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2010年2月

2010年2月28日 (日)

トーキングヘッズ『ストップ・メイキング・センス』('84、米)

 なるべく正直に書くことにする。

 高校時代、つまりリアルタイムでトーキングヘッズが流行っていた頃は、シングルくらいしか知らなかった。
 当時良くある話で、渋谷陽一のFM番組「サウンドストリート」を聴いていたので、今野雄二と「ミュージックマガジン」が押すヘッズはちゃんと聴いていなかったのだ。
 しかし、奇妙なもので、渋谷の一押し、レッド・ツェッペリン(解散後、『コーダ』('80)が出たばかり)もこの頃は、同じく苦手だった。(今はなんでもない。)
 入り口として、レコードで聴いたのが『永遠の詩(狂熱のライブ)』('75)だったのが大問題だったのかも知れない。このライブ盤は、本当につまらなかった。でも、これは映画のサントラだ。映像ならまだしも、と思って後年ビデオを借りて観てみたら、ジミー・ペイジが岩山に登っていて、こりゃダメだ、と思った。
 付け加えるなら、俺は「天国への階段」も嫌いだった。
 楽器が弾ける友人達が、やたらとこのイントロばかり演奏するからだ。月並なひけらかしだと感じたし、今でもそう考えている。

 トーキングヘッズを再認知したのは、『ストップ・メイキング・センス』が劇場公開され、「ガールフレンド・イズ・ベター」のクリップとかが、「ポッパーズMTV」なんかで流れ出した'84年頃の話だ。
 どでかい特注スーツを着て、なんだか飛び跳ねているデヴィット・バーンは、印象に残った。
 格好いいとかじゃなくて、なんか「変な人」がいるなぁ、って認知の仕方だ。
 バラカンはかなりの絶賛ぶりだったし、横の女もなんだか、キャーキャー云っていた。当時のヘッズは、インテリや通ぶったおしゃれ族のアイテムとして流通している印象がすごくあった。(意外と今でもそうかも。)
 そうこうするうち、次の『リトル・クリーチャーズ』('85)が出て、これは親しみ易くて、よく聴いた。偉そうじゃないので、俺でも聴けた。
 で、矢継ぎ早に『トゥルー・ストーリーズ』('86)とその映画、ちょっとして『ネイキッド』('88)でバンドは解散してしまう。

 俺が初めてCDラジカセを買ったのは、上京して半年以上してからだと思う。
 お恥ずかしい話だが、最初に買ったのが、出たばかりの泉谷しげるの『吠えるバラッド』('88)だった。
 デヴィット・ボウイ『ハンキー・ドリー』やザッパ『シーク・ヤブーティ』やら、親の仕送りで次々と買い込み、聴き込んだCD再発盤は多々あったが、自分がバンドを演る上で、一番参考になったのは、トーキングヘッズの傑作『フィアー・オブ・ミュージック』('79)だった。
 誰もがベストに挙げるその次のアルバム『リメイン・イン・ライト』('80)は、俺的にはイマイチだった。真面目で立派で重厚なアルバムだと思うが、そのぶんチープなパンクが足りない。
 中学の頃、プラスチックスに憧れていた俺は、彼らが『フィアー・オブ・ミュージック』期のヘッズのUSAツアー前座だったと知って、嬉んだ。
 「マインド」「シティーズ」「エアー」「エレクトリック・ギター」「アニマルズ」・・・連打されていく曲の題名が、いちいち格好よかった。
 歌詞も、リズムも、シンプルで安っぽくて、実に素晴らしかった。
 偏見を持たずに、もっと早く聴いておけば良かった、と心底思った。

 さて、肝心の映画『ストップ・メイキング・センス』だが、実は一度もちゃんと観ていなかった。
 2000年にリマスターされたサウンドトラックが発売になり、それを聴いて再びヘッズブームが再燃していたのだが、なぜか本編を観損ねていたのだ。
 (先の反省が全然活かされていないね。)
 早いもので、もうそれから十年が経ち、だから今回が初鑑賞になるのだ。毎度自分でも突っ込むんだが、どんだけ遅いんだよ、というくらい気の長い話だ。

 さて、有名なオープニング、組みあがる途中の、鉄骨むき出しのステージの上で、デヴィット・バーンが弾き語りで「サイコ・キラー」を披露する。
 伴奏はラジカセ、リズムボックスの音が入れてあるだけ。
 カオル・ウエダより、安いオケだ。

 そして、ティナ・ウェインモスがベースで加わり、「ヘヴン」へ。
 ありえないくらい、泣ける。いい曲だなぁ。美しい。
 クリス・フランツが入り、「サンキュー・フォー・センディング・ミー・アン・エンジェル」、ジェリー・ハリスンのギターリフで「ファウンド・ア・ジョブ」と続く。
 もちろん一緒に歌ったし、ドラムのリズムも取った。最高だ。
 この辺りまでで、俺の机の上は、涙と鼻水を拭いたちり紙で、非常にばっちい状態になっていた。
 バンドとはこういうもんなんだよ。
 四人編成のヘッズは、改めて俺にそう物語っていたのだった。

 だから、バーニー・ウォーレルが加わり、コーラスのおネェちゃん二名が入り、パーカスやらギターが足されたいわゆる“拡大版ヘッズ”は、俺にとっては余禄だ。
 テンション高くて、充分愉しめたけど。
 完成度や音楽的幅とは別のところに、ヘッズの真価はあるんだ。
 だから、ひとつのバンドが完成して、やがて煮詰まり、編成を拡大し、崩壊していくストーリーの、リアルなドキュメントとして、この映画は実によく出来ている。
 それを実質一時間半で見せてくれる。
 くどいMCとかなしの、クールかつチープな構成で。
 実際これがヘッズの最後のツアーだった訳だし、タイミングも絶妙、嘘みたいにうまくいった音楽映画の珍しい例だ。
 ある意味、ヘッズ版『レット・イット・ビー』なんだが、あぁいう悲壮感や疲労感はここにはない。
 演奏も絶頂期の、腐る寸前の熟し具合で、これを観れば次作『リトル・クリーチャーズ』が徹底した作り込み排除の、異例なプロダクションによって出来上がった理由も解ろうってもんだ。

 あぁ、そうそう、以下どうでもいい鑑賞ポイントを追加。
 コーラスのおネェちゃん、二名ともノーブラなので、Tシャツ越しに乳首が透けてて素晴らしい。
 バーンがアフリカに擦り寄った理由も解ろうってもんだ。
 あと、ティナって本当可愛いのね。
 ベース弾いてると、世界一の可愛さだ。

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2010年2月27日 (土)

ムッシュー田中『狼女ロビズオーメン』('79、日) 【後編】

(前号までのあらすじ)
怪奇マンガ界の貴公子ムッシュー田中の目の前で、作品をボロカスに貶めるという乱暴狼藉を働いた、セーターは二枚常備のスズキくん。お陰様で、世界は暗黒に包まれてしまった!どうしてくれるんだ?!そして、この店の料金は誰持ちなのか?!
 戦え!狼人間ロビズオーメン!!

 「・・・許さんぞ、許さんぞ。許さんぞう法師。」
 席から立ち上がったムッシュー田中は、怒りの余り、小刻みに震え出した。
 黒マントの巨躯がひとまわり、大きく膨らんで見える。
 
 食事を奢ってもらった立場で、さすがにこの展開は不味いんじゃないの、とスズキくんも頭の片隅で思ったが、作品の正当な評価に懸ける並外れた情熱が、理性を押し流し圧倒した。
 チャンピオン編集者なら、スズキくんの背後にブチ抜きの明朝体で、
 「怪・奇・探・偵、復活!!」
の写植を貼っていただろう。
 
 「だいたい、ムッシュー、あんたの描く女性は全員、妙にむっちりして、付け睫毛バリバリでキャバレー嬢みたいですよ。もう、ムッシュむらむら、ですよ!
 少年少女の潔癖さが感じられない。だから人知を越えた悲劇に見舞われても同情がまったく湧かないんだ。風俗店で女の愚痴を聞かされるぐらい退屈なことはないですからね!
 ・・・ま、この城のメイドさんは、可愛いですけどね。」

 声を聞きつけたのか、戸口ににじり寄っていた、先刻のメイドさんに大げさなウィンクを送ると、スズキくんは続けた。

 「あと、キャラクター造形で云うなら、ヒロインの父親の口ひげ!!
 極太のマジックで描いて先を細めたような、空中に反り上がる重力無視の、不自然な口ひげ!
 あれじゃあ、ひげ男大好きのゲイ作家、田亀源五郎先生も黙っちゃおれんですよ!
 それはひげではない、謎の黒い物体だ!とか叫び出しますよ!!
 減塩なのに絶品!!プロが作る花見弁当、食べてみませんか?!」

 「ぬぬぬぬぬゥ、云わせておけば脈絡無視の暴言。」
 確かに。

 「余と、余の作品を愚弄する不届きなやからは、こうしてくれるわ!!」

 突如、彼方で火山がドーンと噴火した。
 館の正面を覆っていた窓ガラスが一斉にバリンと吹き飛び、真っ赤な光が周囲を照らし出す中に、次から次へと、ドス黒い吸血コウモリの群れが飛び込んで来た!
 「“田中の怒り”を思い知るがよい!!」

 テーブルの燭台を片手に薙ぎ払うスズキくんは、ちゃっかり「キャッ!」と叫んで蹲ったメイドさんを庇うように小抱きにすると、呪文を唱え始めた。
 「アビラ、ウンケン、ソワカ・・・アビラ、ウンケン、ソワカ・・・。」
 ボッ、ボッと炎に包まれ、撃墜されていくコウモリ。
 「ぬぬッ、小癪な。」
 気色ばむムッシューに、
 「こちとら、ムー大陸で修行した身だい。魔術のひとつも使えなくてどうする。
 だいたい、こういう危機的状況で主人公が発狂したり、片目をついばまれたりするのは、川島のりかず先生の作品だけ、と決まってるんだ!!」

 火山の噴火と共にグラグラと揺れ出した城内で、シャンデリアの落下する音や、高価な陶器の壷の損壊する音が立て続けに聞こえる。

 スズキくんは燭台を手放すと、胸元から、日頃から身につけ持ち歩いているオリハルコンの短剣を取り出し、切っ先を突きつけた。
 「さぁ、ムッシュー、観念して負けを認めるんだ。
 全国の読者の皆さんに、泣いてあやまりやがれ。余が間違っておりました、ごめんなさい、ってな!!」

 「くッくッくッ・・・。」
 低い声で笑い出すムッシュー。
 「はじめて、ですよ。
 私をここまでコケにしてくれたおバカさんは・・・。」

 「アッ!!ドXゴンボールだ!!」
 遠くで小さく叫ぶスズキくんの声。

 「ならば、ムッシュー、最後の切り札、見せてあげましょう。
 蘇るがいい!!鉄人シェフ!!」

 ゴーーーン!!と銅鑼の鳴る音が炸裂し、食堂室の壁がぼかんと吹っ飛ぶ。
 身の丈5メートルは越す、全身包帯だらけの巨漢が固漆喰の壁面を打ち破って乱入して来た!
 ご丁寧に、フランケンシュタインのゴム製マスクを被っている。
 「フランケン!フランケン!」
 「うぉお、おおおお、おお!」


 呆れたスズキくんが、メイドさんからメアドを聞き出そうと、違う方向に努力している間に、
 辛うじて立ち上がったムッシューが叫んだ。

 「よーーーし!!フランケン!!よく来たな!!
 スズキくんを木っ端微塵に砕いておしまいなさい!!」

 「ウィー、ムッシュー!!!」

 ここで、実況が入った。

 「さぁ、試合開始のゴングであります。戦闘態勢万全のフランケンシュタインの男、お馴染みの両手を持ち上げ指を折り曲げた構えで近づきますが、対するスズキくん、微動だにしない。
 おッと、口説きだ。
 一心不乱にメイドさんを口説いております。これは危ない。お財布がピンチだ。
 余裕を見てトップロープに登ったフランケン、さては頭上からスズキくんを襲おうという作戦か。
 双方向にピンチだ、スズキくん。しかし残念、本人に自覚はまったくないのか。
 ほくそ笑むムッシュー田中。

 あぁッ!!跳んだ!!
 百キロを優に越す巨体が今、宙に舞いました。鮮やかな空中殺法。
 チョ~~~ップ!!スズキくんの額に、必殺の手刀が見事にめり込んだ!!
 確実に1センチ以上深く入っている。これは危険だ。常人なら頭蓋骨陥没は免れないところ。
 しかし、スズキくん、頭の悪さには定評のあるところです。
 
まったく、動じません。
 ハガネの無神経、ハガネの錬金術師だ。
 まさにハガレン。まさに、ハガレンであります。

 性懲りもなく、潰れた額でメイドさんを口説き続けるスズキくんに、怒り心頭のフランケンシュタインの男、今度は放送席に乱入し、パイプ椅子を取り出すと。
 分解。
 もはや、これはパイプ椅子ではない。
 パイプだ。只のパイプだ。
 リングで口説くスズキくんにおもむろに駆け寄ると、口をこじ開け。
 鉄パイプを叩き込んだ!
 見事、貫通!
 口から肛門まで、見事に一本のパイプで貫き通された!
 人間串刺し!人間串刺しだ!
 かつて、イタリアの食人族が駆使したといわれる伝説の秘儀、人間串刺しが今夜、ここに復活!

