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2009年12月12日 (土)

11/29「ナイト・イン・ベナレス」 (’09、日)

 1. 

 公民館の床に敷かれたインド織の上に、ふたつのタブラが並ぶ。
 背後に、弦楽器エスラジ。タンプーラ。

 演奏者と観客の間に、高低差はない。
 それは、音楽が、例えばキリスト教徒の唱えるように、遥か天上から降りてくるということではない、
 同じ空間の中で奏でられ、共有されるということだ。
 
 アンプがないので、電気的な増幅もない。
 演奏者に近づけば、細部までよく聞き取れるし、遠ざかれば聞こえなくなる。

 だから、上座に演奏者が居て、下手に観客達が座布団に座り並ぶ。
 この構図は、日本家屋の構造にやむなく縛られたもので、
 本当は、演奏者を中心にして、車座に座るのがいちばんよろしい。

 距離が、音楽を決定する。

 2.

 佐藤哲也は、私の友人。
 インド音楽を演奏している。

 かつて彼は、私達のバンドでギターを弾いていた。
 それは、なかなかのものだった。
 ある日、彼はライブに、音程を変えられる奇妙な太鼓を持ってきた。
 タブラ・バヤ。
 北インドの太鼓の一種。

 彼はそれにのめり込み、その楽器が生まれたところへ旅立った。
 かの地に学び、現地で知り合った女性と結婚もし、日本に戻って来て一児の父親になった。
 現在は、タブラとインド声楽を教える先生である。

 われわれの周辺に音楽を好きな人間、演奏する人間は何人もいたし、曲を書く者、詞を書く者もたくさんいたが、
 私の知る限り、
 その中で、「音楽家」と呼べる存在になったのは、佐藤哲也、ただひとりだけだ。

 残るわれわれは、全員、虫けら以下である。
 私は、洒落や冗談ではなく、本当にそう思う。

 3.

 演奏は、まず前口上から始まった。

 龍聡。
 とても力強い人だ。
 エネルギッシュに専門的な解説を述べる、そのテンポと熱量は、彼の音楽そのものだ。
 佐藤哲也。
 いつも穏やかで温かい人物。
 若かりしころから、おっさん度が高かったが、近年とみに磨きがかかったようだ。

 前説が一段落すると、タンプーラの響きが空間を満たし始める。
 完全五度の持続音。
 長い演奏時間のあいだ、ずっと鳴り続けるこの楽器は、マンパワー的問題点から、機械によって奏でられることが多いのだが、
 (って、私もついこのあいだ、佐藤哲也に訊いて、初めて知った。)
 今夜は、うら若い乙女が奏でる。
 
 豪華だ。
 これだけで、充分、豪華すぎるではないか、諸君?
 
 演奏は、相馬光嬢。
 謎の美女。いや、ほんと美女。
 なんかわからんが、どうもありがとう!
  
 繰り返すタンプーラの響きに、メランコリック、かつ解決されない旋律が噛み込んで来る。
 島田氏の弓が奏でる、謎の弦楽器エスラジだ。
 謎、またしても謎。
 だいたい、存在自体がまぼろしで、滅多にお目にかかれない。
 持ってセブンイレブンで買い物をしている人など、近所でまず見かけない。
 (銭湯にもいませんね。)

 やたら細長い胴のサーランギー(?)といった外見だが、そのルーツは島田氏自身のMCにもあったが、やはり、謎らしい。
 細面で、ひげに眼鏡という島田氏の風貌が、アメリカ映画に出てくるサイエンティストを思わせるので、
 これは全米の研究機関で長年研究してもまだ解明されていない、よほど深い謎なのだな、と勝手に納得させられる。

 上昇するかと見せかけて、繰り返し同じ高度を維持して旋回するエスラジのメロディーに合わせ、主役のタブラが鳴り渡る。
 
 龍聡のタブラは、力強く、音も大きく明快だ。
 複雑なリズムを、明確に、あまりにきっぱりと言い切ってしまうので、あっけにとられて見てしまう。
 ダーダー、ティリキト、ダーダー、ティンナーダー。
 チューニングを直す、とんかちの音までリズミックに響く。

 ひとしきり演奏し終えると、佐藤哲也にスイッチする。
 繊細で、穏やかな太鼓。
 ギターの時代から、明るくウェルメイドな演奏の男だったが、楽器を持ち替えてもその印象に変わりはない。
 彼のつくる歌のような、静かで、温かみのある情景は、ここにも拡がって見えた。

 そして、おのおのアドリブを交え、両名の合奏ともなれば、絶妙な間合いで、双方の手合いが、ぴったり合致する。
 驚くほど気持ちよく、自然に、手が合う。
 同じフレーズを叩き出す。
 その呼吸のタイミングが、この夜の最大の見せ場だったように思う。

 観客は、見事さにあっけにとられ、一緒にリズムを刻んでいた。

 4.

