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2009年12月

2009年12月31日 (木)

『どんづる円盤』 (’78、日) <後編>

  (承前)

  第五話、古人(いにしえびと)帰り

10) 夜の校舎上空に現れた巨大な葉巻型UFO、さらに円盤は次々と現れ、空を埋め尽くしていく!
 「うわーッ!!UFOの大編隊だーッ!!」


 屯鶴峯上空に集結したUFOは、怪光線を発射し巨大ゴキブリを焼き払っていった!

 九死に一生を得て、嬉しさの余り校庭へ駆け出す、生存者たち。
 煙を上げて燃えあがる小山のような巨大ゴキブリが、何匹もそこらに転がっている。
 斉藤、広げた指の谷間をためす眇めつ眺めている。
 「どうしたんだ、もとむくん?!」
 「テレパシーだよ、宇宙人に逢えそうな予感がするんだ。」
 
 どんづる峯の山中へ急行する、斉藤と佐田。
 
※    ※    ※    ※

 「これ、非常に不自然な行動だと思うんですよ、ボクは。」

 すっかり夜になり、暗闇にどっぷり浸かったスズキくんが、名探偵よろしく云う。

 「普通に考えれば、ゴキブリ殲滅後、地上に着陸したUFOの母船から宇宙人が出てきてコンタクトが始まる筈なんです。
 なんでもう一度、不時着したUFOの様子を見に、山中まで行く手間隙を掛けるんでしょうか?」

 「そりゃ、きみ、伏線を回収する為だろうが。」
 おやじは不興げに煙草に火を点ける。
 闇の中に真っ赤な点が灯り、煙りを吐き出す気配がした。
 「あのUFOの由来を読者に解説する必要がある。その場合、ご苦労だが、斉藤と佐田には現地へ飛んで貰うだろうさ。」

 「説明のためのストーリー展開。
 ここにボクは、この作品の本質があるような気がするんです。」
 スズキくんは、続ける。
 「少年向け科学解説書なんかによくあるスタイルですよね。無個性な主人公が居て、仲間が居て、事件があって。
 で、たいてい、博士か何かがその謎に科学解説を加える。
 この場合、作者が読ませたいのは科学解説の部分なんですよ。主体は、むしろそっちにある。」

 「ストーリーの整合性を無視してもか?」
 「無視しても語らなくてはならない、真実がある。」

※    ※    ※    ※

 樹海に不時着した巨大な円盤に、再び入り込む斉藤と佐田。
 倒れている宇宙服の人影、さらにその奥の船室に明かりが見えるようだ。
 勇気を奮って、話しかけてみる斉藤。

 「あなたがたが助けてくれたのですね、僕たちを?」
 『そうだ。』
 電気的に加工されたような、重々しい声が響く。
 流暢な日本語で喋りだす宇宙人。遂に語られる驚愕の真相!

 『宇宙の彼方から地球を救うため、われわれは来た。
 あの巨大昆虫は、未来から来た怪物だ。放っておいたら、地球の人類はあの昆虫のために全滅してしまうところだった。』


 驚愕する斉藤、佐田。
 未来の世界では、相次ぐ核実験による放射能汚染、巨大産業プラントの吐き出す公害物質の増加により、動植物のほとんどが死滅してしまった。
 深刻な食糧危機に陥った人間たちは、超光速の円盤を開発し、大宇宙へ食べ物を求めて飛び立った。
 『そして、ある惑星で、食糧を見つけた。
 大量にいて、捕獲しやすく、たいした重量でもない「動物」。
 味もまずくないその「動物」を求め、遠征隊は繰り返し飛んで行った。』

 説明コマの背景に描かれる、UFOの姿に驚嘆するアフリカ原住民。
 その威容に、思わず倒れ伏す、牛車を降りた平安貴族。

 『だが、その惑星とは、実は過去の地球だったのだ。』

 「エェーーーッ?!」
 最早二の句も接げない斉藤と佐田。(それに読者。)

 『その惑星とは過去の地球で、かれらが獲って食べていたのは、かれらの先祖だったのだ。
 円盤は、超光速で宇宙をひとまわりして、過去の地球に着いていたのだ。』

 挿入される、サハラ砂漠に実在する、宇宙人と思しきヘルメット姿の巨人を描いた壁画。
 そのデザインのままの宇宙人が今、話し続ける。

 『しかし、そんな蛮行を神が許す筈がない。
 やがて、頭蓋骨が異常な発達を示す、奇病が蔓延し始めた。産まれてきた赤ん坊にも、同様に。
 その形状は、まるで角に似ていた。
 きみたち。』

 斉藤と佐田を指差し、

 『ちょうど、きみたちの時代の人間を食べるようになってからだ。体内に蓄積された公害物質や放射能に汚染された物質が、そんな異変の原因を生んだと考える者もいる。
 未来の人間は、みんなONI(鬼)になるのだ。』

※    ※    ※    ※

 「永井豪の傑作短編、『鬼』ってこの頃でしたっけ?」
 「’70年の発表だな。のちに『手天童子』(’73~’78)でも再利用される、未来から来た人間が鬼の伝説を生む、ってアイディアの先駆だよ。」
 「なるほど。」
 明確な物証を前にした刑事のように、スズキくんは深い溜息をついた。
 「なるほど、ね。」

※    ※    ※    ※

 宇宙人の解説は、続く。
 『そして、さらに過酷な運命が、人類を待ち受けていた。
 荒廃した環境でもしぶとく生き残った昆虫が、放射能で巨大化し、人間を襲い始めたのだ!
 最後の円盤で、きみたちの世界に逃げて来ようとした者たちは、もぐり込んでいた怪物たちの餌になってしまった。』

 周辺に散乱する、食い荒らされた宇宙服の人影。
 人肉食という禁忌を破った者どもへの、あまりに無慈悲な神の裁きであろうか。

 『今からでも遅くない。人間の未来がこうならないように、きみたち現在の人間がくれぐれも警戒することだ。』

 語り終えようとする、声だけで姿を見せぬ宇宙人。話の内容から推察するに、その実体は、「鬼」ではないらしい。
 佐田は、はやる好奇心を抑えきれず、斉藤に囁く。
 「あの壁の向こうに、宇宙人がいる。どんなやつだか、見てやろう。」

 いっせいに駆け出すふたり。

 『われわれを見ようというのか?やめたまえ、愚かなことだ。』
 
 壁の向こうは、宇宙船の制御室だった。
 外部から伸びた無数のケーブルに連結され、巨大な土偶のような、かろうじて人型をした制御装置が中央に鎮座している。

 「う、うわーッ!!」

 制御装置の頭部付近に嵌め込まれたガラス球の中に蠢くのは、三匹の小さなゴキブリだった!!
 こいつが、今まさに喋っていた相手だったのだ!!

 その姿を眼にした途端、床にするすると穴が開き、宇宙船外に放り出される斉藤と佐田!
 離陸する巨大UFO!
 屯鶴峯一帯を埋め尽くしていた多数の円盤群も、一斉に空中へ飛び立つ!
 葉巻型母船に付き従うように、宇宙へと消えていく円盤たち!

 放心したかのように、空を見上げるふたりの背後に、場違いな浴衣を着た少女が現れる。(ご丁寧に団扇まで持ったままだ。)
 妹の姿に気づいた佐田が、叫ぶ。 

 「あッ!ミチル、生きていたのか?!(中編(6)を参照。)どこにいたんだ?!」

 顔は青ざめ、眼は据わり、血の気がまったく通っていないが、意外とミチルは普通に口を利くのだった。

 「あたし、ゴキブリに攫われてどこかのほら穴に閉じ込められていたの。いま、ようやく逃げ出して来たのよ。」

 三ヶ月の長期不在を説明するには余りに不審点の多すぎる説明だが、疑問の余地なく受け入れた佐田は、無邪気に再会を喜ぶのだった。
 これにて事件は終わり、斉藤と深い友情を誓い合った佐田は、妹を伴い、帰京の途に着いた。

※    ※    ※    ※

 「・・・・・・フーッ。ようやく辿り着いたゾ。」
 
 慣れぬストーリー詳述にすっかり憔悴し切ったおやじは、暗闇の中で大きく伸びをした。
 屯鶴峯一帯に夜は深く、彼方で鳴く虫の声に、時折りホー、ホーとふくろうの呼び声も混じるようだ。
 「いよいよ、ですか。」
 スズキくんは溜まりかねたように声をかける。
 応えておやじは、重々しく宣言した。

 「そうだ。
 これより、最後の恐怖の幕が開く!」

 
 
(以下次号、また来年。)

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2009年12月30日 (水)

『どんづる円盤』 (’78、日) <中編>

  (承前)

  第三話、「オラといっしょに、古いそさ、いくだ!」 

 「・・・これは、大失敗だなぁー。」
 
 早や陽はすっかり傾き、宵闇の気配が漂い始めた屯鶴峯を眺めるベンチで、スズキくんは重々しく溜息をついた。
 突然、話の腰を折られたおやじは、苦々しげな表情で、
 「なにが?」
 と、訊いた。
 
 「なんでか今回の章題は、すべて諸星大二郎先生の名作『妖怪ハンター』から採られている訳でしょ。それをまた、何と無惨な・・・。
 大傑作で、単体で映画化までされた第三話『生命の木』が台無しですよ。そもそも、“古いそ”ったァ、一体なんです?!」
 「古磯ロングビーチとかな。
 まぁ、いいじゃないか。瑣末なことだ。続けるぞ。」

6) 「二年前にも円盤は来ていた。六十人ぐらいの人たちが円盤に乗って行ってしまった。」
 「その人たちがどうなったか知らないが、先生の推理では、他の星から来て人間を食料にしているんだろうっていうんだ。」

 斉藤の明かす驚愕の真実に、二の句も接げない佐田。

※    ※    ※    ※

 「確かに、無茶苦茶な設定ですよね。」
 スズキくんは、咥えた煙草をふかしながら考え深げに云う。
 おやじ、軽く頷き、
 「佐田じゃなくても驚愕するわな。二年前に円盤が来ている、どころか大昔からちょくちょく来ているんなら、今回の円盤騒ぎはなんだったのか?
 そもそも、日本国民が一挙に六十人も大量に円盤に拉致されでもしたら、いかな間抜けな官憲といえども黙ってはおるまいて。」

 白亜の岩壁に入り陽が照り映えて、夏枯れの樹々の隙間から零れ落ちる。
 カラスが、カァーと啼く。
 陰になった遠くの山肌に、徐々に闇が深まって来ているようだ。

 「そういや、文中に突然現れる“先生”ってのは、何者なんですか?ここまでの、解説にまったく出てきませんが。」
 ボリボリと頭を掻き、おやじはベンチから立ち上がり、周囲をうろつき出した。
 「先生!先生!先生!こいつが大問題なんだ。」
 ふいにスズキくんに近寄ると、
 「実は該当人物が、一名居る。
 そいつはプロローグから画面に出ずっぱりで、斉藤を超能力者呼ばわりしたり、宇宙人との仲介者に選ばれたのだ、と宣告したり、結構重要な役どころだ。
 ところが、こいつには名前がないんだ。紹介的な台詞もない。勝手に現れ、勝手に解説してるようにしか見えない。
 おまけに、この場面以降、こいつは消えてしまい、二度と画面に姿を現さないんだ。気楽なもんだ。
 ちょうど、現在のわれわれのような立場だな。」

 おやじ、くるりと読者の方を振り向き、
 「ところで誰なんだ、お前?」

※    ※    ※    ※

6)(つづき) 唐突に場面変わって、浴衣姿でひとり夕涼みする佐田の妹、ミチル。
 「おしいなァ、こんないい夜に円盤が現れないなんて。」
 呑気な台詞を云っているところへ、ザザーッと藪を這って近づく黒い影!
 「キャーッ!!」
 悲鳴をあげて失神し、地面を引きづられていくミチル。

 その声を聞いて斉藤、佐田、それに斉藤の父が彼女を捜しに出る。
 手分けして捜索するうち、墓地まで来た斉藤の父、怪しい物音に遭遇。
 「誰だ?!うぁあああっ!!!」
 真夜中の墓地に響き渡る、斉藤父の絶叫!そのまま、行方不明に。

7) 翌朝。さすがに事態を放置しておけなくなった警察(三ヶ月間なにをしていたのか?)、周辺住民の協力を得て、山狩りを開始する。
 これまた勝手に単独行動をとる斉藤と佐田。こら。樹海に奥深く横たわる、不時着したらしき巨大な円盤を発見。

 「円盤はもう来ていたんだ!僕たちが空ばかり見ている間に!」

 推定、地球到着は三ヶ月前ということか。(根拠薄弱だが。)
 何の考えもなしに、UFO内部へどんどん侵入する斉藤と佐田。
 床に倒れている宇宙服の人影、数体を発見する。(プロローグに登場した姿に同じ、(1)の記述を参照。)
 しかし、まったく身動きしない。

 「ウワッ!!宇宙人だ!!」

 端的で、非常に判り易い説明。
 しかし、宇宙服の中は空っぽのようだ。こわごわ、ヘルメットを外してみる佐田。
 すると、二重のショックが襲い掛かる。読者はすっかり置いてけぼりだ。
 
 「ワァーッ!!鬼の頭蓋骨だ!!」

 宇宙服の中には、巨大な、「鬼」を連想させる、角の生えた異形の頭蓋骨が入っていた。
 まばらに荒い髪の毛が残っているさまからして、そう年代の古いものではない。
 よく見ると、円盤のフロアには同様の大きな白骨が無数に散乱し、食い破られたらしき宇宙服の残骸もあちこちに見受けられる。
 佐田の推理。
 「この円盤が襲われて全滅したとき、怪物か何かに食われてしまったんだよ。」
 「怪物?もしや、みんなを攫ったのも同じ・・・。」

※    ※    ※    ※

 「最早、円盤並みの飛翔速度で飛ばしてますよね、このへん。」 

 おやじの肩越しに読者を覗き込み、スズキくんが云う。
 「でも、みなさん、ついてきてくれますね?
  目的地はまだまだ先なんですが、そろそろ加速度的に話が転がり出しますよ。」
 ニヤリ、笑った。

   第四話、闇の中の古い顔 

8) 無事円盤から脱出し、森を抜けて戻る斉藤と佐田。
 その途中、怪しいガリガリと何かを齧る物音を耳にする。
 藪を掻き分け、物陰からこっそり覗くと、

 目玉を刳り貫かれた女性の生首。
 地面に散乱する手足。
 そして胴体にかぶりつく、巨大ゴキブリの群れ!


