(2017)祈り歌LOVESONG特集

2017年1月31日 (火)

2017.1.8 NHKホール 沢田研二『祈り歌LOVESONG特集』セットリスト&完全レポ

大成功、大盛況のうちに東京国際フォーラム公演・ファイナルのステージを終えた2017年お正月コンサート『祈り歌LOVESONG特集』・・・その1週間後、ようやくツアー初日・NHKホール公演のレポートが完成いたしました。
今回はあのセットリストですから僕も気合が入って、いつも以上に大長文となりました。
にしても、時間かけ過ぎでしたね・・・(汗)。

例のごとく、更新日付を本日1月31日へと移行いたします。
今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。
こちらside-Bは、7月からのデビュー50周年メモリアル全国ツアー開幕まで、しばしのショート・グッバイです。
でも、まだまだ『祈り歌LOVESONG特集』の余韻醒めやらず、と仰るみなさまは、引き続きガンガンコメントくださいね!

☆    ☆    ☆

い~や~、やられました。
さすがはジュリー、やっぱりジュリー。ロック史上空前絶後のとてつもないステージを魅せてくれました。
これほど「ツアー初日に参加できた」ことに感謝したセットリストは、今後含めて無いんじゃないかな。

毎回毎回”全然当たらないセットリスト予想”な~んて言いながらも「ジュリーに予想以上のものを提示して貰えるのが嬉しい」と感じている僕ですが、今回はもう、根底からすべて覆されたと言いますか、脳天劈かれたと言いますか。
『祈り歌LOVESONG特集』でジュリーは、既存のどんな「ロック・オペラ」も吹き飛ばしてしまいました。今、この日本の沢田研二よりもロックな歌手が世界に1人でも存在すると言うなら、挙げてみて欲しい。

『PRAY FOR EAST JAPAN』から『PRAY FOR JAPAN』。全世界の生きとし生けるものすべてへ。
2012年から2016年まで、毎年3月11日にリリースし続けた5枚の4曲入りマキシ・シングル、5年全20曲の揺るがぬコンセプト。
被災地の現状、襲い来る風化、原発再稼働、迫る戦争の跫音・・・歌うはジュリー、全作詞・沢田研二。

組曲『PRAY FOR JAPAN』とも表現したくなるセットリストだけど、やっぱりこれは『祈り歌LOVESONG特集』と言うよりなく・・・今思えば正に「これしかない!」ツアー・タイトルだったのですね。
しょあ様のブログで、カオリー様がコメントに書いていらっしゃいました。「LIVEが終わってチケットを見たら、セットリストがそこに書いてあった」と。
まさに仰る通りでした。

曲が進むに連れ、僕はジュリーの歌声と志に圧倒され、沸きあがってくる勇気に奮い立ち・・・隣のカミさんはと言えば本当に珍しく(ジュリーのLIVEでは初めてかな)涙を流しながら聴いていました。
後で「全人類に贈る音楽劇『LOVE&PEACE』のようだった」とカミさんは言っていましたが、肝心なのは、ここで歌われたのが架空の物語ではない、ということ。
2012年以来一貫してジュリーが取り組んできた「誇大でない現実を歌う」20曲。さらにはアンコールで歌われた今年2017年の3月11日にリリース予定という新曲2曲にもそのコンセプトは変わらずあり、ジュリーが「自分はこれをやるために今まで続けてきたんだ」と覚悟を決めていることを改めて実感させられました。
「惚れ直した」どころではありませんよ。本当に参りました。やられました。

それにしても・・・僕はこのセットリストにただただド肝を抜かれるばかりでしたが、どうやら幾人かの先輩方はこれを予想していらした、という。
心底、畏れ入ります。
そうして考えてみれば、これをやるなら今回、この2017年のお正月しかあり得なかったんですよね。
5年かけて20曲になった、その曲数もさることながら、デビュー50周年から70才超えとなる2年がかりのメモリアル・イヤー直前の、このタイミングしか無かったわけで、先輩方は当然そこまで考えていたのでした。
トンチンカンなセットリスト予想を書いていた自分が恥ずかしいばかりです。

そんな中、こんな僕のような者でも辛うじて誇れる点があったとすれば。
この日、次々に繰り出された1曲1曲それぞれについて僕は、完璧とまでは言えなかったにせよ歌っているジュリーより先にスラスラと次節の歌詞が出てきましたし、どのメンバーが作曲したのか、リリース時のオリジナル・アレンジはどうだったか、楽曲構成からコード進行まで頭に残っていました。
記憶に新しい昨年の新譜4曲や、リリース年以降もセットリスト入り率の高い「F.
A.P.P.」あたりの曲ならそれも当然かもしれませんが、「もう2度とは生で聴けないかも」と決めつけていた名曲達についてもそれができた、というのは自分でも驚くべきことでした。
これは何かって言うと、やっぱり僕はこれら5枚の作品、20曲について、リアルタイムで文字通り真剣に聴き込み、ジュリーの言いたかったことや曲の狙いは正しく理解できなかったかもしれないけれど、歌詞の一字一句はもちろん、鉄人バンドの演奏やアレンジまで、どんな思いが込められているのかと考えに考え抜いて、懸命になって真面目に考察記事を書いた・・・それで身について今まで残っていたのかなぁ、と。

そして、ジュリーがこれら20曲を一気に歌い切るというのがどれほど大変だったかも本当によく分かる気がしましたし、ジュリーの「心を込めて歌う」イコール「作った時の気持ちになろうとする」感覚が7曲目の「一握り人の罪」からのバラード連打で次第に加速してゆく感触もビンビン伝わってきました。
「無心」という他ない歌声に魅せられ、酔いました。

加えて、終演後に凄まじく元気が湧いてきたという・・・これが何より大きい。
2012年以降のジュリーの20曲にその都度真剣に対峙したおかげで、僕はそれぞれの曲で提示された様々な問題を「考える」ことについて今は日常的にできるようになっていて、今回このセットリストを前にしても、テーマに戸惑ったり後ずさりしたり、負荷を感じるようなことは一切ありませんでした。
「身近なテーマのメッセージ・ソング」ばかりで。
「こうだったら良いなぁ」「僕はこう思うなぁ」という日頃の思いをおさらいする感覚。
特に「un democratic love」や「FRIDAYS VOICE」「一握り人の罪」あたりは「ドンと来い!」って感じで。
この日は風邪が治りきらないままの参加となり、雨の中の入場前行列待機(定刻を過ぎてもなかなか入れなかったんですよ~)の寒さで具合が悪くなりかけて一緒にいたカミさんやMママ様に心配をかけてしまっていたのに、打ち上げでは一転、「食欲が止まらん!」状態となりみなさんに呆れられていたほどでした。
「un democratic love」を聴くと食欲バリバリになるのは、昨年からずっと変わらないなぁ。

実は僕は今回の初日のステージを体感していて、その素晴らしさに圧倒されつつも、不思議と「涙が上ってくる」ということは無かったんです。ちょっと変な表現で言うと、どの曲も過去に僕自身の中でそこは一度オトシマエがついているんですよ。
そりゃあ、「Deep Love」や「櫻舗道」を生であの歌声で歌われたら普通の気持ちではいられません。でも、これは本当に特殊な感想なのでしょうけど、それ以上に楽しかった、嬉しかった・・・僕はそれに尽きるのです。

それにね・・・僕がこの本文にとりかかる前に、名古屋公演を直前に控えたgoma様がはからずもコメントに残してくださったキーワード「一対一」。今回は何と言ってもこれですよ。ここまでステージ上のジュリーと会場の1人1人が「一対一」で向き合っている感覚になれるLIVEなんて、今回だけなのではないでしょうか。
それはお客さんばかりでなく、取材に訪れていた記者さん達にとっても同じだったはず・・・なのに。
世のメディアのみなさま、あの会場にいたのなら、貴方達は歴史に選ばれた幸運な伝授者です。土下座のシーンに触れるな、とは言いませんが、何故一番大切なことを真っ先に見出しとして伝えないのですか?

あ、すみません。連休明けの10日に出社したら、朝イチでいきなり会社の同僚に「沢田研二、バカウケじゃ~ん!」と話しかけられて絶句したりしたもので。
世の話題になること自体は嬉しいんだけどね・・・。

これから僕は、どんなふうに歌と演奏を楽しんだか、どんなふうに嬉しかったか、ということをメインに1曲ずつレポートを書いていきます。
結構少数派の感想ばかり書くことになるかと思いますが、「こんな感じであのステージを観ていた奴がいるのか」と、みなさまにお伝えできたら嬉しいです。

また、それぞれの曲について過去にリアルタイムで書いた考察記事を自分でもう一度読み直し振り返りながら(時間が経てば経つほど粗が見えてきて恥ずかしいんですけどね)、その後個人的に思うところや、「現実」についても書いていけたらと考えます。例によっての大長文ですけど、よろしくお願い申し上げます。
それでは、開演です!


1曲目「
福幸よ

Undemocraticlove


想い出が近すぎて 笑顔だけ戻っても
青空痛い 流れた何もかもと
後悔に懺悔 忘れるもんか


この日のステージを体感して僕が感銘を受けたのは、もちろんジュリーの歌ばかりではありません。バンドの演奏が本当に素晴らしかった!
「ツアー初日」の完成度としては、2014年お正月の『ひとりぼっちのバラード』に比するものがありました。
一体どのくらいのリハを重ねたのでしょうか。いや、あの統一感はリハの回数以上に、メンバーそれぞれの覚悟が生み出していたのかもしれません。

今回のセットリスト、アンコール前のMCでジュリーが疲労困憊を吐露していましたが、同じくらいに大変だったであろうメンバーが柴山さんです。
2015年までの4枚について言えば、新たなベースラインを作ることになった依知川さんも相当大変だったでしょう。しかし柴山さんは多くの曲で下山さんのパートを取り込んだ「1人2役」を担い、しかもアレンジを変え・・・。
さらに4人のアンサンブルは、昨年同じメンバーでステージに臨んだ『un democratic love』収録4曲についても進化を魅せてくれたのです。特にこの「福幸よ」と「犀か象」の2曲は大きく演奏のアプローチを変えてきました。イントロのギターから、いきなりね。
ロック・バンドの真髄ここにあり!です。
エンディングのリフレイン部、まず2回依知川さんの16分音符のソロがあり、3回目は柴山さんがユニゾン。僕が確認できたのはそこまででしたが、後に泰輝さんにピンスポットが当たっていた箇所もありましたから、何らかのアレンジの進化がそこにあったはず。

それにしても柴山さん、年々「背負い方」が尋常ではなくなってきている・・・そう感じませんか?
演奏のことだけではありません。
作曲についても、改めてこの「福幸よ」のサブ・ドミナントの徹底したマイナー変換。「進んでゆく」曲だけれど、それは平坦な道では決してなく、何度も何度も躓いて、挫けそうになって、それでも顔を上げて進んでゆく・・・柴山さんのコード使いはきっとそんなことを表現しています。これほどの「詞曲一体」は、20曲の中でも一、二を争うでしょう。

この日曲が進むに連れて、僕が心配げに「どれほどのものを背負っているんだろう」と思ってステージを観れば、いやいや柴山さんは穏やかです。自然体です。
「好きこそものの上手なれ」を究極まで突き詰めたギタリストにとって、ステージ上でのパフォーマンスは最高に楽しい時間に違いありません。
すべての演奏が終わり、最後の退場のシーンではいつものように最後の1人となり笑顔でお客さんに手を振ってくれた柴山さん。でも、楽屋に戻ったらホント疲れたんじゃないかなぁ、とも思うんですよね・・・。

ジュリーの声は最初の2曲ではまだ本調子ではないようでしたが、畳みかけるニュアンス、発声にはこの1曲目から並々でない「気持ち」を感じました。

2曲目「
F.A.P.P.

38


BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
哀しみは ひとりひとりで違うよ 当然

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

ここまでの2曲は、この直後のMCでの「セットリスト宣言」前でしたから、「おぉ、いきなり柴山さんの曲連発か~」と呑気に(?)に考えていましたね。多くのみなさまがそうだったでしょう。
2012年以降の楽曲の中では最も多くツアーで採り上げられている名曲です。

で、「鹿児島県人」の僕は今ジュリーにこのテーマを歌われると、やっぱり胸がチクッとするわけです。
と言うのは・・・。

昨年、現職知事の失言騒動による自滅の要素はあったとは言え、保守色の強い土地柄の鹿児島としては異例の結果となった県知事選挙。当選したのは「脱原発」を掲げた三反園さんでした。
これは、熊本地震を受けて完全に「川内原発」が争点となった故の結果です。選挙があの時期でなければ三反園さんに勝ち目は無かったでしょう。つまり、普段例えば自民党推薦候補者に投票するような人の多くが、その時ばかりは「川内原発を止める」と言った三反園さんに票を投じたということ。
「野党が支持された」わけではないのですよ。

それだけに、保守だの革新だの抜きにして三反園さんへの県民の期待は大きかったのですが・・・三反園さんは1年も経たないうちに「県知事に再稼働を止める権限は無い」などと「それを言っちゃあおしまいだよ」みたいなことを平気で言うばかりか、「こちらが何を言っても九電は原発を動かすんだろう」といった「人のせいにして白旗を揚げる」ような発言も。
早い話が「消極的再稼働容認」です。
これは「変節」とすら言えない・・・意を決して三反園さんに投票した県民からすると「この人は腰抜けであった」ということになるんです。
「こんなことなら前知事のままの方がまだ良かった」と考えている鹿児島県民は、相当数いるでしょう。当然、次の国政選挙にも大きく影響するでしょうね・・・。
いやはや、ただの1年も志を持ち続けられないとは情けない。「ジュリーを見ろ!」と言いたいですね。5年続けてきて、これからも続けていく男の矜持を。

この日の演奏はオリジナルよりテンポ速めだったと思います。縦ノリの「福幸よ」と続いているから、敢えてそうしたのでしょうか。

歌詞中の「当然」はすべて「東電」と歌いましたよね?
最高音部は喉を絞り出すように歌ったジュリー。この時点ではまだ「気持ちの方が声より先を行っていた」感じだったかなぁ。
MCを挟んだ次の「3月8日の雲」で、いよいよジュリーの喉にスイッチが入ります。

~MC~

「あけましておめでとうございます!」の第一声に、思わず反応して頭を下げてしまったという・・・この日授かっていた1階C8列は、そのくらいジュリーがよく見え、身近に感じさせてくれる素晴らしい席でした。感謝!

