みなさまからのリクエスト伝授!

2018年7月 4日 (水)

沢田研二 「君をのせて」(『SONGS』Version.)

この記事を書く日が来なければいい、と思っていた。
しかし思わぬ早さ、思わぬタイミングでこの日はやってきた。辛いけれど、大事な約束なんだから書かなきゃ・・・。

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7月4日、親しくさせて頂いていたタイガース時代からのジュリーファンの先輩でいらっしゃる真樹さんが亡くなられた。
ジュリーを通じて知り合い、格別に仲良しになったお友達とのお別れはまったく初めてのことで、僕はとても動転している。

真樹さんには2009年『Pleasure Pleasure』ツアー大宮公演で初めてお声がけ頂き、翌10年以降は僕ら夫婦にとって年に何度も食事をご一緒する特別なお友達になった。
聡明で、上品で、驚くほど気遣いの細やかなお姉さんだった。真樹さんから他人の悪口なんて一切聞いたことが無いし、6年間にも及んだ闘病中にも弱音を吐く姿を一度も見たことがない。こんな非のうちどころのない人が僕らのような者と親しくして下さる、ということが不思議に思えるほどだった。
ジュリーが授けてくれた素敵なご縁、としか言いようがない。

お会いする時は必ず、僕ら夫婦ともう1人別の先輩と4人で集まった。お花見だ、ツアー開幕だ、ツアー総括だ、忘年会だと何かと機会を見つけては、そうしてジュリーの話ばかりしていた。
真樹さんは段取りの達人で、食事のお店から散策コースまで完璧に事前に調べ、案内してくださる。僕らはいつもそんな真樹さんに頼りっ放しだった。
タイガース復活の頃からずっと闘病が続いていたのに、お会いすれば全然お元気な様子で、もうすっかり完治したのかと思うほどだった。実際にはそうではなかったのだが、ご病気のお話はほとんどしたことがなかった。だって、集まるたびにジュリーの話題がワンサカ溜まっているのだから。
とは言え、そんな集まりの際にここぞとばかりに喋り倒すのは僕ともう1人の先輩の役目で、真樹さんはいつもニコニコと話を聞いてくださっていた。本当に聞き上手な方だった。
それでも話題がタイガースになると一転、瞳を輝かせてお喋りをリードしてくださることがあった。あの田園コロシアムを観た時のことを、「だんだん陽が傾いてきて、風が出てきてね・・・」とお話されていたのを、今も昨日のことのように思い出せる。

僕らが詳しく知らないままに、真樹さんの病状は年々深刻度を増していたようだ。何を置いてもジュリーのLIVEには駆けつけていらしたのが、2017年のお正月『祈り歌LOVE SONG特集』ツアーは、緊急の入院と再手術のため欠席された。
後から聞くと相当危ない状況だったらしいが、何とその時不思議な気脈が通じたかのように飛び出したのが、ジュリーのあの「頑張れ、頑張れ!」のエールである。効果は覿面、真樹さんは見事持ち直し、50周年ツアーには今年1月の千穐楽含め精力的に参加されるまで回復された。

それが最近になって・・・体調が一変したのは4月だったという。
今年はお花見もご一緒できず案じていたところに、「今は緩和病棟にいます。お願いもありますので一度会いにきてください」とメールが届いたのが5月末だった。
すぐにお見舞いに行った。すると、もう自力で起き上がることもできず、お医者さんからはあと半年持たないかもしれないと宣告されたとのお話。何ということ・・・昨年12月には元気に忘年会をご一緒したし、ピーと二十二世紀バンドの四谷公演でもお会いした。あれから半年しか経っていないのに何故!
お話をする真樹さんの言葉はとても穏やかで、隣でカミさんが泣いてしまったからかもしれないが、ご自身はまったく取り乱すこともなく、いつもの真樹さんらしく振る舞われていた。
ただ、一度だけ両目に小さな玉の涙が浮かんでいらした。

さらに驚くことに、真樹さんはご自身の葬儀の段取りをお話しし始めた。「悲しいお別れの場にはしたくない」「私から最後のおもてなしをしたい」「美味しいものをたくさん食べて頂きたい」・・・。
その席に(先述の先輩含めて)3人をご招待したい、今日は今までの感謝をお伝えするのと、この招待を受けて頂くためにお呼びだてしてしまったのだ、と仰る。いかな段取りの達人とは言ってもそんな・・・と僕らは本当に驚いた。

そして僕にはこう仰った。
「”君をのせて”のSONGSヴァージョンで私を送ってね」
と。

「枯葉のように囁いて」以来の真樹さんからのリクエストお題。
僕はこみあげてくるものを堪えながら、「分かりました」とお約束するのが精いっぱいで、何故SONGSのヴァージョンなのか、といったことをその時お尋ねすることはできなかった。
まさに今、「何故これなんだろう?」と久しぶりに『SONGS』の録画映像を観ながら色々と考えている。

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白井さんがこの番組のために特別にアレンジした「鉄人バンド+ストリングス」ヴァージョン。
間奏は白井さんがエレキを弾く。間奏終了間際は柴山さんとのツイン・リードになる。素晴らしい演奏だ。
でも、と今は思う。
なかなか演奏に耳が行かない。ジュリーの表情、仕草、歌声だけに吸い寄せられる。まるで神席でLIVEを観ている時みたいだ、今の気持ちで観るこの歌の映像は。

真樹さんはいわゆる「中抜け」組の先輩だ。タイガース時代からのファンで、ソロになってからもずっとジュリーを観てきたけれど、多忙もあり1度離れられた。
『SONGS』で戻ってきて、『ジュリー祭り』東京ドーム公演で復活された。その後はタイガース奇跡の再結成の道程をリアルタイムで体感された。中抜けさんならではの王道だ。
そのきっかけが、『SONGS』の「君をのせて」だったのか・・・。
ソロ歌手としての初シングル「君をのせて」を歌う還暦のジュリー。そのインパクトを新規ファンの僕は想像しきれない。でもこのジュリーの表情の素敵さは分かる、と思う。
このジュリーに包まれて旅立ちたい、そう考えるファンの気持ちはそれこそ王道だろう。

真樹さんの最後のお見舞いに行ったのが5月末だった、と先に書いたが、実はその時僕はブログに書く次とその次のお題をもう決めていた。「しあわせの悲しみ」と「生きてたらシアワセ」だ。
書けるか?と思った。こんな気持ちになった後で「幸せ」の歌なんて僕は書けるのか、と。
でも、そこはさすがジュリーの作詞作品だった。ジュリーがどんな思いで「幸せ」というものを歌っているのか、今まで考えたこともなかった解釈で僕はこの2曲を聴くことができた。
真樹さんと話せていなかったら、特に「生きてたらシアワセ」なんて相当トンチンカンな考察になっていたに違いない。

「毎日3時に来てくれるのよ」という旦那さんと入れ替わりで病室をおいとまする時、真樹さんは「最後に握手して」と仰った。想像よりもずっと強い力で手を握ってこられた。あの時残されていた全力で「ぎゅうっ」としてくださったのだと思う。
「最後に」というのがイヤだったので、握手の後で僕は「また来ます」と言った。ジュリーの古稀ツアー初日・武道館公演が終わったら、セットリストなど感想をお話ししに来ようと思っていた。
でも叶わなかった。きっと真樹さんは、身軽になって自分も武道館に行きたい、と思ってしっかり計画を立てて旅立たれたんじゃないか・・・と、今はそう考えるよりない。

それにしても、真樹さんの段取りの達人ぶりは最後まで本当に凄い。お通夜はちょうど武道館でジュリーが歌っている頃の時間だし、久々にいつもの「4人」が集まることになる翌日のお葬式は、武道館の余韻で話題が途切れることはないだろう。
約束したことだから、「悲しい」なんて言わないことにしたい。「さすがの段取りですね」と泣き笑いしたい。


真樹さん、今までありがとうございました。本当にお世話になりっ放しで申し訳ありません。
これからこの記事を、真樹さんが旅立たれた日時に設定してupします。昨夜、お知らせを受け取る前に書いた「side-Bのご案内」記事より前の時間設定になりますので、この記事はトップには来ません。それが良いかな、と思っています。

それではまた明日。
武道館では、ジュリーに一番近いところから観ていらっしゃいますよね?僕らはスタンドですが・・・。
そして明後日。おもてなし、楽しみにしています。
さようなら。

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2018年5月12日 (土)

沢田研二 「ジョセフィーヌのために」

from『チャコールグレイの肖像』、1976

Tyakoruglay

1. ジョセフィーヌのために
2. 夜の河を渡る前に
3. 何を失くしてもかまわない
4. コバルトの季節の中で
5. 桃いろの旅行者
6. 片腕の賭博師
7. ヘヴィーだね
8. ロ・メロメロ
9. 影絵
10. あのままだよ

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堯之さんの突然の旅立ちを受けて記事を書いたばかりだというのに、今度は東海林修先生の訃報が・・・。
ジュリー堕ちする前からお名前だけは知っていたレジェンド。ジュリー堕ち後はそのアレンジの素晴らしさで虜にさせられました。
アルバムならまず『JULIEⅡ』、という僕にとっては本当に特別な存在のアレンジャーであり作曲家・・・東海林先生がタクトを振ったジュリーLIVEを生で観ていらっしゃる先輩方を、いつも羨ましく思っていました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


相次ぐ訃報に心沈む日々ですが、今日は”作曲家・ジュリーの旅”シリーズ第2弾の更新です。
採り上げるのはアルバム『チャコール・グレイの肖像』1曲目収録、小谷夏さん(久世光彦さん)作詞の「ジョセフィーヌのために」。これは、いつもコメントをくださるnekomodoki様からリクエストを頂いていて(ずいぶん前ですからご本人は待たされ過ぎて忘れていらっしゃるかも汗)、もちろん僕自身も大好きな名曲です。

作曲家・ジュリーが「詞先」「コード先」ならではの斬新な展開と不思議な世界観を提示した、大いに語り甲斐のある1曲。頑張って書きたいと思います!


①孤高の名盤『チャコール・グレイの肖像』

今回”作曲家・ジュリーの旅”シリーズということで、ジュリー作曲作品で固められたこのアルバムから何か1曲、というのは必然の流れでしたが、通勤の行き帰りにCDを聴いていますと、いや凄まじい名盤だなぁと。
途中で他のアルバム収録曲を挟んで聴く隙が無くなるというのか、唯一無二の味わいがありますね。ポリドール時代ですと、『JULIEⅡ』『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』『女たちよ』にも似た感覚はありますけど、『チャコール・グレイの肖像』は特にズッポリと嵌ってしまう類の「この1枚!」と言えるでしょう。

最後のチャプターでご紹介するラジオ音源でジュリー自身が語っている通り、全体的に「暗い」アルバムなんですね。
作曲ということで考えても、ジュリーはビート系、アップテンポの短調の曲はよく作りますが、バラード系、スローテンポの曲で短調ってほとんど無いんです。その「ほとんど無い」筈のパターンがこのアルバムでは半数の5曲を占めているという・・・やっぱり作曲当時の環境でしょうか。とすればジュリーはメロディー作りにおいても驚くほど素直にその時の心境を反映させるタイプの作曲家なのかな。

去年の大宮の打ち上げでしたか、同席したJ先輩にちょうどこの時期のジュリーのお話を聞かせて頂いて。その先輩は当時、自分がこの先もずっとジュリーを好きでいるであろうということとは別に、謹慎もあったし結婚もしてるし、世間的にはジュリーはもう大ヒットするシングルが出ることもなくだんだんフェイドアウトしていくんだろう、となんとなく思っていたのだそうです。だから「勝手にしやがれ」からの国民的人気の再爆発には当初驚いていた、と。
なるほどそういうふうに見ていた方も少なからずいらっしゃったのかなぁと思いました。
ただ、76年というあの年に自身の「作曲」スキルを煮詰めたことが後々大きな糧となり、現在のジュリーの創作姿勢と繋がっていることは疑いないでしょう。
ジュリーにとって『チャコール・グレイの肖像』への取り組みは、自らの立ち位置を改めて俯瞰する日々であり、自分にはこれほどの「味方」(作詞陣や演奏陣、スタッフなど)がいるのだという感謝の再確認であり、ラジオでも言っている通り「これを作り終えたら、来年はメチャクチャ頑張らなイカン」と覚悟を決める期間だったのではないでしょうか。
その証に、ジュリーはこの後の阿久=大野時代の間しばらく、自身の作曲作品をリリースしないんですよね。ジュリーの「頑張る」が、「多くの”味方”が用意してくれたものに全力で取り組む」というベクトルに向かったこと、その期間を自らに課したこと・・・これもやはりジュリー独特の俯瞰力なのだと僕は考えます。

その直前に自作曲だけで1枚のアルバムを作り上げたというのが、企画提案した久世さんのジュリー愛というのもさすが、凄いなぁと。
将来の大成の前に、ジュリーには今「孤独」の創作が必要な時だ、と久世さんは分かっていたかようにも思えます。
では、その久世さんがシングル「コバルトの季節の中で」以外にもう1篇、ジュリーの作曲のために詞を捧げた「ジョセフィーヌのために」について、次チャプターで掘り下げていきましょう。


②ニ長調とホ短調を行ったり来たり!

少なくとも『チャコール・グレイの肖像』の時点でジュリーの作曲に「キー」の概念はまだありません。
作曲作業は、ギターを弾きながらコードを自由に繋げてメロディーを載せていく手法。これが80年代になるとメロディーが先で、そこにコードを当て込んでいくという手法にとって変わるわけですが(糸井重里さんのラジオ番組でジュリーがそんな話をしてくれています)、ともあれ70年代のジュリーにとって「キー」とは音域の高さを語る時に使う言葉であり、メロディーを五線譜にした際にどんな調号になるかまでは考えていなかったでしょう。

理論を知らないが故の斬新さ、素晴らしさ。もちろんそれは誰にでもできることではなく、ジュリーに作曲の才があったからこそ生まれた変態進行(←褒めていますよ!)が、「ジョセフィーヌのために」で炸裂します。
元々ジュリーが作曲を始めた頃から無意識のうちに得意技としてきた「借用和音」の採用が特殊な環境下で幅を広げて、驚異の名曲が誕生しました。

ジュリーはこの曲を「D」と「Em」のコードを軸に、(本人的には)変化を少なめに淡々とした暗い感じにしよう、と作曲しています。それはまず間違いない。

なぜこれだけ残していったのか
Em                 D

わかるような気もするのだけれど ♪
Em                   D

この箇所がメロディー作りの基本アイデア。大野さんはその点を見抜き、イントロなどでこの進行箇所を「伴奏部」として採り入れアレンジを仕上げています。
ただ、ジュリーとしても2つのコードの繰り返しだけではつまらないので、時々他のコードを繋げてみる・・・のは普通のやり方なんですが、ジュリーはそこで「D」(ニ長調のトニック)から連想するコード展開と、「Em」(ホ短調のトニック)から連想するコード展開を、理屈抜きでミックスしちゃってるわけです。
例えば

このお人形を 覚えていますか ♪
D            Em  A                 D

とか

あなたはジョセフィーヌと 名付けました ♪
Bm  G           D                     A      D

はニ長調の調号に

一年たって思います
Em           C        E

解けないパズルさ 人生なんて ♪
Em        C            D   Bm    E

はホ短調の調号となります。
ジュリーには「転調」の意識など無く、同じヴァースで2つのキーが混在するというとんでもない進行が誕生。そりゃあ堯之さんも「沢田は普通では考えられないようなコード進行の曲を作る」と驚くはずですよ。
しかも、ホ短調の調号で進んできた歌メロ最後の着地点が一瞬だけメジャー(「E」)に転換してしまう強烈なオマケ付き。ですからこの曲で最もスリリングな箇所は、「リフレインをもう一丁!」の4’03”からの1小節です。ホ短調、ホ長調、ニ長調3つのニュアンスを一気に駆け抜けるんですよね~。
アレンジの大野さんもここは「凄まじいなこりゃ」とジュリーの斬新なコード展開に感嘆しながらの「仕上げの箇所」だったはずです。『太陽にほえろ!』のサウンドトラック同様、大野さんは「小節割り」に細心の注意を払っていると思いますから。

アレンジが大野さんということで、この曲の演奏は井上バンドのトラックと考えられます。
象徴的なのは左サイド、速水さんと思われるリード・ギターのフレージングと、シンセ・ストリングス。このシンセの音は70年代後半のLIVEでよく使用されている音色ですから、演奏者は羽岡さんではないでしょうか。
ピアノのトラックは、ミックスダウンの際にPANをゆっくり左右に移動させているようですね。主人公の「揺れ動く心境」を表現したのでしょう。

さて、久世さんの詞なんですけど、表面的には男女の別れの物語なのかな。
恋人が「ジョセフィーヌ」と名付けて可愛がっていた人形だけを残して去ってしまった、と。
でも、それだけじゃないですよねぇ・・・。
「コバルトの季節の中で」同様、久世さんはジュリーを見つめてジュリーに捧げる、というスタンスでこのアルバムの作詞をされていると思います(「コバルト~」の「髪型が変わりましたね♪」は、アフロをやめた時のジュリーのことを歌っているような気が・・・)し、「ジョセフィーヌのために」でも「1年経って ♪」などのフレーズに意味深なものを感じます。
久世さんの作詞の時点から「1年前」と言うとやはり『悪魔のようなあいつ』なのかなぁ。

僕は今年6月25日に「時の過ぎゆ くままに」の記事を書いてジュリー70歳のお祝いをするべく、今から少しずつ『悪魔のようなあいつ』全話鑑賞に取り組まなければなりませんが、何か「ジョセフィーヌのために」の歌詞コンセプト、題材元が見つけられるのではないかと期待しているところです。



③ラジオでの『チャコール・グレイの肖像』の話

今日ご紹介するラジオ音源、僕は番組名まではまだ分かっていないんです。
たぶんジュリーがパーソナリティーの番組内で『沢田研二・1枚のアルバム』というコーナーがあったんだと思います。「ス・ト・リ・ッ・パ・-」の話題が出てきますから放送は少なくとも81年夏以降。
『NISSAN ミッドナイト・ステーション』の初期の頃なのかな、と想像していますが・・・。
とにかくこれが、ジュリーが「過去のアルバム」についてあれこれ語ってくれるという超お宝音源。結構長尺のコーナーなので、全編ではなくポイントポイントを抜粋しての書き起こしになりますがご容赦下さい。
それでは行ってみましょう!


そもそもこの『チャコール・グレイの肖像』というのは、「ドリアン・グレイの肖像」というね、ちょっと妖しげな小説があるんですが、そこから引用させて頂いて「ドリアン」ではなく「チャコール」としたわけなんですけれども。まぁ全体に、何と言うか「暗暗~(くらくら~)」「暗いくら~い」感じのね、LPにしたかったっていう感じなんですけど。

「ドリアン・グレイの肖像」・・・し、知らなかった。アルバム・タイトルにオマージュ元があったのか~(恥)。

思い起こせば1976年12月・・・ということは謹慎が明けた時でございまして。いよいよ来年はメチャクチャ頑張らなイカン、と思っていた時でございました。
これは久世光彦さんの発案でね、『今僕は倖せです』以来4年ぶりだったんですけど、自作のLPを作ろうと。
「でも僕は詞が書けない全然」っていうので「じゃあ書けるぶんだけでいいじゃないか」と。あとはまぁ、色々な人にヘルプして貰おうということで作ったんですがね。
このLPの中からとりあえず1曲お届けしましょうね。これは阿木燿子さんの作詞です。この間のロックン・ツアーなんかのアンコールの時にやった・・・時々やっとった曲でございますけれども。「夜の河を渡る前に」、これから行きましょう。


♪「夜の河を渡る前に」オンエア

76年という年は、紅白歌合戦もレコード大賞も全部出られへんかったわけね。せやから、ヒマだったんだね!(笑)
声が、エエ声しとるよ、うん。休養充分という。
それから、このLPの中の歌詞カードに色々書いてあるんです。コーラスが「JULIE & KENJI」とかね。全部自分でやっとるから。
それから「ウェスタン・パーカッション」っつうのがあるんやけど、これはウェスタン・ブーツを履いとって、板の上でこう足踏みするだけなんやね。
この曲(「夜の河を渡る前に」)に入ってましたでしょ?「コッ、コッ、コッ、コッ・・・」ってのがね。
ちなみにこのウェスタン・ブーツは、『悪魔のようなあいつ』というドラマに出てた時に履いてたウェスタン・ブーツです。それで分かるかな?(笑)ゴッツいやつです。先の角ばったやつ。76年型のブーツでございますよ、うん。最近のやつはトンガってますけどね。

この『チャコール・グレイの肖像』のLPの発案者である久世光彦さん・・・『悪魔のようなあいつ』とか『源氏物語』なんかで演出、プロデューサーをやってくれた人ですけれども、あの方も詞を書いてくださっておりまして。
「コバルトの季節の中で」ってのはこのLPの中から、先にシングルになってるわけなんですけれども、その曲も「小谷夏」さんというペンネームで出てるんですけれども、次に聴いて頂くのはA面の1曲目に入ってて。まぁステージでやったこともないし、アレなんですけど、だいたい僕はこういうパターンの曲が、好みで言うと本当は好きなんですよね。


♪「ジョセフィーヌのために」オンエア

「ジョセフィーヌのために」はステージで披露されたことが無いんですか・・・もしかして、『チャコールグレイの肖像』収録曲ってそんな曲が多いんですか?