 ・・・しかし、どうなってるんだ、スズキくん?!
 まったく動ずる気配がないぞ!
 口から鉄パイプの先端を覗かせたまま、平気でメイドさんと戯れている!
 おそるべし、スケベごころ!
 ライトエロは、人間の限界を超えるのか?!
 これでは、試合ではありません!虐殺だ!一方的な殺戮行為だ!・・・・・・・。」

 その頃、ムッシュー城を離れ、真っ赤な炎を吹き上げる火山を横目に見ながら道を急ぐ一台の馬車。
 御者の席には、たづなを持つスズキくんが。後部のキャビネットには、失神し、手折られた花のように身を横たえるメイドさんの姿があった。

 「そうです、読者の皆さん。」
 片目をつぶり、ウィンクするスズキくん。
 「忍法・変わり身の術。身代わりになったのは、あの気の毒な老御者というワケ。
 ボクが実は忍術を得意することは、過去記事、伊藤潤二『よん&むー』のレビューをご参照ください。
 末尾にちゃんと記載がございます。
 それでは、また。」

 意気揚々、漆黒の闇へ消えていった。
 

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2010年2月26日 (金)

ムッシュー田中『狼女ロビズオーメン』('79、日) 【中編】

(前号までのあらすじ)
まぼろしの怪奇マンガ家ムッシュー田中を訪ねて、阿蘇山系奥深く分け入った我らがスズキくんは、不気味な城に仕えるメイドさんに、
 「この店、いくら?」と不躾な質問をしてしまうのであった。
 笑って許してくれたメイドさんに感謝!

 (承前)
 不吉なパイプオルガンの音色が室内を満たしている。
 それは捻じ曲がり、業病の中に崩れ落ち、苦悶の果てに地獄の底から悲鳴と共に吐き出されてくるような、ま、早い話がとても正気では考えられないくらい、ど下手過ぎる恐怖の旋律であった。
 広壮な洋間の一角に設置されたオルガンを奏でるのは、ムッシュー田中、この館の主である。
 演奏が続く間に、スズキくんの脈拍は明らかに変調を来たし、眩暈すら覚え、せっかく用意された豪勢な食事も喉を通らない有様。

 「・・・いかがかな?」
 ひとしきり演奏して気が済んだのか、ムッシューは振り返り、真顔で訊いた。
 「ムッシュー作曲、オルガン独奏曲『悲惨』第一楽章。余は作曲も手慰みにこなすのだ。」
 スズくんは目を白黒させながら、
 「いやー、素晴らしいっすねー。シャーロック・ホームズのヴァイオリンの腕はつと有名ですが、あれを越えましたねー。
 ボクの中では、ジャイアンに迫る勢いです。」

 
さすがのムッシューも、ジャイアンは解るらしく、明らかにムッとした顔で、
 「そうか、実に結構。
 それでは、独奏曲『悲惨』、第二楽章!」

 「うわわわわわッ!!ちょっと、待って!
 ・・・それよか、先生の代表作『狼女ロビズオーメン』について、お伺いしたいのですが。」

 「何かね。困るな、それは。
 余は、あまり自著について語ることを好まんのだよ。」

 と云いながら、言葉と裏腹のニコニコ顔、既に半身になっている。
 
 「はァ、それでは失礼して。」
 スズキくんは取材メモを取り出し、話し始めた。

 「そもそも、この物語は、阿蘇山中のとある村に人狼が出没する、しかもその正体はうら若い美女だ、という画期的なコンセプトに基づいている訳ですが。」

 「うん、うん。」

 「なんか、いまいち面白くないんですよ。なぜでしょう?」

 ムッシューの形相が一変した。「・・・ナニ?」

 「例えば、狼女に殺されて井戸に放り込まれた娘とかいますよね。井戸に潜った男に発見され、不気味な死に顔を見せつける。引き上げられた死体に周囲が勝手に驚いたり、父親が発狂したり(!)して大騒ぎになりますが、これが自然な人間のリアクションでしょうか?
 仮にも、知り合いの死体であれば、いかに不気味な顔に変形していても、駆け寄り名を呼ぶくらいはする筈でしょう。まして、実の親ですよ。
 犬神だの、たたりだの、二の次ですよ。当然でしょう。娘の死体を見るなり、抱きしめもせず、いきなり恐怖に発狂して踊り出す父親なんて、現実には絶対ありえません。
 いかにも、頭でこさえたツクリモノの感が拭えないのですが。」

 「むむゥ。」

 「おまけに、その死体を調べた生物学者の青年が、重大な発見をしました、とか思い詰めた顔で云う。“し、信じられん・・・。”とか、超くどい。
 でも、これはアリだと思うんですよ。期待させてくれます。
 常套句ですが、有効な引きです。
 で、読者が固唾を飲んで待ってると、そこで場面が切り変わる。
 屋敷の室内で、対峙する学者と村長。立ち会う主人公の少女。いよいよ、謎が解かれるのか、とこれだけ引っ張って、大げさな顔で脅かしておいて、
 
 “あの死体は、牙で切り裂いた跡がある。”
 
 ・・・って、伝えたい情報はそれだけかい?!
 お前ら、バカの集団か?!

 
 正直、殺意を覚えました。」
 
 ムッシューは無言になってしまった。
 両手を組み合わせ、ジッと聞いている。

 「あと、これはネタばらしになるんですが、アンジェロ冬木。
 狼少女、霧子がブラジル(!)で出会った美青年にして、婚約者。こいつの登場する場面は、全部ひどい。
 南米の草原(パンパ、でしたっけ?)で恋を語るなんてのも、どうかと思いますが、こいつ、登場場面がすべて白いスーツでネクタイも結んでるんだよね。そんなキザ野郎が、草原で愛を囁くなんて、絶対信用できるか!!
 
たちの悪い結婚詐欺師にしか見えません。
 おまけに、遠く南米にいて、どう九州の山奥の話に絡んでくるのかと思ったら、花嫁を迎えに日本へ旅立ったはいいが結局、到着しない。
 海を越えるジェット機の機内で、「いま、行くよ。」とか呟いてるうちに幕切れ。
 え?なにそれ?
 こんなに大げさに出てきて、まったく活躍しない奴は、初めて見ました。」

 「脂身ばかりのステーキ。
 あんたの作品は、浅薄な借り物ばかりだ。それがボクの結論です。ムッシュー田中。」

 オルガンの蓋が、バチンと閉じた。 
 ギリギリ、と唇を噛み締めていた男は、搾り出すような低い声で唸る。

 「・・・グググググ・・・。云いたいことは、それだけか、小僧ッ?!」

 
血の滲むような声であった。

 (以下次号)

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2010年2月23日 (火)

ムッシュー田中 『狼女ロビズオーメン』('79、日) 【前編】

 パォーーーン、パォーーーンと遠吠えが聞える。

 「・・・いや、参ったな。こりゃ、えらいところへ迷い込んでしまった。」

 暗い夜の森で、スズキくんはカンテラ片手に呟いた。
 空には薄い鎌のような三日月が架かっているが、鬱蒼と茂る高い樹々の隙間に今にも隠れそうだ。

 「そもそもボクは、なんでこんな場所に居るのか?
 そう、著者奥付にはいつも、“年齢・国籍・過去など一切が不明、最近フィンランドから帰国したばかり”などと書かれている、あの怪し過ぎる謎のマンガ家、ムッシュー田中を捜し求めて、この阿蘇山中まではるばるやって来た訳なんだが。
 果たして、こんなところに人間が住んでいるものか・・・?」

 と、カタカタと車輪の転がる音がし、闇の向こうから何かが近づいて来る気配だ。
 唖然と見守るスズキくんの目の前に現れたのは、古色蒼然たる二頭立ての馬車であった。
 手綱を取るのは、萎びた老人だ。丈高いフードに身を隠し、鞭を振るう。地獄出身のような、真っ黒い馬達が嘶き、全力で彼方から疾走してくる。

 「ウーーーム、ドラキュラ城から迎えかな。」

 スズキくんが顎に手をやり考え込んでいる間に、馬車は滑るように近づき、車軸を軋ませて停止した。

 「ドーーーッ、ドーーーッ。・・・もしや、おぬし、スズキくんかな?」

 御者は、馬を宥めながら干乾びた声で話し掛ける。

 「いかにも、でございます。」
 スズキくんはいつもの低姿勢で云った。こうした、現代の若者にあるまじき礼儀正しさがパートの女性陣にも好評だ。

 「では、わしと一緒に来て貰おう。御主人様がお待ちかねじゃ。」

 「エッ??・・・もしや、それはムッシュー・・・。」

 「シッ!!・・・この場所で、その名前を口に出してはならぬ。」
 御者は大げさな身振りで制止すると、背後の客室の扉を指差した。

 「さぁ、乗った。乗った。」

 馬車は走り出した。
 意外に揺れる座席に身を預けながら、スズキくんは考え続ける。

 (ムッシュー田中・・・そのデビューは少年ジャンプだという。
 肉の脂身だけを盛り付けたステーキのような、濃すぎる絵柄。
 ゴシック調の墨ベタ重視。妙に重苦しい。
 男、女、おっさん問わず、主役キャラは似た顔しか描けない。潰しの効かぬキャラ設定。
 一見達者そうに見えて、実は無駄の多いコマ運び。
 そして、作中にマントを翻し自ら語り手として颯爽と登場するサービス精神。
 しかし、造り込み過剰で、結局只の空回り。
 空振り覚悟で大振りするクソ度胸は買えるけど。まったく有り難味に欠ける、その言質・・・。
 考え深げに見えて、全然知恵の足りない筋立てに、小生げんなり・・・。)
 
 やがて、前方に小高い丘が見えてきた。生い茂る森の樹々を睥睨するかのように、如何にも西洋風のシャトー(城館)が聳え立っている。

 「あれこそが、」
 御者が声を潜めて云う。「ムッシュー城です。」

 「うーーーむ、どう見ても関越沿いにあるラブホ・・・。」
 
 「シーッ!御主人に聞かれたら、ただでは済みませぬ!」
 御者は、恐ろしげに燈火ひとつ見えない城を仰ぎ見る。「御主人様の目となり耳となる生き物が、この森にはウヨウヨ居るのです。」

 「例えば?」

 「城の地下に巣くう、吸血コウモリです。夜になると穴倉から這い出してきて、この一帯を飛ぶのです。徒党を組んで、周辺の民家を襲うこともあります。住民達は、これを“田中の怒り”と呼んで恐れています。」

 「うーん、ネーミングにセンスがなァ・・・。それで、ムッシュ-は、テレパシーとかでコウモリを操る訳ですか?」

 「いや、実は時給制なのです。非正規雇用なので、安く上がります。」

 「むー、けしからん話。」

 古風な跳ね橋が見えて来た。

 「ドゥーーーッ!!」
 馬車は車輪を軋ませて停止した。馬を落ち着かせながら、御者は橋の向こうの巨大な鉄扉を指し示した。
 「私のご案内できるのは、ここまで。あの門に着いたら、呼び鈴を鳴らしなさい。」

 丁重に礼を云って別れたスズキくんは、この御者も“非正規雇用”なのだろうか、と気になった。そのフードの下からは、いま掘り出した死体のような悪臭がぷんぷんしたからだ。

 呼び鈴に応えて、重い鉄扉を開いたのは、意外なことに、華のような美少女であった。
 きちんと西洋風のお仕着せを着て、正式なメイドルックだ。
 キラキラした黒目がちの瞳に、お星様が飛んでいる。

