお陰である。
 ありがとう!)


 で、ダンカンさんのタッチであるが、自分本来の描線と、ミニョーラの典型的スタイルを擦り合せ、試行錯誤の途中という感じ。
 うまくいっている箇所もあるし、荒く感じる部分もある。
(例えば、ミニョーラなら、フォルムに対し必ず線が閉じている箇所が開いていたりする。)
 これは仕方ない、ミニョーラの技法の完成度は、無数の模倣者を世界中に同時発生させ、恥ずかしながら私自身もその末席に連なるひとりだったりしたくらいだから。
 (過去形にご注目頂きたい、ミニョーラが世界覇者だった時代は既に終わっている。一時期のメビウスみたいなもんだ。)

 そんなことより、確かに本家ミニョーラよりも、ガジェットも場面構成も多少ガチャガチャしたダンカンさんの絵だが、ここにはかつてヘルボーイの物語が含んでいた明白な熱量が復活している。その事実に、拍手喝采だ。
 アメコミファンはおっさんが多い(独自調査、9割)ので、軽佻浮薄なノリで踊り出すバカはそうそういないのであるが、ここは祭りのひとつも必要だろう。
 (でなくて、なんでファンをやってるんだ?)
 保証しよう、ダンカンさんの熱さは本物である。
 安心して読んでいただきたい。
 
 物語は、『妖蛆召喚』後、市役所を退職したヘルボーイがフリーターとなり、アフリカを遍歴し、生誕の地イギリスへと舞い戻ったところから始まる。
 お懐かしいキャラ、イゴール・ブロムヘッドや鋼鉄の処女が化けた女神ヘカテが再登場し、魔女の大宴会サバトと云え!)から、不死身のロシア人コシチェイとの肉弾戦に到るまで、原作担当のミニョーラ先生の、
 「こういうの描きたいんだが、俺には実際時間がないんだ。クソッ!!」
 という、溜まりに溜まった怨念が遂に大爆発し、そりゃもう、話が進む、進む。びっくりだ。
 あれよ、あれよという間に、世界終末の戦い、ラグナロクが開始されてしまった。こりゃ、ミニョーラ先生、本気で完結させる気になったな。
 長年引っ張ってきた妖精王のおっさんが通り魔に刺されて死亡する無茶な展開に、私はそれを確信し満足した。

 まったく、この数年間はなんだったのよ、というボヤキは野暮だ。やめとこう。
 (もう、ここまでさんざん発言してしまってる気がするが。) 
 最後に、ヘルボーイが中学のとき、校内のツッパリグループにかました名言を引用して締めくくろう。

 「自分は、ァーーーーーーーッ!!
  地獄の出身ではありますがァーーーッ!!
  ひとつ、ヨロシク!!!」

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2010年4月28日 (水)

松下井知夫『新・バグダッドの盗賊』 ('48、秋田書店)

 「エッ、この本、秋田書店なの?」と自ら驚いてしまったのであるが、
 
 『新・バグダッドの盗賊』 、略して新バグは、創業間もない、かの秋田書店が刊行した「半分マンガ・半分絵物語」の、なんとも楽しい娯楽作品なのである。
 秋田書店は、当時、児童書を出していた。
 50年代半ばに『冒険王』、'68年『プレイコミック』、'69『少年チャンピオン』創刊と続き、マンガ文化隆盛の重要な一角を担うことになる。 

 さて、この作品、ジャンルは何かというと、洒落た絵柄で描く、近未来バトルマンガだ。
 しかし、同じ秋田だからといって、山口貴由みたいなハードなものを想像しないように。いいね、スズキ。
 これは、もっとおおらかで、上品な時代の産物だ。 
 アールデコ調の、のほほんとした夢のあるデザインの未来兵器が、なんというか、バトルというには余りに呑気な化かし合いをする。
 いいよなぁー。
 単純に憧れてしまう世界だ。
 新発明とか、新兵器にごくごくシンプルな夢があって、小学生が空想で考えるような科学が驚くべき威力を発揮する。
 
 例えば、「X線光速機」。
 ロケット飛行機のコクピット付近から、触角のように二本、アンテナが伸びていて、そこから進行方向へX線を放射して進む。
 なんでって?
 そのX線に機体が乗っかって、ありえないほど高速で飛行することが出来るのだ。
 無茶だよなぁー。

 でも、こうした素晴らしいアイディアに対して、「この人はX線の根本を理解していない」と突っ込むのも、いかがなものかと思うのだ。
 誤謬は正さなくてはならない。
 しかし、その結果失われるものはなんだろう。
 空想の自由さ、楽しさを奪うような科学は、「悪い科学」ではなかったか。かつて、誰もがそれを学んだ筈だ。物語から、マンガから。
 われわれの住む二十一世紀は、実は、悪の科学者集団によって支配される暗黒の未来ではない、と言い切れるだろうか。

 X線光速機の、自由で美しいフォルムを見ていると、ふと、そうした疑念に捉われてしまうのだ。

 さて、『新・バグダッドの盗賊』は、まぁ、タイトルからもお察し頂けるだろうが、
 アリババの子孫である、アリババ科学研究所の職員たちと、
 四十人の盗賊の子孫で、国際的陰謀をたくらむ秘密結社、「B・G・D団」とが、おたがいの科学力でしのぎを削る物語だ。
 (この「B・G・D」が、なんの略なんだか、さっぱり不明、という突っ込みが昭和五十六年当時の某スターログ誌に載っていた。
  正解は単純でバグダッドBaghdadだな。わかるじゃん。)
 「B・G・D団」は、全員ターバンを捲いた異国風の科学者の集団で、都市を破壊したり、人をかどわかしたりする。
 賢明な少女なら、目を輝かせ、
 「あッ、わたし、この人たち、知ってる。」
 と、大声を出すだろう。
 
 という訳で、この本、現状では復刻は難しいだろうと思われる。

 いかに自社の倉庫で在庫を管理し、極力絶版を避けることで有名な秋田書店でも、これはさすがに取り寄せ不可能だろうから、
 先に触れた昭和五十六年の復刻を探してご一読頂きたい。

 子供向けとあなどるなかれ、
 意外や、渋いですよ。  

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2010年4月25日 (日)

川島のりかず③『恐ろしい村で顔をとられた少女』 【魔界誕生編】('85、ひばり書房)

(画面いっぱい、躍る活字。)

 「遂に、川島のりかずの正体が判明?!」
 「のりかずは宇宙からの侵略者!!安藤社長、衝撃の会見」


(前記文字にオーバーラップして、記者会見場の遠景。瞬くフラッシュ。)

 壇上、両側を背の高い屈強な米兵に固められ、小柄な老人、両手を上に掲げさせられている。
 エリア51で撮影された宇宙人写真と同じ構図だが、捕まっているのは、品のよさそうな、穏やかな印象の老人だ。
 しかし、その目は恐ろしいほど、澄み渡っている。
 
飛び交う怒号。

 記者A「納得のいく説明を聞かせて貰おうじゃないか、社長!!」
 記者B「おたくの会社がのりかず献金のパイプ役を担っていたってのは、本当ですか?!」
 記者C「社会に対して、どう責任を取るつもりなんだ?犠牲者は計り知れないぞ。」
 記者D「タリラリラ~ンの、コニャニャチワ~!」

 会場に張り込んでいた私服刑事、警備員に素早く目配せする。
 「バカボンのおやじが一人混ざっているぞ。摘み出せ。」

 連れ去られる腹巻姿の植木屋を尻目に、安藤社長が重い口を開く。

 『ア~~、ア~~・・・あーーー、うぅーーー・・・。』

 「大平総理!!」
 
 会場中が一斉に突っ込んだ。

[ナレーション]

   二千年。
 人類は未知の生命体の侵攻により、壊滅の危機に瀕していた。
 川島のりかずと呼ばれる謎の侵略者は、発狂、洗脳、惨殺といった悪逆な手段を用いて、人口の九割を瞬時に消し去ってしまったのだ。
 残された一握りの人々は、池袋地下の商店街に閉じ篭もり、西武と東武を行き来する暗黒の生活を送るしかなかった・・・。
 
E.L.T.の歌う主題歌、流れる。)

 ♪パチスロで四万スッた(実話)、つらい夜にも
  夢を捨てないで、フライ・アウェ~イ~♪

 その間、流れ続けるススキくんの出玉カウント。
 (「これ、人権蹂躙ですよ!」との、本人からの抗議の声が入る。)

 字幕。
 原作、モーパッサンのメールより
 制作、衝撃!猫殺し映像(株)
 監督、全裸 仁王立ち 

 放映、「“楽しくなければ、TVじゃない!”なら、俺の目の前の物体はなんだろう?」テレビジョン

[シーン1・マンションの一室]

 臨時の捜査本部が設営されている。

 モニタースクリーンに、会見を終え、タクシーに乗り込む安藤社長が映っている。
 連続で瞬くフラッシュ、記者たちに揉みくちゃにされ、物凄い騒ぎだ。
 音声は聞えないが、現場ではさぞかし色んな怒号が飛び交っているだろう。

 「・・・よし!」

 振り返った部長刑事、黒沢が云った。

 「ターゲットは会場を出たぞ。尾行開始だ。」

 角刈り、レイバンの黒目がねで、『西部警察』放映当時の渡哲也を彷彿とさせる風貌だ。スーツも黒、原色の青いシャツ、ラメ入りの幅ふといタイ。
 要は、ヤクザか、殺し屋にしか見えない。

 『こちら、スズキ9号車。』

 無線が入る。スズキくんのおとぼけ声だ。

 『正直、まだ寝たりません。』

 黒沢刑事が、唐突にマイクを殴った。
 「甘えんじゃねぇよ、クソガキが。真面目に仕事しろ、この野郎。」

[シーン2・スズキ9号車]

  スズキくん、鼻から血をちょっと垂らしている。

 「・・・やれやれ、今回は以前に増して暴力的な展開が期待されますね。
 一体これのどこがマンガ本のレビューだというんでしょうか?」
 
 イグニッションキーを差込む音がする。

 「それじゃ、仕方がない、行きますか。
 ・・・ハイ、そこのあんたがた、降りて、降りて。」

 後部座席で濃厚なペッテイング行為に耽っていた馬と黒人が猛烈に抗議したが、すかさずスズキくんがギアボックス横の隠しボタンを押すと、室外に飛び出した。
 天井が開き、座席下のバネが動いて、乗っている者を表に放り出す仕掛けだ。

 「まったく、今どきボンドカーか?!っていうね。大げさだなぁー。」
 
 解放されてブラブラ揺れる巨大バネをミラー越しに見ながら、スズキくんが呟いた。
 タクシー無線の送話器を手に取り、連絡を入れる。
 
 「9号車より、本部。追跡を開始します。どうぞ。」

[シーン3・人類救済計画、総司令部]