(このアルバムは)割と長い曲が多いんですけどね。今2曲ばかり聴いておりまして思い出しましたけれども・・・謹慎をしておりましてですね、夏に全国縦断コンサートはやったんだけど、それが終わったらまた仕事らしき仕事っつうのがポツンポツンとしか・・・今思えばね、今と比べたらでございますが(仕事が)なくて、毎日もうとにかく曲ばかり作ってましたね、家で。ギター持って前かがみになりながらですね、それでのうても姿勢があんまり良くないのに、前かがみになって作っておりましたけれども。

それから、人間ドックに入ったんですよ。こんな機会でもないと精密検査もできないっつうんで。別にどこが悪いっていうんじゃなくてね。まぁ頭は悪かったですけど(笑)。
で、ある病院に3日間入院して、規則正しい生活をしてですよ、朝6時頃には体温計りに来られるわけですよ。夜はもう9時になると「朝検査がありますから9時以降は水も飲まないで下さい」と。
腹減ってね~。朝起きてから薬飲むまでにさ、あんまり腹減るから冷蔵庫のメロン食うた覚えがありますがね(笑)。
それから昼間はもう退屈でしゃあないわけ。テレビとかっつうても(昼間は)あんまりイイ番組やってない時間で。一生懸命ベッドの上でカセットテープをガチャン!として、曲ばっかり作っておりましたけれども。その時に纏めたんが、さっき聴いた「ジョセフィーヌのために」、それと桃井かおりさんが作詞してくれた「桃いろの旅行者」っつうのもここで纏めたんやったと思うね、ベッドの上で。
時々覗きに来たりなんかしてね、看護婦さんが。「静かにして下さい」(←可愛らしい女性の声マネで)って言いながらニコッとしたりなんかして。「あっ、沢田研二の歌聴いた!」っていうような顔されたりとかしてね。そんなこともありました。


この『チャコール・グレイの肖像は』全体に「暗い暗い」といった感じのLPですけれども、(これからかけるのは)その極めつけと言ってもいい曲でございますね。タイトルからしてそうでございますから。あんまりこれ聴いて気分が重くならないようにして頂きたいと思います(笑)。まぁそんな心配は無いんですけど・・・B面の2曲目に入っております、詞曲とも沢田研二です。「ヘヴィーだね」。

♪「ヘヴィーだね」オンエア

病室で新曲を仕上げているジュリーを想像すると、『チャコール・グレイの肖像』のあの美しいまでの独特の閉塞感がどうして生まれたのか納得できるようです。
例えば「ジョセフィーヌのために」は、小節の1拍目と3拍目を刻むベースがそのまま「ゆっくり、ゆっくり」といった感じで再起を期す当時のジュリーの歩幅のように思えてくるのです。「屋久島 MAY」よりさらにゆったりとした、それでいながら強く確かな前進の歩幅。
生きてゆくのはこのくらいのスピードで良いんだよ、と諭されているような気持ちになれる名曲ですね。


それでは、オマケです!
今日は、Mママ様からお預かりしている貴重な資料で、『沢田研二新聞 Vol.3』からスキャン画像を4枚ほど選んでお届けいたします~。
(スキャンが結構粗いですし、ショット全面を網羅できていなかったりします。申し訳ありません・・・)

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では次回は、80年代のジュリー作曲のナンバーをお題にお届けします。
作曲については、洋楽などの既存のスタイル踏襲にあまり拘りを持たないジュリーですが、80年代には時折そうした曲も生み出しています(例えば、ストレイ・キャッツを意識しまくった「ジャンジャンロック」など)。

次回お題もそのひとつで、とりわけその「洋楽パターンの踏襲」狙いに明快な動機がある、という点で作曲家・ジュリーとして稀有な1曲ではないかと考えます。
さぁ、どの曲でしょうか。しばしお待ちを~!

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2018年4月29日 (日)

沢田研二 「一人ベッドで」

from『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』、1972

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1. 今、僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

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更新間隔が空いてしまいました~。
世間はいよいよゴールデン・ウィーク。我が家は先週の金土日とカミさんの実家のお墓参りで関西方面を旅しましたので、カレンダー通りのゴールデン・ウィークは遠出はせず、近場にちょこちょこと出かけるだけになりそうですが、みなさまはいかがでしょうか。

先週の関西の旅は、京都→守山→西脇→加古川→神戸→芦屋→大阪と結構あちらこちらに移動がありまして、各地で美味しいものを頂いてきました。


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↑ 京都駅新幹線改札内のお蕎麦屋さん『松葉』さん。
カミさんがこのお店の「にしんそば」が好きで関西旅行の際は必ず立ち寄っていますが、僕はやはり蕎麦は「もり」派です。個人的には、蕎麦は今くらいの季節が一番美味しいと思います。


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↑ 守山にて、たまたまマグロの解体ショーをやっていまして、見た後にカミさんの両親に大量の中トロと赤身を買って貰いました。夜、ちょっと食べ過ぎた・・・。


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↑ 西脇にて、カミさんが通っていた小学校の真ん前にある播州ラーメンの有名店『大橋ラーメン』さん。今回初めて訪れましたが、甘みの強い醤油味は噂に違わぬ絶品でした。


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↑ 神戸三宮の老舗ステーキ店『モーリヤ』さん。渋み走ったカッコ良いシェフのおじさま(と言ってもたぶん僕より年下笑)が目の前でランプとフィレを焼いてくれました。溶けるような柔らかさでした。


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↑ 結婚前にカミさんが住んでいた芦屋にて、有名なパン屋さん『パンタイム』さん。朝9時半くらいに行ったのですが、その時点で品切れ(と言うか焼くのが追いつかない状態)続出の大賑わい。


・・・と、ちょっと膝の調子が悪かったのですがのんびりとした良い旅で、リフレッシュしてきましたよ~。


さて、お題に関係の無い枕はこのくらいで。
拙ブログでは今日から5月いっぱいの間、”作曲家・ジュリーの旅”シリーズということで、ジュリー自作の名曲群をお題に採り上げていきます。
70年代が2曲、80年代、90年代、2000年代がそれぞれ1曲、計5曲の考察記事を書く予定。まず今日は70年代、作詞・作曲ともにジュリーのペンによるナンバー、72年リリースのアルバム『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』から「一人ベッドで」を選びました。

実は、いつも仲良くしてくださる先輩(ジュリーだけでなくビートルズ・ファンとしても先輩です)が急病で入院されまして、「今弱っているので、元気が出る系ではなく何か癒され系の曲を」とリクエストを頂きました。
入院中のかたに向けて「一人ベッドで」って選曲として逆にどうなの?というお声も聞こえてきそうですが、僕はこの曲「癒し系」だと思うんですよね~。
確かに歌詞はちょっと辛い感じなのですが、いざメロディーに載ると不思議に鎮痛効果があり、演奏も穏やかです。それに、このジュリーの声ですよ!張り上げる箇所もなく訥々と語りかけるように歌っているのも癒され要素ではないでしょうか。

あ、その先輩からは「病人にも優しいコンパクトな文量で」とお願いされたのですが、それは無理(と言うかむしろいつもより長めになるかもしれません汗)。
毎度毎度の長文ですみません・・・。


①『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』製作の意義

僕などは後追いのファンですし、ジュリーの歴史を知れば知るほど「稀有な存在」とか「天や時代に選ばれし人」と言いたくなりますが、その歴史を線ではなく点としてそれぞれの時代に目を向けると、決してジュリーはただ選ばれていただけでなく、自らの判断を以って進むべき道を切り開いていたのだと分かります。

先日「美しい予感」の記事で、最先端のプロフェッショナルに囲まれリードされた『JULIEⅡ』の演奏が個人的には好みである、と書きました。
ただし、『JULIEⅡ』のようなレコーディング製作、プロデュース法だけがその後続いていたとしたらジュリーの歴史はどうなっていたでしょうか。次第に井上バンドがジュリーに関わる機会が減少し、ジュリー個人は歌謡界のごくごく一般的な「ソロ歌手」となっていく・・・そんな道程も可能性はあったかもしれません。
それを「自分はロック・バンドと共に歌いたい」というタイガース以来の思いを持ち、巡ってくるタイミングを逃さず自ら道を切り開いていったジュリーだからこそ、この50年の実際の歴史が作られているでしょう。
製作サイドの思惑からすると、もしかしたら「逆」と言えるようなことであっても、ジュリーはその都度バンドに拘り、もちろん一方では「用意された」外部プロフェッショナルとの共演も拒絶することなく歌手人生の糧としてきた・・・頑固な信念にまで至る自分自身の好みと、聞き分けの良いプロ根性。両輪フル稼働するジュリー70年代初期の製作活動は正しく「冒険と実力」並び立つ偉大なキャリアです。

『JULIEⅡ』から「周囲の反対を押し切って」シングル・カットした「許されない愛」が大ヒット。そのご褒美としてセルフ・プロデュースを任されたという有名な逸話が残るアルバム『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』は、ジュリーの創作志向が明快に押し出され、周囲にもその志を認めさせたという点で、2018年の現在に至るロックなツアー、製作スタンスを最初に確立させた最重要の1枚。本来の意味でのファースト・アルバムと言って良いかもしれません。
もちろん『JULIEⅡ』とは真逆のベクトルながら、井上バンド(正式には当時は「井上堯之グループ」であり、かつジュリーの意識としてはPYG)の演奏的にも大いに評価されるべき名盤です。

僕はまだこのアルバムから「不良時代」「涙」のただ2曲しか、しかも10年前の『ジュリー祭り』東京ドーム公演の1度しか、さらには「涙」の演奏中にトイレに行ってしまったので厳密には「不良時代」1曲のみしか、生体感できていません。
裕也さんとのジョイント・コンサート『きめてやる今夜』に参加できなかったのが痛過ぎますが(そこで「湯屋さん」がセトリ入り)、今後このアルバム収録曲を体感する機会は巡ってくるのでしょうか。
タイトルチューンの「今、僕は倖せです」や、「不良時代」「湯屋さん」とともに、個人的にアルバム収録曲の中でも特に好きな1曲「一人ベッドで」・・・今日お題に採り上げるこの曲については今後の生体感は諦めていますが、若き作曲家・ジュリーのワン・アイデア構成、それを完璧にサポートし練り上げた井上バンドのアレンジ双方に語るポイントの多い「静かなる隠れた名曲」です。
では、僕がこの曲のどういう点に惹かれているのかを次チャプターで詳しく書いていきましょう。



②「一人ベッドで」とフォトポエム

アルバム『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』を初めて聴いたのはたぶん2006年。ポリドール期の再発リマスターCDを怒涛の勢いで買いまくっていた、いわゆる僕にとっての”第1次ジュリー堕ち期”の終盤でした。
既に『チャコール・グレイの肖像』を聴いた後で、「ジュリーの作曲は面白い!」という予備知識もありましたから、特にジュリー独特の曲作りに驚くこともなく初聴時からゆったりと楽しみながらアルバム全編を通して聴けた記憶があります。
この「一人ベッドで」は一発で気に入って、「うわ、こういう変テコな曲は好みだなぁ」と思いました。しかし何度か聴くうちに「ちょっと待てよ」と。
この曲の、何処が変テコなの?
そう自問し始めたのです。

まったく同じメロディーの短いヴァースが、1番→2番→3番と繰り返されるのみ。「Aメロ」とか「サビ」の概念が無い、これ以上ないほどのシンプルな構成です。
コード進行にも、何も変則的なところはありません。調号の変化は登場せず、ニ短調の王道過ぎるほどの王道進行。ジュリーのヴォーカルは淡々とメロディーをなぞり、大げさな箇所も力を入れる箇所もなく、最初から最後までいたって普通に歌われます。
なのに、すごく変テコな印象の曲に聴こえる・・・こりゃあ一体何だ?と。
しばらくして、このアルバム自体が「曲」と言うよりジュリーの「スケッチ集」と呼ぶべきプライヴェートな作品であり、「一人ベッドで」は特にそんな要素が濃くて、もし「ビジネス的」なプロデューサーが製作していたら真っ先にオミットされる、或いは大幅に書き換えられるような・・・そんな曲がむき出しの原型をとどめたまま収録されていることこそがこのアルバムの目玉なのだ、と気づくことになります。

72年というと、邦楽の「作曲」作業が技術的にも構成的にも大きく飛躍した時代。「一人ベッドで」は(あくまでも「当時」の)プロの目からするととても未熟な曲と捉えられたかもしれません。
しかし、もし近年のアルバムの中でこの曲がリリースされていたとしたらどうでしょう。それは、ベテランの作曲家が腕をしならせて提示する愛らしい小品、例えば映画の挿入歌であったり、舞台のワンシーンに演奏時間も雰囲気もピッタリ当て込むような「熟練」の作曲手法として散見される類のものに見えます。
「一人ベッドで」は、若きジュリーの「歌」であるが故に、妙に時代的に早過ぎる曲なんですよ。

しかもよくよく考えてみれば、同時期の音楽とリンクしている曲でもあるんですよねぇ。

Hitoribedde


↑ 今回の参考スコアは、Mママ様からお借りしている『深夜放送ファン別冊・沢田研二の素晴らしい世界』から。
この本は時々古書店で凄まじい値段で販売されているのを見かけます。採譜の精度は低いですが(今回の「一人ベッドで」にも、「B♭」が抜け落ちる致命的な箇所があったりします)、本当に貴重な資料が今自分の手元にあることに感謝! 

詞はジョン・レノンが妻の小野洋子さんに日本の俳句を伝授され影響を受けた『ジョンの魂』収録の一連の「最小限にまで言葉を削った」短いヴァース・リフレインそのものですし、曲(メロディー)についてはそのまま井上バンドがインストものとして『太陽にほえろ!』挿入曲へとシフトさせても違和感なく成立してしまいそうな映像感があります(『太陽にほえろ!』風にインスト・タイトルをつけるなら、「”眠り”のテーマ」といったところでしょうか)。

驚くほどに親身で噛みくだきが良く大衆性もある、それでいてジュリーがファンに手紙を書いたかの如き私的な「シンプルさ」。僕にはどのようにしてジュリーがこういう詞曲を生み出したのかが当初まったく分からなかったのですが、その後『ジュリー祭り』に参加し多くの先輩方に出逢い、古い貴重な資料などを見せて頂いて・・・『女学生の友』のフォトポエムを知った時に「あぁ、これか!」と思いました。
ジュリーは決してその時々の「思いつき」の作詞家、作曲家ではなかった、日々充分「稽古」していたのだと納得させられたと言いますか。
流行雑誌に「アイドル歌手(と敢えて言いますね)のポエム連載」企画が立ち上がったとして、本来ジュリーほどの人気歌手なら自らはフォトの仕事だけ、あとは編集者がそれっぽい文章を併記し、ポエム本編はゴースト任せで何ら問題は無いし、むしろそれが普通のやり方です。実際、『女学生の友』のフォトポエムも連載開始当初はそのスタイルじゃないですか。
ところがジュリーは「この企画に沿う詞を自分で書く」ことをやってみよう、と。なにかしら面白いんじゃないか、と。そう考えるタイプの人だったんですね。
で、やり始めたらそりゃあ進歩しますし深化もしますよね。それが連載同年リリースの『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』に自然に反映されていると。
特に「一人ベッドで」はアルバムの中でも『女学生の友』一連のフォトポエムに最も手触りが近い1篇。
アルバム『JULIE Ⅳ~今僕は倖せです』の特異性、「一人ベッドで」のプライヴェート色に同時期のポエム連載が深く関わっていたことを、僕は初聴時から数年かけてようやく理解しました。

ところで、その後はどうか分かりませんけど、72年当時のジュリーは普段「ベッド」ではなくお布団敷いて寝ていますよね。同じ時期のどの資料だったか、ジュリーは寝る時は自分で布団を敷いて、雨戸をガッチリ閉めて部屋を真っ暗の状態にして眠る、と書いてあったはずです。
ならば「一人ベッドで」はジュリーにとって「自宅」以外の環境を描いた作品ということになります。

夜も 更けて
冷たいベッドで
Dm   F         Gm     B♭  A7

からだよこたえて 疲れた心  に ♪
Dm     F              Gm     B♭ A7

72年秋のリリース、ということを考えればやはりこれはショーケンと一緒にギリシャに行った際のある日、撮影を終えてホテルに帰ってきて「疲れた~!」とベッドに倒れ込む・・・そんなことを歌った歌なんじゃないかな、と想像できます。
「やりきれない」とか「いやなこと」とか結構ダメージ度の高いフレーズが多く使われていますが、僕はそれらのフレーズにさほどの重さは感じません。むしろ充実感や「明日もまた大変やな~。でも頑張るか!」といった「仕事に燃える若きジュリーの、1日のしめくくりの歌」と捉えたいです。純潔な男っぽさを感じますね。
疲れながらも、しっかり今日、明日と向き合っている・・・「一人」になれるつかの間の時間を楽しんでいるような感覚すらある、と思いますがいかがでしょうか。
「身近なところから色々な題材を拾ってみよう」と喜怒哀楽すべてを前向きに盛り込んだアルバムで、「哀」を担ったのがこの曲、と僕は受け取っています。

堯之さんのアレンジ、井上バンドの演奏で僕が特に惹かれるのは、歌メロの最後にくっついてくる堯之さんのアコギとサリーのベースのユニゾンですね~。
たった1小節のブルー・ノート・フレーズがあるだけで、曲全体の緊張感が大きく違ってきます。
このアレンジ・アイデアは、やはり『太陽にほえろ!』のサウンドトラックと同時進行のレコーディングだからこそ生まれたのではないでしょうか。「歌の場面を切る」演奏感覚は『JULIEⅣ~』独特のものです。
初聴時に「一人ベッドで」を(良い意味で)「変テコな曲」と感じたのは、この堯之さん渾身の一瞬のアレンジが耳に残ったからかもしれないなぁ。


③『愛をもとめて』より「脚色」の話

今日はジュリー界の時事ネタ(と言ってももう先々週の話題になってしまうのですが)から思い当たったラジオ音源のご紹介です。
ジュリーファンのみなさまならご存知の通り、先に発売された『週刊現代』にて『芸能界「ステゴロ」(素手の喧嘩)最強は誰だ!?』なる企画記事が掲載され、そこにジュリーの名前も挙げられていたそうですね。
僕は記事そのものは読んでいませんが、saba様のブログでだいたいの内容は掴めました。

ジュリーが喧嘩が強い、ということ自体のは間違いないのでしょう。ジュリーの周囲にいた人達の証言、多々ありますから。ただ、こういう「芸能人の武勇伝」的な記事ではなにかしらの脚色はされてしまう・・・それもまた言えると思います。
今日ご紹介する『沢田研二の愛をもとめて』の放送回では、20代のジュリーがそんな「芸能人のエピソード記事の脚色」について、自らの「あるある話」をしてくれています。詩の朗読メインの回だったのか話自体は短いのですが、この機に書き起こしてみましょう。


自分の過去とか経験というのは、他人に話す時どうしても・・・なんというか、脚色するというかね、まぁ特に僕らみたいなこういう、人に見られるっていうか、そういう仕事をしてますとね、やっぱり脚色されますわね、うん。「勉強はよくできた」か「ぜ~んぜんできひんかった」か、どっちか極端になりますわね(笑)。
「全然できひんかった奴がこうなった!」とかさ、「すごくおとなしかったのがこうなった」とかね。
まぁ僕はおとなしかったですけどね。

それと、まぁ中学時代野球をやってた・・・本当は僕はキャプテンで一塁を守ってた。ファーストをね。
でも最初の頃は(デビュー当時は?)「野球部のキャプテンで、ピッチャーで、4番で」とか(書かれて)。そうした方がカッコええもんね。
やれ高校時代にちょこっと空手部にいた、と。そしたら「空手をやってる」と。「段を持ってるんじゃないか」とか・・・何でもそうですね。

それからまぁ、逆に自分が「こうだったんだ」「ああだったんだ」と記憶していることと、(周りにいた)人がその当時のことを思い出して話したりすると、すごい僕が思ってるのと違ってた、ということがあるんですね。
例えば僕は中学時代、いわゆる番長グループの中にいまして、「一目置かれてる」と思ってたら、それが(人によれば)そうでもないのよね。なんか「おとなしくて、勉強してへんようでもできる人やった」・・・なんてまぁ、それは余計な話ですが(笑)。
ハハハ・・・まぁエエやないですか、うん。

話をしている時のBGMが「白い部屋」で、ジュリーが最後に「僕の新曲」と紹介していますから、75年3月くらいの放送ですね。
ジュリー26歳、なんともてらいの無い俯瞰力です。
一般的に20代の男って、ことさら自分を大きく見せようとするものです。ましてや、それこそ「人に見られる」仕事だったとしたらね。
でもジュリーの「脚色されとるなぁ」とか「そうしちゃう時、あるなぁ」という話し方はすごく自然で、ピュアなんですよねぇ。「謙遜」ともちょっと違う、やっぱり俯瞰力の高さなんだと思います。
加えて「何がポイントか」を世間の常識、憶測から成るある意味での「脚色」に囚われずに判断するという、そういう素質があって、今現在も僕らファンが予想もしていないこととか、あっと驚く想定外のやり方を自然に考え実行に移せるわけですよね。

「自分の曲で、自分のプロデュースでアルバムを作りたい」というのもその一例であり原点でもあり、『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』の製作が実現したことも、ただ「人気があって周囲の脚色に乗っかる」だけではないジュリーの本質と言うか気骨と言うか、それがあって刻まれた歴史なんだなぁと改めてこの新規ファンは感心させられているところなのです。
ジュリーのそういう気質が、このアルバムの時点でもう作曲作品にもひそやかに反映されているのかな。


それでは、オマケです!
今日は当然『女学生の友』連載のフォトポエムから。Mママ様が長年保管されていた切抜き資料です。
ポエムのテーマはちょっと今の季節とは違うようですが(たぶん夏の終わり)、「何か特定のテーマがあった方がうまく作れる」とジュリー自身が語り、近年の「祈り歌」で完全に突き抜けた作詞感覚は、72年のこの頃から育まれていたのだと改めて思います。


Photolake1

Photolake3

Photolake2


そう言えばジュリーは2012年のびわ湖公演で、「子供の頃に泳ぎにいったのは琵琶湖」と話してくれました。レスリング選手みたいなつなぎの水着を着て、通りかかりの人に「可愛いねぇ」とか「おとなしいねぇ」と言われたら一層おとなしくして見せていた、とか。
僕は参加できませんが、今年の古希ツアーでは久々のびわ湖公演があります。
参加されるみなさまは楽しみですね!


