『SHOUT!』

2019年4月18日 (木)

沢田研二 「SHOUT!」

from『SHOUT!』、2019

Shout_1

1. 根腐れpolitician
2. SHOUT!
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またしても腰を痛めてしまいました。
休む間もない日常に季節の変わり目恒例の風邪もやってきて、かなりヘロヘロなDYNAMITEです。そういえば去年もジュリーのツアー初日チケットが届いた頃に重度のギックリ腰を発症して、結局コルセット装着状態で武道館に行ったんだったっけ・・・。
まぁ今回はさほど重症には至らず、生活に支障ないレベルで耐えられているのでホッとしてはいますが。

さぁ今日は今年のジュリーの新譜2曲目「SHOUT!」の考察記事です。
実は僕はこの曲、巷の多くのファンのみなさまとほぼ同じ解釈と、それとは違う2つ目の解釈を持っていま
す。
枕もそこそこに・・・頑張って書いていきます!


①健やかな赤い旗

まず最初に、多くのファンが楽曲解釈としているであろう、ジュリーがこの歌に託した「パーソナルなSHOUT」を探ってみましょう。

ジュリーのような特別な人でなくとも、日常生活で思わず「うわあ~っ!」と叫びたくなる瞬間というのは誰しもあって、例えば何気ない1人の時間の中で自分の過去の失敗、恥ずかしかったこと後悔したこと、或いは「意地を通して」しまったこと・・・そんな体験をふと思い出し、照れ隠しのような「いや、あれでよかったんだ」と自らを落ち着かせるかのような気持ちで「くっそ~!」とか「ちくしょう!」とか声に出してしまったこと、ありませんか?
少なくとも男性ならきっとある、と思うのですが。

ただ、僕のような者は上記のような汚らしい言葉で、ある意味自分自身を誤魔化そうとするところ、ジュリーは堂々とそれを歌にする。歌でシャウトする、ということができるわけです。

で、この歌でのジュリーのそんな「過去の体験」が、記憶に新しい昨年10月、さいたまスーパーアリーナ公演中止とその後の世間の反響であることは明白です。
あの件について僕としては、仕事絡みで「是非」とお誘いして市販のチケットで来場してくれた人達がいましたし、ジュリーファンにも茨城や群馬といった関東圏でも遠方の方々だけでなく、東海、関西そして九州・・・はるばる遠征の多くのみなさまと僕は当日リアルタイムでお話したりメールで状況を確認し合ったりしていましたから、「決行して欲しかった」と思いました。その気持ちはジュリーの会見後もくすぶり続けました。
一方ジュリーの判断、問題提起そのものについては尊重したい、支持したいとも当然思っていて、気持ちがせめぎあう感じでしたね。
それがこの「SHOUT!」を聴くと晴れ晴れとなる感覚。やっぱりジュリーって、「歌で伝える」人なのだなぁと。
どんな批評よりも真に伝わる歌。
僕の「SHOUT!」第一感です。

僕はあの時現場でまず「ジュリーが世間から袋叩きに遭ってしまう」事態を想像し、とても心配しました。
昨今のメディアはこういう事が起こると寄ってたかって吊るし上げる、悪意の砲火を浴びせる・・・何度も見せられてきました。そんな嫌な目にジュリーが晒されてしまうのか、と僕は思いました。
ところがその後、ファンばかりでなく著名人の多くから擁護が相次ぎ、「いつもの調子で」やってやろうと食いついてきた軽薄なメディアが戸惑いの挙句、(一部を除き)ジュリー関連の報道のアプローチを当初とは変えてくる、という不思議な推移を辿ることに。(ジュリーをよく知らない人にとっては)思いもかけぬところでその偉大なキャリアと力、人脈、支持層を示された形です。
あの件以後、ツアー各会場は集客も絶好調。
ファンの熱気と「これはのんびりしていられないぞ」と取り組んだイベンターの努力。双方の「目覚め」は凄まじく、1月の武道館3daysも大盛況に終わったことは最早周知の事実です。

