『ISONOMIA』

2017年3月30日 (木)

沢田研二 「揺るぎない優しさ」

from『ISONOMIA』、2017

Isonomia

1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ

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今日は暖かい1日でした。会社の倉庫近くの公園の桜は、今朝の時点ではこんな感じ。

1703300817

明日朝もこのルートを通るつもりで、どのくらいになっているのか楽しみです。
それとは別に、週末には何処かへ出かけて桜を観にいこうと思っています。土曜は天気が悪いらしいので、日曜かな~。まだ「満開」ではないのでしょうが。


さて、前回「ISONOMIA」の記事に書いた通り、僕は今年の新譜2曲について、政治性や社会性を掘り下げてジュリーの歌詞を紐解くことは最早ナンセンスなのではないか、と考えさせられています。
ジュリーのメッセージはごく自然な「人の望み」なのだ、との思いが強くなっているのです。
「ISONOMIA」の記事を書いた翌日、普段からリスペクトしているJ先輩の新譜についての文章をSNSで拝見することができました。
その先輩はいつも新譜リリースやLIVEツアーの度に簡潔かつ本質を突いた素晴らしい考察を書かれるかたで、もうそのまま商業誌に掲載しても良いんじゃないかというくらい僕はその文章に惚れ込んでいるのですが、今年の新譜についてもまた素晴らしいものを読ませて頂いた、と思いました。

先輩は今回ジュリーが「ISONOMIA」なる言葉に託したのは「政治なんてものよりももっと単純(シンプル)な、まっとうな感覚の「願い」であると書かれました。
まったくその通りだと僕も思います(でも僕は前回記事でそういう表現がうまくできませんでした)。
そして「目からウロコ」だったのは、その先輩はお正月に「ISONOMIA」を聴いた時点で「なんとなく国歌のようだ(どの国の、ということではなく)」と感じていたそうです。
なるほど、なるほど・・・言われてみますと本当にそう思えてきます。そうか・・・ジュリーの「ISONOMIA」は、ジョン・レノンの創作に重ねて例えるなら
「イソノミアン・インターナショナル・アンセム」
ということになるのでしょう。

ですから僕は今日の「揺るぎない優しさ」の記事でも、政治的なこととは距離を置いてジュリーの歌詞を考えてみたいと思いますが・・・ただ1点だけ、この枕で触れておきたいのが「震災避難者への住宅支援打ち切り」の問題です。
「揺るぎない優しさ」とは何なのかを考える時、とても重要な問題だと思うからです。

あの震災から今まだ6年。
国は何故そんなに区切りをつけようとするのか、つけたがるのか、理解できません。「この政策はまだ道半ば、これからも継続してゆく」というのは「被災者支援」についてこそ言うべき言葉ではないのでしょうか。
仮設住宅に暮らす被災者の方々の多くが、まだ留まって暮らしてゆきたい」と考えている現実があります。特に福島第一原発周辺地域から避難された方々が、「心身とも安心できる場所で暮らしたい」と望むのは人として当たり前のこと。それは指示区域からの避難、自主避難に関わらず、です。

支援の打ち切りに、「見捨てられてしまうのだろうか」との思いを抱える避難者の方々は当然多くいらっしゃるでしょう。そんな中、「国がやめる、というなら地方自治体が何かできないか」の観点から、住宅、医療などの支援政策を強く打ち出しているのは沖縄県。
全都道府県の中で、福島県はじめ被災地の東日本各県から最も距離が離れている沖縄県をして、何故それらを成し得る志があるのか・・・僕らは今その点をよくよく考える必要があるでしょう。

それでは本題です。
それでは今日のお題「揺るぎない優しさ」。ある意味タイトルチューン「ISONOMIA」をも凌ぐこの名曲について、「脳を熱くして」書いていきたいと思います。伝授!


僕はこの詞を大きく分けて、前半は「被災者の方々の代弁」、後半は「ジュリー自身の決意」というふうに捉えて聴いています(もちろん、ジュリーの意図はそうではないかもしれません)。
とにかく僕はこの歌詞中で、2番の

負けないぞ 脳よ熱くなれ ♪
      D                             E

この箇所が凄く好きなんですね。白井さんのメロディーもここが一番好きです。
「脳よ熱くなれ」・・・ジュリーらしい表現だけど、さぁどういう思いが込められているんだろう?
それが僕の「揺るぎない優しさ」歌詞解釈のとっかかりとなりました。

