ジュリー・ヴォーカル徹底分析!

2014年5月13日 (火)

沢田研二 「真夏のconversation」

from『NON POLICY』、1984

Nonpolicy

1. ナンセンス
2. 8月のリグレット
3. 真夏のconversation
4. SMILE
5. ミラーボール・ドリーマー
6. シルクの夜
7. すべてはこの夜に
8. 眠れ巴里
9. ノンポリシー
10. 渡り鳥 はぐれ鳥

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さて今日は「ジュリー・ラヴソングの旅」シリーズに戻りますが、超久々の『ジュリー・ヴォーカル徹底分析』のカテゴリーにて更新となります。

本格ジュリー堕ち直後の2009年に張り切って開始したこの
カテゴリー・・・まぁ「結局どんな記事書いてもジュリーのヴォーカルについては散々語ることになるんだから」ということで、敢えてヴォーカルをメインのテーマを絞るこのカテゴリーでの執筆は、最近とんとご無沙汰。
カテゴリー自体、このまま放置されていくことになるかなぁ、と考えていたところでした。

しかし今日のお題を選んだきっかけというのが・・・いつもお世話になっているJ先輩、momo様が以前からお会いする度に仰っておられた
「私『NON POLICY』のヴォーカルが好きなのよね・・・」
とのお言葉。
フェイバリット・ジュリー・アルバムとして『NON POLICY』『TRUE BLUE』の2枚を常に挙げていらっしゃるmomo様、日頃から「私、ちょっと好みが変わってるのかしらねぇ」と仰るのは尤もなお話で、熱心なジュリーファンにあっても、この2枚を真っ先に挙げるかたというのは確かに少数派ではあるでしょう。

ところが、「momo様がそこまで仰るのだから・・・」とマッサラな気持ちで改めて『NON POLICY』を聴いてみて、このアルバムのジュリーのヴォーカルは確かに他のどの作品とも違うようだ、と遅まきながら僕にも分かってまいりました。
それが、「渡り鳥 はぐれ鳥」の記事を書いてしばらく経ってからのことでしたね。

では、このアルバムのヴォーカルの何が、どのように特殊なのでしょうか。
今日はそのあたりを考察すべく、アルバム収録曲中唯一のダブル・トラック・ヴォーカル導入のナンバー「真夏のconversation」を採り上げ、様々な角度から曲を紐解きながら、『NON POLICY』のジュリー・ヴォーカルの特性に迫ってみたいと思います。
伝授~!

まずアルバム全体のヴォーカル処理について。
総じて、ディレイ・タイムの短い設定でエフェクトがかけられています。カラオケマイクのようなエコーではなく、「機械で声質をいじっている」ような感触。
これは一般的に、声を硬く尖らせる効果があるとされている処理で、80年代のシティ・ポップスにおける流行手法でもあります。
ジュリーの作品としては『A WONDERFUL TIME』収録の「PAPER DREAM」や「WE BEGAN TO START」あたりからハッキリとした狙いを以って採り入れられ、『女たちよ』で確立されました。
ですから、その処理自体はジュリー・ヴォーカルにとって真新しいことではありません。
やはり、ジュリーの「歌い方」にこそ注目すべきです。

1980年前後から、佐野元春さんや大沢誉志幸さんなどの若い新たな才能の台頭を受けて、「英語的な発音でのクールな日本語歌詞の歌い方」が、邦楽ポップスに大きな影響をもたらします。彼等の楽曲をいち早く採り入れているジュリーにも、当然その影響はありました。それはいたって自然な流れ。
しかし『NON POLICY』を通して聴いていくと、そうした発音での歌い方、さらに機械的なエフェクト処理・・・それら「流行」とガチンコするかのように、ジュリーが語尾の母音を狂おしくせり上げて歌うスタイルを多く織り交ぜていることに気がつきます。
このヴォーカルは、容赦なく母音を叩き斬る、いかにも洋楽直系の『S/T/R/I/P/P/E/R』の頃とは対極の、良い意味で純日本的な表現のように思えるのですが・・・いかがでしょうか。

「音」「リズム」のインパクトが強烈な『女たちよ』では、こうした
歌い方はまだ抑えられていて(それが悪いわけでは決してありませんが)、ここへきての『NON POLICY』収録曲・・・特にメロディーの美しいナンバーで聴くことができるヴォーカル・スタイルは、ジュリーの歴史線上での大きな変化のひとつだと思います。
そう、「シルクの夜」あたりは言うまでもないですけど、この「真夏のconversation」も、ロック的なアプローチと共にとても美しいメロディーを擁する楽曲なのです。
例えば

押し寄せる波 明日へ続くよ
G       C         E7      Am

決して消えない love call さ
Dm                   E7   F7  E7

Everyday・・・ 君を愛してる
        Dm             Am

耳をすまし 聞いてみなよ
   Dm         B7            E7

このあたりの流れは、本当にキレイなうねりを持つメロディーですよね。
そして、「耳を♪」や「聞いてみなよ♪」の語尾の母音の粘り。ここに純歌謡曲的な(褒めています!)ニュアンスを感じるんです。
発声としては、70年代後半、大野さんの作品のジュリーを思い起こさせる・・・でも単に「あの頃の」ヴォーカルをなぞっているのではなく、80年代流行の近代的なアレンジ、エフェクト処理なども丸ごと飲み込んでのジュリーの主張、表現なのではないでしょうか。
エクスタシーの一歩手前で、聴き手を焦らしているようなヴォーカルです。
こうした「日本の歌謡曲」の素晴らしさを感じさせる歌い方が、クリス・レア作の2曲でガッチリ嵌っているのがまた凄い。まぁそれはいずれ「スマイル」「眠れ巴里」いずれかの記事で改めて書くとしましょう。

次作『架空のオペラ』からのCO-CoLo期になると、焦らし続けていたエクスタシーを解き放って裸になったようなヴォーカル、という印象を受けます。
その「一歩手前」の緊張感が『NON POLICY』の特性のように僕には今感じられているのです。

また、『NON POLICY』では、ヴォーカルの隙間隙間での「合いの手」的なジュリーの「喘ぎ」がいよいよ徹底されていることも大きな特徴です。
メロディーの空白部で「アオッ!」と言ってるんですね。
『A WONDERFUL TIME』収録曲でもこの「アオッ!」が楽しめますが、まだ「曲に応じて」という段階です。
それが『NON POLICY』では全開。どの収録曲でもやってます!ロックな曲でもバラードでも、エロティックなジュリーの喘ぎを聴くことができるのです。

「真夏のconversation」で一番目立つ「アオッ!」は、ブリッジ部のラスト・・・2’30”あたり。これはジュリー、歌入れ前から「ここで炸裂させる!」とあらかじめ決めていたっぽいですね。
対して、3’15”や3’32”で登場する「アオッ!」は、歌に入り込んだジュリーが咄嗟に出した喘ぎ、といった感じ。しかも、マイクにギリギリで拾われることを意識していると思われます。ジュリー天性の勘でしょう(それを絶妙に拾い上げたミキサーさんのセンスと技量にも拍手)。
3’32”の箇所などは、ヘッドホンで聴かないとジュリーの声に気づけないかもしれません。その「聴こえるか聴こえないか」の喘ぎもまた、エロいではありませんか。

もし、「『NON POLICY』はいまひとつしっくり来ないアルバムなんだよなぁ・・・」という方がいらっしゃったら、是非このジュリーの「アオッ!」をひとつたりとも聴き逃さないようにしながら、アルバムを通して聴いてみて!
すべての「アオッ!」をチェックし終える頃にはあら不思議、『NON POLICY』のジュリー・ヴォーカルが病みつきに・・・となっている可能性大ですよ~。

冒頭で触れたように、「真夏のconversation」のヴォーカルには、ダブル・トラックが導入されています。
これは、「人待ち顔」と同じ手法です。
1度歌ったワン・トラックを複製してコンマ数秒ずらす、というミックス処理ではなく、ジュリーが2回に渡り同じヴォーカル・パートを別々に歌っているのです(ブリッジ部以外)。
試しに1’59”の、「言い続けるさ♪」のロングトーンの語尾を注意してよく聴いてみてください。明らかに、2人のジュリーがそこにいますでしょ?
で、曲中登場する「アオッ!」はすべて、どちらか一方のヴォーカル・トラック単独のもの。メロディー部はダブル・トラックの端麗な輪郭で、シャウト部は単独の生声感覚に、という狙いでしょう。

歌メロ自体ワン・トラックの他収録曲には、「アオッ!」だけをダブル・トラックで重ねるという真逆のパターンもあり(「ミラーボール・ドリーマー」)、その場合の「アオッ!」にはメロディーがあるんです。この辺りがヴォーカリスト・ジュリーの並外れた嗅覚と言えるでしょう。
特に話題に上がることはほとんど無い分野ではありますが、後録りのハーモニー・コーラス・トラックの素晴らしさ含め、ジュリーは「重ね録り」の天才です

ということで・・・ここまでジュリーのヴォーカルについて語り倒してきました。カテゴリー的にはこれでオッケ~ですが、せっかくですから純粋に「真夏のconversation」という楽曲の魅力についても少し書きましょう。

リズムはミディアム・シャッフル。
『単純な永遠』リリース時に吉田建さんが「不安にさせよう」について、「こういうシャッフル・リズムは、ジュリーは得意中の得意!」と断言していましたが(横で話を聞いているジュリー自身は「え~、そうなのかなぁ」みたいな顔に見えますけど)、実は「真夏のconversation」のような、「
短調の」ミディアム・シャッフルというのはジュリー・ナンバーとしてはかなり珍しい。「悪夢の銀行強盗」以外他にあるかな?「デビューは悪女として」は、イントロ伴奏部が長調ですし・・・。

抱きしめた その時に泣いていたね
Am                         F                   G

くちびるを かんだ君 何を想う ♪
Am                          F

コード進行としては短調ポップスの王道。奇をてらったところは一切ありません。
プロの作曲家の手にかかれば、そのシンプルな進行がそのまま美しいメロディーの流れに直結するんだなぁ、ということがよく分かります。

真実おくれよ 心を おくれよ
Dm               Am

真夏のConversation ♪
   F     Em      Am

トニック着地直前のドミナント・コードが「E7」ではなく「Em」というのがクールでカッコイイです。
こういうところは、エキゾティクスのアレンジ(ギターよりも鍵盤楽器の比重が高く、パーカッション装飾もシンセの打ち込み音を多用)共々、「シティ・ポップス」っぽい意識があるのかな。

で、三浦徳子さんの詞ですが・・・これは「ラヴソング」であることは間違いないとして、男女のどういうシチュエーションを切り取ったんだろう?