  水族館のある池袋の超巨大ビルディング最上階。
 ウンベル総司令が電話をとっている。
 
 「んん・・・あぁ、私だ。
 なに、真性なら保険が効きます、だと?そいつは十五年以上前の江口寿史のネタじゃないか。今更なにを云ってるんだ。バカ者。」

 叩きつけるように、受話器を置くと、心配顔で指を組んだ。

 「今回の敵は、いままでとは違う。
 くれぐれも、慎重な行動を頼むぞ。黒沢刑事。スズキくん。」

[シーン4・首都高]

 スズキくんのタクシーが、爆走している。

 「ヒャッホーーー!!俺は、今、風になるんだ!!」
 カーラジオから流れるステッペンウルフ、スズキくんの目がテンパっている。

 前方を走る、安藤社長の車を追い抜きかねない勢いだ。

 人口の激減と共に、首都高を走る車も大幅に減っているが、たまに大型車輌を見かける。これは政府のチャーターした輸送便で、地方都市から生活物資を吸い上げ、首都圏一帯へ供給する、いわばライフラインだ。
 そうした公用車を除けば、首都高には殆ど車影が認められない。

 こんな車輌の少なさでは、背後から猛然と追い上げてくるタクシーが、気づかれない筈がなかった。

 助手席の窓が開き、黒い塊りが数個車外にバラ撒かれる。

 「ウホッ?ウホッ?」

 ドカーーーン。ドカーーーン。

 高速道路上に、連続して火柱が立ち、スズキくんは慌ててハンドルを切る。

 「・・・手榴弾とは味な真似をしてくれるじゃないですか。」

 フロントガラスは爆風でひび割れ、真っ白だ。
 スズキくんは、ダッシュボードから取り出した拳銃の柄でガラスを叩き割りに掛かる。

 「ウヒョーーー!!
 猛然と、カッカとしてきましたよーーー!!
 しっちゃか、めっちゃかで、もう、気が狂いそうだーーー!!」


 アクセルを踏み込んだ。
 エンジンが咆哮し、強力な加速がスズキくんをシートに叩きつける。

 「ラブ・ガン、発射ーーーッ・・・!!」

 ボンネットに載せられた考える人のエンブレムが外れ、凶悪な発射口が顔を出した。
 とろり、濃厚なラブジュースが滴り落ちる。

 「ヴァイオレンス&ピース!!風忍です!!」
 
 カカカ、と哄笑するスズキくんの耳に、遥か上空より迫り来る爆音が届いた。

 「こ、これは、まさか・・・・・・伝説の、あのスタイル・・・?!」

 首都高上空を、二台の車に併せて追撃するヘリの姿があった。
 ヘッドセットを着用した黒沢刑事が、スナイパーライフルを構えて半身乗り出している。

 「テーマ音楽が欲しいなぁ、音効さん。」

 スズキくんがぼやいた途端、ライフルが火を噴き、前方を走る車が横転した。

(以下次号)

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2010年4月24日 (土)

トビー・フーパー『スペースインベーダー』 ('86、キャノン・フイルム)

 嘘のようだが、私の生涯ベストテン級の傑作がこの『スペースインベーダー』だ。

 大いに問題があることは、解っている。

 一本の映画として、物凄くいびつだ。整合性やカタルシスに欠ける。
 だいたい、ウェルズの時代ならともかく、1986年に「異星人が地球を侵略する」なんて映画を誰が真剣に撮ろうと思うか。
 ティム・バートンの『マーズ・アタック!』は異常事態をブラックなギャグとして描いた。
 カーペンターの『遊星からの物体X』は、よりシリアス、かつ皮肉な男のドラマだ。
 アベル・フェラーラは『ボディ・スナッチャー(盗まれた町)』のリメイクを、思春期少女の性的不安の隠喩として完成させた。
 トビー・フーパーがとった手法は、それらに似て、異なる。

 映画を、少年の見る悪夢そのものにしてしまう、という恐るべき選択だった。

 例えば、怪奇映画の古典、カール・テオ=ドライヤーの『吸血鬼』('31)をご覧になっただろうか。
 不自然な光源で描かれる、悪夢そのものの映像。印象的で不吉なカットが連続し、吸血鬼に噛まれた人間の見る幻覚のような、一見脈絡など無さげで、でも不思議と繋がっていく美しい映画だ。
 なにが凄いって、誰が吸血鬼なんだかよく解らない。
 われわれがいかにクリストファー・リーに毒されているかがよく分かる。マントに牙を剥き出しにした男なんて登場しないのだ。勿論、怪人ノスフェラトゥも、ベラ・ルゴシも。

 主人公の青年が訪れたある村に、吸血鬼が跳梁する。彼がさして活躍せず、うろうろしているうちにお屋敷の令嬢がその毒牙にかからんとする。
 まぁ話の展開からして、ラスト、粉屋で粉まみれになって、哀れな最後を遂げるおやじが吸血鬼その人(もしくはその下僕)なんだろうが、そんなの実はどうでもいい。
 この映画は、臨死体験そのものである。
 馬車に乗せられた棺の中で、通り過ぎる森を、その向こうの空を見上げている死んだ男。(このカットは見事過ぎて、もう狂い死にしそうだ。)
 あれが、あなたであり、私だ。
 
 トビー・フーパーがホラーの古典に敬意を払う、実に見上げた男だというのは有名だろう

 少年が真夜中、雷鳴の音に目を覚ますと、裏庭の丘陵にUFOが着陸するところだった。
 光と音の魔術。強烈な原色の光芒を舷側からいくつも放ち、全体の形状すらつかみ切れない巨大な宇宙船。
 人類の火星探査計画を阻止するため、火星人が地球に降り立ったのだ。
 次々と、首に奇怪な装置を埋め込まれ、ロボトミー化されていく人間達。まっさきにやられるのが、少年の両親であり、続いて先生、生徒、警官たち。
 自分以外の人間が、みんな異星人である。
 少年期に抱く、典型的な妄想だ。フーパーはおそらく十代で、この主題に遭遇し、毒された人間なのだと思う。
 (備考・『スペースインベーダー』は名美術監督ウィリアム・キャメロン・メンジースの監督作品『惑星アドベンチャー・スペースモンスター襲来!』('53)のリメイク。計算してみたら、'43年生まれのフーパーは、このとき十歳!)
 実はオリジナル版こそ、強力な色彩感覚で、悪夢そのものの映像を繰り広げる異色作なのだが、フーパーが撮ったリメイクは、「悪夢感、さらに倍!」という、巨泉のクイズダービー方式だった。

 カエルを食糧にする意地悪教師、ルイーズ・フレッチャー(名演!)や、保健室の先生がカレン・ブラックであるという狂った女優のキャスティング。
 そういや、追われて逃げ込んだ学校の地下室での、歳の差カップル状態というか、ショタ恋愛婚描写は、あれが鼻の穴がでかくて、目鼻口のパーツが顔の中央に寄っているカレン・ブラックだからこそ、成立するのだと思い知れ。
 これが整形の一発もきめているような、昨今のハリウッド女優だったら、さっぱり印象に薄いものになっていた筈だ。
 それから、主人公の唯一の(同年代の)ガールフレンド、ヘザーの底意地の悪そうな顔つきもポイントかな。登場した途端にエイリアンの手先だし。そうとう歪んだ構造になっているのだ、フーパーの思春期描写というのは。
 (でも、ねぇ、そういうもんでしょう?実際?)
 これは、『悪魔のいけにえ2』に於ける、「レザーフェイス、童貞ならではのレイプ未遂」描写に直結する、フーパー世界の重要な構成要素だ。

 どんどん侵略者の手先が増えていく前半から、遂に軍隊が出動し、ど派手な攻防が展開する後半への流れは、ダン・オバノン(故人)のおはこの意地悪さである。
 (『バタリアン』しかり、『ゾンゲリア』しかり・・・。)
 異星人はひたすらグロテスクで、話し合いの余地は一切なし。素晴らしい。
 牙の生えた巨大な口だけで、胴体は羽根のとれたカマドウマみたいな火星の下僕モンスターはスタン・ウィンストン(故人)の見事な仕事。物凄く臭そうだ。
 脳が異常に発達したギョウチュウみたいな火星人リーダーの、極めて下品な造形もナイス。ニュルッ、と肛門から吐き出されるコイツの姿には、思わずこっちがゲロしそうだ。
 これは、見事に計算された性的隠喩である。少年期の悪夢という観点にまったくブレはないのだ。

 コンセプトの徹底において、この映画は実に素晴らしい結束力を見せてくれる。
 私が一番好きなのは、坑道内を回転しながら飛んでくる、外周に包丁を並べた火星の殺人マシンなのであるが、これを動かしているのが、『スターウォーズ』一作目でお馴染み、ジョン・ダイクストラ(通称、大工さん)。
 このシーンの素晴らしさは、思わず脱糞モノだ。大工さん、本当に有難う。
 このメカは、本当に子供が考えつきそうな、優れたトラウマ製造装置だ。「ボクの考えた怪人・怪獣」とか、そういう雑誌の投稿コーナーあるじゃない?あそこに本当に載ってそうな、そういう変なリアル感。
 凶悪かつ邪悪な機械である、という以外、何に使う目的で設計されたものなのか、まったく解らない。
 これこそ、悪夢そのものの中でのみ有効に機能する機械。
 フーパーのうまいところは、これをツルツル、ピカピカのターミネイターとかロボコップみたいな金属ボディにせず、独特のヌメッとした生体を思わせる質感で纏めたところだろう。
 こいつが、赤や黄色の照明に照らされた坑道を、ビュンビュンいいながら回転して接近してくる描写は、黒沢清のいう“死の機械”そのものだ。
 火星人基地の相当へんなデザイン(意味ない巨大スロープ、到るところに穴ぼこ)も含め、この作品の美術は、オリジナル版を踏襲したうえで、さらにグロテスクに肥大化させ、悪夢感を増幅している。
 まさに、「さらに、倍!」だ。倍率ドン。

 だから、悪夢の、最たるものでこの映画は華麗に締めくくられる。
 
 すなわち、悪夢から目覚めたつもりがまだ続いていた、という古典的なオチ。
 お後がよろしいようで。

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2010年4月22日 (木)

ヴィクター・サルヴァ『ジーパーズ・クリーパーズ』 ('01、ゾエロトロープ)

 どうにも、面白くない。
 面白くなりそうだが、決定的に面白くない映画の登場だ。

 この映画の紹介に(確か『映画秘宝』だ)、監督がホモで、都市伝説にかこつけてホモの遭遇する「こんな目に会いたくない!」恐怖を描く、とあったので、そりゃ面白そうだ、と私は乗ってみた訳である。

