『架空のオペラ』

2021年7月17日 (土)

沢田研二 「私生活のない女」

from『架空のオペラ』、1985

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1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影--ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

----------------

各地で豪雨の被害が相次いでいます。
僕の故郷鹿児島でも、ジュリーが「みんな入ろ」で歌った「せんちゃん」立地の薩摩川内を中心に、川内川流域で甚大な被害が出てしまいました。
これ以上のことが起きないよう祈ります・・・。


さて、バタバタして少し更新間隔が開きました。
今日は休日。しかしこちら関東圏では「危険な暑さになる」との予報が出ていましたし、外出は控えてこの記事を書いています。
やっぱり更新が少ないというのは自分でも淋しいですから、時に短めの文量であってもなるべく間隔を開けずに当面頑張っていきたいものです。

今日はアルバム『架空のオペラ』から「私生活のない女」をお題に選びました。少し前から「書こう」と色々と考えていたお題です。
85年というのはジュリーにとっても特別な年(独立がありましたからね)ですが、実は大野さんの作曲スタイルにも大きな変化があった時期で、今日はそのあたりをメインに考察してみたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。

コロナ禍の影響で、先の『BAKKADE』3大都市公演が「1年4ヶ月ぶり」のLIVEとなったジュリー。
タイガース時代からの百戦錬磨のジュリーファンの先輩方にとっても、ここまで長期「ジュリーに逢う」ことができなかったのは初めての経験だったそうで、会場の雰囲気は歓喜に満ちていましたね。

で、そこまで長くはないけれど過去にジュリーが「LIVEを休む」ことがあった・・・と、新規ファンの僕は現時点でジュリー2度の休止期間を認識しています。
1度目は3月に書いた「熱いまなざし」の記事で触れた76年。そして2度目が85年です。
85年当時のジュリーには「休むことは罪だと思うけれど、戻ってきた時には”さすが休んだだけのことはある”と言われたい」という思いがあったようです。
参照資料として、以前に福岡の先輩から授かりました雑誌記事を添付しておきましょう。

85101
85102
85103

後追いファンの僕などからすると一瞬
「カンヌには仕事絡みで行っているわけだしジュリー全然休んでないじゃん!」
と思ってしまいますが、ここでジュリーの言う「休む」とはテレビ含めたステージ・・・「歌」のことなんですよね?

その後、新生ジュリーが「戻って」きたのが、泥まみれになりながら「指」を歌ったあの映像で合ってるのかな。その前にLIVE復帰があったんでしたっけ?
このあたりが僕にはまだ把握できていません。

そして、心機一転のニューアルバム『架空のオペラ』でジュリーが作曲を託したのが大野さんであったという(先行シングルにして自作の「灰とダイモンド」以外の全8曲)、ここにジュリーの「歌」への決意が見てとれます。
声との相性を重視したとのことですが、そこにはセールス絶頂期を思い起こしたり、遡ってのPYG→井上バンド、さらに以前のGS期のエッセンスを求めての大野さんの起用でもあったでしょう。

ただ、もちろん大野さんは70年代と変わらぬ素晴らしいメロディーでジュリーの期待に応える一方、自身の製作アプローチの変化、進化も存分に投入してきました。
結果『架空のオペラ』は、メロディーやコード進行については70年代ジュリー・ナンバーを受け継ぎつつ、アレンジ、演奏については大野さんの新たな表現も前面に出た異色作、「他に似たアルバムが無い」貴重なジュリー名盤となったのです。

ジュリー絡みの知識は完全に後追いの僕ですが、この頃の大野さんの変化はリアルタイムで追えています。
言うまでもなく『太陽にほえろ!』サウンドトラック(番組の音楽クレジットは「井上堯之バンド」→「フリーウェイズ」→「大野克夫バンド」と変遷しますが作曲はすべて大野さん)で。

僕は高校進学後バンドに熱中したこともありほとんどテレビを観なくなった中で『太陽にほえろ!』は時々観ていて、特に殉職篇や新人刑事着任篇は必ず観るようにしていました。サウンドトラックもずっと追いかけていましたから、新人刑事着任篇では新たなレギュラーのテーマ曲(=大野さんの新曲)のお披露目も大きな楽しみのひとつでしたね。
華麗な王道メロディーの作曲自体はそのままに、大野さんの劇的なアレンジ・アプローチの変化が突如訪れたのが84年11月、新任のマイコン刑事(石原良純さん)のテーマです。
素人でもそれと分かる「テクノ風」なニュー・ロマンティック、大胆なサンプリング・エフェクトの導入。

まぁこの曲の時点では「マイコン」なるニックネームにちなんで敢えてそういうアレンジにしたのかな、と考えられたものの、86年の橘警部(渡哲也さん)&DJ刑事(西山浩司さん)着任篇において、いきなりメインテーマ(誰もが知る「ミドラ~♪」ってアレね)のアレンジまでもが激変(「メイン・テーマ’86」)。
とにかく全編チャカポコ、チャカポコな感じで、いわゆる「シンセ~!」な仕上がり。
さすがの僕も当初これには戸惑って「ちょっとやり過ぎなのでは?」と感じていたものです。
しかしその後サントラ盤でフルサイズのヴァージョンを聴くとギター・ソロとか最高にカッコ良くて、「以前のアレンジのヴァージョンと甲乙つけ難い、これが大野さんの新境地か!」と病みつきになりました。

『架空のオペラ』はそのちょうどド真ん中の時期に製作されているわけです。
つまり『架空のオペラ』での大野さんのアレンジ、演奏はまず「マイコン刑事のテーマ」でスタートしたアプローチを引き継ぎ、さらに86年の『太陽にほえろ!』音楽改変時に大きな影響を与えている、というね。

そこで「私生活のない女」です。
『架空のオペラ』収録曲中、最も『太陽にほえろ!』サントラと一線で結びやすいのがこの曲。リアルタイムでアルバムを聴いた先輩方も、一番「打ち込み感」を覚えた曲が「私生活のない女」ではなかったですか?

まず『マイコン刑事のテーマ』で導入されたスネア以外の音での「連打」サンプリングがここで採用されています(これはほぼ同時期に『太陽にほえろ!』サントラで「デューク刑事のテーマ」にも引き継がれています)。

さらに「私生活のない女」で是非注目して頂きたいのが、1'30"で唐突に登場する半音上がりの転調。
ポップ・ミュージックにおいて半音上がり、或いは1音上がりの転調は王道手法です。ただしそのほとんどは、「最後にもうひと盛り上がり!」といった楽曲の終盤、「ダメ押し」的な箇所で転調させます。
ジュリー・ナンバーで言えば「君をのせて」とか「あなたへの愛」とかね。

それが「私生活のない女」では、歌メロ1番と2番の境目に半音上がりの転調がくるんですよ!
楽曲の真ん中に半音上がりの転調があり、前後半のキーを二分する」 という、ポップス史上稀少な構成に仕上げられたわけです。

1番(ホ短調)

ピリオドのない退屈が
Em

今日も貴方をダメにする
D

プログラム通りに その身体を過ぎていく
C                                B7

おきまりのKISS ♪
              Em

2番(ヘ短調)

危なげだったあの頃が
Fm

貴方の夜に訪れる
E♭

悪戯に愛され たわむれに愛した
D♭                          C7

夏の日の恋 ♪
            Fm

「マイコン刑事のテーマ」を皮切りにサンプリング系の製作へとシフトした大野さんはその後、ややもすると単調になりがちな打ち込みパターンにいかに楽曲中の「要所」を載せていくか・・・様々な工夫を凝らす過程でこのアイデアを考案し、「私生活のない女」で初めて採用したのではないでしょうか。

そしてそのアイデアは86年の「DJ刑事のテーマ」に明快に受け継がれたのです(1’10”あたりに半音上がりの転調があります。ちなみにこの曲では、最後の最後に半音下がって元のキーに戻るオチを追加するオチャメな大野さん!)

拙ブログではこれまで、僕の「原風景」「自覚しないまま得ていたジュリー・サウンドへの資質」として何度も『太陽にほえろ!』サントラに触れてきました。
「私生活のない女」は、激烈、華麗な名曲が並ぶ『架空のオペラ』にあって決して目立つ歌ではありませんが、大野さんのアレンジ、演奏に特化して聴くと個人的にはとても大切に思える1曲。
「隠れた名曲」だと思っています。


最後に蛇足ではありますが・・・2009年以降の「マキシ」形式を除くそれ以前のジュリー・アルバムの中、これにて『架空のオペラ』は『G.S I LOVE YOU』『ROCK'N ROLL MARCH』『S/T/R/I/P/P/E/R』に続いて「ひとまず全収録曲のお題記事を書き終えた」1枚となりました。
各過去記事のカテゴリーもアルバム・タイトルに移行することとします。

感慨深いんですよね・・・僕と同時期(『ジュリー祭り』開催年)にジュリー堕ちされた方や、ファン復活された中抜け組の方ならお分かり頂けるかと思いますが、未聴の過去のジュリー・アルバムにはとにかく廃盤状態のものが多く、それらをなんとか遡って集めていこうという過程で、当時『架空のオペラ』が「最後に残された1枚」となった方は多いのではないでしょうか。
なにせ中古で1万円越えは当たり前。僕もさすがに手が出せずにいました。
「手に入らない」となると、アルバム・タイトルから不思議な「神々しさ」さえ感じられてくるというね。

個人的には先輩のご好意で音源だけは2009年に聴けていましたが、「正規品には一生巡り逢えないのでは」と思っていました。しかしその後CoCOLO期、EMI期と併せ待望のCD復刻は成り、今ではこうしてジャケットも歌詞カードも手元にあるわけです。
まさかこんなに早く全曲の記事を書き終える日が来るとは、10数年前では考えられないことでしたね。
まぁ「灰とダイヤモンド」「吟遊詩人」「砂漠のバレリーナ」「影-ルーマニアン・ナイト」あたりはヒヨッコ時代丸出しの浅い考察しかできていませんから、機会あらば改めて書き直したいとは思っていますが。

その『架空のオペラ』、これまで僕が収録曲中LIVE体感できているのは「灰とダイヤモンド」「砂漠のバレリーナ」の2曲です。
「砂漠のバレリーナ」を生で聴いた(2010年『歌門来福』)、というだけでジュリーファンとしての格が爆上がりしたように思ったものですが、そろそろ他の曲も・・・と切望しています。
今後セトリ入りの可能性が高いのは、ラジオ『ジュリー三昧』でジュリー自身が「大好き」な歌とまで語ってくれた「君が泣くのを見た」でしょうか。
『BALLADE』追加公演ではさすがに無いでしょうが、来年以降期待したいです!


そでれは次回更新は・・・。
今日『架空のオペラ』全曲の記事をひとまず書き終えることができましたが、他に「あと残り1曲を書けば収録全曲の執筆終了!」というジュリー・アルバムが現時点で5枚ありますので、せっかくですからこの勢いでもう1枚「コンプリート」しておこうかと。

どのアルバムにするかはまだ未定。とにかく早めの更新で頑張りたいと思います。

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2020年5月 1日 (金)

沢田研二 「はるかに遠い夢」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu 

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

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明日からゴールデンウィークですね。
僕は一昨日の祝日を普通に休み、今日金曜日は緊急事態を受けての特休を頂きましたので既に大型連休が始まっている感じですが、とにかく想定外の、大変な状況下で僕らは今年のゴールデンウィークを迎えることになりました。
この連休、我が家は夫婦とも完全自宅引き篭もりで過ごす予定です。僕はブログ更新と趣味の録音、読書。あとはお米とぎと洗いものに励もうと思います(笑)。

『自宅でジュリーの歌を聴こう!月間』(年間?)シリーズとして、様々な時代の作品から「元気の出るジュリー・ナンバー」を探して更新を頑張っている拙ブログですが、ここまで「いとしの惑星」「むくわれない水曜日」とビートものを続けて参りました。
今回と次回の2曲の雰囲気を変えまして、「たとえ悲しい内容の歌であってもジュリーの歌声そのものに癒される、元気を貰える」というタイプのしっとりした名盤、名曲に焦点を当て取り組んでいきます。
この大型連休、みなさま共に自宅でジュリーの妖美なヴォーカルに酔いしれて過ごしましょう!

