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2009年12月 5日 (土)

『タッチ』 (’83、英)

 ロック界の南ちゃん、アニー・レノックスの在籍するバンド、ユーリズミックス。
 その第三作目がこの『タッチ』だ。ここに、タッチ。
 
 シングル「ヒア・カムズ・ザ・レイン、アゲイン」のプロモーションビデオは、寒そうな北の海を見下ろす崖で、白装束を纏った地獄の南ちゃん(短髪、赤毛)がぶつぶつ呟き続ける、という恐ろしいもので、トラウマになりそうな迫力があった。
 何の因果かヒットした前作の「スィート・ドリームス」のプロモビデオが、短髪、黒ブーツ、鞭というSM路線まっしぐらの内容であったので、世間はさらなるキワモノを期待していると思ったのかも知れない。
 「タッチ」のデラックスエディションに収録されているフォトは、期待に応えて異常なコスプレのアニーねぇさんのオンパレードだ。
 モミアゲのプレスリー風の男装。皮のアイマスクに全裸。江口寿史『エイジ』にでも出てきそうなストリートパンクファッション。それにロン毛で女装(!)。
 誰が喜ぶのかわからないモノの拡大生産。マスプロダクツって、素晴らしい。
 
 しかし、だ。
 改めて聴きなおしてみると、この人たちの場合、同期のブリティッシュインベージョン組と比べても明らかに一段大人な曲づくりが、最大の魅力であったことが理解されて来るのだ。
 もう一枚のシングル「フーズ・ザット・ガール?」は、なんとダスティ・スプリングフィールド調のしっとりしたポップスだ。なんて大人なんだ。
 (プロモでは、ダスティ風のズラまで被って歌っている!ズラマニアなのか?)
 でも、実は色物でなく、本格派。アニーさんの、というか南ちゃん(強引だが、引っ張ってみるよ、ママ!)の優れた歌唱の実力が、よく聴き取れる筈だ。
 寝起きのようなボサボサの髪に白いタキシード、どう見ても秋葉系オタクにしか見えない、相方デイブ・スチュアートのギター一本で伴奏される同曲のライブバージョンが、今回おまけに入っているので、耳を傾けてみよう。
 楽曲の普遍性がよく判る。
 どう演奏しようと、ストレートに良い曲だ。
 なんだ、これなら別に伴奏がシンセじゃなくてもいいんじゃん、という感想を持つあなたは、まだまだ甘い。
 猫も杓子もシンセで、ディスコで、ナウかったのが八十年代前半なのである。その時代に育った人間には、ごく当たり前に見えても、エジプトにピラミッドが建設されて以来の人類の歴史からすれば、極めて異常な時代であったと断言してよろしい。
 (なにしろ、ニック・ロウですら、ディスコに行きたがったのだ!)
 長い地球の歴史で、この数年間は、「シンセにあらずんばポップスにあらず!」という堂々たる非道が罷り通っていたのだ。
 これは、ナチスの侵略行為と同じく、山川の参考書にも書いてある立派な史的事実だ。(残念ながら、その記載がどの本なのかは教えてあげられないのだが・・・。)

 『タッチ』における達也の死が衝撃だった(お断りしておく。私はこのマンガを読んでいない。死んだのは青沼静馬だったかも知れない。)ことを考えるに、この時点でユーリズミックスはシンセ全盛の世の中にあって、来るべきクラプトン・アンプラグド(史上最低!と笑顔で断言できるレイラを収録)大ヒット以降の、新たな世界秩序を既に予見し、早くも模索し始めていたのだと言えよう。
 なにせシンセポップスは、疫病の如く、またたく間に業界に蔓延し、天下を取り、そして一瞬のうちに滅び去ったのだ。信長やマヤ文明のようなものだ。(そうか?)
 その本質においてシンセポップではなかったユーリズミックスは、賢明な選択を行った。
 狂ったシンセ文明を捨て、ポップス本来の野性、雑食性への回帰を図ったのだ。『タッチ』でのカリプソの導入や、本物のストリングス、ホーンの投入はそういう意味合いを持っている。
 その結果が次回作『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』やシングル「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル」の成功に繋がっていくのだろう。

 しかし、だ。
 二度目の“しかし”で誠に恐縮だが、このアルバムにおける中途半端にシンセと生音が混ざった感じ、いかにも過渡期の産物らしくて、なんとも楽しくないか。
 しかも、まだ、シンセの方が強いわけですよ。勢い的には。
 そこにグッとくるんですよ、私の場合。理屈もなく。
 黒沢清の“死の機械”に惹かれる気持みたいなもんですかね。
 波形がむきだしで、ウネウネきて、クールな旋律が指一本でキーボードの白鍵弾きでループして、この世に絶望したボーカルがそれでも軽薄に、意外とキャッチーな、でも中途半端なメロディを歌う。
 素晴らしい。

 ヤズーでも、デペッシュモードでも、ヘブン17でも、ソフトセルでもいい。
 一瞬の盛り上がりを見せて、すぐに廃れてしまった、シンセ主導のエレポップは、いまだに怪しい魅力を放ち続けているのだ。
 人類の歴史上、他に似たものがない。という一点において。

 たとえ球児たちの夏が終わっても。ここに、タッチ。

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