 「うぁーーーッ!!」
 人間よりも大きなゴキブリが群れをなし、転がった人体を食べている。地面に拡がる血の洪水。
 着衣から推測するに、三ヶ月前、豪雨の際に崖下に転落し意識不明となり、そのまま消息を絶ったテレビタレントの女性のようだ。(前編(5)の記述を参照。)
 (しかしこの人、三ヶ月間どうしていたのだろう?)

 「ヒャーッ!!」と、その場を逃げ出す斉藤と佐田。
 気がつくと、どんづる峯の到る所で、ゴキブリ達が捕らえた人間を八つ裂きにして喰っている。まさに人肉パーティ状態。
 「ちくしょう、お父ちゃんも食べられて死んだのだ、かたきは必ずとってやるぞ!」
 ぐんぐん結論を先走る斉藤少年。

 やっと麓の村まで降りると、菰を被せた遺体を運ぶ村人に出くわす。
 「もとむちゃん、お父ちゃんが見つかったでー。」
 さっきの今で、すっかり変わり果てた父親の亡き骸に対面する少年。まさに無情の世界。
 崩れ落ち、号泣するのであった。

9) 日没。
 ゴキブリは夜行性、今夜再び襲って来るもの、と佐田は確信する。
 (この辺で判明するのだが、(1)(6)に登場し消えてしまう謎の人物“先生”とは、佐田の役廻りと被る設定の人物だったと思われる。キャラ被りにつき抹消されてしまったようだ。)
 佐田は警察に電話するがまったく信じて貰えず(先段(7)での山狩りの件、なぜか無効になっている。)、
 仕方がないので火炎瓶をつくり、インディペンデントでゴキブリと戦う決心をする村人たち。 
 
 佐田の予言どおり、満月をバックに飛来する巨大ゴキブリの軍勢!!
 手製の竹ヤリ(笑)で戦うも、まったく効果がない。
 たちまち追い詰められて、火炎瓶を放り投げ、車を運転し逃亡する佐田。免許あるらしい。ほか、斉藤少年、斉藤の母親(乳飲み児を抱いている)。
 途中、佐田の投げた必殺の火炎瓶を受けて炎上した、巨大ゴキブリが暴走。
 道路横を走る近鉄線の運転席に突っ込み、列車転覆、死傷者多数の大惨事が発生する。
 佐田も、反動で近所の石垣に追突し、メガネを割る大惨事(笑)。 

 こうなりゃ徒歩だ。
 全員走って必死に逃げ込んだ先は、やはりというか、小学校だ。(このシーケンスの描写は、完全に『漂流教室』のエピゴーネンである。)
 他にも居た生存者達(全員小学生)を指揮して、椅子や机でバリケードを築き、理科室のアルコールで火炎瓶をまたしても作る佐田。メガネを外すと、意外やイイ男。でも、イケ面過ぎて一瞬誰だかわからない(笑)。

 そして、あっという間に、「ガサ!ガサ!」と校舎の壁を這い登り、押し寄せて来る無気味な巨大ゴキブリの大群!

 鋭い肢に捕まれ空中へ消える者。追いまくられ無惨に踏み潰される者。
 佐田と斉藤の必死の反撃。竹ヤリに突き刺され、校舎二階から地面に墜落する巨大ゴキブリ。
 それでも結局、数に優るゴキブリ軍は、じわじわと人間を追い詰めていく。
 やがて、木造校舎の中で、自ら放った火炎瓶の炎で退路を絶たれ(バカ)、絶体絶命の境地に陥る佐田たち一同。

 そのとき、突如、夜の校舎の上空に現れたのは、輝く巨大な葉巻型UFOだった!!

  
(以下次号)

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2009年12月29日 (火)

『どんづる円盤』(’78、日) <前編>

 スズキくん。

  魑魅魍魎がはびこる古本の世界で、「異端」と呼ばれる道を歩き続けて数十年。
 人は彼のことを、《古本ハンター》と呼ぶ・・・・・・。

  
 
  第一話、古い探求者

 「・・・国道165号、穴虫交差点。こっから、すぐだというが。」
 
 奈良県香芝市。近鉄関屋駅で下車し、人里を離れ田舎道を歩くこと三十分ほど。
 ゆるい傾斜の尾根を登り、さすがにトレードマークの黒いスーツの下も、汗だくだ。
 「やっぱり、タクシーにするべきだったな。」
 
 「・・・おや、スズキくんじゃないか。」

 道中呼び止めたのは、行きつけの古本屋のおやじ。手ぬぐいの頬かむり、手甲脚半にタートルネック。あからさまに怪しい風体である。

 「これは、これは運減堂さんじゃないですか。なんでまた、こんなところに。」
 「なにを白々しい。
  さては、きみも真相を探りに来たんじゃないのかね。あの本を読んだろ?」
 「白川まり奈『どんづる円盤』ですね。」

 それから、しばしお互い無言で歩いたのち。
 道端にぽつんと置かれたコーラの自販機のところで立ち止まり、向かいの山の稜線を走る巨大な送電鉄塔の群れを眺めながら、おやじが口火を切った。 

 「率直に聞こう。どう思った?」
 「読んだのは、大田出版の復刻版なんですよ。『侵略円盤キノコンガ』とカップリングの。『キノコンガ』は堂々たる正統派じゃないですか。」
 「SFの王道だよね。どこに出しても恥ずかしくない、B級作品(笑)」
 「例の、キノコになった子供が、ブランコに揺られながら月を見上げる口絵なんて、素直にいい出来ですよね。やはり代表作となるだけのことはあります。」
 「じゃ、有名なんで、この作品の紹介は省略だ。」
 「キノコンガ、パスですか。いいのか?(笑)」
 
 「対して、典型的に壊れているのが『どんづる円盤』だな。」
 
 「最後まで読み終えても、“エェーーーーーッ??”って感じで。なにがどうなったのか、さっぱりわからない。慌ててもう一度読み直したんですが、やっぱりわからない。」
 「巨大ゴキブリが出てくるあたりで、完全に話を見失うよな(笑)。」
 「こんなに訳がわからない作品は久しぶりです。日野日出志の『恐怖!!ブタの町』以来の衝撃でした。」
 「なんだ、そりゃ?(笑)
  だが、安心したまえ、スズキくん。」
 「なにが、ですか?」
 「『どんづる円盤』の謎は、すべて今夜解明される。私が、解く!!」

 「エェェーーーーーッ?!」

 驚くスズキくんを尻目に、おやじは、飲み終えたコーラの缶を丁寧に潰すと、リサイクル可能なように、赤い缶類専用ごみ箱に放り込んだ。
 「ところで、地球環境は大切に、な。」
 
 僅かだが、涼しい風が出てきたようだ。

   第二話、古い唇

 「しかし、こんなインパクト抜群の地名が実際にあるなんて。」
 眼下に広がる奇岩の景勝地を眺めながら、スズキくんは呟いた。
 
 奈良県どんづる峯。
 「二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山。」(ウイキペディアの解説を丸ごと引用。)

 「確かにウィキの解説は便利だが、まんま鵜呑みにするのも考え物だぞ。実は標高15,000mの険しい岩山かも知れんじゃないか。」
 「到底そうは見えませんが。」
 ようやく屯鶴峯へ辿り着いたふたりは、観光客に用意されたと思しき路肩のベンチに座り、灰白の岩塊の並ぶ崖を見ながら、話し始めた。

 「まずは、直線的にストーリーを整理してみようじゃないか。

  以下記述する内容は、深く『どんづる円盤』のストーリーに立ち入っています。
 100%ネタバレを起こすから、まだ読んでいない人、『恐怖!!ブタの町』並みの衝撃を受けたい人は、要注意!!」

 
「今回は、随分親切ですね。」
 「フン、私はいつでも親切なのだ。それじゃ、始めようか。」

1)プロローグ

 大宇宙。主人公の少年の語り。「かれらは暗い空間を飛びつづけている。」
 巨大なUFOと、その内部。
 卓を囲む宇宙服の姿が三名。その姿は、後述する、墜落したUFOに乗っていた者と同じである。
 「やつらが来ることは間違いない、この地球へー」

2)どんづる峯。
 岩地を走る地元の少年少女。
 ひとりの少年が“鬼の壁”と呼ばれる岩壁を指差す。「ほら、見たまえ。あの岩の上に文字が浮き出ているだろう。」
 彼にだけ読めるその文字は、宇宙人の来訪予告らしい。『八月八日午後八時、われわれは円盤に乗り、ここに現れる。きみは全人類に伝え、人々を集めよ。』

3)タイトル。オカルトSFミステリー、『どんづる円盤』。

4)第一章、謎の物体UFO

 東京上空を飛行する円盤、二機。
 杉並区在住の高校生佐田は、妹と一緒にこれを目撃、宇宙人談義に花を咲かせるが、その様子を天井にへばり付いたゴキブリが監視していた。

 佐田は同人誌も発行するほどの円盤気違いだが、ある日、同様に円盤狂い仲間の斉藤もとむから手紙を受け取る。
 彼は冒頭の少年で、八月八日のUFO来訪予告を告げ、関西へ見に来いと誘う。
 くだんの妹ミチルを連れ、二上山駅で下車した佐田は斉藤と落ち合い、どんづる峯へ。
 鬼の壁には、今度は巨大な宇宙服の姿が映し出されていた。(が、例によって斉藤しか見ることが出来ない。)

5)八月八日、夜。
 テレビ局の中継も繰り出し、多数の見物人も詰め掛けたが、とうに八時半を過ぎても姿を見せない円盤。
 誰もが待ちかねて苛立つなか、突如雷鳴が閃き、豪雨が降り始める。
 不安定な足場で逃げ惑う群衆。その中で、TV局の女性タレントは足を滑らせ、ひとり谷底へ落下し意識を失ってしまう。

 それから三日後。
 円盤は待てど結局現れず、斉藤は嘘つき呼ばわりされている。
 女性タレントは依然行方不明であり、この地域で他にも何名か行方不明が出ていることが判る。

6)第二章、怪物?

 斉藤は自宅で祖父の写真を見ながら回想する。「おじいちゃんが死ぬ前に言っていた、円盤が来ても乗ってはいけない、と。」
 「円盤には乗るな、だって?!」
 この地には江戸時代から円盤が来ていた。円盤は人々を攫い、殺して食べてしまったという。
 斉藤はさらに続ける。
 「二年前にも円盤は来ていた。ぼくも乗るつもりだったんだけど、先生のおかげで乗れなかった。そのときは六十人ぐらいの人達が円盤に乗って行ってしまった。」
 
 ※     ※     ※     ※

 「ここだ!スズキくん!」
 おやじは、突然広げていた本を閉じて、叫んだ。
 「え?」
 「この無謀極まりない斉藤の発言あたりから、『どんづる円盤』の暴走は開始されているのだ!!」

  (以下次号)

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2009年12月27日 (日)

ジョン・カーペンター『パラダイム』 (’87、米)

 ジョン・カーペンター!

 おそらく、現役で世界トップクラスの監督のひとり。
 あなたがひとしきり映画を観終わって、なにか他と違う感触が残ったら、その原因はなんだろう。
 脚本が良かったのか?音楽だろうか?それとも、役者の力か?
 いやいや、それらは結局、メニューの為の素材に過ぎない。
 (早い話、優れた食材さえあれば、誰でもおいしい料理がつくれるだろうか?) 
 映画とは、、煎じ詰めれば、監督のものだ。
 あなたが観たのは、もしやジョン・カーペンターのフィルムだったのかも知れない。

 『パラダイム』は、カーペンター版のオカルト映画だ。
 扱われているのは、悪魔の復活という古典的題材であり、だから『エクソシスト』であり『オーメン』である。
 なにをいまさら、という陳腐極まるお話を、カーペンターは、あくまでクールに徹したアクションとして演出する。
 主な舞台は、都会の一角に佇む、古びた教会。
 主人公達はこの建物に篭城を余儀なくされ、悪魔の復活を阻止するべく、捨て身で奮闘することになる。
 意匠はSF仕立てで、電子装置による聖典の翻訳や、未来からのタキオン通信なんてサブアイディアも登場する。
 だから、近代科学対心霊現象という、この図式はなんだか『たたり』や『ヘルハウス』といったお化け屋敷映画の古典へのオマージュにも見えてくるのだが、カーペンターの独自性は、形式だけ借りた安易なパロディに堕することは決してない。
 ハワード・ホークス『リオ・ブラボー』に映画の神を見た男は、思わず「うまい!」と唸らされる必殺のワンカットを駆使するガンマンである。
 
 例えば、ドナルド・プレザンスが、教会に到着するカットを観たまえ。
  滑り込む巨大なリムジン。
  街路に吐き出される神父。
  見上げる彼の遠景ショットに、
  フェンス越しに手前から映り込んでくる浮浪者。
 完璧だ。
 そして、その後の、プレザンスの振り向くアクションに、画面下からニュッと伸び上げる浮浪者の動きを繋いだカットも見事なタイミング。
 派手な特殊効果などなしに、役者のアクションだけで思わずギョッとさせる場面が成立してしまった。
 あぁ、映画たるもの、こうでなくっちゃ。
 誰もが拍手喝采である。

 そういや、ナイフと血のりばかりが一人歩きした感のある商業映画デビュー作『ハロウィン』であるが、実は前述したような緩急自在のアクションによって構成される、渋い映画だった。
 (ま、だから、結果としてあんまり怖くないんですが。)
 現代人は語彙が貧しいので、無理やりカーペンターを恐怖映画に位置づけざるを得なかったのではなかろうか。

 カーペンターの本質は、小気味いいアクション。
 それに、クールなカット割りと、自ら作曲も演奏も手掛けるチープかつ単調な劇伴。

 それにしても、悪魔出現に備え、教会に集結し不眠不休であれこれ奔走する科学者の皆さんを見ていると、徹夜で学園祭の準備にいそしんでいるように思われ、なんだか羨ましい。