まず今日は「屈指のヴォーカル・アルバム」としてほとんどのジュリーファンが推すであろう大名盤『架空のオペラ』から、まだ記事未執筆だった「はるかに遠い夢」を採り上げたいと思います。
得意の「妄想考察」を炸裂させますよ~。


独立し新たなスタートを切った85年のリリース。
アルバム『架空のオペラ』でジュリーは自身作詞・作曲(「李花幻」名義)のシングル「灰とダイヤモンド」以外の収録8曲を、「(ヴォーカルの)相性があるから」と久々に大野さんに託しました。
作詞陣には、すぐ後のCO-CoLO期のキーパーソンとなる松本一起さん、80年代歌謡界の旗手・高橋研さんという新たな出会いに加え、75年の名曲「外は吹雪」「人待ち顔」で大野さんとコンビを組んだ及川恒平さん、そして70年代末にこちらも大野さんとのコンビでソロ歌手・ジュリーの天下を牽引した阿久さんを起用。
阿久=大野コンビのジュリー・ナンバーはアルバム『TOKIO』の「夢を語れる相手がいれば」以来ということで、リアルタイムのファンの先輩方はこのクレジットに心躍ったのではないでしょうか。

阿久さんの提供は「吟遊詩人」と「はるかに遠い夢」で、いずれも素晴らしい名篇です。
ただこの2曲、阿久さんはそれぞれまったく違う角度から攻めてくるんですよね。

まず「吟遊詩人」の方では、阿久さんにとっての新たな「ジュリー像」が提示されました。
一方「はるかに遠い夢」は、ジュリー、大野さんとのトライアングルで天下を取った熱狂の70年代後半・・・まるで「はるかに遠い夢」なるタイトル自体があの時代を指しているかのような、郷愁のコンセプトとなっています。

ただしさすがは阿久さん、あの時代の手法をそのままなぞらえる、なんてことはしないのです。
そう、この詞は女性視点で描かれるんですね。

はるかに遠い夢の日を
           A♭            Cm

小さな椅子で思い出す
      A♭                 G7

あなたがいたら よく笑う
Fm7

女のままでいたでしょう ♪
Cm

かつて阿久さんは、強烈なダンディズムを以って男女の愛憎の物語を創り出し、歌い手・ジュリーを通した徹底的な男性視点を駆使しました。
そんな「男」の振る舞いやエゴイズムが、物語のもう1人の登場人物たる「相手の女性」にはどう見えていたのか。その後その女性はどのような人生を辿ったのか。
それが「はるかに遠い夢」に込められた阿久さんのコンセプトである・・・今回の僕の「妄想考察」的解釈です。

あの時代から時を経て、歌も色気もキャリアも積み上げた今のジュリー(85年ね)がそれを歌う、という阿久さんからすればドSなシチュエーションまで計算しての作詞だったんじゃないかな。
このところ僕は「セシリア」とアルバム『JULIEⅡ』を結びつけたり(「夕なぎ」の詞については、いつもお世話になっている先輩から「僕は戻った」と歌われる意味深さを、リリース時期のジュリーをとりまく状況を踏まえて正に今日、メールにてご教示頂いたばかりです)、「むくわれない水曜日」を「お嬢さんお手上げだ」の続きの物語のようだと書くなど勝手なシンクロ妄想を披露してしまいましたが、今回のは結構説得力ありますでしょ?

では「はるかに遠い夢」が具体的にどの曲の「続き」として楽しめるかと言えば・・・これは「薔薇の門」です!

えっ?
「ま~たオマエはそうやってマニアックな曲に走ろうとするんだから~。「勝手にしやがれ」とか「LOVE(抱きしめたい)」でも良いじゃないの!」
ですって?
それがそうも行かないんですよ。例えば

軽やかな足どりで
Cm                 Fm

駆けのぼる階段は
                   Cm

靴の響きもデュエットで
                            Fm

嬉しがらせていた ♪
                     Cm

この歌詞部は正に「言葉遣い師」阿久さんのセンス爆発!な表現で僕は特にお気に入りの箇所ですけど、これ舞台(女性が今もそこに住んでいる)は「洋館」ですよね。懐かしき昭和の洋館です(なんとなく南新宿とか世田谷あたりに建ってそう、と江戸川乱歩ファンの僕は想像していますが)。
「勝手にしやがれ」の舞台はアパート2階のイメージですから、これで消去となります。
さらには

あなたのいない広さだけ
Fm7

両手ではかる真似をする
Cm

お道化たあとの寂しさが
Fm7

La-Lai  La-Lai  La-Lai  La-Lai ♪
                Dm7-5            G7

この箇所も阿久さんらしくて好きだな~。
で、女性はたぶんひとり暮らしじゃないですか。旦那さんがいる様子はない・・・ですから「優しく包む人がいる」と歌われる「LOVE(抱きしめたい)」の線も消える、というわけです。
ずいぶん前にお題記事で少しだけ書いたんですけど、「薔薇の門」は僕にとって「住宅街のはずれに忽然と建てられた洋館にひとり住むワケあり女性との逢瀬」のイメージなのですよ。

でも一応、真面目な考察も書かないと(笑)。
大野さんのメロディーは相変わらずの美しさ。独特のねばり強さもあってジュリーの言う通り「ヴォーカルの相性」を感じさせてくれます。
特筆すべきは、アルバムの中で最も「打ち込み」感が強く押し出されていること。

大野さんの作品について、僕の場合ジュリーより先に『太陽にほえろ!』のサウンドタラックで洗礼を受けていたことはこれまで何度か書いてきましたが、大野さんは『架空のオペラ』制作直前にあたる84年、石原良純さん演じる「マイコン刑事」の登場を機に『太陽にほえろ!』挿入曲のアレンジ手法をガラリと変えているんです。
まず打ち込みのリズムありき、そこにどれだけ叙情的なメロディーを組み込めるか、というアプローチです。
マイコン刑事のテーマは(当時)新曲2曲が作られて、そのいずれも「はるかに遠い夢」のアレンジと密接に繋がります。
さらに86年には大胆にアレンジを変えリメイクした「太陽にほえろ!メインテーマ’86」をリリース。僕はこれこそ『架空のオペラ』を経て辿り着いた、大野さん流ミニマル・ミュージック解釈の集大成と考えています。

最後にジュリーのヴォーカルについてひと言。
もうね、永遠に身を委ねていられそうな甘美、妖艶の歌声ですねぇ。高音域の魅力という点では、アルバム内でも一、二ではないでしょうか。
今回採譜をして自分でも弾き語ってみたんですけど、ま~高い高い!
サビなんて、一瞬ならまだしも、何度も何度も高い「ソ」まで駆け上がらねばなりません。最後のリフレインあたりで息が切れてしまいます。やっぱりジュリーは凄い喉の持ち主です。
みなさまも是非この機に聴き返してみてください。


それでは、今日のオマケ・・・というわけでもないのですが、先日goma様のご提案くださいました
今こそファンそれぞれが考える、2020年全国ツアー・幻のセットリスト
休日を自宅で過ごすには最適でとても共感いたしましたので、僕もこの場を借りてやってみたいと思います。自分の特に好きな曲をただ並べるだけだとあり得ないセトリになってしまうので、近年の傾向を踏まえた「当てにいく」予想として考えてみました。

1.「ポラロイドGIRL」
(ツアーが始まってからしばらくの間は、走りまくるお客さんの手拍子テンポにジュリーがダメ出し)
2.「強いHEART
(『Pleasure Pleasure』ツアー以来久々!)
3.「追憶」
(この曲の前にMCあり・・・華麗にお辞儀をしてからの有名シングル攻勢)
4.「憎みきれないろくでなし」
(柴山さんの神技炸裂!)
5.「東京五輪ありがとう」
(柴山さん作曲作品から、今回はこれ!)
6.「Help!Help!Help!Help!」
(ようやく僕もコーラス参加できる~)
7.「頑張んべえよ」
(ロングトーンがCD以上に鬼!)
8.「一握り人の罪」
(今歌われると、リリース当時とはまた違った意味でかなり意味深な選曲)
9.「我が窮状」
(柴山さんレスポールにチェンジ)
10.「届かない花々」
(セトリ超常連のこの曲もギター1本体制では初。カッティングの間を細かなブラッシングでアレンジ)
11.「緑色のKiss Kiss Kiss」
(ジュリーの手拍子から演奏スタート!)
12.「1989」
(ギター1本のゴリゴリ感が合う)
13.「グッバイ・マリア」
(音楽劇関連から。僕は初体感!)
14.「Good good day」
(これも初体感。長年の期待叶う!)
15.「酒場でDABADA」
(初体感3連発。YOKO君はめでたく川口リリアの2階席から10年越しのダイブ実現笑)
16.「そのキスが欲しい」
(これは「歌う」と予告されていました)
17.「不良時代」
(このところ、アルバム『JULIEⅣ 今僕は倖せです』からのセトリ入りが目立ちますよね)
~アンコール~
18.「君のキレイのために」
(『奇跡元年』以来!)
19.「時の過ぎゆくままに」
(予告済みの超有名曲)
20.「約束の地」
(昨年の「さよならを待たせて」みたいな荘厳な大トリ。柴山さんレスポール)

いかがでしょうか?
「無事でありますよう」も入れたかったけど、来年の鉄板セトリとしての願望も込め、とっておきました。
みなさまそれぞれに「私の考えたセトリ」がありましたら、是非教えてくださいね。

では次回も「ジュリーの歌声に癒される」パターンの名盤からのお題で更新を予定しています。
今回の『架空のオペラ』が絶大な支持を集めているのに対し、次回採り上げるアルバムはジュリーファンの間でも好みが分かれる、いわば「問題作」のようです。
ただ僕個人としては心底惚れ込んでいる名盤です。

さぁどのアルバム、どの曲でしょうか。
連休中に書き上げるつもりです。しばしお待ちを~。

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2017年5月24日 (水)

沢田研二 「指」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

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いやぁ先週末からとにかく暑いですな~。
まだ5月だというのに職場では冷房がかかりまくっています。僕はあまりクーラーが得意ではないので重ね着したりして体調に気をつけていますが、みなさまはこの暑さの中いかがお過ごしでしょうか。
こちらでは今日の夕方から暑さは少しマシになったっぽいので、『大悪名』海老名公演にお出かけのみなさまにとっては幸いでしたね。

さて、自分の中での予定よりも少しだけ更新が遅れました。案の定と言うか、今日のお題曲の採譜に手こずりましてね~。でも、斬新な進行を地道に確認してゆく作業は本当に楽しいのです。
最近また大長文傾向にある拙ブログですから(と言うか『愛をもとめて』のチャプターに気合が入りまくっている笑)、今回も枕は短めに・・・”『愛をもとめて』のジュリーの話から関連してお題を選ぶ”シリーズ、今日はジュリーが『唐版・滝の白糸』について話してくれた回を書きますので、考察お題は当然蜷川さん繋がりの圧倒的大作バラード、「指」を採り上げたいと思います。
アルバム『架空のオペラ』から、伝授!


①猟奇?妖美? 「指」はどのようにエロいのか

僕は小学校高学年で既に江戸川乱歩の「大人向け」な数々の名作を読破していたという、自慢できるようなヤバイような少年時代を過ごしておりました。
とは言っても別にませていたわけではなくて、小学校低学年で読んでいたポプラ社の少年探偵モノから、ごく自然にシフトしていったというわけです。

ただねぇ、そんな年齢ではいくら「孤島の鬼」やら「パノラマ島奇譚」やら「陰獣」やらを「面白い面白い」と夢中になって読んだとしても、その真髄は理解できようはずがないんですよ。やっぱり、ある程度の年齢になって読み返してじわじわとね。
それでも子供心に「面白い」と思っていたことは確かです。ただし、中には10代そこそこでは「理解できない」ばかりか「面白いとも思えずひたすら気持ち悪い思いをしただけだった」作品もいくつかありました。
そのひとつが「盲獣」。
もちろん今は大変な名作と思ってはいますが、なにせ「謎解き」とかまるで関係ないし、物語が解決することもない・・・いや、一応解決はしているんですけど初読の年齢ではそれが分からない、どこが面白いのかサっパリ理解不能だったのでした。
エグ過ぎるストーリーなので詳しい説明はやめておくとして、ただ1点、「異常なまでに触感が研ぎ澄まされた」男が登場する物語、とだけ記しておきます。
なまめかしくもゾゾゾ~っとする男の指の描写は、DYNAMITE少年の数年間に及ぶトラウマとなりました。

そんな僕が初めてアルバム『架空のオペラ』で「指」を聴いた時、良い意味で幼少期の「盲獣」のトラウマが甦ってきたのも、この曲の特殊「性」あらばこそ。
「ジュリー・ナンバーにエロ多し」と言えども「指」はやはり異質。では、何がどう異質なのでしょうか。

「身体を差し出すようなエゴイズム」?
「自傷と紙一重のナルシズム」?

