『ROCK'N ROLL MARCH』

2017年4月23日 (日)

沢田研二 「TOMO=DACHI」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

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さて、これから拙ブログでは『ジュリー祭り』セットリストからのお題を3曲続けて更新していく予定ですが、第1弾の今回は短めの変則的な内容となります。

先の記事で書いた通り、僕は今月15日から母親の17回忌法要のため久々に鹿児島に帰省しました。
故郷に帰るとどうしても少年時代の想い出が溢れてきます。今日はそんなとりとめのない想い出の中から、僕の高校時代・・・初めて「落語」というものに興味を持った時のことを書かせて頂こうと思います。
「落語」がキーワードと来ればお題にあやかる曲は、ジュリー自らの作詞で友人・桂ざこば師匠のことを歌った「TOMO=DACHI」で決まりですね。
アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』から、よろしくおつき合いのほどを・・・。


僕の出身校は、鹿児島県霧島市にある国分高校(通学当時は市町合併以前の国分市)。
一応歴史ある県立の進学校なのですが元々は女子校で、僕が通っていた頃は生徒の女子率が7割近かったでしょうか(いや、別にそれが目的で入学したわけではないですよ!)。「勉強、勉強」という雰囲気はまるで無くて、良い意味でのんびりした校風でした(今はどうか分かりませんが)。
女子校時代の校歌が何と北原白秋・作詞、山田耕筰・作曲というのが、自慢できる特記事項かな~。

で、今も続いているのかは分からないんですけど、国分高校では年に1度『卒業生を送る会』なる行事が開催されていました。これは完全に「生徒主導」の仕切りで執り行うイベントで、毎年2年生を中心に生徒達がアイデアを出し合い、卒業を控えた3年生の在学の想い出となるような工夫が凝らされます。
高校生の考えることですから良くも悪くも斬新、恐れ知らずのアイデアが飛び交います。確か僕らが「送られる」年・・・誰が最初に言い出したのか「落語家さんを呼ぼう!」という話が持ち上がりました。
なにせ鹿児島の片田舎の、しかもたかだか高校生です。皆、落語家さんなんてほとんど知らないに等しいんですよ(少なくとも当時の僕はね汗)。
でもただ一人だけ、僕も含め全校生徒知らない者はいないだろう、という人がいました。
当時『笑点』司会者となって数年が経ち、全国区不動の人気を爆発させていた5代目・三遊亭圓楽師匠です。

高校生の行動力は凄いものです。なんと即座に圓楽師匠にオファーを出してしまったという・・・これが大人(先生)達の仕切りだったら、「それはさすがに無茶」のひと言で片付けられていたのかもしれません。
ところがさらに驚くべきことに、圓楽師匠からは素早い快諾のお返事が!
都会ならいざ知らず、鹿児島の、しかもド田舎の高校の『卒業生を送る会』のために、あの圓楽師匠が高座に来てくださるというのです。多くの生徒達はそれがどれほどの奇跡なのかすら実感していなかったというのも今考えれば失礼過ぎる話なんですけど。

当時僕は「落語」などまるで知らないに等しかったです。下手すると、大喜利と落語の区別すらついていなかったかもしれません。
予備知識の無いまま当日を迎えることとなりました。

圓楽師匠が用意してくださった高座は、最初から最後まで師匠独演の三部構成でした。
まず第1部では、「落語」の成り立ちやこれまでの歩みを面白おかしく教えてくださいました。
続く第2部では、特別落語に興味が無くても皆がチラッとは知っているとても有名な噺をしてくれた・・・と思います。明確に書けずすみません、実は第1部と第2部については内容をよく覚えていないのです。ただ、この第2部までは会場の生徒、先生方もひっきりなしに笑い、とても賑やかだったという印象だけは残っています。

空気が一変したのは第3部。
僕が強烈に打ちのめされ、その後「落語」に興味を持つに至ったのは、この第3部での圓楽師匠の高座が忘れられなかったからです。
鹿児島のド田舎の高校生のために遠路はるばるやって来た圓楽師匠が、第3部・・・つまり「大トリ」で何の噺をかけてくださったと思います?
少しでも落語に興味を持つ読者のみなさまはビックリされると思いますよ・・・何と、『死神』です。
素人、まして初めて高座を聞く高校生には、一体この噺のどこでどんなふうに反応し笑うのが正解なのかすら分かりません。ただただリアルに、本当にリアルに情景を語り話を進めてゆく圓楽師匠のほとばしるオーラ、熱気に圧倒されるばかり。師匠の前に、噺の肝である蝋燭が立ててあるのがハッキリ見えるんですよ。

そして最後の最後・・・師匠がその蝋燭の炎に向かって「あぁ・・・消えるぅ・・・」と呻き、ガクンと頭を落としました。会場はシ~ンと静まりかえっています。皆、「これで噺が終わり」ということも分かっていません。
沈黙の時間がずいぶん長かったような記憶がありますが、実際にはほんの数秒だったかもしれません。拍手も無いままにその沈黙は過ぎ、顔を上げにこやかな表情に戻った圓楽師匠は、『死神』の「オチ」の説明をしてくださいました。この噺の「オチ」にはいくつものヴァリエーションがあるのだけれど(例えば、蝋燭が消えた瞬間に派手に後ろにひっくり返る)、自身が受け継いだ『死神』はこういう終わり方をする、そしてそれを自分も後世に伝えてゆく、と。
これは一体どういう世界だ?凄いぞ・・・「落語」というのはこれまで僕らがかじっていたほんの少しの知識とは比べものにならないくらい深いのだ・・・。
と、多くの生徒達が感じたはずです。

後になって思えば、圓楽師匠としては高校生相手に『死神』をかければこういう状況(会場がオチも理解できず場が静まりかえって終わる)になる、と見越していらしたはず。それも含めての高座であったでしょう。
チャレンジ精神旺盛な師匠はオファーを受けて、高校生対策を練りに練り、見事たったの1日、たった数時間の間に落語の「いろはの”い”」から上級までを駆けてくださったのでした。

師匠が最後に「わたしゃあ国分高校を生涯忘れやしません」と言ってくださったのを、今でも昨日のことのように覚えています。
大学進学のため上京した僕はその後、池袋演芸場に数回(お客さんが僕と連れの友人2人だけ、という日もあったなぁ)、あと場所は忘れましたが銀座で「食事をしながら落語を楽しむ」会など、これまで何度かプロの落語家さんの高座を聞きました。
残念ながら先代圓楽師匠の高座を聞いたのはあの高校生の時一度きりとなってしまいましたが、「10代の高校生時に5代目・三遊亭圓楽師匠の『死神』を生で体感したことがある」というのは一生の宝物です。

そうそう、僕は「上方落語」は未だ体感したことが無いんです。NHK朝ドラ『ちりとてちん』に大嵌りしていた時に、知識だけはずいぶん蓄えましたけどね。
いずれ機会あらば、と考えています。


といったところで、思い出話はここまで。
今日お題にあやかったジュリーの「TOMO=DACHI」についても少し書いておきましょう。

ずっと気になってたんや
Am                Dm

会えたらどないやろか ♪
G7     E7        Am

ざこば師匠のことを歌った曲、ということすら『ジュリー祭り』後に知った僕が、アルバム購入時にこの曲を「関西弁?トリッキーでユニークな曲だけど、よく分からないなぁ」と思ってしまったのは致し方ありません。
今聴いて改めて感じるのは、題材やアレンジなどに『今、僕は倖せです』の頃のジュリーを重ねることもできるんじゃないか、という。
身近なテーマをロックする!というのは2000年代ジュリーの特性のひとつですが、「TOMO=DACHI」の詞には、ジュリーの周りにいる「人」の存在をひしひしと感じることができる好篇の意味で、72年のセルフ・プロデュース・アルバムからのジュリーの創作姿勢の一貫性、繋がりを思います。
「リズム=キメのリフ」を採り入れたアレンジも、「お前なら」を彷彿させますしね。

八島順一さんの作曲は、95年の「泥棒」にかなり近い手法だと思います。この2曲はあまりにイメージが違うので「えっ?」という先輩方も多いでしょうけど、「TOMO=DACHI」って「カッコイイ歌謡曲」にも通ずる、哀愁漂うキャッチーな短調のメロディーなんですよ。
同主音による移調を採用して全体の構成にメリハリをつけているのも「泥棒」との共通点。「TOMO=DACHI」の場合は、イ短調の曲がサビと間奏で明るいイ長調へと転調します。

ZACK ばらんな人や おもろいで
A        E          F#m      D

BUT 泣かっしょんにゃわ
A      E             F#m

はなしが良え シビレタで ♪
   D          F      G      A

躍動的なメロディーですよね。
ひとつ謎なのは、何故これほどまでドラムス・パートのミックスを抑えたのかなぁ、と。
いかな打ち込みのプログラミングとは言え、こうも極端なミックスは珍しい。僕などには気づけていない、白井さん一流の狙いが何かあるのかもしれません。
今後の考察課題です。


それでは、オマケです!
まずは、『ジュリー祭り』2大ドーム公演を前にしたジュリーが思いを語った、『読売新聞』夕刊記事から。


Img126

200815


続きまして、同じく2008年の資料。ジュリーの「TOMO=DACHI」と言えば当然この人もそう・・・客席から観る『ジュリー祭り』を楽しみにしているサリーの記事です。

Gsw


今回「TOMO=DACHI」の執筆をもって、昨年の『G. S. I LOVE YOU』に続き、『ROCK'N ROLL MARCH』についてもアルバム収録全曲の記事制覇成りました。
一応過去記事をすべてアルバム・タイトルのカテゴリーに移行しますが、少なくとも「Long Goog-by」の記事だけはいずれ機を見て書き直すつもりです。
「あのままだよ」と併せての記事ですし、あの曲をタイガースの「た」の字も知らない超・ヒヨッコ状態で書いてしまっているのは大いに問題アリですからね・・・。


それでは、次回からは通常の考察記事として、『ジュリー祭り』セットリストからお題を採り上げます。
全82曲の記事完全制覇まで残すは8曲。
意外や「これをまだ書いてなかったんか!」という重要な名曲が結構残っているんですよね~。
引き続き頑張ります!

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2016年9月27日 (火)

沢田研二 「ROCK'N ROLL MARCH」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

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早いもので9月も最終週。
ジュリーのツアーも各地大盛況であれよあれよという間に進んでいきます。

僕はと言えば、内痔核切除手術本番まであと2週間のカウントダウンとなり・・・ちょっとため息が多くなってきたかなぁ。でも、仕事で忙しくしているので気は紛れていますし、こうしてブログ記事を書くというのも心の平穏を保つには役立つようです。
何より、ツアー各会場にご参加のみなさまからジュリーの様子をここでコメントして頂けることが元気の素となっています。ジュリーがこんなに頑張っているんだから、僕より年長のみなさんも元気にLIVEに参加されているんだから、僕も頑張ろうと思えるのです。
ありがとうございます!

そんな個人的な今の状況下、僕は「今までとは違った聴こえ方」をするようになったジュリー・ナンバーを何曲か再発見し、大いに勇気と元気を貰っています。そして、その多くがGRACE姉さんの作詞作品であることに、改めて驚き感動させられているところ。
鈍感でセンスの無い僕がこれまで気づけていなかっただけで、GRACE姉さんの詞には、弱っている心を優しく力強くほぐしてくれる魅力があるようです。
中でも今一番入れ込んでいるのはやっぱり、僕の現在の心境そのものズバリ!な「GO-READY-GO」。

恐れの中に 飛び込む勇気だけが
G        C      G                  C

難関突破  できる
G   G(onB) C    C#dim

生きるためならダイ ブ ♪
D                   B♭  G

この曲は既に考察記事を書き終えていますが、当時は心から理解できていなかったこと・・・少し分かったような気がしています。

そして今日採り上げるのが、2008年以降はセットリスト定番曲と言ってよいでしょう(最近ちょっとだけご無沙汰中)・・・ご存知「ROCK'N ROLL MARCH」です。
ジュリー還暦の年にリリースされた、「ジュリーのロック魂健在を象徴する大盛り上がりナンバー」というのがこれまでの印象でした。
しかし今、GRACE姉さんの歌詞の素晴らしさに新たな驚きを以って激リピ中。
多くの先輩方からお題リクエストを頂いていたこの名曲を、散々お待たせした上、こんな時こんな形の、短い文量でプライヴェート色の強い記事としてしまうのは申し訳く思うのですが、やっぱりこの機に書かせて頂きたく・・・またまたよろしくおつき合いくださいませ。


まず、一見お題とは関係なさそうな話から。
先の22日、僕は『クイーン+アダム・ランバート』日本武道館公演に参加してきました。


160922_5

一般販売で購入した2階南スタンド5列目(E列)という席は予想以上に視界良好で、とうとう最後まで双眼鏡を手にしなかったほどでした。

ジュリーとほぼ同世代のブライアン・メイ(ギター)、ロジャー・テイラー(ドラムス)の演奏力は今なお健在。
若きヴォーカリスト、アダム・ランバートはMCで「フレディーは僕のアイドル」と語ってくれたように、クイーン愛を身体いっぱいに漲らせてのパフォーマンスでしたし、サポート・メンバーも最小限で、余計な要素は何ひとつ無い、まごうことなき本物の「ロック・ショー」だったのではないかと思います。元気を貰いました。


Queenscore

僕はクイーンのスコアもご覧の通りたくさん持っているので、毎週行っているYOKO君とのスコア研究は、先週から『クイーン+アダム・ランバート武道館セットリストを振り返る』シリーズに突入。
残念ながら今回留守番組だったYOKO君、セトリ3曲目が「ストーン・コールド・クレイジー」だったと知って
「きてるね!ロックだね!こりゃ興奮するわ!アンタ、この時点でもう肛門出血だったでしょ?」
などとメールを寄越してきました。コラコラ。


で、ここからが本題。
ジュリーとクイーンの関係と言えば、まずはact『SHAKESPEARE』での「伝説のチャンピオン」のカバー「I am the champion 孤独な」が挙げられます。
それ以外では、白井良明さんがアルバム『第六感』でクイーン・サウンドをオマージュしていること(特に「エンジェル」「いとしいひとがいる」の2曲)。

少し前まではこのくらいだと考えていたのですが、2年前でしたか、白井さんが「ROCK'N ROLL MARCH」について、クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を念頭に作曲・アレンジしたと明かしてくれたことがありました。
この話は本当に目からウロコでした。
僕はそれまで、リフの音階が似ているというだけで、この曲のオマージュ元はザ・フーの「ババ・オライリー」だと決めてかかっていましたから。

言われてみれば、「ROCK'N ROLL MARCH」には細部まで「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のエッセンスがこれでもかと詰め込まれています。
曲の肝とも言える「さぁ始まるぞ!」的なドラム・ソロ導入、Aメロのヴォーカル・ソロをフィーチャーした楽曲構成は言うに及ばず、自由度の高さと綿密さとを併せ持つ間奏のリードギター、ブ厚いコーラスとサビでのタイトル連呼、そして「ロック」を掲げ、シンプルであるが故に強烈に響く普遍のメッセージ。
どこをとってもこれは、先日生で体感したばかりのあのクイーンの名曲そのものです!

