ジョン・W・キャンベルJr. 『月は地獄だ!』 ('51、米)
ジョン・W・キャンベルJr.は、アメリカSF界で史上二番目に偉い編集者/作家である。
「アスタウンディング・サイエンス・フィクション」の編集長で、アシモフやらハインラインやらヴォクトやらを顎で使っていた人物だ。
科学考証を重視し、エキサィティングなストーリー展開を好んだ。彼のイメージしたものが、五十年代米SF界のクラシック、名作の数々を生んだと云っても過言ではない。
一方で自分の理想のSFを実現する(!)ため、啓蒙を意図しながら小説も書いた。
最も有名な作品は、のちに『遊星からの物体X』として映画化された、傑作中篇『影が行く』だろう。
(ところで余談だが、米SF界ナンバー1とは、一体誰か?
“SF”というジャンルの創設者、すなわち史上最初のSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』編集長、ヒューゴー・ガーンズバックである。
しかし、こうした豆知識を知らないと、業界では虫けら呼ばわりされかねないのだから、まったくもって剣呑な構造だと思う。どうにかならんものか。
編集者がヒエラルキーの頂点に君臨する図式は、80年代のロリコン漫画誌、幾つかのプロレス誌などにも共通してみられ、これは当該ジャンルの偏狭さを物語る指針のようなものである。)
さて、キャンベルは確かに各方面に色々な影響を与えている大物なのだが、今回特に強調しておきたいのは、かのスタニフワフ・レムに対する影響である。
『月は地獄だ!』を読み直してみて、レムの一連の宇宙小説を連想したのは私だけではあるまい。驚くほど、これはそっくりなのだ。嘘だと思うなら、もう一度、読み直してみて欲しい。
物語は1981年(!)、二年半に及ぶ月面探査を終えたアメリカ探検隊が、帰還のロケットを待っている場面から始まる。
しかし不慮の事故により、迎えの船は目の前で爆発四散、隊員達は全員月面に取り残されてしまう。
地球側で事態を把握し、再度帰還船を建造して打ち上げるまでに一年以上はかかるだろうと推測される。(基地は月の裏側にあるため、地球との直接交信は不可能なのだ。)
クレーター底に設営されたドーム状の基地では、生存の為の会議が開かれ、二か月分しか備蓄が持たない空気や食糧の問題を如何に解決すべきか真剣に討議される。
石膏を電気分解し、水を取り出す。そこから酸素を抽出しドームに満たす。
動力源は太陽光電池だ。太陽光線が射すと、銀板と薄い第二の金属層の間に強い電流が生じる。セレン化銀の鉱脈を掘り当て、手作りで電池をどんどん増やし、基地の周りに設置していく。
しかし、食糧は?月面に蛋白源などあるだろうか・・・?
総勢十五名の隊員は使命に燃える仕事熱心な男ばかりで、彼等の地球での私生活や個人の性格、趣味などは殆んど描写されない。とにかく、アグレッシブな宇宙野郎揃いなのである。
一読、あぁレムだな、と思ったのは私だけではあるまい。
『砂漠の惑星』(’64)の無敵号乗組員たちや、とりわけ『宇宙飛行士ピルクス物語』(’68)に登場する人々にそっくりなのだ。ファーストネームではなく、姓名のみで呼ばれる点も同じだ。
物語はともかく、この過酷な環境下でいかに生き延びるか、それのみに絞られ、探検隊副隊長の日誌として記述されていく。個人の日記なのに、甘い感傷や個人的な感情には殆ど触れられない。途中隊員たちは片足を失くしたり、鉱山事故で死亡したりで、どんどん数が減っていくが、一切躊躇は許されない。驚くべきハードさだ。そりゃそうだ、油断したら死んでしまうのだから。
確かに、月は地獄だ。
しかし、それは燃える男の職場でもあったのだ。
白人至上主義(キャンベルはエイリアンすら蔑んでいた!)、晩年の超科学への傾倒など、批判される向きが多いのは先刻承知しているが、
昨今の砂糖やガムシロップを混ぜたようなSFに食傷している皆さんは、もう一度これを読んで真剣に考えてみるべきだと思う。
そのヴィジョン、可能性について。
ハーラン・エリスン程度の作家を問題にするのは、その後で充分だ。
だいたい、SFという特殊ジャンルは、本来とてもストイックかつ生真面目で、小説としての膨らみに欠ける危険性すら孕んだ、危うい構築物だった筈ではなかったか。
今となっては、過激な性描写やバロウズばりの言語遊戯より、古典的な宇宙小説の方がよっぽと「危険なヴィジョン」だよ。皮肉にも。
SFファンを自認する諸君、あんたら全員、キャンベルに頬を張られてみるべきだ。今すぐに。
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コメント
早川SF全集、図書館にあったこれをよく読みました。
最近、火星に行って大変な宇宙生活をする話を映画にするというから、確か同じようなシチュエーションのSFがあったなぁ、と検索したらこのサイトに漂着しました。
ヒエラルキーかぁ…士農工商SF作家って奴だ。これを言ったセンセイはすでに耄碌してる。たかが小説、作家だ。仲良くすれば。
1989年かな、ベルリンの壁が無くなった瞬間スパイ小説がバカらしくて読まなくなった、そんなもんですよ。
投稿: つきみ | 2016年2月 7日 (日) 17時08分