『Pray』

2013年4月 5日 (金)

沢田研二 「Deep Love」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

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ジュリーの今年の新譜『Pray』の楽曲考察記事も、いよいよ最後の1曲となりました。

『Pray』収録曲のタイトルが発売に先立ち発表され、その時点で、今年もまた昨年同様に考察記事の執筆が大変な作品であろうことは、覚悟していました。
実際に曲を聴いてそれは確実となり、1週間に1曲ずつじっくり腰を据えて書いていこう、と決めました。そして、3曲目「Fridays Voice」への敬意も込めて「毎週金曜日の更新」を自分へのノルマとして課すことに。
ここまでの3曲・・・歌詞について、演奏について、ヴォーカルについて・・・といった感じで、考察の項目ごとに日程を組んで計画的に下書きしながら記事を仕上げてきました。

ところが先月の終わりに、勤務先の直属の上司である勤務先会社の部長が緊急入院するアクシデントがあって、いきなり忙しくなってしまって・・・。
新譜最後のお題「Deep Love」の下書きになかなか集中してとりかかれなかったばかりか、頂いていたコメントへのお返事すら遅れ気味になってしまいました・・・。

僕以外にもそういうジュリーファンは多いかもしれません・・・新譜4曲の中で一番胸に突き刺さり、ジュリーの深い思いを感じながら聴いている曲、それが「Deep Love」。
それだけに、執筆にはじっくり時間をかけたいところだったのですが・・・止むを得ません。
今日の記事は、これまで更新してきた新譜3曲の記事と比較しますと、バ~ッと一気に書いているような感じです。そのぶん考察が行き届かず、粗い記述になっている箇所などありえるかと思いますが、とにかく『Pray』から最後の1曲・・・全力で書かせて頂きます。
「Deep Love」、僭越ながら伝授です!

今回僕はこの新譜『Pray』を銀座の山野楽器さんまで買いに出かけ、帰宅途中の電車の中でまず何度か繰り返して聴いたわけですが・・・歌詞カードに目を通したのは家に着いてからのこと。
ジュリーの明瞭な発音、流れるような歌声もあって、車中でほとんどの歌詞が聴き取れた中(いや、「Uncle Donald」の改行まではさすがに分かりませんで、普通に「人は変われる♪」と聴き取っていましたけど)で、「うん?これは何と言ってるんだろう」と迷った箇所が、この「Deep Love」の

♪ 深情けだ 動画が悲しい ♪
     Dm7         G          Csus4   C

という一節です。
1度目に聴いた時には、「深情け」すら聴き取れず。「動画」のフレーズに至っては、歌詞カードを見るまでサッパリでした。

曲を最初に聴いた時点で
「あぁ、今回は最後の曲で一番キツイのが来たなぁ」
とは感じていて・・・いざ歌詞カードの「動画」というフレーズを確認してすぐに頭に浮かんだのが、僕の中でトラウマのようになっている、あの震災直後にテレビで見た、泣き叫びながら母親を探し求める女の子の映像でした・・・。
まさかあの映像が動画になって公開されているなんて思いませんが、そのいたたまれない映像が脳裏に甦ったのは、昨年の「恨まないよ」を初めて聴いた時にも体験したことです。
「うっ!」と胸がつまって目も耳もそむけたくなるような感覚が、今年の新譜からもやはり襲ってきました。

しかしそこで立ち止まるわけにはいきません。
ジュリーが何を思い、何を伝えようとして歌っているのか少しでも理解しようと、何度も何度もCDを通して聴きました。その度に、最後の「Deep Love」で胸が締めつけられるようでした。

なんとか平静を保てるようになってきて、詞と曲が同時に頭に入ってくるようになった頃、ようやくこの「Deep Love」のタイトルが、「深情け」というフレーズをジュリーなりに英訳したものなのだ、と気がつきました。「深情け」の反対の意のフレーズとして「薄情」と歌っていることも、追ってすぐに分かりました。

「深情け」というのは普通、あまり良い言葉としては使いません。言うまでもなくジュリーはそれを承知で敢えて歌っているのですが、「深情け」の対義語を「薄情」とするなんて、いかにもジュリーらしい感性だなぁ、と考えていたら・・・。

突然、ストンと腑に落ちました。

こうして記事を書いている今でも、その瞬間が胸に甦ってくるようです。
「そうか!」という感覚。とても悲しい歌なのに、それがむしろ救われていくような閃き。
ジュリーの歌っているテーマとはかけ離れた個人的な勝手な思いが、この曲の歌詞とメロディー、歌声に何故かリンクして、「すべてが分かった」と思ってしまった、その感覚・・・。
これがもし京極夏彦さんの小説『鉄鼠の檻』作中であれば
「大悟。ただいま大悟いたした」
と、高らかに宣言してしまっていたところです。

これまで何百曲ものジュリー・ナンバーを聴いてきて、「そうか~」と僕なりに思うことは何度もあったけど、ここまで鮮烈な感覚は初めてでした。しかもそれが、歌詞の内容とはまるっきり関係のない個人的な体験、思いが映し出されたような感じだっただけに、本当に驚きました。
僕はそのことから、ジュリーが「Deep Love」に込めて歌った「絶対に忘れない」という思い、「薄情になんてなれない」というその心情が真に「分かった」ように感じられるのです。最も、曲本来のテーマの根っこのところまではまだまだ辿り着いていませんけどね・・・。

このことは、記事に書くべきかどうか迷いました。
でも、僕が「Deep Love」という曲にどんな思いを持ったのか・・・純粋に楽曲考察を含め、そのことを簡単にでも説明しておかないとその先の話が全然伝わらないと思いますので、少しだけですが書くことにします。
ジュリーの歌詞の本質とは解釈が逸れますが、まずは先にそのお話から始めさせてください。

僕には、昨年の初夏を最後に連絡をとり合うことがなくなってしまったジュリーファンのある先輩への思い入れが、ずっととり残されたままになっています。
その先輩は昨年の『3月8日の雲』リリースを機に、ジュリーから離れていきました。僕は最後まで、先輩をなんとか引き止めようと必死でした。時間が経てば戻ってこられるかもしれないと思い、自分に考えうる限り、出来うる限りのことをしようとしました。
しかし先輩の傷は僕の想像が及ぶ以上に深く、僕が精一杯傾けたつもりだった思いは届くことなく、先輩は去っていきました。

その後僕は、「何故忘れられないのか」「何故あきらめられないのか」「何故ふっきれないのか」と苦しむことになりました。
今思えば、考え方が逆だったんですね・・・。
僕のその苦しみは、「忘れなきゃ」「あきらめなきゃ」「ふっきらなきゃ」と無理に思い込もうとするものだったのです。

本当は、そんなことを考えるまでもなく、忘れられるはずがないのですよ・・・。

ならば、たとえ深情けであろうと、忘れないでいることが自然、それが当たり前。
「深情け」というのが一般的にあまり良い言葉として使われないのは、それが双方にとって辛い情けであるからなのでしょう。しかしジュリーは「Deep Love」でこう歌います。
深情けだ・・・でも「忘れる」なんてのは薄情なんだ、と。

僕のこの思いは、ジュリーの詞の内容とはまったく関係のない個人的なものです。でも僕はその先輩のことを考えたおかげで、この曲本来のテーマに一歩強く踏み込んでいくことができた・・・それは確かです。

その上で、聴く人によっては深く踏み込むのを躊躇われるかもしれないほどの、ジュリーの鮮烈で、深情けで、真っ正直な歌詞・・・「Deep Love」の真のコンセプトについて、及ばずながら改めて考察してみましょう。

「人を失う苦しみ」で最も大きいのは、やはり肉親や、親しい友人を亡くすことだと思います。
僕はまだ若造ですが、すでに母親の死に立ち会っていますし、高校時代の同級生や、自分よりもひと回りも若い友人を亡くす、ということも体験していますから、それは分かります。

母親については、「どうしてもっと長生きしてくれなかったのか」という思いが消えることはありません。
生きていてくれれば・・・と思うことが、当たり前ですがたくさんあります。母は、カミさんのお母さんとはメチャクチャ気が合いそうなタイプだし・・・何より、僕がジュリーファンとなるのを待たずに旅立ってしまった、というのが残念でなりません。
僕にほんの少しの、いくばくかの音楽のセンスが仮にあるとすれば、それは間違いなく母親から受け継いだものです(父親はリズム感も音感も皆無)。母はよく自宅でオルガンを弾いていたし、歌がとても好きだったのです。
「ジュリーの歌のこういうところがね・・・」といったことを一度でも話してみたかったですし、母の世代を考えても、ザ・タイガースの話など思いもよらぬ共通の話題が生まれていたかもしれないのに・・・。

高校の同級生の友人は、今でも故郷に帰って彼の自宅を訪ねれば、まだそこにいるような感じがしてます・・・。彼については以前、「青春藪ん中」の記事にて少しだけ触れました。

仕事絡みで出逢った若い友人の突然の死については、「そっとくちづけを」の記事にいきさつを書いたことがあります。残された奥さんや子供さんのことを考えると、いたたまれなくなります。

いずれにしろ、「忘れる」ことなどできません。

ただ、僕の場合は実際に「お別れ」はしているわけで・・・その点がまず「Deep Love」でジュリーが歌った人達の思いとは、大きく違います。

♪ 一縷の望みは捨ててない
     Fmaj7            G


  帰らぬ君を理解すれば ♪
     E7               Am      

「帰らぬ君を理解する」とは、「大切な人が亡くなったことを受け入れる」ということでしょうか。
「理解すれば・・・」という表現に、「それはできない」という、後に続く言葉を敢えて飲み込む・・・歯を食いしばるようなジュリーの意志を僕は感じます。

♪ 薄情になんてなれない
     Dm7            G7

  区切りなんてつけない ♪
        Em              Am

亡くなっているのか、いないのかすら分からない家族、友人。「区切り」などつけられるはずもない・・・。
僕などには想像すらできない悲しみや葛藤を、ジュリーは正面きって歌っているのですね。

(註:余談ですが、先述の「帰らぬ君を」の箇所のコード表記について、ここでは一応「E7」としましたが実は自信がありません。
実際にCDと一緒に弾いて歌ってみて、ルートは「ミ」の音で合っているようですし、ギター1本での伴奏で一番流れが自然だった「E7」で弾き語ることに問題はありませんが・・・メロディーに「ファ」の音が登場するのが気になるんですよね・・・。
もしかしたら「Fdim」か「Ddim」が正解かもしれません。僕のつたない実力ではその辺りの特定は無理でした。プロが採譜したスコアを見てみたい、という思いはこの曲に限らず募る一方なのですが・・・)

さてそれでは、泰輝さんの作曲についてはどうでしょうか。
僕は先の楽曲内容予想記事でこの「Deep Love」を、「短調だけど穏やかに聴こえるバラード」と予想しました。泰輝さん作曲の過去のジュリー・ナンバーで言うと「涙色の空」のような曲だろう、と・・・。

予想は半分当たり、半分外れたという感じです。

まずこの曲は果たして短調なのか・・・歌メロは「ラ・ド・ミ」の和音から始まりますからイ短調なのかと思えますが、イントロ、そして歌メロの各着地和音やメロディーから紐解いていきますと、これはどうやら全体的にはハ長調のようです。
しかし、こんなに悲しいハ長調ってあるものでしょうか・・・。ハ長調でこの切なさの極みのような表現って、もうビートルズの「レット・イット・ビー」の域にまで行ってますよ!
(カミさんは、サビのコード進行でビージーズの曲を思い出す、と言っていましたが・・・)

もちろんこの曲のメロディーが深い悲しみをたたえているのは、ジュリーの歌詞によるところが大きいです。
でも泰輝さんはきっとこの曲を、ピアノを弾きメロディーを口ずさみながら作曲したはず・・・。つまり、作曲段階のピアノのフレーズがそのままレコーディング作品に残されている、と考えるべきなのです。
歌の出だしの

♪ Deep Deep Deep Love 忘れ  られないさ ♪
  Am   G              C          Fmaj7   G      C

のピアノのタッチから既に、この曲は悲しみの歌詞が載る運命を背負っていたのでしょう。

ただ、個人的には「涙色の空」との共通点はやはり強く感じるところです。
これはまた後述もしますが、収録曲4曲の中で唯一、泰輝さんの演奏がピアノ1本のトラックに絞られていること・・・これは、泰輝さんがこの曲を作曲した時点で、メロディーとピアノ演奏が完全に関連づけられていたことを意味します。
鉄人バンドの他のメンバーの演奏についても、結果としてリード・ギターの追加トラックがありますが、まずは「涙色の空」のような「完全一人1音体制」を目指してアレンジが練られていったのではないでしょうか。
今回の新譜収録曲のアレンジで、「ひとつだけ鉄人バンドのメンバーにアレンジ秘話を尋ねてもよい」という望みがもしも叶うなら、僕はこの「Deep Love」について泰輝さんにその辺りを聞いてみたいところだなぁ・・・。

では、その鉄人バンドの演奏やアレンジについて・・・今回もすべてのレコーディング・トラックを書き出してみましょう。

泰輝さん・・・ピアノ
柴山さん・・・エレキギター(右サイド)
下山さん・・・エレキギター(左サイド)
GRACE姉さん・・・ドラムス
エレキギター(リード・ギター)・・・柴山さんか、下山さんか・・・特定ができません。とてもよく似た音色設定のトラックが2つあって、ひとつはセンター、ひとつは左サイドのミックスとなっています

まずは、泰輝さんのピアノ。
先に述べたように、今回の『Pray』収録曲中、泰輝さんのキーボード・トラックがただ1つだけ、という構成になっているのは、この「Deep Love」ただ1曲のみです。他の3曲ではそれぞれ異なった音色に分けて2トラック以上をレコーディングし、アレンジに幅を持たせる役割を担った泰輝さんが、自作のこの曲だけはピアノ1本のトラックに絞って熱演している・・・これはやはり必然性あってのことだと思います。

「Pray For East Japan」の思いを込め、泰輝さんは自身のピアノでこのバラードを作曲しました。
いざレコーディングで、どうアレンジしていくのか・・・そこで泰輝さんは自分のピアノ1本の音以外を、鉄人バンドの他のメンバーにすべて託したのでしょうね。
この曲で泰輝さん自身の出したい音、というのはピアノだけで完結していたのだと僕は考えます。
その意味でも泰輝さんの「Deep Love」の作曲、アレンジ手法は、「涙色の空」にかなり近いものと言えると思います。

