『サーモスタットな夏』

2021年7月24日 (土)

沢田研二 「言葉にできない僕の気持ち」

from『サーモスタットな夏』、1997

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1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

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関東はこの1週間すさまじく暑いです・・・。
みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。

さて、ようやく僕の住む自治体でも「50代」対象のワクチン接種予約が始まりました。近隣の自治体と比べるとかなり遅かったのでヤキモキしていましたよ。
実際の接種はまだ先ですけど、気持ち的にはこれでひとまず一歩進んだ、という感じかなぁ。


今日は予定通り”ジュリー・アルバム全曲お題記事コンプリート”シリーズでの更新。
せっかくなので季節に合わせて、と選んだアルバムは『サーモスタットな夏』です。
記事未執筆で最後に残っていたお題曲は「言葉にできない僕の気持ち」。ちょっと短めの文量ですが、よろしくおつき合いください。


『サーモスタットな夏』は個人的に大好きな名盤で、『ジュリー祭り』で本格ジュリー堕ちを果たしてから未聴のアルバムを怒涛に大人買いしていた時期、『サーモスタットな夏』はCDのみならず「ジュリーLIVEへの飢え」を満たすべく手を出したDVD作品も印象深い1枚です。
また収録曲では「サーモスタットな夏」「僕がせめぎあう」「PEARL HARBOR LOVE STORY」「愛は痛い」「ミネラル・ランチ」「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」と半数以上の6曲をLIVE体感済みで、セットリスト入り率の高さから、ジュリー自身もお気に入りのアルバムなのでは?と想像しています。

改めてアルバムのクレジットを確認して意外に感じるのは、白井さんの作曲作品が無いことです。
『サーモスタットな夏』は個人的にアレンジャーとしての白井さんのベスト、とも思っていたのですが、ここで白井さんは自身以外の精鋭作曲家競う10篇のアレンジに専念し見事このコンセプト・アルバムを仕上げた、ということなのでしょう。

作家陣を見ていくと、朝本さん、樋口さん、芹澤さん、八島さんの安定感をまず再確認する中、来るべき2000年代ジュリーのハード路線を先取りするような吉田光さんの斬新な2篇と、古き良き時代、ロック黎明期のビートを温め直すような藤井尚之さん珠玉の2篇、このお2人の提供作品対比がとても面白いんですよねぇ。


さて、アルバム音源だと「懐かしきマージービート」な雰囲気ズバリの「言葉にできない僕の気持ち」ですが、ツアーDVDでは時代最先端の楽曲に聴こえてしまうのがこれまた面白い。
柴山さんのエレキがCDオリジナル・ヴァージョンよりだいぶサスティンを効かせていること、この曲では出番の無い泰輝さんがリードする形でお客さんから手拍子が起こっていること、そして何よりポンタさんの生ドラムがその大きな要因でしょう。
オリジナルが機械のドラムですから、ずいぶん印象が違ってきますね。

ジュリーはCDと同じように発声しているんですけど、そこはやっぱりLIVEの人。バンドをグイグイ引っ張っていくのが分かります。

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CDでは良い意味で淡々としているこの曲が何か得体の知れぬ「新しさ」を纏ってしまう不思議なグルーヴ。セットリスト的にもここから「さぁ、新しい曲どんどん行くよ!」という配置になっています(今となっては珍しい、セトリ前半の長~いMCの直後。ポンタさんがいったんドラムセットを離れ着替えてから再スタンバイするほどの時間を割いて色々とおしゃべりしてくれます)し、アルバムの中でも重要度の高い名曲、名演ではないでしょうか。

「言葉にできない僕の気持ち」はその尚之さん作曲の名篇。
もう1篇の「ミネラル・ランチ」も名曲ですが、こちらはズバリ60年代マージー・ビートを意識したロックで、僕が好む洋楽にかなり近い作曲構成です。

白井さんも尚之さんの意図は敏感に感じ取ったようで、いわゆる「ネオ・モッズ」的なアレンジを徹底させています(ネオ・モッズは70年代後半から80年代にかけてのムーヴメントなんですけど、コンセプト自体に「60年代ビート・ロックへの回帰」があり、それが逆に新しかった、という時代の手法です)。
「言葉にできない僕の気持ち」でのネオ・モッズ的手管を具体的に挙げますと、まず「擬似・擬似ステレオ」ミックスに耐えうる楽器パート、フレーズ構成の採用。ヘッドホンで聴くと、アルバム中この曲だけ『G. S. I LOVE YOU』みたいにトラックが左右にくっきり分かれてるでしょ?

あとは、ベースとギターがリフ・フレーズをユニゾンさせる、リズムを小節の頭で突然噛ませる、などのアレンジはいかにもネオ・モッズ直系のものです。
ドラムスに敢えてチープなリズム・ボックスを使ったり、エレキは歪ませてはいるけどサスティン無しの細い音にしたり、というのもポイントでしょうか。
エレキの音は、僕が高校時代に流行ったエフェクター(オレンジ色のディストーション)の初期設定にそっくり。これ、「そうそう!」と分かる人どれくらいいらっしゃるかなぁ?
白井さんの狙いは明快であり、尚之さんの作曲に見事寄り添ったものです。

一方、アレンジ最大の肝であるアコギのストロークについては、おそらくプリプロ音源での尚之さんの演奏を踏襲しそのまま生かしたのではないでしょうか(尚之さんはギターで作曲する、と以前教わりました)。
セーハ・コードを武骨に連ねるストロークは、プリプロ時点での曲のカッコ良さを体現しているようです。

キーは嬰ヘ長調。トニックの「F#」からサブ・ドミナントの「B」、1音上がりの「G#」、或いは豪快に駆け上がっての「A」に移動するなどガチガチのロック志向・・・にも関わらずドミナント・コードの「C#(7)」が登場しないのが尚之さんの工夫で、「次ドコ行くか分かんないよ?」的な進行が「らしさ」なのかな。

これがもしロー・ポジションの「E」(ホ長調)の作曲だったらこういう進行にはならなかったはず。

き、きき君 には イカレたよ ♪
A         C#  B           F#

とか特にね。
「メジャー・コードをアコギのセーハで弾く」のはマージー・ビートの醍醐味と言えましょう。

尚之さんのキャリア・スタートであるチェッカーズは素晴らしい作曲家が揃っていますが、ジュリー・ナンバーで言うと鶴久さん提供の「僕は泣く」(『彼は眠れない』)と尚之さんの「言葉にできない僕の気持ち」を比較してみるのも面白いです。
鶴久さんの方はドミナントも使いますし、途中マイナー・コードにも寄り道して「ポップ」を引き立たせます。
いずれも古き良き時代のロックをオマージュしつつこうした違いが表れるのは、尚之さんが「コードから」、鶴久さんが「メロディーから」作曲されているからではないか、と僕は想像しますが実際はどうなのでしょうか。

ザ・ベストテン世代の僕にとって、尚之さんが在籍したチェッカーズはやはり思い入れのあるバンドです(同じ九州出身、というのも大きい)。
今年の春でしたか・・・NHKでフミヤさんの特番があり、予告で「チェッカーズ時代の曲を歌いまくる」と分かったので、同世代のカミさんと楽しく観ました。

驚いたのは僕が彼等のシングルで最も好きな名曲「NANA」(尚之さん作曲)を歌ってくれたこと。
この曲がNHKで歌われる、というのは結構な事件です。と言うのも「NANA」はシングル・リリース時、「歌詞の一部に卑猥な表現がある」との理由でNHKから放送禁止を食らいましたからね・・・。
でもまぁ、番組内ではフミヤさんもそれを明るくトークのネタにされていましたし、NHKもようやく「過去を脱ぎ捨て」ることができたようで良かった良かった。

で、もちろん尚之さんもバンドで出演されていて。
いくつになってもカッコイイ兄弟です。それぞれのキャラクターが絶妙に違う、というのが良いのかな。
ちょっとブルース・ブラザースのようなバランスだなぁ、と思ったりしたのでした。
僕はよくジュリーのことを「”不良少年のイノセンス”を永遠に持ち続けるロッカー」だと書きますが、藤井兄弟も正にそんな感じですね。


さぁ、これでアルバム『サーモスタットな夏』収録全曲の記事執筆が成りました。過去記事のカテゴリーもアルバム・タイトルに移行させて頂きます。

個人的には90年代ジュリーの中で最も番好きなアルバム。
酷暑続く日々ですが、みなさまもこの名盤を真夏の連休BGMにいかがでしょうか。

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2015年12月20日 (日)

沢田研二 「オリーヴ・オイル」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

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世間がスター・ウォーズで盛り上がりまくっている中(カミさんは明日観にいくらしい)、不肖DYNAMITE、本日無事に49歳の誕生日を迎えました。
心優しき先輩方は、未だに僕を「若手ジュリーファン」などと呼んでくださることもありますが、この年齢で「若手」であろうはずはなく・・・先輩方の優しさにいつまでも甘えているわけにはいきません。
なんとか「中堅ジュリーファンのおじさん」が年齢相応に自然に板につくよう、一層精進して参ります。

ともあれ、40代最後の1年が始まりました。
ジュリー49歳の作品と言えば、アルバムは『サーモスタットな夏』、actは『ELVIS PRESLEY』。
そう考えると「なんだ、まだまだ全然若い、イケてんじゃん!」と思ってしまいますが、ジュリー自身はその1997年のインタビューで「ジジィを意識しないと・・・」と自戒の言葉を語っています。
(今年のお正月LIVE”『昭和90年のVOICE∞』セットリストを振り返る”シリーズで書いた「僕がせめぎあう」考察記事のオマケコーナーをご参照ください)

ジュリーほどの人がそう考える年齢なのですねぇ。
具体的には、何をして「ジジィ」を意識すれば良いのかなぁ?身体、仕事、そして生活。家族、友人、社会への関わり・・・きっとそのすべてなのでしょう。

同年齢の職場の同僚達は、ここ数年誕生日を迎える度に一様に「どよ~ん」と沈みまくっていますが、僕自身はそんなこともなく。
いや、他の同年齢同世代の同僚達の方が僕より全然肉体的には元気だったりして、僕が皆より元気かつ恵まれている、ということでは決してありません。

僕はむしろ年相応・・・いや、実年齢よりは老けています。『サーモスタットな夏』DVDで観たジュリーのMCじゃないけど、もう「辞書の字がほとんど読めない」状態ですし(ただし近眼なのでメガネを外せば読めますが)、いくつか持病も抱えていますしね。
先日も、仕事中に腰を痛めたりして。
「ヤバっ!」と即座に反応し体勢を立て直すことができたので、「魔女の一撃」までには至らず軽傷で済みましたが、情けないことです・・・。

でも、やっぱり一番真に迫って年齢を感じるのは老眼かな~。とうとう、爪を切る際にもメガネを外さなければならないほどまでに進行しました(泣)。
ジュリー曰く「文字はなるべく大きめに大きめにと心がけて」作ったという『サーモスタットな夏』の歌詞カードですら見えにくくなってきて、我ながら呆れてしまいます。

そんなふうに「トシを感じる」ことが身体のあちらこちらに出てきても、職場の同世代の連中のように誕生日を迎えても「どよ~ん」とならないのは、ジュリーが僕の18年先を走ってくれているのをいつも見ているから。
僕は自分がジュリーと同じようにいつまでも若々しく健康でいられるとは考えられないけど、誕生日を迎えるごとに、例えば今年であれば「よし!とりあえず『サーモスタットな夏』の年のジュリーに追いついたか!」と思える・・・これは本当にありがたいこと。

毎年拙ブログではこの12月20日、自分の誕生日を自分で祝うべく、「自分と同じ年齢の年にジュリーがどんな曲を歌っていたか」というテーマで考察お題を選んで更新させて頂いています。
併せて今日は、ツアー初日まであと2週間ちょっとまでに迫ったジュリーお正月LIVE『Barbe argentee』に向けての”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズ第4弾のお題も兼ねています。

ジュリー49歳のアルバム『サーモスタットな夏』収録曲は比較的ツアー・セットリスト入り率が高いようで、『ジュリー祭り』がジュリーLIVEデビューだった僕も、これまで「サーモスタットな夏」「僕がせめぎあう」「PEARL HARBOR LOVE STORY」「愛は痛い」「ミネラル・ランチ」「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」と計6曲を生のLIVEで体感しています。

また、『サーモスタットな夏』は『ジュリー祭り』直後の怒涛の未聴アルバム大人買い期に購入した作品の中でも(ツアーDVD含めて)格別に好きなアルバムということもあって、これまで7曲の記事を既に執筆済。
まだ書いていない曲は「オリーヴ・オイル」「言葉にできない僕の気持ち」「愛は痛い」。この3曲の中から、今回のお正月にセトリ入りが考えられそうな曲・・・と考えて、「オリーヴ・オイル」「愛は痛い」の2曲は充分可能性あり、と見ました。
しかも、どちらも「49歳」ジュリーならでは、の名曲です。

「ジジィの熟成”エロック”を食らえ!」という「オリーヴ・オイル」。「互いに多忙で時々すれ違いながらも、夫婦変わらず仲良きことかな」という「愛は痛い」。
なんとなく「愛は痛い」の方がセトリ入り有力のように思えましたが、自分の誕生日に予想記事を書くからには、「まだまだ元気!」「老いて盛ん(?)」なジュリー・エロック降臨に期待して景気よく!ということで、「オリーヴ・オイル」の方をセトリ予想指名したいと思います。
伝授!