「今日がいわゆる”仕事初め”です」とのことでまず自らを「准高齢者の沢田研二」と。
この「准高齢者」ネタのおかげで、ステージ最初のMCコーナーとしてはいつもよりちょっと長めのお喋りタイムとなりました。ジュリーファンとしてはラッキー!

先頃お国が決めた「75歳以上が”高齢者”で、65歳から74歳までは”准高齢者”」にもの申すジュリー。
老人だ老人だと思ってやってきたのに、国から突然「あなたは老人ではない!」と言われてしまい・・・老人だと思っているから頑張ってきたのに、老人じゃなかったら「頑張って当たり前」ってことになるじゃないか、とのことで、「あの還暦は何だったのか!」とお客さんを大爆笑させてくれたのは、この時だったか、アンコール前のMCだったか。
「みなさんもそうでしょ?自分は老人だと思っていたら、いきなり何か新しい種族に奉られたみたいで」
ですって。
ジュリー、本当に面白い表現しますねぇ。

しかし・・・ジュリーのユーモアには笑っていられるけど、こりゃ僕のような世代は「75歳まで年金が受け取れない」未来が来るのを我が身のこととして覚悟しなきゃいけないなぁ、と改めて思いました。
個人的には、「75歳」なんて言われてもそこまで生きてる気が全然しないにしても。

つまり、僕がもし60歳になっても65歳になっても70歳になっても年金が貰えなくて、なおかつまだ元気に生きていたとしたら・・・なんとか働いて、その頃には名実ともに「高齢者」となっている(笑)ジュリーの年金を微力ながら負担します、ということですな。まぁジュリーはそれでもまだまだ働いているでしょうけどね!
僕が75歳の「高齢者」に無事到達できたら、その時ジュリーは93歳。元気に歌っていて欲しいです。

で、唐突に・・・というほどでもなかったと思うけど、ジュリーの「セットリスト宣言」がありました。
2012年以降の5枚のマキシシングル収録全20曲、今日はそのすべてを歌う、と。
その試みをジュリーが「大胆な」と自分で表現しただけのことはあって、会場にはどよめきが起こりました。

そんな中、僕は「マジですか~!」と、カミさんは「やっちまったな~」と声が出ました。
いえ、誤解しないでください。僕ら2人ともそのセトリ宣言を「嫌だ」と言ったのではありません。その時僕らの頭の中には、オーラスのフォーラムで初のジュリーLIVE参加が決まっている、カミさんの仕事絡みの4人のお姉さま方のことがよぎったのです。
僕が代行して澤會さんでチケットを申し込んだわけですが、「こりゃまた、よりによって凄いセトリの時に当たっちゃったな~」とね。
でも、LIVEが終わって、打ち上げでお腹もいっぱいになって大満足で帰宅する途中の電車内で、「今回初参加で、先入観がまったく無いというのはかえって良いんじゃないか」と話しました。
元々その4人のお姉さま方には、「お正月のコンサートはマニアックなセットリストになる傾向が強く、有名な曲を多く聴きたいなら夏からの全国ツアーの方がおススメです」とお伝えしたところ、「それでもいい。今の沢田研二の生き様が見たい」とお返事頂いていた、という経緯がありました。
今のジュリーの生き様を見たい、ということならこれほどふさわしいセットリストもないわけで。

最初のMCの〆に「一生懸命つとめます!」と言って片膝つくのはもうお馴染みとなりました。
さぁ、どの曲が飛び出すのでしょうか。どんな歌声とアレンジが聴けるでしょうか。僕自身にも「特別なLIVEを楽しむ」スイッチが入ったMCでした。

3曲目「
3月8日の雲

38_2


泣いてもしかたない笑っていなきゃ
忘れたことなど一時もない 3月11日の空は
やり切れんです そよ風に疼きます


2012年のリリース当時、この曲や「恨まないよ」を聴くごとに感じていた「非・被災者の卑屈」な感覚が今の僕には無くなっていて・・・でもそれは風化なんかじゃなくて、心構えの進化だと自分では思うんですけど、ステージ上のジュリーから「陽」に近いオーラが感じられた、というのはやっぱり少数派の感想なのかな。

シリアスなこと、重いテーマを歌っているからと言って、それを「楽しめない」というのは勿体無いことだと僕は思う・・・ジュリーはこんなに素晴らしいのだから。
2012年から2014年までのツアーで、ジュリーに「悲壮感」を感じていたのは、もしかすると受け取る側の僕らの思い込みだったのかもしれない、とすら思われるほどに、この日のジュリーのオーラは明るかったです。

僕が今回、躊躇なく「楽しい!」「嬉しい!」「凄い!」と夢中でステージに集中することになったのが、この3曲目「3月8日の雲」以降でした。
直前のMCで、2012年以降のあの曲達を全部やってくれるんだ、と分かって・・・ジュリーとの「一対一」の感覚へと完全に気持ちが切り替わったのです。

そして、「スイッチが入る」ことについてはジュリーもこの曲からだったと感じました。
お客さんにセットリストの「告知」をして覚悟が決まる、という部分があったんじゃないかな。これは初日に限らずフォーラムまでずっとそうではないでしょうか。

「怒り」「悲しみ」ともつかない、ギリギリと歯軋りするような感情、ジュリーが表現したところの「みょうな感じ」・・・そんな歌を再現するために、ジュリーは「作詞した時の気持ち」に戻らなければなりません。
大げさにシャウトするわけでもない、地の底から湧いてくるような発声に気持ちが乗り移り、「あっ、ジュリーの声が変わった!」と思いました。
ここから先のセットリスト、ジュリーの歌はどんどん素晴らしくなっていきます。「無心」の歌が気持ちにまで追いつき心身一体となったのは、7曲目の「一握り人の罪」だった、と僕は思いましたがその話はまた後で。

まず何が楽しいって、「うわ、ベースが入るとこうなるのか!」という曲が正にここからだったから。
この日のバンドの演奏で特筆すべきは、柴山さんがただの一度もアコギを使用しなかったことです。
鉄人バンド期の4枚の曲のアレンジはアコギ導入率が高くて、そのほとんどを下山さんが担っていました。もし今回柴山さんが1曲でもアコギを弾いたら、僕は「あぁ、下山さんはここにはいないんだ・・・」と寂しい気持ちに駆られていたでしょう。
「福幸よ」の項で書いた、柴山さんが背負った「アレンジの変化」とは、オリジナル・ヴァージョンでアコギが活躍する曲でこそ真価を発揮していたと言えます。

2012年のツアーでの「3月8日の雲」は、CD音源と同じくまずは下山さんのアコギとGRACE姉さんのドラムスのみの演奏で始まりました。ツアー初日はテンポが速くて「さすがに鉄人バンドの猛者2人も緊張しているのかな」と思って聴いたことをよく覚えています。
一方今回はGRACE姉さんのドラムスに載せて、ハードロック王道の特徴的な主進行を柴山さんと依知川さんがユニゾンで弾く、という新たなスタイルで幕開け。
「レ~、ド、レドシ♭ラ♪」のオブリガートをベースで再現する依知川さんに痺れます。
柴山さんの方は、2回し目からはリフに加えてカッティングのニュアンスも出さないといけませんからこりゃ大忙しだ!(2012年の時は、「ちゅくちゅくちゅくちゅく・・・」のカッティング・スタンバイが観られました)

Aメロ途中から噛み込む泰輝さんのオルガンは正に「切り裂く」かのような演奏です。
そう、この曲は泰輝さんの作曲作品。5年間で泰輝さんが作曲した5曲のうち、ただひとつ「バラードではない」曲がこれです。
初めて『PRAY FOR EAST JAPAN』のテーマで曲を作って欲しい、とジュリーから依頼されて鉄人バンドのメンバーが作曲した『3月8日の雲』収録4曲は、4人それぞれの当時の気持ちがよく伝わる作風だった、と僕には思えてなりません。
泰輝さんはあの年、激しく怒っていたのか、無力感に苛まれていたのか・・・そこまでハッキリ分かるわけではありませんが、泰輝さんの気持ちはこの曲想から感覚として受け取ることができる、と思っています。

ジュリーの「そよ風に疼きます」の鬼気迫るヴォーカル。そして演奏がドラムスだけになる「後悔ばかりです」から最後の一節「折れないで」までの声の繋がり・・・「圧巻」と言うには凄まじ過ぎます。
「3月8日の雲」のアレンジ最大の個性は「唐突なエンディング」ですが、ラスト1音に合わせて「グッ」と顔を上げるジュリーの仕草は2012年と同じ。
ジュリーの志は5年経とうがこの先何年経とうが変わることはないのだ、と思いました。

4曲目「
東京五輪ありがとう

Sannenomoiyo_2


東日本の復興には もっと時間が必要
東京五輪まであと3年 成功復興叶え
あの町を忘れないで 思い出して
遠い町の 出来事じゃない


2012年からの5枚の作品はいずれも素晴らしい名盤ですが、みなさまの「特に好きな1枚」はどれでしょうか。

僕はまず『3月8日の雲』がリリースされた2012年、「これは凄い。圧倒的な1枚」だと思いました。ところがその後新譜が届けられる度、毎年のように「う~ん、これまた凄い、甲乙つけ難い」と思い続けて計5枚。
それぞれに違った思い入れや、「好き」のベクトルがある中で、僕は収録4曲の曲想バランスや音楽性については『三年想いよ』推しとなっています。
「櫻舗道」と「一握り人の罪」(+みんな入ろ」)は最初から大好きで、後にその年のツアーを体感しタイトルチューンの「三年想いよ」でのジュリーと鉄人バンドのパフォーマンスに感動、特別な1曲となりました。

そして今回、セットリスト4曲目に配された「東京五輪ありがとう」・・・こんなに素敵な曲だったか!と。
後日改めて『三年想いよ』の歌詞カードを眺めていて、詞も曲も収録4曲それぞれ突出したパワーがあって、バランスの良い1枚だなぁと。
ジュリーが今回歌った5枚をまだCDで聴いていないお客さんがいらっしゃったら、「導入篇」としては意外と『三年想いよ』が最適かもしれません。

元々、「東京五輪ありがとう」についてはベースが入れば「化ける」曲だとは思っていて、2020年には依知川さんのベースで聴けるのかなぁと勝手に予想していましたが、今年ひと足早く「重厚なロック・チューン」の真髄を味わうことができました。
イントロの依知川さんのフレージングはビートルズの「サージェント・ペパーズ~」のようでした。着地するトニックにマイナーとメジャーの違いはありますが、コード進行がちょっと似ているんです(この2曲のイントロの類似については、YOKO君がリリース後早々に発見していました)。「さぁ、始まるぞ!」という独特の臨場感は、低音が似合う「イントロ限定」の見せ場です。

他パートが頭打ちでアクセントを決めるギター・ソロ部、柴山さんのギターはさながら咆哮のようでしたが、僕には「軽快」とも受け取れました。
「柴山さんが弾くからこそ」という部分は他のどの曲にもあるでしょうが、「東京五輪ありがとう」にはそれが特に強いように思います。

あと、この曲がそうだったどうかはもう覚えていないんですけど、今回のツアーでは柴山さんがステージ前方までせり出してきてソロを弾く(エフェクターを踏んで単音の音を太くする、或いは音色を変えてからカッ飛んでくる)曲では、ソロが終わる時に「エフェクトを切る」役目をローディーさんが受け持っていました。
タイミングを見計らってローディーさんが入場してエフェクターを切ってくれるので、従来のツアーより柴山さんが前方に留まっている時間が長くなります。
この日、何曲かでそんなシーンを見ていて「なるほど、こりゃ柴山さんのファンにとっては嬉しいアイデアだ」と僕はそうんなふうに思っていました。