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『吸血蛾人』 (’77、日)

 傑作『吸血蛾人』について、何を語ればいいのだろうか。

 これは昭和五十二年に立風書房レモンコミックスから出た怪奇マンガで、二百五十ページを越す長編だ。
 作者は、西たけろう。一体それは何者か。カバー袖の著者近影には、長髪ヒゲにタートルを着た、陰気そうな男が写っている。
 
 カルトとか、マイナーという言葉を一種の美徳と捉える向きもあるだろうが、要は受ける才能がなかったんだよ、と言い切ることも出来るだろう。
 実際のところ、高度に発達し、細分化されたマーケティング理論は多数のヒット作を生んできた。すべてのジャンルにふさわしい専門家が揃い、的確なアドバイスを下す。
 しかし、私の勝手な見解だが、物語作家というのは、「常に間違え続ける」人だ。
 正解などとっくに出ているのだから、実は長い物語など書く必要はないのだ。それでも、あえて語ろうとする。
 そこに大きな魅力があるように思う。
 その構造の不条理さは、われわれが生きているこの現実そのものではないか。
 だから、バランスのよい、問題のないストーリーテリングなど、本当は誰にも必要ないものなのだ。

 いびつな物語ほど、私達の心に大きな傷を残す筈だ。

 『吸血蛾人』は、有名なジョルジュ・ラングランの『蝿』を勝手に借用し、後半部は作者オリジナルの物語が展開するという離れ業を見せる。
 『蝿』は、物質転送機を研究する若い科学者が、実験中に装置に紛れ込んだ蝿と合体してしまい、妻を恐怖に陥れたあげく、絶望して自殺を選ぶ。
 これだけの物語が、何度も映画化され人気を博しているのは、「肉体の変貌」という古典的テーマを、科学怪談というモダンな恐怖で味付けしたからだろう。
 とりわけ、映画『蝿男の恐怖』(’58、米)での、ラスト、ヴィンセント・プライスが眼にする怪物の視覚的ショック(それに、あの何とも哀しい泣き声!)は容易に忘れがたい。
 
 西たけろうは、「蝿」を「蛾」に置き換え、「吸血蛾人」の物語を語り出す。
 それだけなら「ジョーズ」が「グリズリー」に化けた程度のことだ、大のおとなが騒ぐようなことではない。
 (まぁ、いろいろ問題を含む点は認めざるえないが。)
 主人公の少女の兄は科学者で、物質を電送する実験中に、蛾と合体し、以前に実験が失敗した猫とも合体してしまう(!)。
 この苦し紛れのオリジナリティーは、同時に作者の真剣さを物語る証しである。
 特に物語の前半部での、西の描写は細かく丁寧だ。古びた洋館、実験室、居間に置かれた少年少女のアンティークドール。
 ベタを多用し描かれる洋風の空間は、単なる楳図かずおのエピゴーネンとも言い切れない迫力を持っている。
 ゴシック的な描写は、兄が結婚し、まさに呪われた美貌としか形容できない義姉夕子の登場と共にクライマックスを迎える。見るからに不吉な整った顔立ち。暗闇からドレスで現れる女は、暗い宿命そのものだ。ここまで16ページ。
 物質電送機の実験は原作の通りに失敗し、蛾と一体となって、見るもおぞましい怪人に変身した兄は、全身に黒いマントを纏い、地下室の暗黒に潜む。
 唯一の希望は、自分とあの時合体した残りの半身、「人間の頭と手を持った小さい蛾」を捜すこと。
 しかし、館中を隈なく捜せど、捜せど、その昆虫は見つからない。
 一方で、物質電送機が作動するとき発する電磁波は、周囲の昆虫を狂わせる性質を持っていた。主人公と義姉は狂った蛾の大群に襲われ、あわや一命を取りとめる。
 (窓を破って室内に飛び込んで来る蛾の大群は、ヒッチコックの『鳥』にそっくりだ。もう、無理やりにだが。)
 やがて蛾の意識に支配され始め、肉体の無残な変化に耐え切れなくなった怪人は、夕子の前で、すべての経緯を告白し、頭巾を外して醜い肉体をまざまざと見せつける(こうした場面で美女が上げる悲鳴は、常にせつなく美しい)。そして、いさぎよく硫酸の実験槽に飛び込み、自殺してしまう。

 以上の良質なアダプテーションを引き継いで、西のオリジナルストーリーが展開する。
 (118ページ以降。)
 人間の頭を持った蛾は、夫の面影を捨てきれない義姉にミルクを与えられ、赤子のように育てられるが、吸血の本能を発揮し、主人公の皮膚に牙を立て、その場に居合わせた運の悪い友人の少女を殺害する。
 困った義姉は、彼を研究所地下の秘密の部屋に匿うが、直後事件発生に駆けつけた警察により、事情聴取のため収監されてしまう。
 しかし、これもお約束、赤ん坊は、彼を見世物小屋に売って儲けようとたくらむ使用人夫婦の世話を受け、みるみる異常な速度で成長していく。
 恐怖のムードは連鎖し、やがて使用人夫婦は、成長した蛾怪人に生き血を吸い取られ、殺されてしまう。
 自らの死期が近い(“地上に出た昆虫の寿命は一年程度”)ことを悟った怪人は、再び呪われた転送実験を再現し、人間の肉体と合体し生き延びようと目論む。
 悪魔の実験の標的にされた主人公の運命は・・・・・・。

 素晴らしい。実に美しい物語ではないか。

 良質なホラーとは、語るべき恐怖の対象に対し、真摯な視線を外さないものである。
 それがどんなおぞましい存在であろうと、決して眼を背けたりはしない。私はそこに限度を越えた優しさと愛情を見る。
 もともと、愛情に限度などあるものか。
 人間同士の、日常レベルでの感情のもつれを描く物語など、真にラブ・ストーリーの名には値しないものだ。
 そう、例えば、諸君の語る恋愛が、どの程度まで打算を捨てて高級なものなのか、私に得心させてみて頂きたい。

 西たけろうの怪奇への熱情。その無償の迸りこそ、崇高なものだ。
 
 『吸血蛾人』は、これぞ、美しい、愛の物語である。

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2009年12月26日 (土)

ウンベル楽屋噺 「真夜中の緊急会議、ライブat大学病院!」の巻

  (都内地下の某所。防腐剤の臭いがする暗闇。)

「スズキくん、スズキくん。」

 「わッ!!突然声をかけないでくださいよ、ビックリするじゃないですか。」
 「いや、実は相談したいことがあってだね。」
 「だからって、なにもこんな場所に呼び出す必要ないじゃないですか。
 だいたい、なんでボクはこんなゴム長を着てるんですか?」
 「いいから、このブラシを持って。」
 「やけに柄の長いブラシですね。・・・これでいいですか?」
 「オッケー。じゃ、浮かんできたら、沈めるんだぞ。わかってると思うがな。」

  (ウンベル、部屋を出て行ってしまう。鉄の扉が閉まる音。)

 「え??ちょっと、どこ行くんですか?困るなぁ、あいかわらず勝手な人だ。」

  (プカプカ、巨大な水槽に浮かび上がる死体。)

 「うわわわッ、こういうことか!」

  (しばらく、闇に中でバシバシと濡れたものを叩く音が響く。)

 「ふう、ふう、こりゃ、しんどい。都市伝説は本物だったわけだ。とすると、巨額のバイト代が・・・。」
 『バイト代は、出ません。』
 「わッ!!どこですか、どこから話してるんですか?!」
 『その部屋はガスが篭もって危険だから、表に出させて貰った。現在、外部からマイクで話しております。』
 「ふざけんな!!出せ!!なに、考えてんだ!!」

  (壁を蹴る靴音が、連続して聞こえる。)

 『落ち着け、スズキくん。暴れても事態は解決しないぞ。』
 「うるせぇ!!この、人殺し野郎!!こうなりゃ、テメエを殺して、オレも死んだるわ!!」
 『微妙に永井豪を入れてくるとは、こんな情況でも衰えを知らぬやつ。あるいは、きみならば、私の抱えた悩みを解決できるかもしれん。
 時に、きみは、前回自分が登場した記事を憶えておるかね。』

 「・・・ゼイゼイ、ゼイ。
 川島のりかず連続レビューの第一回・・・。」
 『そう、『血ぬられた処刑の島』だ。
 喜べ、現在Googleでこのタイトルを検索すると、二番手くらいにウンベル先生の記事がヒットします。』
 「嬉しくないわ!!誰がサーチするんだ、そんなマイナータイトル!!」
 『そこだ。まさに、それなのだ。私の悩みは・・・・・・。』

  (パチン、とスイッチを弾く音。
  遺体安置室のどこかの壁が開き、カタカタとフィルム映写機の回る音がする。)

  (次々と映し出される、ひばり書房刊行の川島のりかず作品、その表紙絵。)

 「『悪魔の花は血の匂い』、『死人沼に幽霊少女が!』、『怨みの黒猫がこわい!』、『狂乱!!恐怖の都市へ』・・・・・・。」
 『そう、マンガ史に輝く、錚々たる名作群だ。しかし、問題がひとつ、ある。』
 「へ?!」

『誰も知らんのだ、そんなマンガ家!!!』

 「え、そ、そうかな?近々、BSマンガ夜話でも取りあげるとか、聞きましたが・・・。」
 『ない、ない!!絶対、ない!!』
 「しかし、古本マンガ収集家の間では知らぬ者がない有名人ですよ!!
 超傑作『中学生殺人事件』なんて、中学の教科書にだって載ってますよ!!」
 『絶対ねぇよ!!追い詰められた中学生が、発狂して家族を皆殺しにする話だぞ。』
 「スカスカの絵柄と、理不尽な展開が読む者に、軽いショックを与えるという。ボクは、やはり名作だと思うのですが・・・。」
 『おまえだけ!
  世間は、誰も知らねぇんだよ、そんなマンガ家!』
 「ウゥッ、そうだったのですか・・・・・・。」

  (背後に映るスクリーン、真っ暗になり、
   「ガーーーーーーン」
という手書き文字が現れる。)

 『川島のりかずが誰かも知らないようなレベルの連中相手に、のりかずのパロディをいくらやっても無駄なんだよ!!
 オレは、突如それに気づいたの!!究極の真実に!!』
 「そんな、身も蓋もない。そんなこと云ったら、『神秘の探求』なんて、誰も知らないネタばっかりですよ!」
 『・・・むむむ。(小声で)ちょっとは、メジャー作品も扱ってるんだが・・・。』
 「世間の方こそ、もっと、のりかずを大きく扱うべきなんです!!『FLASH』のグラビアでもいい。」
 『むむ、写々丸もボッキン、だな。』
 「写々丸もボッキン、ですよ!!誰も知らなくたって、確実に、有名作品より数段面白い、そういう優れたマンガがたくさんあるんです!!
 そんなマンガを通して、アジアの子供に夢を与えるんですよ、ウンベル先生!!」
 『・・・・・・・なるほど。私が、間違っていたのかも知れん。

  ・・・わかった・・・。
 川島のりかず連続レビューは、継続して掲載することに大決定する。いばら美喜先生も、西たけろう先生の記事も急遽アップだ!!』

  (急ぎ立ち去ろうとするウンベル。立ち止まり、読者に向かいクルリと振り返る。)

 「わかっていると思うが、読者諸君!
  例によって、扱う作家や作品に関する細かい解説は、意図的にカットさせて貰う!
  気になるなら、持てる検索能力をフル活用して、自分で調べろ!
  画像や書誌解説の充実したサイトはたくさんあるぞ。

 以上だ。」

  (バタン、と遠くで重い鉄扉が閉まる音。)

 「あ・・・ちょっと・・・待ってくらはぁぃ・・・。」
 その後、スズキくんはホルマリン溶液の中に浮かび上がる死体を、叩いては沈め、叩いては沈め、一夜を過ごす羽目になったという。

 翌朝、遺体安置所で意識を失っているひとりの男が、病院の管理責任者らにより助け出されたが、彼の頭髪は極度の恐怖と疲労のためだろうか、まだ二十代だというのに、老人の如く、根元まで真っ白く変色していた。
 警察では、男の回復を待って事情を聴く方針だという・・・・・・。

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2009年12月23日 (水)

ギョーム・アポリネール『一万一千本の鞭』 (1907、仏)

 世界には、あからさまな下品が不足しているのではないか。

 アポリネールはシュールレアリズムの先駆者。象徴派の影響を受けた詩人、作家。
 1907年に出版した『一万一千本の鞭』は本国で発禁処分を受け、1970年まで出版されなかった。
 私はかつて翻訳の角川文庫版を古本屋のワゴンで百円で拾い、一読、唸った。
 まるで、根本敬のマンガのようだと思った。

 フランスでエロといえば、『エマニエル夫人』(世界三大夫人のひとり)、それにポリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』が有名だろうが、実はこれらは結構にソフトコアだ。
 ゼロ年代も終わらんとする現在、エマニエルにグッとくる者など皆無だと思われるし、積極的にそう願いたいが(一部に頑固な抵抗が予想されるのだが)、
 これは、決して演じたシルヴィア・クリステルが強力にババ臭いから、という単純な理由ではなく、エマニエルというキャラ自体が、常人が理解を示す程度のセックス好きでしかないからである。
 東南アジアに出掛けて行って、少女や少年含め、日常では許されない組み合わせでのセックスを謳歌する。
 この程度の逸脱なら、既に日本人だって八十年代以降、飯を喰うが如くやっている。
 ちょいと金を積めば、実現可能な世界。そこに神秘はない。歌舞伎町の論理が支配するばかりだ。

 (ついでに、映画『エマニエル夫人』にちょっとだけ触れておくと、全編、現代の視座では観れたもんではない退屈さなのであるが、イイ場面がひとつあった。
 エマニエルがレズ友達とバカンスに出掛けたことを知り、失意の夫はタイのストリップ・バーで酒を飲み、荒れる。
 背後では現地人少女が、股間を晒すハレンチな踊りを一生懸命続けている。
 ふとしたことで、現地人に絡まれた夫は乱闘騒ぎを起こし、大立ち回りの末、頭を酒瓶でカチ割られ、バーの床に寝そべり失神してしまう。ワイワイ大騒ぎの地元住民の皆さんの背後で、職業熱心な少女ストリッパーはまだ懸命に腰を振っていらっしゃる。
 カット切り替えしで、陽光溢れる田舎道をジープで行くエマニエルと女友達へ。
 「彼は?」
 「知らない。」 