ピアノは、基本的に1小節の中に3つの強いタッチを意識している箇所が多いようで、それが1拍目、2拍目、そして2拍目の裏の裏に配され、3拍目にシンコペーションする感覚があります。同じ直球の音色でも、縦にキッチリ強弱を配分した感じの「Fridays Voice」とイメージが随分異なるのはそのためでしょうか。

次にギターです。
まずは演奏者がハッキリしている左右2つのバッキング・トラックから考察していきましょう。

柴山さん、下山さん・・・お二人の左右のバッキングについては、音色を完全に違えて役割を分担していますね。

柴山さんは、ハードなディストーションとサスティンで設定したコードの突き放しがメインとなっていて、主に小節の頭で「ジャ~ン!」と重い音を出します。これはベースレスをカバーすると同時に、暗鬱とした悲しみを表し、海のうねりをただ立ち尽くして眺めている・・・そんな情景をも連想させます。
悲しみをたたえた海・・・「恨まないよ」の歌詞にもあるように、あの日を境に嘘のように穏やかに静まり返った海。

そう言えば、今回の『Pray』歌詞カードの見開き3ページは、すべてバックが海の写真ですね。1ページ目は午後、2ページ目が夜、3ページ目が朝・・・という見方で合っているのかな・・・。

一方下山さん
は、薄く歪み系の設定を加味したコーラス・エフェクトでしょうか。左サイド、キラキラとした「光」の音で奏でられるアルペジオは、右サイドの柴山さんのハードなバッキングとは対照的です。
ちなみにこの音色は、「Pray~神の与え賜いし」にもよく似た設定で登場します。
穏やかな音色ですが、スリーフィンガーを駆使して(いや、下山さんならフォーフィンガーかもしれない)ヴァースによって異なる弾き方のアルペジオが繰り出されます。跳ねるリズムに変わるサビ部のアルペジオには、激しさも感じます。

で、問題はリード・ギター・トラックなんです。
先の列記の通り、どうやらリード・ギターのトラックは2つ存在するようです。
まずひとつは、イントロと間奏。
もうひとつは

♪ 君の涙を瓶に集めたい ♪
     Dm7     G         C        A7

というジュリーの絶唱に呼応するように、左サイドから狂おしく噛み込んでくるトラックです。

この2つのトラック・・・音色設定がソックリなんです。
歪み系の音に深めのディレイを足し、コンプレッサーのサスティンを効かせたリード・ギター。

最初にこの曲のイントロのリード・ギターを聴いた時、僕は迷わず「おおっ!柴山さんカッコいい!」と感動しました。完全に柴山さんの音だ、と思ったのです。
だってこれ・・・通称”いい風ギター”の音じゃないですか?白いボディーで、『世界のカブトムシ図鑑』にも載ってるやつ
(←載ってません)
『燃えろ東京スワローズ』初日が終わった後に、「(「いい風よ吹け」などで柴山さんが弾いていた)あのギターは何ですか?」とカズラーのみなさまに尋ねられて僕の頭に浮かんだのは、何故かヘラクレス・オオカブトだったという・・・情けない。
実際は、フェルナンデスのギターみたいです。

とにかく・・・柴山さんのあのギターの音だ、と何の疑いもなく思ったんですよ。間奏を聴いても変わらずそう思いました。
しかし何度か繰り返し聴くうち全体のアレンジに気持ちが行くようになって、ふと、ジュリーの絶唱に絡む左サイドのリード・ギターに耳を奪われます。

左・・・?
左サイドならばこのギターは下山さん?
じゃあ、同じ音色のイントロと間奏も、同一トラック下山さんの演奏なのか・・・それをミックス段階でPANを振ってる・・・?

これには悩みました。
自信が無いなりに至った結論は、わざわざミックスのPANをセンターと左に分けているくらいなのだから、いくら音色設定が似ていても、この2つは別トラック。そして演奏者も、柴山さんと下山さんに別れているのではないか、という大胆な推測です。

ここまでの『Pray』収録の3曲の記事で僕は「ユニゾン」のアレンジ・アイデアについて何度も書いてきましたが、この「Deep Love」では、「ギター兄弟の音作り」がユニゾン・・・とは言えないまでも、ハッキリとした意志をもってほぼ同じ音色設定になっている、というものです。
バッキングのトラックでは両極とも言える設定。しかしリード・ギターについては完璧に二人のギタリストの音色がシンクロしている・・・。
下山さんが柴山さんに「その音、どういう設定で弾いてる?」と尋ねtりとか・・・想像するだけでワクワクするではありませんか(僕だけかな?)。

そう考えながら聴くと、イントロと間奏は”いい風ギター”の音で、ジュリーのヴォーカルに噛んでくるところはストラトに聴こえる・・・何も根拠は無いんですけどね。
ただ、LIVEではすべてのリード・ギター・パートを柴山さんが「いい風ギター」で演奏することになるのでは、と予想しています。

GRACE姉さんのドラムスは、派手さこそありませんがエモーショナルな演奏です。泰輝さんのピアノの強弱のニュアンスを受け、常に「跳ねる」感覚を持ったテイクとなっています。
例えば、ロール気味に優しくも悲しげに曲の始まりを告げる、冒頭のフィル・イン。
さらに間奏部では、裏打ちで跳ねるキックが効いています。
このキックはベースレスであるが故にかえってアレンジで強調されているような印象があります。間奏が始まったばかりの2’49”あたりでは、キックが2拍目裏の裏で「突っ込む」感覚がモロに伝わってきて、最初に聴いた時にはドキリとさせられました。

こういった鉄人バンドの演奏は、泰輝さんの剥き出しのメロディーやピアノに添うものです。ただ、泰輝さん達鉄人バンドのその志が、ジュリーの歌詞とヴォーカルによってひと回りもふた回りも増幅されていることは確実です。

「Deep Love」のジュリーのヴォーカルは、慟哭です。
前作で言えば「恨まないよ」に最も近い・・・これは多くのかたがそう思われたのではないでしょうか。
1度目にこの曲を聴いた時、「モニュメントなどいらない」のところで「ジュリーが泣いている!」と強く感じました。不思議なことに、その後繰り返して聴くうち「泣いている」ように歌うジュリーに慣れた(というのも変な言い方なんですけど)のか、自然に歌とメロディーを追えるようになっていったけど、最初の頃はその部分のジュリーの声を聴くのに、グッと力を入れて心の準備しておかなければなりませんでした。

この曲のヴォーカルの最高音は、高い「ミ」の音です。
これは「Pray~神の与え賜いし」と同じ。「Uncle Donald」や「Fridays Voice」よりも1音低い音。
しかし、例えばサビ部の「見つけたい」「集めたい」の語尾でのロングトーンの絶唱などは、実際の高い「ミ」よりもさらに高い声で歌っているように聴こえます。
そんなふうに聴こえるのも、ジュリーが長い時間かけて身につけたヴォーカルの実力であり、現在のジュリーの大きな魅力。それが味わえる「Deep Love」は、やはりジュリーの代表曲となるにふさわしいでしょう。


そして、被災者ではない僕のような人間にとって何より大事なのは、大きな苦しみの中で試練に立ち向かって今この瞬間を生きている人達がたくさんいることを決して忘れず、気にかけ、思うことなのだ・・・と、僕はジュリーの歌からそんなことを考えさせられます。

それはまた、被災地のことに限らずとも常にそうなのだ、とも思います。人の痛み、苦しみを知った時、どう思うのか。どう声をかけるのか。
最近特に身の周りで、そういうことを考えさせられる出来事が多いのです。

冒頭で少し触れましたが、3月末に会社の直属の上司が心筋梗塞で倒れ入院、しばらくの間治療に専念することになったり・・・。
あと、つい先日には、常々応援していた将棋の元奨励会の若者が、27歳という年齢にして深刻な病を宣告されてしまいました。
QOLの著しい低下を承知で、僅かな可能性に賭けて手術を受けるか、それとも残された時間を苦しみを少なくする処置を受けながら有意義に過ごすことを選ぶか・・・想像を絶する葛藤の中で彼は先週、『詰将棋選手権』という公式の大会に出場しました。
そこへ、彼が以前教室で将棋を教えていた時の生徒であるチビッコ達が駆けつけてくれたのだそうです。彼はそんなチビッコ達の顔を見て勇気を振り絞ることができたのでしょうか・・・12時間にも及ぶという大手術と、その後の過酷な闘病生活に挑戦することを決断しました。

僕に何が出来るわけではありません。
しかし僕は、想像を絶する苦しみや困難に立ち向かい、生きるために懸命に頑張っている人に対して何も感じない人間にだけは、絶対になりたくありません。
僕にとって、「祈る」というのはそんな思いに直結するものです。

傷つき苦しみ、そこから這い上がって生きていこうと頑張る人達と実際に向き合ったとして、どんな言葉をかけるのか・・・それはとても難しいことです。
昨年、旧騎西高校に避難していらした双葉町の被災者の方々に手紙を書いた時にも、どういうことを書けばよいのか、本当に迷いました。自分がかけてあげたい言葉をかけるのではなく、相手がかけてもらいたい言葉を推し量って選ぶ方が良いのか・・・でもそれがどんな言葉なのかすら分かりませんでした。

ただ、音楽での発信はその辺りが少し違う、と思います。
敬愛するアーティストが、その人自身の飾らない言葉で発する個人的なメッセージが、聴き手の大きな力となります。
それぞれのアーティストが、それぞれの立場から「自分の」言葉やメロディーを歌に託す。ジュリーはその中で、最も厳しい道を自然に選んでいるのかもしれません。

先日、しょあ様がブログで紹介されていた小阪忠さんのお言葉を拝読しました。

「表現とは、表に現れる、と書く。それは中に持っているものを表に出すことであって、表面を取り繕うことではない。音楽もそう。アコースティック・ギターを使っているからフォーク、エレキだからロック・・・そういうことじゃない。大切なのは、中に何を持っているかだ」

これは正に、昨年からの・・・いやもっと以前からなのでしょうね・・・ジュリーの創作活動にピッタリ当てはまるなぁ、と思いました。
飾り立てたところでどうなるものでもない・・・真に、自分の中から溢れたことを歌詞にし、曲に載せ、歌う。そういうことなんだと思います。

僕は実は、ロックというのは半分は様式美だとしても構わない、と考えています。
ですから、例えば『ロックジェット』のような雑誌で今度は「沢田研二特集」が組まれたとして・・・現在進行形のジュリーを考察する以外にも、ギンギンにヴィジュアル際だっていた時代、「この衣装やパフォーマンスが凄かった」とか「こんなふうにカッコ良かった」といったように、若きジュリーの容姿、プロモート戦略などをロック的に捉えて語る人もたくさん出てきて欲しい、と思います。いや、きっと出てくるでしょう。僕はその時代のジュリーについてほとんど何も知らないに等しいですから、色々と教わりたいです。
当時「ロック」としてジュリーを語ることが躊躇されていたことに鬱憤を持つ著名人の方々、たくさんいらっしゃるはず。星のかけら様も書いていらしたように、ジュリーファンであることを何の躊躇いもなく世間に大いに誇れる時が、今間違いなく来ています。

でも、そうしてジュリーの全時代についてをロックに語れるのは、今現在のジュリーが最高にロックだから・・・ですよね。今、日本で一番ロックしているのはジュリーだ、と僕は堂々と言うことができます。

これから各界の様々なプロフェッショナルが、様々な分野、角度からジュリーのロックを語り始めるでしょう。
そうなったら僕のブログなどはまっ先にお役御免状態となるわけですが、せめて「語った楽曲の数」だけでもある程度の域には達せられるように、ひたすら頑張り続けるのみです・・・。「数だけでジュリーを語るようなさみしい男♪」を敢えて目指します!

最後に。
昨年、今年の作品の本質とは違うところを語ることになるのかもしれませんが・・・今のジュリーは自らと同世代、またはそれに近い年齢の聴き手を想定して創作やLIVEに打ち込んでいるように僕には思えます。
『ジュリー祭り』以前にジュリーが公に語った言葉がどのようなものであるか、僕はほとんど知りません。でも僕が本格的にジュリー堕ちしてから、ジュリーのちょっとしたMCや、新聞記事などのインタビューで発せられる言葉は、「長年共に歩いてきた」世代への思い、というかエールがあるような・・・。
僕よりもひと回り以上年長の世代・・・ジュリーはその人達を見ている、と感じることが多いです。

歌詞で言いますと、例えば本日のお題「Deep Love」の

♪ 君 生きた日々 風化  させないさ ♪
  Am G       C          Fmaj7  G       C

この一節(特に「君」という語りかけの部分)などは、僕よりずっと年上の人の気持ちを歌っているのかなぁ、と思います。
その世代の被災者の方々というのは、一番辛い方々かもしれない、とも思います。家族を失い、家を失い、それでも寡黙に、多くの被災者を先導して色々なことを立て直さなければならない・・・そんな世代なのではないでしょうか。

いつか僕がその世代の年齢に達した時、ジュリーの昨年、今年の2枚のCDから響いてくるものは、今の僕が感じているものとは大きく違っているかもしれません。
『3月8日の雲』『Pray』ともに、これから一生かけて聴き続ける作品になるんだろうな、と今は考えています。

ということで・・・どうにかこうにか『Pray』全曲の記事を書き終えました。

次回からはまた、自由お題での更新となります。
6月に入ったら恒例の”全然当たらないセットリスト予想”シリーズに突入しますが、今年はそこでなるべく明るい曲を採り上げるつもりでいます。
その前に、ジュリーのいろいろな時代の、タイプの異なるお題を少しずつ書いていければ・・・と考えています。よろしくお願い申しあげます!

