瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!

2009年11月17日 (火)

沢田研二 「君をのせて」

~from「A面コレクション」とか シングル、1971

キリ番のお方が現れてくださらない・・・。
もしかしたら、ほんの通りすがりの方が踏んでいかれたのかもしれませんね。

ブログが繁盛するのも善し悪しでございまして、拙ブログは今や、ジュリーと何ら関係ない検索フレーズでも、記事文中に同フレーズがあれば検索結果上位に表示されてしまうようで・・・。
例えば、9月くらいでしたか、検索フレーズランキングに「ガードルチラ」というのがありまして、「なんだ~?」と思いクリックしてみたら、「酔いどれ関係」の記事に飛びました(泣)。
検索なさった方は、大層気を落とされたことでしょう。

さて、リスエスト週間に入っております。
今回は、特別に「リクエスト」という形で承ってはおりませんが、「君をのせて」について書きたいと思います。

つい先日、日頃お世話になっております先輩と、この曲についてメールのやりとりをする機会がありました。
その先輩は僕などより数百倍もの知識をお持ちで、いつも色々と知らない事を教えてくださいます。
そして、先日のやりとりでは、最後になんとなく「機会があったらこの曲の記事も書いてみて♪」というメッセージを僕に送ってくださったように思いました。
僕なりの考察しか書けませんが、この機に思うところを記したいと思います。常々、世紀の大名曲だと思っておりましたから。
言わずと知れた、ジュリーのファースト・ソロ・シングルです。
「君をのせて」、僭越ながら伝授!

今回の執筆は、いつにも増して気合が入ります。
ジュリーの「普遍性」と「絶対性」について語ろうと考えるからです。

「普遍性」とは。
ちょうどメイ様のお家で、シングル売り上げランキングでみなさまがショックを受けていらっしゃいましたけど・・・。

例えば、現時点でジュリーより上位にランキングしているバンドなりアーティストが、20年後今と同じようなペースでシングルリリースし、かつ売れ続けていくとは思えません。
ジュリーがその気になって、これから毎年年に3枚ずつシングル出して行けば80歳でトップ帰り咲きでしょう(でも、満タンシングルのスタイルだと、アルバムに部類されちゃうんだなぁ)。

そして、極端な話。
200年後にも聴き継がれていると思うんだなぁ、ジュリー。「かつて人間がこんな美しい声を出していた」みたいな聴かれ方かも知れませんが。
その楽曲は、少なくとも僕の中では「勝手にしやがれ」ではなく、「君をのせて」なのですよ。イメージの問題でしょうかねぇ。

そして、「絶対性」。
僕は、「君をのせて」を歌えるのはジュリーのみ!という観点に立ちます。

この曲を歌うに際して、やってはいけない事が2つあるように僕は思うのです。

・これは、いい曲!という事を主張しようとして、上手く聴かせようとしてはいけない
・これは、いい詞!という事を主張しようとして、感情的に表現しようとしてはいけない

求められるのは、無垢な心で曲と対峙すること。
詞・曲・アレンジに自然に身を委ね、無防備とも言える裸の姿で歌う・・・それがこの楽曲の良さを伝える最も有効な歌唱なのではないでしょうか。
すると、あの時期のジュリーが、初のソロシングルとして「君をのせて」を歌ったという事が、奇跡のように思えてきます。
果たして他の歌手にこの曲が歌えるモンでしょうか?
ジュリー唯一無二の曲と言えませんか?

ジュリーは比較的最近のLIVEで、当時「君をのせて」は歌うのが難しくて・・・と言っていますよね。
本能的に、この曲とどのように対峙しなければならないか、を若きジュリーは分かっていたのだと思います。その心境を思い起こしての発言ではないでしょうか。
加瀬さんが「あ~あ~ああ君を~♪」のトコが沢田らしくてイイ!と絶賛したのも、そういう事を感じとったのだと思うのです。

では、「君をのせて」をジュリーが無垢に歌唱すると、どのようなことが起きるかと言いますと。
まず、詞の世界に拡大解釈が起こります。

多くのみなさまもきっと賛同してくださるでしょう。「君をのせて」の詞で一番グッとくる箇所は

♪肩と肩をぶつけながら♪

ココです!
なんとも危うい、幼い、美しい表現です。
この詞は普通に、若い男女の物語ですよ。作詞の段階では、それは明らかです。「肩と肩を~♪」の箇所は、抜群にセンスの良いフレーズ・・・詞だけ読むと、そうなります。
ところが、ジュリーが歌うと雲行きが怪しくなる(爆)。

男同士の友人の親愛表現の代表的行為と言えるのですが(いや、ごく当たり前の、普通の親愛の情、ですよ!)

”ポケットに手を突っ込んで、肩から相手の肩に激突する”

そんな絵が、浮かぶんですな~。
僕も実際、やった事ありますもん。
女性のみなさまはなかなかこういう経験は無いでしょうから、想像しにくいでしょうねぇ。

ソコに過剰に反応したのが、かの久世さんであり、栗本薫さんだったと思うんですよね。
別にそういう解釈が絶対なのではありません。と言いますか、少数派で良いんです。
ただ、そんな想像を掻き立てているのが、詞よりもむしろジュリーのヴォーカルだという事が、スゴイのであって。

そして、曲。
これほど、どんなアレンジにも耐え得る楽曲というのも特筆モノです。
レコーディングヴァージョンの段階では、古き良きオールディーズ(「オンリー・ユー」など)テイストのバラード。
PYGという新たな、過激とも言えるスタイルで再出発したジュリー。オロオロと見つめるしかないタイガースファンのお姉さま方を、ググッと鎖で繋ぎとめるに相応しいアレンジだったかと推測する次第です。

その後、幾度もLIVE演奏されたのでしょうが、僕は一気に時代が飛びまして(汗)。
「サーモスタットな夏」ツアーでは、各楽器起承転結を配した、よりドラマティックなアレンジに。

「いい風よ吹け」ツアーでは、まさかまさかのロッカ・バラードに。
「songs」では、白井さんの手によるより豪華で鋭角的なオーケストレイションに。
そして「ジュリー祭り」では、タイガース、PYGのナンバーからの流れを重視した、時代的統一感のあるアレンジに。

それらのアレンジ、それぞれジュリーのヴォーカル・アプローチが異なっているのが驚異としか言えません。
どんなアレンジ、どんなヴォーカルにも耐え得る「君をのせて」の普遍性。それはしかし、ジュリーが歌う、という絶対性の元に成り立っているわけです。

なんか、熱く語り過ぎて汗かいてきた・・・。
最後に、ド~デモイイお話でお茶を濁します。

「君をのせて」の作曲者・宮川泰さん。
息子さんの彬良さんも、今第一線で活躍されていますね。
彬良さんが携わっていらっしゃる素晴らしいお仕事は多々ありますが、その中に、NHK教育テレビで放映中の音楽番組「ゆうがたクインテット」というものがあります。御存知の方も多いでしょう。

で、何が言いたいかと申しますと。

僕は、行く先々で
「ゆうがたクインテットのお兄さんにソックリ」
と言われます。
容姿のみならず、姿勢も似てると言われます。

いや、最後に無駄なお話をしてしまいましたか。
ごめんなさい。

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2009年10月19日 (月)

沢田研二 「愛しい勇気」

~from「愛まで待てない」、1996

振り返ってみますと、多くの先輩方の足元には及ばないまでも、東京ドーム・ジュリー祭り以降、拙ブログも多くの楽曲について記事を書いてまいりました。
気がつけば、これまでジュリー関連だけで50曲以上のお題をご紹介させて頂いております。それでも、まだまだ先は長いんですけど。

その中で、再三「ジュリーナンバー・女性作詞家陣にハズレなし!」という確信のもと、安井かずみさん、覚和歌子さん、岡田冨美子さん、GRACE姉さんなどの素晴らしい詞についても多くの言葉を費やしてまいりましたが、まだ記事に書けていない、大好きな女流作詞家さんがお一人残っております。
朝永彼方さんです。

彼女のジュリーナンバーにおける代表作は、何といってもまず「そのキスが欲しい」ということになるでしょうね。
しかし、僕が初めて朝永さんの詞に強く惹かれたのは、同じ「Really Love Ya!」収録の「夜明けに溶けても」という曲でした。
「夜明けに溶けても」については詞のみならず、曲・演奏・ヴォーカルすべてがとてつもなく好きで、いつか必ず記事を書きますので、この曲についての詳しい考察は次の機会に譲るとしまして。
今日は朝永さんの作詞作品の中でもう1曲、やはり
「詞も、曲も、演奏も、ヴォーカルも大好き!」
なナンバー、気持ちが優しく奮い立つ名曲・「愛しい勇気」を採り上げようと思います。
アルバム「愛まで待てない」より、伝授!