 では、O嬢のことは?
 いい加減、面倒になってきたので適当にスッ飛ばすが、彼女の売り(!)は自傷行為だ。
 自ら調教を望み、監禁され、肉体に穴を開け、性器にリングを通す。
 コリンヌ・クレイ(『ムーンレイカー』ではボンドガールだ!)主演で、またしてもフランスの恥ジャスト・ジュカンが監督した映画版は、1mmも記憶に残らない退屈さだったが、
 彼女は、自分を痛めつける以外、たいしたことはやっていないのだから当然だ。
 自傷に到る心理の変貌が、実はこの小説の最もエロい部分になる筈だが、ジュカンが心理描写にたけている、とはさすがの水野晴郎先生もおっしゃらないだろう。
 (おっしゃる可能性は、充分考えられるが。)

 近代エロジャンルの開拓者、アポリネールが画期的だったのは、「セックスに狂う」という抽象的表現を、ずばり「発狂」という具体性に置き換えたことである。
 だから、この小説に出てくるのは、バカと気違いばかりだ。

 主人公はルーマニアの田舎の若き世襲太守。地元の権力者のお稚児さんをしている。彼には、華やかな都会パリに出て、憧れのパリジャンを思うがままに犯したいという夢があった。
 お陰で「パリ」と聞いただけで勃起する特異体質にまでなってしまっている。
 そんな男が一念発起で上京し、行きがけの大陸横断鉄道の中で貴族の若い娘及びメイドとうんこまみれのご乱交、辿り着いたパリでもさらなるご乱交、最中に突如強盗(正体は公用馬車の御者)に押し入られ、でも強盗くんも当然ながら度を越した異常プレイを披露、商売道具の馬車用鞭でしばく、絞める、の残虐行為を無制限に繰り返し、しまいに間抜けな若い娘二名は、うんこまみれで息絶えてしまう。
 「アッ、しまった。死んでしまった。」
 「逃げろ!」
 バカだから罪悪感ゼロで逃亡し、各地を遍歴し、老若男女と舐めたり、噛んだり、漏らしたり、しまいに胡散臭いニッポン人まで飛び出してハラキリするデタラメさ。
 少年は犯す、少女は殺す、ついでに赤ん坊も犯して殺す。人類の中でも特に最低と確信される行為を続けた挙句、果てはロシアの処刑場で、「一万一千本の鞭」に打たれ、極度のエクスタシーと流血の末に、脱糞しながら刑場の露と消えていく。
 とんだハッピーエンド。

 1907年、すなわち明治40年。漱石が『虞美人草』を、田山花袋が『蒲団』を書いていた時代。
 欧米コンプレックスもなにも、アポリネールは明らかに早すぎだ。
 ハーグ休戦協定の時代に、前置きなしのハードコア。
 この小説を読む際は、根本敬氏の絵柄をイメージして頂けると大変理解し易いので、傑作『怪人無礼講ララバイ』などの併読も、あわせてお勧め申し上げる。

 ま、諸君がラノベ(この略語自体、どうなのかね?)を読む際、アニメ絵を連想するのと同じことだ。

 諸君には、本当に迷惑している。

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12/23 ウンベル、墓穴を掘りあてる

 魔界都市、新宿。

 あいにく菊池先生の著作は、一冊も持っていないのでナンであるが、新宿駅をストーンズの「アンダー・マイ・サム」を口ずさんで歩いていたら、
 (先ほどユニオンの店頭で、拡大版の出た『ゲット・ヤー・ヤズー・アウト』がガンガン流れていたのがいけなかった。)
 かわいい中国人少女に、小田急乗り場を尋ねられた。下北沢へ行くのだという。
 適当に看板を見ながら、「あっち。」と教えると、御礼を云われ別れたのであるが、ふと振り返ると、背後に「小田急」の表示が。
 あ。まるで反対ではないか。
 日中関係に影響しないことを祈りたいと思う。ごめんなさい。

 ・「水爆と深海の怪物」(’55、米)
 (ハリーハウゼン、どんどん集まるなぁ。「タイタンの戦い」もリメイクされるらしいが、しかしなんだ、そのチョイス?)

 ・「遊星からの物体X」(’51、米)
 (これはたぶんレビューを書くと思う。)

 ・「釈迦」(’61、日)
 (史劇スペクタクルになっているようだ。勝新出てるし。期待。)

 ・「ジャッキー・デシャノン/コンプリート・リバティ・シングルスVol.1」
 (ジャッキー・ブームは続く。)

 ・「ミイラ少女の怨み」(’88、日)
 (\525。川島のりかず。スズキくん対策その1。)

 ・「死神の招待状(「死人沼に幽霊少女が!」)(’88、日)
 (\630。川島のりかず。スズキくん対策その2。)

 ・「悪魔の招待状1」(’86、日)
 (\525。いばら美喜。初版本であった。)

 それにしても、大城のぼる「愉快な鉄工所」がなくなっていたのは、無念である。
 
◎記事制作の状況

 ・川島のりかず②の原稿は、既に出来ている。

 これは~④まで続く筈で、実は①②で一本の予定だった。
 今回、文字サイズ変換を多用したところ、ココログのバカが「リッチテキストに変更できません」と抜かし、原稿をHTMLに戻してボロボロ吐き出しやがった。
 お陰で二度も編集をやり直す羽目になり、非常に面倒であった。
 今後、長文の場合は、下原稿を別途用意した方が賢明だろう。

 ・シュヴァンクマイエルの『アリス』。
 没か。あまり面白い映画じゃないし。『悦楽共犯者』で仕切りなおしか。

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川島のりかず① 『血ぬられた処刑の島』(’86、日)

[ナレーション] 

二千年。
 
1999年にノストラダムスの予言が見事的中し、人類は遂に滅びたかと思われたのだが、ところがどっこい、一部の物好きがちゃっかり生き延びていた。 
僅かな生存者達は、文明の復興を目指すでもなく、漫画喫茶に入り浸り、どうでもいいような漫画の全巻制覇に血道をあげる日々を送っていたのだった・・・。

[暗闇の中。ブィーーーンとライトが灯る。]

 「よく来た、戦士スズキくん。」
 
無数の計器類に覆われた真紅の部屋。壁面には、さまざまレア・コミックの表紙が連続して映し出される巨大スクリーンがある。 
 その中枢に据えられたデスクには、黒覆面に黒いタートルの男が腰掛けている。
 正面に名札。 「人類救済計画指揮官、ウンベル総指令」。  

 「たいがいにして下さいよ、マスター。」
 対峙する、古本好きの好青年スズキくんは、いつものダウンにジーンズのラフな服装。   

 「今回は、なんか無理やりアニメ的な設定を入れたりして、嫌な予感がするなぁ。適当な仕事やり過ぎて、頭おかしくなったんじゃないですか?」  

 黒覆面の男は、押し黙ったまま背後のパネルを操作した。
 スクリーンに映し出されたのは、人類壊滅の瞬間の映像である。
 業火に包まれる大都会。逃げ惑う人々。亀裂が生じマグマを噴出させる大地。荒れ狂う天象に、幾本もそそり立つ大竜巻。ビルをも呑み込む大津波。

 「1999年、人類は滅びた・・・。
  巨大隕石の衝突とも、某国の宇宙兵器の暴走とも、あるいは地磁気の局地的異常とも云われるが・・・本当の原因は、そうではないのだ。
 きみは真相を知りたくないかね、スズキくん?!」  

 「(小声) あまり、知りたくないなぁー。」  

 男は、聞こえなかった振りで、再びスクリーンを操作した。
 画面に映し出されたのは、血みどろで絶叫する少女が表紙絵のマンガ本だった。年代物らしく、ちょっと黄ばんでいる。

 「川島のりかずだ!恐怖の大王だ!ヤツが人類を滅ぼしたのだ!」

 「やっぱり・・・。」スズキくんは、ぼやいた。
 「聞かなきゃよかった。」

[場面変わって、ロボットの操縦席。コックピットの中に、原チャリのヘルメットを着用したスズキくんがいる。]

 ジージーと無線が入る。
 ノイズが多数混入し、タクシー無線に酷似。小型ハンドマイクで、返事をするスズキくんの格好も、まるっきりタクシー運転手だ。

 「あー、あー。感度良好、感度良好。本日は晴天なり。9号車スズキ、発車用意が出来ました、どうぞ。」

 カーナビにあたる位置の画面に、ウンベル総指令の顔が映った。
 
  「こちら本部。 スズキくん、今回のきみの任務だが、漫画喫茶正面入り口から侵入してくる敵の撃滅にある。」

 「それって、単なるお客様ご来店なんでは?」
 「バカモノ!!お客様が、こんな恐ろしい顔して来るものか!!」

 画面に映し出されたのは、眼窩に蛆をたからせ声にならぬ悲鳴に絶叫する、無数のしゃれこうべの大群だった!

 「これは・・・のりかず?!」

 「『血ぬられた処刑の島』!近未来SFミステリーだ!」

[瞬間、無音状態になり、アクセル全開で発進するスズキ9号車、侵入するしゃれこうべの塊りが短いカットアップで連続する。]

 「ストーリー紹介モード始動ッ!」
 「ストーリー、紹介します!
 人口増加により、深刻な食糧危機を迎えた近未来の日本では、老人とIQの低い子供を無差別に虐殺する、おそるべき政策がとられていた!
 標的にされた主人公の少女は、家族による突然の監禁、なぜかミノタウロスの顔の処刑人による執拗な追跡をくぐり抜け、同じように知能の低い仲間の少年と共に逃亡の旅を続けるが、遂に捕まってしまう!
 そして、連れていかれた恐ろしい処刑の島!本当に、逆さづりにした子供の首を刎ねている!ヒドイ!
 大量発生したカラスが群れをなし人間を襲う!目玉を嘴でついばむ!どろり飛び出す目玉!イタイ!
 死骸が山をなす、残虐の孤島に最後の惨劇の幕は切って落とされた!」

 「よし!分析しろ」
 「絵柄はスカスカで、どっかで見たことのある場面続出ですが、意外と読ませます!主人公が船で日本を脱出するラストなんか、黒沢清『回路』を連想させます!」
 「本当か?!」
 「ちょっと、大げさに言いましたッ!」

[毒を吐く骸骨の攻撃を華麗なドライビングテクニックでかわし、スズキくんは見事タクシーを敵の中枢にぶつけるのに成功する。]

 「やったかッ?!」
 思わず、椅子から立ち上がるウンベル総指令。
 運転席から身を乗り出し、絶叫するスズキくんの雄姿。

 「見たか?!これが、古本の底力だッ!!!」

[エンディングテーマ、「稀覯本のバラード」流れる。夕陽を浴びて疾走するスズキ9号車。完全に轢き逃げだ。]

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2009年12月20日 (日)

12/20 ウンベル、電波塔に登る

《新コーナー開始の巻頭言》

 親愛なる諸君!

 私は長きに渡り(実際、まぁ、三ヶ月程度)近況欄を忌避してきた。
 だいたい、個人のどうでもいい情報の洪水じゃないか、ブログ業界は?
 それを云ったら、元も子もなしか?うん?

 「情報の価値は受け手が決めるべきこと」?

 あぁ、ごもっともだね。正論だね。
 しかし、男なら、否、カジワラならば、そういう安易かつぬるま湯的風潮には「ケッ!!」と唾を吐き、冬の木枯らしにも薄着で立ち向かうべきじゃないのか?!
 そう(勝手に)思い込んで、ここまでは来たのだ。しかし・・・。

 当初はレビューの連続ばかりでいく筈だった、当番組「神秘の探求」であるが、
 筆者多忙のため、読みきれん本、観てないDVD、ろくに聴いてないCDが山積みになりつつある!
 処理が追いついておらんのだ!
 しかも、記事の容量は、お気づきの通り、徐々に長大化の様相を呈してきている!
 もう、ダメだ!
 私の手にする、すべてを記事にするのは不可能だ。
 そこで、新しく仕入れたネタを正直に公開する。記事の進行状況も報告する。
 だから、誰か心ある人、代わりに書いてくれ!
 これは、そういう虫のいい懇願だ!
 そう、神への祈りだ!

 それが、新コーナー「チェック不要の新着情報!」だ!

12/20

 ・阪本牙城『タンク・タンクロー』(昭和45年のカラー復刻版)
  (いや、タンクがね。気になりまして。)

 ・日野日出志『ゾンビマン』(平成9年、文庫)
  (スズキくん向けに購入。)

 ・田河水泡『のらくろ曹長』(昭和59年、カラー文庫)
  (父の実家の古い農家に、本物があった。小学生の頃、ご愛読。)

 ・三本美治『順風』(平成16年)
  (連載時に、存在末期の『ガロ』で読んでたので。ストーンズの回がないね。)
 
 ・カースティ・マッコール『スティッフ・シングル・コレクション』(’06、英)
  (トレーシー・ウルマンの二枚と対なので。)
 
 ・ジェームス・チャンス&コントーションズ『ロスト・チャンス』(’05、米)
  (’81のパリ・ライブが出たので、これも。)
 
 ◎記事制作の状況

 ・ゴダール『気狂いピエロ』、イントロのみ。
 
 ・白川まり奈『どんづる円盤』。超大作。第二話まで。まだまだ、かかる。 

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2009年12月19日 (土)

《架空音楽》『オイルまみれの栄光~逆さ血ミドローズ・ヒストリー1989-1972~』(’99、日)

 いきなり画面一杯に飛び込んでくるのは、警官隊と激しく揉み合う皮ジャンの若者達の姿だ。
 警棒を脳天に喰らって倒れ込む者。殴りかかろうとして、つんのめり画面から消える者。
 奥手に、狂ったように振り回される、白いシーツ製と思しき大きな旗が見える。
 赤いスプレーで乱暴に殴り書きされた文字は、「頭狂☆童夢、建設ラッシュ!」と読める。

 テロップ、「日比谷公園1989年」 が挿入される。

 「そう。誕生するときが来たら終わりだな、って。」
 唐突に、室内で、静かに語る男が映し出される。
 「最初から、メンバー全員で、そう決めてました。」

 ロッカーズ風の皮ジャン。胸のところに、“がんばれ!キッカーズ”と書いてある。
 キーチェインに、髑髏をかたどった栓抜き。
 「あ、これ?どこでも、うまいビールが飲めるでしょ。」
 瓶ビール限定狙いか。

 毛利 年の差カップル(35)。
 
 「逆さ血ミドローズ」ベース。
 解散後の現在は自身のバンド、「マッド・マッド・ハニー・ライダー」を率いて活動中。松戸市在住。左官工をしている。
 「そう、そう、キッカーズは、まさに俺の青春でしたね。」
 照れ笑い。
 「(血ミドローズは?という質問を受けて)え、血ミドローズ?
  あんなの、宗教譫妄のたぐいでしょ。民俗学が真剣に扱う課題じゃないですよ!」

 口角に泡を飛ばして喋りたてると、瓶ビールを飲んだ。やっぱり、らっぱ呑みだ。
 
ソング 「ドクロ人生」 (作詞作曲・アーペーパー)

   ♪ ドクロの~~~、呪いにぃ~~~
     かかった、おまえは~~~、きょうから~~~

      ドクロ人生!!!

