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2010年1月 7日 (木)

『愉快な鉄工所』 (’41、日)

 鉄工所が愉快な筈はない。

 極度に熱せられ、鋳型に流し込まれる溶けた鉄鋼は、作業する者の髪の毛の先端をジリジリ焦がすだろう。
 立ち込める瓦斯は肺腑を抉り、鼻腔はいつも煤で真っ黒だ。
 
 それでもわれわれは働き続けなくてはならないし、他にすべきことは無い。

 大城のぼるの『愉快な鉄工所』は、真珠湾攻撃の年に出版された。代表作『火星探検』と共に、少年期の手塚治虫が愛読した一冊だ。
 絵の巧さ、上品さは言うまでもない。カラーも上手だ。キャラクターもすっきりした造形をとっていて、線のシャープさ、デフォルメの確かさに舌を捲く。
 それから少年の夢を具象化したような、気球、鉱山鉄道、巨大産業地帯、ロボットなど次々に登場するデザインも美しい。
 本当のところ、ストーリーと構成が弱く(例えば誰が主役なんだか解らない)、お話としての構成力には随分と欠けた作品なのだが、まぁ、いいではないか。
 私は、諸君がつまらぬ理屈など捏ねずに、この古典を無条件に愉しんでくれることを希望する。

 少しだけ、絵の話をしよう。
 田河水泡『のらくろ曹長』を見ながら確認したのだが、この時代のマンガの絵というのは、横画面フィックスで、人物は基本的に左右に移動する。
 上下動はあるが、画面枠をはみ出してしまうことはない。
 上手なカメラが微妙にパンして、例えば、「驚いて厨房に飛び込み、お釜の中に逃げ込んだブル連隊長と、テリア大尉、騒動の原因になった虎に化けたのらくろ」を一度に映し出す。
 これだけの情報量が、分割のないワンカットの中に描かれている。
(現代のマンガ家なら、無意識にやると最低3コマ、「出現」→「驚愕」→「退避後の結果」を費やす筈だ。)
 会話で話が転がり出しても、シーンは固定されたままだ。舞台劇を観ている感覚に近い。
 この時代のマンガが随分のんびりした印象を与えるとしたら、画面の切り替わりかた、コマ割りのテンポ感による影響が大きい。
 そこから強弱に乏しく、単調な印象を受けるとしたら、あなたは相当に現代に毒されている。
 クローズアップの多用、豊富な書き文字、流線による視点の誘導。情報は的確に伝達され、作者の思った通りの効果を上げる。
 だが、その効用は認めるとして、一方で、読者に窮屈で偏狭な読み方を強いてはいないか。
 連続性を高め、特定の効果だけを狙って配置されるものに、余分な想像力の入り込む余地はない。
 時間を忘れ、頁をめくる手が止まらない。それは、決して幸福なばかりの体験ではないのだ。私は、そこに、ある種の強制力の発現を確認する。
  
 鉄工所が愉快な筈がない。

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コメント

漫画コレクターから一言。
「そこから強弱に乏しく、単調な印象を受けるとしたら、あなたは相当に現代に毒されている。」というのは、大城漫画・戦前漫画を読むための鋭い指摘だとおもいます。
結局、現代の漫画と違うからよくないという的外れな批判が多く、違うからこそ、戦前漫画のあじがあるののですが。なかなかわかってもらえませんね。

映画の世界では、戦前のものでもいいものはちゃんと評価されているのですが、日本の漫画の場合はそうはいかないようです。

投稿: makiitirou | 2010年1月 9日 (土) 10時58分

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