沢田研二 「君をのせて」(『SONGS』Version.)
この記事を書く日が来なければいい、と思っていた。
しかし思わぬ早さ、思わぬタイミングでこの日はやってきた。辛いけれど、大事な約束なんだから書かなきゃ・・・。
7月4日、親しくさせて頂いていたタイガース時代からのジュリーファンの先輩でいらっしゃる真樹さんが亡くなられた。
ジュリーを通じて知り合い、格別に仲良しになったお友達とのお別れはまったく初めてのことで、僕はとても動転している。
真樹さんには2009年『Pleasure Pleasure』ツアー大宮公演で初めてお声がけ頂き、翌10年以降は僕ら夫婦にとって年に何度も食事をご一緒する特別なお友達になった。
聡明で、上品で、驚くほど気遣いの細やかなお姉さんだった。真樹さんから他人の悪口なんて一切聞いたことが無いし、6年間にも及んだ闘病中にも弱音を吐く姿を一度も見たことがない。こんな非のうちどころのない人が僕らのような者と親しくして下さる、ということが不思議に思えるほどだった。
ジュリーが授けてくれた素敵なご縁、としか言いようがない。
お会いする時は必ず、僕ら夫婦ともう1人別の先輩と4人で集まった。お花見だ、ツアー開幕だ、ツアー総括だ、忘年会だと何かと機会を見つけては、そうしてジュリーの話ばかりしていた。
真樹さんは段取りの達人で、食事のお店から散策コースまで完璧に事前に調べ、案内してくださる。僕らはいつもそんな真樹さんに頼りっ放しだった。
タイガース復活の頃からずっと闘病が続いていたのに、お会いすれば全然お元気な様子で、もうすっかり完治したのかと思うほどだった。実際にはそうではなかったのだが、ご病気のお話はほとんどしたことがなかった。だって、集まるたびにジュリーの話題がワンサカ溜まっているのだから。
とは言え、そんな集まりの際にここぞとばかりに喋り倒すのは僕ともう1人の先輩の役目で、真樹さんはいつもニコニコと話を聞いてくださっていた。本当に聞き上手な方だった。
それでも話題がタイガースになると一転、瞳を輝かせてお喋りをリードしてくださることがあった。あの田園コロシアムを観た時のことを、「だんだん陽が傾いてきて、風が出てきてね・・・」とお話されていたのを、今も昨日のことのように思い出せる。
僕らが詳しく知らないままに、真樹さんの病状は年々深刻度を増していたようだ。何を置いてもジュリーのLIVEには駆けつけていらしたのが、2017年のお正月『祈り歌LOVE SONG特集』ツアーは、緊急の入院と再手術のため欠席された。
後から聞くと相当危ない状況だったらしいが、何とその時不思議な気脈が通じたかのように飛び出したのが、ジュリーのあの「頑張れ、頑張れ!」のエールである。効果は覿面、真樹さんは見事持ち直し、50周年ツアーには今年1月の千穐楽含め精力的に参加されるまで回復された。
それが最近になって・・・体調が一変したのは4月だったという。
今年はお花見もご一緒できず案じていたところに、「今は緩和病棟にいます。お願いもありますので一度会いにきてください」とメールが届いたのが5月末だった。
すぐにお見舞いに行った。すると、もう自力で起き上がることもできず、お医者さんからはあと半年持たないかもしれないと宣告されたとのお話。何ということ・・・昨年12月には元気に忘年会をご一緒したし、ピーと二十二世紀バンドの四谷公演でもお会いした。あれから半年しか経っていないのに何故!