 私の考えるそれは、例えば、ニール・ゲイマンの傑作『サンドマン』だ。
 (『ウォッチメン』がまがりなりにも、メジャーになったのだから、次はサンドマンをよろしく頼む。)
 日本版第三巻、「ドールズ・ハウス」に登場するシリアルキラー、“コリント人”のことだ。
 こいつは、ありえないぐらい悪いやつで、少年とナイフと監禁が大好き。
 
(おまけに、少年ナイフも好き。って、それじゃニルヴァーナの死んだバカだな。
 あぁ、ついでに明言しておくが、あいつはバカだ。
 曲も良くない。

 みんな、どこに目をつけているんだろうか。
 彼の唯一の功績は、レインコーツの再発に尽力したことだが、それだけだ。)

 で、“コリント人”がどんなに恐ろしい奴かは、多少面倒だろうが、「サンドマン」を探して読んでくれ。
 BLのマンガを描いてる奴と、読んでる奴は、厳重チェックせよ。
 諸君の成長には期待している。


 あぁ、話が逸れた。
 なんで『ジーパーズ・クリーパーズ』は良くないのか。
 丁寧なつくりだ。
 美術も、撮影も頑張っているし、ジャンルの古典『悪魔のいけにえ』への目配りも感じられる。しかし、あの、万分の一パーセントもまがまがしくないが。
 この映画、なんで、まったく呪われた感じがしないのか。
 ひょっとして、喰えてるんじゃないか。
 必要な箇所には、必要な予算が供給されている。コッポラが金を出しているからだ。
 コッポラ。
 『コットン・クラブ』。『ドラキュラ』。
 そりゃ、ダメだろ。

 結論が出てしまったので、そろそろ、終わりにしたいが、(正直、掘り下げても疲れるだけの作品というのはある。)
 あぁ、ところで、どのへんが「ホモの恐怖」だったのだろうか。
 最初に出てくる連続殺人鬼の犠牲者が、ゲイメイクで、ホモっぽい、という点が挙げられる。
 ほか、特になし。
 確かに弟が空中に拉致されて、目玉刳り貫かれてましたけど、そんだけじゃん。それで怖がれといわれても、二丁目の皆さんも困るだろ。
 
 身軽な殺人鬼が、轢きに来た自動車を何度も飛び越える、それこそ、こっちがうんざりするまで、というシーンの意味は何だったのか。

 コッポラには、納得のいく説明を仰ぎたいと思う。

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2010年4月20日 (火)

神聖かまってちゃん「ロックンロールが鳴り止まないッ」('10、PERFECT MUSIC )

(突然、ラジオ放送が始まる。)

 「あー、あー、どうも。NHKです。いや、違う、NHKじゃありません。
 集金です。集金じゃないです。
 ウンベルケナシの、“おっぱい、いっぱいニッポン”!!」
 
(テーマ音楽、ワンノート・サンバ。)

 「まぁ、そんな訳で、勝手に始まっちゃうワケですけども。
 皆さん、食えてますか?!喰えない?まぁ、そうでしょうねぇー。平成不況の真っ只中ですからね。厳しいですよ。厳しい。どこもね。
 あ、でも知り合いの経済学者が言ってましたけどね、今続いてるのは不況じゃないらしいですよ、企業の皆さん。いままでが好況過ぎただけの、揺り返しですって。ゆっくりと、昭和三十年代の経済水準へ退行して行く過程に過ぎないんですって。
 なに、バカ云ってんだ、ってことで、胃を蹴ってやりましたけどね。
 経済学者とか、システム部の連中とかは、全員、胃を蹴ってやるべきですね。
 と、いうことで、“おっぱい、いっぱい、ニッポン”、この番組はダイナマイト生産でお馴染み、ニッポン発破の提供でお送りしません。します。

(曲、かかる。)

 「え~、今日の一曲目、DE-BE-SOで『おまえのかぁちゃん』!」

 ♪おまえのかぁちゃん、おまえのかぁちゃん Yeah!!
  からだを洗わないから、とても臭い
  オールナイトロング~、オールナイトロング~

 ♪髪の後ろがわから、目が出て、歯が出たよ
  腐ったじじいには、従わなくちゃならなーいー
  ボクはそれがつらい、とてもそれがつらい

  オールナイトロング~、オールナイトロング~


(曲、終わり。拍手と共に、ゲスト登場。)

 「ま、そういうことで、今日のゲスト、です。」
 「シャキ、シャキ。」
 「おお、こりゃ、シオマネキさんですね。見事な甲羅ですね。」
 「シャキ、シャキ。プクプク。」
 「あ、泡吹いた。誰か、タオル!!
 で・・・蟹さんは、普段どんな音楽を聴きますか?ロックとか、聴きますか?」
 「・・・・・・プププッ。」
 「そうですか!そりゃ、すげぇ。
 今日はそんな蟹さんを喜ばせようと思って、神聖かまってちゃんの新譜を持って来たんですけど。聴きます?聴かない?
 どうせ、JASRACがケチをつけて来るだろう?あぁ、鋭い読みですねぇー。海でもきっと、切れ者で通ってるんでしょうねぇー。渚で、さなぎに大当たり。
 あ、こりゃ、吾妻ひでおのパクリか。すいません。新人なもので。
 かまってちゃんは、ネットでうけて大ヒットらしいんで、さっそく取り上げてみました。ニコニコ動画でゲリラライブの中継とかしてるらしいんですよ。そういうのは、アリですね。平日働いてるんで、観ないけど。
 蟹さんは、どうですか?」
 「シャキ、シャキ、シャカ。」
 「あっ、横歩きしやがった。最低。誰か、とらえろ!!」

(気の利くスタッフが、曲を流す。)

 「今日の二曲目、アンドレイ・ルヴィルコフで『木目』!!」

 ♪(静かなピアノのイントロで)
   いつもいつも、退屈な空の下、バスは行き交う
   流し目したり、ながら勉強で、怒声が飛んで
   きみーが思うよりー、ずーーっと、京王線は長いーよー
   シャバ、ダバ、はしごを登ればもう現場!
   
   愛している、ってなんのことだよ?
   現金書留にしてくれよー
   日付の変わらぬ時計が欲しいね、壊れてるやつでいいからー
   さくらの季節は長者が多すぎて、ホラ、も~く~め~

(曲、フェイド。スタッフの話す声、オフマイクで聞える。)
 「・・・潰した?潰しちゃった、ってどういうことだよ?」
 「ゴニョゴニョゴニョ・・・。」
 「替わり持って来いよ、責任とってさ。どうすんのよ、ナマだよ?!」
 「ゴニョゴニョゴニョ・・・。」
 「CM?これ、NHKだよ。いや、NHKじゃありません。OK!!」

 「・・・ということで、誰かの超適当な曲でしたー!!
 超うける!!超うける!!
 こりゃ、CD産業も廃れるワケですねッ!!
 来週は、イカのみんなが遊びに来てくれる予定です、お楽しみに!
 以上、ゲストの蟹でした~!!」

(ムーディーな音楽。除夜の鐘。)

 「それじゃ、お便りのコーナーです。
 ビルマ郡サッカリン町の、ペンネーム南船北馬ちゃん。」

 『オーッス!!
 ウンベル先生、元気か?!俺は、脈打ってマーーース・・・!』


 「あぁ、納得ですね。」

 『先生、聞いてくれ。俺のクラスでは、今日も不良がうんこしてるんだ。
 なのに、誰も片付けやしねぇ。生徒も、先公も見てみぬ振りだ。
 結局、一日うんこ臭かった。奴らは、ケツにくそが付いても洗わねぇし、じゃんけんやっても後出しだし。人生、なめてるとしかいいようがありません。
 しかし、そんな奴らにいいように使われてる俺自身はなんだろう。ボクっていったい、どういう存在?きみにとって?マジパン?マジパンでいいの?
 てなことを考えてたら、エヴァに乗りたくなりました。じゃッ!!』

 「以上、南船北馬ちゃんでしたー!!
 警告しておく。
 エヴァには、乗るな。いいですね?」

(音楽、流れる。)

 「じゃ、今日の三曲目!狩人ジュンで、『夜更けのバランバ』!!」

 ♪バラン、バランと陽が暮れて
  バラン、バランと朝が来る~
   しょせん、叶わぬ夢な~らば~、
  見ないで済まそう、巨人戦~

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2010年4月18日 (日)

石川賢『魔界転生』 ('87、角川書店)

 これぞ、マンガ!

 これぞ、石川賢!


 率直に申し上げるが、この作品を未読の方がいらしたら、おのれの人生行路を再度点検してみることをお願いする。
 何か、重要な間違いがある筈だ。それが、あなたの命取りにならないことを祈る。

 ケン・イシカワに関しては、ひとこと、ダイナミックプロの重鎮と申し上げれば、事足りるだろう。
 残虐描写の容赦無さと、あまりの台詞のカッコよさにおいて、本家豪ちゃんを抜き去った感のあるグレイトかつワンダフルな作家だ。
 恐竜人類が牙と爪とで襲いかかり、人類を食い散らかす初代『ゲッターロボ』単行本が、私とケンちゃんの初遭遇だと思うが、
 ケンカ空手の達人、学生運動の闘士崩れ、山で修行する柔道チャンプが乗り組む巨大ロボ、というワイルドにも程があるキャラ設定と、容赦ない残虐描写(傘で野犬を突いて殺す、など)で小学生読者を心底震え上がらせた。
 特に、ビルディング一個がまるまる敵のメカで、内部に閉じ込められた人々が容赦なく串刺しになっていく話は忘れがたい。物凄く痛そうなんだ、これが。

 しかし、注意して頂きたいのだが、重要なのは表面的な残虐性ではない。
 そこを勘違いしないで欲しい。

 ケン・イシカワの人体破壊描写には、明らかに血肉がかよっている。
 ちぎれ飛ぶ生首は、人の感情に訴えかけてくる強力なサムシングを有している。


 それが破壊の原動力となり、マンガ表現自体を転がすエネルギーに見事に転換されているのだ。いわゆる、ハートを掴む、というヤツだ。にくいあんちくしょう、である。
 読み出したら止まらない。
 手に汗、握る。
 技術的側面から冷静に分析しても得られない、不可解で原始的生命力に直結するエネルギー。ダイナミックプロはおそらくそれを発見、生成することに成功したのだ。
 
 面白いマンガにそれはつきものじゃないですか、とあなたは言うだろう。
 それは事実だ。
 しかし生涯、ケン・イシカワほどの熱量を放ち続けた作家がどれほどいるだろうか?
 表現の真摯さにおいて、作品に篭められたエネルギー含有量に於いて、私は常に脱帽だ。
 諸君もそれに倣うことを希望するものである。