     どこへ行ったってぇ~~~、
      ドクロがついて~~来るぅ~~~
         トイレに、立っても~~~、
           証人喚問にぃ~立ってもぉ~~~

     こわい、こわい、こわい!!!
     こわい、こわい、こわい!!!

     楳図かずおの、こわい本!!!

 唐突に、ひげだるまのおっさんが映る。
 深夜、ビルの地下駐車場。遠くにエコーを効かした都会の喧騒が響く。
 おっさんは早歩きで、カメラから逃げるように急いでいる。
 チョコレートの箱を画面にかざし、吠えるように云う。
 「あいつら、絶対最低だよ!」

 テロップ。葉月里緒菜(53)、アイドル。

 
「店を壊して、逃げやがった。事務所に掛け合っても、びた一文寄越しゃしねぇ。ぜってぇ潰してやる!ぜってぇ殺してやる!」

 瞬間、時系列を無視して、画面に毛利が現れ、おっさんの頭をビール瓶でカチ割った。
 ばりん。
 派手に、コンクリートの床に倒れ込むおっさん。
 ニカーーーッ、と笑う毛利。ところどころ、歯がない。

 「逆さの歴史は、日本のパンクの歴史そのものなんですよ。」
 そう語るのは、「日本唯一の爆発パンクマガジン」BoKAAA~N!!編集長、棚田務(46)。
 貧相で、地味な顔立ちだが、とてつもなくド派手な、ラメ入りのダウンを着ている。
 丈の短い袖口から覗く両手には、マオリ族もかくやという、極彩色のタトゥー。
 
 「ウチも、逆ささんの爆破魂には共感しまして。デビューからずっと追っかけているうちに、影響受けて、こっちの編集方針まで変わっていきました。
 発破専門のライターとか、だんだん増えて来て。
 仕掛け花火の職人とか。
 ラーメン屋のバイトも、オカモチ持ちぶらさげて、出入りするようになりまして。
 で、マッドマックスの記事とか、西部警察の特集とか。あと、東映戦隊モノの現場ルポとかね。
 今じゃありきたりだけど、当時そんなことやってたの、ウチだけ。ホント。
 それが嵩じて、腹腹時計の製作法とか、自宅で出来る赤色テロル特集とかいって。
 で、長年やってくうちに、気がついたら、すっかり「爆破」と「パンク」の専門誌になってましたね(笑)。」

 丸の内の大型書店。
 店頭で、雑誌を手にした若者が、木っ端微塵に吹き飛ぶ映像。
 オーバーラップするパトカーのサイレン音。

 「パンクは、ひとつのアチチュードですから。」
 棚田は、傍らの、色の浅黒い若者と肩を組んでみせた。背後に、Xメイニ師のポスター。
 並ぶ機関銃は、本物のようだ。
 「ビバ、権力。イエーーー。」

ソング 「レッツ・ゴー、血まみれ」 (作詞カーセックス・作曲カーオナニー)

 ♪ (デンデレ、デケデケ、デンデケデン) レッツ・ゴー!! 
    (デンデレ、デケデケ、デンデケデン) レッツ・ゴー!! 


    ※画面下、「この曲は、インストゥルメンタルです。」の文字が流れる。

一転、穏やかな農村風景が映し出される。
 彼方から、雲霞の如く飛来する、黒いヘリコプターの群れ。

 テロップ。「ベトナム戦争、末期。」

 稲穂の揺れる水田を、ビール瓶を片手に振り回す毛利が、奇声を上げて駆けていく。
 その前方を、逃げる民族衣装の少女。
 
 毛利 「ホーーーイ、ホーーーイ、ドンジャラ、ホーーーイ!!」
 少女 「ドンジャラって、なんジャラーーー?!」

 感傷的な音楽、高まる。よせばいいのに、素人が演奏してしまったベートーベン。
 そこへ挿入されるのが、本人の肖像画が涙を流す怪奇映像。一台の手持ちカメラのみで全て撮影され、ハイビジョンマスター処理されている。
 しかし、結果として、粒子が粗くなっただけのようだ。

 毛利と第三国の少女が、路肩に積み上げられた藁の山に倒れ込むと同時に、
 カメラ、赤い幕の張られたステージ上にいる中年女性に切り替わる。

 次々と、手品を見せていく女。

 ちら見せ チチ(36)。 職業訓練校に通うかたわら、スナックを経営。先日、ボヤを出し営業停止処分に。
 逆さ血ミドローズ、初代ドラマー。通称、ウメちゃん。

 「ひどい話よ。あたいの綽名なんか、由来が梅川。梅川よ!三菱銀行事件の。
 チロルハットを一回被っただけでそれかよ!って、オールナイトニッポンに投書して、憧れのハガキ職人デビュー。これで、十代にして、早や一流芸能人よ、芸能人。
 スター街道驀進中なるも、徳川中出し禁止令。すったもんだの挙句に、熟考の末、立派なパン助になれましたーーー!!
 人生バラ色、おめでとーーーございまーーーす!!」」

 十円玉に、煙草を通す手品。拍手なし。
 パチパチパチ、と小声で呟きながら、話を続ける。

 「血ミドローズにドラマーは常時、三人居てね、誰が叩いてるのかわからないの。
 だから、大抵、問題なし。お咎めなし。でも、なにもやらないってのも、あたいのポリシーに反するわけ。
 ビッグになりたいかって?ならいでか!!
 
そこで思いついたのが、お猿の電車よ。お猿の立場は、運転しているのか、それとも乗客なのか、実態はまだ解明されていないじゃない?
 血ミドローズを抜けて・・・あたいは、ひとり香港へ飛んだわ。」

 筒状のハンカチに、水を注いでもこぼれません。

 「香港での暮らしは最悪だった。鬼のおやつはおあずけなのよ。サンクス。サンクス。モニカ。説明は以上。
 お返しのカナッペなんか、期待しないで頂戴。
 別れはいつも背中をついて来るもの。宿命。暗い世相の浮世占い。
 彼とは、お互い深く理解しあったし、夜通し線香の匂いも嗅いでられた。知り合ってから、仏壇にお供え物の上がらない日はなかった。でも、万事に潮時ってあるものなのよ。
 あたしは、奥多摩地方の自然を愛していたし、彼は根っからの秩父っ子。
 だから、ふたつの未来は、しっかり結び合わされていた筈だった。
 未来予想図、常に晴れ。降水確率ゼロパー。ゼロパー。
 でも、ダムなのよ、結局。問題はダム。
 すべてはダム問題に集約されると思う、恋愛は。(※財政破綻の比喩的表現と思われる。)
 不要なダムばかり建てまくる行政誘導型の地方財政。
 でも、これはお上も、桜田門もご存知の事実。げへへ。だからって、その程度で、慌てるようなウメちゃん様じゃなくてよ。よろしくてよ。いらっしゃい、新婚さん。
 でも、人面犬?
 まじで?!
 ちょっと、人面犬がどうしたっていうの??」

 画面いっぱい、藁の山。
 突如顔を突き出した毛利、カメラに向かい、大声で叫ぶ。

 毛利 「オレっち、とっても、ビッグだぜーーー!!」
 
少女 「イヤーーーーーーーン

 彼方に、ヒンドゥシュターナ山脈が見える。雲を裾野にたなびかせ、雄大な眺望である。
 「DOSパラ」の看板も見える。秋葉原が近いようだ。

ソング 「はりつけ教祖」 (作詞千秋楽・作曲青いモンゴル狂徒)

  ♪ はりつけ~ら~れて~~~
         また、はりつけ~ら~れて~~~
   (ド、ドゥン!!)
     
        オレは、はりつけ教祖!!

    痛い~、痛い~、痛い~~~
    痛い~、痛い~、痛い~~~


       誰か、クギを抜いてくれ!!!

    痛い~、痛い~、痛い~~~
    痛い~、痛い~、痛い~~~


               オレは、はりつけ教祖!!
                 元祖、はりつけ教祖!!
   
 
画面、再び日比谷公園で警官隊と揉み合う、若者達が映る。
 彼等は、メガホンを片手に口々に何か叫んでいるが、声が割れてしまっているので意味は聞き取れない。
 と、白メットの男がひとり、携帯のライター用オイル缶を取り出し、これ見よがしに宙に差し上げた。
 一層激しい怒号が飛び交うなか、彼はじゃぶじゃぶとその中味をおのれ自身、かぶり始める。
 その動作が合図だったかのように、周りの皮ジャン連中も懐中から取り出したオイルを自分にふりかけ、周りにもばら撒いていく。
 ビルの壁面を走るサーチライト。機動隊の輸送車両が到着する。新聞社のヘリの旋回音がバタバタと聞こえ、野次馬の顔ひとつひとつが、ぶれたカメラアングルを斜めに横切る。
 どこかで、火がついた。
 ボワン、と空気の爆ぜる音。
 キャーーーッ、と叫ぶ女の悲鳴。
 一瞬、フラッシュが焚かれたように画面が明るくなり、フルフェイスヘルメットに皮のつなぎの人影が踊り出す。
 揺らめく炎に包まれ、彼の身体は、右に左に大きくステップを踏む。
 思わず、後ずさる警官隊。
 驚くほど高く上がった火の手は、要所に飛び、数秒を待たずして画面は火の海と化していた。
 倒れ込む、黒い人間の姿。
 逃げ惑う群衆にパニックが拡がり、喧騒はますます激しい。

 彼等が何の目的で争っていたのか、そもそも彼等はいったい何者なのか、最後まで観とおしたが、さっぱり解らなかった。
 以下のテロップと共に、映画は終わる。

 「世界各地の戦没者の霊魂に捧ぐ。」

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2009年12月15日 (火)

『ジャッキー・デ・シャノン』 (’63、米)

 世界三大ジャッキーのひとり、ジャッキー・デ・シャノン。
 (あとは、ジャッキー・チェンとジャッキー佐藤。)

 彼女のリバティからのデビュー盤は、痛快だ。
 年の瀬、何かと慌しく、道を塞ぐ小洒落た若造など蹴り倒したい気分で歩いている、世間に絶望しきった諸君!
 つまらぬ小競り合いなど起こす前に、これを聴くのだ。
 
 時代は、フォークロックの一歩手前である。
 来年は、ビートルズが上陸し、バーズがスターにのし上がる。
 ジャッキー自身も、ビートルズの前座をこなし、セールスを拡大することになるのであるが(アルバム『Breakin' It Up On The Beatles Tour! (1964)』って、そのまんま)、
 それはさておき、ここで問題はフォークだ。 

 フォークって、なんだ?

 ジャッキーのデビュー盤が出るのは、ディランがかの『フリーホイーリン』をリリースする直前である。
 だから、ここで演奏される「風に吹かれて」も「ドント・シンク・トゥワイス、イッツ・オールライト」も、実は本人より一瞬だけ早い。
 P,P.M.やキングストン・トリオの天下であるからして、「500マイル」もあるし、ピート・シーガーのカバーもある。
 だが、そんなのは些細なことだ。
 このアルバムの真の値打ちは、そこにはない。

 フォークの本質を私がズバリ、突いてやろう。

 「フォークとは、演奏スタイルのことである。」

 
どうだ、愚直なまでに解り易かろう?
 電気化以前の楽器を用いた、歌モノの演奏スタイル、その総称がフォークだ。
 で、ジャッキーはフォークスタイルで演奏しても、全然フォークシンガーじゃなかった。
 一見きれいなおねえさん風なのに、期待を裏切るダミ声。パンチが効いていて、パワフル。感情表現が豊か。
 ソウル、入ってる。
 断言するが、ディランより明らかにイッてる。
 この時点で比較すると、ヤツが繊細ぶってる小僧に見えて仕方がない。
 (私は、『フリーホイリン』が最初聴いたときから好きでない。私が評価するのは『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』以降のいかれたディランだ。)
 ジャッキーがディランの曲を歌った理由は、「コンサートで聴いたら、良かったから」。
 その足で楽屋を訪ねて、(どやしつけて)曲提供の約束を貰ったそうだ。

 ジャック・ニッチェの絶妙なアレンジ(パーカスの入りが最高)に乗せ、
 ディランより男らしく(!)奏でられる、初期ディランナンバー。
 痛みと哀感を、全速でカッ飛ばす、名曲「リトル・イエロー・ローゼス」。
 最初聴いたとき、思わず朝の通勤電車で涙ぐんでしまった「パフ、ザ・マジック・ドラゴン」。(この曲、絶対「ヘルプ!」がパクってる。)
 ジャッキー最強説を裏付ける、素晴らしい録音が連続する。十二曲、全三十二分の天国。
 マキ上田も納得だ。

 そんなジャッキーも代表曲、バカラックの「世界は愛を求めている」の頃になると、歌唱法を変え、細かな情感をもパワフルに表現できる大人のシンガーに成長していくのであるが、ま、それは別の話。

 人を殴ってスッキリしたい夜には、このアルバムを聴くことをお勧めする。

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2009年12月13日 (日)

『ゾンゲリア』 (’81、米)

 ♪
 顔の化粧の消えぬうち、夜の街へと繰り出そう
 誰が生者で、誰が死者
 愉快な仲間が、待っている~

 どこへ行くのか、田舎の道を?黒い医学の使徒達よ
 網にかかるは、千切れた手首
 バックパッカーの置きみやげ No,No,No

  ラヴ・イズ・ザ・ヴードゥー
  ラヴ・イズ・ザ・ヴ-ドゥー
   わずかな安らぎも、地上にないだろう
  ラヴ・イズ・ザ・ヴードゥー


 ヘィ、ストレンジャー 煙草をくれるか?
 ヘィ、ヘィ、ストレンジャー 朝まで語る気か? (シュ、ボン、ボン、ボン)

 溜息の漏れる首の穴は、仕事の邪魔にはならない
 シェリフがバッヂを撃ち抜いた朝に
 妻は、ベッドで犯された
 
 仮縫いの皮膚で歩くな、ベイビー 人生の時間は無駄に長い
 セントルイスからテレックスが届く
 博士は、実は葬儀屋さ

  ラヴ・イズ・ザ・ヴードゥー
  ラヴ・イズ・ザ・ヴ-ドゥー
   わずかな温もりを、地上に求めて
  ラヴ・イズ・ザ・ヴードゥー
  
  ラヴ・イズ・ザ・ヴードゥー (You've got me)
  ラヴ・イズ・ザ・ヴ-ドゥー (You've really,really got me)
   この世に安息の場所などないのだ
  ラヴ・イズ・ザ・ヴードゥー


 ヘィ、ストレンジャー だから、それを観るな
 ヘィ、ヘィ、ストレンジャー そのフィルムを観るな
  眼玉を抉り出せ
  イェェイ、目玉を抉り出せ
  ガソリンをかけろ!
  