でも実はそれはすべて「あの曲」への伏線でした。

その瞬間の「目からウロコ」と言ったらもう・・・でもそのお話はまた後で(←焦らしてばかりですみません)。

ジュリーは「東京五輪まであと3年」と歌いました(本来の歌詞は2014年に作られた「あと6年」)。
もう『三年想いよ』から3年、あの震災の年から6年が過ぎました。果たして復興は成ったのか、原発事故は「アンダーコントロール」などという言葉の通りに終息したのか・・・現実はまったく違います。
経済産業省は昨年12月、東京電力福島第一原発の廃炉および事故対応費用(賠償など)を、従来の試算の倍、21兆円超と上方修正したそうです。
僕らには現実感すら沸かない数字です。そもそも、お金だけで解決するようなことでしょうか。

ジュリーが「あと6年」の時点で警鐘を鳴らした「復興にはもっと時間が必要」が身につまされます。
「東京五輪ありがとう」というタイトルの意味を、僕らは皆で考えなければなりません。

5曲目「
Uncle Donald

Pray


あなたの言葉の続き知りたい
手繰って紡げば糸になる
あなたの言葉が突き刺さった日
胸に刻みつけて


これも「3月8日の雲」同様、「リリース年のツアーが終わったら、二度と生では体感できないだろう」と勝手に決めつけていた曲のひとつでした。

『東京新聞』を購読している人なら、ジュリーが2013年にドナルド・キーンさんに深い親愛を込めて「知りたい」と歌った「あなたの言葉の続き」を、キーンさんの手記『ドナルド・キーンの東京下町日記』連載で継続して「知る」ことができていますね。
90歳を超えたキーンさんは手記の中で、その長生きの秘訣を「特に何も気をつけないこと」だと笑い飛ばしていたことがありました。これ、僕らがあやかろうと思ってもなかなか難しい・・・キーンさんはジュリー同様「特別な気構えを自然体で持つ人」なのでしょう。

連載でのキーンさんのお話は、被災地への想い、自身の戦争体験談など多岐に渡りますが、「忘れてならないことは忘れない」「言わねばならないことは言う」というスタンスの中でも、「日常」の楽しみ、堂々と生きることの「喜び」を隠さず、それをメッセージに「生かす」・・・そんな個性があり、それはキーンさんの日々の生活そのものであるようです。
そのあたりはもしかしたらジュリーと共通しているのかもしれない・・・キーンさんは「文学」、ジュリーは「歌」にその根っこがあるのかなぁ。

「忘れてはならない」のはもちろん3・11だけではありません。はからずも僕が今この「Uncle Donald」の項を書いているのが1月17日。22年前、阪神淡路大震災が起こった日付です。
僕が今なおこの日付を身近に刻み続けていられるのは、当時カミさんが現地で震災を体験し、目の当たりにした大きな被害について時々話をしてくれることがまずひとつ。

もうひとつは、尊敬している将棋棋士、森信雄七段(「西の名伯楽」と言われ、多数のプロ棋士を弟子として育てていることで有名。昨年映画化された『聖の青春』の主人公である故・村山聖さんが森七段の一番弟子でした)がこの日を「一門の日」と定め、門下一同で祈りを捧げ続けていることをブログなどで毎年発信してくれるからです。
阪神淡路大震災では、森七段の弟子であり奨励会(プロ棋士養成機関)に所属していた故・船越隆文さんが、当時17歳の若さで犠牲となってしまいました。以来森七段は「一門の日」に必ず船越さんが犠牲となったアパートの跡地に弟子を集合させ、自身の家族、船越さんのお母さんらと共に鎮魂の祈りを続けています。
(「前日」16日に森七段がupしたブログ記事は
こちら。「当日」の17日は皆がアパート跡地に集まったはずで、そのことも近々に記事にしてくださるでしょう)。
(また、1年前のネット記事になりますが、森七段と船越さんのことが書かれた記事が
こちら

森七段は先日、「阪神淡路大震災の日が近づくと毎年、身体のどこかが反応して心身のバランスを崩す」とブログで吐露されていました。
「大切な人を不条理に失ってしまった」人が抱えているそうした心情を、僕らも常に胸に留めておかなければならない・・・そう考えるばかりです。
森門下も今では震災当時まだ幼い子供だった若い弟子達が続々とプロ棋士となっていますが、船越さんはじめ震災の犠牲となった方々への「祈り」は彼等にも間違いなく受け継がれています。

僕は、キーンさんが文章を書いていることやジュリーが同じテーマで新譜をリリースし歌い続けていることにはそういう意味もある、と思っています。
キーンさんの痛ましい戦争体験は、戦争を知らない僕のような世代の胸にも確かに響いています。
そして・・・ジュリーにも若いファンが増え続けています。いずれ、東日本大震災の記憶を持たない世代のジュリーファンも現れるでしょう。
でも彼等は3・11をリアルタイムでは知らずとも、きっとジュリーの歌から「祈り」を受け継ぐことになるはずです。今そんなことを考えていると、ジュリーがNHKホールで歌った「Uncle Donald」で、「人は変われる」の歌詞部に僕が特に胸を打たれたことも納得できるのです(正確には「人は変われ」+「RHU」)。

さて、2013年の「Uncle Donald」の演奏で強烈に印象に残っているのは、何と言っても下山さんのアコギ・スタンドの採用でした。ごく狭い世間で「遂に衆人ガン見の中で霊力を!」と話題になったものです。
その後その手法は『昭和90年のVOICE∞』での「カガヤケイノチ」の再演、2014年全国のツアーでの「こっちの水苦いぞ」にも受け継がれました。

それを今年のこの曲では柴山さんがエレキ1本でやり遂げた、という・・・しかも柴山さんの演奏は、下山さんが再現していなかったエンディングのジェット・サウンドまで網羅しているんですよね。
この柴山さんの大活躍には、やはり依知川さんの考案したベース・ラインが不可欠だったと思います。2013年に柴山さんがパワー・コードを担っていたアレンジ・パートを、依知川さんがスタッカートの効いたエイト・ビートに置き換えたのです。
ベースの低音で奏でられるクリシェは格別でした。

そして改めて感じたのが、この曲をはじめ今回歌われた下山さんの作曲作品4曲が、いずれも素晴らしい名曲ばかりだということ。
他に「似た曲」が無い個性派ジュリー・ナンバー4曲。
バンドへの復帰はもちろんのことですが、またいつか下山さんが提供したジュリーの新曲が聴きたい、と僕は切望しています。

6曲目「
犀か象

Undemocraticlove_2


地震多発も犀か象 舌の根乾き犀か象
神をも畏れない犀か象


柴山さんの「じゃら~ん♪」の音合わせからGRACE姉さんのカウント。その数秒のシーンだけで「おっ、次はこれか!」と分かりました。
昨年のツアーの記憶も新しい「犀か象」。
ところがところが、同メンバーでの再演にも拘らず、これがまた「福幸よ」以上にアレンジを変えてきました。

大きく変わったのはAメロ、作曲者でもある依知川さんのベースライン。
溜めを効かせたオリジナル・ヴァージョンが、明快、軽快なエイト・ビートに進化していました。
これはジュリーのリクエストではないか、と僕は推測します。確かに「原発再稼働」をテーマとしたシリアスなメッセージ・ソングだけど、ジュリーとしては「楽しく、軽快に」歌いたい曲なのではないでしょうか。そこで、昨年のツアーの経験、感触を踏まえ、「もっとビートを強調して!」とバンドに提案したんじゃないかなぁ。

僕は昨年この曲の考察記事で、「動物たちが賑やかに登場する、一見楽しげなポップ・チューンが、実はとんでもないメッセージ・ソングだった」という狙いのニュー・ウェイヴの手法を見た、といったことを書きました。この考えは今も変わっていません。
ジュリーをよく知らない人がひょんなきっかけで「犀か象」というタイトルの楽曲の存在を知ったとします。特に子供達。「なんだろう、どんな曲だろう」と思って聴いてみたら・・・という、そのインパクトですね。

川内、伊方、玄海・・・今この国は各地で「再稼働」「再稼働」の合唱状態です。
知事は青海鼠で、国は鹿馬。
万が一2011年の福島の事故のようなことが再び起きてしまったら、誰が、どのように責任をとるのか。
犀に腹を切らせようと言うのか。
象に廃棄物を食って貰おうと言うのか。
「できもしない」とジュリーは歌います。「安全じゃないっしょ」と、それは誰しもが分かること。
それでも再稼働に突き進む国の意図とは何なのでしょう。経済なのか、「潜在的核保有」なのか。

でもジュリーは、新たなアレンジを得て、この曲を今年も楽しげに「陽」のオーラをふりまきまがら「犀か象」をハッキリと「再稼働」と変えて歌い、躍動します。
「バイヤ」の清々しさ。躊躇の無さ。
「いざ間奏」の合図となる「パオ~ン!」の雄叫びは、大きなアクションで象の鼻を振り上げてくれました。

良質なポップチューン、かくあるべし。
LIVEでの体感はまた格別。
改めて確認したコード進行の面白さもあって、僕はますますこの曲が好きになりました。

7曲目「
一握り人の罪

Sannenomoiyo_3


原発に乞われた町 原発に憑かれた町
神話流布したのは誰 一握り人の罪
原発に怯える町 原発に狂った未来
繰り返すまい明日に 一握り人の罪
嗚呼無情


柴山さんのエレキによるコード・ストロークからスタート。一瞬「ん?どの曲だ?」と戸惑いましたが、柴山さんのフォームを見て、これは「一握り人の罪」だ!と。

ただ僕はコード進行が頭に残っていた(泰輝さんが好きなビリー・ジョエルの曲「場末じみた場面」を思わせます)からすぐにそれと気づけただけで、過去に採譜をしていなかったら果たしてジュリーの歌が始まるまでにこの曲だと把握できたかどうか。
みなさまはいかがでしたか?
ジュリーの歌が始まるまで「一握り人の罪」とは分からなかった、と仰るお客さんが多くいらっしゃったとしても不思議ではない・・・そのくらい、アコギとエレキの印象って(この曲の場合は特に)違うと思うんですよ。特に「伴奏がギター1本」の状況だとね。

ジュリーのヴォーカル、僕はこの曲で「来た!」と思いました。8年LIVEを観続けてきて新規ファンなりに体験している、「ジュリーの一番良い時」の歌声・・・気持ちと声が完全にリンクして、無心無垢となったジュリー。ただそこには「歌」がある、という感覚。
何度かそんなジュリーを体感してきていますが、これまでで一番強く印象に残っていたのが2012年『3月8日の雲~カガヤケイノチ』びわ湖ホール公演での「恨まないよ」です。
表現のしようが無いほど素晴らしかったあの時のジュリーの歌声の感覚が、今回のNHKホール、7曲目「一握り人の罪」でスパ~ン!と降りてきました。
そして驚くべきは、そんなジュリーの「無心無垢」がこの後バラードが連続して配されることになるセットリスト(14曲目「Pray~神の与え賜いし」の1番までの間)で、ずっと継続したのです。

だからこそ、14曲目での出来事があった、と言えます。
後でも書きますが、僕はあのアクシデントが起こったことはジュリーとお客さんが良い意味で「我に返る」タイミングとして良かったんじゃないか、と思っています。
そりゃあ、「一握り人の罪」以降数曲のバラードで僕が感じたような素晴らしい感覚をLIVEの最後まで持ち続けることができれば最高ではありましょうが、もしそうなったらもうジュリーは人間を超えてしまうと言うか、別世界に行ってしまうと言うか、到達して燃えつきてしまうと言うか・・・とにかく尋常ならざる事態になっていたのではないか、と想像するのです。
変な話、そこまでのジュリーを魅せて貰うのは、最後の最後にとっておきたい、と僕は思ってしまいました。
ジュリー110歳くらいのLIVEでね(その時僕はもうこの世にいないでしょうけど)。

それにしても、何と美しいメロディーでしょうか。
僕はこの5年の泰輝さんの作曲作品の中では抜きん出て「un democratic love」にZOKKON状態だけど、この「一握り人の罪」は泰輝さん自身が純粋にそのメロディーに最高の手応えを得ている傑作かと思います。

あと、今回この曲で感動させられたのは依知川さんのベースでした。
ジュリーの無心無垢のヴォーカル、そして柴山さんがエレキを弾いてくれたイントロのおかげで、オリジナル・アレンジに強い思い入れを持つ(「この曲は柴山さんと下山さんのツイン・アコギ!」という特別な感情)僕も、自然に新たなアレンジに気持ちが入りました。
「一握り人の罪」で聴く、まったく新しい音・・・依知川さんが考案したベースラインは、まず小節の頭でルート音を可能な限りのフレット最低音で弾くロングトーン。
それを受ける次の音は思いっきり高音へと跳ね上がり、そこから小刻みに音階を下げてゆくフレージング。高音から降って「これ以下はない」ところまで辿り着いた低音が、次のルート・ロングトーンへの着地点です。
ベース演奏についてよく「レベルが高い」と言われるのが、「次の小節へと向かってゆく」感覚。それを依知川さんはじっくりと、澱みなく続けてくれました。

ジュリーと鉄人バンドが作り上げたオリジナルの「一握り人の罪」とアレンジは違えど、その志に乖離するところはまったくありません。
それを引き出したのが柴山さんのエレキだっとも言えます。本当に素晴らしかったです。

