諸星大二郎『栞と紙魚子の殺戮詩集』 ('00、朝日ソノラマ)
「絶対取りあげて下さい。いいですね。」
スズキくんは息せき切って詰め寄った。
古本屋のおやじは、ちょっと当惑したように応える。
「さすがにテンション高いね。しかし、何分、ロングランのシリーズだからなぁー。二年とか、三年で単行本一冊ってペースだよ。」
おやじは読んでいた川崎三枝子を置くと、お茶をゴクリと飲んだ。
「最初の『栞と紙魚子の生首事件』が出たのが'96年か。ま、私はリアルタイムで最初っからの読者だがね。
どれもレベル高くて、異常に面白いが、注意しなくてはいかんのは、これは連続物なんだ。
途中の巻から読んでも意味、わからんぞ。
悪いことは云わないから、最初から順に読んでくれ。きみのように、5、6巻から入ろうとするのは明らかに邪道だ。設定とキャラが出来上がっているので、説明抜きで異常事態が進行してしまうからな!
で、ようやく全巻読んだきみが興奮するのも一応理解できるが、なんか今更な感じはあるなぁー。
ちょっと前だが、AKBの出てるTVドラマ版も放映されちゃったしなぁー。プチメジャーの資格充分だよ。」
激しくかぶりを振るスズキくん。
「ノン、ノン、ノン!!
諸星先生のマンガは、基本、映像化できないです。
あの微妙なテイストが再現できる筈がない。必ず別物になってしまう。それはね、諸星先生の作品がマンガそのものの面白さに立脚しているからなんです。
まして、AKB主演ですよ!
だいたい、マスター、TVも持ってない貧乏人のくせにAKBが何だか解るんですか?」
「ん・・・そりゃ、知ってるよー。女の子が何人もいるグループだろー。
メンバーは、山中カンナ、斉藤あかめ、苫小牧ケメ子・・・。」
「そう、そう、そんな感じです。
あのTV版は、月曜ドラマランドだと思えば納得がいきます。」
「・・・オマエ、いくつだよ?」
「ともかく、記事に取りあげて貰えるまで、ボクは梃子でも動きませんよ!!」
慌てたように、おやじが袖を引く。
「しかし、きみ、ここは往来だぜ。」
気がつくと、ふたりは寂しい住宅地の路地に立っていた。陰鬱に曇る薄暗い空に、ちょっと古めかしい造りの家々が建ち並ぶ。生垣が目立つ。流行の幾何学の課題みたいな、安手なマンションなど殆ど無く、緑が多めの、どこか当世風でない雰囲気だ。
「ひょっとして、これが・・・。」
「うん、大胆かつ安易な場面の転換だが、これが胃の頭町じゃないかな。
おうぃ、そこの人。」
わさわさと頭に触手を生やした人が振り返る。首輪をはめた、でかいウミウシのような生き物を散歩させているところだ。
「このへんって、ゼノ奥さんの家の近所ですか?」
「誰だにゃー、そりゃー?」
相手は奇妙な声で喋った。伝声管を叩いて反響させたような声だ。
「あにいうだね、こいつ。だみだ、オマエは。だみだ、だみだ、だみだ。」
あっちへ行ってしまった。
おやじは、我が意を得たりと頷く。
「目的地はだいぶ近いようだな。少なくとも、夜の魚が棲息する地帯よりは、現実に近い。希望を持て、スズキくん。ゴールは目の前だぞ。」
「おっしゃる意味が解りません。
栞と紙魚子の解説をもう少し、続けさせて貰います。
これは、胃の頭町に住む女子高生、栞と紙魚子のちょっと変わった日常生活を描く連作シリーズです。
題材は殺人や妖怪、臨死体験、オカルトとか、人肉食など血腥いものが揃っているのですが、なぜかきつい方向へ進みません。奇妙な笑いの方へずれ込んでいく感じです。
残虐かつマニアックで、一般受けは厳しいネタを連発していた諸星先生が、その毒性を上手く昇華して、ポピュラリティーを獲得した、一種の作家的成熟を示す黄金の作品集です。
とりあえず、ボクの今年読んだマンガのベストワンです。」
「早いよ!まだ四月だぞ!」
向こうから、自転車に乗った女子高生がやって来た。ふたり乗りで、ロングヘアーの娘がペダルを漕ぎ、おさげでメガネの娘が後ろに乗っている。
「あッ、ほら、噂をすれば出たぞ、出た出た。」
人を妖怪みたいに言う。
「お嬢さんがた、ちょっと待って。お名前は?」
「あたし、囲炉裏。」
ボケーッとした長い髪の少女が名乗る。
「私は、注連縄子。」
メガネの娘はきつい近眼らしく、過度に顔を近づけて云った。歯茎に詰まった滓だろう、レバニラがプーンと匂った。
「ちょっと、違うんだなぁー。」
自転車を見送って、おやじが溜息をつく。
「人間以外のキャラクター、妖怪とかクトゥルー神なんかも平然と登場する。いわば諸星版の『うる星やつら』ですね。(あぁ、そういえばあの主人公、元々諸星先生の名前に因むんでしたね。)
現代の、普通の町が舞台なのに、日常とはちょっと違う。おかしな店、おかしな神社、ホラー映画を撮る高校の部活。」
解説を続けるスズキくんを遮って、おやじ、
「あ、その件、ぜひ云わせて!