  ガソリンをかけろ!


(初出・逆さ血ミドローズ、アルバム『難波弘之のセンス・オブ・ワンダーと同じことをやってみた(やるな!)』、1985年@gamjanga-guchonpa Records Ltd.)

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2009年12月12日 (土)

11/29「ナイト・イン・ベナレス」 (’09、日)

 1. 

 公民館の床に敷かれたインド織の上に、ふたつのタブラが並ぶ。
 背後に、弦楽器エスラジ。タンプーラ。

 演奏者と観客の間に、高低差はない。
 それは、音楽が、例えばキリスト教徒の唱えるように、遥か天上から降りてくるということではない、
 同じ空間の中で奏でられ、共有されるということだ。
 
 アンプがないので、電気的な増幅もない。
 演奏者に近づけば、細部までよく聞き取れるし、遠ざかれば聞こえなくなる。

 だから、上座に演奏者が居て、下手に観客達が座布団に座り並ぶ。
 この構図は、日本家屋の構造にやむなく縛られたもので、
 本当は、演奏者を中心にして、車座に座るのがいちばんよろしい。

 距離が、音楽を決定する。

 2.

 佐藤哲也は、私の友人。
 インド音楽を演奏している。

 かつて彼は、私達のバンドでギターを弾いていた。
 それは、なかなかのものだった。
 ある日、彼はライブに、音程を変えられる奇妙な太鼓を持ってきた。
 タブラ・バヤ。
 北インドの太鼓の一種。

 彼はそれにのめり込み、その楽器が生まれたところへ旅立った。
 かの地に学び、現地で知り合った女性と結婚もし、日本に戻って来て一児の父親になった。
 現在は、タブラとインド声楽を教える先生である。

 われわれの周辺に音楽を好きな人間、演奏する人間は何人もいたし、曲を書く者、詞を書く者もたくさんいたが、
 私の知る限り、
 その中で、「音楽家」と呼べる存在になったのは、佐藤哲也、ただひとりだけだ。

 残るわれわれは、全員、虫けら以下である。
 私は、洒落や冗談ではなく、本当にそう思う。

 3.

 演奏は、まず前口上から始まった。

 龍聡。
 とても力強い人だ。
 エネルギッシュに専門的な解説を述べる、そのテンポと熱量は、彼の音楽そのものだ。
 佐藤哲也。
 いつも穏やかで温かい人物。
 若かりしころから、おっさん度が高かったが、近年とみに磨きがかかったようだ。

 前説が一段落すると、タンプーラの響きが空間を満たし始める。
 完全五度の持続音。
 長い演奏時間のあいだ、ずっと鳴り続けるこの楽器は、マンパワー的問題点から、機械によって奏でられることが多いのだが、
 (って、私もついこのあいだ、佐藤哲也に訊いて、初めて知った。)
 今夜は、うら若い乙女が奏でる。
 
 豪華だ。
 これだけで、充分、豪華すぎるではないか、諸君?
 
 演奏は、相馬光嬢。
 謎の美女。いや、ほんと美女。
 なんかわからんが、どうもありがとう!
  
 繰り返すタンプーラの響きに、メランコリック、かつ解決されない旋律が噛み込んで来る。
 島田氏の弓が奏でる、謎の弦楽器エスラジだ。
 謎、またしても謎。
 だいたい、存在自体がまぼろしで、滅多にお目にかかれない。
 持ってセブンイレブンで買い物をしている人など、近所でまず見かけない。
 (銭湯にもいませんね。)

 やたら細長い胴のサーランギー(?)といった外見だが、そのルーツは島田氏自身のMCにもあったが、やはり、謎らしい。
 細面で、ひげに眼鏡という島田氏の風貌が、アメリカ映画に出てくるサイエンティストを思わせるので、
 これは全米の研究機関で長年研究してもまだ解明されていない、よほど深い謎なのだな、と勝手に納得させられる。

 上昇するかと見せかけて、繰り返し同じ高度を維持して旋回するエスラジのメロディーに合わせ、主役のタブラが鳴り渡る。
 
 龍聡のタブラは、力強く、音も大きく明快だ。
 複雑なリズムを、明確に、あまりにきっぱりと言い切ってしまうので、あっけにとられて見てしまう。
 ダーダー、ティリキト、ダーダー、ティンナーダー。
 チューニングを直す、とんかちの音までリズミックに響く。

 ひとしきり演奏し終えると、佐藤哲也にスイッチする。
 繊細で、穏やかな太鼓。
 ギターの時代から、明るくウェルメイドな演奏の男だったが、楽器を持ち替えてもその印象に変わりはない。
 彼のつくる歌のような、静かで、温かみのある情景は、ここにも拡がって見えた。

 そして、おのおのアドリブを交え、両名の合奏ともなれば、絶妙な間合いで、双方の手合いが、ぴったり合致する。
 驚くほど気持ちよく、自然に、手が合う。
 同じフレーズを叩き出す。
 その呼吸のタイミングが、この夜の最大の見せ場だったように思う。

 観客は、見事さにあっけにとられ、一緒にリズムを刻んでいた。

 4.

 音楽は、時間の芸術である、とは誰の言葉だっただろうか。

 時間軸を切り取ったある一点から、ある一点までの運動。それ以外に、音楽を律する法則は存在しない。
 これを譜面として顕在化したのが、ジョン・ケージの有名な「三分四十四秒」だ。
 指定の時間内で、演奏者はピアノの前に座り、音を出さないことを要求される。
 なんと、バカげた行為だろうか。誰もがそう思った。
 でも、実際に演奏会場に行ってみたまえ。

 真空でなければ、完全な無音状態などありえないのだ。
 観客の身動き。咳き込み。
 演奏者の、呼吸音。椅子の微妙な軋む音。

 だから、この曲は、沈黙を創造する装置などではない。
 観客に、普段から聞こえる日常音を、あらためて音楽として捉えなおすことを教えるメソッドだ。
 メソッドが音楽たりうること。
 無調。ノイズ。今は懐かしい二十世紀の発明だ。

 さて、では、このへんで、問題。

 「三分四十四秒を演奏中に、演奏者が、うっかりピアノにさわってしまったら?
    それは、演奏ミスと呼べるのでしょーーーか?!」
 (答えは、CMのあと!)

《CM》
 日本が誇る、タブラ演奏家!インド声楽家!佐藤哲也の最新情報は、ご本人のブログでチェーーーック!!
 ちなみに佐藤先生は、水木しげるファンで、妻は鳥取県人です!

    http://blogs.yahoo.co.jp/tablatrang/58167575.html

 5.

 では、正解を見てみましょう。
 正解は、こちら。

 「それは、三分四十四秒ではなくて、別の曲になってしまった!」

 はい、シンゴちゃん、正解!
 (シンゴちゃんって誰?)
 それが「サクラサクラ」や「エリーゼの為に」のイントロに繋がるならまだしも(否、人間は匆々都合よく間違えないものだ)、
 「ええぃ、こうなりゃヤケクソだ、適当に鳴らしてやれ!」
 と、出たとこ勝負の勢いで、当たるを幸い、でたらめに弾き出してしまったら?
 
 これが、インプロビゼーション(即興演奏)の起源である。

 さて、私のマンションのちょうど上の階に、ピアノでインプロビゼーションをする男が住んでいる。
 ピアノで殺人事件が起こるような世知辛い昨今だから、10~20分くらいテタラメに弾き続けて、ぷつりと止めてしまうのだが、
 騒音問題とか以前に、私はこいつの演奏が大嫌いだ。
 ナルシスティックで、自己憐憫的で、スキルがなくて、ともかく我慢ならん。
 
 以下、告白する。
 私も実のところ、まだ実家に居たころ、中学か高校までオルガンで同じようなことをやっていた。
 でたらめに弾いても、感情を込めてやっていれば、なんとなく辻褄が合った気になるものだ。
 譜面も読めない、音楽の成績は常にオール2(※実話)の男が、なんか自己流すぎる解釈で、演奏家を気取ってしまった。
 そうして、得意になって毎日いつまでも弾き続けていたら、クラスの女子から、

 「塾帰りに夕方、ウンベル君の家の前を通りかかったら、なんか、気味の悪い音がしたんだけど?」

 と、真顔で訴えられた。俺は怪奇現象か。呪怨か。
 
 そこで、気づいた。
 こいつは猿のオナニーだ。
 とうてい、他人様にお聴かせするものじゃございません。
 それをきっかけに、私は、オルガンを適当に鳴らすのをぷっつり、やめた。
 音を出すということは、誰かがどこかで聞いているってことだ。
 ひとり勝手は、鼻歌程度にしておけ。じじい。クソガキ。

 では、正しいインプロビゼーションの方法とはなんだろうか。
 
 私は日夜その疑問に苦しめられ、地元の蚕工場で働きながら、なけなしの給与で買った琵琶を携え、全国の有名な百八箇所の心霊スポットを訪ねて廻った。
 が、遂に正解は得られなかった。当然だろう。私も若かったのだ。
 長い流浪の生活の果てに、その疑問に一応の答えが出たのは、実にこの2009年、高円寺の夜の出来事であった。

  (以上脱線を終え、3.以降の論旨に戻る。)

 6. 

 インド、ベナレス(現地読み、バナラシ)。
 
 佐藤哲也も、龍聡も、この地に学んだ、同じ楽派の演奏家である。
 師事した先こそ違えども、同じ楽理を共有しているのだ。
 
 しかし、その楽理は容易に詳述できるものでない。
 私が音楽理論にうといせいもあるが、まずは楽典ありきの西洋音楽に比較するに、インド音楽の基本は、口伝だからである。
 それは師匠より、弟子に直かに伝授される、一種秘儀的な性格のものだ。
 インド音楽の有する豊穣さは、その仕組みの中に入っていかない限り、正確にマスターすることは出来ない。

 かつて佐藤哲也がインド行きを決めた最終理由は、それだった。
 
 ロックやポップスのジャンルなら、レコードを聴いて、譜面を買い揃え、ある程度までなら独習で進むことも可能だろう。
 これらは、レコード産業の登場以降の音楽形態であり、前提として、録音され再生されることを目的としている。
 (写真や映画なども含めて、これを「複製芸術」と捉える美学理論がある。)
 容易ではないにせよ、再現可能なもの、という枠組みがあって、プレイが規定される。例えば、三分なら三分という枠の中で、構成が立てられ、おのおの楽器が配置される。
 (例えば、モータウンはこうした限定性への見事な回答だ。三分、おそるべし。)
 つまり、そこには「聖典」があるのだ。
 学びたい者は、それを紐解き、いくらでも学ぶことが出来る。

 パターンは多種多様にあれど、一回性、即興性を第一義とするインド音楽に於いては、拠るべきものは、演奏者の肉体が記憶し反応する回路しかない。
 しかし、その回路たるや、遥か歴史を遡り何万というプレイヤーたちに通底して流れ続ける、恐るべき地下水脈なのである。
 どうやら、推察するに、この水脈に対し自由に運動することが、音楽を演奏することであるらしいのだ。かの国では。

 その一方で、日本のわれわれは、ポップスの心地よく精妙な時系列にあまりに慣らされ過ぎ、毒され過ぎではないか。

 時間に対する感覚は、習慣により、鈍化したり研ぎ澄まされたりする。

 インド音楽の普遍性・ポピュラリティーというのは、なにも小難しい話ではなく、膝を突き合わせて実際その音楽に触れてみれば、誰にでも感得出来るものだ。
 私は、これほど人なつっこい音楽は、そうそうないのではないかと考えている。

 インダストリアル・ノイズや、フリージャズのインプロビゼーションが、守るべき楽典に対して破壊的な要素を持つとしたら、伝統音楽のそれは、穏やかな創造である。
 演奏時間の分だけ、音楽が持続する。その事実があるだけだ。

 それにしてもだが、
 いったい、“自由に演奏する”というのはどういう状態を指すのだろうか。
  
 残念だが、現在の私にはそれがまだ、充分に明確になっていない。
 だが、何か、自由に到るからくりはありそうだ。
 
 その夜、演奏が終わったあとで、佐藤哲也とちょっとだけ、会話する時間があった。
 「良かったよ、良かったよ!」をひとしきり述べたあと、(これは、ライブ終了後における理想的な観客の態度である。)
 興奮した私は、こう云った。

 「哲ちゃん、わかったよ、音楽に律法って必要なんだよ!」
 「リッポウ・・・?」
 「旋律法、っていうのかな。形式がなければ、自由な演奏などありえないんだよ!」
 「はーーーん・・・。」
 佐藤哲也は、ニヤリと笑った。「なるほど。」

 高円寺に、ベナレスの夜は更けて行き、遠くで猫がニャーーーッと鳴いた。

 7.