 『魔界転生』はいわゆる原作有りもので、映画にもなってるから、誰でも知ってるだろう。
 深作欣二の角川映画版('81)は、封切り当時、映画館で観た。
 千葉ちゃんのやたらギラギラした柳生十兵衛と、あと坊主にこねくり廻される白いおっぱいくらいしか印象に残っていないな。
 つまらん映画でしたよ(断言)。
 
で、正直舐めてたんだが、大学生になってから読んだ山田風太郎の原作小説は、凄かった。
 簡素かつ切れのいい文章の、たとえば風景描写とかまでが恐ろしく冴え渡っている。紀州の海岸の下りなんか、溢れる陽光に目が眩むし、波涛の飛沫が顔にかかる。
 魔界の剣士に追撃され、柳生の里へ逃げ帰る娘達の場面も印象深いし、なにより決闘シーンのひとつひとつに見事なアイディアと工夫が凝らされ、これはとんでもない力量だな、と滅多に時代小説など読まない門外漢も感服のできばえ。
 最後の、武蔵との決闘なんか本当凄いですよー。
 クライマックス、天守閣を目前にハリウッド映画並のスペクタクルを見せてくれる前作『柳生忍法帖』も凄過ぎる(読んだ人以外意味解らんだろうが、坊主どもの自己犠牲が凄い。)出来だが、ま、いくらなんでも、こんな大メジャー作品なんざ、当然読んでるでしょ。
 な、スズキ?
 (入門編として『甲賀忍法帖』を渡して数ヶ月、いまだにリアクションがない。)

 さてさて、ケン・イシカワも豪ちゃんも風太郎のファンなのは当然として、忍法帖をモロパクした恥知らずな白土三平に比べて(風太郎先生はお怒りだったという事実をマンガ界は記憶しておくように)、豪快極まるオリジナル技が繰り出される『魔界転生』の方が風太郎イズムの正統な後継であり、作品としての価値が高いのは当然の話だ。
 どういう技かって?
 要は、有名剣豪をズラリと揃えた只でさえ強い敵が、『遊星からの物体X』みたいなモンスターと化して襲ってくる!しかも、グチャグチャ度十割り増し!
 とにかく、斬られても、撃たれても死なないんだ。こいつらは。このしぶとさは、殆ど感動的だ。
 それを迎え撃つ十兵衛も、当時の科学水準を軽く無視した装甲に鉄砲で対抗!
 反則というか、もう、掟無用の面白さ。
 
しかしね、ひさびさに、鼻から上の頭部を吹っ飛ばされ、そこからメキメキとロブ・ボッティン張りの鉤爪を無数に生やして襲って来る荒木又衛門を見ながら、感慨深いものはありましたねー。
 こういう描写って現在じゃ、2次元エロの触手ぐらいにしか利用されてないんだよ。
 実に勿体ない。
 あの密度を維持する体力がある人、誰か拾ってくれませんかね。

 あ、最後に念のため。
 この作品は、入り口だけ原作小説と一緒で、後はどんどん逸脱していくから。
 「最終的に十兵衛まで魔界転生を果たしてしまう」、
 
と云えばその自由度もお判り頂けるんじゃないか。

 ケンちゃんのオリジナルですよ、これは。
 お間違えなく。

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2010年4月17日 (土)

浜慎二『闇に光る幼女の目』 ('83、ひばり書房)

 「・・・なんだね、これは?」

 古本屋のおやじは、買ったばかりのアサヒ芸能を机の上に放り投げた。
 季節外れの冷たい風が、硝子引き戸を揺らしている。
 か細い雨が窓を濡らし、今日は客足もさっぱりだ。

 「“スズキくん、自作パソコンを売った金で豪遊!”・・・結構なご身分じゃないか?エエ?」

 「面目次第もございません。」
 
 派手な見出しに、サウナでドンペリを飲む自分の写真を見ながら、古本好きの好青年、スズキくんは素直に頭を掻いた。
 豪遊後、すっかりおけらになったので、簀巻きに裸足のオモライくんスタイルである。

 「自宅で不要になったパソコンの一台を、知人に売った。そこまではいい。なんできみの家に、パソコンばかりが五台もあるのか、常連読者は気になるだろうが、私は詮索しない。
 誰にでも、あやまちはある。
 問題は、パソコンを売ったあとの金の使い道だ。
 まったく、浜慎二先生の著作が何冊押さえられると思ってるんだ?へたすりゃ、全部だぞ。」

 「そんなバカな!そんなに阿漕な値段設定はしてません!それに、浜先生でも、『SF怪奇入門』とか、お高めのやつはありますよ!」

 「それは年代だろ。同時代の人気作家に比べりゃ、安い方だ。」
 おやじは、背後の本棚から一冊の本を抜き出した。
 
 「ああッ!!それは------.。あの、伝説の怪奇作家と呼ばれる、浜慎二の傑作短編集------!!」

 「『闇に光る幼女の目』!!」

 「分割セリフ・・・オマエは、藤子Aか?!」
 おやじは、あきれたように突っ込みつつ、ペラペラ頁を捲る。
 「そこまで驚くほど、レアな物件じゃないよ。
 実際、ひばりの他の作家に比較して、浜先生の人気はいまひとつなんだ。なぜだろう?」

 「ボク、結構好きですよ。完成度高いですし、絵も話もちゃんとしてます。」

 「そりゃ、他の比較対象が、どうにもアレな場合が多すぎるからな!!ゲヘヘヘ~。」

 「ゲヘヘヘ~。」

 二名は、魔道に踏み込んだ人間特有の、嫌な笑い方をした。

 「浜先生は『マンガを描こう』('76)なんて著作もあるくらいで、筋の通った、立派な方ですよ。しかし、寺田ヒロオなんかもそうですが、なぜ教育者タイプで、リーダーシップを発揮するマンガ家さんって、いまいち実作品が地味なんですかね?」

 「本人が立派な人なら、マンガまで立派である必要がないからだろう。
 キミのように、若いうちから人格が破綻してないってことだ。」

 「人をエヴァゲリみたいに言わないで下さい。ボクは、アレ、大嫌いなんです。」

 「正常な人の意見だね。
 ・・・ところで、浜先生の最大の特徴としては、幽霊に全部説明がつく、出現にすべて動機がある、ということなんだが。
 この点については、どう考えるね?元怪奇探偵、現役オケラ人間のスズキくん?」

 「むむ・・・表題作『闇に光る幼女の目』を例にとりましょうか。

 これは暴走族ドクロエンゼルズの若いニィちゃんが、深夜の路上で遭遇した、パンタロンを履いた少女の霊との交遊録です。
 少女の霊を撥ね損ねて、転倒したタケシは、族の集会に欠席してしまいます。
 しかし、あぁ、なんという偶然でしょう!
 その日は神奈川県警の手入れがあり、仲間はボコボコにされて散々な目にあいます。
 撥ねた少女を自宅のアパートに連れ帰り、寝かせていた丁寧過ぎる性格のタケシは、話のついでに仲間に少女を見せようとして、奥の三畳間を開ける。すると、少女の姿は・・・。」

 「・・・白骨死体化していた!!
 もしくは、血まみれゾンビと化して襲ってきた、かな?」

 「そういう派手な展開は一切なくて、蒲団の脇に立って、ポカンと目を見開いていやがるだけでした。」

 「だんだん、浜先生があなどられる理由がわかってきたぞ、負け犬くん。」

 「ククッ・・・ま、コイツ、確かに幽霊には違いないんですが、いかんせん、行動が人間界の常識の範疇を出ないんです。
 その後も、アパートのボヤを事前に察知したり、対立する族二名との、角材での殴り合いに超能力で味方したり、なにかと細かいお世話をする少女。
 こりゃ、下のお世話も・・・と思ったら、さすがにソッチ方面には話がまったく進展しませんでした。」

 「宮×駿なら、確実にもう、ヤッてるね。」

 「タケシには、郷里に同じような年頃の難病の妹がいて、最後、少女の犠牲で妹の目の病気が完治する、という美談風のオチでした。」

 「・・・むむッ・・・つ、つまらん。」

 「ね?ね?・・・そういうことです。
 極端さや破壊力を求めて、ジャンルマンガを漁る読者には、ちょっと、パンチが足りないんですよ。でも、良心的な作家性の持ち主という考え方もできますが。」

 「普通にいい話なんだよね。
 この本に同時収録の『魔首』なんか、兄の復讐の怨念が弟の遺体に乗り移り、宿敵の首をもいで廻る、イイ感じに無茶な前半部なんだが、最後に残った黒幕の社長に手を掛けようとして、社長の娘の可憐さに負けて、復讐をやめて成仏してしまう、というガッカリなオチでした。」

 「読みたいのは、ソコじゃないんだ!ってことだね。結局。
 指圧に行って、間違ったツボを押されまくってる感じ。」

 「しかし、われわれはエクストリームかつブルータルな残虐表現を賞賛する前に、こういうごくごく普通の心霊描写に魂を洗われてみる必要があるのではないでしょうか?
 世界中の作家が、川島のりかずみたいだったら、のりかずの記事はあんなに長くなりませんよ!」

 「ふぅむ、なるほど、バランスの問題か。検討の余地があるかな・・・。」

 「ところで。」
 オケラルックのスズキくんが、ギラリ光る目を剥いた。
 「次は、コッチを議論の俎上に載せましょうか。」

 買ってきた週刊ポスト最新号を、机の上に放り投げた。
 巻頭グラビアのページだ。キャプションにこう、ある。

 「限界ギリギリショット!
 おやじ、衝撃のセミヌード!!」


 スズキくんは机をバシッと叩いた。

 「なぜに??・・・しかも、中途半端に、セミヌード?!海パンじゃん!!」
  

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2010年4月14日 (水)

朝倉世界一『月は何でも知っているかも』 ('08、エンターブレイン)

 朝倉世界一について言及するなら、まず取り上げるべきは、傑作『アポロ』である。
 『アポロ』をお読みなさい。
 話はそれからだ。

 でも、この長編については、いしかわじゅん先生もかのロングセラー『漫画の時間』で取り上げているから、既にお読みの方も多いと思う。
 (そう、希望する。)
 そういう皆さんのご好意に甘えて、さっさと話を先に進めることにする。

 まず、述べるべきは、その絵だ。 
 朝倉先生の絵のよろしいところは、無用な力みが一切無いところである。
 ぜんぜん偉そうに見えない。
 自然体でペンが走っているので、仕上がりが美しい。
 
 この方面の巨匠に、高野文子という名人がいるが、実はフォルムに対し異様に集中する高野先生に比べると、朝倉先生の絵は自由度が高い。
 自由、気ままというのは、実は、脱力度が高いということだ。
 
