『世界終末の序曲』 ('57、米)
映画は、知恵と努力の産物だ。
バート・I・ゴードンの偉業をせせら笑う前に、私は諸君にその資格があるのか否か、問いたい。
勿論、これは馬鹿げた映画だ。
「巨大イナゴ(体長二メートル以上!)の大群によって、シカゴ壊滅!世界滅亡の危機迫る!」
現代の視点で考えれば正気では考えられない企画であるが、ちょっと待て。これに似た映画を観たぞ。あぁ、『スターシップ・トゥルーパーズ』('97)か。確信犯だな。
『世界終末の序曲』は、以前は『終末の兆し』としても紹介されていた。今回の邦題はアーウィン・アレンの腰砕けパニック映画『世界崩壊の序曲』('80)のもじりだ。発売元オルスタック・ピクチャーズ担当者のとんちに、素直に拍手を送りたい。
この作品の最大の特徴は、監督バート・I・ゴードンが本編演出以外に特撮も手掛けていることだろう。
彼は、特殊効果マン出身なのか?否、そこにバート・Iの最大の特徴がある。特撮の専門知識などなくても、巨大怪物の映画は撮れる!
彼は職人肌の、しっかりした演出家だ。物語はテンポ良く進む。実際に画面に巨大イナゴが出現するまで、誰もが期待して観るだろう。
さて、問題はそれからだ。諸君の度量と見識が問われることになる。
オープニング。深夜、郊外の森でデート中のアベックが襲われ、大破した車の残骸だけが見つかる。なぜか死体は、消えてなくなっている。続いて、町一個が壊滅の知らせが届く。150名の住民が行方不明に。建物は倒壊し、戦火にでも晒されたかのような無惨な有様だ。(というか、実際の戦時下の記録フィルムを使用している。ひどい。)
主人公の女性記者は、放射能関与の可能性に思い当たり、周辺にある農業試験場へ行く。巨大トマトに巨大イチゴ(ハリボテ)。これを食べた昆虫が巨大化し、人間を襲っていたのだ。
・・・と、導入部は完全に『放射能X』('53)を踏襲したつくり。このフォーマットは幾多の映画が取り入れている、ジャンルの古典的様式だ。イオニア式石柱みたいなものだ。
あちらはワーナー資本だから、ハリボテの巨大アリを準備する予算があったが、バート・Iにはそんなものはない。そこで号令一発、
「実写のイナゴを合成しろ!」
「しかし監督、イナゴがやたら飛び廻って、思い通りの動きをしてくれません!」半泣きの撮影スタッフが泣きついて来たのだろう。監督、しばし熟考の末、
「イナゴの羽根を毟り取っちまえ!
いいんだ、設定で、羽根は巨大化しなかったことにするから!」
凄すぎる話だ。
スタッフ全員、徹夜でイナゴの羽根毟り作業(笑)。
これでバート・Iの演出がへなちょこだったら、クソの役にも立たないクズ映画が出来上がっていただろうが、手間の掛かる特撮シーン全てをコントロールし、軍隊の出動場面や群衆の逃げるシーンなど、既製のストックフィルムを使い倒し、彼は自分の意のままに映画製作を行ってしまった。
当時のハリウッドで、スタジオやプロデューサーの意向を排除し、思い通りの映画を撮るのは至難の業だ。しかし、出来あがった映画には間違いなく、バート・Iの刻印がある。これじゃ、まるでヒッチコックじゃないか。徹頭徹尾、自分の映画を作ること。その信念が素晴らしい。偶然と必要性が生んだ作家主義だ。
だから、
写真を引き伸ばした、巨大ビルディングの上にイナゴが這っているだけ(!)というクライマックスのスペクタクルシーンも、楽しく観られる!
創意と工夫。これが、バート・Iの才能だ。
到底、凡人には真似などできまい?あんた、その度胸があるかね?せいぜい、怪獣の出てこない怪獣映画(『大怪獣東京に現る』('98))程度でお茶を濁すんでは?それでは事態は何も解決しないよ。
本作の好評を受けてバート・Iは、「イナゴより演出しやすい(笑)人間を巨大化させる」巨人獣シリーズを製作して、生物巨大化路線をまっしぐら。やがて、ファンの間でミスターB.I.G.の称号を得る(笑)。
実にいい話だ。
どんな手を使っても、面白い映画を撮る。彼には間違いなく信念とガッツがあった。そして、鉄面皮。創作者として見習うべき姿勢だ。
ついては、個人的なフェィヴァリット、『巨大蟻の帝国』('77)のDVD国内発売も各社真剣に検討をお願い致したい。
あれは祭りの後みたいで、泣けるんだよ。
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