お正月LIVE初日のMCを思い出します。「震災関連の歌を歌うことについて」あれこれ言われることもある、という感じのことをジュリーは言ったんですね。
でも、全セットリスト22曲を2012年からの新曲で貫き通し、ツアー・タイトルを『祈り歌LOVESONG特集』としたジュリー。今思い返しても、凄いものを観せてくれたなぁと思います。
誰が何と言おうと、自分はこれをやる、と。
かつて、これからの新曲について「もうこのテーマ以外は歌にしない」と言ったジュリーです。雑音も入ってくるのでしょうし、ジュリーを案じアドバイスしてくれる身近な人達もいるのでしょう。それでもジュリーは、歌い続ける限り最後までこの姿勢を変えずやり通すでしょう。
そんな決意を僕は先述の歌詞部に見ます。

熱い純粋な思いこそがその原動力。ジュリー自身がその道にあって挫けそうな時、しんどくなった時
「いやいや、被災者の人達のことを考えたらなんだこれくらい!すべての被災地のために、俺よもっと滾れ!」
という鼓舞。それが「負けないぞ」「脳よ熱くなれ」ではないのでしょうか。
「絶対に忘れない」
「見捨てたりしない」
「区切りなんてつけない」
「ずっと寄り添ってゆく」
と、そんなふうに考えれば

六年無駄に生きてない 六年無理に笑ってない
A     E          F#m    E      A  D        A      E

もっと優しくできたら ずっと一緒に生きていたら
A      E      F#m   E        A    D          A        E

優し さだけが突き刺さる ♪
C#m  D             E       A

このサビの歌詞の何と躍動的で頼もしいことか。
もちろんここも「被災者の代弁」としての要素も考えられますが、僕はジュリーの「ずっと一緒に生きていたら」を、この先への決意と受けとめたいです。

前回記事で、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたように感じる、そのためか、歌声やメッセージから「政治性」が退いているように思う、と書きました。
ずっと一緒に生きてゆく、届けるのは「優しさ」。
もっともっと、優しくなれないか。優しくできないか。
「突き刺さる」というのは一見怖い言葉のようですが、これはもう、「届けたい」一心、被災者の方々の癒えない悲しみを慮っての表現と僕は捉えてみました。

では、この楽曲自体についてはどうでしょうか。
「纏まりの良いポップ・ナンバーに聴こえながら実は細かな仕掛け満載!・・・白井さんさすがの1曲です。
まずはキーがどうなっているかと言うと・・・イントロのコードはC。「ドシラソファミファレ♪」という下降するキラキラしたテーマ・フレーズ(クレジットにキーボードの記載が無いので、これは白井さんがギターで弾いているのでしょうねぇ。どうやってあんな音出すんだろう?ただ、お正月LIVEでは泰輝さんが鍵盤で再現していたと思います)が載って、この時点ではハ長調のように聴こえます。

ところが続いて登場するコード・リフ。「じゃっ、じゃ、じゃ~ん♪」のリズムに合わせてひとさし指を立てて大きく前に腕を突き出すお正月でのジュリーのアクションも記憶新しいですが、ここは「D→G」。「いきなり1音上がりのニ長調に転調か!」と思わせます。
そのまま同じ進行でAメロに突入。この時点で僕は完全に「D」をトニック、「G」をサブ・ドミナントのニ長調と把握して曲を聴いていました。
しかし!

今日も翳んでる 地震もある記憶も
D           Em      C        D       G

ここで楽曲全体のキーが正体を現します。
この曲はイントロからずっとト長調だったのですよ。Gがトニック、Cがサブ・ドミナント、Dがドミナント。
白井さん、聴き手へのミスリードを狙っていると思います。まるで本格ミステリーのような進行ですから。
「C」「D」「G」「Em」・・・ト長調王道のシンプルな4つのコードだけを使ってこんな複雑怪奇な変態進行(←当然、褒めています)が組み立てられるものなんですね。

仕込みは万端、いよいよ曲はサビへと向かいます。
今度こそ1音上がりの転調。その繋ぎ目こそが「揺るぎない優しさ」のメロディー最大の聴かせどころ。

濁流の君よ生き還れ
   D                           E

ドミナントがDからEへ切り替わってのト長調からイ長調への転調です。
伊豆田さんの絶妙なコーラスで、「F.A.P.P」の転調移行部を連想した人もいらっしゃるのでは?