いやいや、僕のそんな陳腐な表現では全然ダメ。もっと深くて・・・そして、敢えてこう表現しますがもっともっと「不健全」なものだ、と感じます。
もちろんこれは僕自身に美的センスが皆無、ということも影響しているとは思いますが(涙)、例えばこの曲で有名なのは何と言っても蜷川さん演出の、雨に打たれて歌い、泥水にまみれるジュリーですよね。
個人的にはあの映像を単に「斬新」「美しい」では済まされない。不愉快と快感ギリギリのところでジュリーが苦しみ、あがいているように思われるのです。
ある意味あんなに猟奇的、自虐的、耽美的なことをして見事に歌、詞、演奏とガッチリ嵌っているにも関わらず、歌っているジュリーの「ノーマル」な本質がそれを抗っていると言うか・・・いや、ジュリーだけじゃないなぁ。松本一起さんの詞も、僕はこれ実はすごくノーマルなんじゃないか、と思っています。

人さし指 5本の指 10本の指
G           Gmaj7      Dm7

君の肩を 胸を腰を 暗闇に描く
C                                  G

君を抱きしめた この生きもので
   Dm7                                Cmaj7  C#dim

思い出より 君を憶えている この指で ♪
      Dm7           Fm     G7          C

このサビなんかも、表現としては凄まじくエロいし「ズバリ!」ではあるんですけど、これ特に異常な情景や心情ではないわけですからね。誰しもが共感し体験することでもあるでしょう。

敬愛する先輩が以前仰っていたけど、蜷川さんのこの演出が無くてもジュリーが普通に「指」という歌を歌えば、聴き手それぞれが何か尋常ならざるものをかきたてられる、ということは起こるはず。でもあの演出で「指」は確信犯的に聴き手を異質の場所へと誘導し引きずりこんでしまいます。
それは「水」と「泥」の触感。
水の冷たさや泥の手触り、肌触りなんて気持ちの良いものではないのだけれど、その触感を与えておいた上で、そこから歌全体のイメージが改めて刷り込まれるという・・・ですから僕にとって「指」のエロとは、蜷川さん演出の映像を観る前と後とではとんでもなく感じ方が変わりました。
今はね、「怖いもの見たさ」に近い感覚。少年時代にはまるで理解できなかった乱歩の「盲獣」を、大人になってから読み返した時の戦慄によく似ています。
僕の中にある「ノーマル」な感性がチクチク刺され剥がされていく感じですかね~。

たぶんこの曲には、聴き手の「闇」を抉る力があって、それが他のジュリー・ナンバーとは比較し得ない「エロ」として迫ってくるのではないでしょうか。
まぁ僕の持つ「闇」なんてそんな大層なものではないですが(←卑屈になってるのか言い訳してるのかどっちだ?笑)、それでも「指」は本当にヤバイ曲ですよ。
だからこそ凄まじい名曲なのでしょう。

②楽曲全体の考察

歌っているジュリー、作詞の松本さんが「ノーマル」であると書きましたが、対峙する「アブノーマル」として「指」には蜷川さんの演出以外にもうひとつ、「危険な淫靡」をもたらす要因があると僕は考えます。それが大野さんの作曲です。

大野さんの作曲作品って、王道の進行に流麗なメロディーを載せてくるパターンが多くて、調号の変化が登場するナンバーは数えるほどしかありません。
ただ、大野さんがひとたび転調を採用するととてつもない大作、とんでもない斬新な作品が生まれます。ロック調なら「残された時間」、そしてバラードなら・・・僕はこれまで「ママ・・・・・・」だと考えていましたが、やっぱり「指」も負けないくらいに凄かった!
まずホ長調(Aメロ、Bメロまで)で始まる歌メロがサビでト長調、そしてサビの途中から(!)いつの間にやらハ長調へと転じています。

しかも、同じホ長調であるにも関わらず、AメロとBメロは全然印象が違いますよね。
おそらく「指」で大野さんは、「まったく異なる楽曲のアイデアを合体させて1曲の大作とする」作曲手法をとったのではないでしょうか。
この手法はクイーンの作曲クレジットが有名で、例えばフレディ・マーキュリーとブライアン・メイが持ち寄った別々の曲を合体させちゃうわけです。同一の作曲家であれば、ジョン・レノンの「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」が、「ヴァースごとにまったく違う!」この手法の大成功例ですかね。

「指」の進行、Aメロに限っては王道です。

同じ夜 同じ星 だけど違う場所
      E          C#7         F#m7     B

今 寂しくはないのか?
         A            G#m7

君はどこにいる ♪
   C#m      D     B7

これがBメロになると、一瞬だけ「んん?」と唸るフェイクが顔を出します。

最初の炎 ただ揺れて燃えつきて
E                                E(onD)

過去を見つめ うつろにワインを飲み終える ♪
                       C#7                         C

最後の「C」が、突然の半音堕ち。なんか・・・ここエロいですよね(笑)。危険な香りがします。

サビに突入すると、もう「今何がどうなった?」とクラクラするほど。3度登場するコードの中で「Dm7」の役割がそれぞれまるっきり違うんですよ。
(コードはチャプター①を参照)
1度目の「Dm7」は、ト長調のドミナントをマイナーに変換するという、「福幸よ」「犀か象」で昨年解説しまくった手法。これだけでも充分斬新ですけど、2度目の「Dm7」は、「みんな気づかないと思うけど、ここからハ長調になってるよ!」という「仕込み」です。これが無ければ次の「この生きもので~~~~♪」の圧巻のメロディー(ハ長調のトニックに着地)、ジュリー・ヴォーカルのあの突き抜け感には繋がりません。
3度目の「Dm7」は、ここはもうシレッとハ長調のサブ・ドミナント。「G7」(ドミナント)と共に、「この指で♪」の着地を助ける役割を担います。この「Dm7」と「G7」の間に突如「Fm」が挟まっているから、パズルみたいな進行になるのですな~。

「指」そしてアルバム『架空のオペラ』が素晴らしいのは、この斬新な進行のバラード大作をアルバムの冒頭1曲目に配していること。
演奏時間長めの重厚かつ複雑な構成のバラードで幕を開け、聴き手のド肝を抜く・・・ジュリーのアルバムでこのパターンは珍しいですよね。敢えて言えば、『思いきり気障な人生』もそうかな?
いずれにしてもそのインパクトは強烈。特に『架空のオペラ』はアルバム全体を通しての「こんなジュリー、今まで無かった!」感を冒頭の「指」がそのまま支配し続けているわけで、リアルタイムで聴いた先輩方はさぞ驚かれたのではないでしょうか。

アレンジも豪華です。個人的に好みの手管が2つあって、まずは歌メロ最後の最後、後奏へと向かって切り込むティンパニが痺れる!
「ここぞ!」のタイミングで噛み込むティンパニって、僕は昔からの大好物。『真田丸』のメインテーマでも一番好きなのは、イントロ「ちゃっ、ちゃっちゃっちゃっ、ちゃららっ、ちゃっちゃっ、ちゃっ♪」直後の「でけでんでん、でけでんでん!」のトコですからね。
もうひとつは、これも後奏で目立つのですが、ストリングス3連符の刻み。
壮大なバラードならではのアレンジで、この刻みのリズムは僕が現時点で最も好きなactナンバーである「エディットへ」にも登場します。

85年というのは、大野さんのアレンジャー・キャリアで言えばちょうど「サンプリング」を採り入れた大変革の時期と言えます。これは『太陽にほえろ!』の挿入曲の歴史を辿ってみても明らか。
『架空のオペラ』収録曲ですと、「はるかに遠い夢」などは「マイコン刑事」のために大野さんが作曲・編曲した2つのテーマソングと密接に繋がります。
もちろん「打ち込み打ち込みしたサウンド」もそれはそれで素晴らしいのですが、この「指」についてはサンプリング(タンバリンが一番目立ちますね)すら独特の緊張感があって、生の感触が強いように思います。ストリングスとかイントロの木管とか、これシンセなんですかね?僕には生音のように聴こえてしまっていますが・・・。

いずれにしても、「灰とダイヤモンド」以外すべて大野さんの作曲、そして全ナンバーのアレンジを大野さんが担当することによって『架空のオペラ』に魔法がかかり、「指」=1曲目の斬新な配置も大野さんの曲並びからすんなり決まったのでしょうね。
僕は決してアルバムの中で「指」が抜きん出て好きというわけではありませんが、「別格の名曲」とは考えていて、やっぱりこの曲なくして『架空のオペラ』は成立しない・・・たぶん一度でもジュリーの生歌を聴けたら「超別格曲」と認識を改めるであろうことは確実(同時に、こうして文章で語り倒すことの無意味さ、愚かさをも痛感することになるでしょう)とは言え、果たしてこの先機会がありますかどうか。
とりあえず『架空のオペラ』からは、今年のツアーで「灰とダイヤモンド」セットリスト入りを期待します!

③『愛をもとめて』より 『唐版・滝の白糸』の話

今日の『沢田研二の愛をもとめて』のコーナーは蜷川さん繋がりということで、ジュリーが『唐版・滝の白糸』について話してくれている回を採り上げます。
この回は、「追憶」「白い部屋」2曲ぶんのBGMの間、「公演が終わってひと安心しているところ」という心境のままにたっぷりと話してくれるジュリーです。
まずはこのお芝居をやることになったきっかけを


こういうのも巡り合わせでね、別に「どうしてこうして」っていうんじゃなくて、偶然が偶然を呼んでトントントントンと。

と、ジュリーはまったく本心で話しているでしょうが、「偶然」は確かにあれども、周りがジュリーの魅力、適性を放ってはおかなかった面もたぶんにあるんじゃないかなぁ、と思いながら僕は聞いていました。


まぁ僕も(話が具体化する)途中で本を読んでみたり色々したら、もう台詞はいっぱいあるしね~。長いしね~。
初めてでしょう、僕が舞台で生のお芝居をやる、なんていうのはね。テレビとか映画だったら、「カット割り」とか、そこだけとにかくやって次のところはまた練習して、ってできるけどお芝居は始まっちゃったらず~っとねぇ。
まして僕なんか、ほとんど最初っから出ずっぱり。途中ちょっと5分か10分くらい引っこんでるだけでね、(お芝居全体の中の)1時間半くらいは丸々ね。大主役なわけですよ。


そうかぁ、ジュリーはこれが初のお芝居だったか~と、後追いファンの僕は改めて再確認。その後40年余が過ぎて、今まさにジュリーは「最後の音楽劇」となる『大悪名』公演真っ最中という・・・。


だから最初話が決まりかけた時にね、僕はイヤでイヤでしょうがなかった。いや、今だから言えるんだけれども(笑)。怖くてね、こんなの僕にできるのかな、なんて思ってね。

稽古に入ってから最初の2、3日は台本見ながらやったそうです。ジュリーはどうしても台本を見てしまう、頼ってしまうという状況だったそうですが


「そろそろ台本離してやりましょう」と蜷川さんがおっしゃいましてね。「怖い、怖い」なんて思ってね。
稽古は12日くらいやってたのかな。(稽古期間の)真ん中くらいにきて、台詞を覚え出した頃から、だんだんこう、面白くなってきてね。やってるうちに、自分で酔えるっていうかね。
大映の東京撮影所で作ったセットで、本番通りに照明もして、やってたらね、自分でやってて涙が出てくる、胸をかきむしられるような、っていう。こういう時って、歌を歌っててもそうだけど、別に「悲しい」とかそんなんじゃなくて、涙がじ~っと出てくるっていう・・・そういう時って一番嬉しい時だから。


なるほど・・・これが「表現者」がよく言うところの「無心の涙」なのかな。
僕もジュリーのLIVEに行くようになって、何度か「歌っている最中に涙が上がってきている」ジュリーを観ています。もちろんそれは歌の内容、歌詞によるところが大いにあるんだけど、それ以上に歌に入り込んで、邪気を無くした時に起こると。
だから、カッコをつけたり、「こういうことを歌っている」と思考し主張しながら歌ったり演じたりしていると逆にそれは起きないことなんだろうなぁ。
ジュリーは『唐版・滝の白糸』で、初めてのお芝居にして高い境地に達していたのですね。


評判も良かったしね。今思ったらやっぱり「よくやったなぁ」と思うんだけれども、この仕事をしてね、いつもいつも軽い仕事ばっかりしてるとね、人間ダメになってしまうなぁと思ったりもしてるし、うまくいったらいったで・・・まぁ現金なものだけど、今終わって振り返ってみて、やっぱり唐十郎さんとか、共演してくださった麗仙さんって人も、本当にあの人とやってる時ってのはね、あの人は(お芝居全体の)真ん中あたりから出てくるんだけれども、あの人が出てから僕の気持ちもビシ~ッ!と締まってきてね、どんどんどんどんリードされるわけですよね。
「アングラの華」って言われてあんまりテレビとかそういうとこ出ないで、ご存知ないかたの方が多いのかもしれないけど、隠れたところで頑張って一生懸命やってる人もたくさんいるんだなぁと。


最後はしみじみと、演出の蜷川さんはじめスタッフがお金の計算とか考えずに、「とにかくいいものを!」と打ち込む、そういう仕事ってのは大切なんだなぁと語っていたジュリー。初めてのお芝居を大成功させて


