黒沢清『CURE』 ('97、日)
実は、Vシネオリジナル版の清水崇『呪怨』('00)を期待して観て、あにはからんや、期待値ほど怖くはなかったので、お馴染み『CURE』へと立ち戻って鑑賞しました、
というのが、現在の私だ。
だから、まず『呪怨』の話をしなくてはならない。
この映画の最大のポイントは、「見えないものが見える」ということだ。
映画は、視線の劇である。
これがリュミエール兄弟の発言だったら、もっともらしいところだが、まぁ出典はともかく(実は忘れた)、映画は発明されたときから、本来そこにない、見えない筈のものを本当にあるかのように映す魔術だった。
この点はどなたもご同意頂けると思うが、映画の重要性とはまさにここに尽きる。
他人の恋愛ドラマだろうが、デススター攻略戦だろうがなんでも構わない。映画はそれを本当に起こった出来事のように、われわれに体験させてくれる装置だ。
しかも擬似現実としてではなく、あくまでもドラマとして。とりとめのない現実を切り取ることは、ドラマを生むことだ。だから、そこに編集があるのだし、効果の如何が生じる。
さて、心霊現象というのは目に見えない。
したがって、いくらフィルムを廻しても、本物の霊魂が主演した映画というのはまだ存在しない。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や、今度来る『パラノーマル・アクティヴィティ』はそれを模した映画だが、本物ではない。
(この世には霊が偶然映り込んでいるフィルムというのが存在するらしいが、私の興味の範疇ではないので、悪しからず。)
『呪怨』の最大の功績は、もし霊というのがあるとしたら、現代の日本家屋でならこう動くだろう、という方法論を見せてくれたことである。
映画の恐怖というのは、実は優れた理論の集積である。時代劇なら井戸から現れたり出来るだろうが、平凡な住宅地にある普通の一軒家ではそうはいかない。スモークで霧を表現するのにも慎重さが必要だ。嘘臭くなってしまうからだ。
われわれは、見慣れた風景にそうそう簡単に恐怖したりしない。
そこで『呪怨』の戦略は、日常の背景の中に、ありえない位置や角度で心霊を配置することであった。振り向くとそれがいるのだ。変な角度で。確かに見えるし、触れることもできる。しかし、触れた犠牲者は無事には済まない。頓死する。
しかも犠牲者の死亡過程は具体的に見せない。
用意周到な決意だ。賞賛に値する。
「心霊現象に遭い、死亡した」というのは、「殺人鬼に切り刻まれる犠牲者」とは別の次元にある事態の筈だ。あくまで人知を越えた未知の恐怖でなくてはならない。
そして、超自然な存在による殺人を具体的に描くということは、コント寸前までいく危険を冒すことなのだ。かつて、サム・ライミがはまった罠だ。あれでは、怖くなりようがないのだ。
心霊の造形に目を転じると、『リング』の貞子の延長線にあるだろう、お母さんの変てこな動きが楽しい。この役は、子供だったら皆な真似してしまうだろう魅力に満ちている。奇怪に四肢を捻じ曲げて、怪物を表現する、怪獣世代共通の娯楽スタイルだ。最高。
だが、その霊が全身白塗りメイクというのは、やはりまずい。いやがうえにも白虎社を連想させるではないか。
だが待て、「顔色の悪い人が床を這いずり迫ってくる」としたら、それは本物のコントだ。死人を表現する選択肢はそれ程ありはしないのだ。全身塗ってくれ、と依頼した監督の気持ちはよく理解できる。ここは難しいところだ。
しかし、私個人の意見では、これでは明らかに「塗りすぎ」なのだ。
あの「顎のない少女」も、ちょっと眉毛を濃くしすぎではないか。あれではまるっきり鬼瓦権造だ。(最近ではイモトアヤコともいう。)
そういう意味でいくと、「444444」で着信する携帯電話もいかがなものかと思う。意外にベタだ。これでは怖くなる前に、親切心を感じてしまう。
しかも、電話に出ると猫の鳴き声。
ニャーーーン、ニャーーーン。
携帯を床に置いて、前肢でダイヤルを押し、電話してくる猫を想像してみたまえ。
かわいいじゃんか。
はっきり見えるということには、やはり限界はあるようだ。
さて、以上の不満を胸に見ると、『CURE』はやはり巧い映画だ。
ここでの怪物は、目に見えない。
超自然の域にまで達している、催眠暗示を使った連続殺人。犯人の荻原聖人が常にヌボーッとしているのもいいし、彼相手にマジ切れする役所功司も大変よろしい。
この映画のリアリティが、例えば、
・暗示で妻を殺害した小学校教師が、取調室で錯乱し、壁にテーブルに、頭をぶつけまくるところ
・自分の家庭の秘密を漏らした部下を、役所氏がボコボコにするところ
など、感情を爆発させる役者の熱演に支えられていることは間違いないが、
それにしても、最後、精神病で入院した妻は、夫に殺害されてしまうのだなー。
その伏線は巻頭付近から用意周到に張りめぐらされていて、こっちまでX字の猿のミイラのような気分になりました。
見えない筈の怪物が、牙を剥くのがハッキリ見える。
こういうのが、映画の本来の楽しさなんだろうな。
どうやら、私は、本当に恐ろしいものは「決して見ることが出来ないもの」と頑なに信じているようだ。
ということで、「頼む、それを見せてくれ。」
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