恋人の間に決定的なすれ違いがあって、ちょっと微妙な雰囲気の2人になっているように僕には思えます。或いは、主人公の男の方が何かやらかして、彼女を怒らせ悲しませてしまっている・・・とか?
還暦ジュリーで本格堕ちした僕としては、そんな時即座に「ごめん!」と素直になるのがジュリーのイメージではありますが、さすがにこの当時はね・・・カッコ良くくどき倒す、惚れ直させるという二枚目路線。
『NON POLICY』が面白いのは、収録曲が進むにつれて何となくそんな二枚目路線が徐々に砕けていくような感覚があるんです。
最高にクールな「ナンセンス」から始まり、最後には「ノンポリシー」「渡り鳥 はぐれ鳥」になっちゃうんですからね。その曲並びがまた最高なんですよ。

ひとつ言えるのは、僕が『NON POLICY』というアルバムを、以前よりもずっと好きになってきている、ということです(momo様もう1枚のフェイバリット『TRUE BLUE』については、まだその魅力をハッキリ掴みきれてはいないのですが汗)。

オシャレなシティ・ポップスのアルバムとして聴いていると、そんな先入観を次々に裏切られてゆく心地よさ。
クールなグレイの風景に浸っていたら、後半に進むにしたがって次第に景色が明るくなってきて、最後には完全に陽が射し、「何難しい顔で聴いてんの?」とジュリーに言われているかのようです。
その余韻でもって再び1曲目「ナンセンス」からおさらいしたくなる・・・病みつき度の高いヴォーカル・アルバム。

momo様、そしてこのアルバムを愛するみなさま・・・長らくお待たせしてしまいましたが、今ようやく断言します。
『NON POLICY』、名盤です!


それでは、今日のオマケです~!
1984年の『宝島』6月号。これは、最近お世話になっているピーファンのお姉さまが、昨年のジュリーの『Pray』ツアーの際、わざわざ僕のためにコピーしてお持ちくださった資料です。
僕はこれ、初めて見ました。ありがとうございます!

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いやはや・・・この当時のツアー中に、ジュリーとエキゾティクスの間でそんな悪戯が流行っていたとは。
ワケの分からない時間に叩き起こされる柴山さん・・・なんだか想像してしまうと気の毒ですが、皆若いからそういうことも平気で、仕掛ける方も仕掛けられる方もはしゃいでいたのかなぁ。

まさか今でもこうした悪戯が?
でも今の鉄人バンドなら、叩き起こされる役は柴山さんではなく、下山さんか泰輝さんのような気がします・・・。


さて。
申し訳ありませんが・・・次回の更新まで、しばらくお時間を頂きます。
今週末にポール・マッカートニーの国立競技場初日公演に参加するので(武道館公演はチケットが高すぎ断腸の思いであきらめました・・・泣。改めて、ザ・タイガースのチケット価格がどれほど特別で、あり得ないお値段だったことかと感謝)、当分の間ポールモード、ビートルズモードに突入します。
LIVE参加後に、ポールの今回のセットリストの中から、ジュリーが歌ったことのある曲をお題に採り上げ、『ジュリーがカバーした洋楽を知ろう!』カテゴリーでひとつ記事を書こうと思っています。「レット・イット・ビー」はもう書いちゃってるけど、「ヘイ・ジュード」は必ずやるので、「ネタが1曲も無い・・・」なんて途方に暮れることはないでしょう。でもできれば「アイム・ダウン」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「ハロー・グッドバイ」あたりで書けることを期待していたりして。

それが終わったら吉田Qさんのファースト・アルバムの記事を書き、その後再びジュリー・ナンバーへと戻ってから、ピー先生のソロ・ツアー初日レポート執筆、という流れになりそう。
7月からの『三年想いよ』ツアーが始まるまでの間にも、こうして大きな楽しみが続くのです。

稽古に全力で打ち込んでいたのでしょう・・・最近更新が無く静かだったピーのオフィシャルサイトも、本日久々に更新されていますね。
先の週末にツアー・パンフレットの写真を撮っていたとのこと・・・そろそろチケットも発送かな?

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2013年5月10日 (金)

沢田研二 「バイ・バイ・バイ」

from『Jewel Julie -追憶-』、1974

Jeweljulie_3

1. お前は魔法使い
2. 書きかけのメロディー
3. 親父のように
4. ママとドキドキ
5. 四月の雪
6. ジュリアン
7. 衣裳
8. ヘイ・デイヴ
9. 悲しい戦い
10. バイ・バイ・バイ
11. 追憶

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いきなり暑くなりましたね~。

ジュリー界は今、音楽劇ラスト名古屋公演の真っただ中でございますが・・・今日の拙ブログではまず本題の前に、2つのタイムリーな情報について少し書いておきたいと思います。

ひとつ目・・・6月28日の『Pray』ツアー初日が待ち遠しい今日この頃ですが、さらにその先に待っているのがザ・タイガース再結成。遂に先行チケット申し込みのインフォメーションが来ましたね!
「近い将来、です!」と2012年1月24日武道館公演で宣言してくれたジュリー。
いよいよその時か・・・と実感が沸いてきます。

インフォで僕が真っ先に確認したのは、12・27大トリ東京ドーム公演の開演時間。
サラリーマンやOLのみなさまはほとんどそうかと思いますが、この27日って確実に仕事納めの日じゃないですか。これで例えば開演が午後4時、とかだったら・・・僕は完全にアウト。悔し涙に暮れながら参加をあきらめるしかありませんでした。
確定した開演時間は午後6時半ということで・・・これなら何とかなるかもしれない、いや、何とかしなければいけない。
席は何処でもいい・・・とにかく参加して、ザ・タイガースであの広い東京ドームをフルハウスにするんだ!

もう1箇所の参加を初日の武道館にするか長崎遠征に踏み切るかで悩みましたが、12月3日は『ジュリー祭り』記念日であると同時に私事ながら結婚記念日でもあるので、その日は有給をとりカミさんと一緒に過ごして、ザ・タイガースで1日を締めくくろうと決めました。
でも武道館は競争率も激しいようで・・・無事にチケットがとれますかどうか。

さて、僕は『澤會』『オフィス二十二世紀』共に会員ですから、ジュリーとピーの事務所さん2種類の、それぞれのインフォを同時に受け取りました。


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44年の歳月を経て、ついにオリジナル・メンバー全員が揃ってのLIVEが本年12月に実現します。
・・・・・・夢にまで見たことが現実になったのです。

「インフォにはこういう文面を載せようね」とメンバーで話し合ったのでしょうね。一字一句、「・・・・・・夢にまで見た」の「・・・・・・」の数までキッチリ同じ。
きっとタローの『青い鳥クラブ』のインフォも同様の構成でしょう。
トッポ、サリー、ジュリー、ピー、タローというメンバー表記順については、ぴょんた様が素早く「五十音順なんだね」と気づかれました。

謳い文句を打ち合わせたり、全員の気遣いでメンバーを五十音順表記にしたり・・・これは正に、高校生男子の文化祭バンドのノリじゃないですか~。なんだかこちらも青春時代を思い出して楽しくなってきます。

ジュリーもピーも、ファンクラブの会費もとっていないのに、こんなに嬉しいお知らせを丁寧にいち早く会員に届けてくださる・・・その志、ファンとしてはどちらの事務所さんにも応えたい、という気持ちになります。


(註:以下、74年生まれ様に頂いたコメントでのご指摘に従い、チケットはすべて澤會さんへの申し込みとすることにしましたが、最初に書いた文章はそのまま残しておきます)

ですから僕は2箇所の参加会場をひとつずつ、それぞれのファンクラブで申し込もうと思います。

武道館はいつも通り『澤會』さんに申し込みます。
これはちょっとだけ下心があります。きっと、ステージ裏の北西スタンド、北スタンド、北東スタンドの多くが澤會さんの枠なんじゃないかなぁ、と考えるからです。
ステージ裏というのは正面からメンバーの姿を観られない席ですが、老虎ツアー・ファイナルのレポートでも書いたように、ステージ裏1階席で聴こえる音はスバリ、ステージ上のメンバーが確認しているモニター返しの音と同じなのです。そして今回はオリジナル・メンバー5人だけの演奏・・・ステージ裏1階席で聴こえてくるのはおそらく、僕の知らないあの伝説の新宿ACBで彼等が出していた音と近いものになるんじゃないか・・・そんなふうに想像しているのです。