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2013年3月29日 (金)

沢田研二 「Fridays Voice」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

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先週の日曜日に新宿サザンシアターに足を運び、音楽劇『哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌』を観劇してきました。
日を改めてレポート記事を書くかどうかは・・・すみません止めておきます(汗)。
みなさまにとってはお馴染みのキャスト・・・でも僕はなにせ音楽劇への参加自体初めてのことで、登場人物と役者さんのお名前の一致すら難しく・・・観劇後にカミさんに聞くまで、すわさんの配役すら判別できず、という情けない状態にあります。

でもせっかく参加したのですから、ほんの少しだけでも感想を書いてから、本題に入りますね・・・。

舞台を観ながらずっと筋を追っていて・・・この物語がどうやって「雨だれの挽歌」という曲の世界(阿久さんのエキセントリックなフレーズ遣いも含めて)に帰結するのかなぁ、と考えていたものですから、エンディングで唐突に「ホテルの~♪」とジュリーが歌い始めてちょっとビックリしました。

でも、オリジナル通りの歌詞で「雨だれの挽歌」の生歌が聴けたことはやっぱり良かった!
お芝居のストーリーは「ホテル」とも「虫」とも「メトロ」ともまったく関係ありませんでしたが・・・。
(註:のちに、「雨だれの挽歌」の歌世界は舞台の物語のその後・・・つまり新さん逃走中の情景描写ではないか、とのお説を教えて頂きました。なるほど!)
それと、やっぱりジュリーは帽子が似合いますね~。

あと、大変失礼ながら、南野陽子さんってあんなに歌が上手かったですっけ・・・?
音程がしっかりしていましたし、何よりジュリーとのハモり部が良かったです。ジュリーが主旋律で、南野さんはアルト・パートですよね?
お姿のみならず声がとても美しかったのには驚きました。ジュリーのヴォーカルと相性の良い声質だ、とも感じました。

そうそう、三田村代議士役の俳優さんが歌ったブルースっぽいナンバーが良かったです。
ジュリーも1曲、ラグタイム・ブルース風のナンバーを歌いましたね。期せずして、こんなところでラグタイムが(汗)。


さて。
つい最近、東京メトロの副都心線が東急東横線と相互乗り入れになりまして、横浜方面から新宿まで観劇にお越しのみなさまは、「揺れながらメトロまで♪」・・・ということで、「雨だれの挽歌」を脳内リピしながらのお帰りにも、早速ご利用なさったかと思います。

僕は通勤などで副都心線をよく利用するのですが、24日にサザンシアターを目指して利用した際、最近聞き覚えが無くなっていた車内アナウンスがふと耳に止まりました。
「節電のため一部車内の電気を落とし、ご迷惑をおかけしております」
と・・・。

今さらながらに思います。
一昨年は、どの電車に乗っても同様のアナウンスを耳にしました。それが最近、ほとんど聞く機会がありません。
いや、ひょっとすると、アナウンスを聞いても心に留まらなくなってしまっていたのか・・・だとすれば僕は自分を恥じなければなりませんが・・・


24日の車内アナウンスを聞いて、少なくとも東急東横線の車両については、今なお節電対策に取り組んでいらっしゃることが分かりました。
しかし他路線はどうなのでしょうか。震災前の状態にに心構えが戻ってしまっていることがありはしないでしょうか。
僕自身への自戒と共に今改めてそんなことを思うのは、ドナルド・キーンさんの言葉を知ったからですし、ジュリーの新譜を聴いたからです。

今日のお題は、新譜3曲目。
政治や思想と関係なく・・・あれから2年が経ち、節電すら意識から遠ざかることがあり得る僕のような非・被災者にとって、痛烈なメッセージがこの曲に込められていることを決して見逃してはなりません。
「Fridays Voice」、僭越ながら伝授です!

前回記事でドナルド・キーンさんの連載についてご紹介した『東京新聞』は、僕の知る限り、あの原発事故について最も腰を据えて報道を継続している新聞です。
2011年3月に開始された『レベル7』というタイトルでの一連の原発事故検証記事は、長期に渡りトップ1面での連載でした。
その後も機を見るたびに掘り下げた検証記事が掲載され、『レベル7』は今も、『二年後の迷走』というまた新たな切り口で連載が続けられています。検証は多角的で、反原発の立ち位置のみならず、原発マネーに支えられてきた地域の財政危機や推進派の果てない苦悩についても網羅。そういうことを知った上でこの問題をどう考えるのか、というのはとても大事なことではないかと思います。

一方、今回ジュリーが「Fridays Voice」の題材とした「毎週金曜日の声」について、当初に限っては『東京新聞』での報道がありませんでした。
しかし、「これだけの人が集まって声を上げているのに、まったく報道がなされないのはどういうことか」という読者の声が紙面に寄せられたのを機に、謝罪と今後の方針表明が掲載され、その後詳細な報道が開始されました。

僕には、『東京新聞』を読んでいなければ知りえなかった情報がたくさんあります。
電源立地地域対策交付金の仕組みや現状(運転が停止された今も、満額の8割が国から支払われています)など・・・。そして先日、まだ厳しい寒さの続く頃でしたが・・・毎週金曜日の集会とは少しだけ離れた場所で、オリジナルの脱原発ソングを雨の日も雪の日も毎日坂道の路上で歌い続けている方々の存在を紙面で知りました。
「花は咲く、とは歌っていられない」人達がいる・・・そんな文章をそこで目にしました。

いえいえ、僕は何も「花は咲く」をはじめ幾多生まれている「復興支援ソング」を否定しようなどという気持ちは、いささかもありません。
特に「花は咲く」・・・歌詞もさることながら、素晴らしいメロディーに心から感動し胸をしめつけられます。

しかし・・・しかしです。
その一方で、僕の愛する”ロック”というジャンル・・・その担い手たる現在の日本のアーティストやバンドについて、物足りない
気持ちがあることも事実です。「復興支援ソング」とは別の役割がロック・ミュージシャンには課せられているはずだ、という思いが消えないのです。

それは何もロック・ミュージシャン皆が皆、脱原発を歌って欲しいなどということではなく・・・全然別のメッセージ、ことによれば真逆のメッセージもあるかもしれませんが・・・あの未曾有の大震災や、あれだけの事故が起こって、それについての自身の考えや思いをそれぞれの立ち位置から自らの楽曲に託し世に問うことが、何故こうも避けられているのか、というやるせないような気持ちです。

もちろん、ジュリー以外にも何人かのロック・アーティストやバンドはそうしています。ロック以外のジャンルでも、さだまさしさんがLIVEで原発問題に言及したとも聞きました。
でも、「ロック」というジャンルでのトップ・アーティストの総数から考えると、あまりにも作品での発信が少ない・・・。
確かにそれは、勇気の要ることです。僕のような何の力も持たない末端の者にとっては、今回この程度の記事を書き発信することすら、勇気を振り絞って臨まねばなりません。
ただ・・・ロック音楽で名実を為したトップの人達ならば、色々な考え方、色々な角度から自らの思いを作品に託してくれる・・・そしてそれら多くのメッセージが公に飛び交うことになる・・・そう思っていました。
ところが現状はそうではありません。

原発事故の後、真っ先に「ずっとウソだった」と歌い動画を公開した斉藤和義さんも、「後に続く人達がいる、と思っていたのに」と後に語ったそうです。斉藤さんはむしろ、正反対の考えを持ったロッカー達の登場すら覚悟、想定していたかもしれませんが、それも無い・・・。

このように、意を表し発信した「当たり前の」創作姿勢を持つロッカー達が、世間からは単にレッテルを貼られるのみ、ロック界では無反応の中に沈み込んでいる・・・そんなふうに感じられる時もありました。
無論、僕にとってそれはまず他でもない、ジュリーのことになるわけです。

本来、邦洋問わず、成熟したロック・ミュージシャンがその時々の自国の社会問題について曲の題材とし、自らの考えを歌に託して世に出すというのはごく自然な、当たり前の姿勢と言えます。

例えば1972年、北アイルランド問題から派生した”血の日曜日事件”に揺れたイギリス。
ビートルズ解散後間もない頃で「犬猿の仲」と言われていたジョン・レノンとポール・マッカートニーが、揃ってそのテーマを自作曲で採り上げました。
まず、ウイングスを結成したポールが「アイルランドに平和を」というシングルを素早くリリースし、曲は放送禁止問題に発展します。

Fridays1


「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH(アイルランドに平和を)」メロ譜。
『YOUNG SONGS』昭和47年7月号より。
ちなみにこの号の『YOUNG SONG』の表紙は、ズバリこれ


それまで互いの作中においてもポールといさかいの絶えなかったジョンは、この曲について「歌詞が稚拙」とひとくさりしながらも、ポールの創作、リリースの姿勢に対してはエールを送ると共に、自らも「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」という、アイルランド問題を採り上げた曲をリリースします(アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録。このアルバムにはもう1曲、ズバリ「血まみれの日曜日」というタイトルの、同じテーマを扱った曲も収録されています)。

Fridays2


「THE LUCK OF THE IRISH(ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ)」
ギターコード付ピアノ3段譜。
『LENNON THE SOLO YEARS』より。


「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」の歌詞には

「もしあなたがアイルランドに生まれていたならば、死んだ方がマシだと嘆くでしょう」

という過激な一節がいきなり登場します。
「重い」どころではありません。
この歌詞を、当時正に渦中にあったアイルランドの人達が実際に聴いたら・・・。
多くのリスナーがそう考え、あまりの直球表現に曲に対峙することができなかったかもしれない・・・と、昨年からのジュリーの新譜を体験している方々ならば、誰しもが想像できるところでしょう。

ジョンの「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」の詞は確かに当時、聴き手が正面きって向かい合うにはキツい、しんどいものだったと考えられます。
でも、当時まだ6歳、80年代にさしかかろうかという頃にようやくビートルズ・ファンとなった僕の場合、この曲を初めて聴いた時に心に残ったのは、穏やかで心安らぐワルツのメロディーでした。詞の内容とその背景を知ったのは、アルバムの歌詞カードを熟読してからのことです。それでも「あぁ、いい曲だなぁ」という考えに変わりはありませんでした。
僕は「ワルツの穏やかなメロディー」という共通点から、今回のジュリーの新譜1曲目である「Pray~神の与え賜いし」を、将来そういう曲としてあらゆる世代に知られていって欲しい、と願っています。たとえ今は、聴くことすら辛いという人達が多かったとしても・・・。

また、ポールの「アイルランドに平和を」で先に添付紹介させて頂いた『YOUNG SONG』でのこの曲のスコア冒頭には、こんな一文が添えられています。


(本文まま転載)
この曲、イギリスで放送禁止になった。「アイルランドはアイルランド人へ…」という内容のためだ。そうでなくても、南北アイルランド問題で頭の痛い英国政府。こんな歌を歌われたんでは、反体制派のヤングが増える、と恐れたわけ。ところが、政府の処置は逆効果。かえって、アイルランド問題に興味をもつミュージシャンやファンが増えてしまった。

文章通りをそのまま鵜呑みにはしないまでも(”血の日曜日事件”への言及がまったく無いなど、ある意味不完全、不自然な記述とも言えます)、聴き手それぞれの受けとり方がどうあれ、少なくとも世間での「無関心が問題」という状況は避けられていたということでしょう。
(ちなみに、詞についてはジョンからひとくさりされてしまった「アイルランドに平和を」ですが、ポールはこの曲で、自ら出しうる限りの高音のメロディーで絶唱しています。それこそがポールの思いなのだ、というのは僕が以前から考えていたことで、それが昨年リリースされたジュリーの『3月8日の雲』収録曲への考察に繋がっています)

また、邦楽のタイムリーな体験で言うと、正に原発の問題・・・忌野清志郎さん率いるRCサクセションが「さっぱり分かんねぇ」「電力は余ってる」「もういらねぇ」と歌った「サマータイム・ブルース」をリリースした時。
厳密には話が前後しますが、何せネット情報など無い時代。僕が実際に体験した順序に話を進めていきますと・・・。

まず、愛読していたロック雑誌に掲載されるはずだったRCサクセションの広告が、急遽強引に差し替えられた、といういきさつがロックファンの間で話題となりました。
清志郎さんの歌詞の内容が、レコード親会社にとって不利益をもたらすものとされアルバムの発売が中止となった、という事実がほぼ公となり、僕も含め多くのロック少年のアンテナはそのことにより逆にフル稼働を始めます。
すぐ後に僕らは、RCサクセションの『カバーズ』というアルバムが、内容に問題有りとされレコード親会社にリリースを拒否された「サマータイム・ブルース」「ラブ・ミー・テンダー」の清志郎さんの歌詞をそのまま生かした形でレコード会社を変えてまで発売に踏み切ることになったらしい、という情報をキャッチ。
「さすが清志郎!カッコイイ!」
ということになります。
結果、RCサクセションのキャリア中唯一オリコン・チャート1位を獲得することになるアルバムは、日本ロック界の絶賛を持って迎えられたのです。

もちろんこれは、分別の確立していない一般の少年の「カッコイイ!」という一言で済ませてよいテーマではありません。
ただ、ロックを愛する少年達はそういうバンドやアーティストに触れることで成長し、最終的にどのような考えを持つに至るにしろ、無関心とは手を切り、「自分で考える」ことを学んでいきます。
いやいや、「学ぶ」なんて言うと天国の清志郎さんはきっと怒りますね・・・。
「”教えた”なんてつもりはない。一緒に考えた、ってことだ」・・・
と、これは『ロックジェット』の杉山章ニ丸さんのインタビューをお読みになった方なら、ニュアンスを分かって頂けるのではないでしょうか。
でもやっぱり「考える」ということは「学ぶ」ことに繋がるはずですし、要は「自分はこう」というところを自然に目指していかないと、難しい問題にはなかなか正面から向き合うことができません。

僕が何故こんなことを長々と語っているか・・・それはジュリーの昨年からの創作テーマというものが、ロック・アーティストとして決して特別なことではない・・・いやいや、もちろん特別な人こそがそういうことをできるわけなのですが・・・正攻法だと言いたいがためなのです。自然なことなのだ、と。

日頃親しくさせて頂いている長いジュリーファンの先輩方の中にも
「何故ジュリーはそうまでしてまでそのことを歌わなければならないのか」
と、ジュリーの苦しみを想像して自らも苦しんでいる、というかたがいらっしゃいます。
でもそうではないと思うのです。
無論ジュリーは大きな苦しみと、それに打ち勝つ想像を絶する気力をもって作品を生み出しているのでしょうが、それがジュリーにとって自然なロック音楽の創作姿勢なのです。

『ロックジェット』で佐藤睦さんがジュリーの『Pray』『3月8日の雲』について、また編集後記にて書いていらしたことは、正に今僕が考えているようなことと本質的に近いような気がします。
「東日本大震災について、ハッキリ日本語にして歌った」(佐藤さんの文中の言葉です)ロッカーがいなければ、今のロックを聴く若者は一体どうすれば・・・。

いや、ロックを諦めるな、ロックを嘆くな。
日本には沢田研二がいる!