 音楽は、時間の芸術である、とは誰の言葉だっただろうか。

 時間軸を切り取ったある一点から、ある一点までの運動。それ以外に、音楽を律する法則は存在しない。
 これを譜面として顕在化したのが、ジョン・ケージの有名な「三分四十四秒」だ。
 指定の時間内で、演奏者はピアノの前に座り、音を出さないことを要求される。
 なんと、バカげた行為だろうか。誰もがそう思った。
 でも、実際に演奏会場に行ってみたまえ。

 真空でなければ、完全な無音状態などありえないのだ。
 観客の身動き。咳き込み。
 演奏者の、呼吸音。椅子の微妙な軋む音。

 だから、この曲は、沈黙を創造する装置などではない。
 観客に、普段から聞こえる日常音を、あらためて音楽として捉えなおすことを教えるメソッドだ。
 メソッドが音楽たりうること。
 無調。ノイズ。今は懐かしい二十世紀の発明だ。

 さて、では、このへんで、問題。

 「三分四十四秒を演奏中に、演奏者が、うっかりピアノにさわってしまったら?
    それは、演奏ミスと呼べるのでしょーーーか?!」
 (答えは、CMのあと!)

《CM》
 日本が誇る、タブラ演奏家!インド声楽家!佐藤哲也の最新情報は、ご本人のブログでチェーーーック!!
 ちなみに佐藤先生は、水木しげるファンで、妻は鳥取県人です!

    http://blogs.yahoo.co.jp/tablatrang/58167575.html

 5.

 では、正解を見てみましょう。
 正解は、こちら。

 「それは、三分四十四秒ではなくて、別の曲になってしまった!」

 はい、シンゴちゃん、正解!
 (シンゴちゃんって誰?)
 それが「サクラサクラ」や「エリーゼの為に」のイントロに繋がるならまだしも(否、人間は匆々都合よく間違えないものだ)、
 「ええぃ、こうなりゃヤケクソだ、適当に鳴らしてやれ!」
 と、出たとこ勝負の勢いで、当たるを幸い、でたらめに弾き出してしまったら?
 
 これが、インプロビゼーション(即興演奏)の起源である。

 さて、私のマンションのちょうど上の階に、ピアノでインプロビゼーションをする男が住んでいる。
 ピアノで殺人事件が起こるような世知辛い昨今だから、10~20分くらいテタラメに弾き続けて、ぷつりと止めてしまうのだが、
 騒音問題とか以前に、私はこいつの演奏が大嫌いだ。
 ナルシスティックで、自己憐憫的で、スキルがなくて、ともかく我慢ならん。
 
 以下、告白する。
 私も実のところ、まだ実家に居たころ、中学か高校までオルガンで同じようなことをやっていた。
 でたらめに弾いても、感情を込めてやっていれば、なんとなく辻褄が合った気になるものだ。
 譜面も読めない、音楽の成績は常にオール2(※実話)の男が、なんか自己流すぎる解釈で、演奏家を気取ってしまった。
 そうして、得意になって毎日いつまでも弾き続けていたら、クラスの女子から、

 「塾帰りに夕方、ウンベル君の家の前を通りかかったら、なんか、気味の悪い音がしたんだけど?」

 と、真顔で訴えられた。俺は怪奇現象か。呪怨か。
 
 そこで、気づいた。
 こいつは猿のオナニーだ。
 とうてい、他人様にお聴かせするものじゃございません。
 それをきっかけに、私は、オルガンを適当に鳴らすのをぷっつり、やめた。
 音を出すということは、誰かがどこかで聞いているってことだ。
 ひとり勝手は、鼻歌程度にしておけ。じじい。クソガキ。

 では、正しいインプロビゼーションの方法とはなんだろうか。
 
 私は日夜その疑問に苦しめられ、地元の蚕工場で働きながら、なけなしの給与で買った琵琶を携え、全国の有名な百八箇所の心霊スポットを訪ねて廻った。
 が、遂に正解は得られなかった。当然だろう。私も若かったのだ。
 長い流浪の生活の果てに、その疑問に一応の答えが出たのは、実にこの2009年、高円寺の夜の出来事であった。

  (以上脱線を終え、3.以降の論旨に戻る。)

 6. 