サビはイ長調の王道ポップス進行。転調後のサビで視界が開ける感覚は白井さんの得意技ですが、その中でも今年の「揺るぎない優しさ」のサビは特に美しく潔いメロディーだと思います。
こうしてみると、やはり白井さんも昨年までのバンドメンバー同様ジュリーから「PRAY FOR EAST JAPAN」のコンセプトをリクエストされ、今年の2曲を作曲したのではないでしょうか。
悩み、嘆き、怒り・・・それらすべて含んで到達する力強い決意、だと思います。そこにジュリーが載せた「優しさ」のフレーズに、曲が後押しされているようです。

サビが終わるとト長調に戻って「D→G」のコード・リフ部に戻ります。ただし、イントロでは「C」のコードに載せていたテーマ・フレーズをここに再度登場させた白井さん。リスナーはまたしてもそれと知らずに白井さんの術中に嵌っています。
同じ音色のフレーズ、イントロのリフレインと思いきや、奏でられる音階は「ドシラソファミファレ♪」から「レド#シラソファ#ソミ♪」に変わっているのです。
このパターンのフェイクはかつてジュリー作曲の「睡蓮」や、宮川彬良さん作曲の「神々たちよ護れ」でも採り入れられていました。「睡蓮」は確実、もしかすると「神々たちよ護れ」についても、それはアレンジ段階での白井さんのアイデアだったのかもしれない、と今回「揺るぎない優しさ」を聴いて考えた次第です。

さぁ、そんな白井さんの名曲がどのようなレコーディング音源に仕上がったか・・・今年は演奏メンバーもガラリと変わりました。おなじみのステージ・バンドの音がCDで聴けないのは寂しくもありますが、「揺るぎない優しさ」の演奏は本当に素晴らしいです。

ギターは当然白井さん、ベースが『JULIE with THE WILD ONES』以来となる上田健司さん。磐石の弦楽器布陣に加えて、ドラムスは初のジュリー・ナンバー参加となるオータコージさん。なんとなんと、3人のプロフェッショナルによる共演でこの曲の演奏を先導し楽曲を音の面から色づけしているのは、一番若いオータさんのように僕には聴こえました。これには驚きました。
白井さんのメロディー、アレンジのポップ性からすると、「揺るぎない優しさ」はもっとキュートな仕上がりになって不思議はないんですけど、どうですかこの破天荒なラウド感、美しいメロディーを包むロック魂。
オータさんのドラムスに引っ張られるようにして、白井さんのギターも上田さんのベースも最高にカッコ良いモッズ・サウンドになっているという・・・ヴォーカルのジュリーとバックの3人がお揃いの「青・赤・白」のスーツを着て演奏するPV映像すら妄想できるほどです。
そう、これはザ・フーのサウンドに近いです。その点については「ISONOMIA」よりさらに鮮烈。

元々ザ・フーはコード・リフ・ロックの王者でもあります。60年代で言うとストーンズやキンクスなどもコード・リフをオハコとしますが、あくまでギタリスト主導。
でも、フーの場合はドラマー(キース・ムーン)による「キメのリフに向かう」直前までのお膳立てのフィルで大暴れする曲が目立ちます。

そこで改めて「揺るぎない優しさ」をオータさんのドラムスに着目して聴いてみましょう。
普通ならばこの構成なら
「つつたつ、つつたつ、どん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と、リフそのものをオカズと捉えて直前まではエイト・ビートで叩くところです。
ところがオータさんは
「どんたかたかたかたかたかどこどこどん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と行くんです。
その効果で、キメのリフのリズムがギター、ベース、ドラムスで揃った時の破壊力が増すというわけ。
こんなドラム叩かれたら、そりゃあジュリーも「ワシもリフの箇所では身体の動きでバンドの音符割りに合わせにゃ!」と思ってしまうはずですよ~。

オータさんのドラムスの見せ場はまだまだあって、1番Aメロ1回し目のタム攻撃がこれまたキース・ムーンばりのモッズ魂が炸裂する名演。
さらには2番Aメロはうってかわって「じゃ、じゃ!」の全楽器刻みの裏で鬼のキック連打です。
しかもエイト・ビートへと移行するフィルの繋ぎ目でキックが止まってない!こんなに足クセのききわけがない(←ドラマーにとっては最高の褒め言葉のはずです)ドラムスは久しぶりに聴いたように思います。
ベテランの白井さんと上田さんも、今回オータさんのドラムスに「乗った!」といわんばかりの一体感。「揺るぎない優しさ」は数あるジュリー・ナンバーの中で演奏面においても特筆すべき1曲となりました。

