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2010年3月 4日 (木)

神田森莉①『血まみれの夏休み』 ('93、日)

 午後のティーカクテルラウンジ。

 白い日傘の花が咲く、デパートの屋上は、ちょいとアンニュイな、暇人どものオアシスだ。
 医者、弁護士、ちょっとした政治家。商店主。銀行家。その夫人や、子供たち。家政婦、愛人に連れ子、隠し子。私生児。生まれついての賑やかな連中。
 無数に並ぶ白いテーブルには、コロナ・ビールやハーフパイントの黒ビールなんかが並び、おいしそうに盛られたサラダボールに魚介類、揚げシュウマイ、サフランライス。

 目の前に置かれたタイ風春巻を頬張りながら、スズキくんは嘆息した。
 「うわぁ、これが全部奢りですか。お財布は大丈夫なんですか、マスター?」
 香港の遊び人みたいな、庇の短い白の麦藁帽に、薄茶のレイバングラスの古本屋のおやじは、豪快に笑いながら、
 「気にするな、たんと食え。」
 と、云った。
  ラスベガスへ行った初代農協ツアーは、こんな感じだったんだろうか。
 スズキくんは落ち着かぬ思いで、周囲を見渡す。
 「・・・しかし、なんでまた、こんな場所に呼び出したんですか。だって、本日のテーマは・・・。」

 「神田森莉。」
 
 おやじはキッパリと言い切る。
 「歴然とした現役作家だ。消息不明の作家が多いわれわれのコンテンツでは、珍しいケースだな。」
 「それも問題かと思いますが・・・。」
 片耳にリボンを結わえた犬を抱き、おばさんがジュースを載せたトレイをおっかなびっくり運んでいる。空いた席を探しているのだ。
 やばい、と思った瞬間、肥えた肉の塊りが隣の席に潜り込んでいた。
  「・・・まぁ、なんだ。」
 多少隣席を警戒しながら、おやじは続ける。
 おばさんは知らん顔で、先の細い煙草を取り出した。
 「きみは神田先生の存在自体、まったく知らなかったんだよな、スズキくん。」
 「はぁ。マスターに勧められて、先日初めて読みました。」
 
 「恥、だな。」

 スズキくんは思わず、咥えた海老餃子を取り落としそうになる。
 「これは怪奇探偵として、一生の不覚だろう。
 御茶漬を知ってる、犬木加奈子を知ってる、山咲トオルまで知ってる。
 なのに、なんで神田森莉を知らんのだ?!」
 どすッ。
 机を叩いた。
 隣席の犬がきゃんと鳴き、そわそわし始め、おばさんは明らかに警戒心を持った横目でこちらの様子を窺っている。
 「お言葉ですが、マスター。」
 スズキくんは落ち着き払って反駁する。
 「ボクの手落ちは、当然認めるとしまして(あとで反省文でも書きますよ。)、
 しかし、正常な生活を送っている世間一般の皆さんは、まったく認知していないんじゃないですか?そもそもジャンルとしてのホラーマンガ自体、どんどん読者を選ぶ方向へ進みましたし。」

 おやじはカクテルグラスの中の焼酎をグィとあおると、持論を展開し始める。

 「90年代以降の恐怖マンガを考える上で、神田森莉は重要だ。その作劇は、ショック重視である。
 BADな貸本マンガがハードコアパンク化して蘇ったかのようだ。
 人間がありえないぐらい、スパスパ切れる!!
 たいていの作中人物は、死亡か、発狂!!
 後味悪い結末もナイス!!」


 「それに、少女マンガの伝統に則った、スカスカの絵柄も素敵だ。
 デコレーション過剰で、くどすぎる登場人物の顔。
 明らかにバランスに不自由な人体デッサン。
 フェミニンな女性キャラは全員、巨乳!
 重厚さ、皆無!
 エログロ重視!
反則しか使わない、卑怯すぎるストーリー展開!」

 「全然、褒めてるように聞えませんが。」

 スズキくんは、言葉に詰まり、隣席の犬のリボンを引っ張り出した。
 「そう・・・ボクは、こんな後あとまで嫌な感じが尾を引く作品を読んだのは、山野一以来ですよ。」
 
犬は怒って、スズキくんの手に噛み付いた。
 がぶ。
 「『混沌大陸パンゲア』だね。『四丁目の夕日』とも云うね。」
 「それ、“三丁目”と間違える人、結構いるんですよね・・・。」
 スズキくんは冷静に痛みに耐えながら、懐中から取り出したカッターナイフで犬の喉首を切断する。
 ぶしゃーっ、と血が飛沫いた。おばさんが目を剥く。
 「神田先生は、マイナス方向へ限度を越えた背負い投げを喰らわす天才ですよね?好き嫌いは別として、確かに残るものがあります。」

