トーキングヘッズ『ストップ・メイキング・センス』('84、米)
なるべく正直に書くことにする。
高校時代、つまりリアルタイムでトーキングヘッズが流行っていた頃は、シングルくらいしか知らなかった。
当時良くある話で、渋谷陽一のFM番組「サウンドストリート」を聴いていたので、今野雄二と「ミュージックマガジン」が押すヘッズはちゃんと聴いていなかったのだ。
しかし、奇妙なもので、渋谷の一押し、レッド・ツェッペリン(解散後、『コーダ』('80)が出たばかり)もこの頃は、同じく苦手だった。(今はなんでもない。)
入り口として、レコードで聴いたのが『永遠の詩(狂熱のライブ)』('75)だったのが大問題だったのかも知れない。このライブ盤は、本当につまらなかった。でも、これは映画のサントラだ。映像ならまだしも、と思って後年ビデオを借りて観てみたら、ジミー・ペイジが岩山に登っていて、こりゃダメだ、と思った。
付け加えるなら、俺は「天国への階段」も嫌いだった。
楽器が弾ける友人達が、やたらとこのイントロばかり演奏するからだ。月並なひけらかしだと感じたし、今でもそう考えている。
トーキングヘッズを再認知したのは、『ストップ・メイキング・センス』が劇場公開され、「ガールフレンド・イズ・ベター」のクリップとかが、「ポッパーズMTV」なんかで流れ出した'84年頃の話だ。
どでかい特注スーツを着て、なんだか飛び跳ねているデヴィット・バーンは、印象に残った。
格好いいとかじゃなくて、なんか「変な人」がいるなぁ、って認知の仕方だ。
バラカンはかなりの絶賛ぶりだったし、横の女もなんだか、キャーキャー云っていた。当時のヘッズは、インテリや通ぶったおしゃれ族のアイテムとして流通している印象がすごくあった。(意外と今でもそうかも。)
そうこうするうち、次の『リトル・クリーチャーズ』('85)が出て、これは親しみ易くて、よく聴いた。偉そうじゃないので、俺でも聴けた。
で、矢継ぎ早に『トゥルー・ストーリーズ』('86)とその映画、ちょっとして『ネイキッド』('88)でバンドは解散してしまう。
俺が初めてCDラジカセを買ったのは、上京して半年以上してからだと思う。
お恥ずかしい話だが、最初に買ったのが、出たばかりの泉谷しげるの『吠えるバラッド』('88)だった。
デヴィット・ボウイ『ハンキー・ドリー』やザッパ『シーク・ヤブーティ』やら、親の仕送りで次々と買い込み、聴き込んだCD再発盤は多々あったが、自分がバンドを演る上で、一番参考になったのは、トーキングヘッズの傑作『フィアー・オブ・ミュージック』('79)だった。
誰もがベストに挙げるその次のアルバム『リメイン・イン・ライト』('80)は、俺的にはイマイチだった。真面目で立派で重厚なアルバムだと思うが、そのぶんチープなパンクが足りない。
中学の頃、プラスチックスに憧れていた俺は、彼らが『フィアー・オブ・ミュージック』期のヘッズのUSAツアー前座だったと知って、嬉んだ。
「マインド」「シティーズ」「エアー」「エレクトリック・ギター」「アニマルズ」・・・連打されていく曲の題名が、いちいち格好よかった。
歌詞も、リズムも、シンプルで安っぽくて、実に素晴らしかった。
偏見を持たずに、もっと早く聴いておけば良かった、と心底思った。
さて、肝心の映画『ストップ・メイキング・センス』だが、実は一度もちゃんと観ていなかった。
2000年にリマスターされたサウンドトラックが発売になり、それを聴いて再びヘッズブームが再燃していたのだが、なぜか本編を観損ねていたのだ。
(先の反省が全然活かされていないね。)
早いもので、もうそれから十年が経ち、だから今回が初鑑賞になるのだ。毎度自分でも突っ込むんだが、どんだけ遅いんだよ、というくらい気の長い話だ。
さて、有名なオープニング、組みあがる途中の、鉄骨むき出しのステージの上で、デヴィット・バーンが弾き語りで「サイコ・キラー」を披露する。
伴奏はラジカセ、リズムボックスの音が入れてあるだけ。
カオル・ウエダより、安いオケだ。
そして、ティナ・ウェインモスがベースで加わり、「ヘヴン」へ。
ありえないくらい、泣ける。いい曲だなぁ。美しい。
クリス・フランツが入り、「サンキュー・フォー・センディング・ミー・アン・エンジェル」、ジェリー・ハリスンのギターリフで「ファウンド・ア・ジョブ」と続く。
もちろん一緒に歌ったし、ドラムのリズムも取った。最高だ。
この辺りまでで、俺の机の上は、涙と鼻水を拭いたちり紙で、非常にばっちい状態になっていた。
バンドとはこういうもんなんだよ。
四人編成のヘッズは、改めて俺にそう物語っていたのだった。
だから、バーニー・ウォーレルが加わり、コーラスのおネェちゃん二名が入り、パーカスやらギターが足されたいわゆる“拡大版ヘッズ”は、俺にとっては余禄だ。
テンション高くて、充分愉しめたけど。
完成度や音楽的幅とは別のところに、ヘッズの真価はあるんだ。
だから、ひとつのバンドが完成して、やがて煮詰まり、編成を拡大し、崩壊していくストーリーの、リアルなドキュメントとして、この映画は実によく出来ている。
それを実質一時間半で見せてくれる。
くどいMCとかなしの、クールかつチープな構成で。
実際これがヘッズの最後のツアーだった訳だし、タイミングも絶妙、嘘みたいにうまくいった音楽映画の珍しい例だ。
ある意味、ヘッズ版『レット・イット・ビー』なんだが、あぁいう悲壮感や疲労感はここにはない。
演奏も絶頂期の、腐る寸前の熟し具合で、これを観れば次作『リトル・クリーチャーズ』が徹底した作り込み排除の、異例なプロダクションによって出来上がった理由も解ろうってもんだ。
あぁ、そうそう、以下どうでもいい鑑賞ポイントを追加。
コーラスのおネェちゃん、二名ともノーブラなので、Tシャツ越しに乳首が透けてて素晴らしい。
バーンがアフリカに擦り寄った理由も解ろうってもんだ。
あと、ティナって本当可愛いのね。
ベース弾いてると、世界一の可愛さだ。
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