今度の中野サンプラザのステージは頑張ってやろう・・・と、やる気になったんです。ものすごく。

改めて羨ましいなぁと思うのは、首都圏にお住まいの(或いは75年当時お住まいだった)先輩方の中には、『唐版・滝の白糸』を観劇され、続く中野サンプラザのLIVEにも参加、ジュリーの進化を目の当たりにした方々が実際いらっしゃるのだ、というね。
いつもお世話になっているピーファンの先輩から以前お借りしたスクラップ・ブックの中にも、チケット半券が大切に保管されていました。

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また、別の先輩には『唐版・滝の白糸』の批評が掲載されている新聞記事の切り抜きを見せて頂いたことがあります。僕のような後追いファンとしては、その切り抜きの存在自体がもう夢かうつつか、という感じで現実感が持てなくて。
今回『愛をもとめて』でのジュリーの話を聞き、勉強して、今までリアルに飲み込めていなかった感覚を少しだけ克服できたような気がしているところです。

僕がジュリーのスケジュールをリアルタイムで把握するようになったのは『ジュリー祭り』が明けた2009年以降ですが、「お芝居をやってから全国ツアー」というスタイルでずっと来ていますよね。
体力的にも大変でしょうしシンドイのでしょうが、ジュリーの中では仕事をしてゆく上でそれが自然にして必然の「いい流れ」だったのでしょう。
音楽劇は今年2017年でラスト・・・70歳となる来年からはまた違ったスケジュールに切り替えてコツコツと、ということになるのでしょうが、最後の音楽劇を僕もしっかり見届けなければ、と思いを強くしました。

そうそう、今回の『大悪名』豪華キャストの中で僕が特に注目しているのは、茂山宗彦さん(つい先日出演されていることに気がつきました)。あの懐かしい『ちりとてちん』の小草若じゃあないですか~。
「底抜けに痺れましたがな!」の茂山さんがどんなお芝居を魅せてくださるのか・・・楽しみです!


それでは、オマケです!
こちらも福岡の先輩のお世話になり手元にございます『ヤング』のバックナンバー、85年1月号から。


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この頃はジュリーの「今後の情報」というのがまったく無くて、ファンからは次のコンサートの問い合わせなどが相次いでいたそうですね。
その「次のコンサート」で皆のド肝を抜いたのが、お題の「指」であったりした・・・のかな?
そして、この『新春かくし芸大会』から30余年。今ジュリーは貫録の「親分」を演じているのですね~。


では次回更新ですが、実は、先日「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の記事で書いたジュリーのフランス話・第1弾が秘かに大変な好評でございまして。
普段優しくも厳しく拙ブログの内容を叱咤してくださる指南格の先輩方が揃って、珍しくただただハートマーク状態となり(笑)「続きを~」と切望していらっしゃいますので、フランスの話・第2弾を書こうと思います。
「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド」大ヒットを受けてジュリーが再度渡仏した際の話や、有名な「フランス・ポリドールのゴールデン・ディスク受賞」の話も出てきて、これまた素敵な回ですよ~。

考察お題曲は「フランス関連」ということで、ジュリー自身の作詞・作曲による2000年代のアコースティック・パワーポップなあの名曲を採り上げます(←バレバレ)。
どうぞお楽しみに!

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2017年2月16日 (木)

沢田研二 「絹の部屋」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

--------------------

矢継ぎ早の更新が続きます。
読む方も大変でしょうが、適当にナナメ読みするとか、午後のおやつの時間のお供にするとか、とにかく気楽におつき合いくださいませ。
なるべくコンパクトに、まいります!

先日のオリコン特番で若き日のジュリーを観ていたせいか・・・ジュリーの「デビュー50周年」を振り返る日々の中で、どうしても自分の「ジュリー愛」が長いファンの先輩方に比べて劣っている、ハンデがある、と感じることが時々あるな、と思い至りました。
新規ファンである、ということももちろんですが、まず僕は男性という時点で大きなハンデを負っている・・・つまり僕は「ジュリーに恋をした経験が無い」のですよ。

もちろん、それをして世のすべての男性ジュリーファンが女性ファンに劣っている、と思ってはいません。特にジュリーと世代の近い男性ファンには、同姓ならではの特別な親愛の情の持ち方があって、そのことはたぶん近々の考察記事お題で触れられると思います。それに、真剣にジュリーに「恋をした」経験を持つ男性ファンも少なからずいらっしゃるのでしょうし・・・。
ここで書いているのはあくまでジュリーよりかなり年下、かつノン気な僕個人に限ってのお話です。

そんなハンデを特に強く感じるのが、「官能のジュリー・バラード」を聴いている時。
ただ、例えば「AFTERMATH」「Pin PointでLove」あたりはもう記事を書き終えていますが、これらは男性視点から「行為軸」(ゲスな表現ですみません)と脳内でリンクさせながら聴ける特性があって、同姓だからこそ「分かる」面もあるかもしれません。
ところが、完全に「ジュリーから誘われている受け手」として聴くしかないほどの官能のバラードとなると、これは女性リスナーの感性に敵わないでしょう。
今日採り上げるのはそんな名曲です。

女性ファンの先輩方に比べて、その素晴らしさがどこまで理解できているか分からない、自分のジュリー愛が劣っていることを自覚せざるを得ない・・・。
それでも、大好きな曲。個人的にはアルバム『架空のオペラ』収録曲の中で一番好きな曲です。
「絹の部屋」、畏れながら伝授!


この曲、何といっても圧倒的なのはジュリーのあのヴォーカルですわな~。
ジュリーはデビューからずっと(「ほぼ虎」のあった2011年以外は)毎年新譜をリリースし続けています。
これは本当に世界に類を見ない凄まじい偉業なのですが、毎年リアルタイムで新譜を追いかけていた先輩方が「たったの1年で前作とはガラリと印象が変わった」と感じた作品がこれまでいくつかあったことでしょう。
中でも、84年の『NON POLICY』から85年の『架空のオペラ』の変化には特に驚いたのではないですか?
これはもう、ジュリーのヴォーカルが違う、それに尽きると思うんですよ。

もちろん84年までのヴォーカルだって素晴らしい。
どちらが優れている、という話ではありません。それに、声や歌い方それ自体は、例えば84年の「シルクの夜」と85年の「絹の部屋」を聴き比べれば自然に繋がっている、なだらかに進化している、と思えます。
『架空のオペラ』の衝撃とは、アレンジやミックスといった「楽曲の作りこみ、仕上げ方がジュリーの声をこうも違えるのか」という1点だと僕は考えています。
エキゾティクスのロックな演奏があって、そこで類稀なセンスでヴォーカリストとしての機能を果たしていたそれまでの手法から、ただただジュリーの歌がそこにある、まずジュリーの声があって伴奏がサポートに徹している、という手法への変化。
劇変ですよね。
ヴァイオリンと掛け合う「灰とダイヤモンド」、実験的なダブル・トラックを採り入れた「影-ルーマニアン・ナイト」と各曲ごとの切り口はそれぞれ違えども、「歌を押し出す」曲の作り込みはアルバム『架空のオペラ』全体のコンセプトであったようです。

「絹の部屋」での大野さんの作曲は、長調のバラード王道中の王道です。
特にAメロのコード進行については、キーやメロディーこそ異なりますがまったく同じ理屈で「愛の出帆」「約束の地」「護られているI LOVE YOU」などの純度の高いジュリー・バラードで採り入れてられています。
普通こういう曲って、仕上げに豪華な装飾をしたくなるものなんですよ。厚いオーケストラを入れたり、満を持して転調させたり、コーラスを重ねたり・・・でも『架空のオペラ』はそういうことを排するところで成立している名盤ではないでしょうか。

「絹の部屋」の場合は、「よくぞコーラスを思い留まったなぁ」と。特にBメロです。

お互いにさりげなく 小さな嘘達を
A♭            B♭        E♭        E♭7

ちりばめて見せるのが
A♭                F7

恋のドラマトウルギー ♪
      B♭            B♭7

耳に心地よく綺麗で覚え易いメロディー。音感に疎い僕ですらここは
「ラ♭ラ♭ラ♭ラ♭ラ♭~、ラ♭ラ♭ソソソ~・・・♪」
と字ハモのメロディーをすぐに脳内で音源に重ねることができます。
でもこの曲は最初から最後まで「あくまでジュリーのメイン・ヴォーカル1本!」なんですよね。

ただし、黒子に徹する演奏も、だからと言ってただ漫然としているわけでは当然なく、個人的にはジュリーのヴォーカルの間隙を縫うホイッスルのような感じのシンセの音色に特に惹かれます。
あと、独特の雰囲気があるベース・・・これは普通のフレットレスでしょうか。それともシンセ?
僕の耳では分かりません。『架空のオペラ』の演奏については未だハッキリしない謎が多いです。

この曲でのジュリーの発声の特徴は、「そっと置く」ように語尾を歌っている箇所が多いこと。
1番Aメロがとにかく凄くて

君の頬で妖しく     輝   く
   E♭        Gm7(onD)  Cm7  Cm7(onB♭)

美しい罠  だ ♪
Fm7  B♭  E♭     A♭  B♭

の「罠だ♪」の「だ」であったり

瞳を閉じ
  A♭

たまらずゆらりと揺れた ♪
                  Fm7      B♭

の「揺れた♪」の「た」であったり。
前年までの「放り投げる」ロックな語尾表現とはまた違う、「そっと置く」としか言いようのない独特の発声感覚。
特に1番では「さぁ、こっちへおいで」というシーンを歌っているわけですからねぇ。凄い凄いと思いながらも、ここが男性の僕には大きなハンデ。
どうですか、先輩方?「罠だ♪」のところで早くも「もう好きにして~」とメロメロになっちゃうものですか?

さて、ジュリーのヴォーカル、大野さんのメロディーと同じく素晴らしいのが及川恒平さんの詞です。
ジュリーが自作詞以外は女性の作詞作品を好むことは周知の事実ですが、当然男性が作詞したジュリー・ナンバーも名篇揃い。個人的には、ジュリー・ナンバーを通して初めてその才を知った及川恒平さんの作詞作品には格別な思い入れがあります。
”第一次ジュリー堕ち期”に購入したアルバム『いくつかの場面』で出逢った「外は吹雪」「人待ち顔」「U.F.O」の3篇には本当に驚いたものです。これほど素晴らしい詩人を今まで知らずにいたのか、と。

「絹の部屋」は『いくつかの場面』収録の3篇とはちょっと空気感が違いますけど、素晴らしさは不変。
煽動性の無い特殊な剥き出しのエロス・・・ズバリ書いてしまいますが、性交渉を「お互いの不自由を喜びあえる」と表現するセンスは只事ではありません。
「男性が聴くにはハンデがある」と書かざるを得ないジュリー官能のバラードを男性の及川さんが作詞している、ということからして既に凄い。

ゆこうよ君 ゆこうよ君
      E♭ Gdim   A♭  Bdim

真夜中の絹の   部屋へ ♪
       E♭     A♭  B♭7   E♭

このサビの詞、歌に自然に身を委ねることのできる女性ジュリーファンの先輩方が本当に羨ましく・・・今日はなかなかに悔しい(?)伝授でございました~。

それにしても。
この数年、年末にお2人のJ先輩との忘年会開催が恒例となっているんですけど、やっぱりその時期にお会いすると「お正月LIVEはどんな曲を歌ってくれるのか」という話題になります。そのたびに
「今回は”絹の部屋”を歌ってくれそうな気がするんですよ。でも僕がセットリスト予想記事で書いちゃうと外れるので敢えて書きません」
などと自信満々に言い続けて一体何年目になるのか(←去年も言った汗)。

ちなみに毎年、お1人の先輩が「”夜のみだらな鳥たち”を歌って欲しいのよ~」と言った後に僕が「いや、可能性が高いのは”絹の部屋”ですよ!」と応える、というのが完全にパターン化しています。ジュリー、どちらもなかなか歌ってくれません(笑)。
果たしてこの先、生のLIVEでその2曲を体感する機会は訪れるのでしょうか。

とにかく、『ジュリー祭り』デビューの僕は『架空のオペラ』収録曲の中ではまだ「砂漠のバレリーナ」1曲しか生で体感できていないのですよ~(その唯一の曲が「砂漠のバレリーナ」ってのがまた凄い話ですが)。
とりあえずは、夏からの全国ツアーで「未体験シングル曲」の一角にして代表格、「灰とダイヤモンド」に期待しています。歌ってくれるよね、ジュリー?


