ACTを楽曲的に掘り下げる!

2017年6月25日 (日)

沢田研二 「愛の神話・祝祭という名のお前」

from『act#4 SALVADOR DALI』、1992

Salvador1

1. スペイン・愛の記憶
2. 愛の神話・祝祭という名のお前
3. ガラの私
4. VERDE ~みどり~
5. 眠りよ
6. 愛はもう
7. 黒い天使
8. 恋のアランフェス
9. 白のタンゴ
10. 誕生にあたっての別れの歌

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6月25日です。

ジュリー69歳のお誕生日です。おめでとうございます!


Pic010

↑ 近年恒例、「ありがとう」と言ってそうな若き日のジュリーのショットを今年も貼っております。これは・・・50年前くらいですか?

ジュリーファンにとっては、年に一度の祝祭日ですな~。全国各地でお祝いムードに包まれ「おめでとう」の声が飛び交う宴が催されていることでしょう。
僕は今日はこれから、男性タイガースファンの先輩であるYOUさんのLIVEに出かけます。ジュリーの歌を演奏してくれるわけではないみたいだけど、何と言ってもこの日付ですから、YOUさんお馴染みの長~いMCの内容には期待しています。
出かける前にこのブログでも、ジュリー誕生月に開催中の”act月間2017”の締めくくりお題としまして、今日はとてもおめでたい祝祭の名曲を採り上げ、ジュリー69歳のお誕生日に捧げたいと思います。

現時点で『actCD大全集』全discの中で個人的に最も好きな作品『SALVADOR DALI』から、「愛の神話・祝祭という名のお前」です。僭越ながら伝授!


Salvador2


僕がactナンバーで特に惹かれている曲は、まず『EDIT PIAF』収録のジュリー作詞・作曲作品である「エディットへ」。カバー曲だと『BORIS VIAN』収録の「俺はスノッブ」、或いは『SHAKESPERE』収録の「私は言葉だ」。
そして・・・actと言えばこの黄金コンビ、加藤直さん作詞、cobaさん作曲のオリジナル・ナンバーとなりますと、「とても1曲に決められない!」というくらい拮抗して惚れ込んでいる名曲が5曲。『BORIS VIAN』の「墓に唾をかけろ」、『NINO ROTA』の「SARA」、『BUSTER KEATON』の「another 1」、『ELVIS PRESLEY』の「無限のタブロー」、さらには今日のお題曲『SALVADOR DALI』の「愛の神話・祝祭という名のお前」です。

ちょっと前に放映された阿久悠さんの特集番組で、どなただったか忘れてしまいましたが、阿久悠さんの作詞を「狂気の伝達である」と語っていた方がいらっしゃいました。「狂気」と言うと少し怖い表現ですが、要はまず阿久悠さんがブッ飛んだ詞を書く、それを読んだ作曲家が「スパーク」してメロディーを作る、それがまた歌い手にも「スパーク」して伝達してゆく、ということ。
詞曲いずれが先にせよ、加藤さんとcobaさんのactナンバーには、かつての阿久=大野コンビが魅せてくれた「スパーク」の伝達と同じパワーを僕は感じます。
特にこの「愛の神話・祝祭という名のお前」。突き抜け、振り切った歌詞。短調の明快なメロディーでグイグイと容赦なく攻めてくる曲想。これはあの「勝手にしやがれ」とも共通しています。

単純にうわべだけの「スパーク」で詞曲によりかかってしまうレベルの歌手では、逆に作詞者・作曲者の「スパーク」は聴き手に伝わらないと思うのですよ。
「勝手にしやがれ」もそうですけど、ジュリーはそんなスパークの高熱を程好い温度までに冷ましてから自分に引き込む俯瞰力があり、耳あたり良く伝える驚異の才能の持ち主。「どんなことを歌っている」とか、「曲の進行はこういう理屈になっている」とか以前に、得体も知れず伝わってくるその歌声は驚くほどポップで大衆性があって、ハチャメチャにスパークしている楽曲の根本がとても分かりやすい形で耳に、心に入り込んできます。

「愛の神話・祝祭という名のお前」は、言うなれば「お前は俺のすべて」という歌ですよね。

私の子供  私の 母親
   Cm  Fm7     B♭7  E♭maj7

私の   恋人 私の女神 私のガラ ♪
   A♭maj7  Fm7 Dm7-5    G7   Cm

この情熱・狂乱のサビを歌手が押しつけがましく詞曲のスパーク温度をさらに上げて、沸騰して歌ったらかえって興ざめしそう。その点、ジュリーの歌、発声の温度は絶妙です。それがジュリー流、天性の「スパーク」。
語尾を子音と母音の2段階に分ける、色っぽくメロディーに絡んいるようでもあり突き放しているようでもあるジュリー独特の鼻濁音の発声を聴いていると、これはもうジュリー以外の人には歌えないだろう、ここまで伝えられないだろうと聴き手の方が興奮してスパークしてしまうという(笑)。
「これが天下の沢田研二じゃ、皆頭が高い!」と全世界に勝手に叫びたくなる名曲・・・ということで僕の中では「愛の神話・祝祭という名のお前」は、「勝手にしやがれ」と同格です。

ただ、考察記事を書こうというからにはここでちょっと興奮を抑えまして、なけなしの俯瞰力を総動員して程好い温度のスパーク伝授をしなければなりません。
ここからは楽曲の魅力を冷静に探っていきましょう。

祝祭という名のガラ
   A♭                Cm

まといつく緑の故郷 ♪
     A♭             Cm

実は、この曲を知るまで僕は「gala」という英単語を知らなかった(或いは忘れてしまっていた)のです。
改めて辞書を引いてみますと


Gala

ダリの奥さんであるガラについては昨年「眠りよ」の記事中で書きましたのでここでは割愛しますが、「ガラ=祝祭」の発想から加藤さんがビシッとキメたタイトルが「愛の神話・祝祭という名のお前」。
ジュリーという歌手が歌えばこのタイトルが「大上段」にはならないんですよね。歌の主人公(ダリ)の誇り高き断言であり、真理となるのです。

にしてもこの加藤さんの名篇、よくぞここまでメロディーにもお芝居の題材にも「嵌った」ものです。
舞台はスペイン、スペインと言えばフラメンコ。フラメンコは「情熱の音楽」であるとよく言われていて、メインの楽器であるギター演奏にしてもそうなのですが、その「情熱」を表現するためには逆に演じ手が「クール」であることが肝要だとされます。
淫らな官能、狂おしい求愛をして「愛の神話・祝祭という名のお前」という加藤さんの詞はとてつもなくクールであり、ジュリーの歌も同様です。
この曲に表れているのは、加藤さん、cobaさん、ジュリーによる「クールにスパークする狂気の伝達」ではないでしょうか。cobaさんのメロディーも、こんなに情熱的な曲なのに俯瞰力が物凄い。

はじめにカダケス 永遠の私の海
            Fm7        G7       Cm

それから熱烈 旅に誘う私の舟 ♪
            Fm7   G7         Cm

キーはハ短調。
メロディー、コード進行は短調ポップスの王道です。大げさな部分、トリッキーな部分は無いんですよ。サビはモロに「枯葉」進行だったりします。
ただし、「ここはまぁこんな感じでいいや」という妥協や迎合は一切ありません。
王道にしてオリジナル、一分の隙もなく練りこまれた各ヴァースの繋ぎ目と展開。そのプロフェッショナルな俯瞰力が「情熱の音楽」へと昇華されます。

「クールなスパーク」とは決して「おとなしい」ということではありません。詞も曲も、ジュリーの歌そして演奏もすごくテンション高いですよね。
それはcobaさんのアコーディオンからギターへとリレーする間奏を聴けば誰しも感じられる
でしょう。

『SALVADOR DALI』全編の演奏でcobaさんのアコーディオンと並び特筆すべきは、2本のギターのアンサンブル。スペインが舞台ということで採り入れられているフラメンコ・ギターです。
収録曲中多くの曲で登場する、じゃかじゃかとかき鳴らすように弾く奏法は、普通のアコギとは違い「ストローク」ではなく「ラスゲアード」なる呼称があります。これ、右手の爪で弾くらしいんですよ(僕には無理。指弾きはできるんですが、爪はなんだか怖くて・・・)。
ロック奏法においても僕の好きなギタリストの1人であるウィルコ・ジョンソンのように「爪弾き」の名手はいるんですけど、やっぱりフラメンコのラスゲアードというのは独特。「愛の神話・祝祭という名のお前」では、お馴染みトレモロ奏法と共にフラメンコ特有のラスゲアードを堪能することができます。
そこに噛みこむアコーディオン、バリージョ・・・「眠りよ」の記事でも書いたのですが、新規ファンの僕が遡って聴くと、『SALVADOR DALI』の演奏の魅力は「よくぞベースレスでここまで」という、言わば鉄人バンドのフラメンコ版という感じのcobaさんの素晴らしいアレンジあらばこそ。パターン的に特化した、ある意味「偏って」いるのにこれほどジュリーの歌とマッチするとは・・・ジュリー、cobaさん双方畏るべし!なのです。

そうそう、フラメンコって演奏の最中に時々シャウトと言うか、「かけ声」が入るじゃないですか。
「愛の神話・祝祭という名のお前」の間奏でも、よ~く聴くと「や~!」みたいなオフマイクの声が入っていて、僕はそういう「忘我の発声」みたいなニュアンスがメチャクチャ好きです。
CD1曲目「スペイン・愛の記憶」ではそんな声がハッキリ聴こえて、僕は当初それらを「間奏を盛り立てるジュリーの声」だと思ったのですが(いや、曲によっては実際そうかもしれませんが)、「VERDE ~みどり~」で伴奏がタップのみになりジュリーが歌う箇所でもかけ声が聴こえてきますから、「あぁ、これはバンドが”情熱のフラメンコ”を体現しているんだな」と気がついた次第。

ま~しかし、この曲は何と言ってもジュリーのヴォーカルなのですな~。
今回改めて『SALVADOR DALI』のCDを通して聴いて、やっぱり僕はactCD大全集のディスクの中ではこの作品が一番好きかなぁ、と思いました。
act全編に言えることなんでしょうけど、ジュリーの凄さは先程から書いている「俯瞰力」に加えてその驚嘆すべき「吸収力」「進歩力」に尽きると思います。新たな歌、新たなジャンルに挑むたびに、その楽曲の進行であったりアレンジであったり、とにかく「優れて特化している面」を軽々と吸収、会得してさらにまた次の新しい段階へと進んでゆく、年齢など関係ない成長。現在2017年も未だに続いているジュリーの特性・・・『SALVADOR DALI』はそんなジュリーの素晴らしい特性が実感し易い作品ではないかと思うのです。
フラメンコという良い意味で偏ったジャンルのアレンジ、独特のメロディー、官能の表現、ベースレスのアレンジ・・・ジュリーはそのすべてに悠々と対応し、歌手としてどんどん高みに昇っていきます。

ちょっと話が逸れるようですが・・・将棋界の新たなスーパースター・藤井聡太四段の大活躍については一般のニュースでも大きく採り上げられていますからみなさまもご存知でしょう。
彼に敗戦したあるベテラン棋士がこんなことを言っています。「今の藤井四段は、漫画のヒーローを見ているようだ」と。
どういうことかと言うと、史上最年少記録でプロ棋士に昇段した藤井四段は、直前の三段リーグ戦(将棋界では三段までが修行中の「奨励会員」で、四段以上がプロ棋士)を13勝5敗の成績で通過し四段に昇段しています。これは過酷な三段リーグにあって当然素晴らしい成績ではありますけど、その当時彼はまだプロではない奨励会員(三段)を相手に5敗している、ということでもあるわけですね。
それが一転、プロデビュー後の圧倒的な連勝劇(明日、歴代新記録の29連勝に挑戦します。ここまで来たら偉大な記録更新を見てみたいですが、相手の増田四段もかなりの強敵です)。
先述の棋士に言わせると、若き(というかまだ中学生なんですけど)藤井四段はプロデビュー後、対局相手の強い部分、優れている部分を易々と吸収し、次の対局までに信じられないほど強さを増していて、そんな状況が対局ごとにず~~っと続いている、と。
将棋の棋戦というのは勝ち続ければ続けるほど相手が強くなっていくわけですから、これを少年ジャンプの漫画で例えるならば、黄瀬涼太のパーフェクト・コピーが時間無制限で持続し、しかもコピー元の本家を凌ぐ強さを身につけ続けているということ(『黒子のバスケ』を知らない方々にはまったく分からない例えで申し訳ありません)。その棋士の言葉に説得力があるのは、連勝中の藤井四段と別棋戦で2度対戦して敗れている棋士だからです。1度目の対戦と2度目の対戦で、藤井四段の短期間での進化、成長を身をもって体感したのですね。

ジュリーの歌人生(これまでの道のり)って、正にそんな感じだと思うのですよ。
その中でもactシリーズ、特に『SALVADOR DALI』でのジャンプ・アップは驚異的。
「愛の神話・祝祭という名のお前」については、前後の年によく似た曲調、”短調のメロディーでバシバシ攻める”情熱系の名曲をジュリーは歌っています。91年の「涙が満月を曇らせる」、93年の「そのキスが欲しい」。いずれも大変な名曲ですが、ジュリーの歌の表現、柔軟性は、この3曲で年々グ~ッと右肩上がりでしょ?
ジュリーはデビューから50年、休まずそんな進化を続けているんだろうなぁと思える、その分かり易い楽曲例として「愛の神話・祝祭という名のお前」は本当に貴重なテイクだと僕は考えます。

個人的にこの曲のジュリーのヴォーカルで一番痺れるのは、サビのダメ押し部。嬰ハ短調への半音上がりの転調間際の声の伸ばし方です。
これもかつて歌った「スマイル・フォー・ミー」であったり「君をのせて」であったり「あなたへの愛」であったり・・・ずっと以前から「サビのダメ押し転調」曲を歌い吸収し続けてきたジュリーが、『SALVADOR DALI』の世界観を受けて応用し進化を遂げてこういうヴォーカルになっているわけで。
信じられないほどに素晴らしい、としか言えません。

今日で69歳となったジュリー。来年の古希イヤー、さらにその後・・・僕らはまだまだジュリーの底知れぬ進化を楽しむことができそうですね。
「男子3日会わざれば刮目して見よ」と言いますけど、まずは7月からの全国ツアー。チケット到着を心待ちにしながら、刮目して初日・NHKホールに参加したい、と意気込んでいる今日この頃です。
チケット到着が待ち遠しい!