「災い転じて」ではないけれど、この成功に並の人なら有頂天となるところ、ジュリーは(この件以後に僕の参加した)大宮でも武道館でも「ごめんなさい」とステージからお客さんに謝り続けました。ジュリーは自戒を込めて敢えてこの1件を自らの失態と位置づけ、この先忘れ得ぬ、背負ってゆく出来事と決めたようです。
ジュリーはMCで「さいたまスーパーアリーナ公演のリベンジ」実現の決意をも語ってくれました。
また、僕は直接聞いてはいませんがその際に「情熱の赤い旗を掲げて」と意気込みを表現したことがあったそうですね。「赤い旗」って何だろう?と最近まで思っていたのが、「SHOUT」を聴けばそれがジュリーの「たぎる血潮」であることが分かります。

A                                      E
たぎる血潮が ヤイヤイヤイ 溢れてる

B                A    B     
お天道様に 拳だし SHOUT! SHOUT!

まだまだ滾っている、まだまだ歌う、叫ぶ、との力強い宣言。
とても前向きな「意思表明」ソング。僕らにはそれが伝わります。何より、歌詞中の「みんな」が僕らファンのことと思えますから、こちらも気合が入ろうというもの。みなさまも同じ気持ちですよね?

深く考えずに、ジュリーと一緒にシャウトすればよい・・・そういう歌だと思います。ジュリーが信じたものを実感できれば、理屈なんていらない。
ただ、この記事では敢えてそこをもうひとつ突っ込んで、平成の最後にジュリーが放った「社会に対してのSHOUT」まで考えてみたいんです。
次チャプターではその点を掘り下げていきましょう。

②人それぞれの「歌=シャウト」

ここでは、拙ブログ得意の深読み(と言うか「考え過ぎ」とよく言われます汗)による楽曲解釈を書くことになりますがご容赦ください。

僕は今年の新譜をアマゾンさんで予約していましたが発売日には届かず結局ショップで購入しました。3月末になってからのことで、かなり聴くのが遅れました(てか、到着次第YOKO君に引き取って貰うことになっているアマゾンさんの予約分、未だに届かんのですよ・・・)。
昨年末から続く個人的に慌しい日々の中で「ジュリーの新曲すらじっくり聴く余裕がない」状況と思い込み、無理に時間を作ってショップを巡ることまではせず・・・しかし実際に「SHOUT!」を聴いて、「もっと早く買い求めれば良かった」と思った次第です。
これは、忙殺されて時間がなくある意味「弱っている」時にこそ聴くべき歌なのだなぁとも思いました。

「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書きます。
「慌しい」も同様。しかしそんな時

E               B                        E
OH OH OH OH! OH OH OH OH!

発声するのは「OH」だけ。覚え易いメロディー。「みんなも歌って!」と誘ってくれるコーラス。
このサビを一緒に歌っていると、平穏な「心」を取り戻す感覚が沸きます。ジュリーのパーソナルな歌である以上に、様々な状況の中で今を懸命に生きている聴き手それぞれにシンプルに元気を注入してくれる歌・・・僕はそう思ったのですがいかがでしょうか。

「SHOUT!」クレジット最大の目玉は何と言っても超豪華なコーラス隊。音楽劇ほぼ全メンバーに加えて、ご存知依知川さん、GRACE姉さんも。
これはさいたまアリーナの1件で世間の矢面に立たされたジュリーの最も近しい「味方」が大集結して新曲をサポートしたのだ、と考えることはもちろんできます。ただ、何故「SHOUT!」というジュリー作詞・作曲による書き下ろしナンバーに「合唱」スタイルのコーラスが必要だったのか、と突き詰めると、もっと深いジュリーの意図、コンセプトが見えてくる気がするのです。

少し時を遡って、ジュリーが「我が窮状」に合唱隊を採用したのは何故か・・・これは「声を集めて」ということだったでしょう。では今回は?
僕は今年の新譜タイトルが解禁された時、「SHOUT!」のフレーズから70年代ジュリー自作のナンバー「叫び」を連想しました。結果、「意思表明」の歌であることは共通していますし、「叫び」の詞にある「自分のために歌いたい」のフレーズもまた「SHOUT!」に引き継がれているように最初は思えました。「歌を枕に」この先も駆けてゆくと。
ただしジュリーは2012年以降の新譜リリースについて「これからは被災地のこと(広義には『PRAY FOR JAPAN』)しか歌にしない」と言っています。
ならば「SHOUT!」にもそれはある、ジュリーがこのタイトルで「被災地の叫び」に思い至らなかったはずがない、と思うのです。