そして、クイーンの場合はお客さん全員でサビのタイトルを歌うのに対し、「ROCK'N ROLL MARCH」はジュリーのタイトル連呼を「Hey!Hey!Hey!」でレスポンスするという、いずれも会場一体参加型。
「LIVEで絶対盛り上がる」曲なんですよ。
今回の『クイーン+アダム・ランバート』公演では「ウィ・ウィル・ロック・ユー」はアンコール1曲目(当然続いた大トリが「伝説のチャンピオン」)に配される王道のセットリストでしたが、来年、再来年のジュリーのメモリアル・イヤーのツアーでこの「ROCK'N ROLL MARCH」がアンコール1曲目で披露される・・・僕は今、そんな妄想にとりつかれています。

今年からジュリーのバンドは下山さんが抜けて依知川さんが加入、ギター1本体制となったことで、ステージでの「ROCKN'ROLL MARCH」再現に不安を持つ先輩もいらっしゃいますが、僕個人はこの曲については現バンドのアレンジが違和感なく想像できます(僕がまったく想像できないのは「時の過ぎゆくままに」。でもさすがにメモリアル・イヤーにこれは外せないですから・・・どうするんだろう、と今から興味津々)。
ギターのリフが「レ~ラ~ソ~♪」と下がる音階で弾きますから、ベースは逆に最初の「レ」を起点に音階が上がっていくフレーズを弾くんじゃないかな。

僕としてはベースの有無とは別に、この曲がこれまでとはまったく違う感覚で来年聴けるんじゃないか、という期待が強いです。そこで、今日一番書いておきたかったのがGRACE姉さんの2番の歌詞。

後に引けぬ日常だから
D

悔やむなんて何を?今さら?
A                                G

代わり映えもしないのがいい
D

今日も明日も ROCK'N ROLL MARCH ♪
A                  G                    D         A  G

ここが、ズシン!と響くのです。
(いやぁ、それにしても『ROCK'N ROLL MARCH』の歌詞カードは、老眼の身に優しいですな~)

「日常」を続けていくために踏み込んだ決断。
「くよくよするな、変わり映えしない今日と明日のために、自分で決めたんだろ?ロックで行こう!」
と、ジュリーの歌がそんなふうに聴こえてきて。

この詞を書いた当時のGRACE姉さんは今の僕より全然若いんですが、深い、深過ぎます。
「ROCK'N ROLL MARCH」というジュリー還暦エポックのような曲の歌詞が、どうしてこんなにも手術を控えた今の僕の気持ちにフィットするんだろう・・・GRACE姉さんの言葉は独特で不思議で、それでいて飾り気が無くてありきたりで、それが凄くイイ!
どうやらここへきて僕も「日常をロックする」ジュリー・ナンバーの真理に少し近づけたような?

2008年夏、YOKO君と誘い合わせ『ジュリー祭り』東京ドーム公演参加を決め一般販売でチケット予約をした時、「さすがに新譜くらいは聴いておかないと」と、アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』を購入しました。
今では信じられないことなのですが、買った当時は全然ピンと来なかったんです。ベースレス、しかも打ち込みドラムスというレコーディング形態は、ヒヨッコなりに思い入れを持っていた「ジュリー」の印象とはかけ離れているように感じられました。

最新アルバムをたった数回流し聴いた程度で『ジュリー祭り』を迎えてしまった僕は(帰り道で本当に後悔しました)、「ROCK'N ROLL MARCH」のあの「Hey!Hey!Hey!」のタイミングもうろ覚えで、ギター・ソロ直後のタイトル連呼部でも間違えて拳を振り上げて、「おっとっと」と引っ込めたりしていたっけ・・・。
翌年夏の『Pleasure Pleasure』ツアー初日もそのあたりが危なかったので、「しっかり覚え込んでいかないとな」と、ようやくこの曲のオリジナル音源をじっくり復習して・・・「ああっ、そうだったのか!」と驚いたことを今でもよく覚えています。
この曲、CDでは間奏以降「Hey!Hey!Hey!」がついてくるサビのリフレインが登場せず、そのままフェイド・アウトなんですよね。

2008年以降、僕らがいつもLIVE会場で体感してきた「ROCK'N ROLL MARCH」は、エンディングに長尺のリフレインを配したスペシャル・ヴァージョンだということ。
LIVEで曲の構成を先に覚え、後からCDでオリジナル・ヴァージョンを把握する・・・「ジュリーは何を置いてもLIVE!」と長年本道を行っていた先輩方はそんな曲達も他に多いでしょうけど、僕はそのパターン、「ROCK'N ROLL MARCH」が最初の1曲となったのです。
ある意味、ヒヨッコがひとつ階段を登った記念すべきジュリー・ナンバーと言えるのでしょうね。

最後に。
この曲のキメのフレーズ「DA~!」。僕も含めて、ジュリーファンにも一部存在するプロレス好きにとって「DA~!」と言えばアントニオ猪木さん。
今は、個人的にはちょっとばかり「何だかな~」という感じの政党に所属し議員さんをしていらっしゃいますが、だからと言って僕の猪木さんへのリスペクトが無くなるわけではありません。本当に、僕らプロレスファンにとって猪木さんは類稀なるスーパースターなのです。そういう意味ではジュリーと同じ。
少年時代毎週のように金曜日の8時50分前後、テレビの前で猪木さんと一緒になって「DA~!」とやっていた、という僕と同じ思い出を持つかたも、男性ジュリーファンの中には何人かいらっしゃるでしょう。

ちなみに、私的ナンバーワンの「DA~!」は、故ブルーザー・ブロディとの初シングルの時。「引き分けだったけど試合内容に満足!」という感じで繰り出された、渾身にして爽快な「DA~!」でした。
作詞したGRACE姉さんも、少女時代に『ワールドプロレスリング』を観てたりしたのかなぁ?


それでは、オマケです!
今日は、2008年の新聞記事を2つご紹介します。
まずは、11月7日付の『神戸新聞』から。ドーム公演を間近にしたジュリーが「還暦」を語ります。


0811071

0811072

「70になった時に自分が何を思うか・・・」
その答を出す時は、もう近づいているのですね。きっと「もっともっと歌いたい!」じゃないかな?

続いて、12月8日付(!)の『西日本新聞』。こちらは「我が窮状」にスポットを当てた記事です。


0812081_2

0812082

内閣の「カク」が、その時々で次々に解釈を変えてきている。これはおかしい、と2008年の時点で警鐘を鳴らしていたジュリー。そして、「その人なりに自由に聴いて欲しい」というスタンスは今も変わりません。


では次回更新は・・・。
どうなるか分かりませんが、できれば手術をする前にあと1つだけ書いておきたい曲があります。
ジュリーらしくてノリの良いカッコイイ曲、とは思っていたけど、これまで歌詞についてはあまり深く考えていなかった、建さんプロデュース期のロック・ナンバー。
今のこういう状況だからこそ「特別な歌詞解釈」(勝手な思い込み、とも言いますけどね汗)ができてしまう・・・やっぱり考察記事はそうした「熱い」時に書くのが一番ですから。なんとか頑張りたいと思います。

ジュリーのツアーは再び関東に戻ってきまして、明日はかつしか公演ですね。
MCで、ピーの古希のお祝い会の話をしてくれないかな、と楽しみにしているファンが多いでしょう。
どうでしょうか。話してくれるでしょうか。
なにせ3年ぶりにザ・タイガースの5人が揃い、盛り上がって2軒目まで行ったというくらいですから、濃厚なエピソードが色々あったでしょうし・・・。

かつしか公演、そしてその後の各会場にご参加のみなさまからのコメント、心待ちにしております!

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2015年12月 8日 (火)

沢田研二 「護られている I love you」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

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12月も第2週に入りまして、だんだんと寒さも増してきましたね。みなさま、風邪などひいていませんか?
僕は今のところ大丈夫です。

『Berbe argentee』初日・東京国際フォーラム公演まで1ケ月を切りました。年末の慌しい中で、年が明けて早々の楽しみが待っている・・・幸せなことです。
個人的には今度のお正月コンサートは久々の「ツアー1回きりの参加」ということで(『奇跡元年』以来)、瞬間瞬間でしっかりジュリーのステージを目に耳に焼きつけなければ、と気合が入っています。

大きな楽しみに向け”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズ・・・今日はその第2弾。
今回のセトリ予想シリーズは5曲の執筆を予定しておりますが、今日は
”みなさまからのリクエスト伝授!”のカテゴリーでの更新となります。

拙ブログでは先日めでたく塁計300万アクセスに達し、その際「キリ番ヒット記念リクエスト」を募っていたんですけど、結局300万のキリ番を踏んだかたからのご連絡は無く・・・5曲の執筆予定がすべて僕自身のセトリ予想曲となってしまいました。
僕の予想って、本当に当たらなくてね・・・特にお正月LIVEについては全敗記録を更新中。
そろそろどうにかストップさせたい、ということで、僕以外のジュリーファンのみなさまの予想、というものに頼ろうと考えたわけですが、300万アクセスの機会にそれは叶いませんでしたので、今日はず~~っと以前から数人のかたにリクエストを頂いたままお待たせしまくっていた曲をそのままお正月LIVEのセットリスト予想へとスライドさせて、お題に採り上げようと思います。

前回執筆の「ユア・レディ」と同じく、あの『ジュリー祭り』以来まだ1度も歌われていない大名曲。
加瀬さんを送った『こっちの水苦いぞ』全国ツアーの余韻醒めやらぬまま迎える新しい年のLIVEで、是非この曲を聴きたい!とお考えのみなさまもきっと多くいらっしゃるのではないでしょうか・・・。
アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』から。
「護られているI love you」、僭越ながら伝授です!

実は、この曲の記事を書くのは2度目。2009年の春くらいでしたか、1度書いているんですよ。
事情があってupして間もなく削除せざるを得ませんでしたが、それで良かったと今では思ってます。あの時の僕の考察は、本当に浅はかな内容でしたから・・・。

大好きな曲ですし、いつかキチンと考察記事を書き直さねばと思いつつ、今日まで来てしまいました。
特に2011年のあの震災があってからは、ジュリーのツアーが迫るたびに「聴きたい!」と切望し続けていた曲。これまで何度も「よし、今回のセトリ予想では書くぞ!」と考えるんですけど、毎回先延ばしになっていて。「もう一度、生の歌声で聴いてから書きたい」という気持ちもありましたし。
でもその間、ジュリーはまだこの曲を歌っていません。
これほどジュリーという「人」が表されている曲もそう無いと思うし、ジュリー自身も特に思い入れの深い1曲だと思う・・・そろそろ、じゃないのかなぁ?

この信じられないほど優しい、大切な人との別れの歌について今このタイミングで書くとなれば、またセットリスト入りが実現して生でその歌を聴くことが叶えば、僕はジュリーの詞に加瀬さんのことも重ねてしまうと思います。みなさまはどうでしょう?
この2015年の年の瀬に、あらためて加瀬さんを思い出しながらこの名曲を考える機会を得たことは、僕としても「時は来た!」という感じです(プロレスファンのみなさまはツッコんでください笑)。

まずは、「別れ」と「再会」を歌ったジュリーの自作詞について語ることから始めましょう。

大きな時間は巡るよ
C                  E7

すぐにまた会える必ず
   Am                  Fmaj7

細い光で 照らされている
   Em   Am      Em        Am

きっと護られている I love you ♪
        D7                 Gsus4  G

この「大きな時間」というフレーズが本当に好きです。
それは、あちらの世界とこちらの世界を繋ぐものとも思えるし、あちらの穏やかで特別な世界を感じることもできます。「永遠」も「一瞬」も同義。

だから今年加瀬さんが旅立って、今はこちらの世界に生きるジュリーが加瀬さんと再会を果たす時がたとえ50年後になっても(ジュリー117歳)、あちらの世界にいる加瀬さんにとっては「一瞬」なんだよ、と。
「護られてるI love you」で歌われている「大きな時間」って、そんな解釈ができると思うのです。
ジュリーがこの詞を作った時には加瀬さんとの別れなんて考えもしなかったでしょうけど、僕らひとりひとりがこの曲を聴いて胸が詰まるような思いをするのは、身近な愛する人との別れのことを考えたり思い出したりするからじゃないですか。
作者のジュリー自身にも、そういうことはあると思う・・・今ジュリーがこの曲を歌ったら、きっと加瀬さんへの思いが込められるんじゃないか、と想像しています。

それにしても、なんとも人間・ジュリーをしみじみと感じさせる名篇であることか。
ジュリーは自身の考え方として、「宗教は無いけど信仰心はある」と語ったことがありますよね。
とてもとても共感します。ジュリーの歌う「大きな時間」が巡る世界が本当にあればいいなぁ、あると信じよう、と僕は思う・・・それはジュリーの言う「信仰心」みたいなものが僕の中にも少しはあるからなのでしょう。

もうひとつ参考にしなければならないのは、2008年のラジオ特番『ジュリー三昧』でこの曲をかける前にジュリーが語ってくれた言葉です。
「目に見えない何かに導かれて、僕らは何処かへ向かっているのだろう」
ジュリーはそんなことを考えて「護られているI love you」を作ったそうですが、比較的長い時間を割いて、これまでの人生経験、普段からの気構え、気の持ちようについて「こんなふうに考えることが多い」という話をたくさんしてくれていますね。
苦境に際して「この程度で済んだ。自分は護られている」と考えるのはなかなか簡単なことではない・・・でもジュリーみたいにそう考えられたら、と憧れます。
もちろん、普段から芯を持って生きていないとそんなふうには考えられないのでしょうけど・・・。

こうして、歌詞の一節一節を噛みしめながらこの曲を聴いていると、何度も涙が上がってきてしまいます。
ここまで詞の部分部分を細かく書いてきましたが、実際には耳は言葉よりもジュリーのあのヴォーカルだけに捕えられ、身体ごと何処かへ吸い込まれていきそう。

そこを何とかグッと堪えて、今度は楽曲構成を紐解いていきましょう。
コード進行はバラードにおける王道中の王道です。

星 も      帰って行く
C   GonB  Am       Am7onG

僕   らもサヨナラだ ♪
Fmaj7  Em7  Dm9   Gsus4  G7

このAメロの王道クリシェ進行(合わせて「ドシラソファミ・・・♪」と歌うことができます)、理屈は分からずとも「ジュリーの何か他の曲を思い出す感じがする」とお思いのかたも多いのではないですか?
「ジュリー・バラードと言えば!」とファンならば誰しもが愛する、この曲と同進行の名曲達・・・その中だと僕は「約束の地」を最初に思いつきます。何度か生で体感できている曲ですからね。
でも、この王道進行で本当にジュリーの根っことなる曲、長いファンのみなさまなら忘れようとしても忘れられないであろうバラード・・・それは「愛の出帆」でしょう。
この「愛の出帆」から「絹の部屋」「約束の地」などを経て「護られているI love you」へと繋がるジュリー・バラード。作曲者はそれぞれ違えどどれも壮大で、清潔で、それでいて、平凡な毎日を送る僕らもすごく身近に感じることのできる大名曲ばかりですね。

一方、「護られているI love you」作曲者の泰輝さんを軸として考えれば、これは長調のピアノ・バラードということになりますから、泰輝さんは「無事でありますよう」を引き継いでいると言えます。
間奏のピアノ・ソロはおそらく泰輝さんの作曲段階からアイデアが固まっていたアレンジでしょう。ビートルズやビリー・ジョエルを敬愛する泰輝さん、『ジュリー祭り』の音源でおさらいするまでもなく、「護られているI love you」間奏のピアノの美しさ、気高さは、ビートルズの「イン・マイ・ライフ」にもひけをとりません。


あとは、転調部の美しさです。

七 色の橋の たもとで落ち合おう ♪
A♭ B♭    C   A♭   B♭       E♭
   
ここまではよくあるパターン。「ウィー・アー・ザ・ワールド」でマイケルとヒューイ・ルイスが歌う箇所と同じ理屈、と言えば分かり易いかな?
ところがこの後

河を  越えるのは  手     を
E♭m7  A♭7     D♭ D♭onC  B♭m

取り一緒だから ♪
   G♭          F7      Gsus4  G

美しいツーファイヴを採り入れた転調は後に「一握り人の罪」へと受け継がれますが、こんなにドッカンドッカンと転調しておいてよく元のキーに自然に帰って来れるなぁ、とため息が出るばかりなのです・・・。

白井良明さんのアレンジも冴えまくっています。
白井さん自身が「自分の中ではエポックだった」と語るアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』、「護られているI love you」はその大トリ収録のバラードですから、特に気持ちも入っているのではないでしょうか。