朝永さんの詞はどの楽曲も「優しさ」というやわらかいテーマが基本にありながら、必ずその中に力強い意思を持つ主人公が存在しています。その主人公の気持ちの躍動が感じられる詞なのです。
まさに、ジュリーにぴったりの作詞家さんだと思われませんか?

この曲では、ズバリ「愛の真髄」という直球勝負を挑んだ朝永さん。
愛することの「愚かさ」「危うさ」・・・乗り越えたその先に、バカでかいスケールの「何か」があるらしいよ、待ちかまえてるらしいよ!
という、これは下手な作詞家さんが手を出したら逆にトホホな楽曲になってしまいそうですが、「愛しい勇気」のこの躍動感はどうでしょう!
それ故、「愛」というテーマを、他のテーマに置き換えても成立する詞とも言えます。
大げさに言えば、「生きる」というテーマに置き換えても良いですし、細かい日常の営みに置き換えても良い。

例えば、「ジュリーファンである」という事だって、そうでしょう。
僕はこうしてブログを続けていますが、時にはね、「自分の愚かさに立ち直れ」なかったり、「危うくそれだけに満たされて」いったりするワケですよ。
些細な障壁に出くわし、心が折れそうになることもありました。
そんな時、「どこかにあるらしい」「その後くるらしい」・・・「それ」に向かってもう一度走り出せるのは、ジュリーが好きだから、です!

先輩のジュリーファンのみなさま、ジュリー関連のブログをやっていらっしゃるみなさまはとうにお気づきかもしれませんけど、ちょっと立ち止まってしまった時には、「愛しい勇気」!この朝永さんの詞を聴く・・・それが、想像以上のパワーを自分に与えてくれるんですよね。

また、詞だけじゃないんだなぁ、この曲がスゴイのは。
作曲は、先日「さよならを待たせて」「Whisper」の記事で触れた、八島順一さん。本当に詞と一体化した、前向きな作品です。パワフルな中に、極上のメロディーが紛れこんでいるのが八島さんの持ち味ですね。

♪ どこかにあるらしい それは ♪

「あ~るら~しい♪」と歌うんですけど、この部分など、「こりゃ、ジュリーが歌ってくれたらシビれるぞ~!」と、八島さん御本人が大盛り上がりだったのでは・・・と想像してしまいます。

そして、僕が一番気に入っている部分は。
これは、他のみなさまも「そうそう!」と仰ってくださるのではないか、と秘かに期待しているんですけど。
この曲、最後にサビを2回繰り返すじゃないですか。
その繋ぎ目です!

"woh"が1個少ない!

これ!
え、マニアック過ぎる?やっぱり・・・(泣)。

この曲のサビは基本、「woh, woh, woh, woh~」と4回目の"woh~"を伸ばして間奏へと連動する作りなのですが、最後はサビを2回繰り返すために、「woh, woh,woh」と3回で止めて、間髪入れずに「果てし~なくて~♪」と次のサビメロへとなだれこむのです。
初めて「愛しい勇気」を聴いた時、この瞬間のジュリーのヴォーカルには背中に電気が走りまくりでした。
それは、八島さんの作曲時のアイデアが最も生かされる形で、詞・ヴォーカルが一体化する瞬間でもあったのですね。

ジュリーの曲で、「落ち込んでいる時に元気が出る曲は?」と聞かれたら、僕は真っ先にこの「愛しい勇気」を挙げます。

”愛しい”「勇気」とは何か?
それは、この曲を聴いたそれぞれの人が、それぞれの答えを持てば良いのでしょう。
「他人(ひと)には見えなくてもいい」んですよね。
しっかりと、自分の中に持ってさえいれば、ね!

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2009年10月13日 (火)

沢田研二 「書きかけのメロディー」

~from「JEWEL JULIE 追憶」、1974

僕は実際観る事ができませんでしたが、先日、覚和歌子さんが母校の子供たちに作詞のレクチャーをする、という内容の番組が放映されたこと、御存知の方も多いでしょう。
親切な先輩がこのブログのコメント欄にレビューを書いて下さったので、僕も僅かながら放映の雰囲気を味わうことができました。
どうもありがとうございます。

ハッ、と思ったのは、番組内での覚さんのスタンスが、「詞と曲が一体となって歌が完成」というものだったという事です。
「歌ありき」「メロディーありき」・・・それはもちろん「演奏ありき」でもあるでしょう。
ただカッコイイ詞を書けば良い、という事ではなく、歌として、メロディーとして人の口から発声されて初めて、心の奥から拾い集めた言葉たちに光が当たる・・・その至福、楽しさ。覚さんが子供たちに伝えたのは、そういう事だったようです。

ジュリーが覚さんの詞を高く評価しているのも必然だったんだなぁ、と思いました。
何故なら、曲作りという作業に関して、ジュリー自身が覚さんと似た感性を20代の頃から持ち続けていたからです。
自分独りで作詞・作曲をする場合ももちろんそうですが、どちらかが詞を書き、どちらかが曲を書く、という共同作業の魅力。詞と曲の相互作用による魔法・・・これをジュリーは、驚くほど早い段階で、音楽人として自覚していたと思うんですよね、僕は。

今日は、そんな魔法を存分に感じることのできる井上バンド期、幾多の初期ジュリーナンバーの中から、正にそのものズバリ!のテーマでジュリーが詞を書いたと推察される名曲、「書きかけのメロディー」を採り上げてみたいと思います。
アルバム「JEWEL JULIE」から、伝授!

この曲では、詞・曲という崇高な共同作業を、そのまま若い男女の立場に置き換えて歌っています。
歌の中で、ジュリーはメロディーを書き、「君」が詞を書く(ややこしいけれど、実際にはジュリーが詞を書いて、大野さんが作曲)という形で、若い恋人たちの結びつきを表現。
「僕」(ジュリー)が奏でるメロディーが、「愛の言葉とたわむれて♪」やがて歌となってゆく至福の時間。

しかしいつしか二人の愛に亀裂が生じると

♪ 君が散りばめた言葉の続きを書こうとして
  君のように上手く書けはしないと
  ひとりごとをいっている♪

という事態に陥ってしまうのです。

♪ 二人の未来に光をそそぐのは
  互いの暖かい愛だけがすべてと
  信じていたけれども 今ではもう♪

このサビ部、決して大ゲサに嘆くのではなく、淡々と語るように描かれるのがジュリー作詞の真骨頂。大野さんの作曲も相乗効果となって、切ないながらも美しい名曲に仕上がっています。
メロディーと詞が一体化する事によって導かれる、シンプルながらもキラキラと光る詞の中の言葉。
その意味で、この曲での作詞家・ジュリーは、師である安井かずみさんの域に肉迫したと言えるのではないでしょうか。
特に「信じていたけれども、今ではもう♪」という倒置法の1行が、美しい旋律も相まって、ZUZUの作詞作品を聴いているかのようです。

またこの詞作は、覚さんの言う「心の奥底から言葉を引き上げる」という手法とも合致します。本当に、うわべではなく、ジュリー自身の体内から生まれ出た言葉である事は、詞を読めば誰でも分かります。
2009年、覚和歌子さんが子供達にレクチャーした奥義を、若きジュリーが30年以上前に早々と実践した「書きかけのメロディー」というナンバーは、もっともっと高く評価されるべき名曲です。