ジュリーはこの先もずっと「祈り歌」を歌い続けてゆくことをこの新曲「SHOUT!」に載せ意思表明していて、それは「自分のために歌う」ということと何ら乖離しない、同義なのではないでしょうか。
病気と闘っている人や、理不尽な物言いに傷つきながらも必死に生きている人。或いは新たなことに挑戦している人、困難に立ち向かっている人、なかなか見出せない「光」や「未来」(これはアンチテーゼ的に1曲目「根腐れpolitician」の歌詞フレーズでもあります)を求め懸命にあがいている人。さらには、低レベルな話ながら最近ちょっとお疲れ気味、という僕のような者。
その人それぞれに「SHOUT」はあって、だから今のジュリーが作ったこの曲はやはり「民衆の歌」でもあろうと僕は考えたいです。集ったコーラス隊1人1人の声が、「民」に成り代わってくれている・・・ジュリーの合唱形式採用の理由はそこじゃないだろうか、と。

ジュリーは僕らのような凡人とはレベルが違う眩いスーパースターでありながら、時々ふと「僕らと同じ目線に立ってくれている」と感じさせてくれることがあります。
後追いファンの僕には『ジュリー祭り』のMCが最初のそんな瞬間でした。あの日僕が歌手・ジュリーとともに人間・ジュリーに堕ちたことは間違いありません。
近年の「祈り歌」の歌詞アプローチはファンの間でも賛否あるらしいのだけれど(僕には「賛」しかありませんが)、被災地の目線に立つ、さらには民の目線に立つ、ということをここまで徹底し継続してくれる歌手がジュリー以外世界の何処にいるでしょう。
最近この国では、凡庸な民たる僕らからすると信じ難い、呆然とするしかないpolitician達の失言が相次ぐ世の中です。彼等は誰かに指摘されるまでそれが「心無い、酷い言葉」だと気づけない。軽いジョークで場を笑わせようとしたに過ぎないという・・・すなわち目線自体がもう民衆とはかけ離れているのです。自覚すらできない「根腐れ」状態と言われてもこれは仕方ない。

昨年のさいたまスーパーアリーナの1件はジュリーにとって、自らの姿勢と目線を今一度踏みしめ直す意味で、新曲題材たり得たかもしれません。
改めて「自分はこの道をやり通す」との宣言。
5月からの全国ツアーで、ジュリーは「SHOUT!」のサビのコーラスをお客さんにも歌わせてくれるでしょう。そこで、お客さんそれぞれの「シャウト」が1人1人にあってよいし、それを歌声に発することで逆に余計な自我が鎮まり穏やかになれるんじゃないかなぁ。
僕らのシャウトをステージのジュリーに届けたい、と思っています。

でも楽曲解釈としては深読みが過ぎるかな?(汗)

③摩訶不思議なスリー・コード・ロック!

昨年の『OLD GUYS ROCK』収録「屋久島MAY」もジュリーの作曲作品でしたが、これは2003年の時点でメロディーが出来上がっていた(シングル盤でのボーナス的トラックだったそうです)ので、「リメイク」リリースといったところ。
今年の「SHOUT!」は2010年のアルバム『JULIE with THE WILD ONES』以来のジュリー自身による純粋な書き下ろし作曲作品リリースとなりました。

僕は新譜発売前に書いた「叫び」の記事中で、この「SHOUT!」の曲調も色々と予想したのですが、「スリー・コードのロック」という部分のみ的中。
あと、「キーはホ長調」も完全ではないけれど当たりました。この「完全ではない」ところが正に、ジュリーはやっぱり独特の作曲感覚を持っているな、と改めて思い知ることとなりました。
解説しましょう。

