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2009年11月25日 (水)

『巨大アメーバの惑星』 ('60、米)

 諸君、これは警告だ。火星に近づくな!

 私がこの映画の存在を知ったのは、小学六年のときである。
 かの、一部に強力な影響を与えたことで有名な伝説の雑誌、月刊『スターログ』日本語版の、最初の別冊『異星生物240』(’78)に掲載された一枚のカラースチール写真である。
 いまなら、これが映画本編からの転載ではなく、宣伝用に彩色されたロビーカードであったと確認できるのだが、

 「宇宙服を着た人々が、(火星の)青紫の空の下、くすんだショッキングピンクの巨大食肉植物と肉弾戦を演じている」

 という図柄であった。子供は単純にわくわくした。
 重要なのはイマジネーションである。
 このころ、ちまたは『スターウォーズ』やら『未知との遭遇』が起こしたSFブームに沸いており、国産の特撮の持つダサさに乗り切れなかった子供は、さっさと洋物に乗り換えてしまった。
 このとき何をもって、(既に所有していた)『スターウォーズ フォトストーリーブック』や『スターウォーズ 特撮の秘密』のメジャー方向へではなく、『巨大アメーバの惑星』方面へ進む進路決定をしたのか。われながら納得のいく説明ができそうにない。
 ただ、この『異星生物240』に紹介されている、膨大な未公開SF映画のリストと、見たことも聞いたこともない映画の不思議なスチール群を眺めながら、果たしてこれらの途方もない数の、すごい(に、違いない!)映画を実際に観尽くすことができるだろうかと、気が遠くなるような思いがした。

 という訳で、この一般的観点からすれば何の価値も無い、トラッシュフィルムは、途方もなく重要な一本だ。
 人間の未知の想像力に訴えて来るものは、すべて重要だ。諸君もそれを大切にした方がいい。現在のCG万能の世の中では、決して生まれ得ない表現の宝庫だ。

 例えば、数人の奇特なアメリカ人の皆さんが着ぐるみの中に入って、巨大食肉植物の動きを演じている。女優は、もちろん自ら触手に捲かれて悲鳴をあげる!
 退治の方法は、世にも手軽な超音波小銃。アニメの発射光を合成で書き込む必要がない!発射音もカットできる!
 この銃で狙われた物体は、どういう作動原理か、凍りつき、触れるとボロボロに崩れてしまう。じゃ、原子分解銃なの?すげぇ。
 序盤では威力抜群のこの銃も、次の敵以降、どんどん役立たずになりさがっていくが、その理由はまったくもって不明だ。謎は深い。

 火星の風景は、単なる書割である。チェズリー・ボンステルほど天体画に気合が入っていない、パルプ雑誌系の普通の画家さんが描いた、ただの絵。どうしようもない安っぽさをごまかすため、それから「火星の空気感を演出する」というもっともらしい演出上のこじつけのため、宇宙船外に出たカメラには、常に茶色いフィルターが掛けられ、オプチカルで反転処理までほどこされている。
 見辛い。
 本当にこれは大失敗で、単に見辛い画面が出来上がってしまっただけなのだが、どうだね、諸君?
 その心意気、なんか、いいではないか。
 その嘘に、喜んで金を払おうではないか。
 
 表題の、巨大アメーバは、解説の冊子によれば、ゼリーに絵の具をつけて熱して動かしたものだそうだ。止まっている場面では、別のミニチュアが用意され、うそ臭いことに巨大な一つ目がついていて、小型モーターでぐるぐる回転している!(パトカーか?)
 しかも、表題に偽りなし、こいつが本当にでかい。
 宇宙船との縮尺で計ると、山ひとつぐらいある。おいおい。どんだけ単細胞生物なんだ。
 こんな胡散臭い相手に襲撃され、人類初の火星探検隊は、あわや全滅しかかるのであるが(実際、気のいい通信技師のおっさんなんか、全身ゼリーに飲み込まれ、溶かされてしまう!)、そこへ、人知を超えた火星人のパワーが働き・・・。

 繰り返す。

 人間の未知の想像力に訴えて来るものは、すべて重要だ。
  

 私は、それを「神秘」と呼びたいのだ。

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