沢田研二 「揺るぎない優しさ」
from『ISONOMIA』、2017
1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ
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今日は暖かい1日でした。会社の倉庫近くの公園の桜は、今朝の時点ではこんな感じ。
明日朝もこのルートを通るつもりで、どのくらいになっているのか楽しみです。
それとは別に、週末には何処かへ出かけて桜を観にいこうと思っています。土曜は天気が悪いらしいので、日曜かな~。まだ「満開」ではないのでしょうが。
さて、前回「ISONOMIA」の記事に書いた通り、僕は今年の新譜2曲について、政治性や社会性を掘り下げてジュリーの歌詞を紐解くことは最早ナンセンスなのではないか、と考えさせられています。
ジュリーのメッセージはごく自然な「人の望み」なのだ、との思いが強くなっているのです。
「ISONOMIA」の記事を書いた翌日、普段からリスペクトしているJ先輩の新譜についての文章をSNSで拝見することができました。
その先輩はいつも新譜リリースやLIVEツアーの度に簡潔かつ本質を突いた素晴らしい考察を書かれるかたで、もうそのまま商業誌に掲載しても良いんじゃないかというくらい僕はその文章に惚れ込んでいるのですが、今年の新譜についてもまた素晴らしいものを読ませて頂いた、と思いました。
先輩は今回ジュリーが「ISONOMIA」なる言葉に託したのは「政治なんてものよりももっと単純(シンプル)な、まっとうな感覚の「願い」であると書かれました。
まったくその通りだと僕も思います(でも僕は前回記事でそういう表現がうまくできませんでした)。
そして「目からウロコ」だったのは、その先輩はお正月に「ISONOMIA」を聴いた時点で「なんとなく国歌のようだ(どの国の、ということではなく)」と感じていたそうです。
なるほど、なるほど・・・言われてみますと本当にそう思えてきます。そうか・・・ジュリーの「ISONOMIA」は、ジョン・レノンの創作に重ねて例えるなら
「イソノミアン・インターナショナル・アンセム」
ということになるのでしょう。
ですから僕は今日の「揺るぎない優しさ」の記事でも、政治的なこととは距離を置いてジュリーの歌詞を考えてみたいと思いますが・・・ただ1点だけ、この枕で触れておきたいのが「震災避難者への住宅支援打ち切り」の問題です。
「揺るぎない優しさ」とは何なのかを考える時、とても重要な問題だと思うからです。
あの震災から今まだ6年。
国は何故そんなに区切りをつけようとするのか、つけたがるのか、理解できません。「この政策はまだ道半ば、これからも継続してゆく」というのは「被災者支援」についてこそ言うべき言葉ではないのでしょうか。
仮設住宅に暮らす被災者の方々の多くが、まだ留まって暮らしてゆきたい」と考えている現実があります。特に福島第一原発周辺地域から避難された方々が、「心身とも安心できる場所で暮らしたい」と望むのは人として当たり前のこと。それは指示区域からの避難、自主避難に関わらず、です。
支援の打ち切りに、「見捨てられてしまうのだろうか」との思いを抱える避難者の方々は当然多くいらっしゃるでしょう。そんな中、「国がやめる、というなら地方自治体が何かできないか」の観点から、住宅、医療などの支援政策を強く打ち出しているのは沖縄県。
全都道府県の中で、福島県はじめ被災地の東日本各県から最も距離が離れている沖縄県をして、何故それらを成し得る志があるのか・・・僕らは今その点をよくよく考える必要があるでしょう。
それでは本題です。
それでは今日のお題「揺るぎない優しさ」。ある意味タイトルチューン「ISONOMIA」をも凌ぐこの名曲について、「脳を熱くして」書いていきたいと思います。伝授!
僕はこの詞を大きく分けて、前半は「被災者の方々の代弁」、後半は「ジュリー自身の決意」というふうに捉えて聴いています(もちろん、ジュリーの意図はそうではないかもしれません)。
とにかく僕はこの歌詞中で、2番の
負けないぞ 脳よ熱くなれ ♪
D E
この箇所が凄く好きなんですね。白井さんのメロディーもここが一番好きです。
「脳よ熱くなれ」・・・ジュリーらしい表現だけど、さぁどういう思いが込められているんだろう?