では次回の”作曲家・ジュリーの旅”シリーズでは、もう1曲70年代の名曲を。

今日の「一人ベッドで」は王道のコード進行でしたが、次はとんでもない変態作曲の名曲ですよ~。
アルバム『チャコール・グレイの肖像』から、これまた大好きなナンバーを予定しています。お楽しみに!

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2017年10月27日 (金)

沢田研二 「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ ~千夜一夜物語~」

from『ROYAL STRAIGHT FLUSH 1980-1996』
original released on 1986、single


Royal80

disc-1
1. TOKIO
2. 恋のバッド・チューニング
3. 酒場でDABADA
4. おまえがパラダイス
5. 渚のラブレター
6. ス・ト・リ・ッ・パ・-
7. 麗人
8. ”おまえにチェック・イン”
9. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
10. 背中まで45分
11. 晴れのちBLUE BOY
12. きめてやる今夜
13. どん底
14. 渡り鳥 はぐれ鳥
15. AMAPOLA
16. 灰とダイヤモンド
17. アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~
disc-2
1. 女神
2. きわどい季節
3. STEPPIN' STONES
4. CHANCE
5. TRUE BLUE
6. Stranger -Only Tonight-
7. Muda
8. ポラロイドGIRL
9. DOWN
10. 世界はUp & Fall
11. SPLEEN ~六月の風にゆれて~
12. 太陽のひとりごと
13. そのキスが欲しい
14. HELLO
15. YOKOHAMA BAY BLUES
16. あんじょうやりや
17. 愛まで待てない

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見事に風邪をこじらせてしまいました。
先週から喉の調子が悪く、日曜に雨風の中衆院選の投票に行って、帰宅してそのままの格好でいたのが悪化の原因だったのかな~。
発熱による悪寒と関節痛・・・個人的には王道の症状で、仕事も2日休んでしまいました。
幸い昨日からずいぶん楽になり、この記事も先週に半分ほどの下書きを終えていたので、なんとか今日の更新にこぎつけました。来週は松戸公演も控えていますし、この週末はおとなしくしていようと思います。

さて、今日はちょっと枕で書いておきたいことが。
前回更新「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」の記事を読んでくださった福岡の先輩が、『そこが知りたい』(82年8月31日放映)の映像を送ってくださいました。
長い先輩方はよくご存知の映像なのかもしれませんが、僕は初めての鑑賞・・・とても面白かったです。
レコーディング・フェチの僕としては、何と言っても「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」歌録りの現場を密着取材してるっていうのがね~。ジュリーの歌をスタッフ皆で聴いて、歌詞やメロディーをどんどん変更していくんですね。おもに三浦さん、西平さん、木崎さんの3人がアイデアを出し合い纏めていく感じだったことも分かりました。


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歌録り最初期の仮タイトルは「氷のユウウツ」!

レコーディング密着以外のシーンも素晴らしくて


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「口をほんの少し開ける感じかな・・・そうそう、きれいだ」と、カメラマンさんも絶賛の妖艶ジュリー

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『A WONDERFUL TIME.』ツアーのステージ風景

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LIVEを観た宇崎竜童さんにMCのオチャメぶりを話題にされ、思わずはにかむジュリー

本当に充実の内容でした。僕は『そこが知りたい』という番組自体はまったく覚えていないのですが・・・調べてみますと結構な長寿番組だったみたいですね。


それでは本題です。
50周年記念の全国ツアー”セットリストを振り返る”シリーズ”第3弾として今日は、以前よりお2人の先輩からお題リクエストも頂いております名曲「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」を採り上げたいと思います。

とにかく今回のセトリでは、この曲から「STEPPIN' STONES」「CHANCE」と繋ぐCO-CoLO期シングル3連発に多くのファンが魅了されていますね。
CO-CoLOの曲は僕自身まだまだ勉強が追いついておらず、みなさまからこの機に教えて頂くことも多いかと思いますが、ひとまずベストを尽くしてこの名曲の考察記事を書いてまいります。僭越ながら伝授!


①ジュリーのアラビアン・ナイト

僕がこの曲を初めて知ったのは、『ジュリー祭り』の少し前、2006年のことでした。
2005年のリマスターCD再発を機に、ポリドール期のオリジナル・アルバムをYOKO君と競い合うようにしてすべて聴き終えた後、何故かそれ以降のアルバムを購入するには至らず(まぁ、特にCO-CoLO期のアルバムについては店頭を探しても見つからない、という事情もありましたが)、YOKO君も巻き込んで「今度は映像作品に手を出してみよう」という流れになりました。
僕は『Zuzusongs』『REALLY LOVE YA !!』の2枚を購入することになるのですが、その前に、既にYOKO君が購入済だった『快傑ジュリーの冒険』『ジュリーマニア』の2枚を借り、そこで『快傑ジュリーの冒険』収録の「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」と出逢ったのでした。

恥ずべきことですが、僕はそれまで(ポリドールのアルバムを全部聴いていても)ジュリーの自作詞を軽視していました。
ジュリーの詞を面白いな、とは感じても「これは凄い!」とは思えていなかった僕に、「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」はまず歌詞フレーズのインパクトをド~ン!と突きつけて来て、調べてみるとこれがジュリーの作詞・作曲なのだと。衝撃でしたね。
ですから僕にとってこの曲は、初めて「作詞家・沢田研二」を意識させられた1曲です。

千夜一夜物語・・・僕は世代のせいなのでしょうか、「魔法のランプ」とか「ペルシャの絨毯」という言葉から『アラビアン・ナイト』よりも先に『ハクション大魔王』を連想してしまうような奴ではありますが、さすがに「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」が『アラビアン・ナイト』をモチーフとした作詞作品であることはすぐに分かりました。
『アラビアン・ナイト』にさほど詳しくないぶん、この曲でジュリーが語りかけるように繰り出す耳慣れぬフレーズの響きに惹かれ、Bメロからサビに向かうシュールな描写の連続技に痺れました。「沢田研二ってこんなに凄い詞を書ける人だったのか!」という・・・ヒヨッコならではの感想ですな~。
この感想、衝撃は『ジュリー祭り』直に購入した『サーモスタットな夏』の「PEARL HARBOR LOVE STORY」を聴いた瞬間に「絶対」の確信へと変わりますが、2006年の時点では「きっとこの時、冴えまくっていたんだなぁ」程度の恥ずかしい認識しか持てていなかったことを、ここで懺悔しておかなければなりません。

「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」の制作については、絶好の参考資料として、『不協和音 Vol.2』に掲載されたジュリー自身の言葉があります。


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なるほど・・・最初に出来た究極にスケベな詞を、制作段階で適度にシメていった、と(笑)。
まぁ、『アラビアン・ナイト』自体がある意味「夜ごと男をじらし続ける物語」とも言えますから、それをモチーフとした「歌」も色っぽくなるのは必然ですか。

元々ジュリーは20代の頃に「何か明快なテーマがあった方が良いものができる」といった感じで、自らの作詞作業を分析しています。
それは現在『祈り歌』の確固たる証明が成されていますが、なるほど『アラビアン・ナイト』のテーマを得た「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」の作詞においても、ジュリーの才が存分に発揮されているようです。

野性を呼び起こせ 満ちた月の日に
F                                         Gm

野性を呼び醒ませ 満ちた蒼い夜 ♪
F                                         Gm

「大人の詞」ですよねぇ。千夜一夜めぐり来る本能(性衝動)の解放」みたいなニュアンスもあって。
「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」のリリース時、僕は19才ですが、リアルタイムで聴いてこの詞に感動できたかどうかは、僕自身の資質不足を考えると甚だ怪しい・・・。
『快傑ジュリーの冒険』初鑑賞が40才。さすがに「野性」や「蒼い夜」を理解し得る年齢です。後追いとは言え、僕がこの曲と出逢うタイミングとしてはそれでちょうど良かったのかな、と今は思っています。

ただ、単に詞が色っぽい、カッコイイというだけでは名曲たりえません。
次項では、ジュリーとCO-CoLOがその詞を素材にどう仕上げていったのか、を紐解いてみましょう。

②楽曲全体の考察

言うまでもなく「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」はCO-CoLO期の第1弾シングル。
「自分達のオリジナル曲を、バンドのヴォーカリストとして歌う」ことはジュリーのかねてからの切望でもあり理想でもあり・・・タイガース時代から幾度か近づいたその理念をいよいよ本格化させようという、新たな出発点として意義深いシングル曲だったのですね。

自作詞・作曲のシングルは前作「灰とダイヤモンド」に続いて2曲目。それを自らのバンドで、ということになるとこの曲が初ですか。
それを実現させた新たなバンド、CO-COLO最大の特性はやはりツイン・ドラムの編成でしょう。ただしCO-CoLOのツイン・ドラムは世の同編成のバンドとは一線を画し、双方が技量や見せ場を競い合うと言うよりは緻密な音作り、アレンジ志向に特化した非常に珍しいスタイルと言えます。
ドラムス、パーカッションのパートで楽曲中多くの音種を司るCO-CoLOのサウンド。しかしそれら多彩な音は打点を要所要所のみに配します。やみくもに厚みだけを持たせるアンサンブルを良しとしないのです。

例えば「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」で言うと、ドラムスの基本中の基本音であるスネアの演奏にそれがよく表れています。
4拍子の曲をロックバンドが演奏する場合、通常はスネアが1小節の中で「2」「4」の拍を2つ打ちます。これが基本形。その上で、曲の展開に応じてスネアの手数を増やすことで全体の打音を盛り上げるわけです。
ところが「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」(当然4拍子の曲です)では、その基本形がなかなか登場しません。Aメロでは2小節にまたがってただ1度の打点(2小節ぶんを続けて数えて8拍目)、Bメロでは1小節にひとつの打点でこれは4拍目。焦らしに焦らします。
このため、通常なら基本形である筈の2、4拍の打音が楽曲最大のクレシェンドとなるのです。
ではそのクレシェンドはどの箇所か・・・もうお気づきでしょう。現在絶賛進行中の全国ツアーでも魅せてくれている、ジュリーが妖艶に手刀を振り下ろす仕草、あれこそ「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」でのスネアのクレシェンドにピタリと合わせた動きなのですね。
オリジナル音源でフェイド・アウトへと繋ぐエンディング部は別として、この曲に2、4拍の打点が登場するのは、ステージでジュリーが腕を下ろすあの小節だけ。
ツイン・ドラムにしてこの繊細さ、緻密さ。手刀の表現は、単にジュリーがサビの歌メロ部の間隙に「振り付け」を行っているのではなく、特異なドラムスのアレンジに呼応しているのだ、と分かります。
エキゾティックな低い打音のリズムが淡々と続く中に、満を持して降臨するシンプルかつ斬新なクレシェンド。こうしたアレンジ手法はジュリーの他時期のどのバンドにも無い、CO-CoLO独特のものだと思います。

それにしても不思議なのは、この曲と次シングル「女神」での、ベースの音量を極端に絞ったミックス。
実はエキゾ時代の「晴れのちBLUE BOY」もそうなんですが、やっぱり「ジュリーのヴォーカルと打楽器に偏って寄せる」というコンセプトのミックスなのかなぁ。
アルバム『CO-CoLO1』収録曲についてはそれは無いので、これは当時の「シングル」戦略だったのかもしれません。

「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」ではジュリーの作曲が既に素晴らしかった、刺激的だった、ということも大きくアレンジに影響したでしょうね。


Arif

参考スコアは当然『不協和音Vol.2』掲載の五線メロディー譜。この号、A面の「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」のみならずB面「愛の嵐」のスコアまで載っているという・・・なんと贅沢な会報誌でしょうか!

キーはト短調。ジュリー作曲の時点ではイ短調だったと思います(Amのローコードから展開させるジュリー独特の手クセがコード進行に見受けられるので)。それをレコーディング段階で1音下げたんじゃないかな。

アルバム『架空のオペラ』製作時、大野さんに作曲を依頼したことについて、「声の相性があるから」と語っているように、当時ジュリーは「自分に合うのはどんなメロディーなのか」を突き詰めて考えていたようです。
「灰とダイヤモンド」も「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」も、調号の変化が無い抒情味ある短調のメロディーを自ら作り、シングル曲としたジュリー。『不協和音』では「降りてきた」と語るジュリーですが、おそらく大野さんがこれまで作った数々メロディーが既にジュリーの血肉となっていて、そこに自分なりのドラマや展開を加えてゆく・・・「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」はそんな作曲手法だったと僕は推測しています。
エキゾ期までは自由なコード進行と奔放な小節割りの「変化球」を得意としていたジュリーが、85年の独立から作曲についても姿勢を変えたんですね。
「本格」への目覚めでしょう。
CO-CoLO独特のリズム解釈もあいまって、「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」はそれまでのジュリーには無いタイプのシングルであり自作曲に仕上がっています。

夜は行く 朝は来る
Gm

アア 月は頬染める 陽は笑う
        Cm7

二人は何処かに迷いこむ ♪
B♭    Cm         A7      D7

詞とメロディーの絡みが、ま~凄まじくエロいですよね。ジュリーが「スケベェ」と面白おかしく話すのも、自作曲への満足、自信の表れではないでしょうか。
詞曲一体、志の高さを感じる名曲です。


③『NISSAN ミッドナイト・ステーション』より ジュリーA面ベストテン(前半部)

さてこのチャプターでは、お題とは時期もまったく異なりますが・・・強引に「シングルA面曲」繋がりとして、82年11月30日放送の『NISSAN ミッドナイト・ステーション』ラジオ音源のコーナーとさせて頂きます。

最新シングルが「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」という時期のジュリーが、ファン投票でランクインしたシングル曲について色々と語ってくれている貴重な放送回。先輩方にとっては「懐かしの」お話であり、新規ファンの僕としては本当に勉強になるラジオ音源です。
ジュリー曰く「これを聞かずして夜は眠れないというスペシャル・プログラム、『あなたが選んだジュリーA面ベストテン』」ということで、今日はその前半部(ベストテンの第5位まで)をお届けしたいと思います。


日本史上最もしぶとくシングル・ヒットを出し続ける沢田研二のベストテンはいかに?「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は何位でありましょうか?6番目(6位)とは限りませんよ。
また、チェックイン、ス・ト・リ・ッ・パ・-、コバルト、勝手に、時過ぎ・・・などなどのランクはいかに?
ま~ヒット曲が多いだけにホント大変。何はなくとも、この番組を聞かずしてジュリーは語れない、ということでございますね!


ジュリーが「勝手」とか「時過ぎ」とか”省略形”で曲のタイトルを連呼しただけで「おおっ貴重!」と萌えるのは、僕が新規ファンだからでしょうか。
まずは、10位から8位が発表されます。


10位「憎みきれないろくでなし」(66通)
9位「追憶」(84通)
8位「渚のラブレター」(92通)

「追憶」ってのは1974年ですからね~。声がまだ「やや可愛い」というかね、歌い方もちょっとね「ちっこい」歌い方をしておりましたが。しかしまた「渚のラブレター」くらいになると、去年ですから、声がずいぶん太くなってきているなぁと。
ジャケットを見てみると、「追憶」の時にね、帽子をかぶっている、ちょっとセピア風な感じで撮った写真があるんですが、まぁこの頃からですね。帽子をかぶり始めたのは、うん。「勝手にしやがれ」で、まぁトレードマークみたいになりましたけどね。


続いて、7位から5位までを発表。


7位「LOVE(抱きしめたい)」(116通)
6位「”おまえにチェック・イン”」(118通)
5位「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」(156通)

ここまで聞いて頂いた6曲が全部ベストテンの中に入っているんだから、ほんとにねぇ。(シングル)37枚中30枚でしょ?ですからねぇ・・・たいしたもんだ、我ながら本当にもう。
つくづく感心いたしますよ(笑)。あんたはエライ!


このジュリーが言うところの「ベストテン」が何のベストテンなのかが分からないんですよ。「追憶」があるから『ザ・ベストテン』ではないですし。オリコンかな?
で、ここで「惜しくもベストテンから漏れた」20位~11位までの曲達が発表されます。


20位「白い部屋」(31通)
19位「ヤマトより愛をこめて」(37通)
18位「カサブランカ・ダンディ」(40通)
17位「TOKIO」(43通)
16位「ダーリング」(46通)
15位「さよならをいう気もない」(49通)
14位「あなたへの愛」(52通)
13位「麗人」(57通)
12位「危険なふたり」(58通)
11位「サムライ」(64通)


先輩方なら、「まぁあの当時なら順位はこんな感じになるかな」と思えるのかもしれませんが、いやぁ僕は「意外!」と驚かされました。
「危険なふたり」「ヤマトより愛をこめて」「TOKIO」の3曲が10位以内に入っていないというのがね~。
また、逆に「さよならをいう気もない」の15位って大健闘じゃん、とか。この曲の得票についてはジュリーも思うところがあったらしくて


15位に「さよならをいう気もない」が入っておりますけど、これはまぁ、「勝手にしやがれ」を出す前の曲なんですね。
謹慎明けの2曲目でございましてね(笑)、このあたりから私、何と申しますか、こう・・・度胸がつきましたね。この時に、タンクトップみたいな女性の下着みたいな、っていうのを着てイヤリングなんかもつけて、テレビにもそういう格好で出るようになったという曲でございますね。そういう布石があって、だんだん「派手派手な沢田研二」が出来上がっていったという。
で、(今日オンエアした中で?)「さよならをいう気もない」だけですよ、ベストテンに入ってないのは(笑)。アンタはエライ!買うてくれたアンタもエライ!


というわけで、『ジュリーA面ベストテン』のラジオ音源、今日はとりあえずここまで。次回更新の後半でいよいよ4位→1位の発表です。
ジュリーは「あの曲」が4位にランクインしたことに感激の様子(これはバレバレかな?)。
加えて、20位以内にも入っていない曲をジュリーが「これが抜けとるやろ!」と言わんばかりに特別に紹介してくれたりします(こちらは一体どの曲なのか・・・。この放送をご存知ないみなさまは予想してみて!)。
どうぞお楽しみに~。

もし今、『ジュリーA面ベストテン』のファン投票企画が実現したらどんな感じになるのでしょうか。
当然83年以降のシングル曲が増えていますから票も分かれ、この時とはまったく違うランキングとなりましょう。その中にあって、やはり現在進行中のツアーでセットリストに採り上げられている曲達は(今投票ということなら)相当に有利かと思います。
今日のお題「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」をはじめ、「STEPPIN' STONES」「CHANCE」あたりは好位置につけてくるんじゃないかなぁ。


それでは、オマケです!
今日は、記事本文にも参考資料としていくつか添付しました『不協和音 Vol.2』から数ページぶんをどうぞ~。

Fukyou206

Fukyou207

Fukyou221

Fukyou222


次回お題は「STEPPIN' STONES」です。
こちらもジュリーの自作詞・作曲のシングル。詞の内容が正に今年の50周年に歌われるにふさわしいもので、またもやジュリーの詞の考察に文量を割くことになりそうですね。更新までしばしお待ちを~。

そうそう、今回の”セットリストを振り返る”シリーズで採り上げる5曲は松戸公演までにすべて書き終えるつもりでしたが、先週からの風邪のため予定通りの更新ができず、最後の1曲「愛まで待てない」は松戸レポの後の執筆となります。
引き続き頑張ります!