そう書いていらっしゃるのでは・・・と僕は解釈します。

タイムリーな社会的問題を詞のテーマとし、自分の思うところを曲に託す。
震災を歌うことにしろ原発を歌うにことにしろ、それはきっとジュリーにとって、ごくごく当たり前で自然なことなのでしょう。
先頃ファンの間で話題となった新聞記事の中で、「反原発の旗手となること」を問われて、「いやいや」とジュリーが首を振ったのは、「自分は当たり前のことを当たり前にやっているに過ぎない。特別なことをしようとしたつもりはない」ということではないでしょうか。

後追いファンの僕が言うのもおかしいですが・・・思えば、ジュリーが自らの意志でそういう創作活動ができるようになるまで、長い時間がかかりました。
ただ、ジュリーの辿ってきたこれまでの歴史を俯瞰すれば、今のジュリーの創作姿勢は必然とも感じます。

本当は今、もっと他のロック・バンドやロック・アーティストがそれぞれの立場からそれぞれの考えを託した曲をどんどん発信していく・・・あれだけのことが起こったのだから、そういった流れこそが自然なことだ、とジュリーは泰然と考えているように僕には思えます。
(その一方で、もしかするとジュリーは、多くの若いロック・アーティスト達が声を上げるようになれば、原発事故のテーマで作品に取り組むことから一度はスッと退くのかもしれない、とも思うのです)

ですから、『3月8日の雲』『Pray』収録曲の歌詞の内容や、その思想のあり方についてリスナー同士が議論するのはともかく、ジュリーの創作姿勢そのものを是か非か、と言いたてるのはまったくナンセンスではないか、と僕個人は思っています。

昨年の「F.A.P.P」、今年の「Fridays Voice」。
まず素晴らしい曲ではないですか。そして、凄まじいまでのジュリーの感性ではないですか。

僕のような凡人の感性では、TVに映る東京電力福島第一原発の現在の映像を観ると、「怖い」「いたたまれない」という気持ちが先走り、目をそむけようとします。
でもジュリーはガキッと目を見開いて、そんな映像を直視しているようです。目をそむけたり、映像を観て頭に浮かぶことから逃げたりはしていません。
それは「Fridays Voice」の詞でハッキリと分かることです。

♪ 可哀想な原発 行き場のない原発
        E         G#m7      C#m        E7

  危険すぎる手におえぬ  未来
                 A          G#m7   C#m

  止めるしか原発 ♪
    F#m7         B


視覚的には、特に3号機と4号機でしょう。
無残な姿を晒すそれらの映像からジュリーが感じとったのは、放射能の呻き声。

♪ 放射能は呻いた こんな酷い支配を
        E           G#m7       C#m      Emaj7

  意に介さぬ人が嗤う 何故怖れない ♪
          A            E         F#m    B

「何とかしてくれ」「俺達をもっと恐れてくれ」
そんな呻き・・・いや悲鳴です。

ただ、これはまず音楽です。楽曲やアレンジ、演奏が優れていなければ、いくらジュリーの感性が素晴らしかったとしても、話にはなりません。
昨年に引き続き、原発をテーマとしたジュリーの歌詞を担うことになった柴山さん・・・またしても期待に違わぬ名曲を誕生させてくれました。

リリース前の新曲内容予想記事で僕は、作曲が柴山さんということと、「Fridays Voice」というタイトルから受けるイメージとして、力強くも軽快なポップ・ロック・チューンであろうと予想しました。
また、昨年の「F.A.P.P」や、『ROCK'N ROLL MARCH』収録の「やわらかな後悔」で魅せてくれた、ギタリスト・柴山さんならではの目まぐるしい転調構成にも期待して新曲を待っていました。

予想はまったく外れました。
一度も調号変化の無い、直球王道のバラード・・・!今年のジュリーの新譜で柴山さんは、渾身の豪速球・ストレートを投げ込んできたのです。
そして、鉄人バンドの演奏とアレンジも、ジュリーと柴山さんの意気に応えた直球勝負となっています。

♪ We Are Fridays Voice ♪
       A        F#m   C#m

最後、このサビのフレーズが延々と繰り返されます。
この構成に「なんだかサビが長いな」と意表を突かれたかたもいらっしゃるかもしれませんが、実はこれも王道です。バラードの大作で採り入れられることの多い楽曲構成なのです。
ジュリー・ファン、タイガース・ファンのみなさまにお馴染みの曲で例を挙げますと、ビートルズの「ヘイ・ジュード」がそうです。これなら分かりやすいですよね。

このサビ部、1番では1回のみ、2番では2回のリフレイン、そして最後に何度も何度も繰り返す、という構成になっています。
初めは少数だった「声」が次第に数を増やし2倍となり、遂には数えきれないほどの重なりとなっていく・・・柴山さんの作曲段階で、エンディングの延々と続くリフレインのアイデアは既にあったかと思いますが、1番を1回、2番を2回、と決めたのはジュリーの歌詞が完成してから後のことかもしれません。

全体通して直球のコード進行の合間で、「ちょっと捻っているかな」と思う箇所は、Bメロに登場するオーギュメントの和音。

♪ この国が いつか変わるため 今夜集まろう
             E                          Eaug            A

  OH 静かに熱い覚 悟 ♪
       F#m     B       G#  G#sus4 

(「あぁ♪」と歌っていますが、歌詞カードでは「OH」なのですね)

「変わるため 今夜♪」の箇所です。

オーギュメント・コードには主に大きく2通りの使い方があって、ひとつは曲のルート音への帰還の際に、ちょっと宙に浮いたような雰囲気を持たせる手法。この新譜では「Pray~神の与え賜いし」の「嗚呼♪」と歌う箇所にオーギュメント・コードが使われています。過去のジュリー・ナンバーで言うと、『JULIEⅥ~ある青春』収録の「二人の肖像」でやはり「アァ♪」と歌う箇所で登場していたり。

しかし「Fridays Voice」で採り入れられているのはもうひとつの手法で、これは「渚でシャララ」の「傷つけ合うより♪」の箇所で登場するポップ・チューン向きなやり方です(2通りの手法の紹介で、偶然にも加瀬さんの名曲が時代を超えて2曲並びました)。
ゆったりとしたバラードでこの進行が採用されるのは珍しいパターンじゃないかなぁ。じっくりと上昇していく感じ・・・はからずもジュリーの載せた歌詞で、多くの人の声が次第に集っていく雰囲気を表しているかのようですね。


さぁ、それでは今回も、鉄人バンドすべての演奏トラックを書き出してみましょう。

柴山さん・・・エレキギター(右サイド)、エレキギター(センター)
下山さん・・・エレキギター(左サイド)
泰輝さん・・・キーボード2種(ピアノ、ストリングス)
GRACE姉さん・・・ドラムス、タンバリン

最初に、柴山さんの右サイドのバッキングについて。
まず1番Aメロ2回し目。それまで泰輝さんのピアノ1本で進行していたところに、柴山さんの撫でるようなアルペジオが絡んできます。
音色は、ユラユラとした幽霊サウンド(←本当はちゃんとした呼称がありますが忘れました)の設定。
これはひと昔前ならば、ボリューム・コントロールを懸命にブルブルさせて作り上げるところですが、その後マルチ・エフェクターのパッチ一発で設定可能な音色となりました。巷でも、バラード・ナンバーをエレキギターでバッキングする際にはよく使われています。
ここでのアルペジオは基本、1小節の2拍目までを8分音符で弾きます。小節内の最後の音を「ポロン♪」と突き放すように弾いている箇所で、残響音が「揺れている」感じ・・・これは注意していればすぐに聴き取れるかと思います。

そしてBメロへと移行すると、柴山さんのギターが実は幽霊サウンドのみならず、ディストーションをも加えたハードな音色だったことが判明します。一体それまでどれだけ優しく弾いていたんだ!と驚くほどの変貌。
ここから全楽器がガ~ン!とフォルテで噛んでくるわけですが、直前、「いくぞ!」とばかりに必殺の「きゅきゅ~ん!」というフィルが炸裂していますね。
(その直後に演奏が一瞬途切れる箇所で、下山さんが「オッケ~!」とばかりに「ぎゅ~ん!」と言ってオイシイところを持ってってますが)

2番Aメロでの4弦~6弦のダウン・ピッキングも武骨でカッコイイです。この辺りはバラードはバラードでもハード・ロック寄りのアレンジ手法です。
これはベースレスを補う意味もありますが、おそらく柴山さんの好みなのでしょう。

センターにミックスされたリード・ギター・・・こちらについては考察の関係上、後の泰輝さんの演奏と併せてたっぷり語ります。
ここではひとまず、このリード・ギターの音色設定そのものが直球であることだけ、まず書いておきましょう。ロックでエレキと言えばまず基本この音、という音色。
最後のサビのリフレインで、4分音符の1拍ずつで重厚なフレーズを繰り出す箇所がありますが、本当にシンプルな音色設定だからこそ説得力があるんですよね・・・。自身の曲作りに合致した、柴山さんのセンスです。

一方、下山さんの左サイドのギターも基本はバッキングなのですが、音の表情はクルクルと変化します。2番Aメロはアルペジオですしね。
何と言ってもこの曲の下山さんのギターは、ほんのちょっとした箇所で細やかな単音を繰り出してくるのが大きなポイント。これがまた素晴らしい演奏なんですよ!
ヘッドフォンで左サイドから時折聴こえてくる単音のフレージング。僕は購入何度目かの鑑賞時、下山さんの音を注意して聴いていて
「この感覚は、つい最近生で体感したことがある!」
と思いました。そして何度も繰り返し聴くうち、それが先の老虎ツアーでの「淋しい雨」で下山さんが華麗に魅せてくれた演奏であることに気づきました。
うぅ・・・最早懐かしい・・・DVD観よ。

この曲の下山さんの単音で僕が最も感動したのは、「放射能に罪無し、人間こそ罪あり」と歌われる2番Aメロ(歌詞としても重要な箇所ですね)の直前、1’40”くらいのフレーズです。低いところでせり上がる、渋い音色・・・このたった4音(ニュアンス的には3音)の音階移動が素晴らしくも独特!
すぐ後にアルペジオを弾くことになりますから、下山さんとしてはフィル・イン的にサラリと挿し込んだ、という感じなのでしょう。聴く側は、「えっ、これ和音と合ってるの?」という感触に一瞬ゾクリとしますが、いやいやキチンと合ってるんですよこれが・・・。

この音階は、コードに合わせて適当に弾いただけでは出てきません(普通は、「次節のアルペジオを少しだけ早めに始めてみました」という感じのフィル・フレーズになるでしょう)。かと言って、論理的に考え組み立てようとしてもなかなか出てこないと思います。理屈から考えて捻り出した音階なら、この場合はもっとあざとくなるんじゃないかなぁ。
とすればこれはもう天賦の霊気・・・もとい、才気としか。

これが下山さんなんだ、と思います。これこそがルースターズ時代、超メジャーな某ライバルバンドをしてその才能を怖れられたという、下山さんのギターなのでしょう。
ホント、もの凄く細かいトコなので、なかなか伝え辛いのがもどかしい。
まぁ、下山さん本人としては涼しげに「あ、ここんとこ結構うまくいったな。できれば気づいて欲しいな」くらいの感覚でしかないのかもしれませんが・・・。

他にも、2’58”に登場する一瞬の経過音や、エンディング近くの5’06”で、柴山さんが作曲段階から構想していたであろう”テーマ”(泰輝さんの項で詳しく語ります)を追いかけるようにして挟み込まれるフレーズ等々・・・目立たないようですが、今回の新譜の中で僕が選ぶベスト・オブ・サポート・プレイは、「Fridays Voice」での下山さんのこのトラックです。

続いて泰輝さんのキーボード・・・こちらがまた正に直球、うなるストレートです。
音色設定は、ド真ん中ズバリ!のピアノとド真ん中ズバリ!のストリングス。泰輝さんは完全に正攻法の音色を採用し、このバラードに挑んでいます。

ストリングスの方はさほど前面に押し出す感じではなく、縁の下の力持ちに徹しています。イントロ途中でピアノに噛んでくる箇所が一番目立つでしょうか。
そう、この曲はまずピアノとストリングスの音のみ、という泰輝さんの独壇場からスタートするのです。
ちなみにこの2トラックは別録りというだけではなく、さしもの泰輝さんも手が3本無いと同時演奏が不可能なアンサンブルです。ですからイントロに限っては、LIVEではピアノのみの演奏となるでしょう。

この曲のピアノはとても重要です。楽曲全体でも主役級の活躍と言えます。
中でも最も重要で、聴き手にとって強く印象に残るのが

「シド#レ#ファ#ソ#~、ファ#ファ#ファ#ミレ#ミ~、ド#ド#ド#シラミ~♪」

という、曲の”テーマ”とも言うべきフレーズです。
これは曲中で、イントロ、間奏、エンディングの3度に渡って登場します。僕はこのフレーズを、ある程度まで柴山さんが作曲段階で練っていた音階だと考えています。
フレーズ後、最後の最後に優しく手を置くように演奏される「シ・ラ・ド#・ミ」という輪郭のボンヤリした和音構成も、柴山さんの「1弦開放、2弦2フレット、3弦2フレット、5弦2フレット」というフォームから導き出されたものかもしれません。

では、何故僕がそう考えるのか。
3度登場する”テーマ”のうち、まず間奏部を注意して聴いてみてください。この間奏部では、泰輝さんのピアノに柴山さんのリード・ギターがユニゾンするアレンジとなっているのです。
僕は常々、柴山さんのリード・ギターのフレージングについて、ストイックな求道者のイメージを持っています。
今回の「Fridays Voice」のような直球のバラードであれば、作曲段階で単音フレーズをも充分練っていたと考えられます。そしていざ鉄人バンドでアレンジの仕上げという時、そのフレーズを泰輝さんに託すことになった・・・特にイントロについてはピアノ1本で演奏した方が良い、という結論です。

さて問題の間奏。
1番の力強いサビが終わり曲がいったん静けさを取り戻す、という流れを考えると、イントロとは微妙に変化を持たせたいところです。ギターはバッキングに徹しピアノのフレーズを変える、或いはピアノとは別のギター・フレーズを考案する、など選択支もあったのでしょうが・・・柴山さんが選んだのは、ピアノとのユニゾンでした。
ここで思い当たるのは、これまで書いてきた「Pray~神の与え賜いし」「Uncle Donald」にも採り入れられている、ユニゾン・アレンジの手法です。
「Uncle Donald」の記事で書いたように、それを僕は「寄り添う」「共にある」というジュリーの歌詞に呼応した鉄人バンドの新譜全体に及ぶアレンジ・コンセプトではないか、と考えています。