それが僕の「揺るぎない優しさ」歌詞解釈のとっかかりとなりました。
お正月LIVE初日のMCを思い出します。「震災関連の歌を歌うことについて」あれこれ言われることもある、という感じのことをジュリーは言ったんですね。
でも、全セットリスト22曲を2012年からの新曲で貫き通し、ツアー・タイトルを『祈り歌LOVESONG特集』としたジュリー。今思い返しても、凄いものを観せてくれたなぁと思います。
誰が何と言おうと、自分はこれをやる、と。
かつて、これからの新曲について「もうこのテーマ以外は歌にしない」と言ったジュリーです。雑音も入ってくるのでしょうし、ジュリーを案じアドバイスしてくれる身近な人達もいるのでしょう。それでもジュリーは、歌い続ける限り最後までこの姿勢を変えずやり通すでしょう。
そんな決意を僕は先述の歌詞部に見ます。
熱い純粋な思いこそがその原動力。ジュリー自身がその道にあって挫けそうな時、しんどくなった時
「いやいや、被災者の人達のことを考えたらなんだこれくらい!すべての被災地のために、俺よもっと滾れ!」
という鼓舞。それが「負けないぞ」「脳よ熱くなれ」ではないのでしょうか。
「絶対に忘れない」
「見捨てたりしない」
「区切りなんてつけない」
「ずっと寄り添ってゆく」
と、そんなふうに考えれば
六年無駄に生きてない 六年無理に笑ってない
A E F#m E A D A E
もっと優しくできたら ずっと一緒に生きていたら
A E F#m E A D A E
優し さだけが突き刺さる ♪
C#m D E A
このサビの歌詞の何と躍動的で頼もしいことか。
もちろんここも「被災者の代弁」としての要素も考えられますが、僕はジュリーの「ずっと一緒に生きていたら」を、この先への決意と受けとめたいです。
前回記事で、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたように感じる、そのためか、歌声やメッセージから「政治性」が退いているように思う、と書きました。
ずっと一緒に生きてゆく、届けるのは「優しさ」。
もっともっと、優しくなれないか。優しくできないか。
「突き刺さる」というのは一見怖い言葉のようですが、これはもう、「届けたい」一心、被災者の方々の癒えない悲しみを慮っての表現と僕は捉えてみました。
では、この楽曲自体についてはどうでしょうか。
「纏まりの良いポップ・ナンバーに聴こえながら実は細かな仕掛け満載!・・・白井さんさすがの1曲です。
まずはキーがどうなっているかと言うと・・・イントロのコードはC。「ドシラソファミファレ♪」という下降するキラキラしたテーマ・フレーズ(クレジットにキーボードの記載が無いので、これは白井さんがギターで弾いているのでしょうねぇ。どうやってあんな音出すんだろう?ただ、お正月LIVEでは泰輝さんが鍵盤で再現していたと思います)が載って、この時点ではハ長調のように聴こえます。
ところが続いて登場するコード・リフ。「じゃっ、じゃ、じゃ~ん♪」のリズムに合わせてひとさし指を立てて大きく前に腕を突き出すお正月でのジュリーのアクションも記憶新しいですが、ここは「D→G」。「いきなり1音上がりのニ長調に転調か!」と思わせます。
そのまま同じ進行でAメロに突入。この時点で僕は完全に「D」をトニック、「G」をサブ・ドミナントのニ長調と把握して曲を聴いていました。
しかし!
今日も翳んでる 地震もある記憶も
D Em C D G
ここで楽曲全体のキーが正体を現します。
この曲はイントロからずっとト長調だったのですよ。Gがトニック、Cがサブ・ドミナント、Dがドミナント。
白井さん、聴き手へのミスリードを狙っていると思います。まるで本格ミステリーのような進行ですから。
「C」「D」「G」「Em」・・・ト長調王道のシンプルな4つのコードだけを使ってこんな複雑怪奇な変態進行(←当然、褒めています)が組み立てられるものなんですね。
仕込みは万端、いよいよ曲はサビへと向かいます。
今度こそ1音上がりの転調。その繋ぎ目こそが「揺るぎない優しさ」のメロディー最大の聴かせどころ。
濁流の君よ生き還れ
D E
ドミナントがDからEへ切り替わってのト長調からイ長調への転調です。
伊豆田さんの絶妙なコーラスで、「F.A.P.P」の転調移行部を連想した人もいらっしゃるのでは?
