沢田研二 「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より
from『un democratic love』、2016
1. un democratic love
2. 福幸よ
3. 犀か象
4. Welcome to Hiroshima
~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より
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先週の金曜日は、仕事で外回りの日。
1日暖かい陽気の中、あちらこちらで出逢う桜を楽しむことができました。
この2枚は会社すぐ近く、新目白通り沿いの神田川。
勤務中の移動の先々の街では、桜だけでなく、スーツ姿のお母さんと真新しい制服を着た子どもが連れ立って歩いている光景に何度も出逢いました。
「あぁ、今日は入学式なんだな~」と、見ているこちらも身が引き締まったのでした。
僕がファンになるずっと前から、ジュリーは「無難な日常」の大切さを歌い続けていたんだなぁ、と思い知らされて・・・僕のような者でも「小難」はしょっちゅうなんだけど、「大難」の無い僕の日常は平和です。
「平和な国に暮らしています」と胸を張って言えます。
さぁ、ジュリー2016年の新譜『un democratic love』全曲考察も、いよいよ締めくくりとなりました。
お題は4曲目収録の「Welcome to
Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」。
GRACE姉さんの曲に、2014年の広島・平和祈念式での『子ども宣言』・・・広島の小学6年生2人の子ども代表による『平和への誓い』の言葉を載せ、ジュリーが補作詞するというこれまでにない試みによって、日本の未来、世界の平和へ祈りを捧げるべく作られた、永遠不朽のメッセージ・バラードです。
僕は今、今回の新譜の大トリがこの曲で良かった、としみじみ感じているところです。
ここまで3曲・・・「un democratic love」「福幸よ」「犀か象」、と四苦八苦しながらも真剣に向き合って書いてきて良かったなぁ、とも。
そんなすがすがしさを感じている理由は、この4曲目の記事執筆途中に、まるでご褒美のように嬉しい出来事が2つも重なったからです。
そのうちのひとつ。これはもう、みなさまも僕と同じように喜びを噛みしめていらっしゃることでしょう・・・ジュリーからのリストバンドのプレゼントです。
いつもの澤會さんの封筒の中、余計な文言は無くシンプルに『PRAY FOR JAPAN』のリストバンドが、グッズ・インフォメーションと共に封入されていました。
「輪」=「和」。
緑は「平和」の色。
そこに『PRAY FOR EAST JAPAN』の黄色が含まれて黄緑色になった今回のリストバンド。つまり、これひとつで以前の黄色の意も合わせ持つことになりますから、ジュリーは前のリストバンドを持っていないファンのことも気遣ってくれたのかもしれませんね。
今の思いを形にしてファンに届けてくれたジュリーの心遣いが嬉しく、誇らしく・・・同時に、今年の新譜のコンセプトもこれでハッキリしました。何故ジャケットのリストバンドから文字が消えていたのか・・・それは
「聴いて、みんなそれぞれの文字を考えてみて」
というメッセージだったのではないでしょうか。
ファンが新譜を充分聴き込んだ頃合いを計ったかのような、今回の贈り物でした。
ジュリー自身の文字は、『PRAY FOR JAPAN』。
「祈り」について書こうとしていた今日の考察記事。そのタイミングで『PRAY FOR JAPAN』のリストバンドがジュリーから贈られてきて、改めて勇気が沸いてきました。本当に元気が出ました。
もうひとつの「嬉しい出来事」は・・・小さな小さな、それでも僕にとっては奇跡の偶然。
