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2009年12月27日 (日)

『吸血蛾人』 (’77、日)

 傑作『吸血蛾人』について、何を語ればいいのだろうか。

 これは昭和五十二年に立風書房レモンコミックスから出た怪奇マンガで、二百五十ページを越す長編だ。
 作者は、西たけろう。一体それは何者か。カバー袖の著者近影には、長髪ヒゲにタートルを着た、陰気そうな男が写っている。
 
 カルトとか、マイナーという言葉を一種の美徳と捉える向きもあるだろうが、要は受ける才能がなかったんだよ、と言い切ることも出来るだろう。
 実際のところ、高度に発達し、細分化されたマーケティング理論は多数のヒット作を生んできた。すべてのジャンルにふさわしい専門家が揃い、的確なアドバイスを下す。
 しかし、私の勝手な見解だが、物語作家というのは、「常に間違え続ける」人だ。
 正解などとっくに出ているのだから、実は長い物語など書く必要はないのだ。それでも、あえて語ろうとする。
 そこに大きな魅力があるように思う。
 その構造の不条理さは、われわれが生きているこの現実そのものではないか。
 だから、バランスのよい、問題のないストーリーテリングなど、本当は誰にも必要ないものなのだ。

 いびつな物語ほど、私達の心に大きな傷を残す筈だ。

 『吸血蛾人』は、有名なジョルジュ・ラングランの『蝿』を勝手に借用し、後半部は作者オリジナルの物語が展開するという離れ業を見せる。
 『蝿』は、物質転送機を研究する若い科学者が、実験中に装置に紛れ込んだ蝿と合体してしまい、妻を恐怖に陥れたあげく、絶望して自殺を選ぶ。
 これだけの物語が、何度も映画化され人気を博しているのは、「肉体の変貌」という古典的テーマを、科学怪談というモダンな恐怖で味付けしたからだろう。
 とりわけ、映画『蝿男の恐怖』(’58、米)での、ラスト、ヴィンセント・プライスが眼にする怪物の視覚的ショック(それに、あの何とも哀しい泣き声!)は容易に忘れがたい。
 
 西たけろうは、「蝿」を「蛾」に置き換え、「吸血蛾人」の物語を語り出す。
 それだけなら「ジョーズ」が「グリズリー」に化けた程度のことだ、大のおとなが騒ぐようなことではない。
 (まぁ、いろいろ問題を含む点は認めざるえないが。)
 主人公の少女の兄は科学者で、物質を電送する実験中に、蛾と合体し、以前に実験が失敗した猫とも合体してしまう(!)。
 この苦し紛れのオリジナリティーは、同時に作者の真剣さを物語る証しである。
 特に物語の前半部での、西の描写は細かく丁寧だ。古びた洋館、実験室、居間に置かれた少年少女のアンティークドール。
 ベタを多用し描かれる洋風の空間は、単なる楳図かずおのエピゴーネンとも言い切れない迫力を持っている。
 ゴシック的な描写は、兄が結婚し、まさに呪われた美貌としか形容できない義姉夕子の登場と共にクライマックスを迎える。見るからに不吉な整った顔立ち。暗闇からドレスで現れる女は、暗い宿命そのものだ。ここまで16ページ。
 物質電送機の実験は原作の通りに失敗し、蛾と一体となって、見るもおぞましい怪人に変身した兄は、全身に黒いマントを纏い、地下室の暗黒に潜む。
 唯一の希望は、自分とあの時合体した残りの半身、「人間の頭と手を持った小さい蛾」を捜すこと。
 しかし、館中を隈なく捜せど、捜せど、その昆虫は見つからない。
 一方で、物質電送機が作動するとき発する電磁波は、周囲の昆虫を狂わせる性質を持っていた。主人公と義姉は狂った蛾の大群に襲われ、あわや一命を取りとめる。
 (窓を破って室内に飛び込んで来る蛾の大群は、ヒッチコックの『鳥』にそっくりだ。もう、無理やりにだが。)
 やがて蛾の意識に支配され始め、肉体の無残な変化に耐え切れなくなった怪人は、夕子の前で、すべての経緯を告白し、頭巾を外して醜い肉体をまざまざと見せつける(こうした場面で美女が上げる悲鳴は、常にせつなく美しい)。そして、いさぎよく硫酸の実験槽に飛び込み、自殺してしまう。

 以上の良質なアダプテーションを引き継いで、西のオリジナルストーリーが展開する。
 (118ページ以降。)
 人間の頭を持った蛾は、夫の面影を捨てきれない義姉にミルクを与えられ、赤子のように育てられるが、吸血の本能を発揮し、主人公の皮膚に牙を立て、その場に居合わせた運の悪い友人の少女を殺害する。
 困った義姉は、彼を研究所地下の秘密の部屋に匿うが、直後事件発生に駆けつけた警察により、事情聴取のため収監されてしまう。
 しかし、これもお約束、赤ん坊は、彼を見世物小屋に売って儲けようとたくらむ使用人夫婦の世話を受け、みるみる異常な速度で成長していく。
 恐怖のムードは連鎖し、やがて使用人夫婦は、成長した蛾怪人に生き血を吸い取られ、殺されてしまう。
 自らの死期が近い(“地上に出た昆虫の寿命は一年程度”)ことを悟った怪人は、再び呪われた転送実験を再現し、人間の肉体と合体し生き延びようと目論む。
 悪魔の実験の標的にされた主人公の運命は・・・・・・。

 素晴らしい。実に美しい物語ではないか。

 良質なホラーとは、語るべき恐怖の対象に対し、真摯な視線を外さないものである。
 それがどんなおぞましい存在であろうと、決して眼を背けたりはしない。私はそこに限度を越えた優しさと愛情を見る。
 もともと、愛情に限度などあるものか。
 人間同士の、日常レベルでの感情のもつれを描く物語など、真にラブ・ストーリーの名には値しないものだ。
 そう、例えば、諸君の語る恋愛が、どの程度まで打算を捨てて高級なものなのか、私に得心させてみて頂きたい。

 西たけろうの怪奇への熱情。その無償の迸りこそ、崇高なものだ。
 
 『吸血蛾人』は、これぞ、美しい、愛の物語である。

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