サビはイ長調の王道ポップス進行。転調後のサビで視界が開ける感覚は白井さんの得意技ですが、その中でも今年の「揺るぎない優しさ」のサビは特に美しく潔いメロディーだと思います。
こうしてみると、やはり白井さんも昨年までのバンドメンバー同様ジュリーから「PRAY FOR EAST JAPAN」のコンセプトをリクエストされ、今年の2曲を作曲したのではないでしょうか。
悩み、嘆き、怒り・・・それらすべて含んで到達する力強い決意、だと思います。そこにジュリーが載せた「優しさ」のフレーズに、曲が後押しされているようです。
サビが終わるとト長調に戻って「D→G」のコード・リフ部に戻ります。ただし、イントロでは「C」のコードに載せていたテーマ・フレーズをここに再度登場させた白井さん。リスナーはまたしてもそれと知らずに白井さんの術中に嵌っています。
同じ音色のフレーズ、イントロのリフレインと思いきや、奏でられる音階は「ドシラソファミファレ♪」から「レド#シラソファ#ソミ♪」に変わっているのです。
このパターンのフェイクはかつてジュリー作曲の「睡蓮」や、宮川彬良さん作曲の「神々たちよ護れ」でも採り入れられていました。「睡蓮」は確実、もしかすると「神々たちよ護れ」についても、それはアレンジ段階での白井さんのアイデアだったのかもしれない、と今回「揺るぎない優しさ」を聴いて考えた次第です。
さぁ、そんな白井さんの名曲がどのようなレコーディング音源に仕上がったか・・・今年は演奏メンバーもガラリと変わりました。おなじみのステージ・バンドの音がCDで聴けないのは寂しくもありますが、「揺るぎない優しさ」の演奏は本当に素晴らしいです。
ギターは当然白井さん、ベースが『JULIE with THE WILD ONES』以来となる上田健司さん。磐石の弦楽器布陣に加えて、ドラムスは初のジュリー・ナンバー参加となるオータコージさん。なんとなんと、3人のプロフェッショナルによる共演でこの曲の演奏を先導し楽曲を音の面から色づけしているのは、一番若いオータさんのように僕には聴こえました。これには驚きました。
白井さんのメロディー、アレンジのポップ性からすると、「揺るぎない優しさ」はもっとキュートな仕上がりになって不思議はないんですけど、どうですかこの破天荒なラウド感、美しいメロディーを包むロック魂。
オータさんのドラムスに引っ張られるようにして、白井さんのギターも上田さんのベースも最高にカッコ良いモッズ・サウンドになっているという・・・ヴォーカルのジュリーとバックの3人がお揃いの「青・赤・白」のスーツを着て演奏するPV映像すら妄想できるほどです。
そう、これはザ・フーのサウンドに近いです。その点については「ISONOMIA」よりさらに鮮烈。
元々ザ・フーはコード・リフ・ロックの王者でもあります。60年代で言うとストーンズやキンクスなどもコード・リフをオハコとしますが、あくまでギタリスト主導。
でも、フーの場合はドラマー(キース・ムーン)による「キメのリフに向かう」直前までのお膳立てのフィルで大暴れする曲が目立ちます。
そこで改めて「揺るぎない優しさ」をオータさんのドラムスに着目して聴いてみましょう。
普通ならばこの構成なら
「つつたつ、つつたつ、どん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と、リフそのものをオカズと捉えて直前まではエイト・ビートで叩くところです。
ところがオータさんは
「どんたかたかたかたかたかどこどこどん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と行くんです。
その効果で、キメのリフのリズムがギター、ベース、ドラムスで揃った時の破壊力が増すというわけ。
こんなドラム叩かれたら、そりゃあジュリーも「ワシもリフの箇所では身体の動きでバンドの音符割りに合わせにゃ!」と思ってしまうはずですよ~。
オータさんのドラムスの見せ場はまだまだあって、1番Aメロ1回し目のタム攻撃がこれまたキース・ムーンばりのモッズ魂が炸裂する名演。
さらには2番Aメロはうってかわって「じゃ、じゃ!」の全楽器刻みの裏で鬼のキック連打です。
