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2010年1月24日 (日)

『バルカン超特急』 ('38、英)

 さぁ、来たぞ。

 これなら誰でも知っている。ヒッチコック映画の傑作『バルカン超特急』だ。
 まさか観てない不心得者がこの世にいるとは思えないが、(ハッキリ書いておく。そんな奴は死んじまえ!)まぁ、なんというかこれは、典型的な娯楽路線のヒッチコック映画だ。
 『北北西に進路を取れ』でも『知りすぎた男』でも、あなたの観たことのある傑作の印象を当て嵌めてみれば、以下綴る私の文章も理解され易いことと思う。

 舞台は、戦争の気配が濃厚に漂うヨーロッパ、架空の国ヴァンドリカ。(しかし劇中に国名は明示されない。必要ないからだろう。)
 製作年度を参照頂ければ、お判りの通り、このやたらと軍人が幅を効かす国は、ナチスが掌握していたドイツ、もしくはオーストリア(この映画の公開は独墺合併の年だ)がモデルとなっている。

 まずオープニングクレジットから本編へ移行する箇所で、あッと仰け反っていただこうか。
 欧州の山並みに、スタッフ・キャストのロールが流れ、終わるとカメラはそのまま同じフレームで、山間の雪に埋もれたちいさな町へ移動する。上空俯瞰で、雪崩れに埋もれた線路と長距離列車、ホームに立つ三人の憲兵を映しながら、街中まで一気に降りてきて、最初の舞台、駅近辺のホテルを中央に捉える。
 すべてワンカット。全体を通して、一番派手なカメラワークはここだけ。
 どうやって撮影したのか考えると、非常に頭が痛いのだが、向かいの尾根にカメラを据えて山麓沿いに移動のレールを組んでおく。高度差は30メートルは必要か。ます遠景をロングで撮ってから、カメラを振って雪の中の駅舎一帯を押さえて、そのままカメラ移動で流れるようにダウン。終端の街中へ辿り着く。
 無理か。
 (後記・真相は、ミニチュアセットと実景のオーバーラップだと和田誠が発言しているのに、遅まきながら気づいた。お恥ずかしい。そう思って再度観直してみると、なるほど駅のホームに立つ三人は完全に人形。町中を通過する自動車もそうでしょ。完璧にだまされた。哄笑するヒッチの顔が見えるようだ。凄いよなぁ。)

 CGも、ステディカムすらない時代の映画撮影というのは、まるで奇術だ。例えばカール・ドライヤーの名作『裁かるるジャンヌ』('29)、ありえない角度で撮られた苦悩するジャンヌ・ダルクの顔が満載である。
 両指を組み合わせ、テーブルに顔を伏せている人間の顔を正面から撮るにはどうすればいいか。映画初期の頃のカメラはとても大きく重い。ドライヤーは中央に穴の開いたテーブルを作らせ、床に穴を掘った。カメラマンは仰向けに地面の下に隠れ、仰角でジャンヌの表情を撮影したのだ。では、そのとき照明の位置は?顔が影になり過ぎないよう慎重に計算されていなくてはならない。すると衣裳も。あぁ、面倒くさい。

 だが、映画の魔術というのは、こういう場所で生まれたのではなかったか。

 そんな手の込んだ撮影シーンを巻頭に持ってきて、スマートに観客を物語へ誘導する。さすがにヒッチコックは上手い。『裏窓』('58)で、例のボロアパートの背面から引きでジェームス・スチュアートの包帯を巻いた足に移動するのと同じ手だ。
 実に使いどころを心得ていらっしゃる。
 全編を見渡しても、こんな撮影が必要な箇所はここしかない。ただし、そんな偉そうなタメグチは、結果として出来上がった作品を微細に検討して初めて云えることなのだ。
 ヒッチコックの真の恐ろしさは、そこだ。
 完成した作品を見れば、各カットが実に論理的に整合性が取れているように見える。それほど美しい。だが、そこに罠がある。
 凡百のヒッチコック信者なら、例えばあの『映画術』に記載されている理論をまるまる鵜呑みにして、見事に誤った使い方を披露してくれる筈だ。
 彼の理論は、あくまで彼個人のものだ。