僕はオータさんのドラムスを意識して聴くのはたぶん今回が初めて(それと知らずに何かの曲を聴いたことがある可能性は相当高いですが)。
色々と調べると、いとうせいこうさんと「NO NUKES」フェスに出演されるなど、ジュリーとは普段からの志も共鳴できる演者さんなのかなぁ、と。
今後継続してのジュリーの新曲への参加を楽しみにしたいと思います。


僕は今年もジュリーの新譜を大いに気に入って繰り返し聴いています。
もちろん2曲いずれも政治や社会問題と無関係な歌ではない・・・むしろ関係は大です。でも、考察記事でそうしたことを中心に書かなかったのは、僕の中に「無関心」や「諦念」が無くなったからだとも思います。
僕は、ジュリーのメッセージに含まれる様々な事柄について「歌を聴いた時」だけでなく、もう普段から考えられるようになりました。そうして暮らしていると、雲の上の上、遥かに遠い憧れの存在であるジュリーがとても近しい人のように思えてくる時があります。
その僕の感覚は、昨年の「un democratic love」が決定的だったかなぁ。
同じ気持ちは今年の新譜でも継続しています。まだまだ悩み迷いながら、ではありますけど。

気になるのは夏からの全国ツアー。「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょうが、カップリングの位置づけとなる「揺るぎない優しさ」はどうでしょうか。
CD音源を聴く前と後では生で体感した時の印象もずいぶん違いますし(2009年の『Pleasure Pleasure』収録曲がそうでした)、この名曲をお正月ただ1度しか聴けないままでは寂し過ぎます。
ここはやっぱり「今年の新曲」は2曲とも歌ってくれる、と予想したいです。僕が参加できなかったお正月LIVEの何処かの会場では、「シングル(A面)曲50曲以外も少し足す」という感じのMCもあったと聞いていますし、それなら「プラス数曲」の中に「揺るぎない優しさ」は入ってくるのではないでしょうか。
期待したいと思います。


それでは次回から、また時代を行き来しながら数々のジュリー・ナンバーの名曲についてビッシビシ更新していきます。
まず4月前半は、「この曲のこの演奏に痺れる」シリーズとして数曲を採り上げたいと思っています。
ジュリー・ナンバーの演奏はどれも素晴らしいのですが、まだ記事にしていない名曲の中から、特に好きな演奏パートを楽器ごとに厳選し1曲ずつ書いていこうという趣向です。
もちろん「楽器ごとに」とは言ってもたった1曲に絞れるはずもなく、「数あるミュージシャンの、数ある名演の中からこの機会に」という採り上げ方になりますが。

次回の第1弾は「ドラムス編」。
ジュリーはこれまで本当に多くの凄いドラマーを迎えてレコーディングしステージを共にしています。
僕個人としてはやはり「現在のジュリー」を支え続けるGRACE姉さんと、デビュー50周年の1年目を飾ったザ・タイガースのドラマーであるピーの2人を熱烈推し。
ただ、今日オータコージさんのことを書いたように、まだまだ素晴らしいドラマーの名演によるジュリー・ナンバーの傑作は幾多の例があります。
その中で、「このアルバム1枚きり」参加のレア度、「この人の音は圧倒的に違う」という類稀な個性に着目し、湊雅史さんの演奏を採り上げてみたいと思います。

もちろん書くのは楽器演奏のことだけではありませんが、とりあえずしばらくの間は文量よりも更新頻度を第一とし、今度こそ(汗)短めのコンパクトな記事でどしどし書いていきます。よろしくお願い申し上げます。
ということで、次回お題はアルバム『HELLO』から!

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2017年3月24日 (金)

沢田研二 「ISONOMIA」

Isonomia

1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ

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ずいぶんご無沙汰してしまいました(汗)。
全国ツアー前半の申し込みも終わり、みなさまも今は「さぁ、後半どうしようか」とスケジュールと睨めっこしている最中でしょうか。

僕は前半の申し込みは2会場に抑えました。と言うのも、新年の目標に掲げた通り今年のツアーは1人でも多くの友人、知人に生のジュリーLIVEを体感して貰いたく・・・方方に声がけした結果、それらすべてが後半日程の会場に集中しましてね。
後半は凄い枚数の申し込みとなる予定です。払込票の会場振り分けがどうなるか分かりませんが、参加氏名記入欄が足りないかも・・・「○○夫妻」とか「誰それ2枚」とか、なんとか工夫するつもりですが(笑)。