まぁそれはあくまで贅沢な願望、と言うか下心です(汗)。大事なのは何とか抽選を通過し武道館の中に入ること、ですね。

ファイナルの東京ドームは『オフィス二十二世紀』さんに申し込もうと思います。
会場が会場ですから、ピー先生の受け持つチケットも枚数が相当多いでしょう。
僕はその末席中の末席で構いません。
『ジュリー祭り』の時、僕は一般販売のS席購入で2階前方席・・・それ自体は良かったのですが、周囲のお客さんは最後までほとんど着席のままでした。
今回のドーム、僕は席の良し悪しは問いませんが、やっぱり皆でスタンディングしてガ~ッと盛り上がりたい。
その点、周りがピーファンの方々だったら凄いと思うんですよ。みなさんが44年貯めていたエネルギーが、きっとすべて解放され出しきれると思う・・・僕はそんな雰囲気を一緒に味わってみたいです。

(ここまで、ジュリーとピーの事務所さんへ参加会場別に申し込むつもりで書いてきましたが、インフォの特記事項は、「チケットの申し込みはすべて1箇所の事務所で」という意味にもとれます。考えてみますとその方が不正の取り締まりもしやすいですしね。
結局、僕は武道館、東京ドームとも澤會さんに申し込むことに致しました)

激戦となる武道館公演の抽選は抽選としても、ジュリーファンのみなさまはまぁその辺りは慣れたもので、申し込み締め切りまでゆっくりあれこれ考えて・・・といったいつもの感じですけど、僕の周囲のピーファンのみなさまの多くは「一刻も早く申し込みを!ひと時の遅れが一大事に・・・!」と、インフォ到着後すぐさま往復ハガキを買いに走り、翌朝には投函していらっしゃる。その行動の素早さ、漲る気合。
この若輩が大変失礼ながら、そんなみなさまのご様子を微笑ましく思い過ごしているという状況です(汗)。

でも・・・そのお気持ち、いかばかりか。と、そう考えるだけで胸に来るものがあります。
12月が本当に楽しみですね!

で、2つ目のタイムリーな話題というのは。
みなさま、ジュリーwithザ・ワイルドワンズに「
涙がこぼれちゃう」「いつかの”熱視線ギャル”」の2曲を提供した若きシンガーソングライター・吉田Qさんを覚えていらっしゃいますか?
僕はその後地道に活動を続けるQさんをずっと応援していますが、つい先日リリースされた鈴木雅之さんのニュー・アルバム『オープン・セサミ』に、Qさん作詞・作曲のナンバーが1曲収録されています。

ソニーのショップさんに予約していた『オープン・セサミ』の豪華CDは、先日8日に我が家に無事到着(タイガースのインフォ到着と同日)。
アルバムとしても相当な力作で、さだまさしさんや槇原敬之さんなど錚々たるビッグネームが楽曲を提供・・・そんな中、8曲目

「恋はくじけず~You can't worry love~」


この曲が、我らが吉田Qさんの作品です。
いやぁ、ポップかつ胸キュンな、素晴らしい曲ですよ~。

そして曲自体の素晴らしさもさることながら・・・ちょっと見てください、この楽曲クレジット。


Img650

まず先頭に、ジュリーファンにとってもお馴染みの木崎賢治さんのお名前。
さらに、僕のようなザ・ベストテン世代にとっては凄まじく豪華絢爛な演奏陣。ヴォーカルのマーチン(鈴木雅之さん)を加えますと、シャネルズから3名、チェッカーズから3名というね。
その若さからは考えられないほどに、常に昭和のエッセンス溢れる吉田Qさんの個性的な作曲作品と合わせての、このメンバー。マーチン自らラジオで語っていたように、これは正にバック・トゥ・ザ80'sです!

この曲については、ジュリーのツアーが始まりセットリスト・ネタバレ禁止期間に入りましたら、拙ブログのお題として採り上げ詳しい楽曲考察記事を執筆する予定です。
「恋はくじけず~You can't worry love」・・・みなさまも、機会がありましたら是非聴いてみてくださいませ。

さて、それでは本題です。
今日もいつもの同じような感じの楽曲考察記事ではあるのですが、ダブル・トラックというヴォーカル・レコーディング手法について触れますので、本当に久々に『ジュリー・ヴォーカル徹底分析!』のカテゴリーでの更新とさせて頂きます。
せっかく過去に「
影-ルーマニアン・ナイト」「人待ち顔」と2曲の記事に渡り、ダブル・トラック・ヴォーカルについてこのカテゴリーで掘り下げて書いてきた経緯がありますからね。

今回は
「同じ人が同じヴォーカル・パートを2度歌ったテイクを同時に流してミックスダウンする」
という「人待ち顔」パターンではなく
「ただ1つのヴォーカル・トラックをエンジニアが複製してコンマ数秒ずらしたテイクを作成し、ミックスダウンする」
というパターンのダブル・トラックです。

現在、タローのバンドで活躍中の速水清司さん作詞・作曲のナンバー。僕のような後追いのファンが昨年、あの井上バンドの速水さんのギターを生で聴く機会を得たのも、ピーの復活あればこそでしたね・・・。

アルバム『Jewel Julie -追憶-』から。
「バイ・バイ・バイ」、伝授!

このアルバムはラスト収録の「追憶」以外、歌詞カードに編曲者のクレジットが無く、作詞・作曲もジュリーを含めたバンド・メンバーで固められています。
少なくとも編曲者クレジット無しの1曲目から10曲目までは井上バンドのメンバーが力を合わせて演奏、アレンジを作り上げていったことが容易に推測されます。これは、今年のジュリーの新譜『Pray』に編曲者のクレジットが無かったことと同じ意味合いになるでしょう。純粋にジュリーとバンドの作品、ということです。
バンドとしてのアルバム・・・その最後の10曲目が「バイ・バイ・バイ」です。

タイムリーなジュリーファンの先輩方の中で、このアルバムを新譜でレコード購入し最初に聴いた時、1曲目から通して井上バンドの音とジュリーの美しいヴォーカルに身を委ねてきて・・・この10曲目へ来て「ん?何か雰囲気変わった?」と当時漠然と感じた方はいらっしゃいませんでしたか?

♪ 長い間つきあってきた
  A7            D7

  可愛いあの娘にバイ・バイ・バイ
  E7                   A7

  お前の想い出忘れよう
  A7                D7

  倖せになれよバイ・バイ・バイ ♪
  E7               A7

それまでの9曲の流れから、「バイ・バイ・バイ」でほんの微妙な変化を感じた方がいらっしゃったとすれば、その方はジュリーのヴォーカルをよく注意して聴かれていたのだと思います。
このアルバムでは唯一、ダブルトラック・ヴォーカルが採用されている曲なのですね。

一般的に、ダブルトラック・ヴォーカルの採用理由はいくつかあって、ビートルズ初期にジョージ・マーティン達レコーディング・スタッフが採り入れたのは、「全体の音に厚みを持たせる」という意味合いが大きかったようです。まだ4トラック・レコーディングの時代、限られたトラック数の中でいかに迫力のある音にするか、と工夫していたわけです。
ただ、ジョン・レノンなどはあれほどの素晴らしい声を持ちながら、このダブルトラック処理によって自分の声が変化するのをとても面白がっていたようで、一時期この処理を好んでリクエストしていたようですね。

その後ポピュラー・ミュージックの世界で、ダブルトラック・ヴォーカル処理には様々な意義や必要性が見出されます。
線の細いヴォーカル・テイクを助ける意味で使用されたり、或いはダブルトラックの独特の声がそのまま楽曲のコンセプトとして求められる場合もあります。「バイ・バイ・バイ」はその後者のパターンではないか、と僕は推測します。

ジュリー・ナンバーには全時代通して、ダブルトラック・ヴォーカルの曲は極めて少ないです。まぁ当然ですよね。あれだけのヴォーカル・・・基本的には素が一番良いに決まっていますから。
それでも、曲のコンセプトやアルバム制作背景によっては、稀にダブルトラック処理が採り入れられている曲がいくつかあります。アルバムとして抜きんでて採用率が高いのは『愛の逃亡者/THE FUGITIVE』。これは、ロンドンに打って出るという世界戦略において、ミックスやエンジニアリングにも期するところがありその結果でしょう。

では、「バイ・バイ・バイ」の場合はどうでしょうか。
先述の通り、「線の細さをカバーする」という理由はジュリーには当然当てはまりませんから、これは楽曲コンセプトが求めた処理かと思われます。
「バイ・バイ・バイ」は歌詞の流れだけで考えると、結構悲しいテーマの歌ですよね。慣れ親しんだ街を去ることに「未練はないさ♪」としつつも、恋人(?)や友人の冷たさに打ちひしがれ、無理に元気を出して旅立とう、というものです。
しかしその中にあって、タイトル・フレーズの「バイ・バイ・バイ」は、爽快に「あばよ!」といった感じのいかにも青年っぽいニュアンス。加えて速水さんの作曲はカラッと潔いブルース進行になっています。
ジュリーのヴォーカル・インパクトで寂寥感が強まるよりも、軽い爽やかな印象を聴き手に与える意図があったのではないでしょうか。ダブルトラックの意図としては、「人待ち顔」とよく似た狙いなんだろうなぁと僕は感じます。
その効果で「バイ・バイ・バイ」はブルースと言うよりむしろ優しげなフォーク・ソングのように聴こえたりもするのです。日本の70年代フォークは、ダブルトラック・ヴォーカルの手法が最も輝いていた時代でもありますからね。