 鮮血に染まったテーブルの食事を、まったく気にせずパクつきながら、二人は話し続ける。
 大量出血で力を失った犬の身体を、だらんとぶら下げて、おばさんが後ずさる。
 声にならない絶叫を上げているらしく、口元が三日月型に開いて見える。

 「そもそも、今回取りあげた作品ですが、なんでまた『血まみれの夏休み』なんですか?他に適当なテクストはありそうなもんですが。」
 赤く染まったカルボナーラをフォークとスプーンで上手く掬い上げながら、スズキくんが尋ねた。
 「これ、確かにバッドテイストではありますが、神田先生のもうひとつの特徴である、“笑い”の要素が希薄ですよね?」

 「あぁ、うん。そうね。

 『夏休み』は、ファースト作品集『怪奇カエル姫』の巻頭を飾る、『キャリー』的モチーフの、正統派ホラー寄りの作品だね。
 限度を越えたいじめを受けた高校生のデブが、キャンプ先の海辺でいじめっ子たちを虐殺するストーリー。殺し方がいちいち、えげつないの(笑)。
 特にフジツボの一杯付いた岩で、背中の肉を削いでいって、背骨を剥き出しにして、岩の角でボキッと折る。
 この場面は、作者の画力の無さと相俟って、素晴らしい名場面になっている。
 いや、冗談じゃなくて、これは映画じゃできない痛さの表現だよ。アタマを殴って地面に倒して、背骨を折るまでたっぷり三ページかかるんだぜ。
 本当にやったら、」

 おやじは手早く、まだその場で恐怖に口を引き攣らせて固まっているおばさんを、空いたステーキの鉄板皿で殴り倒すと、いつも持ち歩いているマチェーテで、軽く背中の肉を削いでみせた。
 
 「ね?流血が夥しくて、あぁは綺麗にいかないだろ。
 まさに、マンガ的恐怖の表現じゃないか。“フジツボ付きの岩”って、凶器のセレクションも渋いよねぇ。場面のバカ度はアップするし、やられたら本当に痛そうだ。」

 倒れたおばさんと犬の死体を足蹴にしながら、スズキくんも考え深げに云う。

 「この辺の話はまだ、作者ご本人がおっしゃる『少女マンガの呪縛』が濃厚に働いている気がしますね。
 いじめっ子のイケメンが被害者のデブ少女に、うっかり情が移るあたりの展開なんか、少女マンガの王道に対し強力にオマージュを捧げてますもんね。」
 
 「そういう意味では、表題作『怪奇カエル姫』がオマージュ方面での集大成だろう。最終的にあぁなる以前の未発表原稿が二本、HPに公開されているから覗いて見るといいよ。非常に貴重な資料です。

 しかし、この段階ではまだ、作者ご本人も“ホラーらしいホラー”を模索している過程のように見える。
 90年代のホラー誌創刊ブームに乗って、デビューは果たしたものの、はてどうしたものか。試行錯誤しながら、作風を固めていってる段階だね。
 だから、ご本人もどうやら認めているらしいが、ベストはこれの次に出た『37564(ミナゴロシ)学園』収録の諸作だと思う。リアルタイムで読んでいた読者は、全員深い感銘を受けた筈だ。ここまでするか、というメーターを振り切った爽快感だね。
 特に後半の3連発、『恐怖うじ虫少女』『まま母ビン詰め地獄』『ドクロ蝶666の恐怖』あたりは、無意味に加速する残虐描写と無謀すぎる物語展開が、完全にねじの外れた哄笑を生む、という奇蹟を体現してしまった。
 はからずも笑いの神が降臨した瞬間だったろう。
 特に『まま母地獄』で、憎い継母(実は殺人SMの女王)に逆襲し、足首を切って瓶詰めにしてしまった主人公が、「日本で唯一のSM中学生としてがんばっていこう」と決意する場面は本当に素晴らしい。
 笑えて、とことん皮肉な逆説に満ちていて、しかも感動的だ。
 恐怖マンガの典型的モチーフを高速で分解投影したみたいな『うじ虫少女』も、怪奇生物ネタがなんだか解らない異種族間恋愛(しかもレズ)に決着する『ドクロ蝶』も、躊躇ない強引な展開とチープ感溢れる絵柄に乗せられて、実にハイテンションだ。
 こりゃすごいことになるぞ、と誰もが次回作を期待した。
 問題は・・・。」

 スズキくんは、赤いトムヤンクンを啜りながら物憂げに答えた。
 「オウム問題を扱った、短めの長編(ノヴェレットって感じですね。)の、『美々子、神サマになります!』ですね。」

 (以下次号)

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