この週末は全国的に雨の予報です。
台風も接近していて、ジュリーの島根、広島公演が心配。どうかみなさま無事に参加できますように。

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2017年7月12日 (水)

PYG 「自由に歩いて愛して」

released on 1971、single

Nowthetimeforlove

side-A 自由に歩いて愛して
side-B 淋しさをわかりかけた時

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大雨の深刻な被害に襲われた九州。日に日に拡大してゆく被災のニュースに心が痛みます。
そして昨日、今度は僕の実家がある故郷・鹿児島で大きな地震が起きました。ジュリーファンの先輩方からもご心配頂きましたが、地震発生後すぐに父親の無事を確認できたことは幸いでした。

何処で起ころうと、地震のニュースは本当に怖い。
今回鹿児島市内で観測されたのは震度5強。僕が東日本大震災の日に職場で体験した大きな揺れは震度5弱でしたから「あれ以上だったのか」と驚きました。
鹿児島というのは活火山・桜島の噴火こそ日常茶飯事ですが、大きな地震は珍しい土地なのです。

こんな時どうしても考えてしまうのは、鹿児島では川内原発の2基が稼働中である、ということ。
もし津波があったら、もし想定外の自然災害が起こったら、もしそれが引金となり過酷な「人災としての原発事故」の悪夢が故郷・鹿児島の地で繰り返されていたら・・・僕は素晴らしい席を授かっているジュリーのデビュー50周年ツアー初日・NHKホール公演への参加を断念しなければならなかったでしょう。

災害や事故というのは決して他人事などではないのだ、と改めて考えこみます。
今回の鹿児島の地震では現時点で大きな被害の情報はありませんが、たとえ被害がほとんど無かったとしても、川内原発のことも含めてそれは望外の奇跡だったのだ、と考えるべきです。
現在の鹿児島県知事、三反園さんは、「川内原発を止める」と選挙を戦い勝利した人。当選後に一転、「消極的再稼働容認」へと変節しています。
今、どのようにお考えなのでしょうか。
ひとまずは気をとり直していつものように記事を更新しますが、なんともやりきれない思いです・・・。


いや、沈みがちな枕で失礼しました。
『沢田研二50周年記念LIVE 2017-2018』の開幕までいよいよあと数日、というところまで来ました。個人的にもなかなか慌ただしい猛暑の日々なのですが、大きな楽しみを目前に控え、僕は身体の方は絶好調。
初日NHKホールにご参加予定の方、その後の各地方が私の初日、という方それぞれに気持ちも盛り上がっている頃でしょう。体調おもわしくない方、大変な困難の中にある方も、皆ジュリーのデビュー50周年をお祝いに万難排して駆けつけようという歴史的ツアーです。遂に始まるのですね。
みなさまの無事のご参加を改めてお祈りいたします。

今日は”全力で外しにいったのに当たっちゃった!パターンを期待したいセットリスト予想シリーズ”第3弾にして締めくくりのお題。ツアー開幕を待つ先輩方の多くが「是非」と期待を寄せていらっしゃる名曲です。
僕自身は「セトリ入りはかなり可能性低いのでは」と考えている曲ですが、いつもお世話になっている先輩から記事のリクエストを頂き下書きを始めてみますと「いや、もしかしたら」と思わないでもありません。
後追いファンのヒヨッコはそのあたりもブレブレで、何と言っても先輩方の思い入れであったり実体験を想像するだに荷が重い、とは思うんですけど、この機に頑張って書いておこうと思います。

困難や悲しみに直面した時には、本当に勇気づけられ奮い立てる名曲だと思います。
PYG「自由に歩いて愛して」、僭越ながら伝授!



Img001



①それでも「ロックである」としか言いようがない!

「ロックである、とかロックではない、とか言ってるアンタが一番ロックじゃないんだよ」
これは椎名林檎さんのパラドックス的な名言です。
ジュリー本格堕ち以前、いやほんの数年前までの自分なら「なんじゃそりゃ?」と気にも留めなかったであろう言葉。でも今は、僕のような者が肝に銘じ常に自戒せねばならない真理なのだろうと思っています。

『ジュリー祭り』以降ずっとジュリーを観続け、同時に過去の作品やパフォーマンスも勉強してゆく中で、「ロック」の枠に囚われていると見えてこないジュリーの魅力って本当にたくさんあるのだなぁと学びました。
もちろんジュリーはロックです。今現在、世界中の誰よりもジュリーはロックだと僕は思っていますし、それはジュリーという歌手の過去50年間の積み重ねがあってのことでもあり・・・大人になって、身の丈程度には金銭的な余裕もできたからこそ自分の中で厳選するロックというものが出てきて、そこで僕は確かにジュリーを選んでいるわけですが、「ロック」を掲げ固執することがジュリーへの理解を狭めていると感じること、これまで何度も体験しています。
これ、ガチガチのロックファンが遅れて「ジュリー堕ち」した際の宿命的な感覚なんですかね~。

例えば、僕がPYGの『ゴールデン☆ベスト』で「自由に歩いて愛して」のLIVEヴァージョンを初めて聴いた時。ジュリーのMC、曲紹介が終わってあの素晴らしい堯之さんのイントロのギターが始まるまでの数秒間に、「キャ~!」という女の子の悲鳴が聴こえて一瞬戸惑った、ということが確かにありました。
これが「ロック」の定義に囚われていたがための違和感、その最たる例。リアルタイムで「本物」を見抜き「自由に歩いて愛して」を世間の逆風ものともせず支持していたのはその女の子達であって、正しいのは彼女達であり、僕の「ロック」が間違っていたのだと後々に気がつくことになります。
僕は感性が鈍い方だし、自分でがんじがらめになった「ロック」を標榜するのはやめようと今では充分気をつけているつもりですが、まだまだ未熟です。

それを自覚した上で改めて、そして敢えて書くと、PYGの「自由に歩いて愛して」はそれでも
ロックである、としか言いようがない!
のです。
僕の未熟や(当時の)世間の狭量を根こそぎ吹き飛ばすほどに「ロック」なナンバー。
それを理屈ではなく感性で汲み取っていた女性ファンの先輩方、そして僕より10年早く生まれ、変人扱いされながらも(と想像いたします)タイガースやPYGをロックバンドとして真っ当に評価されていた男性ファンの先輩方には、心底頭が下がります。
ですから僕は安井かずみさんの詞についても、何やら自分のひとりよがりな固執(心の扉)をこじ開けられるような感覚で聴いてしまいます。

誰か  が今   ドアを叩い た ♪
Fmaj7   G  Am    Fmaj7  Em  Am

文字にすればたったこれだけのフレーズ。
安井さんのこの曲の詞は全編に渡ってそうですが、難しいことは何ひとつ言っていない、書いていない・・・なのに驚くほど深くて、思索的。聴く者はメロディーを追いながら安井さんの明快な言葉に心を強く叩かれ、揺さぶられ、目覚めさせられます。
冒頭から配され圧倒的なまでに根を下ろすキメのメロディーに、よくぞこの詞が載ったものです。

「自由に歩いて愛して」は、言う間でもなくショーケン→ジュリーのツイン・ヴォーカルが最高に嵌った、という意味でも世紀の大名曲。
Aメロがショーケンでサビがジュリーですが、単に「割り振った」だけの安易なリレーではありません。双方の適性、個性を踏まえ、堯之さんの作曲やバンドのアレンジに必然性があります。
まずはリズム。
Aメロは1971年にして驚異の16ビートです。ショーケンの個性でもある引き摺るような粘りの発声

この 心の とびらを 開けろと
Am G  Am G     Am G      Am  G   

今  やさしい 季節が 来たんだ ♪
Am G     Am  G    Am G       Am  G

「こ~の♪」「(ここ)ろ~の♪」「(とび)ら~を♪」と、2小節目からのシンコペーションのメロディーで「引き摺る」「貼り付く」独特の発声が生かされます。
メロディーとしては60年代末から70年代初頭のカウンター・カルチャー系の手法ですけど、日本語でまったく無理なくそれをやっている、というのが凄いです。

一方サビでは一転エイトビートのニュアンスが強くなり、メロディーは(コーラス・パートも含めて)究極にポップ。正に「心の扉」が開かれる瞬間の開放感。
ここぞ!のジュリーですね。

空はみんなの 愛はあなたの
C           F      C           F

ものになる時 今こそ ♪
C            F          E7

でも、ジュリーwithザ・ワイルドワンズの「プロフィール」もそうですが、曲の最初から通してジュリーのソロ・ヴォーカルだったとしたら、ここまでの開放感は出ないように思うんですよ。
面白いのは、これがタイガースになるとジュリー→トッポの方がサビの開放感が強いという・・・リレー形式ツイン・ヴォーカルの相性、役割って不思議ですよね。

個人的には、シングル大名曲とは言え「自由に歩いて愛して」にせよ「十年ロマンス」にせよ、今年ジュリーが「デビュー50周年」として特別にショーケンやトッポのパートを自ら通してフルで歌う、というイメージは沸きにくいです。2曲とも過去にジュリーは1人で歌ったことはありますけど、ツイン・ヴォーカルの相棒のヴォーカリストに対して、またオリジナル楽曲に対してのリスペクトは、年齢を重ねたが故にジュリーの中で深まっているような気がするからです。
また、僕はジュリーのヴォーカルが当然大好きではありますが、「自由に歩いて愛して」はショーケンがAメロを歌ってこそ完成する、とも思います。
しかしこれも所詮は僕の現時点での個人的な想像に過ぎませんからね。
見事ジュリーに僕の予想・想像を裏切られる状況も楽しみにしていますが・・・さて、先輩方が切実に願うサプライズのセットリスト入りは成るでしょうか。

もし実現したら僕は、2014年のツアー・ファイナル・東京国際フォーラム公演の直後、この曲に勇気づけられていたことを思い出すだろうな、と夢想しています。


Nowthetimeforlove2


②堯之さん×大野さん、最強のシングル盤!

ここではPYGの演奏、アレンジ面について掘り下げたいと思いますが、「もし今年のツアーでセトリ入りしたら」というところからその重要性を考えてみましょう。

お正月LIVEのMCで全国ツアーの予定を話してくれた際にジュリーは「(デビュー50周年にちなんで)50という数字には拘りたい」と宣言してくれました。
ジュリーが「考えに考えて」至った結論は、「ワンコーラスのアレンジにすることで、セットリスト50曲を実現する」とのアイデア。その時には「フルコーラスで50曲を歌って欲しい」と安易に考え「え~~っ!」などと声に出してしまった僕らでしたが、よく考えればジュリーの方法はとても豪華かつ現実的で、「これしかない!」ものだと分かりますよね。
今は皆が「それぞれの曲がどんなアレンジになるのか」をツアーの楽しみのひとつとしているはず。

「ワンコーラス」とは言っても基本「1番+サビもう一丁!」のアレンジ・スタイルが多数を占めるでしょう。
そんな中、「間奏のバンドのソロ・パート」をフルで再現する曲がいくつかあるのではないでしょうか。「この曲はこの楽器のソロが無ければ」と考えられる曲・・・僕はもし「自由に歩いて愛して」がセットリスト入りするならば、そのうちの1曲になると予想します。

PYGの全音源の中で僕が白眉と考える間奏テイクは2つあって、「自由に歩いて愛して」での大野さんのオルガン・ソロと、「淋しさをわかりかけた時」での堯之さんのギター・ソロです。
奇跡的なシングル両面。しかも大野さんのオルガンが乱舞する「自由に歩いて愛して」が堯之さん作曲、堯之さんのストイックなギターが炸裂する「淋しさをわかりかけた時」が大野さんの作曲、と演奏の主役と作曲クレジットが入れ替わっているのが素晴らしい。
PYGがいかにバンドとして秀でていたかを証明するようなこのシングルは、堯之さんと大野さんのキャリア中最強の1枚と言えるのではないでしょうか。

「自由に歩いて愛して」にはこのオルガン・ソロは欠かせない・・・今回のツアーで特別なショート・ヴァージョンのアレンジが施されたとしても、泰輝さんはきっとこのソロを再現してくれると僕は思っています。
具体的には、1番を歌ってオルガン・ソロの間奏、その後に「Now the time for love♪」のコーダ・リフレインで締めくくる構成ではないか、と。

この曲に「欠かせない」と言えば当然堯之さん考案、渾身のギター・リフもそうですね。
イントロはじめ何度も登場するフレーズ、コピーする立場からするとこれがメチャクチャ難しい!
譜面見ただけで「うへぇ・・・」と唸ってしまいます。


Nowthetimeforlovescore1

↑ 『沢田研二/イン・コンサート』より

何が難しいって、「1、2、3、4」の4拍子に構成音それぞれをキッチリ組み込むことからして至難の業です。
「Am」ローコード・アルペジオのヴァリエーションではあるんだけど、綿密な16分音符にひとつの無駄な音(いわゆる「指の運動」的な安易な音の挿入)が無い上に、通常のアルペジオとは運指も音階移動も全然違うし、3拍目を「裏の裏」のシンコペーションで入らなければなりません。リズムが乱れやすいんです。
LIVEヴァージョンでの堯之さんの安定感はハンパないです。自らがストイックに考案したオリジナル・フレーズだからこそ、の名演でしょう。

今回のツアーでセットリスト入りしたら、もちろん柴山さんなら問題なく再現はできますが、さすがにニコニコしてはいられないはずですよ。
「眉間に皺寄せる」柴山さん渾身の表情に注目です!

このように、PYGの演奏、特に「自由に歩いて愛して」のそれは非常にレベルが高く、しかもオリジナリティーに満ちています。
「自由に歩いて愛して」がリリースされた時、世のロック・リスナー達は「遂に日本でこういう曲が出るようになったか!」とリアルタイムで思わなければならなかったわけで、今でこそPYGのニュー・ロックは高い評価を得ていますけど、当時は頭の固い連中も少なからずいたみたいですね。下手すると僕も10年早く生まれていたらそんな連中に追従していたかもしれません。
断言しますが、それは単なる「やっかみ」ですから。

ちなみに、繰り返しておきますとPYGの音の素晴らしさはまず堯之さんのギターと大野さんの鍵盤。
ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)の有名な発言もあって、世間ではサリーのベースの評価が際立っていますが、PYGでのサリーはどちらかと言うと自分の役割を黙々とこなしている感じです。考案力、構成力はやっぱり堯之さんと大野さんですよ。
この点は、しっかりここで書いておきたいです。

③ソロ曲以外のセトリ入り・大予想!

今日はPYGがお題ということで、このチャプターでは「ジュリーが選ぶシングル50曲」の中にソロ以外(ザ・タイガース、PYG、TEA FOR THREE、ジュリーwithザ・ワイルドワンズ)でどんな曲がセットリスト入りするかを、あくまで個人的な予想として書いておきましょう。

まずは、ソロ曲との曲目数がどのくらいの比率になるか・・・これは35:15から40;10くらいでしょうかね~。そのほとんがタイガース・ナンバーではないでしょうか。
でも、タイガースで「鉄板」だと僕が思うのは「君だけに愛を」と「青い鳥」くらいなんですよ。「僕のマリー」や「シーサイド・バウンド」「銀河のロマンス」「ラヴ・ラヴ・ラヴ」といった、普通に考えれば鉄板曲の中から何か1曲「あれっ、そう言えばやらなかったね」という曲が出てくるかもしれない、と考えています。
ジュリー独特の感覚で選曲されるんじゃないか、と。
ただタイガースの曲をかなり多く歌うだろうとは思っていて、希望的観測ながら、まだ一度も生で聴いたことがない「素晴しい旅行」に期待しています。

で、タイガースはタイガースでもまったく分からないのが同窓会期。「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」いずれも、ジュリーが今回トッポのパートを自分で歌う、というイメージが僕には沸きません。
ジュリー・ヴォーカルで通すイメージが沸くシングルということなら「銀河旅行」ですが、まさかねぇ。
よって、「同窓会期のタイガース・ナンバーは今回は無し」と予想しておきます。もちろん、予想が外れることを楽しみにしつつ、ですよ(笑)。

次にPYG。
これは「花・太陽・雨」で堅いと思っています。でもそれはPYGを1曲のみと考えた場合で、もし2曲歌うなら今日のお題「自由に歩いて愛して」以外考えられませんね。先輩方の思いが届くことに期待しましょう。

続いてTEA FOR THREE。
普通ならエアポケットに入ってしまいそうなところなんですが、何処の会場でしたか、ジュリーがお正月のMCでTEA FOR THREEの話をしてくれたそうですね。
昨年のタローの古希LIVEで、本割の間客席からステージを観ていたジュリーは、TEA FOR THREEの曲をタローさんが歌うのを久々に聴いて「エエ曲やな」と改めて思った、と。
そんな話が全国ツアー内容告知MCの最中に語られたわけですから、「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」の今回のセトリ入りは相当に有力。
この数ヶ月の間にジュリーの気が変わっていなければ、新規ファンの僕も遂にTEA FOR THREEナンバー初の生体感となります。これまた楽しみです!

最後にジュリワン。採り上げられるならば「渚でシャララ」しかあり得ないけど、ちょっと厳しいかなぁ。
でももし実現したら、会場の皆でダンスを踊るというあの2010年以来の楽しい時間が再現されます。
加瀬さんを送るツアーとなった2015年、セトリのネタバレ我慢に悶々としながらYOKO君が「渚でシャララ」のダンスを夜な夜な練習していた、という笑い話があるんですけど、「ジュリワンツアーで、客の中で1人スカしてダンスに参加しなかったことだけが、俺の中で加瀬さんに対する唯一にして最大の心残り」と言うYOKO君に、今年思わぬリベンジの機会が訪れるのか・・・可能性は低いと見ますが大きな楽しみのひとつとしたいです。

さぁ、みなさまの予想はいかがでしょうか。
日曜日には答が出るのです。本当に楽しみですね。


それでは、オマケです!
今日はいずれもMママ様からお預かりしている切り抜き資料で、時期的にはPYGのデビュー前。
タイガースの解散も含め、この特殊な僅かな期間の空気は、僕のような新規ファンにとって想像することすらなかなか難しいんですよね・・・。


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ということで、NHKホール初日前にあと1本、恒例のside-Bご利用のお願い記事を書くことは書きますが、これで僕もあとはひたすらツアー開幕を待つばかり。
「どん底」「CHANCE」「自由に歩いて愛して」と予想してきまして、さぁこの3曲のセットリスト入りは果たして実現するのでしょうか。
もう少し時間があればあと「muda」と「DOWN」も書いておきたかったのですが、もし歌われたら”セットリストを振り返る”シリーズで採り上げることにしましょう。
まぁそれ以外の記事未執筆のシングル曲で、今年のセトリを振り返るシリーズについては少なくとも「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」「愛まで待てない」の2曲を必ず書くことになるだろう、と思っていますけどね。

とにかく、毎日この暑さです。
僕は今年も『奇跡元年』タオルに保冷財をくるんで首に巻きつつ仕事をしていますよ。あと数日油断せず、しっかりと体調管理をしなければ。
みなさまも熱中症などには充分お気をつけください。

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2017年3月10日 (金)

沢田研二 「EDEN」

from『TRUE BLUE』、1988

Trueblue

1. TRUE BLUE
2. 強くなって
3. 笑ってやるハッ! ハッ!!
4. 旅芸人
5. EDEN
6. WALL IN NIGHT
7. 風の中
8. 痛み

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まだインフォが来ません・・・。
我が家はだいたい澤會さんの封筒は首都圏のみなさまより1日遅れで届くパターンが多いのですが、2日以上遅れた、というのはちょっと記憶にありません。
今年の全国ツアー・・・ジュリー50周年のメモリアル・イヤーをたくさんの人に観て欲しくて、友人、知人にスケジュールを知らせ申込日を決めて貰わなければならないんだけど、大丈夫かなぁ。
まぁ、おとなしく待つしかありませんが・・・。


ということで、新譜リリース直前の「プチ・みなさまからのリクエスト伝授!週間」、ひとまず締めくくりの今日のお題は「EDEN」です。
最初にお断りしておかなければならないのは、これから僕が書くのはあくまで『TRUE BLUE』に収録されたアルバム・ヴァージョンの「EDEN」(ニュー・リミックス)についての考察記事だということです。

本来なら2つ存在するヴァージョンの比較考察などしたいところですが、僕は未だシングル(B面)のヴァージョンを聴いたことがないんですよ・・・。
前回に続いてkeinatumeg様のすばらしい御記事を参照させて頂くと(
こちら)、どうやら「EDEN」はシングルとアルバムとでは単なる「ミックス違い」とは言い切れないようで、keinatumeg様は「演奏も別物」との可能性に言及していらっしゃいます。今後機会あれば(と言うかユニバーサルさん、CO-CoLO期まで含んだ『B面コレクション』の企画を是非お願いしますよ~)じっくり聴き比べたいと思っていますが、とりあえず今日はアルバム・ヴァージョンに絞って書いてみたいと思います。

リクエストをくださったのは、今では僕にとって「ジュリー道の師匠」とも言える存在のJ先輩。
と言ってもリクエストのお話があったのはもうずいぶん以前のことで、「アルバム『TRUE BLUE』から石間さんの曲を」ということでした。
長らくお待たせしてしまった最大の理由は、僕自身の『TRUE BLUE』という作品への評価が遅れまくっていたことです。それが今では「CO-CoLO期のアルバムの中では一番好き!」なまでになっているのですから、ジュリー道は本当に奥深い。
『TRUE BLUE』は「新曲を聴く直前に気息を整える」には最も適したアルバムのようにも思えます。
頑張って書きたいと思います。僭越ながら伝授!