8曲目「
Fridays Voice

Pray_2


放射能は呻いた こんな酷い支配を
意に介さぬ人が嗤う 何故恐れない
福島だけ問題? 無関心が問題
生けるものの大切な未来 決めてしまう問題


こちらは柴山さんの最高傑作、と僕は思っています。
ジュリーの声域を高低すべて網羅したようなメロディーライン、調号の変化が無いにも関わらず変化に富んだコード進行と豪快な楽曲展開。ジュリーが歌詞を載せた「We Are Fridays Voice」のリフレインが1番では1回、2番では2回、エンディングでは「無限」を示唆するかのような大コーラスへと拡がるアイデア。
人々の「声」が時とともに重なり、大きなパワーとなっていく様を体現した、これもまた「福幸よ」同様に「詞曲一体」が最大の魅力と言える名曲です。
「福幸よ」は柴山さんの作曲にジュリーが乗った、という感じですが、こちらはジュリーの歌詞が載ってから柴山さんをはじめ鉄人バンドのメンバーが入念に細部を詰めていった、という感触。当たっているかどうかは分かりませんが。

経済産業省前のテントが撤去された、というニュースが報じられてからもうずいぶん時が経ちます。もしかするとみなさまの中に「それ以降、”Fridays Voice”は途絶えてしまった」と思っている方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。
『東京新聞』では毎週土曜日の朝刊で『金曜日の声』と題した連載を今も継続しています。必ず、参加者数名の「声」を拾い上げ、年配のかた、若いかた、バランス良く取材されているようです。
それにより、原発の問題に止まらず様々な観点で「Fridays Voice」が今なお健在であることが分かります。

「一握り人の罪」から、歌詞中で明快に「原発」というフレーズが登場するバラードが2曲続くことは、僕らジュリーファンはもとより、今回初めてジュリーのLIVEを観るお客さんにも大きなインパクトを残したでしょう。

「原発」というフレーズの語感がポップ・ミュージックの歌詞としては不自然、などという考え方は、生のジュリーの歌声の前には吹き飛びます。
こうした社会性の高いメッセージ・ソングをして「ハッキリ言った方がいい」という手法は、ジュリーが常に「LIVE」を意識しているからこそ自然に生まれるもの。
「どうしたら伝わるのか」と考えるベクトルが、50年継続してステージに立ち続け、欠かさず全国ツアーを敢行していする歌手・ジュリーだけの、特異にして実は一番「真っ当」なところへ向いていると思うのです。
この境地へ、この場所へ辿り着けたというだけで、ジュリーという歌手は凄まじい。
だから「可哀相な原発」「行き場のない原発」「止めるしか原発」と明快に歌えるのです。

反して、世の現実はどうでしょう。
この項を書いている今日1月18日に、玄海原発3、4号機が新規制基準に合格(適合)、とのニュースがありました。
この先待っているのは「使用前検査」と県知事の承認。この2つがいかに軽いハードルであるかを、僕は故郷・鹿児島の川内原発再稼働までの経緯で思い知っているだけに、なんともやりきれない気持ちです・・・。

バンドの演奏で印象に残ったのは、まず1番と2番の間に挿し込まれるピアノとギター単音のユニゾン(柴山さんのハンマリング・オン→プリング・オフもCD音源通りに再現されました!)。
そして同箇所でのGRACE姉さんのリム・ショットにグ~ッときました。何だろう・・・この優しく鳴っている「木」の音のような存在感は。

ドラムスと言えばこの曲ではやはり、大サビのリフレイン部が圧倒的な見せ場です。GRACE姉さん、今回はちょっとフィル・フレーズを変えていたかな?

9曲目「
涙まみれFIRE FIGHTER

Kottinomizunigaizo


無力感 震え止まらず 悔しさが眼に焼き付いて
消えぬまま 町の四年が過ぎ去り
襲い来る風化とともに 北国の短い夏よ
押し寄せる 寂寥だけが今でも


もしかすると、今回歌われた全20曲の中で最も「重い」のかもしれないこの曲の項でいきなりこんなことを書かなければならないのが本当に情けないのですが・・・不肖・DYNAMITEがこの度「やらかしてしまった」2つの点について。

まずは、セットリスト曲順の記憶間違いです。
最初のMCで2012年からマキシ・シングル5枚全20曲をやる、と聞き「あぁ、今回はセットリスト覚えるのは楽勝だな」と油断してしまったのは、「演目タイトルの記憶漏れはあり得ない」からですが、いざLIVEが終わってみると、これほど「曲順」を思い出すのが困難なセットリスト構成は無かった!と痛感。
僕は毎回ツアーの度に、いつも仲良くしてくださる関西のケンケンジ姉さんから「初日セットリスト速報」を請負っておりまして、今回も「お任せあれ!」と自信満々に言ってしまったばかり。こりゃマズイぞ、とは思ったのですが、何とか記憶を振り絞って速報メール。
ところがその時僕は「9曲目=泣きべそなブラッド・ムーン」「10曲目=涙まみれFIRE FIGHTER」と記憶違いのままお伝えしていまいました。

その後、どうもこの2曲が逆だったんじゃないかという話になり、僕は「え~、そうだっけな~」と迷っていたところ、絶対の信頼を置いている先輩がSNSにセットリストを書いてくださっているのを拝見。これにて、「うわ、これは俺が完全に間違ってる!」と慌ててケンケンジ姉さんに訂正メールを送った次第でした。
すぐに「大丈夫ですよ!」と返信くださり(優しい!)ホッとしました。
でもケンケンジ姉さんの方は姉さんの方で、今回のセトリに驚いて色々と考え込んでいらしたみたいで、そんな時にこの失態・・・本当に申し訳なかったです。

で、この2曲の順序について先に「逆じゃない?」とご指摘頂いていた先輩に「凄いですね~。よく覚えていらっしゃいますね」とお話したら、いやいや他の曲の順番はよく覚えていない、しかし「涙まみれFIRE FIGHTER」と「泣きべそなブラッド・ムーン」についてだけは
「だって、ジュリーが上着脱ぐ前と後の曲でしょ?」
と。
てなことで僕のもう1点の「やらかし」は


ジュリーがジャケットを脱ぎシャツ姿になっている記憶がまったく無い

という・・・(大恥)。
当然、目には入っているわけですし、ジュリーが上着を脱いだシーンも「見て」はいるはず。それを全然思い出せないというのは・・・ジュリーファンとして大いに問題あり、ですよね。
打ち上げでも先輩方とカミさんが1着目の衣装について「あそこに北斗七星があった、あそこには何があった」と話している中、そこでも僕はそのことすらよく覚えていなくて会話に入っていけず。
まぁ、それだけ歌に集中していたってことですよ(←苦しい言い訳)!・・・さすがにこの状態ではタケジさんに申し訳ないですから、夏からの全国ツアーでは心を入れ替えようと思います。

曲順の記憶違いについては、やっぱりCDの並びのイメージが強かったのかな。
にしても、僕が各曲ごとに「これはどのメンバーの作曲」と脳内で考えていたのは確かで、この時も「柴山さんの5曲はもう全部歌ったなぁ」と思ったことは覚えてる・・・それなのに、冒頭の1、2曲目に続いて、「Fridays Voice」からまた柴山さんの曲が2曲連続だ!とハッキリ意識できなかったことは痛恨です。

依知川さんのベースが加わり、その微妙に後ノリ気味の重厚な低音を体感して、「あっ、この曲はメタル・バラードなんだな」と思いました。
実は僕はロックの中でメタルって一番苦手なジャンルで、特に歌詞フレーズに「ファイヤー」が出てくるとそれだけでヘナヘナと力が抜けちゃう奴なんですけど、ジュリーの「涙まみれのFIRE FIGHTER」は例外。
だって、このジュリーの歌詞は・・・とてつもない。自らが胸をかきむしられるような思いをしていないと、とても出てこない表現の連打また連打です。
毎年リアルタイムで新譜を聴くと、「ジュリー、何故そこまで・・・」と感じる曲が2015年までの作品には必ず収録されていますが、この曲はその最たるもの。ひとつひとつのフレーズが「安易」とは対極の、魂から選び出され絞り出された言葉であり、歌なのです。

加えて、柴山さんの人柄を思わせる楽曲構成。
この曲はサビで嬰ト短調からロ短調というかなり大胆な転調が登場しますが、今回改めて意識、感動させられたのが、その繋ぎ目です。
柴山さんは、サビ直前はギター単音、元の調に戻る箇所はジュリーが「あああ~♪」と歌うメロディーで大事に、大事にキーを変えてくれます。
この包容力・・・「ヘヴィー」なだけでなく、繊細なデリカシーがあると思うんですよね。

エンディングのジュリーの声は、2015年のツアー同様の「咆哮」です。
柴山さんのフランジャーを効かせた最後の和音と共に照明が暗くなり、ジュリーが直立不動の体勢を解くまで、この「寂寥のバラード」の余韻は続きます。
お客さんが息を飲んでステージを見守っている空気が伝わってくるようでした。

10曲目「
泣きべそなブラッド・ムーン

Kottinomizunigaizo_5

誤解なら 仕方ない
笑ってられないな もう限界


2015年のリリース直後、僕はこの曲について「前年に南相馬公演を実現させたジュリーが、その時会場に駆けつけたお客さんに捧げた、「ファンに直接歌いかけているような」内容の歌詞だとまず思いました。
でもその後何人かの先輩から考察記事にコメントを頂いたり、直接感想を伺ったりしているうちに、「激しい怒りの歌」ではないかと思い直しました。
「花束を渡す」という表現に、「祝福」とは程遠い意味で社会的なメッセージとして使われる場合があることも学びました。例えば、「非情」な相手に対して、届かぬまでも自らの心の在り処を指し示す、という使い方です。

その一方で、「自分に親しみを届けてくれてるみたい」という気持ちでこの曲を聴く楽しみ方はあって良い、とも思います。僕は残念ながら参加できなかったけれど、あの南相馬公演を体感されたファンの方々は特に。

「涙まみれFIRE FIGHTER」と同じ短調のバラード。ただこちらはメロディーもアレンジもどこか幻想的です。
GRACE姉さんのタム、泰輝さんのピアノでイントロから独特の世界に引き込まれ、静かに歌われる1番Aメロでは、ジュリーの持つ「妖しさ」の魅力が引き出されます。触れることの叶わない、天上人のような・・・。
それが2番のサビ直前「もう限界」の箇所の半音上がりの転調によって、生身の人間の慟哭へと収束してゆきます。これこそ正に「祈り歌LOVESONG」でしょう。
ステージのジュリーと観ている側との距離感に、歌い出しとエンディングでは驚くほどの違いが生まれる名曲。これはLIVEでなければ味わえない感覚です。

今僕がこの項を書いているのが1月20日。ジュリーは大阪2days真っ只中。
フェスに参加されたみなさまのご感想の声も続々と届けられていて、会場のテンションの高さにジュリーがとにかくご機嫌だった様子。
そう聞くと、やっぱり東京の初日はジュリーもお客さんもどことなく硬かったかな。
「泣きべそなブラッド・ムーン」あたりはずいぶん東京とは雰囲気も違って聴こえたのかもしれません。
まぁ、関西公演独特のジュリーの立ち振る舞い、という要素も大きいでしょう。今年このセットリストを大阪で体感されたみなさまが羨ましいばかりですよ。

そう言えば僕はもう何年も、ジュリーの関西ツアーを体感していません(と言うか、フェスティバルホールに参加したことがまだ一度も無い)。
全国ツアーは遠征を考えてみようかなぁ。

11曲目「
Deep Love

Pray_3

Deep Deep Deep Love 癒えないのだろうね
何年の月日 生きて行くのだろう


ある詩人が自ら紡ぎ出した言葉に涙する、というシーンがあったとして、受け手がそんな詩人に感情移入できることは本当に稀でしょう。「とても入っていけない」と感じるのが普通ではないでしょうか。
それが叶うのはよほどのことだと思います。その「よほどのこと」が起こる曲がジュリーの「Deep Love」。

先に僕は、不思議に今回のセットリストで涙が上ってくることは無かった、と書いたんですけど、もちろんこの曲を平常心で聴いてはいられませんでしたし、周囲には泣いているお客さんも多くいらっしゃいました。
「ナルシズム」とはあまり良い意味で使う言葉ではないでしょう。しかしジュリーという詩人が体現するそれは「心の美しさ」であって、「歌に心ごと身体ごと入り込む」天賦の才の為せるところです。
確かに「Deep Love」で歌われているテーマはそんな綺麗事ではない・・・でも、美しい心を持てなければ歌えない歌でもあるでしょう。
「気持ちを込めて歌う、ということがどういうことなのか思い知らされた」というのは、ジュリーwithザ・ワイルドワンズに「涙がこぼれちゃう」を提供した吉田Qさんが当時語っていらしたことですが、ステージに立つジュリーには常にその境地があり、今セットリストでの「Deep Love」のヴォーカルは正にその極みです。

思えば、2013年のツアーでジュリーが「Deep Love」を涙なしに最後まで歌い終えたことは、少なくとも僕が参加した会場では皆無だったんじゃないかなぁ。
特に大宮なんてボロボロでした。
この初日、「一握り人の罪」で「無心無垢」のスイッチが入ったジュリーはひたすらに歌だけに向かい、声を乱すことなくここまで来ていました。「Deep Love」も、今日はこのまま最後まで歌いきるのではないか、と思っていた矢先、間奏直前の歌詞部最後の一節でジュリーは声を詰まらせ音程が無くなり、なんとか言葉を絞り出すのが精一杯、という状況に陥りました。
今日のジュリーの素晴らしい声は、本当にギリギリのところで生まれていたのだ、と気づかされました。