泰輝さんの作ったピアノ・バラードに白井さんが施したのは、時にピアノとユニゾンし時にフレーズを追いかけるギター・アレンジ。
正に崇高としか言いようのない「大地創造」の美しさ。もちろん、曲だけでなくジュリーの歌詞あってのこのアレンジ・アイデアだったはずです。
もしお正月にこの曲が採り上げられたら、柴山さんにはエレガットを弾いて欲しいなぁ・・・。

そして、驚嘆のドラムス。
ライナー・クレジットを見れば分かる通り、このアルバムのドラムスはプログラミングによる打ち込みなんです。それでこのフレージング・・・まるで生身の演奏者が叩いているようなフィル、意外な箇所で噛み込む「フロア・タム一発」の威力は、機械の音とは思えないほどの入魂度。いやぁ素晴らしいです。
転調部で密やかに鳴っている2連打ずつのタンバリンのアクセントもすごく効果的で、これは阿久=大野時代の曲で船山基紀さんがタンバリンやマラカスで採り入れていた編曲手法に近いと思います。
長いジュリーの歴史に対する白井さんの確かなリスペクトと知識が窺える、最高最強の「ジュリー・バラード」アレンジと言えるでしょう。


今回も記事を書きながら、『ジュリー祭り』のことを思い出しています。
ニューアルバムだった『ROCK'N ROLL MARCH』は購入して臨んでいましたが、それぞれの曲をじっくり聴き込んでいるとはとても言えない状況で。
それでも、どんな詞なのか、どんなことを歌っているのかが充分把握できていないながらに、目の前でアルバムの曲を歌ってくれるジュリーに対する「何なんだ、この凄い人は?一体自分は今どれほど凄いものを観て、聴いているんだ?」という感覚、確かにありました。
まだ明るい陽射しが東京ドームの屋根から透けて見えるような、そんな時間に始まって、終わった時にはとっぷりと日が暮れていて・・・そんな6時間半というステージが、本当に「あっという間」でしたからねぇ・・・。

前回の「ユア・レディ」の記事を書き終えた直後、いつもお世話になっている先輩からメールを頂き、その先輩がまさに『ジュリー祭り』前夜、ありのままのお気持ちを綴っていらした文章を初めて拝見させて頂きました。
僕にとってはもう、今でこそ「そうだったんだなぁ」と思える、当時の多くのジュリーファンの先輩方の思いというものが改めて分かりました。
例えば、2013年のザ・タイガース完全再結成の時は(こちらも12月3日でした)、ほとんどのファンが「必ず成功する」と確信していたと思います。でも、『ジュリー祭り』の時はちょっと違ったんですね。
大きな期待と楽しみに胸をときめかせながらも、その反面「本当にお客さんが入るのだろうか。無事歌い終えることができるのだろうか」と心配し、祈るようなお気持ちでいらしたのだなぁと。

そんなジュリーファンのおひとりおひとりが、「自分が行かなければ」とあの年末慌しい中の平日に、お仕事、身の回りのことすべて・・・文字通り「万難排して」駆けつけていらしたのでしょう。蓋を開ければ、ジュリー曰く「浮動票」のみなさまもドームに結集しました。
中には「沢田研二を一度くらいは生で観ておくか」くらいの軽い気持ちで参加した僕のような人も多かったのでしょうが・・・いざ参加してそんな僕がその後どうなってしまったかは、みなさまご存知の通り。

あの日ジュリーは色々な人や目に見えない力にも護られていたのかもしれないけど、その輝き、志は昔から変わらずずっと本物で、偽りなくて、皆を惹きつけて現在に至る・・・架空の物語でも、1人の歌手がここまで奇跡的な歌人生を歩めるものかどうか。
僕は相当遅れてきたファンですが、『ジュリー祭り』に間に合って本当に良かったです。

僕はいざ自分が旅立つ時、ジュリーの歌詞のように涼やかな気持ちになれるのか・・・たぶん無理でしょう。
でも、ジュリーの「護られているI love you」という曲を知っているだけで、ずいぶん違うんじゃないかな。

「大難が小難に、小難が無難に」・・・『ジュリー三昧』で「護られているI love you」をかける前に語ってくれていた言葉を、ジュリーは今年のお正月コンサート『昭和90年のVOICE∞』でも口にしました。
それは、真にジュリー心からの祈りでした。
『ジュリー祭り』の後、おかしな表現かもしれないけど
「この人は信用しても良い人なんだ」
「その言葉のひとつひとつを、自分のことに置き換えて考えても良い人なんだ」
と勝手に確信するまで、僕はどのくらい時間をかけたんだったっけ・・・あっという間だったような気もしますし、結構寄り道した気もします。

僕にとって「護られているI love you」とは、宗教とか思想とかそういうことはまったく関係なく、「自分のことに置き換えても信じられる」バラードです!

すべての時間がゆるやか
   C                     E7

ふたたびここにいるなんて
   Am                   Fmaj7

笑顔の先に たどり着くのは
    Em     Am       Em       Am

魂 涼やかな世界 ♪
     Fmaj7  G      C

「目に見えない何かに導かれて向かっている」何処かが、本当にそんな世界だといいなぁ・・・。


それでは、オマケです!
僕は『ジュリー祭り』には間に合ったけど、2008年の全国ツアー『還暦だぞ!ROCK'N ROLL MARCH』は体験できませんでした。二大ドーム公演決定のニュースを受けて、長いファンのみなさまが全力で「浮動票」を開拓され、次第に何か正体不明の「熱」を帯びてきた、神がかった全国ツアーだった、と聞いています。
今日はその2008年全国ツアー、各地方公演のフライヤーを3枚どうぞ!


2008sasebofukuoka

2008nara

2008izumi

故郷・鹿児島県内でありながらまだ一度も降り立ったことのない地・出水・・・行ってみたかったなぁ。


それでは次回も、”全然当たらない『Barbe argentee』セットリスト予想”シリーズは続きます!
「ユア・レディ」も「護られているI love you」も、個人的には当たる気満々。でも次回の曲は「さらに自信あり!」のロック・ナンバー。まぁ、僕が「自身あり!」とした予想曲こそ当たらないんですが(今年早々の「THE VANITY FACTORY」で見事やらかしました涙)。
今年リマスター再発されたEMI期のアルバムからのお題となります。お楽しみに~!

最後になりましたが、ジュリーファンのみなさまの中にも、13日のワイルドワンズの中野サンプラザ公演に行かれるかたが大勢いらっしゃるかと思います。
バンドにとっても記念すべきコンサートが加瀬さん追悼のステージとなってしまったのはとても悲しいことですが、きっとワンズのメンバーもお客さんも笑顔いっぱいの素敵な公演になることでしょう。
参加されたみなさまのご感想をお待ちしております。

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2015年8月14日 (金)

沢田研二 「海にむけて」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られているI love you

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(註:『こっちの水苦いぞ』ツアー初日が目前に迫っております。セットリスト等ネタバレ防止のため、今日の記事よりしばらくの間コメント欄を閉じて更新させて頂きます。よろしくお願い申し上げます)

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加瀬さん。
今日の「海にむけて」の記事更新で、僕はジュリーが歌った加瀬さんの曲をすべて書き終えることになります。
最後の曲が、「海にむけて」となったことは必然でした。
だって、4月に加瀬さんの突然の旅立ちを知らされてから、僕にはこの曲がそれ以前とはまったく違う意味合いを持って聴こえてしまうようになっていましたから・・・。

本当は、ジュリーの思い、加瀬さんの思い・・・それぞれいっぱい詰まっている歌なんですよね?
それが僕は今、加瀬さんへのレクイエムにしか聴こえなくなってしまった・・・困ったファンの身勝手です。

更新お題は「海にむけて」としましたが、今日の記事は楽曲考察の内容にはなりません。加瀬さんの旅立ちで、特に詞についての「考察」というものができなくなってしまいました。
代わりに、今まで書いてきた他の曲の記事では抑えていた、個人的な加瀬さんへの思い、感謝をここで書こうと思います。
僕は遅れてきた新米の1ジュリーファンに過ぎませんので、大したことは書けません。新しいファンなりに、加瀬さんにお尋ねしてみたかったことなど、思いつくままに書いていくしかないかなぁ・・・。


加瀬さんの素晴らしいお人柄については、僕はとうとう直接触れる機会がなく先輩方から伝え聞くばかりですが・・・その中に、いつもお世話になっている先輩から伺ったこんなお話があります。
ジュリーファンでいらっしゃるその先輩は2009年、『きめてやる今夜』ご参加の勢いのままにワイルドワンズのコンサートにも足を運び、閉演後幸運にも加瀬さんとお話する機会に恵まれたそうです。先輩は「きめコンをやってくれてありがとう、本当に楽しかった」と加瀬さんに感謝をお伝えしたのですが、帰路途中ふと「ワンズのコンサートだったのに”きめコン”の話ばかりして、加瀬さんに失礼だったのでは・・・」と後悔されたのだとか。
ところがその後すぐに加瀬さんがブログを更新、その日のことを書いてくださった、というのです。そこには「僕は、みんなが楽しんで、喜んでくれるのが一番嬉しい」と綴られていて、先輩は大変感激された、とのこと。
先輩は仰っていました。
「加瀬さんこそ、”きれいな大人”だった」と・・・。

加瀬さん。
僕がもし加瀬さんとお話する機会に恵まれていたとしても、何も気のきいたことは言えなかったでしょう。ひたすら恐縮し、「加瀬さんとジュリーの名曲をいつも聴いています」くらいのことしか話せなかったと思います。
でも今になって、「もし加瀬さんとお話することができていたら、是非お尋ねしたかった」ある疑問が、グルグルと頭を巡っています。
それは・・・。

冒頭、僕は「ジュリーの歌った加瀬さん(作曲)の曲を今日ですべて記事に書き終える」と言いました。それは間違いないことなのですが、ただ、ジュリーの歌った「KASE SONGS」は全部で何曲あるのか、と改めて整理した時
「この曲はKASE SONGSなのか、そうでないのか」
と未だ判断できない曲がひとつだけあるのです。
アルバム『JULIE with THE WILD ONES』の中で僕が一番好きな曲・・・「プロフィール」です。

「作詞・作曲・SUNSET-OIL」のクレジット・・・一般のファンはまだ誰も、このクレジットの詳細を知らないままなのではないでしょうか。

この曲のリリース当時僕はまず、木崎賢治さん人脈の、パワー・ポップ系の若いアーティストの作品ではないかと考えましたが、ファンそれぞれに「なるほど」という推測も伺っています。
例えば、いつもお世話になっているJ先輩のおひとりは、「吉田拓郎さんだったらいいな」と仰っています。確かにAメロの音階の雰囲気は拓郎さんっぽいなぁ、とも思えます。
さらに、僕が長い間気に留めているのが、その頃バリバリとブログ更新されていたジュリーファンの先輩、いわみさんが書かれていた「複数の人の共作だったとして、少なくともその中に加瀬さんは噛んでいるだろう」という説です。
いわみさんはその根拠を
「加瀬さんは夕陽がとても好きなんです。”SUNSET”というフレーズからは加瀬さんを連想せざるを得ません」
としていらっしゃいました。

どうなのでしょう・・・加瀬さん?
僕も「プロフィール」の作詞或いは作曲に加瀬さんが関わっていたとしたらとても嬉しいけれど、この先も「謎は謎のまま」・・・なのでしょうか。

そういえば、「海にむけて」のジュリーの詞にも、「夕陽」ではないけれど「夕焼け」というフレーズが出てきますね。
「夕焼け」が登場する「海にむけて」のジュリーの詞や歌を今聴くと、僕は(おそらく多くのジュリーファンの先輩方も)どうしてもそこに加瀬さんの旅立ちを重ねてしまい、悲しい気持ちになりがちです。
そんな時は、音源に合わせて1小節の頭ごとに小さな音量でアコギを鳴らしてみます。すると、加瀬さんが作った穏やかで美しいコード進行に救われ、心が穏やかになります。

「Fm」の箇所は加瀬さんの得意技ですね。4月以降にブログで採り上げた「明日では遅すぎる」「二人の肖像」「バラの恋人」にも登場する、加瀬さんの中の無邪気な少年の心が表れたコード。
一方「F#dim」は、収録アルバムである『ROCK'N ROLL MARCH』で、大野さんが作った「我が窮状」と同じ使い方・・・偶然とは言え、ジュリーの還暦という節目の年、加瀬さんと大野さんの気脈に通じるものがあったのでしょうか。

加瀬さんの幅広い作曲手法が凝縮されたような「海にむけて」。
加瀬さん自身は、ジュリーの詞が載るまでは今ひとつ手応えを感じていなかった、というお話をどこかで読んだように記憶しています。「ジュリーの還暦記念アルバム」への楽曲提供ということで、「生涯最高の傑作を」と加瀬さんは自らハードルを思いっきり上げて意気込んでいらしたのかなぁ、と想像していますが、ジュリーの詞が完成して、いつくしみ深いジュリーの言葉と、優しい加瀬さんのメロディーが一体となり、結果本当に素晴らしい曲となったのですね。


さぁ、加瀬さん。今年もジュリーの全国ツアーが始まります。
今こんな時代ですから、今年のジュリーの新曲は特に鋭く、強く世に問いかける、様々な考えを持つ人それぞれの心を揺さぶる、そんなツアーになるのでしょう。加えて、タイトなスケジュール・・・ジュリーは大丈夫だろうか、と心配が無いと言えば嘘になります。
全国のツアー会場の中には、先日再稼働してしまった川内原発のある僕の故郷、鹿児島公演もあり、ジュリーは正にその地に「一体誰のための再稼働なんだ?」と歌いに行きます。
どうか無事にツアーを終えてほしい、と願うばかりです。
でも、大きな時間が巡る世界で空駆ける力を手にされた加瀬さんが、すべての会場でジュリーを見護ってくださるので、きっとツアーは無事に、大成功に終わるでしょう。

加瀬さんはもうジュリーと鉄人バンドのリハーサルも覗き見されて、セットリストをご存知でしょうね。
ツアー初日を目前にして、たくさんのジュリーファンが「加瀬さんの曲をどのくらい歌ってくれるのかな?」と楽しみにしています。


僕の悲しみが 青空に迷う日は
Am        Em    Fm       C

君とこの世で さよならの日
E7     Am       F             G

女々しくても良いんだ むせび泣いて泣くよ
Am            Em           Fm              C

君が困惑 笑うくらい
E7     Am  F  G     C

セレモニーは いらないね
     C                   C7

僕の心の奥 輝きとなって 生きつづけるさ
F        F#dim    C      Am   Dm              G

夕焼けの綺麗な日 海にむけて君を
   C            C7       F              F#dim

誰にも知られず 舞わせてあげる ♪
      C       Am    Dm  G          C


「海にむけて」より

作詞/沢田研二
作曲/加瀬邦彦


「加瀬さんのメロディーも、ジュリーの詞も歌も、なんて美しいんだ、なんて儚いんだ」と、かつてないほどに「海にむけて」に過敏になってしまうのは、ファンの勝手な感傷なのでしょうか。

僕は少し前まで
「さすがのジュリーも、加瀬さんのことを想えば今はまだこの歌を歌う気持ちにはなれないだろう」
と、この曲の今回のツアー・セットリスト入りについては考えられずにいましたが、ブログを読んでくださっているみなさまに頂いたコメント等を拝見しているうちに、この名曲を爽やかに歌うジュリーの姿というのも想像できるようになってきました。
今回ジュリーが「海にむけて」を歌ってくれるのかどうか分からないけれど、聴くのが楽しみのような、胸が詰まるような・・・。
加瀬さん自身は、どうなのかな?