ただ、速水さんの作曲段階でブルース以外に具体的なオマージュ元があったとすれば、それはアメリカン・ロックではないかと僕は推測します。
バンド演奏においても、細い音色のリード・ギターと明るいタッチのピアノ・・・この絡み方は60年代末から70年代初頭のアメリカン・ロック独特の雰囲気を踏襲しているのではないでしょうか。CSN&Y或いはザ・バンドあたりが頭にあったんじゃないかなぁ。
考えてみますとアルバム『JEWEL JULIE -追憶-』は、守備範囲の広さと言うかセンスの良さと言うか・・・作曲家としての速水さんの魅力満載なんですよね。
ストーンズ・バラードの真骨頂を3連符に見出したような「親父のように」、キング・クリムゾンの難解にして絢爛な和音展開を思わせる「ジュリアン」。洋楽好きの一般リスナーをもうならせたであろう名曲揃いです。

ともあれ、「バイ・バイ・バイ」をアメリカン・ロックへのオマージュとするのは僕の個人的な推測に過ぎないとしても、速水さんの作曲がブルース・コードを基調としたものであることは間違いありません。
しかしその進行は渋み走ったブルース一辺倒ではなく、平行移調で短調となる展開部では、胸キュンなメロディーも用意されています。

♪ 街を出て行く俺を 友達だった奴さえ
  F#m          C#7     F#m      C#7

  見送っちゃあくれない 誰一人として
  D7              F               A       C#7

  可愛いあの娘の姿さえもない ♪
  D7      F            A        C#7  E7

この辺りは歌詞のテーマ通りのメロディー、といった感じなのかな。
ここではサリーのベースが表拍になり、2拍目と4拍目で「ぎゅ~ん」と指をすべらせているのが効果的。
そう、井上バンドの(他収録曲との比較としては)控え目ながらも、純粋でけれん味のない演奏も「バイ・バイ・バイ」の爽やかな印象に大きく貢献しています。
井上バンドの演奏トラックは


(Left to Right)
・エレキ・ギター(サイドギター)
・ピアノ
・ベース
・エレキギター(リードギター)

というシンプルなもの。
もちろん、シンプルであるが故にそれぞれのトラックの噛み合わせがアレンジ段階でじっくり練られていて・・・例えばこの曲は、1番と2番の間、エンディング、と2箇所で印象的なコーラス・パートがありますよね。
コーラスのメロディーとコード進行(歌メロには登場しない「A7→B7→E7」という進行。井上バンドのアレンジ段階で生まれた進行なのかもしれません)は同じなのに、2箇所がそれぞれ違ったように聴こえませんか?
これは、演奏が違うのです。

1’36”からのコーラス・パートでは大野さんのピアノが高音連打。大野さんのピアノはヴォーカル部でも鳴っているのですが、ここではそれまでよりも明らかに高音位置での演奏にとって変わります。
対して2’33”からのエンディング・コーラス・パートでは、大野さんのピアノはヴォーカル部と同じノーマルな音域での演奏。そこへ今度は右サイドのリード・ギターが渋く噛んできます。先のパートではこのギターが無いんです。
フェイド・アウトが近くなるとコーラスにジュリーも加わり、大野さんも再び高音部の演奏に切り替え、ギターも一層細かく弾きまくります。やっぱり「ジュリーと井上バンド」のアルバムとしては、この「バイ・バイ・バイ」で締めくくり、ということなんだと思います。

後追いファンの僕は、アルバム『JEWEL JULIE -追憶-』の当時の制作コンセプトについて想像でしか語れません。そんな僕には、ラスト収録のシングル・ナンバー「追憶」がボーナスと言うかアンコールと言うか、そんな感じのアルバム作りに聴こえるのです。
もちろんここでの「追憶」はシングルとはヴァージョン違いで、グルーヴ感溢れる素晴らしいテイクなんですけど、純粋にジュリーと井上バンドのアルバムとしては「バイ・バイ・バイ」までの全10曲、という印象です。

それを強く感じさせるのが、「バイ・バイ・バイ」のフェイド・アウトのミキシング。
この曲、3’35”あたりでもう完全に無音になっているんですよ。それでもミックスダウン作業は継続され、約10秒間の無音状態があり、曲のトータルタイムが3”45”。
これは、アルバムの流れとして「追憶」の前に一旦ひと呼吸置く、という狙いがあるんじゃないかなぁ。みなさまはどうお考えでしょうか。

ところで「バイ・バイ・バイ」での左右2つのギター・トラック・・・僕にはどちらが堯之さんでどちらが速水さんなのかが判別できません。

ヒヨッコ新規ファンの僕も、昨年のピーとタローのジョイント・ライヴ『Childhood Friend』に参加し、遂に速水さんのギターを生で聴く機会を得ました。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のソロを聴いて、「お前は魔法使い」や「影絵」のリード・ギターが速水さんの演奏であったのだ、ということを今さらながら実感したのですが、「バイ・バイ・バイ」のギターの音色や設定は、ちょっと毛色が違いますからねぇ。
作曲者の速水さんがリードを弾く、というのが普通の考え方なんでしょうけど、この曲の場合はいわゆる”ソロを弾きまくるリード・ギター”ではないのです。アレンジメント・リードなんですよね。
ですから、速水さんが作曲時そのままにサイド・ギターのカッティングを担当し、味付けとして堯之さんが単音を担当した、という線も充分考えられます。いずれにしても、僕には断定はできないです・・・残念。

さて次回更新ですが・・・これまた70年代のナンバーを予定しております。「絶対にこの先のLIVEでは聴けなさそう・・・」という渋いお題が続きますよ~。

記事の枕で蟹江敬三さんのことなど書こうかなぁ、と考えています(本題より枕の方が長くなる予感汗)。
このヒントだけでお題のジュリー・ナンバーが分かる人がいらしゃったら、神!

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2009年10月30日 (金)

沢田研二 「吟遊詩人」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuunoopera

1. 指
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影-ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

--------------------

僕を頼ってくださった先輩からお預かりした春団治チケットの嫁ぎ先も無事決まりました。
まずはひと安心。
しばらくジュリー関連ネット界は春さん一色になるのでしょうか。

11月中旬になりますと、拙ページ右上バナーにてリンクに詳細があります通り、大阪ジュリー映画特集もスタート、この秋は関西ジュリーファンが熱いでしょうねぇ。

関東の新規ファンたる僕はただイジイジと、秋は虚ろで冬は悲しくジュリーを思う♪ことにいたしましょう。

その代わり、年が明けたら爆発するけん!

てなことで今日はこの曲。
アルバム「架空のオペラ」から、「吟遊詩人」の伝授です!

まず「架空のオペラ」という作品について、一介の後追いファンとしての評価経緯から述べてまいりますが、僕は当初このアルバム、確かに時代に残る名盤だとは思いましたけど、先輩のみなさまほどのめりこめないなぁ、という印象でした。
エキゾチックスのロックな期間を経て、その後にまた阿久さんの詞をジュリーが歌うのは、なんとなく逆行のイメージがあったりもしました。
「灰とダイヤモンド」以外のすべての収録曲を大野さんが手がけ、さすがのメロディーを連発・・・当初の僕は主に、大野さんの作曲を重視した聴き方をしていたのですね。

ところが先日「架空のオペラ・ライブ~正月歌劇」を聴いて、「ええっ!」とブッたまげる破目に。
「なんだなんだ!こんなイイ曲が入ってたっけ?」
と、「正月歌劇」を散々聴いた直後に気合を入れてアルバムを聴き直し、見事にハマりました。

僕のアルバムの聴き方が浅かったと言えばそれまでですが、改めてジュリーLIVEの凄さを思い知りましたね。
それまで特にシビレる事のなかった楽曲が、LIVEで息を飲むような名曲に聴こえ、狂おしいほどの感動に早変わりする瞬間・・・きっと先輩方は何度となく体験していらっしゃるでしょうが、僕にとって「架空のオペラ」はそんな楽曲ばかりが集まった名盤となったのです。

いえねぇ、「架空のオペラ~正月歌劇」については、これは僕だけの感想じゃないと思うんだ~。
このLIVEのジュリーのヴォーカルは、ちょっと比類がないくらい凄まじい。
そう思いませんか?

例えば「灰とダイヤモンド」。
「あいつ、こ~いつぅ~♪」の部分、レコーディング音源ではリキを入れて歌い、それが味わいとは言え明らかにフラットしているのが、LIVEだと透き通るような声で、しかも正確な音程で伸び上がります。

さらに、「影-ルーマニアン・ナイト」。
レコーディング音源は遊び心たっぷりのダブルトラック処理。しかしLIVEでは直球!豪快なマイナーコード進行のロック。まったく別の楽曲に聴こえました、僕は。

そしてお題の「吟遊詩人」。
Aメロで和音がFm(ファ・ラ♭・ド)からB♭m(シ♭・レ・ファ)へ移行してメロディーが高音部に跳ね上がる、「ただひとつきらめいた瞬間を♪」の部分ですでにもう・・・。

えぇっ、こんなシビレる歌だったっけ?