同時に、僕はそんなジュリーに勇気を貰いました。
「お前、仮にも男だろ」と喝を入れられたような・・・とても個人的なことなのですが、僕自身の中に置き去りになっていた「薄情」をつきつけられたのです。

勇気を得た僕はNHKホール公演から数日後、2012年の夏以来(僕に勇気が無かったせいで)連絡をとれずにいた忘れ難い先輩にメールを差し上げました。
お返事はまだ頂けていませんが、ジュリーファンでなかったら、鉄人バンドのファンでなかったら意味不明であろうアルファベットが並ぶアドレスが不通とならず、無事送信が叶っただけで嬉しかった・・・。

「お元気ですか?僕は元気です」
たったそれだけのことをお伝えするのに5年近くもかかってしまって、ごめんなさい。

あとはゆっくり、お待ちするだけです。
忘れずに、いつまでも。

「Deep Love」は重い曲です。
とは言え、「涙まみれFIRE FIGHTER」「泣きべそなブラッド・ムーン」とは違い短調ではありません。リリース年には、こんなに辛く切ない曲が長調のメロディーである、というのが信じられないほどでした。
でも今年、依知川さんの新たなベースラインを得たこの曲がまぎれもなく「ハ長調のバラード」なのだと再認識することができました。

依知川さんは「跳ねる」ニュアンスのフレージングで、ジュリーの美しさに光を当てる華麗なベースラインをぶつけてきました。「シ」の音がフラットしない・・・具体的に言うと長調のメジャー7thの音を強調してくれたので、アレンジに明るさが灯りました。
そんなベースラインに載って放たれるジュリーの声、そしてイントロや間奏での柴山さんのギター・ソロを聴いて、作曲者の泰輝さんは、ビリー・ジョエルの「キャプテン・ジャック」のような曲を目指したのかもしれないなぁ、と思いました。これは依知川さんのベースが入って初めて思い当ったことでした。
歌詞の哀しさをバンドの演奏が優しく包み、とても美しい曲だと改めて感じ・・・この日、音程を無くした間奏直前のジュリーの声まで含んで、「Deep Love」という「歌」が聴けたのではないか、と今思っています。

名古屋、大阪に参加された先輩方からも、「Deep Love」絶賛の声が多いです。初日以降、ジュリーはこの曲をどんな様子で歌っていたのでしょうか。


12曲目「
un democratic love

Undemocraticlove_3

祈りますとも 君の国のため
君と同じ以上に 自由が好きだよ


僕としてはこれはもう、「待ってました!」という1曲。
今回は特別なセットリストとなりましたが、もしそうならなかったとしても、『祈り歌LOVESONG特集』のツアー・タイトルが発表された時に僕が真っ先に連想していた曲がこの「un democratic love」でしたからね。

2012年以降の20曲の中、個人的には圧倒的に好きな曲、共感できる曲、元気と勇気が沸いてくる曲で、この日最初のMCを聞いてから「いつ来るか、どんなふうに、どの曲と繋がって歌われるのか」と待ちかまえていたわけですが、あの凄過ぎる「Deep Love」のヴォーカル直後に続けて聴いたことで、これまでとはまったく違うメッセージをジュリーから受け取ったように思えました。

この『祈り歌LOVESONG特集』というステージに、それぞれの楽曲が持つ「政治性」は二の次、三の次だったのだ、と僕は考えます。
ジュリーが全セットリストを通して歌ったのは、第一に「大切な人がある日突然いなくなってしまった」という「人の気持ち」に尽きる、と。
心の傷が癒えないまま、この先何年も生きてゆく人達。

「大切な人を思う気持ち」をジュリーが歌に込めることで、「un democratic love」のような反戦のメッセージだったり、「一握り人の罪」「Fridays Voice」のような「反原発」であったり、色々なジュリーの基本的な考え方へと繋がってくる・・・そう考えると、「Deep Love」の11曲目というセットリスト配置が何と重要なことでしょう。
これまで惚れこんでいた「un democratic love」にも新たな面、見落としていた魅力が感じられてきます。
とても新鮮に聴きました。

演奏も最高でした。この曲はセットリスト本割全20曲のうち、リリース年の全国ツアーとまったく同じアレンジ、音色で再演された唯一の曲だったでしょう。
それはそれでまた素晴らしい!
やっぱり僕は「君と同じ以上に自由が好きだよ」の箇所が一番グッときます。「僕もそうだ」と思えます。

「50周年だからといって、グッズを作ったりはしない」と言うジュリーですが、昨年は『democratic Japan』のTシャツを製作してくれました。これがどれほど特別なことか。Tシャツの文字に託された思いとは何か。
「大切な人を思う」ところにその答がある、と思います。ジュリーが歌詞中で言う「魂の言葉」ってそれじゃないのかなぁ、と・・・。

昨年同様、掌を前に出して「don't love me so」の箇所を歌い上げたジュリー。
ジュリーのこの詞は「独白」のスタイルです。主人公が「日本国」であり、「そんなふうに僕を愛さないでくれ」と訴える相手は安倍さんである、という僕の楽曲解釈は、リリース直後から今までまったく変わっていません。

13曲目「
Welcome to Hiroshima~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より

Undemocraticlove_4

平和について これからについて 共に
語り合い 話し合いましょう
たくさんの違う考えが
平和への大きな 力となること 信じて


前曲「un democratic love」で、「これで泰輝さんの5曲はすべて歌い終えたなぁ」と思いつつふと考えると、「柴山さんの5曲も終わった、依知川さんの「犀か象」も歌った・・・あとは下山さんとGRACE姉さんの曲しか残っていないんだ!」と。
まだまだセットリスト中盤、というこの時に・・・しかもよくよく考えたら、「GRACE姉さんの曲はまだ5曲全部残ってるんだなぁ」と待ち構えていて始まったイントロが、昨年の新譜からGRACE姉さん作曲のこの曲でした。

歌詞の内容であったり曲想であったり、何か共通する要素を持つ曲を連続で繰り出すセットリスト配置を得意とするジュリー。その意味では、2012年からの20曲はどんな曲順となっても「共通の要素」はあるわけですが、「un democratic love」「Welcome to Hiroshima~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の2曲には、20曲の中でも際立った「反戦」「平和」をテーマの繋がりがある、と言えます。
また、次曲「Pray~神の与え賜いし」との繋がりを考えると、こちらはキーが共通することに加えて、転調の理屈も同じなんですね(連結部に当てているコードは異なりますが)。「Welcome to Hiroshima・・・♪」からの転調と「澄み渡る矜持あり・・・♪」からの転調。
この2曲の配置は「作曲者・GRACE姉さんの得意技繋がり」とも言うべきところでしょう。

今この時代、僕らは「子ども達」そして「戦争を体験している高齢者」という2つの隔たりある世代の声に特に耳を傾けるべきだと考えています。
「子ども達の声」はジュリーのこの曲で歌われている通り。一方「高齢者の声」について、一篇の「平和の俳句」をここで紹介しておきたいと思います。
「平和の俳句」とは『東京新聞』が毎日朝刊1面に連載している一般公募作品(「俳句」といっても特に季語の制約は無く、5・7・5で読者それぞれの平和への思いを表現する、というもの)のことです。
金子兜太さん、いとうせいこうさんのお2人が選考委員となり多くの応募作品から選んだ、さまざまな世代の「選ばれし1日1句」の掲載を僕も楽しみにしていますが、今年に入っていとうせいこうさんが選んだ強烈な1句があり、とても印象に残りました。
作者は80代の男性のかたです。

かっこいい 戦争なんて ないぞ君!

先の大戦を美化せんとする風潮に、グサリと1句。
80代の作者から見れば、戦後生まれの大臣さん達はヒヨッコも同然というこの痛快さ。

「戦争を知る高齢者」の声を「un democratic love」、「子ども達」の声を「Welcome to Hiroshima~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」と置き換えて聴くのもアリかな、と思った次第です。
昨年の新譜からの素晴らしい2曲の繋がりでした。

ジュリーの歌メロが終わると同時に、僕は柴山さんの足元をガン見(よく見えました)。
おおっ、踏んだ!
柴山さんがエフェクターを踏みました。
そして奏でられるギター・ソロ・・・間違いありません。今回はオクターバーです。
昨年の全国ツアーでは、「三年想いよ」の後奏に近いサスティン強めの設定でこの曲のソロを弾いていましたが、今年はCD音源と同じ音色に変えてきた柴山さん。
これまた、ジュリーの熱唱にもひけをとらない素晴らしい熱演だったと思います。

14曲目「
Pray~神の与え賜いし

Pray_4

彼の人のたもうた 天罰だと
神が何故罰など 与えましょう


一般世間ではすっかり「LIVE中に歌詞を忘れて土下座したジュリー」という偏った情報ばかりが広まってしまいました。
ネットニュースの煽動的なヘッドラインやミスリードはジュリーのことに限らず今に始まったことではないですし、ジュリーが話題になること自体は僕も嬉しく思うところはあるんだけど、そうした記事中で最低限「どんなLIVEだった」「どんな内容だった」という全体像までは押さえて欲しいですよね・・・。
NHKホールから週が明けて出社したら、そんな報道に何気なく目を通したらしい会社同僚からいきなり「ジュリー、バカウケじゃん!と話しかけられ唖然とした、ということは既に書きましたが、僕はその後しっかり「ジュリーはずっと、LIVEではイヤモニもしないし歌詞のカンペも使わないからね」と話しておきましたよ。

ということで、巷で話題の「歌詞忘れ→演奏ストップ」というアクシデントがあったツアー初日、14曲目の「Pray~神の与え賜いし」。
僕自身、7曲目の「一握り人の罪」以降のジュリーの圧倒的、神がかったヴォーカルに息詰まるような緊張が続いていて、このアクシデントでは「ふ~っ」と一度呼吸を戻すような安堵感を覚えました。
おかしなことを言うようですけど、「タイミングとしてはバッチリ」だったと今でも思っています。

僕が日頃から「師」と仰いでいるジュリーと同い年の先輩も当然この日のLIVEに参加されていて、この「14曲目」の出来事について
「みんながジュリーからの強い力と祈りに気を張り続けている頃合いに、たくまずして現れたインターミッション」
だと仰っていました。
僕も同じように感じてはいましたが、こんなふうに上手く言葉にはできなかった・・・さすが!のひと言です。

加えて僕としては、ジュリーが一瞬「忘れてしまった」歌詞部がこの「Pray~神の与え賜いし」という曲においていかに重要な箇所(即興の「作詞」をせず演奏をいったん止めてしまうほどに)であったか、ということを書いておきたいと思います。

その瞬間、僕は依知川さんを見ていました。
キーボードで軽く音合わせの後、アカペラ・コーラスで導入するこの曲。柴山さんと泰輝さんは身じろぎせずにコーラスをとっていました(この日はGRACE姉さんの上半身がずっとシンバルに隠れて見えず)が、依知川さんは・・・おお、親指とひとさし指、中指を重ねて「パッチン」のポーズ(←これで伝わります?汗)を作り、巨体を躍動させて腕を振りながらリズムをとる独特のアクションで歌っています。
今回、2013年のツアーと比べてアカペラ部の聴こえ方がずいぶん違ったのは、依知川さんが受け持ったパートの声量が著しく上ったからではないでしょうか。

依知川さんの動きと熱唱に見入りながら、歌はAメロ2回し目へと向かい・・・そこでジュリーの声が途切れ、僕は慌ててジュリーに目を移しました。
2回し目冒頭の歌詞が出てきません。
普通の箇所ならば、ジュリーは即興の作詞をしたと思います。実際この日、他の曲でそんなシーンが多々あったのですから(と、いうところまでメディアの報道を求めてしまうのはさすがに無理か・・・)。
でも、ここはジュリー、絶対歌いたい箇所なんですよ。

「彼の人のたもうた 天罰だと」

「Pray~神の与え賜いし」の穏やかなアカペラ部に、ジュリーはどうしようもなくやるせない「怒り」のメッセージを以てこの歌詞を組み込みました。
その「怒り」は1番直後のバンド演奏の急変に引き継がれるのですが、肝心要の歌詞が出てこない事態。「ワシ、よりによってここが出てこんのか?」とジュリーが焦ったことは想像に難くありません。

あの震災を「天罰だ」などと言い放った東京都知事がかつていたことは、みなさまもご存知でしょう。
3・11を境に「被災地の人達の気持ちを考える」詩人となったジュリーは、烈火のごとく怒りました。「のたもうた」という表現は「偉そうに言ってくれやがった」くらいの意味で、とにかく強烈です。
ちなみに、「犀か象」のジュリーの作詞にある「大臣最後金目」・・・福島第一原発の汚染土中間貯蔵施設の建設について「最後は金目でしょ」と言い放ったのが、当時環境相(大臣)を務めていた「彼の人」の息子さんでした。親子二代に渡ってその発言をジュリーの歌詞中で一喝されるとは・・・やれやれ。