僕らは、加瀬さんの笑顔と、加瀬さんの作ってくれた数々の名曲たちを絶対に忘れません。
ツアー初日の東京国際フォーラム公演には僕も参加します。
少しだけ高いところで腕組みをしながら、微笑んでステージを観ていらっしゃる加瀬さんを感じながら、僕もきっと笑顔で楽しんできたい、と思っています。

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2014年12月 3日 (水)

沢田研二 「我が窮状」

from『人間60年 ジュリー祭り』、2008

Juliematuricd

disc-1
1. OVERTURE~そのキスが欲しい
2. 60th. Anniversary Club Soda
3. 確信
4. A. C. B.
5. 銀の骨
6. すべてはこの夜に
7. 銀河のロマンス
8. モナリザの微笑
9. 青い鳥
10. シーサイド・バウンド
11. 君だけに愛を
12. 花・太陽・雨
disc-2
1. 君をのせて
2. 許されない愛
3. あなたへの愛
4. 追憶
5. コバルトの季節の中で
6. 巴里にひとり
7. おまえがパラダイス
8. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
9. 晴れのちBLUE BOY
10. Snow Blind
11. 明星 -Venus-
12. 風は知らない
13. ある青春
14. いくつかの場面
disc-3
1. 単純な永遠
2. 届かない花々
3. つづくシアワセ
4. 生きてたらシアワセ
5. greenboy
6. 俺たち最高
7. 睡蓮
8. ポラロイドGIRL
9. a・b・c...i love you
10. サーモスタットな夏
11. 彼女はデリケート
12. 君のキレイのために
13. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!
14. さよならを待たせて
15. 世紀の片恋
16. ラヴ・ラヴ・ラヴ
disc-4
1. 不良時代
2. Long Good-by
3. 
4. 美しき愛の掟
5. 護られているI Love You
6. あなただけでいい
7. サムライ
8. 風に押され僕は
9. 我が窮状
10. Beloved
11. やわらかな後悔
12. 海に向けて
13. 憎みきれないろくでなし
14. ウィンクでさよなら
15. ダーリング
16. TOKIO
17. Instrumental
disc-5
1. Don't be afraid to LOVE
2. 約束の地
3. ユア・レディ
4. ロマンスブルー
5. TOMO=DACHI
6. 神々たちよ護れ
7. ス・ト・リ・ッ・パ・-
8. 危険なふたり
9. ”おまえにチェック・イン”
10. 君をいま抱かせてくれ
11. ROCK' ROLL MARCH
disc-6
1. カサブランカ・ダンディ
2. 勝手にしやがれ
3. 恋は邪魔もの
4. あなたに今夜はワインをふりかけ
5. 時の過ぎゆくままに
6. ヤマトより愛をこめて
7. 気になるお前
8. 朝に別れのほほえみを
9. 遠い夜明け
10. いい風よ吹け
11. 愛まで待てない

---------------------

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押され僕は
3. 神々たちよ護れ
4. 海に向けて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られているI love you

--------------------

しばらくのご無沙汰でございました。
11月の大仕事、『楽器フェア』もおかげさまで大成功に終わりました。今年は、これまでのパシフィコ横浜から東京ビッグサイトに会場が変わり、都心からのアクセスの便がより良くなったこと、また本当に有り難いことに開催3日間とも暖かな陽気に恵まれたこともあり、大変な賑わいでしたよ~。
初日には「GRACE姉さん来場中!」との情報もあり、ウロウロとお姿を求めて歩き回ってみたのですが、残念ながらお見かけできませんでした・・・。

それでは、久々の更新で気持ちも新たに!
今日12月3日は、『ジュリー祭り』6周年(ザ・タイガース再結成1周年)の記念日です。
拙ブログがじゅり風呂となって後、毎年この日は、僕が本格ジュリー堕ちした『ジュリー祭り』のセットリストからお題を採り上げることに決めています。
今年は先の『三年想いよ』ツアーの”セットリストを振り返る”シリーズとも併せ、いよいよ難しいお題・・・「我が窮状」の考察記事に挑みます。

これまで何度か書いてきましたが、僕は「ジュリーの70超えまでに『ジュリー祭り』セットリスト全曲の記事を書き終える」ということを、さしあたっての拙ブログの最大目標として掲げています。
『ジュリー祭り』セットリストは、鉄人バンドのインスト2曲を含めて全82曲。その中でこのブログでここまで記事お題としてきたのは今日の更新で59曲目となり、残すところ3年半で23曲という状況。今のペースで頑張っていけば、なんとか達成できそうです。

本当は「我が窮状」の考察記事は最後の最後まで残しておきたかったんですよね・・・。
ジュリー70超えの年に
「10年前にジュリーはこんなメッセージ・ソングを残してくれていた。世の中はジュリーの歌った通りになっているね。こんな歌があったなんて、懐かしいよね」
という感じで書きたかった・・・しかし残念ながら、昨年からの我が国の動き、近隣国との関係、世界各国の状況を考えますと、そうもいかなくなりました。

今年2014年、ジュリーはお正月の『ひとりぼっちのバラード』、夏からの全国ツアー『三年想いよ』、いずれの公演でもセットリストの9曲目に「我が窮状」を歌いました。ジュリーファンの中でも様々な意見があるところでしょうが、「何故ジュリーが今年この曲を歌わずにはいられなかったのか」という理由については、みなさま重々分かっていらっしゃるでしょう。

僕も今年はずいぶん勉強しましたよ。9条については本当に色々な考え方があります。
立場が違う、意見が違う、そんな考え方にも(それが真摯なものならば)耳を傾ける姿勢を放棄してはいけない、切り捨ててはいけない、と思っています。
でも僕は、「我が窮状」に込められたジュリーの思いと同じ考えを持つ人間。最初にその点だけはハッキリさせておいて、今日はその上での考察記事の執筆です。文中で「護憲」「改憲」という言葉を使いますが、ここでのそれはあくまで第9条についての表記です(日本国憲法の条文すべてが現行のままで良い、とは僕は考えていませんが、今日のテーマはあくまで9条です)。

『ジュリー祭り』では、第2部の9曲目に歌われました。
「我が窮状」、僭越ながら伝授!

僕はこの曲、ほぼタイムリーで聴けています。
2008年の春だったか、夏だったか・・・「ジュリーが年末に2大ドーム公演を敢行!」とのニュースを知り、「ポリドール期のアルバムは全部聴いてる」というだけで一丁前にジュリーファン気取りだった僕と友人のYOKO君は、「この機会に一度LIVEも見ておこう」と決めました。
調べてみると、ジュリーは毎年欠かさず全国ツアーを行っていて、その年にリリースしたアルバムの曲がメインのセットリストになるらしい・・・「新曲にさほど興味は無いけれど、一応今年のアルバムは聴いておこうか」ということで、新譜『ROCK'N ROLL MARCH』を購入。

これまで何度かこのブログで懺悔してきたことですが、改めて正直に書きましょう。
僕は最初、『ROCK'N ROLL MARCH』というアルバムが全然ピンとこなかった・・・今では信じられないことに、9曲目「我が窮状」が「9条」と重なることすらまったく思い当たらなかったのです。
僕がそれまで知っていた「沢田研二」という歌手について、「自作詞で政治的なメッセージ・ソングを歌う人」なんて発想は微塵も浮かばず・・・僕は『ジュリー祭り』のその日に「人間・ジュリー」に堕ちたことは確かですが、その創作姿勢、自作詞のメッセージ性などから滲み出る素晴らしさを知り、その生き方、考え方へのリスペクトを得るまでにはさらに数ヶ月を要したのでした。

僕は元々、メッセージ性の強いロック・ナンバーが好きで・・・これは少年期にジョン・レノンから受けた影響であることは間違いないんですけど、実は僕はジョンが「イマジン」をして”ラヴ・アンド・ピースの象徴”のように言われていることには抵抗を覚えているタイプです。
「イマジン」は名曲だけれどジョン・レノンの音楽的魅力の本質とは違うように思う・・・僕が好むジョンのプロテスト・ソングは、「イデオロギー闘争に俺たちをつきあわせるな。ゴタクを並べる前に今すぐ人殺しをやめろ!」と歌う「ブリング・オン・ザ・ルーシー」のような曲であり、歌詞のテーマを具体的に絞りこんだ「労働者階級の英雄」や「ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」「女は世界の奴隷か」といった”踏み込んだ”曲達です。一方で「マザー」「孤独」「愛の不毛」などの内向的な曲があり、「ジェラス・ガイ」「アウト・ザ・ブルー」「ウーマン」のように妻・ヨーコさんへの愛情を吐露したナンバーをも歌う・・・このあたり、おもに2000年以降にジュリーがリリースしてきた作品群のコンセプトと共通するところも感じます。


”ラヴ・アンド・ピース”を歌うアーティストやバンドは昔からたくさんいました。かなりエグい表現で戦争の狂気や悲劇を歌った曲は実は今も巷に溢れていて、僕らが普段何気なく聴いている流行歌やアイドル・ソングの中にもそんな曲があったりします。
しかし、「世間に真逆の論争が存在する一定のテーマ」にハッキリと絞ってメッセージを発信するような楽曲、それを歌う人というのは限られています。
近年、何人かのビッグネームがそうした創作に挑むようになったのも時代を表していると言えるでしょうが、2008年という時に「我が窮状」を歌ったジュリーの志は本当に凄い、と今改めて思うのです。
「日本人だからこそ」という、等身大でありながらグローバルなメッセージ。輝かしいキャリアのある歌手が自作詞で「9条」に踏み込むなんて、普通は怖くてできないことですよ。やはり人間力なのでしょうね・・・。
今も若々しいステージを超人的に続けているジュリーに対して大変失礼な言い方になってしまいますが、「お年寄りの言うことには耳を傾けなさい」って、こういうことなのかなぁと思ったり。

「我が窮状」については、最初にアルバムを聴いた時から「いい曲だなぁ」とは感じていました。
それは純粋に「楽曲」的な評価でした。
僕はとにかく「ベースレスと打ち込み」によるジュリー・アルバムを聴くのが初めてだったもので、他の曲ではその点に違和感を持ってしまいました(今はもう大丈夫!)。そんなこともあり、バンドサウンドではなくピアノ伴奏1本というシンプルなアレンジの「我が窮状」が、このアルバムの中ではまず一番にスッと身体に馴染んだのだと思います。
「とりあえず一応聴いておくか」などという気持ちでいたがために深く聴きこむことをせず、(アルバム収録曲すべてについて)歌詞の吟味をしないまま『ジュリー祭り』当日を迎えてしまった・・・後に取り返しのつかない後悔が残ったことは確かですが、「我が窮状」が大野さん作曲の美しいバラードであることだけは、そんな聴き方をしていた僕ですら辛うじて認識できていたのでした。

ハ長調王道のバラード。
ただ「シンプル」なのではなく、極上に美しい進行です。正に「大野さん作曲のジュリー・バラード」という感じのメロディーとヴォーカルですよね。
リリース当時、その歌詞内容を
してファン以外でもあれだけ話題になった曲だからひょっとして・・・とネットで探してみたら、ありましたよ~、「我が窮状」の譜面。

『9条の会を応援する有志のブログ』

素晴らしい!
いくつか僕の採譜とはコードが異なる箇所もありましたが、大いに参考に
させて頂きました。

僕が曲中で最も「美しい」と感じるのは

我が窮状 守りきれたら    残す未来 輝くよ ♪
   C      E7  F           F#dim  C      G7    C

この「F#dim」の部分。ここは先のブログ様と僕の採譜が異なる箇所なんですけど、いずれにしても本当に美しいメロディー。ジュリーのあの声で歌われると、優雅で、誇り高い感じがするんですよね。

あとこの曲には、1番の2番の間、2番と最後のサビのリフレインとの間の2箇所に「伴奏部」と呼べる部分があります。よくLIVE会場で拍手が起こる1箇所目の短い伴奏部は、サビの進行のヴァリエーション(イントロと同じ)。2箇所目は同調号の平行移調による短調進行(イ短調)の「間奏」となっています。
このメリハリも「ピアノ弾き語り」系のシンプルなアレンジにあって、最高に効いていると思います。歌詞で言うと「残す未来輝くよ♪」と「真の平和ありえない♪」は歌メロとしてはまったく同じなのに、着地する和音がそれぞれ「C」と「Am」で異なるため、ジュリーのヴォーカル・ニュアンスも全然違ってくるのです。

さて、ジュリーはずいぶん昔にファンにこんなことを言ったことがある、と聞いています。
「僕を1番にしないで欲しい。みんな、自分にとって1番のことを見つけて。僕は2番で良いから」
と。
当時のジュリーファンはそのほとんどが若い女性だったわけですし、「そんな殺生な・・・」という思いを抱いた先輩方も多かったのでは、と想像しています。
でも、遅れてファンとなった僕には、なかなか実感することが難しいジュリーの言葉です。今僕にとってジュリーが「何番か」と問われれば、3番なんですよね。
1番は、家族と友人達との日々の平穏。
3番が、ジュリーをはじめとする音楽を楽しむこと。
じゃあ2番は?


何もいらない 
ぼくたちの夢が この世の平和と告白したら
みんな笑うだろうな

ジュリーが2000年にリリースした自作詞の名曲「耒タルベキ素敵」にそんな歌詞がありますね。
僕の2番は正にこの詞の通り・・・「この世の平和」です。みなさま笑いますか?
まぁ1番と2番(厳密には3番も)は同義ですが、自分と大切な人達の「平穏」というものをどう捉えるかによって、9条への考え方も人それぞれ変わってきます。

今日こうして「我が窮状」の楽曲考察記事を書くからには、まずは僕が「護憲」の考え方を持つ者である、と明確にしておかなければなりません。
これはジュリーの考え方に感化されたとかいうことではなく、元々自分が持っていた、僕なりの「平和」への思いによるものです。よって、これから書くことは僕の個人的な考えに基づくものではありますが、だからこそジュリーの「我が窮状」の歌詞解釈にはある程度の自信も持てています。
僕にはこの曲に込めたジュリーの気持ちが分かる・・・そもそも、歌詞の隅々、言葉の端々に至るまで「ジュリーの気持ちがよく分かる」なんて僕が言い切れるジュリー自作詞のナンバーは、「我が窮状」ただ1曲です。

「我が窮状」のリリースは、大きな支持と共に激しい反発をも招きました。この曲をきっかけにジュリーファンをやめてしまわれた方もいらしゃると聞いています。
一方では、考え方の相違から歌詞内容には反論しつつも、「堂々と自分の意見を歌えるのは凄いこと」と、ジュリーの創作姿勢については変わらぬリスペクトを持ち続けているファンもいらっしゃるようです。
色々な意味で、宿命的なジュリーな代表作。では、ジュリーが歌う「9条」って何だろう?

麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
C            G7         E7    Am  F       G       G7

忌まわしい時代に さかのぼるの       は
      F          F7           C     C(onE)  Am

賢  明じゃない ♪
Dm  G7       C

この問題でよく語られるのは、9条は大戦後に他国から強要されたものだ、ということ。さらに、大戦後の国際不戦条約に基づく戦争放棄を謳った憲法条文は各国に存在する・・・それはまったくその通り。
しかし、大戦での筆舌に尽くし難い苦しみ、悲しみの中にあった日本人にとって「不戦」は国としての最大の願いとなり、いつしか9条を自身の宝物と変え、単に「条文」にとどまらない日本独自の「精神」をそこに宿らせた・・・「我が窮状」でジュリーはそう歌っているのだ、と僕は解釈します。
日本は大戦以後、自他国含めただの1発の銃弾も撃っていない、た
だの1人も戦死者を出していない、という稀有な国となりました。ジュリーはそんな国に生まれたことをまず「誇り」とし、その精神を忘れてしまうかのような世の動きを憂いて「賢明じゃない」と歌ったのでしょう。

英    霊の涙に代えて  さず   かった宝だ ♪
Am  F      C         C7    Am   F        D7  G7

「英霊」とは過去に戦争の犠牲となったすべての人達の魂のことであり、「さずかった宝」とは日本人が9条に自ら身をつけた精神性のことだと考えられます。

ただ、今回様々な資料を読んで勉強したり、異なる考え方の友人とやりとりして改めて気づかされたのは・・・憲法9条を護るのか、改憲するのか(ジュリーは「改憲」という言葉は嫌いで、僕もそうなんですけど、そこに気を遣うと文章がややこしくなるのでこの記事では「改憲」の表記で通します)という問題に際して、むしろ僕の周囲だけで言うと、改憲の考え方を持つ人達の方が「平和」について敏感で、日々真剣に考えている人が多かったりするのです。

例えば8月6日、8月9日、8月15日にじっと静かに祈りを捧げる・・・僕の知る「改憲派」の人達は、「うっかりその日を忘れる」ということがありません。漠然と「戦争はイヤだから9条はそのままに」とする人達と比べ、その意識はかなり高いように思われます。勉強もしているし、国の政策推移も他国の憲法と現状もよく知ってる・・・これは僕の周囲だけのことなのでしょうか。

改憲派の人達にも、「平和のために」と日々考えている方々がたくさんいらっしゃいます。彼等の意見についてやみくもに否定だけをし、耳を塞いでいてはいけない、それではきっと本質が見えてこない・・・僕は今回の記事構想をその決意からまず出発させました。
将棋棋士が「難解な局面に際し、盤の相手側に立って読みを入れる」というのと同じ手法です。

僕には自衛隊の友人が2人います。小学校時代からの友人が1人。高校時代からの友人が1人。
いずれも完全にその人格を信頼できる素晴らしい男です。9条についての考え方は違っても、いつでもすぐに昔の友人同士の感覚に戻れます。防衛大学入試最終面接の翌日「いやぁ・・・いきなりナニを握られてマイッたよ~」と面白おかしく話してくれた(エレクトしてしまったらアウト!ということなんだろうか・・・)あの懐かしい頃に。
今、家族と過ごす時間より海の上にいる時間の方が多いその友人の志の高さを、僕は心からリスペクトしています。彼等はこの国の「平和」を僕などより数倍も真剣に思っているのです。
だから話をしていると、ふと心が揺れることがあります。何十年もの先の日本という国を考えた時、物理的に強くあらねばならないのかな、と考えることもありましたし、彼等の言うことには一理も二理もある、僕の知らないこともたくさん知っている・・・そして、万一の事態となった際に僕らを守ってくれるのは彼等であることを、決して忘れてはなりません。

しかし、その上でさらに考えることがあります。
彼等とやりとりしていると、「積極的平和」「現実的平和」という表現がよく出てきます。
「オマエの言うことはまぁ分からなくはないとしても、一般的にオマエみたいな考え方をする人達の多くは現状認識や知識が足りなさ過ぎる。最初のとっかかりの話すらまともにできない」ということになるらしい。
でも、僕は退きません。
「そういう人達が今後色々なことを学んで、突き詰めて考えたのちにじゃあ改めて9条をどうしましょうか、という話になったら、護憲派はきっと今とは比較にならないほど圧倒的多数になるよ」
と。

今問われているのは、「平和のために9条を護りたい」との思いを漠然と持ちながらも明確な姿勢を表せないでいる多くの人達が、少しでも勉強して、考えて、キチンと話ができるようになることではないか、それが「静かに通る言葉」を身につけることへと繋がるのではないか、と僕は思っています。
簡単なことです。「日本は他国に出向いて戦争をすることは一切ありませんよ」と全世界に胸を張って言いたい気持ちがあるならば。それを誇りとするならば。
「知ろう」「考えよう」「声に出そう」・・・それが2008年、「我が窮状」でジュリーが聴き手にまず一番に送りたかったメッセージだったのではないでしょうか。

この窮状 救うために 声なき  声よ 集え ♪
  C      E7  F         C      C#dim  D7     Dm7 G7

「声なき声」とは、サイレント・マジョリティー。世論調査などには反映されていない、人々の声。
その中には今
「争いの無い平和な世界を願っているし、そうありたいと思っているけれど、こういう問題について声を上げるのは怖い。まして政治はよく分からないし、所詮自分ひとりが何を言ったって、結局何も変わらない」
という「あきらめ」の感覚がありはしないでしょうか。実際、僕自身がそうだったのかもしれない。
そう考えると

あき    らめは 取り返せない 
   Am  F               C        C7

あや   まちを 招くだけ ♪
   Am  F            D7    G7

「あきらめたら、取り返しのつかないことになるよ」とジュリーは歌います。ジュリーが真剣に、丁寧に言葉を選んで語りかけてくれていることが分かります。


「声を上げる」と言ってもね・・・僕などはたまたまブログがあるからこうして勇気を振り絞って書いていますが、もっとシンプルに考えて良いことだと思います。
第47回衆院選が公示され、選挙戦が始まっていますね。「学ぶ」「考える」には絶好の機会です。

この時期の解散総選挙については、数年先を見越してのしたたかな計算があるんだとか、国民が皆多忙を極める12月の選挙なら投票率が下がるので組織票を持つ党が有利、とか色々言われているようですが、さて実際どうでしょうかねぇ。
僕は、ずっと以前に「将来のリーダー対談」ということで、民主党の岡田さんとテレビ出演していた頃の安倍さんには好感を持っていたものでした。頭脳明晰、理路整然としつつ「剛腕」の人なんだな、と。
増税の権化みたいな言い方をされる向きがありますが、それは本来財務省官僚が言われるべきことであって、そもそも企業の厚生年金制度の存続、安定などを考えれば近い将来の増税やむなし、という理屈は僕にも分かります。安倍さんはその上で官僚と対決する形で消費税先送りを決断し、「即増税の官僚と先送りの俺とどちらが支持されるのかを国民に聞いてみる!」とばかりに解散に踏み切った男気も、実は感じていなくはないのです。

ただ、僕にとっては到底支持などできない「剛腕」ばかりが目立った第二次安部政権・・・今、選挙に際して「経済政策の真を問う」というテーマばかりを全面に押し出している安倍さんは、ちょっと国民の意識をナメちゃったんじゃないかな。
今の時期に選挙をやって、集団的自衛権の行使容認解釈の是非、憲法9条の今後に関する問題が有権者の選択肢にならないはずがないでしょう。

一人一人は無力。一個人の僕がこんな文章を書いたところで無力。それは間違いなくそうです。
でも、ジュリーファンだけに限っても、その中の「サイレント・マジョリティー」の「声なき声」が今回の選挙で集まったとしたら、それだけでも凄いこと。嬉しいこと。もう無力ではないですよ。

正直今の状況は残念ながら、「護憲」の声も「改憲」の声もそれぞれ「ノイジー・マイノリティー」と捉えられているような気がします。じゃあどちらの側に「サイレント・マジョリティー」が潜在しているのか・・・結果は分かりませんが、今回ほど「投票率」が重要な選挙は無いように思われます。
もちろん、それぞれの人がそれぞれの考え方で票を投じれば良いことです。
考え方は人によって様々でしょう。
そこで、「すべての日本人がよく考えて声を上げるならば、結果は僕らの方だよ」という思いをジュリーが自身還暦の年に「我が窮状」に込めてメッセージとしていたことを、改めて思うんですよね・・・。

どんな政党のどんな人がどんなことを言っているのか・・・国民ひとりひとりが日々関心を持って知っていき、その上で自分で考えなければなりません。政策、主張の本質は本当に様々です。
言葉や呼称についても知らなければなりません。「防衛装備移転三原則」の意味や由来を知らない人が僕の周囲には驚くほど多くいるのです。新聞によっては逐一「これは以前の武器輸出三原則による武器禁輸政策を全面転換すべく制定されたもので・・・」と注釈を加える紙もありますが、それも今では少数派です。
そのうち、どの新聞も単に「防衛装備移転三原則」としか書かなくなると、「なんのこと?」と戸惑う人が多くなってくるかもしれませんが・・・日本が、例えば戦車を作って(結果的に)他国に輸出し経済的に潤う、という構図が「武器輸出三原則」を改定した(隠した?)この「防衛装備移転三原則」によって今は可能になっています。つい最近決まったことです。
また、政府がテーマを選定し巨額な資金提供をする、防衛省と大学や研究機関との軍学共同研究についても、その流れに呼応するかのように加速しています。現政府の言う「経済」政策にはこうした内容も含まれていることを、まず知っておくことです。軍需産業で経済が潤う、という発想には僕は賛同できません。
さらに、そうしたことを「知りにくく」させる可能性を多分に含んだ「特定秘密保護法」がもうすぐ試行される見通しであることも気がかりです。まぁこれはさすがにみなさまご存知ですね。

もちろんそれらの政策、法案は単純に一刀両断にできるものでもありません。勉強してみると、恥ずかしながらこれまで色々と知らずにいた離島防衛の重要性なども感じました。それもまた事実。
その上でどう考えるか。まずは「知る」ことからです。
たとえ自分とは真逆の意見だとしても、それを知り考えることでさらに得られ、一層身につく「静かに通る言葉」があるのです。

ジュリーは、自らの考え方を押しつけるために「我が窮状」を歌っているのではないのですよ。ただ自分と同じ気持ちの「サイレント・マジョリティー」の潜在は確信していると思います。「僕はこう思うけど、みんなはどう?まずはひとりひとり考えてみて」とメッセージを投げかけてくれています。
ジュリーが危惧しているのは、「あきらめ」なのです。これが、今回僕の一番書きたかったことです。
ジュリーはこう言いたいんじゃないかと思います。
「色々な考えがあっていい。でも、すべての人が自分の考えを声にすることで、この窮状は救えるよ」
と。

長々と書いてきましたけど・・・実は今回の「我が窮状」の記事はね、『ジュリー祭り』記念日と『三年想いよ』”セットリストを振り返る”シリーズを兼ねて、ということで採り上げたんですけど、さらに来年のお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』セットリスト予想シリーズ第1弾のお題記事でもあります。
もし今度のお正月LIVEでもこの曲がセットリスト入りしたら、「え~っ、また~?」と思ってしまうファンも多いでしょう。僕も同様の気持ちが正直無くはない。せっかくだから他に色々な曲を聴きたい、とは望んでいます。
でもやっぱり、ジュリーは来年もまた「我が窮状」を歌うと思うんですよね。

逆に言えば「声なき声」が集ってくればジュリーはこの曲を封印するかもしれません。
ジュリーはあくまで自身が「礎石」となり、次に繋がってゆくことを願っているのですから・・・。

老いたるは無力を 気骨に変え      て
      F           F7         C   C(onE)  Am

礎石 となろうぜ ♪
Dm   G7       C

僕が「我が窮状」で一番好きな歌詞部です。
子供の頃にテレビで見ていた、なめらかな高音としなやかな動きのスーパースター・ジュリーが、いつの間にか還暦となり、艶やかな低音と微動だにしない姿勢と矜持でもってそう歌っていることを理解した時は、身震いがしました。こんなふうに物事を見ている「人間60年・ジュリー」だったんだなぁ、と。

礎石となってくれたジュリー。歌を残してくれたジュリー。
僕は凡人ですが、その気骨を受け継ぎ、また次の礎石とならなければならない世代です。
僕は、これからジュリーが「我が窮状」を歌わずにいられる時代となることを祈るとともに、そのために今こそ何をすべきかを考えて、今回楽曲考察という形でこの記事を書かせて頂きました。
でも、政治的なことよりなにより、「我が窮状」は本当に素晴らしい曲なんですよね。純粋にその楽曲の素晴らしさを以って、平和な世の中にこの曲が語り継がれてゆくことを、一番に願っています。


それでは次回更新からは、もうあとひと月ほど後まで近づいたお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』開幕へ向けて、”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズに突入します。今日の「我が窮状」もその中に含むとして、5、6曲を採り上げる予定です。
とにかく「誰もが知るヒット曲」を僅かな例外として、本当に「
全然当たらない」のが僕のセトリ予想。
「ジュリーにはあれだけの持ち歌があるんだから、誰だって1曲すらなかなか当てることはできないでしょう」というのも確かにそうなのですが・・・例えば今年のお正月LIVE『ひとりぼっちのバラード』では、先輩のぴょんた姉さんが「鼓動」「緑色の部屋」を事前に予想されていたんですよね。凄過ぎる・・・たまには僕も「アッと驚くマニアックな曲」を予想的中させたいものです。

ということで、どうにか頭をひねって、セトリ入りの可能性がある「狙い目」の曲を探しております。
最近更新間隔が開き気味ですので、なるべく短い文章でも多くの曲の記事を書いていきたいです(そう言っておきながら、短くなったことが無いんですが・・・)。

年末の慌しさ・・・寒さもこれから厳しくなってきますが、みなさまどうぞお身体ご自愛ください。
で、元気に選挙に行きましょう!



P.S.
「ジュリーだけじゃないんだ、文太さんのような人もいてくれる」・・・今回の「我が窮状」記事執筆に際して、その存在がどれほどの勇気をくれたことか。
ほぼ記事の下書きを終え、あとは細部を纏めて文章を繋げるだけ、というまさにその段階になって、菅原文太さんの訃報を知りました。

太陽を盗んだ男』は、僕がまだ全然ジュリーファンではなかった20才かそこらの頃に、テレビ放映で初めて観ました。放映翌日に音楽仲間の友人達と
「沢田研二ってカッコイイよな!」
「文太のあの最後の粘りがシビレるよな!」
などと語り合ったことを思い出します。
まだ、ローリング・ストーンズの来日公演実現などまったくリアリティの無かった時の話です(メンバーの不仲説やミックのソロ活動などで、解散の噂さえありました)。

文太さんもまた、老いたるは無力を気骨に変えて、礎石となってくれた「偉大な昭和の親父」のお一人。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2014年4月29日 (火)

沢田研二 「ロマンスブルー」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

---------------------

今日は、ジュリーが還暦を迎えた2008年にリリースされたアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』からお題を採り上げます。
先日発売された『ロックジェット Vol.56』掲載インタビューにて、「沢田さんのアルバムでひとつ挙げるとしたら?」と問われた白井良明さんが、「自分の中でエポックだった」と語ってくれた名盤ですね。

僕は2008年の通常のツアーには間に合いませんでしたが、『ジュリー祭り』にて、『ROCK'N ROLL MARCH』全収録曲を生で聴いています。
拙ブログでは、”ジュリーの70越えまでに『ジュリー祭り』セットリストすべての記事を網羅する!”という大きな目標を掲げています。それはそのまま、あと4年ちょっとの間にアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』収録曲すべての記事を書き終えなければならないということでもありまして・・・年に1、2曲はこのアルバムから必ず書いていく、と自らにノルマを課しております。
現在「ジュリーの様々な愛の歌を巡る時空の旅」をコンセプトに執筆中の今回は、その中から穏やかなラヴ・ソングをお題に選びました。
「ロマンスブルー」、伝授です!