と言いながら、まずはお詫びから。
今年の誕生日(&セトリ予想)お題を「オリーヴ・オイル」と決めた際(『こっちの水苦いぞ』ツアー・ファイナルの数日前くらい)、以前「この曲の先行シングルはアルバムとはヴァージョン違い」と何処かで読んだことがありましたから、シングル盤を所有していない僕は例によって(汗)いつもお世話になっている先輩にお願いし、音源を聴かせて貰いました。「あの日は雨」や「つづくシアワセ」くらい劇的に違うのか、と期待して聴いたのですが・・・現時点では「えっ、これイントロ以外何処が違うんだろ?」という情けない状況です(汗)。

鳴っているトラックはすべて同一に聴こえる・・・単にマスタリング違いなのか、それとも僕の聴き込みが不充分なのか、明言もできぬまま考察記事の更新に至ったのはお恥ずかしい次第。
今後シングル・ヴァージョンを聴き込めば何か分かるかもしれませんので、その時にはこの記事に追記するなり、『Baebe argentee』初日公演のレポートでその点に触れるなり(当てる気満々汗)したいと思っています。

さて、「オリーヴ・オイル」には、特に「ロックなジュリー」を好む先輩方から絶大な支持を集めている曲、という印象があります。
新規ファンの僕は『ジュリー祭り』の後に遡ってこの曲を知ったわけですが、時代に沿って考証してみますと、90年代末から2000年代にかけて、よりハードなギター・サウンドへと傾倒してゆくジュリーの作品・・・ずっとタイムリーでジュリーを観ていらした先輩方にとって「オリーヴ・オイル」はそのプロローグ、幕開けのような曲だったのだと分かってきます。何と言ってもアルバム『サーモスタットな夏』からの先行シングルだったのですから。

ちなみにこのアルバムからは後に「サーモスタットな夏」「恋なんて呼ばない」もシングル・カットされていますね。同年はTEA FOR THREEのシングルとして「君を真実に愛せなければ他の何も続けられない」もリリースされていて、ジュリーは実に1年に4枚のシングルを出したことになります。
ヒヨッコの僕はそのことについて、『こっちの水苦いぞ』ファイナルの打ち上げでご一緒した先輩に「97年のシングル攻勢は何だったんでしょうね?」などと無知丸出しでお尋ねしてしまいました。
デビュー30周年だったんですね・・・。

先行シングルということを考えれば、当時多くのジュリーファンがアルバム『サーモスタットな夏』に先んじて「オリーヴ・オイル」を知ったのでしょう。「ジュリーはこれから先、こういうロックを歌っていくのか!」と胸ときめかせたファンも多かったのではないでしょうか。
『サーモスタットな夏』アルバム全体としてはまだそこまで徹底してハード、という雰囲気には届いていませんでしたが、次作『第六感』『いい風よ吹け』そして『耒タルベキ素敵』とハードなギター・サウンドの方向性には拍車がかかり、遂にはキーボードを完全に排した無骨なアレンジによるアルバム作りが、2002年『忘却の天才』でジュリー・レーベルのスタートと共に始まりました。
その起点となったシングル・ナンバーこそ「オリーヴ・オイル」だったと言えるのでしょう。

90年代~2000年代のジュリー「ハード・ロック期」。
重要なキーパーソンとしてまずアレンジャーの白井良明さんが挙げられますが、ジュリーが望むエロティシズムのテーマを担った曲、と考えた時、もうお2人・・・作詞の覚和歌子さんと作曲の吉田光さんの存在がとても大きかったと思います。
アルバム『サーモスタットな夏』では「オリーヴ・オイル」以外に「僕がせめぎあう」もこのお2人のペンによる「エロック」ナンバー。今年のお正月LIVE『昭和90年のVOICE∞』でのセトリ入りは嬉しかったですね~。

僕は、吉田光さん在籍のDER ZIBETというバンドをそろそろ本腰入れてじっくり聴くべきでしょうね。ジュリーへの提供楽曲がどれも刺激的ですから、普段どんなバンドでどんな曲を?と興味が沸いてきます。
今はまだほとんど何も知らないに等しいですが、1997年というのは吉田さんにとって、DER ZIBET無期限活動休止決定の翌年という特殊な年(現在は活動再開されています)だったようです。

吉田さんのジュリーへの楽曲提供は1990年のアルバム『単純な永遠』が最初、ということになるのかな。
特に5曲目「光線」は凄まじくハイ・センスの大名曲で、斬り込むようなメロディーと変拍子を導入した緻密な構成に僕が病みつきになったのが、2010年お正月LIVEの『歌門来福』で生体感した後のこと。
それまでは普通に「いい曲だな」止まりの評価しかできていなかったわけですから、僕は当時自分の鈍さを改めて自覚し大いに恥じたものです。

そしてもう1曲、吉田さんの作曲作品で個人的に大好きなのが、1996年リリース、アルバム『sur←』収録の「恋がしたいな」。
(後註:「恋がしたいな」の収録アルバムを、1998年の『第六感』と誤記したまま2日ほど晒しておりました。思い込みではなく、完全な書き間違い・・・これから年を重ねてゆくと、こういうポカがどんどん増えてくるのでしょうね。気をつけなければ・・・)
王道の「いかにも」というコード進行とはまるでかけ離れている変則的な曲なのに、本当に美しい凛としたメロディーに惹かれます。

「光線」にしても「恋がしたいな」にしても、吉田さんのメロディーは「クール&ビューティー」のイメージ・・・では「オリーヴ・オイル」はどうか、と言うと実はハードな仕上がりからは意外なくらいにこれまた美しいメロディーの曲なのです。特に

ため息のクレシェンドの角度で
Dadd9                       A

微熱から情熱に変わるのさ
Dadd9                 A       F#7

君だけが 僕に匂いを移せる
Bm7         Bm7(onA) Bm7(onG#)

刹那を生きることに 身体はためらわない ♪
F#m  E        D          F#m  E       D

この展開部などは、うっとりするほど美しい!
覚さんの詞も「ここぞ!」とばかりに刺激的なフレーズが並びますが、吉田さんの甘美なメロディーに触発されてのことでしょうね。
ギターやドラムスがAメロと変わらずハードな噛み方をしているので、メロディーと和音はグシャッと混沌した感じになっていますが・・・「ハードな音の奥に沈みこんでいるものを掬い上げてみたら、とてつもなく美しいメロディーが姿を現す」というわけです。

吉田さんと言えば、「愛まで待てない」が作曲段階ではスローテンポのバラード寄りの楽曲だった、という逸話が有名ですよね。
覚さんの詞が載って、ジュリーのリクエストもあって、白井さんのアレンジによって、最終的には過激なまでのハイビートなロック・ナンバーになったのだ、と。
吉田さん作曲の時点では、「愛まで待てない」ってこんな感じの曲だったんじゃないかな、という洋楽曲の例を僕は頭に持っていますが、それについてはまたいずれ同タイトルお題の考察記事に書くとしまして。
「オリーヴ・オイル」もやっぱり、吉田さんがプリプロで提出した「作曲」段階ではかなり落ち着いたキャッチーな作品だったのかもしれない、と僕は思っています。
曲を聴いたジュリーが何かしらのインスピレーションを以て「エロ」を求め、覚さんの作詞へのサジェスチョンがあった。覚さんの詞が完成し、白井さんは「こりゃもう、ハードに仕上げるしかないでしょ!」と最終的なアレンジを施した・・・そんな流れを想像します。
もちろんそれは、吉田さんを緻密かつ自由度の高い作曲家だと思うからこそ推測できることです。

それにしても・・・「何故僕の溺愛するジュリーのアルバムに限って、ヴォーカルのミックスがこうも小さいのか!」という・・・。
この時期、バックの音はどんどんハードな爆音へと移行していってるのに、『サーモスタットな夏』だけは、何か狙いがあるとしか思えないほどジュリーのヴォーカルが小さいのです。そのミックス・バランスの極端さは、僕がこの世で最も愛するコンセプト・アルバム『JULIEⅡ』にも比するほどです。

『JULIEⅡ』同様、僕は『サーモスタットな夏』の小さい音量のジュリーの声が、愛おしくてなりません。
ただ、それが「オリーヴ・オイル」の場合は、「敢えて」という面も確かに見えるのです。
エンディングのリフレイン部、各楽器のトラック数も増え全体の音量レベルも上がっている中で、それだけじゃない・・・逆にジュリーのヴォーカルが明らかにそれまでよりも小さくミックス処理されています。
これは正に「オリーヴ・オイル」に模した官能の液体の中に主人公(歌っているジュリー)がどんどん浸っていく、という歌詞コンセプトに沿ったミックスなのでは?
ジュリーのヴォーカル・ニュアンスも、まるで溺れゆく主人公の喘ぎを楽曲の終局に向けて全開で放出しているようなリフレインではありませんか。

ヴォーカルのみならず、その後のジュリー・ナンバーの指標とも言うべき演奏に仕上げられたことは、「オリーヴ・オイル」の大きな意義でもあるでしょう。
白井さんのハードなギター・アレンジは、「猛毒の蜜」などに引き継がれていきますし、「重厚さ」をフォローするキーボード・フレーズはは「weeping swallow」に、さらには鉄人バンドのアレンジによる「まほろばの地球」にも「オリーヴ・オイル」とよく似たアプローチが見られます。
ワウ・ギターの採用という面でも、『祝・2000年正月大運動会』で初っ端から「オリーヴ・オイル」→「マッサラ」と繋ぐセットリストは凄まじい説得力を生んでいます。
そう言えば、以前DVD『祝・2000年正月大運動会』をYOKO君に貸したら、「いきなり”オリーヴ・オイル”ってどんだけ凄いセットリストなんだよ!」と言っていたっけ。
『Barbe argentee』(YOKO君は不参加)で、「遂にオリーヴ・オイルを生で聴いたぞ!」と是非彼に報告(自慢)したいものですが・・・。

覚さんの詞にまつわる逸話などから、ジュリーがこの曲で「官能」を意識的に歌っている、表現しようとしていることは間違いなさそうです。
でも先輩方、CDリリース時にタイムリーでこの曲のヴォーカルを聴いた時、「エロ」以上にジュリーの「再ブレイクへ向けての気合」のような感情が無意識に込められているように感じませんでしたか?

1997年。ジュリー、デビュー30周年。
当時のインタビューを読めば、ジュリーは「大ヒット」への渇望を隠そうとはしていません。今現在のジュリーと比べ、人間的な根っこの部分は変わりませんが、まだ「売れる」ことへの拘りは持っていたようですね。
「オリーヴ・オイル」は、そんな節目の年に作ったアルバムからの先行シングルです。
ジュリーの「売れたい」渇望がその声に無意識に反映されていても不思議ではない・・・僕はこの「エロック」に隠された、ジュリー・49歳の朴訥で純粋な野心こそこの曲最大の魅力と見ますが、いかがでしょうか?

