「びっこのポーの最後」(’76、日)
ブログとか、こんな嘘臭い場所はないと思う。
あなたは現在、適当な端末の前に座って、私の綴るたわごとを読まされる羽目に陥っている訳だが(その不幸な境遇についてはご同情申し上げる)、
あいにく私は、辞める気などないし、手加減するつもりもない。
だから、読むな。
自分の理解を越えるものを、一方方向から遮断する諸君に告ぐ。
いますぐ、読まずに適当なエロページを探しに行きたまえ。
これは誠心誠意からの忠告だ。
そして、諸君の夢などかないませんように。
諸君が、爆発しそうな不満をかかえ、手も足も出ずに、醜く、年老いて死んでいきますように。
(神は、結構親切だ。私の願いは、かなうらしい。)
「びっこのポーの最後」は、そんな奴らにとどめを刺す歌だ。
友部正人は、ボブ・ディラン経由でアメリカに憧れ、実際に現地へ赴いて、この歌をつくった。
行き着いた旅の結論は、情け容赦のないものだった。
途方もない正確さで吐き出される言葉は、「メキシコ生まれの若親分」の急所を次々と抉っていく。
これは、音楽による公開処刑だ。
虚栄は全部剥奪され、ごみ箱に放り込まれる。
まさか、そんな行為が本当に可能だとは思わなかったが、この歌は、現実に重罪人を血祭りにあげるより、遥かにずっと素晴らしい効果をわれわれにもたらしてくれる。
それは、重圧からの解放だ。
気づかないうちに、われわれはまたもや囚われていたのだ。
つまらぬものに。
その事実を知ってしまった後には、だから、不思議な昂揚がある。
醒めた意識の冴えと、爆発する感情の高まりがある。
攻撃がおそろしく精巧なことは、注意深く聴いて頂ければ解るだろう。
そして、感情というものが、「嬉しい」「寂しい」「悲しい」といった単純なものではなく、説明も制御もしにくい複雑なうねりであることが首肯されるだろう。
論より証拠、この曲を試しに歌ってみたまえ。
文字数や、リズムなど小難しい問題は、あとまわし。
好きにしてよい。
だが、この曲の場合、押さえるべき最も重要な部分は、一番最後のリフレインだ。
♪ バァーーィ、バイ、バイ、バィー
バァーーィ、バイ、バイ、バィー
バァーーィ、バイ、バイ、バィー
バァーーィ、バイ、バイ、バィー ・・・
どうだ、これなら子供でもこなせるだろう。
なに、いまさらながら、どんな曲か知らないって?
ネット万能の世の中だ。検索してみたまえ。簡単に捜せるよ。
私は意図的に、このブログでは、調べればわかる書誌的データ類は欠如させるようにしている。
興味があれば、自分で探せばよろしい。
あぁ、そうだ。
私は、諸君の無反応な石の壁のような心に、ほんの僅かの引っかき傷でもつけられれば、と思って深夜こんな記事を書いているのだ。なめるな。
考えてみれば、ずいぶん親切なことだ。
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