不思議な、それでいて自然な響きを持つタイトルです。
「ロマンス」と「ブルー」。「ブルー」は、悲しみであったり、憂鬱であったり・・・どちらかと言うと淋しげな気持ちを表す言葉ですが、「ロマンス」は逆に心躍る、楽しい言葉ですよね。
この相反する2つの言葉が繋がると、どんな意味になるのでしょう。使われ方によって様々な解釈ができるフレーズだろうなぁ、とは思いますが・・・。

実は「ロマンスブルー」って、僕にとっては昔から馴染みのあるフレーズではあるのです。
タイトルとしては、ずっと浜田省吾さんの曲のイメージがありました。浜田さんの「ロマンスブルー」は、浜田さんが明確に”反核”を打ち出したアルバム『PROMISED LAND~約束の地』に収録されています。淋しさの中に優しさを見出す意志の強さを持つ曲で、「それぞれのロマンスをとりまくブルー」がテーマといった感じ。
『ROCK'N ROLL MARCH』を初めて手にし曲目を見た時、すぐに浜田さんの曲が浮かび、同タイトルでどんな内容の曲なんだろうと興味をそそられたものでした。

聞かせてよ 僕らは 大人にいつなった?
C                F             E                F

あの頃の 僕らを どんな風に見てた?
C             F               E              F

相変わらず だけど少し 涙 もろい
F           C      F       C   F Fm    C  A7

君に似てきたようだ ♪
   D7                 G

初めて聴いた当時はそこまで考えが及ばなかったのですが、さすがに今の僕はジュリーが「大人」と歌うと、「きれいな大人」という重要なフレーズを自然に連想するようになりました。
ただ、「ロマンスブルー」の場合は作詞がジュリー自身ではなくGRACE姉さんです(作詞・作曲)。
もちろん「ジュリーが歌う」ことがGRACE姉さんの頭にしっかりとあったはずですし、なにしろジュリーの人生とシンクロするような歌詞を書いてくれることにかけては、それ以前からGRACE姉さんは実績充分。「確信」「未来地図」「明日」など素晴らしい名曲が多数ありますよね。
それらは厳密には、ジュリーが辿ってきた人生その通り、というのとは違います。ジュリーが歌ってジュリー自身の人生に引きつけている・・・そんな感覚が「ロマンスブルー」にもあると思います。

自分はいつ大人になったのか・・・人それぞれに実感できる時期は様々でしょうね。
僕自身に置き換え考えてみるとそれは、身も蓋もない話ですけど「自分で稼いだお金で生活し、欲しいものが自由に買えるようになった時」でしょうか。
例えば、『ジュリー祭り』に感動のあまり、それまで持っていなかったジュリーのアルバムを一気に買い込んでしまう・・・なんてことは「大人」でなきゃできない(笑)。
まぁそれはほんの数年前の話ですけど、じゃあいつからそういうことができるようになったかというと、就職してサラリーマンになった時、ということになるのかな。

対して「あの頃の僕ら」というのは、大人になる前の僕ら、ということですよね。ヤンチャして、親に心配ばかりかけているのに、あれこれ夢ばかりを口にしていた頃・・・僕にも当然覚えがあります。

大人になった自分は、大人になる前の自分をどんなふうに見てた・・・?

つまり、「ロマンスブルー」の主人公は、「大人」になってからもうずいぶん年を重ねている・・・「大人になった」頃の自分を思い起こしている、そんな年齢であると言えそうです。そして、ずっと傍にいてくれる年齢の近い人に対して「僕らは」と語りかけているのです。

これは、友達同士或いは「恋していた頃」という捉え方ももちろんあるでしょうが、ジュリーが歌うとやっぱり熟年の夫婦の歌に聴こえるんですよね。
僕はまだ結婚してたかだか5年目で、その点では新米もいいとこなんですが、この曲で歌われている感覚はなんとなく想像できるような気はします。

「大人」になった自分・・・いつ大人になったのかは分からないけれど、「大人になってから」数十年、考え方とか食べ物の好みとか、基本的な気質は「相変わらず」だよと。相変わらずなんだけど、「君」同様に最近少し涙もろくはなったきたかなぁ、ということでしょうか。

確かに、年齢を重ねてくると涙もろくはなってきますね。
例えば僕は今回の記事を下書きしている間、通勤電車内や仕事での移動中などにアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』を繰り返し通して聴いていましたが、「Long Good-by」や「護られているI love you」では知らず知らずのうちに涙ぐんでしまっているわけですよ。
これは、曲の理解度が僕なりに深まってきたこともあるのかもしれない・・・でも、「この2曲の良さが分かる=それなりに年齢を重ねてきた=思わず涙が・・・」という連鎖のようにも思えるなぁ。

「君に似てきたようだ」・・・これはもう、よく世間で言うじゃないですか。「夫婦は似てくる」と。
僕らのような新米の夫婦にさえ、そういう会話は自然に出てくることがあるのです。
「風邪ひいた時の喉の腫れが酷くなった」とか、「物を何処に置いたか忘れるようになった」とか、やれギックリだやれ冷え性だ何だ、と・・・「どうしてそんなトコが似てくるかなぁ」と笑い合っているわけですが、これはよく考えると、「夫婦で似てきた」のではなく単に「お互いにトシをとってきた」ということなんですよね。
そういうことって、おそらく一人で生活していると「もうトシなのかなぁ・・・」と”ブルー”にしょげかえるだけの、「老い」への感傷。ところが夫婦が一緒に生活していると、「似てきちゃったねぇ」という”ロマンスブルー”で和やかに笑って済ませられるという・・・この曲はそんな歌なんじゃないかなぁ。
いや、それはタイトルを都合よく解釈し過ぎで甘い考えなのかな。GRACE姉さんの作詞時点では、歌の主人公は40代の設定だとは思うけど、『ROCK'N ROLL MARCH』のジュリーのヴォーカルで聴くと、60才の歌としか思えない。
そう考えると正直、僕のような若輩にはまだまだ還暦の境地など分かりっこない、とも言えますけど。

ちなみに、考察記事を書く時にはお題の1曲だけを聴き込むよりも、その曲が収録されているアルバムを通して聴く方が新たな発見が多かったりします。その時ジュリーがどんな気持ちで楽曲制作に取り組んでいたのかが伝わってきやすいですし、他収録曲との比較から、先述した「あの頃を振り返って」といったような、歌詞の持つテーマ性にまで考えが及ぶことがあり得るのです。

例えばアルバム『ROCK'N ROLL MARCH』で言いますと、5曲目の「Beloved」から6曲目「ロマンスブルー」、7曲目「やわらかな後悔」とGRACE姉さんの作詞作品が3曲続くじゃないですか。
「あぁ、GRACE姉さんの詞、イイなぁ」と続けざまに聴いていてふと、「ん?3曲全部、過去の人生を振り返っているような詞じゃないか?」と今さらのように(恥)気がつくのです。

現在ジュリーがアルバム制作にあたって鉄人バンドのメンバーに「PRAY FOR EAST JAPAN」をテーマとした作曲、と明確に提示しているように、もしかしたら還暦の年にリリースするアルバム作りに際して、作詞・作曲家陣に「みなさんそれぞれのこれまでの人生をふりかえって」というテーマを与えた作品がいくつかあったのかもしれない、と思いました。
もちろんジュリー自身の作詞作品にもそれがあり、言うまでもなく「Long Good-by」がそうですし、ひょっとしたら「我が窮状」もとっかかりはそんなテーマから導き出されてきた詞なのかもしれない、とも思ったりします。

さて、「ロマンスブルー」はレコーディング面で
も興味深い点があります。
この曲はちょうど今の鉄人バンド・スタイル(ギター2本、キーボード、ドラムス)がそれぞれ1人ずつワントラックを受け持てば再現できるような、必要最低限の楽器数で構成、アレンジされています。ところが、2トラックでレコーディング可能なギターを、白井さんはわざわざ3トラックに分けて演奏しているのです。
ミックスで言うと、中央と右サイドの2つのトラック・・・これはどう考えても1本のギターで一気に演奏されるべきアレンジになっているのですが、エフェクト設定を違えて2トラックに分けられ、ミックスも分離されています。
ジュリーのヴォーカルに重なる箇所と重ならない箇所とではギターの鳴りを変えたい、という白井さんの拘りでしょう。
『ロックジェット Vol.56』でのインタビューが示す通り、白井さんにはまずジュリー・ヴォーカルへのリスペクトがあり、それがアレンジにも影響してくるのですね。

またこのアルバムは打ち込みのドラムスが使用されていますが、「ロマンスブルー」で数回登場する「ダダッ」というスネア2打のフィルなどは、生ドラムのような微妙なズレが施されています。
リズムボックスの打ち込みには「STEP」と「REAL」の2通りの方法があって、このフィルは「REAL」の手打ちで入力されているのでしょう。これも「わざわざ手間をかけて」の作業で、そうしたことがアルバムのクオリティーを一段押し上げているのではないでしょうか。

最後に。

ロマンスブルー ふたつの影
C                              F

にじませ ひとつにする
        E                    F

藍になろう 愛であろう 愛になろう ♪
Fm     C     Fm     C     Fm     C

このラストの歌詞部、良いですね。
これは、共に年齢を重ねてきた2人が、夕暮れ時に互いの影を重ね合わせる、という単純な構図のことだけではないと思います。
寄り添って生きてきた、辿ってきた、乗り越えてきたものをどれほど共有しているのか・・・ジュリーの歌声からは、そんな確信が伝わってきます。

そこまでの境地に至るのはなかなか大変な道のりなんだろうけど、自分なりに目指してのんびり進んでいこうか、と変に力むことなく思わせてくれる・・・GRACE姉さんの優しい楽曲、ジュリーの暖かなヴォーカル。
「ロマンスブルー」、名曲ですね!

そして・・・改めて、『ジュリー祭り』に感謝。還暦を迎えたジュリーが届けてくれた『ROCK'N ROLL MARCH』という不朽の名盤にも感謝です。
そうそう、数人の先輩から記事のリクエストも頂いているアルバム・タイトルチューンの「ROCK'N ROLL MARCH」について、これまで何度か書こうとして「どうも考察が甘いなぁ」と先送りにしてきたんですが、先日発売の『ロックジェット Vol.56』に掲載されているインタビューで、白井さんがチラリとこの曲の制作コンセプト、アレンジオマージュについて語ってくれているんですよね。「あぁ、なるほど」と思いました。
タイミングが良ければ、今年の12月3日に考察記事を書こうかなぁ、と考えています。
また、実際にジュリーの歌声でもう一度聴いてから記事を書きたい、と思っているのが「護られているI love you」。これは今年のツアー・セットリスト入りを大いに期待しています!


それでは、今日のオマケです。
2008年12月3日(仏滅)の『ジュリー祭り』参加を境に、大ゲサではなく人生まで変わってしまった僕ですが、当日まではそんな予感はまったく無く、ジュリーのツアーについてネットで調べることもせず、メディアの関連記事もアンテナに引っかかることなく・・・まったりと過ごしてしまっていました。
「その日」を迎えるまで、一般世間でも色々なジュリー情報が少なからず発信されていたのにね・・・。

5年ちょっと前の資料ですから、みなさまにとってはまだ「懐かしい」という感覚は無いかもしれませんが・・・2008年の新聞記事をいくつかおさらいしてみましょう。

200815_2

2008年11月14日付の読売新聞です。
みなさまは、もうこの頃になると「2大ドーム興行待ったなし!」とドキドキされていたでしょう。
対して僕は日々の忙殺に追われるばかり。「ジュリーを観にいくんだ」という現実感もまだまだ沸いてこなかった頃です。チケットはもう手にしていましたけどね。


20081202tyunichi

そしていよいよ東京ドーム公演前日となりまして、12月2日・・・この記事は中日新聞でしたっけ?
さすがにこのヒヨッコも、前夜は興奮していましたよ。全然間に合うわけないのに、「最近の曲をちょっと覚えていくか」とYou Tubeをハシゴしてみたり。

ここまでの2つの新聞切り抜き資料は、後日J先輩から授かったもの。僕はこれらの記事のことは何も知らずに当日を迎えてしまいました。
そして!

20081204sankei

東京ドーム公演翌日、12月4日付のサンケイスポーツです。これは、前夜の興奮醒めやらぬ状態で出社した僕が、会社にあったサンスポにセットリストが掲載されているのを見つけ、記念にコピーして(だからモノクロなのです)持ち帰ったもの。
翌5日に、どの曲がどのアルバムに収録されているのか、ウィキでせっせと調べました。
90年代~2000年代の曲をほとんど知らなかったので(「A・C・B」の誤植が辛うじて分かるくらいのレベル)、結構大変な作業でした。画像をご覧頂ければお気づきの通り、紫色のペンで初々しい(笑)覚え書きが残っています。たぶん「買うアルバム候補」として記入したのではないかと・・・。

そんなことをしているうちに、「そうだ、ブログにライヴレポートを書こう!」と突如思い立ったという。
その頃は「下書き」なんてしていなくて、ババ~ッ!と思いつくまま、一気に書きました。さすがに1日では前半部までしか書き終わりませんでしたが。
その日から、このブログは「じゅり風呂」となり、少しずつ世のジュリーファンのみなさまに読んで頂けるようになっていったのでした。当初は先輩方がコメントを下さるだけでえらい興奮して、「またジュリーファンに読んでもらえた!」とYOKO君にその都度電話したものでしたね。
本当に感謝しています・・・。


さて次回更新ですが・・・再び大きく時代を遡ってのお題になります。
先日「LOVE(抱きしめたい)」の記事で、「これは『歌門来福』セットリスト唯一のシングル・ヒット曲」などと書いてしまいましたが、まだあるじゃん!と気がつきまして・・・懺悔執筆です。もちろん、ジュリー珠玉のラヴ・ソングですが、またしてもお題バレバレですな・・・(汗)。
先輩からお預かりしているジュリー関連のお宝資料が一番多い時期のシングル曲ですので、この機会に様々な資料もご紹介したいと思っています。

余談ですが、風邪をひいてしまいました・・・。
気候の急激な変化、みなさまもどうか充分気をつけてお過ごしください。

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2011年4月10日 (日)

沢田研二 「やわらかな後悔」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押され僕は
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

--------------------------

先日、次のお題は・・・と考えていてハタと気がついたことがあり、一瞬焦ってしまいました。
「自分、今年に入ってから『ジュリー祭り』のセットリスト曲を書いたっけ?」と・・・。

拙ブログでジュリーの歌全曲を記事にすることは、一生かけても無理。しかし、ささやかながらの現実的な目標として僕が掲げた

ジュリー70越えまでに、『ジュリー祭り』セットリストを全曲網羅する!

という計画を覚えていらっしゃる読者の方がどのくらいおられるのかは分かりませんけれど。
『ジュリー祭り』記事制覇・・・今の時点では途方もなく先の見えない話です。
でも、だいたい1年に10曲ずつ書いていけば間に合うという計算で、これは努力すれば実現可能な大目標。頑張ってやってみよう、と決めたのでした。

今年に入って、『Balld and Rock'n Roll』ネタバレ我慢とかやってる間に、すっかり忘れてた!

遡って確認してみると。
おぉ、まったくの偶然ながら『ジュリー祭り』セットリストから、「彼女はデリケート」と「美しき愛の掟」を今年すでに書いてるじゃないか!
今は4月・・・大丈夫だ、ペースは順調と言ってもいい。

しかし、よく考えますと『ジュリー祭り』を全曲網羅するということは、イコール『ROCK'N ROLL MARCH』を全曲網羅するってことなんですよね。
アルバムからも計画的に、1年に1、2曲の執筆ペースを持続させなければなりません。

そこで今日は。
アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』の中で僕が最も好きなナンバーをお題に採り上げたいと思います。
「やわらかな後悔」、伝授!

『ROCK'N ROLL MARCH』・・・このアルバムは、僕がYOKO君と友に『ジュリー祭り』参加を決めた直後に購入した作品です。
とにかくベースレスってのに驚いてしまって、YOKO君に「あり得ん!」と電話したこともあったほど・・・アレンジフェチのヒヨッコDYNAMITEは、このアルバムを当初真剣に聴いていなかったのです。

僕がもしもジュリーのLIVEを体感していなかったら、後に正当な評価に至っていたかどうか。
おそらく全国各地にそういう人達が少なからずいるような気がします。たまたまジュリーのアルバムを聴いたけど、「ベース入ってないじゃん」とその後繰り返し聴くことを敬遠してしまっている人達が・・・。
一度LIVEを観てください、と大声で叫びたいなぁ。

つまり僕がこの『ROCK'N ROLL MARCH』収録曲について、個人的な考察を持つほどに聴きこんだのは、『ジュリー祭り』が終わってからのこと。
「Long Good-bye」や「我が窮状」といった、ハッキリした明確なコンセプトを持つナンバーですら、それを咀嚼できたのは2008年12月末という状況だったのです。
お恥ずかしい・・・。

『ROCK'N ROLL MARCH』はジュリーの歴史の中でも意義深い名盤。
僕のように遅れてでも良いですから、何とか多くの方に正当な評価をして欲しい作品ですね。

さて、アルバムの中で一番好きな曲でもあり、一番好きな、柴山さん作曲のジュリー・ナンバーでもあります、7曲目収録の「やわらかな後悔」。
いかにもロック畑の人が書いたバラード、という感じなのですが・・・実はこの曲、多くのみなさまがお気づきでないであろう大きな特色を持つナンバーなんですよ~。
だから今回の記事は、理屈っぽい内容になってしまうと思うんだ・・・。

何かと言いますと。
「やわらかな後悔」は間違いなく、すべてのジュリーナンバーの中で最も転調する回数が多い曲なのです!