大野さんの作曲も、阿久さんとのコンビ時代とは趣が異なり、非常にみずみずしい繊細なものです。
井上さんの「遠い旅」に対して、大野さんの「書きかけのメロディー」。
お二人の若い感性が純粋に剥き出しとなったこの2曲は、井上バンド期のジュリーナンバーにあって貴重なトラックだと言えますね。

「JEWEL JULIE」は、セルフプロデュース初の作品「JULIEⅣ~今僕は倖せです」と同じく、井上バンドという仲間と楽しく角突き合わせながら制作されたアルバムで、良い意味で荒削りな演奏・ミックスが魅力ですが、そんな中この「書きかけのメロディー」の演奏が突出した真面目モードである事も、非常に興味深い点です。
70年代アメリカンロック屈指の実力派であるザ・バンドの音作りを彷彿させる名演。
将来作曲家として大成する大野さんの根幹にあった何かが、バンドのメンバーをしてそうさせたのでしょうか。
特にベースは、サリーのプレイヤーとしてのキャリア中最高の出来映えと言ってよいでしょう。

無論、ジュリーのヴォーカルの素晴らしさは言うまでもなく・・・サビで「愛だけが」と歌う部分で必殺のかすれ声が炸裂し、誰もが心をわし摑みされますよね。

しかし・・・。
ジュリー渾身の作詞であるだけに、歌詞カードの誤植は許し難いものがあります!
1番の初っ端の歌詞が

♪ 僕がピアノとたわむれて 弾き出すメロディーに
  僕がピアノとたわむれて 弾き出すメロディーに  ♪

全く同じフレーズがそのまま2行続けて表記されているんですよ。
本当の歌詞は

♪ 僕がピアノとたわむれて 弾き出すメロディーに
  君が言葉を散りばめていた 夢見るような毎日  ♪

という、とても重要な導入部なのです~。

この誤植はCDのみなのでしょうか?もしかして、レコードの時代からこういう誤表記だったのかなぁ?
もしもCDのみの誤植だとしたら、完全なコピペミスでしょうからねぇ。
今後の再プレスの際には、キチンと直して頂きたいところですね・・・。

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2009年10月 4日 (日)

沢田研二 「君の憂鬱さえも愛してる」

~from「PANORAMA」、1991

先日「whisper」の記事を書きながら改めて考えた事があります。
それは、僕が熱心にジュリーを聴くようになってから、それまでよく知りもせずに「食わず嫌い」をしてきた多くの作詞家さん、作曲家さん、プレイヤーさんを大いに見直す機会を得たという事です。
その実力を見過ごしていた自分を恥じ入る次第なのでして。

例えば、「whisper」の作曲者である八島順一さん。
この人の元いたバンドなんて、僕はず~っと完全スルーでしたから。
今では、そんな八島さんが書いた「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」「愛しい勇気」という2曲が、どうしようもなく、圧倒的になまでに好きになってしまっている自分がいるワケです。

ジュリーのアルバムを聴く楽しみのひとつは、それぞれの作品ごとに制作、作曲、演奏に関わっている方々の、渾身の取り組みの成果を味わうこと。
それがようやく分かってまいりました。

ジュリーには、制作に携わった方々のベストを引き出す天賦の才があるのでしょうね。
クリエイティブな人間を、トコトンやる気にさせてしまう、というね。

そんな中、本日の伝授は、1991年リリースのアルバム「パノラマ」から。
このアルバムもまた、僕に多くの驚きと再評価を与えてくれた名盤なのです。

お題は、収録曲で一番好きになった曲。この曲も、僕のジュリーベストソング・日替わり1位の常連さんになりました。
シングルでもない、アルバムの中の1収録曲。先輩のみなさまも、ひょっとしたら意外と見過ごしていらっしゃる名曲かもしれません。
「逆イジイジ・ソング」とジャンル指定しましょうか。ある意味、”男子の本懐”を歌った内容ですね。
「君の憂鬱さえも愛してる」、伝授!

以前、「光と花の思い出」の記事に頂いた先輩のコメントによりますと、ジュリーの楽曲には「イジイジ・ソング」というジャンルがあるらしく、なるほどそんな雰囲気の名曲は数限りなく存在します。
では、僕の言う「逆イジイジ・ソング」とはどんな曲か、と申しますと。
歌う対象の相手・・・「君」がちょっと精神的に弱っておりまして、そんな「君」に対する素直で優しいメッセージ・ソングなのですね。

一種の応援歌なのでしょうが、弱っている相手に「頑張れ」なんて野暮は一切言いません。
「君」の存在意義=それは「僕」に思われていること・・・と、まぁ結論を文章にしてしまうといささか赤面なのですが、無論歌詞でそんなストレートな物言いをしているワケでもなく。
優れた詞というのは、言いたい事を表現するのに、結論そのものは書かないんです。

さて、その優れた作詞。これは森雪之丞さんです。
まいりましたね。
数年前までの僕は森さんについて、”時代に迎合した流行作詞家”、なんていう甚だ失礼なイメージしか持っていなかったのです。

そんな僕が初めて森さんの詞を「スゴイ!」と思ったのは、アルバム「Really Love Ya!」に出逢った時ですね(DVDの方が先だったけど)。

森さんはこのアルバムで「憂鬱なパルス」「DON'T SAY IT」「F. S. M」という計3曲の詞を担当していますが、それぞれ切り口が異なり、鋭くもあり、肉感的でもあり・・・こんな才能を見逃していたとは・・・やはりよく吟味もしないで食わず嫌いは、いけません。
そして最近になって、アルバム「単純な永遠」収録の「気にしてない」という楽曲での独特な表現にヤラれたりとか。

さらに。
「Really Love Ya!」を聴いた時点では、基本、言葉遊びの達人なのかなぁ、と森さんの詞を分析していた矢先に、この「君の憂鬱さえも愛してる」ですよ!

正直、アルバム「パノラマ」って、購入当初はとっつきにくかったんです。
ドーム以降、セルフ・プロデュース期を怒涛に大人買いしていた流れの中で聴くと、ちょっと作風に違和感があって。

ただ、吉田建さんプロデュース期の5枚については「じっくり聴けば絶対に何かある」という確信もありましたので、焦らず、自分の気持ちがそちらに向かうのを待ちました。
ヘッドホン装着、歌詞カードとにらめっこしながら聴いたのが、ちょうど”きめ今”直後くらいの時期でした。
素晴らしい!

と、当然のように手のひらを返すワケです。

特に「君の憂鬱さえも愛してる」。何と言ってもまず、シビれる表現が惜しげもなく注ぎ込まれた森さんの詞に惹かれました。

♪ テラスで枯れてたダリアの蕾を
    細い指先で暖めて

    迷子の自分を呼び戻すように
    空に手をかざす君がいる

弱っている「君」の様子や仕草が、あざやか過ぎるほどに浮かんできますね~。
続くBメロ部で、恋の対象を「ライバル」と表現することで、微妙な関係をも浮き彫りにさせます。
主人公は「君」に恋をしているんでしょうが、まだ自分の気持ちに半分くらいしか気づいていない。それが、イジイジ状態の「君」を見て瞬時にスイッチが入ってしまう、という歌なのです。

この詞がまた、絶妙のメロディーに乗っかっています。
作曲は陣内大蔵さん。これまた、以前の僕なら名前だけ見て完全スルーだった人ですよ。
キャッチーでしっかりとした旋律を書く方だったのですね。

Aメロ、Bメロ、サビそれぞれに個性的なうねりがあって、短いヴァースの中にいくつもメロディーの仕掛けがあります。
それでいて、意表をつく構成にはせず、AメロからBメロへ、Bメロからサビへと、音階が自然に繋がっていくように工夫されていて。
白井良明さんの垂直落下式とは好対照のアプローチとも言えます。僕はどちらの手法も好きですけどね。

転調は間奏の1回だけ。これは編曲を担当した建さんのアイデアかもしれません。
間奏のエレガット・ソロは柴山さんかなぁ。美しい。

アルバム「パノラマ」はそのタイトルが示す通り、「メリーゴーラウンド・ロック」の要素を感じさせるコンセプト・アルバムと言えます。
「君の憂鬱さえも~」のエレガット、「SPLEEN~」でのビートルズ「エリナー・リグビー」へのオマージュ、「Don't be afraid to LOVE」の刺激的なスネアドラム・アプローチ。
収録された全ての楽曲にアレンジの主張があるアルバム。
極彩色に包まれたようなイメージの、一風変わったテイストを持つ名盤ではないでしょうか。

吉田建さんプロデュース期の5枚はそれぞれ際立った特徴を持っていますが、「変なロック」「ねじれポップス」がお好きな方におススメなのがこの「パノラマ」、或いは「単純な永遠」。この2枚は必ず気に入るはずですよ。

貴重盤にて、入手できずお困りの方も多いことでしょう。
再発を切に希望します。

ここまできたら、「建さん期BOX5枚組」でもイイんじゃないの~?
ボーナスはシングルカット両面、ジャケ付きで、ね。
(「Hello」の立場は~!)