「Pray~神の与え賜いし」では、GRACE姉さんのスネアと柴山さんのバッキング・ギター。
「Uncle Donald」では、下山さんのリード・ギターと泰輝さんのオルガン。
そして「Fridays Voice」では、泰輝さんのピアノと柴山さんのリード・ギターです。
ここまでユニゾン・アレンジのアイデアが重なると、これはもう鉄人バンドの統一された意志があってのこととしか思えないではありませんか。

柴山さんは間奏で泰輝さんのピアノに合わせ、自ら練りこんでいた”テーマ”を演奏します。
と・・・ここで、鍵盤楽器と弦楽器の特性の違いから、思いもよらぬ(いや、最初から計算されていたのかもしれませんが)素晴らしい効果が生まれました。

ピアノとギターのユニゾンということを踏まえた上で、みなさま改めて間奏部を聴いてみて下さい。
フレーズの途中、ピアノよりもギターの方が演奏されている音数が多いことにお気づきになるかと思います。

紐解きますと・・・ピアノが
「ファ#ファ#ファ#ミレ#ミ~♪」
と弾くところで、ギターが
「ファ#ファ#ファ#ソ#ファ#ミレ#ミ~♪」
と演奏されている箇所があります。
これは、泰輝さんが「ファ#ミレ#」と弾く間に、柴山さんが速弾きで「ファ#ソ#ファ#ミレ#」と演奏しているという仕組みになっていて、この微妙なズレにより、”テーマ”のフレーズがまるでヴォーカルのダブル・トラックのような不思議な効果を得ていて、僕は何度も何度も聴き惚れています。

この柴山さんの演奏は、”速弾き”とは言っても超絶プレイではなく、ハンマリング・オンとプリング・オフという基本中の基本テクニックを組み合わせたものです。
これはもうギタリストであれば誰しも手クセのようになっているテクニックで、「E→B→C#m」の進行に載せて「ファ#ミレ#」と弾こうとすると、フレット移動の利便性もあって、思わず指が勇み足してしまうという・・・。弦を指で強く叩く時に出る音と、強く離す時に出る音を繋げる感じで音階に組み入れているのですね。
もしこれがリード・ギターだけのフレーズなら、音数の多い上記音階がそのままそういうものとして聴き手に認識されることになるのですが、ここではピアノとのユニゾン。しかもイントロでピアノ1本の同じ音階を一度聴かせている、という構成もあって、その効果は絶大です。
本当に何てことないテクニックなのに、採り入れ方によってこうまで刺激的なものなのか・・・と僕などはただただ感心するばかり。

泰輝さんの弾くピアノの”テーマ”は、エンディングにもう一度繰り返されます。
ここでの柴山さんは、泰輝さんの音数にピタリと合わせた完全なユニゾンでリード・ギターを弾きます。
何故間奏とは違いキチンと合わせたのか・・・それは柴山さんが、先述したピアノの隙間で”テーマ”の旋律を追いかけるようにして演奏される下山さんの素晴らしい単音を最大限生かすために、自分は一歩退いたのではないでしょうか。
柴山さんのリード・ギター・トラックは、せ~の!で録ったベーシック・トラックをリプレイしながらの後録りでしょうから、全体の音を聴きながら最適なアレンジを選んだ、ということなのだと思います。さすがはバンマスです!

GRACE姉さんの演奏については、上記でドラムスとタンバリンを分けて書きましたが・・・これは、この曲でのタンバリンの採用を強調したかったためで、ドラムス、タンバリンは合わせて同一のトラックのように思います。
ハッキリ断言できないのですが・・・タンバリンが最初に登場するのは、先程柴山さんのバッキング・トラックでも触れた1番Bメロ部。そこでよ~く聴くと、オカズの箇所でほんの1打だけタンバリンの音が消えているように聴こえる部分があります。
タンバリンのパートが消える瞬間も、もし後録りの別トラックならばもう1打叩いた方が据わりが良いだろう、というところで終わっているのです。
ということはおそらく、ハイハット付近にタンバリンをセッティングしての一発演奏じゃないかなぁ、と
LIVE本番でもこのドラムス・アレンジが再現されるとすれば、GRACE姉さんのセッティングに注目して観なければ・・・。

それにしても、ハードロック寄りのバラード・ナンバーのこの最初のフォルテ部での8分音符の重要なテンポの刻みを、ありがちなオープン・ハイハットではなくタンバリンに託したGRACE姉さんの意図・・・「民衆」のひしめく「手」と、重なり合う「声」の躍動をイメージしてしまうのは、僕の深読みでしょうか。

この曲でのドラムスの目玉は・・・これはもうみなさまお気づきでしょう。4’35”あたりで豪快に炸裂するフィルですね。
これは本当に凄い。曲を盛り上げる、というだけでなくキチンと歌詞に呼応しているのが素晴らしいのです。
それまで「We Are Fridays Voice♪」と繰り返していたのを、「Fridays、Fridays Voice♪」と「私たちの声が聞こえるか?
」という思いでジュリーが変化させた箇所に応えての「ここぞ!」というフィルになっていますから、歌詞との連動性を意識しての演奏であることは間違いなさそうです。

あと、続く4’45”あたりから始まる、スネアの裏打ちを次々に繰り出すフィルもカッコイイですよ!


そして、ジュリーのヴォーカル。
「Deep Love」のような慟哭はありません。サビも力強く高らかに歌います。
しかしAメロでの、語尾を「フッ」と抜くようなヴォーカルには張りつめた緊張感があり、悲しみが込められているようにも感じます。無残に姿を崩した建造物の悲しみでしょうか。

「Fridays Voice」は『Pray』収録曲の中で、抜きん出て音域の広い曲です。
最高音は、「さぁ♪」とジュリーが力強く呼びかける箇所で登場し、これは高い「ファ#」の音。「Uncle Donald」の最高音と同じです。
それで音域が抜きん出て広い、ということは・・・そう、おそらくこれも聴いた感触だけでみなさま既にお気づきかと思いますが、この曲のAメロって、メチャクチャ低音域なんですよ!

1番で言いますと
た」「を」「わう」

太字で記した箇所が、低い「ソ#」の音になっています。これが曲の最低音。
僕などは、低い「ラ」の音すらなかなか発声できないというのに、さらにその半音下まで・・・。
思いを絞り出すようにして歌われる、ジュリーの低音。今のジュリーのヴォーカルの魅力が、このAメロの低音域ではバッチリ発揮されていると思います。

この曲はAメロからBメロへの流れが特に美しいのですが、音域だけをとってみると、まるでそれぞれ別の曲を合体させているかのような高低の開きがあります(ジュリーのヴォーカルが滑らかなので、それがとても自然に聴こえます)。
これは、作曲者の柴山さん自身がかなりの広音域の声の持ち主であることも物語っていますね。

最後に。
ジュリーの創作姿勢については100パーセント支持する僕自身と言えど、ジュリーの社会的な物事の考え方には、とてもよく似たところもあればまるで違うところもあります。
ただ、ジュリーが自らの思いを託し新曲に取り組んだ”当たり前の”志と、2年続けて難しいテーマを担うことになった柴山さんの名曲にも
最大の敬意を表したく、今回の新譜『Pray』の楽曲考察記事については、毎週金曜日の更新とすることを当初から目標と定めていました。
なんとか達成できそうな感じになってきました。

残すは1曲「Deep Love」。
この曲が一番、書きたいことを纏めるのに時間がかかりそうなのですが・・・引き続き全力で頑張ります!


昨年からの新譜の記事は特に、毎度毎度の大長文におつき合い頂くこととなり、申し訳ありません・・・。


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追記にて恐縮です。
この記事は本日の更新に備え、昨夜の時点でほぼ書き上げておりましたが、今朝ほどとても悲しいニュースが・・・。
僕にとっては『池中玄太80キロ』のアッコ姉さん・・・このブログでも、いわゆる「少年時代の憧れの存在」としてはただおひとり過去にお名前を挙げたことのある女優さん、坂口良子さんが突然亡くなってしまいました。

タイガース世代の先輩方にとっては『前略おふくろ様』でしょうか。
また、市川昆監督の映画・金田一耕助シリーズでのコミカルでキュートな役どころや、エド・マクベインの87分署シリーズを日本で刑事ドラマ化した『裸の街』で、主演の古谷一行さんの奥さん役を熱演されていたのも、僕には強く印象に残っています。

再婚なさって、これから第2の人生を末永くお幸せに、と応援していたのに・・・あまりに早い旅立ちに、驚き悲しむばかりです。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。

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2013年3月22日 (金)

沢田研二 「Uncle Donald」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

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ジュリー主演の音楽劇『探偵~哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌』が始まっています。
先週末から今週はじめにかけて、拙ブログで過去に執筆した「雨だれの挽歌」の記事を多くの方々が検索ヒットしてくださっていたようです。ありがとうございます。

僕もいよいよ今週末、音楽劇デビューを果たします。
これまでさほど音楽劇に興味が持てず参加を躊躇していた僕が今回の観劇に踏み切ったのは、大好きな曲「雨だれの挽歌」のジュリーの生歌が聴けるかもしれない!という思いがあったからです。
そして、みなさまのレポや感想をチラッと拝見しますと、どうやらそれは実現の運びとなっているようです!

「雨だれの晩歌」の楽曲考察記事に書いたように、僕はこの曲の歌詞に強く惹かれていて、まぁ今のジュリーがあの歌詞を舞台で歌う、というのは通常のソロLIVEツアーではちょっと望めないんですよね。
今回の音楽劇は、その意味で本当に貴重な機会だと思います。楽しみです!


さて本題・・・ジュリーの新譜『Pray』について。
今日のお題は2曲目「Uncle Donald」です。今回も、今の僕が出来うる限りの全力で伝授させて頂きます!

まずは歌詞について語りたいと思いますが・・・これは多くのジュリーファンのみなさまの予想通り、ドナルド・キーン氏について歌ったものでしたね。

ドナルドおじさん・・・ジュリーよりもはるかに年上の90歳になろうというドナルド・キーン氏は、「愛する日本を放ってはおけない!」という思いもあって、日本国籍の取得(東日本大震災以前からそのことについては考えていらしたようですが)を決断。昨年3月8日に遂に日本人となりました。

「私はこれまで日本という国を悪く言ったことはない。しかしこうして日本人となった以上、これからは愛する日本のために、自分も言うべきことを言わせてもらう」

キーン氏は会見で、そう語ったのでした。
正に日本人となったばかりのキーン氏の言葉については、先輩ジュリーブロガーのaiju様が、詳しく記事に書いてくださっています。
みなさまも是非今一度、お読みになってくださいませ。

ある先輩が、新譜のリリースよりも少し前の段階で、こう仰っていました。
「昨年のキーンさんの言葉に胸を突かれたことを思い出します。ジュリーもそうだったのでしょうか」
と。
「Uncle Donald」という曲を聴けば・・・間違いありません。ジュリーもそうだったのです。キーン氏の言葉は、ジュリーの胸に突き刺さっていたようですね。
そしてジュリーはキーン氏の言葉を受け、日本人としてもう一度気持ちを新たにし、「愛するがゆえに言うべきことを言う」というスタンスをとった「ドナルドおじさん」に深い敬愛の念を抱いたのでした。

そして今回僕がこの記事でご紹介したいのは、ジュリーの以下の歌詞に絡めてのことなんですが・・・。

♪ あなたの言葉  の続き  知りたい
  A       A(onG)  A(onF#)Dm(onF)   

  手繰って紡げば糸にな   る ♪
           A        B       Esus4  E

ジュリーが曲中で「知りたい」と歌った、キーン氏の「言葉の続き」。
今年3月3日付『東京新聞』の1面記事にそれがありました。

「Uncle Donald」のジュリーの歌詞が完成したのは遅くとも今年の初め頃でしょうから、3月付の新聞掲載となったキーン氏の言葉は、ジュリーが求めた「続き」の言葉のひとつと言えるでしょう。

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僕は自分が流され易いタイプだと自覚しているので、新聞については社説などの方向性が異なる複数のものを読むように心がけていますが・・・『東京新聞』には地方紙ならではの切り口があり、特に震災後は丁寧に読んでいます。
このキーン氏の記事は、上記3月3日付の第1回を皮切りに、1ケ月単位で連載されていくことになるようです。震災や原発事故のその後を徹底的に検証し報道してゆく、という紙の姿勢において、キーン氏の言葉は重要なコンテンツなのでしょう。

そして僕は、3月3日にこの記事を読みキーン氏の言葉を知ったことで、1週間後にリリースされる新曲「Uncle Donald」がキーン氏のことを歌った曲だ、とほぼ確信していたのでした。
キーン氏のような人の志に何も感じないジュリーではありませんからね。

さらに、いざ新譜を購入し曲を聴いてみますと・・・。

♪ 忘れちゃいけない 3. 11
  D    E    F#m        D   E    A   A(onG)

  「頑張ろう 日本」は  F.O.   終息 ♪
  D         E   C#    F#m  Esus4   E

これは・・・ジュリーはまるで「あなた(キーン氏)の言葉の続き」を予見していたかのようです。
”怒鳴門”キーン氏の怒りは、2013年になっても消えていません。「日本人は、被災者への気持ちを忘れていないか?」と。

「終息」などという言葉で、キーン氏を失望させた日本人。
そこでジュリーは、宣言するように歌います。

♪ Don't Cry Donald 僕たちに  失望しても
  A                G     D        A   G     F#m   D  E

  Uncle Donald 僕たちは 
  A           G     D       A

  あなたを愛し 敬     う ♪
  G         A      Esus4  E  A

キーン氏の言葉を胸に刻むことは、「被災地の人に歌を残す」というジュリーの発言(それは同時に、ジュリー自身にも向けられたもの・・・だと思います。ジュリーは、ここ2枚の作品が本当の意味で評価されるまでに時間がかかることも踏まえ、素直な気持ちで歌に向かっているように感じられます)、ひいては今回の新譜のトータル・コンセプトにも繋がり、収録曲の中で、「Uncle Donald」の歌詞に最も分かり易い形で投影されています。