この曲、譜面表記するならば「#4つのホ長調」に落ち着くかと思いますが、イントロとエンディングでそれぞれ一回ずつ展開される近親調への移行(この場合は嬰ハ短調との相互移行)を転調に含めて考えると、「やわらかな後悔」に登場する転調箇所は何と10回を超えてしまいます。

これがおそらく、最後のサビ繰り返し部で全体が半音上がる箇所以外、まったく計算ずくではない転調だと思うんですよ~。
何故なら、柴山さんはこの曲をギターで作曲しているはずだから。
「やわらかな後悔」に登場する転調は、理論的に構築されたものではなく、柴山さんが気持ちの良い進行と考えて移動させたギターコード・フォームの組み合わせが為せる技だと思います。
いかにもギタリストならでは、の作曲ですね。

まずイントロのホ長調部。

E→F#→F#m→E

と進行します。
この「F#」の箇所は”臨時記号による一時的な転調”と言えますが、さすがにそこまで厳密に数え上げるとキリのない曲ですから、まぁここはホ長調で通しましょう。

Aメロヴォーカル部は、近親調への転調。嬰ハ短調となり

♪ 呆れるほどに 空はからっぽで ♪
    C#m   F#        F#m    B

イントロの進行がそのまま哀しい感じに変化したような作り。
ここまではまぁ、よくある転調なのですが・・・。Bメロはちょっと異常!
出だしの

♪ 照り返す陽射しが ♪
    Bm7  E7         Amaj7

この部分はイ長調。
続いて

♪ 白く飛ばす影 ♪
    Dm7  G7  Cmaj7

ここが、ハ長調。
落ち着く間もなく

♪ 儚く  募る予 感     に
    Fm7 B♭7    E♭maj7  Cm 

  心を震わせ ♪
      A♭      G7

この部分は変ホ長調。
「照り返す陽射しが♪」の部分はBメロ3分節すべてに登場する進行で、これは3種の移調転調という理屈になりますが・・・半音上がるとか1音上がるとかそういうセオリックなものではなく、単純に押さえてるギターコードのポジション移動のヴァリエーションから編み出された転調に違いありません。
ギターで弾いてなぞっていけばそれが分かるのです。特に「白く飛ばす影♪」とDm7に移動する瞬間は、ギタリストならではの美しい作曲構成に、とてもシビれます。

で、話はこれで終わらず・・・。
「心を震わせ♪」の最後のG7は変ホ長調の近親調であるハ短調のドミナントになっているので、サビは

♪ やわらかな   後悔  を
           A♭maj7 B♭   Cm

  またひとつ      僕は負う ♪
           A♭maj7 B♭    E♭

と、ハ短調から入って再び変ホ長調→ハ短調とうねりのように転調が繰り返されます。
この進行が2番で1番と同じ調に戻っているのは一瞬信じ難いことですが、オルガンが「A7→C#7」と半音下降することで収拾がつけられています。このオルガン部については、白井良明さんのアイデアかもしれません。

2番も同様に進行し、最後のサビリフレインでハ短調→嬰ハ短調の半音上げ。それがそのまま近親移調となって、イントロとまったく同じホ長調に回帰するという・・・半音上げが偶然にしては出来過ぎの着地。
終わってみればおそろしく辻褄の合っているバラード、ということになっているんですよね~。
右サイドで終始鳴っているアコースティック・ギターのストロークは、曲全体を通しての整合性をアピールするにはピッタリ。さぞかしレコーディングしていて気持ちが良かったでしょう、白井さん。

柴山さんは、他作曲作品を見る限り、さほど転調にこだわって作曲するタイプではなさそうです。どちらかと言うと下山さんの方が凝った転調を好んでいるように思われます。
ですから「やわらかな後悔」は柴山作品としては異色なのでしょう。
その後が「Smash The Rock」→「若者よ」と続くわけですしね・・・。

また、アルバム『ROCKN'ROLL MARCH』には、「風に押されぼくは」「海に向けて」「Beloved」といった”幻想的な曲調・構成を擁したバラード”が居並んでいることも大きな特徴。
中でも、つかみどころがないほどの幻影性を持つのが「やわらかな後悔」だと思っています。これは、柴山さんの複雑な作曲、コード進行に加えて、GRACE姉さんの歌詞によるところでもありますね。

「Beloved」→「ロマンスブルー」→「やわらかな後悔」と続くGRACE姉さんの作詞作品。
僕は『ジュリー祭り』が終わってしばらくするまで、この”GRACE”という作詞クレジットが女性であることも、そしてジュリーのバンドのメンバーであることすらも知らなかったわけです。完全に、男性の職業作詞家さんだと思いこんでいました。
今考えると・・・聴きこみが足りないねぇ。
特に「やわらかな後悔」は、女性らしい詞ですから。
男性が思いつかないような、”男たるもの忘れてはならないこと”・・・それがこの「やわらかな後悔」というタイトルの中にはあるような気がします。

GRACE姉さんの紡ぎだすフレーズの多くは、抽象的なものが多いです。それゆえ、幻想的な曲、クールなメロディーとの相性が良いんですよね。
『忘却の天才』収録の「不死鳥の調べ」を初めて聴いた時は
「あぁ、『ROCK'N ROLL MARCH』に似たような感覚の歌詞の曲があったなぁ」
と思ったものでした。
それが「やわらかな後悔」だったのです。

抽象的であるがために、様々な受け取り方ができる・・・聴く時の状況によって感動が変わる・・・そんな詞です。
今改めて聴くと・・・「後悔」「からっぽ」「小さな嘘」「真夏の残像」といったフレーズが、何か新しい意味を持って自分の中に響き落ちていくようです。

「詞」を考えるならば、やはりそこで同時に、ジュリーの素晴らしいヴォーカルにも触れておきませんとね。

最近のジュリーのヴォーカルは「声が太い」と言われることが多いようです。声圧がある、ということなのでしょう。
僕はよくジュリーのヴォーカルの魅力を語る時、”歌に心ごと身体ごと入り込む能力”ということを書きますが、実はその対極とも言える魅力もあったりします。
クールに、自分と歌との距離を客観的に見つめて絶妙のバランスをとる能力・・・これまたジュリーの大きな才能ではないでしょうか。

このパターンは吉田建さんプロデュース期の楽曲に多く見られると僕は思っていますが、「やわらかな後悔」はこの時期突発的にそれが押し出されたように感じます。
ただ、2008年のジュリーに、かつて(それが逆に素晴らしい効果を発揮していたとはいえ)多くのナンバーで見受けられた「歌わされている」イメージというのは微塵もありません。ですからこの曲のヴォーカルに「突き放したクールな視点」を感じるのは、ひょっとしたら僕だけかもしれません。
いずれにしても、セルフ・プロデュース期としては珍しいタイプのヴォーカルニュアンスが聴ける楽曲のように思われるのですが・・・いかがでしょうか。

ベタベタとした感情を入れないジュリーのヴォーカルは、それ故に理知的な進行の「やわらかな後悔」という楽曲に様々な解釈を付加していきます。
「後悔」というフレーズ。
何に対しての後悔なのか。

そう考えた時、ジュリーのヴォーカルによって、2008年リリース時には誰も思いもしなかった感覚が浮かび上がってくるようです。
GRACE姉さんの詞には、感情があり、情景があり、迷いがあり、決意があり・・・しかしそれは人間を含めた「生きているもの」独自の感覚に特化しています。
人工的な要素、人造物の描写は、見当たりません。
だから逆に、ジュリーの声で「後悔」というフレーズを聴くと、制御不能になったあの巨大な人造物のことを考えてしまうんだ・・・。
今だから、の飛躍した解釈なんですけど。

人は、世界は、生きている間にどのくらいの後悔を負うものなんでしょうかね・・・。

さて。
今後のお題なんですけど、もう2、3曲くらいは続けて『ジュリー祭り』のセットリストからの記事執筆を済ませておくかな~、なんて思っているところです。
年の瀬になって慌てふためかないように。

とりあえず、アルバムで一番の曲じゃなくてもいいですよね?
「大好きな曲」でありさえすれば・・・。

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2010年6月14日 (月)

沢田研二 「Beloved」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Goog-by
11. 護られているI love you

--------------------------------

世はジュリワン一色。
そして、吉田Qさま絶賛応援期間、最後の追い込みの一週間でもあるわけですが・・・。
昨日は京都帰りのみなさまがたくさんのゴム紐をお売りになられた様子ですし、少し安心したところで。
先週はひとつ嬉しいニュースがありましたので、それに絡めて、1曲伝授を挟みます。
Qさま応援記事は、また「最後のお願い」としてすぐに上げますからね!

それでは。
ほとんどの方がもう御存知でしょう・・・鉄人バンドの下山淳さんが早くもLIVE復帰を果たされました!
いくつかの情報を辿る限りでは、すっかりお元気そうで。まずは良かったです。
僕等ジュリーファンとしましては、無理をせず、9月の『秋の大運動会~涙色の空』に万全を期して備えてほしい、というところですが、ジュリーファン以外にも本当に多くの方々が下山さんの音を待っていらっしゃったのですね・・・。

今日は、その下山さんが作曲したジュリーナンバーを1曲、採り上げたいと思います。
前回のお題「ルナ」に引き続くようですが、これもまた美し過ぎるアルペジオ奏法によるバラード。
アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』から、「Beloved」伝授!

2008年、『ジュリー祭り』のチケットを手にした僕がまず考えた事は、「最新アルバムくらいは聴いて行こう」という当然の発想でした。
で、購入したCD『ROCK'N ROLL MARCH』を聴いた直後の僕とYOKO君との会話を、この際包み隠さず暴露し懺悔いたしますと・・・。

YOKO君 「ニューアルバム、どうだった?」
DYNAMITE 「駄目だな・・・アレンジの体を為していないよ。ベースが入っていないんだ」
YOKO君 「ベースなし?まさか!ウソでしょ?」
DYNAMITE 「いや、本当に入ってない。入れないなら入れないで、シンセで代用すればいいのに、それすら無い。こりゃ、手抜きだな・・・」

申し訳ございません・・・。
当時は何の事情も知らなかったものですから・・・(汗)。
もちろん、今はそんな風にはこれっぽっちも考えておりません!

でも、今後も含めて、新規ファンの認識って多分こんなものです。
特に、ロック畑の男性が最近のCD音源だけでそのままジュリー堕ちするとは考えにくい。ベースレスってのは、そのくらい常軌から外れている音作りなのです。LIVEに行って初めて分かることの方が、数100倍も重いんですよ、ジュリーの場合は・・・。

僕もYOKO君も『ジュリー祭り』でそんな先入観を見事に打ち砕いて頂き、無事に(?)ジュリー堕ちいたしましたが、この先も他人にジュリーを勧める時にはまずLIVE、というスタンスは外せません。

で。
そんな『ROCK'N ROLL MARCH』、ヒヨッコなリスニングながらも、僕の琴線に最初から触れていた楽曲が、お題の「Beloved」。
この曲はアルペジオ主体の演奏構成上、ベースレスでも充分音の噛みが成立していますから、安心して聴けたんだと思います。

下山さんの作曲では

A→Em→D→A→E7

と始まる導入部、ここではEmへの移行がかなりの変化球です。いわゆる「ポップ」というのとは少しズレていて、サイケデリックなコード進行なのです。
ジュリーナンバーでこの手のコード進行が使われている楽曲としては、「愛の嵐」「明日は晴れる」が挙げられます。
そして、現在ツアー真っ最中のジュリーwithザ・ワイルドワンズでは、超有名なあの曲が、このコード進行を擁したアコースティック・アレンジに練り直されていました。
意外な組み合わせで驚きました。

基本的には、ちょっと涼やかな感じのするストイックな楽曲に似合うコード進行だと思っています。

日本は狭い国ですが、それでも北と南では気候も違い、生活も季節感も違います。
僕にとって、「Beloved」のメロディーは「北」「涼しい」といった感じがします。
英国ロックの中で、アイルランド出身のバンドが作る楽曲に独特の魅力を感じるのと同じ感覚かもしれません。

僕は九州育ちで、大学入学で上京するまでは、日本国内で訪れた最北が静岡県清水市という。
上京して最北端経験が東京となり、元々北国に対して未知の憧れを抱いていた僕は、「北国の景色が見たい」というただそれだけの理由で、すぐに東北新幹線の売り子のアルバイトを始めました。
上野から盛岡を1日2往復だったり、盛岡行き最終に乗って1泊→4時間仮眠して上野行き始発で戻ってくる・・・そんな日々を過ごしました。
初めて見る東北の山並みは、山陽道をズームで倍にしたような迫力があり、とても新鮮でしたね・・・。

その頃、まだ山形新幹線は無かったかなぁ。
同じ東北でもずいぶん違うのかも知れませんが、とにかく下山さんの「Beloved」のメロディーから浮かび上がる大地は、標高がずいぶん高いような気がするんです。
GRACE姉さんの詞が、彼女にしては珍しい淡々とした情景描写(もちろんその中に閉塞した胸中を打破せんとする意思があるのですが)であるのも、下山さんの書いた楽曲から喚起した風景が、広く、大きかったためだと思います。
・・・そういえば『ROCK'N ROLL MARCH』を購入した頃は、作詞クレジットのGRACEという人が女性、しかもジュリーのバックバンドのドラマーだなんてまったく想像もしていませんでした。
「Beloved」「ロマンスブルー」「やわらかな航海」と、GRACE姉さんの素晴らしい作品が続けて収録されているんですよね、このアルバム。
何も知らずに聴いたら、この3曲の並び、普通にプロの作詞家さんだと思ってしまいますって!

「Beloved」の詞・・・季節は晩夏でしょうね。
新幹線から見た東北の夏は、足が速いです。この点も九州とは全然違います。
ちょうど甲子園大会の決勝(準決勝だったかも)に仙台育英高校が残っていた夏の終わりの日、トラブルで新幹線が数時間ほど遅れたことがあるんです。
徐行する車中でお客さんに「試合経過どうなってるか知らない?」と、あちらこちらで尋ねられたりしている中、時は過ぎ、あっという間に陽が落ちました。

東北のお客さんはねばり強くて、電車の遅れに出くわしても肝が座っていると言いますか・・・「今までそうは思っていなかったけど、南国の人は意外とせっかちなのかな」と思ったのを覚えています。
北国の方は、逆境に対して自然体と言いますか。

きっと下山さんもそうだ、と、今思います。

ところで「Beloved」の美しいギター・アルペジオ。
CD音源でギターを弾いているのは白井良明さんですが、これはいわゆるアコギではなく、エレガットという種類のギターを使用しての演奏です。
クラシックギターの音なのですね。
ルートを同時弾きしてコードの構成和音を展開していくアコギのアルペジオよりも自由度(ソロ度)が高く(ナイロン1-3弦の指弾きのアタックがアコギよりも強いのです)、白井さんの華麗な指さばきが味わえます。

僕の大好きなアイリッシュ・バンド、ザ・メン・ゼイ・クドゥント・ハングも、時折エレガットを効かせていましたっけ。
僕はどうやらエレガットのアルペジオに、「ちょっとヒンヤリ」な魅力を感じてしまうみたいです。

「下山さん不在の影響は大きい。皆でギターの音を補い合っている」
と、島さんがご自身のLIVEでつい先日語ってくださったそうです。
僕も実際にLIVEを観て、いくつかの曲では下山さん不在を痛感しましたけど、ツアーではジュリーwithザ・ワイルドワンズ皆が力を合わせ、最高のバンドサウンドを聴かせてくれています。
下山さんには、安心して養生してほしい。ゆっくりと、身体と相談しながら復活していってほしい。

そして9月、ジュリーファンは必ず下山さんのギターで昇天いたします。
それは変態ギターソロでも良いけれど、
「帰ってきたよ」
という感じで、「Beloved」なんていかがでしょう?