「若いモンのやってるのが今の”売れる”ロックか?いやいや自分はそう簡単には退けんぞ!」
当時のジュリーのそんな思いが、その後数年間のアルバムをよりハードなギター・サウンドへと向かわせていったのかもしれないなぁ。

現在のジュリーは「ヒット」などという概念を超越したものを手にしました。
「自分の歌を聴きたい、と思う人達を探そう」とのかつての思いは『ジュリー祭り』を大きな境として多くの中抜けファン、新規ファンをも巻き込みLIVE動員数を今なお増やし続けています。
だから、逆に言えばジュリーが今「オリーヴ・オイル」を歌うと、リリース当時無意識に込められた「ヒットへの渇望」はかき消え、覚さんの詞、吉田さんの曲、白井さんのアレンジ・・・制作時にジュリーが狙ったエロティックなコンセプトが、そのまま自然に押し出されるようなヴォーカルとなるのではないでしょうか。

先日お会いした先輩が『昭和90年のVOICE∞』での「僕がせめぎあう」について
「当時はそんなにエロいとは感じなかったけど、今年のあの歌はエロかったわね~」
と仰っていましたが、もし来年早々『Barbe argentee』で「オリーヴ・オイル」が採り上げられたら、おそらくそれ以上のことが起こると思いますよ!


ところで、「オリーヴ・オイル」に限らず、ジュリー・エロ・ナンバーのセトリ入りは先輩方も切望されているようで、ぴょんた様の”妄想セトリ”予想では何と「18禁コーナー」(笑)として「Cearess」「感情ドライブ」「C」の3曲を列挙されていました。どれか1曲でも的中すれば、会場大熱狂間違い無しでしょうね~。

しかもぴょんた様は「C」から「灰とダイヤモンド」へと連なる曲順までお考えのようで、いやぁ僕にはとても思いつけない角度からの素晴らしい予想アプローチ。
ぴょんた様は、2014年お正月『ひとりぼっちのバラード』の予想で「緑色の部屋」などの的中実績を誇るお方ですから・・・某J先輩の「どこぞの予想と違って、期待しちゃうのよね~」とのお言葉も納得です。

ちなみに、「どこぞ」とはココのことです!(涙)

いずれにしましても2016年新春、ジュリー渾身の「エロック」降臨実現が楽しみ!
いや、もちろん「エロバラード」でも良いんですけど(ぴょんた様は、「PinpointでLove」も妄想セトリに挙げていらっしゃいますよ~)、実際はどうなりますか。


それでは、オマケです!
今年のジュリーの誕生日に蔵出しセールを開催してくれた中野の『まんだらけ海馬店』さんを訪れた際に購入した、97年のツアー・パンフレットから数枚どうぞ~。


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さて、”全然当たらない『Barbe argentee』セットリスト予想”シリーズもいよいよ次回第5弾でラスト・・・それが拙ブログ2015年最後の記事となります。
予想シリーズの締めくくりお題ではありますが・・・当てには行きません!
さすがに自分でも「ちょっとセトリ入りまで考えるのは強引かなぁ」とは思いつつも、新年へ向け、今年最後に書いておきたい曲があるのです。

世の中の不穏な動きも色々とあった2015年。
その中でジュリーがこの国の未来に希望を見出したことが僅かでもあったとするなら、「何度でも、作り直せばいい」と語る頼もしい若者達の出現こそそうだったに違いない、と僕は今勝手に考えていて。
そこから繋がって、今ジュリーが歌ってくれたら、これまでとはまったく違ったメッセージ・ソングとして聞こえたりはしないかなぁ?と妄想している曲・・・。

「2016年、また1から始めよう」
ということで、エキゾティクス期の3連ロッカ・バラード(←バレバレかな?)で2015年を締めくくります!

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2015年2月 5日 (木)

沢田研二 「僕がせめぎあう」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

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前回は、コメント受付も無い緊急の記事更新にて、大変失礼いたしました。何か書いておかないと先へ進めない気がしましてね・・・。

ここ数年、ジュリーのお正月LIVEでの言葉がそのままその1年を象徴してしまうような年が続いています。
「新しい年になったのに、何も嬉しいことがない」
今年のジュリーの最初の言葉。それが2015年を通してそうならないことを祈るばかりです。

先日、盟友・YOKO君から貰ったメールの冒頭に、こう記してありました。
「吐きそうな世の中だけどさ、俺は俺らしく行くよ!」
ジュリーの歌と共に、稀有な「強いHEART」を持つ友人の存在をも頼もしく思います。
そうだよね・・・僕も「僕らしく」行こう!

「なんでこんな世の中になったかなぁ・・・」と不安になる一方で、ひょんなところで「同じ思いのかたがいらっしゃる」と分かるとなんだか勇気が沸いてきて、「よし、楽しい記事を書こう!」と思えてきます(真由様ありがとうございます!とてもとても嬉しかった・・・)。
こういうスイッチが入ると、僕は筆が速い(笑)。

ということで。
毎日毎日、心が重くなるニュースばかり相次ぎますが・・・その一方で、明るいニュースもあったのです。
昨年5月、来日直後の急病により無念の全公演中止となってしまったポール・マッカートニーが、あの時の約束通りに、早々に改めての日本公演開催、再来日ツアーを発表してくれました!

う、嬉しい・・・。
僕にとってビートルズの音楽は、今なお人生に無くてはならないものです。ジュリーの音楽と同じくらいに。
そしてポールも、70歳を越えた今も超人的なスケジュールでツアーを続け、もちろんその合間に新曲もリリースしてくれるという、現在進行形のアーティスト。
どうやらポールとジュリーに共通するこの”現役バリバリ”の秘訣は、「人間的にも技術的にも完全に信頼できる一身同体のバンドがそばにいる」ことがひとつ重要なポイントとして挙げられそうですね。

もう、参加できるだけで幸せなので・・・良席は期待できないながら、チケットぴあの限定先行販売で東京ドーム1日目の公演(4月23日)を即申し込み、当日の有給休暇も予約。あとは当選を祈るのみです。
春に大きな楽しみができました。

さて、大物外タレの来日ツアーと言えば他に・・・今回採り上げるジュリー・ナンバーのお題にもかなり関係してくるバンド、ザ・ベンチャーズ。
僕は彼等のステージを1度も生で見たことはないのですが(仕事がらみで、場外に立ちっ放しで漏れてくる音をずっと聴いていた、という経験はあります)、今年の日本ツアーが7月から始まるそうで、どうやらこのツアーが「ドン・ウィルソン最後の日本公演」となってしまうようです。

http://www.nishinippon.co.jp/nlp/showbiz_news/article/142446

81歳になったドン・ウィルソンは、ベンチャーズのデビュー・オリジナル・メンバー。姿はまだまだお元気に見えますが、本人としては「そろそろ体力的に限界」と決意したのことで・・・寂しいですね。

ザ・タイガーズの前身ファニーズも、ジュリー参加以前はエレキ・インスト・バンドだったそうで、ならば当然ベンチャーズの影響は大だったでしょう。
「ベンチャーズのギタリスト」と言えばこの人!のような存在であるノーキー・エドワーズが当初はベースを担当していた、というのもあの時代ならではの逸話。
当時は「ギターが弾ければベースも弾けるだろう」という理屈が普通にあって、「ギターよりも弦の数が2本少なくて太く、音が低い楽器がベース」くらいの認識で通っていたのです。
それが
「ベンチャーズに影響されてバンドを結成した60年代の若者達は、ジャンケンでギターを担当するかベースを担当するかを決めていた」
という「よくある話」にも繋がってくるわけですが(或いは、発言力のある兄貴分のメンバーがギターで、弟分がベース、というパターンもよく聞きます)・・・結成時のファニーズってその辺りどうだったんですっけ?確か面白い逸話があったような・・・。

そして、「ベンチャーズの遺伝子を持つ」ということで言えば、後にジュリーの作品に関わることになった多くのキーパーソンもまた然り。
1995年からのジュリーのセルフ・プロデュース期にアレンジャーを務め、アルバム制作に欠かせない存在であった白井良明さんも、もちろんその一人です。

今日は、『昭和90年のVOICE∞』”セットリストを振り返る”シリーズ第2弾。
97年のアルバム『サーモスタットな夏』で、アレンジャーの白井さんがベンチャーズのエッセンスを大胆に盛り込んだ(当然それだけではありませんが)、エレキ・ロックナンバーをお題に採り上げます。
「僕がせめぎあう」、伝授!

まずは、この曲にまつわる最近の僕の身辺の、ど~でもいい話題をほんの少しだけ。
先にちょっと書いたYOKO君のメール、その内容が何だったのかと言うと・・・。

みなさまには「信じ難いほど気の長い話だな~」と呆れられると思いますが・・・3年前から、YOKO君(これまで彼はお正月LIVEにただの一度も参加できていません)にジュリーの正月セトリを順に週に1曲ずつ伝え、その曲からインスパイアされる洋楽曲のスコアを任意で課題曲として採り上げ1週間かけて研究する、というやりとりが恒例となっておりまして。
ちょうど先週、4曲目の「僕がせめぎあう」まで伝え終わったところなんです。
YOKO君、この曲のセトリ入りには「え~~っ?!」と悶絶しながら羨ましがっていましたよ。

僕と彼は共に『ジュリー祭り』が初のジュリーLIVE参加で、そこで初めて90年代以降のジュリーの名曲群の素晴らしさを知り、未聴のアルバムを怒涛のように摂取していくことになったわけですが、「映像」について言えば97年の『サーモスタットな夏』ツアーDVDが『ジュリー祭り』以後第1弾の鑑賞でした。そのせいか、2人ともこの映像作品、ひいてはアルバムに相当深い思い入れがあるのです。
YOKO君曰く、風邪をひいた時の対処法として、「スタジオで歌って治せ!」の他に「サーモのDVD観て盛り上がって治せ!」ってのもある、のだそうで・・・。

『ジュリー祭り』以降、ジュリーはアルバム『サーモスタットな夏』から数曲を採り上げ、僕は幸せなことにそのすべてを体感できていますが、何故かそれらはお正月LIVEに集中しているんですね。
必然YOKO君は「PEARL HARBOR LOVE STORY」も「愛は痛い」も「ミネラル・ランチ」もまだ未体験。
当然今回の「僕がせめぎあう」もね。

「僕がせめぎあう」は曲想的にも特にYOKO君好みの1曲ですから、彼は本当に羨ましがり、悔しがり、あられもない妄想を逞しくしているようです。
セトリ4曲目を伝えたメールの返信に書かれていた彼の言葉があまりに面白くて夜中に大爆笑してしまったので、いかにも彼らしい非常に不謹慎な発言ではありますが、ここで紹介しておきましょう。
曰く


鬼に金棒、ジュリーに和歌子!
金棒でツボ押しまくられて、みなさん即昇天だったろうね!


コラコラコラコラ!(笑)
「ツボに入るのは、むしろアンタのその言葉だよ!」とツッコミたいところですが、実際今回のこの曲のジュリーは、正に彼の言う通りだったわけだからなぁ・・・。

ま~~~~エロかったですよね!

歌っている時の上下、左右の動きがね・・・「せめぎあい」以上に「求愛」のようでした。

一方、オリジナルCD音源についてはどうでしょうか。
YOKO君も大層ご贔屓の覚和歌子さんが作詞、ハードな作風でジュリー・ナンバーへの貢献数多い吉田光さん作曲のロック・ナンバー、そして歌うのがジュリーとくれば・・・その時点でレコーディングもエロい仕上がりになるのは必然だったでしょうか。まぁ、「エロ」についてはやっぱりLIVEの方が凄い、とは言わざるを得ませんけど。
また、「嘆きの天使」「オリーヴ・オイル」などの逸話が示す通り、覚さんの作詞内容について、ジュリーからのサジェスチョンがあった可能性も考えられます。

「僕がせめぎあう」・・・行き場を求めてギリギリのところで「思考する」主人公。その「思考」もまた、「本能」とせめぎあい、沈みこむ先は「官能」。ジュリーがこの歌詞、このメロディーを歌えば聴き手はどうしても、「行き先」をそう捉えまてしまうのです。

メロディー或いはヴァースの構成だけを考えれば、吉田さんの作曲には70年代ロックのガレージ感、さらにはサイケ、プログレといった趣向を感じさせ、もちろん最終的な仕上がりでもそうした面は強く残っているのですが、白井さんのアレンジがそこに「ベンチャーズ」を注入することで、より面白い、ある意味奇妙で変態的な(褒めています!)ロック・ナンバーへと昇華されていますね。
「オリーヴ・オイル」が真っ向からハードなエロ本道の「ストレート」とすれば、「僕がせめぎあう」は手管の限りを尽くした七色の「変化球」のように思えます。

ところが!
これがまた白井さんの凄いところなのですが、パッと聴いたイメージでは「様々な極彩色の音が入り乱れてせめぎあっている」この曲・・・実は演奏トラックが他収録曲に比べて極端に少ないのです。
ドラムス、ベース、そしてギター2本。
おそるべし白井さん・・・これは言わば、「ハード・サイケデリック・ベンチャーズ」なアレンジですよ!