 「あ、あの・・・。」
 連載初の正統派ロマン過ぎる展開に、焦ってスズキくんは訊いた。
 「このお店、チャージいくらですか?」

 少女は可愛く小首をかしげる。
 それでも健気に、鈴を震わせるような声で、云った。

 「あの、スズキさまですね?お待ちしておりました。」 

 案内されて通されたスズキくんは、おっかなびっくり重い絨毯を踏んで、広いホールを横切った。中央に大階段が二階へ伸びており、周囲を取り巻くようにテラス付きの回廊が廻らされている。

 「はて・・・。」
 スズキくんは、なぜか既視感に捉われ、首を捻る。
 「こんな建物、初めての筈なのに、なんでか見覚えがあるんだなァー・・・。」

 「あッ!!!」
 驚く少女を尻目に、階段の端に駆け寄る。
 「1F、向かって左の扉は食堂だ。」ちょっとドアを開けて、確かめる。「ということは・・・階段左手の隅には、タイプライターが・・・。」

 確かに、小卓の上にタイプライターが設置されていた。インクリボンも転がっている。

 「これは、バイオハザード1のオープニングの洋館じゃないか?!」

 
パチパチ、と拍手の音が聞えた。
 中央の階段を、何者かが重々しい足を引き摺りながら降りて来る。

 「ブラボー、ブラボー。ブラボー小松。さすが、怪奇探偵として名高いスズキくんだ。
 よく見破ったと褒めて遣わす。いかにも、本館の設計はカプコンの名作ゲーム、『バイオハザード』第一作を踏襲しておるのだ。」

 突き出た悪魔のような鷲鼻。
 鋭すぎて、睨んでいるような異様な眼光を放つ両目。銀髪。
 結びの長いリボン状のネクタイに、黒い光沢のあるスリーピース。
 偉丈夫な巨体を覆い隠す厚手のマントも、漆黒の闇の色。
 握りに髑髏をあしらったステッキを持ち、背後に獰猛そうな猟犬を伴って、ゆっくり階段を降りて近づいてきた。

 「ハロー。」

 よく透る低いバリトンの声が空気を震わせ、男は右手を伸ばす。

 「はじめまして。が、ムッシュー田中である。」

 
 (以下次号)

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2010年2月22日 (月)

牧原若菜 『戦慄!おおぐち女』 ('06、日)

 うーーーん、別に語ることないんだけどさ。
 あ・え・て、言いますね。ごめんなさいね。
 
 マンガの恐怖、って何なんだろうね。とか、あたしは思うわけ。
 こわいことが起こる。
 こわい人(霊とか、口裂け女とか)が出る。
 それだけじゃ、実は、たいしてこわくないんだよ。

 あんたも、痛いとか、ひどいとか、そういう感じは予想がつくでしょ。
 自分がそういう目にあったこと、あるだろうし。
 他人にしたことだって、あるでしょ。あるよねぇ?
 あれは、心が感じるんだ。
 痛いのは指だけど、本当はちがう。指が痛い、と心が感じているだけ。
 こんなの、なにも手術なんか受けなくても、歯医者でますいしてもらえば、すぐわかるよ。
 ますいは、歯と心のあいだの連絡を断ってしまう。
 だから、痛いはずの歯が、もう感じられなくなる。
 たしかについているはずの、自分の歯がわからなくなってしまうのは、とてもこわいことだ。

 死ぬ、ってことも、それに似てるんじゃないか、と思う。

 でさ、先に、あんたのきれいぶった、化けの皮をはがしておくけど、
 あんたが生きてるのは、迷惑なんだよ。
 巨大な、迷惑なの。
 人は、人に迷惑をかけて生きているもの。
 地球温暖化、って騒いでるでしょ。人類がいなくなれば、二酸化炭素なんか減るよ。あたり前の話じゃない。
 ためしに死んでみれば、わかるよ。

 (なぁに、たいしたことじゃないって。)

 あんたがいなくても、夜明けは来るし、電車も動くだろう。
 学校の友だちも、すぐに忘れてしまうだろうよ。

 ・・・って考えるの、恐ろしくない?
 どう?
 なんともない?
 そんな、あんたが怖いわ(笑)。

 だから、恐怖マンガって必要なんだよ。
 なんというか、親切なんだよ。作家のみなさんは。
 この世におそろしいものがあることを教えてくださってるわけ。わざわざ。
 人間がいるかぎり、死の恐怖はついてまわるし、一生かけても慣れることはできないんだよ。
 試験で百点とっても、死ぬときは死ぬの。

 たしかに、きみたちの言うとおり、牧原先生のマンガってあんまり面白くないし、「もっとがんばれ!」って感じだけど、
 きみたちの好きな、絵のうまいナンタラ先生なんかが、手を出さないところでがんばってる。
 そこは評価してあげてね。お願い。

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2010年2月21日 (日)

ジョン・W・キャンベルJr. 『月は地獄だ!』 ('51、米)

 ジョン・W・キャンベルJr.は、アメリカSF界で史上二番目に偉い編集者/作家である。

 「アスタウンディング・サイエンス・フィクション」の編集長で、アシモフやらハインラインやらヴォクトやらを顎で使っていた人物だ。

科学考証を重視し、エキサィティングなストーリー展開を好んだ。彼のイメージしたものが、五十年代米SF界のクラシック、名作の数々を生んだと云っても過言ではない。
 一方で自分の理想のSFを実現する(!)ため、啓蒙を意図しながら小説も書いた。
 最も有名な作品は、のちに『遊星からの物体X』として映画化された、傑作中篇『影が行く』だろう。
 
(ところで余談だが、米SF界ナンバー1とは、一体誰か?
 
SFというジャンルの創設者、すなわち史上最初のSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』編集長、ヒューゴー・ガーンズバックである。
 しかし、こうした豆知識を知らないと、業界では虫けら呼ばわりされかねないのだから、まったくもって剣呑な構造だと思う。どうにかならんものか。
 編集者がヒエラルキーの頂点に君臨する図式は、80年代のロリコン漫画誌、幾つかのプロレス誌などにも共通してみられ、これは当該ジャンルの偏狭さを物語る指針のようなものである。)

 

 さて、キャンベルは確かに各方面に色々な影響を与えている大物なのだが、今回特に強調しておきたいのは、かのスタニフワフ・レムに対する影響である。

 『月は地獄だ!』を読み直してみて、レムの一連の宇宙小説を連想したのは私だけではあるまい。驚くほど、これはそっくりなのだ。嘘だと思うなら、もう一度、読み直してみて欲しい。

 物語は1981年(!)、二年半に及ぶ月面探査を終えたアメリカ探検隊が、帰還のロケットを待っている場面から始まる。

しかし不慮の事故により、迎えの船は目の前で爆発四散、隊員達は全員月面に取り残されてしまう。
地球側で事態を把握し、再度帰還船を建造して打ち上げるまでに一年以上はかかるだろうと推測される。(基地は月の裏側にあるため、地球との直接交信は不可能なのだ。)
クレーター底に設営されたドーム状の基地では、生存の為の会議が開かれ、二か月分しか備蓄が持たない空気や食糧の問題を如何に解決すべきか真剣に討議される。
 石膏を電気分解し、水を取り出す。そこから酸素を抽出しドームに満たす。
 動力源は太陽光電池だ。太陽光線が射すと、銀板と薄い第二の金属層の間に強い電流が生じる。セレン化銀の鉱脈を掘り当て、手作りで電池をどんどん増やし、基地の周りに設置していく。 
 しかし、食糧は?月面に蛋白源などあるだろうか・・・?

 総勢十五名の隊員は使命に燃える仕事熱心な男ばかりで、彼等の地球での私生活や個人の性格、趣味などは殆んど描写されない。とにかく、アグレッシブな宇宙野郎揃いなのである。

 一読、あぁレムだな、と思ったのは私だけではあるまい。
 『砂漠の惑星』(
64)の無敵号乗組員たちや、とりわけ『宇宙飛行士ピルクス物語』(68)に登場する人々にそっくりなのだ。ファーストネームではなく、姓名のみで呼ばれる点も同じだ。
 物語はともかく、この過酷な環境下でいかに生き延びるか、それのみに絞られ、探検隊副隊長の日誌として記述されていく。個人の日記なのに、甘い感傷や個人的な感情には殆ど触れられない。途中隊員たちは片足を失くしたり、鉱山事故で死亡したりで、どんどん数が減っていくが、一切躊躇は許されない。驚くべきハードさだ。そりゃそうだ、油断したら死んでしまうのだから。
 確かに、月は地獄だ。
 しかし、それは燃える男の職場でもあったのだ。
 
 白人至上主義(キャンベルはエイリアンすら蔑んでいた!)、晩年の超科学への傾倒など、批判される向きが多いのは先刻承知しているが、
 昨今の砂糖やガムシロップを混ぜたようなSFに食傷している皆さんは、もう一度これを読んで真剣に考えてみるべきだと思う。
 そのヴィジョン、可能性について。
 ハーラン・エリスン程度の作家を問題にするのは、その後で充分だ。

 だいたい、SFという特殊ジャンルは、本来とてもストイックかつ生真面目で、小説としての膨らみに欠ける危険性すら孕んだ、危うい構築物だった筈ではなかったか。

 今となっては、過激な性描写やバロウズばりの言語遊戯より、古典的な宇宙小説の方がよっぽと「危険なヴィジョン」だよ。皮肉にも。
 

 SFファンを自認する諸君、あんたら全員、キャンベルに頬を張られてみるべきだ。今すぐに。

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2010年2月18日 (木)

尾崎みつお『女吸血鬼マリーネ』 ('85、日)

 さぁ、諸君。未来の恐怖に出会うのだ。

 あるいは、恐怖の未来に。
 その名は、尾崎みつお。うーむ。いまいち締まらないようだが、気にするな。

 とはいえ、『女吸血鬼マリーネ』は、明らかに意欲作だ。

 ラヴクラフトをモチーフにした悪魔信仰。巨大な城の如き洋館。100%白人の吸血美女。非日本的なバタ臭さを変換することなく、そのまま現代に持ち込もうという目論み。
 傑作になりそうな瞬間はあるのだが、それを見事に取り逃がす。この残念な感じを記述してみるのも無駄ではないだろう。

 主人公恵子は、水前寺清子の髪型を持つ、女子中学生。
 不安定な尾崎みつおの作画力によるキャラクター造形は、特に冒頭数ページ、この娘を大友克洋風に描いてしまっている。リアルだが、決定的に可愛くないということだ。
 だが、違いはある。
 大友が決してやらない描写、そして本物のチーターにはない要素、足の長さに注目していただきたい。常にパンタロンを着用している彼女の足は、日本人にあるまじき長さを誇っている。そして、パン線くっきり。これは好印象を生む。マニアですな。
 しかし、まさかとは思うが、映画『ヘル・ハウス』の霊媒フローレンス(パメラ・フランクリン)を意識しているとしたら、恐るべき相克だ。これ、まったく違うものだもの。
 ここにも描写力の無さが生む悲劇を見ることができるのかも知れない。

 さて、恵子の兄、医者の哲雄は、四十年前に死んだ女吸血鬼マリーネに魅入られ、関係を結ぶ。(止めのコマだが、ベッドシーンが数コマある。)
 彼を救おうと、駆けつける三人の男。
 黒髭、トレンチコートの中田博士はオカルトの権威。期待させる風貌ながら、残念だが、市の図書館で古い記録を調べるぐらいしか役に立たない。
 哲雄の同僚、川崎は退屈な人物。主人公を庇うが、やすやすマリーネに突破され、これまた役に立たず。残念だ。
 最後に残る超心理学者、源隼人はもろロディ・マクドゥオールの如きタートルネックの二枚目。でも、椅子を投げる程度で、全然活躍しない。

 結果として、『マリーネ』は凡庸なオカルトもどきに終始するのだが、この原因として吸血鬼の攻撃が異様に地味なことが挙げられる。
 以下ちょっと具体例を述べておこう。
 
 嵐の夜。吹きつける風、叩きつける雨。ドアが叩かれるが、開けるとそこには誰もいない。
 室内に戻り、おびえる主人公の少女。
 次に、窓ガラスがラップ現象により、ビリビリと鳴る。
 「うわぁ!」・・・再び、おびえる主人公。
 窓に気を取られていると、いつの間にか部屋の暗がりに、女が立っている。
 黒いマントの洋装。外人の女だ。
 振り返り、気づいて、またしてもおびえる主人公。
 意味の解らぬ威圧感(=外人の女が近寄って来るだけ)に押され、遂に部屋の角に追い詰められて、恐怖のあまりに失神してしまう。なぜ?
 倒れた主人公の喉もとに迫る、吸血鬼の牙。あわやこれまで、という瞬間。
 突然、電話が鳴り響く。
 おびえる吸血鬼。え?
 スーッ、と闇に溶けて消え去っていく吸血鬼。主人公は、こうして窮地を脱するのでありました・・・。