最終的には柴山さんがギター・アレンジで「7th」「sus4」のコードを採り入れたり、イントロ及びエンディングで「C→B」というコード・リフを編み出したりしていますが、ジュリーが作曲したメロディーのみ抜き取ると、『SHOUT!』は「E」「A」「B」というたった3つのコードだけで構築されていることが分かります。
これはホ長調のスリー・コードです。
ですから五線譜で採譜するなら、最初から最後まで#4つの調号で通すこととなりましょう。
ところが!
この曲はどう聴いてもAメロだけロ長調。歌メロ冒頭からのコード「B」はドミナントではなく明らかにトニックです。
スリーコードのロックもジュリーにかかれば斬新な変態進行(←褒めてます!)に仕上がってしまうのですな~。柴山さんのギターがヴァースごとに弾き方を変えてくる効果も大きいです。

重厚なロック・ナンバーと言って間違いのないこの曲、しかし実はメロディーがとても美しい。Bメロのはちょっとサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を思わせたりとか。
曲中僕が最も好きな箇所はBメロ最後(サビのコーラス直前)「SHOUT!SHOUT!」のジュリーのヴォーカルです。少し崩し気味に歌ってから明快なサビへと向かう手法は70年代から変わらぬ作曲家・ジュリーの得意技なのです。
それにしても、1曲を通して声圧を均一に保つジュリーの才能は本当に凄まじいです。ギター1本体制となってそれが際立ち、万人に分かり易くなったと思います。

そして豪華なコーラス隊。
ジュリーはゲスト陣に「必要以上に音程にとらわれず、自由に大きな声で歌って、シャウトして」とサジェスチョンしたんじゃないかな。
フレーズ最初の「OH!」を「あおっ!」みたいな感じで叫んでいるメンバーもいますし、現場で張り切る皆の様子が目に浮かびます。「赤い旗♪」の語尾をしっかりハモっているのがさすが音楽劇チーム、とも思いました。

詞、コード進行やコーラスの手法を考え合わせるに、ジュリーはこの歌に「自由度の高さ」を込めたのではないでしょうか。
言うまでもなくこの曲は5月からの全国ツアー、タイトルチューン。是非僕らも元気に血潮滾らせてコーラス参加したいものですね。


ということで、この記事の下書きをしている間に我が家にも第1弾のチケットが到着しております。
僕はまず初日、東京国際フォーラム公演の1枚。
ジュリーの衣装や柴山さんのギターモデルは肉眼で確認できなさそうな2階席の端ブロックでしたが全然問題なし!これで、会場の誰もセットリストを知らないツアー初日の参加権利が確定したのですから。
あとは何とか都合をつけて駆けつけるのみ。

お題の「SHOUT!」はアンコール1曲目で歌われる、と予想しておきます。
みなさま、今年もジュリーのツアーをご一緒しましょう。楽しみです!

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2019年4月 7日 (日)

沢田研二 「根腐れpolitician」

from『SHOUT!』、2019

Shout 

1. 根腐れpolitician
2. SHOUT!
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4月です。
3日くらいまで寒かったですが、ここへきて暖かくなってきましたね。

3月は裕也さん、ショーケンとジュリーに縁深いレジェンド2人の訃報が相次ぎました。1月のジュリー武道館公演を共にした友人のNさんはショーケンの大ファンで、彼がYOKO君と組んでいるコピー曲専門の2人ギター・ユニット「GENTLE-2」ではこの週末の練習課題曲にショーケンの「ハロー マイ ジェラシー」を採り上げると聞いています。
平成の時代も残り僅かというタイミングで悲しいニュースがあった3月・・・何年経っても思い出すことでしょう。

そんな中僕は、遅れに遅れましたが今年も3月11日にリリースされたジュリーの新譜『SHOUT!』収録2曲の考察記事に取り組んでまいります。
バッタバタの日々ですので例年のような大長文は書けませんが、中長文?くらいな感じでよろしくおつき合いくださいませ。
今日はCD1曲目「根腐れpolitician」です。頑張ります。


①『新しい想い出2019』?