それでは次回更新は・・・。
少し間隔が開きますが、いよいよジュリーのデビュー50周年記念全国ツアーが開幕する7月ということで、セットリスト予想シリーズに突入します。じっくりと3曲に絞って書こうと思っていて、お題も決めています。

拙ブログのセトリ予想と言えば、本人は当てる気満々で書いているのに蓋を開けたらてんで見当外れ、という”恒例・全然当たらないセットリスト予想”を毎回掲げています。ただし今回はちょっと路線が違うんです。
なにせ、ジュリー本人が「シングルばかり50曲歌う」と宣言しているのです。まだ記事未執筆のジュリー・シングルも数少なくなってきていますが、今回例えばその中から「愛の逃亡者」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」「背中まで45分」「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」「STEPPIN' STONES」「愛まで待てない」・・・これらのうち3曲選べば、全お題的中が濃厚なんですよ。
でもね。

そんなの、僕のブログらしくないじゃないですか!

ここはひとつ、「う~ん、その曲は50曲の中に入ってくるかどうか・・・」というギリギリのラインにいるシングルを厳選して3曲書いてみようかと。
もちろん僕的に「可能性はある」と考える曲であり、「是非生で聴いてみたい」という曲達です。
ですから、個人的には「これはまぁやらんだろう」と考えている「MEMORIES」とか「Stranger -Only Tonight」などは逆に書きません(もちろん、その2曲も万一セトリ入りしたらサプライズで嬉しいですよ!)。
あくまで、お読みくださるみなさまも一緒に「う~ん、ジュリーが選ぶ50曲の中に入るかって言うと、さてどうかなぁ?」と悩みつつ期待も持たせられる、といった感じの3曲で勝負を賭けます。題して

全力で外しにいったのに当たっちゃった!パターンを期待するセットリスト予想”シリーズ(←長いよ)。

渾身の厳選シングル3曲、どうぞお楽しみに!

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2017年6月21日 (水)

沢田研二 「王様の牢屋」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

Boris1

1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

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『大悪名』終わってしまいましたね・・・。
僕はラス前の17日に観劇し、千秋楽の18日は遠征の先輩方にお誘い頂き打ち上げだけ参加しまして、お話を伺うことができました。
最前列で観劇されていたMママ様からは、記念のお宝も頂いてしまいました。


20170618

とにかく素晴らしいフィナーレだったようです。

僕が参加した17日も大盛況でした。ジュリーのマルガリータはみなさまのお話通りとても似合っていました。本当に「カッコイイ親分」に見えますよね。
歌はもちろん素晴らしかった中で特に印象に残ったのは、曲のタイトルが分からないんですけど(恥)、一番最初にジュリーがソロで歌うワルツのバラード(柴山さんのアルペジオ伴奏)。詞もメロディーも沁みました。
当然お芝居も素晴らしく、下戸の朝吉親分(漠然さん)がお酒を飲んで「うげ~」となるシーンでは、お客さんの反応から「あぁ、このシーンは公演を重ねてどんどんユーモラスに変化しているんだな」と分かりました。

あとは前半のクライマックス、噂に聞いていた漠然さんが数珠を引きちぎるシーン。
もっと乱暴なシーンを想像していたんですけど、横に伸ばした数珠をスッと引っ張りちぎるのか~。なるほど、その方が「力持ちの親分」な感じが伝わるんですね。

僕はジュリーの音楽劇はこれまで『雨だれの挽歌』と昨年の『悪名』しか観ていませんから、ストーリーや挿入歌の繋がりが理解できていない部分も多いとは思います。それでも「これが最後」の音楽劇集大成の雰囲気はビシビシ伝わってきました。

他の出演者では、僕は『ちりとてちん』(2007-2008年のNHK朝ドラ。主演は貫地谷しほりさん)の大ファンですから(完全版のDVD持ってます)、徒然亭小草若役の茂山宗彦さんの演技を楽しみにしていました。
茂山さんの演技はもちろん期待通りに懐かしくとても良かったことに加え(そ~こ~ぬ~け~に最高でしたがな~)、改めて感嘆したのはこちらも『ちりとてちん』に出演されていた松永玲子さんの存在感でした。台詞がダイレクトに脳に飛び込んでくる感じで。
『ちりとてちん』で松永さんは主人公の故郷である小浜(福井県)の『魚屋食堂』の女将(と言うか「噂話好きのおばちゃん」)を演じていらっしゃいました。劇中、一人娘の順ちゃんの結婚が決まる回は松永さんが登場するシーンの中でも屈指の泣かせどころでしたが、「楽天的」なキャラが嵌った上での松永さんの「悲しみ」「戸惑い」の表現が素晴らしく、その個性はこの『大悪名』でも大いに、半端なく発揮されていました。
(『ちりとてちん』を観ていなかったみなさまには、よく分からない話ですみません・・・)

演奏陣ではやっぱりcobaさんですね~。
1本柱が通ると言うのか、演奏だけでなくその佇まいも含めて「バンマス」感、「音楽監督」感バリバリのプロフェッショナルです。生で体感できて感激です。

先日YOKO君にメールで『大悪名』観劇の報告をしてcobaさんのことを書いたら、彼は「ビョークの『ホモジェニック』はよく聴いてる」とのこと。
『ホモジェニック』はビョーク1997年リリースのアルバムで、ワールドツアーのメンバーだったcobaさんも当然レコーディング・メンバーとして参加しています。
僕は17日の観劇前にランチをご一緒した先輩から、cobaさんとジュリーの関わり(actを音楽監督のみに専念し伴奏陣からは外れた経緯など。この時のジュリーの「男気」はジュリーファンの間ではとても有名な逸話のようですね)を改めてレクチャーして頂けたのですが、ビョークの活動とリンクしてみると、なるほど当時cobaさんはactの曲作りと並行して世界で大活躍されていたわけです。
そんな歴史があって、ジュリー最後の音楽劇に駆けつけ渾身の演奏で花を添えてくださったcobaさん・・・そう考えると、ずっとジュリーを観続けてこられた先輩方の思いが今回の東京芸術劇場(もちろん他会場も)のあの熱気を作っていたのかもしれません。
劇の最初の演奏シーン、cobaさんのソロでジュリーはじめ出演者がcobaさんを取り囲むようにして踊っていた時のお客さんの拍手とかね・・・今思い出してようやく「あぁ、特別な公演だったんだなぁ」と。

昨年魅せられた柴山さんのギターと熊谷さんのドラムスも、cobaさんが入ることで昨年とはまた違い完全に「バンド」のアレンジで挑んできましたね。
ブルース調、或いはロックな曲ではチェロがベースを弾く(指で弾いていた曲もありましたね)というのもこの編成ならでは、でしょう。各パートに見せ場があり、本当に贅沢なバンド・サウンドでした。

カーテンコールでの役者陣、演奏陣、そのステージと満員のお客さんの一体感。2階席ならではのそんな光景を目に焼き付けて帰宅しました。
今回はDVDの発売予定が無いことを先日聞きまして驚いています。ジュリー最後の音楽劇『大悪名』を、1度の参加でしたが生で観ることができ、幸運でした。


さて、1週間ほど間が開きましたが今日は”act月間2017”第4回の更新です。
相変わらず「伝授!」などと言いながら実は記事を書き終えた後にみなさまから逆伝授を賜る、というスタイルの考察が続きます。『大悪名』千秋楽の日の打ち上げでも、ご一緒した先輩方から改めて「美しき天然」について教えて頂きましたし、今回もきっと更新後に勉強することがたくさんあるでしょう。

今日のお題は前々から、『大悪名』でのcobaさんの生演奏を聴いた上で閃いた曲を、と考えていました。
観劇を終えて色々と考えたんですけど、やっぱり「ワルツ」の曲が良いんじゃないかなぁ、と。
2階2列目(A席)だった僕の席からは5人の演奏陣がよく見えましたが、双眼鏡は持参しなかったのでcobaさん達の細かい表情までは分かりませんでした。
でも、なんとなく「あっ、cobaさん目を閉じて弾いてる!」と感じたのは、劇中で3曲(だったと思います)披露されたワルツ・ナンバーだったんです。
そこで今日は、いかにもcobaさんが目を閉じて弾いていらっしゃる光景が目に浮かんできそうなactのワルツ・ナンバーをお題に採り上げることにします。
『BORIS VIAN』から「王様の牢屋」、僭越ながら伝授!


Boris3


先輩とのご縁を頂いて念願の『actCD大全集』購入が叶った時、僕がまず最初に聴いたのがこのdisc-2『BORIS VIAN』でした。
理由は、収録曲にクレジットされていた「きめてやる今夜」「脱走兵」がお目当てだったから。その2曲はいずれも期待通りに素晴らしかったのですが(と言うか「きめてやる今夜」の方はリズム解釈にビックリした)、初めてCDを通して聴いて特に衝撃を受けた曲は「墓に唾をかけろ」「鉄の花」そしてこの「王様の牢屋」。僕がまず『BORIS VIAN』の中で大好きになったのはこの3曲でした(今は「俺はスノッブ」が一番好きになっています)。
『BORIS VIAN』が最初、というのはactのCDを聴く順番としてはとても良かったように思います。
「オリジナル・アルバムのジュリーとは違う!」強烈な感覚が分かり易い作品と言えるのではないでしょうか。

さて、「王様の牢屋」。みなさまご存知のように、actの「王様の牢屋」は2つありますね。
エディット・ピアフの歌ですから当然『EDIT PIAF』でも採り上げられています。素晴らしい名演ですが、そちらのヴァージョンはですね・・・僕のレベルでは到底採譜不可能!というくらい凝ったアレンジでございまして(この曲以外も、『EDIT PIAF』は難解なアレンジの曲が多いです)、すぐには考察に手をつけられません。
対して『BORIS VIAN』の「王様の牢屋」の方はポップ性が高いと言いますか、おそらくcobaさんの和音解釈は原曲に近い感じなのかな。
何とか自力の採譜も成りましたので今日はこちらを採り上げようという次第です。

映像を観ていない上、僕はボリス・ヴィアンの人物像もほとんど知らないに等しいので、何故エディット・ピアフのこの曲が『BORIS VIAN』で歌われたのかすら分かっていないんですけど、ちょっとネットで調べましたら、ボリス・ヴァイアンがエディット・ピアフの歌声を
「電話帳を読んだだけでも人を泣かすことができる」
と語った有名な逸話があるそうですね。
獄中にある想い人のこと女性の一人称で歌う「王様の牢屋」。それを男性のジュリーが切なく歌う・・・actならではの名演、名曲ですよね。

先程「自力で採譜した」と書いたように、この曲のスコアはまだ見つけることができていません(たぶんこの世に存在はしていると思うのですが・・・。エディット・ピアフの歌でact関連曲については、既に記事を書き終えている「群衆」の他、「愛の讃歌」「バラ色の日々」「水に流して」「私の神様」などのスコアは見つかっています)。
ただ、この曲に少し触れている文章は見つけました。


Img51835

↑ ピアノ伴奏譜『シャンソン名曲アルバム②』から解説ページ、「待合室」の項より

シャンソンのスタンダード・ナンバーって、どれも詞が良いんですよね。
また、「王様の牢屋」も日本語のカバーが幾多存在していて、その中には牢屋に閉じ込められているのが女性、という斬新な視点で歌われる日本語詞もあるのだそうです(これは、先輩ジュリー・ブロガーでいらっしゃるRスズキ様の過去記事で勉強しました。ありがとうございます!)。獄中の女性が彼氏に「ここにきて!」と訴える内容なのだとか・・・ひえ~。

actの「王様の牢屋」は、原詞のシチュエーションを踏襲しているようです。

お城の奥深くにある 王様の牢屋に
    Em Bm7   Em  D      C    B7   Em

閉じ込められた私のあの人
     G              Em  Bm   Em

Oh  Oh Oh Oh! ♪
Am  D7       G

前回「丘の上の馬鹿」の記事で「歌へと集約する詞曲一致」ということを書きましたが、いやぁ「王様の牢屋」もその点素晴らしい!

actでのキーはホ短調(原曲のオリジナル・キーはまだ調べきれていません)。しかし「閉じこめられたあの人 ♪」からは平行移調させる長調のニュアンスも含みます(着地のコードがGで、続く「二度と・・・♪」のヴァースからは明快にト長調)。にも関わらずここは出だし以上に悲しいんです。
詞が悲しいから、だけではありません。例えト長調のヴァースでも、メロディーそれ自体確かに悲しい感じがする・・・驚くべきことです。
この「長調の哀愁」を加藤直さんが見事に日本語で表現しきった日本語詞。それを「悲しい歌」「切ない歌」を歌わせたら天下一品のジュリーが歌うわけですから、物語の説得力が凄まじい!
しかもジュリーはこの曲では完全に「演じて」いますよね。それは前回採り上げた「丘の上の馬鹿」とはまた異なるジュリー・ヴォーカルの醍醐味です。

僕が最も愛するジュリー・アルバム『JULIEⅡ』制作時に池田道彦さんから「おまえは、”歌で演ずる”ということをやった方がいい」と言われ、その言葉がACTにも繋がっている、と『ジュリー三昧』で語られている、その「歌で演ずる」様子がCDだけでヒシヒシと伝わってくる作品が『BORIS VIAN』です。
僕がactを聴き始めて最初期に感じとっていたジュリーの魅力は「キュート」で、昨年の『悪名』を観劇することで追体験したような気分になったものでしたが、僕がそんなジュリーの魅力に気づけたのは、『BORIS VIAN』初聴時に受けた印象が大きいと思います。
『BORIS VIAN』には、語りかけるような、台詞を言っているような歌が多く、僕はそんなふうに歌うジュリーをまずは「キュート」だと感じたわけですね。
もちろん今日のお題「王様の牢屋」でも、そんなヴォーカル部が登場します。

罪ならあります 私も盗みました
C                           G

はい 王様 あの人の心を ♪
        Am           B7      Esus4  Em

この「はい」がね・・・初めて聴いた時はドキリとしました。これは、リアルタイムでジュリーの生歌を聴いた先輩方もそうだったんじゃないですか?