 「ナイト・イン・ベナレス」というのは、私が適当にこさえたタイトルである。
 (「ナイト・イン・ヴェガス」のもじりですね。)
 伝統音楽の人たちは、宣伝が下手で困る。
 こういう優れた内容のライブは、もっと多くの人に聴かれてしかるべきだと思う。

 おい、そこのきみ!
 インド音楽のライブと聞いて、
 「あぁ、ジョージが昔ハマってたやつか」なんて、間抜けな感想を漏らすきみ!
 ビートルズの再発盤なんか買うなよ。

 こいつは、心からの忠告だぜ。

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2009年12月 9日 (水)

『赤い蛇』 (’83、日)

 (スズキくんの古本探訪日誌より、抜粋)

 「出たよ、出ましたよ。」

 震えた声で、おやじが云うので、ボクは読みかけの石倉三郎自伝を置いて、振り返った。
 古本屋のおやじは、前回の家屋全焼により瀕死の大やけどを負ったので、爛れ切った皮膚に包帯をグルグル巻きつけた、それは哀れなご面相である。

 「なにが、出たんですか、マスター?手塚の妖怪探偵団とか。」

 「そんなもの、本当のレアじゃない。」
 チッ、チッ、チッと舌を鳴らし、おやじはさらに醜さの増した顔をこちらに近づける。
 お昼に喰べたと思しきレバニラが強烈に臭った。
 「真のレア物ってのはね、存在自体が希少価値でなくっちゃいけない。ただ単に入手困難、再刊できないってだけじゃ、本物とは呼べんとです。」

 「おや、急に、九州人になりましたね。
    それじゃ、マスターのいうレア物ってのは、なんですか?」

 「日野日出志。」

 ズバリ言い切ると、傍らのお茶をゴクリ飲み干した。懐中からモゾモゾと、一冊の本を押し抱くように取り出す。

 「『赤い蛇』。それ、ボクが昨日貸した本じゃないですか、もう少し丁寧に扱ってくださいよ。」

 「だまらっしゃい。日野先生のご本を、深夜帰宅のバスの中で読み始め、周囲の白眼視も全く気にならぬ程に、のめり込んでしまい、完全に止まらなくなり、本来降りるべきバス停をふたつもみっつも乗り過ごしてしまった、恐怖!奇形人間の気持ちが、きみ、判りますか?」

 「そんなに、ですか。」

 「あたしは、昨晩、産まれて来た不幸を呪いましたよ。ブログ読者に斧を投げつけてやろうか、と思いました。」

 「ソレ、作品違いますから。」

 「日野先生の場合、重要なのは、似た作家がいない!ってことなんですよ。造形、キャラ、展開、すべてが独特、オリジナルなんです。
 その割には、主人公の姉なんか、もろ、つげ義春の影響を感じさせますが。」

 「あんた、自分でネタ割ってどうする。」

 「でも、エロいからいいんだよ!安保に反対の若者は全員、「紅い花」の少女に萌えてたんだよ!
 家社会の伝統としがらみの中で、呼吸困難に陥った近代精神は、欲望の捌け口すら見出せない自虐闘争の明け暮れに、病み、疲れ、打ちひしがれて、血の惨劇の夢を見た。これはそういう話だ!」

 興奮したおやじは、テーブルに跳び上がる否や、店の唯一の照明だった裸電球に額を打ちつけた。

 「キィィィィィイ!!なぜだ!!なぜ、みんな判ろうとしないんだ!!
  日野先生の描く血みどろの情景、あれは愛なんだぞ!
  血が流れれば、流れるほど、愛がある!!」

 ぱりん、と砕けた電球の破片が、火傷で赤黒くむくんだおやじの皮膚を切り裂いて、めり込んでいく。どす黒い血が流れ、顔面は斑に染まった。
 額を覆い隠す鮮血の海の中に、蠢くものがある。
 蛆だ。
 無数の、醜い蛆虫だ。

 「読め!とにかく、読め!読まなければ、きみは三日後に死ぬ!!」

 「思いっきり、他作品のネタばらしちゃってますが。」

 蛆虫を撒き散らしながら、立ち上がったおやじは、地面に飛び降り走り出した。その前方には、なぜか店の奥の間を仕切る巨大な三面鏡が。
 激突する瞬間、思わず眼を瞑ったボクの耳に届いたのは、パリーンという破砕音ではなくて、水面が波打つような奇怪なうねり、響きの気配だった。
 
 白く、透明になったおやじの身体は、見上げるほど大きな鏡をすり抜けて、狂ったゲラゲラ笑いを続けながら、走り去って行く。
 店の狭い土間を駆け抜け、往来へと転がり出ると、そのまま加速して通りを走り出した。
 時折ぶしゅーっと吹き上がる鮮血と、その中から湧き出して来る蛆虫の、汚れた水溜りを跡に残して。

 遠くで、女性の悲鳴が聞こえた。

 「すっかり、そういうキャラになっちまいましたか。」

 散らかった古本屋の店内で、床に落ちた『赤い蛇』の復刻本を取り上げ、埃りを払いながら、ボクが云った。

 「おやじのその後の人生はともかくとして、現在のボクの関心事は、この本の表面に付着した血の汚れが、うまく落とせるかどうかということです。
 うまい方法をご存知の方があったら、手紙をください。
 住所は、地獄の一丁目、番地は空白で結構。大丈夫、きっと届きます。
 お返しに、狂人との上手な付き合いかたを教えてあげましょう。
 あまり、彼に関心を持ちすぎないことですよ。ケ、ケ、ケ、ケ、ケ」

 うまそうに、卵を割って舐めた。

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2009年12月 8日 (火)

『先公 MY★LOVE』第三回、超残酷への招待!の巻

「なぜ一度アップした記事を削除したんだ?!」Img_0004_3



「あぁ、『凶人ドラキュラ』レビューね。
黒沢清のImg_0003_2丸パクリだと気づいたからよ!!」

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2009年12月 6日 (日)

『サスペリア』 (’77、伊)

 いや、しかし変な映画だったな。

 監督に映画が私物化される感じって、わかるかい。大林とかで、あるよね。
 プライベート・フィルムすれすれの低空飛行。そんなのを、劇場映画として成立させるなんて、余程心臓に自信がなけりゃできない。
 『サスペリア』はね、だからホラーじゃないんだよ。「A MOVIE」って、アレなんだな。
 全然、怖くないもの。というか怖がらせるつもりでやってないね。
 生理的不快感(天井いっぱいの蛆虫)とか、痛覚への刺激(全身針金に包まれ悶絶死)とか、描写はいちいち具体的だけどね。
 恐怖と怪奇。でも、アルジェントの求めるものは、ジェットコースターではない。
 なんというか、歌舞伎の段取りみたいな、まったりしたもの。それに色彩。

 色彩は、当然、重要な要素だと思うんだ。ジェシカ・ハーパーの可愛さと同様(笑)。
 この映画を設計するときに、アルジェントは初期のディズニーのカラー長編を意識したんですって。
 ヒロインのイメージは、「白雪姫」。そう思って見ると、確かによく似ている。ジェシカちゃんがマンガみたいな顔なのが悪いと思うんだけど(笑)。
 全体に赤を多用したセットに、ど派手な原色のライティングをあてられると、確かにみるみる非現実な空間に誘われますわな。

 主な舞台は、バレエ学院。
 世界各地から留学生が集う名門、という設定にはなってるんだが、何をどう教えていている学校なのか一切不明(笑)。教師もスタッフも、全員異常だし。なぜか、地下には巨大プールがあり、天井裏には腐敗した生肉の固まりが置いてある。なぜか(笑)。
 だいたい、ヒロインからして、ニューヨークからわざわざ留学に来たくせに、まともに踊る場面が全然ない。唯一ある舞踏シーンでは、めまいを起こして転倒してますから。
 だから、これらはすべて表象でしかない。書き割り。
 舞台も、人物も現実感ゼロ。
 アルジェントは、そこを狙って撮ってるし、われわれもそう思って観るべき。監督の趣味の悪さに、いちいち突っ込みを入れながら。
 そうすりゃ、かなり愉しめる筈だ。
 
 アルジェントの世界は、ものすごい悪趣味も、平気でアリだ。
 だいたい、全編を覆い尽くすゴブリンの音楽からして、絶対笑かすつもりだろう、と思われる趣味の悪さなんだがね。(あ、好き?ファンで?ごめん。)
 断言しよう、
 そもそもこの映画、日常描写すら、まともな箇所はまったくない!

 いっとき、主人公のルームメイトになる女なんて、どう見てもカタギじゃない(笑)。部屋なんか、青と白の壁紙に、濃く黒い蛇状の模様がうねうね這ってる。極妻より派手。
 で、その部屋の中央、カウチに凭れて、黒の丸髷にアイラインばっちりのメイクで、豪華な金色のナイトガウンの女(=悪の黒柳徹子)が、電話機片手にずーーーーっと男に電話して続ける。
 主人公が話しかけても、超常現象による危機を訴えても、ちっとも聞いて貰えない。
 あきらめてジェシカちゃんは(悪の徹子の部屋を)出て行ってしまうんだけど、この場面が何を意味しているのか。
 「なにも意味していないでしょう。」
 というきみは、残念でした、落第だ。もう一度、小学校からやり直し。
 この場面の意味は、「主人公は追い詰められており、誰にも話を聞いて貰えない」という心理的危機状況の、文字通りの視覚化(!)なのである。
 なんだそりゃ。マンガじゃないか。その通り!
 でも諸君、お断りしておく。アルジェントは、もちろん大真面目なのである。
 (あの黒手袋も、当然本気だ。)

 心理的状況を、逐一、悪趣味に翻訳してみせるのが、『サスペリア』の手法である。
 本当に、ただただ、それだけで話が出来上がっているので、真面目な人はきっと怒り出すだろうと思う。
 ヒッチコックが映画としてのバランスを考えながら上手にやっていたことを、アルジェントは自己流でとことん我儘にやってしまった。
 
 例えば、

 冒頭の、笑っちゃうぐらい、激しい雨に洗われる国際空港から、見事に止まらないタクシー、絵に描いたように無愛想な運転手。
 これは、主人公の到着時の不安を、ど派手に視覚化したものだ。

 続いて、逃げ出した女学生のへんてこな公開首吊り処刑。巻き添えで眉間にガラスが刺さって絶命する人。誰、この人。(本当に意味不明なのである。)
 この場面では、彼女達の抱く恐怖(「こ・・・殺される!」)を、そのまま現実に、ストーリーに転化して見せてしまう。
 窓の外を眺めれば、金色に光る眼が見えるし、窓ガラスを破って太い腕が伸びてくる。物理法則を無視して。
 そんな馬鹿な。
 これは映画で最初の殺人であって、明らかに魔女とは違う別の犯人がいるんだが、最後までその件について、合理的な説明は登場しない。

 ようするに、増幅する恐怖心理の連鎖。そのビジュアルイメージによる絵解き。
 これが、ストーリーの骨子そのものであり、実はすべてだ。
 リアリティなど、くそくらえ。
 合理的近代精神など家に置き去りにして、劇場に観に来んかい!ということであろう。

 不気味な召使、嘘臭いまでに厳格な女教師、顔が不気味な子供。
 盲目のピアノ弾きと赤十字マークの盲導犬。
 (この人の殺害シーンは、本当に凄い。真夜中酔って帰宅途中に、狂った愛犬に喉笛を噛みちぎられて死亡しました、としか云い様がない。不幸な事故だ。
 これを、実は魔女の呪いでうんぬんで、と解釈できる人は相当なお人好しだろう。)
 それに、正体不明すぎて、何をしたいのか全然わからない伝説の魔女。学校を経営したり、結構人の役に立ってるつもりですが。やはり、駄目ですかね。
 
 この物語を成立させている心理的背景、不安が、すべてアルジェントの個人的妄想であるのは、間違いない。
 脚本を共同執筆した、妻で女優のダリア・ニコロディの立場は、だから、フィリップ・K・ディックの『宇宙の眼』で力場発生装置に投げ込まれた人のようなものだったかも知れない。
 個人の主観原理により構成された宇宙。
 あぁ、そう考えると、もっと構造が似ている物語が、他にあったな。
 フレデリック・ブラウンの『発狂した宇宙』です。コレだ。SFオタクの妄想の中に投げ込まれた編集者の話。
 こんな目には遭いたくない、という作家の持つ恐怖を現実化したという意味で、『サスペリア』と共通するではないか。
 作家個人の、ある種のポートレイトという点でも。ま、ブラウンの方が遥かに大人ですが。
 同じようなテーマの、ピーター・フィリップスの短編「夢は神聖」というのもいいですが、あれは合理精神が最後に勝つからな。
 妄想の持つ狂気の論理に則って解決する、という点でやはりブラウンをお勧め。

 面白いからってイタリア映画ばっかり観ていると、バカになるぞ!

 不勉強な諸君は、次回までにがんばって読んどくように。
 じゃあ、本日の講義はこれまで。足元に気をつけて帰ってね。

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2009年12月 5日 (土)

『恐怖の火星探検』 (’58、米)

 火星探検隊は、全滅した!

 救助に向かった第二次探検隊は、唯一人の生存者と一緒に、鼻の穴のでかい全身鱗に覆われた見るからに悪そうな、異星怪物を乗せてしまう!(通称・火星番長)
 拳銃も、ライフルも、トーチの炎も、高圧電流すら効かない、不死身の怪物に、ひとり、またひとりと全身の体液を吸い取られ絶命していくクルーたち!
 強い!強すぎる!
 なんで、こんなに強いんだ、コイツ?!ただの学ランの高校生なのに!!
 そして、生き残りを賭けて、人類の叡智を集めた、最後の作戦の火蓋が切って落とされようとしていた!