しかもエイト・ビートへと移行するフィルの繋ぎ目でキックが止まってない!こんなに足クセのききわけがない(←ドラマーにとっては最高の褒め言葉のはずです)ドラムスは久しぶりに聴いたように思います。
ベテランの白井さんと上田さんも、今回オータさんのドラムスに「乗った!」といわんばかりの一体感。「揺るぎない優しさ」は数あるジュリー・ナンバーの中で演奏面においても特筆すべき1曲となりました。
僕はオータさんのドラムスを意識して聴くのはたぶん今回が初めて(それと知らずに何かの曲を聴いたことがある可能性は相当高いですが)。
色々と調べると、いとうせいこうさんと「NO NUKES」フェスに出演されるなど、ジュリーとは普段からの志も共鳴できる演者さんなのかなぁ、と。
今後継続してのジュリーの新曲への参加を楽しみにしたいと思います。
僕は今年もジュリーの新譜を大いに気に入って繰り返し聴いています。
もちろん2曲いずれも政治や社会問題と無関係な歌ではない・・・むしろ関係は大です。でも、考察記事でそうしたことを中心に書かなかったのは、僕の中に「無関心」や「諦念」が無くなったからだとも思います。
僕は、ジュリーのメッセージに含まれる様々な事柄について「歌を聴いた時」だけでなく、もう普段から考えられるようになりました。そうして暮らしていると、雲の上の上、遥かに遠い憧れの存在であるジュリーがとても近しい人のように思えてくる時があります。
その僕の感覚は、昨年の「un democratic love」が決定的だったかなぁ。
同じ気持ちは今年の新譜でも継続しています。まだまだ悩み迷いながら、ではありますけど。
気になるのは夏からの全国ツアー。「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょうが、カップリングの位置づけとなる「揺るぎない優しさ」はどうでしょうか。
CD音源を聴く前と後では生で体感した時の印象もずいぶん違いますし(2009年の『Pleasure Pleasure』収録曲がそうでした)、この名曲をお正月ただ1度しか聴けないままでは寂し過ぎます。
ここはやっぱり「今年の新曲」は2曲とも歌ってくれる、と予想したいです。僕が参加できなかったお正月LIVEの何処かの会場では、「シングル(A面)曲50曲以外も少し足す」という感じのMCもあったと聞いていますし、それなら「プラス数曲」の中に「揺るぎない優しさ」は入ってくるのではないでしょうか。
期待したいと思います。
それでは次回から、また時代を行き来しながら数々のジュリー・ナンバーの名曲についてビッシビシ更新していきます。
まず4月前半は、「この曲のこの演奏に痺れる」シリーズとして数曲を採り上げたいと思っています。
ジュリー・ナンバーの演奏はどれも素晴らしいのですが、まだ記事にしていない名曲の中から、特に好きな演奏パートを楽器ごとに厳選し1曲ずつ書いていこうという趣向です。
もちろん「楽器ごとに」とは言ってもたった1曲に絞れるはずもなく、「数あるミュージシャンの、数ある名演の中からこの機会に」という採り上げ方になりますが。
次回の第1弾は「ドラムス編」。
ジュリーはこれまで本当に多くの凄いドラマーを迎えてレコーディングしステージを共にしています。
僕個人としてはやはり「現在のジュリー」を支え続けるGRACE姉さんと、デビュー50周年の1年目を飾ったザ・タイガースのドラマーであるピーの2人を熱烈推し。
ただ、今日オータコージさんのことを書いたように、まだまだ素晴らしいドラマーの名演によるジュリー・ナンバーの傑作は幾多の例があります。
その中で、「このアルバム1枚きり」参加のレア度、「この人の音は圧倒的に違う」という類稀な個性に着目し、湊雅史さんの演奏を採り上げてみたいと思います。
もちろん書くのは楽器演奏のことだけではありませんが、とりあえずしばらくの間は文量よりも更新頻度を第一とし、今度こそ(汗)短めのコンパクトな記事でどしどし書いていきます。よろしくお願い申し上げます。
ということで、次回お題はアルバム『HELLO』から!
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