前半に申し込んだのは、初日NHKホールと大宮。
ただ、これがいずれも抽選という・・・初日の第2希望を京都、大宮の第2希望を静岡としたので、落選したらいずれも遠征ですな~。
大宮は例によってYOKO君と2人分の申し込みですが、さすがに彼は落選振替の静岡までは来れないのでその時はカミさんと行き、せめてYOKO君のぶんだけでも八方手をつくして大宮のチケットを探し求めなければならなくなるでしょう。
そんな事情もあって、今回はどちらかと言うと落選するなら初日の方がまだ良いかな、と思っています。京都に参加となったらお会いしたい人もたくさんいますし、久々の「ネタバレ我慢」の試練も悪くはないかなぁ。
2会場ともすんなり当選、というのが理想ですけどね。


さて本題です。
今年も3月11日のリリースとなった5ジュリーの50周年メモリアルな新譜『ISONOMIA』。
みなさま聴かれましたよね。僕はもう100回以上はリピートしているはずです。
今年も気合入れて全曲(と言っても今回は2曲のみ・・・ちょっと寂しい気もします)考察記事を書くわけですが、想定外に執筆に時間がかかっています。

2曲ともに「前を向いた力強い新曲」と言って良いでしょう。僕は2015年の『こっちの水苦いぞ』までの4枚と昨年の『un democratic love』の間で劇的に歌の受け止め方が変わって、「前向き」の明るさについては昨年から感じていました。
聴いていて元気が出てくる感覚、血沸き肉踊る感覚。でも『un democratic love』への僕のその感想に先輩方の賛同は少なかったです。「苦しい」「切なくなる」とのご感想の方が圧倒的に多かった・・・ただ、今年の新譜はそうではないでしょう。
曲調も明るく、ジュリーの歌に悲壮の空気はありません。個人的には昨年から既にジュリーはそうだった、と思っていますがひとまずそれは置いておいて、「これならファン以外の一般の方々にも是非聴いて欲しい」と多くのジュリーファンが考えることのできる、そんな新曲が今年は届けられたのではないでしょうか。

「にもかかわらず」なのかむしろ「必然」なのか・・・僕が何をそんなに考え悩んだかと言うと。
昨年と違って、この新曲のジュリーの詞に「政治性」「社会性」を持ち込みたくない、それはもうナンセンスなのではないか、と思ってしまったのです。
この素晴らしいヴォーカルに「これは政治的な歌」だと念押しする必要がそもそもあるのか?と。
昨年の僕は、特に「un democratic love」の考察でここぞとばかりに歌の政治性、社会性を掘り下げたものです。そうすることに何も躊躇いはありませんでした。
でも今年は・・・。
同じように素晴らしい歌でも、僕は昨年のジュリーには「怒り」を思いました。諦念や慟哭をまったく感じないのは今年の2曲も同じですけど、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたようです。

「怒り」を肝に据えてジュリーが届けるのは「優しさ」。
何のために歌うのか、誰のために歌うのか。周囲から色々と言われることがあっても、いやいや「被災地のために、もっと滾れ自分!」と自らを鼓舞し(これは「揺るぎない優しさ」最大の聴きどころである「負けないぞ、脳よ熱くなれ♪」の1音上がり転調部を聴いて僕が感じたことです)、伝えたい言葉が究極に「被災者第一」「常民第一」に向かった結果、逆にジュリーの歌声から「政治性」がサッと退いていったように思えてならないのです。

ただただ、ジュリーの今の歌がそこにある感覚。
力強いけど過剰な力みはない。淡々としているようで凄まじくエモーショナル。
素晴らしい音楽、歌声です。ロックってやっぱり、外見も中身も志も作品も「カッコイイ」人がやってこその音楽なわけで、その意味では、この国でジュリーにしか踏み込めない道がこの新譜に開けています。
まず今日はタイトルチューンの1曲目「ISONOMIA」。
正直、歌詞解釈には「こうだ!」というところまで今の僕は辿り着けていませんが、今年も大いにジュリーの歌に元気づけて貰えたので、魂込めて書きます。伝授!