そして、「いかにも目を閉じて弾いていそうな」cobaさんのアコーディオン。
『大悪名』で生演奏を聴いて改めて感じたのですが、アコーディオンって不思議な楽器ですよね。他のパートとは流れている時間(リズム)が違っているような。
例えば「王様の牢屋」では

二度と出られないというのは本当ですか ♪
       C                  G         C           G

この、ジュリーの切ない「本当ですか♪」を追いかける「レミレミレミ・・・♪」の音色が、とてもゆっくり、ゆったりと 聴こえます。でも決して全体のテンポが変わっているわけではなくて、cobaさんのアコーディオンだけ別の時間が流れているように感じられるのです。
まるで主人公の女性の心情がそのまま伴奏に乗り移っているようで、これはアコーディオンという楽器でなければ出せないニュアンスなのでしょうね。

僕はactの映像を観ていないので状況はよく分からないのですが、この曲ではいったん「演奏終わったかな」というお客さんのフライングがあって、そこからドドドド~ともうひと盛り上がりあるじゃないですか。
今聴いていると、そのエンディングと同時進行で何やら舞台が動いているような感覚を受けます。
『大悪名』で曲のエンディングの間にセットが変わるシーンが何度かあり、僕はたぶんそれを「王様の牢屋」の荘厳なエンディングに重ねて聴いているのです。
ですからそれは「今まで(『大悪名』観劇以前)は感じていなかった」聴こえ方になっているということ。

このように、物語や曲調は全然違うのに、今の僕にとって「王様の牢屋」は何故かジュリー最後の音楽劇『大悪名』の様々なシーンを思い出しながら聴いてしまうactワルツ・ナンバーとなっています。
『BORIS VIAN』はactの中でも特にワルツ率の高い作品で、CDでは「気狂いワルツ」→「原子爆弾のジャヴァ」→「王様の牢屋」とワルツの曲が続いています。
ワルツって不思議な既視感があって、「何かを思い出す」脳の働きを刺激するリズムなのかなぁと思います。ジュリーが少年時代から心に残る歌として「美しき天然」を挙げているのも、ワルツのリズムに導かれる郷愁なのではないでしょうか。

僕はたまたま今回「王様の牢屋」を聴いて、観劇したばかりの『大悪名』を思い出しているわけですが、先輩方はこの曲を聴くとどんなことを思い出すのでしょう。
やっぱり生で観劇された『BORIS VIAN』でのワンシーン?それとも同年のツアー『単純な永遠』のこと?
いずれにしましても、新規ファンの僕としてはただただ羨ましいばかりです・・・。


それでは次回更新は・・・昨年と同じく、今年の”act月間”締めくくりのお題をジュリーのお誕生日に捧げたいと考えています。
今月から来月頭にかけてはちょっと予定が立て込んでいて(男性タイガース・ファンの先輩であるYOUさんのLIVEに行ったりします)、じっくり下書きする時間も無いのですが、なんとか6月25日の更新を目指し、「これぞジュリー!」という大好きなactオリジナル・ナンバー(加藤さん作詞、cobaさん作曲)を採り上げます。もちろんcobaさんのアコーディオンも大活躍する名曲ですよ~。

それが終わったら次は7月。
デビュー50周年の全国ツアーに向けて、”全然当たらないセットリスト予想”ならぬ”全力で外しにいくセットリスト予想”シリーズに突入の予定です。
今回ばかりは「外す方が難しい」ですからねぇ。でもそれは逆に、「全力で外しにいったのに当たっちゃった!」みたいな結果を実は期待しているわけで、当然ながら「是非聴きたい」曲ばかりを書くということなのです。

最後の音楽劇が大成功で閉幕し、今ジュリーファンは次なる大きな楽しみ・・・全国ツアーのチケット到着・第1弾を心待ちにしているところですよね。
例年のように、まずは8月までの公演のチケットが届けられるのでしょうか。到着は今月末か、来月頭か、もうちょっとギリギリになるのか・・・本当に楽しみです。
あまりに楽しみ過ぎて、早々に8月までの各会場のサイト様へのリンクなどサイドバーに貼ってみましたが、実は「五所川原」だけ座席表のページを見つけられないんですよ。僕の探し方が悪いのかなぁ?

とりあえずジュリー69歳の誕生日まであと数日、今年の拙ブログ”act月間”ラスト1曲の考察に全力でとり組みます。よろしくおつきあいのほどを・・・。

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2017年6月14日 (水)

沢田研二 「丘の上の馬鹿」

from『act#5 SHAKESPERE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

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『大悪名』はどんどん進化しているようです。
公演も残り少なくなり、「最後の音楽劇がもうすぐ終わってしまう」と思うと寂しいですね・・・。

僕の観劇は今週末ですが、実は先の土曜日にカミさんがひと足早く観劇しまして、いろいろ話を聞いて僕もちょっとストーリーをネタバレしてしまいました。
ジュリーについては「坊主と言うよりスキンヘッドだけど、意外やすごくカッコイイ。頭の形がエエのは当然として、耳の形がキレイなんやな」とのこと。
あと「ジュリーは和服系が似合う!いっそツアーの衣装も和服じゃアカンやろか」と斬新なことも言ってましたがそれはさすがにナイですよね(笑)。

さて、拙ブログ今年のジュリー誕生月記念”act月間2017”3曲目のお題は、『SHAKESPERE』から。
この作品は僕が普段からよく聴く洋楽ロックのカバーが演目の中心ですからCD初聴時からとっつき易く、なおかつジュリーのヴォーカル、加藤直さんの日本語詞やcobaさん達の演奏も「うわっ、あの曲がこうなるのか!」と衝撃大で、その後のリピート率も高いです。
その中から今日採り上げるのはビートルズのカバーで「丘の上の馬鹿」。
原曲「THE FOOL ON THE HILL」(以下、邦題の「フール・オン・ザ・ヒル」で記していきます)はAメロ、Bメロが長調、サビが同主音の短調というポール得意の近親移調が炸裂する大名曲。ポールの作曲作品としては音域がさほど広くなく、最高音も高い「ファ#」ということで、actのジュリーはポールと同じキーのニ長調(サビはニ短調)で歌っています。

思索的な歌詞を加藤さんがどう「進化」させたのか、cobaさんはじめ演奏陣の解釈、アレンジの妙など、原曲をよく知っているだけに考察ポイントも多い1曲です。
張り切って伝授!



Shakes4


「フール・オン・ザ・ヒル」は今年のポール・マッカートニー来日公演でセットリスト入りしていて、僕は今回5度目の参加となるポールのLIVEで初めてこの曲を生体感することができました。今までは何故か当たっていなかったんですよね。

5月の『あさいち』(ゴダイゴの浅野孝巳さん+お馴染み依知川さんのユニット)LIVEのMCでもポール来日公演の話がありましたが、お2人とも「今回は行かなかった」と(浅野さん曰く「でも、タケカワとミッキーとスティーヴは行った」とのこと。その3人ならきっと武道館に行ったんだろうなぁ)。
参加しなかった理由について浅野さんは「あんまり変わらないと思って・・・」ということなんですが、実は僕も今回は浅野さんと同じ気持ちがあって、当初は参加するつもりはなかったのです。
ポールってあんまりセットリストをいじらないんですよ。もちろん多少は入れ替えてくるんですけど、まぁ今回も想定の範囲内であろう、と。贅沢なセトリが実現したとしても、それは武道館(チケット代が東京ドームとは比較にならないくらい高過ぎて、僕ではとても参加は無理)の1日だけなんだろうなと思って。

でも、カミさんの友人にお誘い頂いたこともあってドームの初日に参加したら、これがとんでもなく素晴らしいセトリでね~。今回ばかりは武道館よりドーム初日の方がレア度が高かったんです。ウイングスの「ワインカラーの少女」なんて、結局この日しかやってない(現時点で日本ではこの1度きりしか歌われていない)ですから。
加えて個人的に初体感となる曲・・・「ジュニアズ・ファーム」「テンポラリー・セクレタリー」「ユー・ウォント・シー・ミー」など全部で11曲もありまして大興奮。そのうちの1曲が「フール・オン・ザ・ヒル」でした。

Thefoolonthehill

↑ バンドスコア『マジカル・ミステリー・ツアー』より


この、詞曲ともに大好きなビートルズ・ナンバーとのactでの出逢い・・・鮮烈でした。
『actCD大全集』歌詞カードのクレジットは普通に「レノン=マッカートニー」ですが(ビートルズの曲はジョンの単独作品、ポールの単独作品についてすべてそのように表記されます)、「フール・オン・ザ・ヒル」はポールの単独作です(一方で、『SHAKESPERE』収録のもうひとつのビートルズ・ナンバー「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」はほぼジョンの作品とされます)。

ジョンの死後にリリースされたポールのアルバム『タッグ・オブ・ウォー』の頃だったでしょうか、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンが「ポールは、自分ではそうは思っていないが優れた作詞家だ」と語っているのは、ビートルズ時代の「フール・オン・ザ・ヒル」をはじめとする名曲群(個人的にこの曲の他にポール作詞のビートルズ・ナンバーで好みなのは「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」と「ロッキー・ラクーン」。一般的には「エリナー・リグビー」の詞が「フール・オン・ザ・ヒル」と共に高い評価をされているようです))を念頭に置いての言葉だったでしょう。

世の真理を見抜いた一人の男が、その発見を誰からも支持されずむしろ虐げられ、今日も丘の上でただひとり世界が周り続けているのを眺めている・・・ポールのこの詞は、世界で初めて地動説を唱え断罪されたガリレオ・ガリレイにインスパイアされ、彼の孤独な蟄居生活を描いたものと言われてきました。
Wikiにもそう記してあるんですが、ポール自身は「誤解されやすい人のことを歌った」と語っているそうで(『ザ・ビートルズ全曲バイブル』より)、真偽は微妙。
ただ、ガリレオのことを歌った曲と念頭にして聴くと詞の味わいが一層増す名篇であることは確かです。

『SHAKESPERE』の舞台でこの名曲がどのように(詞のコンセプト含めて)ストーリーに噛んでくるのかと興味津々ですが、それは個人的に「老後の楽しみ」としてとっておいてあるact映像鑑賞の日まで待つとしまして、ここでは加藤直さんの日本語詞とポールの原詞を比較をしてみましょう。
全体のコンセプトはポールの詞と変わっていませんが、面白いのは加藤さんのヴァースが「新書き」部と「翻訳」部にきっちり分かれていることです。具体的には、ポールのオリジナルをほぼそのまま日本語訳しているのが2番、コンセプトは変えずに新たなストーリーを組み立て言葉と表現を書き下ろしているのが1番。

今日も 空に梯子
D6         Em7(onD)

立てかけて男が登って行く
      D6                Em7(onD)

一体何をするんだ 男が答える 星をつみにさ
   Em7       A7         D6     Bm7   Em7     A7

みんな笑うけど 男は大真面目
         Dm             Dm+5

ごらん あんなに 星にとどくほど ♪
      C7                   Dm         Dm7

素晴らしい!
もちろん表現的にも素晴らしいのですが、ポールのオリジナルとは全然違うシチュエーションなのに、「フール・オン・ザ・ヒル」という楽曲の世界観、ひいてはポールの作詞の本質をまったく変えていないという、それが素晴らしいのです。
これは既に記事を書き終えているドアーズ原曲の「私は言葉だ」やクイーン原曲の「I am the champion 孤独な」についても同じことが言えるんですけど。

ポールの詞には「フール・オン・ザ・ヒル」に限らず、難しい単語はほとんど出てきません。しかしその単語ひとつひとつを綿密、丁寧にメロディーに載せてしっかり発声する、その几帳面なまでの発声が詞の世界を昇華させるというのがポールの特性です。言葉や物語が「歌」に集約されることこそが前提というわけですね。
そしてこれは、歌手・ジュリーの特性と本当によく似ているのです。
ジュリーの歌の素晴らしさは、声質や音程に加えてその発声・・・メロディーに載った言葉が聴き手の耳から脳にグッと入ってくる瞬間の魅力があるのです。
加藤さんは、そんなジュリーとポール共通の特性をきっと見抜いていたと思いますよ。

ジュリーも加藤さんの日本語詞を一語一語丁寧に発声していますよね。
英語の原曲とはずいぶん語感も違ってくる中で、メロディーを
大事に歌うのが伝わってきます。その抑揚にはまやかし、誤魔化しが一切ありません。
ジュリーにとって(ポールにとっても)それが「歌」というものなんだろうなぁ、とactの「丘の上の馬鹿」には改めてそんなことを教わる思いです。