歌の空白時間が進み、バンドメンバーのコーラスだけが続く中、とうとうジュリーは咄嗟のひと言。
忘れちゃった・・・
キュートな声、照れた表情。
ジュリーが背を向けてメンバーに「仕切り直し」をゼスチャーで告げると、その場の空気が良い意味で弛緩したように今では思い出されます。
依知川さんが指のポーズをほどき、ニコッと笑いました。会場に充満していたガチガチの緊張が解け、お客さんからも屈託のない笑い声が起こりました。

初日に参加叶わなかったみなさまのために、これだけはきちんとお伝えしておきたい・・・。
ジュリー自身には「しまった」との思いはあったでしょうが、「何事もなかったかのように・・・」という言葉に続いてイントロから歌い直したこの曲は、僕が2012年からさかんに書いている「憑き物落とし」のような効果があって、セットリスト佳境に向かうバンドメンバーやお客さんの笑顔を取り戻す、「アクシデント」と言うよりむしろ爽快な役割をはからずも果たしたのだ、ということを。

今度は無事に歌い終えたジュリー。会場の空気が「陽」へと変わったのを感じ取ったのでしょう・・・おどけるように土下座のシーンとなったのです。

以上、「報道されていないこと」でした。
いやいやこの曲の項は長くなってしまいました。
すっかりお客さんの雰囲気も和んだところで、これもまた個人的に大好きな曲へとセットリストは進みます。

15曲目「
櫻舗道

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人っ子いない ふるさと
三寒四温 春は来たのか
櫻舗道 防護服着て
櫻舗道 くぐった花吹雪


下山さんの最高傑作、と思っています。
「Deep Love」同様、美しくも切ない曲。でも、直前の出来事の効果か会場に「構えた」感じがなくなっていて、ただただジュリーの歌に酔いました。

前曲に続き、この曲にも「空白」がありました。1番の最後、まるまる8小節。
これはジュリーが「歌詞を忘れた」のではなく「サビのリフレインをうっかりした」のかなぁと思いますが、計算してそうしたようにも感じられました。
ギター・ソロの前に美しいピアノ伴奏が残され、新たなアレンジのようにも受け取ることができたのです。

泰輝さんのピアノは、リリース時に考察記事で書いた「桜アレンジ」をイントロ以外にも繰り出すという、気魄漲る素晴らしい熱演。
ジュリーが「櫻舗道~♪」と歌うと、ピアノのフレーズで桜がヒラヒラと追いかけるように舞うんですよ。

そして美しいギター・ソロ・・・この曲では柴山さんはシンラインだったでしょうか。今回の柴山さんは、「下山さんが弾く」イメージが強いソロを擁する曲でシンラインを使っていたなぁ、と記憶しています。

2番「非常線のふるさと」と歌われる箇所、実際には再現されていないのに、CDに入っているコーラスのような効果音のような薄い音が聴こえてくるような気がしました。ググッ、と引き込まれる感覚です。
「Pray~神の与え賜いし」での仕切り直しの影響など微塵も感じさせない、ジュリー無心無垢の歌声。
なんという名曲でしょうか・・・!

この曲を聴くといつも思い出すのは、バリケートに遮られた富岡町の桜並木の写真です。
一方、福島県のいわき市にあるフリー・スペース『いわき泉玉露交流サロン』(富岡町からいわき市に避難されている方々への支援の場として利用されています)には、バリケードなど無かった頃の富岡町の桜並木の写真が飾られています。
いつも応援している将棋棋士・瀬川晶司五段のブログ記事でこのことを知り、瀬川五段がupしてくださったその写真を見た瞬間、僕の胸に「櫻舗道」を歌うジュリーの声が流れたのは言うまでもありません。

ジュリーの歌に、いわき市の交流サロンに、「桜のふるさとを離れて暮らす人々の、断ち切れぬ故郷への思い」は確かに形を為し、僕らにも見えています。

16曲目「
カガヤケイノチ

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笑顔で ララララララ カガヤケイノチ
寡黙に ララララララ カガヤケイノチ


今、この項を書いているのは1月24日。
特別な日付ですね。そして僕にとっては、参加できないことが本当に残念でならない、『祈り歌LOVESONG特集』ファイナル・東京国際フォーラム公演の前日、という意味合いが今年は大きいのです。

特別なセットリストですから僕もいつも以上に気合が入って、じっくりと、それぞれの楽曲ごとの文量も多くなって・・・ツアー千穐楽までにレポートを書き終えることができませんでした。
でも、なんとかしてこの16曲目「カガヤケイノチ」の項まではファイナルまでに書き終えていたい、と思って今日は頑張って筆を進めています。

僕は明日、気持ちだけはフォーラムに飛んでいます。素晴らしいステージとなることを祈り、念を送ります。
これは型通りの言葉ではなく、心からの気持ちです。

「カガヤケイノチ」エンディングの大合唱。
明日ご参加のみなさま、どうか留守番組の僕の分まで・・・しかと託しましたよ!


と、このことを書いておきたかったのでした。

大阪公演ではジュリーがエンディングで「ご一緒に!」と言ってくれたのだそうですね。
初日のNHKホールではそれは無く、「一緒に歌って」との思いを載せて指揮のアクションを繰り出していたジュリー。僕は大声で歌っていたけれど、会場全体に歌声が満ちる、という感覚は無かったかな。
そもそも、男声のメロディーを女声で歌うのがなかなか難しい、という面はあります。例えばポール・マッカートニーのLIVEでは「ヘイ・ジュード」のサビをを男性、女性に分けて「歌って!」タイムがありますが、女性の箇所で会場の声が小さくなるのは決して女性が歌っていないからではなくて、キーの問題があるのです。
それを承知で・・・女性の客さんが圧倒的に多いであろうフォーラム千穐楽での「カガヤケイノチ」大合唱実現を切に望んでいます。
「歌ってきました!」というみなさまのコメント、お待ちしていますよ~。

柴山さんのソロは、CDと言うより下山さんがステージで弾いていたフレーズのカバー、という感じでした。それでもフレーズやチョーキングの箇所が違ったりして大いに楽しみました。
依知川さんのベースも素晴らしかったですし、最後はGRACE姉さんの力強くも優しいマーチング・ロール!
2012年には、「3月8日の雲」は”鬼姫ロール”で「カガヤケイノチ」は”くの一ロール”なんて話で盛り上がったりしてたなぁ・・・。

確かに、時は経ちました。
でも僕らは決して、あの時ささくれだっていた気持ちを「カガヤケイノチ」という曲が癒してくれたことを、ずっと忘れてはいません。

17曲目「
三年想いよ

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ありがとう 温もり
やさしさ 好きだよ
あの日 すべて夢ならば 三年想いよ


ジュリーのLIVEに参加し続けていると、それまで特に強い思い入れを持たずにいた曲が、生の歌、演奏を体感し一気に「大切な1曲」へと劇的に変わることがままあります。みなさまもきっとそうでしょう。

その最たる例・・・僕にとっては2014年の全国ツアー『三年想いよ』でのツアー・タイトルチューン、この「三年想いよ」がそんな1曲です。
しかも、ツアー参加会場を重ねるごとにどんどん愛おしくなっていく・・・圧倒的な感覚。これは鉄人バンドの演奏の素晴らしさもさることながら、何と言っても後奏、柴山さんのギター・ソロをバックに暗がりの中を「必死」で駆ける、というジュリーのあのパフォーマンスに魅せられたのでした。
CD音源だけでは理解し得ないメッセージ。「LIVEこそがジュリー」を証明するパフォーマンス。

今回、メンバーが変わっての再演。依知川さんはかつて下山さんが弾いていたパワー・コードのパートをそのままルートのエイトビートに置き換えてきました。
ジュリーが「わが嫁」と歌い出す最初のAメロでは、イントロの柴山さんのピッキング・アルペジオと泰輝さんのエレクトリック・ピアノがサ~ッと退いて、GRACE姉さんのドラムスと共に依知川さんのエイトビート、この2つの音だけが残されます。
ベースとドラムスとヴォーカル・・・この状態でイヤモニ無し、モニター返し無しは本当に凄いぞ、ジュリー!
そして、ジュリーはあの忘れ難い後奏のパフォーマンスを今年も繰り出してくれました。
照明の演出は変わりました。2014年のツアーでは、暗闇の中をジュリーの駆けている姿だけが浮かび上がっていましたが、今回は少なくとも柴山さんの姿は最後まで見えていました(席によるのかもしれませんが)。

柴山さんのソロ、サスティンの効いたスロー・ハンドの素晴らしさも再体感。
速弾きするわけでもない、前にせり出してきてアピールをすることもない、ゆったりとした歌のメロディーをそのまま単音でなぞるだけのギター・ソロがこれほどの説得力を持つとは、驚くべきことです。

ギターと言えば・・・余談ですが、絶対音感の無い僕は日頃ギターをとりだしてチューニングする際、以前はチューニングメーターに頼るか、キーボードを使って音を合わせていました。でも今は”「三年想いよ」チューニング”という技を編み出しています。
この曲の音源を流しながら、イントロから「わが嫁」までの箇所に合わせてまずはしっかり4弦(「D」=レ)の音を確定させます。
それを起点に「娘よ」で5弦(「A」=ラ)、「父母」で3弦(「G」=ソ)、「ごめん」で2弦(「B」=シ)、「うつむいてる」で1弦と6弦(「E」=ミ)と合わせてゆきます。
転調部からは「B♭」→「C」→「D」とコード弾きをして全体の「鳴り」を確かめ、再びAメロに戻ってから先と同じ要領で各弦の微調整。そして仕上げに間奏の単音を弾いて、高いフレット位置でオクターブのズレが無いかどうかを確認。
間奏が終わってからは、じゃかじゃかと気持ちよくジュリーと一緒に弾き語る、という按配です。

鉄人バンド期の作品はギター・チューニングも美しくて、ギター各弦の開放音を合わせられるコード「E」「Bm」「G」「D」「A」「E」すべてが曲中に登場する「三年想いよ」はその点でとても貴重です。
ギタリストのジュリーファンのみなさま、是非”「三年想いよ」チューニング”をお試しあれ!

いえね、何かって言うと、「三年想いよ」ってとても「辛い」詞なんですよね。
「何故自分のような者が残り、あなたがいなくなってしまったのか」という、葛藤と言うにはあまりに切実なテーマをジュリーは歌います。
「木偶の坊」のフレーズに込められた無念、悔恨、懺悔。でもそれを歌うジュリーの声の優しさに気づかされた瞬間から、GRACE姉さんのメロディーとバンドの演奏の聴こえ方は変わります。

悲しい歌を、優しく伝える。
ジュリーの詞の一番最後の一節で、そのすべてが氷解するような「三年想いよ」。
僕はチューニングの度にこの曲を繰り返し聴いていくうち、「大好き」と同時にすごく「身近」な1曲になっていきました。ジュリーの曲はどれもそうですが、聴き手の心持ちでイメージが変わることがありますね。
「三年想いよ」はその意味で、底知れない魅力を永く放ち続ける名曲ではないでしょうか。

18曲目「
恨まないよ

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もっともっと 寄り添いたいのに
待ってください
きっときっと 立ち直れるはずさ
恨まないよ 海よ


2012年からの全20曲が歌われると分かり、「どんな繋がりで、どんな配置で歌うのか」と真っ先に考えた曲は「un democratic love」とこの「恨まないよ」でした。
「un democratic love」の方は「どんな感じになるのかな」との思いでしたが、「恨まないよ」については「一体どうするんだろう?」というのが素直な気持ち。それほどこの曲の「痛烈さ」は突出しています。

僕は2012年のびわ湖ホール公演で体感した「恨まないよ」の記憶がいつまで経っても薄れることがありません。本当に凄まじいヴォーカルでした。
「きっと、きっと」と歌うジュリーの口から、鬼気はらんだ唾が飛沫のように飛び散ってホールの床に落ちていったシーンをいつも思い出します。

ただ、胸を締めつけられる息苦しさも確かに感じていたように思います。
「生で聴く時に相当な覚悟のいる曲」というのがそれ以来の僕のこの曲のイメージです。
それが今回、切なさ、辛さはもちろん伝わってくる一方で、驚くほど気負いなく聴けたのは・・・やっぱり「Pray~神の与え賜いし」のインターミッションで、僕の中にあった「憑き物」が落ちていたんじゃないかなぁ。

前曲「三年想いよ」が終わった時、「次だ!」と思いました。僕は今回、まず「20曲歌う」と分かっているわけですからいつもと違い曲数をカウントすることはせずに聴いていました(それが、曲順を思い出すのに苦労する要因となってしまったのですが)。
でももうここまで来たら「まだ歌われていない残り3曲」は頭に浮かんでいます。アンコールがどうなるかは分からないけど、少なくとも本割20曲、「恨まないよ」が最後の1、2曲というのは考え辛い、しっくりこない・・・「三年想いよ」後奏のギター・ソロからあの日の記憶を遡って、という繋がりを考えても、「恨まないよ」を歌うならここしかない、と思ったのです。

ジュリーのヴォーカルが素晴らしかったことは言うまでもありません。
1番で歌詞に詰まる箇所があり、ジュリーは咄嗟に「天国へいってしまったよ」と即興の作詞で切り抜けましたが、それがまた凄まじい迫力でした。