 適度に気が抜ける。

 そこに朝倉先生独自の魅力があるように思う。
 あれは江口寿史編集の『COMIC CUE』だったか、朝倉先生が赤塚の『天才バカボン』のカバーをカラー4ページくらいで発表していて、アレは面白かった。
 お馴染みのキャラクターをまんま描いてるだけなのに、もう、線に対する考え方が大人と子供ぐらい違う。
 私は単純な優劣を比較したい訳じゃなくて、そういうものなのだ。
 見慣れたものを独自に描ける、というのは、立派な才能なのである。
 しかも、朝倉の使った造形は、原作のまんまだ。おやじはハチマキ締めてるし、バカボンの頬っぺにはうずまき模様がある。
 展開されるネタも、いくぶんシンプル化されているとはいえ、原作を踏襲している。
 なのに、これは歴然と別モノなのだ。
 差異はどこに生まれたか。色鉛筆か、クーピーペンシルらしき温かいカラーもさることながら、その線自体にあるとしか思えない。

 適度に緩い。
 求心的に、閉じることがない。
 不安定さを恐れていない。
 その態度が、心地よさを生む。

 初期の掌編集『幸福の毛』に、「青空をスコップですくって、ぷるんとゼリー状に切り取り、持ち帰る少年」のエピソードがあったが、まぁ、そんな感じの気持ちよさだ。
 朝倉先生の線の魅力を活かすには、制約の多い4コマより、短くてもストーリーマンガ的なものの方が適していると思うのだが、そう考えない編集者もいるようで、『山田タコ丸くん』『フランケンこわい城』など、巻数の3冊程度あるものは皆、4コマ連載だったりする。

 だから、『タコ丸くん』三巻目の頃、双葉社が企画した「朝倉世界一フェア」で店頭に並んだ『アポロ』を見て、驚愕したのは、今となっては懐かしい記憶になってしまった。
 (その後、再編集で話を足して復刊されたバージョンでは新たなカバーがついていたが、機会があればオリジナル版のカバー絵をよく見て頂きたい。細かなところまで、風通しのいい町並みが描かれ、たいへん洒落た出来栄えである。)
 『アポロ』は、最終話、突如ゴダール『勝手にしやがれ』の引用が出てきたり、なんとなしに『鉄腕アトム』を連想させたりで、深読みしようと思えばいろいろ出来るのに、誰も大声で語らない、とんでもない終わり方をするのであるが、
 ま、面倒な話は、今日のところはいいや。またの機会にしよう。

 『月は何でも知っているかも』は、お馴染み浜村編集長のエンターブレインから出た作品集で、比較的ページに余裕のある短編が四本入っている。
 どれもすごく気持ちいい仕上がりですが、鑑賞ポイントとして、ドクロやガイコツとか、おどろおどろしいものを描かせると、朝倉先生の線が持つ魅力は際立つようだ。
 ひばり書房読者は、「こんな化け猫モノもあったのか。」と感心すると思うので、「ニャンダフル」をお勧め。(しかし、最低のタイトルだな・・・。)
 屍兄弟とか、人面瘡とか、短いくせにネタ豊富。内容は、まんま貸本なんですが。ぜんぜん違う。
 そういや、「地獄のサラミちゃん」も閻魔大王の娘が主人公というコテコテの設定だったわな。
 バイクの描きかたがすごくキモチいい「ターナーさん ありがとう」は、「ぷらっと宇宙に行ければいいのに」の台詞が泣かせる。月面に温泉があって、おみやげを買って帰るあたり、最高です。

 ま、理屈はいいや。読んでくれよ。頼むよ。
 周りに誰も読んだヤツがいないんだよ。
 なぜか。

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2010年4月11日 (日)

貼り付けテスト『B.K.Z.』ニューヨーク崩壊編

Ebi

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アス・メルセナリアス『ザ・ビギニング・オブ・ザ・エンド・オブ・ザ・ワールド』 ('82-'88、ブラジル)

 さぁ、これは穴埋め記事だぞ。

 一体何を書け、というんだ?
 まったく知りもしないバンドのCDを買ってきて、PCで適当に再生し、流し聴きした上で、さぁ、ご感想は、って云われて?
 まず、申し上げたいのが、これがそう悪くない内容だってことだ。
 表題にも記入したが、これはブラジルのガールズパンクバンド。ドラムなんか、結構うまい。やはり打楽器は得意か、ブラジル人。
 ギターも悪くないが、金属度にちょっと欠けるかな。ま、それほど工業化が進んでいないってことだろ。オーガニックでよし、とする。
 一曲一曲の収録時間も短くていい。だいたい、一分から二分。十六曲も収録されているのに、三十分ちょっとで聴ける。時間の無い現代人には、有り難い配慮である。
 大半が高速で演奏され、合間にダルな曲が箸休め的に配置されている点も定石どおりだ。

 最近、私がパンクをよく聴いているのは、あんまり真剣に聴いてなかったからだ。
 それで、ディスチャージ、クラスあたりから始めて、ここまで来ましたがな。
 
 春は酔っ払いが多くて、嫌だ。
 

 話を戻す。
 問題は、これが全編ブラジル語で歌唱されていることかな。
 なにを歌っているのか、まったく予想もつかない。
 だが、彼女たちの熱の入れようからして、デートの予定や、サクラがどうこうでは決してない筈だ。
 深刻な社会問題、飢餓や雇用の不安、軍事問題やなんかを歌っているんではないかと勝手に推測してみる。

 オッケー、だんだん好きになってきたぞ。
 もう一度、聴いてみようか。

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2010年4月10日 (土)

諸星大二郎『栞と紙魚子の殺戮詩集』 ('00、朝日ソノラマ)

 「絶対取りあげて下さい。いいですね。」
 
 スズキくんは息せき切って詰め寄った。
 古本屋のおやじは、ちょっと当惑したように応える。

 「さすがにテンション高いね。しかし、何分、ロングランのシリーズだからなぁー。二年とか、三年で単行本一冊ってペースだよ。」
 おやじは読んでいた川崎三枝子を置くと、お茶をゴクリと飲んだ。

 「最初の『栞と紙魚子の生首事件』が出たのが'96年か。ま、私はリアルタイムで最初っからの読者だがね。
 
どれもレベル高くて、異常に面白いが、注意しなくてはいかんのは、これは連続物なんだ。
 途中の巻から読んでも意味、わからんぞ。
 悪いことは云わないから、最初から順に読んでくれ。きみのように、5、6巻から入ろうとするのは明らかに邪道だ。設定とキャラが出来上がっているので、説明抜きで異常事態が進行してしまうからな!
 で、ようやく全巻読んだきみが興奮するのも一応理解できるが、なんか今更な感じはあるなぁー。
 ちょっと前だが、AKBの出てるTVドラマ版も放映されちゃったしなぁー。プチメジャーの資格充分だよ。」

 激しくかぶりを振るスズキくん。

 「ノン、ノン、ノン!!
 諸星先生のマンガは、基本、映像化できないです。
 あの微妙なテイストが再現できる筈がない。必ず別物になってしまう。それはね、諸星先生の作品がマンガそのものの面白さに立脚しているからなんです。
 まして、AKB主演ですよ!
 だいたい、マスター、TVも持ってない貧乏人のくせにAKBが何だか解るんですか?」

 「ん・・・そりゃ、知ってるよー。女の子が何人もいるグループだろー。
 メンバーは、山中カンナ、斉藤あかめ、苫小牧ケメ子・・・。」

 「そう、そう、そんな感じです。
 
あのTV版は、月曜ドラマランドだと思えば納得がいきます。」

 「・・・オマエ、いくつだよ?」

 「ともかく、記事に取りあげて貰えるまで、ボクは梃子でも動きませんよ!!」

 慌てたように、おやじが袖を引く。

 「しかし、きみ、ここは往来だぜ。」

 気がつくと、ふたりは寂しい住宅地の路地に立っていた。陰鬱に曇る薄暗い空に、ちょっと古めかしい造りの家々が建ち並ぶ。生垣が目立つ。流行の幾何学の課題みたいな、安手なマンションなど殆ど無く、緑が多めの、どこか当世風でない雰囲気だ。
 
 「ひょっとして、これが・・・。」

 「うん、大胆かつ安易な場面の転換だが、これが胃の頭町じゃないかな。
 おうぃ、そこの人。」

 わさわさと頭に触手を生やした人が振り返る。首輪をはめた、でかいウミウシのような生き物を散歩させているところだ。

 「このへんって、ゼノ奥さんの家の近所ですか?」

 「誰だにゃー、そりゃー?」
 相手は奇妙な声で喋った。伝声管を叩いて反響させたような声だ。
 「あにいうだね、こいつ。だみだ、オマエは。だみだ、だみだ、だみだ。」

 あっちへ行ってしまった。

 おやじは、我が意を得たりと頷く。
 「目的地はだいぶ近いようだな。少なくとも、夜の魚が棲息する地帯よりは、現実に近い。希望を持て、スズキくん。ゴールは目の前だぞ。」

 「おっしゃる意味が解りません。
 栞と紙魚子の解説をもう少し、続けさせて貰います。
 これは、胃の頭町に住む女子高生、栞と紙魚子のちょっと変わった日常生活を描く連作シリーズです。
 題材は殺人や妖怪、臨死体験、オカルトとか、人肉食など血腥いものが揃っているのですが、なぜかきつい方向へ進みません。奇妙な笑いの方へずれ込んでいく感じです。
 残虐かつマニアックで、一般受けは厳しいネタを連発していた諸星先生が、その毒性を上手く昇華して、ポピュラリティーを獲得した、一種の作家的成熟を示す黄金の作品集です。
 とりあえず、ボクの今年読んだマンガのベストワンです。」

 「早いよ!まだ四月だぞ!」

 向こうから、自転車に乗った女子高生がやって来た。ふたり乗りで、ロングヘアーの娘がペダルを漕ぎ、おさげでメガネの娘が後ろに乗っている。

 「あッ、ほら、噂をすれば出たぞ、出た出た。」
 人を妖怪みたいに言う。
 「お嬢さんがた、ちょっと待って。お名前は?」

 「あたし、囲炉裏。」
 ボケーッとした長い髪の少女が名乗る。
 「私は、注連縄子。」
 メガネの娘はきつい近眼らしく、過度に顔を近づけて云った。歯茎に詰まった滓だろう、レバニラがプーンと匂った。

 「ちょっと、違うんだなぁー。」

 自転車を見送って、おやじが溜息をつく。

 「人間以外のキャラクター、妖怪とかクトゥルー神なんかも平然と登場する。いわば諸星版の『うる星やつら』ですね。(あぁ、そういえばあの主人公、元々諸星先生の名前に因むんでしたね。)
 現代の、普通の町が舞台なのに、日常とはちょっと違う。おかしな店、おかしな神社、ホラー映画を撮る高校の部活。」
 