「忘却の天才」など多くの例があるように、基本ハードなロック・ナンバーで白井さんはエレキギター・トラックを3パターン用意、それを自在に組み合わせて全体に厚みを持たせ、さらにはジュリーのステージ再現を踏まえてミックスを振り分ける、という手法が王道。
しかし「僕がせめぎあう」のギターは2トラック。それを左右に振り分ける、と見せかけておいて要所要所で右サイドのトラックをセンターに出張させる、という・・・これはもう、覚さんの歌詞世界にのっとり、ジュリーのヴォーカルのミックス、センドリターンを徹底的に「せめぎ倒す」アイデアを念頭に置いた上でギター・トラックが録られているわけで、限られた時間の中で手間を厭わずそれを形にした白井さん、ミキシング・スタッフのプロ意識には本当に頭が下がります。

このように、「僕がせめぎあう」は普段ヘッドホンを使用しないリスナーでもミックスの面白さがとても分かり易いナンバーですが(例えば先日のフォーラムでもジュリーの「誘ってくれ♪」と「誘わないでくれ♪」はCD通りに左右分離して片方だけのスピーカーから聴こえてきましたよね。ただ、渋谷初日にはそれが無かったように思うんだよな~)、それはジュリーのヴォーカルのみならず、ギター・トラックにも密かに適用されているのだ、ということをここでは書いておきたかったのでした。

さて、ベンチャーズです。
彼等が編み出した奏法、サウンドは瞬く間に全世界で「エレキギター・ブーム」を巻き起こし、今や伝説となっています。その奏法は幾多の名ギタリストによって緻密に進化複合し、またエフェクターの進歩などによって現在はベンチャーズの演奏例は「スタンダード」「基本中の基本」とされていますが、「僕がせめぎあう」で白井さんは「進化形」ではなくむしろ「原型」っぽい弾き方をしてくれます。

例えば。
まずは、ベンチャーズと言えば何といってもこれ・・・クロマチック・グリス奏法(「テケテケテケ・・・♪」と説明した方が分かり易いですよね?)。
ミュートで音の粒を揃えつつ、明確な単音で軽快に弾くパターン、コード・ブラッシングで「くしゃくしゃっ!」と弾くパターン・・・いずれも『昭和90年のVOICE∞』で柴山さんが再現してくれた通りです。
あとね、これはこの記事を書くためにCD音源のトラックを紐解いていて初めて気づいたことで・・・主に「テケテケ」は左サイドのギターがキメるんですが、右サイドのギターにもほんの一瞬「テケテケ」の出番があるんですよ。しかも左トラックとユニゾンで!
『ギターマガジン2月号』でのインタビューを読むと、下山さんはジュリーLIVEに向けてまずオリジナル音源のギター・アレンジから「僕のパート」を探す、というアプローチで臨んでいるようです。
とすれば、ギター2本体制でレコーディングされた「僕がせめぎあう」では、柴山さんがCDの左サイド、下山さんが右サイドの各トラックをある程度まで忠実にステージ再現した、と見るべきでしょう。
つまり今回、柴山さんだけでなく下山さんも一瞬「テケテケ」を弾いたシーンがあったと考えられます。残念ながら僕はそこまで気づけなかった・・・。

続いて、トレモロ・フレーズ奏法(ジュリーLIVEの例ですと、「ダーリング」「銀の骨」「海に向けて」などで柴山さんが魅せてくれる「トゥルルルル・・・」という音)。
CD音源での白井さんは「掻き毟る」ような感じで激しく演奏していて、そのあたりは歌詞世界やハードな曲想を意識してのことでしょう。
これはこの曲の中でも特に登場回数の多い奏法ですが、僕が
最も耳に残るのは、2番Aメロの

ぶちまけた缶のビール ガラス窓を横切る
Gm

耳鳴り 加速する夜 ♪
   Cm                Gm

この「耳鳴り」というフレーズをトレモロで表現。しかも、左右トラックのせめぎあいになっています。

そして・・・こちらもベンチャーズのおハコと言える、アーミング・ヴィブラート奏法。
かなり渋いタイミングで導入されているのでCDだけだとさほど目立たないのですが、生演奏に際してひとたび耳がその音を捕えれば、印象は強烈。
あと、この奏法を曲中で何度も繰り返し視覚的に楽しめるのが、ジュリワンのインストね。

他にも、「スクラッチ・ノイズ」「ピッキング・ハーモニクス」「ダブル・チョーキング」など、ベンチャーズ流の手管が「これでもか!」と詰めこまれているのが「僕がせめぎあう」での白井さんのアレンジ。
吉田さん、完成音源を聴いて「いやぁ、こうなりましたか~!」と驚いたのか、それとも最初から想定内だったのか・・・それは分かりませんけど。

一見パート的には地味な、「バックアップ」としてのロック・ギター演奏(リズム・ギター、サイド・ギター)に華やかな光を当てたギタリスト、ドン・ウィルソンの愛器は、ベンチャーズの代名詞であるモズライト以外に、フェンダー・ジャズマスターが有名なのだとか。
柴山さんも、この「僕がせめぎあう」ではSGではなくジャズマスターを弾きます。その上で、ガンガンにリードギターを弾いてくれるんですよね。
サスティンが身上のSG、音の切れが身上のジャズマスター。1音1音の歯切れ良い独立した「鳴り」を表現するなら、やはりジャズマスターです。
柴山さんについては


60年代にベンチャーズが巻き起こしたエレキ・ブームは、ここ日本でも多くの少年たちに衝撃を与え、一握りの恐るべき子供たちを産み落とした

と、『ギターマガジン1月号』インタビュー記事冒頭に紹介文がある通り。ベンチャーズの「原型」を受け継ぎ、さらにそれを凌駕する凄まじい技術を身につけた「恐るべき子供たち」として「アンファン・テリブル」なのだと僕は解釈したけれど、どうなんだろ?
いや、実は「アンファン・テリブル」って言葉をこれまでまったく知らなかったんですよ・・・(恥)。

と、ベンチャーズ・オマージュについて長々と語ったわけですが、「僕がせめぎあう」って、それでもやっぱり「おどろおどろしい」(良い意味で、ですよ)官能的な曲であることは揺るぎないと思うのです。
「ブライトな設定」によるクランチ・サウンドを踏襲しつつも、『昭和90年のVOICE∞』での柴山さんの演奏はハードで、サイケで、本当におどろおどろしかった!
たとえ身体の動きが、ジュリワンの時の「想い出の渚」と同じであってもね。

まぁ、柴山さんが音で完璧に表現しているのが分かっていながら、僕は”青くせめぎあう霊”が演出する「おどろおどろしさ」ばかりに釘づけでしたが・・・(笑)。

最後に、この曲のドラムスについて。
CDをじっくり聴けば分かるかと思いますが、「僕がせめぎあう」のドラムスは実は2トラックなんです。イントロやブレイク部で目立つ「つっつったん、つかたかたん!」と鳴っているドラムスは打ち込みのリフレイン。その上で、「うん、たた、うん、た!」といういかにもベンチャーズ!なアクセントで生のドラムスが重ねられています。
ただし、『サーモスタットな夏』ツアーでのこの曲は、『あんじょうやりや』ツアーでの「緑色の部屋」や、『愛まで待てない』ツアーでの「嘆きの天使」のように、ドラムスを打ち込み音の再現のみに頼り、ポンタさんがドラムを叩かない、というパターンとはまったく違います。

DVD『サーモスタットな夏』で確認すると、CDの打ち込み音と同じフレーズが聴こえていますが、これは人力の音なんですよ。でもポンタさんは豪快に「うん、たた、うん、た!」と叩いていますから、その生音は別の人が出している、ということになる・・・これは一体?
全然カメラが寄らないのであくまで推測なんですが・・・ひょっとして泰輝さんが鍵盤でラテン・パーカッションの音を作って演奏してる?

で、「僕がせめぎあう」は翌1998年の『Rock'an Tour』でも採り上げられていますが、ここではアレンジが一変(ドラムスはGRACE姉さんに変わっています)。
この時鳴っているのはおそらく打ち込み音だと思います。その上からGRACE姉さんが生ドラムを演奏し、泰輝さんは何とタンバリン!

さぁ問題は、『昭和90年のVOICE∞』ではどうだったか、ということなんですが・・・。
全っ然覚えてない・・・恐るべし、ジュリーのヴォーカルと”青くせめぎあう霊”の吸引力!(違)

でもね、明らかな打ち込み音が鳴ってたり、泰輝さんがタンバリン叩いてたりしたら、さすがに僕もその場で気がついただろうと思うんですよね。
ですから今回は、「打ち込みは一切使わず、GRACE姉さんが一人でドラムスを再現し、泰輝さんはベースラインをフォローしていた」説が有力。
と言っても確認のすべ無し・・・ジュリーお願いだ、ツアーのDVD録り復活して~!


それでは、オマケ(寒中見舞い)です!
今日は『サーモスタットな夏』からのお題でしたので、以前大分県の先輩に授かった資料の中から、1997年の新聞記事をご紹介いたします。
ちょっとそれぞれの画像の繋ぎ目が分かりにくいスキャンをしてしまいましたが、4枚の画像合わせてすべての文章が読めるようになっておりますので・・・。

199707061

199707062

199707063

199707064


実は僕は今年、『サーモスタットな夏』のジュリーに年齢が追いつくんですよね~。
それにしては、物事の考え方とか、まったく追いついてないなぁ。追いついたのは老眼だけ?(涙)
(註:『サーモスタットな夏』ツアーDVDのMCでジュリーは、「辞書の字がほとんど読めなくなった」と嘆いておられます。「歌詞カードの文字はできるだけ大きめに大きめにと心がけておりますが・・・」とも言ってくれてるんだけど、僕はもうこのCDの歌詞カードですら・・・涙涙)


では、次回更新は『昭和90年のVOICE∞』”セットリストを振り返る”シリーズの第3弾。
こちらも覚さん作詞の大名曲、「嘆きの天使」を採り上げます。今回に引き続いて、これもまたうっとおしいウンチク満載の記事になってしまう予感・・・でも、それが「僕らしい」スタイル・・・なのかな?

え、『週刊女性』の件にはひとこと無いのか、ですと?

「動くものに惑わされず、動かないものを見る」
な~んて偉そうなことを言いつつ実は全然修行が足りていないDYNAMITEも、さすがにあそこまでの空想科学記事だとスルー能力が働くようです(笑)。

代わりに、この記事の更新寸前に、いつもお世話になっているJ先輩から頂いた情報がこちら。
http://www.osakaben.or.jp/
「what's new」の2月4日付のトコね。
僕はまだファイル開けてません。どんな内容なのでしょうか。帰宅したら即チェックします!

(追記)
読みました・・・素晴らしかった!
そうかぁ、やみくもに「マス」に発信するんじゃなくて、「ミニ」の良さを生かして「マス」に拡げるということなのか・・・ジュリーらしいなぁ。さすがだなぁ。
何が嬉しいって、ジュリーの言う「ミニ」って間違いなく「LIVE」のことですよね?
ジュリーは「ミニ」としてのLIVEを武器(パワーレス・パワー)にしようとしているんだね!

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2012年5月18日 (金)

沢田研二 「ダメ」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

--------------------

”今度のツアーではとても聴けそうもない曲”シリーズということで、矢継ぎ早に短めの記事で書きまくっております。
今回は1997年に飛びまして、アルバム『サーモスタットな夏』からお題を採り上げますよ~。

 

『サーモスタットな夏』に限らず、ジュリーが勇躍セルフ・プロデュースを開始した1995年リリースのアルバム『sur←』以降のナンバーというのは、いつどの曲がツアーで採り上げられても不思議はない(ですよね?)と思われる中、数少ないナンバーについては、「これはもう生で聴くことは叶わないのではないか」と個人的に考えている曲もあるにはあります。
先日執筆した「エンジェル」は、「今年はナイだろう」という予想で書いたわけですが、本日のお題は「もう永遠にナイのでは・・・」と僕が考えてしまっているナンバー。
ズバリ・・・「ダメ」、伝授です!