それでは、オマケです!
今日は、これも福岡の先輩からお預かりしている資料で、85年の『アサヒグラフ』をどうぞ~。


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ということで、怒涛の更新ペースについていけない方が続出しているかとは思いますが・・・まだまだ手を緩めず攻め続けますよ!
次回お題は、吉田建さんプロデュース期の名曲です。ネオ・モッズについても書くことになるかな~。

各地の雪の被害、その後が心配されます。みなさまお住まいの地は大丈夫でしょうか。
こちらは明日の気温が19℃の予報。暖かい日と寒い日、気温の差が激しい季節になってきたようです。

僕は風邪の症状がようやく治まりました。
今の風邪は一度かかってしまうと咳が長引いて大変ですよ。みなさま、充分お気をつけください。

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2016年7月 2日 (土)

沢田研二 「君が泣くのを見た」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

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7月です。
先日、故郷・
鹿児島で大雨の被害がありご心配頂いていましたが、僕の実家は立地的に心配ありません。
ただ、実家の最寄駅から電車で2駅ほどの町では痛ましい被害もあったようで・・・一刻も早くこの極端な天候が落ち着くことを祈るばかりです。

このところの拙ブログでの矢継ぎ早の記事更新は、元々熊本、大分をはじめとする九州各地の震災に思うところあり、「ジュリーのツアーが始まるまではペースを上げて頑張ろう」と始めたことでした。先月の「act月間」を終え、1週間ほど更新が空きましたが、今日から再びギアを全開にしていきます。
そう、いよいよ今月26日には『un democratic love』全国ツアーが開幕ですね。
拙ブログでは今回も”全然当たらないセットリスト予想”シリーズを開催いたします。僕自身はあくまでも「当てる気満々」で張り切って書いていきますよ~。

予想は現時点でお題6曲ぶんの構想を持っています。
今回はその6曲の中で、2曲ずつをそれぞれ3つのコンセプト(予想の理由)に分けてみました。

①ジュリー自身が好きな曲
②依知川さん久々の全国ツアーに向けて
③僕が未だLIVEで体感できていないシングル曲

この3つ。今日と次回は、①に基づいたセットリスト予想のお題となります。

「ジュリーの好きな曲」をファンが判断する際、大いに参考となるのが2008年のラジオ番組『ジュリー三昧』ですね。還暦までの歌人生を振り返り、すべてのオリジナル・アルバムからジュリー自身が少なくとも1曲ずつを紹介してかけてくれるという贅沢な内容でした。
どのアルバムからどの曲をかけてくれたか、という点だけでも貴重な考察材料となります。

『ジュリー三昧』でかけられた多くの曲は、そのまま年末の2大ドーム公演『ジュリー祭り』で歌われることになりました。しかし中には外れていた曲もあります。
そんな曲達も『ジュリー祭り』以降のステージで歌われるものが多いのですが、今日採り上げるのは未だ僕が生で体感できていない「ジュリーが好きな曲」。
長らく廃盤状態が続き「ジュリーのオリジナル・アルバムの中で最も入手困難」と言われながら、先達の評価が高く、後追いファンが再発を切望していた名盤。
昨年の再発実現は本当に嬉しい出来事でした・・・アルバム『架空のオペラ』から、「君が泣くのを見た」。『ジュリー三昧』では、ジュリーが「僕はこの曲が大好きです」と言ってからオンエアされています。

まずはこの名曲を、今回のセットリスト予想シリーズの1番手に採り上げたいと思います。
僭越ながら伝授!


昨年EMI期のアルバムが再発され、後追いファンの僕もめでたくジュリー・オリジナル・アルバムのコンプリート成りましたが、キチンと実物を手にして特に感慨深かったアルバムが『架空のオペラ』。
入手困難とされていたEMI期の作品の中でも、これはオークションなどでものすごい値段がついていました(ちなみに初版CDについては未だプレミア価格をつけ『まんだらけ海馬店』さんで販売されています)。

『架空のオペラ』に限りませんが、再発CDを実際に手にすると、音源のみ所有していた時とは違う気持ちで作品に臨むことができます。
まず目が行ったのは裏ジャケの曲目クレジット。「君が泣くのを見た」と「吟遊詩人」の間が1行空いていることに気がつき、今さらながら「あぁ、この頃はまだレコード・リリースだったんだなぁ」と。
レコードで発売された作品はレコードで聴くことが一番。遅れてきたファンである僕はそれが叶いませんので、せめて「この曲がA面ラスト、この曲からがB面」と脳内で確認しながら鑑賞しました。するとやっぱり印象が違ってくるんですよ。
全9曲収録の『架空のオペラ』は今までA面B面の感覚を考えたことすら無く(奇数収録曲のアルバムって、だいたいそうなっちゃうんですよね)、改めてとても新鮮に聴きました。そうかぁ、リアルタイムでこのアルバムを聴いた先輩方は「君が泣くのを見た」を聴き終わって一度盤をひっくり返していたんだなぁ・・・と想像してみると、不思議にそれまでより曲の理解度が増したような気がするものです。
A面が4曲ということで、3曲目「灰とダイヤモンド」の重心が変わったようにも感じました。

さて、ジュリーが「大好きです」と語っているにも関わらず、最近のステージではすっかりご無沙汰となっている「君が泣くのを見た」(と言ってもいつ以来なのかまでは調べきれていないのですが)。
いえ、「君が泣くのを見た」ばかりではありません。『ジュリー祭り』がLIVEデビューの僕は、CO-CoLO期の名曲(ここでは『架空のオペラ』収録曲もCo-CoLO期の楽曲としてカウントします)をまだ僅か4曲しか生で体感できていないのです。
体感順に、「明星」「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」「砂漠のバレリーナ」「きわどい季節」の4曲。「灰とダイヤモンド」ですらまだなのですよ。
(後註:実際には僕は計5曲を体感済みでした。今年のお正月に聴いたばかりの、あの素晴らしい「女神」をカウントし損ねていたのは痛恨の極み。遊様、ご指摘ありがとうございました)

今回の『un democratic love』ツアー・インフォにはわざわざ「ジュリーの好きな歌」との明記があり、そろそろ「灰とダイヤモンド」はどうなんだろう、と期待すると同時に、ジュリー自身が「大好き」と語る「君が泣くのを見た」は、セトリ入りの可能性大と見ました。


CO-CoLO期のジュリー・ヴォーカルについては多くの先輩方が絶賛されていますし、さらに押し進めて聴き込むと、それぞれのアルバムが「他のアルバムでは聴けない」ような特殊なヴォーカルであると分かります。
最も明快なのは、「た行」「か行」の発音に特徴のある『告白-CONFFESION』。
では『架空のオペラ』は?
僕は『架空のオペラ』に楽曲提供した大野さんのロングトーンのメロディーに「この1枚」のジュリー・ヴォーカルの個性を感じています。
何て言うんだろう・・・それこそ「オペラ」。もちろん、いわゆるオペラ歌手のそれとは全然違うんですけど、大野さんの提示したメロディーにさらに抑揚を加えて母音を伸ばしていますよね。70年代後半の阿久=大野時代とはヴォーカルの印象がまったく違います。
特筆すべきはその透明感です。アルバム全体を通して歌詞はかなりきわどかったり内省的だったりするのに、ジュリーの声が驚くほど澄んでいて、それが逆に曲の妖しさを増しているような・・・これは一体どういうマジックなのでしょうね。

「大好きです」と言うからには、松本一起さんの詞についてもジュリーのお気に入りと考えて良いでしょう。
『架空のオペラ』のクレジットは何と言っても「阿久=大野」コンビの完全復活というのがリリース当時まずファンの目を惹いたと想像しますが、この作品が初の作詞提供(ですよね?)となった松本さんの存在、その作風はジュリーにとって大きかったようですね。
松本さんの作詞作品「指」「砂漠のバレリーナ」いずれも名篇ですし、『架空のオペラ』は松本さんの詞と大輪さんのプロデュースによってそのコンセプトを際立たせている1枚のようにも感じます。大輪さんの「オペラライク」の発想が、松本さんの詞によって愛憎入り乱れる「官能の日常」という人間劇を引き出しているのです。これがもし阿久さん1人の作詞作品で固められていたら、「歌謡オペラ」の要素が強くなっていたはず(それはそれで大傑作となったでしょうが)。
ジュリーは松本さんの描く「日常」の空気感が気に入っていたんじゃないかなぁ。

ただ、切ない歌詞であることは確かです(それが松本さんの個性、素晴らしさでもあるでしょう)。
男性視点での恋人への思いが「出逢った頃」と「今現在」、2つの時間軸で入れ替わりながら綴られます(Aメロは1番、2番ともに「2つの時間」が語られます)。
つきあい始めて最初の頃は、彼女が待ち合わせにどれだけ遅れてこようがまったく気にならず

一緒にいたいから 毎日約束して
Gm7                               Am7

二時間待たされても 苦にならない
Gm7                                   F

雨が降りだせば 君に胸を痛め
   A7                                 Dm

あやしげな夢を 逆に期待した ♪
      E7                           A7


(ちなみにAメロは1回し目と2回し目で和音が違うのですが、この1回し目の「Gm7→Am7」はザ・タイガースの大名曲「風は知らない」のイントロとまったく同じ理屈。「君が泣くのを見た」をリアルタイムでアルバムを購入し聴いた先輩方も、本当に初聴時の導入イメージは「爽やか」であったはずです)

待っている間に妄想を膨らませるのでしょうな~。ときめきばかりを感じ愛は深まっていきます。
しかしいつしか「君がいることが当たり前」となり

だけど君が泣くのを見た
B♭                      F

流したものは とても貴重な涙
   C                       F         A7

そしていつか
B♭

二人でいることに麻痺していった ♪
               F             A7        Dm            

といった状況が起こってきます。熱い心が冷たくさめていく無常な時間と空間。ジュリーの「この1枚」の声のリアルさに驚嘆させられます。

松本さんが描いた恋人同士はきっと
「僕が彼女に求めているものは何なのか、彼女が僕に求めているものは何なのか」
と、そんなふうに考え込む時間が増えていったのでしょう。おおむね、そういうことが分からなくなった(分からずとも全然問題でなかった頃とは気持ちが違ってきた)時、恋人は別れるものなのでしょうね。
でもそれをすんでのところで引き返すことができたとするなら・・・それは「君が泣くのを見た」時だったのではないか、と主人公は後悔するのです。もう彼女は涙も枯れ、「無関心」となってしまったのですから。
「好き」の反語は「無関心」だとよく言われますが、哀しいシチェーションを歌っているんですねぇ・・・。

では、メロディー、アレンジについてはどうでしょうか。
この曲の大きな特徴は、その調性の曖昧さだと僕は考えます。いや、明快に「ヘ長調」ではあるんですよ。しかし松本さんの歌詞のイメージも大きいのか、メロディーや鳴っている音は何処か哀しげで、アレンジも良い意味で「ぼんやり」しています。
これは流行りと言えば流行りで、前作『NON POLICY』あたりから顔を覗かせていた「ソフトなソウル・ポップ」のテイストを押し進めたところもありましょうが、「君が泣くのを見た」はちょっと「ぼんやり」感が突出しているように僕には感じられます。
例えば歌メロの最後は

君の無関心が何よりツライ ♪
   B♭        A7           Dm

曲中何度か登場する「Dm」は、この箇所だけニ短調への明快な着地和音として使われます。イントロなどで聴かれるキラキラしたシンセの陽性のフレーズとはまったくの好対照で、不思議な印象を受けますね。
聴く時の気分によって、とてつもなく悲しく聴こえたり、爽快に聴こえたり・・・そんなメロディーではないでしょうか。完全に「こう」と結論を出すには、僕はまだ人生経験も知識も足りないかなぁ。

楽器パートで個人的に気に入っているのは間奏のストリングス・アレンジ。
もしこの曲が今回セトリ入りを果たした時には、泰輝さんの演奏に注目したいです。エンニオ・モリコーネの映画音楽のような美しいストリングスの音階は泰輝さんも絶対に好きなパターンだと思いますので、入魂の「斜め45℃体勢」が見られるのではないでしょうか。


最後になりますが、実は僕は初めて(音源のみで)アルバム『架空のオペラ』を聴いた時、今ひとつピンときませんでした。昔から、例えばビートルズのアルバムなども最初は良さが分からず、聴き込んでいくうちに好きになっていくパターンが多い僕のことですからそのこと自体は別段珍しくもないんですけど、『架空のオペラ』の場合はあることがきっかけで劇的に印象が変わったという点が特別です。
2009年、僕がしゃかりきになって後追いでジュリーの勉強をしていた頃、ある先輩が「是非」と『架空のオペラ/正月歌劇』のLIVE音源を聴かせてくださいました。
もちろんアルバム『架空のオペラ』収録曲が歌われていて、その「神々しい」としか言いようのないジュリーの歌声に僕は本当に感動させられました。
その上でレコーディング音源として『架空のオペラ』を聴くと、それまでとはジュリーの声がまるで違って聴こえたのです。理屈ではなく、LIVEのジュリーの声を聴くことで、歌の深い部分にまで僕の気持ちが入っていけるようになったのだと思います。こんなことがあるんだなぁ、と思ったものでした。

僕にはそんな頼もしい「先達」の方々との出逢いを機とする「気づき」が他にも多くあり、新規ジュリーファンとして本当に恵まれていると感じます。
僕と同世代、或いは年下のかたも長いキャリアを誇るジュリーファンは多くいらっしゃいますが、僕の場合はスタートが遅れたぶん、本格的にジュリー堕ちして以降はそうした「気づき」の連続です。

考えてみれば僕は『ジュリー祭り』以前、主にポリドール時代のCD音源を聴き込んでいるというだけで「自分はジュリーファン」だとうぬぼれていましたが、あの東京ドーム6時間半のステージを体感し、初めてジュリーの「歌」を身にすることができた、と思っています。
一度でもLIVEを体感しないまま、2012年以降のジュリーの新譜をCDだけで聴いていたら・・・と想像するとゾッとしますよ。本質を見ないまま、ジュリーを「反体制の旗手」扱いし、先輩方が眉をひそめるレビューをこのブログに突発的に書いていたことでしょう。
今、「平和」をロックするジュリーはカッコ良い・・・でもそれは、愛の機微を歌わせたら他に比類なき歌手であるジュリーだからこそ、説得力があるんですよね。

僕はずいぶん遅れてきたファンだけれど、今年もジュリーの全国ツアーが始まる・・・毎年変わらずそれがある、ということの奇跡、凄さをようやく身に沁みて感謝する境地に達したところ。
今年はどんな曲を歌ってくれるのか・・・セットリスト予想の楽しみは尽きません。
そろそろこのヒヨッコが、名盤『架空のオペラ』から一発レアなやつをお見舞いされることになるのか、どうなのか・・・。ジュリーも「大好きです」と断言する名曲「君が泣くのを見た」、期待しています!