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2009年9月15日 (火)

沢田研二 「さよならを待たせて」

~from「Sur←」、1995

今日のお題は、アルバム「sur←」から、叙情味たっぷりに聴かせるバラード、「さよならを待たせて」です。

最近の僕は基本、普通のジュリーファンの方々とはちょっと違った視点で、何か書きたい事を思いついた楽曲を記事にするように心がけています。
今週は、残り少なくなった「Pleasure Pleasure」ツアーのセットリストから、そんな楽曲を2曲選ぼうと思い立ち、先日「明星」の記事を書きました。
そして、もう1曲の記事は「ROCK' N' ROLL MARCH」にするつもりでいました。

ところが一昨日に、書きたい曲が変わりました。
僕がよくお邪魔するブログの管理人Sさんが、今週から入院なさる事を知ったからです。
Sさんの御報告の文章は深刻なものではありませんでしたが、やっぱり入院というのはどうしても気がふさぎがち。検査までの時間がやたらと早く過ぎたり、そうかと思うとジリジリと全然進まなかったり。
入院中もネットは見られるそうですので、ひょっとしたら僕のトコにも来て下さるかも知れない。そんな時に、少しでも和やかな気持ちになって頂ければ、と。

え、それで何故「さよならを待たせて」かって?
そりゃ、プレジャーツアー・セットリスト、この曲の見どころは、何と言っても柴山さんのギターソロ。「さよならを待たせて」の記事で一番書きたいのはソコなのです。
そしてSさんは、今や全カズラーの頂点に君臨するお方ですからね。

でも、ちょっと待った。
逆の言い方をしますと、この記事は「とにかくジュリーLOVE」のお姉さま方にとっても実りのあるお題なんですよ。
何故なら本日伝授するのは、

ジュリーに見つめられたい願望・実現必勝法!

なのです。
まぁ騙されたと思って読んでみてくださいね。伝授!

実は僕、ネタバレコーナーのレポにも書きましたけど、渋谷2日目の「さよならを待たせて」演奏中に、ジュリーに見つめられました。
お隣だったXさんに、「気のせい」とか「男でもそんな勘違いするんだ?」とか散々からかわれましたけどねぇ。でも僕はジュリーのLIVEで「見つめられたい」とか「目を合わせたい」とか一切考えた事のない奴なんですよ。

ですからこれは、「勘違い」とか言う類のモノではありません。単なる、「事実」ですけん!

「さよならを待たせて」は今ツアーで、本割のトリ、という重要な位置で演奏されます。
一応クリスマスソング、切ない内容の詞なんですけど、プレジャーツアーではシンプルに「これで(一応)さよならね♪」という意味合いでのトリ配置なのでしょうか。

楽曲の特徴として、長尺の後奏を擁していることが挙げられます。
LIVEでは、もちろん柴山さん渾身のソロで締めくくられるのですね。
当たり前の話ですが、ヴォーカルと同じように、ソロパートというのはどんな楽器でも、その日その日によってニュアンスが変わっているのが伝わり易い。
「さよならを待たせて」での柴山さんのギターソロは、その最たる例でしょう。

僕がこれまでプレジャーツアーを5会場観てきた中で、この曲のソロが最も素晴らしかったのは、渋谷2日目でした。
自らの奏でる音色に触発され、徐々に気が高まってきた柴山さんは、チョーキング時に「ぬお~っ」と口を拡げ、トリル時には「あうあう(byXさん)」、ビフラート時に「い~っ(byAさん)」と、クルクルと表情を変えながら入魂の指さばき。
不肖DYNAMITE、この日の柴山さんソロの間は、ジュリーの存在を忘れましたね。

ジュリーは通常、バラードの間奏や後奏の時にはこころもち顔を上げて空を見つめます。
でも、この曲の後奏は違うんですよ(いや、気分によっては顔上げる日もあるでしょうが)。それは、ジュリーが常に歌詞の内容を意識するヴォーカリスト、ということの証明でもあるんですけど。

♪背中で送るよ Cause my love♪

ラスト、後奏直前の詞です。
さよならを告げた後、去りゆく恋人を背中で送っているのです。堂々と確信めいて顔を上げるワケにはいかないでしょう。

ちょっと、うつむき加減になるんですね。
ステージ上からだと当然、1階前方20列くらいまでのお客さんがジュリーの視界に入っているはずです。
お客さんのうっとりした視線は、流麗なバラードを歌い上げた自分に注がれて・・・・・・ん?

ちょっと7列目のそこのキミ、ワシを見ないで何処見とるん?

てな具合だったのではないでしょうか?
僕は、ジュリーLIVE生涯初神席・7列目のその日、GRACE姉さんの真ん前くらいの位置でしたから、柴山さんガン見だと、完全に顔が横を向いた状態だったでしょうね。
ソロが終わって「グ~♪」した後ジュリーに視線を移したら、その瞬間ガキッと目が合いました。
これが乙女のみなさまだったら「きゃ~!」なのでしょうが、僕の場合は「うぁ!」。
気圧されて後ずさりしましたよ。

まぁこれは1階前方のお席でのみ有効な手段ですけど、残す大阪・渋谷に参加なさるお姉さま方は、是非お試しあれ。
そしてお姉さま方は、ジュリーに見つめられるその前に、そのままカズラーへ転向、という本末転倒な結果をも覚悟しておくべきです。
ツアー終了へ向け、柴山さんがこの曲の演奏に気合を入れて臨んでいないワケがありません。自分の中で大きな見せ場だと考えていらっしゃるに違いないのです。
きっと、素敵なギターソロが聴けるでしょう。
何よりも、無防備なまでに恍惚の表情を見せる柴山さんが観られるはずですから。
で、ついでに(!)ジュリーに見つめられてきましょうね。

え~と、ここまで、全然楽曲の伝授をしていませんな。

この曲の詞で僕が一番惹かれるフレーズは「♪あばれる心がCause my love♪」という部分です。
どういう状況であれ、恋愛に関して、己の自我を通そうとする、無理矢理主張を貫こうとする、というのは男性独特の感情だと思いますが、この曲の作詞は女性・・・覚和歌子さんなのですね。
男性のそんな野蛮とも言える感情を「あばれる心」と表現。覚さん、天才です。

あと、今回のツアーでは、多くの方々が

♪さよならを夜明けに待たせて
  あ~
  もういちど抱きしめたいけど♪

の、「あ~」にヤラれていらっしゃるようですね。
確かにあの「あ~」は男の僕が聴いていてもスゴイと思いました。一番スゴかったのは横浜ですね。吐息を絞り出すような感じでしたよ。
レコーディング音源の方には、そこまでのニュアンスは無いですから、これはLIVEならではの大きな見せ場と言えます。
蛇足ながら、レコーディング音源でこのような「あ~」が聴ける曲と言えば、アルバム「愛まで待てない」収録の「嘆きの天使」でしょうか。

さて、週末は大阪遠征です。
畏れ多くも今ツアー最高の神席を頂きました。しかも、柴山さんの真ん前なんです。
僕はレポ発信者の末席であるとは言え、このタイミングで、この特殊な席で参加させて頂く事に使命感を覚えずにはいられません。

ほぼ柴山さんガン見で、ジュリーに怒られてこようと思います。
レポが、ワケの解らないギタープレイのお話ばかりになったら、ごめんなさ~い!