 解説を続けるスズキくんを遮って、おやじ、
 「あ、その件、ぜひ云わせて!
 あの高校生、洞野くんの撮っている映画なんだが、AIPの『原子怪獣と裸女』とか、『金星人地球を征服』とか、往年のアメリカB級ホラーネタばっかしなんだよ。大伴昌司的なね。
 『西遊妖猿伝』がたまにハリウッドアクションしてたり、マカロニウェスタン的(黄風大王との決戦なんかもろだね)だったりして、諸星先生と映画の関係ってずっと気になってるんだ。
 頼む、誰か聞いてきてくれ!」

 「あんた、やんなさいよ。他力本願が社会をここまで堕落させたんじゃないですか。」

 「・・・スズキ、今日なんかキャラ、違う。」

 道端の草むらに巨大なガスタンクが転がされ、毟り取られたコンクリートの壁が天板のように載っかっている。にわか作りの祭壇のようだ。曇天の空からは雷鳴が聞え、いまにも太古の邪悪な魔神が降臨して来そうだ。
 傍らに荒れ果てた長屋みたいな家があって、いっぱいに吊るされた洗濯物の合間から巨大な、青白い女の人の顔が出たり、入ったりしている。
 
 逃げ出したトーガを纏った三人組を尻目に、そこを通り過ぎると、果てしなく急勾配が続く坂道が見えた。途中にケーキ屋が一軒、看板を掲げて店を開いている。
 おやじがすかさず注意する。

 「坂の終点を見るなよ。あっちは、地獄だぞ。」

 「ええ。タンクローリーの亡霊に追いかけられますからね。ユニコーンが角を研いでいたのは、この辺りですか?」
 「あぁ、青い馬だね。独立した短編で、『ユニコーン狩り』ってのがあってさ、区別が曖昧になってる。今年初めて見るユニコーン・・・、って名調子さ。」
 
 胃の頭高校の前を過ぎ、股毛神社でお札を貰い、胃の頭公園を突っ切ってふたりは歩き続けた。

 「・・・どこへ向かってるんですか?」

 「われわれにとっての最大級の悪夢だよ。・・・ホラ、着いたぞ。」

 路地はそこで終点だった。
 ふたりは、恐る恐る辿り着いた場所で顔を見上げた。
 そこにあるのは、一見単なる二階建てのあばら家だったが、内部は無数の回廊が入り組んで迷宮を形成している。その壁から天井までうず高く積み上げられているのは、本、本、本、また本の山だった!
 どれも黄ばんで小汚い、廉価本のワゴンに載っていそうな、文庫から図鑑、専門書に娯楽、ミステリー。あらゆるジャンルの雑多な本の集積物。それらが床も埋めんと溢れ出し、一冊抜くと回廊自体が崩壊しかねない密度で折り重なっている。

 「古本地獄屋敷!!迷い込んだ古本マニアは二度と抜け出せず、幽鬼となって彷徨うという・・・。」
 「そう、ここになら、間違いなく『中学生殺人事件』だってあるだろうさ!」

 「それも、百円でね!!」

 迷い込んだ二名のマニアは、嬉々として魑魅魍魎の地獄の底へと堕ちていった。

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2010年4月 7日 (水)

「犬のお告げ」(『ブラウン神父の不信』所収、'26、英)

 慎重に記述を進めなくてはならない。チェスタトンはまたしても我々を煙に捲くつもりなのだ。犯人とトリックは、それが充分機能する楽しいものだったとしても、この場合は重要ではない。跳梁する悪魔の正体は、おそらく脳の眠れる半球からやって来たのだ。

 『ブラウン神父の不信』は、信仰に関する物語である。
 密室殺人や、死からの蘇り。どう見ても奇跡としか思われない事件に神父が遭遇し、理性をもって謎を解き明かしていく。痛快譚だ。
 「神を信じなくなった現代の人間は」と、神父は断ずる。「たやすく、非現実を容認する神秘主義者になり変わってしまう。」
 そう、一見迷信深そうな、田舎っぽい神父が、実のところ、この物語に登場する誰よりも冷静で理性的な人物なのである。いかにもチェスタトンが好みそうな逆説だ。
 しかし、超人的な洞察力を持つ神父を“思考機械”のように冷徹無比なスーパーマンとして描くのではなく、丸顔で小柄な、愛嬌たっぷりの人物に設定したあたりが、捻りと真実味を与え、今日性を失わない理由のひとつとなっている。

 本当に神父は、偉そうな真似が大嫌いだ。
 『不信』の劈頭を飾る短編「ブラウン神父の復活」で、とある政治的陰謀により、大衆の面前で死からの蘇りを自ら実演する羽目になった神父は、奇跡を、ひいては自分を熱狂的に崇める信者達の姿を見て、逆にカンカンに怒り出す。

 「なんて、しょうのない人たちなんだ、ばかにもほどがある。」(中村保男訳)

 実際、「死」から蘇った神父が真っ先にしたことは、当地に奇跡の風聞があるがデタラメなり、と司教に電報を打つことだった。
 後に、あの情況でよく自制心を保てましたね、と質問されると、不思議そうに目をパチクリさせる。
 この純真さ。神父は、図抜けた真似など考え付きもしなかったのだ。

 あるいは続く「天の矢」。オベリスクを思わせる邸宅の頂上の密室で殺されたアメリカの億万長者。それに絡む古代の秘宝「コプトの杯」。
 だが、ここで重要なのはトリックではない(そんなのは『黄色い部屋』レベルのものだ)。
 動機と云う観点から見れば、単なる殺人が遠大な復讐劇に成り変る。道義的に違反しているのは、殺された男であり、犯人は周到に計画を進め、親の仇を討ったのだ。被害者と加害者が逆転してしまう倒置した構図。
 チェスタトンは痛烈な皮肉を込めて、聖杯の呪いという象徴的意味を剥ぎ取り、犯罪者の気楽な取り巻き連中を地獄に叩き込む。
 極めて単純な逆転であるだけ、攻撃は痛烈だ。ここで俎上に挙げられるのは、私刑を正当化する、植民地アメリカの倫理である。アメリカの正義は単純だ、とチェスタトンは云わんがばかりである。調子いいだけの単細胞に、いったい何が裁けるだろうか。
 
 「犯罪は罰せられるべきであり、個人には誰でもその権利がある。」
 彼等は裁判官気取りで、神父に宣言する。
 「われわれに犯人を引き渡して頂きたい。」
 神父の反論。
 「では、殺された億万長者が真に憎むべき犯罪者であり、過去にも殺人を犯している場合には?」
 「正義はどちらの側に正しく執行されたといえるのか?」
 正義の信奉者たちは沈黙せざるを得ない。彼等はかかる不名誉を受け取ることは出来ないのだ。

 さて、「犬のお告げ」は、真に動物愛護の精神に基づく物語である。
 飼い主の大佐があずま屋で刺殺された丁度同刻、飼い犬が悲しげに遠吠えをあげた。そして、容疑者と思しき男性を見つけた犬は、狂ったように吠え立てた。
 動物にも神秘的な直感って働くんですねぇ、私もあいつが犯人だと思うんです、と述懐する呑気な青年を、神父は一喝する。
 この下りは傾聴に値するので、引用しよう。

 「人が神を信じなくなると、その第一の影響として、常識をなくし、物事をあるがままに見ることができなくなる。
 人が話題に乗せ、これは一理も二理もあるともてはやすものはなんでもかんでも、まるで悪夢の景色のように際限なく伸びてゆき、犬が前兆となり、猫が神秘に、ぶたがマスコットに、かぶと虫がお守りになる。」
(前掲訳書より引用)
 
 あなたが犬を神秘の使いとして扱うのではなく、と神父は諭す。単なる動物としてその行動の意味を考えていたら、私と同じように真相に辿り着けていたでしょうに。
 しかし、この常識的な論理を取り巻く小説世界の風景は、極めて異常だ。
 殺人者の心理を後押しする奇岩『運命の岩』の姿は、不安定な人間の内面を具現化したオブジェのようだ。(ピラミッドを逆様にしたような岩が、高い台のような岩の上に危なっかしく乗っかっている。)こんな岩が広い庭の片隅にあるなんて、現実にはまず考えられないから、これはお膳立てされ、意図的に配置されたものなのだ。完璧な作り物だ。
 犯人かと疑われる黒い服の博士。(大佐の娘の婚約者で、外国人。)
 秘書の青年の赤い、燃えるような髪。(ホームズ気取りの侮蔑した態度で、警官に奇抜な、非実用的な推理を披露する。)
 そして、あずま屋に横たわる大佐の死体が着ている、白い服。赤い血。
 色に纏わる絵画的イメージ。それを喚起するに充分だが、さっぱり具体的なヴィジュアルは浮かんでこない。役者の顔が見えない。あくまでマンガ的表現に徹するイメージ。象徴性が服を着て歩いているみたいだ。
 着る、といえば、この小説のトリックは、大佐の着ている白い服に大きなヒントがあるのだが、まぁひとつ、これを映画化でもしてスクリーンにかけてごらんなさい。嘘臭くて、とても見れたもんじゃないだろうから。
 チェスタトンの生み出すトリックは、彼の小説の中のみで有効な、飛び道具のようなものである。悪魔的態度とは、このことだ。

 「ところで、じつを申せば、私はえらく犬が好きときている。」
 と、ブラウン神父は言う。

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2010年4月 5日 (月)

ウンベルSF解剖室①『光の王』 ('67、米)

 (真っ白い壁に囲まれた部屋。医療機器が並んでいる。)

 「・・・メス。」

 「はい。
 
 ・・・って、なんですか、このシチュエーションは?!」

 
スズキくんは部屋を見渡した。
 手術室のようだが、看護婦などの姿は見えない。
 代わりにホルマリン溶液の入ったビンが、大量に並んでいる。

 「気に入ったかね?」
 本日のウンベルは、医者の格好をしている。
 「医療ネタは以前もあったが、アレは悪かった。今回は騙し討ちしたりしないから、安心したまえ。」

 スズキくん、当惑しながら、
 「ちょっと、どうなってるんですか?
 だいたい、あんた、最近ろくすっぽ活字なんか読んでない筈じゃ・・・オワワッ!!」

 手術台の上に載っていたモノが、ふいに動いたのだ。

 「・・・あぁ、それ、オバンバ。よろしくね。」

 「これがですか・・・。」

 スズキくんが気味悪げに見やると、全身ミイラ化した老婆が、まだ残っている歯を剥き出しにして、キーキー耳障りな叫び声を上げた。
 皮膚は薄気味悪い緑いろだ。黄色のざんばら髪がほつれて肩まで垂れている。
 腰の辺りで胴体が千切れ、上半身だけ残る無惨な姿。
 それでも身体を固定しているベルトを、なんとか引き千切ろうと暴れ回る。