 いかがだろうか?場面を書き写していて、まったく意味が分からず、キョトンとする諸君の顔が浮かぶようだ。
 実のところ、私自身にも意味がよく解らないのだ。電話におびえる吸血鬼なんて、初めて見た。(こそ泥か?)
 しかも、これを妙に堅い、写実的なタッチでやるもんだから、笑いや突っ込みに転化することなく、「変な場面だったな。」と思いこそはすれど、そのまま普通に流れていってしまう。あぁ、もったいない。
 もう少し、なにか妥当な方法はなかったのだろうか。もどかしい思いに駆られるのは、誰も皆同じだろう。

 総括するに、このマンガ、先のキャラクター紹介でもお判りの通り、出るべきものは全部出ている。ハマーホラー的な吸血美女、老婆の召使い、洋館。墓地。悪魔の呪文。欧米オカルトの定番は見事に用意されている。
 だが、なにひとつ、生かしきれていない。
 それこそ、なにひとつ、だ。
 女吸血鬼マリーネの正体は、堕落した霊媒(!)と、悪魔との間に生まれた怪物であるらしいのだが、異常な外見をしている訳でもなければ、ど派手な超能力を駆使する訳でもない。せいぜい、部屋ひとつ、ガタガタいわす程度。
 最後に、眠っていた墓地で掘り起こされ、いきなり胸に杭を打たれ、とどめを刺されるのだが、こいつ寝てばかりで、ろくな抵抗もしない。やる気はあるのか。放っておいても別に問題なかったのではないか。
 お前も、吸血鬼なら、もっとドバーッといけ。ドバーッと。

 とはいえ、私は物語におおむね満足した。
 誰か、小栗虫太郎の名作『黒死館殺人事件』を、『新青年』連載時「夥しい素材の羅列に過ぎない」と酷評した人がいたらしいが、
 その伝に倣うなら、これもオカルト素材の典型を寄せ集めただけのシロモノだ。
 しかも、日本的な土壌に根付かせることなく、ぶざまに接ぎ木してあるだけだ。
 それは、素晴らしいことではなかったか?
  
 これは、未来の恐怖なのだ。
 現在のわれわれの浅薄な認識ではその意味合いはまだまだ、存分に理解できていないだけのことだ。
 では、『吸血鬼マリーネ』を一体どう扱えば、恐怖マンガとして成立しただろうか。
 
 この問題ひとつ考えるだけで、充分に夜は長すぎる

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2010年2月17日 (水)

影丸譲也/梶原一騎 『白鯨』 ('68、日)

 「帆をあげろーーーッ!!」

 威勢のいい声が響き渡り、帆船は港を離れ、大海原へと乗り出した。
 幾人もの漕ぎ手が背骨も折れんと繰り出すオールは、タールのような海水を掻き分け、沖へ沖へと船を押しやる。

 「・・・ひやぁーっ、こりゃしんどい。」

 まだ二十代の好青年スズキくんは、ぽちゃぽちゃのお腹を押さえて息を切らせている。
 目深に被った船員帽も斜めにかしいで、風に飛ばされていきそうだ。

 「読者でいるぶんには、梶原一騎・男の美学も大いに結構だが、実践するとなるときびしいもんだにゃぁー。
 今後はぜひ、『かぼちゃワイン』だとか、お気楽な路線を取りあげて欲しいもんだ。」

 「貴様、なにをゴチャゴチャ喋ってる。」
 腕に極彩色の彫り物のある船乗りが、床にへばったスズキくんを叱咤した。
 「そんなとこでさぼってると、船長に叩き殺されちまうぞ。」

 「船長さまの、お成ぁ~り~!!」

 どこかで鐘が乱打され、甲板に居並ぶ乗組員たちに緊張が走った。
 予定より早い登場だ。
 原作どおりなら、船が出港して待てど暮らせど船長は姿を見せず、誰もが寝静まった真夜中に上部甲板をコツコツと歩く、気味の悪い義足の音が聞こえて来る筈だ。
 なぜ、段取りを無視するのか。これは、もしや。

 操舵室の扉を開けて、顔を出したのは、髑髏の面をかぶった奇怪な人物だった。右足は確かに義足だが、鯨の骨ではない。
 形状からして、鶏骨らしい。

 「お待たせ!わしが、船長だよ~~~ん!!」

 やけにハイテンションで、軽いノリだ。
 乗組員たちは、ある意味で恐怖した。こんな軽薄そうな男に、悪魔の化身のような、あの呪われた鯨を倒せるものか。
 物語には、そして登場人物にはおのずと品格というものが定められているのだ。

 「わしは、あの鯨がにくい!!」
 周りの思惑を無視して船長は、キンキン声で断言した。 
 「あいつは、わしの右足を喰らい、わしの人生を破壊した。わしの船を沈め、わしの輝ける希望の未来を完膚なきまでに奪い去ったのだ!!」

 ここで、船長は息を切ると、同意を求める苛烈な瞳で、一同を眺め渡した。
 仕方なく、一同は気のない声で唱和した。「・・・イェー。」

 髑髏面の男は、我が意を得たりと深くうなずくと、ふところから一冊の本を取り出した。
 講談社コミックのオリジナル版『白鯨』だ。プレミアがついて、原書は五千円以上もするシロモノだ。

 「同志カジワラ!!男の中の男!!
 影丸譲也と初コンビを組んだ『白鯨』は、燃える男のバイブルだ!
 六十年代『少年マガジン』の勢いが窺える、豪華四色カラーページ付き!
 たいして脱ぎもしないアイドルの水着なんか、クソくらえ!
 少年誌はあくまで、マンガ一本槍で勝負だ!
 主人公イシュメルが熱血小僧に、クイークェグが頼りがいのあるインディアン、あのモヒカン族チンガーみたいな寡黙な勇者に、そしてスターバック航海士とエイハブ船長は、ジョン・ヒューストンの映画版そのまんまに!
 まさに完璧な翻案である!
 なんたって、このエイハブの顔が、グレゴリー・ペックのやり過ぎ特殊メイクそのもので、著作権の概念など軽く無視してくれちゃってるあたり、最高だ!
 面白ければ、なんでもあり!
 まさに、カジワライズム!人間の性、これ悪なり!」

 「ま、やり過ぎて時々、ブラックジャック先生に見えますがね。」
 
 「誰ダァ、いま喋った不届き者は?!」
 船長は、不用意に話を中断され、逆上して叫んだ。
 「ちょこざいな小僧め!!名を、なのれェーーー!!」

 スズキくんは、やけくそで叫んだ。

 「赤胴鈴の助だァーーー!!♪剣をとっては、ニッポンいちにィ~♪・・・」
 
 「こいつを船倉にブチ込んどけ。」
 船長は、冷静に部下に指示を出した。
 もがくスズキくんが連れ去られるのを、鼻で笑って見ながら、
 
 「よーし、よく聞けェー!!
 一番最初に白鯨を見つけた者に、ホレ、この銀貨をやるぞ。」
 船長は、長い釘を取って越させると、メインマストに硬貨を一枚、打ち付けた。
 
 「なんだ、五十円玉じゃないすか。」
 誰かががっかりした声を出した。

 「バカモノ。真ん中に穴が開いてるから、固定するには便利なのだ。」
 勝手に深く頷くと、大声で叫んだ。
 「それでは、帆をあげろ!!地獄に向かって、一直線だ!!」

 -その夜。 
 
 マストに燃えるセント・エルモの火で、日野日出志『地獄少女』を読みながら、スズキくんは恐怖に震えていた。
 夕刻、ようやく船倉から開放されたと思ったら、今夜の不寝番を言い渡されたのだ。
 「鯨が現れたら、半鐘を叩いて知らせるんや。わかったな?」
 片目の小ずるそうな船員に、遠眼鏡と半鐘を渡されたスズキくんは、否応なしに一番高いメインマストに登らされた。
 見下すと、海面から何十メートルもの高さだ。
 ビュウ、ビュウと強風の吹きつけるマストの先端部には、幅1mほどの円形の見張り台があって、辛うじて身を屈めて落ちないように支えることが出来た。だが、寒さと高度に足が震えてくるのは如何ともしがたい。
 
 「・・・まったく、最低でございます。」
 スズキくんはぼやいた。「一歩間違えれば、自分の命もなくなる過酷な状況に立たされ、持参した恐怖マンガを読み続けるだなんて・・・。」

 それでも『地獄少女』のあまりに残酷な運命に、我を忘れて読みふけっていると、遠くで何かの叫ぶ声がした。

 「・・・ファァック・ミィー・・・ハァーーード・・・!!。」

 「ん?」 
 スズキくんは目を凝らしたが、水平線に何も見えない。月もない夜、飛びすぎる厚い層雲の下に、真っ黒い茫漠たる海がどこまでも広がっているばかりだ。
 
 「おぉーい、見張り番!」
 マストの下で呼び声がした。船長だ。「今、なんか聞えたぞー!」

 「いいえー、異常ありませーん!」
 スズキくんは怒鳴った。「気のせいでしょう。」

「・・・アィム・カミング・・・カミング・・・ヤー!・・・ヤー!・・・。」

 風に乗り、異様な咆哮が、再び、確かに聞えた。
 と、思うや、海面をぶち破り、巨大な白い影が闇夜に躍り上がった。
 波しぶきが、ザバーッと甲板に降りかかる。

 「アアッ!!あれは・・・白ゲイ・・・、
 ・・・いや、違う。白人のゲイだッッ!!!」


 船の間近の海面から浮上した巨体は、黒いレザーのパンツを股間にギリギリ食い込ませ、大きく開いた胸元から、悪鬼の如き胸毛をモジャモジャと生やし、濡れた瞳は物憂げに煙っている。

 「白ゲイというか、ハードゲイのようです。」
 スズキくんは冷静に船長に報告した。「最低ですね。」

 怒り狂った船長は、髑髏のお面をかなぐり捨てると、マストをよじ登ってきた。
 「コラァ!!スズキ!!ちゃんと仕事しろー!!」
 「あッ、あなたは・・・!!」

 「俺は、怪獣男爵だ!」
 と、醜いツラを振り向けて、古本屋のおやじは云った。

 海中から現れた巨大な白人男性は、常人の数百倍のサイズを誇るおのれ自身を剥き出しにすると、帆船の背後に廻って、腰を使い始めた。

 「オウフッ・・・オオゥ、フッ・・・オオウッ・・・。」

 船板に大穴を空けられ、浸水し、沈没していく捕鯨船の上で、スズキくんとおやじの死闘は続いていた。
 逃げ惑う乗組員たち。いつの間に火の手が上がり、倒れかかる無数のマスト。崩れ落ちる船橋。鳴り響く半鐘の音。ごんごん、ごんごんごん。

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2010年2月15日 (月)

御茶漬海苔『恐怖テレビ』('98、日)

 「あのさ、これ。」

 古本屋のおやじは、指差した。「恐怖マンガじゃないよね?」

 スズキくんは、内心“きたか”と思いつつ、「そうですか?」と平然と応じる。

 「低年齢層への薬物蔓延だとか、DVとか、サバゲー感覚の殺人とか、厚生省の非加熱製剤問題とか、沖縄米兵レイプ事件とか、潜水艦なだしおの衝突事故とか、全部実際に起こった事件なワケじゃない?
 これが恐怖マンガだったら、日常は全部恐怖マンガだよね?」

 「それはそうですが。
 短いページで、結構うまく纏めてると思うんですが。」

 おやじは、太い指を絡めて顎を乗せる。

 「うん、関心を持つのは大いに結構だと思うんだよ。
 こないだ、氏賀Y太の女子高生コンクリ詰め殺人をテーマにしたマンガを読んだ時にも思ったんだが、なにを描きたいのかは非常にハッキリしている。見せ方も心得ている。
 確かに、起こった事件は最悪だ。
 作品の題材としてみたい人がいても、おかしくない。
 だがね、不遜な言い方かもしれないが、実際、現実に起こった事件を扱う場合、作者の立ち位置が問題になってくる。」

 「立ち位置といいますと?」

 「力量といってもいいかも知れないな。
 まんま描いても、現実に負けるんだよ。

 御茶漬さんなんか、作家力はあるタイプじゃないかと思うんだが、起こった出来事の重さに押されて、題材を生かしきれてない気がするね。
 作家ってのは、作品世界において神として振舞うもんなんだよ。
 ひどい奴らなんだ。」