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2009年9月12日 (土)

沢田研二 「明星-VENUS-」

~from「告白-CONFESSION-」、1987

今日は千葉ですね~。
参加される皆様、あいにくの空模様ですがどうか楽しんできてくださいませ。

聞くところによりますとジュリー、一昨日の町田では「TOKIO」の演奏中、そでステージに駆け込んだ時にフロアに落下したとか。
ドキッとしますよね。多くの方が「大丈夫みたい」と書いてくださっていたのでひとまず安心はしましたが、考えてみたら安城の時も一瞬「危ねっ!」と思ったりはしたのです。
今のジュリーは、病気よりもケガの方が心配かも。どうか無事でありますよう・・・。

本日の千葉が終わりますと、残すはいよいよ来週の大阪、渋谷。
来週ですよ来週。
本当にもう少しで、プレジャーツアーが終わってしまいます。
初めて体験した夏のツアー。渋谷→渋谷→大宮→安城→横浜→大阪→渋谷・・・7会場参戦かぁ。今年は贅沢をしました。僕はもう立派なリピーターかもしれません。

残す大阪・渋谷への期待と、過ぎゆく夏への思いを込めて、来週までに「Pleasure Pleasure」ツアー・セットリストから2曲を採り上げ、記事を書きたいと思います。
まず今日は、柴山さんのアコギ1本&混声3部コーラス、というスタイルでLIVE演奏されております至高のバラード、「明星-VENUS-」。
アルバム「告白-CONFESSION-」から、伝授!

ジュリーは基本、レコーディング音源とLIVE演奏のアレンジに極端な違いはないのですが、「ジュリー祭り→Pleasure Pleasure」で演奏された「明星-VENUS-」は、オリジナルとは相当に異なるヴァージョンと言えます。

それについては、まずこの曲のキーがイ短調である事が大きなポイントとして挙げられると思います。
イ短調(近親=ハ長調)とホ短調(近親=ト長調)の楽曲は、ギターのアルペジオ奏法において最もスケールやポジション、指使いの自在性が高いキーなのです。ルートの音を移動させながらも、他の和音を開放弦で表現しやすく、ネックに近い高いポジションで弾く際にも、開放弦を上手く利用すれば、激しいフレット移動が可能なのですね。
有名な曲で例を挙げますと、「禁じられた遊び」や「鉄道員」がホ短調、さらに洋楽ロックで言うと、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」がイ短調、ビートルズの「ブラックバード」がト長調、といった具合です。

アルバム「告白-CONFESSION-」でのオリジナル・ヴァージョンは、ニューヨーク録音という要素もありAOR的な演奏でオシャレに纏められていますから、アコースティック・ギターはストロークのコード弾きになっています。
CO-CoLOの演奏は、そのギター・ストロークを土台に、多様なキーボード、パーカッションが噛みこんでくる、これもまた素晴らしいスリリングなものです。

一見、ベースレスの鉄人バンドにとってこのオリジナルアレンジは、LIVEで再現しやすい音作りに思えます。
ところがここに「コーラス」という要素が入ってきますと、そう簡単にもいかないのです。

何種類もの音色で変則的に投入されるキーボードとパーカッションは、それ故に最初の1音から神経を使います。
GRACE姉さんは根性で何とかなるかもしれませんが、このアレンジだと必然的にパッチチェンジの作業などが演奏に付随するキーボードの泰輝さんは、コーラスどころではないでしょう。

この「明星-VENUS-」という楽曲をドームのセットリストに挙げた時点で、演奏を採るか、コーラスワークを採るか、という二者択一が検討されたものと想像できます。
ジュリーと鉄人バンドは、コーラスワークを重要視したワケですね。
その結論の瞬間、下山さんが「俺、コーラスのみかよ~」と若干ビビったのでは、とか余計な心配をしてしまいますが、「Pleasure Pleasure」ツアーを観る限りそれは杞憂。
腕を真後ろで組んで、直立コーラスに専念する下山さんのバリトンは、今ツアー見どころのひとつですよ。

その分演奏はアコギ1本!という最少の編成となったのですが、柴山さんは、
「キーがAm(イ短調)ならコッチのモンだ!」
とばかりに怒涛のポジション移動で優美に聴かせてくれます。さすがは世界最強・最小ギタリスト!

LIVEヴァージョンについてばかり語りましたが、オリジナル音源を知らない方々には、是非CO-CoLOヴァージョンも聴いて頂きたいと思います。
間奏のサックスが一番端的に言えるんですけど、良い意味であの時代のニューヨーク・サウンドなんですよねぇ。全体にコーラス(声じゃなくてエフェクトの方ね)がかかってるミックスの感じとか。
エンディングの「ヴィ~ナ~ス♪」を遠くから聴こえるように処理したり、間奏以外はサックスパートを左チャンネルに振ってヴォーカルを際立たせたりとか、細かいミックスの工夫を凝らした、アルバムの看板と言える名曲です。

そして、ここでもやはりジュリーのヴォーカルなんですよ。
僕が尊敬するJ先輩のおひとりでいらっしゃるMママさん(M表記の意味が・・・バレバレでは?)と安城でお話した際、どの時代のジュリーのヴォーカルが一番好きか、という話題になったんですけどね。
Mママさん、まず間髪入れず「そりゃやっぱり、”勝手にしやがれ”の頃が一番伸びやかでイイでしょ~!」と仰った後、ボソッと「でも実は○倫してた頃が一番イイ声出してんのよね・・・」と、悔しそうにつけ加えていらっしゃいました~。

♪人の世からはみ出したら♪

とは、「倫理を外れる」という意味だと思いますが、そうすると真(まこと)や未来が見えてくるという・・・実は揺るぎない入魂の歌唱が一番見えてしまっていたモノだとか?

確かにCO-CoLO時代の作品は地味で、多くの先輩方が中抜け突入なさった時期のようです。
ジュリーも「あまり多くの人に覚えてもらっていない」という思いがあったのでしょうか、ジュリー祭りでは演奏前に「CO-CoLOの頃の曲を・・・」と紹介していましたよね。
ポリドール期以降の楽曲知識不足のままドームに行った僕は、ジュリーのそんなMCを聞き取れなかったがために、「明星-VENUS-」がどのアルバムに収録されているかを調べ切れないまま、レポ記事を書いてしまいました。

今こうしてCO-CoLO時代のアルバムを聴くと、ジュリーの内から湧き出る創作意欲がヒシヒシと伝わり、他のどの時代にもない独立した魅力を感じます。
ジュリーのヴォーカル、そして本格化した自作詞という観点もさることながら、石間秀機さんが類稀なるメロディーメイカーであり、ジュリーに多くの隠れた名曲を提供していらっしゃる事は、もっと多くの人に評価されてしかるべきなのでは、と思います。

そのためにも、是非リマスター再版の英断を!
ちょうどこの時代・80年代中盤こそ、純粋に音に関して最もリマスターの価値がある音源の居並ぶ時代なのですから。

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2009年9月 7日 (月)

沢田研二 「U.F.O.」

~from「いくつかの場面」、1975

こんばんは。
先日伝授しました「コバルトの季節の中で」。
日頃よりお世話になっているJ先輩からの記事感想メールを拝見しているうち、

♪髪型が変わりましたね♪

の髪型が、時期的にあのカーリーヘアの事なのでないか、という可能性にブチ当たり、オロオロしているDYNAMITEです。

気をとり直しまして。
さぁ今日は、「もう書くしかない!」という雰囲気を勝手に感じて渾身の伝授をさせて頂きますよ、「U.F.O.」!

先輩方の多くが「ちょっと・・・」と尻込みなさっているナンバーの記事を書くのは初めてじゃないかなぁ。
これが本来、伝授の醍醐味かもしれません。

アルバム「いくつかの場面」から、A面の大トリですよ!(と言うか、コレの後にどの曲を続けて収録しても違和感があるから、この位置・・・って事なんでしょうか。ビートルズの「I WANT YOU」でそんな話があったっけ)
70年代和製サイケデリック・ロックの最高峰だと思います。
見よ!飛べ!どか~ん!の「U.F.O.」伝授!