お話をする真樹さんの言葉はとても穏やかで、隣でカミさんが泣いてしまったからかもしれないが、ご自身はまったく取り乱すこともなく、いつもの真樹さんらしく振る舞われていた。
ただ、一度だけ両目に小さな玉の涙が浮かんでいらした。
さらに驚くことに、真樹さんはご自身の葬儀の段取りをお話しし始めた。「悲しいお別れの場にはしたくない」「私から最後のおもてなしをしたい」「美味しいものをたくさん食べて頂きたい」・・・。
その席に(先述の先輩含めて)3人をご招待したい、今日は今までの感謝をお伝えするのと、この招待を受けて頂くためにお呼びだてしてしまったのだ、と仰る。いかな段取りの達人とは言ってもそんな・・・と僕らは本当に驚いた。
そして僕にはこう仰った。
「”君をのせて”のSONGSヴァージョンで私を送ってね」
と。
「枯葉のように囁いて」以来の真樹さんからのリクエストお題。
僕はこみあげてくるものを堪えながら、「分かりました」とお約束するのが精いっぱいで、何故SONGSのヴァージョンなのか、といったことをその時お尋ねすることはできなかった。
まさに今、「何故これなんだろう?」と久しぶりに『SONGS』の録画映像を観ながら色々と考えている。
白井さんがこの番組のために特別にアレンジした「鉄人バンド+ストリングス」ヴァージョン。
間奏は白井さんがエレキを弾く。間奏終了間際は柴山さんとのツイン・リードになる。素晴らしい演奏だ。
でも、と今は思う。
なかなか演奏に耳が行かない。ジュリーの表情、仕草、歌声だけに吸い寄せられる。まるで神席でLIVEを観ている時みたいだ、今の気持ちで観るこの歌の映像は。
真樹さんはいわゆる「中抜け」組の先輩だ。タイガース時代からのファンで、ソロになってからもずっとジュリーを観てきたけれど、多忙もあり1度離れられた。
『SONGS』で戻ってきて、『ジュリー祭り』東京ドーム公演で復活された。その後はタイガース奇跡の再結成の道程をリアルタイムで体感された。中抜けさんならではの王道だ。
そのきっかけが、『SONGS』の「君をのせて」だったのか・・・。
ソロ歌手としての初シングル「君をのせて」を歌う還暦のジュリー。そのインパクトを新規ファンの僕は想像しきれない。でもこのジュリーの表情の素敵さは分かる、と思う。
このジュリーに包まれて旅立ちたい、そう考えるファンの気持ちはそれこそ王道だろう。
真樹さんの最後のお見舞いに行ったのが5月末だった、と先に書いたが、実はその時僕はブログに書く次とその次のお題をもう決めていた。「しあわせの悲しみ」と「生きてたらシアワセ」だ。
書けるか?と思った。こんな気持ちになった後で「幸せ」の歌なんて僕は書けるのか、と。
でも、そこはさすがジュリーの作詞作品だった。ジュリーがどんな思いで「幸せ」というものを歌っているのか、今まで考えたこともなかった解釈で僕はこの2曲を聴くことができた。
真樹さんと話せていなかったら、特に「生きてたらシアワセ」なんて相当トンチンカンな考察になっていたに違いない。
「毎日3時に来てくれるのよ」という旦那さんと入れ替わりで病室をおいとまする時、真樹さんは「最後に握手して」と仰った。想像よりもずっと強い力で手を握ってこられた。あの時残されていた全力で「ぎゅうっ」としてくださったのだと思う。
「最後に」というのがイヤだったので、握手の後で僕は「また来ます」と言った。ジュリーの古稀ツアー初日・武道館公演が終わったら、セットリストなど感想をお話ししに来ようと思っていた。
でも叶わなかった。きっと真樹さんは、身軽になって自分も武道館に行きたい、と思ってしっかり計画を立てて旅立たれたんじゃないか・・・と、今はそう考えるよりない。
それにしても、真樹さんの段取りの達人ぶりは最後まで本当に凄い。お通夜はちょうど武道館でジュリーが歌っている頃の時間だし、久々にいつもの「4人」が集まることになる翌日のお葬式は、武道館の余韻で話題が途切れることはないだろう。
約束したことだから、「悲しい」なんて言わないことにしたい。「さすがの段取りですね」と泣き笑いしたい。
真樹さん、今までありがとうございました。本当にお世話になりっ放しで申し訳ありません。
これからこの記事を、真樹さんが旅立たれた日時に設定してupします。昨夜、お知らせを受け取る前に書いた「side-Bのご案内」記事より前の時間設定になりますので、この記事はトップには来ません。それが良いかな、と思っています。
それではまた明日。
武道館では、ジュリーに一番近いところから観ていらっしゃいますよね?僕らはスタンドですが・・・。
そして明後日。おもてなし、楽しみにしています。
さようなら。
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