先週金曜日、満開の桜と街ゆく新入生達の姿に刺激を貰って、その夜からとりかかった、この「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」考察記事の下書き。
広島の子ども代表の『平和への誓い』が題材とあって、幼い頃に1年ほど住んだ経験のある広島の地へと僕が思いを馳せたのは、ごく自然なことでした。
僕の父親が勤めていた大手製薬会社は転勤が多く、僕は名古屋で生まれると、その後は父の転勤に伴って静岡県清水市、静岡県静岡市、広島市、岡山市と転々と移り住みました。
小学3年生の時に父親の実家・鹿児島の祖母が亡くなり祖父1人が残されたため、父は会社に申し出て、出世と引き換えに鹿児島支店生涯勤務となりそれ以後僕は大学進学で上京するまで鹿児島に住むことになりましたが、それまでは本当に引っ越しばかりで。
そんな中で僕が小学校に入学したのは、ちょうど広島に住んでいた時だったのでした。
僅か数ヶ月で岡山に転校となったので、校舎や通学路の景色などの記憶はほとんどありません。覚えているのは、隣に住んでいた「こうちゃん」という同級生の影響で広島カープのファンになったことくらい。
広島で入学したその小学校の名前を、僕はなんとなく「牛根小学校」と記憶していましたが・・・はたと気づきました。「牛根」というのは鹿児島の大隈半島の土地の名称なんですよ。それをゴッチャにして誤って覚えているんじゃないか、と。
ネットで調べたところ、広島に「牛根小学校」という学校は存在しません。
「もしかすると」と、言いようのない突然の予感に奮えつつ、父親に尋ねてみました。すると、「それは牛根じゃなくて牛田小学校だ」との返事が・・・。
何と僕は1972年春に、あの『平和への誓い』の広島の子ども代表・女の子の田村さんが在籍していた、牛田小学校に入学していたのです!
同時に僕が、敬愛するジュリーファンの大先輩でいらっしゃるsaba様の小学校の後輩であったことも判明しました(ブログを拝見していたので)。
今はsaba様も僕も広島とは全然離れた土地に住んでいますし、普通ならこんな偶然はお互い一生知ることは無かったはず。それが、ジュリーの新曲がきっかけで、信じられないほどの素敵なご縁を知るに至ったという・・・凡庸なる身でこんな奇跡みたいな偶然を実感できる日が来ようとは、僕もそれなりに長く生きてる、ってことなのかなぁ。
早速saba様に「突然ですが実は・・・」とお知らせしましたら、本当にビックリしていらっしゃいました。
僕としては、ただただ「光栄」としか言えず嬉しいばかりのご縁で、今日の記事に取り組むにあたってとても明るい、暖かい気持ちになれたこと、本当に良かったと思っているところです。
思えばここまで3曲、何処か不安な心をも抱えながらの記事執筆となっていたかもしれません。それが、最後の1曲で陽が射したような気がしています。
桜の季節にこの曲に向き合うタイミングとなったささやかな運命に感謝しつつ、ジュリー2016年の新譜『un democratic love』から最後の1曲「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」、これから全力で考察してまいります。
よろしくお願い申し上げます。
先日のG7外相会議の『広島宣言』は、本当に意義深いものだったと思います。
アメリカ閣僚の歴史的な献花、他国閣僚も広島を訪れたことで何か感じるものがあったはず。
そして、「核なき世界」へ向けての広島からの発信、その実現をこれからも「世界で唯一にして最後の被曝国」として日本がリードしてゆくと信じたい、そんな世界的機運に期待したい・・・なのに何故今、「日本は核武装すべき」と考える若い政治家が増え、そう考える人達が何故、国のトップである安倍さんの「応援団」なる存在でいられるのか、僕には分かりません。
外交カードとしての核保有?
強い発言力を得るための核武装?