あと、歌詞とメロディーの一致、「歌」への集約ということで言えば、ポールがこの曲でニ長調からニ短調への近親移調を採り入れたことには理由があります。
オリジナルの詞は冒頭Aメロからサビへと向かって「1日」が経過していきます。まずは朝陽が昇り、主人公が丘の上から「世界が廻る」のを見つめ続けているうちに1日が終わり夜になる、と。
「夕暮れ」の切なさ、「夜」の孤独・・・それらを表現するために、サビのメロディーは短調へと変わらなければならないんですよ。
加藤さんの日本語詞、ジュリーのヴォーカルは見事その「詞曲一致」を体現していると思います。もしかすると劇中で「丘の上の馬鹿」が歌われるシーンでは、サビで照明が徐々に暗い色へと変わってゆく・・・そんな演出があったのかもしれないなぁと僕は想像しているのですが、さて実際どうなのでしょうか。

2番サビでのジュリーのヴォーカルには、まるで3連シャッフルのようなリズムを感じます(『単純な永遠』収録の「不安にさせよう」みたいな感じ)。
これはおそらくバックで後ノリのニュアンスを出しているゲタ夫さんのベースとPONTAさんのドラムスに呼応しているのでしょう。初日からこうだったのではなくて、公演を重ね進化し辿り着いたヴォーカル・スタイルなのかなぁと考えています。

演奏で印象深いのは、やはりイントロからこの名曲をリズムの面でも和音の面でもリードするcobaさんのアコーディオンです。
ポールが「フール・オン・ザ・ヒル」について「父親の部屋のピアノでD6の和音を鳴らしていたらインスピレーションが沸いた」と話している、その「D6」。ニ長調のキーで「シ」の音が鳴っているというのがこの曲の伴奏の肝で、もちろんcobaさんもそうしていますが、原曲のピアノとはまた違った雰囲気になっていて。
アコーディオンの音ってすごく柔らかいですよね。原曲でのポールのピアノの場合「じゃん、じゃん、じゃん・・・♪」と4拍子連打のガッチリしたイメージで聴くところ、アコーディオンは裏拍から入っていくようななだらかさがあって、それでゲタ夫さんとPONTAさんが後ノリのニュアンスで演奏しているんじゃないかな。
また、原曲ではリコーダーとフルートが活躍するアレンジですが、act「丘の上の馬鹿」単音ではチェロとギターがそれぞれ新たなフレーズで優しく装飾しています。
シャキシャキとした「フール・オン・ザ・ヒル」、優雅な「丘の上の馬鹿」・・・これが僕の2つのヴァージョンから受ける演奏の印象の違い。
ただし、優雅と言ってもどこか寂しい、切ない感じがするのは原曲のメロディーそのものの魅力でもあり、ジュリー・ヴォーカルの対応力と説得力でもあり、加藤さん独特の語感でもあるのかなぁと。

『SHAKESPERE』には「私は言葉だ」であったり「I am the champion 孤独な」であったり、或いはcobaさん作曲の「愛しの妻と子供たち」のように、日本語特有のゴツゴツした語感がメロディーに載っているのをジュリーの発声で生かす、という手法が目立ちます。
加藤さんの技であり、『SHAKESPERE』という舞台の狙いでもあるでしょう。
いつになるかは分かりませんが、僕が改めてactの映像を勉強しようという時、一番最初に観るのはたぶんこの『SHAKESPERE』になるんじゃないかな。
今CDだけで聴いても大変な名盤と思っていますが。


それでは次回更新は、おそらく1週間ほど間隔が開いてしまうかと思います。
というのは・・・僕は今週末にいよいよ『大悪名』を観劇します。音の面で何と言っても楽しみなのは、初めて生で体感することになるcobaさんのアコーディオン。
実際にcobaさんの演奏を聴いて感動し触発されるところは必ずあるはずで、そこで閃いたactナンバーをお題に選ぼうと考えているのです。
バラードになるのか、ビート系になるのか。カバー曲になるかcobaさん或いはジュリーの作曲作品になるか・・・今は自分でもまったく想像できませんが、そんなことも含めて観劇を楽しみにしているところです。
もちろん記事冒頭で舞台の感想、ジュリーのマルガリータ・インパクトの話も交えながら、という内容になると思います。よろしくお願い申し上げます!

こちら関東は今週ここまで涼しい日が続いていますが、明日あたりからまた暑くなりそうで、週末の予想最高気温は25℃超え。
なんとか万全の体調で観劇当日を迎えたいものです。みなさまも充分お気をつけください。

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2017年6月10日 (土)

沢田研二 「量見」

from『act#9 ELVIS PRESLEY』、1997

Elvis1

1. 無限のタブロー
2. 量見
3. Don't Be Cruel
4. 夜の王国
5. 仮面の天使
6. マッド・エキシビション
7. 心からロマンス
8. 愛していると言っておくれ
9. Can't Help Falling in Love
10. アメリカに捧ぐ
11. 俺には時間がない

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昨日あたりから、またまた暑くなりました。
気温と天候の目まぐるしい変化についていけず、この季節恒例の風邪をひいてしまったDYNAMITEです。寝込むほどのことはありませんが、喉の軽い痛みなどの症状が出ています。
遂に『大悪名』池袋公演も始まりましたし、早く体調を戻さなければ・・・みなさまは大丈夫ですか?

風邪のせいかどうかは分かりませんが、先日仕事の外回り途中で大失態をやらかしましてね・・・。
移動中の電車で眠りこけてしまい、ちょうど目的駅で目が覚めて慌てて降りたんですね。
改札抜けたあたりで「あっ!」と。
持ち歩いていた封筒を座席に置き忘れてきたのです。請求書だのキャラクター商品の許諾シールだの、仕事関係の重要な書類一式を入れていた封筒でしたから、サ~ッと血の気が引いていきました。
すぐ駅員さんに届け出て、自分の記憶通りに
「進行方向前から2両目か3両目」
と座席位置を説明して捜索をかけて貰ったんですが、「見つからない」と。駅員さんは進行先の各駅にも届け出がないか電話をかけまくってくれまして、それでも今のところ該当する届け出も無いとのこと。
僕が悄然としておりますと駅員さんは、「その電車があと20分ほどしたら折り返してこの駅に戻ってきますから、念のため一緒に探してみましょう」と言ってくださり、電車の再到着を待ちました。やがて電車が来て一緒に探しましたがやはり見つかりません。
僕はもう「大変なことをやらかしてしまった。どう責任をとればよいのか・・・」と途方に暮れるばかり。ところが駅員さんは「一応、反対側の車両も見てみましょう」と言って全速力でダッシュして探しにいってくれて・・・見事そのまま座席に置いてあった封筒が見つかったんですよ、僕の記憶とは間逆の車両に。
もうね、電車の端から端までダッシュしてくれた親切な駅員さんには感謝しかなく「日本はいい国だなぁ」とか思うわけですが、それにしても酷いのは僕の記憶です。
いや、正確には記憶ではなくて「空間把握能力」。

同じハンデを持つ人なら分かってくださると思いますが、僕は酷い方向音痴で、道を間違う時は必ず間逆に間違います。これは自分の位置移動を正しく把握できないということなのです。
例えば、初めてビル屋内のお店に入ったら、僕は必ず自分が入ってきた方向とは正反対の方角に向かって店から出ようとします。ふざけているんじゃなくて、本当にそっちから入ってきたような気がするのです。
それにしても、電車を降りて階段登って改札グルッとしただけで、自分が電車の進行方向前に乗っていたか後ろに乗っていたかという記憶まで引っくり返るとは。
方向音痴のみなさま、もし今回の僕と同じようなケースに遭遇したら、「前から2、3両目もしくは後ろから2、3両目のいずれか」と申し出ましょう!

いやいや、くだらない枕を長々と失礼しました。

さて今年もジュリーの誕生月に張り切って書き始めた”actお題月間”・・・まず前回「美しき天然」を採り上げたわけですが、いやぁ昨年同様に記事を書き終えてから先輩方から教わることが、本来楽曲考察上とても大切なことだったりしましてね。
どうやら今年も濃密な勉強のひと月になりそう。またそれが僕にとってはすごく嬉しいことなのです。
普段から「伝授!と言いながら実はみなさまから逆伝授を受けている」スタイルがもう隠しようもなくなってきている拙ブログですが、そのぶん気合とジュリー愛だけはたっぷり込めて頑張ってまいりますよ~。

さて今日のactは『ELVIS PRESLEY』です。
採り上げるのは、有名なロックンロール・スタンダード「ハウンド・ドッグ」のカバーにして、ジュリー本領発揮の「らしい」訳詞とブッ飛んだヴォーカル・・・actならではの「ジュリー・ナンバー」として大好きな1曲です。
「量見」、伝授!



Elvis2


前回「美しき天然」の記事に続き、今回もまたまたヒヨッコDYNAMITEの「恥ずかしながらつい最近知った」話から始めなければなりません。
act『ELVIS PRESLEY』でゴキゲンな演奏を聴かせてくれる女の子バンド・・・彼女達が同年の全国ツアー『サーモスタットな夏』にコーラス隊として登場する”BOKE BOKE SISTERS”であったことを、僕は今年の2月に初めて把握しました(←遅過ぎますよね汗)。
『ELVIS PRESLEY』と『サーモスタットな夏』が同じ年であったことは頭に入っていたのに、まったく結びついていなかったという。いや、教わったことはあったのかもしれないけど、全然分かってなかったのかな。
僕は今でも、ジュリーファンなら当然の知識を改めて知りビックリする、ということが頻繁にありますがそれにしてもこれは酷い。
GRACE姉さんがバンドメンバーとなる前にBOKE BOKE SISTERSのオーディションを受けていた、という話は以前教えて頂けていましたが、僕はそれを

『サーモスタットな夏』の全国ツアー各公演にバンドと一緒に同行するBOKE BOKE SITERSなる女性コーラス隊の結成オーディション


だと思い込んでいたわけです。
ちょっと考えたらそんなワケ分からない話があるはずがない、と気づくはずですが・・・いやはや情けない。
2月に、いつもお世話になっている先輩に食事に誘って頂いた際たまたまそんな話が出て、僕が「ああっ、そういうことだったんですね!」と驚いていたら、その先輩だけでなく一緒にいたカミさんからも「えっ分かってなかったの?」と呆れられましたよ・・・(滝汗)。
それはさておき(いや、さておいてはイカンのですが)、cobaさんがアレンジ・プロデュースに専念し、『ELVIS PRESLEY』の伴奏陣を女の子ロック・バンドに託した、というのは素晴らしいアイデアです。演奏と共に「お姉ちゃんコーラス」にも重点を置いたわけですね(さらに、曲によってギタリストが鍵盤も担当できる、というのも重要な選考基準だったと思われます)。
50歳手前のジュリーが華やか、賑やかな女子バンド・メンバーを従えて歌う・・・それがactならではの「エルヴィスの一生を描く」意味を深めていると感じます。

『actCD大全集』に収録されているエルヴィスのカバーについては僕の知らなかった曲もいくつかありますが、「量見」のオリジナル・ナンバー「ハウンド・ドッグ」はさすがに知っていました。「エルヴィスに似ていないものはロックではない」というブライアン・セッツァーの名言をこの1曲に集約できるほどの、本当に有名なロックンロール・スタンダードですからね。
手元にはスコアもあります。


Hounddog

↑ 『50-60 ロックンロール・アゲイン』より


僕はプレスリーを生で聴くというのは世代的にも叶わぬことでしたが、「ハウンド・ドッグ」という楽曲自体は別のバンドの生LIVEで体感したことがありますよ。
ピンと来た人も多いでしょう。そう、この曲は瞳みのる&二十二世紀バンド2015年の全国ツアー『Let's Go カキツバタ』で、セットリスト前半を締めくくるナンバー(スタンディング・ヴォーカルのピーが演奏終了よりひと足早く踊りながらステージを後にする、という楽しい演出がありました)として採り上げられたのです。

act『ELVIS PRESLEY』では、添付したスコアの冒頭解説にあるブルース・トーンのコーラス・ワークを女声でバッチリ決めてくれています。
女子のバンドがロックンロール特有のルーズな(←それが良い!)コーラスを担う・・・これは本当にカッコイイです。先述した二十二世紀バンドもメンバーに女性2人がいるので、同じようにゴキゲンなコーラス・ワークが楽しめたことを今改めて思い出したり。

バンドに任せていた部分も大きいかとは思いますが、おおよその輪郭を提示していたであろうcobaさんのアレンジはズバリ王道。
エンディング、いったん終わると見せかけテンポを落とし3連ロッカ・バラードのコーダへと移行するのはエルヴィスも同じですが、締めくくりに採り入れた進行は
「C→C7(onE)→F→F#dim→G7+9」
「ド~ド、ミ~ミ、ファ~ファ、ファ#~ファ#、ソ♪」という音階移動はみなさまも何となく「あ、このパターンあるよね」と聴き慣れているはずです。
ちなみに、このロックンロール・エンディングお馴染みの進行を、サビメロのド真ん中に配したジュリー・ナンバーが1曲存在します。白井良明さん作曲の「GO-READY-GO」です。

恐れの中に 飛び込む勇気だけが
C        F      C                  F

難関突破   できる
C   C7(onE)  F    F#dim

生きるためならダイ ブ ♪
G                   E♭  C


↑ この曲のオリジナル・キーはト長調ですが、「量見」と比較しやすいようにハ長調に移調して表記しています。

「難関突破できる♪」の箇所です。
こんな使い方・・・少なくとも僕はジュリーの「GO-READY-GO」しか知りません。世の音楽のほとんどの進行例って、ジュリー・ナンバーだけですべて勉強できてしまうんじゃないかと思ってしまいます。actの曲について書いている今、それは一層思うところですね。

しかしまぁ、「量見」の場合は何と言ってもジュリーのあの物凄いヴォーカルにつきますわな~。

俺は名もねえ猟犬 あんたのもん
C

手前勝手な量見 持っちゃいねえ
                F7                    C

上眼使いで あんたの指図を待ってる ♪
      G7                     F7               C

僕は現時点ですと『actCD大全集』の中で一番のお気に入りは『SALVEDOR DALI』、僅差で『NINO ROTA』『SHAKESPERE』あたりが続く感じですが、もちろん『ELVIS PRESLEY』も大好きで、初めて聴いた時(本当に、軽い気持ちで聴き始めてしまったのですが)のジュリー・ヴォーカルのインパクトは忘れられません。CD冒頭の3曲「無限のタブロー」「量見」「Don't Be Cruel」の流れには本当にヤラれました。
ジュリーのヴォーカル、3曲それぞれ歌い方が全然違いますでしょ?