 天才の映画は、模倣できない。

 
凡庸な諸君は、そこのところを重々わきまえて置くように。
 以上を頭に入れて、デ=パルマの『殺しのドレス』('80)や『ミッドナイト・クロス』('81)を鑑賞してみて頂きたい。感慨深いと思う。
 
 さて、『バルカン超特急』は割り切った娯楽映画である。ゆえに第一義、面白くなくてはならない。そして、ヒッチコックは、観客を楽しませることに才能を惜しむような人物ではないのだ。
 映画を面白くする工夫を常に怠らない姿勢は、例えば、以下のようなシーンに要約される。

 『バルカン超特急』は、列車内で同席していた老婦人が忽然と消え、主人公以外、周囲の乗客も乗務員も誰も彼女を見ていない、という謎を解明する物語である。
 (しかし、こうして書き出してみると、これだけで充分無理のある、いびつなシチュエーションだな。これでちゃんと映画が成立するのだから、大したもんだ。)
 行方不明の婦人を捜して貨車に潜入した主人公が、まず出くわすのが揺れ動く巨大な竹カゴ。これは怪しいと蓋を開けると、飛び出すのは、暢気そうな山羊の顔。可愛い。観客が和んだところへ、背後の荷物をどけると、実は誘拐犯一味である奇術師の等身大立て看板。精巧な出来で、気味悪い。そして人間消失術に使われる、仕掛けのあるボックス。内部に回転床が仕掛けてあり、中に入った者はそのまま、開いている背面の出口から抜け出すことができる。感心しているところへ、背後から襲い掛かる奇術師その人。格闘の末、奇術のボックスへ。回転してよろめいて出てきたところを、頭をゴチン。
 格闘が始まるところで、可愛い山羊が竹カゴの中へスッと頭を引っ込めるところなど、いちいち出した小道具を全面活用。まさに完璧である。

 あぁ、もうひとつ蛇足を承知で。
 これは映画開闢以来、使われている古い手なのだが、重要なやつを。
 見事、拘束されていた老婦人を発見し、閉じ込められた列車のコンパートメントから脱出しようとする主人公。走る列車の窓から出て、隣の客室へ移動しようとするのだが、壁面に身を乗り出した途端に、進行方向から別の列車が接近して来る。あわや接触の寸前、身を伏せる。通過する列車。風圧で手すりから落ちそうになる主人公。ハラハラ、ドキドキ。

 云うまでも無いが、反対から列車が来る必然性はないのである。これこそが、映画を面白くする為の仕掛けだ。観客というものはスリルに巻き込まれている間、事態の悪化は素直に受け入れるという特性を持っている。(好転は、なぜかこの限りでない。)作劇者の立場は、この特権をフルに活用し、ギリギリ整合性のある嘘を吐き続ければよいのだ。
 ヒッチコックの巧いところは、この場面を背後からの連続ショットで収めているところだ。

 手前で、壁面にしがみつく主人公を見せておいて、進行方向に対向列車の煙りをまず出す。手がかりを探し悪戦苦闘する主人公。次に汽笛。まだ、掴めない。列車の姿が迫る。駄目だ、振り落とされるぞ。両手でバーにしがみつき、身を固める主人公。
 通過の轟音と、風圧を画面いっぱいに。
 そして、一瞬で列車が通過していってしまうから、どれくらいスピードが出ているのか観客にも見事伝わる訳だ。
 この間、ワンカット。定石の見事な使用例としか云いようがない。

 この無条件に楽しい娯楽映画のヒットは、ヒッチコックがハリウッドへ進出するきっかけとなった。
 大半が列車という限定された舞台で展開されるにも関わらず、観客はあれよあれよという間に転がっていく物語のテンポに引きずり込まれ、クライマックスの銃撃戦を迎えることになるだろう。
 だから、94分の映画を観終えて、諸君はただ呆然と呟かざるを得ない筈だ。

 こりゃスゲぇ、面白れぇ、と。

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