それが世界の常識ならば、日本がそれを変えていかなきゃ、と僕などはそう思う性質なのですよ・・・。
今回ジュリーが詞の題材とした2014年8月6日、子ども宣言『平和への誓い』については、多くのブログ様がYou Tubeの映像をご紹介してくださっているのでみなさまもうご存知かと思いますが、改めてここでもリンクを貼らせて頂きます(こちら)。
小さな子ども達の言葉が、どんなに偉い(?)大人の政治家の口から発せられる「平和」よりも大きな力で胸に響いてきます。「平和を祈る」って本来こういうことなんだ、と僕らを立ち返らせてくれる・・・そんな力強くピュアな子ども達の言葉です。
ジュリーが歌にしてくれて初めて知った、幼いからこその無垢で純粋な誓い。
それを歌にしてみよう、と思いついたジュリーの感性がまず素晴らしいわけですが・・・驚くべきは、GRACE姉さんの新曲がまるで運命のようにそのジュリーのアイデアを引き寄せていることです。
決してキャッチーとは言えないロック独特の構成に、ここまで無垢、純粋な美しいメロディーを載せることができるGRACE姉さんの不思議な才能。ジュリーやバンドメンバーは唸ったと思いますよ。
今日も前回記事同様に、まずは作曲、メロディーについての考察から始めて、いかにジュリーがそこに言葉を注いでいったのかを考えてみることにしましょう。
GRACE姉さんの作ったこのメロディーには、『PRAY FOR JAPAN』というジュリーの志が本当によく似合います。
メロディーの最低音は低い「シ」の音で、最高音は高い「ミ」の音。
「キャッチーとは言えない」とは書きましたが、それぞれのヴァースを取り出してみると、この曲は古くからある洋楽ヒット曲などでも使用頻度の高い王道の進行を部分的に擁していることが分かります。
そうした進行に美しいメロディーが載っていると、「どこかで聴いたことがあるような・・・」と感じる場合が多くて、それはこの曲も例外ではありません。
例えばいつもお世話になっている長崎の先輩は「なんとなく”良の悪夢”を思い出す」と仰っていました。
僕は『悪魔のようなあいつ』をまだしっかり鑑賞できていない状況で(2018年6月までには気合入れてDVD全巻制覇する予定)、その先輩に「どんな曲だか分からない~」と言いましたら・・・先輩がお持ちのサントラLPについていたというスコアを見せて頂けました。
何とこれ、大野さんの直筆なんですってね。
サントラ・レコードに収載曲のスコアが普通についてくるなんて、なんと贅沢な時代でしょうか(そう言えば、僕の持っている『太陽にほえろ!』のサントラにもスコアのオマケがありました)。
「良の悪夢」・・・メロディーを追っていくと、なるほど「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の雰囲気、確かに感じられます。
一方、僕が最初にこの曲を聴いた時に思い起こしたのは、ジュリーのファーストアルバム『JULIE』大トリに収録されている「愛の世界のために」。
トニックの1音下のコードを使ったメロディー、或いは「世界」という歌詞フレーズからの連想でしょうか。
あとはAメロ展開部の
語り 合い 話し 合いましょう ♪
F#m7 B G#m7 C#m
ここは、「愛の世界のために」の「何にもかえがたいやさしさが♪」の箇所と何となく似ています。
また、Aメロ冒頭
平和について これからについて 共に ♪
E Emaj7 E7 A
「ミ・ソ#・シ・ミ」→「ミ・ソ#・シ・レ#」→「ミ・ソ#・シ・レ」と、コードの構成音のひとつが半音ずつ下降していく長調の進行・・・これはみなさまご存知「マイ・ウェイ」、或いは「サムシング」のAメロと同じ理屈です。
さらにアレンジ的なことで言えば、トニック・コード1本でシンプルに、厳かに導入するイントロで、「届かない花々」を連想した人もいらっしゃるかもしれません。
「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」の場合は、そんな「何かの曲を思い出す」ような親しみやすいヴァースそれぞれの組み合わせ方・・・全体の構成が変化球なのですね。
僕が最も惹かれているのは、大胆な転調部です。
ホ長調の曲がサビでイ長調に転調し、再びホ長調へと舞い戻ってくる箇所の進行とメロディー。
Welcome to Hiroshima 世界へ ♪
D E
被爆地の悲願のPray ♪
D E
この時点では(「D」への移動は若干捻った進行ですが)まだホ長調のままです。転調するのは次の
Welcome to Hiroshima Wekcome to
G A
世界への真っ直ぐな Appeal ♪
G A B7
ここはイ長調。「拡がり」「飛翔」を感じるスケールの大きな転調です。最後の「A→B7」に載せた「ド#→レ#」のメロディーがまた独特で、ジュリーの迷い無い突き抜けたヴォーカルを引き出しています。