最初にアルバムについての話を少しだけ。
僕が『TRUE BLUE』を「大好きな名盤」と思うようになるまでには2つの段階がありました。
まず第1は、一昨年のEMI期全オリジナル・アルバムのリマスター復刻。それまで僕はCO-CoLO期のアルバムを正式な形で購入しておらず、音源のみを所有している状態で、特に『TRUE BLUE』については歌詞カードのコピーも手元に無く、そのため明らかに聴き込みが不足していました。
そうした経緯の反動なのでしょうか、改めて購入し揃えた『架空のオペラ』含むCO-CoLO期の4枚の中では『TRUE BLUE』のリピート率が圧倒的に高くなり、「こんなに素敵なアルバムだったか!」と遅まきながら再認識、「WALL IN NIGHT」の考察記事を書いたのです。

第2段階は、個人的なことですが昨年10月に人生初の外科手術で内痔核の切除を行い、聞きしに勝る術後の痛みの中で「不思議な鎮痛効果があり癒される」ジュリー・アルバムとして『MIS CAST』と共に繰り返し聴いていたのが『TRUE BLUE』。
その中でも特に心を穏やかに落ち着かせてくれた名曲が「EDEN」でした。

「EDEN」の鎮痛効果には、3つの成分があります。
ひとつは、困難の中にあっても己をしっかりと持ち、「陽気な無頼」でエールを送ってくれるような大津あきらさんの歌詞。
さらには、全ジュリー・ナンバーの中で最もネイチャーで本格的なレゲエのリズムを採り入れた石間さんのメロディーとCO-CoLOの演奏。
そして、ジュリーの素晴らしいヴォーカル。
この3つです。

まず、『TRUE BLUE』というアルバムは、どの曲も歌詞が良いんですよね。しかもこの時期限定的な独特の味わいがあるように思います。
90年代後半から2000年代にかけては、覚和歌子さんやGRACE姉さんの詞がジュリーの生き方とリンクし、まるでジュリー自身の作詞作品のように聴こえる、ナンバーが多く見られますが、この『TRUE BLUE』では先んじて男性の詞でそれが起こっていたようです。
「WALL IN NIGHT」の記事にも書いた通り、僕がリマスターCDを購入し改めてこのアルバムのクレジットを見て驚いたのは、ジュリーの作詞作品が「風の中」唯1曲であったこと。音源だけ所有していた時点では、なんとなく収録曲の半分以上はジュリーの作詞のように聴こえていましたから。

「EDEN」の主人公は今、苦境にじっと耐える時期に身を置いていて、それでも無頼に「笑い飛ばす」「歌い飛ばす」矜持を忘れてはいません。
こんなふうに「心めかして」困難に立ち向かえたら・・・と、そんな憧れ、理想の人間像が浮かびます。
で、これは今だから思えることなんですが

素敵なお尋ね者 いなくなったね
Em                    D

寂しんで 楽しんで 心めかして ♪
   Em          G            D

僕は以前からこの歌詞部が凄く好きで、特に「素敵なお尋ね者」という表現に惹かれていました。それは、「愚かで横暴な正義をふりかざす保安官に立ち向かうウォンテッド・ガンマン」のイメージがあったんですけど、今はこれ、「スマートな無頼漢」を表したフレーズのように思えています。
ジュリーの「無頼」はどちらかと言うと寡黙なものですが、昔からジュリーの周りには「素敵なお尋ね者」的な弁も立つ無頼漢がたくさんいたんじゃないか、と。裕也さんや加瀬さんがそうかもしれないし、特にイメージがピタリなのは、かまやつさんなんですよね。
「EDEN」の主人公はそんな無頼漢が生き辛くなり少なくなってゆく世を嘆いてもいるような・・・。
ただ、そこで単にじっと孤独に耐えるだけではなく

焦らず探せば エデンが見える ♪
D          Em    G              D          

この「探せば」が重要だと思うんですよね。
光を見出すのは自分の力だと。「探す」を「目標を持つ」に置き換えても良いかもしれません。
昨年の術後の僕は正にそんな感じで「EDEN」に癒されていました。今もこの大津さんの詞には、人が辛い時、苦しい時、痛い時の人生のエールを思います。

次に、ズバリ!なレゲエ・サウンドに仕上がった石間さんの曲とCO-CoLOの演奏について。
『TRUE BLUE』に寄せた石間さんの作曲作品2曲がいずれもレゲエ・ビートというのはなかなか興味深いです。ジュリーにはレゲエを採り入れた曲も意外と多いですけど(「メモリーズ」「バタフライ・ムーン」「ボンボワヤージュ」「SAYONARA」など)、アルバムに2曲というのは珍しい。そして、「EDEN」はそれらの中で最もネイティヴなレゲエに近づいた特殊な1曲です。

僕はボブ・マーリーなどの本家レゲエはさほど詳しくなくて、どちらかと言うと自分が好んで聴く洋楽バンドの曲達の中に時々見かけるレゲエ・スタイルのナンバーで勉強していったという感じ。
初めて「レゲエ」なるジャンルを意識させられたのは、ストーンズのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』に収録されているエリック・ドナルドソンのカバー「チェリー・オー・ベイビー」で、その後キンクスの「ブラック・メサイア」が大好きになったり、ポリスのアルバム『白いレガッタ』を聴いて「なんじゃあこりゃあ!」と衝撃を受けたりしながら血肉としていきました。

「自由度が高いんだけど、譲れない大切な決まりごと(裏拍アクセント)がある」
「パッと聴きラフなようでいて、実際の演奏はメチャクチャ難しい!」
「リフレインに誘われる眠気がクセになり癒される」

それが僕の持つレゲエのイメージです。
「自由度」については後でジュリーのヴォーカルに絡めて書くとして、ここでは「実は難易度の高さハンパない」点を書きたいと思いますが・・・さてみなさま、どの箇所でも良いですからこの曲の途中から「1、2、3、4・・・」とスッと数え始めることができますか?
どこが「1」だか分かります?
「あれれ?」となりませんか?

普段僕らが聴いているロック、ポップスのバンド・サウンドは、「小節頭の1拍目をバスドラ(キック)とベースでビシッと合わせる」のが基本中の基本です。アマチュア・バンドの稽古もまずはそこから始まります。
ところがレゲエではその肝心要の1拍目をわざと「抜く」んですよ。その点をほんの数打以外最後まで徹底しているジュリー・ナンバーは「EDEN」だけ。先程この曲を「ネイティヴのレゲエに最も近づいた特殊な1曲」と書いたのはそのためです。

例えばイントロ。
キックの音が聴こえてきますね。2、4拍目の裏拍を刻んでいます。他楽器が噛みこんでくると「裏の裏」も登場します。でも、初っ端のシンコペーション2打目以降は素直に「1拍目」を刻むことはありません。
「EDEN」のリズムは徹頭徹尾「裏」ノリなのです。これはベースについても同様です。

さらにアレンジで言うと、曲のクライマックス・・・リフレインに載せたアドリヴ演奏で聴き手が「落ちる」頃合を見計らって、ギターやキーボードなどの「装飾担当」パートがサ~ッと退き、ベースだけが明快に残るという手法。「EDEN」ではジュリーが「It's gonna be good」とトーキングを始めるあたりのアレンジですね。これまたレゲエの本道です。
それまで特に演奏を意識せずにゆらゆらと曲に身を任せていた聴き手が、とり残されたかのようなベースのフレーズに気がつく瞬間、いやぁ最高なんですよ。これが癒されるんです。
このベースをはじめ、僕らがそうそう容易くカウントをとれないほどレゲエの演奏は難易度が高い・・・「EDEN」はCO-CoLO期の全ナンバーの中でも演奏の素晴らしさ、凄さは筆頭格ではないでしょうか。それでいて、能天気なキーボードの音色や賑やかなパーカッションなど、難しいことを考えるのが馬鹿らしくなるほどの暢気さ、陽気さがこの曲の「音」の魅力なのだと思います。


最後に、ジュリーのヴォーカルです。
「素敵なお尋ね者」「スマートな無頼」を感じさせるのはやっぱりこのジュリーの声ですな~。
独特の閉塞感はあるけど「怖れ」は無い。力みも無い。良い意味で『告白-CONFFESION』から僅か1年後のヴォーカルとは思えない歌い方・・・このジュリーの自由度を引き出したのはまず石間さんのレゲエ・アプローチな曲想だったと思いますが、当然それだけではありません。

世のレゲエ・ナンバーって、ヴォーカル録りする時の気分で自由にメロディーを組み立ててアドリブっぽく歌っているんだろうなぁ、という印象があります。元々の作曲のメロディーもそんなに煮詰めていないんじゃないかなぁ、と。
ジュリーの「EDEN」も、そういう意味では自由度は高いと思うんです。ラストの「エデンが見える♪」の発声とか、1番「運ぶだけっっさ!」みたいなニュアンスとか。
でも、レコーディング現場の思いつき、って感じは受けない・・・ここがジュリーの几帳面さ、真面目さなのではと僕は大いに惹かれます。
あらかじめメロディーの自由度をリハで吟味した上で、「ここはこういうふうに歌う」と決めてから本番に臨んでいる感じを受けるんですよ。でなければ

ボンヤリ ノンビリ でもイカシテル
D                 Em   G            D         

シッカリ バッチリ だけどアブナイ ♪
D                Em   G                D

この字ハモ後録りコーラスが神技すぎます!
「アブナイ」の後の「ない、ない♪」も、発声からメロディーから「こう!」と決めてなければこんなにピタリとハモれないのではないでしょうか。
ちなみに、あまり語られることは少ないのですが、ジュリーの「自分ハモリ」はどの曲も本当に素晴らしいです。天賦の才ももちろんとして、几帳面な性格をそのまま反映している部分もあるんじゃないかなぁ。
「真面目で几帳面なジュリー」「陽気で無頼なジュリー」、この2面を同じように感じられる「EDEN」のヴォーカル・・・貴重な名曲だと思います。

『TRUE BLUE』はキャリアの長いジュリーファンの間では「CO-CoLO期ならこれ!」と仰る先輩も多く人気が高いようです。しかし、少し前の僕がそうだったように新規ファンの評価は今ひとつのような。
多くの人の再評価を望みたい名盤。特に・・・苦境に挫けそうな時、「EDEN」は効きますよ!


さて、ジュリー自身も「EDEN」はアルバムの中で特にお気に入りの曲のようで、ラジオでは「い~でん」の話をしてくれたり、「ぼんやり、のんびり」な雰囲気もジュリーの性に合っているんだな、と感じます。
でも、あくまでシングルとしてもB面曲ですから夏からのツアーで歌われることはなさそう。いつか生で聴ける日は来るのでしょうか。

アルバムからの「シングル」となるとタイトルチューンの「TRUE BLUE」。こちらはどうでしょう?
う~ん、50曲のセットリストの中に噛み込むのは厳しいかな~。待ち望んでいるファンも多いと思うし、是非柴山さんのアコギで聴いてみたいものです。


それでは、オマケです!
時期としては1年前の資料ということになりますが、『不協和音』Vol.6から、CO-CoLO各メンバーの貴重なインタビューをどうぞ~。


Fukyou618

Fukyou619

Fukyou620

Fukyou621

Fukyou622


では次回更新はいよいよ今年の新曲です!
さすがに新曲についてはじっくり腰を据えて考える時間が必要で、ハイペースでの更新とはいきません。かなりお待たせしてしまうかと思います。

その間のお留守番画像として、今日のお題「EDEN」の歌詞にあやかった若き日のジュリーのショットを3枚、最後に置いておきますね。



Pic0013

ぼんやり♪


Paper263

のんびり♪


005

でもイカしてる♪


アマゾンさんに予約しておいた『ISONOMIA』が、今年は発売日に先んじて今日届けられました。
でも、ここはじっと我慢・・・封を切り歌を聴くのは明日「3月11日」になってからにしたいと思います。

それではみなさまもご一緒に、これからしばしの新曲どっぷり週間といたしましょう!

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2017年3月 7日 (火)

沢田研二 「枯葉のように囁いて」

『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Yeas』収録
original released on 1983 シングル『きめてやる今夜』B面


Kimeteyarukonya

disc-40
1. きめてやる今夜
2. 枯葉のように囁いて

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前回はかまやつさんのことがあって枕で触れることができず、相当遅れての話題となってしまいますが・・・先月26日、今度は忘れずに『熱中世代』を観ました。
いや~貴重な映像でしたね。ザ・タイガース5人揃っての演奏シーンももちろんですが、2012年の中野サンプラザ公演(タローとスーパースター、ピーのジョイント・コンサート)に向けての音合わせ(ブルース進行のセッション)、タローがキーボードを弾きピーが歌う「楽しい時は歌おうよ」のリハなどのシーンは新鮮でした。
あと、やっぱり僕は「新曲」や「ツアー」に今後も向かっていこうというピーの姿勢はとても好きですね。
もちろん、「小説」(!)も是非書いて欲しいですし楽しみにしていますけど。

それにしても、メンバーの古希のお祝いに皆が元気な姿で駆けつけて演奏までしてしまうなんて、ザ・タイガースというバンドは50年の時を超えてもやはり特別な存在であり続けていますね。
全員、いつまでも元気でいて欲しいものです。


それでは本題。
3月11日の新譜リリースまでプチ開催中の「みなさまからのリクエスト」週間・・・今日は「枯葉のように囁いて」をお題に採り上げます。

お正月のMCでユニバーサルさんにチクリとやったジュリーですが、そりゃあ「アリもんをそのまま」貸してください、出させてください、は虫が良過ぎってもので、せめてファンのニーズを調べた上で、ジュリーが「おっ?」と思う企画打診をして貰いたいですよね。
『Rockn' Tour』などのLIVE盤CD化の実現はファンの悲願ですが、もうひとつ「絶対喜ばれる」のは『B面コレクション』。そこで初めて「CO-CoLO時代まで網羅して・・・」ということになれば素敵な話です。
本当に、ジュリーのシングルB面は名曲の宝庫。加えて、B面ならではの冒険的なアイデアは、時代の流行をハッキリ映し出すこともしばしば。

いつも仲良くしてくださる先輩から頂いたリクエスト・・・気合と気持ちを入れて頑張ります。伝授!


「流行を映し出す」意味では、これはジュリー・ナンバーの中でも特にニュー・ウェイヴ色、ニュー・ロマンティック色の強い1曲と言えます。

70年代末から80年代にかけてロック界を席巻した「ニュー・ウェイヴ」。その定義はなかなか難しくて、海の向こうだと僕の好きなパブ・ロックやネオ・モッズも含まれることがありますし、アフター・パンク・ビートの勢いでデビューしたXTCやポリスあたりも。
ただ日本の場合はYMOの影響力がメチャクチャ強くて、「ニュー・ウェイヴ」と言えば初期はかなりの比重でテクノ・ロックに寄せられているようです。

ジュリーのニュー・ウェイヴ期はアルバム『TOKIO』に始まり、大きな括りではかなり長く継続します。
でも、「TOKIO」という楽曲=テクノかと言うと実はそうでもない・・・S.Eや糸井重里さんの歌詞世界は確かにYMOを彷彿させますが、少なくともバンド・アンサンブルは全然テクノではありません。むしろ、洋楽ニュー・ウェイヴを採り入れた結果日本のテクノ・ブームとも接近したので、「仕上げに狙った」のだと思います。

80年代に入り、邦洋それぞれのニュー・ウェイヴは多様化していきます。
テクノの土台から進化する日本、YMOの世界的な流行を採り入れつつ洗練されてゆく海外。
ジュリーはどちらかと言うと洋楽ニュー・ウェーヴの進化過程をなぞり、ネオ・モッズの『G.S. I LOVE YOU』、パブ・ロックの『S/T/R/I/P/P/E/R』と来て、ちょうどその後・・・82年以降次第に邦洋双方のニュー・ウェイヴが「ダンス・ビート」の方向で足並みが揃います。
いわゆる「ニュー・ロマンティック」の台頭です。
ルックス、ヴィジュアルも重視。ダンサブルかつファッショナブルで、10代の女の子が躊躇いなく「好き!」と言える空気感があって、なおかつ音楽性にも秀でている・・・「ニュー・ロマンティック」って、そんなイメージ。
洋楽の代表格をデュラン・デュランとするなら、邦楽の代表格は・・・僕も今なら分かります。

それは”JULIE & EXOTICS”だったのだ、と。

楽曲で言うと「PAPER DREAM」「デモンストレーション Air Line」「水をへだてて」そして「枯葉のように囁いて」などはズバリ!ですね。

「枯葉のように囁いて」の建さんのアレンジには、ニュー・ロマンティックの手管が満載。ダンサブルなリズムとして、ロカビリーとスカ・ビートを融合するという斬新なアイデアは驚嘆のひと言です。
ところがこの曲は、そんなニュー・ウェーヴ、ニュー・ロマンティック流の手管よりも、三浦徳子さんの詞と井上大輔さんのメロディー、そしてジュリーのヴォーカルの方が全然主張も色も強いという・・・これこそが、リクエストをくださった先輩はじめ「この曲が好き」と仰るジュリーファンの多さの秘密ではないでしょうか。

何と言っても強力なのが井上さんのメロディーです。
イ短調王道の進行で、最高音が高い「ファ」の音ですからジュリーの声域と相性はバッチリ。三浦さんの詞もなめらかに載っていますね。
詞、メロディー、ヴォーカル三位一体。最大の聴きどころは、歌メロ冒頭部はじめ曲中数回登場する

ああ 今、止めようと思っ たのに ♪
   Am          Dm       Am   E7   Am

このフレーズでしょう。
ジュリー必殺の「ああ♪」も箇所ごとにニュアンスが異なります(前の小節の裏を食って「ああ♪」と言うより「あああ♪」みたいに歌う箇所が個人的には大好物)。

で、この詞で描かれる男女、どういうシチュエーションだとみなさまは思われますか?
井上さんの曲が哀愁漂う短調のメロディーですから、なんとなく「人目を憚って逢瀬を重ねる」男女・・・例えば阿久さんの「24時間のバラード」のような物語を連想しますが、まぁそうであってもなくても、僕はこの歌の主人公と相手の女性、「メチャクチャうまくいっている、最高潮のおつきあい」真っ只中だと思うのです。

長いこと あなたに逢っていない
      Am                               Dm

そんな気がして 壁を見つめた
         E7                           Am

グレイのソファの くぼみが指さす
         Am                             Dm

ついさっきまで あなたが居たこと ♪
      G7               E7               Am

状況としては、2人でどっぷりと愛を奏でまくって(←上品に書いたつもりが文字にしてみるとなんだか下世話笑)、「じゃあまたね!」といったん別れた直後、早くも次の逢瀬が待ちきれず悶々としている主人公の様子が浮かびます。
70年代の阿久さん作品だとその状況に何らかの諍いや障壁が垣間見えるのですが、この曲でそうしたものは一切無し。ただひたすら「もっと逢っていたかった」感に暮れる主人公なのです。だって、「あなた」も「僕」も「まだ緑色」だと言ってますから。
逢っている間は常に緑色で、「果てることを知らない」2人(←度々下世話な表現ですみません汗)。

「緑色」と「枯葉色」の対比で心情を描いた楽曲と言えば、サイモン&ガーファンクルの「木の葉は緑」という名曲があります。これは曲調的には一見爽やかな「緑」の謳歌をイメージさせますが実は「枯葉」の嘆きが歌詞の主張。
でも「枯葉のように囁いて」の場合はそれとはまったく逆。曲調からは「枯葉」の切なさを思わせるのに、主人公も彼女も心はバリバリの緑色。
さらにジュリーにこの声で歌われると、パッと見では華奢なヤサ男が実は「あなたと逢っている間は、俺は枯れることはない!」と断言するほどの絶倫男(笑)である、という・・・歌詞の「心」を「身体」に置き換えてみると分かり易いのですが、このギャップに先輩方は萌えるのではないですか?

くちづけしたから あなたは 僕のもの
        Dm                      Am  G7    C

腕時計はずして僕は あなたの  もの ♪
       Dm              Am   Dm  Bm7-5  E7

このあたりは、情景としてずいぶ 具体的ですしねぇ。
う~ん、もしかするとこの曲もまた先日書いた「絹の部屋」同様に、「男性の僕が聴くにはハンデがある」官能の名曲なのかもしれません・・・。

ということで、ここまでは妄想。ここから先は拙ブログ得意の邪推コーナー(似たようなものか汗)です。
以前から「枯葉のように囁いて」の考察記事を書く時が来たら是非触れたいと考えていた、「アレンジの謎」に迫りたいと思います。

この曲の建さんのアレンジ、一番の目玉は3’13”あたり、狂おしく噛み込んでくるヴァイオリンでしょう。
シンセの音であれば考察内容も全然違ってくるのですが、これは明らかに生のヴァイオリンなんですね。こういう曲に生のヴァイオリンをカマす、という時点で「ビバ!ニューウェイヴ!」で、建さんのセンスが炸裂しています。しかもこのヴァイオリンが、あまりにブッ飛んだ熱演にして名演ですから。
で、手持ちの『SINGLE COLLECTION BOX』で見ても、この『きめてやる今夜/枯葉のように囁いて』には演奏者クレジットの掲載がありません。
シングル盤をリアルタイムで購入された先輩方の中にも「このヴァイオリンは誰が弾いてるの?」と疑問を抱いた方はいらしたでしょうね。

その点について、僕と同世代ながらジュリーファンとしては大先輩でいらっしゃるkeinatumeg様の素晴らしい御記事をここで参照させてください(
こちら)。

keinatumeg様はいくつかの材料からこのヴァイオリン奏者を、建さんと深い関わりを持つムーンライダースの武川雅寛さんではないか、と推測されています。記事を拝見し、僕もきっとそうに違いないと思いました。
ところが、ですよ。
同年リリースのアルバム『JULIE SONG CALENDER』収録、武川さんのヴァイオリンをフィーチャーした「裏切り者と朝食を」あたりと比べてみて「枯葉のように囁いて」が明らかに異質なのは、ヴァイオリンのジュリーの・ヴォーカルとの絡み方です。
ヴォーカルもヴァイオリンも、それぞれ互いのトラックを「ガン無視」状態・・・そもそも「ジュリーの歌メロに絡む」となればヴァイオリンのフレーズ自体こうはならないだろう、とアレンジフェチの僕は思うのです。両方表メロ、という感じになっていますからね。
「あれよあれよとあなたは♪」のあたりでは、一部分だけヴォーカルのメロディーとユニゾンしています。通常のバッキング・アレンジではあり得ないことです。

そこで、ヴァイオリンが噛んでくる直前のヴァースの繋ぎ目をよく聴いてみましょう。
ジュリーのヴォーカル「思ったのに♪」の語尾と、「愛が枯葉に♪」の出だしがクロスしています!
つまり、基本「一発録り」で歌うジュリーをして、この曲では何故か「愛が枯葉に♪」以降のヴォーカルを別トラックで後から重ね録りした、ということになります。
これはどうしたことでしょう?