みなさま、「ISONOMIA」なんて言葉をこれまでご存知でしたか?僕はまったく知りませんでしたよ・・・。

実は僕は昨年12月早々にJASRACさんの登録を見て、今年の新譜のタイトル、クレジットを把握しました。
すぐに「ISONOMIA」の意味を調べると、「古代イオニアの政体」なる難しい解説があり、その政体とは「自由と平等が対立せず、自由であることがそのまま平等であり、逆もまた真」・・・う~ん、なかなかひと呑みにはできません。
耳慣れぬ言葉なので僕はその時「イソノミア」の5文字がなかなか覚えられず、忘年会でお会いした先輩お2人に新曲のお話をした際にも「え~と、え~と」となかなかタイトルが出て来ず、携帯でカンニングして「白井さんの作曲で、イソノミアって言うらしいです」とお伝えしたら、先輩のうちのおひとりが「磯の宮」と聞き違えて大笑い。おかげで僕はその日以降「磯の宮→ISONOMIA」と連想でタイトルを覚え込むことができたわけですが、お正月LIVEアンコール前の新曲紹介MCではジュリー自身も、「”磯の宮”ではありません、みたいなことをMCで言ってくれたりしてね。
「無支配」という意味なのだ、と。

言葉の意味を調べた時には、これは相当に政治性の強い歌詞だろうと予想しました。おそらく「格差があった方が都合が良い人達」を批判する内容なのかなと。
でもお正月に聴いた時は歌詞の細かな部分は把握できず、今回改めてCDでじっくり聴いてみると、意外や政治性の強さは感じず・・・もちろん社会性の高いメッセージ・ソングではありますが、「武骨なロック」として構えることなくいい歌だなと感じたのが第一印象。
そのぶん、解釈も難しいのです。
昨年の「un democratic love」のように、「ジュリーの歌詞一字一句すべてが腑に落ちる」という感覚は無いので、ウンウンと唸りながらジュリーのメッセージを読み解こうとしました。

テーマは原発。これはハッキリしています。
僕は最近よく思うんですけど、「脱原発」を望む考え方って果たして「政治的」なんだろうか、と。
頭をフラットにしてこの問題を考えた時、原発に反対する人達の「反対」理由はよく分かります。政治的な考え方はさておいても、「あんな事故が起こったんだから、もうやめようじゃないか」ということですよね。
でも、今なお「原発推進」を唱えるの人達の「推進」理由はよく分からない・・・それが正直なところ。
経済系の新聞が揃って「推進」であるからにはそれなりに理由があるんでしょうけど、細かく論説を読んでみても「そりゃあそうかも」と思える文章には出逢ったことがありません。むしろ何かを伏せているような違和感を感じることの方が多いです。
それがジュリーの歌う「欲望」なのでしょうか。

そこで「ISONOMIA」。

原子力 no!no! 無支配OK! ♪
D    E   F     G     F     G   A

ジュリーは「ISONOMIA=無支配」の対義語を
「原子力=支配」
としました。思えばジュリーは2013年リリースの「Fridays Voice」で既に「原発=支配」を歌っていますよね。
では、「ISONOMIA」に相い対する支配者とは誰なのか。ジュリーは「HIERARCHY」だと歌います。
とすればやっぱりこれは「格差社会」へのアンチテーゼ、政治性の強い歌ということにもなるのかな。
どうもうまく頭が纏まりません・・・。

解っちゃいないから止められない
D                        E

恥知らぬ人間の性 ♪
   A                 D

この表現などはかなり痛烈ですよね。大衆に膾炙したフレーズ「分かっちゃいるけどやめられない」を転じて、「解っちゃいないからやめられない」。
ジュリーが「止められない」と詞で漢字を当てはめているのは、本来「とめられない」との発音で歌いたいからでしょう。お正月がどうだったかは最早確認の術もありませんが、夏からのツアーでは「とめられない」とハッキリ歌うことも考えられます。

この記事執筆時点で稼働中の日本の原発3基のうち2基は、九州電力・鹿児島川内原発にあります。
そして、今年のジュリーの全国ツアーには鹿児島公演が組まれています。なかなかイイ感じのスケジュール(木曜日の祝日)ではありますが、今年は4月に母親の17回忌で一度帰省する予定があるので、懐の事情で僕は無念ながら参加を断念・・・ジュリーには是非、宝山ホール公演で「恥知らぬ」現知事に「解っちゃいないからとめられない」をお見舞いして目を覚まさせて欲しい、と考えてしまいます。
でもね、本当は「ISONOMIA」ってそういう過激な歌、声高に政治性を掲げる歌ではない、と思うんですよ。
今、「原発やめよう」という声はきっと政治などは関係なく、この国の「豊かな海」「豊かな里」「豊かな山」を愛する気持ちから出ているものがほとんどで、ジュリーもそうなのだと感じます。