 「なにせ、ホラ、このタイプのゾンビは斬っても叩いても焼いても死なないだろ。
 わしなんか、捕獲するとき、指噛み切られちゃって、もう大変!ほら。」

 ウンベル、右手の人差し指が無くなっている。

 「本日は、腹いせにコイツを解剖してやろうと思うんだ。手伝ってくれんか。
 あとで、飴あげるから。」


 「飴ですか?・・・ま、いいですけど、事前に通告させて下さい。
 オチで葛城ユキの『バタリアン』とか云うのは、禁止ですよ!」

 (歌う。)「♪バタリア~ン~~♪」

 「言うとるやないかい!!思い切り、言うとるやないかい!!」

 オーバーアクションで、メガネをずらし過剰に突っ込むスズキくん。
 ウンベル、オバンバ、ちょっと当惑気味に眺めて、評定。

 (小声で)
 「・・・なんかキャラ変わった。横山やっさんかと思ったぞ。」
 「でも、ちょっと積極的でいいかも。あたし、支持派。」

 スズキくん、無言で鉗子を取りあげ、オバンバの胸部に開いた大穴に、無造作に突っ込む。

 「オゲゲェェェーーーッ!!!」

 あがる悲鳴を無視して、グィグィ手術創を拡張しながら、
 
 「それでは、コイツの胃の内容物を取り出し、分析する。
 解剖の手順は、これで間違ってないですね?!」

 迫力に押され、慌てて頷くウンベルに顎をしゃくると、銀の受け皿が差し出された。
 鑷子を操り、スズキくんが素早く獲物を摘出する。
 
 「これは・・・!」

 「ロジャー・ゼラズニィ『光の王』ですね。」

 ハヤカワ書房の海外SFノベルズ版、黄色いカバーに野中昇のイラストが渋い。
 思わず、腕組みをして唸るウンベルに、スズキくんが呟く。

 「なんでこんなものが・・・。」

 「これは、私が小学生の頃、最初に買ったハードカバー本なんだよ。定価千二百円。こういうのが新刊本で出ていたんだから、いい時代だったよなぁー。」

 「ウーーーム、今回は懐かしネタで来ましたか。
 ちなみに、どんなお話なんですか?」

 「地球を遠く離れた植民惑星。移住した人類は、インド神話をそのまま模したカースト社会を築き上げていた!
 早い話、権力者達は全員、インドの神々のコスプレをしてるの!
 シヴァとか、アグニとか本当に存在する訳だ。アグニなんか、火炎を吐く二輪馬車に乗り天空を駆け回り、月の表面を焦がしたりする!
 惑星の先住民族なんか、羅刹呼ばわりね。しかも、民衆を救済しようとする主人公は、ブッダ。涅槃から帰還したという無茶な設定。なぜか、キリスト入ってます。
 これが単なるファンタジーじゃなくて、無理やりでも科学的、というかSF的説明が付いているのが、強引でも楽しくてなぁー。」

 「・・・あの、ひとつ質問していいですか?
 その惑星の人々なんですが、なんで、インド神話の神々を演じる必要があるんですか?」

 「・・・ない。
 そんな面倒をやる必然性は、まったくないんだよ!そこがいいじゃない?」

 「みうらじゅんですか。お話だけなら、現代のファンタジー、R.P.G.系にざらに在りそうな感じですが・・・。」

 「あんなのは、ダメ!!ダメ!!」
 
 ウンベル、大げさな身振りで全力で否定する。

 「奴らには、苦労ってもんが解ってない。
 他人の築き上げた、おいしい土俵の上で手前勝手に相撲を取ろうって連中は、全員人間の屑ですよ。朝×龍ですよ!」


 「うわー。」

 「ゼラズニィってのはね、カッコだけの作家ですよ。はっきり云いますけど、内容はたいしたことないんだよ。
 デビュー作の『我が名はコンラッド』が、核戦争後の地球がギリシャ神話を再現したみたいな世界になってる、ってアイディアで当たったもんで、その二番煎じでインド神話を利用しました、だってヒッピーだし、ってことなんですよ。 
 その性も無さに、愛着を持とうよ!」
  (注釈)前記「ヒッピー」なる記述は誤り、作品の発表された1967年はいわゆるサマー・オブ・ラブの真っ只中である。ここは、職業作家として一本立ちしようとしていた修士号も持ってるインテリが、「インドで一発」を狙った(そして見事成功を納めた)、若者エクスプロイテーションの一環とみて間違いない。

 「むー。力説されても。ボクは海外、弱いですから・・・。
 ・・・しかし、なんで唐突にこんな古いネタを引っ張り出してきたんですか?」

 「この本が近所の古本屋の軒先に、定価百五円(税込)で吊るされてたの!
 アーサー・C・クラークの『地球帝国』も、百円だったぞ!
 日本は一体どうなってるんだ?!」

 「さァ、ボクの口からなんとも云えませんが。
 元永井豪コレクターの立場からしますと、地獄地震以降の関東平野に似てきているかな、と・・・。」

 オバンバが悲痛な声で、泣き喚いた。
 話の展開上、無視される格好になったのが無念のようだ。
 確かに、内臓までさらけ出した姿で放置されるのだから、死んでも死に切れないだろう。

 「それじゃ、執刀を続けます。」
 
 (スズキくんは、再び、不慣れなメスを握った。額から汗が滴る。)

 (つづく。)
  

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2010年4月 3日 (土)

『昆虫怪獣の襲来』 ('58、米)

 真空の大宇宙。

 目には見えないが、無数の放射線が飛び交う、危険な世界だ。
 その中には、ひょっとしたら、人類に甚大な被害をもたらす種類のものも含まれているかも知れない・・・・・・。

 『ヒューストンより、D。定時通信。元気か?』
 
 宇宙ヘルメットの男が、ゆっくり返事をした。息が弾んでいる。
 「あぁ、現在、青竹、踏んでるから。」
 『・・・踏んでるのか?』
 「火星の駅前のスーパーで、安く売ってたんだ。また、かみさんに怒られちまうナ。」
 
 太陽空電によるノイズ。
 あるいは、遥かヒューストンからの罵り声だった可能性もある。

 『・・・まぁ、いい。
 のろけは、へび座方向1500光年彼方の木星型惑星でやってくれ。
 それよか、実は、今日酷い映画を観たんだ。話を聞いてくれないか。代わりに伝授していいから。』

 「Dより、ヒューストン。なんだ、その交換条件は?しかし、お前、碌でもない映画ばかり、好んで観るな。」
 それは事実だ。言い返せない。
 なにしろ、この映画には、D、お前自身が出演しているんだからな!』

 宇宙服の人影は、カメラの前で必死に手を動かす。

 「ヒューストンへ。そりゃ誤解だ。
 いくら俺が人並み外れた巨根の持ち主だからといって、AVには出演していないよ。
 ありゃ、別人だ!」

 『ヒューストンより、D。お前は金の為なら、なんでもやるんだな!』

 「うわーーーッ!!なぜ、信じない。なぜ、信じてくれないんだ!!!」
 突然カメラに向かい、宇宙船内の機材を投げつけ始めた。
 生命維持装置が破壊され、苦労して集めた貴重な標本類がどんどん失われていく。国家予算規模を費やして建造された、現代科学の結晶がいま、崩壊の危機に瀕しているのだ。
 慌てた声が、スピーカーから割って入る。

 『どうしたんだ、D?酸素タンクを投げるのはやめるんだ。
 確かに、昆虫怪獣役が辛すぎる想い出だとは、理解できるが・・・。』

 「こ、昆虫?!・・・昆虫怪獣、だと・・・?!」

 過剰な攻撃を繰り返していたDの動きが、ピタリと停止した。
 頭上に振り上げた航宙儀を、ゆっくりと床に下ろす。

 「Dより、ヒューストン。・・・いったい、どの映画で俺を見たんだ?」

 『ヒューストンより、D。古い、モノクロのアメリカ映画だ。
 ストックフィルムの正しい使い方、そのお手本みたいな映画だ。
 物語は、西部のロケット基地から始まる。ウェスタン的オープニングだな。西部らしさをアピールする為、グランド・メサの横に原子力発電所の書き割りを貼り付けてある。』
 「わざとらしい組み合わせだな。反原発の連中が喜びそうだ。」
 『基地では、ロケットに実験動物を積んで打ち上げて、宇宙線に晒しどう変化するか、調べる、どうでもいいような研究をやっている。』
 「今なら動物愛護団体から即クレームが入りそうだな。
 ま、人類の進歩に動物の残酷死は欠かせないものだからな!
 プードルでも積んで、打ち上げてやれ!」


 『ヒューストンより、D。・・・嫌いか、プードル?』
 「向かいのアパートのババァが、飼ってるんだ。俺を見つけると、キャンキャン吠え立てやがる。」
 『確かにお前は、犬に吠えられやすい顔してるからな。
 世論調査をしたところ、プードルの勝ちでした。』
 「そうなのか?!」
 
 『それで、話を続けるが、ある日偶然の事故が起こり、スズメバチを乗せて実験に使っていたロケットが一機、アフリカの奥地に墜落するんだ。
 放射線で変化した動物が、人間に危害を及ぼす可能性がある。
 慌てた博士と助手が、現地へ回収に出発する。』

 「ほぅ、アフリカ・ロケか。低予算のドライブイン映画で、よく実現したな。」
 『いや、Vシネの東南アジアロケより、金がかかっていないよ。版権フリーの過去のフィルムから、勝手に抜き出して使っているんだ。
 この映画の迫力あるシーンは、みんな他所様の撮影。本編は、どっかの国立公園で撮影されたものだ。』
 「公園か。そりゃいい。
 俺の青姦シーンも、どっかの児童公園で無許可撮影されたものだ。って、何を言わせるんだ!!」
 『ヒューストンより、D。喋って楽になりたいか?
 で、アフリカに行くと、シュヴァイツァー先生みたいな医者と、その娘がお出迎え。
 この娘がおかしな奴で、理解に苦しむ行動しかとらない。主人公達が到着すると、父親は出かけていて、そこへハナ肇みたいな顔の黒人が入ってきて、
 「博士は死にマシタ。蜂に刺されて死にマシタ。」
 とかいうんだが、知らせを聞いた娘、いきなり初対面の主人公に抱きついて、泣きじゃくる。
 明らかに、不自然過ぎる行動だ。
 ハナ肇も、ちょっと引いている。 
 NASAのマシンで素粒子単位まで遡って解析してみたが、これは“お願い、あたしをイカせて!”というサインだと結論が出た。』
 
 「国家権力をエロネタに使うんじゃない!!」
 
 『博士の遺体から検出された毒針のサイズから、刺したスズメバチは、小山(!)ほどもあるキングサイズだと推測される。
 いいか、子牛じゃなくて、小山だからな!
 さっそく、一行は手榴弾を何発もぶら下げて、蜂退治に出発する。』
 
