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2010年3月20日 (土)

『キャット・ピープル』 ('42、米)

 霧の夜を引き裂く吠え声が聞え、私は深く後悔している。

 やつらをなめていた。
 キャット・ピープルは、本当に恐ろしい人種だったのだ。
 その唸り声は地を劈く悪魔の狂騒である。鋭い牙は闇を噛み切り、真っ赤な血を流させるだろう。
 逃れる術などない。
 畏るべき災厄。それが、私自身の元に降りかかろうとは!

 やつらの存在を知ったのは、マニュエル・プイグの小説『蜘蛛女のキス』を読んだときだ。
 集英社(これは実に魔術的で不可解な出版社である!)がラテンアメリカの文学全集を刊行し始めた頃だから、私が高校の時分である。思えば随分、昔の話だ。
 マルケスの『族長の秋』に始まり、『日向で眠れ/豚の戦記』、コルサタルの『石蹴り遊び』、『英雄達と墓』(“呪われた旧家の少女はなぜ父親を拳銃で射殺し、残る銃弾は使用せずにあずまやに火を放ち焼身自殺することを選んだのか?”)、ドノソの忘れがたい『夜のみだらな鳥』、大好きと断言できる数少ない本『亡き王子のためのハバーナ』・・・。
 なんと、壮麗なラインナップであったことか!
 プイグの『蜘蛛女』は風変わりな本で、四本の映画の粗筋を語る、会話により成立している。舞台は、中南米の刑務所。囚われた青年が、毎夜同室のおかまに映画の筋書きを強請る、うちにふたりは恋に落ちていくという皮肉に満ちた物語だ。
 その冒頭に選ばれた映画が、ジャック・ターナーの『キャット・ピープル』。思い入れの深さが窺い知れる。
 だから、この時点でストーリーの概要と、名場面の解説は知っている訳だが、幸いにも映画を直接観る機会には恵まれなかった。
 知名度の高い、古典的な名画なのに、TVでやっているのにもお目にかからなかったし、ビデオ屋の棚で遭遇することもなかった。お陰で、今日まで無事に生き延びてきたわけだ。私は。

 キャット・ピープルの恐ろしい正体について見誤らせた最大の功罪は、ポール・シュナイダーの'81年のリメイク版である。
 これが、ぜんぜん怖くないのだ。むしろ、可笑しい。マルコム・マクダウェルの濃すぎる芝居で近親相姦を強要する兄も、全裸で猫人間に変身して大サービスの妹ナスターシャ・キンスキーも、エンディングで馬鹿ロックを披露する『レッツ・ダンス』期のデヴィット・ボウイも、どれもオーバーアクト気味で、恐怖映画とは程遠い仕上がりなのだ。
 似たテーマで同時期の『狼男アメリカン』の方が、ずっと恐怖映画の王道を往く作風だった。(が、この映画はジョン・ランディスの看板が祟って、コメディ扱いの公開だった。愕くほど古典的な枠組みの正調ホラーなのに!)
 
 さて、時代を経て、目にするキャット・ピープルの本当の姿は、想像を絶して恐ろしいものだった。
 人間が、黒豹に変身する。
 笑いを捨てて、良く考えてみたまえ。
 きみは野獣の姿を目の当たりにしたことがあるか?やつらは、肉を食らうのだ。鋭い牙が生えているのだ。そして、誰よりも敏捷だ。非人間的な思考をする生き物なのだ。
 そんな、あたり前の事実が、何より怖い。

 夜の暗闇に女が急ぎ足に歩いている。
 追いすがる、別の女のつまさき。
 都会の裏通りだ。他に人通りはない。
 背後に拡がる影の中を何者かが過ぎる。
 不安げに、振り向く女。
 誰もいない。
 そこに轟く、豹の吠え声、一発!
 女は耐え切れず、駆け出す。何かが、高速で足音を忍ばせ、追いすがる。
 ざわめく路傍の樹木!藪の中に、何かが!
 再び、間近で聞える豹の吠える声。それが、急停車する路線バスのブレーキ音とオーバーラップする編集の巧みさに酔わされるとき、われわれは映画の魔術を目撃する。

 喰われながら、あるいは喰われた後に、人間は何を思うのだろうか。
 口ひげの精神科医の言葉が聞える。
 「きみには、欲望がある。邪悪を世界に垂れ流したいという欲望が。」
 あるいは、やがて豹に変身する女の台詞か。

 「女には、他の女には聞かせたくない話があるのよ。」
 

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