とまぁ、つまるところ、驚愕のヴォーカルでございました。
レコーディング音源の「吟遊詩人」でまったく同じメロディーを耳にしているはずなのに、受ける印象が全然違ったんです。
その驚きはその後のBメロ→サビでも受け継がれ、曲が終わる頃には、朝の通勤電車内で大興奮。

やっぱり、ジュリーはヴォーカルだ!コード進行がどうとか、歌詞がどうとか、そういう聴き方の前に、まず歌声に向かわなきゃイカン!
そう思いました。

そうして、改めてレコーディング音源を聴くと、すべての曲が以前と違って聴こえるのがまた不思議なものですね。
今密林さんで、「Pleasure Pleasure」ツアー・セットリストのナンバーが収録されているポリドール期のアルバムが良く売れているようですが、アルバムこそ違えど、同じような思いを噛みしめている人が多いんじゃないかなぁ。

LIVEで感動して、レコーディング音源で復習、というジュリー熱。もちろん、多くの中抜け組のみなさまを引き寄せた”ジュリー祭り”においても、途方もないレベルで同じ現象が起こっていたでしょう。
ジュリーはまずヴォーカル、そしてLIVE。
「架空のオペラ」での2つの「吟遊詩人」(レコーディング音源とLIVE音源)を勉強しまして、僕はその真髄を知ったような気がします。

また、一度ノメりこむと、歌詞の良さもアレンジの良さも、今まで見えていなかった部分が見えてくるんですよね。
レコーディング音源のヴォーカルや演奏の技巧性も、「せっかくだから」と、LIVEとは別の楽しみ方ができるようになりますし、深い味が出てきます。
CO-CoLOはスゴいバンドですよ。しかも、どちらかと言うとLIVEバンド。今まで僕はまったく逆のイメージで捉えていました。”聴かぬは一生の恥”になるところでしたよ。

ところで。
「正月歌劇」でジュリーは”新しいバンド!”と紹介しつつ

コッコロ!コッコロ!

と連呼していますが、「ココロ」ではなく「コッコロ」が正しいのでしょうか?
それとも、レーベルが「ココロ」でバンドが「コッコロ」の発音?
細かい事ですが新参者にとっては大きな謎なのです。ジュリーの「コッコロ!」という雄叫びがずっと頭に残ってしまって・・・。

あと、このLIVEはとてつもなく素晴らしいステージだったかと思いますが(うらやましい・・・)、音だけ聴く限りでは、お客さんが立っている気配が感じられないんですよ。
座った状態で、ジュリーのヴォーカルに圧倒されっ放し・・・と、そんな風景が目に浮かんだのです。

実際はどうだったのでしょう?

なんだか「正月歌劇」をメインに書いてしまいましたけど、このLIVE音源を期に、僕の中で「架空のオペラ」というアルバムが大名盤へと変貌したことを今日はお伝えしたかったのです。
LIVEがきっかけで、ハマる。それがジュリーファンのアルバム鑑賞の醍醐味だとすれば、音だけでそれを体験し、知ることができた僕は今回ラッキーでした。


これからは、ツアーが終わってからその年のアルバムを購入、ってのも、ひとつの手かな・・・。
たぶん、そこまで我慢できないと思いますけど!

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2009年8月19日 (水)

沢田研二 「フ・ドゥ・トワ」

from『KENJI SAWADA』、1976

Kenjisawadafrance

1. MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE
2. JULIANA
3. SEUL AVEC MA MUSIQUE
4. GO!SUZY GO!
5. 追憶
6. 時の過ぎゆくままに
7. FOU DE TOI
8. MA GEISHA DE FRANCE
9. ITSUMI
10. RUN WITH THE DEVIL
11. ATENDS-MOI
12. 白い部屋

---------------------

みなさま、ジュリーの吐息は好きですか~?

聞くまでもありませんでしたか。
本日の「ジュリー・ヴォーカル徹底分析コーナー」は、「はひふへほ」のお話です。

以前、ジュリーの外国語ヴォーカルは、ヘタすると日本語よりも表現力豊かだったりする場合がある、というような事を書きました。
中でも、シャンソンポップス=フランス語。
ここまでジュリー・ヴォーカルの魅力にぴったりの発音言語は他にないんじゃないか、と僕は考えます。
もちろんジュリーは英語ヴォーカルも素敵ですけど、適性として考えるならばフランス語が圧倒的。ダントツではないでしょうか。

理由は、ジュリーの吐息にあります。
おフランスなアルバム「KENJI SAWADA」から、吐息連発で乙女昇天間違いナシ!の素晴らしいヴォーカルで魅了します、名曲「FOU DE TOI」、伝授!

僕は大学で2年間だけフランス語を学びました。
フランス語は文法的に英語と似通っていて、さほどとっつきにくい言語ではありません。
ただ、名詞に女性名詞と男性名詞があって、それぞれ異なった冠詞がくっついてくる、というのが一番の違いでしょうか。英語だと「The」1個で済むところを、「La」「Le」という2つの冠詞を使い分けなければなりません。

で、習い始めはまずアルファベットの発音からやっていくワケですが。
「A(あ~)」「B(べ~)」「C(せ~)」とか言ってね。
「英語とたいして変わらないじゃん」とナメてかかっていたところ、最初の難関がやってまいります。

「R」

これ、どう発音すると思います?
英語読みをカタカナ表記するなら「あ~る」ですよね(って、平仮名じゃん)。
フランス語だと何とコレが

「え~ふ」

です。
さらに言うと「ふ」とハッキリ「発音する」と言うよりは、軽くローソクを吹き消す時の「ふっ」を横に口を広げる感じで「吐息をかける」みたいにして、出すんです。
単語の繋がりによってはこれが「は」に化けたり「ひ」に化けたり。

英語と同じように、「R」というアルファベットはフランス語においても単語綴りの使用頻度が高いワケで。
必然、発音慣れしていない「R」に気を遣って練習していくうち、「R」のみならずすべてのアルファベットについて「吐息感覚」が身につきます。
この「吐息感覚」がフランス語の醍醐味なんですね。
「パリ」と言うより「パヒ」なんですよ。
例えば、「ストリッパー」は英語ですけど、これをフランス人が読むと「ふとひっぱは」みたいな感じに聞こえるはずです。
フランス語が「女性的で優しい言語」と言われるのは、この柔らかな吐息感覚に依る所が大きいのです。

「KENJI SAWADA」というアルバムは、全12曲中7曲がフランス語ヴォーカルで、2曲が英語、残る3曲が「追憶」「時の過ぎゆくままに」「白い部屋」という変則的な作りですが、日本人ヴォーカリスト・沢田研二を異国フランスに知らしめるには、かえってその構成が効を奏したのではないでしょうか。
ご当地日本でのヒット曲(いや、「白い部屋」がヒット曲なのかどうかはこの際置いておく)も聴けるし、さらに英語曲もあって、そして何よりメインはフランス語で頑張って歌ってて。
彼の地のリスナー達の高感度大だったんじゃないかなぁ。

で、我々ご当地の人間がこのアルバムを聴くと、ですね。
彼の地の方々にとっては当たり前な、フランス語での吐息連発ヴォーカル。これがとてもシビレるのですよ。

特に吐息全開で炸裂するのが、お題の楽曲「FOU DE TOI」。

「ふ~♪ふ~♪ふ~♪ふ、でとわ~♪」

イントロわずか1小節を受けて、いきなりこんな調子のヴォーカルでスタート。ジュリーの吐息が耳元にかかってかかって、大変です。
短調へ移行する展開部のメロディーも、これがまた美しく、朗々と高音で謳いあげたかと思うと、直後にはまた「ふ~♪ふ~♪」と吐息がやってきます。
演奏はストリングスが大活躍で他楽器が目立ちませんが、ドラムスが隠れた熱演!
トドメがラストのヴォーカル「とわ~~~♪」、絶唱。
この最高音は背筋に電気走りますよ。

ジュリーは昨夜のラジオで「若い頃は歌が下手だった」と言ってたらしいですけど、とんでもない!
ただ、「巴里にひとり」の日本語ヴァージョンとフランス語ヴァージョンを聴き比べた時、フランス語の方がロングトーンの音程が安定しているのは確かです。よほど適性があったのでしょう。
LIVEで「巴里にひとり」フランス語ヴァージョンの方をジュリーが好んで歌うのは、そちらの方が歌いやすいからなのでしょうね。

「KENJI SAWADA」は、特殊な企画盤という事もあって、聴く機会を少なくしていらっしゃる方が多くはないですか?
これは名盤です。この機に是非聴き直してみて下さい。
収録曲のバランスも良いですし、「FOU DE TOI」以外のフランス語楽曲もすべて名曲ですよ。
CDの歌詞カードには訳詞もついてます。「ATTENDS-MOI」とか、詞がすごくイイんだ~。
お持ちでない方は、今すぐポチッと。

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2009年8月13日 (木)

沢田研二 「人待ち顔」

from『いくつかの場面』、1975

Ikutuka

1. 時の過ぎゆくままに
2. 外は吹雪
3. 燃えつきた二人
4. 人待ち顔
5. 遥かなるラグタイム
6. U.F.O.
7. めぐり逢う日のために
8. 黄昏のなかで
9. あの娘に御用心
10. 流転
11. いくつかの場面

---------------------

お暑うございます。
こんな日には、軽快で、風のように涼やかな、朴訥なナンバーを聴きたいですね。

というワケで今日はこの曲。
全体的に良い意味で荒涼としたイメージがあるアルバム「いくつかの場面」ですが、その中を一陣の風のように爽快に駆け抜けていく隠れた名曲。
「人待ち顔」、伝授です!