あの高校生、洞野くんの撮っている映画なんだが、AIPの『原子怪獣と裸女』とか、『金星人地球を征服』とか、往年のアメリカB級ホラーネタばっかしなんだよ。大伴昌司的なね。
『西遊妖猿伝』がたまにハリウッドアクションしてたり、マカロニウェスタン的(黄風大王との決戦なんかもろだね)だったりして、諸星先生と映画の関係ってずっと気になってるんだ。
頼む、誰か聞いてきてくれ!」
「あんた、やんなさいよ。他力本願が社会をここまで堕落させたんじゃないですか。」
「・・・スズキ、今日なんかキャラ、違う。」
道端の草むらに巨大なガスタンクが転がされ、毟り取られたコンクリートの壁が天板のように載っかっている。にわか作りの祭壇のようだ。曇天の空からは雷鳴が聞え、いまにも太古の邪悪な魔神が降臨して来そうだ。
傍らに荒れ果てた長屋みたいな家があって、いっぱいに吊るされた洗濯物の合間から巨大な、青白い女の人の顔が出たり、入ったりしている。
逃げ出したトーガを纏った三人組を尻目に、そこを通り過ぎると、果てしなく急勾配が続く坂道が見えた。途中にケーキ屋が一軒、看板を掲げて店を開いている。
おやじがすかさず注意する。
「坂の終点を見るなよ。あっちは、地獄だぞ。」
「ええ。タンクローリーの亡霊に追いかけられますからね。ユニコーンが角を研いでいたのは、この辺りですか?」
「あぁ、青い馬だね。独立した短編で、『ユニコーン狩り』ってのがあってさ、区別が曖昧になってる。今年初めて見るユニコーン・・・、って名調子さ。」
胃の頭高校の前を過ぎ、股毛神社でお札を貰い、胃の頭公園を突っ切ってふたりは歩き続けた。
「・・・どこへ向かってるんですか?」
「われわれにとっての最大級の悪夢だよ。・・・ホラ、着いたぞ。」
路地はそこで終点だった。
ふたりは、恐る恐る辿り着いた場所で顔を見上げた。
そこにあるのは、一見単なる二階建てのあばら家だったが、内部は無数の回廊が入り組んで迷宮を形成している。その壁から天井までうず高く積み上げられているのは、本、本、本、また本の山だった!
どれも黄ばんで小汚い、廉価本のワゴンに載っていそうな、文庫から図鑑、専門書に娯楽、ミステリー。あらゆるジャンルの雑多な本の集積物。それらが床も埋めんと溢れ出し、一冊抜くと回廊自体が崩壊しかねない密度で折り重なっている。
「古本地獄屋敷!!迷い込んだ古本マニアは二度と抜け出せず、幽鬼となって彷徨うという・・・。」
「そう、ここになら、間違いなく『中学生殺人事件』だってあるだろうさ!」
「それも、百円でね!!」
迷い込んだ二名のマニアは、嬉々として魑魅魍魎の地獄の底へと堕ちていった。
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