ここで僕の得意の推測(邪推)となるわけですが・・・この曲、建さんの当初のアレンジ構想は、「間奏」としてのヴァイオリン・ソロありき、で組み立てられていたのではないでしょうか。
すなわち、ヴァイオリンが鳴っているBメロと同進行のヴァースが丸々「間奏」で、その後にジュリーの最後のダメ押し「ああ、今止めようと思ったのに♪」のリフレインで曲が終わる、という仕上がりです。

ところが、最終段階でゲスト(おそらく武川さん)のヴァイオリン・ソロを追加録音してみると・・・「ここはヴァイオリンにかぶせてジュリーの歌があった方が面白いのでは?」と建さんがアイデアを変更、「間奏」予定だった箇所から改めてジュリーが歌ったセカンド・トラックを以て曲が完成した・・・これが僕の推測。
その結果、「ジュリーのヴォーカルは主人公の男性」「狂おしいヴァイオリンは部屋を出ていった相手の女性」・・・と、2人それぞれの心情を文字通りくんずほぐれつで体現しきった素晴らしい異色のアレンジ・テイクが誕生した、というわけ。

深読みかもしれないけれど、ジュリーが敢えてリード・ヴォーカルを2度に分けて録った理由が、僕には他に見つけられないのです。
いかがでしょうか?


さて、数日中には夏からの全国ツアー・インフォメーションが届きますね。
日程を目にしたら一層期待は膨らみ、どんなセットリストになるのかワクワクしてくるのでしょう。

今日採り上げたのはB面曲ですが、このシングルのA面「きめてやる今夜」は果たして歌われるでしょうか。仮に「1年1曲」というセレクトだとすると、83年からは「晴れのちBLUE BOY」が最有力。でも僕は「きめてやる今夜」をまだ生で聴いたことがないので、セトリ入りへの期待もとても大きいのです。
ジュリー、歌ってくれないかなぁ?


それでは、オマケです!
今日は83年の2つの資料をお届けます。
まずは、福岡の先輩よりお預かりしている『ヤング』バックナンバーの中から、83年9月号です。


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シングル『きめてやる今夜/枯葉のように囁いて』は、アルバム『女たちよ』と同時期だったんですね。こういうことも、後追いファンの僕は資料などで確認し、頭に入れてゆくしかありません。
で、『女たちよ』と言えば・・・最近、同い年の男性ジュリーファンの方からお借りした資料があるんですよ。僅か2ページではありますが、貴重な内容です。
83年発行のキーボード専門誌『KEYPLE』から!


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僕はこんな雑誌があったことすら先日初めて知ったのですが、いかにもキーボード誌らしい切り口の記事はとても面白いと思いました。


では次回更新は・・・新譜リリースの11日の前になんとかあと1曲、ギリギリになるとは思いますが書いておきたい曲があります。

今では「師」と仰ぐまでに親しくさせて頂いている先輩からリクエストを頂いたのは、もうずいぶん前のこと。
なかなか書けなかったのは、曲が収録されているアルバムの僕自身の評価が遅れまくっていたこと。そして「ヴァージョン違い」の音源が聴けていないこと。
無念ではありますが、結局ヴァージョン違いの「シングルB面」音源は未聴のまま記事を書くことにしました。ホント、CO-CoLO期まで含んだ『B面コレクション』発売祈願!の気持ちも込めて書きたいと思っています。

ということで次回、久々のCO-CoLOナンバーです!

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2017年3月 4日 (土)

PYG 「淋しさをわかりかけた時」

『PYG/GOLDEN★BEST』収録
original released on 1971
シングル『自由に歩いて愛して』B面


Pygbest

1. 花・太陽・雨(Single Version)
2. やすらぎを求めて(Single Version)
3. 自由に歩いて愛して
4. 淋しさをわかりかけた時
5. もどらない日々
6. 何もない部屋
7. 遠いふるさとへ
8. おもいでの恋
9. 初めての涙
10. お前と俺
11. 花、太陽、雨(Album Version)
12. やすらぎを求めて(Album Version)
13. ラブ・オブ・ピース・アンド・ホープ
14. 淋しさをわかりかけた時(Live Version)
15. 戻れない道(Live Version)
16. 何もない部屋(Live Version)
17. 自由に歩いて愛して(Live Version)
18. 祈る(Live Version)

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かまやつひろしさん(ムッシュかまやつさん)が、先の3月1日に亡くなられました。
昨年かまやつさんが入院され病気を公表された時、僕はちょうど人生初の外科手術直前でした。
大変な病気と真正面から向き合い、復活を目指すかまやつさんのお姿に僕は喝を入れられ励まされました。
かまやつさんから勇気を貰い、手術も無事終わって術後の日々が一段落してから、僕は「午前3時のエレベーター」の考察記事を更新、かまやつさんのことをたくさん書きました。
あれからまだ数ヵ月しか経っていない・・・かまやつさんは宣言通りにラジオの仕事もされ、年末には堺正章さんの古希のお祝いに駆けつけるなど、お元気になられたものとばかり思っていました。
突然の旅立ちの知らせは信じられません。

作曲家としてのかまやつさんと言えば、スパイダースをリアルタイムで知らない僕の世代が真っ先に思い浮かべるのは、『はじめ人間ギャートルズ』のオープニング、エンディングの2曲です。
オープニング「はじめ人間ギャートルズ」は、ユーモラスなメロディーにファンキーなリズム、でも土台には武骨なブルース進行がある斬新な名曲。エンディング「やつらの足音のバラード」は、切なくも美しいワルツのメロディーで人類創生が歌われます。いずれも当時から変わらず大好きな曲です。
その後、かまやつさんがジュリーやタイガースに提供した名曲群を知り、スパイダースでの活躍を知り・・・日本のポピュラー音楽の礎を築いたレジェンドだったのだ、と学びました。

訃報があった2日は、ずっと「港の日々」を聴いていました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

☆    ☆    ☆

3月になりました。
祈りの月・・・ジュリーの新譜『ISONOMIA/揺るぎない優しさ』が今年も3月11日にリリースされます。また、澤會さんのツアー・インフォメーションは来週半ばに発送されるとのことで、新曲を聴きながら日程とにらめっこすることになりますね。

今年の新曲は久々の白井良明さん作曲の2曲。
お正月LIVEに1度聴いているとは言え、歌詞やメロディー、アレンジについてはまだ未知数の部分が多く今からCD音源を楽しみにしていますが、新譜発売までのこの3月上旬、拙ブログではこれまでみなさまから頂いていたリクエストお題の中から何とか頑張って3曲を書かせて頂くつもりです。
まず第1弾として、いつも丁寧にブログを読んでくださっている先輩から授かりましたリクエスト曲、PYGの「淋しさをわかりかけた時」を採り上げます。
この曲のリクエストを頂いてからは、ずいぶん時間が経ってしまいました・・・。

そして、今日は「伝授」とは言えない「懺悔」モードがメインの記事となります。
「そんなのつまらない!」とのお声もあるでしょう。でも僕は特にこの数ヶ月、大好きな将棋界の未曾有うの混乱、迷走ぶりを目の当たりにして、「懺悔」「謝罪」がいかに大事なことかを痛感しています。
ほとんどの方はこの将棋界を揺るがす大問題について詳しいことをご存知ないでしょうが、長い将棋ファンの多くが今怒り嘆いているのは、一部の「当事者」である棋士が何故「酷いことを考え、口に出してしまった。ごめんなさい」のひと言を言えないのか、という1点に尽きるのです。しかもそれを言わないのが、悉く僕が普段から個人的に応援してきた棋士達であるという・・・なんともやりきれない思いです。
僕自身が同じではいけません。時間はかかってしまいましたが、今こそ「ごめんなさい」を言う時。
恐縮ながら・・・よろしくおつき合いくださいませ。


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まずは、ちょっと長くなるんですが・・・今日のお題リクエストを先輩から授かり、今回の執筆に至るまでの経緯について書かせてください。

僕のブログ(に向かう心構え)はこれまで幾度かの転機を重ねていますが、その中でも2011年には2度に渡って大きなきっかけがあり、その時に色々と自問自答し考えたことは今も継続して自分に言い聞かせています。
考えたことを具体的に言うと
「読んでくれる人の気持ちを考える」
「己の無知、至らなさを自覚する」
この2点です。シンプルなことではありますが、以前の僕はそれがまるでできていなかったのですよ・・・。
じゃあ今それがうまくいっているかと言うとどうか分かりませんが(自分で「なってなかったなぁ・・・」と思う時もままあります)、常に頭にあることです。

2008年12月の『ジュリー祭り』東京ドーム公演レポートを機に「じゅり風呂」となったこのブログ。有難いことにたくさんの方が訪問してくださるようになりました。
それだけに今振り返って、特に2010年までの記事の中には、大間違いの記述に恥ずかしくて削除してしまいたい、あまりにも失礼な物言いで穴があったら入りたい、と思える記事も多いです。
楽曲考察記事については「あまりにも」と感じる部分を後からこっそり修正することもあるんですけど、問題はLIVEレポート。生ものの記事ですから修正も躊躇われ、自戒も込めてすべてそのままにしてあります。
酷い記述、傲慢な表現・・・とても多いですよ。
記憶の大間違いというだけならまだマシ。例えば2009年『奇跡元年』のレポートで僕は、鉄人バンドのインストのコーナーを平気で「休憩」と書いています。
演奏の諸々を偉そうに薀蓄垂れておきながら、ありえないことですよね。

まぁ、2009年までは「目下勉強中」ということで良かった・・・翌2010年、地方にお住まいの先述の先輩がわざわざ時間を作ってくださり、このブログについてアドバイスをくださるまでの期間は、かなり問題ありでした。
まず僕は同年リリースの新譜『涙色の空』を聴いて「これは凄いことになった」と感じました。
ベースレスの鉄人バンドが、完全に新たな境地に達した、ジュリーは奇跡のバンドを遂に手にした、と。特にタイトルチューン「涙色の空」での「1人1トラック体制」はちょっとこれまで聴いたことがない、こんなふうに音をぶつけてくるバンドは世界中でも他にないとの気持ちが強く、それなのに世間にそれが知られることなく、多くのジュリーファンにも伝わっているのかどうかも分からず・・・「聴くからには真に理解して欲しい」などと偉そうなことを思うようになり、演じ手と聴き手の乖離についてツアー・レポートで書いてしまいました。
「乖離」は実は自分の足元にこそありました。

その先輩は僕の書いたことを「ショックだった」と仰いました。そこで初めて、僕は自身の酷い傲慢に気がつくことになります。
ひとりよがりで調子に乗っていた、自分が見えていなかった、と思い知らされました。

その後しばらく、試行錯誤の時期が続きます。
「失礼のないように」と考えながらブログに向かうようにはなったのですが、具体的に何をどう変えていけばよいのかまでは分からずにいました。
「こう変えよう」と心が決まったのは2011年・・・先述の通り2つの大きな出来事が契機となりました。
ひとつはあの震災です。
遅すぎましたが、ようやく「人の気持ちを考えて書く」ことに思い至りました。自分の考えたこと、思うことを書く前にまずその点を考える・・・それをしないとブログを続けられないほど、あの震災は深刻な出来事でした。
もうひとつの出来事は、”ほぼ虎”という形ではありましたが、初めてザ・タイガースを生体感したこと。
「ロック」のカテゴライズに縛られて音や演奏を追いかけていたのでは見えてこない大切な魅力がここにあるのだ、と半年間の全国ツアーでガツンと知らされたように思います。
僕の想定外のところで「ステージと客席が通じ合う」不思議な雰囲気が漂う公演に何度も遭遇しました。ツアー前に2ケ月使って20曲の考察記事を書いたことも含め、タイガースと真正面から向き合ってみると、自分の至らない点が次々に見えてくるようでした。
何も分かっていないのは僕の方じゃあないか、と。

それからですよ。タイガースでなくとも・・・ジュリーのソロ・コンサートに参加していて、本当に時々ですけど「今、ステージとお客さんの間で特別なことが起こっている。僕はその境地に追いつけていないなぁ」と思う瞬間を感じるようになったのは。
2012年『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアー後半の「気になるお前」が最初かな。
それまでもきっとあったそんなシーンに、僕は気づけていなかったのですね。
今回は参加叶わず生で体感できませんでしたが、先のお正月の「頑張れ!」エールのシーンもそうだったんじゃないかなぁ、と想像しています。
ジュリー=ロックという考えには今でも変わりありませんし、それどころか「今、世界で一番ロックしている歌手」だと思ってはいますが、今ではそこに「ジュリーはロックというジャンルだけでは括れないけれど」との枕が常に脳内についてきます。この感覚は2011年以降ずっと僕の中にあるものです。

以来、「ロック」を振りかざしたり、自分の考察を絶対のように押しつけることだけはやめよう、と決めました。これは、2010年に先輩が色々とお話くださらなければできなかったことだったかもしれません。御礼が本当に遅れましたが、とても感謝しています。

さて、そこで今日のお題「淋しさをわかりかけた時」。
PYGナンバーの考察は、タイガース以上に僕には難しいのです。当然僕はPYGのステージを生で体感したことがないですし、実はジュリーのデビュー以来の長いファンでいらっしゃる先輩方の中にも、「タイガースのLIVEは観たことがあるけどPYGは機会を逃してしまった」と仰るかたも多いほど。
まして僕などは当時の空気感も想像すら困難。ただただレコーディング音源を聴き込んで色々と考えていくしかないのですが・・・これは何という名曲でしょうか。

1971年リリースという時期を考えても、演奏の完成度はもとより、タイガース解散の記憶も新しいこのタイミングでジュリーはこんな歌を歌っていたのか、との驚き。その声、詞、メロディー、演奏からは美しいほどの切なさが襲ってきます。
これは・・・何だろう?
先述の先輩からリクエストを頂いた際には、リクエスト曲とその時の先輩のお話とは別物と考えていましたが、いやいやそうではなかったのかなぁ、と。
安井かずみさんのこの詞は、「人の気持ちや痛みを考える」内容ともとれるのではないでしょうか。

雨には雨の歌があ  る さ
Gm        Am      Dm  C   F

忘れてたやさしさ ♪
Gm        B♭   F

こちらの気持ちが「晴れ」であっても、相手は「雨」の時もある。雨には雨の歌がある・・・。

愛には愛の明日があ  る よ
Gm        Am         Dm  C    B♭maj7

淋しさをわかり かけた時 ♪
   B♭   Em7-5  A7       Dm

「分かった」ではなく「わかりかけた時」。完全に理解はできていなくとも、「気づき」があれば自分から変わっていける・・・これは、2011年のあの震災と”ほぼ虎”ツアーで僕が悩みながら自分の意思で「変わらなきゃ」と考え過ごした日々と驚くほどリンクします。

この曲はじめ、PYGの演奏は圧倒的にロックです。「ロックバンド」以外の何物でもない・・・だからこそ、当時もしかすると少し前の僕のように、彼等が実際に奏でる音楽とLIVEに訪れるファンの応援のありかたの乖離を書きたてた評論家さんもいたかもしれません(具体的にそのような資料は見たことはないですけど)。
今はそれがまったくナンセンスと分かります。「淋しさをわかりかけた時」の安井さんの詞に、僕はそんなことも改めて教わる思いがします。

・・・と、ここまでは「考察」と言うより個人的に「書いておきたかったこと」です。長々とごめんなさい。
ここからはこの名曲の聴きどころを探ってみましょう。

Sabisisawowakari


今日の参考スコアは、『深夜放送ファン・別冊/沢田研二のすばらしい世界』から。採譜されたコードは相当怪しく誤りだらけですが、本当に貴重な資料です。

まずイントロ、無機質な鐘の音とハモンド・オルガンの低音で「不穏な」感じを受けますね。「花・太陽・雨」でのジョン・レノンの「マザー」のような4拍の重々しいギター連打の印象と重なります。
ところがこのイントロの進行は、曲の最後のハミング部で再度登場。ハモンドの音階が変わり、ハミングのヴォーカル・メロディーが加わるとこうも違うのか!と言うほどの爽快さに驚かされます。
そりゃあそのはず・・・これは、あの「風は知らない」のイントロとまったく同じ進行なのですから。

歌メロが始まると

今  なら話せる傷ついた過去
Dm   C     F       B♭          C   A7

今  なら許せる
Dm   C     F   B♭

あいつ 若い日の憎しみも
      Gm              Am7   Dm   C

今  なら歩ける あの夕陽の丘 ♪
B♭  Am7 F            B♭        C  A7


(ちなみに、『沢田研二の素晴らしい世界』ではAメロの出だしをすべて「Dm→Am→F」で統一していますがこれは二重の意味で誤りです。「今なら許せる」と「今なら歩ける」でコード進行を変えてきているのがPYGの素晴らしい工夫です)

重い歌詞です。
想像でしかありませんが、リアルタイムで聴いたジュリーファン、タイガースファンは、この歌に同年1月24日の記憶を呼び起こされたりしませんでしたか?
新規ファンの僕ですら、この詞を歌うジュリーに「涙」のニュアンスを感じるほど・・・実際、手持ちのCD『GOLDEN★BEST』に収録されているライヴ・ヴァージョンでは、「心では泣いてても」と歌うジュリーの声が涙で震えているように聴こえます。
でも、それがまたジュリー・ヴォーカルと大野さんのメロディーの魅力。背負うものも多い中で、「自分達はこういう音楽をやっていくのだ」との覚悟も感じます。

それにしても、リアルタイムでドーナツ盤のシングル『自由に歩いて愛して』で両面2曲を聴くインパクト、感じられるバンドの気迫は如何ほどだったでしょう。
A面、B面合わせてのコンセプト・シングルという点では、タイガースからのジュリー50年のキャリア中でも突出した1枚かと思います。
PYGの気迫、一体感はこの2曲それぞれのアレンジにも表れていて、間奏ひとつとっても、堯之さん作曲の「自由に歩いて愛して」で大野さんのオルガン・ソロ、大野さん作曲の「淋しさをわかりかけた時」で堯之さんのギター・ソロと、対をなしています。

「淋しさをわかりかけた時」の堯之さんのソロは素晴らしい名演で、「花・太陽・雨」のソロを短期間で進化させたかのようです。
左サイドにギターのコード・カッティングのトラックがありますから、このソロは満を持しての「後録り」でしょう。堯之さんは、チョーキングの際に上弦に触れるかすかな音すら「こう!」とストイックに作りこんでレコーディングに臨んだのではないでしょうか。

それと、これは以前「初めての涙」の記事でも書いたのですが、ジュリーのヴォーカルに身を委ねている時、瞬間瞬間で飛び込んでくるショーケンの声に耳を奪われハッとする、ということがこの「淋しさをわかりかけた時」でも起こります。
例えば1’27”の「明日が♪」のあたり。ショーケン独特の濁音表現の存在感、ハンパないですね。

PYGの曲には、たとえ明るい曲調、前向きな歌詞であってもどこか(良い意味で)影があるように思います。これは、70年代初期洋楽ロックのカウンター・カルチャー色を採り入れているとも言えますし、日本独自のニュー・ロック的な表現であるとも言えます。
苦境の中から立ち上がって行こう、という感覚でしょうか。ですから、ちょっと落ち込んだりしている時に心に染み入ってくる曲が多くなります。

僕はこの「淋しさをわかりかけた時」と「自由に歩いて愛して」の2曲を、2014年のツアー・ファイナル直後によく聴いていました。
ステージで色々とあって僕らジュリーファンの気持ちも沈みがちだったあの時期、この曲を歌う71年のジュリーの声になんとも言えず癒されたものです。
「ただ明るいだけ」の曲ではそうはいかなかったかもなぁ、と思います。

もうひとつ重要だと思えるのは、ジュリーがこの曲を2007年のお正月コンサート『ワイルドボアの平和』で採り上げ、冒頭1曲目で歌っていることです。
『ジュリー祭り』の後、僕は先輩方からタイガースについて色々と教えて頂く機会が多かったのですが、その時「数年前から、ジュリーがピーに会おうとしている」ということを何人もの先輩から伺ったものでした。

タイガースの再結成とかそういうことではなく、長い間疎遠になってしまった友達との再会を望んだジュリー。そんな最中の2007年、「淋しさをわかりかけた時」のような歌をジュリーが歌った、というのは何か深い意味があるようで・・・考え過ぎなのでしょうか。
僕は『ワイルドボアの平和』でジュリーが1曲目に歌った「淋しさをわかりかけた時」をリアルタイムで体感した長いジュリーファンの先輩方が、その時どのような感想を持たれたのかとても気になります。
「おおっ、すごくレアな曲が聴けた!」というそれだけではなかったのではないですか?
コンサートに参加されたみなさま、是非この機にお話を聞かせてください。

今夏からの50周年メモリアル全国ツアー、「シングルばかりを歌う」ということで、ファンは「PYGの曲は歌われるだろうか」と期待を寄せています。
多くの先輩方はその中でも「自由に歩いて愛して」を切望されていますが、どうなるでしょうか。
個人的にはやっぱり「花・太陽・雨」じゃないかなぁと予想しています。
僕が生でPYGナンバーを聴いたのは『ジュリー祭り』の「花・太陽。雨」唯1度。他の曲となるとすべて未体感です。タイガースについてはどうにかこうにか先輩方の後から必死に追いかけ、末席からでもついてはいけてるなぁと思いはじめた僕ですが、PYGは本当に未知のゾーン。気をつけていないと未だにバンド名を「ぴー・わい・じー」と呼んでしまいます(これはYOKO君も同様)。
夏からのツアーで、少しでもPYG追体験の感覚に浸れると嬉しいのですが・・・。


それでは、オマケです!
Mママ様からお預かりしている切り抜き資料の中から、『叫び pyg言行録』をどうぞ~。


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では、みなさまからのリクエスト週間、次回も「シングルB面」のお題が続きます。
今度はジュリーのソロ、エキゾティクス期の名曲。

僕としては珍しく(汗)、リクエストを頂いてから僅かひと月で書くことになります。
その曲に
は、以前から「書きたい!」と考えていた「アレンジの謎」があるのですよ~。この機に独自の推測でその謎を紐解いていきたいと思っています。
引き続き頑張ります!