 「はァ・・・。」

 「傍観者として見ていれば、現実にひどい事件は幾らでも起こってくる。
 ジャーナリズムの立場から、報道し、社会に対して問題提起をするのは、必要なことだろう。
 でも、作家の本分ってのは、また別のところにある。
 創作世界の中で、その事件を再現するってことは、事件を起こした奴らと同じ場所に立つってことなんだ。
 そのことの意味を突き詰めないと、現実に負けてしまうんだ。」

 古本屋のおやじは、溜息をついた。

 「・・・と、偉そうな口をきいているが、これは別にわしのオリジナルではないよ。
 読んでみるかね、中井英夫の『虚無への供物』?
 ジャック・ケッチャムの幾つかの作品でもいいし、アラン・ムーアの『フロム・ヘル』だっていい。
 実在の人物や事件を扱うってのは、結構しんどいものなんだ。」

 スズキくんは、急に寡黙になったおやじに、それでも小声で囁いた。

 「・・・でも、非加熱製剤の隠蔽に関わった学者のジジイが、脳天串刺しになって惨死するところ、あれは良かったでしょ?」

 「あぁ、ああいうのはいいね。」
 ニヤリ、笑った。
 「犠牲者の霊魂に押されて、病院の窓から転落するって展開は、月並みだけど・・・。」
 おやじは嬉しそうに、毒づいてみせた。

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2010年2月14日 (日)

パスカル・コムラード『セプテンバー・ソング』('00、仏)

 チープなキャバレーサウンド。オモチャのピアノやら、なにかで。

 パスカル・コムラードは、小じんまりした可愛い毒気をふりまく、ファッション系やら文化人系にも受けのいい音楽家である。
 結構、キャリアの長い人だ。
 東急文化村と相性のいい感じ。(実際呼ばれて、何かの音楽監督を勤めたりしている。)
 でも、本質は、実は新宿マルイ本館なのである。そこんとこ、お間違えなく。

 知ってる人は知ってるし、知らない人はまったく知らない。
 そういう微妙な位置にいる有名音楽家は、世の中に結構たくさんいて(世界的ミリオンが連発した時代の後遺症か)、人口に膾炙するほど大ヒットしたシングルでもなければ、まぁ、仕方ない、無名呼ばわりも当然の結果ではあるのだが、
 それでも読者の理解を助けるために、パスカル・コムラードについて、誰でも知ってる強引な類似例を挙げると、大きなレコード屋で、ペンギン・カフェ・オーケストラと同じ棚にある感じだ。
 (これは解り易い。同世代には。)

 かつては、こういう種類の音楽は、「イージー・リスニング」と呼ばれていたのだが、よく考えたらその音楽を演ってる人に差別的な表現だ、というので廃止になったらしい。
 (「ニューエイジ」とかいう、実体のよく解らないジャンルが登場して以降のことである。)
 こういう軽い音楽を、それこそ気軽に楽しめるというのは精神衛生上素晴らしいことだと思うのだが、なにしろ昨今は世界中でふところが厳しい。

 価格に見合った以上の内容を要求されてしまう。
 無駄なものに値打ちなどない。
 精神性をもっと組み込まねば、商品として駄目だ。
 
 そういう理由で、「イージー」な「リスニング」行為すら許されなくなるとしたら、これは寂しいことである。
 すなわち、最近は軽薄な音楽でも、真剣な顔で聴くのが流行っているようで、いかがなものかと思う。
 
 さて、私がこの盤を入手したのは、タイトルの「セプテンバー・ソング」をロバート・ワイアットが歌っているからである。
 ご存知、クルト・ワイルの名曲だ。
 (いくらなんでもワイルは分かるね?『三文オペラ』とかの、ドイツの人だよ。もう、死んでるよ。)

 ワイルの曲は有名なので、いろんなアーチストがカバーしてるんだが(一番有名なのは残念だがドアーズの『アラバマ・ソング』か。)、
 ところで、きみ、世界最高の「セプテンバー・ソング」が誰のヴァージョンか知ってるかね?
 正解は、ルー・リードの「セプテンバー・ソング」である。
 誰がどう聴いても、ルー・リードの曲にしか聞えないところが最高だ。
 あまりにカッコいいので、泣けてくる。ぜひ御一聴を。

 というのは完全に余談で、問題はロバート・ワイアットである。
 あたしは、徳間ジャパンがROUGH TRADEモノの一環として、EP『WORK IN PROGRESS』とシングル「SHIPBUILDING」とか詰め込んだ編集盤を出した頃からずっとファンなのだが、
 この人、何を歌っても同じである。
 清涼感のある、静かな歌声なのだが、透明感はあっても明るさが微塵もない。温かみはあるのに、生の躍動が感じられない。
 この世の外から歌っているような、へんな声である。
 他に似た人がいない、特殊学級のような声質がうけて、結構いろんなところに顔を出して歌っている。
 (珍しいところでは、坂本龍一が『BEAUTY』でストーンズの「WE LOVE YOU」を歌わせていた。いじめか?)

 そういう意味で、今回の「セプテンバー・ソング」もパスカル・コムラードのチープなオケとの相性は非常に良くて、なかなか聴かせるテイクに仕上がっている。
 これは、ワイアットのファンには、実は悔しい話だ。
 
 私が何を問題視しているのかというと、比較的コンスタントに(といっても五年とか六年間隔だが)ロバート・ワイアット自身のアルバムも出ているのだが、これがどれもこれも大して面白くない出来なのである。
 ワイアットのファンは善良な人が多いらしくて、悪口のひとつも聞かないから、ここは長年のファンとして、云いたいことを言わせて貰う。
 奴も、もう相応の高齢になっていることだし、私もそうだ。
 残り時間は少ない。
 
 ワイアット、お前は今すぐカバーばかりのアルバムをつくれ!
 世界各地のミュージシャンと共演する必要はないぞ。
 演奏は自前のチープなキーボードと、パーカッションだけで充分だ。

 ジャズにはおもねるな。

 最近のお前の曲は、どれもいまひとつだな。
 どういう曲がいいのか分からないなら、俺が教えてやるから、今度電話してくれ!!
 

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2010年2月13日 (土)

好美のぼる『悪魔のすむ学園』 ('86、日)

 怪奇マンガの末路を考えてみよう。闇はどこへ消えたのか。
 かつて、へび女に戦慄しミイラ少女に恐怖した人々は、どこへ行ったのだろうか。
 
 大雑把な想定をするなら、まず貸本・赤本といった大手出版とは切り離されたアンダーグラウンドの媒体があって、マンガが「悪書」と呼ばれた時代から、脈々と不健全な出版物を世に送り込んでいた。そこには露骨な暴力描写の犯罪物や西部劇、古典的な因果物、時代物、怪奇物など主流から埒外とされるものなら何でもあって、相応の隆盛を極めていた。
 しかし、マンガの単行本スタイルが新書判に移行し、貸本文化が廃れるにつれ、それらの本を出していた出版社も作家達も身の処し方を真摯に検討せざるを得ない窮地に追い込まれていく。
 例えば、水木しげる先生はもろに貸本の世界から出てきた人だし、大手の雑誌に描いてヒットを飛ばした数少ない例外のひとりだ。楳図かずお先生だって勿論そうなんだが、どう見てもこれらの天才達は一握りのレアケースに過ぎない。
 基本的に大多数の作家は、受け皿を失くし、貧窮して歴史の闇に消えていったものと思われる。
 貸本から新書判へ出版形態を切り替えて、呪われた出版活動を続けていたひばり書房がどうやら末路を迎えるのが1989年頃らしい。(あのスズキくんも血まなこで探している、川島のりかずの伝説的な名作『中学生殺人事件』が最後の出版物であるようだ。)史家が探っても正確なピリオドが特定できない辺りにも、まさに闇に葬られた感が漂うようだ。
 見ようによっては昭和の時代と心中したようにも受け止められる、少壮出版社の死は、何だか因縁めいていて、これをもって怪奇マンガの終焉と位置づけたくなるのは、私だけではないだろう。

 さて、そんな物情騒然たる、怪奇マンガ末期の時代を背景に、好美のぼる先生の最後の闘いが始まる。

 好美先生は、大正九年生まれ。『悪魔のすむ学園』の執筆時には、御歳六十六歳であらせられる。曙出版より『明治毒婦列伝』やら『世界文学漫画全集』やら大人向コミックを手掛けられ、やがてホラージャンルに開眼、『呪いのウロコ少女』『呪いのワンピース』『呪いの肌着』やら、『妖怪屋敷』『怪奇手相コミック・あっ!生命線が切れてる』など、立風レモンコミック、笠倉出版などあちこちの出版社で、その独特の脱力感以外に特に語るべきものを持たない傑作を連発されていた。(なお、先生は1996年二月、故人となられている。)
 
 好美先生の画風は、ひとくちに説明するなら、達者な手抜き、妙に生真面目かつ優しげなキャラクター達がカクカクした、ユーモラスかつ一本調子な動きを見せる、およそ洗練とは程遠い、前時代のシロモノだ。物語の運びも、アバウトかつ適当で、せわしない現代に生きる我々の眼から見れば、おおらかで牧歌的な印象が残る。なんだか、とってものんきな感じ。
 台詞や書き文字のセンスも独特で、例えば“口裂け女”に次ぐ第二弾、『目裂け女』(もちろん、「私の目、きれい?」というのがキメ台詞)では、「その目、とってくれろ!」に対して掴まれた少女は「キャグー」という意味不明の悲鳴を上げる。
 (・・・なんなんだ、それは?)

 『悪魔のすむ学園』は、そんなトラディッショナルな世界の延長線上に、(よせばいいのに)「パソコン」という当時最先端の機器を登場させることで、迂闊に読んだ不心得者をして、深い、深い改悛の境地に導くという、他ではちょっと見られないような、大変有り難いオーラを発散している。
 意地の悪い上級生三人組に、執拗にいじめられる主人公の中学生少女。なんとかやり返してやろうと、必死に敵のデータ(血液型やら生年月日程度の内容)を収集し、夜の学校へ忍び込んで、教室のパソコンを使って彼女達の弱点を探すという、勝手なイメージが先行する、テクノロジーへの誤解に満ちた展開。
 パソコンによるいじめっ子の性格分析など何の役にも立たず(当然だ。これでは、只の占いである。)、ブチ切れた主人公が「パソコンなんて、何よ!」とキーボードをやけくそになって連打すると、モニターの画面から、
 「ウハハハハハハ・・・!!」と不気味な笑い声が!

 「そんなにパソコンをバカにしたものではないぞ!!」
 「・・・だ、誰なの?!」
 「わしは、パソコンサタンだ!!」

 ・・・出ちゃったよ(泣)。

 好美先生の描く妖怪全般にそうだが、かの『デビルマン』のデーモン族を粗雑にトレースしたかの如きロウファイさ。根が丁寧な方なのだろう、主線の太さなど望むべくもなく、神経質な細い線でワイルドに描きなぐったものだから、ただのへたくそにしか見えない。
 
 「おまえは、ヒステリーを起こして、知らぬ間にY7のキーを十三回と、キーボックスのキーを全部押した。それは、わしを呼び出すシグナルなのだ!」
 「だから現れたのだ、わかったか?!」
 
 力説されても1mmも理解できないが、それにしても「Y+7」とは何か?まさか、(想像するに恐怖だが)「F7」を間違えていまいか?それから、「キーボックス」のキーって、まさか「キーボード」か? そんな馬鹿な。
 (念のため確認してみたが、ご存知の通り、キーボックスとは、警備などで鍵を収納しておく例の金属ケースの総称である。番号入力のテンキーがついてたりはするが、パソコンとはまったく関係ない。)
 恐怖に逃げようとする少女に、パソコンサタンは冷酷に言い放つ。

 「もう、手遅れだ。おまえは、わしのレーザーをあびたのだ!」

 みるみる、デーモンを炒め焦がしたような怪物に変身していく少女。キャーッ。
 好美先生、レーザーの概念も誤解しているようだが、まぁ、いい。突っ込みは諸君に任せておく。