それでは、オマケです!
ジュリー独立直後の資料については、福岡の先輩からお預かりしているものがたくさんあります。
今日はその中から、85年の『PENTHOUSE』9月号掲載のジュリーのインタビュー記事をどうぞ~。


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では、次回更新も『ジュリー三昧』でのジュリーの言葉を元に、「ジュリーの好きな曲」という観点から予想するお題です。こちらも長い間セットリスト入りを果たしていない曲なんですけど、後追いファンの僕もなんとか間に合って、1度きりですが生で聴いています。
でも、「久々」には違いありません。
曲調は一転、ハードなロック・ナンバーです。
今月もガンガン更新してゆくつもりですので、よろしくおつきあいのほどを・・・。

いよいよ夏本番!のような感じで、関東は今日も暑い1日でした。体調を崩さないように頑張りたいと思います。みなさまも充分お気をつけください。

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2010年7月28日 (水)

沢田研二 「灰とダイヤモンド」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuunoopera

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影-ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

-----------------------------

うっかりしている間に、アクセスカウンター50万ヒットのキリ番が静かに過ぎ去ったようでございます。
最近、リクエスト記事を書いてないから、みなさま遠慮なさってしまっている・・・のでしょうか。
ごめんなさいね。
何かひとつでもテーマとなるネタを思いつかないとなかなか執筆にとりかかれない性分で、リクエスト楽曲は溜まりまくっております。
ついこの間は箱のお嬢さんにも、「溜まってるならいいや」と辞退されてしまいましたし・・・。何の曲を書いて欲しかったんだろう・・・。

 

少しずつでも書いていかなきゃ。

今回のお題も、ずいぶん以前にみゆきママ様から頂いたリクエストです。
先日大成功に終わったという灼熱のジュリワン名古屋、オールスタンディングで盛り上がりました!とのご報告に、この記事にて暑中お見舞いを申しあげたいと思います。
アルバム『架空のオペラ』から。
「灰とダイヤモンド」、伝授!

まずこの曲でどうしても触れなければならないのは、ヴァイオリンの存在です。
これについては、ヴァイオリンパートをご自身でコピーなさったという箱さんの超絶記事が素晴らし過ぎるので、是非ご一読を。

無学の僕としましては、こういったスタイルの洋楽例を紹介するに留めたいと思います(涙)。
弦楽器、または管弦楽器のアンサンブルが楽曲に大々的に絡むアレンジのポピュラー・ミュージック例は数多くありますが、「灰とダイヤモンド」の場合はヴァイオリン・ソロ1本です。しかも、イントロや間奏などのインスト部分に限らず、歌メロ部にもガンガン噛んできます。
このパターンは洋楽でもそれほど多くは見られません。

スタックリッジなどの特殊な編成のバンドを別にしますと・・・僕がすぐに思い起こすのは、ボブ・ディランの『欲望』というアルバムですね。
ディランは基本、ギター弾き語りの歌メロの間を縫うようにハーモニカを吹き、それを骨子に他の楽器のアレンジが組み立てられますが、『欲望』ではハーモニカの出番が他作品と比べ多くありません。そして、従来ならハーモニカが入ったであろう箇所をヴァイオリン・ソロが担っている楽曲が目立つのです。
『欲望』収録曲の中では「ハリケーン」が有名。強いメッセージがこめられた名曲ですので、興味のある方は是非。

あとは、ポール・マッカートニーの「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」という、彼にしては意外と知られていないシングル曲があります。
部分的にオーケストレーションになりますが、要所はソリストが大活躍。

で、上記曲と「灰とダイヤモンド」を比較した時気がつくのは、ヴァイオリンのソロを主に楽曲の短調部分にフィーチャーしているという共通点ですね。
物悲しい雰囲気が似合う楽器なのでしょうか。

さて本題。
今回記事を書くにあたって僕が考察テーマの柱としたいのは、80年代ジュリーの作曲手法です。
(「灰とダイヤモンド」は変名のクレジット=李花幻が使用されていますが、ご承知の通りこれは作詞・作曲ともにジュリーのペンによるものです)

これまでいくつかの記事で書いてきました通り、70年代からジュリーの作曲能力は光っていました。
そして、80年代に入るとジュリーはそれまでの作風(アルバム収録曲に多くの自作曲を積極的に手がけています)に加えて、シングルヒットを狙った(セールス絶頂期ですから、宿命と言っても良いかもしれませんが)アップテンポの短調ナンバーを手がけ始めたのです。
「ス・ト・リ・ッ・パ・-」も「麗人」も尖った短調進行。もちろんいずれもシングルとして大きな成果を挙げたわけですから、ジュリーの能力が職業作曲家のレベルにまで達していたことはハッキリ証明されていますよね。

しかし僕がここでピックアップしたいのは、「ロマンティックはご一緒に」というB面曲なのです。
「麗人」と「灰とダイヤモンド」を繋ぐ線上にこのナンバーが位置づけられるのではないか、と考えているのです。

当時の状況は分からないのですが、ジュリーはこの「ロマンティックはご一緒に」をシングル用として作曲したのではないでしょうか。
「麗人」「おまえに”チェック・イン”」という流れを考えれば、次作として有力な楽曲構成。この曲がA面リリースされたとしてもヒットはしただろう、と僕は思います。
西平さんの作った「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」のインパクトがあまりに強く、企画段階でAB面が入れ替わったんじゃないかなぁ。

「ロマンティックはご一緒に」の楽曲構成で、いかにもジュリーらしいガツンとした発想だなぁ、と思うのは、一瞬だけ長調に転調する箇所です。
ほんとに一瞬で

 

♪ HUSH!好きだから 好き ♪
     C         G                Am

の、CとGの部分。たったの2小節なんですけどね。
進行そのものは何てことないパターンなのですが、その挟み込み方が独特だと思うのです。

みなさま、頭の中で歌ってくださいました?
おや・・・この部分、何か別のジュリー・ナンバーを思い出しませんか?

そうです。
「灰とダイヤモンド」の

♪ Shalalala・・・・・許してあげる ♪
    D                  A             Bm

譜割りも一緒。キーこそ違えど、コード進行の理屈もまったく一緒なんですよ。
(「ロマンティックはご一緒に」はイ短調、「灰とダイヤモンド」はロ短調。ギターの2フレットにカポタストを装着すれば、「灰とダイヤモンド」のこの箇所のコード進行は「ロマンティックはご一緒に」とまるっきり同じになります)

サビ部にさりげなくプラスされた隠し味。作曲者がどちらもジュリー、しかも時代がさほど離れていないことから、2曲の狙いは同一のものだと僕は考えます。
「ロマンティックはご一緒に」の作曲アイデアに手ごたえを感じていたジュリーが、記念すべき独立第一弾シングルでその手法を自ら踏襲し、「灰とダイヤモンド」を自信を持って世に送り出した・・・僕にはそのように思えるのですが、いかがでしょうか。

「灰とダイヤモンド」は作詞もジュリーです。
同名小説、もしくは映画からアイデアを得たのでしょうか・・・詞の中に登場しないフレーズがタイトルになっている時点で、どことなく意味深な感じですが・・・。

歌詞の内容は、過去作品では見られない新境地・・・ズバリ「俺様」系!
しかも
「・・・しなさい」「かわいいよ」
の飴と鞭。
まるで、いかがわしい映像を撮っている監督のようだ・・・。

言葉遣いが丁寧語なだけに余計ドスが効く、というのは、やはりジュリーのヴォーカルだからでしょうか。
例えば「ダーリング」の場合だと
「・・・してくれ」の連呼ですが、こちらは荒々しい言葉遣いにも関わらず、懇願系に聴こえます。
いずれもヴォーカル表現力の為せるところでしょう。

あとは、ジュリーの実年齢ですかね。
ずっとジュリーファンを続けてこられたお姉さま方は、それぞれの人生を歩み年齢を重ねながらも、「ジュリーが好き」という点についてはずっと継続しているわけですから、その気持ち自体には「年齢の変化」がありません。
でも、対象のジュリーは年を重ね、目まぐるしく変化していきます。

独立して新たな一歩を踏み出したジュリーの姿は、長年のファンにとってさぞ大きな変化に見えたことでしょう。
そこへきて、「灰とダイヤモンド」のような男っぽく強引に女性を押さえつけるような(いえ、変な意味ではございません)歌詞。
タイガース時代のキュートなジュリーから追いかけ続けてきたファンとしては、惚れ直す、受け入れる、ビビりまくる・・・色々な受け取り方があったでしょうね。

そんな野性味溢れる歌詞を華麗に表現する「灰とダイヤモンド」のヴォーカルですが。

♪ おしゃべりに お戯れに あいつ、こいつ ♪
     Bm                 G          A               F#7

の「あいつ、こ~いつ~♪」の箇所など、ところどころにジュリー特有の若干フラットするロングトーン(これはこれで大きな魅力です。特に僕などは『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』のヴォーカルが大好きですから)が見られます。
ところが、ライヴ盤『正月歌劇』では、ジュリーの「灰とダイヤモンド」の歌唱にまったくフラット部分が無いのです。スパ~ン!と一発で最高音に辿り着くヴォーカルは、神々しささえ感じられるほどです。
これは、アルバム『架空のオペラ』の他の収録曲についても言えることなのです。

ジュリーが専属のバンドをバックにしたLIVE活動にこだわり、力を注ぎ続けるのは、この辺りに秘密があるのではないでしょうか。
「”歌う”ということが自分の一番したいこと」と、最近も語ってくれているジュリー。
一番自分の声が生かされるシチュエーションで歌いたい、とジュリーが考えるのは当然ですよね。

最後になりましたが、僕は「灰とダイヤモンド」のシングルB面曲「デビューは悪女として」がかなり好きです。
今となっては音源が入手困難という事情もあり、あまり話題にものぼらないナンバーですけど、いつかこちらの記事も書きたいと思っています。

それにしても、「灰とダイヤモンド」がリリースされた年に生まれた人が書いた楽曲をジュリーが歌う日が来るとはなぁ・・・。
毎年新しいものを歌い続けていくというのは、凄いことですねぇ。

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2010年3月 3日 (水)

沢田研二 「砂漠のバレリーナ」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuunoopera

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト-
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

---------------------

 

スマスマの余韻醒めやらず、といったジュリー界でございますが(1日、2日のアクセス数が尋常な数ではなく驚いております。ジュリーwithザ・ワイルドワンズの、一般の方々への浸透に期待!)。
ファンの間でも様々な意見があるかと思います。
僕は「歌門来福」のMCでジュリーが語った、「色々な事を覚悟して出演する」という言葉を思い出しているところです。
今度は、NHK「SONGS」。本当に楽しみになってきました。

そんな中、拙ブログでは引き続き、こちらも色々な意味で気持ちを入れ替え、歌門来福セットリスト・おさらいシリーズ、鋭意進行中。
とりあえず、門外漢のジャンルについては慎重を期すことにしたため、今日のお題でも一部ヴァイオリンについて考察した内容を割愛する事にしました。
「伝授」などと言っている以上、確かな知識なく、適当な事を書いてはダメだと思い直したからです

 

唐突ですが、下山さんと泰輝さんのコラボは「TENGE(てんげ)」という名前らしいですね。
山形庄内地方の方言で、「適当」とか「いい加減」とかいう意味のようですが、僕の故郷・鹿児島では、同じ意味のことを

「てげてげ」

と言います。ちょっと語感が似ていますね。
「わいや、てげてげ書っなぁ!」

(註:おまえ、いい加減なこと書くなよ)
というふうに、使います。
ちなみに、逆に「きちんと」「しっかりと」という意味の場合は
「わいや、はしと書かんかぁ!」
(註:あなた、きちんと書きなさいよ)
と、なります。
頑張ります。改めて、今後ともよろしくお願い申しあげます。

 

さて。
今回の歌門LIVE、僕は「うひゃ~!」「ぐわ~!」という意外な選曲の連発だったのですが、先輩方は、さすがに慣れていらっしゃる。
「××年以来ね~」
とか
「ワイルドワンズの武道館からの選曲繋がりね」
とか、セットリストの解釈が僕などより一枚も二枚も上を行っております。

 

しかしながら、そんな先輩方をも「あっ!」と言わせたナンバーが2曲。
ひとつは「ロータスの子守歌」。これがラスト、というのは並居る気合の入った先輩方でも予想だにしなかった大きなお年玉だったようです。
そしてもう1曲。
僕の周囲の先輩方の反応は、ハンパではありませんでした。曲がどう、とか、ヴォーカルがどう、とか言う以前に、まずは悲鳴のような感想しか出てこないという・・・。

ジュリー祭りのセットリストでは、1曲も選ばれなかった幻の名盤『架空のオペラ』。時を経て、歌門来福で降臨したのは、美しい幻想のバラードでした。
「砂漠のバレリーナ」、伝授!

