『ガリバーの宇宙旅行』 ('65、日)
よい子のみなさん、こんにちわ。
みなさんは、どんな夢を持っていますか。
職活は、婚活は、うまくいっていますか。おおきなおせわ?ありがとう。
テッド少年は、国籍不明のふろう児。
映画館で映画をただ観しようとして、みつかって放り出されます。
首ねっこをつかまれ、おしりを蹴飛ばされるという、現代では通用しなくなった古典的な手法で。
紋切りがたについて、はすみしげひこ(東大学長)が語っているのを聞いたことがあるでしょう。
凡庸な表現というのは、実はとても重要なものであるのです。
それはともかく。
テッド少年といっしょに映画を観ていた、おっさん顔の犬(まゆげがあります)も、映画館のおじさんにつかまって放り出されます。
テッド少年は、おやもなく、すむ家もなく、しょじ金もなくて、将来にたいする希望をうしなっています。
「いったい、どうしろっていうんだよ?」
ごみ箱に捨てられた兵隊にんぎょうに話しかける少年。
やがて、疲れてみちばたにたおれ、眠りこみます。
そして、夢がはじまります。
だれもいない遊園地のロケット館から、ディズニー的な森のおくにたつガリバー博士の屋敷まで。
未知のうちゅう空間から、隕石ぐん、時間の逆行するふしぎな世界へ。
(だれでも『イエローサブマリン』をそうきすると思いますが、じつはこちらの方が公開はさきです。)
そして、きょだいロボットの反乱によって、崩壊にひんしたあおい希望のほしへ。
いちぶの『王と鳥』(『やぶにらみの暴君』)をごらんになった方は、おきづきのとおりで、ぜんたいのテイストに共通するものがあります。
(いくつかの場面をのぞき)非ディズニー的な志向を持つということや、60ねんだいに隆盛したグラフィックデザインをだいたんに取りいれたポップな色調など。
おまけに、『ガリバー』は(たいして印象にのこるナンバーがないものの)ミュージカルじたてとなっておりまして、さかもと九が歌います。パラダイスキングの科学者軍団も、歌いながら地球人を解ぼうします。
でも、それでスクリーンが騒々しくにぎやかになる訳ではなくって、この映画はふしぎとヨーロッパ的なさめたくうきがただよっております。
デザイン画のれんぞくを丁寧にうごかして、つないだような。
マンガ映画はフルアニメーション(いちびょう二十四コマ)が常識のじだいだったから、逆に可能になったぜいたくな表現です。
東映動画のせんれんについては、多くのことがいわれておりますが、はやい話、われわれがいっぱんに考えるアニメとは隔絶しているということです。
手塚が『鉄腕アトム』('63~66)をTV用にいちびょう八コマで制作したときに、わが国のアニメの歴史はおおきく変わったのです。
“アニメ立国”といった駄ぼらをぶちあげた大ばか者が現れたのも、この流れにそってです。
めんどうなので、このへんのくわしい事情については、アニメーター大塚康生先生の名著『作画汗まみれ』をお読みください。熱のこもった、とてもおもしろい本です。
でも、大塚先生は『ガリバー』はお好みではなかったようで、原画で参加しているのに扱いは二、三ページどまり。まだ新人だったミヤザキハヤオが出ばってきて、ラストの演出をまったく変えてしまった驚きについて述べられています。
ミヤザキが考えたラストとは、ヒロインの女の子ロボットがパカッとあいて、中からぜんらの美少女がでてくる(!)という、オタク世界のあけぼの的展開でありまして、この人は最初からそういう人だったのだなぁー、と納得させられることうけあいです。
でもその場面の作画は、名手森やすじ先生がたんとうされているので、劇場におこしの全国のよい子のみなさんも、危険ななにかを刺激されなくてすんだのでありました。
(寸どめは、名人にしかできません。)
大塚先生が『ガリバー』にのれなかった理由ですが、たぶん、わたしが「ピチカートⅤには賛成いたしかねる」とかんがえていたのと同じではないかと思います。
さて、そんな悪夢からさめたテッド少年は、ごみ箱の兵隊にんぎょうをひろいあげ、おやじ顔の犬といっしょに、朝日のまちへ出ていきます。
すれちがったリヤカーのおじさんに、じぶんから話しかけます。
「おはようございます。」
おやじも、笑ってにっこりあいさつ。
ま、がんばっていきまっしょい、ということですね。めでたし、めでたし。
このおやじがガリバー博士の現実のすがただったら、『タイムバンデッツ』(『バンデットQ』という邦題はどうもなじみません)になっているところですが、そんなこと全然ありませんでした。残念だ。
ミヤザキも、少女のことをかんがえるエネルギーの何分のいちでいいから、もっとこうした洒落た方向にふりわけてくれればいいのに。
日本アニメ再生のために、そう思います。
では、よい子のみなさん、さようなら。
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コメント
来年から幼稚園に通います
鉄腕アトムのお弁当箱と、
ぶぅふぅうぅのデザート箱
を、おかあさんが買って
くれるんじゃないかなぁ。
アニメーション製作に於て
1秒におけるコマ数が
多ければ良いというもの
でもないですよね。
例えば、ディズニーの昔の
長編作品などは,動きが
ぐにゃぐにゃした感じを
受けます。
コマ数を減らすことにより
紙芝居のようなスリリング
なワクワク感を、観る側に
与えます。観賞者の想像力
を喚起させる効果もありますし。。
手塚さんの実験的なアニメ
も幾つか有りますが、観て
いないひとがほとんど,
という状況は嘆かわしい。
ジブリというブランドに
全ての信頼を寄せる大衆や
スポンサーには、もっと
広い視野でアニメーション
を選ぶことの貴重さを提唱したいですね。
投稿: 鉛筆 | 2009年11月21日 (土) 08時35分