まず、このナンバーが何故に多くの先輩方から「苦手」と言われているのか、考えました。
で、見当ハズレかもしれませんが、ちょっと思いついた事があるんですよ。
それはこの「U.F.O.」という楽曲タイトルから受けるイメージについて。

何でそんな事を思い立ったかと言いますと、拙ブログ右上にドド~ンとバナーリンクされております通り、最近大阪でのジュリー映画特集が決定し、協賛のいてまえ隊の皆様をはじめ、関西方面はたいそう盛り上がっていらっしゃいます。

それで、タイガースの映画ってのを、おさらいしてみたんですけどね。
ひょっとして、タイガースをタイムリーで追いかけていらっしゃった先輩方って、「U.F.O.」というフレーズから連想する具体的なイメージがあるんじゃなかろうか、って。

ズバリ、シルビィの円盤ですね。

「世界はボクらを待っている」・・・この映画は、ジュリーファンの間でも、かなりトホホな内容だと言われているようです。それ故に、愛されてもいるんでしょうけど。
登場するシルビィの円盤は、某有名SF映画で「X星人」が乗っていた円盤のセットを使い回しているそうですね。
そのSF映画自体が、「ナンセンス傑作」という微妙な評価で熱烈支持されている事は知っていますから、シルビィの円盤のトホホ具合は想像できる(いや、僕「世界は~」観てないんですよ←コラコラ)というもの。

つまり、先輩方にとっては、「U.F.O.」というタイトルの時点で、なんだかトホホなんじゃないかと。
最初に「どか~ん!」と来た瞬間、先輩方としては、「やっぱりこんな曲かよ~」って感じ?考え過ぎですか?

僕は幸いなことにそういった下地が無いですから、純粋に70年代の進化形サイケデリック・ロックとしてこの曲を聴く事ができました。

では、何故「U.F.O.」なのか。何を持ってして「U.F.O.」なのか。
これについては、僕がアルバム「いくつかの場面」について(思いこみかもしれませんが)抱いているトータルコンセプトを、説明しなければなりません。
アルバム全体に俯瞰されているイメージ・・・それは「学生運動」です。

おトキさんの2曲から、そんなイメージを拡げているのかもしれませんね。
でも、他の作詞家さんのナンバー、例えば松本隆さんの「燃えつきた二人」に登場する恋人達の挫折にも、10代の学生の姿が見えてしまうんです。
そして、及川恒平さんの3篇。これは、モロだと思うんですよ。

僕は無論、タイムリーな学生運動世代ではないので、想像でしか語れないのですが、彼等の間にも当然恋愛沙汰ってのは内在していて、成就した恋もあれば、破綻した恋もたくさんあるだろう、と。
若い感性を持ってすれば特にそうだと思いますが、同じ志を持つ者が惹かれあった時の恋愛は、結果はどうあれ相当激しいものだったでしょう。
だから、絶望の淵にある物語であっても、美しい。そんな詞を及川さんは書いているような気がします。

まず「外は吹雪」。
これは、吹雪の山荘=アジトのイメージを喚起させます。

恋人が、得意の料理の腕をふるえないのは、それが保存食しか置いていないような場所である、ということではないでしょうか。買出しにも行けない状況下にある、という。

さらに「人待ち顔」。
これは、大学の部室(の近くの喫茶店)。冬の木漏れ陽の中、やって来ない同志を待つシチュエーション。
何故やってこないのか・・・何か緊急の事態が起こったのか・・・そんな心配をしつつ人待ち顔でいる「君」に反して、主人公は同志の身の心配よりも、「君」と二人きりで部室にいる、という今この瞬間の状況の方が気になるようです。

「誰もやってはきませんよ」って事でソッチ系へ・・・行くのかなぁこの詞の続きは。

そして、「U.F.O.」。
これは、シュプレヒコールを暗示するフレーズなのではないでしょうか。
スローガンを叫び、隊列を為す無数の学生達。確固たる意思を持たない者すら、その隊列に加わると、血が逆流し、精神は遥か高みへと飛び立つ・・・そんな催眠作用のある物語。

3編どのナンバーも、詞にバッチリと嵌った秀逸な曲がついていますが、一番難産なのが「U.F.O」であった事は確実です。
詞が先であろうと、曲先であったにしろ、これほど強烈な詞曲が一体となった楽曲は、そうそう生まれるものではありません。

ミッキー吉野さんは当時から、他を圧倒する才能を発揮していた作曲家でしたが、僕は「U.F.O.」が彼の最高傑作ではないかと考えています。
確かに、ゴダイゴの「ポートピア」「カトマンズ」あたりもかなりスゴいです。しかし、情念の反映度の高さ、入魂度では「U.F.O.」が勝っていると思います。
Aメロ、ブリッジ・・・すべてが完璧ですが、やはりサビですね

「ゆ~えふお~の、たいれつ~♪」
サビなのに、トニックにもドミナントにも着地しない。スコ~ン!と空中へ舞い上がるメロディーは、まさにシュプレヒコール・クライマックスです。
70年代のデヴィッド・ボウイの名言に「脳天をつんざくメロディーを作るよう心がけている」という言葉がありますが、それを日本で最も具現化したのは、ミッキー吉野さんであると言えます。

ジュリーのヴォーカルも、格段にスゴい。
このようなアジテーション色の強い楽曲は、ややもすると吐き出すヴォーカルに頼りがちですが、ジュリーは、美しく歌うんですね。
「その下で、僕は誰かと、巡り逢う♪」
最も美しいのは、1番のこの部分だと思います。先輩方、是非是非、聴き直してみてください。

では、いよいよ問題の「見よ!飛べ!どか~ん!」問題を語ってまいりましょう。(ごめんね、虐げられてる大好きな曲だから、いつも以上に長文で)

編曲もミッキー吉野さんなのですが、とにかくメロディーはスゴいのが出来た、楽器の噛みこみ具合もバッチリ決まった・・・でも、何かが足りない!
そう考えたのでしょうねぇ。
足りないもの・・・それは、逆流する血のたぎりが沸騰点を超える、その瞬間の表現だったのでしょう。
おハコの浮遊キーボードはエンディングで使うと決めた。ならばここは・・・楽曲を爆破するしかない!

いえ、これは決してフザけて言っているのではありませんよ。
それどころか、同じレベルで語るのは大変失礼ながら、僕もミッキーさんと同じ立場に直面した経験があるのです。

僕は楽器はヘタですが、アレンジとエンジニアリングが出来るので、昔から音楽仲間に重宝されていました。
色んな友人の曲をアレンジ、プロデュースしてきた中で、特に苦労した思い出の曲がありまして、これまたYOKO君ネタなんですけど。

YOKO君が書いた、「何が伝えられる」という強烈なアジテーションを擁した曲のアレンジ作業にて。
サビで
「なにがっ!つたえられる!」
と歌う曲なんですが、なんとかこの血のたぎりを表現したい、と考えた僕は
「なにがっ!(どか~ん!)」
という、爆破音を施しました。
無茶な試みでしたが、その頃はまだ20代で、若かったしねぇ。

無論、当時「U.F.O.」なんて曲は知りませんでした。偶然、ミッキーさんと同じ事をやったのです。
完成テイクを聴かせた時のYOKO君の複雑な表情は、今でも忘れませんよ・・・。

↓ちょこっとだけ抜粋サンプル
「nanigatutaerareru.wma」をダウンロード

つまり、「U.F.O.」の「どか~ん!」は、沸騰する血流を表現しているんです。同じ事をやらかした経験から、ミッキー吉野さんの爆破音に対するアプローチ考察については、確信があります。

ただ、はからずも「U.F.O.」がそうであったように、僕も多くの音楽仲間たちから「何コレ?」と誹謗中傷を受けましたわ。
まぁ、今となってはいい思い出ですけどね。

僕は、”一番好きなジュリーナンバー”というのは日替わりで固定していないんですけど、「U.F.O.」が一番好き!という日が年に4、5日はあります。
今日もそんな日でした。

全く関係ないかもしれないけど、「世界はボクらを待っている」、観てみようかなぁ。
「U.F.O.」に対するイメージが、変わっちゃったりして。

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2009年8月14日 (金)