 

僕も最近把握したのですが、『架空のオペラ』はジュリー初のCDとしての新譜発売作品だったそうですね。
当時はまだレコードも並行して売られていた時代ですし、CDプレスの枚数が少なく、それが現在の中古価格沸騰に影を落としているのではないか、という分析もあるようです。

 

エキゾチックスと離れ、まずは渾身の自作曲「灰とダイヤモンド」で新たなスタートを切ったジュリー。次いでリリースされたアルバム『架空のオペラ』では、大野克夫さんとのコンビを復活させています。
大野さんについては、
「ヴォーカルとの相性があるから」

と、ジュリー自身が語っていたようですね。

 

相性というのは、メロディーの歌いやすさもさることながら、歌うシチュエーションによって色々なアプローチで表現できる、という事もジュリーの頭の中にあったのではないでしょうか。
それはまず、レコーディングとLIVE、それぞれのヴォーカル表現の違いに現れていると思います。
『架空のオペラ』のスゴい点のひとつは、レコーディング音源とLIVE音源(正月歌劇)で、収録曲のヴォーカルニュアンスが全く違う、という事です。

 

収録曲はいずれも、官能的で、神秘的で、肉感的でありながら、どこかクールに突き放したような雰囲気があって、その二面性がこのアルバムをジュリー史上最も異端の名盤たらしめていると考えますが、それはタイムリーのファンのみなさまが、レコードとLIVEの二極化によって、二度にわたって『架空のオペラ』の世界に魅惑された事をも、容易に想像させてくれます。

まずレコーディングヴァージョンでは、すべての収録曲のヴォーカルが、エフェクターやイコライジング、センドリターンなどを駆使した加工を施されています。
これは、ちょうどこの当時、60年代中盤から幾度も塗り替えられてきたレコーディング技術に、何度目かの革新期が訪れていた事と無関係ではないでしょう。
最も革命的であったのは、ヴァーチャルテイクの登場です。
当然『架空のオペラ』録音現場でも、最先端のヴァーチャルテイク技術が幅を利かせたと考えられます。

 

ヴァーチャルテイクの長所は何と言ってもまず、テイク数がほぼ無限に保存できる、という点です。
それまでは、歌やそれぞれの楽器演奏について、出来の良いテイクをいくつか残しつつ、不要と思われる過去テイクを消去していきながら何度も録音し直す、という作業が必要でした。
ところがヴァーチャルトラックを使えば、無限に何度もやり直し、そのすべてを最後に取捨選択する事が可能なのです。ジュリーに関しては不要のことですが、歌唱に不安のあるヴォーカルの場合、数あるテイクの良いところだけを繋ぎ合わせてミックスすることも、さらに容易になりました。

消去して録り直す、という作業が不要ですので、例えばジュリーがスタジオに入って1番最初に声出しリハとして録られたテイクも、機材上では生き残っているものと思われます。
(聴き込みが足りずまだ検証できていないのですが、「アフターマス」のCO-CoLO時代の楽曲のヴォーカルが正規盤と異なるのではないか、というお話を知った時、僕はヴァーチャルトラック上に残されていた別テイクをリミックスした可能性を考えました)

OKテイク以外の他のテイクを複製加工し合体させたりする事によって、楽曲に面白い効果が得られたりすることもあり、『架空のオペラ』ではその手法も作品に大きく貢献しています。最も顕著な例として、以前拙ブログでは「影-ルーマニアン・ナイト」の記事にてその辺りを書かせて頂きました。

一方、LIVEでは。

その瞬間に発せられたヴォーカルが、たったひとつのテイクとして生き残ります。
正月歌劇『架空のオペラ』でのジュリーのヴォーカルは、その点神がかりと言うか奇蹟の声と言うか、すさまじいまでに生々しい極上の表現で迫ってきます。
レコーディング音源の加工ヴォーカルとはまったく違う歌声になっているのです。どちらの良さもありますが、音源を聴いてからLIVEに参加なさった方々は、いっそう衝撃を受けたでしょうねぇ。
こちら正月歌劇のヴォーカルにつきましては、「吟遊詩人」の記事にて書かせて頂いています。

 

「砂漠のバレリーナ」というナンバーをお好きな先輩方は、正月歌劇を観て完璧に堕ちた方々が多いのではないでしょうか。もの凄いヴォーカルですからね。
レコーディングではかすかにフラットする箇所が、LIVEでは天に突き刺さるかのように伸び上がります。

正月歌劇で歌われた数多くのナンバーについては、そのヴォーカルの素晴らしさを、正直どのように書いて良いか解りません。
僕がジュリーのヴォーカルで最も好きなのはダントツで「愛に死す」ですが、この曲も実は同様の心境で、なかなか記事に書けないでいます。

『正月歌劇』の「砂漠のバレリーナ」他収録曲は、僕の中で「愛に死す」に次ぐ、ヴォーカルにシビれる楽曲群ということになります。
CDでは上手いけどLIVEだと音程が怪しくなる、というパターンの歌い手が多い中、その逆を行くジュリー。常にLIVEに対する拘りを持っているのも、頷けますよね。

 

では、大野さんの作曲したメロディーについて。
調はニ短調(Dm)で、転調も無く、進行上素直な和音のみで構成されています。基本的に、意表をつくよりも自然なメロディーの流れと楽曲全体の整合性で勝負する大野さん、その中でも直球の作りに分類できると考えます。
シンプルな進行ゆえに、ツインドラムを基本とした贅沢なパーカッション装飾が映えますね。

みなさまは気がついていらっしゃるかなぁ。和音の使い方もそうですが、メロディーラインもかなり似ている、過去の大野さん作曲のジュリーナンバーがありますよ。

それは、

「24時間のバラード」

 

1978年のアルバム「LOVE~愛とは不幸をおそれないこと」の2曲目。みなさま、瞬時にAメロ出てきます?テンポこそ違えど、「砂漠のバレリーナ」の出だしとごっちゃになりませんか?
僕だけですか・・・。

似ているのはAメロ。どちらの曲も1回し目と2回し目ではメロディーが変化します。2回し目の方で音階が低→高とうねり上がっていく感じが、瓜二つだと感じるのです。
コード進行が似ているだけなら、他にあてはまる曲も多いのですが、メロディーの組み立て方で言うと、この2曲は相当近い関係なのではないかと。

 

僕は「24時間のバラード」だと

♪夜明けまで~かたぁ~~~りあう~♪

という粘り強いメロディーとヴォーカルが大好きで病みつきなのですが。
「砂漠のバレリーナ」で言いますと

 

♪さば~~くのバレリ~~ナ~~♪
♪はだ~~しの~ひ~とよ~~♪

 

と歌うサビ部が、やっぱり大好きで。
2番まで歌ってからこのサビが来る!という焦らしが、イイんだよなぁ。これは歌門来福で強烈に感じたことです。
一語一語を引きずるように歌われるメロディーが、「24時間のバラード」の僕の病みつき箇所と共通していると思います。

曲全体の中で、ジュリーのヴォーカルに一層力が込められる箇所でもありますし。
確かに、「大野さん作曲とジュリー・ヴォーカルの相性」が感じられますね。

 

あと、作詞の松本一起さんについても書いておかねば。
”客観的に描いたある風景の中に、対象である人物がいて、そしてその人物を熱く見つめている語り手がいる”
このシチュエーションが、松本さんの得意とする作詞手法です。
このことは、御本人のHPを拝見して再確認したのですが、僕はずっと以前からその魅力に気がついていました。

僕がずっと以前、と言うからには、それはジュリーの作品ではありません。
実は、「高速戦隊ターボレンジャー」という特撮戦隊ヒーロー番組の主題歌なのです(ごめんねマニアな話で。しかし、子供向け番組の主題歌には勉強すべき点が多い!というのが僕の座右の銘として常にありまして、まぁ仕事柄触れる機会が多いこともあり、よく吟味して聴くのです)。この作詞が松本一起さん。
戦隊ヒーローは大抵5人で、メンバー全員を統括して描く歌詞が普通なのですが、松本さんは、”戦隊”を風景として描き、その中の”個”に向けた詞を書いていらっしゃいます。
サビの♪5人の中に君がいる♪というフレーズが、「独特だなぁ」と思っていたのです。

 

「砂漠のバレリーナ」も、徹底的に”個”見つめる詞だと思います。
ジュリーの歌唱には”見つめる力”がありますから、「歌門来福」初日の緊迫した雰囲気と、歌い終わっての喝采は、当然のことでしょうか。

 

最後になりますが、LIVEレポートにも書きました通り、「歌門来福」での泰輝さんのキーボード音色選択は本当に素晴らしいものでした。
ヴァオリンパートを、木管系+金属系の音で奏でたのです。
LIVEに参加するたびに何度も書いておりますが、歌心のあるプレイヤーさんこそ、ジュリーのバンドにふさわしい!

ヴォーカルはもちろん、バンドの音作りについても、レコーディング音源とは違う楽しみが。
そんな「歌門来福」での「砂漠のバレリーナ」でした。

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2009年10月30日 (金)

沢田研二 「吟遊詩人」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuunoopera

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影-ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

--------------------

 

僕を頼ってくださった先輩からお預かりした春団治チケットの嫁ぎ先も無事決まりました。
まずはひと安心。
しばらくジュリー関連ネット界は春さん一色になるのでしょうか。

11月中旬になりますと、拙ページ右上バナーにてリンクに詳細があります通り、大阪ジュリー映画特集もスタート、この秋は関西ジュリーファンが熱いでしょうねぇ。

関東の新規ファンたる僕はただイジイジと、秋は虚ろで冬は悲しくジュリーを思う♪ことにいたしましょう。

その代わり、年が明けたら爆発するけん!

 

てなことで今日はこの曲。
アルバム「架空のオペラ」から、「吟遊詩人」の伝授です!

 

まず「架空のオペラ」という作品について、一介の後追いファンとしての評価経緯から述べてまいりますが、僕は当初このアルバム、確かに時代に残る名盤だとは思いましたけど、先輩のみなさまほどのめりこめないなぁ、という印象でした。
エキゾチックスのロックな期間を経て、その後にまた阿久さんの詞をジュリーが歌うのは、なんとなく逆行のイメージがあったりもしました。
「灰とダイヤモンド」以外のすべての収録曲を大野さんが手がけ、さすがのメロディーを連発・・・当初の僕は主に、大野さんの作曲を重視した聴き方をしていたのですね。

 

ところが先日「架空のオペラ・ライブ~正月歌劇」を聴いて、「ええっ!」とブッたまげる破目に。
「なんだなんだ!こんなイイ曲が入ってたっけ?」
と、「正月歌劇」を散々聴いた直後に気合を入れてアルバムを聴き直し、見事にハマりました。

僕のアルバムの聴き方が浅かったと言えばそれまでですが、改めてジュリーLIVEの凄さを思い知りましたね。
それまで特にシビレる事のなかった楽曲が、LIVEで息を飲むような名曲に聴こえ、狂おしいほどの感動に早変わりする瞬間・・・きっと先輩方は何度となく体験していらっしゃるでしょうが、僕にとって「架空のオペラ」はそんな楽曲ばかりが集まった名盤となったのです。

 

いえねぇ、「架空のオペラ~正月歌劇」については、これは僕だけの感想じゃないと思うんだ~。
このLIVEのジュリーのヴォーカルは、ちょっと比類がないくらい凄まじい。
そう思いませんか?

