『恐怖!あした死ぬ私』 ('86、日)
その奇妙な死体が見つかったのは、この町の人通り疎らな路地裏であった。
全身打撲、脳挫傷。内臓破裂で、出血多量死。
全身を万遍なく鈍器で潰して廻ったかのような症状だ。
両目など、眼球も残らぬ程に抉れているのに、不可解なのは、あるべき凶器が痕跡すら、一切見つからないことだった。
検察医スズキくんは、雑居ビルの谷間で、首をひねる。
「おやおや、ウンベルさん。やはり、縁起でもない死にかたをしましたか。
他人に好かれない、不敬を絵に描いたような人物でしたからねぇ。当然の酬いと言えばそれまでだが、形式上でも調書は出さなきゃならない。
おおぃ、そこのキミ。」
傍に控えていた警官を呼び止め、
「被害者と関連のある遺留品を発見したって?」
「ハッ。こちらであります。」
案内されたのは、ビルの背面に当たる薄暗い壁面だった。
ダクトが伝い、配電管が通っているその横に、汚い茶色いしみが大きく広がっている。
「なんだ、こりゃ。血の跡じゃないか。確かに被害者のものだね?」
「鑑識の結果待ちですが、情況から見まして、十中八九間違いないかと。」
「ウーーーム。・・・こりゃ、なんか、文字が書いてあるね・・・。」
「筆跡がかなり乱れていますが、意味のある、何か記号のようです。」
「こりゃ、キミ・・・・・・。」
ルーペを片手にしげしげと覗き込んでいたスズキくんは、驚きに顔を上げた。
「死滅したムー大陸の文字だよ!!」
「え?」警官は、眉を顰めた。
「ムー、でありますか?」
「間違いない。私も、あの地方の出身だから読めるのだ。」
熱心に屈み込んだスズキくんは、指先で血の跡をなぞりながら、判読作業を開始した。
※ ※ ※ ※ ※
「“・・・三智伸太郎は、サントモではなく、ミチと読むらしい。
画風は地味だが、安定していて、まともな部類。
川島のりかず並みにスカスカの絵柄だが、もう少しベタの量が多い。ということは、少しだけ正気に近いということだ。」
「だから、『恐怖!あした死ぬ私』は、死の恐怖に発狂状態になる話では全然なくて、
藤子・F・不二雄先生や諸星大二郎先生が得意としたような、“すこし・ふしぎ”なSF寄りのファンタジーということになる。」
「・・・ハレー彗星接近の夜。町中の人間が、同じ夢を見る。
ひたすら飢えと渇きに襲われながら、砂漠を行進する悪夢・・・。
主人公の少女は隊列を離れ、ひとり流砂に巻き込まれて、地下の暗黒世界へ。そこで、杖を持った不気味な老人と出会う。
老人の非人間的佇まいに恐怖を覚えた少女は、夢中で逃げ出し、そして自室で眼を覚ます。
「あぁ、おそろしい夢だった。」と、布団から起き上がり、窓から表を眺めると、空に巨大な目玉が浮いている。
「キャァアアーーーーーーッ!!」
それは今しがた、夢の中で振り切って逃げ出して来た、あの老人の双眸に他ならなかった・・・・・・。」
「以上の導入部が、狂った少女の妄想ではなく、整合性あるファンタジーとして展開するところに、三智先生のテイストがある。」
「仕掛けと理屈はちゃんと用意してあるのだ。実は同様のアイディアは、諸星先生が、“栞と紙魚子”シリーズの「何かが街にやって来る」で展開しているのだが、藤子Fの読みきり短編やドラえもんの挿話の中にも、似たものがあった筈である。
ただし、これらは無論、ジャンルマンガではないので、そうそう酷いことにはならない。
だから、少女が全身の骨を打ち砕かれ、眼球も抉り取られて息絶えるラストなど予想も出来ないだろう。
私が何より好むのは、そんな、支えるべき安全バーを持たない、先行き不穏な物語展開である。残虐性は、あくまで余禄に過ぎない。
私を血に飢えた怪物だと思ったら、
大間違いだぞ、スズキ!!」
※ ※ ※ ※ ※
突然、呼びかけられたスズキくんは、きょとんとして、背後の警官を振り返り、その向こう側を指差して、「アッ!」と呻いた。
大空に、血走ったウンベルの眼球が、町を見下ろして浮かんでいた。
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