 かくて、偶然呼び出されたパソコンサタンは、少女の下らない仕返しに手を貸すことになるのだが、まぁ、1986年当時一部マニアにしか知られていなかったパソコンの扱いが不適切なのは大目に見ることにして、なんだ、この古臭い、工夫ゼロの古典的な復讐譚は?道具立てが陳腐な上に、誰も死なないではないか。『ドラゴンボール』か?
 主人公がいじめた上級生達に対し、顔を変形させるとか、げろを吐かせるとか、必然性のない嫌がらせをやたら繰り返していって、やがて心底改心した彼女達が、人を呪った後遺症(・・・あるらしい。)で高熱に苦しむ主人公をお見舞いに訪れ、見事和解し、ハッピーエンド。え。
 これは小道具の扱いがあまりに杜撰だとか、そういうレベルの話ではない。
 かつて物語の背後に無限に広がっていた、広大な闇の世界が微塵にも感じられない。
 人が誰も死なないなら、そこに恐怖などありえない。
 恐怖マンガは本質的な訴求力を失って、単なるギャグに成り下がってしまったのだ。
 なんてことだ。当時の子供ですら、本気で怯えた者は皆無だっただろう。

 大げさに悲嘆に暮れる必要などまったくないのだが、ここにひとつの怪奇マンガの終着点を確認することが出来る。古典的な怪奇マンガが最早ギャグマンガの世界以外では成立し得ない、という、極めて恐るべき異常事態の到来である。
 しりあがり寿や、江口寿史やなんかが往年の怪奇マンガを好んでパロディー化してみせるのもこの頃。
 やがて九十年代に入って、Jホラーの台頭と相まって、少女マンガ系から再び、恐怖マンガのブームが巻き起こってくるのだが、それはスプラッタやサイコホラーといった、よりヴィヴィッドな意匠を用いた、まるで別世界の産物だった。

 怪奇マンガの黄金時代は終わったのだ。
 寿ぐ者もなく、まして嘆く者とてなく。

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2010年2月12日 (金)

『ザ・チャイルド』(’76、スペイン)

 物分りのいい大人になら、この映画、逆『ススムちゃん、大ショック』('71)、とお伝えすれば事足れりなんだろうが、
 それにしても、早いな、永井豪。'71年発表か。

(エ・・・あんた、『ススムちゃん』を知らないって?
 なに、それでも、あんた、人間か?!
 
若すぎて知らない?あ、そう。未成年。
 でもね。そういうの、一般社会じゃ言い訳っていうんだよ。世間は許してくれないよ。就職だって超氷河期なんだから。今すぐ反省しなさいよ。こういう不勉強は、命取りになるよ。
 こんな下らないサイトの記事を読んでる場合じゃないんだよ、これ本当よ。
 今すぐ、万策尽くして入手しなさい。悪いことは云わない。頑張れ。
 アラなに、忙しい?いま、受験生なの?
 じゃあ、失敗する前に、余計に急いだ方がいい。
 試験は落ちるだけで済みますが、『ススムちゃん』は一生憑いてまわります。)

 ・・・いささか脱線が過ぎたが、『ススムちゃん』は親の子殺しをグローバルなSF的視野で捉えた、永井豪の傑作短編。のちに、『デビルマン』のエピソードに組み入れられてますから、読んでトラウマになった方は多数いらっしゃると思う。マンガの形をしたトラウマ製造装置。この点に於いて我が国のマンガ表現は、他国に抜きん出て素晴らしい。。
 そういう意味では、近年のマンガ表現はまとも過ぎて、ショック描写が圧倒的に不足していると思われる。
 努力だの、友情だの、勝利だの、そんなもの、もはや結構だ。
 マンガにまず最初に必要なのは、気のきいたショック描写である。

 再び、話を戻す。
 映画『ザ・チャイルド』は『ススムちゃん』の腹違いの弟みたいなもんである。
 豪ちゃんのマンガが饒舌で雄弁だとすれば、こちらはちょっと寡黙なタイプだ。 

 舞台は、スペイン。
 お祭りでにぎわう海岸の観光都市に、夫婦ものがやって来る。妻は三人目の子供を妊娠して身重だが、まぁ、気分転換にバカンスを楽しみたくなったんだろう。
 爆竹が鳴らされ、ハリボテの竜や怪人が練り歩き、祭りの喧騒を極めるこの街に、時を同じくして、全身メッタ刺しの若い女性の遺体が流れ着く。死因は不明。
 主人公夫婦は、騒がしすぎる街にうんざりし、沖合いに浮かぶ孤島へ足を伸ばすことにする。渡航の手配をしていると、突然海岸からサイレンが鳴り響く。
 また、別の死体が漂着したのだ。

 どこかで、なにか異変が起こっている。人知を越えた規模で。

 こうした導入部の描写は、J・G・バラード『結晶世界』('66)の冒頭、結晶化した人体が河岸で発見されるくだりと同じ。
 主人公達の企てる旅が、図らずも謎の核心へと迫る探検行になってしまうのも同様だ。
 やはり、これしかないのではあるまいか。

 『ザ・チャイルド』は、異様に静かな映画だ。
 巻頭の街の賑わいも、主要な舞台が島に移ってからの静寂を強調するため、導入されたものであるに違いなく、昨今流行りの空疎な「ビックラかし」が一切出てこない点も含め、監督の狙いが意外と高級であることを物語る。
 そうそう、この作品のヒントのひとつになっているのがヒッチコックの名作『鳥』('63)であることを考えれば、これが寓意に満ちた大人の映画であることにご賛同頂けるものと思う。
 
 あぁ、この映画のテーマを、ハッキリ書き損ねていた。

 子供による大人皆殺し計画。

 これで、あなたも興味を持ってくれると思う。DVDは通販限定商品らしいので、ちょっと入手しにくいが、頑張って。 

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2010年2月11日 (木)

白川まり奈『母さん、お化けを生まないで』('88、日)

 牛の首を持つおやじが、暗闇の土蔵に座っている。

 表は、叩きつける豪雨だ。
 時折り、ピカリと雷光が閃き、一面に獣毛の生えた牛の顔を照らし出す。
 その顔は、見事なまでに、牛そのもの。

 「ハッ・・・・・・ここは・・・・・・。」
 
 意識を取り戻した、古本好きの好青年スズキくんは、半ば身を起こし呟いた。
 後頭部を鈍器のようなもので殴られ、気がつけば此処にいた。
 一体何が起こったのだろうか。
 と、低く、震える声が響いた。

 「よ・・・く・・・来たな、スズキくん。」

 「うわわわわッ!!う、牛が喋った!!」

 牛の頭を持つおやじは、悲しげに目を伏せた。ちゃんと感情が入って見えるのが、不思議だ。

 「そうなのだ・・・。本来、私が喋るというのは、生涯にただ一度だけである筈で、それもこの国に大きな凶事が降りかかる時のみに限定されるのだが・・・。」

 「あんた・・・くだん、か?」

 震える舌でスズキくんは、その忌まわしい名前を口にした。

 「自分・・・くだん、っす。」

 「面白くないなぁー。」

 「今日は、おまはんの未来を、バッチリ予言しに出て来ましたですよ!!」

 怪物は、山本晋也監督か、深夜放送のD.Jみたいな口調になると、座敷の奥からにじり寄ってきた。ムッとする獣臭が濃くなり、スズキくんは思わず鼻をつまんだ。

 「じゃあ、行きますよ。よく聞いてくださいね。
 ・・・名作『どんづる円盤』でお馴染みの、怪奇マンガ界の異能作家、白川まり奈先生は八十年代に入り、ご存知ひばり書房から3本連続で、長編単行本をリリースしてます。
 ハイ、そのタイトルは?」


 つられてスズキくん、鸚鵡返しに答えを捲し立てた。

 「えーと。
 『母さん、お化けを生まないで』
 『怪奇!ニャンシーの街』
 『血どくろマザーの怪』!!・・・って、クイズかよ?!」

 「ハイ、正解です。
 70年代の作品に比べ、世間の評価がやや落ちるとはいえ、
 これらの本ですら、近年のまり奈先生のマニア人気加熱と共に、古書価格が高くなってしまいまして、おいそれ気軽に読めるもんではございません。
 このほど、私も、意を決して『お化け』入手に踏み切りましたが、まる三日間悩みました。ハゲも出来ました。」


 頭頂部を指差す。牛の頭を指す手は、紛れもない人間のものだ。

 「さて、ここで問題。
 果たして、『母さん、お化けを生まないで』は、面白かったんでしょ~か?!」

 スズキくんが困ってもじもじするのを見て、牛の化け物は、被せるように恫喝した。

 「おい、おい、まさか古本好きともあろうものが、読んでないってんじゃねぇだろうなッ?!」

 スズキくんは、塩をかけられたなめくじのように萎縮してしまった。

 「まぁ、いいや。じゃ、あらすじを教えてやろう。
 俺は、ちゃんと読んでるからな。ガハハハハ。
 まず、十三年前、墓地で呪われた赤ん坊が生まれるんだ。その姿を見た坊主は、恐怖のあまり、たまげて医者になってしまった。」

 「ハァ?」
 「それからな、十三年後、血の汗を流す特異体質の少女は、新宿高層ビル街で自殺を企てるも興信所の女探偵のナイスフォローにより、九死に一生を得る。
 よかったね。」

 「えぇ?」
 「それから、家系図をめぐっていろいろ話があって、手下のジュンは発狂し、踊りながら門扉を出て行くんだ。蔵の前には底なし沼があって、井伊直弼はかつて大老職にあった人物だというのは御存知だろう。
 そして、虐殺&虐殺!高速道路をローラースケートで牛とゲッタウェイ!」

 「??」
 「どうだ、わかったか?お前の運命が?!」
 
 「なんじゃソラ!!」

 怒りにまかせて立ち上がろうとした、スズキくんは、思わずアッと仰け反った。
 持ち上げた自分の手が、ヒズメに!!

 「のわッ!!こ、これは・・・・・・!!」

 スズキくんは、顔だけ残して、身体はすっかり牛になっていた!!

 「・・・・・・グフフフフフフ・・・。」
 
 牛の首を持つおやじが、不気味に笑った。

 「さて、それでは、本日最後の問題です。
 牛の首を持つ中年おやじと、首から下が牛の好青年。
 腕のよい医者がいれば、この難問を解決できると聞きますが、さて、その驚きの方法とは?
 そして、どちらが生き残るべきなんでしょ~か?!」


 「フフフフ・・・。」

 事の真相に思い当たったスズキくんも、暗闇で低い声で笑った。
 そうか。
 これは、そういう話だったのか。
 もはや事態は殺るか、殺られるかだ。
 
 「まり奈先生、今回もアイディアは単行本三巻分ぐらい詰め込んであるな。怪奇マンガ界のベスターかも知れないな。
 来いや、クソじじい!!返り討ちにしてくれるわ!!」

 
轟く雷鳴の中で、スズキくんのヒヅメが宙を蹴った。

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2010年2月 8日 (月)

『ダイヤモンドの犬』 ('74、英)

 FMスタジオ。マイク前の男は、黒覆面を頭から被っている。

 「ゴー!ゴー!!ゴー!!!銭金なくても、ゴゴー、ゴー!!
 