例えば「灰とダイヤモンド」。
「あいつ、こ~いつぅ~♪」の部分、レコーディング音源ではリキを入れて歌い、それが味わいとは言え明らかにフラットしているのが、LIVEだと透き通るような声で、しかも正確な音程で伸び上がります。

さらに、「影-ルーマニアン・ナイト」。
レコーディング音源は遊び心たっぷりのダブルトラック処理。しかしLIVEでは直球!豪快なマイナーコード進行のロック。まったく別の楽曲に聴こえました、僕は。

そしてお題の「吟遊詩人」。
Aメロで和音がFm(ファ・ラ♭・ド)からB♭m(シ♭・レ・ファ)へ移行してメロディーが高音部に跳ね上がる、「ただひとつきらめいた瞬間を♪」の部分ですでにもう・・・。

えぇっ、こんなシビレる歌だったっけ?

 

とまぁ、つまるところ、驚愕のヴォーカルでございました。
レコーディング音源の「吟遊詩人」でまったく同じメロディーを耳にしているはずなのに、受ける印象が全然違ったんです。
その驚きはその後のBメロ→サビでも受け継がれ、曲が終わる頃には、朝の通勤電車内で大興奮。

やっぱり、ジュリーはヴォーカルだ!コード進行がどうとか、歌詞がどうとか、そういう聴き方の前に、まず歌声に向かわなきゃイカン!
そう思いました。

 

そうして、改めてレコーディング音源を聴くと、すべての曲が以前と違って聴こえるのがまた不思議なものですね。
今密林さんで、「Pleasure Pleasure」ツアー・セットリストのナンバーが収録されているポリドール期のアルバムが良く売れているようですが、アルバムこそ違えど、同じような思いを噛みしめている人が多いんじゃないかなぁ。

LIVEで感動して、レコーディング音源で復習、というジュリー熱。もちろん、多くの中抜け組のみなさまを引き寄せた”ジュリー祭り”においても、途方もないレベルで同じ現象が起こっていたでしょう。
ジュリーはまずヴォーカル、そしてLIVE。
「架空のオペラ」での2つの「吟遊詩人」(レコーディング音源とLIVE音源)を勉強しまして、僕はその真髄を知ったような気がします。

 

また、一度ノメりこむと、歌詞の良さもアレンジの良さも、今まで見えていなかった部分が見えてくるんですよね。
レコーディング音源のヴォーカルや演奏の技巧性も、「せっかくだから」と、LIVEとは別の楽しみ方ができるようになりますし、深い味が出てきます。
CO-CoLOはスゴいバンドですよ。しかも、どちらかと言うとLIVEバンド。今まで僕はまったく逆のイメージで捉えていました。”聴かぬは一生の恥”になるところでしたよ。

 

ところで。
「正月歌劇」でジュリーは”新しいバンド!”と紹介しつつ

 

コッコロ!コッコロ!

 

と連呼していますが、「ココロ」ではなく「コッコロ」が正しいのでしょうか?
それとも、レーベルが「ココロ」でバンドが「コッコロ」の発音?
細かい事ですが新参者にとっては大きな謎なのです。ジュリーの「コッコロ!」という雄叫びがずっと頭に残ってしまって・・・。

 

あと、このLIVEはとてつもなく素晴らしいステージだったかと思いますが(うらやましい・・・)、音だけ聴く限りでは、お客さんが立っている気配が感じられないんですよ。
座った状態で、ジュリーのヴォーカルに圧倒されっ放し・・・と、そんな風景が目に浮かんだのです。

実際はどうだったのでしょう?

 

なんだか「正月歌劇」をメインに書いてしまいましたけど、このLIVE音源を期に、僕の中で「架空のオペラ」というアルバムが大名盤へと変貌したことを今日はお伝えしたかったのです。
LIVEがきっかけで、ハマる。それがジュリーファンのアルバム鑑賞の醍醐味だとすれば、音だけでそれを体験し、知ることができた僕は今回ラッキーでした。


これからは、ツアーが終わってからその年のアルバムを購入、ってのも、ひとつの手かな・・・。
たぶん、そこまで我慢できないと思いますけど!

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2009年7月 6日 (月)

沢田研二 「影-ルーマニアン・ナイト」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

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1週間ほど更新が滞ってしまいました。いやぁ、夏風邪というのはタチが悪うございます。
僕はクーラーが苦手で、それでも東京の夏日(なんか、暑さの感触が変)をクーラー無しに過ごすのも無理な話で。仕事で残業を続けたせいもあるでしょうけど、「なんか喉が痛いな~」と思っているうちに遂に発熱しまして、ついでに口内炎だらけになり、しばらく文筆や録音作業も控え、おとなしくしておりましたのです。

 

その間世間では、僕の地元・鹿児島をはじめ、九州各地をジュリーが元気よく飛び回っていたり、いてまえ隊のお姉さま方がタイガース川柳の名作を量産していたり、メイ様のお宅にジュリー祭りDVDが無事に届いていたり(これは本当に心配していた)、色々と動きがあったようですね・・・って、どんだけ狭い世間なんでしょうか。

 

・・・気をとり直しまして。
どうやら熱も下がり、日曜一日ほとんど寝てたおかげで、かなり早起きしました。

久々だし、大長文になりそうな曲をいっとくか!

 

今日は、”ジュリー・ヴォーカル徹底分析”のカテゴリー記事。
但し今回のお題に関しては、ヴォーカルそのものの分析ではなく、特殊な録音手法についてのお話になります。
ジュリーの歩んできた奇跡の道すじの中、大きな転換期ともなった1985年。名盤「架空のオペラ」より「影-ルーマニアン・ナイト」、伝授!

 

当時はレコーディング業界そのものにとっても、大きな転換期でした。
何と言ってもレコードからCDへのパッケージ移行。
録音技法もアナログからデジタルへ。YMOにより一世を風靡した「サンプリング」という形態が当たり前の音作りとなり、むしろそれをどのように音に落とし込んでいくか、という点に、録音技術者のセンスが求められた時代です。

 

「架空のオペラ」以前のジュリーのアルバムにも当然サンプリングは導入されていますが、「女たちよ」「NONPOLICY」あたりは、サンプリング音そのものの露出が強く、「ジュリーサウンドとしてはどうなのか・・・この音作りが果たしてジュリーに合っているのか」という疑問を抱いたリスナーも多かったようです。いや、どちらも素晴らしいアルバムなのですが。

 

この「影-ルーマニアン・ナイト」をはじめとする「架空のオペラ」収録曲のいくつかは、サンプリング技術を導入しながらも、演奏それ自体は可能な限り生音感覚に近づけよう、という意図が見られます。
これは、編曲を担当した大野さんの意向が大きいでしょう。

 

大野さんも当時、御自身のバンドで試行錯誤を繰り返していました。
刑事ドラマ「太陽にほえろ!」挿入歌のアレンジアプローチが、新曲のたびに目まぐるしく変化していくんですよね。
ことレコーディング形態について、大胆なまでにサンプリングに依存してみたり、サンプリングの露出を数種類の音に絞って、生楽器メインで主旋律を目立たせてみたり。
いずれも楽曲を練りこんでいく上で楽しみの多い作業ですし、どちらがベター、という結論は出ません。
リスナーの好みの問題ですね。前者「マイコン刑事のテーマ」・後者「デューク刑事のテーマ」のどちらが好きか、ってのは。

 

そんな中、久しぶりにジュリーと絡んだ大野さん。
「ジュリー・ヴォーカル」という最高のファクターを得て、御自身のバンドとはかなり異なったアプローチを仕掛けます。
ズバリ、演奏は生っぽく、その代わりに声でサンプラーっぽいモノが作れないかな?という。

 

これはサイケデリック期のビートルズが開発した「テープ・ループ」という手法を新しい形でやってみよう、という試みであったかもしれません。良い意味での遊び心の産物です。

 

ヴォーカルレコーディングの基本技術に、「ダブルトラック」と呼ばれるものがあります。主旋律を歌うヴォーカルが、同一人物による2声構成、という形態です。
さらにこの「ダブルトラック」にも2つの手法があり、まずは、

 

① 歌手に同じヴォーカルをわざわざ2回歌わせて、2つのトラックを合体させる

 

というもの。
もうひとつは、

 

② 歌手が歌うのは1度だけで、ミックスの段階でヴォーカルトラックを抜き出し、ほんのコンマ数秒だけズラせて別チャンネルに移植、元のトラックと合わせてリプレイさせる

 

というものです。

 

①は歌手が大変。②はミキサーさんが残業。
音の求道者達はこうして、少しでも刺激的な作品たれ、という場合には、寝食惜しんで時間をかけるというワケですね。

 

解りやすくジュリーの70年代ナンバーで例を挙げますと

 

①=「人待ち顔」
②=「バイ・バイ・バイ」

 

聴き比べて頂ければ、理屈は一目かと思います。

 

で、「影-ルーマニアン・ナイト」。これは②の応用なんですね。
僕は自分の素人音源でもやったことがあるので解るのですが、②の「ほんのコンマ数秒ズラす」という手間は、かなりの労力なのです。相当のミックス好きでなければ、進んでこんな事はやれません。
そして更にこれも経験済みなのですが、面倒くさがって、ズラす事をしないで2つのチャンネルをこさえてリプレイしてみたところで、全体のヴォーカル音量が上がるだけ、という至極当然かつ無意味な結末が待っているんです。ダブルトラックでもなんでもない。ただのピンポン(今で言うところのバウンス)トラックでしかない。そこで、

 

「やっぱりズラさなきゃダメかぁ、あ~あ、最初から移植し直しだよ・・・」

 

と言っているようでは、音の求道者たる資格は無し。

 

盆水還らずの精神、何とか生かす手はないものか、とズラさずに移植したヴォーカルトラックに、矢鱈めったらとエフェクトをかけてみます。
もう、歌詞が聴き取れなくなるくらい、メチャクチャにしちゃいます。
そんな事をしてしまったら、無論そのテイクのみではヴォーカルとして成立なんてしません。しかし、移植元のマッサラなヴォーカルトラックに合体させてみると・・・奇妙な、一風変わったリードヴォーカル処理の完成!

 

これが、「影-ルーマニアン・ナイト」ヴォーカル・ミックスの理屈。
あくまで、理屈です。アレンジの大野さんやミックス・スタッフの方々は当然、ハナからそういう狙いで作業していますし、僕のようにややこしい経路でやってはいないでしょう。
実際、2009年現在では、こういう作業もボタン操作でホイホイ出来る録音機材が、数万円でお手軽に入手できます。ただ、理屈を知らないと、やってみようとすら思いつかないだけの話。

 

「影-ルーマニアン・ナイト」のヴォーカルにこんな処理が施されたのは、楽曲が「危うい感触」とか「怪しげな雰囲気」を求めているからで、ただの当て込みでない事は明白です。
大野さん作曲の妖美なメロディーはもちろん、ジュリー自身のキワドイ歌詞(名義は李花幻)に基づいた、必然のアイデアだったのではないでしょうか。

 

あと、この曲には、僕のレベルでは分析不能な「第3の声」も入っておりまして。
時折、奇妙な低音処理のヴォーカルが噛みこんでくるのです。
これが後から重ねられたモノなのか、元トラックから抜き出された移植音を部分的に加工したテイクなのか、判別ができません。
ループよろしく、一定間隔で切り裂くように絡んできます。「人力サンプリング」の狙いがハッキリと窺え、大変興味深い試みです。
正に、「ナイフかピストル♪」のようなヴォーカル処理ですね。

 

一定の間合に乗せて繰り返されるサンプリング音。
その耳当たりを逆手にとり、敢えて人力でそれっぽい音色を作り上げる・・・しかもヴォーカルを使って!という野心作。
本当はそんな事よりも、この楽曲にまつわる当時のジュリー自身の背景などを語るべきなのでしょうが、タイムリーでない僕にはそれができませんので、今日は技術的なお話に終始してしまいました。

 

しかし長文だな!
ナナメ読みしないで、じっくり吟味しながら読んでくれる人なんているんでしょうか。
まぁ僕としては、こういう事を語るのは、楽しい。
ダブルトラックに関しては、いつか①の手法(同じ人が2度歌ってトラック合体)についても「人待ち顔」をお題に語ってみたいなぁ。あの曲のミックスは、それが故のハプニングとかありますしね。

 

また呆れずおつき合いくださいませ~。

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