以前、「影-ルーマニアン・ナイト」の記事でダブル・トラックというヴォーカル処理について書いたんですけど、今日はその関連のお話でもあります。今回もまた、マニアックなワケのわからない大長文になりますよ~。

偶然ですが、どちらも作曲が大野さんなんですね。録音技術についても、ちょうど10年分の差があるワケか~。
「ルーマニアン・ナイト」のダブルトラックについては、1度録ったヴォーカルテイクをコピー増殖して、「コンマ数秒ずらす」とか「エフェクト処理して声質を変える」という手管を尽くした手法である事を書きました。
対する「人待ち顔」の方は手法としては至極明快で、単純に「ジュリーが同じリードヴォーカルのメロを2回歌ってる」という事なんです。

これは、60年代初期の洋楽で「音に厚みを作る」という理由により使われ始めた手法なのですが、ビートルズのジョン・レノンが「自分の声が変わるのが面白い」と考えて多用した事から、ダブルトラックはあっという間にポピュラー音楽ヴォーカル処理の代名詞となり、大流行しました。
同じヴォーカリストが2回同じメロを歌うと言っても、そこは人間のやる事です。全く同じニュアンスにはならず、自然にズレるわけですね。声質が同じなだけに、その聴こえ方は独特の味があります。
70年代にさしかかる頃には、この手法がどのような楽曲に合っているのか、という結論らしきモノもでてきて、主に軽いタッチのミディアムテンポ・ナンバーや、フォーク系アップテンポ・ナンバーで頻繁に利用されるようになってきます。

「人待ち顔」でのダブルトラック導入は、まさに当時としては正統なヴォーカル処理と言えるのです。

しかしこの曲では、ちょっと珍しいミックスのハプニングがあります。
2分10秒を経過したあたりの、3番のAメロ部。「喫茶店と僕の心に♪」と歌われる箇所で、それまで2つのトラックで順調に進んできたヴォーカルテイクのうち、片方が忽然と姿を消すのです!
Aメロを歌っている途中でブツッ、と消えるワケですから、これは計算されたミックスではありませんね。何らかの理由により、マスタートラックのヴォーカルテイクが削除されてしまっています。

このようなハプニングはテープレコーディング時代独特のもので、演奏や歌のやり直し時や、トラック編集の際に普通に起こり得ます(現在のデジタル録音では、トラック数が無限に近いので、あり得ない話なのですが)。
好奇心から、ちょっと原因を推測してみました。

まず「人待ち顔」で録音された総テイク数を確認してみましょう。
まずドラムス、ベース各1テイク。サイドギターが2テイク、リードギターも2テイクです。

左サイドに振られたオルガン、右サイドのハイハット(ドラムセットの二重シンバル)がそれぞれ1テイク。
で、リードヴォーカルがジュリーのダブルで2テイク。コーラスは中央やや左右に振られる2テイク(2人ずつかな?)。

これで全部です。
この曲は比較的薄い音作りに聴こえるかもしれませんが、このように計12種類の音が入っているんですよ。

この中で、ジュリーの2つのリードヴォーカルテイクより後に重ねて足された音は・・・と考えますと、

・コーラス・パート2テイク(コーラスはヴォーカルより後に重ねるのが常道)
・左サイドのハイハット(他テイクに比べて音色が鮮明。ピンポンなどのトラック編集がまったく為されていない事は明白)
・要所で重ねられる追加のリードギター(リフでユニゾン、サビ「誰もやってはきませんよ♪」部では新たなフレーズを追加)

この中で、リードギターの追加テイクがどうも怪しい。1番と2番で違うフレーズを弾いていますし、途中でコーラスエフェクターをかけたり切ったりしています。曲を流しながら一気に録ったのではなく、部分部分で別録りしたのではないでしょうか。
そして、何度目かの本番テイク(おそらく最後のサビ部)の際、ジュリーのいずれかのヴォーカルトラックの上から重ねてしまったものと思われます。
もちろんエンジニアはすぐに気がついてSTOPをかけ、サビ部は無事にダブルトラックが残りましたが、数秒間の空白トラックが作られてしまったと推測できるのです。

こういう事は、音数が多くなればなるほど、「ピンポン」とか「パンチイン」といった作業を必要とした、アナログレコーディングならではの微笑ましいハプニングで、正規音源にそれが残されているのは本当に珍しい。
これがシングル曲だったら、ジュリーはおそらくもう1回改めて歌わされて、新たなテイクが作られたでしょうね。

レコーディング機材を扱った経験のある方々はそうそういらっしゃらないと思いますが・・・少しは伝わったでしょうか?・・・全然わからない?・・・う~ん、無理もない。
でも、途中でジュリーの片方の声が突然消えるのは、誰が聴いても分かると思います。みなさまが今の今までその事に気づいていらっしゃらなかったとしたら、それだけで伝授の甲斐があったというものです。
だって、2人から1人にとって変わった部分のジュリーのヴォーカル、偶然とは言えすごくカッコいいですからね!

「人待ち顔」は、学生運動世代の閉塞した日常美を描いた及川恒平さんの詞が大変素晴らしく大好きな曲ですが、詞についての考察はまた次回。
同じアルバムに収録されている及川さんのもう1篇の作詞作品であり、先輩方には何故かイマイチ不評ながら僕はアルバムの中で一番好き!という「UFO」の記事を書かせていただく機会に、「外は吹雪」と共に併せて語ってみたいと考えています。

と言いつつ、思うのですが。
「いつかこの曲についても書きます」と宣言した曲がずいぶん溜まってきた~。大体、「人待ち顔」もその中のひとつだったんだし。

ジュリーがこの先も元気にアルバムを作り続けていくならば(いや、そうでなくとも)、僕の伝授記事がジュリー全楽曲に追いつく見込みは全くありません。
まさに嬉しい悲鳴であり、もはやライフワークの域ですね、これは。

今後も粛々と、気長にやってまいります~。

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2009年7月 6日 (月)

沢田研二 「影-ルーマニアン・ナイト」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuu

1. 指
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影 -ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

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1週間ほど更新が滞ってしまいました。いやぁ、夏風邪というのはタチが悪うございます。
僕はクーラーが苦手で、それでも東京の夏日(なんか、暑さの感触が変)をクーラー無しに過ごすのも無理な話で。仕事で残業を続けたせいもあるでしょうけど、「なんか喉が痛いな~」と思っているうちに遂に発熱しまして、ついでに口内炎だらけになり、しばらく文筆や録音作業も控え、おとなしくしておりましたのです。

その間世間では、僕の地元・鹿児島をはじめ、九州各地をジュリーが元気よく飛び回っていたり、いてまえ隊のお姉さま方がタイガース川柳の名作を量産していたり、メイ様のお宅にジュリー祭りDVDが無事に届いていたり(これは本当に心配していた)、色々と動きがあったようですね・・・って、どんだけ狭い世間なんでしょうか。

・・・気をとり直しまして。
どうやら熱も下がり、日曜一日ほとんど寝てたおかげで、かなり早起きしました。

久々だし、大長文になりそうな曲をいっとくか!

今日は、”ジュリー・ヴォーカル徹底分析”のカテゴリー記事。
但し今回のお題に関しては、ヴォーカルそのものの分析ではなく、特殊な録音手法についてのお話になります。
ジュリーの歩んできた奇跡の道すじの中、大きな転換期ともなった1985年。名盤「架空のオペラ」より「影-ルーマニアン・ナイト」、伝授!

当時はレコーディング業界そのものにとっても、大きな転換期でした。
何と言ってもレコードからCDへのパッケージ移行。
録音技法もアナログからデジタルへ。YMOにより一世を風靡した「サンプリング」という形態が当たり前の音作りとなり、むしろそれをどのように音に落とし込んでいくか、という点に、録音技術者のセンスが求められた時代です。

「架空のオペラ」以前のジュリーのアルバムにも当然サンプリングは導入されていますが、「女たちよ」「NONPOLICY」あたりは、サンプリング音そのものの露出が強く、「ジュリーサウンドとしてはどうなのか・・・この音作りが果たしてジュリーに合っているのか」という疑問を抱いたリスナーも多かったようです。いや、どちらも素晴らしいアルバムなのですが。

この「影-ルーマニアン・ナイト」をはじめとする「架空のオペラ」収録曲のいくつかは、サンプリング技術を導入しながらも、演奏それ自体は可能な限り生音感覚に近づけよう、という意図が見られます。
これは、編曲を担当した大野さんの意向が大きいでしょう。

大野さんも当時、御自身のバンドで試行錯誤を繰り返していました。
刑事ドラマ「太陽にほえろ!」挿入歌のアレンジアプローチが、新曲のたびに目まぐるしく変化していくんですよね。
ことレコーディング形態について、大胆なまでにサンプリングに依存してみたり、サンプリングの露出を数種類の音に絞って、生楽器メインで主旋律を目立たせてみたり。
いずれも楽曲を練りこんでいく上で楽しみの多い作業ですし、どちらがベター、という結論は出ません。
リスナーの好みの問題ですね。前者「マイコン刑事のテーマ」・後者「デューク刑事のテーマ」のどちらが好きか、ってのは。

