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2010年3月27日 (土)

ジェイムス・ブラウン『ザ・シングルスvol.8』 (1972-1973、米)

 ジェイムス・ブラウンの音楽が重要であることは、議論を待たないのであるが、なかでもジェイムス・ブラウンのシングルこそが重要であることは、なぜか真剣に考えられて来なかった。
 その長年の不満を解消してくれるかのように、満を持して『ザ・シングルス』が登場!
 Hip-O-Select、よくやった。編集、マスタリング、選曲、各巻二枚組で120分強というボリュームも申し分ない。
 現在これほど重要な編集盤は、地上に皆無と断言したい。
 

 『Vol.8』は誰もが知ってるヒット曲こそないものの、渋いとこ揃いでお勧め。

 一番有名なのが“蟻がパンツの中に入ったぜ!こりゃ踊るしかないぜ!”と歌われる(事実)「アンツ・イン・マイ・パンツ」だが、
 他レアなオルガンインスト(JBがファンキーオルガン奏者でもあることは意外と一般に認知されていない。)に、リン・コリンズとのデュエット、JB'sのシングルやら、アンチドラッグキャンペーンソングから、『ブラックシーザー』『ザ・スローター』といったブラック・エクスプロイテーション映画の主題歌まで。
 まさに、毒の花が咲き乱れ、完全に狂いまくっている内容で、最高だ。

 実は、JBの全貌を知るには、アルバムよりはシングルが最適なのである。

 我が身を例に振り返れば、最初の入り口は確かに一般に代表作とされる、’67年のアルバム『ライブ・アット・ジ・アポロVol.2』なのであるが、良く出来た構成に感心こそすれ、それ以上の感興は薄かった。
 分かり易いジェイムス・ブラウン・レビューのショーケースとして、誰もがひれ伏す素晴らしい内容ではあるのだが、あまりに広く一般に門扉を開き過ぎていて、人の道に背く、ひねくれた、心貧しいマニアを惹き付ける吸引力にだけは弱い気がする。
 あれじゃダメだ。
 (このアルバムの完成度を知っている方にとっては、私の今の発言が結構、無謀なものだというのは、お判り頂けるだろう。)

 だから、私がJBおそるべし!と心の底から思ったのは、90年代の編集盤『イン・ザ・ジャングル・グルーヴ』と続編『マザーロード』の登場だった。
 全盛期のJBの、とりわけファンキーな部分だけ、拡大版で拾い集めた、この二枚はモク拾いなどのやさぐれた生活を送りながら、実際よく聴いた。
 なんたって、まともに歌っている曲がほとんどない、という選曲基準が凄すぎる。(特に『イン・ザ・ジャングル・グルーヴ』の方。)
 『ファンキードラマー』なんか、最高のトラックだ。

 ひたすらドラマーにファンキービートを叩かせて、「ファンキ・ドラマー!ウッ!!」って、怒鳴って、喋って、ひたすら煽り続ける。

 本当にそれだけの内容に、シングルA面B面、残らず使っている。八分以上。画期的な構成力だ。
 これでファンクの名曲が一曲誕生してしまうのだから、本当に才能の有る人というのは恐ろしい限りだ。

 ちなみに、フェラ・クティはJB・スライの同時代の人であるが、こっちはさらにバンド多人数編成による変則攻撃も加え、なかなかキャッチーな歌(本題)には入らず、果てしなくダラダラ暴走し続ける。
 ダラダラ暴走する、という表現自体もよく判らないが、聴いたことない人は、とりあえず一枚買って聴いてみてごらんなさい。喩えの妥当性が理解されるから。CD収録のギリギリまで尺を取って、でもやっと二曲とかだよ。
 (一曲十五分越えが平均タイム。後年になるほど大作化が進む。)
 しかも、延々楽器が煽り続けて、ようやく歌うかと思いきや、
 フェラの説教が始まったりする
ので、ほんと油断できない。必聴だ。

 話を戻して、『イン・ザ・ジャングル・グルーヴ』が出た頃、世間は確かD・J、ヒップホップカルチャーに浮かれていて、コステロのようなへなちょこ野郎までが、なんでかレアグルーヴの曲をやったりしていた。他にも似た例は和洋問わず、腐るほどあった。
 これらを丁寧に収集し、本家本元と比較してみた結果、私の出した結論は、
 形だけ、似たように真似してみても、決してJBの足元にも及ばない、

という当然かつ冷厳たる真実であった。
 例外的にプリンスの「ハウスクェイク」は良く出来ていたが、そりゃプリンス自身が優れたミュージシャンなんだから、当たり前の話だ。
 JBスタイルを取り入れようが、何をしようがプリンスの本質は揺らがない。(体毛の濃さもね。)
 それより遡るが、コートーションズの成功例だって同じことだ。あれは彼等の文脈の中に置き換えられたJBスタイルであって、まんまではないのだ。
 
 なぜ、それに気づかないのか。
 劣化コピーのJBを聴くぐらいなら、本家JBを聴けば充分だ。

 だからブラックミュージック・プロパーの連中より、80年代初期のニューウェーヴやらノー・ウェーヴの奴等のほうが、JBスタイルを正しく援用しているというのは、誠に皮肉な結果だ。
 黒人音楽は、黒人がやってる音楽だと勘違いしているあんたは、人種偏見差別主義の犬だよ。
 うー、わんわん。


 さて、再び話を戻して、今回の『ザ・シングルスVol.8』であるが、特にDisc2がやばいっスよ。
 絶妙なファンキービートの進化形がかなり渋いところまで来てます。胃腸が捩れて、飛び出しそうです。
 なかでも衝撃の仕上がりになってるのは、かの有名な、ジョージ・ハリスン「サムシング」かな。これまた、JB流ファンキーチューンに仕上がってます。
 印象的なAメロ終わりのインスト部、

 「♪チャッ、チャララン、チャー、チャー、チャー」

 ここに歌詞載せて、勝手に歌っちゃってます。オリジナルのメロつけちゃってる。
 でも全体に、コードまで変えてるから違和感なし。言われなきゃカバーだと気づかない。完全に、別の曲。
 ライナーによれば、ジョージはこれを聴いて非常に感心し、ミスター・ブラウンに感謝の手紙を送ったそうですが、いったい本気か。
 一番キレイなメロのブレイク部分、JBは完全に無視して適当なホーンの間奏のみにしちゃってますが、あれでいいのか。

 だとしたら、世の中、たやすい。
 
 な、JB?

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