「僕たちは決して忘れない」・・・そんなメッセージを力強く歌う曲。
今回の鉄人バンドが作った4曲中、ただ1曲明るいテンポとポップ性を持つ下山さんのメロディーにジュリーがこの詞を載せたことは、必然だったのではないでしょうか。

さぁ、それではこの下山さん作曲の素晴らしいポップ・チューンについて、メロディーやコード進行、アレンジの考察へと移っていきましょう。

「Uncle Donald」以外の3曲がすべてバラードということで、この曲の存在感、CD全体の流れに対する貢献度はとても大きく感じられますね。
リズムやメロディーなどの曲調ですが・・・無謀にも僕が事前の記事で「ラグタイムではないか」とした予想は見事に外れました。さすがは”全然当たらない”男です(涙)。無論、「ゆかいなまきば」とも何ら関係はありませんでした・・・。

これは過去の下山さん作曲のジュリー・ナンバーで言いますと、「心の宇宙(ソラ)」や「エメラルド・アイズ」の流れを汲むものです。
予想の段階で「Uncle Donald」というタイトルから僕の頭に浮かんでいた曲調とは違い、最初は意外に思えたけれど・・・なるほど、キーン氏のことを歌うには、ジュリーにとって明るいメロディーとハキハキしたエイトビートのリズムが最適だったのですね。

アルバム『タイム』以降のエレクトリック・ライト・オーケストラを彷彿させる、ポップ・ロック・チューン。加えて、ザ・ポリスや10CCといったバンドが持つクールな構成をも併せ持っています。
「Esus4→E」の和音に載せたリード・ギター部の感じは確かに何処かで聴いたことがあるように思うんだけど・・・現時点では曲名を特定できません。

とにかく、耳あたりが爽快で、何度も聴くうちにクセになってしまう曲。「エメラルド・アイズ」のような大胆な転調は登場しないのですが、いざ和音を紐解いてみますと、耳あたりの良さに反して、素直じゃない(褒めてます!)捻ったコード進行です。この辺りがいかにも下山さん流と言えましょう。
日頃から洋楽においても”変態ポップ”な曲調を好む僕としては、曲の持つコード感に最も惹かれるのは、新譜の中ではダントツでこの「Uncle Donald」です。ただギターで繰り返しコードを弾いているだけで、「うわ、こんなんなってるのか!」という感動があり、とても心地良いのです。

では今回も、鉄人バンドのレコーディング・トラックをすべて書き出し、演奏とアレンジの検証をしてみたいと思います。

下山さん・・・アコースティック・ギター、エレキギター(左サイド)、エレキギター(イントロ、センター)
柴山さん・・・エレキギター(右サイド)
泰輝さん・・・キーボード3種(エレクトリック・ピアノ系の音、コズミック系のオルガン、イントロ部に一瞬登場する浮遊感のあるオルガン)
GRACE姉さん・・・ドラムス

まず、下山さんと泰輝さんのイントロ(一瞬ですが)・トラックについて書いておきましょう。
下山さんのギター、泰輝さんのキーボード共に、このイントロ数秒では他トラックとは違ったエフェクト設定、音色で演奏されています。この曲では間奏のリード・ギターも左サイド(下山さんの立ち位置)に寄ってミックスされていますが、イントロのギターだけはセンターにPANが振られています。
泰輝さんの一瞬のキーボードも含め、おそらくたった数小節のイントロ・トラックのために、本トラックとは別にレコーディングされ、後のミックス作業の段階で編集されているのではないでしょうか。こういった導入部を擁する楽曲は巷に多く例がありますが、それらについてもそうしたミックス手法が主流ですから・・・。

それでは、楽曲本編の演奏トラックについてはどうでしょうか。
下山さんは「Pray~神の与え賜いし」に続き、アコギとエレキの2トラックを担当しています。皆でせ~の!の時にはアコギを弾き、後からエレキを追加レコーディングした、という順序かと思われます。

「Uncle Donald」は収録曲中唯一のフェイド・アウト・エンディングとなっています。
歌詞中では「フェイド・アウト」をキーン氏の怒りの言葉になぞらえて歌ったジュリーですが、曲がフェイド・アウトというのはまったく逆の意図で、「忘れちゃならない、何年経っても♪」という「この先もずっと」という決意を表しているかのようです。下山さんのリード・ギターが「Esus4→E」という繰り返しの進行で終わりなく続いているのがその象徴。
ちなみに柴山さん、下山さんに限らず、今回の新譜のリード・ギターについては、1曲目「Pray~神の与え賜いし」とこの2曲目「Uncle Donald」はアドリヴに近い演奏で、3曲目「Fridays Voice」と4曲目「Deep Love」は作曲或いはアレンジ段階でじっくり練り込まれたフレージングの演奏、といった感じでハッキリ2つのアプローチに分けられている、というのが僕の推測です。

LIVEで下山さんはアコギ、エレキいずれのトラックを再現するのか・・・これは「Pray~神の与え賜いし」と違い、予想に迷いはありません。おそらく下山さんはこの曲でエレキギターを持つでしょう。
「エメラルド・アイズ」のLIVEと同じ編成になるのではないでしょうか。

ただ、それだけにこの記事で熱く語っておきたいのは、アコースティック・ギター・トラックの素晴らしさです。
下山さんは、ただエイトビートのコード伴奏をしているだけではありません。

まず「Don't Cry Donald♪」から始まるAメロ部では、小節の最後から次小節の頭に向かってアクセントをつけるようにストロークを振り下ろします。

続く「忘れちゃいけない♪」からのBメロ部は、何とアルペジオによる伴奏です!
その音色の優しさ、緻密さ、美しさ、カッコ良さ・・・素晴らし過ぎます。
そしてこのアルペジオ奏法で最大に生かされるのは、「3.11」と歌われる箇所の直後の和音移動。
「A」→「A(onG)」と進行しますが、ここは本来「A」→「A7」と移動するのが一般的なアレンジです。
「A7」というのは「A」(=ラ・ド#・ミ」)に7th音の「ソ」の音を加えた和音です。下山さんはその加えるべき「ソ」の音をルートに配し、アルペジオで弾いた際に最も強調される6弦の音で演奏できるように工夫しました。それにより聴き手は、ジュリーのヴォーカルの隙間でアコギの音が「ラ」→「ソ」と下がっていくスリリングなカッコ良さを楽しむことができるのです。
これは、鉄人バンドがベースレスという特殊な編成だからこそ生まれたアレンジ・アイデアなのかもしれません。

そしてサビ。ここで満を持してガッシャンガッシャンと弾きまくります。
LIVEでこのアコギを聴きたい気持ちもあるけど・・・やっぱりこの曲のソロは下山さんがエレキを持って弾くべきでしょうからね。アコギについてはCDでじっくり味わう、ということで・・・みなさまも是非、左サイドの下山さんのアコギ・アレンジに注目して聴いてみてください。

一方柴山さんは、この曲では黒子のバッキングに徹しています。
4~6弦のダウン・ピッキングでエイトビートを強調したり、細かいカッティングでリズムに起伏を持たせたり、ジュリーの歌メロの抑揚に合わせたストロークに転じたり・・・。何てことはないトラックかもしれませんが、正に職人技。
縁の下の力持ち、頼れる兄貴といった役どころでしょうか。

しかし・・・それだけでは終わらないのが柴山さん。
みなさま、この曲のフェイドアウトが近づくに連れて、何か飛行機が飛び立つ際の轟音のような音が曲全体を包んでいくように聴こえませんか?
実はこの音が、右サイド(数日間、「左サイド」と誤って書いたままupしていました。すみません・・・)で柴山さんが弾いているギター(その残響効果を上手く楽曲全体のトラックに馴染ませたミキサーさんにも拍手!)なんです。
フランジャーというエフェクターを使って設定されたこの独特なエレキギターの音を、ロックでは”ジェット・サウンド”と呼びます。

1曲目「Pray~神の与え賜いし」は「ぎゅわわわわ♪」というワウ、2曲目は「ぎゅい~ん♪」というフランジャー。
それぞれのエフェクターの特性を最大に生かした、”ムックリ・サウンド”(←命名しました)と”ジェット・サウンド”・・・リードギターばかりではなく、バッキング・トラックにおいても柴山さんはひと味仕掛けてくれますね。

ちょっと話が逸れますけど、「Pray~神の与え賜いし」の記事で、柴山さんのワウ・ギターの音色に絡んで少しだけ触れた「ムックリ」という楽器について、先輩ブロガーさんの御記事(大先輩のTOMO様が僕の記事を読んでくださって、とても嬉しかったです!)を拝見した後で色々と思うことがあったので、ここで書いておきます。

僕が「ムックリ」という楽器の存在を知ったのは、まだ幼い頃・・・佐藤さとるさんのコロボックル・シリーズを読んだ時のことでした。
シリーズ5
作目の『小さな国のつづきの話』(個人的には1作目、3作目に次いで好きな話です)の作中に、「ムックリくん」というあだ名の少年が登場します。
その少年は、自分の心にしまっている大切な思いを否定されたことをきっかけに、10人ほどの友人達とケンカをします。もちろん多数に無勢・・・しかし、いくら突き飛ばされても、少年は無言で何度も何度もムックリと起き上がってくるので、ケンカ相手もとうとう音をあげてしまいます。
それが少年の「ムックリ」というあだ名の由来となったわけですが、物語はその後、主人公の正子先生とムックリくんの交流の中で、「ムックリ」という名前のアイヌ民族の楽器がある、という筋に繋がっていくのです。

どんな逆境でも、何度も立ち上がる・・・。
「よみがえれ僕たちよ♪」とジュリーが歌うまさにその箇所から柴山さんの「ムックリ」の音色に似たワウ・ギターが絡んでくるというアレンジは・・・まったくの偶然なんでしょうけど、困難に直面している人々が寡黙に立ち上がる姿、「何度もキュンとさせて」くれる姿と、佐藤さとるさんの名作に登場するムックリくんの姿とが僕には重なり合うように思えてきて、改めて感動をもって「Pray~神の与え賜いし」の柴山さんのギターに聴き入った次第です。
(ちなみに僕はつい昨年、栗コーダー・カルテットさんのLIVEで初めて、生のムックリの演奏を体感しました)

話を戻しまして・・・「Uncle Donald」については、CDのフェイド・アウト・エンディングをLIVEでどのように再現するか、というのも夏からのツアーのひとつの見所だと思いますが、それはすなわち、柴山さんのエンディング部でのエフェクト設定がどの程度再現されるのか、されないのか、ということでもあります。
せっかくですから、柴山さんのジェット・サウンドを生で聴いてみたいなぁ。
この音はマルチではなく単体のフランジャーをセットして作り上げているように思えます。その辺りも確認してみたい・・・もの凄い神席でなければ、そこまでは見えませんが。

で、カズラーのみなさん!
柴山さんならば、この曲はほとんどフレットに視線を落とさずに演奏可能です。
つまり、顔を少し上に向けた状態の柴山さんがにこやかにお客さんチェックをするのは、新譜の中ではおそらくこの曲・・・こちらからも要・逆チェックですよ~。

泰輝さんのキーボードは、イントロを別にすると2種類の音を使い分けています。
AメロとBメロで渋く活躍するのが、エレクトリック・ピアノ。軽快に跳ね回る、ちょっとヤンチャでオシャレ、という感じの音ですね。泰輝さんがリスペクトするビリー・ジョエルの曲で言うと、「ロスアンジェルス紀行」のエレピの音色に近いかなぁ。
昨年、同じようなテンポとビートを擁した「F.A.P.P」では、ハッキリしたピアノの音で力強さを表現した泰輝さんですが、今年の「Uncle Donald」ではいかにもエレピ、といった音色を採用し、軽やかさを重視したアレンジとなりました。
しっかりとジュリーの歌詞、下山さんの曲調に呼応した音色設定は、さすが泰輝さんです。

もうひとつの音色は、コズミック系のオルガン。こちらについてはまたまた熱く語らねばなりません。
僕は、今回の新譜での鉄人バンドのアレンジで、「ユニゾン」というのがひとつ大きなキーワードになっていると感じています。
先日の「Pray~神の与え賜いし」の考察記事では、あの激しい間奏でのGRACE姉さんのスネア・ドラムに、ユニゾンのリズムでそっと寄り添う柴山さんのバッキング・ギターについて書きました。
この「Uncle Donald」にも、鉄人バンドのユニゾン・アレンジもアイデアがあります。

この曲のサビ部は「A」→「A(onG)」→「A(onF#)」とコードが進行していきます。「A」(=ラ・ド#・ミ)の和音はそのままに、ルート音だけが「ラ→ソ→ファ#」と下降するのです。

サビ部で下山さんは、「A」コードの構成和音に基づいて、エレキギターで「ド#ラシラ、ド#ラシラ・・・」と単音のリフレインを弾きます。このエレキギターのリフとまったく同じ音階で寄り添っているのが、泰輝さんのオルガンなのです。

各収録曲でここまでユニゾン・アレンジの手法が重なっていることは、やっぱり鉄人バンドがメンバー全員で、ジュリーの歌詞を解釈しつつ編曲作業に取り組んだ結果としか思えないのです。それは、「忘れない」「寄り添う」「共にいる」というコンセプトではないでしょうか。
ですから今回の『Pray』収録曲は、各メンバー個人の作曲→ジュリーの作詞→鉄人バンドによる編曲、という流れの順で制作されたのでは、と僕は推測しています。

当然、この先の「Fridays Voice」や「Deep Love」の記事でも、こうしたユニゾン・アレンジ(「Deep Love」の場合は若干ニュアンスを異としますが)について書かせて頂く予定でいます!