5月からの新たな元号が「令和」と決まりました。世間の反応、意見は様々のようですが、個人的には好印象、気に入りました。
と言うより僕の場合は「明治」「大正」「昭和」「平成」・・・全部好き。基本「戦国武将好き=元号フェチ」というのがあって、永禄とか元亀とか漢字二文字で時代を表す感覚に惹かれるのです。
あと、平成に続いて今回も元号の決定が「書体」で発表されたじゃないですか。「令和」ですと例えば「令」の2画目の「はらい」の太さや、「和」の「へん」が長くて「つくり」が短い独特の縦バランスなど、印刷活字には絶対に無い「人の手で書かれた」生命力のある書体に惚れ惚れしてしまうという・・・。
まぁ僕は特殊な嗜好の持ち主なのかな。

ただし、「令和」がどんな時代になってゆくのかは今生きている僕ら次第。そして、これほど「平和」「平穏」をすべての人々が切に願いつつ迎えた新時代の節目も古来そうそう無かったのだろう、とも思っています。
何故こんな話をしているのかと言うと、今年の新譜『SHOUT!』に「平成を振り返り、新時代を見据えた」ジュリーのコンセプトを強く感じたからです。

ジュリーは時代に振り回されたり阿ったりすることなく自身の志と矜持を以って歌ってきた歌手ですが、それ故それぞれの時代の「急所」に敏感であるとも言えます。
かつて「21世紀」の新時代を迎えてリリースされた『新しい想い出2001』。シンプルなサウンドの中にジュリーのパーソナルな言葉と心境が押し出されたアルバムという印象があります。後追いファンの感覚では、今年の『SHOUT!』がこの名盤とスタンスを重ねるように思えるのですがいかがでしょうか。
1曲目「根腐れpolitician」では社会全体の、2曲目「SHOUT!」ではジュリー個人にとっての平成の急所を抉り、「叫び」をもって新時代(令和)に挑む・・・CDのタイトルチューンは2曲目ですが、「根腐れpolitician」の方もまたジュリー心からの”「SHOUT」ナンバー”であることは明白です。

ジュリー自身は古稀ツアーを機に昨年から「ギター1本体制」による歌人生の新時代をスタートさせています。収録2曲にトータル・コンセプトを持つ今回の新譜は、その伸びしろを掲げて新たな時代を読むジュリーのメッセージ、と僕は捉えました。
では、ジュリーが振り返った「平成」が、社会全体においてはどんな時代であったか、そして「令和」にどう臨むのか・・・そのあたりを「根腐れpolitician」のジュリーの詞から紐解いていきましょう。


②人の「性根」が問われる時代

徒党を確認した上で弱者に寄ってたかる、というのは結局それをする人の性根なのだろう、といった感じのことをブログに書いたのはいつだったかな。
実は僕は今現在個人的にイヤでもそういうことを考えさせられる、身につまされる状況下にあって、夜中に目が覚めたりもするのだけれど、ジュリーの新曲タイトルが「根腐れpolitician」と知って「そう来たか!」と。

世の中が平和に成る、平穏に成る、と期待した平成という時代は、その平和、平穏をリードして成らしめるべき人達の性根が腐った時代であった、とジュリーは歌います。その通り、特にここ数年本当に酷い状況だと誰もが実感しているでしょう。
近年、為政者や利権を保す者への容赦ないメッセージ・ソングを連発させたジュリー。しかし同じスタイルのようでありながら今年の「根腐れpolitician」の詞はそれらの「直球」とは少し違うと僕は感じています。
政治の不正、危うい世界情勢、自然環境の危機、反原発とテーマが多岐に渡り、良い意味での「乱打」と言うか、思いつくままにフレーズを吐き捨てる七色の変化球。「politician」(かつてのキンクスなどがそうであったように、この単語選択には批判的な意味合いがあるでしょう。日本語なら「政治屋」とでも訳すところでしょうか)と「大衆」を分けるとすれば、そんなやみくもな乱打こそ大衆に成り代わっての「シャウト」かもしれません。
当然被災地への想いというのは変わらずあるし、怒髪天・ジュリーが繰り出すフレーズ(「ペラ野ミクス」が凄過ぎる!)は聴き手に「引っかかり」を与えてくれます。
そんな中でも特に「らしい」フレーズの極めつけは