 ウンベルケナシの“ユア・ヒットしてねぇ・パレード”、この番組は、地元の健康守って三十年、瀬戸口薬局の提供でお送りします。
 今日のゲストは、糞溜めから来て貰った、このお二人だ!」

 「あ、どうも、佐々木です。」
 「瀬戸口です。」
 「という訳で、本日のゲストは四月五日にニューアルバムが出る、SUPER46のお二人。では、まずは挨拶がてらに一曲、(急に渋い声になり)
 ディーヴィット・ボウイ、『1984』。」

 (曲、掛かる。ナンか違う。)

 (佐々木、小声で)「・・・おい、これユーリズミックスの『1984』じゃねぇの?セックス・クラ~イムって云ってるぞ。」
 (瀬戸口)「いいんだよ、ヴァン・ヘイレンの『1984』でなきゃなんでも。」

 (曲、終わる。拍手で入るウンベル。)

 「いや~良かった、実にカッコいいですね。ボウイ。」
 (佐々木) 「ボウイなんか、クソじゃん。」
 (瀬戸口、慌ててその口を手で押さえ)「ワッ、こらお前、なんてことを。」
 「ほお、佐々木さん。興味深い発言です。
 これは文脈からして、当然、ディヴィット・ボウイさんのことを仰ってるんですよね?」
 「いや、そうじゃなくて、ホラ、あっちの・・・。」
 (瀬戸口)「ワーーーッ、やめて、トシ、お願いーーー!!」(泣く。) 

 「・・・なるほど。
 ところで、今回お掛けしている1974年のアルバム、『ダイヤモンドの犬』ですが、お二人は、どんな思い出がお有りですか?」
 「別に。昨日まで聴いてなかった。」
 「あ、瀬戸口ですけど、ボクがトシに勧めたんです、お前絶対好きだよ、って。」
 「私としては、こいつが勧めるものは一切聴かない、をポリシーにしてきたんですが、たまには主義を違えて騙されてみるのもいいか、などと思いまして。」
 「で、結果どうでした?」
 「クソつまらねぇ大味なロックでした。」
 
 「・・・そんな、佐々木さんのリクエスト、『ドードー』!」

 (曲、流れる。)

 (佐々木)「でもコレ、アルバム入ってないんだよな!」
 (瀬戸口)「ライコディスクから最初のCD再発された時のボーナストラックでしょ。シングルB面曲ですよ。」
 (佐々木)「今日は伝授しねぇの?」
 (瀬戸口)「・・・・・・。」

 (曲、終わる。)

 (ウンベル)「♪ヒュー、ヒュー、ヒュー!!ヒュー・マサケラ!!」
 「なに、こいつ?XXX(※特定の薬物名)やってんの?」
 「シーーーッ。
 ヒュー・パジャムって云わないだけマシだ。」

 「ところで、お二人の近況なんか伺えますか?」
 (佐々木)「え?近況ですか?
 そういや、こないだ奇妙なビデオ見ましたよ。井戸のほとりで、父親が娘を殺すんです。」
 (瀬戸口、ウンベル揃って)「そりゃ、『リング』だろ!!」
 「いや、その後が違ってまして。
 娘が紐パン一枚になり、お尻とかダラダラ見せつけてくれて、急に『おしっこ、したくなっちゃった。』とか抜かすんですよ。」
 「・・・え?」
 「で、お風呂の床にジャーーーッと。」
 「・・・ジャーーーッと?」
 「ええ、ジャーーーッとぶちまける。こりゃ拾い物かな、と思ってよく見ると、娘の背中にチュ-ブが通ってるんですよ。それが、丸判りなの。
 あのおしっこは、一体何だったんだろう?」
 「曲いけ、曲!!」

 (『愛しき反抗』が流れる。)

 (佐々木)「・・・それにしても流れねぇね、俺たちの曲。」
 ウンベル、汗を拭き拭き、
 「イヤー、最高でしたー!!デヴィット・ボゥイー!!
 ところで、お二人は、イカ天以前からバンドを組まれ、バンドで一儲けなんて幻想もすっかり崩壊し、どころかCDすら売れなくなって、音楽産業自体の存続も危ぶまれている現在も、地味に音楽活動を続けておられるワケですが、
 そんなの、やってて、何か意味ありますか?
 空しくなったりしませんか?」

 「・・・ダイナマイト。」
 「うん・・・。」
 「やっちまえ!!」

 その瞬間、滝のように溢れ出した大量の液体が、部屋中に飛び散り、渋谷道玄坂スタジオの赤い「ON AIR」のランプを押し隠したかと思うと、窓ガラスを割って、それでもパラパラといた見物人たちに襲いかかり、スペイン坂方面へ押し流していった。

 狂ったように哄笑する瀬戸口の背中に、チューブの接続は一切なかった。
 

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2010年2月 6日 (土)

『ジュラシック・アイランド』 ('48、米)

 (※以下の記事には、露骨な嘘が含まれる。期待して観て、「だまされた!」と叫ばないように。)

 世の中には、「ジュラシック」物と呼ばれる映画ジャンルがある。
 端的に云えば、「恐竜が出てきてアレをする」映画の総称だ。
 要は、コナン・ドイルの小説『失われた世界』('12)をルーツとし、33年版『キング・コング』を不動の金字塔として、ラクウェル・ウエルチが金髪ビキニで原始人を演じる『恐竜百万年』('66)、リンゴ・スターが一切まともな台詞を喋らない『おかしな、おかしな石器人』('81)などのスター映画を経て、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』('93)からジム・ウィノスキー『ジュラシック・アマゾネス』(94)へと急降下する、ま、そんな暇潰しに最適だが、何も残らない作品群たちのことである。

 幼児性の抜けない男性諸君は、ちいさな子供だろうがアルムのおんじだろうが、「恐竜が出る映画!」と聞いた瞬間、もう臨戦態勢になっている。
 これは、「乳房と見るや、むしゃぶりつく」と同じ、本能の作動原理だ。誠に遺憾であるが、本官もこの件ばかりは、如何ともし難い。人類の今日の繁栄は、これにより築かれたのだ。
 そんなジュラシック・ジャンルの知られざる分水嶺、世界初のカラー恐竜映画『ジュラシック・アイランド』は、そんな、人類の発展に並々ならぬ関心を寄せる人々が、先史時代の島で痩せぎすの女を奪い合う物語だ。

 冒頭、シンガポールの一杯飲み屋。
 (堂々と「シンガポール」と英語字幕が出るのだから、そこはシンガポールなのだ。あまり、シンガポールらしく見えないが。)
 そこへ婚約者の痩せぎすの女を連れ、カメラオタクで赤瀬川原平似の元・空軍大尉がやって来る。彼は、明らかに黒社会の事情によく精通していると思われる、現役アル中バリバリの船長を雇い、かつて戦時中に偶然恐竜を目撃した絶海の孤島へ行こうとしていた。
 紆余曲折(風俗嬢を殴る蹴る)の末、破額のギャラで契約が交わされ、探検隊の費用は翌日、痩せぎすの女が銀行で船長に支払いを済ませる。カメラオタクは現在、就職浪人中なので一円も所持していないのだ。
 彼の唯一の望みは、恐竜の島に行き、写真を撮影して帰り、次の職活にいかすことである。なんか、水木しげるのマンガのような生臭さだ。恐竜にロマンとか、憧れなんて一切ないのだ。その態度が逆に清々しいものを感じさせてくれる。

 しかし、よく知られているように、オタクは性的に弱い生き物だ。
 細腕とこけた頬の割りに、痩せぎすの女は、異常な性欲を持て余す凶悪な怪物だった。彼が、そんな彼女をどうして満足させられよう?
 かくして、エイリアンに侵入されたノストロモ号のように、チャーター船ドルフィン号には人類の認識を超えた性的な危機が迫っていた。
 船員として乗り組んだ現地人全員とファック、一等航海士と甲板でファック、「前回の探検の生き残り」(この役は、ジュラシック映画では重要である。)、今は引きこもり気味で自堕落な生活を送る金髪イケメンと連続ファックをキメる。
 ひとり、ハブにされたアル中船長は、自室で、ヤケのせんずり掻いてます(笑)。

 そうこうするうち、島に到着。
 次々と登場する、着ぐるみでゴジラの万分の一も動かないモンスター軍団、ブロントザウルス、ディメトロドン、ティラノサウルス、それに毛の長い大猿(解説によればメガテリウム。エッ、これが?とわれわれの常識を軽く覆してくれる。)を、女は次々に喰っていく!
 この時空を超越した獣姦マニアっぷりは、本作品の最大の見せ場と云えよう。
 とりあえず数出しときゃいいや、という投げ遣りな監督の現場運営により、五匹のTレックスと痩せぎすな女が演じる、激烈かつ濃厚な濡れ場は、ヘイズコードどころか、現代のビデ倫も眉を顰める問題描写!
 
 そして、すったもんだの末、オタクのカメラ男は野外トイレに屈んだところを頭から恐竜に喰われ、アル中船長は崖から身を投げて死ぬ。最後までしつこく生き残っていた金髪イケメンも、巨大毛長猿にカマを掘られて狂い死ぬ。
 痩せぎすの女は、人類の進歩のために尊い犠牲となった人々の墓を、その辺に転がっていた流木で適当に作ると、その墓前まで行って本番オナニー。
 意気揚々、「この映画はこれでお終いですが、次は、あなたの街へ行くかも知れません。」とカメラ目線で抜かすと、島から撤収するのだった。
 帝都無線のタクシーで。

 ・・・って、嘘ばかり書いてきたが、誰が観たいんだ、こんな映画?! 俺は、嫌だ。

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さがみゆき『血まみれカラスの呪い』 ('80、日)

 名作だ。

 『フランダースの犬』や『母を訪ねて三千里』に勝るとも劣らない。(ちなみに、私はこれらの本を読んだことがない。胸糞悪そうだから。)
 『血まみれカラスの呪い』は、一名を『美少女とカラス』とも謂って、怪奇物の意匠を凝らしてはいるが、実は美少女レズの傑作だ。
 この表現が露悪的で滑稽に感じるのなら、ええぃ、仕方がない。恥を忍んで、こう言い換えよう。
 これは、愛の名作だ。
 
 誰でもすぐ解るだろうが、この作品は、公開当時、製作国フランスで上映禁止を喰らった映画『小さな悪の華』('70)を直接のモチーフにしている。
 (ニッポンでは、ちゃっかり公開。)
 ホラ、例の、少女ヌードで、反カトリックで、殺人があって、最後に美少女二人がオイルを被って焼身自殺してしまう、あなたのような品性下劣な人間がいかにも好みそうな、あの映画だ。
 (もちろん、私は当然の義務として観ている。)
 クライマックス、ドレスの胸元から火だるまになり、よろよろ舞台で蠢く、手を握り合った美少女ふたりの姿は実にインパクトがあったが、
 さすが業界一の美女!さが先生である。パクったのはそこではなく、「お互いの腕に傷をつけ、その血を混じり合わせてサタンに忠誠を誓う」場面だ。そりゃ、カトリック的に絶対まずいだろう。(DVDのインタビューで、監督はカトリックへの憎しみ、違和感をぶちまけている。)
 しかし、我が国では「サタン」といえども、いまいち知名度が足りない。(悲しいかな、『ドラゴンボール』のミスター・サタンに劣る。)そして、ポイントだが、さが先生にオカルトへの関心は全然薄かった。
 すなわち、エコエコでも、アザラクでもなかった。
 だから、この「ふたりだけで永遠の友情を誓い合う秘密の儀式」は、直接の愛情表現に転化される。
 血と血が混ざり合うエロさ。なめくじの体液交換。
 呪われた物語にふさわしい。

 ストーリーを紹介しておこう。
 転校生、由利桜子と親友になった小野けい子は、初めてのデートでいきなり、彼女に腕を噛まれ、流血する。
 薄暗い森の中、あたりに人気はない。
 普通の恐怖マンガでは、この行為は吸血物への布石なのだが、ここではちょっと違う。

 「さぁ、こんどは私のうでを噛んで!血の出るほど・・・。」

 戦慄するけい子だったが、強制され、相手の腕を噛んでしまう。そして、血と血を混ぜ合わせるふたりだけの儀式が完了し、永遠に離れない友情が成立する。
 誰もが憧れる美貌を持つ桜子だが、法医学者の父は精神病院で発狂し死亡、母はそのショックで自殺未遂、半身不随となり家で気味の悪い人形を作り続けるという、強力に呪われた家系の一人娘だった。
 父親のコレクションからくすねた死体写真を持ち歩き、無害な小動物を虐待することに無上の喜びを見出す異常性格に、けい子も「さすがに、この人は、ちょっと・・・。」と常識的に引き気味になるのだが、その都度、悪い毒に惹かれるように魅了され、小悪事に加担する羽目になるのだった。
 キャラメルにたかる蟻を踏み殺し、巣から落ちたカラスの雛鳥をくびり殺し、「ホー、ホホホ、ホー♪」と冷笑する桜子。
 ついには、クラスメートを拉致し、拷問にかけて病院送りにし、事故で大怪我を負った男子生徒を精神的に追い詰め、自殺へと追いやる。
 それを傍らで目撃しながら、止めることが出来ず、自責の念にかられるけい子だったが、どうしても桜子の魔力から逃れることができない。
 そんなどん底の状況を打開するかのように、突如、カラスの大群が桜子を襲った。目玉をついばまれ、絶命する桜子。その血まみれ死体の余りの美しさに、じっと佇み、見入るばかりのけい子。
 そして、彼女の中に注入された桜子の血が、彼女の精神を変貌させ、けい子は桜子と化す。合体は、完了したのだ・・・・・・。