そんな中、久しぶりにジュリーと絡んだ大野さん。
「ジュリー・ヴォーカル」という最高のファクターを得て、御自身のバンドとはかなり異なったアプローチを仕掛けます。
ズバリ、演奏は生っぽく、その代わりに声でサンプラーっぽいモノが作れないかな?という。

これはサイケデリック期のビートルズが開発した「テープ・ループ」という手法を新しい形でやってみよう、という試みであったかもしれません。良い意味での遊び心の産物です。

ヴォーカルレコーディングの基本技術に、「ダブルトラック」と呼ばれるものがあります。主旋律を歌うヴォーカルが、同一人物による2声構成、という形態です。
さらにこの「ダブルトラック」にも2つの手法があり、まずは、

① 歌手に同じヴォーカルをわざわざ2回歌わせて、2つのトラックを合体させる

というもの。
もうひとつは、

② 歌手が歌うのは1度だけで、ミックスの段階でヴォーカルトラックを抜き出し、ほんのコンマ数秒だけズラせて別チャンネルに移植、元のトラックと合わせてリプレイさせる

というものです。

①は歌手が大変。②はミキサーさんが残業。
音の求道者達はこうして、少しでも刺激的な作品たれ、という場合には、寝食惜しんで時間をかけるというワケですね。

解りやすくジュリーの70年代ナンバーで例を挙げますと

①=「人待ち顔」
②=「バイ・バイ・バイ」

聴き比べて頂ければ、理屈は一目かと思います。

で、「影-ルーマニアン・ナイト」。これは②の応用なんですね。
僕は自分の素人音源でもやったことがあるので解るのですが、②の「ほんのコンマ数秒ズラす」という手間は、かなりの労力なのです。相当のミックス好きでなければ、進んでこんな事はやれません。
そして更にこれも経験済みなのですが、面倒くさがって、ズラす事をしないで2つのチャンネルをこさえてリプレイしてみたところで、全体のヴォーカル音量が上がるだけ、という至極当然かつ無意味な結末が待っているんです。ダブルトラックでもなんでもない。ただのピンポン(今で言うところのバウンス)トラックでしかない。そこで、

「やっぱりズラさなきゃダメかぁ、あ~あ、最初から移植し直しだよ・・・」

と言っているようでは、音の求道者たる資格は無し。

盆水還らずの精神、何とか生かす手はないものか、とズラさずに移植したヴォーカルトラックに、矢鱈めったらとエフェクトをかけてみます。
もう、歌詞が聴き取れなくなるくらい、メチャクチャにしちゃいます。
そんな事をしてしまったら、無論そのテイクのみではヴォーカルとして成立なんてしません。しかし、移植元のマッサラなヴォーカルトラックに合体させてみると・・・奇妙な、一風変わったリードヴォーカル処理の完成!

これが、「影-ルーマニアン・ナイト」ヴォーカル・ミックスの理屈。
あくまで、理屈です。アレンジの大野さんやミックス・スタッフの方々は当然、ハナからそういう狙いで作業していますし、僕のようにややこしい経路でやってはいないでしょう。
実際、2009年現在では、こういう作業もボタン操作でホイホイ出来る録音機材が、数万円でお手軽に入手できます。ただ、理屈を知らないと、やってみようとすら思いつかないだけの話。

「影-ルーマニアン・ナイト」のヴォーカルにこんな処理が施されたのは、楽曲が「危うい感触」とか「怪しげな雰囲気」を求めているからで、ただの当て込みでない事は明白です。
大野さん作曲の妖美なメロディーはもちろん、ジュリー自身のキワドイ歌詞(名義は李花幻)に基づいた、必然のアイデアだったのではないでしょうか。

あと、この曲には、僕のレベルでは分析不能な「第3の声」も入っておりまして。
時折、奇妙な低音処理のヴォーカルが噛みこんでくるのです。
これが後から重ねられたモノなのか、元トラックから抜き出された移植音を部分的に加工したテイクなのか、判別ができません。
ループよろしく、一定間隔で切り裂くように絡んできます。「人力サンプリング」の狙いがハッキリと窺え、大変興味深い試みです。
正に、「ナイフかピストル♪」のようなヴォーカル処理ですね。

一定の間合に乗せて繰り返されるサンプリング音。
その耳当たりを逆手にとり、敢えて人力でそれっぽい音色を作り上げる・・・しかもヴォーカルを使って!という野心作。
本当はそんな事よりも、この楽曲にまつわる当時のジュリー自身の背景などを語るべきなのでしょうが、タイムリーでない僕にはそれができませんので、今日は技術的なお話に終始してしまいました。

しかし長文だな!
ナナメ読みしないで、じっくり吟味しながら読んでくれる人なんているんでしょうか。
まぁ僕としては、こういう事を語るのは、楽しい。
ダブルトラックに関しては、いつか①の手法(同じ人が2度歌ってトラック合体)についても「人待ち顔」をお題に語ってみたいなぁ。あの曲のミックスは、それが故のハプニングとかありますしね。

また呆れずおつき合いくださいませ~。

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2009年5月 1日 (金)

沢田研二 「FOXY FOX」

fromS/T/R/I/P/P/E/R、1981

Stripper

1. オーバチュア
2. ス・ト・リ・ッ・パ・-
3. BYE BYE HANDY LOVE
4. そばにいたい
5. DIRTY WORK
6. バイバイジェラシー
7. 想い出のアニー・ローリー
8. FOXY FOX
9. テーブル4の女
10. 渚のラブレター
11. テレフォン
12. シャワー
13. バタフライ・ムーン

----------------------

今日は、「若き日の手紙」記事に続きまして、再びヴォーカルスタイルという観点からジュリーナンバーの特性に迫ります。

前回、ジュリーのヴォーカル適性は徹底的に洋楽系である、と書きましたが、ではその適性が本格的に反映した最初のアルバムは何であろうか、と。

実は『JULIEⅡ』から『チャコール・グレイの肖像』までの70年代作品は相当洋楽的なニュアンスのヴォーカルを聴くことができます。
ただ、メロディーやアレンジはもとより、ジュリー自身の楽曲解釈も、その頃はまだ模索の段階でした。
『TOKIO』でひとまず歌謡曲とロックを融合させ、『BAD TUNING』でバンドアンサンブルを一新、『G.S. I LOVE YOU』で洋楽ロックフェチ・銀次兄さんや佐野元春さんが絡み・・・と、アリバムリリースごとに徐々に仕込まれてまいりましたこのテーマ。
歌唱するジュリー、制作スタッフ、演奏者・・・すべての関係者が、「カッコいい洋楽たれ」と完全に意思統一して作り込まれたアルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』にて、ジュリーヴォーカルの洋楽適性はようやく結実を見るのです。

私事ですが、数年前、ジュリ友・YOKO君と競い合うようにして聴いていたポリドール時代の再発CD。
僕が初めて『S/T/R/I/P/P/E/R』を聴き、大興奮して書いた彼宛のメールが今も残っています。曰く

~「♪夜しか似合わぬ歩きかた♪」の「た」が神!~

なんのこっちゃ。
という事で、邦楽的要素を徹底排除した吉田建さん渾身作曲のブリティッシュ系ロックナンバー「FOXY FOX」、伝授です!

いえね、前回に引き続いて、ヴォーカル語尾の話なんです。
語尾を伸ばすのではなく、叩ッ斬る!というのは(主に60年代イギリス産の)洋楽ロックの特性でして、その際なるべく母音をカットするように作詞して、歌うわけです。

日本人の多くが無理矢理英語詞を歌う際、一番ダサイのは、発音記号の無い部分に勝手に母音をくっつけてしまう事です。
例えば「rock」という単語なら「ck」の部分を「KU」と発音してしまう。これは日本語独特の感覚で、英語本来の発音では「K」のみ。「U」という母音ニュアンスは無いんです。

「FOXY FOX」で先に例を挙げた箇所。
「歩きかた♪」というのはまぁ日本語なわけですから、発音としては「ARUKIKATA」となります。
ただ、楽曲が完全に洋楽を意識して作られているため、ジュリーもそれっぽく歌わねばなりません。そこで、「母音をギリギリまで短めに発音する」というジュリー独自の(当時ね)歌唱法が編み出されます。
「歩きかた」の「た」(TA)の「T」の部分を強く、母音の「A」は空中に放り出すような感じで歌うという。
すると、ソリッドでカッコ良い洋楽的なニュアンスがヴォーカルに注入されるのです。

洋楽的なヴォーカルニュアンスを表現する場合、最も重要な日本語は「たちつてと」「かきくけこ」だと僕は思っています。
「らりるれろ」を巻き舌にすれば洋楽っぽい、というのは誰でも思いつく事で、それはかえって日本的解釈のような気がして、味が悪いケースが多々。
「た」行と「か」行の子音・母音をいかに工夫してメロディーに乗せるか、そこを是非注目して頂きたいと。
ジュリーはその点、ほぼ無敵の表現力を発揮します。それは、アルバム「S/T/R/I/P/P/E/R」で初めて本格化したスタイルなのです。

そんなヴォーカルスタイルが聴けるのも、楽曲がそれを引き出しているから。
先にも述べましたが、「FOXY FOX」には邦楽的要素が全くありません。この当時の吉田建さんだからこそ、ここまで徹底した作曲ができたのだと思います。
東芝EMI時代のプロデュース期になると、全体の音を纏めるまでに大成長してしまう建さんですが、さすがに「FOXY FOX」作った時はまだまだ若い。「俺のベースを聴けい!」とばかりに16分音符で飛び跳ね炸裂するフレーズの自己主張が、微笑ましかったり。
これ、後のアルバム『彼は眠れない』収録の「噂のモニター」と比較するととても興味深い。
どちらも徹底的に邦楽要素を排した楽曲ですが、建さんの視点が演奏面からアレンジ面へと変化していってるのがよく分かります。

アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』はヴォーカルのみならず全体ロック漲る大変な名盤です。ロンドンレコーディングということで、現地のパブロッカーがゲスト参加していたり(「バイバイジェラシー」記事参照)するのも、一部のリスナーには嬉しいオマケ。

でもやっぱり、ヴォーカルを聴いて、その上でロッケンだと感じてほしいのです。
ヴォーカルスタイルの話・・・「か行」の例で言えば、「想い出のアニー・ローリー」。
「ドレスの裾なんか」の「か」が神なんです!(分かりにくいな俺)

で、蛇足ではありますが、管理者しばらくお留守にします。コメント即レスできませんがどうかご容赦を。お返事は、必ずいたします。
ジュリーヴォーカル分析カテゴリーの記事につきましては、次回「ダブルトラック」という特殊なミックスによる歌唱スタイルについて書こうと思っています。
課題曲は「人待ち顔」か「影~ルーマニアン・ナイト」のどちらか。
どっちが良いですか?
先輩方のみなさまの御希望など、お聞かせくださいませ~。

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2009年4月20日 (月)

沢田研二 「若き日の手紙」

「JULIE SINGLE COLLECTION BOX ~Polydor Yeas」収録
original released on 1977 シングル「勝手にしやがれ」B面

さて今日のお題は、リクエスト伝授であると同時に、新カテゴリー「ジュリー・ヴォーカル徹底分析」シリーズのスタートでもあります。
当初、ジュリーのヴォーカルスタイルについて日頃から考えております事を、アルバム「ストリッパー」から1曲選んで書こう、と思っていたのですが、結論に至るまでに他のアルバム収録曲についても触れていかねばならず、その調子で書いてしまうとブログ記事の範疇を超えた大長文になってしまいます。
ここはひとつ順を追って、数曲に分けて書いていこうかと。

いずれにしても僕が書きたいのは、ジュリーヴォーカルの、音楽ジャンルにおける適性についてのお話なのです。
いきなり結論から言ってしまうと、ジュリーヴォーカルの適性は徹底的に洋楽系である、と僕は考えています。
それはロックに限らず、ジャズ、シャンソンといったジャンルも範疇に考えてのことで、まずはロック的観点から2曲ほど採り上げ、ヴォーカルの「語尾」という点について語ってまいりたいと思います。
今日はその1曲目。
大恩人・fuji様より、以前に「PYGの伝授がキビしいようでしたらこの中から」と、何曲か挙げて頂いた中の1曲です。シングル「勝手にしやがれ」のB面から、「若き日の手紙」、伝授!

ジュリーは、いわゆる歌謡曲で頻繁に使用される日本人的なロングトーンについては、得意であるとは言えません。
フラットしてしまう癖があるのです。
「フラットする」というのは、正しい音程よりも微妙に低い音を発声をしてしまうことで、歌の上手い人でも、間隔が開いたり楽曲に慣れていなかったりすると、どうしても発生してくる、文字通り癖のようなものです。
日本では、そういう癖を全く持たない歌手をして、より「上手い」と評価する傾向があります(と言うか、ありました。70~80年代の業界では。今は、録音機材でのフラット修正が可能です。例えば最近のアイドル歌手のCDを聴いて、「昔のアイドルに比べて歌うまいなぁ」と感じていらっしゃいませんか?すべてとは言いませんが、機材による修正はある程度介入していると僕は想像しています。自分の趣味の録音作業でも、何度かやりましたから・・・爆)。

フラット癖には2つのパターンがあります。
まず1つ目は、歌い手の音域に対して曲の音程が高めである場合。
これは仕方のない場合もあり、軽くAまでの音域を持つジュリーに関しては、それが原因でフラットするパターンはほぼありません。唯一、ライヴ歌唱時の話ですが、アルバム「愛まで待てない」収録の「強いハート」という曲のサビ最高音部で時折目立つことがあるくらいです。この曲は音程移動の難易度が高いですから。

2つ目は、語尾のロングトーンでフラットするパターンです。
日本の歌謡曲独特な唱法における、ロングトーン。この場合、音の高さは問題ではありません。フラット癖が出易い歌唱法なのです。
これ要するに、セールス絶頂時(70年代後半から80年代前半)のジュリーは、自らの苦手なヴォーカルスタイルで頑張っていた、という事なのですね。皮肉な話ですが、レコ大はまぁセールス的に当然としても、最優秀歌唱賞とかも獲得しちゃいましたし。

で、どのように頑張っていたのか、についてですが。

① まず、歌唱法を日本的なスタイルそのままにやる場合。
フラット癖は歌う回数をこなせば修正されていきますので、何度もチェックしながらヴォーカルテイクを録音していたでしょう。
ド派手な歌謡曲路線突入直後のアルバム「思いきり気障な人生」、そして「今度は、華麗な宴をどうぞ」の2枚の収録曲には、フラット箇所はありません。
ただ、あれだけヒット曲を連発すると、そのうちシャレにならないくらい多忙になってきた、のでしょうね。
「LOVE~愛とは不幸を怖れないこと」「TOKIO」の2枚は、フラット連発状態です(シングル曲についてはじっくり時間をかけたらしく、フラットはありません)。録音に割く時間の問題だったのでは、と思います。僕はそんなヴォーカルも、ひっくるめて好きなんですけどね。

② ヴォーカルスタイルをロック的に転換。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、コレです、今日のお話のメインは。
あくまでも、楽曲構成がロック的歌唱を求めている場合に限りますが、ロングトーンの語尾で徐々にテンション上げていって、最後の最後にシャウト!
ジュリーが、ストーンズやビートルズから無意識に学びとったヴォーカルスタイルだと思われます。ショーケンの本能的なシャウトとは全くの別物です。

「若き日の手紙」を初めて聴いた時は、笑撃でした(変換ミスじゃないよ。でも、からかっているワケでもないです)。
何とはナシに「あぁ、いかにもこの頃の感じな曲だなぁ」と油断して聴いていた、2番終了直後。
他楽器が忽然と消え、ドラムスのみの伴奏で

♪一度くらい、無茶をしてみませんか~♪

と、やり出した瞬間、何かある!とは予感しましたが・・・
3度目のリフレインで

♪一度くらいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいやぁっっ!!!♪

そりゃ、確かに無茶だ!無茶しとる!

ここから先、延々とリフレインなのですが、ジュリーのシャウトを合図に再び噛みこんできた各楽器は、それまでの叙情性を完全否定するほどの狂乱プレイへとなだれ込みます。
楽曲の雰囲気が激しくなるよ!という、合図。ジュリーがヴォーカルでその役目を果たしているのです。これは、ロック独特のアプローチで、当時いわゆる「上手い」と言われていた他の歌手には出来ない芸当でもあります。
ただ、楽曲がそういうヴォーカルを求めていない場合は、このスタイルは使えない(爆)。
例えば、アルバム「TOKIO」収録の「MITSUKO」も、かなりフラットが目立つ曲ですが、万が一

♪会えなくなる日がくるより先にぃぃぃぃいいいやぁっ!!!♪

・・・・・・と、それはさすがに、ブチ壊しですがな。
だからこそ「若き日の手紙」は当時歌謡曲の看板だったジュリーナンバーの中にあって、すごく異質な仕上がりで。
B面に回されたのも、アルバム収録だと浮いちゃう、と判断されたからなのかもしれません。

阿久=大野ナンバー時代は、良かれ悪しかれ制作サイドの固定イメージってのはあったんだと思います。それが爆発的にヒットしたから、しばらくは他の人の楽曲は立ち入れなかったんですよね。
それまでのジュリーナンバーは、割とロックなヴォーカルスタンスを応用できる曲も多かった。「若き日の手紙」以前にも、「さぁバック演奏、激しく行けぃ!」っていう合図的シャウトの曲、ありますよ。

♪外わぁ~、ふぶきぃぃぃぃいいいやぁっ!!!♪

とかね。
この歌唱法が、当時の日本歌謡界のお偉いドコには「歌の上手さ」として全く評価されなかったのです。
時代的にちょっと早かったんだよねぇ。それは歌についてだけじゃないですけど。

その後、加瀬さんがプロデューサー復帰したり、銀次兄さんがモロに洋楽系のアプローチを施したりして、ジュリーナンバーはどんどんロッケンになっていき、本当に適性のあるヴォーカルスタイルが復活→確立されますが、それはまた、次の機会に。

ヴォーカルの話ではありませんが、ちょっと「若き日の手紙」のサウンドについて補足を。
上記の「ぃぃぃぃいいいやぁっ!」の後の、ドラムスなんですけどね。
コンプレッサーというエフェクターがかかっています。よく聴けば、金属的な感じがおわかりになるはず。
音的に、丁寧さよりは激しさを選ぶ・・・トリップなイメージを演出するべく、1965年に「シー・セッド、シー・セッド」という曲でビートルズのスタッフによって初めて編み出されたミックス処理の応用です。
この辺りは、B面曲ならではの遊び心ですね。

さぁ、ツアー初日まで、あと1ケ月半。
一度くらい無茶をしてみるかぁ!

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