GRACE姉さんのドラムスは、エイトビートの正攻法です。ただ、同じ正攻法の「Pray~神の与え賜いし」が、LIVEでもCD音源とほぼ同じフレージングで演奏しないと成立しないテイクであったのに対し、「Uncle Donald」の方は自由度が高いテイクと言えます。

「だん、つ、だ、だん♪」というキックの音も良いですが(特にBメロ)、僕がこの曲のドラムスで一番惹かれるのはライド・シンバルですね。
それまでハイハットで刻んでいたエイトビートが、サビ部でライド・シンバルに引き継がれます。そこで無機的に8つ打ちをするのではなく、表拍にアクセントを持たせています。一瞬4つ打ちに聴こえるくらいの、ハッキリした強弱の正確な表現です。
それが一転、サビ後の「Esusu4→E」の循環する和音に載せたコーラスとギターソロの間奏では、ライド・シンバルのトリッキーな裏打ちの強調が繰り出されます。1’49”あたりの打音が聴き取りやすいでしょうか。
このあたりはフレーズを決めての演奏ではないでしょう。LIVEでどのように変わってくるのか、というのも興味深い見所です。

最後に、ジュリーのヴォーカルについて。
この曲の最高音は、Bメロに登場する高い「ファ#」の音。これはジュリーが気合を入れずに(と言うのもおかしな言い方ですが)自然に発声できる音域の上限くらいの高さなのかな。
その半音上の「ソ」になると、さすがのジュリーにも苦労するシーンが見受けられます(昨年ツアーでの「ス・ト・リ・ッ・パ・-」のサビ部など)。
まぁ最高音がどうあれ、「Uncle Donald」を音源と同じキーで通しで歌ってみて分かるのは、聴いた印象以上に男声にとってはかなりキツイ音域の曲だということです。この曲でのジュリーの声は、本当に自然で力みが無いように聴こえるんですけどね。

みなさま同じことをお感じと思いますが・・・この曲のヴォーカルの白眉は何と言ってもBメロ「忘れちゃいけない♪」の語尾の「い」ですよね~。ジュリー・ヴォーカルの得意技、最強の表現でしょう。
この表現はオールウェイズ期、エキゾティクス期に多く見られることもあって、伊藤銀次さんあたりが大喜びしそうなヴォーカル・テイクなんですけど・・・銀次さん、ジュリーの新譜聴いてるかなぁ。

個人的にこの曲は、生のLIVEで先輩方が客席でどう反応するか、というのも楽しみにしているんですね。僕としてはその場で先輩方のリアクションに合わせるだけなんですけど、手拍子なのか、じっとしているのか・・・まったく予想がつきません。
1週遅れで参加となった『BALLAD AND ROCK'N ROLL』では、「エメラルド・アイズ」のイントロを機にお客さん総立ち、と意表を突かれるパターンがありましたが・・・ひょっとしたら今年のツアーでは、それまで着席状態だったのが「Uncle Donald」で一気にスタンディング、なんてこともあり得るかな?

下山さんの軽快なポップ・チューンに載せた、ジュリーの妥協なき流儀。
ドナルド・キーン氏のことを歌ったこの歌詞が、「僕はこう!」というジュリーの主張が新譜収録曲の中で最も激しく表に出ているのでは・・・と僕は感じています。

ただ僕は、「絆は消えゆく傷」という表現に、まだ戸惑いを持っています。もちろんジュリーが意図したところは何となく分かるような気がしているのですが・・・ストン!と落ちる明快な解釈が僕の中では降りてきていません。
LIVEで聴けば、何か掴めるかな・・・。


さて、冒頭に書いたように僕は今週末、初の音楽劇を体感する予定でが、そちらのレポート(自分がお芝居のジュリーにどういう感想を持つか、まったく予想できません。本当に初めてですから・・・)は、『Pray』全曲の考察記事を書き終えた後にしたいと考えています。
次回、「Fridays Voice」の記事でお会いしましょう!


(追記)

僕は普段テレビドラマとか全然見ないんですが、昨夜放映の『最高の離婚』で、主役の瑛太さんが「君をのせて」を歌うシーンがあったそうですね。
『サマー・タイムマシン・ブルース』の映画版で知った瑛太さんは、個人的に好きな俳優さんの一人。

昨年僕は、とある結婚パーティを迎えた新郎から「新婦に向けて1曲歌いたいのでアコギで伴奏してくれ」と依頼され、「ジュリーを歌え」と条件をつけて承諾したことがありました。
となると、曲は当然「君をのせて」ということに落ち着きますわな~。

新郎の彼はメチャクチャ歌が上手いヤツなんですけど、まぁそんな完璧にカッコつけさせるのも癪だし面白みに欠けるじゃないですか。
伴奏はアコギ2本。単音(リードギターね)を担当することになった後輩と2人でしめし合わせて、ちょっとした悪企みをやらかすことに。

前々日のスタジオのリハーサルでは何食わぬ顔でオリジナル通りのハ長調で演奏していたのを、本番ではいきなりニ長調(ハ長調より1音高い)からスタート。しかも最後のサビは半音上がりではなく1音上がりの転調にアレンジしました。
そうすると最終的なキーはホ長調となり、最高音は高い「シ」の音まで跳ね上がります。そんな高音、ジュリーですらそうそう簡単には出せません。

最高音が登場するのがまた、「ああ~ああ君を~♪」という、曲中で一番イイところなんですね~。
新郎君、「こんなハズでは・・・!」と顔を真っ赤にして熱唱・・・いや絶唱するも、最後の「ああ~ああ♪」では、期待通り2回のリフレインとも見事なまでに声をひっくり返して、場内は爆笑に包まれたのでした。

でもね・・・新婦さんは笑いながらも感激の涙を見せてくれましたよ。
要は、この「君をのせて」という曲・・・当然ながら皆がジュリーのように美しく歌えるわけではないんだけど、どんなに下手であろうと、高音が出なくとも、シンプルに愛を表現しようとする時必ずその気持ちが伝わる歌なんだ、と思うんです。

こんな不朽の名曲がソロ・デビュー・シングルだったというのは、ジュリー奇跡の歌人生において、やっぱり特別なことですよ!

瑛太さんは歌は本業ではないし、決して上手く歌えてはいないと思うんです(見てないけど)。
でも、絶対伝わる。
「君をのせて」ってそういう曲なんです。選曲を担当されたドラマのスタッフさんには、大きな拍手を送りたいですね~。
瑛太さんが歌う「君をのせて」、見てみたかったな・・・。

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2013年3月15日 (金)

沢田研二 「Pray~神の与え賜いし」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

-------------------

新譜『Pray』。
今年もまた、ジュリーの祈りが届けられました。

聴き手の身体に直接ぶつかってくるような、圧倒的なジュリーの歌声。
適当な言い方ではないのでしょうが、ジュリーに「分かってんのか!」と諭されたような感覚が、まず最初はあって・・・。
なかなか真っ直ぐ向き合う体勢に持ち込めない凡庸な自分がもどかしいながらも、何度も何度も聴くうちに、少しづつ何か確かなものが心に積もっていくような・・・今はそんなふうに感じています。

これまで、ジュリーを語る時に僕はよく「矜持」という言葉を使ってきました。
これは僕自身が20歳くらいあたりから父親に何度となく「矜持を持て」と言われてきたこともあって、身近な言葉だったからかもしれません。
ただ、その言葉の意味を完全に掴んでいたかと言うと、甚だ心もとない状態で。
「信念」と言うと少し違う気がしますし、「プライド」と言うと全然違う気がする・・・そんな曖昧な考えのもとに、自分に無いものを持っているジュリーを見て「矜持」「矜持」と僕は容易く連呼していたように思います。

新譜を初めて聴いて、まず最初にガツン!と飛び込んできたジュリーの歌詞は・・・。

♪ 澄み渡る 矜持あり
  E     C D      C    D

  誰  かに      示すことではな    く ♪
  C#m  C#m7(onB) A       C      Bsus4  B7

「矜持」とは、誰かに示すことではない。
ひけらかすようなものじゃない。

ただ・・・「澄み渡れ」、と。

凡人の身にはなかなか届かない境地ではありますが、ジュリーの歌詞の一節から、その言葉の真の意味に少しだけ近づけたような気がします。


僕は今年も、ジュリーが届けてくれた新曲の1曲1曲を、僕なりのベストを尽くして記事に書いていきます。
ただ、今日の記事は新譜について書く第1回ということになりますので、アルバム全体の印象、購入までのいきさつなどに触れてから本題に入ろうと思います。前置きが長くなりますが、どうかおつき合いくださいませ。

ジュリーの新譜『Pray』を、僕はアマゾンさんで予約していました。
しかし結局、発売日を前にした1月10日の正午過ぎ、僕は銀座山野楽器さんで平積みされていた中の1枚を購入していたのでした・・・。

昨年の『3月8日の雲』は・・・おそらくアマゾンさんで初回入荷設定数の読み違いがあったのでしょう、予約した多くの人が、発売日から数週間経たないと発送されないということがありました。僕もその一人で、待ち切れずに翌12日に店頭で買い求め、遅れて届いたアマゾンさんからの商品を、そのままJ友のYOKO君に引き取ってもらいました。
今年はさすがに去年のようなことはないだろう、と考えていたのですが・・・。

発売日前日の10日になっても、アマゾンさんからの発送メールが来ません。
(註:実はこれは自業自得・・・と言いますか完全な自分のミス。デヴィッド・ボウイの新譜と同時に予約注文し、うっかり2点同時発送の設定にしてしまっていたのです・・・。アマゾンさんが後から発送してくださったCDは、封を開けずにYOKO君に引き取ってもらいます

(後註:デヴィッド・ボウイの新譜の方も素晴らしかったです。80年代以降のボウイのアルバムの中では一番好きです!)


とにかく、どうしても3月11日に聴きたい、という思いがあったので焦りました。
そして、9日の時点で購入を済ませていらっしゃる方もたくさんいらして、そのお一人、keinatumeg様が「1曲入魂」とのレビュー記事を書かれていたのを拝見するに及び、遂にいてもたってもいられなくなってしまいました。
「通常のCDは流れを考慮し、個々の曲に押し引きありで構成されているが、今回の新譜は1曲完結の印象」
と、keinatumeg様は感想を書いていらっしゃいました。

これは・・・鉄人バンドメンバーの作曲アプローチがバラードに片寄ったか!
・・・などとあれこれ想像するうち、「一刻も早く聴きたい」という欲求に抗えなくなった僕は、フラリと『Pray』を求めて街へ出かけてしまったのでした(ちょうど帰る頃にあの凄まじい砂嵐に出くわし、電車も止まってしまい大変でした・・・)。

銀座山野楽器さんで無事に購入。

Yamano


(銀座山野さんで新譜を購入なさったジュリーファンの方々は多かったと思いますが・・・さすがのディスプレイでしたよね!)

本来、翌11日になってから聴くべき作品かとは思いましたが、実際手にしてしまうともう我慢がききません・・・。丸の内線で銀座→池袋を地下鉄で移動する間、ちょうど4曲すべてを1度聴くことができました。

最初の1回を聴き終えた時点での感想は、去年とほぼ同じでした。
ジュリーの歌声、歌詞にただただ圧倒されるばかり。受け止めるのに必死。
そして何度か繰り返して聴くうち、やっと和音構成やアレンジ、そして素晴らしい演奏に耳がいくようになり・・・。

凄い!
まさに1曲入魂です。
その演奏、アレンジは、ジュリーと鉄人バンドでなければこうはなり得ない、というレベルにまで達しています。
何でしょう、この一体感は・・・。

ジュリーは今、世間のどんなバンドよりも、バンドとしての音楽に取り組めている・・・そう思えます。

ぴょんた様が「今回は編曲のクレジットが無いですね」と気づかれました。
昨年までは、作曲者の鉄人バンドのメンバーが編曲のクレジットも兼ねていましたよね。それが今年は無表記となりました。
これはもう、「編曲・ジュリーwith鉄人バンド」ということに他ならないでしょう。

すべてのメンバーの音が繊細に、エキサイティングに重なり合い、ジュリーの歌と一体となる完成度。もちろん伊豆田さんのコーラスもその域にあります。
『涙色の空』から前人未踏の地へと踏み出したジュリーと鉄人バンドはとうとう、ここまでのバンド・サウンドを築き上げたのです。
何の無理も何の誇示もない・・・ジュリーが「歌いたいことを歌う」ことで、誰も届かないほどの高みに自然と駆け上がった、ジュリーと鉄人バンドの音楽。

ジュリーのヴォーカルと歌詞はもう・・・いくらジュリーが自分を「普通の人」と言っても、やっぱり普通じゃないですよ。
こんなに凄い、特別な歌人生を歩み続けている人はいない、と思ってしまいます。

おそらく、「今年も”Pray For East Japan”のテーマで」とのジュリーの依頼を受けた鉄人バンドの曲が出揃ったのは、昨年末から今年始めにかけて・・・あたりでしょうか。
それを受けてジュリーが取り組んだ作業は、「作詞」という感覚ではなかったかもしれませんね。鉄人バンドの作った新しいメロディーを聴いた瞬間、ずっと心に留めておいた思いが開放されて、言葉となって溢れ出す・・・そんな感じだったのではないでしょうか。

そして僕らジュリーファンは、魂の大名盤をまた今年も聴ける。これからまだまだ、聴くたびにきっとどんどん凄くなる。

本当は、それを真に実感するまでじっくり時間をかけてから楽曲考察に取り組みたいところですが・・・そこまでに至るのは、いずれ生のLIVEで体感してからのこと。
今は今の僕が出来うる限りの力を注いで、今年の4曲に対峙し記事にしようと思っています。

今日はその1曲目。
女性らしいGRACE姉さんの優しいメロディーに、ジュリーと鉄人バンドの切実な思いが荘厳にシンクロしたバラード。
「Pray~神の与え賜いし」・・・至らぬ考察ではありますが、とにかく全力で伝授させて頂きます!