そして演奏。当時とはメンバーと楽器編成が変わっているにも関わらず、この曲がオリジナルCD音源の完コピであったのは特筆すべきこと。つまり、CDで演奏されている泰輝さんの擬似ベースを依知川さんが見事に再現したわけですね。
この曲に新たにベースを加えて演奏する、となれば普通なら「重み」を強調する意味でもフレットの低い位置で重厚なルート音を入れ、コード進行をハッキリ表現したくなるところ。
でも依知川さんはそれをせず、高い位置でオリジナルのシンセのフレーズをそのまま弾きました。とは言え本物のベースですから音自体はCDより太い・・・まるでサビのジュリーのヴォーカルに呼応して波がうねっているような演奏でした。
驚嘆したのが柴山さんのギターです。個人的は、この日のすべての演奏で最も素晴らしかったのがこの曲での柴山さんのギターだったと思っています。
下山さんが弾くと「LOSER」を想起させるディレイ・アルペジオ。柴山さんの方は1音1音の粒を揃えてくる繊細な奏法となります。下山さんとも違う、U2のような音とも違う切れ味。それでいて下山さんの不在を完璧にカバーしているのです。
それだけに、柴山さんの背負っているものの大きさをも感じさせた名演でした。

そして・・・「3月8日の雲」と同じくこの曲も「唐突に音が途切れる」エンディングがアレンジ最大の肝。
最後の1音へと向かうGRACE姉さんのドラムのクレシェンドは、やはり生のLIVEだと迫力が違いますね。

19曲目「
限 界 臨 界

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これ以上善人を 未熟でも若い者を
先行きに迷う者を
馬鹿にしない 愛と平和下さい
限界 臨界 生きる希望下さい 限界臨界


残るはあと2曲・・・これはどちらが来るかまったく予想がつきません。
始ったイントロは「限 界 臨 界」。GRACE姉さんの作曲作品が3曲連続で歌われることとなりました。

政治家や経済人への警鐘、のテーマとしてはジュリーが最も強くその思いを託した曲・・・だと、僕はリリース時からずっと思っていました。
ジュリーが誰を非難し、誰を応援しているのか。歌詞中で使われている「未熟」というフレーズは決して悪い意味ではないのだと考え、折りしも声を上げ始めた若者達の登場を頼もしく思っていた僕は、この曲を勝手に彼等へのエールと関連づけて聴くことがありました。
また2015年の全国ツアーでは、最後の「限界臨界」の物凄いシャウトを何度も体感し、その度にジュリーを反体制の旗手のように捉えてしまう「落とし穴」に嵌る(ジュリーという歌手はそんな動機だけでは語れません)のを自重したりしていました。

この初日、最後の「限界臨界」を2015年のような絶叫ではなく、CD音源に近い感じで歌ったジュリー。
何か、原点に引き戻されるように受け取れました。

ここで是非書いておきたいことがあります。
先に最初のMCの項で書いた、一般ピープルのお姉さま方の東京国際フォーラム公演のご感想です。
今のところ4人のお姉さま方のうちお2人だけの感想を伺っているのですが、お2人とも「ひとつのお芝居を観ているようで、とても良かった」と。
心配していたんです。このセットリストですから、僕は事前に考えていた「予習用CD」も作成せず、お姉さま方は何の先入観も予備知識もなくご覧になられることに・・・「今の沢田研二の生き様を観たい」と仰っていた方々が、今回のジュリーのステージ、歌を実際どう思われたのか。知らない曲ばかりで退屈してしまわれたのでは?
それに、ホールへの入場に1時間近くも待った、と聞いていましたからね。いざLIVEが始まっても集中できなかったのではないかなぁと。

すべて、杞憂でした。
うちお1人は「知ってる曲を聴きたかった気持ちもある」とのことでしたが、もう1人のお姉さまのご感想が凄くてね・・・。還暦を過ぎていらっしゃる、人生の大先輩でもあるそのお姉さま曰く
「あの中にヒット曲が混ざってたら変よ」
と。
「社会性、政治性の強い歌を歌っているけど、自分はこういう考えだ!とそれを押しつけているんじゃなくて・・・彼は吟遊詩人なんじゃないの?」

これには驚きました。
これ、僕も常々同じことを考えてはいます。つまり、各国を旅する詩人がその地その場で心にとめた題材を詠うように、「人生の旅」・・・時代を旅するジュリーがその時その場で「今こんなことが起きている。これからどうなるのだろう」と自身の思いを歌にする・・・凡人にはとても真似できませんが、今のジュリーは人間として一番自然で、一番ピュアなやり方で「歌人生」を歩んでいるということ。
でも、初めてのジュリーLIVEで、最近のジュリーの曲もまったく初めて聴く人がそんな感想を持てるというのは、どれほどの感性でしょうか。
いや、そのお姉さまの感性もさることながら、今回のジュリーのステージにそれを伝える力が確かにあったという・・・それが証明されたのではないでしょうか。

そしてお2人とも揃って、「是非、次のツアーもチケットのお世話になりたい」とのこと。
いやぁ本当に嬉しい!
「今の沢田研二の生き様」を知るにふさわしい特別なセットリストを体感された上で、夏からの「シングル・オンパレード」なステージを観てしまったら・・・「本格ジュリー堕ち」は間違いありません。どうぞご覚悟を(笑)。

そんなお話を伺ったのち、改めて「限 界 臨 界」を聴き返してみたら、これまでとは全然聴こえ方が違ってビックリ。
政治性、社会性の高さは、物事の考え方のアピールなどではなく、ジュリーにとっての「自由」なのだ、と思いました。NHKホールの時点では、僕はとてもそこまで到達できていませんでした。
いつかもう一度、この曲を生で聴きたいです。

20曲目「こっちの水苦いぞ

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誰のための 等閑な再稼働
桜島と川内断層
安全言わない 原子力委員長
福島の廃炉想う


「誇大でない現実を歌う」吟遊詩人・ジュリーが、一連の20曲から大トリに選んだのは、下山さん作曲のロック・ナンバー。
セットリスト中唯一”おいっちに体操”が繰り出される曲とあって、お客さんの緊張は完全に解け、会場がハジけまくった本割ラスト。僕はと言うと、もうニッコニコ・・・とにかくアレンジの変わりっぷりが嬉しくてね~。
僕の好みドンピシャのリフ・ロックを堪能しました。

まずイントロ、柴山さんのリフが始まった段階では
「ありゃ、ずいぶんシンプルにしてきたな」
と戸惑ったんです。
リフ3音目の16分音符で跳ねる箇所が、なだらかな8分音符のフレーズによって割愛されていて・・・たったそれだけで、相当にイメージが違いました

「何故こんな平坦に?」と首を捻った刹那、カッ飛んできたのが依知川さんのベース。謎は解けました。
新たに加わったベースラインは

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こ、これはまるで・・・ビートルズの「タックスマン」じゃあないですか!
後世、16ビートの王道として定着するフレージング。例えば、『G.S. I LOVE YOU』収録の「HEY!MR. MONKEY」にもこの曲のリフ・オマージュがあります。しかし・・・まさか「こっちの水苦いぞ」がこうなるとは!

今回歌われた20曲のオリジナル・アレンジを考えると、「ギター1本体制」での再現難易度が高いのは「一握り人の罪」と「こっちの水苦いぞ」だと思うんですよ。
その2曲で炸裂した依知川さんの新たな解釈によるベース・アレンジ。そして「こっちの水苦いぞ」では、柴山さんがベースラインの16ビートとぶつからないようにギター・リフを変化させてきたわけです。

斬新にして緻密、緻密にして大胆。
さらに言えば、「60年代の尖りまくったロック」と「70年代の過激なロック」の融合を狙ったと思われる下山さんのコンセプトが完璧に生かされているという。
だって、ベースが「タックスマン」ならば、ギター・リフの変化形の方はだんだんボウイの「世界を売った男」みたいに聴こえてきましたからね。これは、曲が進むに連れて柴山さんのチョーキング・ビフラートの入魂度が増していったからこそそう感じたのだと思います。

躍動するジュリーを挟んで、柴山さん、依知川さん2人もステージ前方に陣取って横並びとなり盛り上がる中、いよいよエンディングが近づいてきました。
この曲のアレンジは何と言っても最後のトリッキーなアコギ・アルペジオによるコーダ部が大きな特徴。2015年のツアーでは、それまでずっとリフを弾き続けていた下山さんがラスト1小節のワンフレーズのみを柴山さんの演奏に託し(鉄人バンドでしかあり得ない神技!)、およそ2秒ほどの間にアコギ・スタンドへと移行するという驚愕のシーンがありました。
今回どうするのか・・・僕には既に分かっていました。

この日ここまで、柴山さんがステージ前方にせり出してきて間奏ソロを弾く曲では、その度にローディーさんが入場してエフェクターのセッティングを変え、そのぶん柴山さんの「いつもより長くせり出しております」状態が楽しめたわけですが、それはすべてこの「こっちの水苦いぞ」コーダ部へのお膳立てでした。
と言うか、この曲の最後をこうする!と決めたことで、他の曲にもエフェクト操作のアイデアが波及し踏襲されていたのです。

クライマックスで予想通りローディーさんが入場しました。リフの最後の1音が鳴った直後に素早くエフェクター設定を変更します。
柴山さんはエレキを持ち変えることなく、アコギの音色のエフェクトでコーダのアルペジオを弾きました。いかにも下山さんらしいコード・・・add9のフォームでフレット移動してゆく華麗なコーダが見事甦ります。
ローディーさんGJ!
この場合のエフェクターの切り替えは、コンマ数秒のタイミングでしか許されません。少しでもズレたら大惨事となるところですからね。
そのことも含め、貴重な今回のセットリスト、本割ラストにふさわしい曲であり、名演でした。

~MC~

20170115


↑ 1月15日付『東京新聞』文化・娯楽面より

気合入れて大長文書いてるのはまぁいつものこととしても、ツアーも終わってもまだ初日のレポートが完成していない、というのは今回が初めてのこと。
オーラスに参加できないことが本当に残念で、そのぶん引っ張っていたのもあるんですけど・・・歌や演奏については今でも強烈に頭に残っていてまだまだ余韻醒めやらず、の一方でMCの記憶はというとこれがサッパリ。
名古屋、フェス、フォーラムのMCを各地で拝読しているうちに「初日」でどこまでジュリーが話してくれたのかゴッチャになっている状況ですが、一応いくつか書いておきましょう。

大きな拍手に迎えられ、衣裳を替えて登場したジュリーは、開口一番「疲れた・・・」と。もちろん、この20曲を歌う「大胆な試み」についての言葉です。
本音の吐露だったと思います。
その後フェスあたりは「いい汗かいた」に変わってきたみたいですけど、初日はジュリー自身、お客さんの緊張もヒシヒシと感じていたでしょうし、何よりここまで魂入れて作ってきた5年間の20曲を一気に歌うというのはね・・・僕らには想像を絶するものがあります。

MCの主な話題はやはり50周年イヤー、今後の活動予定について。
まずは、「音楽劇はこれでラスト」という『大悪名』。初日の時点では
「まだ台本もできていないんですが・・・マキノさんとは色々話はしています」
とのことだったんですが、その後フェスの日には衝撃の「マルガリータ」宣言があり、先輩方はビビリまくっています(笑)。朝吉親分、出家してるんですってね。

そうそう、さすがに今回の『大悪名』の澤會さん枠チケットは未だかつてないほどの大激戦となっている様子。
特に千穐楽は・・・そりゃ、みんな行きたいものね。
僕は「おそらくS席とB席は予約が殺到するであろう、ならばここはAだ!」と考えて千穐楽のA席を申し込んだのですが、それでも見事落選しました!
とんでもない競争率だと思いますよ。
僕はおとなしく第2希望の振替日に参加し、末席からジュリーの音楽劇・ファイナルイヤーを楽にご参加のみなさまよりひと足早く、見届けようと思っています。

そして、夏からの全国ツアーのお話。
50周年のメモリアル・ツアーということで、各地各ホールの反応も凄いらしくて
あの!沢田研二が50周年ですか・・・」
と。
「そりゃあ、腐っても鯛でっせ!」とジュリーはご満悦の表情。普段呼ばれていない会場、このところご無沙汰となっている会場もあるのでしょうね。
出水(鹿児島県)あたりどうなのかな?今からツアー・インフォの到着が楽しみです。
で、その全国ツアーの内容について
シングルばかりやる
50という数字にはこだわりたい!
と言った瞬間の拍手は凄かったです。
ところが続いて「ワンコーラスだけ歌って50曲、というやり方を考えている」との言葉には一転(今考えると本当に失礼だったなぁ、とは思うのですが)僕も含めて会場から「え~っ?」という声が。
すかさずジュリーは
「皆、え~っ?とか言うけど、考えに考えた結果や」

還暦の時には『ジュリー祭り』で5時間半かけて80曲歌ったジュリーですが、「あの時にはそれだけの体力、気力があったんや。今はもう無い」
正直な告白でしょう。
それでもこのメモリアル・イヤーに、シングル50曲を歌いたいという気持ちがあって、楽しみにしてくれているお客さんに応えたい、というジュリーのその志・・・僕らはファンは幸せだと思います。

50曲と言ってもジュリーの全シングル中、半分にも満たない曲数である、というのがまた凄い話ではありますが、名古屋でしたかフェスでしたか
「沢田研二が選ぶ50曲、どの曲を選んだかを楽しみにしてください」
と言ってくれたそうですね。
メドレーなどにはしないで、1曲ずつ「サンキュ~!ありがと~ね!」を言う、と。
本当に、本当に楽しみです。

まだ先の話になりますけど、僕は全国ツアーの前にも恒例のセットリスト予想記事をいくつか書きます。
いつもは「全力で当てに行ってるけど当たらない」僕の予想・・・でも今回は、まだ記事未執筆のお題から「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」や「愛まで待てない」あたりを書けば楽々当たってしまうことでしょう。
でもね、僕はそんなことはしませんよ~(笑)。
「絶対やりそうな曲」は敢えて外し、「全力で外しに行ってるのに当たっちゃった!」的なノリを目指して予想曲の献立を考えます。
さぁジュリー、勝負DA~!