 

ちょっとイライラしている時、物事がうまくいかない時、身体がへこたれている時・・・そんな苦境を笑い飛ばすエネルギーを貰える曲。
僕にとっては、「KNOCK TURN」と同じような感じで身体が反応する、痛快なナンバーです。
「KNOCK TURN」の「の、の、の、の、の・・・」と、「ダメ」の「いやだ!いやだ!」に、駄々をこねるように盛り上がるゴキゲンな共通点を感じるのは、僕だけでしょうか。

そんな曲を、この先のツアーで「もう聴けないだろうなぁ」と考える理由は・・・。
歌詞・曲調ともに、いわゆる「ギンギン」な時代のジュリー、つまり僕が『ジュリー祭り』以前まで勝手に抱いていた、良い意味で”虚飾”のジュリー像を感じてしまう・・・これは今のジュリーからは遠く離れたイメージの曲なんですよ(僕だけの考えかもしれませんが)~。

無論、作詞が朝永彼方さんということで、さほどブッ飛んだ虚像的恋愛テーマとはなっていません。
しかし・・・愛に溺れる主人公の葛藤が、こういったアップテンポの短調のナンバーで歌われる手法は、この「ダメ」以降ほとんど姿を消してしまうのです。
曲想で似たパターンはあっても、歌詞のアプローチは天と地ほどに違うのです。
ジュリーの制作スタンスを反映してのことでしょう。
(例えば「月からの秋波」や「C」は、往年の短調アップテンポ・ヒットチューンを彷彿させる曲調ではあっても虚飾とはならず、人間・ジュリーとそのままリンクしているように思えます)

 

男の愛の在り処をアップテンポの短調で歌う・・・確かに阿久=大野時代は特に、このパターンが主流中の主流でした。
大ヒット・シングルだけで考えても、「勝手にしやがれ」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」・・・スラスラと該当する作品が浮かびます。
その手法は、作曲家として見事覚醒したジュリー自身のペンによるナンバー達にも引き継がれます。「麗人」「十年ロマンス」「灰とダイヤモンド」などが当てはまるでしょうか。
さらに「Muda」を挟み、JAZZ MASTER時代・・・吉田建さんプロデュースによる”スーパースター・ジュリーの逆襲”のひとつの手管としてこの手法は大々的に復活。
「DOWN」「涙が満月を曇らせる」「そのキスが欲しい」。
やっぱり、これらすべての曲が文句なくカッコイイんですよ。短調アップテンポで、色男な歌詞のナンバーを聴くと、「あぁ、ジュリーだなぁ~」と、反射的に思ってしまう僕がいます。

ただね~、何と言いましてもこのお題曲の場合は、タイトルが「ダメ」ですからね!
名曲、名演と言えると思うのですが・・・何処かコミカルな要素もある、不思議なスタンスのジュリー・ナンバーではないでしょうか。「Muda」にも近いものを感じますけどね。
あと、「Muda」で連想しましたが、表記の問題として「Dame」より「ダメ」の方がロックだと思う・・・。「Dame」だと、斜陽アイドル・ソング的な匂いがプンプンしてしまいます。その点、さすが朝永さんですね。


さて、作曲は芹澤廣明さんです。
ビッグネームですよね。特に僕のようなベストテン世代には馴染みの深いお名前・・・しかも、(今だから言いますが)何も分からぬ10代の若造DYNAMITEは、のちにジュリーを通じてひれ伏すことになる後藤次利さんなどの”ヒット曲”に意味も無く反発していたのに、芹澤さんに対しては、それがありませんでした。
以前「ミネラル・ランチ」の記事で少し書きましたが、僕はチェッカーズの曲が好きだったんですよ・・・。

僕は『平凡』『明星』の付録についていた歌本を、ジュリー・ナンバーに限らず古き良き時代の歌謡界の名曲補完を目指し地道に古書店で収集しているのですが、80年代になると芹澤さんの作曲作品がズラリ、という感じです。
大ヒット・メーカーの芹澤さんですから、当然覚えている曲が多いです。チェッカーズのナンバー以外で誰もが知っている作品を挙げるなら、「少女A」や「タッチ」といったところでしょうか。

そんなヒット・ナンバーの数々を、歌本掲載のコードを追いかけて歌ってみると・・・本当に馴染みやすいメロディーであることを再確認します。正にプロフェッショナルなんですよね~。
メロディーの狙いがハッキリしていますし、明快なサビへ向かってグイグイ押しまくるような構成になっています。Aメロの役割、Bメロの役割、サビの役割というものがそれぞれ際立つように作られているのです。”ストレートに良い曲”を目指しているのでしょう。

90年代後半になってジュリーに提供した今回のお題、「ダメ」ももちろん、そう。
『第六感』収録の「いとしいひとがいる」も僕は大好きだし、芹澤さんの曲とは波長が合うみたいです。

ちなみに、『YOUNG SONG』の1984年11月号に芹澤さんのインタビューが掲載されていますので、少しご紹介しましょう。

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プロフィール
昭和23年、横浜生まれ。幼稚園の時に買ったハーモニカがきっかけで音楽に興味を持つ。中学から約3年間、クラシック・ギターを本格的にレッスン。18才でヤマハのコンテストに優勝した後、プロの道へ。尾藤イサオのバンド、NHKの「ステージ101」などを経験して、CM作曲家に転進。昭和57年「少女A」の大ヒットで一躍、脚光を浴びる。現在、チェッカーズの一連のヒット作をはじめ、個性の強いメロディが受けている人気作曲家。

(本文抜粋)
「(・・・中略) 「ステージ101」をやめてから、本格的にCMの仕事をやりはじめたんです。とにかくやたらたくさんのメーカーのCMを作りましたよね。今までに書いたCMソングは2千曲くらいあると思いますよ。
この頃から音楽を作ることが、特別なことではなくて、完全に日常生活の一部になったんです。つまり新聞を読んだり、食事をするのと同じ気持ちで作曲するんだな。だから”僕の作る音楽は芸術だ!”なんて思ったことは一度もないですよ」

プロですよねぇ。ガツンとした発言です。
しかもイケメンですからね・・・。成功者のオーラが写真からも窺えます。

ところで、話が逸れてしまいますが、参考までに。この号の『YOUNG SONG』に掲載されているジュリーの曲は、と言いますと。

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まず巻頭カラーページに、最新シングル(!)の「AMAPOLA」。
加えてこの号では『タイムマシンは9年前へ!』という懐かしのヒット・コーナーがあり、1975年のヒット曲を特集しています。
ジュリーは当然、この曲での掲載。

Sn390350


話を戻しまして、「ダメ」はいかにも芹澤さんらしい楽曲で、気合充分の提供曲と見ました。
考えてみれば、芹澤さんの「少女A」「哀しくてジェラシー」「タッチ」・・・これらは短調のアップテンポ・ナンバー・ビッグヒットのお手本のような作品。同様の曲想を持つ「ダメ」も、ヒット性の高いメロディーと言えるはずなんですよね・・・。ただ、セルフ・プロデュースを始めてまだ数年経ったばかりのジュリーとすれば、こういった王道ヒット・タイプのメロディーとすれ違うような志向が、この時点でひょっとしたら既にあり得たかもしれません。

最後に、「ダメ」の演奏の素晴らしさについては是非とも語っておかなければ・・・。
ここぞ!というタイミングで噛んでくる鬼のパーカスも凄いですが、この曲は何と言ってもベースです!
分かり易いのは、1番Aメロ。

♪ 会いたくて 電話して 呼び出して
  Gm

  あまりにも 冷たくて 傷ついた
  Gm

  お願い 慰めておくれよ ♪
        E♭maj7       Gm

硬派に「ジャッ、ジャッ!」のハードな刻み。でもよく聴くと
う~~ジャッ、ジャッ!」
と、小節の頭に向かってグルーヴする音がお分かりになるはず。
そして、「おくれよ~♪」とジュリーのヴォーカル部が終わったとたん、グシャグシャ~!っと聞かん坊のように暴れ回る過激なフレージングが凄い!
この奏法は、最初のサビ後の間奏部ではさらにブッ飛んだ形で炸裂していて、ギターリフがメインなんだかベースソロなんだか・・・という状況にまで楽曲を追い込んでいます。

とは言うものの、白井さんのギターワークもこれまた見事。印象に残る演奏です。
で、実は僕、よほどこの曲のギターが頭にこびりついていたのか(おそらくそれは、ドーム直後の『サーモスタットな夏』CD購入時の鬼のようなリピート率のせいでしょう)、その後に知った2曲ものジュリー関連ナンバーのギター・トラックについて、初聴で「ダメ」を連想するという事態を迎えました。

まずは、「ダメ」渾身の間奏のギター・フレーズに注目。3’21”あたりです。
これが、次作『第六感』収録「ホームページLOVE」のエンディング・ギターソロ、3’47”からの導入部にかなり似ています。
初めて「ホームページLOVE」を聴いた際には
「白井さん、ダメじゃん!」
と思いました。いや、演奏が「駄目」ということではなくて、”「ダメ」みたいでいいじゃん!”ってことですよ・・・念のため。

もう1曲は、何とタイガース。
素晴しい旅行」のイントロを聴いた瞬間、脳内で「ダメ」のイントロとゴッチャになりました・・・。
意外ですか?この2曲のイントロのギター、キーは違えど最初の4音目までは音階移動も同じ。7音目まではリズムも同じなんですよ。
単なる偶然のアレンジですけどね。よくあるリフ・フレーズのパターンですから。
ただ、「素晴しい旅行」が長調で「ダメ」が短調、というのが面白いところです。調に関係なくハードなフレーズが載ってしまうのがロックたる所以でしょうか。
そう言えば、伊藤銀次さんも「HEY MR. MONKEY!」のアレンジ・オマージュ元をビートルズの「タックスマン」とした上で、「でも長調と短調という違いがある」とブログで解説されていましたっけ・・・。

にしても、「ダメ」を聴いて「おっ、”素晴しい旅行”!」と感じたというならともかく、「素晴らしい旅行」を聴いて「おっ、”ダメ”!」と反応したというのは・・・いくら後追いファンとは言えど、いかがなものか。
物事の順序として、とても間違っているような気がします・・・。

さて、来週から月末にかけては、かなり多忙な日々に突入します。5月いっぱいの開催期間とした”今度のツアーではとても聴けそうもない曲”シリーズの執筆は、おそらくあと2曲。
(6月に入ったら、完全にソロコン・モードのスイッチを入れ、セットリスト予想シリーズを開催です!)

次回は、このところの更新よりペースが落ちて間が開くかと思いますが・・・今度こそタイガース・ナンバーを予定しています。
僕は、”近い将来”実現の時までジュリーはソロLIVEでタイガースの曲をすべて封印するのでは、と考えてはいるんですけど、”とても聴けそうもない曲”シリーズのコンセプトを重視し、念には念を入れ、ファン以外にはまったく知られていないナンバーを採り上げたいと思っています~。

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2010年10月26日 (火)

沢田研二 「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto


1. サーモスタットな夏
2. オリーブ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

-----------------------------

みなさま、たくさんのジュリワンレポ、感想などをどうもありがとうございました。
僕はもう観ることができないのですが・・・改めて、本当に楽しいコラボだったんだなぁ、との思いを強くしております。
そして、年末にDVD発売との情報!
嬉しい~!

あのステージが映像に残る・・・これでファイナル不参加の無念もチャラです(そりゃ、平日じゃなかったら絶対観たいけどね)。

シー・シー・シー
ハンドクラップの衝撃といきなりの一体感。
涙がこぼれちゃう
イントロのどよめきと陶酔、その余韻。
TOKIO
現役ロッカー、ジュリーの炸裂する熱気。
FRIENDSHIP
ジュリーとワンズ、鉄人バンドの感動の絆。
愛するアニタ
バンドの大熱演と、島さん&ジュリーの絶叫。


他にもまだまだ・・・すべてが一生モノです。
そして、忘れちゃいけない鉄人バンドの最高傑作、「情熱の渚」~「マーメイド・ドリーム」
(しつこうようですが仮称です)。柴山さんのパート、完コピしたるぜぃ!