しかも、どうやらこの「ド#→レ#」の部分でこの曲は既にホ長調に舞い戻っているようなのです(「A」がサブ・ドミナント、「B7」がドミナント)。
依知川さんの「犀か象」での転調が一瞬の「居合い」とすれば、GRACE姉さんのこの曲での転調は、拡がっていく「抱擁」の感覚。
サビのホ長調の2行、イ長調の2行それぞれの冒頭に「Welcome to Hiroshima」のフレーズを繰り返し当てたジュリーのセンスが素晴らしいです。
先にリンクさせて頂いた映像で確認できますが、子ども達の「Welcome to Hiroshima」は、いわゆる「日本語的な」発音です。「ウェルカム・トゥ・ヒロシマ」・・・それが良いですし、それで伝わるんですよね。
だからジュリーも無理に英語っぽい発音を避け、子ども達に倣うように発音して歌いたかったのだと思います。結果ジュリーが歌う「Welcome to Hiroshima♪」は、GRACE姉さんの作ったサビの「力を溜める」ようなメロディーにピッタリ嵌っています。
歌メロ最後の
人間を 信 じて ♪
A C D E
「信じて♪」の箇所では「ド・ミ・ソ」→「レ・ファ#・ラ」→「ミ・ソ#・シ」と、和音が2拍間隔で1音ずつせりあがっていきます。曲全体に流れる「拡がってゆく」「抱きしめる」感覚が最も強く感じられる箇所で、歌メロの「結び」にふさわしいですね。
ジュリーは何よりGRACE姉さんの「無垢無心」「純粋」をメロディーに感じたのだと思います。
「2014年の広島の子ども達の言葉を歌にしよう」というアイデア自体はジュリーも新譜制作の前から持っていたとは思いますが、当然「どんな曲でもよい」わけはなく・・・GRACE姉さんの作ったメロディーに、ジュリーが「これがその曲だ!」と思ったのか、それとも最初にGRACE姉さんに『平和への誓い』の話をして、「詞先」に近い作曲作業となったのか、それは僕らファンには分かりません。
ただ、どんなに高度に練り込まれた曲であっても、まず「ピュア」なメロディーでなければあの子ども達の言葉は載せられないと思うんですよ。それを実現させたジュリーとGRACE姉さんは本当に凄いです。
子ども達の『平和への誓い』の言葉の中でジュリーが深く共感したのは、「これからについて」という表現だったんじゃないかなぁ、と僕は思っています。
今「平和」について考えるならば、正に「これから」についても考えなければいけません。あまりに攻撃的な物言いをする人は論外として、たとえ僕とはまったく真逆の考えを持つ人でも、その言葉は「これから」を考えて発せられていると僕は信じ、「たくさんの違う考え」をお互いにしっかりと持ち、話し合っていきたいものです。
実際、友人にそういう人達はたくさんいるんです。彼等の知見から僕が学ぶことも多いですし、彼等も僕の話を聞いてくれます。
恐ろしいのは、「話を聞こうとしない人」。これは、僕自身も気をつけていかなければなりません。
何故今、「安保法制」について世論が真っ二つに割れているのか。僕のような考えの立場から言うと「これ以上はもう歯止めはきかない」ということです。
ザ・タイガースの『ヒューマン・ルネッサンス』収録曲順で言うと今この国は、混迷に揺れる「ただよう小舟」の段階から、安保法制施行によっていつでも「朝に別れのほほえみを」に進んでしまうような態勢となりました。
そこで重大事が起これば、あっという間に「忘れかけた子守唄」に至ります。
安保法制とて、いきなりそのすべての内容が無から生まれたわけではありません。
遡れば、安倍政権は2012年の内閣発足後、2013年には『国家安全保障会議』を発足(武力行使をはじめとする諸例について、首相と閣僚だけで閣議決定することが可能となる。この時点では当然、武力行使とは専守防衛を指していましたが、安倍さんはその先を見ていたようですね)、年末には『特定秘密保護法』も成立。
2014年には『防衛装備移転三原則』(武器開発、輸出を実質上推進するもの)の閣議決定を断行、さらに集団的自衛権行使容認をこれまた閣議決定。これほどの重大案件を閣議決定為し得たのは、前年の『国家安全保障会議』発足あらばこそです。
2015年9月にはご存知の通り安保関連法案が可決成立し、10月には予定通りの『防衛装備庁』(民間企業の武器輸出などを政府が仲介)の発足。
そして2016年、つい先月の3月末に安保関連法が施行となり、法的効力を持つに至りました。
これらはすべて関連があり、繋がってきた法制成立、機関発足の流れです。同様に、今このまま安保法制を野放しにしておけば、さらにこの先そこから繋がった様々な法案が可決してゆくことが予想できます。
まずは「緊急事態法」でしょう。
内閣決議が法律と同等の権限を持つ、というもので、これはもう内容も具体化しています。
じゃあその後は?