♪ 寡黙な人の声 耳済ませば
  E           B       A          E

  復興を 宴に  するなと嘆く ああ ♪
  C#m       F#m7  A            B  Baug

「寡黙な」と言うと思い出されるのが、昨年の「
カガヤケイノチ」のフレーズ。
とすれば今年の新譜1曲目「Pray~神の与え賜いし」は、「カガヤケイノチ」で歌われた人達の続きを描いた歌なのでしょうか・・・。

新譜4曲すべてについて言えますが、ジュリーが歌っているのは「今」。2011年3月11日を踏まえての、人々の「今」です。
僕は、「復興を宴にするな!」と嘆いていた方を知っています。もうその方の声は何処にも残っていません・・・残されたのは、寡黙。

「カガヤケイノチ」を連想したのは、歌詞のフレーズばかりではありません。この「Pray~神の与え賜いし」も「カガヤケイノチ」と同じ、祈りのワルツ・バラードなんですよね。
しかし今回は、ハッキリした「ブン、チャッ、チャッ」のワルツよりも、ロッカ・バラードの譜割りに近いです。でも、「12/8」のロッカ・バラードとも言えません。
スコア表記するなら、「6/8」のワルツでしょう。
僕は新譜の楽曲内容予想記事で、GRACE姉さんは穏やかな長調のバラードを作曲したのではないか、と書きましたが、それは当たりました。でも、ワルツという想像以上に穏やかな曲調までは、考えていませんでしたね。

そう、この曲はとても穏やかで、優しい曲なんです。
アレンジを抜きにして、ただAメロの旋律だけを追ってみてください。まるで童謡のように穏やかで、涼やかで、優しい曲だと感じられるはずです。
同じワルツの曲で、あの震災以降多くの人に歌われいっそう愛されるようになった「ふるさと」という童謡がありますが、メロディーの持つ優しさは、本当にそんな感じです。GRACE姉さんの今回の作曲は、深い思いを土地の風景描写のようにして託した・・・そんなアプローチではないでしょうか。
この曲がアコギ伴奏とコーラスを軸として賛美歌のような出だしになっているのには、そんな意味もあるのかなぁと思います。

ただそこに(GRACE姉さんも望んだことなのでしょうが)、遅々として進まぬ復興への強い苛立ちや迷い、悲しみがまずは加味されます。それはジュリーの1番の歌詞にもあり、また鉄人バンドの間奏アレンジにもあります。

それではここで、鉄人バンドの演奏、全レコーディング・トラックを書き出してみましょう。

GRACE姉さん・・・ドラムス
柴山さん・・・エレキギター(右サイド)、エレキギター(センター)
下山さん・・・アコースティック・ギター、エレキギター(左サイド)
泰輝さん・・・キーボード3種(鉄琴系の音、オルガン、硬質なストリングス系の音)

(ツアー初日後註:どうやら鉄琴系の音は泰輝さんの演奏ではなく、GRACE姉さんのビブラフォンだったようです)


お気づきのように、昨年の『3月8日の雲』収録曲の考察記事では
「これはたぶん柴山さん、これはたぶん下山さん」
としていたそれぞれのギター・トラックを、今回はハッキリ断定して書かせて頂いています。
これは『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアーに参加して「やはりそうか!」と確信を得たところによるもので、どうやら『涙色の空』以降のジュリーの4曲入りマキシ・シングルは、基本として(リード・パートが中央にPANを振られる場合はあるものの)ギタリストの演奏トラックが、LIVEでの立ち位置通りにミキシングされているようなのです。
つまり、ヘッドフォンで聴いた時・・・LIVEで上手に立つ柴山さんの演奏は右側から、下手に立つ下山さんの演奏は左側から鳴っている、というミックスです。
(ただし今回も、「Deep Love」の中にひとつだけ、自信の持てないトラックがあります。その点については「Deep Love」の記事にて書かせて頂きます)

ミキシングというのは縁の下の力持ち的な作業で、決して派手に表に出ることはありませんが・・・ジュリーと一体となり、リスペクトを持って寄り添っているのは演奏者の鉄人バンドのみにあらず。ミキサーさんもそうなのです。
ジュリーは今、本当に信頼できるスタッフに囲まれている・・・僕はこの記事の場を借りまして、左右バランスのことばかりに限らず、この大名盤を深い思いの共有とともに仕上げてくれたミキサーさんにも、大きな拍手を送りたいと思います。

話を戻します。

こうなると、この曲が夏からのツアーで演奏された時にまず注目すべきは、レコーディングではアコギ、エレキの2トラックを担った下山さんがどうやって楽曲全体の演奏を一人で再現するのか、ということ(キーボード3種の音色については、泰輝さん一人で演奏可能。柴山さんの2トラックについては後に語ります)です。
これは・・・昨年の「カガヤケイノチ」に引き続いての、下山さんのアコギ→エレキ持ち替えシーン再現も充分あり得ますよ~!

持ち替えないとしたら、全編アコギということになるのでしょうか。やはりこの曲の1番では、どうしてもアコギの音が必要でしょうから・・・。ヴォーカルとコーラス・パートを優しく先導する、暖かな伴奏ですよね。
でも、2番以降のエレキでのバッキングもしみじみ良くて、到底捨て難い・・・。
例えば、コーラス(後註:更新段階ではフランジャーと記しましたが、改めて聴き込むとどうやらコーラスのようです。アンプがジャズコなのかもしれません)に軽めのディストーションをかけ合わせた音色のアルペジオ。下山さんは今回の新譜で、他の曲でもこのエフェクト設定を採り入れています。

穏やかなメロディーに加味された、苛立ちや憤り・・・それをジュリーの歌詞同様に強く表しているのが、1番が終わったと同時に狂おしく噛みこんでくる柴山さんのリード・ギターでしょう。
昨年の「恨まないよ」をも上回るような、激しい慟哭のギターです。

この曲はホ長調ですが、Bメロではト長調のニュアンスが加わります。「ド・ミ・ソ」(=ト長調のサブ・ドミナント)→「レ・ファ#・ラ」(=ト長調のドミナント)と進行する箇所です。
この2つの和音は、ホ長調の穏やかな曲調をその一瞬だけ尖らせる効果があります。そして柴山さんのリード・ギター部は、そのBメロと同じ和音進行の長尺となっていて、溜まりに溜まった思いを一気に吐き出しているかのような印象を聴き手に与えます。
今から、ステージの柴山さんに当てられる照明と、渾身に猛るソロを奏でる雄姿がとても楽しみです。

また間奏のリード・パート以外では
「よみがえれ僕たちよ♪」
と最後のBメロを今度は希望の祈りに替えて歌うジュリーの後ろで、密かに炸裂するワーミーな情念のバッキングにも、是非注目したいと思っています。
(後註:先輩のブロガーさんも、この音が気になる、と書いていらっしゃいました。確かにムックリみたいな音!その実は、柴山さんのワウ・ギターの音です)

出だしのアカペラっぽい構成を引き継ぐかのような、泰輝さんの荘厳なオルガンがまた素晴らしい。
柴山さんの間奏部では、Bメロの旋律をこのオルガンが復唱するようなアレンジになっていますね。

さらに、硬質なストリングスの音・・・ストリングスとは微妙に違うんだけど、オーケストラのように曲を包み込む音(1番Aメロの2回し目から薄く噛みこんできます)があります。エンディングでたったひとつこの音色だけが美しくも優しく残るので、このキーボードの音に強い印象をお持ちのかたが多いのではないでしょうか。
もちろん1番に登場する鉄琴系の音やオルガンと、このストリングス系の音は同時弾き(ストリングス系の音が下段のセッティングになるかな?)。
泰輝さんの”神の両手”が今年も間違いなくステージで炸裂することでしょう。
加えてこの音は、楽曲全体の低音をカバーする役割も果たしているようです。

そしてGRACE姉さんのドラムス。
間奏部のスネアのアタックから、ヴォーカル部では正統派の刻みへ。とりたてて難しい演奏をしているわけではないのに、この力強さと優しさはどうでしょう。
全収録4曲の中で、自らの作曲作品が最も女性らしい演奏で、最も上品で正攻法なのです。心を晒した直球です。
これこそが、詩人の魂と歌心を持つGRACE姉さんのドラムスですよ!

確かに、間奏部のリードギターとドラムスは、ジュリーの歌詞「不公平すぎます」「理不尽です」といったフレーズを受け、やり場のない感情が溢れる、不穏なフレージングとなって表現されています。
しかし、GRACE姉さんのその不穏なスネアのリズムは、「3月8日の雲」や「恨まないよ」で聴かれた”どうしようもない””ただただ悲しい”といった負のイメージよりも、優しさや健気さの方が上回っています。
これはもちろんGRACE姉さん自身の思いによるところもあるのでしょうが・・・ひとつ、鉄人バンドのさりげないアレンジの工夫があることにみなさまお気づきでしょうか。

バンド唯一の女性であるGRACE姉さんの不安や悲しみに、そっと影から力強く寄り添う音。

間奏部、右サイドに注意して聴いてみてください。
柴山さんが、GRACE姉さんのスネアのアタックと寸分違わないリズムで、ディストーション・ギターでのユニゾンのバックアップをしているのです!
ヘッドフォンに不慣れですとなかなか聴き取りにくいかもしれませんが、このアレンジは「Pray~神の与え賜いし」で最も感動的なアイデアだと僕は感じています。
不安の中にいる人を、決して一人にしない。寄り添い、祈る・・・そんな柴山さんの演奏ではないでしょうか。

つまり、柴山さんも下山さん同様に、この曲で追加ギター・トラックの重ね録りをしていることになります(おそらく間奏リード・ギターが一番最後の録音。ジュリーのヴォーカルよりも後のレコーディングであった可能性もあります)。
LIVEでは、この間奏部右サイドのバッキング・トラックはどう再現されるのでしょうか。下山さんがサッとエレキに持ち替えてフォローするのか、それとも割愛されてしまうのか・・・。

いずれにしても、この「Pray~神の与え賜いし」という曲は、優しく穏やかな祈り、寄り添う思いを感じさせるアレンジをまず目指しているのではないか、と考えているところです。

そして、ジュリーの歌詞もきっとそうなんです。
1番で歌われる苦しみ、悲しみ、不安を受けての間奏からいざ2番に入ると、詞の内容はガラリと変わります。長い道のりではあるけれど「粘り切り拓ける、時は味方」なんだ、とハッキリ希望を指し示しています。
時は味方・・・「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」ですね。その気持ちを少しでも多くの人が持つこと、なのでしょう。
1番で憤りや苦しみを歌ったからこその、2番の希望。

1番の「憤り」という点で言うと・・・歌詞中に、「かの人」の「天罰」なる発言が登場します。
実は僕は「かの人」石原氏については、複雑な思いを持っています。

福祉都政について・・・氏の、この場合においての「強き者が弱き者を助けるのは当然」という信念は、尊敬しています。

(先の都知事選で、応援していた宇都宮氏が、前任者石原氏の都政を「福祉切り捨て」と発言したと知った時は「これは勝てない」と思ってしまいました。他都道府県を凌ぐ石原氏の福祉政策に助けられ感謝している社会的弱者の方々とそのご家族・・・そんな多くの都民の浮動票がこれで望めなくなった、と考えたからです。宇都宮氏ほどの人がそんなスタンスに立たねばならないのが選挙戦というものなのかもしれませんが、「前任者の良いところは良いところとして認め引き継ぐ」とひとまず明確にした上で、氏本来の政策を掲げて戦っていれば、投票結果は大きく違ったのではないか・・・と、これはあくまで私見です)

しかしながら石原氏の、「天罰」「些細なこと」「単なるセンチメント」「戦争するぞ」等の発言は、僕にとってはまったく受け入れ難いものです。それこそ、氏が「弱者切り捨ての人だ」と思われたとしてもこれは仕方ない・・・。
ただ「Pray~神の与え賜いし」でのジュリーの歌声を聴くと、「それを怒っているだけではダメなんだ」と言われているように感じます。
怒ることよりも大切な感情があるだろう、と。

僕は昨年の「単なるセンチメント」発言の時は、烈火の如く怒りました。ジュリーの気持ちを「単なる」などと言い捨てるのか、と。
でもそのすぐ後、ジュリーならば「単なるセンチメントの何が悪い?」と涼やかに応えるのではないか、と考え直しました。これは、どの曲のお題の時だったかなぁ・・・記事にも書いたことがあります。
ジュリーについてそう考えるのは、僕自身が「これが僕の気持ちだもの」と言えるかどうか、ということにも繋がっていくのかもしれません。

神が罰など与えるものか。
ジュリーに澄み渡る矜持あり。

それにしてもジュリー、「のたもうた」とはまた、かなり強烈ですよね。
現代で「のたもうた」と言うとそれは、「偉そうに言ってくれやがった」くらいの意味なのでしょうから・・・。

さて、予言しておきます(と、僕などが言わずとも・・・ジュリーファンのみなさまの感性はそれを逃がしはしないでしょうけど)が、CDで聴いた時と生のLIVEを体感した時とで、今回の収録曲中最も印象が変わるのは、この1曲目「Pray~神の与え賜いし」だと僕は考えます。

CDリリース直後の段階で、いくら僕がここで「この曲は優しい曲だ、穏やかな曲だ」と語っても、やはり1番の歌詞や、間奏の荒ぶるリードギターのイメージは相当強く、ある意味「怖さ」を感じながらこの曲に聴き入る方々も多いと考えられます。
それが生のLIVEで歌われ演奏されると、ジュリーのヴォーカルは何処までも優しく、激しい間奏はむしろ美しさをもってすべての人に聴こえるのではないでしょうか。
「Pray~神の与え賜いし」はきっとそういう曲だ、と僕は思っていますが・・・考察が甘いでしょうかねぇ。

今回の新譜では、昨年の『3月8日の雲』収録曲のような、驚異的な高音のメロディーは登場しません。
例えばこの「Pray~神の与えし」の最高音は、高い「ミ」の音。男声としては高いことは高いですが、ジュリーならば余裕で歌える音域です。
長いツアーを通して「歌いきる」ことを重視してそういう設定にしたのか、それとも鉄人バンドの作ったキー通りに歌って結果的にそうなったのか・・・それは分かりません。
しかしこれで、夏からのツアーでの新譜4曲が、最大の表現力と最大の感情と至高の歌声で届けられることは間違いないでしょう。
特にこの「Pray~神の与え賜いし」では、お客さんの様々な不安が癒され、会場全体が穏やかな感動に包まれることを期待しています。

「遂げる日」とはどんな日か。
ジュリーは最後にこう歌います。

♪ 神の与え賜いし 運命だと
  E           B         A        E

  いつか思える日を 与え賜 え
  C#m          F#m     A    B  E

  いつか思える日を ♪
  C#m          F#m


現状では、とてもそんなふうには思えない。でも、そう思える、遂げられる日がいつかきっと来ますように・・・。
それがジュリーの「Pray」=復興への祈り。そして聴き手へのメッセージ。
やっぱりこの曲は、「カガヤケイノチ」から続く、希望を示した歌だと僕は思うのです。

「祈り」と言えば・・・僕はつい先日、「護り給え」と祈る記事を個人的に書かせて頂きました。
病と闘っていらっしゃる先輩は、まだまだ難しい病状ながらも、その後お医者さんが「峠は越えた」と言ってくださった、と娘さんが再度近況をお知らせくださいました。
会話での明確な意志疎通や、身体を動かすことなどは未だなかなか難しいようですが、娘さんがジュリーの新譜を聴かせてあげると、先輩は笑顔を見せていらしたそうです。

多くの人が強い思いを重ねれば、祈りが届いて叶うことがある・・・ジュリーの「祈り」という曲への思いも合わせ、僕はそう信じます。

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