僕はこれまでクリスマスなんてまったく縁の無い、関係ない生活を送ってきたけれど、今年ばかりは特別。
いつもお世話になってる密林さんには申し訳ないですが、先行発売でキッチリ24日に鑑賞したいと思っています~。

☆    ☆    ☆

さて本題です。
今回は、熱苦しい記事になりますよ~。
お題は、ずっと「書きたい!」と思いながらも、「生のLIVEで観たときにとっておこう」と決めて今日まで我慢し続けてきたナンバー。

思えば僕が『ジュリー祭り』東京ドームで完全堕ちして、怒涛の大人買い期間に突入・・・『忘却の天才』の次に購入したのが、『サーモスタットな夏』でした。
もうね、それ以来このアルバムそれ自体が大好きなんです。ジュリーのアルバムの中で、10本の指には入ります。
そこで出逢った、とてつもなく力強くハッピーなナンバーを今日は絶賛しまくりますよ~。
「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」、伝授!

僕のブログがじゅり風呂としてどうやら軌道に乗り、それがきっかけで多くのジュリ友さんとお話させて頂く中、何人かの方々に、こう言ったことがあります。

とにかく、『ジュリー祭り』の「マンジャーレ!~」でポッカ~ンとしていた自分が許せない!今の状態で、あの日に帰りたい!

と。
ちなみに
東京ドームのレポートで、僕は「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」についてこのように書いています。

アルバム『サーモスタットな夏』収録という事は知っていた。まぁ歌詞を追ってようやく気づいたのだが。全く知らない曲なのだがここまで来れば盛り上がるしかない。

コラコラコラ!
今の僕がコイツの後ろにいたら、殴ってるね。
でも、後日こんなふうに追記もしてます。


12月14日、アルバム『サーモスタットな夏』、迷った末CDの方を購入。素晴らしい名盤である事に驚愕。90年代以降のアルバム購入を見送っていた自分が情けない。「マンジャーレ~」はアルバムラスト収録にふさわしい極上のハッピーソング。速攻でコード譜起こして弾き語りまくりました。アリーナが盛り上がってたワケだ。あぁ、12月3日に戻りたい・・・。

それならまぁ、よろしい。
と、多くの先輩方もその時思ってくださっていたなら良いのですが・・・。

とにかくこのヒヨッコは、2008年12月中旬にはすっかりこの大名曲の虜になっていました。
いつか生で聴ける・・・たぶんこの曲ならそう待たずに、近いうちに聴ける。「ビータ~!」と拳を振り上げる時が来る。
何故か、そんな確信を持ちました。

以後、『奇跡元年』『PLEASURE PLEASURE』『歌門来福』と我慢が続きました。
考えればたった1年半の期間なのですが、ずいぶん長く感じます。YOKO君の呪いか~?と思ったり(彼も「マンジャーレ!~」が大好きで、自分が行けないLIVEで演奏される日をずっと怖れて暮らしていました)。
今ツアー『秋の大運動会~涙色の空』で、ようやく時は来たのです。

初日、この曲のウキウキなイントロが始まった瞬間、僕は自分がジュリーの事をブログに書き始めた2008年12月へと気持ちが押し戻されるような感覚に包まれました。
何故なのでしょう・・・。
まだジュリーについて何も知らなかった頃・・・「マンジャーレ!~」を初めてCDで聴いて、「俺はドームで何をやってたんだ!」と後悔しまくっていたあの頃が、無性に懐かしいというのは。

実は、ちょっとしたことなのですが、ドーム記事に関しての思い出があります。

『ジュリー祭り』レポート執筆直後の拙ブログは、まだジュリーファンの先輩方にはほとんど発見されておらず(メイ様にご紹介頂くまでは、アクセス数は1日平均5~6件でした)、コメント欄などは淋しい限りでございました。
そんな中、何故か小田和正さんのファンと思われる方からコメントを頂きました。小田さんも同じ時期にドーム興行を敢行なさっていることは知っていましたが、その方は、小田さんは東京ドームフルハウスであった、と書いていらっしゃいました。
「上には上がいるものです」
とのことだったのですが・・・。

なんだろう、僕はまったく悔しくなかったですし、引け目を感じることもなかったのです。
まず、ジュリーと他のアーティストを比較すること自体頭に浮かびませんでした。
ドーム堕ちの僕は、とにかく『ジュリー祭り』の衝撃を受けたばかりだったからでしょう、自分の中でジュリーが突出した存在になり、自然に「唯一無二」という感覚が身についてしまっていたのです。

確かに小田さんの動員は素晴らしいですし、ジュリーのドーム興行は、純粋なフルハウスではありませんでした。
ただ、そんなことは問題ではなかった・・・。
他アーティストとの比較がどうこうよりも、ジュリーがドームで何を歌い、何を伝えたのか、それを考えることだけが僕の頭にありました。

♪ 隣の芝生は 勝手に萌えてろ
  G♭        A♭G♭            A♭

  違うハートは  比べられない
        B♭m7 E♭7   Cm7      F7

  La bella vita  僕に は 自慢の君がい る ♪
         D♭  E♭7    A♭ Fm  B♭m7 E♭7  D♭

これは、僕が「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」の中で最も好きな箇所です。

隣の芝生は勝手に萌えてろ。
僕らには、自慢のジュリーがいる

自然に、まったく気負わずにそう思える自分が、なんと誇らしかったでしょう。
そしてその気持ちは、今でも続いています。

この、僕の大好きな箇所についてはね。
最後のコード「D♭」はそのままルートをC→B♭と下げていき、その部分のシンセサイザーのアルペジオの旋律が、ビートルズの「Here Comes The Sun」のブリッジ部と「You Never Give Me Your Money」のエンディング部を取り混ぜた合わせ技であったりとか、シンセの音色がジョージ・ハリスンの好みにそっくりで、白井さんは相当のジョージ好きなんじゃないか、など語るべき点も多いのですが・・・。
そんな解説もどきを掘り下げるのは勿体ない!
何と素晴らしい、勇気の沸く詞、曲、アレンジ、そしてジュリーのヴォーカルであろうか!
と、ただそれだけを訴えたいところなのです。

特に「La bella bita 僕には♪」と跳ね上がるメロディーを歌うヴォーカルには、今でもCD音源を聴いただけで「ぞぞぞ~」と背筋に電気が走ります。
そして、言いようのない勇気が沸いてくるのです。

そして今、アルバム『サーモスタットな夏』をリリースした1997年という時期・・・ジュリーをとりまく環境などを、後追いファンの僕は想像するのですが。
ジュリーファンにとって、苦しい頃だったのかもしれません。今のように、各会場が満員になるというわけでもなかったようです。
しかしジュリーは何ら変わることなく、「年に1枚アルバムを出して、そのツアーをやる」ことを続けていました(もちろんそれだけではありませんが)。
一方では、やきもきしたり、息切れしそうになったファンの先輩方もいらっしゃったのでは・・・とも考えてしまいます。
そんな時期に、覚和歌子さんが「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」のような詞をジュリーに提供したことが、どれほどファンの励ましとなったか・・・僕にはそう思えてならないのです。
この歌詞は、ジュリーの生き方そのものですからね。

♪ 食べ尽くしたいよ        歌い尽 くした     い
  A♭               A♭sus4       E♭D♭dim  Fm  Fm7

  愛し尽くしたい 君のこと
    B♭            D♭      E♭ E♭7  E♭6  E♭

ジュリーがハッピーならば、ファンもハッピー。
そんな単純明快な気持ちにさせてくれます。
先述した「隣りの芝生は勝手に萌えてろ♪」だって、覚さんのフレーズには卑屈な感覚など微塵もありません。

ジュリーはジュリーである、ということ。
そして、ジュリーファン一人一人も、それぞれ唯一無二の「個性」を持った人間だということ。
「違うハートは比べられない♪」のです。

周囲に惑わされない。
自分と他人を照らし合わせたりしない。

ジュリーファンは、もっともっと誇っていいと思います。それぞれの立場から。それぞれの観点から。
引け目を感じることなんて、何ひとつないんですよ!
「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」は、そういう曲だと僕は思うのです。
主観と言われればそれまでなのですが・・・でも、今年のツアーで歌ってくれたことは、多くの先輩方にとっても、とても嬉しい選曲だったのではないでしょうか。

ドーム直後の僕は、まだ覚和歌子さんのジュリーへの貢献度についても解っていませんでした。
『奇跡元年』でお隣りになったOさんに
「ジュリーは覚さんの詞が好きなのよ」
と教えて頂いた時にも、脳内で「角さん?加來さん?あ、覚さんか!」と、漢字変換に数秒かかったくらいですから(恥)。

さらに解っていなかったのは、覚和歌子さん=八島順一さんという黄金コンビの素晴らしさ。
特に八島さんが、前向きで力強いパワーポップを作曲した際のジュリーヴォーカルとの相性の良さは、格別。「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」は必然の名曲だったのですね。

あと、僕はアルバム『サーモスタットな夏』全編を通じて白井良明さんのアレンジがとても好みなのですが、「マンジャーレ!」のエンディングで波音のS.E.に加えて「PEARL HARBOR LOVE STORY」の旋律がフィードバックしてくる構成にもヤラれました。
つくづく”コンセプトアルバムフェチ”な自分です。

ところで、「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」は出だしが変イ長調で、2番直後の間奏から1音上昇して変ロ長調へと転調しています。
転調後の3度目のサビは、すべての音が高い「レ」よりもさらに高く、基本的に「ファ」と「ソ」を行き来するという、男声にとってはかなりキツイ音階です。特に年齢を重ねた人にとっては。

ジュリーはいくつかの会場で
「意地になって、昔の曲もキーを下げずに歌ってる」
と発言していることを、多くのじゅり風呂さんで知りました。
確かに「ダーリング」や「君をのせて」などは下がっていませんでしたね。それはここまでの参加会場にて、下山さんのコードフォームで確認済み。

「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」は僕としても「待ちに待った1曲」という思いもさることながら、例の”おいっちに体操”に体力を継ぎ込まなければならず、冷静に鉄人バンドの演奏チェックをこれまでできていませんでした。
週末の渋谷では、このキッツい高音を擁するナンバーまで原曲キーのままなのかどうか、確認してこようと思います。
ちなみに、『ジュリー祭り』では原曲キーのまま歌ってます。凄いね!

今ツアー『秋の大運動会~涙色の空』セットリストでは、本編ラスト3曲にこの「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」→「愛まで待てない」→「遠い夜明け」と、まるでジュリーの生き方を代弁するような覚和歌子さん作詞のナンバーが続きます。
GRACE姉さん作詞の「明日」「ひかり」、そしてニュー・マキシ・シングル『涙色の空』収録曲と合わせ、ジュリーの個人的な思いを具現化したタイプの楽曲が多い選曲になっているのは、見逃せない点ですね。

未踏の地を踏みしめ、70歳超えを視野に捕らえ始めたジュリーのステージを目に焼きつけ、もう一度僕自身の足元をも確認する・・・。
今週末は、いよいよ渋谷
神席です!

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2010年7月14日 (水)

沢田研二 「恋なんて呼ばない」

from『サーモスタットな夏』、1997

 

Samosutatto

 

1. サーモスタットな夏
2. オリーブ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

 

------------------------------------

 

今週末は板橋。
長野では2階席からじっくりとステージを俯瞰して楽しみましたが、今度は1階最後列という暴れ放題のお席ですから、体力も使うことでしょう。
しっかり体調管理していかねば。

 

YOKO君、満を持して参加の川口までネタバレ禁止(一応ね)となっております拙ブログ。
今回は何事もなかったかのように、通常の楽曲記事をひとつはさみますね。
覚和歌子さんの詞が大好きなナンバーについて、書こうと思います。

 

☆  ☆  ☆

 

例えば。
みなさまが、毎日の通勤行き帰りの道のりで、どういう僥倖かは分からないけれど、ジュリーとすれ違うことが時折あったといたしましょう。

最初にすれ違った瞬間は「ドキ~ン」と心臓バクバク。
その後も、いつか勇気を出して声をかけようと思いつつも、意外とそんなことは実際にはできないんじゃないかなぁ。
そのうちに、月に何度かのすれ違いを、胸を痛くしながらやり過ごし、ドキドキしながら、悶々としながら・・・何気ない日々の中に訪れる一瞬が、いつしかすごく大切なものになってきます。

 

何度かすれ違ううちに、ジュリーもこちらの顔を覚えて、ふと目が合ったり。そんなこともあるかもしれません。

 

僕は、こういった女性独特の崇高な(恋愛と呼べるのかどうか・・・)思いは想像でしか分からないのですが、そんな状態はごく普通に有り得ることだと思います。
まぁ、ジュリーとすれ違うなんてことはさすがにそうそう無いにしろ、相手がジュリーではなく、一般の男性だった場合で考えた時にね。

 

ジュリー・ナンバーの女性作詞家作品はどれも素晴らしいですが、今日は覚和歌子さん作詞の、痛いほどに胸キュンな楽曲をお題に採り上げ、是非ともジュリーファンのお姉さま方に感情移入して頂こう、というお題です。
大名盤『サーモスタットな夏』から。
「恋なんて呼ばない」、伝授!