「無限のタブロー」のようなヴォーカル・スタイルはジュリー・ナンバー唯一ですし、「Don't Be Cruel」の正にプレスリー直系のロカビリー・スタイルは他のジュリー・ナンバーに「MAYBE TONIGHT」くらいしか見あたりません。
そして「量見」。ドスの効いたシャウト、ねじ伏せるような発声で歌うロックンロール・・・これまた他のどのジュリー・ナンバーとも違う、と感じます。敢えて言えば「ゴー・スージー・ゴー」のライヴ・ヴァージョン(たまたまですが最近「凄ぇ!」と思いながら聴き直したばかり。『愛をもとめて』でかけてくれていたんです)が近いですけど、やはり20代半ばと40代ラストイヤーではジュリーの声質も発声のテクニックも大きく異なります。
ブルースや3連ロッカ・バラードでよく似た発声のナンバーはあるにせよ、ロックンロールでこの歌い方というのがね~。ジョンなら「ロックンロール・ミュージック」、ポールなら「のっぽのサリー」、ジュリーなら「量見」。これが僕の中でのロックンロール・スタンダードのカバー名演、ヴォーカリスト・ベスト3ですよ。

あとはジュリー自身による訳詞の面白さです。
actでのジュリーの作詞や訳詞は、同年リリースのオリジナル・アルバムと比較するとギャップが激しいこともまた魅力ですけど、「量見」についてはいかにも『サーモスタットな夏』の年のジュリー、って感じですね。

オリジナルの「ハウンド・ドッグ」は「猟犬」と「女たらし」のダブル・ミーニング。「猟犬」を軟派な女たらし野郎に見立てて、硬派な主人公(歌い手=プレスリー)が「猟犬」をコキ下ろすという内容です。
一方ジュリーは自らが演じるプレスリーを「猟犬」に見立てます。「猟犬」転じて「量見」の発音連想は今現在のジュリー作詞手法の根幹とも言うべきもの。
「量見」の場合はユーモラスながらも歌詞全体の言い回しには潔い気骨があり、「俺はただでは終わらんぞ」という展開がジュリーらしいプレスリー解釈です。

前に書いた「無限のタブロー」の考察記事でも触れたのですが、「いざ間奏!」のジュリーのシャウトが「がおっ!」と言うんですよね。これが最高にカッコ良い!
「ナメてたら噛みつくぞ!」みたいな感じ。
ロックンロール間奏間際のシャウトは普通なら「アオッ!」とか「カモン!」、はたまた「ゲリロン!(get it on)」とか言うところ、「量見」の「がおっ!」は「無限のタブロー」での「わっは~!」と共に物語(歌詞)的に必然性があり、actの舞台でなければ実現しなかったジュリーのシャウトを引き出しています。
さらに言えば「量見」はジュリー自身が訳詞だからこそ、そのシャウトが素晴らしいのですね。
ロックンロールそのものの捉え方でプレスリーを見ている・・・噛みつく相手である「あんた」は当然「体制」或いは「権力」ということになりましょう。

act映像未体験の僕はどうしても『actCD大全集』それぞれのディスクを「ジュリー渾身のヴォーカル・アルバム」のようにして聴いてしまいます。ですからactのコンセプトへの理解自体はまだまだ浅いとは言え、ジュリーの「声」の無限の拡がり、普段は(オリジナル・アルバムの時には)見られない、それぞれの楽曲に特化した発声を堪能することはできていると思います。
「ヴォーカル・アルバムとして捉えたactのディスク」の意味で『ELVIS PRESLEY』は大変な名盤です。
演奏も「軽さ」「隙間」の魅力が全開で、ハードな音圧を好む人は肌が合わないかもしれないけれど、個人的にはこういうロックは大好物。
みなさまはいかがでしょうか。


では次回更新は、これもまた「洋楽カバー」のお題を予定しています。
今日はプレスリーでしたが今度はビートルズです。実は僕はそのお題予定曲を、今年になって初めて生で体感したんですよ。もちろん4月のポール・マッカートニー来日公演で。
今までなかなか参加当日のセットリストで「当たらなかった」曲・・・ポールのLIVE5度目の参加にしてようやく聴くことができ、その時「よし、6月のact月間の時にこの曲を書こう!」と決めていました。

僕はビートルズの話になると勢いがつき過ぎていつも以上に大長文となる傾向がありますが、なんとか今日くらいの文量におさまるようにしたいと思います。
どうぞお楽しみに~。

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2017年6月 5日 (月)

沢田研二 「美しき天然」

from『act#8 宮沢賢治/act#10 むちゃくちゃでごじゃりまするがな』、1998

Miyamutya1

『宮沢賢治』(1996)
1. 異界
2. 運命 雨ニモ負ケズ
3. アラビアの唄
4. ポラーノの広場のうた
5. 星屑の歌 ~スターダスト
6. 百年の孤独
7. 私の青空
8. 笑う月
『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』(1998)
1. 美しき天然
2. ボタンとリボン
3. おなかグー(セ・シ・ボン)
4. 世の中変わったね
5. 君待てども
6. トンコ節
7. け・せら・せら(ケ・セラ・セラ)

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ちょっと更新間隔が開きました。
6月です。今年もジュリーの誕生月がやってきまして、拙ブログでは昨年同様この6月を”act月間”とし、act全10作品の中からジュリーが歌った名曲群をランダムに採り上げていくことにしました。
『大悪名』観劇もあるので、月の後半はその感想なども交えながら、という感じになりましょう。

まぁ相変わらず映像を観ていない状態のまま(汗)、CD『act大全集』に収録されたものの中から、あくまで楽曲に特化した片手落ちの考察記事です。
どのジュリー・ナンバーについてもそうなんですけど、僕のブログはコメントなどで先輩方から色々と教えて頂いて初めて「記事完成」と言える類の考察だと思っています。特にactはその意味合いが強く、昨年もcobaさんの「SARA」楽曲誕生秘話など教えて頂いたりしまして、記事を書き終えてから「おおっそうだったのか!」と気づかされる重要なポイント、逸話がたくさんありました。
今年もそうなるであろう、と期待して(甘えて)おります。

さて、「映像未体験」とは言ってもほとんどの作品については『act大全集』の曲の流れを追っていけば「あぁ、この曲はきっとこんなシーンだな」とか「こんなことを歌っているんだな」とか予想だったり妄想だったりできてしまうわけですが、ただひとつの例外、それが98年の『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』です。CDを聴いてもお芝居の内容やコンセプトがまるで想像できません。
そもそも他作品はすべて実在人物がタイトルになっているのに、act最後の10作目にしてこれは一体?

収録曲を俯瞰して言えるのは、ジュリーの作詞の面白さであったり、cobaさんのアコーディオンとNAOTOさんのヴァイオリンというシンプルな構成ながらバリバリの緊張感で奏でられる演奏の素晴らしさ。
そして何よりこれはあの『ROCK'AN TOUR '98』と同じ年の作品ですからね。ジュリー・ヴォーカルのキレ、情感、躍動感についてはそりゃ間違いはないわけで。

『act大全集』としては1枚のCDに『宮沢賢治』とダブル収録ながら、『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』の1曲目としてクレジットされたカバー曲「美しき天然」・・・今日はこの曲をお題に採り上げ、ジュリー自身がこの曲に幼少時からの思い入れがあったことなどにも触れながら、色々と書いてみたいと思います。
僭越ながら伝授!



Miyamutya3


「美しき天然」はとても有名な曲・・・なんですよね?
本当に恥ずかしいことなのですが、僕がこの曲を知ったのはつい数年前・・・2012年でした。
その年の新譜『3月8日の雲』がリリースされ、戦慄と感動のままにSNSで次々に叫んでいた中で、「カガヤケイノチ」について「本当に厳かで美しいワルツ!」といった感じのことを書きましたら長崎の先輩が反応してくださって。「ジュリーはワルツが好きなのよ」と。
子供の頃からジュリーは「美しき天然」が好き、という有名な話があるとのことでしたが、僕は「美しき天然・・・なんでしょうかそれは?」状態だったという(恥)。

「有名な曲なのかなぁ?」と思い、翌日出社してスコアを探してみたわけです。
勤務先からは『日本叙情歌全集』という、全4巻全700曲に及ぶブ厚い(それぞれの巻が、ちょうど『忘却の天才』ブック・パッケージくらいの背圧)歌集を発売しています。僕の入社前から現在に至るロングセラー商品なのですが、何とその第1巻の1曲目に収載されているのが「美しき天然」でした。


Tennen

↑ 『日本抒情歌全集①』より

これすなわち、「超」がつく有名曲であることの証。
おそらく僕より少し年長、そこから上の世代の日本人ならば知らない人はいないであろう楽曲なのでしょう。いや、僕の世代でも知ってる人の方が多いのか・・・でも僕の小中学生時代にこの曲が音楽の教科書に載っていた、ということは無かったと思うなぁ。

で、スコアを眺めているうちに「あれっ、そう言えば”美しき天然”という字面にはジュリーの資料絡みで見覚えがあったはずだぞ」とビビビッと来ましてね。
今度は帰宅してから、多くの先輩方からお預かりしている切抜き資料を漁りまくり(笑)。
結果、2つの資料が見つかりました。
もちろんそれ以前に目を通していた資料でしたが、「美しき天然」なる曲を知らなかったため、その箇所については頭に残っていなかった、というわけ。

まずはMママ様の資料で、これは何の雑誌ですかね・・・『沢田研二に直撃100問』という企画です。


742001

読者からジュリーへの質問を公募してジュリー自身がそれに答える、というね。
ただしこちらの資料は質問者であるジュリーファンの先輩方のお名前がバッチリ載ってしまっておりますので記事本文の添付は控え、「美しき天然」に関する箇所だけ書き出すことにしましょう。
「思い出に残る歌は?」との質問に、ジュリーはこんなふうに答えています。


(メロディーをつけて)ズーチャチャ、ズーチャチャっていう、あれ。(考えて)”美しき天然”だ。理由はないけど、心に残ってる。

歌詞ではなく、ワルツのリズムに旋律を載せて口ずさんだということですから、ジュリーにとっては「ワルツ」が少年時代の原風景なのでしょう。

続きまして、大分の先輩から授かりました2008年の『日本経済新聞』夕刊記事の切り抜きです。
こちらについては、「美しき天然」の話が出てくる箇所以外もすべて添付しておきましょう(1枚目のスキャンがうまくいっていません。ごめんなさい)。


Nikkei20081125

Nikkei20081126

Nikkei20081127

Nikkei20081128

還暦を迎えたジュリーが自身のこれまでの人生を振り返った時に挙げられた曲・・・「美しき天然」がジュリーの大切な1曲であることは間違いありませんね。

実は僕は『act大全集』のCD『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』については、昨年この「美しき天然」1曲だけを聴いて「なんか難しそうだな~」と思いそのままになっていました。全収録曲を通して聴いたのはつい先日のことです。
1曲だけ聴いた際には正直、ジュリーのヴォーカルにさほど魅せられるという感覚はありませんでした。普段好んで聴いているロックとはあまりに異なるタイプの曲ですしね。
ところが今回他楽曲を把握し、その上でさらに1曲目「美しき天然」に戻って聴いてみますと・・・いやぁこれは素晴らしい歌声です。
「じっくり聴く」心構えというものが、1曲単体で聴くのと他収録曲を聴いた後で聴くのとでは全然違うように思われます。ほら、他の曲は結構コミカルな歌詞、曲調が多いじゃないですか。歌の途中でお客さんがドッと沸く声が上がったり、曲のイントロがお客さんの笑い声と重なっていたり(愉快なシーンを受けて演奏が始まっている、ということでしょう)・・・舞台の雰囲気が最初の「美しき天然」とは一変しているわけですよね。

『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』への先輩方のご感想も、その多くは「う~ん・・・」というものでした。
おそらくそれは、このヒヨッコにうまくその魅力を説明できない、とのお考えだったのかと今にして思うのですが、僕は「あぁ、actの中ではいまひとつ、というみなさんそんな認識なのかな」と思い込んでしまいました。
でも今年の始めに、敬愛する先輩のおひとりが『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』を大絶賛されている、と伝え聞きまして・・・それが今回actのお題探しでまずはこの作品のCDだけでも通して聴き込んでみよう、と考えたきっかけとなった次第です。

もしかすると『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』って、一度目の観劇より二度目の観劇の方が良い、という作品だったのではありませんか?
この作品を高く評価する先輩方が複数回の観劇をされたかどうかは分かりませんが、少なくとも僕は「美しき天然」のジュリーの歌の素晴らしさを、他収録曲を聴いた上で改めて、という段になるまで理解できませんでした。いや、これは僕の感性が鈍いだけかな?