 ・・・って、うっかり、普通にストーリーを紹介してしまったが、それくらい、この話は面白い。
 ハリウッド的な人間ドラマは、ギューーーーッと隅に寄せてしまって、ひたすら生き残りゲームに焦点を合わせた脚本の勝利だ。
 脚本家は、ジェローム・ビクスビィ。
 野田昌宏先生の名著『SF英雄群像』をご愛読の、奇特な皆さんはご存知だろう。ランスロット・ビッグスシリーズで有名な、粋な作家さんである。
 ヴァン・ヴォークトの、例の「ケアル」のモチーフ(※知らんのか、きみは?)をきれいに換骨奪胎し、スマートな室内劇にすり替えて使っている。
 ダン・オバノンも脚本に感心したくちだったのだろう、『ダークスター』では宇宙船内で繰り広げられるドタバタ劇に、『エイリアン』では殺戮劇に、それぞれ読み替えて再利用している。実にエコな考えの持ち主だ。
 さらに云えば、ジェームス・キャメロンは『エイリアン2』のクライマックスを、前作のリドリー・スコットのラストから受け継いでいる訳であって、
 ということは、元を正せば、これまた性懲りも無く本作から再度頂いているとも見えるのでありまして、いやはや南友、作家間を飛び越えた物凄い感染力である。

 「宇宙(や深海)を舞台に」
 「未知の生物が」
 「クルーを殺して廻る」

 映画におけるこの黄金パターンを築き上げただけで、ジェローム・ビクスビィの名はハリウッドの歴史に残るべきであろう。
 早い話、われわれは何本こんな話ばかり観せられたと思ってるんだ!
 
  ありがとう!(笑)


 『恐怖の火星探検』に話を戻すが、出てくる役者は全員、地味なおっさん、おばさんばかりで、物も見事に華がない。舞台も、四階建てのアパートみたいな、くすんだ宇宙船の中(梯子で上下するところが、ドリフの舞台コントを連想させる。)。
 それでも面白く観れてしまうのだから、脚本の力は偉大だ。低予算、ノースターでも楽しい作品を。
 この発想は後にテレビの時代に生かされ、ビクスビィは『ミステリーゾーン』などのライター仕事もこなして行くのでありました。

 結論。

 器用は、身を助ける。って、そんなオチかよ、おいおい。

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『タッチ』 (’83、英)

 ロック界の南ちゃん、アニー・レノックスの在籍するバンド、ユーリズミックス。
 その第三作目がこの『タッチ』だ。ここに、タッチ。
 
 シングル「ヒア・カムズ・ザ・レイン、アゲイン」のプロモーションビデオは、寒そうな北の海を見下ろす崖で、白装束を纏った地獄の南ちゃん(短髪、赤毛)がぶつぶつ呟き続ける、という恐ろしいもので、トラウマになりそうな迫力があった。
 何の因果かヒットした前作の「スィート・ドリームス」のプロモビデオが、短髪、黒ブーツ、鞭というSM路線まっしぐらの内容であったので、世間はさらなるキワモノを期待していると思ったのかも知れない。
 「タッチ」のデラックスエディションに収録されているフォトは、期待に応えて異常なコスプレのアニーねぇさんのオンパレードだ。
 モミアゲのプレスリー風の男装。皮のアイマスクに全裸。江口寿史『エイジ』にでも出てきそうなストリートパンクファッション。それにロン毛で女装(!)。
 誰が喜ぶのかわからないモノの拡大生産。マスプロダクツって、素晴らしい。
 
 しかし、だ。
 改めて聴きなおしてみると、この人たちの場合、同期のブリティッシュインベージョン組と比べても明らかに一段大人な曲づくりが、最大の魅力であったことが理解されて来るのだ。
 もう一枚のシングル「フーズ・ザット・ガール?」は、なんとダスティ・スプリングフィールド調のしっとりしたポップスだ。なんて大人なんだ。
 (プロモでは、ダスティ風のズラまで被って歌っている!ズラマニアなのか?)
 でも、実は色物でなく、本格派。アニーさんの、というか南ちゃん(強引だが、引っ張ってみるよ、ママ!)の優れた歌唱の実力が、よく聴き取れる筈だ。
 寝起きのようなボサボサの髪に白いタキシード、どう見ても秋葉系オタクにしか見えない、相方デイブ・スチュアートのギター一本で伴奏される同曲のライブバージョンが、今回おまけに入っているので、耳を傾けてみよう。
 楽曲の普遍性がよく判る。
 どう演奏しようと、ストレートに良い曲だ。
 なんだ、これなら別に伴奏がシンセじゃなくてもいいんじゃん、という感想を持つあなたは、まだまだ甘い。
 猫も杓子もシンセで、ディスコで、ナウかったのが八十年代前半なのである。その時代に育った人間には、ごく当たり前に見えても、エジプトにピラミッドが建設されて以来の人類の歴史からすれば、極めて異常な時代であったと断言してよろしい。
 (なにしろ、ニック・ロウですら、ディスコに行きたがったのだ!)
 長い地球の歴史で、この数年間は、「シンセにあらずんばポップスにあらず!」という堂々たる非道が罷り通っていたのだ。
 これは、ナチスの侵略行為と同じく、山川の参考書にも書いてある立派な史的事実だ。(残念ながら、その記載がどの本なのかは教えてあげられないのだが・・・。)

 『タッチ』における達也の死が衝撃だった(お断りしておく。私はこのマンガを読んでいない。死んだのは青沼静馬だったかも知れない。)ことを考えるに、この時点でユーリズミックスはシンセ全盛の世の中にあって、来るべきクラプトン・アンプラグド(史上最低!と笑顔で断言できるレイラを収録)大ヒット以降の、新たな世界秩序を既に予見し、早くも模索し始めていたのだと言えよう。
 なにせシンセポップスは、疫病の如く、またたく間に業界に蔓延し、天下を取り、そして一瞬のうちに滅び去ったのだ。信長やマヤ文明のようなものだ。(そうか?)
 その本質においてシンセポップではなかったユーリズミックスは、賢明な選択を行った。
 狂ったシンセ文明を捨て、ポップス本来の野性、雑食性への回帰を図ったのだ。『タッチ』でのカリプソの導入や、本物のストリングス、ホーンの投入はそういう意味合いを持っている。
 その結果が次回作『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』やシングル「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル」の成功に繋がっていくのだろう。

 しかし、だ。
 二度目の“しかし”で誠に恐縮だが、このアルバムにおける中途半端にシンセと生音が混ざった感じ、いかにも過渡期の産物らしくて、なんとも楽しくないか。
 しかも、まだ、シンセの方が強いわけですよ。勢い的には。
 そこにグッとくるんですよ、私の場合。理屈もなく。
 黒沢清の“死の機械”に惹かれる気持みたいなもんですかね。
 波形がむきだしで、ウネウネきて、クールな旋律が指一本でキーボードの白鍵弾きでループして、この世に絶望したボーカルがそれでも軽薄に、意外とキャッチーな、でも中途半端なメロディを歌う。
 素晴らしい。

 ヤズーでも、デペッシュモードでも、ヘブン17でも、ソフトセルでもいい。
 一瞬の盛り上がりを見せて、すぐに廃れてしまった、シンセ主導のエレポップは、いまだに怪しい魅力を放ち続けているのだ。
 人類の歴史上、他に似たものがない。という一点において。

 たとえ球児たちの夏が終わっても。ここに、タッチ。

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2009年12月 3日 (木)

伊藤潤二『よん&むー』(’09、日)

 「・・・あぁ、驚いた。」

 古本好きの好青年、スズキくんは溜息をついた。
 仏壇の前には、献花があがっている。

 「まさか、喉に鼻水が詰まって窒息死するなんてなぁー。運がない。」

 古本屋のおやじは特に身寄りもなく、人付き合いも悪い方だったようで、葬儀に顔を見せた人間は少なかった。
 行きがかりじょう、遺体を運ぶ手伝いをするやら、警察に事情を聴取されるやら、納棺、火葬場の手配など、面倒な仕事を一通りこなす羽目になったスズキくんは、あぁ、草臥れた、赤の他人がここまでしたんだ、ちょいとおやじの秘蔵の品を覗かせて貰っても罰は当たるまい、と大胆な気持になった。

 部屋の奥に、どっかり据えられた長櫃。

 「まぁ、なにか隠すなら、この中だわなぁー。」

 錠前の鍵は、おやじの懐ろに後生大事に仕舞われていた。多少の後ろめたさを押し殺して、スズキくんが鍵穴に差し込むと、中で錆ついているのだろう、ギリリ、ギリリと不快な音を立てていたが、それでも苦心して捻じ込むと不意に開いた。

 「なんだ、コレ?」

 スズキくんが取りあげたのは、一冊の、年季を経た茶色い皮装のノートだった。
 表紙に、へたくそな金釘流で、文字が書かれてある。

   『 よ げ ん の 書 』

 「そう、来ますか。」

 スズキくんは、再び、深い溜息をついた。

   ※        ※         ※         ※         ※

 『よげんの書。おやじ著。

 もしも、わしが死んで一条の煙と化したら、この書物を紐解くべし。これは、古本屋のおやじの魂にして、告解の書なり。
 われ、若かりしとき、昼夜分かたず勝手気侭に日々を送り、末に家督を奪われ、野に放遂さる。
 以来数十余年、心恣まに書を買い漁り、書に耽溺し、何時しか書をあがない、鬻ぐことを覚えたれども、片時たりともわが思い充たさるること叶わず。
 百冊の書にあたりて、百戦百勝、遂には書聖と号され、やれ稀に見る賢人よ、やれ当世の哲人よ、と持て囃されども、天上の宮殿にすら我が霊魂の安らぐ所処なし。
 われ、事に於いて後悔せざれども、あの娘はちょっぴり惜しかった。』

 「なんだ、こりゃ?」
 スズキくんは、小首を傾げる。
 
 「こんな、しょうもないモノを残して死んでいったのか、あの人は?」
 
 そう呟いて、書に目を戻したスズキくんは、ちいさく唖ッと呻いた。
 そこまでの活字は、ごく折り目正しく、典雅に並んでいたのだが、突如グニャグニャと蠢き始め、瞬時に以下の文章を描き出したのだ。

 『しょうもないって、云うな。』

 「うわぁぁぁーーーーーーーーーッ!!!」

 思わず本を取り落としたスズキくんは、それでも、こわごわ這いずり寄ると、「いてぇ。」と極太ゴチックで印字されている頁をまじまじ見つめた。
 「ひょっとして・・・マスター、ですか?・・・。」

 『この本には、文字通り、わしの魂が封じ込めてあるのだ。
  ホレ、楳図かずおの短編にあったろう。愛妻の死を嘆く男が、遺体を加工して一冊の本にしてしまうやつが・・・。』

 「発狂した男は昼夜問わず、その本を後生大事に読み続け、やがて訪れる悲劇の結末・・・。」
    
 『あの短編の設定を、丸ごとパクったのだ。』

 スズキくんは、ふと顔を上げ、
 「それ、おかしいですよ。マスターのご遺体は、きちんと火葬場に運ばれ、こんがり焼かれて、喉仏の骨も摘めないレベルになった筈。」
 「フフ・・・果たして、そうかな?」
 「・・・あ、あッ!!」
 『そう、フフフ、気づいたようだね、スズキくん。
  きみの火葬したその男、顔面は鋭利な刃物で膾斬りにされ、ご丁寧に鈍器で叩いて目鼻立ちも判らない状態にされていた。
 お陰で官警の事情聴取も苛烈を極め、まったく無関係のきみも中々帰して貰えなかった程なのだ。
 そこで、質問だが・・・その遺体、それは確かに私だろうね?』

 「かッ・・・“顔のない死体”!!古い手だ!!」
 
 『何とでも云え。わしは、とある人の手を借り、この姿となり永遠の生命を得たのだ。もはや、地上の愚かな法律で、このわしを裁くことなど出来はしないのだ!!』
 狂ったように哄笑する(正確には、文字を浮き立たせる)おやじの本を前にして、スズキくん自身の、目の下に不吉な黒い翳が拡がり、唇がニンマリと歪んだ。
  
 「・・・クッ、クッ、クッ、クッ、クッ。」
 
 『??』
 意表を突かれ、停止するおやじの本。
 
 「クッ、クッ、クッ、・・・おもしれぇよ、あんた、最高だよ。」
 
 本の頁に手を掛け、力を篭めるスズキくん。
 『・・・ま、待て、何をする、そんなに引っ張ると痛いって!!』

 びりりりり。
 本が、心なし震えたようだ。

 「どうすんだよ、この状況をよ、どう収拾をつけるってんだよ?!」
 
 びり、びり、とおやじの本を引き千切り続けるスズキくん。
 
 「最早、こんな文章、ブックレビューでも何でもねぇよ。書評を楽しみに来てくださった全国一千万の伊藤潤二ファンの皆さんに、どう落とし前つけるんだよ?!」

 『ギィイイヤァアアアアアーーーーー!!!!』

 一息に、中背を破り捨て、表紙の厚いカバーに爪を立てる。
 スズキくんの表情はどす黒く歪んで、まるで悪鬼の如き形相だ。

 『・・・ま、待て。やる、真面目に書評する・・・。』

 「本当に?」

 『よ・・・「よん&むー」は、恐怖マンガ一筋だった伊藤先生が、初めて手がける猫マンガです。』

 「それくらい、とっくに知ってるんだよ!
  もっと、何か、偉そうなこと抜かしてみろ!このペテン師野郎!!」

 『うぅぅッ・・・・・・おもしろいですよ。』

 
その瞬間、びりりりりッ、と本が真ッ二つに引き裂かれ、おやじの声にならない絶叫と共に、部屋の暖炉からゴォーーーッと炎の塊りが噴き出し、カーテンを焦がしてメラメラと燃え拡がった。
 土間の叩きに素早く身を投げ出し転がったスズキくんの頭上を、爆ぜた空気がガラス戸の方向を目指して炸裂し、安い木の桁材をいとも簡単に押し破って、戸外へと全速力で飛び出した。
 突如支えるべき足場を失い、連続して倒れてくる柱の群れを、得意の忍術でスィスィと避けながら、スズキくんが路地へと身軽に這いずり出ると、真っ黒い煙が猛然と湧き出して来て、電線越しの青い空を見る見る押し隠してしまうところだった。
 どやどやと詰め掛けた群衆の中から、振り返り眺めても、燃え盛る炎の中に、あの茶色い表紙の本を見つけることは、最早できなかった。

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