「この後歌いますが・・・」と、アンコールに歌った新曲2曲についてもこのMCで紹介してくれました。
作曲が久々の白井良明さんであること。
「イソノミア」は「無支配」という意味であること。
今年も3月11日に発売されること。

そう、2016年お正月LIVE『祈り歌LOVESONG特集』は、2012年からのマキシ・シングル全5枚20曲に加えて、レコーディングしたてホヤホヤの最新シングル2曲をリリースに先がけて披露するという、これ以上は無いほどに「攻め」のセットリストとなりました。
さすがはジュリー!こんな凄いことをやってのける歌手を僕は他に知りません。

MCの最後に、音楽劇に始まる今年からのチケット代「値上げ」についてひたすら恐縮し頭を下げてくれたジュリー。「ご祝儀、ご祝儀!」と笑いを誘ったところで
メンバー紹介からの「オマケです~!」

~アンコール~

(註:新曲については、リリース後にじっくり聴きこんでから考察記事を書きます。ここでは「初めて、しかも生のLIVEで聴いた」印象を書き留めておくことにします)

21曲目「揺るぎない優しさ」

リリース前にLIVEで新曲を体感する・・・先輩方は何度も経験されていますね。例えば2004年お正月コンサート『爛漫甲申演唱会』の「届かない花々」だったり。
僕はこのパターン、2度目です。初体感は2009年全国ツアー『Pleasure Pleasure』初日、渋谷公演。ジュリー曰く「満タンシングル」の新譜『Pleasure Pleasure』収録の6曲がそれでした。

ただこの時は新譜の発売日とツアー初日が重なっていて、公演前に長蛇の列に並んでCDを購入(会場先行販売の『ジュリー祭り』DVDと同時購入。懐かしい!)していたので、終演後すぐ復習することができました。
今回のように一度生で聴いてからしばらくの間、音源リリースを楽しみに待つというのはまったくの初体験。これはこれでなかなか良いものですね。
でもここ数年のジュリーの新譜がそうであるように、やっぱり歌詞をしっかり読んでから色々なことを考えたいと思っています。
ここではおもに「音」から受けた印象を。

まずはこの「揺るぎない優しさ」。
イントロはじめ要所に「キメ」のリズム・フレーズがあります。「じゃ、じゃっ、じゃ~ん♪」という、ポップなエイト・ビート特有のもの。ジュリーはそれに合わせて「狙い撃ち!」なアクションを繰り出してリズムを強調。
はからずも、『大悪名』で共演される石野陽子さんのお姉さん、真子さんの大ヒット曲「ジュリーがライバル」の「バン、ババン、バ~ン♪」のような?
これはなかなか楽しそうな曲だ、との印象を持ちましたがさぁCDで聴くとどんな感じでしょうか。

22曲目「ISONOMIA」

澤會さんのHPでの告知を見ると、こちらがいわゆる「A面」扱いということになるのかな。
これはとにかくアレンジに仰天しました。何と、最初から最後までラウドな爆音エレキ・ギター1本のみの伴奏で歌い通すというね。
当然、白井さんがアレンジも担当されているでしょう。僕としては「やってくれた!」という感じで大歓迎。ジュリー・シングルとして歴史的な1曲となる気がします。

メロディー自体はクイーンの「ファット・ボトムド・ガールズ」に似ているように感じましたが、肝は何と言っても斬新なアレンジ・アイデア。アコギ1本のバラード弾き語りではなく、エレキ1本の豪快なロックですからね。
これはニール・ヤングが得意とする手法ですけど、ゴリゴリの爆音ギター1本で社会性の高い歌詞を吐き散らす(しかも優雅に)という点で、ジュリーの新曲は今回ニールをも凌いだかもしれません。

ちなみに、老境となっても新作への意欲衰えず、次々に新たな問題作(良い意味ですよ!)を世に投げかけ続けている歌手として僕が「世界三大カッコイイお爺ちゃん」と大いにリスペクトしているのが、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、そして日本の沢田研二。
大御所の「ロック」とは、若作りして昔の名声をなぞることではありません。ましてや形式美などではない・・・堂々と「老人」を自覚しありのままの姿を晒しつつも、常に尖り進化し、新しい作品に挑む志こそが「ロックを生き抜く」ことだと僕は思っています。
その上で過去のヒット曲を引き出しとして持つ、というのは大アリです。
しかしジュリーは今回のセットリストでそこを削ってきました。それはきっと、夏からの全国ツアーでその「引き出し」を全開にしようとしているから。つまり、1年2ツアーかけての二部構成ステージという。
正しく「ロック王道を行く」ど真ん中のジュリーなのです。

「ISONOMIA」に話を戻すと、伴奏を柴山さんのエレキ1本に託して他メンバーはハンドクラップで参加。
このハンドクラップはおそらく音源にも組み込まれているでしょう。1ヴァース中の2小節に「ん、ぱん!ん、ぱぱん!」とリズムを変える箇所があって、初日のお客さんは最初戸惑ってなかなかついていけなかったのですが、依知川さんが大きなゼスチャーで「はい、次だよ!」と誘導してくれて、曲の進行と共にタイミングを掴んでいきました。
ファイナルのフォーラム公演では、お客さんの手拍子も綺麗に揃っていたのではないでしょうか。

それにしても気になるのが、この曲で柴山さんが使用したギター・モデルです。
僕はグレッチかなと思いましたが巷ではエピフォン説もあるようで、まだハッキリ分かっていません。
いずれ再確認できる日が来るでしょう。ジュリー、夏からの全国ツアーでまた歌ってくれるかな?

☆    ☆    ☆

初日のジュリーは最後に「ジジィでした~!」とにこやかにステージを後にしましたが、フォーラムでは一度「ジュリーでした!」と言ってから改めて「ジジィでした」に言い直したと聞いています。
デビュー50周年のメモリアル・イベントに向けて、ジュリーは確実にスイッチが入っていますね。

今年も、「恒例・1週間に1曲ずつYOKO君にセットリストを伝えて、関連スコア研究」シリーズが始まっておりまして、現在3曲目「3月8日の雲」まで終えています。
まぁ毎年夏の初めまでこれが続くんですけど、「同じようにLIVEを追体験して貰いたい」思いから、2曲目後のMC・・・2012年からの全5枚20曲を歌う、というジュリーのセットリスト宣言は既に伝えています。
YOKO君曰く「おとそ気分を吹っ飛ばすセットリスト」と驚愕していました。
確かに「おとそ気分」は吹き飛びました。でも、「酔える」という点では史上稀に見る唯一無二、空前絶後のステージでしたよね。「ジュリーは新年から強いお酒を出してきた」と仰った先輩も。

アンコール前に「疲れた」と言ったジュリーは、すべてのセットリストが終わり最後の挨拶をする時には一転して、この22曲を最後まで歌いきる自らの気力、体力に、自分で惚れ直していたように僕には見えました。
『祈り歌LOVESONG特集』NHKホール初日。ジュリーの長い長い歌人生の中でまたひとつ、ふっと突き抜けた感覚があったんじゃないかな。

最後に・・・フェス、そしてフォーラムでお客さんを歓喜させたというジュリーの「頑張れ」エールについて書いておきたいと思います。

色々な意味があるでしょう。
ファンの受け取り方も様々でしょう。

僕はその場にいなかったわけですから、その嬉しい出来事を俯瞰することができます。
一番に思うのは、「こんなにも、ジュリーのエールを求め、励まされる方々がいらっしゃったのだ!」と。
実際会場にいても、いなくてもね。

僕は新規ファンです。『ジュリー祭り』からこの8年、本当に「時々」でしたが、タイガース時代からジュリーを応援してこられた長いファンの先輩方と、ステージ上のジュリーの気脈が通じる瞬間、それを「いいなぁ」と羨ましく思える瞬間があったものです。
今回の「エール」は、その最たるものだったのでは?

たとえ「中抜け」はあったとしても、デビュー50周年の最初の1年目からジュリーと共に歩んでこられた先輩方をして歓喜に暮れるほどのパワーを、自然に、普通に纏い持ち続けていたジュリー。それが「今回このセットリスト」のステージで起こった、というのが歴史の重みでしょう。「媚びない」の極致でしょう。
しかもそうした先輩方は、自分がジュリー言うところの「みなさん」の中の1人である、ということを特に意識することなく、当たり前に会得していらっしゃる。

そう考えると、やはり僕はまだまだジュリーファンとしてはヒヨッコです。
でも、ジュリーの「頑張れ」を受けて「よ~し!」と奮い立ち、一丁「頑張れ」側に立つか~!というエネルギーを持てるほどには辛うじて成長しました。
初日のレポートはじっくり、ゆっくりの執筆でまさかの「ツアー終了から1週間」での完成と相成りましたが、本館での「いつもの」楽曲考察記事・・・怒涛の更新ペースで巻き返しをはかります。

困難に立ち向かい懸命に頑張っている人、大勢いらっしゃいます。個人的に応援したい先輩もいます。
「その思い、いかばかりか」と想像することを怠らず、自分にできる限りのことをやる・・・そう決心させてくれた今回の『祈り歌LOVESONG特集』でもありました。
僕はこれから夏の全国ツアーまでの間、「今、頑張っている人」のために更新を頑張ろうと思います。

それでは、こちらside-Bはしばしのお別れです。また7月にここでお会いしましょう。
ジュリー、最高のLOVESONGをありがと~ね!

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2017年1月 5日 (木)

『祈り歌LOVESONG特集』!

あけましておめでとうございます。
今年もこのネタバレ専門別館side-Bにて、ジュリーのお正月コンサートのレポートを書いてまいります。
よろしくお願い申し上げます。


デビュー50周年のジュリーがいよいよ始動しますね。
「この時のためにシングル曲をとっておいた」とジュリーが昨年語っていたのは夏からの全国ツアーのこととして、さてお正月の3大都市公演、ジュリーはどんなセットリストで新年のスタートを切るのでしょうか。

ツアー・タイトルに織り込まれた『祈り歌LOVESONG』なるフレーズをここ数年のジュリーのステージ・コンセプトと照らし合わせると、まず「un democratic love」であったり「PEARL HARBOR LOVE STORY」の「LOVE」を連想させますが、あくまでそれは僕個人のイメージ。
今回”全然当たらないセットリスト予想”シリーズで書いたのは「あなただけでいい」「HELLO」「麗しき裏切り」「SPLEEN~六月の風にゆれて」の4曲でした。
う~ん、我ながらまったく当たる気がしない・・・(汗)。

せっかくですので、先述の「un democratic love」「PEARL HARBOR LOVE STORY」以外に3曲ほど、個人的な予想(期待)曲をここで挙げておきます。

まずは、アルバム『第六感』から、「風にそよいで」。
何と言ってもこの曲には、今年新聞などで目にする機会が増えるであろう(と、僕は思っています)「オリーブの木」というキーワードがあります。
2009年に考察記事を書いた際、僕はこのジュリーの作詞について「語感重視の遊び心が満載」みたいな解釈しか持てなかったのですが(いや、それはそれで合ってはいるのでしょうけど)、今は「風にそよいで」のジュリーの詞には、社会性の高いメッセージが託されていたのかなぁと思います。「右」「左」のフレーズあたりも、深読みしようと思えばできますしね。

次に、アルバム『Beautiful World』から「坂道」。
これはね・・・僕はこの年始に大阪で『真田丸』ゆかりの地巡りで大坂城から天王寺周辺までずっと下って歩いていて、「大阪ってこんなに坂道が多かったのか」と初めて知ったんですね。土地の高低の関係で「あべのハルカス」が現時点で日本一高い建物、という割にはさほど高く見えなかったりして。
まぁそんなことを、時間があれば年始1発目の考察記事としてジュリーの「坂道」のお題にあやかって「旅日記」を書こうと思っていたのですが、後回しになってしまいました。もし今回ジュリーが歌ってくれたら、そのまま「セットリストを振り返る」シリーズとして採り上げます。

最後はアルバム『俺たち最高』から「weeping swallow」。
ここ数年ツアーの度に「今度こそ歌って欲しい!」と期待し続けているメッセージ・ソングです。
今年は酉年ですから実現の可能性は高い・・・かな?

ステージの構成についても、前半が「じっくり聴かせるコーナー」、長めのアンコールがスタンディングの「怒涛のロック・コーナー」と個人的には予想していますが・・・さて、どうなるでしょうか。本当に楽しみです。


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それでは、初日NHKホール公演にご参加のみなさま、会場でお会いしましょう。
お留守番組のみなさまは気が気ではないでしょうが、ネタバレまでしばしお待ちあれ!

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