    E F#  G#   C#   D#  G#
そりゃ御為倒 し  光なんか見えねえ

の「御為倒し」です(漢字で書くあたりがいかにもジュリー!と思いました)。
これはpoliticianへの糾弾のみならず、大衆たる僕ら聴き手それぞれの身にすぐさま跳ね返ってくるフレーズでもあります。
自らが普段「人のため」「みんなのため」と言いつつやっていることがあったとして、しかしそれは本当にそうなのか。極端に言えば、こうしてジュリー・ナンバーの記事を書くことだってそれに当て嵌まるかもしれない。でも、そんなふうに考えると何もできなくなってしまいますよね。

何か志のヒントはないものか、と探ると・・・メロディー2回し目の歌詞中に、これまた「ジュリーらしい」普段は耳慣れぬフレーズが見つかります。

F# G#    B C#      B       F#  G#
   官も   民も 根腐れF.E.O.

細野晴臣さん絡みで「F.O.E.」なら知ってるけど「F.E.O.」なんて聞いたことないぞ、と僕は早速あれこれこのフレーズの意味を調べ、完全に分かったとは言えないまでも何となくジュリーの意図を想像できました。
「F.E.O.」=「醜悪」と読み解くのがよいでしょう。
これも「御為倒し」同様に人の性根の部分を掘り下げ手繰った言葉であり、さらにはジュリーにとってこの「F.E.O.=醜悪」の反語が新譜2曲目「SHOUT!」に登場する「健やか」であると考えられます。
ならば僕らは「醜悪」の逆・・・これから何においてもジュリーが歌う「健やか」つまり健全の志をもって行動し、新時代を迎えねばならない、と。凡庸たる僕個人としてはなかなか難しい課題でもありますが、ブログを書くことひとつとってもそれは常に心がけていきたいものです。

「令和」に引き継がれてしまった近々の社会問題と言えば、この国ではやはり

C#    B  F#     E  B   C#
時代遅 れなのに 原発

ということになりましょう。
福島第一原発事故、その終息はおろか、浄化処理に伴うトリチウム汚染水貯蔵タンクの増設が敷地的な限界に達する、という事態が迫っています。これは来年の東京オリンピック開催の後、すぐにやってきます。
東電の対策は「国の指示待ち」。じゃあ国の判断はどうかと言うと、現時点で原子力規制委員会が明言しているのが「海への放出が現実的かつ唯一の選択肢」。
果たしてそれを「アンダーコントロール」と言い張れるものでしょうか。この問題は近い将来ジュリーが歌にするんじゃないかな、と僕は予想しています。

轟音のギターで歌われる「根腐れpolitician」に僕はニール・ヤングが89年にリリースした「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」の歌詞を想起させられました。
近寄る戦争の跫音、その予感があったのかどうか・・・ニールは醜悪な為政者が人々や自然に与えた大きなダメージを歌い叫び、しかし民衆の諦念は強く否定しました。リリース直前の来日公演では、心無い客からの「○○を歌え!」と代表有名曲を求める声に顔色ひとつ変えず、この最新のメッセージ・ソングを熱唱したと言います。
「フリー・ワールド」、すなわち「自由」な世の中であることはこれから先のジュリーの歌人生においても必要不可欠。ジュリーが自由に「SHOUT」し続けられる健やかな時代であることを、まず僕は「令和」に希望します。

③正真正銘・ギター1本レコーディング!

みなさまから遅れること2週間余、ようやく新譜を手にして(僕は3月28日に池袋タワーレコードにて購入。ちなみにアマゾンで予約していたものはキャンセルせず到着次第YOKO君に引き取って貰うという話になっていますが、未だにウンともスンとも・・・これまでで一番遅れているのではないでしょうか)まずこの1曲目「根腐れpolitician」を聴き終えて深く唸らされたのは、先のジュリー古稀ツアーでその演奏を一手に引き受けてきたギタリス・柴山さんが辿り着いた境地・・・それが早速今回の新譜に反映されていたこと。