沢田研二 「希望」

~from「生きてたらシアワセ」、2007

厳しい残暑が続いています。

昨日、azurさんのお家を経由して、泰輝さんのブログを拝見しました。
僕の次回プレジャーは月末の神奈川なのですが、「我が窮状」と「緑色のkiss kiss kiss」の2曲、今までとは全く聴こえ方が違ってきそうです。
敢えてその日までCD音源は聴かず、当日、生のジュリーの歌唱、泰輝さんの演奏と向き合おうと思っています。

ところで僕は、ジュリーの一連の「平和」コンセプトの楽曲の中で、「希望」が抜きん出て好きなのでして。
理由は簡単、単純に僕が大好きなタイプの構成の曲だから。

ジュリーナンバーのみならず、どんな歌を聴く時でも、歌われている内容が「平和」であろうと「愛」であろうと、ただそれだけで共感する事はありえません。良い曲である事が大前提です。
その点「我が窮状」も「緑色のkiss kiss kiss」も名曲ですが、「希望」は本当に僕のツボを突く仕掛けやコード進行を擁していて、どんな時でもパワーを貰える、僕にとっては大切な曲となっているのです。

アルバム「生きてたらシアワセ」から、敢えて”究極のハッピーソング”と位置づけたいと思います。
「希望」、伝授!

僕がこの曲を初めて聴いたのは、CDではなく「奇跡元年」のLIVEでした。
「奇跡元年」参加時、セットリストの中で唯一音源を持っていなかった曲が、これ。
「ラブ・アンド・ピ~ス♪」のゼスチャーとか、タイミングが解らず必死で後追いしたりしてましたが、初見一発で大好きになりました。
その時はまだ歌詞の内容も頭に入って来なかったけど、とにかく元気を貰えて、身体からエネルギーが湧き出てくる、心底盛り上がれる曲。そんなイメージを、たった1回のステージで僕はジュリーに植えつけられてしまったのです。

では、”ハッピーソング”とはどんな曲を指して言うのでしょうか。

初めてこの呼称が使われた楽曲はやはり60年代の洋楽で、ビートルズの「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」です。有名な曲ですから、御存知の方も多いでしょう。
作者はポール・マッカートニーで、彼はこのすぐ後に間髪入れず同系統の「オール・トゥゲザー・ナウ」という曲も書き、ロック・ミュージックにおける”ハッピーソング”の地位を確立させました。
ジョージ・ガーシュウイン流のラグタイムっぽいリズムで、やたらめったら楽しげな言葉を連呼する、というのがこの2曲の特色でしたが、のちのフォロワー達はその中でも「おまじないのようなフレーズの連呼」という点に重きを置き、今では”ハッピーソング”と言えば「おまじない言葉」という条件がついて回るようです。

「希望」の詞の組立てがこの「おまじない連呼系・ハッピーソング」を意識している事を、みなさまに知って頂きたいと思うのです。
ジュリー自身のこの作詞、決してふざけていたり、適当に言葉をのせているのではありません。

ジュリーは「希望」の詞を書くにあたって、「平和」のメッセージを込めると共に、この楽曲を、澱みの一切無い、多くの人々に「シアワセ」をもたらすナンバーに仕上げようとしたのではないでしょうか。
白井良明さんの力強い作曲と、ジュリーの思いがクロスした、そんな作詞アプローチ。

その瞬間、ジュリーは自身の好物である洋楽の中から”ハッピーソング”に狙いを定めたに違いありません。

「アラー、アラー♪」「ブッダ、ブッダ♪」

これらのフレーズにはそういう意図があるのです。
ハッピーな、おまじない連呼。
平和を歌うなら、力強い個人の意思を持って。実現するなら、「個」に対するシアワセの結集であろう、というジュリーの信念がこの時点で完成されていると言えます。
この後の「我が窮状」「緑色のkiss kiss kiss」は、その信念を様々な側面から掘り下げて作られた楽曲のように思います。きっとこの先も、続く楽曲があるでしょう。

「希望」は白井さんの作曲とアレンジも素晴らしいです。
「テーマ」とも言うべきキメのコード進行、これは70年代ロックで頻繁に使われたパターンで、トニックから1音半上へと、まずは尖った和音進行。それを起点にドミナントへ向かって1音ずつ上昇して行く、というもので、実は70年代のジュリーナンバーに同進行の曲がありますよ。「JULIEⅥ」収録の「悲しき船乗り」です。
試しに「希望」のイントロに合わせて「よせよ、あんな女は♪」と歌ってみては?

過酷な残暑に見舞われるこの季節は、日本人にとって辛い思いを呼び覚ます時期でもあります。
まずは生きている僕らが元気であること、元気を与え、受け取ること。

僕の友人に、「蝉の鳴き声が苦手」という人が何人かいます。無性に不安になったり、頭を抱えたくなるのだそうです。
先祖の方々が体験した、過ぎ去った夏の忌わしい記憶を遺伝子レベルで受け継いでいるのでしょうか。
残念ながら僕は平凡な人間ですので、そんな鋭い感性を持っていません。
だからこうして、ジュリーの歌を聴いています。
ハッピーな「希望」に元気を貰って。

ジュリーは今頃、広島ですね~。

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2009年8月 9日 (日)

沢田研二 「RED SUMMER」

~from「JULIE CMソング・コレクション」

小平のみなさま、お疲れさまでした。楽しんで過ごされたことと思います。
にしても、今日は暑かったですね~。

あまりに暑いので、僕もさっきコンビニでビール・・・ではなく、コカ・コーラを買ってまいりました。
コーラなんて飲むの、ずいぶん久しぶり。
と言うか、積極的に飲みたくなったのが、久しぶりです。

赤くぬれ!夏を燃やせ!コカ・コーラ!

今日のお題はこれなんです。
実はこの度、「JULIE CMソング・コレクション」を聴く機会に恵まれました。
いい曲がたくさんありましたが、真夏のタイミング・ドンピシャで大いにハジけて聴いたのがお題の「RED SUMMER」なのでした~。伝授!

と、言いながら、僕はこのCM覚えていないんですよ~。
年代的に絶対目にしているはずなんですが。
楽曲自体は、Rock'n TourのLIVE音源で聴いたことがありましたが、正規録音ヴァージョンをフルサイズで聴くのは今回が全くの初めて。

カッコ良かった~。
ジュリーのあの声で歌われると、「コカ・コーラ♪」の連呼がちっとも気にならない。むしろ、もっと聴きたい!と思っている間に終わってしまう、3分足らずのイカしたロッケン・ジュリーなナンバー。

作曲は大野さんです。
70年代後半、阿久さんとのコンビで短調のセクシー系ナンバーを次々に大ヒットさせた大野さんですが、僕は大野さんが作る、長調のアップテンポ・ナンバーが好きなんです。
すでに記事を書いております「おまえのハートは札つきだ」などが、それに類します。
それらのタイプの楽曲は当時の商業戦略的にランク付けが低かったのか、シングルのB面であったり、アルバムの1収録曲であったり、というパターンが多いようですね。
あの時代、長調アップテンポのシングル曲は、「OH!ギャル」くらいなモンですから。

その扱いの低さがかえって、大野さんの作曲作業にほど良い遊び心を加えさせた、というのは穿った見方なのでしょうか。
本当に、ヤンチャでウキウキとした曲が多いと思うのです。

「RED SUMMER」も、いかにも日本的な解釈のロッケン・ナンバーなのですが、チラッと洋楽のエッセンスも盛り込まれていたりして、80年代に完全に洋楽路線へとシフトしたジュリーナンバーとはまた違った不思議な魅力が感じられます。

「RED SUMMER」については、”CMソングを作る”という事が最初から大野さんの頭にあったのでしょう。ちょっと変わった構成になってます。
Aメロが2パターンあって、いかにも熱い太陽の下でハシャいでいるような冒頭のガツ~ン!というキメのAメロは、何と1度しか登場しません。
2回し目からはAメロが愁いあるコード進行にとって代わります。ココのG→Ddim→Amの流れがキレイなんですよ~。でもCMだと、この部分は聴けないんです(CMの動画は見たことある)。
反して冒頭のキメのAメロは明らかにTVで流れる事を前提に作曲されていて、その対比がとても面白いです。