耳朶を震わすジュリーの歌。僕がそこから思い描くのは、無数の稲穂が大きく揺れ動く風景です。ですからジュリーの声は「風鳴り」ですね。
元々「美しき天然」は「故郷」とか「幼い頃」を思い起こさせる曲だと思いますから、聴き手がジュリーの歌から描くものは、それぞれが持つ原風景によって異なるでしょう。無数の稲穂は僕自身の故郷の風景です。

ちなみに僕はつい先日まで曲のタイトルを「うつくしきてんねん」と読んでいましたが、どうやら一般的には「うるわしきてんねん」と読むようです・・・ってそれはたぶん常識、僕が知らなかっただけ(汗)。

ジュリーと縁深いヴァイオリニスト、NAOTOさんについても僕がお名前を知ったのは遅く(恥)、2011年のことでした。これまた仕事の話なんですけど、その年に勤務先でご本人監修のスコアを出版したのです(NAOTOさんのオリジナル曲をメインとした、ヴァイオリン・ソロ+ピアノ伴奏の三段譜)。
NAOTOさんが過去にジュリーと共演されていたことも、その時たまたまJ先輩から教わりました。
スコアは売れ行きも良く、今では第2弾のスコアも出版しています。


Naotoacousticduo


僕はNAOTOさんの演奏を生で観たことはありませんが、LIVEに行かれたことのある先輩のお話では「まるで柴山さんみたいだった」と。とにかく演奏しながらよく身体が動くのだそうです。wikiにもそんな説明がありました。ギタリストならそれはよくある光景ですが、ヴァイオリニストとなると珍しいですよね。
『むちゃくちゃでごじゃりますがな』の演奏もそんな感じだったのかな。参加された先輩方、いかがでしたか?

静寂を切り裂くようなイントロ・・・「美しき天然」でのNAOTOさんのヴァイオリンは曲の最初と最後でまったく表情が違います。凡人にはなかなか理解の及ばぬところなのでしょうが、優れた音楽家にとって「原風景」「故郷」とはまずこのイントロのような狂おしい、激しい旋律かきたてられ体現させるテーマなのでしょうか。
エンディングの音は逆に、ス~ッと宙へ溶けてゆくかのようで、お客さんがその音が消えるまで息を殺して舞台に集中する様子が、CDだけでも伝わってきます。
actの音源を録っているグローブ座は、公演の千秋楽なのでしょうか。舞台と客席の呼吸が「できあがっている」感じ。初日だとこうはいかないんじゃないかな?

狂おしいイントロはcobaさんのアコーディオンが始まると平穏へと転じ、「ワルツ」を意識させないまま進行します。僕レベルでは初聴だとジュリーの歌が始まるまで強拍、弱拍のニュアンスが掴みきれなかったのです。
ジュリーの話によればcobaさんは「目を閉じながら演奏する」ことが多いのだそうで(『大悪名』で確認できるかな?)、この「美しき天然」の演奏などはいかにも、と想像します。例えば「次のヴァースに行くよ!」という時のフレージングが一度たりとも同じではないという・・・cobaさんはその時その時で音とリズムに身を委ね、自然と目を閉じてしまわれるのでしょう。

空にさえずる 鳥の声
Cm               Fm    Cm

峯より落つる  滝 の音 ♪
Fm    Cm  G7   Cm G7 Cm

キーは原曲通りのハ短調で、まぁコードをとるなら上のようにスリー・コードになるのですが、「ド・レ・ラ♭」「レ・ファ・ソ」なんて構成の和音も登場しますし、あまりコードをふる意味はない曲なのかなぁと思います。

『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』は『actCD大全集』の中でも僕としてはまだまだ聴き込みが充分とは言えないながら、なかなか楽しそうな作品です。
アコーディオン、ヴァイオリンという最小限のアンサンブルが、実はactの妙諦なのかもしれません。主役がジュリーの歌なのですから。
映像は手元にありますのでいつでも鑑賞できますが、もう少し先になるかな~(老後の楽しみ?)。
どんな舞台なのか、『大全集』収録曲以外にどんな歌が歌われているのか・・・楽しみにしながら、まずはもっとCDを聴きこんでいこうと思います。

では”act月間”次のお題は、今日とはガラリと雰囲気を変えて「ロックンロール」を予定しています。
さぁどの曲でしょうか。お楽しみに!

今週の関東はグズグズした天気の日が多い予報ですが、みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。
お互い体調には気をつけて過ごしましょう。

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2016年6月25日 (土)

沢田研二 「I am the champion 孤独な」

from『act#5 SHAKESPEARE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

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無事、めでたき日に更新となりました。
ジュリー、68歳のお誕生日おめでとうございます!

Tgpic08

↑ 昨年に引き続き、「ありがとう、と言ってそうな若ジュリー」のショットを勝手に選び添付しました

今年も中野ブロードウェイの『まんだらけ海馬店』さんが「沢田研二 生誕祭り」を開催してくれるとのことで、今日は夫婦で中野まで出かけてきました。
今年の品揃えは、個人的には「珍しいものは高値で手が出せず、手ごろなものは既に持っている、見たことある」という状況ではありましたが、ジュリー等身大パネルと一緒に写真を撮ったりして楽しみました。
購入したのは『ペーパームーン』(2000年の方)のパンフレット、400円。これだけ何故か異様に安かったな~。ジュリーのショット、たくさん載ってるのに。


ジュリーも70越えまで、もうあと2年ですか・・・。
2009年の『PLEASURE PLEASURE』ツアーでジュリーが「ワタシの70越えを見届けてください!」と語っていたことを思い出しています。
その頃僕は本格的にジュリー堕ちして間もなかった時期でしたので、「これから10年近くもジュリーのLIVEが観られるのか。それをジュリーは約束してくれた!」と感動したものでしたが、いやぁ70越えどころか、まだまだこの先もお楽しみは続いていきそうですね。
ジュリー健在!は何よりの励み。この先のジュリーの変わらぬ健康と無事をお祈り申し上げます。
68歳の1年も、おいしいものがたくさん見つかりますように。ジュリーが望む世の中でありますように。


ジュリーはいつまでも若々しく元気でいてくれるけれど、その一方で今年は、個人的に思い入れを持つミュージシャンの訃報が相次いでいます。
先日、元ウイングスのギタリストだったヘンリー・マカロックが亡くなりました。
ウイングスのギタリストと言えば20代で亡くなってしまったジミー・マカロックの方がよく知られているかもしれませんが、ウイングス・ナンバーの中で「ギター・ソロ」に限って僕が最も感銘を受けた曲は、ヘンリーが考案し演奏した「マイ・ラヴ」のソロです。
パッと聴くだけだと風のように爽やかで耳馴染みの良いソロなんですけど、1音1音を拾っていくと、「これがバラードの音階なのか」と驚嘆することになります。スケールの使い方が特殊なのです。

ヘンリーの場合は僕は世代的に無理なこととは言え、こうして憧れのミュージシャンの訃報に接すると、「どうして1度だけでも生のLIVEで観ておかなかったのか」と後悔することばかり。ジョージ・ハリスンの時も、今年のデヴィッド・ボウイの時も。
そしてもうひとり・・・クイーンのフレディ・マーキュリー。
チャンスが無かったわけじゃないのに、僕はフレディの歌と演奏を生で体感できずじまいでした。

フレディ生誕70年にして没後25年の今年、クイーン+アダム・ランバートが来日します。
フレディ亡き今、「クイーンを観に行く」という感覚にはなれないのは事実だけれど、僕は彼等の武道館公演を観に行くことにしました。ブライアン・メイのギターとロジャー・テイラーのドラムスを胸に刻むために。
フレディへのリスペクト溢れるアダムのヴォーカルも、きっと素晴らしいでしょう。


さぁ、しめっぽい話はこのくらいで・・・今日は6月25日、おめでたい日なのですからね!
「じゅり枯れ」の厳しいこの6月、僕は「act月間」として更新を頑張ってきました。今日はいよいよその締めくくりのお題となります。

月はじめに「私は言葉だ」の記事で採り上げたact第5作『SHAKESPEARE』より、再び「原曲について語りまくることができる」名曲を選びました。
こんな難しい曲を堂々と自分の世界に引き込んで歌うジュリー、加藤さんとcobaさんの見事なact的解釈に僕は痺れっ放しです。

誰もが知るクイーン不朽の名曲のカバーで「I am the champion 孤独な」。僭越ながら伝授!



Shakes2


クイーンの原題は「We Are the Champion」。日本では「伝説のチャンピオン」の邦題で知られる、クイーンの特大ヒット・ナンバーです。
リリースから40年が過ぎてもまったく古さを感じさせない、正真正銘、空前絶後の名曲と断言できます。

Wearethechampions


↑ 『クイーン/スーパー・ベスト』より

シンコペーションのメロディーで「いきなりヴォーカルから」始まるパターンはフレディの得意技。
歌も演奏も非常に難易度の高い曲です。この曲をカラオケで流暢に3連に載せて歌える人を僕は見たことがありません。僕自身はと言うと、チャレンジする勇気すらありません(涙)。

8分の6の3連メロディーの抑揚がいかにもクイーン、聴き手がノッケから歌メロに引き込まれる原曲の魅力は、ジュリーの「I am the champion 孤独な」も同様です。出だしのヴォーカル一発のインパクトですね。
そこで重要なのが冒頭の「語感」だと僕は思います。
冒頭のメロディーに「伝説」というフレーズを当てた素晴らしいセンス。まずはそんな加藤さんの日本語詞について書いていきましょう。

伝説が    神話が
     Gm  Dm7       Gm  Dm7

まとわりつく  俺についてまわる
         Gm   Dm7                   Gm  Dm7      

やりきれない    たまらない
         B♭   B♭sus4      B♭  B♭sus4

ロマンチックな目で見ないで
        B♭         F7     Gm

お願いだから ♪
   C7         F       E♭(onF)  G


注:クイーンのオリジナル、ハ短調に対してジュリーは2音半下げのト短調でこの曲を歌っています。フレディの声域が常人離れして高過ぎるということですね。

部分的にはフレディの原詞を踏襲しつつも、これはやはりactならではの解釈による「作詞」に近い加藤さん渾身の名篇。その点は「私は言葉」と同じ。しかし「私は言葉だ」とは逆の意味で面白いのは、メロディーに載せる言葉の「数」です。
「私は言葉だ」では思いっきりメロディーの音節を逸脱してそのぶん音階も増えたり減ったりという箇所が多いのですが、「I am the champion 孤独な」では意外や原曲のメロディーに忠実だったりするのです。
フレディが早口で歌う箇所はジュリーも早口、トーキングっぽい箇所も同様です。加藤さんが、フレディの語感にまで徹底して詞を載せているわけですね。
しかも、とびきり刺激的な言葉で。

それを歌いきるジュリーがまた凄い。
ズバリ「I am the champion」なんてフレーズを歌って違和感が無い日本人歌手なんて他に誰もいませんよ。

この曲の加藤さんの詞をジュリーの歌で追っていくと、遅れてきたファンの僕は不思議に今現在のジュリーの音楽活動とのリンクを感じます。
僕は、決してファンに迎合しようとはしないジュリーの姿勢が大好きです。
それは心を閉じているとか、意地悪とかいうのとは違うと思います。稀に見る俯瞰力の持ち主なのではないでしょうか(まぁ、「天邪鬼」という面はあるにせよ)。

「褒められたら、そこに落とし穴がある、と思う性質ですよ」と語ったことがあるジュリー。
10代の頃から、ファンからの賞賛も周囲からの嫉妬も、他に比類ないほど浴び続けてきたジュリーのような人をしてこのような俯瞰力を持つ・・・驚くべきことです。その根幹の強さが「I am the champion 孤独な」の加藤さんの詞によって表現されているように、今僕はこの曲を聴いてしまうのです。

I am the champion 孤独な
C          Em              Am     F  G

闘争(たたかい)はやめない それでも
  C                            Em          F    C#dim

I am the champion I am the champion
Dm                       Fdim

淋しくはない     I am the champion
C      C7(onD)   E♭       F            Gm7

いつまでも ♪
      Cm

ジュリーにとって「ステージに立って歌う」のはもちろん楽しいことでしょうが、同時に「孤独な戦い」を続けてゆく宿命というものも感じ、立ち向かっているんじゃないかなぁ。特に2012年以降のツアーは・・・。

「孤独」はスーパースターの証。でもジュリーというスーパースターは「信じるな、夢を託すな」と、近寄り難いオーラを発し続けているように感じます。偉ぶってそうしているんじゃない・・・「真剣」なのでしょう。
生きることと歌うことが重ってくる。そんな歌手はそうはいません。真に王者・・・「champion」なんだなぁ。

さて、「I am the champion 孤独な」の演奏についてはどうでしょうか。
特筆すべきはポンタさんのドラムス。
ポンタさんが叩く3連符は独特のノリがあります(初めてポンタさんのドラムスで演奏された「君をのせて」をDVDで鑑賞した時は驚きました。これはYOKO君も同じこと言ってました)。ジョン・ボーナムともまた違う「後ノリ」のニュアンスがあり、とにかく重厚なのです。
ポンタさんは演奏途中に気合が乗ってくるとアドリブでロールを繰り出すことが多いんですけど、この曲の「2’23”」あたりで炸裂するロールは特に凄いです。普通に考えたら、オカズ入れるような箇所じゃないですし。

ドラムス以外だと、1番と2番の繋ぎ目(ここはクイーンのオリジナルをさらに過激に解釈したような斬新なアレンジになっています)のチェロがお気に入り。『SHAKESPEARE』の楽器編成は低音のチェロが黒子に徹しているのが素晴らしいと思いますが、ここは「ソロ」として魅せてくれます。
と言うかあまりに高度過ぎて、ジュリーがよく2番の歌メロにスッと入っていけるなぁ、という感動も大きいかな。このチェロのソロを配したアレンジは、クイーンのオリジナルとは印象が大きく異なりますね。


今、「伝説」とか「神話」とか褒められるとジュリーは「何言ってやがる」と思うのでしょう。でも、ファンとしては言いたくもなりますよね、こんな人を見ていたら。
クイーンの「We are the champion」の「champion」をさらにジュリーという歌手、演者に特化させての「I am the champion 孤独な」。「伝説のチャンピオン」という曲をアレンジも歌詞解釈も変えてカバーするなど、生半可な志のキャストでは無謀。
加藤さん、cobaさん、そしてジュリー。actって、とんでもなく奇跡的なキャスティングだったんですね・・・。