さらに言うと「豊かな人」「faithful」とは僕らからすれば正にジュリーその人のこと。
「faithful」って素敵な英フレーズです。辞書を引くと「誠実な」とあり、「信頼できる人」こそ豊かな人=ジュリーと言って良いのではないでしょうか。
「ISONOMIA」は、「信頼できる人が歌う、信頼できる歌」だと思います。色々と考えあぐねて記事執筆が遅れましたが、僕はひとまずそんなふうにジュリーのこの詞、この歌を聴いているところ。
腑に落ちる歌詞解釈については、2015年リリースの「泣きべそなブラッド・ムーン」の時のように、みなさまからのコメントを拝見して「そうか!」という目からウロコなパターンを期待しています(他力本願汗)。

では次に「音」について。
こちらは「完璧」とまでは言えませんが、合ってるのかどうなのかは分からないなりにも、もう最初から最後までギター弾けるようになってますから!
やっぱりギター1本の伴奏というのは、コピーも燃えるものがありますね~。

それにしても、デビュー50周年に放つシングルにエレキ1本で歌う曲を持ってくるとは・・・。
攻めてますよ、ジュリーも白井さんも。
まずCDで聴いて驚いたのは、「音源にハンドクラップは入ってないのか!」と。
僕はてっきり白井さんのアレンジが「ギター+ハンドクラップ」に仕上がっていて、お正月にバンドメンバーがそれを再現してくれたものとばかり考えていました。
記憶がハッキリしないのですが、バンドが先導してくれたハンドクラップは基本「2、4」の裏拍で、Aメロ1回し目の「ここ!」という箇所で「ん・た・たん!」と変えてきていたように覚えています。てっきり「音源はこうなっているよ」と伝えてくれているんだろうな、とその時には思い込みましたが違ったんですね。
あの手拍子は、1人で伴奏する柴山さん以外の3人のメンバーが事前にお客さんのために練り上げてくれたパフォーマンスだったわけです。

とすれば、あの「キメ」の手拍子には理由づけがあるはずで、これは
「シンプルに聴こえるかもしれないけど、ジュリーの歌は同じメロディーを繰り返してはいないよ」
と、曲の「肝」を教えてくれていたんですね~。「ここは力強く!」というメロディーの箇所で手拍子に変化をつけてくれたんじゃないかなぁ。

自然の  底力   は 何よ  り強い ♪
A     Aadd9  Asus4  A   Aadd9  A  B(onA)

Aメロの歌詞1行目と2行目(続く3行目と4行目も同様)はそれぞれ全く異なる旋律。
ギター・リフでグイグイと攻めながらも、長年ジュリーのアレンジに携わってきた白井さんは「歌の表現者」ジュリーの真髄を心得ていて、「開放するメロディー」と「溜めるメロディー」の2パターンを用意しました。
バンドメンバーはその「開放」のメロディー(1番で言えば1行目と3行目)に手拍子の変化を以って、白井さんの工夫を伝えてくれたのではないでしょうか。
これはCDを聴いて初めて分かったことです。

ギター・リフの進行がこれまたトリッキーで、トニックにadd9とsus4を絡めるコード・リフまでは王道なんだけど、最後に「じゃ~ん♪」と突き放す和音がね、ギターならではと言うか、白井さんらしいと言うか。
先述の通り、コード表記するなら「B(onA)」とするしかないと思いますが、単にBの構成音(「シ・レ#・ファ#」)にルートのA(「ラ」)を加えただけでは白井さんの弾いている音にはならなくて、ここでは不協スレスレの「ミ」の音が同時になっています。
これを鍵盤で弾くと、左手で「ラ」、右手で「シ・レ#・ミ・ファ#」となり、結構気持ち悪い響きになりますが、ギターでは「ミ」の音を1弦開放で「他の音をぼんやりと包みこむように鳴らす」ことが可能。なんとも不思議な魅力が漂う和音となります。
これはジュリーのヴォーカルの語尾が明快に伸びている(「シ・レ#ファ#」のBでラの音を歌う、という時点で難易度高し。それをごくごく普通にロングトーンで澱みなく聴かせるジュリーは凄い!)からこそ生きる伴奏の響き、とも言えましょう。

さらに、「同じメロディーを反復させない」白井さんのこだわりは、サビ部でも強烈に表れています。
いや、音階を違えているのは最後の1音だけなんですけど、本当に目立つところですからお気づきの方も多いでしょう・・・「ISONOMIA」のサビは1番、2番、3番すべて着地の音階が違うんですよね。
1番の