 インド、ベナレス(現地読み、バナラシ)。
 
 佐藤哲也も、龍聡も、この地に学んだ、同じ楽派の演奏家である。
 師事した先こそ違えども、同じ楽理を共有しているのだ。
 
 しかし、その楽理は容易に詳述できるものでない。
 私が音楽理論にうといせいもあるが、まずは楽典ありきの西洋音楽に比較するに、インド音楽の基本は、口伝だからである。
 それは師匠より、弟子に直かに伝授される、一種秘儀的な性格のものだ。
 インド音楽の有する豊穣さは、その仕組みの中に入っていかない限り、正確にマスターすることは出来ない。

 かつて佐藤哲也がインド行きを決めた最終理由は、それだった。
 
 ロックやポップスのジャンルなら、レコードを聴いて、譜面を買い揃え、ある程度までなら独習で進むことも可能だろう。
 これらは、レコード産業の登場以降の音楽形態であり、前提として、録音され再生されることを目的としている。
 (写真や映画なども含めて、これを「複製芸術」と捉える美学理論がある。)
 容易ではないにせよ、再現可能なもの、という枠組みがあって、プレイが規定される。例えば、三分なら三分という枠の中で、構成が立てられ、おのおの楽器が配置される。
 (例えば、モータウンはこうした限定性への見事な回答だ。三分、おそるべし。)
 つまり、そこには「聖典」があるのだ。
 学びたい者は、それを紐解き、いくらでも学ぶことが出来る。

 パターンは多種多様にあれど、一回性、即興性を第一義とするインド音楽に於いては、拠るべきものは、演奏者の肉体が記憶し反応する回路しかない。
 しかし、その回路たるや、遥か歴史を遡り何万というプレイヤーたちに通底して流れ続ける、恐るべき地下水脈なのである。
 どうやら、推察するに、この水脈に対し自由に運動することが、音楽を演奏することであるらしいのだ。かの国では。

 その一方で、日本のわれわれは、ポップスの心地よく精妙な時系列にあまりに慣らされ過ぎ、毒され過ぎではないか。

 時間に対する感覚は、習慣により、鈍化したり研ぎ澄まされたりする。

 インド音楽の普遍性・ポピュラリティーというのは、なにも小難しい話ではなく、膝を突き合わせて実際その音楽に触れてみれば、誰にでも感得出来るものだ。
 私は、これほど人なつっこい音楽は、そうそうないのではないかと考えている。

 インダストリアル・ノイズや、フリージャズのインプロビゼーションが、守るべき楽典に対して破壊的な要素を持つとしたら、伝統音楽のそれは、穏やかな創造である。
 演奏時間の分だけ、音楽が持続する。その事実があるだけだ。

 それにしてもだが、
 いったい、“自由に演奏する”というのはどういう状態を指すのだろうか。
  
 残念だが、現在の私にはそれがまだ、充分に明確になっていない。
 だが、何か、自由に到るからくりはありそうだ。
 
 その夜、演奏が終わったあとで、佐藤哲也とちょっとだけ、会話する時間があった。
 「良かったよ、良かったよ!」をひとしきり述べたあと、(これは、ライブ終了後における理想的な観客の態度である。)
 興奮した私は、こう云った。

 「哲ちゃん、わかったよ、音楽に律法って必要なんだよ!」
 「リッポウ・・・?」
 「旋律法、っていうのかな。形式がなければ、自由な演奏などありえないんだよ!」
 「はーーーん・・・。」
 佐藤哲也は、ニヤリと笑った。「なるほど。」

 高円寺に、ベナレスの夜は更けて行き、遠くで猫がニャーーーッと鳴いた。

 7.

 「ナイト・イン・ベナレス」というのは、私が適当にこさえたタイトルである。
 (「ナイト・イン・ヴェガス」のもじりですね。)
 伝統音楽の人たちは、宣伝が下手で困る。
 こういう優れた内容のライブは、もっと多くの人に聴かれてしかるべきだと思う。

 おい、そこのきみ!
 インド音楽のライブと聞いて、
 「あぁ、ジョージが昔ハマってたやつか」なんて、間抜けな感想を漏らすきみ!
 ビートルズの再発盤なんか買うなよ。

 こいつは、心からの忠告だぜ。

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コメント

ウンベル君、ご苦労様。
いや、実際観るしかないわな、これは。
観てみたい、と思わせた時点で良し。技術的なことは、自分で確認したい。

音楽は、法則とスキルに縛られた芸術なのだな。
絵画工芸に比して、自由度が明らかに落ちる。
音楽家は、いつもソコを考える。
安易なインプロビゼーションに走るか、死ぬ程練習するかは各人の自由だが、正解はもうずっと前から出ているのだね。

そういうLIVEだったのかなぁと思いました。

投稿: DYNAMITE | 2009年12月13日 (日) 15時16分

自分自身のコンサートレビュー(しかもROCKIN’ONか?っていうぐらいアカデミカルな)を読んだのは初めてでしたが、6、に書かれている事柄はインド音楽をあらわすのには「言い得て妙」ですな。インド音楽とはリズムサイクル(拍子数)とスケール(音階)の「カセ」の中で試行錯誤される即興音楽のことなのですね。結局、そういった「基準」ないしは「規範」がなければ各々の優劣をつけることができないじゃないですか、即興演奏って。もともとインドムガール時代(イスラム王朝)に発展した北インド音楽では、イカ天ならぬ、即興対決などが頻繁に行われていたようですし。
そういったところでこのような演奏形態が形成されていったようです。

投稿: 佐藤 哲也 | 2009年12月17日 (木) 00時20分

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