 こりゃ上手な換骨奪胎だ。見事な本歌取りだ。
 さすがは業界随一の美女!さがみゆき先生である。(ちなみに、業界一のイケメンは、川島のりかず先生であるらしい。)
 さが先生は、美少女(の顔)を描くのがお得意だ。往年の、クラシカルなタッチで描かれる、お目々パッチリの美少女は、現代ではモンド的なテイストを放つ逸品である。
 それ以外の描写力は皆無、と申し上げてよろしい(この作品に登場するカラスは、一部で“ぞうきんカラス”と形容されている。スミベタを単純に塗ったくっただけの、そりゃぁ、もう凄まじいシロモノである。妙に可愛い。)が、逆説的にあまりに下手な絵柄がゆえに、識閾下に潜むエロティシズムを勝手に炙り出す効果をあげている。
 妙にカクカクした人体の動きもスリリング!トーン貼りに失敗した箇所も、ミラクル。
 こうなると、すべてがプラスのベクトルを描いているように思えてくるところが、この業界のマンガを読む愉しみである。
 いや、本当に輝いて見えるのだ。奇跡は確かに起きるのだ。
 
 景気も悪いし、金もない。
 いい加減、頭頂部も草臥れ果てた。便の出が悪いんです。妻が帰って来ない。だんなに浮気ぐせが。理不尽な要求をする会社。舅と折り合いが悪く。介護。まともに働く気などとうに失せた。
 将来を俯瞰しても、明るい未来がまったく描けない。
 だが、大丈夫だ。

 さぁ、われわれもひとつ、お互いの血を混じり合わせ、カラスに目玉を突かれて死んでいこうじゃないか?!
 そう思わせてくれる、これは、真の希望に満ちた物語だ。

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2010年2月 2日 (火)

墓場鬼太郎 『-怪奇オリンピック-アホな男』('64、日)

 地獄の風景は、なんだか物寂しい縁日に似ている。

 ここは、砂漠だ。
 真っ黒い、墨で塗ったような空に向かい、幾本もの巨大な卒塔婆が伸びる。
 金銭からも世間のしがらみからも解放された亡者たちは、群れ集ったり、ひとり佇んだり、適当に位置がえをしながら、砂丘のあちこちに立っている。

 怪奇オリンピックは、始まったばかりだ。 

 「父さん。」
 「なんじゃ、スズ鬼太郎?」
 
 スズキくんは、照れ臭くなって虎縞のちゃんちゃんこの裾を引っ張った。
 「いや、いくらなんでも、こんな有名キャラのコスプレは恥ずかしい。これじゃあ、ボク、ウェンツ瑛士と変わらないじゃないですか。」
 目玉一個の姿になった古本屋のおやじは、嘆息した。
 「あつかましい奴だなぁ。ウェンツと同列か。
 第一、マイナータイトルばかりでなく、もっとメジャーな作品も取り上げましょう、最近作品チョイスが偏り過ぎです、と進言してくれたのは、キミじゃないのか?」
 「それは、そうですが。ウェンツ呼ばわりは、ちょっと。」
 「バカ者。それじゃ、趣向を変えて“スズキのねずみ男”にしてやろうか。」
 「いや、あの、ボカァ、清潔なイメージで売ってるんで。」
 「同じセーターばかり着てるくせに。」
 
 砂漠の彼方から、機関車のような勢いで、何か不可思議な形状のものが接近して来る。

 「・・・父さん、あれはナンですか?」
 「歩く植物じゃよ。あれも怪奇オリンピックに参加しておるんじゃ。」
 
 植物は、小山のような高さで、なんの用途か古時計を正面にかざして、無数の根っこで砂を掻いて進んでくる。突き出した、尖塔のような切り株は苔むしていて、かなりの歳月を経ているようだ。

 「うーむ、面白いなぁ。
 それで、父さん、ボクらは、これからどうすればいいのですか?」
 「別に、何も。
 怪奇オリンピックは、参加することに意義があるんじゃ。」

 と、スズキくん、背筋をピンと伸ばして、右手を挙げた。
 「ストップ!そうはいかない。
 せっかく、水木先生を取り上げたんだから、もう少し有意義なことを話しましょう。
 やはり、水木先生の真骨頂は貸本時代の作品にあると思うんです。」
 
 目玉のおやじは、どこから出たのか、お椀の湯船に浸かりながら、あくびした。
 「それ、みんな云ってるよ。」

(ところで、一個の目玉があくびする姿をどう描けばいいか。U字型に瞑った目を描いて、手足をうんと上下にのばし、ト書き“う~~~ん”を横に入れる。これで生活臭さや可愛さが同時に表現できてしまうのだから、すごい。)

 「一番有名な鬼太郎にしてからが、貸本時代がベストですよ。
 のちに少年マガジンに連載されるものとは、まるで別物です。」
 「どう違うというのかね?」
 「んん・・・なんと云うか、とってもアダルティなんです。端的には、鬼太郎がシケモクを吸うとか、ぐうたら寝てばかりいるとか、大人びた行動ばかりが目立っちゃいますが、それだけじゃなくて、もっと価値観の全体が大人なんですよ。」

 「そう!そこだよ!」
 突如、目玉のおやじが身を乗り出して、云った。
 「水木先生は、不思議な作家でね。どこまでが計算なんだか、さっぱりわからないところがある。
 話を拵える道具はたくさん持っているのに、うまく転がっていかないんだ。
 これはヒット作を生み出すようになってからも、そう。
 リメイクの『河童の三平』とか『悪魔くん・千年王国』とか、一般的な意味での痛快譚にはまったくならない。
 なんとも奇妙な印象が残る。独特の詩情もね。
 凡百の作家なら、普通に、感動物語や勧善懲悪のロマンに簡単に置換してしまうような素材を、水木先生がいじると決してその通りにはならないんだ。
 なんというか、キャラクターの扱い方とか、ストーリーの組み立て方とか、現世の価値観を越えているところがある。」

 「怪奇オリンピックですね。」
 「んん?」
 「“オリンピック、パラリンピックときて、今度は怪奇オリンピック”ですよ。
 佐藤まさあきの佐藤プロから出た貸本版鬼太郎の一冊に、『アホな男』というのがありまして、これが凄い傑作なんです。
 前半はまたしても血液銀行ネタ(※鬼太郎第一作『妖奇伝』も同じネタで始まる。)で、ねずみ男の売った血で若返ったヤクザの老親分が、秘密を知った病院の院長と競争で、供血者の持つ不老不死の血を求めて、激しい争奪戦を繰り広げる。
 一方で鬼太郎から“あの世保険”を売りつけられた漫画家水木さがるは、あの世で開催されるという怪奇オリンピックを見物するため、幽体離脱を遂げ、二度と現世に帰れなくなってしまった。
 結局、典型的悪玉のヤクザの爺いは、ねずみ男に「かえしてもらうぜ。」と注射器で血を抜きとられ、元の老い耄れに戻って息絶えてしまう。(ここでのねずみ男、超クールでかっこいいです!)
 対抗する院長は、鬼太郎のニセ情報にだまされ、“あの世保険”に加入してしまい、これまた死亡。
 あの世の砂漠、」

 スズキくんは、周囲の何も無い空間を指差し、

 「そう、ちょうどこんな場所で、ふたりは怪奇オリンピックに参加することになる。
 もちろん、怪奇オリンピックがなんなのか、水木先生は一切説明しません。
 “千年に一歩歩く巨大な鳥”とか、“ちょっとした島ぐらいある、植物とも動物ともつかない奇妙な形状の生き物”がノソノソ動く姿を断片的に見せるだけ。
 これがなんとも不可思議な情感に溢れている。
 哀しいような、楽しいような、いい加減で自由な感じ。そして、不定形な無気味さと。

 で、死んだ奴が、目玉のおやじに聞く訳ですよ。
 われわれは、これからどうしたらいいのでしょうか、って。
 おやじの答えが、“見物することでわれわれは怪奇オリンピックに参加しているのです。”
 “オリンピックは、参加することに意義があるのですからネ。” 
 
 うーーーん ・・・・・・水木先生って、いいなぁ!」
 
 感じ入るスズ鬼太郎を尻目に、目玉のおやじ(正体はウンベルの眼球)は、深く溜息をついた。

 「なんだ、さっきのわしの説明と同じ結論じゃないか。
 まァ、野暮は云いっこなしだ。
 
 ・・・・・・ホレ、あれを見たまえ、スズキくん。」

 「うわぁー、すばらしい。お化けのダンスだ。楽しいなァ。」

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2010年2月 1日 (月)

Lio 『POP MODEL』 ('86、仏)

 私は嬉しい。ようやく、傑作『POP MODEL』の話ができるから。

 みんな既に誤解してると思うが、「吸血」とか「人体破壊」とか、私は別に趣味じゃないんだ。押入れに死体写真のコレクションとか大量に持ってたりしないから、安心して遊びにきて欲しい。
 そういった意味で今回、世間一般に「かわいい」ジャンルに規定されるものを、堂々と取りあげさせて貰う。文句あるかね。
 ない?結構。
(とかいいつつ、今回の文章の書き出しが、夢野久作『あやかしの鼓』のもじりであるのは、あなたと私の秘密だ。) 

 ご存知の方はご存知、大半の人はそんなやくざな世界とは無縁の生活を送っていると思うのだが、このLioというのは、どうやら世界初の「テクノポップ・アイドル」と定義される、きな臭さ満点の人物であるらしい。
 
 テクノポップ!
 アイドル!
 
 胡乱な諸君も、ベルギーのテクノポップグループ、TELEXの存在ぐらいはご承知おきだろうが(知らなくていっこうに差し支えないが、細野晴臣が当時押してたという情報くらいは、小耳に挟んどいて。)、
 1980年、芳紀16歳にして、そのプロダクションでデビューし、いきなりの大ヒット。これがまた、羞恥心など百万光年の彼方に吹き飛ぶような、極ロリータボイスに能天気なシンセリフが連打される、超絶に間抜けな内容。
 立派な大人が聴くには、あまりにアレな、ま、細川ふみえの『スキ・スキ・スー』の先祖みたいなもんだ。
 それを証拠に、歌詞の内容としては、「♪バナナ、ナ、ナ、ナ、ナナ」と連呼(事実)。あなたは、耐え切れるか?
 
これがフランスの皆さんに大ウケし、一躍国民的美少女に。もう、世の中、バカばっかり。
 それからしばらく、似たようなシンセ路線が続いたが、飽きられてしまえばアイドルなんかお仕舞いだ。奇しくも、世間はMTVの時代が到来。メガヒットが連発し、面白ければ欧州からも世界的ベストセラーが出る、よい世の中になっていた。
(例=ネーナのロックバルーンはなんたら、ファルコの秘密警察、あと、誰だったか、ボウイのメイジャー・トムが地球に帰って来る、野暮な続編を歌ってた奴も居た。)(うろおぼえ。)
 そこで、満を持してプロダクションを固め、よりメジャーなミュージックシーンに殴り込みをかけたのが、このアルバム『POP MODEL』ということになるワケだ。
 
 しかし、このアルバムは傑作だ。

 プロダクションの前提として、まず、かのシンディ・ローパーの名作デビュー盤の存在があって、元気な女の子コーラス、太いシンセ、にぎやかに入るアコギのストロークが多用されている。
 それから、トレーシー・ウルマンの偽オールディーズ路線が入ってきて、ちょいと表面的なビーチボーイズ、というか似非サーフィン&ホットロッドの景気のいい(それだけの)盛り上がりがある。
 すなわち、軽薄で、八十年代的な楽しさに溢れていて、ちょいとノスタルジック、ってことだ。
 泣かせどころも心得ていて、締めのストリングスアレンジは、当時ヨーロッパでぶらぶらしていたジョン・ケイル先生を起用。完璧だ。
 メジャー路線すぎて、もはや「テクノポップ」でも、「アイドル」でもないかも知れないが、一般大衆の私には、このぐらいが丁度いい。
 照れずに、聴ける。
 しかし、一曲目の題名が「POP SONG」なんで、思わずレックレス・エリックのカバーかと恐怖したのだが、やはり関係なくてホッとした。(そりゃそうだ。)
 Lioちゃんの声は、あいかわらず天然で、バカで、無邪気というか恥知らずなだけなのか、キャリアのある歌手とは思えない無垢さで攻めてくる。
 今回のレビューを書くため、あれこれ検索したら、「アキバ系」の元祖だと捉えている人も居たくらいだ。ふぅーん。
 その辺は実のところよくわからないが、戸川純が参考にしたのは間違いない事実だと思う。

 ところで、ここで歌われている言語は立派なフランス語なのだが、あの言葉はホント、喋るやつ次第なのだね。
 ゲインズブール先生とは、まったく別の人種みたいだ。
 深刻さゼロの能天気な唄を聴いていると、しまいに、なんか響きが広東語に聴こえて来る。サミュエル・ホイが作曲したんじゃないか、ってぐらいテイストがよく似てます。

 フランスには、バカが多く存在するようで、素晴らしいことだ。

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