無支配ISONOMIA♪
F#m D      E      A

は、「ファ#~ソ#~ラ~シ~、ド#~レド#~シ~ミ~♪」というメロディー。この曲の最高音である高い「ミ」の音に跳ね上がっての着地です。
それが2番「支配者HIERARCHY♪」では「・・・ド#~シ~ド#~♪」と宙に放り投げるような感触の着地。
3番「無支配ISONOMIA♪」では「・・・ド#~シ~ラ~♪」と端正にトニックまで下降するメロディーでバシッ!と〆てくれます。
ジュリーは当然作詞の際に3つのメロディーの違いに気づいていたはずですから、詞と合わせて考えると、「高らかに声を上げる」1番、「支配に疑問を投げかける」2番、「地に根を張る志を歌う」3番、とそれぞれの音階を合わせた解釈もできそうです。

白井さんのジュリーへの楽曲提供は、2009年の「満タンシングル」(ジュリー談)『Pleasure Pleasure』のタイトルチューン「Pleasure Pleasure」以来ですから本当に久しぶり(その間、白井さんのソロ名義で「聴こえなかったシグナル」でタッグを組んでいますが)。
白井さんは大いに張り切り、過去の自身作曲のジュリー・ナンバーを超えてやろう、と考えたでしょう。
ジュリーへの提供曲で白井さん自身が「エポックだった」と語っているのが「ROCK'N ROLL MARCH」。今年の「ISONOMIA」にはこの曲との共通点が多く、なおかつその時にはやれなかったことをやってしまおう」という意欲が見られます。

お正月LIVE大トリで初めて「ISONOMIA」を体感した時、エレキ1本の伴奏にド肝を抜かれた僕は、「爆音のエレキ弾き語りでメッセージ・ソングをブチかます」ニール・ヤングのスタイルを連想しましたが、実際にCDを聴いてみると、ニールとはちょっと違いました。
荒々しいけど緻密、ラウドだけど知的・・・この曲のギターの組み立てにはザ・フーのサウンドを想起させられます(カップリングの「揺るぎないやさしさ」の方てはギターのみならずドラムスもそうです)。
ただ、メロディーについてはそれだけじゃなくて。
パワーポップのようでもあるし、オールディーズのようでもあり・・・とにかく、立ち上がりたくてムズムズするこの感覚は何だろう、と。
で、3番の最後のトニックに着地するサビメロを聴いて、「あっ、クイーンの”RADIO GA GA”と雰囲気がよく似ているんだ」と気がつきました。音階も譜割も、フレーズの置き方も。

クイーンのナンバーには、「お客さんがキメのハンドクラップで参加しステージと一体になる」LIVE定番曲が2つあります。「RADIO GA GA」と「ウィ・ウィル・ロック・ユー」です。
僕は昨年クイーン+アダム・ランバートの日本武道館公演を観ましたが、もちろんこの2曲は本割のトリとアンコール1発目という重要な位置で演奏されました。「RADIO GA GA」で総立ちのお客さんがハンドクラップと共にステージに熱を送り込んだあの感覚は、お正月の「ISONOMIA」と重なります。
そうか・・・白井さん、去年のあの武道館にいたに違いない!(←推測です汗)

「ROCK'N ROLL MARCH」が「ウィ・ウィル・ロック・ユー」なら「ISONOMIA」が「RADIO GA GA」でも不思議ではありません。
還暦のジュリーと、デビュー50周年のジュリー。白井さんが捧げたエポックは、いずれも「ステージの熱気」。LIVE歌手・ジュリーへのリスペクトではないでしょうか。

タイガースのデビュー曲「僕のマリー」から、最新シングル「ISONOMIA」まで・・・ジュリーが選ぶ50曲。インフォメーションにもある通り、今年の全国ツアーで「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょう。
クイーン+アダム・ランバートの武道館じゃないけど、ジュリーは「ISONOMIA」をセットリスト本割トリで歌ってくれる、と僕は予想しておきます!


それでは次回お題は当然、「揺るぎない優しさ」です。
あの震災から6年。この曲の考察では、避難を余儀なくされた人達への住宅援助打ち切りの問題について少し触れたいとは考えています。
ですが今回冒頭に書いたように、僕は今年の2曲について社会性、政治性を絡めて歌詞を紐解くことに抵抗も感じています。その解釈は自分の肝に秘めていれば良い、発信するのは為政への批判ではなくて、「優しさ」のみで良いのではないか、と思い悩みます。

その上で色々と考えるのがなかなか難しい・・・うまく考察を纏めることができるかどうか怪しいですがとにかく気合だけは入れて、脳を熱くして書きます。
1週間ほどお時間くださいね!

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