 

人称は男性なんだけど、視点は女性。これが女流作詞家のジュリーナンバーの魅力には違いないのですが。
さらにひねって、
「対象の男性(=ジュリー)も、自分と同じふうに考えていたらな・・・」
という、いかにも女性っぽい素敵な技が炸裂している(と、僕には思える)ジュリーの楽曲が、2曲あります。

 

ひとつは、朝永彼方さん作詞の「夜明けに溶けても」。
こちらはラブラブな感じですね。

 

そしてもうひとつが覚和歌子さん作詞のこの悲しく胸キュンな「恋なんて呼ばない」だと思っています。

 

2曲共に、意外なほどみなさまの話題にのぼりません。
アルバムの最後の方に収録されていたりして、スタンスが地味なんでしょうかね~。「恋なんて呼ばない」の方は、シングルカットもあったみたいなのですが・・・。

 

♪ 触れずに話さずに ときめく  この瞬間(とき)を ♪
            Bm7 E7  A         Bm7 E7              A

 

お互いの存在には気がついていて、時折訪れる一瞬の出会いにときめいているけれど、二人の世界は交わることが無いまま。
たまらなく愛しい瞬間。その、刹那の描写。
これが「恋なんて呼ばない」で炸裂する、覚さんの作り出した素晴らしい物語です。

 

♪ 今、君の唇は動いて 何かを伝えようとしている
            A          F#m           Bm7              E7

 

涼やかに瞳は輝いて ニつの宇宙が出会いそうさ ♪
       A            F#m           Bm7                E7

 

すれ違う二人は、それぞれのポケットに激しい情熱(=光る石)を隠し持っています。それが相手に差し出された時、世界は一体どうなるのか。
そんな、一瞬の思いを捕らえた覚さんの言葉が、ジュリーの歌声に載せて、限りない静寂の中でどんどん広がっていきます。
素敵な詞だと思いませんか・・・?

 

結局、すれ違いざまに女性の微笑みを受け、「つつましく宇宙が満ち足りた」のを見てとった男性は

 

♪ 光る石  をそっとしまう     夕   暮   れ  時 ♪
        C#m7 F#m C#m7 F#m  Bm Bm7 E7 A

 

情熱を晒さないまま、いつものように相手とすれ違うだけ。
タイトルの「恋なんて呼ばない」というフレーズが、最後の最後、ここへ来てようやく連呼されるのです。
悲しい決意、なのでしょうね・・・。

 

自分が辛い以上に、相手(男性)の辛さに思いを寄せて表現する、覚さんの詞。
ジュリーの噛みしめるようなヴォーカルは、いつにも増して「歌の世界に入り込む」というジュリー最大の才能を感じさせてくれます。
ちなみにこの曲で僕が最もシビれるジュリーのヴォーカルは

 

♪ 煙るようなジャスミン 匂い立    たせてる ♪
     Dmaj7     C#m7         Dmaj7  C#m7  F#7    F#m

 

のトコ。
スッと抜くような感じが、カッコ良過ぎます。

もちろん、これまで書いてきた歌詞の受け取り方は僕の個人的な感想で、覚さんの詞にどのような世界を感じとるかは、人によって異なるかもしれません。
色々な受け止め方ができるのが、優れた詞の魅力とも言えるのでしょうから。

 

さて、楽曲構成です。
八島順一さんの作曲作品の素晴らしさ、特にジュリー・ヴォーカルとの相性の良さについては、過去に「愛しい勇気」の記事などで語りまくってきましたから、ここでは白井良明さんのハイセンスなアレンジに注目してみましょう。

まず、アルバム『サーモスタットな夏』は白井さんアレンジのジュリー作品にあって、実はかなり異色なのです。
先行シングル「オリーブ・オイル」と「ダメ」の2曲を除き、60年代回帰とも言えるチープな音色・ミックスが敢えて施されています。

 

「恋なんて呼ばない」で説明いたしますと。
まず、楽器構成・ミックスが左サイドから順に

 

・アコースティック・ギター①
・ピアノ
・エレキギター①
・シンセサイザー(ムーグ系)
・エレキギター②
・ベース
・ドラムス
・リードヴォーカル
・コーラス
・タンバリン
・エレキギター③
・シンセサイザー(オルガン系)
・アコースティック・ギター②

 

サラリとしたアレンジの楽曲ながら、このように意外と音数自体は多いんですよ。
エレキギターは3つのミックス配置ですが、トラック数は2つかもしれません。ほんの一瞬だけ、左右でツインリードになる箇所がありますから、そこだけPAN(左右ステレオ配置を確定する機能)を振ってるのかも。

 

この音すべてが常時鳴っているわけではない、というのが重要な点です。
エレキギターが登場するのは楽曲のず~っと後で、サビ直後の

 

♪ 立ちつくす    ただ二人 ♪
     F    G    A     F   G   A

 

で、5弦6弦のみの渋いバッキングの箇所から。その後も、要所要所にしか姿を現さないのです。
エンディングからフェイドアウトまで弾きまくる尺の長いリードギターは、パブロック好きの僕にとってはたまらなく渋い!ブリンズレー・シュウォーツのギターを思い出します。

 

イントロでは左右のアコースティックギターが同じアルペジオ(指さばきが武骨です!)を弾きますが、Aメロに入ると右サイドのみが残ります。そうしておいて、2回し目から左サイドの単音が効果的に噛んできます。

 

すべての楽器が爆音で鳴っているアレンジもそれはそれで魅力がありますが、細かい音が埋もれてしまったりすることもあるんですよね。
白井さんが『サーモスタットな夏』で強く主張しているのは、さりげなくも美しい音の噛み合わせなのです。
次作『第六感』以降、ハードなアプローチに邁進していく白井さんが、挨拶代わりにまず刀を抜いた「ムーンライダース流のセンス」。
『サーモスタットな夏』はその意味でも、とても貴重なアルバムだと思います。

 

ところで、この「恋なんて呼ばない」は、アルバムツアーのセットリストでは本割のラストで歌われていますね。
『REALLY LOVE YA!』ツアーでの「幻の恋」とかもそうなのですが、それまで激しくロックしていたジュリーが、最後に汗をしたたらせながら、穏やかな表情で静かなアルバム収録曲を歌う絵は、LIVEの構成としては最高ですよね。
その後にアンコールがあるから、とも言えるんですけど。

 

今年のツアー用新譜は・・・4曲入りのシングルかぁ。
少し淋しいけれど、毎年ジュリーの新曲が聴ける、というシアワセに間に合って良かった!

8月1日の川口のレポートが終ったら、ソロツアーへ向けて”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズにとりかからなきゃ・・・。
今回は、”これ演ったらDYNAMITE失神”という、「日替わりマイフェイバリット・ジュリーナンバー」羅列で、テンション高く攻めてみようかな~。
絶対LIVEで演らなそうな曲ばかりになっちゃいそうですが。

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2010年1月21日 (木)

沢田研二 「サーモスタットな夏」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto_2


1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

----------------------

 

何たることか、「歌門来福」目前にして風邪。
症状は軽いのですが、僕の王道パターンである「身体の調子が落ち込むと口内炎ができる」というのがありまして、そちらの方に苦しんでおります。
今日になってようやく調子が戻ってきました(ホッ)。

やはり半年のブランクでいきなりの全開スタジオ作業がキツかったのか・・・。
特に高音のヴォーカルは体力を消耗します。
改めて、ジュリーはスゴイな~、と思うわけです。ハナから比較にはなりませんけどね(汗)。

 

まぁ、少し前までとは違い、今ではカミさんの協力で「栄養・睡眠」という治し方ができます。ありがたいことです。
ただ、その分記事更新もままならず・・・。
セットリスト予想シリーズは今回がラストですね。
4曲しか書けなかったか~、残念。無茶ぶりを承知で、「淋しい想い出」と「アメリカン・バラエティー」をカマすつもりだったのですが。

 

これらの楽曲は、冷静に考えてみれば別にセットリスト予想で書かずとも良いか~。

 

で、今回は僕にとっての「ジュリー祭り・リベンジ曲」の中からお題を選ばせて頂きました。
ドームでは「ずいぶん凝ったコード進行の曲だな~」くらいの感想しか持てなかったヒヨッコのDYNAMITEが、1年のジュリ勉の成果を是非とも試験されたいナンバー。
ジュリーとお客さんのかけ合い度が最も高い曲だと考えています。

1997年、50歳を目前にしたジュリー・アルバムから、タイトルチューン「サーモスタットな夏」、伝授!

 

お正月の寒い時に「夏」はないでしょ~、という理屈は通りませんよね、ジュリーのLIVEは。
昨年のお正月コンサート「奇跡元年」でも、僕の大好きな「時計/夏がいく」をセットリストにビシッと組み込んでくれました。
それに「サーモスタットな夏」の歌詞はと言いますと。

 

♪今年も暖冬さ~♪

 

てなモンでね。
真冬と言えども、ジュリーのコンサート会場はそりゃ暑い!
昨年、僕が参加したのは1月11日の「奇跡元年」。この日は外に出ると寒くてね~。
まだジュリーLIVE慣れしておらず何も知らなかった僕は、一番下にロンTを着込み、長袖シャツ、タートルネック、コートという完全防寒体勢で臨みました。
・・・大失敗でございました。
5曲目「ポラロイドGirl」終了と同時に着ているモノを次々と脱ぎ散らかし、ロンT1枚になってもまだ暑かったという・・・。
バッサバッサと服を脱ぐ男性の慌しい様子に、両隣のお姉さまはさぞかし退いたことでしょう(Oさん、どうもすみませんでした)。
結果、汗ダクになり風邪ひきました。今年は反省を生かし、一番下は半袖Tシャツで参ります~。

 

で、みなさまと一緒に熱く参加希望!の「サーモスタットな夏」。
要は、オリジナル音源のBOKE BOKE SISTERSのパートで参加するワケなのですが。

 

BOKE BOKE SUSTERSのパートを進行順に列挙いたしますと

 

・WILD, WILD, WILD!(シャウト)
・LOVE & PEACE(指サイン)
・WILD, WILD, WILD!(シャウト)
・アイス!(シャウト)
・Hi, Hi, Hi!(シャウト)
・JUMP. JUMP, JUMP!(シャウト)
・JUMP. JUMP, JUMP!(シャウト)

・間奏(リードギターを煽る)
・アンド!(シャウト)
・シカト!(シャウト)
・Hi, Hi, Hi!(シャウト)
・WILD, WILD, WILD!(シャウト)
・LOVE & PEACE(指サイン)
・やめて!(シャウト)
・WILD, WILD, WILD!(シャウト)

 

なんと、15箇所も参加できます。
「アンド!」の直後には「HI, Hi, Hi!」が無い、とか、なかなか複雑かつ忙しい構成ですが、実に参加し甲斐のあるナンバーではありませんか~!