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2015年8月 1日 (土)

沢田研二 「二人の肖像」

from『JULIEⅥ ある青春』、1973

Julie6

1. 朝焼けへの道
2. 胸いっぱいの悲しみ
3. 二人の肖像
4. 居酒屋ブルース
5. 悲しき船乗り
6. 船はインドへ
7. 気になるお前
8. 夕映えの海
9. よみがえる愛
10. 夜の翼
11. ある青春
12. ララバイ・フォー・ユー

---------------------

暑中お見舞い申し上げます。

関東では、水曜、木曜といくらか気温が下がった(とは言えそれでも充分暑かった)のですが、週末にはまたまた過酷なまでの暑さが戻ってきたようです。
熱中症など、本当に気をつけないといけませんね。
どうしても長く外を歩かざるをえない場合は、試しに『奇跡元年タオル』に保冷剤をくるんで首に巻きつけてみてください。首筋が冷えるだけでも全然違いますよ~。
いや、別にタオルの種類は『奇跡元年』でなくても何でも良いんですけど(笑)。

今週後半は暑い中、郵便屋さんが大活躍。澤會さんからツアー・チケットが各地に届いたようです。
会場振替希望の申込が21日の締切だったことを考えると、7月中のチケット発送というのは澤會さんにとって相当大変な作業だったはずです。ファンにとって最高の暑中お見舞いに、感謝しかありませんね・・・。
今回僕が受け取ったのは、YOKO君と参加予定の大宮公演のチケット。今年の僕はポール・マッカートニーの来日公演で席運をすべて使い果たしておりますので、大宮も初日フォーラムと似たような感じのお席を頂くこととなりましたが・・・全然オッケ~、楽しみです!

澤會さんと言えば、再発されることになったEMI期のアルバム、僕は先日申し込みを済ませました。
今週ずっとうっかりしていて、木曜の朝になって突然思い出し出勤前に払込書を記入していたという(汗)。締切ギリギリの申込となってしまいました。
もちろん普通のCD再発ですから締切を過ぎても一般のショップさんで購入することは可能なんですけど(アマゾンさんなどでも予約受付が始まっているようですね)、今回は色々と感謝の気持ちもあって、澤會さんから購入したいと思っていたのです。
澤會さんでは今回、5枚以上の申し込みで特典グッズがついてくるとのことでしたが、僕が購入するのは『架空のオペラ』を含むCO-CoLO期の4枚ということで残念ながら1枚分足りず。まぁ、仕方ありませんね・・・。

さて。
暦は8月となり、『こっちの水苦いぞ』ツアー初日まであと2週間ちょっと、というところまで来ました。

拙ブログでは、4月末から一貫して加瀬さんの作曲作品のお題で更新を続けてきました。ツアー日程の延期を受けて改めて目標として掲げた「ジュリーが歌ったKASE SONGS全曲考察記事制覇」・・・残すは今日のお題含め3曲となっています。
17日の東京国際フォーラムまでに、必ず目標を達成したいと思います。

本日採り上げる曲は、アルバム『JULIEⅥ ある青春』から、「二人の肖像」。
6月半ばの段階でほぼ記事の下書きを終えていたのですが、加瀬さんが作った切ないメロディーに合わせてしまったかのような暗い考察内容で、その直後に僕の気持ちが「心から加瀬さんの曲を楽しみ、笑顔で加瀬さんを送りたい」と変化したこともあり、「いずれの機会に再考察を」といったん横に置いていた曲です。
今回、改めて新しい角度から色々と紐解いてみた結果、その時の下書きを全面的に書き直すほどの考察記事となったのは嬉しい誤算でした。

この曲が大好きで「記事を楽しみにしています」と仰ってくださったナタリー様はじめ数人の先輩方に感謝を込めて、みなさまからのリクエストという形で今日は記事更新させて頂こうと思います。
伝授!

「二人の肖像」・・・アルバムの中でも大好きな曲ですが、一方で「異色作」のイメージも持っています。
まずは何故僕がこの曲を「異色」と感じているのかを語っていきましょう。

これまで何度か他収録曲の記事で書いたことがあるのですが、僕は『JULIEⅥ ある青春』というアルバムを、『JULIEⅡ』(僕がこの世で最も愛するアルバム)で描かれた物語の主人公の少年が成長した数年後の物語・・・「ジュリー=船乗り」のコンセプトを持つ続編作品のようにして聴いています。
「許されない愛」を断ち切り港町を離れ、文字通り人生の大海へと踏み出した『JULIEⅡ』主人公の少年は、『JULIEⅥ ある青春』では日焼けした逞しい船乗りの男へと成長していて、自らの船を持ち仲間達と楽しい航海の日々を送っている・・・立ち寄った港ごとに気ままに恋をし、時にはちょっとだけ傷ついたり、時には仲間の恋路にも介入したり(笑)。
収録曲それぞれに「船」「海」「港」などのイメージを得て、僕はこの『JULIEⅥ ある青春』を『JULIEⅡ』に続くコンセプト・アルバムとして楽しんでいるわけです。

しかしながらただ1曲、そんなイメージに当てはめることのできない、「都会の日常の中のラヴ・ソング」としか捉えられない曲・・・それこそがこの「二人の肖像」。
ちょっとしたことで諍いとなり、別れ話をしてしまう恋人同士。でもいざ腰を据えてひとり考えてみると、相手の存在は一層愛おしく、どちらからともなく再び言葉をかわしている・・・これはさすがに「自由気ままな船乗り」のストーリーとは解釈しようがありませんよね。

もう1つの「異色」は、季節のイメージ。
これは以前「夜の翼」の記事で書いたんですけど、僕が『JULIEⅥ ある青春』に勝手に抱いている季節は「真夏」(レコーディングは「初夏」あたりなのでしょうが)。
他のすべての収録曲が真夏の灼熱の太陽と海を連想させる中、「二人の肖像」だけは「秋」から「冬」にかけての雑踏のイメージなんですよね・・・。
これは、初めてこの曲を聴いた時に「短調のバラード」であること、或いは楽曲タイトルに「二人」というフレーズがある、という共通点から『いくつかの場面』収録の「燃えつきた二人」を連想したことが大きいと思います(僕はポリドール時代のアルバムも後追いで大人買いしていて、『JULIEⅥ ある青春』より先に『いくつかの場面』を聴いていました)。
ただ、この2曲が共に加瀬さんの作曲作品である、と気づいたのはずっと後のことで(汗)、僕はある時期まで「二人の肖像」を山上路夫さん作詞、森田公一さん作曲のナンバーだと思い込んでいたのですからお恥ずかしい限りです。『JULIEⅥ
ある青春』について、「山上=森田作品が7曲でZUZU=加瀬作品が5曲」だと何かの曲の記事の時に書いてしまっている記憶も(汗汗)。

これは本当に楽曲の雰囲気から勝手に決めてかかっていた思い込みによるもの。
というのは、「二人の肖像」はアルバム・タイトルチューンの「ある青春」(山上=森田作品)と曲想がとても似ているのですよ。もの悲しいピアノ伴奏から導入して、ジュリーが切々と歌う感じがね・・・。

多くのジュリーファンのみなさまは「短調のバラード」というと、阿久さん=大野さんコンビによる情念に濡れた独特の世界観を持つ幾多の名曲をまず想起するかもしれません。「時の過ぎゆくままに」がそうですし、加瀬さん作曲のナンバーをその類にカテゴライズするなら、先日執筆した「愛はもう偽り」などがそうでしょう(まぁ、「愛はもう偽り」の場合は井上バンドの演奏により「バラード度」よりも「ロック度」の方がずいぶん高くはなっているけれど)。
でも、「燃えつきた二人」と「二人の肖像」は短調のバラードでもタイプが違いますね。
どこか渇いている、それでいて寂寥感溢れる加瀬さんならではのメロディーとコード進行。
あの天真爛漫な加瀬さんが、「重いバラード」を追求し短調のメロディーをジュリーのキャラクターに重ねた結果、曲にかけられた魔法・・・「二人の肖像」はそんな名曲だと思います。

ここで、加瀬さんがかつてジュリーへの楽曲提供について語った言葉が掲載されている資料をご紹介しましょう。Mママ様からお預かりしているお宝切り抜き資料のひとつで、73年の『沢田研二新聞』です。


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「ヒットを狙うばかりでなく重みのある作品を心がける」・・・加瀬さんのこの言葉には、「俺はジュリーを安売りさせない!」という気魄を感じます。
「重みのある作品」とは別に曲想に限ったことではなくもっと根本的なコンセプトを指すものと思いますが、「重み」という言葉から単純に連想するメロディーはやはり「二人の肖像」のような短調の曲です。

また、「重み」は「深み」でもあり「広がり」でもあるでしょう。ジュリーという特別な存在は、その活動のひとつひとつが互いに関わり合いを持ち、結果大きなイメージへと収束することこそ望ましい、と加瀬さんは考えていたのではないでしょうか。


ここで、「広がり」「ひとつひとつの活動それぞれの関わり合い」の観点から、今度は「二人の肖像」での安井さんの作詞について考えてみましょう。
淡々と、恋人達のやりとりを描いているこの詞こそ、僕が「船乗り」の物語を勝手に抱いている『JULIEⅥ ある青春』の世界観の中では異色作。
アルバム全体を考えればもっと大陸的なイメージの詞で重い短調に合わせた方が自然ですし、安井さんならそれは容易くできたはず。安井さんは何故この曲で、都会の片隅で育まれるさりげない恋人同士の物語を描いたのでしょう?

数週間前の僕ならこの疑問にはお手上げ、「たまたまそういう歌詞が生まれたのだろう」程度で片付けていたかと思いますが、幸いにも今は一考察ありますよ~。
キーとなるのはアルバム・リリースの「1973年」。
この年のジュリーの歌以外の活動と言えば・・・そう、ドラマ『同棲時代』があります。

安井さんは、『同棲時代』を演じた俳優・ジュリーに触発されて「二人の肖像」の物語を書いたのでは?
物語的にも時期的にも、リンクしますよね?

ヒヨッコの後追いファンが、単に「同年の作品だ!」と今さら発見しフンコーしているだけという怖れもありましたので、いつもお世話になっている先輩に、「二人の肖像」と『同棲時代』に共通するイメージが当時あったのかどうか尋ねてみました。
「自分も含めて、そう考えていたジュリーファンは多いと思うし、実際そうしたことをネットに書いているかたもいらっしゃる」
と、教えて頂きまして・・・まぁ実際のところは安井さん本人にしか分からないこととは言え、「やっぱりそうか!」と思うと同時に、73年当時のジュリーをとりまく空気感も、少しだけ分かったような気がしました。

僕が「二人の肖像」と『同棲時代』との関連の可能性に思い当たったのは、ほんの先日のこと。
改めての考察に向け各地の先輩方からお預かりしている73年のお宝資料をあれこれと読みながらネタ探しをしていて、「あっ!」と目に止まったのが、『Letter』という小冊子に掲載されていた『同棲時代』についての素敵な文章でした。
これまた岐阜のJ先輩であるMママ様にお借りしているこの小冊子『Letter』は、『ロックセクション名古屋』さんの製作。(おそらく、ですが)商業誌ではなく、あくまでジュリーファン手作りの冊子ということで、このようなブログでその誌面をご紹介してしまうことは、心血注いで編集に打ち込んだその道の大先輩の方々に大変な失礼に当たると考えますから内容画像の添付は控えたいと思いますが(いつの日か、制作に携わった先輩方とのご縁を頂き、その一部でもブログへの掲載を直接お願いする日が叶うことを夢見ています)、本当に丁寧な編集作業とジュリーへの愛情が伝わってくる素晴らしい1冊です(まず、『Letter』というタイトルが素敵じゃないですか!)。
特に、当時ジュリーファンの間で最高に旬な話題だってであろう『同棲時代』への感想を綴った文章には、ただただその感性に打ちのめされるばかりで・・・「なるほど、ジュリーファンはきっとみなさんそんな気持ちだったんだろうなぁ」と思わせてくれました。

「二人の肖像」の歌詞で最も目を惹くのは

幾度 ふたりが   別れ話しを・・・ ♪
Dm             Am7   Dm        Am7

と、詞の最初と最後にまったく同じフレーズを配した構成。「別れ話しを・・・」と、物語を途中経過状態で放り投げた(結論が出ない)ような印象を受けます。
これが『同棲時代』の、「壊れそうで壊れない恋人同士の生活」を示している、
ともとれるんですよ。

ひと月ほど前に一度この曲の最初の考察に取り組んでいた時の下書きで、僕はこんなことを書いていました。


「二人の肖像」に登場する若い男女の行く末に、僕はどうしてもハッピーエンドを感じないんですよ・・・

これは僕が加瀬さんの「短調のバラード」に惹き込まれている、憑りつかれている証でもありました。当然、そうした思いは今でも持ち続けています。
この曲は確かにサビの

帰った後で気がつく 嫌いじゃないのさ むしろ♪
F       A7      Dm      F          A7         Dm

の箇所から、
明るい長調のニュアンスへの変化も見せてくれます(平行移調)。でもサビの最後の着地点は物悲しい短調のトニック・コードなのです。この点は「燃えつきた二人」ととてもよく似ています。

僕はそんな点からいったんは、「悲劇的結末」に拘ってこの曲を考察していました。
きっとタイムリーで『同棲時代』を観ていらした先輩方の「二人の肖像」への思いは、曲想やアレンジに感想を左右されがちだった僕とは全然違って
「何故この人と一緒にいるんだろう?」
と、お互いに疑問を持つ「二人の肖像」に登場する男女のその後に、「それは、好き合っているから!」というシンプルな答を自然に見出していらしたのでは・・・?
先輩方には「二人の肖像」のハッピー・エンドが見えているのかも、と今回僕の思考もそこまで進みました。いかがでしょうか?

このように、73年というあの時代の若い男女が互いに強く惹かれつつも「何故つきあっているんだろう」「何故一緒にいたいんだろう」とふと立ち止まるシーンを描いた「二人の肖像」は、『同棲時代』と色々な意味でイメージが重なります。
現代においては、「愛することの責任」「頼り頼られることの意味」は若者の間で希薄となり、すべてがヴァーチャル体験の延長のようになっている、と見る向きもありますが、「二人の肖像」や『同棲時代』のような物語は現代でも若い人達の日常で普通に起こっていて、それぞれが相手のことを見つめ、自分の在り方を自問しながら生きているのではないでしょうか。

若い時期に「真剣に打ち込む」対象が「恋愛」で何も悪かろうはずがない・・・そうした経験はきっと「考える」力を育てるのでしょう。
そんな力を持つ若者よ、俺達は信じてるぜ!

さてさて、この曲も(これまた長崎の先輩から長々とお借りしてしまっている)手元のお宝本『沢田研二のすべて』にスコアが掲載されています。


Futarinosyouzou

これがね~、大らかさでは掲載曲中1、2を争う採譜になっておりまして、表記通りに演奏すると、何やら落ち着きのない、愉快な歌になります。コードがお分かりになるかた、試しにちょっと弾いてみて(笑)。

しかしながら、それを叩き台にしてあれこれ修正していくのがまた曲の真髄に迫る作業でもあるので、このスコアはやっぱりとてつもなく貴重な資料なのです。
ほぼ全面的な修正が必要となる中で、「特にここは!」と語りたい箇所・・・スコアでは採譜されていないコード進行で最も大切な、加瀬さん渾身の作曲手法が堪能できる部分は2箇所あると僕は考えます。
まずは何と言っても

特別   理由もないのに アア ♪
   B♭maj7     B♭       C     Caug

この「あ~あ♪」の「Caug」です!

これまで何度も書いていますが、加瀬さんはジュリーのファースト・ソロ・シングル「君をのせて」について、「あ~あ♪と歌うところが沢田らしくてイイ!」と絶賛、ジュリー曰く「その後ワタシは、あ~あ♪と歌う曲が多くなりました」とのこと。
「二人の肖像」もそんな1曲なのですね。
この曲の記事を「楽しみ」と仰ってくださった先輩も、この「あ~あ♪」は特に好きな箇所とのこと。ジュリー必殺の「あ~あ♪」に、「二人の肖像」の進行の中で一番おいしいオーギュメント・コードのアイデアをあてた加瀬さん、確信犯だと思います。

当時のZUZU=加瀬さんコンビのジュリー・ナンバー制作は、加瀬さんの曲が先にあって後から安井さんが詞を載せる、という作業順序であったことが、最近いくつかの資料から分かってきました。
おそらく加瀬さんは作曲のデモ・テイクでは、メロディーにでたらめな英語やハミングを載せて録っていたものと思いますが、きっと「二人の肖像」のこの部分についてはデモ録音の段階から既に「あ~あ♪」と歌っていたんじゃないかな?
安井さんは加瀬さんの「あ~あ♪」への渇望(?)を暗黙のうちに汲み取り、そのまま歌詞に使用した・・・そんな推測はいかがでしょうか。

オーギュメント・コードを使った進行には様々なパターンがありますが、「二人の肖像」での加瀬さんによる上記進行は、ビートルズ「イッツ・オンリー・ラヴ」の「my oh my♪」の部分と理屈は同じ(ビートルズの中では有名な曲ではないので分かり辛いかな・・・)。
ちなみに加瀬さんはジュリワンの「渚でシャララ」で「二人の肖像」とはまったく違ったオーギュメント進行を採り入れていて、こちらは2012年のジュリーのマキシ・シングル『Pray』収録「Fridays
Voice」の「この国が♪」から始まるBメロ部の進行が同じ理屈です。

もうひとつ僕が惹かれるコードを挙げると

お前を 好きだよ ただひとり ♪
    Gm7       B♭m      Dm

この「B♭m」。
これは少し前に記事を書いたワイルドワンズ「バラの恋人」のサビで「すねてるような♪」と歌われる箇所と理屈は同じで、「揺れる」気持ちをメロディーに注入し「少年性」を感じさせる進行となっています。

演奏については、いかにもロンドン・レコーディングの『JULIEⅥ ある青春』収録のバラードらしく、華麗なオーケストラ・アレンジがまず耳を惹きますが、僕が注目したいのは右サイドにミックスされている渋いストロークのアコースティック・ギター。
1番Aメロは最初ピアノ1本の伴奏からスタートするんですけど、「2回し目から噛む」のではなく、1回し目の「特別♪」「理由も♪」から、歌メロとユニゾンのリズムで、ジュリーのヴォーカルを追いかけるように切り込んでくるんですよね・・・。
豪快で奔放なロック・アレンジの曲も良いけれど、「二人の肖像」のアコースティック・ギターに象徴されるような、緻密な編曲による「譜面通り」の演奏もまた、若いジュリーの美声を存分に生かすプロフェッショナルの素晴らしさと言えるのではないでしょうか。

それにしても・・・6月の段階で「二人の肖像」の記事を下書きしていた時には、「果たしてこの歌に登場する恋人同士はその後幸せになり得ただろうか?」という考察がメインで、「燃えつきた二人」と併せ加瀬さん独特の「短調のバラード」に詞を寄せた安井さんと松本隆さんが、共に加瀬さんのメロディーとシンクロし「若い恋人同士の破局を、男性視点から淡々と描こうとしたのでは?」といった内容になっていました。
そもそも、『同棲時代』についてはまったく思い至っていなかったのですよ。

こうして、一度仕上げかけた記事をいったん置いて「別の角度から何かネタを見つけてみよう」と再考するのって、実は大切なことなのでしょうね。
まぁ拙ブログの場合は甘すぎる考察のまま仕上げた記事でも、みなさまから頂くコメントで大いに助けられていますが・・・(最近では、「泣きべそなブラッド・ムーン」などがそうでした)。
今回この「二人の肖像」の記事(下書き)を短期間のうちに2度書いたこと・・・貴重な経験になりました。改めて「ZUZU=加瀬」コンビの作品は懐が深いなぁ、と。



それでは、オマケです!
今日は、文中で触れた『Letter』はじめ数々のお宝をお貸しくださっているMママ様が、73年当時にせっせと切り抜いていらした『同棲時代』関連の資料をどうぞ~。

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ちなみに僕は『同棲時代』主演の梶芽衣子さんは個人的に好きな女優さんのひとり。
もちろん、73年当時僕はこのドラマを観ていなくて、女優としての梶さんを知ったのはずいぶん後になってからです。テレビドラマをほとんど観ていなかった大学時代、珍しく毎週楽しみにしていた『教師びんびん物語Ⅱ』(毎週号泣していた汗)・・・梶さんは、田○俊彦さん演じる主人公の敵役であると同時に実は・・・というとても重要な役どころで、美しさと知性に憧れたものでしたね~。
つい先日久しぶりに、安住アナと一緒に街を散策しておられる番組をたまたま観まして、その様子が(素敵な意味で)天然で、「あぁ、普段はこんな感じのかたなのか~」と思いました。


さて、先輩の情報によりますと、GRACE姉さんはいよいよドラムセットに就いて徐々に身体を慣らしてゆく段階にまで快復されているようです。
8月に入り、そろそろツアー・セットリストのリハーサルも始まるのでしょう。とにかく毎日のこの暑さです。GRACE姉さん、どうか無理だけはなさらず・・・。

今回のツアーで「二人の肖像」がセットリスト入りすることはまず無いでしょうけど、この曲のドラムスだと僕は3’13”からの3連符のニュアンスを持ったフィルが好きで・・・このフィルをGRACE姉さんの生の音で聴いてみたいなぁ、と思ったり。
『PREASURE PREASURE』ツアーの時の「探偵~哀しきチェイサー」などがそうでしたが、ずっと昔の70年代のジュリー・ナンバーでも、「これ!」という重要なフィルをGRACE姉さんはオリジナル完コピで再現してくれます。そうすると、フィルから続くジュリーの歌がス~ッと聴いているこちらの身体に入ってくるんですよね。
これ、特にバラードではとても大切なことだと思う・・・GRACE姉さんは歌心があるから、自然にそういう演奏ができるのかなぁ。もちろん、ロック・ナンバーでの豪快なアドリブも素晴らしいですけどね!


