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2009年12月 3日 (木)

伊藤潤二『よん&むー』(’09、日)

 「・・・あぁ、驚いた。」

 古本好きの好青年、スズキくんは溜息をついた。
 仏壇の前には、献花があがっている。

 「まさか、喉に鼻水が詰まって窒息死するなんてなぁー。運がない。」

 古本屋のおやじは特に身寄りもなく、人付き合いも悪い方だったようで、葬儀に顔を見せた人間は少なかった。
 行きがかりじょう、遺体を運ぶ手伝いをするやら、警察に事情を聴取されるやら、納棺、火葬場の手配など、面倒な仕事を一通りこなす羽目になったスズキくんは、あぁ、草臥れた、赤の他人がここまでしたんだ、ちょいとおやじの秘蔵の品を覗かせて貰っても罰は当たるまい、と大胆な気持になった。

 部屋の奥に、どっかり据えられた長櫃。

 「まぁ、なにか隠すなら、この中だわなぁー。」

 錠前の鍵は、おやじの懐ろに後生大事に仕舞われていた。多少の後ろめたさを押し殺して、スズキくんが鍵穴に差し込むと、中で錆ついているのだろう、ギリリ、ギリリと不快な音を立てていたが、それでも苦心して捻じ込むと不意に開いた。

 「なんだ、コレ?」

 スズキくんが取りあげたのは、一冊の、年季を経た茶色い皮装のノートだった。
 表紙に、へたくそな金釘流で、文字が書かれてある。

   『 よ げ ん の 書 』

 「そう、来ますか。」

 スズキくんは、再び、深い溜息をついた。

   ※        ※         ※         ※         ※

 『よげんの書。おやじ著。

 もしも、わしが死んで一条の煙と化したら、この書物を紐解くべし。これは、古本屋のおやじの魂にして、告解の書なり。
 われ、若かりしとき、昼夜分かたず勝手気侭に日々を送り、末に家督を奪われ、野に放遂さる。
 以来数十余年、心恣まに書を買い漁り、書に耽溺し、何時しか書をあがない、鬻ぐことを覚えたれども、片時たりともわが思い充たさるること叶わず。
 百冊の書にあたりて、百戦百勝、遂には書聖と号され、やれ稀に見る賢人よ、やれ当世の哲人よ、と持て囃されども、天上の宮殿にすら我が霊魂の安らぐ所処なし。
 われ、事に於いて後悔せざれども、あの娘はちょっぴり惜しかった。』

 「なんだ、こりゃ?」
 スズキくんは、小首を傾げる。
 
 「こんな、しょうもないモノを残して死んでいったのか、あの人は?」
 
 そう呟いて、書に目を戻したスズキくんは、ちいさく唖ッと呻いた。
 そこまでの活字は、ごく折り目正しく、典雅に並んでいたのだが、突如グニャグニャと蠢き始め、瞬時に以下の文章を描き出したのだ。

 『しょうもないって、云うな。』

 「うわぁぁぁーーーーーーーーーッ!!!」

 思わず本を取り落としたスズキくんは、それでも、こわごわ這いずり寄ると、「いてぇ。」と極太ゴチックで印字されている頁をまじまじ見つめた。
 「ひょっとして・・・マスター、ですか?・・・。」

 『この本には、文字通り、わしの魂が封じ込めてあるのだ。
  ホレ、楳図かずおの短編にあったろう。愛妻の死を嘆く男が、遺体を加工して一冊の本にしてしまうやつが・・・。』

 「発狂した男は昼夜問わず、その本を後生大事に読み続け、やがて訪れる悲劇の結末・・・。」
    
 『あの短編の設定を、丸ごとパクったのだ。』

 スズキくんは、ふと顔を上げ、
 「それ、おかしいですよ。マスターのご遺体は、きちんと火葬場に運ばれ、こんがり焼かれて、喉仏の骨も摘めないレベルになった筈。」
 「フフ・・・果たして、そうかな?」
 「・・・あ、あッ!!」
 『そう、フフフ、気づいたようだね、スズキくん。
  きみの火葬したその男、顔面は鋭利な刃物で膾斬りにされ、ご丁寧に鈍器で叩いて目鼻立ちも判らない状態にされていた。
 お陰で官警の事情聴取も苛烈を極め、まったく無関係のきみも中々帰して貰えなかった程なのだ。
 そこで、質問だが・・・その遺体、それは確かに私だろうね?』

 「かッ・・・“顔のない死体”!!古い手だ!!」
 
 『何とでも云え。わしは、とある人の手を借り、この姿となり永遠の生命を得たのだ。もはや、地上の愚かな法律で、このわしを裁くことなど出来はしないのだ!!』
 狂ったように哄笑する(正確には、文字を浮き立たせる)おやじの本を前にして、スズキくん自身の、目の下に不吉な黒い翳が拡がり、唇がニンマリと歪んだ。
  
 「・・・クッ、クッ、クッ、クッ、クッ。」
 
 『??』
 意表を突かれ、停止するおやじの本。
 
 「クッ、クッ、クッ、・・・おもしれぇよ、あんた、最高だよ。」
 
 本の頁に手を掛け、力を篭めるスズキくん。
 『・・・ま、待て、何をする、そんなに引っ張ると痛いって!!』

 びりりりり。
 本が、心なし震えたようだ。

 「どうすんだよ、この状況をよ、どう収拾をつけるってんだよ?!」
 
 びり、びり、とおやじの本を引き千切り続けるスズキくん。
 
 「最早、こんな文章、ブックレビューでも何でもねぇよ。書評を楽しみに来てくださった全国一千万の伊藤潤二ファンの皆さんに、どう落とし前つけるんだよ?!」

 『ギィイイヤァアアアアアーーーーー!!!!』

 一息に、中背を破り捨て、表紙の厚いカバーに爪を立てる。
 スズキくんの表情はどす黒く歪んで、まるで悪鬼の如き形相だ。

 『・・・ま、待て。やる、真面目に書評する・・・。』

 「本当に?」

 『よ・・・「よん&むー」は、恐怖マンガ一筋だった伊藤先生が、初めて手がける猫マンガです。』

 「それくらい、とっくに知ってるんだよ!
  もっと、何か、偉そうなこと抜かしてみろ!このペテン師野郎!!」

 『うぅぅッ・・・・・・おもしろいですよ。』

 
その瞬間、びりりりりッ、と本が真ッ二つに引き裂かれ、おやじの声にならない絶叫と共に、部屋の暖炉からゴォーーーッと炎の塊りが噴き出し、カーテンを焦がしてメラメラと燃え拡がった。
 土間の叩きに素早く身を投げ出し転がったスズキくんの頭上を、爆ぜた空気がガラス戸の方向を目指して炸裂し、安い木の桁材をいとも簡単に押し破って、戸外へと全速力で飛び出した。
 突如支えるべき足場を失い、連続して倒れてくる柱の群れを、得意の忍術でスィスィと避けながら、スズキくんが路地へと身軽に這いずり出ると、真っ黒い煙が猛然と湧き出して来て、電線越しの青い空を見る見る押し隠してしまうところだった。
 どやどやと詰め掛けた群衆の中から、振り返り眺めても、燃え盛る炎の中に、あの茶色い表紙の本を見つけることは、最早できなかった。

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