ムッシュー田中 『狼女ロビズオーメン』('79、日) 【前編】
パォーーーン、パォーーーンと遠吠えが聞える。
「・・・いや、参ったな。こりゃ、えらいところへ迷い込んでしまった。」
暗い夜の森で、スズキくんはカンテラ片手に呟いた。
空には薄い鎌のような三日月が架かっているが、鬱蒼と茂る高い樹々の隙間に今にも隠れそうだ。
「そもそもボクは、なんでこんな場所に居るのか?
そう、著者奥付にはいつも、“年齢・国籍・過去など一切が不明、最近フィンランドから帰国したばかり”などと書かれている、あの怪し過ぎる謎のマンガ家、ムッシュー田中を捜し求めて、この阿蘇山中まではるばるやって来た訳なんだが。
果たして、こんなところに人間が住んでいるものか・・・?」
と、カタカタと車輪の転がる音がし、闇の向こうから何かが近づいて来る気配だ。
唖然と見守るスズキくんの目の前に現れたのは、古色蒼然たる二頭立ての馬車であった。
手綱を取るのは、萎びた老人だ。丈高いフードに身を隠し、鞭を振るう。地獄出身のような、真っ黒い馬達が嘶き、全力で彼方から疾走してくる。
「ウーーーム、ドラキュラ城から迎えかな。」
スズキくんが顎に手をやり考え込んでいる間に、馬車は滑るように近づき、車軸を軋ませて停止した。
「ドーーーッ、ドーーーッ。・・・もしや、おぬし、スズキくんかな?」
御者は、馬を宥めながら干乾びた声で話し掛ける。
「いかにも、でございます。」
スズキくんはいつもの低姿勢で云った。こうした、現代の若者にあるまじき礼儀正しさがパートの女性陣にも好評だ。
「では、わしと一緒に来て貰おう。御主人様がお待ちかねじゃ。」
「エッ??・・・もしや、それはムッシュー・・・。」
「シッ!!・・・この場所で、その名前を口に出してはならぬ。」
御者は大げさな身振りで制止すると、背後の客室の扉を指差した。
「さぁ、乗った。乗った。」
馬車は走り出した。
意外に揺れる座席に身を預けながら、スズキくんは考え続ける。
(ムッシュー田中・・・そのデビューは少年ジャンプだという。
肉の脂身だけを盛り付けたステーキのような、濃すぎる絵柄。
ゴシック調の墨ベタ重視。妙に重苦しい。
男、女、おっさん問わず、主役キャラは似た顔しか描けない。潰しの効かぬキャラ設定。
一見達者そうに見えて、実は無駄の多いコマ運び。
そして、作中にマントを翻し自ら語り手として颯爽と登場するサービス精神。
しかし、造り込み過剰で、結局只の空回り。
空振り覚悟で大振りするクソ度胸は買えるけど。まったく有り難味に欠ける、その言質・・・。
考え深げに見えて、全然知恵の足りない筋立てに、小生げんなり・・・。)
やがて、前方に小高い丘が見えてきた。生い茂る森の樹々を睥睨するかのように、如何にも西洋風のシャトー(城館)が聳え立っている。
「あれこそが、」
御者が声を潜めて云う。「ムッシュー城です。」
「うーーーむ、どう見ても関越沿いにあるラブホ・・・。」
「シーッ!御主人に聞かれたら、ただでは済みませぬ!」
御者は、恐ろしげに燈火ひとつ見えない城を仰ぎ見る。「御主人様の目となり耳となる生き物が、この森にはウヨウヨ居るのです。」
「例えば?」
「城の地下に巣くう、吸血コウモリです。夜になると穴倉から這い出してきて、この一帯を飛ぶのです。徒党を組んで、周辺の民家を襲うこともあります。住民達は、これを“田中の怒り”と呼んで恐れています。」
「うーん、ネーミングにセンスがなァ・・・。それで、ムッシュ-は、テレパシーとかでコウモリを操る訳ですか?」
「いや、実は時給制なのです。非正規雇用なので、安く上がります。」
「むー、けしからん話。」
古風な跳ね橋が見えて来た。
「ドゥーーーッ!!」
馬車は車輪を軋ませて停止した。馬を落ち着かせながら、御者は橋の向こうの巨大な鉄扉を指し示した。
「私のご案内できるのは、ここまで。あの門に着いたら、呼び鈴を鳴らしなさい。」
丁重に礼を云って別れたスズキくんは、この御者も“非正規雇用”なのだろうか、と気になった。そのフードの下からは、いま掘り出した死体のような悪臭がぷんぷんしたからだ。
呼び鈴に応えて、重い鉄扉を開いたのは、意外なことに、華のような美少女であった。
きちんと西洋風のお仕着せを着て、正式なメイドルックだ。
キラキラした黒目がちの瞳に、お星様が飛んでいる。
「あ、あの・・・。」
連載初の正統派ロマン過ぎる展開に、焦ってスズキくんは訊いた。
「このお店、チャージいくらですか?」
少女は可愛く小首をかしげる。
それでも健気に、鈴を震わせるような声で、云った。
「あの、スズキさまですね?お待ちしておりました。」
案内されて通されたスズキくんは、おっかなびっくり重い絨毯を踏んで、広いホールを横切った。中央に大階段が二階へ伸びており、周囲を取り巻くようにテラス付きの回廊が廻らされている。
「はて・・・。」
スズキくんは、なぜか既視感に捉われ、首を捻る。
「こんな建物、初めての筈なのに、なんでか見覚えがあるんだなァー・・・。」
「あッ!!!」
驚く少女を尻目に、階段の端に駆け寄る。
「1F、向かって左の扉は食堂だ。」ちょっとドアを開けて、確かめる。「ということは・・・階段左手の隅には、タイプライターが・・・。」
確かに、小卓の上にタイプライターが設置されていた。インクリボンも転がっている。
「これは、バイオハザード1のオープニングの洋館じゃないか?!」
パチパチ、と拍手の音が聞えた。
中央の階段を、何者かが重々しい足を引き摺りながら降りて来る。
「ブラボー、ブラボー。ブラボー小松。さすが、怪奇探偵として名高いスズキくんだ。
よく見破ったと褒めて遣わす。いかにも、本館の設計はカプコンの名作ゲーム、『バイオハザード』第一作を踏襲しておるのだ。」
突き出た悪魔のような鷲鼻。
鋭すぎて、睨んでいるような異様な眼光を放つ両目。銀髪。
結びの長いリボン状のネクタイに、黒い光沢のあるスリーピース。
偉丈夫な巨体を覆い隠す厚手のマントも、漆黒の闇の色。
握りに髑髏をあしらったステッキを持ち、背後に獰猛そうな猟犬を伴って、ゆっくり階段を降りて近づいてきた。
「ハロー。」
よく透る低いバリトンの声が空気を震わせ、男は右手を伸ばす。
「はじめまして。余が、ムッシュー田中である。」
(以下次号)
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