反対意見の世論を押さえ込む「言論統制法」が考えられます。実現してしまったら、僕はもうこんな記事は書けなくなりますし、何よりジュリーのコンサートが開催できなくなってしまうかもしれません。
さらに、核兵器の保有を正当化する法制も・・・想像したくもありませんが、その法案名にはとってつけたように「原子力平和利用」なんていう文言が着いてくるのでしょう。これは当然、原発政策とセットになります。
十数年前まで僕は正直、自民党のことをここまで嫌いじゃなかった・・・大下英治さんの「政界三国志」っぽいノンフィクション小説を若い頃夢中になって読んでいましたが、やっぱり自民党を描いた作品が抜群に面白かったんです。
安倍さんのお父さんも魅力的に描かれていて、中曽根裁定による竹下さん、宮沢さんとの総裁指名闘争をめぐるストーリーは特に印象に残っています。
勝利した竹下さんを支えるべく奮闘した若手議員の中には、今は立場が変わった小沢さんもいて、世代が変わり立場も変わり・・・なるほど、かつての自民党内の若い「侍」達は、今はいなくなってしまったのかな。
本音で言えば、僕は部分的には「この点については自民党の方が正論じゃないか」と思う政治課題の議論もあって・・・そうしたことをこの際すべて差し置いてでも今僕が「対自公」の野党を支持するのは、「反戦」「反核」の気持ちだけは絶対に譲れないから。
日本が戦争をしたり、戦争に加担したりする未来は到底受け入れられません。
僕はさっき、この国の「これから」についての最悪のシナリオを想像して書いてしまったけれど、もちろん「平和な国日本」としての「これから」も想像できます。
その実現のためにどうすれば良いか、を考えなければなりません。
かつて、「想像できることは実現できる」と言ったのはジョン・レノンでした。
でも、「想像して、実現へ」の意味では現政権も同じようにしているわけで、僕のような考え方の者はずっと旗色が悪かったのは事実です。想像はしていても、実現をあきらめていたふしがありましたからね・・・。だから僕は、声を上げ始めた若者達に気持ちを立ち返らせてもらって、昨年来頼もしく感じているのでしょう。
「”俺達は戦争はしない”なんて、カッコイイ憲法じゃないか。ジョン・レノンの歌みたいだ」
と言ったのは忌野清志郎さん。
それを安倍さんは「恥ずかしい憲法」とまで言ってしまった・・・僕にはとても支持はできませんよ。
ジュリーの歌は、そんな僕の「感情」とはまた少し違います。むしろ、心を鎮めてくれるような・・・深いところで、心の根っこにピンポイントで届き響いてきます。
それを分からせてくれたのが、ジュリーが題材とした子ども達の『平和への誓い』の言葉でした。ジュリーのピュアな歌声は、「たくさんの違う考えが平和への力になる」という子ども達の言葉そのものです。
僕もどうにか、その境地にまで辿り着きたい・・・。
さて、もちろんこの曲は演奏も素晴らしいですが、ここで熱烈に書いておきたいのはアウトロの柴山さんのリードギター・ソロ。僕はこのソロを最初に聴いた時、どうしようもなく加瀬さんを思い出したんです。
ポイントは2つ。
まず、美しいメロディーをそのままギターの音階で再現していること。ワイルドワンズ・ナンバーでの加瀬さんのソロは、そういうスタイルが多いですしね。
あとは何と言っても音作りです。初めはてっきり12弦ギターだと思いました(みなさまも音源を注意して聴けば、柴山さんがギター・ソロで高い音と低い音を同時に鳴らしていることにお気づきになるでしょう)。