作詞は阿久さんではなく、マノまことさんという方です。有名な方でしょうか?僕、知らない人なんです・・・。
この人の詞も非常に面白い。簡潔に、と心がけて作ったとは思うんですけど、そんな中、サビ前に歌われる「赤くぬれ♪」。
これは「濡れ」ではなく、「塗れ」だと思います。ローリング・ストーンズの「黒くぬれ」にインスパイアされたフレーズでしょう。
”ジュリーが歌うとカッコイイ”言葉を書いてくれていますね~。

編曲も大野さんで、「この人はセンスあるなぁ」と思うのは、2回の間奏を倍尺のテンポに落として、波を表現している部分です。
で、これが並のセンスのピアニストの人が編曲担当だと、どちらかの間奏に超絶鍵盤プレイを配置して自己主張してしまうでしょう。
大野さんはそんな野暮は致しません。波と言えばエレキ!とばかりに、2度の間奏はいずれもエレキギターのツイン・リード。これがまたカッコイイ!
そして、歌メロにぐいぐい絡むようにして、目立たないながらも陽気なピアノを挟み込む編曲は素晴らしいのひと言。
きっと、ストーンズの楽曲でニッキー・ホプキンスが弾くピアノが好きなんですね、大野さん。まさにそんな感じです。

とまぁ、「RED SUMMER」は大変ゴキゲンな、何よりもジュリーが気持ち良さそうに歌っている隠れた名曲かと思いますが、残念ながら「JULIE CMソングコレクション」はCD化されておりません。全曲の音源を入手するのは至難の業です。
ただ、詳しくは解らないのですが、数年前に「コカ・コーラのCMで使用された楽曲を集めた編集盤」なるCDが発売されていて、その中に「RED SUMMER」が収録されているらしいです。

興味のある方がいらっしゃいましたら、この機に探してみてはいかがでしょうか?

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2009年7月23日 (木)

沢田研二 「BURNING SEXY SILENT NIGHT」

~from「JULIE SONG CALENDAR」、1983

約1名(YOKO君)のためだけに続けてきた、セットリストに全く関係ない「そりゃ今後もLIVEじゃまず演らんだろう」的な、マニアック楽曲・伝授シリーズ。
解禁の大宮まで、あと僅かとなりましたが。

しかし、いくら僕がマニアック狙いで書いたお題についても、常に僕の数段上を行き、「この曲好きです」攻撃を浴びせてくださる素晴らしき先輩方。
なんとか先輩方を出し抜きたい、という欲望がフツフツと湧いてまいりました今日この頃なのです(無理でしょうけど)。

一体どんな曲について書けば、先輩方をして「そりゃいくら何でもマニアックな・・・」と仰って頂けるのか、と、色々考えた挙句、今日はコレです。
アルバム「JULIE SONG CALENDAR」から大トリのバラード、ジュリー作詞・作曲の「BURNING SEXY SILENT NIGHT」。
今日はこのお題にて、ジュリーが自身の作詞・作曲作品に強く思い入れを抱くようになった経緯などについて、考えてみたいと思います。
伝授!

この「JULIE SONG CALENDAR」は、当初レコードが存在せず、カセットテープのみでの発売だったそうですね。
カセットだけをお持ちの先輩方が多いんじゃないんですか~。
「ちゃんとCDで買い直した!」という方、どのくらいいらっしゃいますかね~。いや、このアルバムは先輩方の作品評価含め、その辺り結構微妙な1枚なのかもしれない、と思って。

これって一応コンセプトアルバムなんですよね(実際は、ジュリーパーソナリティーのラジオ企画が具体的に音源化したもの)。
それぞれの楽曲がカレンダーよろしく1月の歌、2月の歌・・・と順不同にあって、「BURNING SEXY SILENT NIGHT」は「サイレント・ナイト」ってくらいだから、当然12月の歌(てか、少しは伝授に季節感を出せよ、自分)。
で、この曲だけが作詞・作曲共にジュリー。
他の曲は作曲だけがすべてジュリーのペンによるもの。作詞は、職業作詞家さんではなく(湯川れい子さんだけ例外)、当時ジュリーの周囲にいらっしゃった有名な女優さんとか、女性歌手とか、女流漫画家さんとか・・・。

今のジュリーが、自作以外は必ず職業作詞家さんではない身近な女性に詞を書いて貰う、というスタイルを続けていることは、ファンなら誰もが知っています。
20年以上遡ったポリドール時代に、たった1枚だけそういうアルバムがあったのですね。

ジュリーはきっと、敢えて言えば素人っぽい、素直な詞が好きなのでしょう。
ジュリー自身の詞は、例えばアルバム「告白」収録曲などは私小説的と言われますが、基本的には「露出」ではなく「素直」な詞を書きたい、と思っているのではないでしょうか。

ジュリーは70年代初めから作詞・作曲という作業には貪欲でした。
初期の作詞については、安井かずみさんの影響が強く窺えます(「恋から愛へ」「15の時」など)。
一方では、自身を取り巻く状況をカラッとしたタッチで描く、という手法も多く見られ(アルバム「JULIEⅣ」収録曲など)、いずれにしても、完成度を追求するよりは、「歌いたいから詞にする」というスタンスのように思います。

ところが80年代に入ってからのポリドール期は、ジュリーの業界における”気障が似合うイイ男”というキャラクターが強く確立し過ぎ、歌に対して真剣であるが故に、ジュリーは涙ぐましいほどに、そのキャラクターに沿った歌詞作りをしています。
「BURNING SEXY SILENT NIGHT」もその中の1篇と言えるでしょう。
でも、考えてもみますと。

♪離ればなれ、きよしこの夜
  たまにいいぜ、ひとりぼっちも
  俺のこと思って、震えて眠ってみなよ♪

こんなナルシスト系の詞(しかも直球)、書くまではともかく、自分で歌う事までして恥ずかしくない歌手って、ジュリーくらいなモンでしょう。
僕は、この頃のジュリーの作詞は面白いと思いますよ。「ZOKKON」とかも何気に好きだったりします。

ただ、作詞の経験値を増すに連れ、ジュリーとしては「もっと歌いたい事がある!」というストレスが徐々に大きくなっていったでしょう。
この事は、事務所から離れた経緯と無関係でもないような気がしますが、いかがでしょう。
事実、独立直後の「灰とダイヤモンド」或いは「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」の作詞手法は、「BURNING~」とは全く違いますから。
ただ、70年代から80年代にかけてのジュリーの様々な作詞スタイル変遷は、現在の作品に大きな実りをもたらしている事は確かだと思います。

では、作曲についてはどうでしょうか。
こちらについては、天賦の才能を感じるのです、僕は。
「BURNING~」のメロディーは本当に美しい。この曲以外にも、ジュリーの作曲作品にはどんなアレンジにも耐え得る普遍的な美しさを擁するナンバーがたくさんあります。
「BURNING~」で言うと、間奏サックスソロの転調部とかは結構あざといアレンジですが、押しつけがましさはありません。それは、元の歌メロディーが良いからなのです。

アルバム「JULIE SONG CALENDAR」には、ジュリーの作曲キャリアの中で見逃すことのできないナンバーがいくつかあります。何より、アルバム全体を通して、イメージが重複してしまう似たような曲が無く、バラエティーに富んでいる事はもっと評価されて良いはずです。

アルバム収録曲で、「BURNING SEXY SILENT NIGHT」以外の僕のお気に入りは「ボンヴォワヤージュ」(詞・湯川れい子さん)、「Sweet Surrender」(詞・原由子さん)、「ラストスパーク」(詞・青島美幸さん)。
また、「す・て・き・にかん違い」(詞・多岐川裕美さん)については、相互リンクさせて頂いております「僕らは、いつも楽しい驚き!」さんにて、keinatumeg様が素敵な記事を書いていらっしゃいます。

さぁ、「カセットだけ持ってるけど、しばらく聴いてないなぁ」という先輩方、久しぶりにいかがでしょう?
エキゾチックスの演奏も、相当良いですよ!

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