ムッシュー田中『狼女ロビズオーメン』('79、日) 【中編】
(前号までのあらすじ)
まぼろしの怪奇マンガ家ムッシュー田中を訪ねて、阿蘇山系奥深く分け入った我らがスズキくんは、不気味な城に仕えるメイドさんに、
「この店、いくら?」と不躾な質問をしてしまうのであった。
笑って許してくれたメイドさんに感謝!
(承前)
不吉なパイプオルガンの音色が室内を満たしている。
それは捻じ曲がり、業病の中に崩れ落ち、苦悶の果てに地獄の底から悲鳴と共に吐き出されてくるような、ま、早い話がとても正気では考えられないくらい、ど下手過ぎる恐怖の旋律であった。
広壮な洋間の一角に設置されたオルガンを奏でるのは、ムッシュー田中、この館の主である。
演奏が続く間に、スズキくんの脈拍は明らかに変調を来たし、眩暈すら覚え、せっかく用意された豪勢な食事も喉を通らない有様。
「・・・いかがかな?」
ひとしきり演奏して気が済んだのか、ムッシューは振り返り、真顔で訊いた。
「ムッシュー作曲、オルガン独奏曲『悲惨』第一楽章。余は作曲も手慰みにこなすのだ。」
スズくんは目を白黒させながら、
「いやー、素晴らしいっすねー。シャーロック・ホームズのヴァイオリンの腕はつと有名ですが、あれを越えましたねー。
ボクの中では、ジャイアンに迫る勢いです。」
さすがのムッシューも、ジャイアンは解るらしく、明らかにムッとした顔で、
「そうか、実に結構。
それでは、独奏曲『悲惨』、第二楽章!」
「うわわわわわッ!!ちょっと、待って!
・・・それよか、先生の代表作『狼女ロビズオーメン』について、お伺いしたいのですが。」
「何かね。困るな、それは。
余は、あまり自著について語ることを好まんのだよ。」
と云いながら、言葉と裏腹のニコニコ顔、既に半身になっている。
「はァ、それでは失礼して。」
スズキくんは取材メモを取り出し、話し始めた。
「そもそも、この物語は、阿蘇山中のとある村に人狼が出没する、しかもその正体はうら若い美女だ、という画期的なコンセプトに基づいている訳ですが。」
「うん、うん。」
「なんか、いまいち面白くないんですよ。なぜでしょう?」
ムッシューの形相が一変した。「・・・ナニ?」
「例えば、狼女に殺されて井戸に放り込まれた娘とかいますよね。井戸に潜った男に発見され、不気味な死に顔を見せつける。引き上げられた死体に周囲が勝手に驚いたり、父親が発狂したり(!)して大騒ぎになりますが、これが自然な人間のリアクションでしょうか?
仮にも、知り合いの死体であれば、いかに不気味な顔に変形していても、駆け寄り名を呼ぶくらいはする筈でしょう。まして、実の親ですよ。
犬神だの、たたりだの、二の次ですよ。当然でしょう。娘の死体を見るなり、抱きしめもせず、いきなり恐怖に発狂して踊り出す父親なんて、現実には絶対ありえません。
いかにも、頭でこさえたツクリモノの感が拭えないのですが。」
「むむゥ。」
「おまけに、その死体を調べた生物学者の青年が、重大な発見をしました、とか思い詰めた顔で云う。“し、信じられん・・・。”とか、超くどい。
でも、これはアリだと思うんですよ。期待させてくれます。
常套句ですが、有効な引きです。
で、読者が固唾を飲んで待ってると、そこで場面が切り変わる。
屋敷の室内で、対峙する学者と村長。立ち会う主人公の少女。いよいよ、謎が解かれるのか、とこれだけ引っ張って、大げさな顔で脅かしておいて、
“あの死体は、牙で切り裂いた跡がある。”
・・・って、伝えたい情報はそれだけかい?!
お前ら、バカの集団か?!
正直、殺意を覚えました。」
ムッシューは無言になってしまった。
両手を組み合わせ、ジッと聞いている。
「あと、これはネタばらしになるんですが、アンジェロ冬木。
狼少女、霧子がブラジル(!)で出会った美青年にして、婚約者。こいつの登場する場面は、全部ひどい。
南米の草原(パンパ、でしたっけ?)で恋を語るなんてのも、どうかと思いますが、こいつ、登場場面がすべて白いスーツでネクタイも結んでるんだよね。そんなキザ野郎が、草原で愛を囁くなんて、絶対信用できるか!!
たちの悪い結婚詐欺師にしか見えません。
おまけに、遠く南米にいて、どう九州の山奥の話に絡んでくるのかと思ったら、花嫁を迎えに日本へ旅立ったはいいが結局、到着しない。
海を越えるジェット機の機内で、「いま、行くよ。」とか呟いてるうちに幕切れ。
え?なにそれ?
こんなに大げさに出てきて、まったく活躍しない奴は、初めて見ました。」
「脂身ばかりのステーキ。
あんたの作品は、浅薄な借り物ばかりだ。それがボクの結論です。ムッシュー田中。」
オルガンの蓋が、バチンと閉じた。
ギリギリ、と唇を噛み締めていた男は、搾り出すような低い声で唸る。
「・・・グググググ・・・。云いたいことは、それだけか、小僧ッ?!」
血の滲むような声であった。
(以下次号)
| 固定リンク
「マンガ!マンガ!マンガ!」カテゴリの記事
- 伊藤潤二「赤い糸」(’90、月刊ハロウィン掲載、朝日ソノラマ『脱走兵のいる家』収録)(2010.10.15)
- あさいもとゆき『ファミコンロッキー①』 (’85、てんとう虫コミックス)(2010.10.07)
- まちだ昌之『血ぬられた罠』 【風立ちて、D】('88、ひばり書房)(2010.09.29)
コメント