ということで。
ジュリー誕生月特別企画として頑張ってきた「act月間」の記事更新は、ひとまずこれにて終了。
まだまだ知らないこと、理解できていないことが多いactの楽曲考察に取り組むのは正直大変ではありましたが、先輩方に色々と教わる機会に恵まれ、「じゅり枯れ」の厳しいこのひと月があっという間に過ぎていきました。本当に新鮮で楽しい6月となりました。
ありがとうございます!
もし来年が今年と同じような感じのスケジュールだったら、またジュリー誕生月の6月にはact特集を組んで、「じゅり枯れ」の時期を濃密に過ごしたいものです。


さぁ、それでは!
次回更新までには1週間ほどお時間を頂きまして、7月からはいよいよ気持ちを『un democratic love』全国ツアー・モードに切り替えます。当然”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズの開幕です。
もちろん更新ペースは今月並みに・・・6曲ほど書きたいと思っています。
7月頭にはさすがにジュリーはもうセットリストを決めているのでしょうね。例によって僕の予想は全然当たらないかと思いますが、僕なりの予想根拠も示しつつ、張り切って書いていきたいです。

お題曲はほぼ決めています。
今年のツアーはインフォに「新曲+ジュリーの好きな曲」と明記があったことから、ヒット曲は数を抑え目にした(来年のデビュー50周年イヤーが、大ヒット曲満載となるのでしょう)鮮烈なセットリストを期待しています。
セトリ予想シリーズ、まず最初の2曲は『ジュリー三昧』でのジュリーの発言を根拠に、「ジュリーの好きな曲」(でも最近のツアーではご無沙汰なナンバー)を採り上げていきますよ~。
今回もよろしくおつき合いくださいませ~。

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2016年6月22日 (水)

沢田研二 「SARA」

from『act#3 NINO ROTA』、1991

Nino1

1. 8 1/2
2. 時は過ぎてゆく
3. カザノヴァ
4. 天使の噂
5. 忘れ難き魅惑
6. ヴォラーレ
7. 道化師の涙
8. バイ・バイ・ララバイ
9. カビリア~夜よ
10. ジェルソミーナ
11. SARA
12. 夢の始まり
13. 8 1/2

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夏至も過ぎ、今日からは少しずつ陽が短くなっていくのですね。猛暑はこれからですが・・・。
それにしても、関東では水不足、九州では熊本を中心に大雨による大変な被害。最近の世の中はどうしてこうも極端なことばかり起こるのでしょうか。
異常な気象、自然の暴走。胸がざわつきます。


気をとり直しまして。
先日、『東京新聞』に掲載された記事については、ジュリーファンの間で話題になっているようですからネットで目にされた方も多いでしょうが、実際の紙面はこんな感じでした(サイズの関係で分割のスキャンとせざるを得ず、読みにくい部分もありますが・・・)

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掲載されている写真を見て、「まず、自分の姿が写っていないか探した」と仰る先輩も。
タイガース、GSからの長いファンの先輩方にとっては、この記事に書かれていることがすなわち、共に彼等と歩んできた現実の道のりなのですね・・・。

それでは本題です。
これも先日『東京新聞』に記事が載っていて初めて知ったんですが、何ですか、今レッド・ツェッペリンの「天国への階段」が盗作の疑いで訴訟中なんですって?
ナンセンスの極み!
ジミー・ペイジが証言したという「よくある進行」との言葉、これがすべてです。
だいたい、「Am」からルートがクリシェしてゆくヴァリエーションで、アルペジオ進行の楽曲が、世にどれほど存在することでしょう。ジミーは「オマエ、名声が欲しいのか金が欲しいのかどっちだ?」と言いたくなるのをグッと堪えているに違いありません。
本当に「オマージュですらない。よくある進行を採用し作曲した」としか言えないんですよ。
でも裁判側にポップ・ミュージックへの敬意無く、コード進行の何たるかを理解していなければ、とんでもない判決となってしまう可能性もあります。ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」の時のように。
悪意の茶番につき合わされる羽目となってしまったジミーが本当に気の毒です。

単なる「焼き直しのパクリ」は論外として、そもそもポップ・ミュージックにおいて「よくある進行」「よくあるメロディー」は当たり前。その中でどのように作曲者の個性が反映されているか、どのような詞か、どのような演奏か、どのように歌われているか、で楽曲を差別化し各々の優れた点を探り評価することが肝要です。
優れた点が突出していればその曲はヒットし、或いはヒットしなくともリスナーに高く評価されます。そういう名曲にこそ「よくある進行、よくあるメロディー」を採用したものが多いのです。

「act月間」更新も残すところ2曲。
今日はズバリ、actが誇る真のプロフェッショナル・コンビ、加藤直さん作詞、cobaさん作曲による「よくある進行、よくあるメロディー」の名曲がお題。

act3作目『NINO ROTA』から、「SARA」です。
僭越ながら伝授!



Nino2


短調ポップスの王道進行。
『SALVADOR DALI』収録の「愛の神話・祝祭という名のお前」もそうですが、こういう王道のメロディーを得た時のジュリー・ヴォーカルは圧巻です。

「よくある進行」なわけですから、似た曲は世に多くあります。僕の世代ですと、「SARA」を聴いて「メモリーグラス」や「バージンブルー」、「愛の神話・祝祭という名のお前」を聴いて「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴだね」といった邦楽のヒット曲を連想する人は必ずいらっしゃる、と思います。
actの2曲も含め、それらのメロディーは皆が惹かれる名曲の肝でありましょう。でもそれぞれが「同じ」ではあり得ない・・・そこが重要です。

僕はザ・タイガース以外のGSには詳しくありませんが、この手の短調王道進行のビート・ポップスはおそらく数え切れないほどあったはずで、ジュリーファンの先輩方が「SARA」をタイムリーで聴いた時、「何か懐かしい感じがする」と大いに好感を持たれたであろうことは想像に難くありません。
そんなタイプの曲が、actの中にふと混在している、というのがとても素敵だと後追いファンの僕は思うんですよね。もちろんジュリーファンにとっての「懐かしい感じ」・・・その対象はGSに限りません。70年代後半、阿久=大野時代によく見られる短調のポップスの不朽の名曲「お嬢さんお手上げだ」あたりを連想した先輩もいらっしゃったんじゃないかな?

とにかく冒頭の歌い出しから既に「おおっ、ジュリーだ!」としか言いようのないこの声。

風になぶられ 波に誘われ
Cm                          Fm

輝く天使の翼に身をまかせて ♪
   B♭7                     E♭     G7

問答無用の説得力です。
僕が時にゾクゾクするのは次の展開部、2回し目。

もとめて もとめて もとめて
        Fm

いつまでも 激しい 激しい 激しい時
            Cm                                D7

終わりのない 燃え続ける火 ♪
                    G7

この「D7」の箇所のジュリーの声の艶・・・ホント、別途スタジオレコーディングしてシングルにすればヒット間違い無しと思えるのですが、actってそういうものじゃないのかなぁ、とも思ったり。

この曲は当然ながら演奏も素晴らしいです。僕が特に惹かれているのはドラムス。
歌メロ部では基本ルンバのリズムによるベースとのユニゾンで、スネアが4拍目にきっちりアクセントを入れますが、2度ある間奏のうち最初の間奏部では一転

どこでスネアがカッ飛んでくるか分からない

という予測不能の大暴れ。
しかも「行儀の良い暴れっぷり」というのがactならでは、ではありませんか。
また『NINO ROTA』の演奏はベースがフレットレスですから、「SARA」のような曲ではスライドさせるフィル・フレーズがひときわ光ります。

そしてcobaさんのアコーディオン。
一番の見せ場はやはり2度目の間奏直前、転調する繋ぎ目の箇所でしょう。「ソ、ミ♭~ミ♭レド♪」「ソ#、ミ~ミレ#ド#♪」「ラ、ファ~ファミレ♪」と半音ずつせり上がるフレーズがカッコ良過ぎます。

ということで、ハ短調で導入した「SARA」は2度目の間奏から引き続いて最後のヴォーカル部のみ1音上がりのニ短調へと転調しています。
これがね・・・高っかい!

さまようために 歌をうたおう
A7          Dm                Gm

永遠のまい子 やさしさのための今に ♪
          A7                             Dm

ジュリーの高音、炸裂です。よくYOKO君が「一瞬の1音だけなら、自分も高い「ファ」「ソ」は出る。でもジュリーの高音ヴォーカルの曲って、そのあたりの音域を延々とうろつかれるんでとても太刀打ちできない」と言っていますが、本当にその通りなんですよね。

そんなジュリーのヴォーカルを引き出す加藤さんの詞、cobaさんの作曲、そしてアレンジ・・・「SARA」の魅力はその「軽さ」だと僕は思っています。
僕は軽薄な曲は好みませんが、軽い歌謡曲、ポップスは大好きです。
「軽さ」=ヒット性の高さとは一概には言えないまでも、重要な要素ではあります。誤解を恐れずに言えば、加瀬さん作曲のジュリー・ナンバーはそのほとんどが「軽い」ですよ。それが素晴らしいのです。

「SARA」はact作品の中で最軽量の名曲。軽さそのままに歌うジュリーのヴォーカルはとても魅力的ですし、加藤さんもcobaさんも当然心得てのことでしょうね。
『act-CD大全集』で『NINO ROTA』を初めて聴いた時、actにこういうタイプの曲があったのだ、と嬉しくなったものです。みなさまはいかがでしたか?

ところで・・・偉そうに楽曲考察記事など書いておきながらこんなことを言うと「何だそれ?」と笑われてしまうでしょうが、実は僕はこの曲のタイトル「サラ」の人物特定がまるでできておりません(恥)。
『SALVADOR DALI』の「ガラ」はどうにか付け焼刃で分かっても『NINO ROTA』の「サラ」はお手上げ・・・。
一応ニーノ・ロータの生涯については手元にかいつまんだ資料もあるのですが、そこにも「サラ」の記述は見当たりません。


Ninoscore1

↑ 『映画音楽の巨匠/ニーノ・ロータの世界』より


ちなみに「ニーノ・ロータ サラ」でネット検索すると『ロミオとジュリエット』の記事が多数ヒットするんですけど、調べる方向はそれで合っているのかなぁ。
(後註:親切な先輩のおかげで「SARA」の由来が分かりました。みなさまも「coba blog sara」で検索してみてください。とても暖かく、面白く、そしてcobaさんの情熱と人柄と才をしてこの曲が生まれたことが手にとるように分かります)
この「act月間」開催中、先輩方からは「少しずつでもDVDを観始めた方が・・・」とのお声もチラホラ頂いていますが、まぁその通りですよねぇ、こういう場合も。

音源だけでもactの魅力は充分味わえますし、僕の場合はまず音楽から、というのが性に合っているとは思いますが、例えば「それぞれの作品からCD収録曲を3曲書いた時点で映像鑑賞する」とか、何かノルマを決めた方が良いかもしれません。
今日のお題「SARA」にしても、最後の「チャッ、チャッ、チャ!」の伴奏に合わせてジュリーは華麗なポーズを決めてくれているのかな、とか考えると、そりゃあ早く観てみたい気持ちはありますよ!


そうしたことも含め、自分のactへの理解度はまだまだほんの入り口程度、と痛感させられた6月。
「act月間」更新もいよいよ次回でひとまず締めくくりとなります。もちろん、6月25日の更新を目指して。

〆のお題は、先日執筆した「私は言葉だ」に続き『SHAKESPEARE』収録のカバー曲を考えています。
2009年、メイ様がactについて集中的に記事を書いてくださっていた時期があって、その時に「まさか、ジュリーがこの曲を歌っていたとは!」と仰天したことを今でも覚えています。
当時僕は今に輪をかけてヒヨッコでしたから、御記事の内容をすべて咀嚼、学習し血肉としたなどとは到底言えませんが、その曲のお話だけはずっと心に残っていたんです。だって、僕が少年時代から大好きな曲・・・しかもそれは、普通の歌手が気楽にカバーできるような簡単な曲ではないのですから。

昨年、先輩とのご縁を頂き購入が叶った『act-CD大全集』でじっくりとジュリーのそのカバー・ヴァージョンを聴いて、やっぱりジュリー、とんでもないな、とてつもない歌手だな、と再確認しました。
さらに言うと、加藤直さんの日本語詞が今現在のジュリーの音楽活動にそのままリンクするような不思議も感じています。
「act月間」ラスト1曲、頑張って書きたいと思います!

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2016年6月18日 (土)

沢田研二 「眠りよ」

from『act#4 SALVADOR DALI』、1992

Salvador1

1. スペイン・愛の記憶
2. 愛の神話・祝祭という名のお前
3. ガラの私
4. VERDE ~みどり~
5. 眠りよ
6. 愛はもう
7. 黒い天使
8. 恋のアランフェス
9. 白のタンゴ
10. 誕生にあたっての別れの歌

---------------------

まずは・・・既にご存知のかたも多いとは思いますが、関東圏のみなさまに朗報です。

中野ブロードウェイの『まんだらけ海馬店』さん、今年も『沢田研二 生誕祭り』開催!
てか、いつの間にか「梅雨の恒例行事」になったらしい・・・嬉しいですね~。
昨年の開催時に僕は『架空のオペラ』と『サーモスタットな夏』のパンフレットを購入しました。
今年の品揃えはどうかな?
上記リンクページでは、これからバンバン目玉商品情報の更新もありそうですね。

そうそう、遠方にお住まいのみなさまは、通販での購入も商品によっては可能(関西在住の先輩が、『愛まで待てない』のパンフレットを無事通販で購入、到着!と知らせてくださったことがありました)ですので、随時要チェックですよ~!