といったところで。
拙ブログの「ジュリーが歌ったKASE SONGS」全曲記事制覇まで、残すは僅か2曲となりました。
次回は「この炎は燃えつきず」を採り上げます。
正直、新米の僕が記事を書くにはまだまだ荷が重いナンバーだとは今でも思っていますが、ここまで来たら臆せず全力で考察に取り組みますよ~。

本当に暑い日が続きます。
みなさまそれぞれのツアー初日を楽しみに、共に猛暑の日々を乗り切ってゆきましょう!

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2014年10月26日 (日)

沢田研二 「二人の生活」

from『JULIEⅡ』、1971

Julie2

1. 霧笛
2. 港の日々
3. おれたちは船乗りだ
4. 男の友情
5. 美しい予感
6. 揺れるこころ
7. 純白の夜明け
8. 二人の生活
9. 愛に死す
10. 許されない愛
11. 嘆きの人生
12. 船出の朝

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昨日の神奈川県民ホールのジュリーや鉄人バンドは、どんな様子だったのかな~。長かった全国ツアーも、いつの間にやらもうラストスパートです。
(阪神の方の)タイガースも、日本シリーズで上々のスタートを切りました(今日はどうかな?)。

そんな中突如舞い込んだのが、DVD『さよなら日劇ウェスタン・カーニバル』が年明け早々に発売される、という情報。これはビッグニュースでしたね!
何と言ってもジュリーのソロ・コーナーが完全収録される、というのがメチャクチャ貴重です。
このウェスタン・カーニバル・フィナーレをはじめとする日本音楽界のGS復活の動きは、元々海の向こうのネオ・モッズによる60年代回帰のムーヴメントを踏襲するところから始まっているわけで、日本でその道をまず切り開いたのが、ジュリーwithオールウェイズのアルバム『G. S. I LOVE YOU』。そんな大名盤の収録曲をガンガンかましているステージが遂に完全に映像作品化されるとは・・・いやぁめでたい!
もちろん、タイガース・コーナーも楽しみ。僕が観たことない映像もあるのかなぁ。


さて・・・”足早に過ぎてゆくこの秋の中で”シリーズも、いよいよ今日で最終回となりました。
このところ数回は、シングルやアルバムがリリースされた季節から「秋」を求めてお題を探してきましたが、今回は「個人的に勝手に秋をイメージしている曲」について書かせて頂きます。

何度も書きますが・・・僕がこの世で最も愛しているアルバムは、『JULIEⅡ』。多くのジュリーファンの中でも、ここまで「フェイバリット・ナンバー1」がハッキリしているパターンは珍しいんじゃないかなぁ。
有名な「許されない愛」にしても、僕にとっては大ヒット・シングルと言うより『JULIEⅡ』の収録曲、という印象の方が全然強いです(もちろん後追いファンだから、ですけどね)。すべての収録曲が、ひとつの壮大な物語の中のワンシーン。世のロックにストーリーありきのコンセプト・アルバム多しと言えども、それぞれの曲がここまで見事に、完璧なピースとなり物語の時間を辿り、綿密に全体構築されている作品は、洋楽ロック含めて比するものはありません(断言)!

その愛すべきピースの中には、「時の経過を表現する」「あらすじを追う」といった感じで、「繋ぎ」の役割を担う小作品もあります。僕にはその「小ささ」「地味さ」がまた、たまらなくいとおしいんですよね・・・。
激しい情熱や慟哭を歌った「目立つ曲」と、そうした「小作品」とがガッチリ噛み合って、すべてのナンバー全12収録曲でひとつの物語、ひとつのアルバム。それこそが『JULIEⅡ』。完璧なのです。
僕なりに纏めてみますと・・・

・父の顔も名も知らず育ち、ただひとりの肉親である母親に旅立たれて天涯孤独となった傷心の少年が、放浪の果てに小さな港町に辿り着く・・・「霧笛」。
・港町のカフェに住み込んだ少年が、店の飼い犬「マルチェロ」との交流で本来の明るさ、屈託の無さ、そして人生に希望を取り戻してゆく・・・「港の日々」。
・店に出入りする粋な船員達の賑やかさに触れた少年が、「海への憧れ」を知る・・・「俺たちは船乗りだ」。
・船乗り達を束ねる船長に目をかけてもらった少年は、船長に理想の父親像を重ねながら日々成長し、やがて自らの「男性」を自覚する・・・「男の友情」。
・再び長い海の旅に出ることになった船乗り達。夫の旅立ちを見送る船長夫人の涼しげな瞳に、少年はかつてない胸のときめきを覚える・・・「美しい予感」。
・船長の長い留守にふさぎこむ夫人を励ます少年。日々を共に過ごし好意を通わせ合う二人の心に、次第に言い知れぬ感情が募ってくる・・・「揺れるこころ」。
・激しい雷雨の夜、恐怖にしがみついてきた夫人を思わず抱きしめる少年。激情は開放され、遂に結ばれた二人は初めての朝を迎える・・「純白の夜明け」。
・夫人との愛が永遠に続くことを微塵も疑わず、一途に二人の愛情を盲信した少年は、生涯この愛に身を捧げ、命までも賭すと決意する・・・「愛に死す」。
・船長が帰国し、夫人は再び元の慎ましい家庭生活に身を置いた。己の熱情を必死に堪える少年だが、夫人を奪い取り連れ去りたい、という衝動に身を貫かれ苦悩する・・・「許されない愛」。
・夫人はもう自分の元には戻ってくるべきではない。非情な現実を認識し、自らの存在までをも否定し絶望した少年は、夫人に別れを告げると、荒波打ち寄せる海辺を徘徊する・・・「嘆きの人生」。
・遂に港町を去る決意を固めた少年。夫人への愛を断ち切ったその瞳の先には広大な海が広がっている。さぁ、この海へとまた旅立つのだ・・・「船出の朝」。

う~ん、完璧だ。
・・・って、あれっ?11曲しか書いてないぞ。
何か1曲、地味な曲を忘れて抜かしちゃってる?

・・・などと小芝居を打つのはやめましょう。
おそらく『JULIEⅡ』収録曲の中で、最も「小さく」、最も「繋ぎ」的な小品。その「地味」さは逆に比類無い存在。だからこそ愛おしい。だからこそ名曲。
長い間、先輩方と『JULIEⅡ』のお話を時折させて頂いても、まったく話題に上ることは無かった曲。でも昨年、このブログを読んでくださっているおひとりの先輩が「大好きな曲」だとコメントをくださった時、本当に嬉しくて・・・誠に勝手ながら今回は、その先輩のリクエストという形で考察記事を書かせて頂きます。
「二人の生活」、伝授!

まずは、何故僕がこの曲に「秋」のイメージを持つに至ったのか、ということから説明しておきましょう。

僕は後追いファンですから、当然『JULIEⅡ』もCDで購入しました。このアルバム、歌詞カードもすごく豪華で素敵な写真が満載なんですけど、美しいジュリーのショットを目を凝らしてしげしげと眺める、というにはCDだとなにせサイズが小さいわけです。必然、写真の構図などをキチンと把握しないまま、時は過ぎていきました。

さて、数ケ月前のある日こと・・・。
有り難いことに僕は今、何人かの先輩方からジュリー関連の貴重な資料をお預かりさせて頂いていて、まぁそれがとんでもなく膨大な数に上っております。
暇を見てはそれらをせっせと年代ごとにファイルしているんですけど、中には自力で年代特定できない、或いは特定の自信が持てない資料もたくさんあります。
ですから時々、そんな資料を某SNSに画像添付し、「これは何年ですか?」と広く先輩方にお尋ねすることがあるのです。
その日、先輩方にお尋ねした資料が、こちら。
『ロンドンの女(ひと)』という見出しで2ページ。「レコーディングがてら・・・」ということから、おそらく71年なんだろうな、とは思いつつ『JULIE IN LONDON』と書いてあるLPタイトルの全容に自信が無くて・・・まぁ結局それが『JULIEⅡ』の原題だったそうなんですけど(同タイトルの写真集もありますしね)。

London7101

London7102

で、SNSをチェックしてこの資料をご覧になったある先輩が、早速コメントを残してくださいました。
「これ、『JULIEⅡ』のプロモーション撮影ですよ。CDの歌詞カード見るべし!」
と。

これはしたり!
そう言われてみれば、この女の人は何処かで見たような覚えがあるぞ・・・。
と、そこでまたまたハタと思い出したのは・・・実は2009年の暮れに僕は、岐阜研人会のN様から「私はもうレコード・プレイヤーでは聴けませんから・・・」と、ほとんど結婚祝いのような感じでLP盤の『JULIEⅡ』をプレゼントされてしまっていたのですよ。
ここは是非、レコードの大きな写真で確認せねば!

ということで貴重なLP盤をとりだしますと、豪華なブックレット形式の歌詞部に・・・ありましたありました、”ロンドンの女(ひと)”と一緒のジュリーのショットが。

Lifefortwo


↑ もちろん、LPからスキャンしています!

これがズバリ、「二人の生活」歌詞ページに配された写真です。『JULIEⅡ』の舞台となっている港町の一風景として、少年と船長夫人が愛を育んでいる、というシーンを模したショットでしょう。
実際には、秋のロンドンの1コマだったんですね~。
いやぁ、いかにも秋ですよ。ジュリーはこんな季節、こんな風景の中であの名盤を制作していたんだなぁ・・・。

ということで、多くの『JULIEⅡ』のショットの中でハッキリとジュリーがロンドンに滞在していた季節を感じさせてくれる「二人の生活」のワンシーンが、僕の中で完全に「秋」とインプットされたというわけです。

ちなみに”ロンドンの女”の彼女ですが、『JULIEⅡ』歌詞カードでは他に「純白の夜明け」「愛に死す」に配されたショットで、ジュリーと一緒に登場しています。
「純白の夜明け」は二人の顔のアップの写真でして、見つめあうジュリーと彼女の構図にそのまま歌詞全体が映りこんでしまっているので、ここでは添付を控えます。残る「愛に死す」のショットはこんな感じ。

Diedoflove

これも「二人の生活」同様に「秋」のイメージはあるんですが、ご覧の通り3枚の連続ショット仕立てとなっていて、それぞれの写真がちょっと小さいんですよね。LPからのスキャンでこんな感じになるんですから、CDで見るとホント何が何だか分からないですよ。
やっぱりレコードとして制作されたジャケットやブックレット・デザインなどは、当時作られたサイズで鑑賞するのが一番のようです。散々「『JULIEⅡ』が一番好き!」と宣言しまくっていたジュリー堕ち間もない若輩の言葉を覚えていてくださったN様に、改めて感謝。

ということで僕にとって「二人の生活」という曲は、少年と船長夫人が「純白の夜明け」で互いの気持ちを確かめ合った後の「秋」の日々を連想させる曲です。
「愛に死す」が晩秋、「許されない愛」が冬の初め、「嘆きの人生」が極寒の真冬、と続いていく・・・そんなイメージまでをも得るに至りました。
そう考えていくとほら、「港の日々」なんかは春の初めって感じがするし、「美しい予感」あたりは初夏で、港に立つ船長夫人は日傘をさしているように思えてくるし、「純白の夜明け」でゴロゴロいってるのは真夏の雷雨、って感じになってきませんか?

僕が勝手に組み立てた『JULIEⅡ』の物語は、10代半ばの少年の、激動の1年間の物語。
それも考え合わせて、やっぱり「純白の夜明け」の直後に配される曲がいきなり「愛に死す」では、少年の「命をも賭す」という決意表明がちょっと早過ぎるんですよ。物語が進行する上で、二人が愛を育んでゆく過程のシーンを描いた「繋ぎ」の曲は絶対に必要だと思いますし、重要です。
ただ、それが大上段に構えるド派手な曲ではダメなんです。地味ながら可愛らしく、愛が始まったばかりの穏やかな日々、小さな幸せの日常を歌った「二人の生活」は本当にピッタリと物語のピースに嵌った名曲。

曲から浮かんでくる映像は、先の資料『ロンドンの女(ひと)』でのジュリーと外人さんの彼女のカップルで決まり。彼女の方が背が高かったり、ジュリーがどこか遠慮がちな表情をしているところなんかも含めて、写真のジュリーは本当に「少年」に見えるんだなぁ。
資料の一番下の、二人が手をとりあってはしゃいでいるショットにマルチェロが一緒に映っていれば、なお完璧でしたけどね~。いや、この状況になった時点で少年としてはもう犬どころじゃない・・・のかな?マルチェロがさみしがっているぞ!

そして、この「小品」ならではの筒美京平さんの作曲が本当に素晴らしいのです。
曲全体のイメージは、上品かつ静謐。
軽快なテンポのワルツ進行は、ひそやかに愛を育む「二人の生活」そのもの。その上で、さりげな~いおいしい工夫が、ポップス王道のメロディーにいくつも散りばめられています。

この曲には「同主音による近親移調」が登場します。理屈は知らずともメロディーを追えば、Aメロが物悲しい感じで、サビが明るくウキウキする感じ、というのはみなさまもお分かりでしょう。
これは、Aメロがニ短調で、サビがニ長調。トニックのルート音は変わらずに短調から長調に転調しています。この理屈については、以前「白い部屋」の記事で詳しく書きました(「白い部屋」自体は転調しないんですけどね)。その際にチラッと参考楽曲として「二人の生活」を挙げたところ、先述しました先輩のコメントが頂けたというわけです。

短調で始まった曲がサビで長調に同主音転調すると、視界がサ~ッと開けたような開放感があります。ジュリーにはこのパターンの曲が多く、加瀬さんもこうした作曲を得意としていたようですね。
筒美さん作曲の他歌手への提供曲ということで探していきますと、「抱きしめてTONIGHT」(歌・田原○彦さん)に同主音による近親移調が登場します。やはりこの転調手法ならではのサビの開放感が魅力の大ヒット曲と言えましょう。

「二人の生活」の場合は、「抱きしめてTONIGHT」或いは加瀬さん作の「追憶」のような、ド~ン!と派手にサビを炸裂させるような感覚はありません。
歌詞に描かれた二人の逢瀬が秘事であるために、「こっそり」みたいな気持ちがまず短調部に込められます。しかしどうにも抑えきれない歓び、ときめき・・・その溢れる様子が、サビの転調に表れてくるのです。これ、考察自体は完全に後づけ・・・と言うかこじつけなんですけど、本当にそんなふうに聴こえませんか~?

「楽しさ」を歌うなら、ハナから明るい長調で始めてもいいんじゃない?と考えるのは簡単ですが・・・じゃあ試しに、Aメロを長調に書き換えてみましょうか?

あさの     きてき     うたう  ま   どのそと ♪
ラレファ#ラレファ#シラレ ド#シラ ソラ


台無しです!
なんかこのメロディーだと・・・少年と船長夫人二人とも、な~んも深く考えてないような気がする。
やっぱりAメロが短調の進行であって初めて、静謐で上品な曲と言えるんですよ。

だからこそ、スパ~ン!と長調に切り替わるサビ部が僕は特に好きだなぁ。初めて聴いた時には「白い蝶のサンバ」(歌・森山加代子さん)みたいなメロディーだなぁと感じたけど、実際は全然違います。転調直後のサビの切り口は、なんとなく似てはいますけどね。
手元には、先輩からお預かりしている「二人の生活」の貴重なスコアがあります。

Lifefortwoscore

↑ 超絶お宝資料 『沢田研二のすべて』より

この本の超適当な採譜・・・だんだん病みつきになってきました(笑)。ここから最終的な真理を導き出すまでの数時間が、なんとも得がたい至福の時。
ということで・・・

誰も知らない 愛の暮しよ
D   F#m         G    D    B7

あ   なたといれ ば   時は流れて ♪
Em  A7  F#m7  Bm   E7          A7      

まぁ、サビはこう直してあげるべきでしょうな~。
あと、サビ直前の「あなたと~ふたり~♪」のトコも、単にドミナントだけの「A7→Dm」ではなくて

あなたと ふたり ♪
E7-9  A7    Dm

と、「E7-9」をキチンと採譜しておかないと、筒美先生に怒られそうです~。これは先生作曲の「九月の雨」(歌・太田裕美さん)にも違うキーで登場する重要なコード進行ですから。
ちなみにギターですと「E7-9」は、1弦1フレット、3弦1フレット、5弦2フレットですべての弦を「ジャ~ン♪」と鳴らせるローコードのフォームがオススメです。

細かい工夫は筒美さんの作曲ばかりではありません。大活躍するオーケストラ・アレンジ、刻みのソロをめまぐるしく立ち代わるストリングスとバンドネオンの演奏スキルの高さ、サビ直前の一瞬に強調されるピアノのミックス・・・等々。
地味で、「繋ぎ」的で、「小さな」曲にもこれだけのアイデアと細部の詰めが施されている・・・やはり昭和のプロフェッショナル・レコーディング・スタッフは邦洋問わず恐るべし、なんですよ。それでもこの曲が、アルバムの主役に躍り出ることはあり得ません。
不思議な曲ですよね・・・。

『JULIEⅡ』収録曲のヴォーカル中で、「楽に歌っているなぁ」と感じさせるのも、小品にして名曲、という「二人の生活」の不思議な魅力故ではないでしょうか。
「佳曲」というのは「二人の生活」のような曲のためにある言葉だとしみじみ思います。歌入れ当時のジュリーもきっと、とっつきやすかったんだと思いますよ。
まぁ、今となってはこの先のLIVEで採り上げられることなど絶対に無い曲でしょうが、「普遍的にジュリーの喉には合ってる」1曲だと思っています。
是非みなさまの再評価を!



それでは次回更新ですが・・・ちょっと特殊な記事を考えています。
男性タイガース・ファンの大先輩であり、ロックを語れる年長の友人でもあり、何よりその生き方をリスペクトしている憧れの男性でもある人・・・2012年に僕が書いた”ほぼ虎”武道館公演のレポート記事をきっかけに知り合ったYOU様が、ご自身の還暦記念に敢行したLIVEに参加した時の様子を書こうと思います。

YOU様の還暦記念LIVEは3部構成でした。
第3部は、普段からYOU様が活動していらっしゃる”いつも通り”のX-JAPANコピーバンドのステージ。
ただこの日は、還暦記念ということで特別です。
急遽結成されたバンド”JULIE SPIRIT”で挑んだジュリー・ナンバーのカバー。しかもYOU様はこのバンドで、生涯初めてのフロント・ヴォーカルに立ち向かいました。これが第1部。
そして・・・会場に駆けつけたYOU様の多くの友人の中に少なからずいらしたすべてのタイガースファンのみなさまが、腰を抜かすほど驚き、あまりにビックリして号泣するお客さんが続出した(マジです)、第2部トークコーナーでのビッグ・サプライズ。

記事には一応、ジュリー・ナンバーのお題をつけます(もちろん、記事内容と関係のある楽曲です)。
どんなふうに書こうか、まだ決めかねているんですけど・・・いずれにしても、ジュリーの『三年想いよ』ツアー・ファイナル、東京国際フォーラム公演の前までには書き終えなければ。10月末か11月頭の更新になるかと思います。
よろしくおつきあいくださいませ~。

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