昨年のCD『OLD GUYS ROCK』では、もちろんその後のツアーを想定し柴山さんがギター1本で再現し得るアレンジを構築していましたが、どの曲もサブ・トラックとして目立たぬようにもう1本ギターを重ねていました。ところが今年はそれが無い!
ギターの音自体は左右のPANにに分けてミックスされているものの、これはたったひとつの演奏トラックを分離したもの。つまり、レコーディング音源においても柴山さんは今回から「完全ギター1本体制」の領域に踏み込んだのです。個人的には、2010年リリースのCD『涙色の空』1曲目のタイトルチューン「涙色の空」(鉄人バンドの4人がそれぞれ「1人1トラック」を貫き追加トラックを排除したアレンジ)を初めて聴いた時と似た感覚、衝撃でした。
本当にイイ鳴りしてる!このギターはテレキャスじゃないかなぁ。何故なら、パブロック好きには「神」とも言えるテレキャスの名手、”マシンガン・ギター”ウィルコ・ジョンソンの音を思い出させてくれるから。

参照楽曲「Another Man
↑ウィルコが在籍した初期ドクター・フィールグッドの名曲群の中で僕が最も愛するナンバー。
曲のタイプは全然違うけど、ギター・カッティングの音色に注目して「根腐れPolitician」での柴山さんの音(特に「hey Sey」直後のCメロからのカッティング音)と比べてみてください。


さらには作曲の素晴らしさ。武骨にして緻密です。
今年の新譜は2曲入り、うち2曲目「SHOUT!」の方はジュリーの作曲作品ということで、柴山さんは1曲入魂の書き下ろしとなりました。得意とする「1曲内に複数の曲想を組み込む」アイデアが炸裂し、Cメロなんて転調もしていないのにメロディーの感触がガラリと変わります。初聴時はドキッとさせられました。
キーは変イ長調。ただし、五線譜にするならそのまま♭4つの調号の「A♭」表記で間違いないのですが、先のチャプターで少し歌詞抜粋した通り、僕ならこの曲の場合はギターのポジション展開を考慮し「G#」表記としたいところ(嬰ト長調ということですね)。
変イ長調の王道パターンでは登場しない「E」「B」「F#」といった#系のコードが躍動する曲ですから。
Aメロはこうなります。

F# G#    B C#       F# G#     D#  C#
   嘘で  かわし   重ね 固 め

F# G#       B C#     B       F#   C#
   まかり  通す 根腐れpolitician

正にギタリストの作曲作品、という感じの進行です。
当然曲調はゴリゴリのロック。ジュリーと柴山さんの超獣コンビは、古稀を超え喜寿を超え傘寿を超え盤寿(←これは将棋用語だけど)を超え米寿を超え・・・令和の時代もヤンチャしてくれそうですね。


最後に余談ですが、先月ココログさんの大幅なリニューアルがありました。
PCで見る限り以前とブログの見え方は変わっていない様子ですが、スマホだとどうなんでしょう?(←未だにガラケーのDYNAMITE汗)
一方、読者のみなさまからは見えない筆者側の管理画面操作については大きな変化があって、まぁまだ慣れていないだけかもしれないけれど以前の方が使い易かった気がします。
過去記事の中に修正不可能(管理画面上で言語変換してくれない)ものが見つかるなど不具合も多く・・・僕の場合、過去記事の修正は日常茶飯事ですのでこれはとても困ります。
また、複数の画像を記事中にupする際、原寸そのままの添付とサムネイル仕様との併用ができないような・・・この記事も、『SHOUT!』のジャケ写以外にもう1枚、通勤途中の公園で撮った桜の写真をupしたかったのですが結局問題解決できず断念しました。
この調子では先が思いやられる・・・。
ただ心強いのは、同じココログでお気に入りのじゅり風呂さんが多いこと。みなさまと一緒に新しい管理画面にも慣れていければ、と思います。

とりあえず今回、サイドバーのコンテンツ試し斬りということで、5月からの全国ツアー各会場座席表へのリンク一覧『神席たちよ集え』前半ぶんを更新してみました。
スマホから見てもうまく反映されてるのかな・・・?
チケット発送第1弾は22日の週かなぁ、と今から到着が楽しみ。僕はまずツアー初日、なんとしても都合をつけて駆けつけなければ。
全国各地、みなさまの良席ゲットをお祈りしています。

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