 「よく出発ばかりする映画だな。」
 『でも、発射シーンはロケットだけだったよ。』
 「当たり前だ!
 ・・・Dより、ヒューストンへ。それにしても、一体いつ、俺が登場するんだ?」
 
 『まぁ、そう急くな。
 途中、土人の襲撃に遭遇し、人足どもは荷物を放り出し、自分の村に帰ってしまう。ジャングル映画にお決まりのパターンだ。
 残ったメンバーで焚き火を囲んでUNOとかやっていると、不快な金属音が真っ暗い森に木霊する。緊張感に顔を見合わせる主人公達。
 その時、やりたい女は、またしても男にしがみついている。』
 「・・・ヒューストン。いい加減、その女に注目するのは勘弁してやれ。どうせ、本筋とは一切関係ないんだろ。」
 『ヒューストンより、D。またしても、正解。賢くなったな。
 しかし、一行には他にも、脂ぎった口ひげの中年男とか、気前良く金貸してくれそうな黒人とかいるんだぞ。
 なんで、一番若くてハンサムな男のところへ行くかね?』

 「Dよりヒューストン。
 世の中、そういうもんなんだよ、トシ。」

 『で、そこへジャングルの藪を掻き分けて、突然ヌ-ッと顔を出すのが、D、お前だ。』
 「・・・俺か?」
 『昆虫怪獣のモデルは、実物大のを実際に製作したようだ。
 頭部だけだが、牛一頭分くらいあるぞ。とにかく、意味なくでかい。
 そして、巨大な複眼、面長でひらべったい顔、そして鼻腔から直撃で突き出す、針金の束のような無数の鼻毛!!」
 「・・・あ・・・。」
 『モンスター製作は、ポール・ブレイズデルってコーマン映画なんかでもお馴染みの名物男が手掛けてるんだが、お前をモデルにデザイン画を描いたとしか思えないのだ。
 だって、あんた、学生時代のあだ名が、鼻毛番長じゃん!!』
 「・・・うぅッ・・・。」
 『DVDのパッケージ裏に写真あるから、各自確認しておくように。』
 「・・・お前、誰に念を押している?」

 突然、警報が鳴り出した。
 真っ赤なシグナルが閃き、宇宙線の壁際でグルグル廻る。

 『非常事態発生!ヒューストンより、Dへ。なにか異常な物体が接近中!』
 「・・・なんだ?」
 『質量は本船の数十倍ぐらいあるな。衝突コースだ。
 馬鹿話してて、見落としてたわ。』
 「ちゃんと仕事しろよ!」
 『心得た。
 ・・・よし、スクリーンに拡大してみよう。』

 キャンキャン鳴きながら、宇宙空間を漂いながら接近してくる、それは赤いリボンを結んだ巨大なプードルだった。
 
 「うわわぁーーーーッ!!!」
 『・・・どうした?!応答せよ!!応答せよ、D!!』

 宇宙服で悲鳴を上げるD。必死に呼びかけを続けるヒュ-ストン。ボインの胸元を揺らし、失神寸前の蘭花ちゃん。
 このシリーズ、果たして次回はあるのか?宇宙船と、地球全体の運命やいかに?!

 奇絶!怪絶!!また、凄絶!!!

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2010年4月 2日 (金)

白川まり奈『血どくろマザーの怪』 ('87、日)

 「てめェら、花だ、花見だと浮かれやがって、馬鹿の集団か?!
 親切なあたしが教育のために、大風吹かせて、花びら一枚残さず吹き飛ばしてやったから、有り難く思いな!!」
 
 ・・・と、血どくろマザーは言った。
 骸骨に薄く皮膚が貼り付いて、ミイラ化している。肋骨の突き出た胸に赤子を抱き、空洞化した眼窩には、何のまじないか、子安貝が二個嵌め込まれ、あたかも瞳孔を糸で縫い合わせたかのようだ。その、閉じた目から幾筋もの夥しい血が滴り落ちている。
 
 「うわぁーーー、こりゃ、噂以上の極悪さでございます。」
 怪奇探偵のスズキくんは、奇妙な衣裳に身を包んで、呟いた。
 藁でこさえた頭巾に目だけを出し、呪的文様のある貫頭衣、貝殻の首飾りに手鏡をぶら下げ、腰のあたりを荒縄できつく結んである。
 最近、渋谷で流行の縄文人ルックだ。

 「こんな分らず屋に、何を云っても無駄だぞ、スズキくん。数千年前にお亡くなりになってるんだからな!!」

 古本屋のおやじは、まるで巨大な、てるてる坊主だ。
 白い布を頭からすっぽり被り、全身隠れてよく見えない。

 二人は、今、巨大な鍾乳洞の只中で、怪奇なミイラと対峙していた。
 暗闇に浮かび上がる鍾乳石は濡れて奇妙な燐光を放っている。大きな聖堂を思わせる空間は、冷気と微かに黴臭い匂いが漂い、つららのように垂れた石のベールが神秘的な背景を作り出している。
 
 「今回はまったく、場末のコスプレパブもいいとこだな。」
 おやじは自嘲気味に吐き捨てる。
 「さぁ、観念してもらおうか、マザー。おとなしく、海辺涼子先生を返しやがれ!!」

 「ケーッ、ヒッヒッヒッ!イヤだね!
 あの女は、もうこっちのもんだ。第二の血どくろマザーになってもらうよ。」
 
 スズキくんが、説明口調で口を挟む。

 「なんの話だか、さっぱり解らない皆さん、こんばんは。
 今夜、取りあげるお話は、『血どくろマザーの怪』。
 吸血三部作(『吸血伝』『続・吸血伝』『吸血大予言』)で衝撃デビューし、『鬼姫おろち』『侵略円盤キノコンガ』など、貸本時代から幾多の傑作を描き続けてきた天才・白川まり奈先生の、実質的なラスト作です。
 1987年、かの、ひばり書房から毒を吐くようにリリース!
 それにしても、素晴らしい語感じゃないですか、血どくろマザーとは?イマジネーションにグワーッときます!!」

 「うるさいね、この青二才めが!」
 
血どくろマザー本人が言う。「伊達や酔狂でやってんじゃないんだよ、この状態は!」

 てるてる坊主のおやじが頷く。「確かに。」

 「そう、この物語は、確かに簡単に要約できるもんじゃないんだ。絵柄は、世評の通りスカスカだが、内容は相変わらずの濃い密度を保っている。
 並みのマンガ家なら、単行本三四冊は積み上げるだろう、膨大なアイディア量だ。まさに、ネタ枯れ知らず。
 まり奈先生、この後は趣味の妖怪研究に熱を上げ、『妖怪天国』という文筆方面の著作もリリースされているが、マンガはこれきりとはもったいない。」
 「平成十二年、お亡くなりになりましたからね。・・・残念です。」

 「キーーーッ、キッ、キッ。いい気味、いい気味。ザマァないやね。」

 「黙れ、この腐れ人外魔境が!!」

 普段温厚な、好青年スズキくんに一喝されると、さすがのクソババァも少しは応えたらしい。
 小声で、ぼやいた。「・・・あたしゃ、もともと人外魔境だよ。」
 
 「ボクにも云わせてください!」
 今回はやけに情熱的な、縄文人スタイルのスズキくんが口を挟む。
 「まり奈先生が稀有な才能の持ち主だったのは、間違いないと思うんです。
 ストロングスタイルの怪奇マンガが描ける、相当な筆力の作家です。古書、伝承関連なんかにも造詣が深く、まかり間違えば第二の諸星大二郎くらいにはなれていたかも知れません。
 でも、違った。
 画力が足りなかった?うけるキャラづくりの才に恵まれなかった?
 いいえ、どれも真相からは、かけ離れています。かなり個性的で、独特ではありますが、まり奈先生の作風は意外と幅広いキャパシティを有しています。
 そして、アイディアも豊富です。
 今回の『血どくろマザー』は、まり奈版『漂流教室』であり、縄文にもいた『マッドメン』なのです。」

 「きみがそこまで云うなら、しょうがない。」
 古本屋のおやじ、改め巨大てるてる坊主は身を乗り出して、両手を構えた。
 警戒する血どくろマザーが、背後にじわりとにじり寄る。
 「このわしがストーリー紹介を勤めさせて貰うよ。

 海辺涼子は、美貌の女教師。
 ある夜、海岸で身投げしようとする親子を救うが、それは世にも恐ろしい血どくろマザーとそのベイビーちゃんだった。
 赤子は、レザーフェイスみたいな人皮のマスクをつけていたが、その下は醜いドクロ面!
 マザーは切っ先の鋭い石包丁を取り出し、涼子の額に筋を入れ、こう云った。」

 振られたマザー、思わず芝居がかった声を出す。
 「あ~んたの~、顔が~欲しい~!!」

 「振り切って逃げ出す涼子、崖から転落し海中へ。
 病院で意識を取り戻すと、怪物は消えていた。婚約者の古田青年に案じられながら、夏休みの体験学習が行なわれる孤島へ。
 縄文時代の遺跡が発掘されたこの島では、ご丁寧にも、縄文の暮らしを再現するキャンプが挙行されようとしていたのだ。
 参加する子供達は、軒並み妖怪の名前・・・絶対に、なにか起きる!暗い予感に打ち震える涼子であったが、あにはからんや、大的中!

 記念写真に、写る端から消えて行く、肉眼では見えない奇怪な生物!
 崖が崩れて、突然姿を現した謎の鍾乳洞!
 その奥で、乳飲み子を抱いてミイラ化していた正体不明の遺体!

 そして、原始の状態に退行し、呪的パワーを身につけ始める子供たち・・・。
 その頃、古田青年は勤務先の大学で、博士の嫌な感じの話を一方的に聞かされる。縄文時代の人間は、幼い子供の頭蓋骨を砕いて、脳を食っていたというのだ・・・。」

 「そんな!!絶対ない!ない!!」
 大げさな手振りで否定する血どくろマザー。
 
 「“少なくとも、縄文人が人肉を食っていたのは間違いない。”」
 祈祷書を読むように、片手にひばりの本を広げながら、近づくスズキくん。
 「だ・か・ら!
 事実無根の言いがかりはやめてけれ・・・!」

 「けれ、だと?」
 飛び掛るスズキくん。メタボ気味でも、意外と素早い。
 「貴様の正体がわかったぞ!!三遊亭金馬?!」
 
 乱暴に剥がされた仮面の下から現れた、その顔は。
 愛想よさげな、おばあちゃんメイクの男芸人の顔だった。

 「ば・・・ばってん荒川?!」

 ・・・闇が一層濃さを増したようだ。
 鍾乳洞のどこかで、不快な軋みが聞え、洞窟が崩壊する予兆が辺りを包み込んでいく。

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