やっぱり、鉄人バンドに下山さんがいないのはとても寂しい。
それは、下山さんが放つ「涼しさ」が、ジュリーをはじめとする他の4人の「熱さ」を反射して、ひときわ輝いていたからじゃないか・・・僕にとってはそんなことを気づかされる、ジュリーwithザ・ワイルドワンズのツアーでもあるわけです。

「Beloved」、『ジュリー祭り』では柴山さんのエレキ・アルペジオだったけど、今度は下山さんのアコギで演奏してもいいんじゃあない?

P. S.
加瀬さんのブログが更新されていました。
睡眠時間3時間半ですか・・・。
69な超人!あやかりたし・・・。

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2009年10月17日 (土)

沢田研二 「風に押されぼくは」

~from「ROCK' N' ROLL MARCH」、2008

え~と、突然ですが新カテゴリーです。
例によりまして長~い枕から。

昨夜、拙ブログに思いもかけなかった方からコメントを頂きました。
「DELIC」というバンドを率いてイカ天に出演し、伊藤銀次さんより「ベスト・コンセプト賞」を贈られたmasato様です。

ネットの繋がりというのは本当にスゴい。
まず、僕がジュリー祭りの記事を書いて、それを機に多くの方々が拙ブログを読んでくださるようになり、望外の繁盛で調子に乗った僕は10万アクセス記念のリクエストを募集、鯛焼き丸様が10万番をヒットしてくださり、「Child」のリクエストを頂きました。それを受けまして僕が「Child」の記事を執筆、その際にふと思い出したのが「DELIC」の楽曲。その「DELIC」について少しだけ書かせて頂いた記事が昨夜、「DELIC」のヴォーカリスト(ギター、作詞、作曲)御本人の目に止まった、という数珠のような今回の流れなのでした。

早速masato様のサイトにお邪魔し、懐かしい楽曲を聴かせて頂きました。
初めて聴く他の楽曲も素晴らしく、近々にもリンクのお願いをさせて頂くつもりです。masato様やDELICの楽曲は、「G.S. I Love You」「ストリッパー」などがお好みのジュリーファンのみなさまにとっても、大変耳馴染みの良いであろう優れた作品だと確信するからです。

masato様と比べますと数段の低レベルではありますが、僕も高校時代からずっとオリジナルの音楽をやってきまして、LIVEは20代後半でやめてしまいましたが、作曲やレコーディング活動は、多くの昔ながらの仲間と共に未だ現役です。
憧れのイカ天バンドを指をくわえて観ているしかない、能力・技術の低さは自覚していまして、それ故、自らが作ることだけに楽しみを見出し、多くの方に聴いて頂く、という点には全く関心を持たずにやってきました。

ところが、昨夜masato様のサイトで多くの楽曲を聴かせて頂き、身が燃え立つ感覚を久々に味わいました。
やっぱり自分で音楽を作ったからには、できる限り多くの方々に聴いて頂き、その批評と対峙すべきなんじゃないか、と思いました。
幸いというか、僕は今、多数の人々に発信可能な状況に恵まれています。
長年の積み重ね(それだけですが)もあり、レコーディングしたオリジナル楽曲は、ソロ、バンド、仲間の楽曲(YOKO君など)のアレンジ&プロデュースも合わせますとゆうに300曲ほど存在します。
それらを少しずつ(いや、本当にたまに、ですよ)ご紹介させて頂こうかと。
1曲丸ごと全部ではなく、記述に関連するサワリ部分だけにしときますけれど。

ただ、それだけの記事では普段読んでくださる生粋のジュリーファンのみなさまが退屈でしょうから、畏れ多いことですが毎回ジュリーナンバーの中から1曲を選び、その考察に関連する形で進めていこうと思います。
ですので、興味のない方々は僕の曲など無理に聴かずとも、普通にジュリーナンバーの記事として楽しんで頂き、お題のジュリー曲についてのみのコメントも、従来通り書いてくださいね。
どうかよろしくお願い申しあげます。

では、今日の関連お題のジュリーナンバーは、アルバム「ROCK' N' ROLL MARCH」から。
「風に押されぼくは」、(一応)伝授!

「そっとくちづけを」「僕は歌うよ」という強烈な2曲の影に隠れていますが、この曲も安珠さん独特の優しさに満ち溢れた作詞がまず印象に残ります。
この詞がジュリー祭りの年に書かれた、というのが奇跡的な事で、ジュリーはあのドーム大成功までの道のり、何ら特別に豪華な仕掛けを行うことなく、本当に「風に押され」ているような感覚だったのでは、と想像しています。

♪ まばゆい光に抱かれ 絶えず揺らぐ心
   再び扉はひらき 風に押されぼくは ♪

最後のこの1節は、デビュー以来継続して活動し辿り着いた2008年のジュリーの足取りを、そのまま象徴しているように思えます。

「ROCK' N' ROLL MARCH」というアルバムは、大野克夫さんが「我が窮状」を作曲したり、と鉄人バンド&白井良明さん以外の方のクレジットが目を引く作品でもありますが、「風に押されぼくは」は、あの吉田光さんの作曲。
吉田さんは、「Shangri-la」など、90年代ジュリーの核となったナンバーを多く手がけていらっしゃいますから、長いファンの方々にとっては嬉しいクレジットだったのではないでしょうか。

さて、それでは自作曲との関連項目に移ります。

① ワルツのリズムには、鈴が合う!

ロック&ポップミュージックにおいて、(クリスマスソング以外)「鈴」なんていう楽器が導入されるのはごく稀なことですが、その数少ない使用楽曲例が、ワルツのリズムを擁するナンバーに集中しているのは特筆すべき事です。
長くアレンジ作業をやっていると、その辺りの感覚が分かってきます。4小節に1回、拍の頭、或いは3拍目で鈴を鳴らすと、妙に臨場感が出るんですよね、ワルツの曲って。
「風に押されぼくは」においても、その手法が取り入れられています。全編に渡ってはいませんが、注意してお聴きになれば、左サイドで鈴が鳴っているのがみなさまにもお分かり頂けるはずです。

で、僕の曲だとこんな感じ。

「gyu-013-12.wma」をダウンロード
(瀬戸口雅資「ふたりの、ひどく年老いた姉妹」 from ソロアルバム「ベッドでマリファナ煙草は吸わないで」、2003)

② 鼻を使って裏声にチェンジ!

「風に押されぼくは」を初めて聴いた時に僕が一番ゾクゾクしたのは、

♪ 一瞬に 永遠の~

と歌う箇所の、ファルセットチェンジするヴォーカルでした。
ジュリー、こんな歌い方するんだ~!ってね。
とか思ってたら、アルバムの次曲「神々たちよ護れ」でも

♪ まもっれ~

の箇所で同じ歌唱法が出てきて更にノックアウト。
僕は90年代後半から2000年代のジュリーのアルバムについては、ほとんど東京ドーム以降に聴きましたので、「あの日は雨」という怒涛のファルセットチェンジをフィーチャーした楽曲を、この時にはまだ知らなかったんですよ~。

まぁコレは、ジュリーの声だからこそ説得力があるワケなのですが、ひとつだけ言わせてください。
この歌唱法、世の中にはできる人とできない人がいまして、エッヘン、僕はできます!(だからと言って歌が上手いワケでは決してない)
例えば、ジュリ友のYOKO君は僕などより100万倍くらい優れたヴォーカリストですが、この歌い方はできません。

コツとしては、ファルセットに切り替わる母音の直前に「はひふへほ」の子音を挟みこむんです。
極端に言いますと

♪ 一瞬に 永遠のほ~

というニュアンスの語感になります。
ところが、できない人が無理にやろうとすると、子音のハ行が強く残ってしまうのですね。
「はひふへほ」発声のまさにその瞬間に、鼻で空気を抜き、自然に裏声に移行しなければならないのです。
ソコがどうも、できる・できないの別れ道みたい。

僕の曲では、これ。極端に言うと
「できるふ~ことはあまりない♪」と歌っております。

「gyu-010-12.wma」をダウンロード
(瀬戸口雅資「泣ける日没」 from コンピレーションCD「牛人物語」、2003)

え、ファルセット云々以前に、声自体が良くない?・・・それは重々承知しております(涙)。
今日ご紹介の2曲はいずれもすべての録音作業を独りで、しかも自宅で行いましたので、思いっきり歌えておりません。

丸々1曲をフルで通して聴いてみたい、という奇特な方がいらっしゃいましたら、コメントにアドレスつけて頂ければ(アドレスは管理者である僕にしか見えませんのでご安心を)、ご返信いたします~。

あ、でもくれぐれもこのカテゴリー記事で無用にお気遣いなく。お願いいたします。
自作曲紹介は今回試験的にやってみた事ですので、いつものように、普通に「風に押されぼくは」についての従来通りのコメントも、お待ち申しあげておりますよ!

そうそう、「風に押されぼくは」のワルツリズムなんですけどね。
この曲、「愛に、縛られて♪」の部分が混沌としたアレンジになりますよね。
スネアの入る位置や、ギターの絡み方で、リズムが変わったような感覚に陥りませんか?
でもこれは、アレンジ担当の白井さん、オハコとも言えるフェイクな遊び心なのです。テンポもリズムも、実はAメロとまったく同じなんですよ!

やっぱり、こういう事を中心に熱く語った方が、ブログとしては有意義ですかね・・・(汗)。



追記
たった今、加藤和彦さんの訃報が・・・・・・絶句。

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2009年1月20日 (火)

沢田研二 「あのままだよ」(そして「Long Good-by」へ)

from『チャコールグレイの肖像』、1976 
and 『ROCK'N'ROLL MARCH』、2008

え~、昨日が名古屋、明日からは(日付変わったので、正確には今日ですが)大阪ですよね。
矢継ぎ早の更新ではございますが、引き続き、自主規制しております。相当我慢してますが、24日夜までは、「奇跡元年」のセットリストについては一切語りません。大阪の皆様、東京最終日のチケットをお持ちの皆様、どうぞ安心しておつき合い下さいませ。

今日はどうしても書きたい事がありまして。
実は、昨年9月放映「Songs」での2夜連続ジュリー特集の映像を、昨夜初めて、気合入れてしっかり観たのでした。
相方のYOKO君が放映直後に録画盤を郵送してくれていたんですが、東京ドームの演奏曲目が少しでも判明してしまうのが怖くて、チラ見程度にしかチェックせず、そのままずっと忘れていたんですね。

で、観終わった感想は当然のごとく、「ドーム前にちゃんと観ときゃ良かった!」となるわけで。
別に、「こんな意外な曲を!」みたいなのは無くて、ヒットシングルと「ロックンロールマーチ」収録曲の演奏・・・良い意味でオーソドックスな内容でしたし、何よりも、「ドームの前にこれだけは伝えておきたい」という重要なメッセージが数多く込められた番組だったのですね。

さて、僕の世代のジュリーファンが総じて抱える高い壁、それは、タイガースを知らない、という事に尽きます。
ライブに行ったり、ブログにコメントを頂いたりする中で、ジュリーマニアの先輩方に色々なお話を伺うにつけ、どうしても追いつけない、羨ましい、というその思いが、日に日に大きくなっているこの頃。
この番組にも、それはありました。一番の衝撃は、インタビューにてジュリー、岸部一徳さん、森本太郎さんが「Long Good-by」について語り合われたシーンでした。
特に1番・2番の作詞を担った岸部さんのお話が・・・。瞳みのるさんとの、タイガース解散時のやりとりについて語られていて。僕は恥ずかしい事に、「Long Good-by」の詞の意味を、全く誤解していました。レクイエムの類かと思っていたのです。何という浅はかな・・・。
そうかぁ、そんな事があったんだなぁ。
森本さんの曲に、そんな思いを込めて岸部さんが詞を載せて、3番の詞はジュリーが書いて・・・。なるほどなぁ。そう思うと、今までとは全然違って聴こえるなぁ、この曲。
ところで、岸部さんはそのインタビュー中で、こうもおっしゃっていました。
「あの件の直後は、ピー(瞳さん)の事を詞に書こう、なんて思えなかったし、できなかった。何十年も経った今だから、彼の言った事が解るような気がして、(Long Good-byという詞に)書き留めたかった」

・・・・・・。
ん?
なんか、じわじわと引っかかる気持ちが、僕の中に沸き起こる。

「Long-Good-by」と似たような視点の、古い楽曲があったような気がする。何だっけ?
何だっけ?・・・と、そのまま寝ました。で、今朝通勤途中に、突然思い出したその曲。
相当に前置きが長くなりましたが、アルバム「チャコール・グレイの肖像」から、大トリ収録「あのままだよ」、伝授!

作詞は岸部さん。


そう、俺はあのままだよ
学校に行かなくなったのは、おまえと歌っていたかったからだよ
おとなしいこの俺がだよ
家を飛び出したのは、おまえと夢を追いかけたかったからだよ

俺の体の中にいる あの時のおまえの夢に
俺はいたのだろうか
俺はいるのだろうか

やっぱり、似てる。偶然かなぁ。僕の解釈が偏っているのかなぁ。
岸部さん自身が、「昔は書けなかった」とおっしゃっているのだから、全然関係ない詞なのかもしれません。でも、”はからずも遠く離れてしまった、昔の大切な仲間への郷愁”というテーマは、この曲には潜在しているような気がします。この詞を書くにあたって、岸部さんの脳裏に瞳さんのことがほんの少しよぎったとしても不思議ではない、と思えてきます。

「チャコールグレイの肖像」というアルバムは、全ての収録曲をジュリーが作曲し、そのため、何か一貫したコンセプトがあるように聴こえます。「勝手にしやがれ」以前の、どこか翳のあるジュリー。作る曲も(良い意味で)暗い曲が多くて。
そんな中でもこの「あのままだよ」は、特に暗い、と言うか重いメロディーです。アレンジにしても、鬼気迫る、と言うのでしょうか。僕は「ジョンの魂」あたりの影響かな、などと勝手に考えていましたが、今、詞の意味を改めて突き詰めてみると、これはメロディーも、演奏も、更には歌も、重くなるのが自然だったのでは・・・。
低音で和音を淡々と突き放すピアノ、不安を煽るようにロール気味に叩かれるスネアドラム。ジュリーの呻くような、それでいてサビでは絶唱となるヴォーカルは凄いの一言です。
そしてエンディング、曲はブツッ、と突然終わります。何か、大切な仲間との、断絶した状況を示唆しているかのようです。

「Long Good-by」では、決して断絶などではなく、「永遠に続く今」という表現で、岸部さんもジュリーも、暖かいメッセージを詞に込めて送っています。この温度差が、「何十年」という月日、「重い隙間」なのではないのか、と(あくまでも僕の我儘な想像の世界ですが)そう思ってしまいます。
ひょっとしたらとんでもない誤解かも知れませんが、今日は帰宅してからずっと、そんな思いで「あのままだよ」を繰り返し聴いていました。
「あのままだよ」、切ない名曲です。
もちろん「Long Good-by」の方も名曲。こちらは、優しい名曲ですね。

今日は、2曲の対比という形で記事を書きましたので、「あのままだよ」収録の超名盤、「チャコールグレイの肖像」についてはまたの機会まで置いておきます。
このアルバムには、僕の「日替わり!ジュリーで一番好きなナンバー」の常連さん、「夜の河を渡る前に」が収録されておりますので、そちらの伝授の際に、語ろうと思います。

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