そう言えば僕は、柴山さんのアコギ12弦は知ってるけどエレキの12弦って見たことないぞ、と気がつきまして、しょあ様に「柴山さんのエレキ12弦のモデルって何でしたっけ?」とお尋ねしてみました(僕の『ギター・マガジン』柴山さん掲載号は、現在会社で行方不明になっているのです・・・涙)。
すると「載ってないよ~」とのお返事・・・これはどういうことでしょう。柴山さんが今回の新譜で新たなギターを使用しているのか、それとも完全にオクターバーだけであの音を出しているのか、はたまたユニゾン・パートを高低に分けての2トラックの別録りなのか(でもそれはちょっと考えにくいかな。下山さん不在ではステージ再現ができませんから)。
また、僕はこのソロに柴山さんの2つの魅力を同時に感じています。
ひとつは「凄腕の職人」としてのアレンジ構成力。
下山さんがいなくなって、「ギター・ソロ」にかかる比重はとてつもなく大きくなりました。オクターブ奏法の導入は、バッキング不在のソロ部でバラードの重みを失わないための「音圧」への気配りでしょう。
もうひとつは、バンドマスターとしてのメンバー作曲作品への「音での配慮」です。
近年の柴山さんは特にGRACE姉さんの作曲作品での名演が多く、例えば「PRAY~神の与え賜いし」「三年想いよ」でそれぞれまったく違ったアプローチでソロを弾いています。これはもちろんジュリーの詞に合わせた意もあるでしょうが、何より作曲者の「思い」を受けて弾き方やフレージングを考案しているように思います。
今回は「三年想いよ」と同じ「メロディーをそのまま再現」する手法でした。
ただ、「三年想いよ」がサスティンを効かせたロングトーンだったのに対して「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」がオクターブと、「残響音」の表現が全然違うんです。
前者が「悲しみ」、後者は「希望」と、GRACE姉さんが曲に込めた「思い」を柴山さんがそう受け取ったものと考えてみましたが、いかがでしょうか。
個人的にはこの曲の柴山さんのソロは、夏からのツアーで最大の見どころだと思っています。
見たこともない12弦ギターを弾く柴山さんが観られるのか、最先端のオクターバーの威力を味わうことになるのか・・・いずれにしても、これまで僕が見たことも聴いたこともないアプローチの柴山さんの演奏。
2016年、ジュリーだけでなく柴山さんのギターも、まだまだ底知れぬ進化の途上にあるようです。
後註:柴山さんのエレキ12弦、ぴょんた様が発見し映像をキャプチャーしてくださいました。
NHK『SONGS』放映時の「FRIENDSHIP」です。これは盲点でした。
よく考えてみますと『SONGS』演奏収録時、ジュリーwithザ・ワイルドワンズはまだ下山さんを加えての編成なんですよね。
下山さんが急病でツアーに帯同できなくなり、テレビスタジオ収録とツアーとでは編成が変わっているわけです(「プロフィール」なんかも、『SONGS』では柴山さんアコギ弾いてますからね)。
それにしても、加瀬さんがアコギ12弦、柴山さんがエレキ12弦という組み合わせは貴重過ぎます。何より曲が「FRIENDSHIP」というのが、今の僕の気持ち的には涙もの・・・。
ぴょんた様、ありがとうございました!