 

「サーモスタットな夏」は楽曲それ自体もかなり複雑な構成でして、和音進行が高度、転調の連続です。
まずはイ長調で導入。イントロから「サーモスタット~な~夏~♪」までがそうです。
イ長調と言っても、出だしがC(ド・ミ・ソ)から始まり、B(シ・レ#・ファ#)と繋いで3つめの和音でようやくイ長調のトニックであるA(ラ・ド#・ミ)に着地。
ガックンガックンと落下し、再び上昇するこのコード進行、僕はその作風から、「違いのわかる男」や「オーガニック・オーガズム」と共通の手法を見出し、しばらく白井良明さんの作曲かと勘違いしていました。

 

正しくは、キーボードの朝本浩文さん作曲だったのですね。
そうしてキーボードで弾いてみますと、なるほど~。
泰輝さん作曲の「奇跡」と似た和音移動による作曲アプローチなのですね。鍵盤を使ってハード楽曲を想定したコード進行を試みると、こんな感じになるのです。

 

その後、Aメロがニ長調、「常夏はどこ夏♪」からのBメロがハ長調、そしてサビ直前の「シーガイア~♪」からサビ終了までがト長調。
めまぐるしく転調します。いや~忙しい忙しい。

 

ジュリーの作詞も、陽気な慌しさを全面に押し出しています。
翌年の「風にそよいで」や翌々年の「蜜月」ほど開き直ってはいませんが、これもまた「メロディーに載せた時の語感」を重視した作詞です。
「シ~ガイヤ~♪」とか「あ・うん・の呼吸~♪」の部分にジュリーのフレーズ選択センスを感じます。もちろん、そういった箇所はジュリーもすごく楽しそうに歌っています。

 

ところでこの曲、「夏」と言うだけあってアレンジがサーフサウンドなんですね。
この手のナンバーの一番の肝は、ベンチャーズばりの「テケテケテケ・・・」というエレキギターであることは言う間でもありませんが、もうひとつ重要なポイントとして、ドラムスの独特のアクセントが挙げられます。

1小節を8分音符で8つに分けて説明しますと、通常エイトビートのドラムスは、3番目と7番目の8分音符にアクセントを入れます。

ところがサーフサウンドの楽曲の場合は、それに加えて4番目と8番目、という裏拍部分にもアクセントを加えるのです。
そうしますと

どん・たた!どん・たた

 

波に乗ってうねってる感じのリズムになるんですね~。
う~ん、やっぱり夏の曲かこれは・・・。

 

さて。
先に述べました、BOKE BOKE SISTERSパート参加につきまして。
1箇所だけ、初日の僕の2階後方席からではどうする事もできないパートがあるんですよ。
と言いますか、ごくごく限られた松席の、そのまたごくごく限られた方々にしか参加できない箇所。

ズバリ、間奏・リードギタリストへの煽りです!
1階1桁・柴山さん側。それが選ばれし者のお席。ステージ前方にずずいとせり出してきてソロを決める柴山さんに向かって、手をヒラヒラさせながら「キャ~!」。
これ、重要なパートですから!
あるのと無いのでは、ジュリーも鉄人バンドも、ステージ上での手応えが違うでしょう。

 

選ばれしお席のみなさま。
僕の分まで、お任せしましたよ!

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2009年12月 5日 (土)

沢田研二 「ミネラル・ランチ」

from「サーモスタットな夏」、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

 

----------------------

純粋に楽曲についての記事は、久しぶりですね(汗)。
本日のお題は、アルバム「サーモスタットな夏」から。
少し前にあいら様のお家で話題になっておりました、某バンド繋がりでね。

74年生まれ様より、藤井尚之さん作曲の2曲のうちどちらか、という事で以前リクエストを頂いておりました。
僕にとりましては、思い入れが深いのは「ミネラル・ランチ」、ミックスの特性や和音構成で語るべき点が多いのが「言葉にできない僕の気持ち」。
どちらもとてもいい曲なんですよね。

迷った挙句、今回選んだのはこちら。
決してシングル大ヒット的な作りではないけれど、繊細にして流麗な構成を持つ珠玉の小品。こういう曲が収録されていればこそ、「サーモスタットな夏」がコンセプトアルバムとして光を放てるのです。
「ミネラル・ランチ」、伝授!

 

74年生まれ様がリクエスト時、「作曲者・藤井尚之さんの再評価を」との動機を持っていらっしゃったのですが、これはその頃の僕がさかんに八島順一さんのことを、「ジュリーに堕ちる以前は完全スルーの人だった」と書いたことを受けてのお言葉だったのでしょう。
ところがところが。
意外に思う人も多いでしょうが、僕は、藤井尚之さんがいらっしゃった「千鳥格子」(ジュリーファン以外の検索を避けるための表記です、ゴメンナサイ)というバンド、タイムリーで観ていた高校時代から、大好きだったのですよ。
もちろん、そこまで熱心なファンではなかったですが、同時期に活躍した自称ロックなアーティストやバンドより、よっぽど好きでした。

 

プロモート・コンセプトに基づいた専業の作詞・作曲家陣を擁してヒット連発、しかし次第に「俺たちはもっとロックしたい!」という渇望が顔を見せ始め・・・という流れは、ちょっとタイガースを連想するところでもありますね。

 

僕の知る限り、尚之さんの作曲家としてのキャリアは「千鳥格子」リーダーの亨さんと比較して随分遅く、バンドがスターダムに駆け上がって以降に、作曲作業を習得したものと想像できます。
そして、尚之さんの才能が大衆に膾炙する形で開花したのは「NANA」という楽曲だった、と思っています。
こんなカッコいい曲が普通にシングルとして流行るのが千鳥格子の醍醐味、と、僕は大いにセールスに期待をしましたが、歌詞についてNHKさんから変な横槍が入ってしまい、ヒットはしたけれど頭打ち・・・数十年後に多くの再評価を得た「幻の名曲」と化しました。
ロックな楽曲でこういうパターンって、悔しいですよねぇ。


「ミネラル・ランチ」「言葉にできない僕の気持ち」いずれも和音進行のパターンがギタースケール独特のものですから、尚之さんは普段、ギターで作曲しているのではないでしょうか?
鍵盤による作曲だと、こうはなり得ない。
「ミネラル・ランチ」で言いますと、Aメロのリードギターはずっと同じフレーズを弾き続け、ルート音によって和音表現が変化していくアレンジになっていますが、これはギターの開放弦を活用して作曲されたメロディーの為せる業なのです。
尚之さんはおそらく、流暢かつハードに単音を弾きこなすギタリストではなく、開放弦を上手く使いながら、天性の音感でもって自在にフレットのポジショニングを変えて弾き語るタイプのギタリストなのでしょう。
それはこの「ミネラル・ランチ」が、開放弦の自由度が高いト長調で作曲されている事からも成り立つ推測です(調ごとの開放弦の自由度については、「
明星」の記事をご参照くださいませ)。

 

リードギターの音色は、平坦なフランジャーとサスティンの短いディストーションの組み合わせ。
ちょうど千鳥格子さんの「I LOVE YOU、SAYONARA」で似た感じのギターサウンドを聴くことができます。


実はこのリードギターについては、LIVE映像で「えっ?」と思ったことがあるんです。
DVD「サーモスタットな夏」では普通に柴山さんが流れるようなフレーズを弾いています(サイドギターは大橋さん)。
この曲の単音ギターの音色は、柴山さんのスタイルにとても合っているんですね。
ところが、その後DVD「爛漫甲申演唱会」で観た「ミネラル・ランチ」。
アコギが柴山さん、リードギターのエレキが下山さん、という配置だったのでびっくりしました。

「ミネラル・ランチ」に限らず他の楽曲でも、アコギとエレキのアンサンブルの場合には、エレキ=柴山さん・アコギ=下山さんというスタイルが基本。しかしこのLIVEでは互いの役割が逆に・・・。
下山さんがリードギターを弾く「ミネラル・ランチ」は、非常にベタ~とした変態路線で(いや、ほめてますからこれ)、CD音源とかかなり異なった趣でした。
この演奏は貴重で楽しかったですが、何故この配置になったんだろう・・・と思っておりましたら、間髪入れずに続いた次曲が「あの日は雨」だったんですね~。さすがにこの曲の粘っこいリードギターは下山さんじゃなきゃ!ですから、そのための「ミネラル・ランチ」配置転換だったようです。

 

CD音源のリード・ギターフレーズについて、さらに余計な推測を申しますと。
これは、白井さんのアレンジ段階で装飾されたものではなく、尚之さんが作曲デモ段階で組み立てたメロディーではないか、と僕は思っています。
音階移動がいかにもサックスっぽいんですよ~。下がって、上がって~な感じが。
おそらくグリッサンドのような感じで尚之さんが口でハミングして、デモを作ったのではないでしょうか。
最終的にその部分は、詞ではなくギターフレーズが載って生かされたのでしょうね。

 

朝永彼方さんの柔らかい詞も、とてもメロディーに合っています。
「言葉にできない僕の気持ち」の硬質な感じのメロディーに載せた覚和歌子さんの詞もまた然りですが、やはりジュリーナンバー、女性作詞家陣にハズレ無し、ですね。

 

「ミネラル・ランチ」はこのように、楽曲構成面に掘り下げるべき要素を多く持つ作品なのですが、多くの他のナンバーと同じく、音源を聴いていますと、理屈をこねるのがナンセンスに思えてきます。ジュリーのヴォーカルが、賛辞の言葉を超えてしまうからです。
特に「ミネラル・ランチ」は、「サーモスタットな夏」というアルバムにあって重要なピロートーク路線(収録位置からも、「オリーブ・オイル」と対を為す楽曲と考えて良いでしょう)ですから、乙女のみなさまにとっては、理屈どころではないというワケでしょうね。

 

この曲は、エンディングでしつこく引っ張るのも特徴のひとつ。
「サーモスタットな夏」ツアーでは、引っ張って引っ張って・・・次曲「PEARL HARBOR LOVE STORY」イントロの波音へと繋がります。カッコイイですよ~!

 

今回は「ミネラル・ランチ」を中心に記事を書いてまいりましたが、今後機会があれば、藤井尚之さんもう1曲の作曲作品「言葉にできない僕の気持ち」についても深く掘り下げてみたいと思います。
通常美しさを求めて使用されるクリシェ進行が、この曲ではクールな表現のために使われて作曲されておりますので、その辺りを語ってまいりたいと。
いつになるやら、ではありますが、どうぞお楽しみに。

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2008年12月15日 (月)

沢田研二「PEARL HARBOR LOVE STORY」

from『サーモスタットな夏』、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

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(註:この「PEARL HARBOR LOVE STORY」の記事は、10年後に改めて書き直しています。できればそちらの方をお読み頂ければ有難いのです・・・。)


ジュリーばっかり伝授して申し訳ない。たぶん、当分この状態が続くと思う。
とにかく、東京ドームをキッカケに、今まで購入を見送っていた90年代以降のアルバムを聴き始めたら、これが(今のところ)大名盤ばっかりでな・・・。
今日は、1997年リリース「サーモスタットな夏」から、壮大なストーリー仕立てのバラード大作「PEARL HARBOR LOVE STORY」、伝授!

 

まず驚いたのは、この曲、ジュリー自身の作詞であるという事。今まで聴いてきたジュリーの膨大な楽曲の中で、詞が好き、と言える曲、5本の指にこの曲は入ってしまった。私などが内容を説明するとチンケになってしまうので、これは実際に聴いてもらうしかない。
アレンジは(アルバムを通して)白井良明さんなのだが、この曲は初期ビリー・ジョエルのバラード大作に見られる手法を踏襲していて、演奏時間の長さを忘れさせてくれる。各楽器の押し引きが絶妙で、特にラストひと回しの叙情的なアレンジに完全に堕ちた。
アルバム全体を通して、ヴォーカルのミックスが少し小さめなのは残念だが、ジュリー入魂のヴォーカル、当然この曲も、それだけで聴く価値がある。

 

アルバム他の収録曲もかなり良い。藤井尚之作曲の2曲がなかなか渋く、アルバムをギュッと締める役割を果たしている。東京ドームで演奏された「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」も名曲!
白井さんのアレンジには、ビートルズのオマージュがふんだんに散りばめられ、特にジョージ・ハリスンの楽曲あたりからアイデアを展開させているのが、私個人としては非常に好感度大であった。

 

先日の伝授で紹介したアルバム「忘却の天才」と違い、ギンギンのジュリーとは言えない。ただ、ジュリーの比較的最近のアルバムを「ギンギンではない」という理由で敬遠するのがどれほど勿体無いことであるか、思い知らされた。「サーモスタット~」は、そのうちDVDの方も買っちゃうだろうなぁ・・・。

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