ということで・・・オクターバーの可能性もありますが、僕は夏からのツアーの「「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」のギター・ソロで、柴山さんは上添付画像のエレキ12弦を弾く、と予想しておきます~。
そして、このギター・ソロが「間奏」ではなく「後奏」に配されたアレンジはジュリーのアイデアだったのではないか、と僕は考えています。
ゆったりしたテンポでAメロを丸々ギターの単音で再現し奏でるということは、それだけアウトロの尺が長いということ。「三年想いよ」もそうでしたが、アウトロが長いバラードと言えば、昨年のツアーで体感した「白い部屋」が思い出されます。あとは、セットリストの常連曲「約束の地」「さよならを待たせて」などもそうです。
これらの曲で、ヴォーカル部を歌い終えたジュリーがステージでどんな様子でいるか・・・ジュリーファンならばすぐに脳内映像が出てきますよね。
伴奏をバックに「祈り」を捧げるジュリーです。
夏からのツアーで「Welcome to
Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」を歌い終えたジュリーの、柴山さんのソロと共に深い祈りを捧げる姿が今から目に浮かんできます。
すべての被災地への祈り。
この国の未来への祈り。
世界平和への祈り。
客席の僕らも、ジュリーと一緒に祈るでしょう。
いや、難しく「何を祈るのか」と悩む必要はまったくないと思うのです。例えば僕はもしかしたら、柴山さんのギターを聴きながら天国の加瀬さんを思って祈ることになるかもしれません。
どんな祈りであっても、「祈る」ということはすべて根っこで繋がっているのではないでしょうか。昨年僕は加瀬さんのことを考えるたびに、「こういう思いは平和への祈りに似ている」と何度も感じたものです。
今年のツアーの「Welcome to
Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」では、何を構えることなくジュリーの歌とバンドの音に身を委ね、ステージのジュリーと一緒に祈る・・・そんなシーンを体感したいと思っています。
ということで・・・今年2016年も無事にジュリーの新譜全曲の考察記事を書き終えることができました。
力強い縦ノリのビートを押し出した「福幸よ」「犀か象」の2曲を中央に挟んで、「祈り」のバラード2曲・・・「un democratic love」に始まり「Welcome to Hiroshima ~平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より」で締めくくられる今年の新譜は、ジュリーの気持ちが前へ前へと向かっているのが伝わってくる名盤でした。
僕はその全4曲に「誇大でない現実」をしっかり見据えた上で「平和な未来」を望み努力する日常の尊さを学んだように思います。
ジャケットのリストバンドの文字空白の中に、ここへきてようやく『PRAY FOR JAPAN』という文字がが浮かび見えるようになりましたから。
懸命に考えることで見えてくるものってあるんだなぁ、それがジュリーのメッセージと、贈り物の意味なのかなぁと勝手に合点しているところです。
今はただ、夏からのツアーが待ち遠しい!
ツアー初日を心待ちにしながら、拙ブログではこれからしばらくの間、自由お題でまた様々な時代のジュリー・ナンバーについて書いていくことになります。
でもその前に・・・。
僕は、拙ブログの恒例事として新たに、毎年4月20日に必ず加瀬さんのことを書く、と決めました。
ジュリーが歌った加瀬さんの作曲作品はすべて記事にしたけれど、ジュリー以外の人、バンドへの加瀬さんの提供楽曲、それに何と言ってもワイルドワンズのナンバー。たくさんあります。
加瀬さんと言えば、「ブルー・ムーン(仮題)」と名づけられた自筆のスコアが発見され、それがワイルドワンズのナンバー「蒼い月の唄」としてリリースされたニュースはもうみなさまご存知ですよね。
僕も音源だけは聴きましたが、まだ正式な形では購入していません。収録されている『オール・タイム・ベスト』が手持ちの『All Of My Life~』と曲目が重複しまくっているので、購入を迷っているんです。
でもいずれ何らかの形で購入するつもりですので、「蒼い月の唄」の考察記事はまたその時の機会にということで・・・今年は、加瀬さんが作った「平和」の歌を採り上げたいと思っています。
作曲の経緯はおろか、リリース年すら分からない曲ですが、とにかく僕は加瀬さんの素晴らしさについてまずは全力で書くのみです。
次回更新は4月20日。
ワイルドワンズ・ナンバーのお題でお会いしましょう!
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