・・・と、海馬店さんのact関連商品蔵出しにも期待が高まる中、こちらはジュリー誕生月特集の
act月間、今日採り上げるのは4作目『SALVEDOR DALI』です。
いやぁ、この作品も『act-CD大全集』の音源だけでズッシリと嵌りまくりました。

一番好きになった曲は、加藤直さん作詞、cobaさん作曲の黄金コンビによる「愛の神話・祝祭という名のお前」。楽曲タイトルを見ただけで「好み」の予感バリバリでしたが、耳に飛び込んできたジュリーの歌は・・・「そのキスが欲しい」にも匹敵する情熱系!
やっぱり短調でハードに攻める曲を歌うジュリーは、歌謡曲(もちろんこの言葉は良い意味で使っていますよ)のトップを張った70年代後半のあのカッコ良さに、熟々の90年代の色気相俟って正に無敵。
「これ、普通にレコーディング・ヴァージョンのシングルをリリースしても良かったのでは?」と思ってしまったほどでした。
「愛の神話・祝祭という名のお前」は早々に採譜も済ませていましたし、一時は『SALVEDOR DALI』から今回この曲を書こうかとも考えたんですけど、実は他act作品にもう1曲、”黄金歌謡曲時代のトップスター・ジュリー”を彷彿させる軽快かつ情熱的な短調の大名曲がありまして、そちらを次回更新で採り上げようと思うので、今日のお題は曲調の重複を避けました。

そこで選んだのは、こちらもまた素晴らしい名曲・・・加藤さん作詞、ジュリー作曲による「眠りよ」。
僭越ながら伝授です!


Salvador6


曲の考察の前に、少し書いておきたいことがあります。
『act-CD大全集』の中でどのdiscが一番好きか、と問われるとみなさまも相当悩ましいところではあるでしょうが、現時点で僕はこの『SALVADOR DALI』が最有力。
まずこの作品については以前先輩からパンフレットをお借りしたことがあって、衣装、表情含めてジュリーの視覚的な魅力が想像できている、というのが大きいかもしれません(まぁこの点については、将来各作品の映像鑑賞をすることでそれぞれ後追いで補完されてゆくのでしょうけど)。
美しいばかりでなく、とにかく気高いジュリーです。
このパンフはお持ちの先輩も多いでしょうが、2枚だけここでご紹介しておきますと


Dali15

Dali20

男性の僕が見ても、吸い込まれそうな表情・・・。

実はこのパンフをお借りした時には僕はまだactに興味を持っていなくて、actの中ではこの1冊をお借りしたのみ。いずれ他の作品も見せて頂こうと虎視眈々ですが、ともあれこれで僕の中に「ダリのジュリーはカッコイイ」というイメージができあがっていました。
で、時が経ちいよいよact『SALVADOR DALI』の音源に対峙することとなった際「そういや、ダリってどういう人なんだっけ?」と事前に色々調べたんですよ。
他のact作品は音源を聴いてから(歌詞の意味などが分からずに)題材の人物について調べるパターンが多かった中、ダリは聴く前にそれをしたのです。

いやぁ、先入観って恐ろしいですね。
え、何が?って・・・ダリのルックスです。

僕のそれまでの浅過ぎる知識の中で、ダリは「常識を超えた変わり者」。ルックスについてもあの独特の髭のイメージだけがあって、外見的にも「見るからに奇矯な人」なんだろうなぁ、と。
ところが、ネットで見ることができた若き日のダリの写真・・・ちょうどガラと結婚した頃の夫婦のツーショットを見て先入観は今さらのように一新されました。
ダリって、メチャクチャ二枚目なんですね!

しかもガラと並ぶと「可愛い男の子が熟女に心身奪われている」ように見えました。
それは実際そういう面も確かにあったようです。
出逢いの年齢は、ダリ25歳、ガラ35歳(しかも人妻)。
俗に言うところの「恋愛体質」な女性だったらしいガラが、チェリーボーイのダリを「逆手篭め」(?)にしてしまった感じなのでしょうが、その後めでたくダリと結婚した後も、ガラの男性遍歴は色々あったようですね。
ダリはカンダウリズムだったという説も出てきちゃうくらいで・・・まぁ事実であったとしてもそれは、ガラが「開発」したものなんじゃないかな?

僕はガラのことはそれまでまったく知らなかったんですけど、調べていくうちダリはもう1人、還暦を越えてから40歳年下の恋人を持った(ガラも公認)と知り、その相手の名前を見てビックリ仰天。
アマンダ・リア。
彼女(と敢えて言います)はデヴィッド・ボウイの元恋人で、ボウイ以外にもブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)を虜にするなど、ロック界ではちょっとした有名人ですよ。ボウイのバックアップを得て歌手デビューまで果たしているのです。
ヒット曲にも恵まれました。これです。


クイーン・オブ・チャイナタウン

おや?
みなさま、何やら難しいお顔で「???」と首を捻っておられますね。無理もありません。
そう、アマンダ・リアは「性転換した男性」説が有力なんですよ(実際のところはハッキリしていません)。

そんな彼女が、ボウイの前にダリとつき合っていたのか・・・。しかも彼女とダリを最初に引き合わせたのは、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズだったそうじゃないですか!
僕がことさら無知なのかもしれませんが、いやぁ世の中、身近なようでいて全然知らないでいることなんて、本当にたくさんあるんだなぁ。

そんな男性遍歴の凄まじい女性2人(?)と深い関係であった、とのダリの知識を前もって詰め込んでから聴いたせいなのでしょうか・・・僕にはこの『SALVADOR DALI』という作品、actの中でジュリーのヴォーカルが一番エロく聴こえるんです。
と言っても「オーガニック・オーガズム」などのジュリー・ロック・ナンバーのような全開の「狙った」エロではなく、「秘匿の官能」を感じます。ジュリーはごく自然な情感で歌っているのだけれど、その声が隠されたエロまでをも表現してしまっていると言いますか・・・。
みなさまはいかがでしょうか。

さて、お題の「眠りよ」。
ジュリー作曲、加藤直さん作詞のactオリジナルですが、決して目立つ曲ではないと思うんです。でもこれは、『NINO ROTA』収録の「道化師の涙」、或いは『JULIEⅡ』収録の「二人の生活」などの佳曲と同様に、豪華な物語の流れの中で絶妙な「繋ぎ」の配置として無くてはならない、トータル・コンセプト的にはとても重要な、愛すべき1曲です。
とにかく、ジュリーの作曲が素晴らしい!
初めて聴いた時に僕が連想したジュリー・ナンバーはいずれもジュリー自身の作曲作品で、「ジョセフィーヌのために」「遠い夏」の2曲でした。

まず「ジョセフィーヌのために」との共通点について。
堯之さんに「普通では考えられないようなコード進行の曲を作る」と言われたジュリーの作曲。その堯之さんの言葉を体現する名曲のひとつが『チャコールグレイの肖像』収録の「ジョセフィーヌのために」です。

ジュリーはおそらく転調の意識はさほど無く、自分が心地よいと思える和音をメロディーに当て嵌めていくタイプの作曲家だと思います。
「ニ長調からホ短調」なんていう斬新な進行の作曲手法が、「ジョセフィーヌのために」から16年後のactナンバー「眠りよ」でも再び使われているのですから。

緑の国に星が降る
D           Am7

夜よ 愛よ 眠りを下さい
G6             Bm

私の心をひとりにしないで ♪
C                              B7

厳密には「眠りを下さい♪」の「Bm」で一瞬ロ短調への並行移調を経て、すぐさま次の「C→B7」でホ短調のドミナントに転調しているという驚くべき進行。
「眠りよ」も「ジョセフィーヌのために」も、「C」のコードに行ったところでジュリーの中に何やら化学反応が起こったようです。そのあたりはいずれ「ジョセフィーヌのために」の考察記事で触れたいと思います。

次に「遠い夏」との比較。
これはね~、cobaさんの素晴らしいアレンジ含めての話になるんですが・・先程僕はact全作品の中で今のところ『SALVADOR DALI』が一番好きかも、と書きました。それは先述したジュリーの声のこと以外に、この作品の「音」に強く惹かれているからです。
『SALVADOR DALI』の演奏陣は、くんずほぐれつの素晴らしいコンビネーションを繰り出す2本のギターに、自由度の高いアコーディオンと打楽器が絡むスタイル。これは、2006年からのベースレス・スタイルによる新譜制作のアプローチに非常に近しく、ひいては鉄人バンドとのツアー・ステージをも彷彿させるものです。

2009年早々かな・・・アルバム『俺たち最高』を初めて聴いた時、ベースレスの音源に戸惑いつつもまず惹かれた収録曲のひとつが「遠い夏」でした。
僕はその頃「ロックはベースがあって当然」と思っていましたからこのアルバムは好きになるまでに己の精進含めて時間がかかったものですが、「遠い夏」については、「うん、こういうアレンジ、こういう音色ならベースが無くても成立するじゃないか」と思いました。

そう、特にイントロなどが分かりやすいでしょう・・・「眠りよ」は「遠い夏」に似ているんです。コード進行とかメロディー以前に、全体の雰囲気がね。
ちょっととぼけたような朴訥な味わいに、ジュリーの決して「ノーマル」ではない感性(←褒めていますよ)がキラリと光る、何気ない「一収録曲」の素晴らしさ。

actのようなステージならいざ知らず、通常のロック音源やLIVEステージでベースを外す、なんていうのは通常思いつきもしないことでしょうが、ジュリーは当時ベースレスでの音源制作、ツアー敢行にごく自然にシフトしていったそうですね。
ジュリーのその常識に囚われない柔軟な決断について、かつての「actというキャリア」に言及していたのが柴山さん。こうして今act作品と向き合っていると、柴山さんの推測が腑に落ちるような気がします。
今では僕は、もしかするとジュリーの「声」を際立たせ最大限に生かすのは『SALVADOR DALI』のような演奏スタイルなのかもしれない、とも感じるほど。

ジュリーの作曲に話を戻しまして・・・「ジョセフィーヌのために」「遠い夏」のような斬新なコード使いとは別に着目したいのは、「完全にactを意識して作った」のではないかと考えられるメロディー部。
先に引用した箇所で言うと

私の心をひとりにしないで ♪
C                              B7

「でぇえぇえ~♪」という「B7」に載せたうねりまくるメロディーは、明らかに「ダリ仕様」として狙って考案されていると思います。
ジュリーの作曲作品としては珍しい音階移動ですけど、ジュリーの遊び心+作曲段階からの真剣な取り組みが垣間見られるようで興味深いですね。

加藤さんの詞は、たぶん映像を観ると色々と「あぁ、そうか!」と思う部分が見つかりそうだけど、音源作品として楽しむだけでも素晴らしい一篇です。

眠りが会いに来てくれたら
Cmaj7                Bm

私はすぐさま眠るだろう
B7                       Em

眠りが会いに来てくれなかったら
Cmaj7                Bm

私はいつまでも眠らないだろう ♪
B7                              A       B7

シンプルな言葉の連なりでありながら、この何とも不思議な味わい・・・少し前に書いた『SHAKESPEARE』の「私は言葉だ」にも通じる加藤さんならでは、actならではの名篇ではないでしょうか。
ちなみに「眠らないだろう♪」のジュリーのメロディー、「A」のコードへの緊急着地もとても斬新です。

『SALVADOR DALI』はactの中でも先輩方の人気が高い作品、と認識しています。
演目の柱は「黒い天使」であり、「誕生にあたっての別れの歌」であるかと思いますが、ダリの物語の中にさりげなく注がれた一篇、actオリジナル・ナンバーの「眠りよ」は無性に僕の琴線に触れてきます。
CD収録配置から考えると、ダリが買い与えたお城でツバメ青年を何人も囲っていたガラに、ダリがなかなか簡単には会えなかった頃のシーンの曲なのかな。


それでは次回更新は、加藤直さん作詞、cobaさん作曲の名曲を予定しています。
やはりこのお2人の黄金コンビによる楽曲はactの目玉。熱烈に好きになったナンバーも多い中、個人的な「加藤=Coba作品ベスト5」を挙げますと、順不同で

・「墓に唾をかけろ」(『BORIS VIAN』)
・「愛の神話・祝祭という名のお前」(『SALVADOR DALI』)
・「another 1」(『BUSTER KEATON』)
・「無限のタブロー」(『ELVIS PRESLEY』)

そして残るもう1曲が次回のお題です。
情熱的でキャッチーな曲調は「愛の神話・祝祭という名のお前」と共通していますが、こちらは甘く朴訥で、本当に誰しもがキュンとなる何処か懐かしい感じのするメロディー。素晴らしい意味で「軽さ」を纏ったヒット性の高い名曲と言えるでしょう。
現実的にはあり得なかったことなのでしょうが、act全楽曲の中で最も「シングル向き」だったんじゃないかなぁと考えている、大好きなナンバーです。

6月の「act月間」の記事もいよいよラスト2曲。
引き続きこのペースで頑張ります!

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2016年6月15日 (水)

沢田研二 「きめてやる今夜」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

Boris1

1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

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(註:この記事は、act『BORIS VIAN』で歌われた「きめてやる今夜」について書いたものです。1983年リリースのジュリーのシングルについての記事はこちらで!)

みなさま、体調にお変わりありませんか?
こちら関東では先週から、土日はひたすら暑く、月曜はいきなりの大雨で肌寒くなったと思ったら火曜にはまた暑さがぶり返しました。
我が家では夫婦揃ってバテバテ。僕は先週から体温調節が上手くいっていないような感じで、どうにも身体がスッキリしません。

しかし!
ひと昔前ならこんなふうにバテてくるとすぐに体重が減り、体重計に「45kg」なんて出たりして青ざめていた僕でしたが・・・今は逆の意味で青ざめています。どんなにバテようが何しようが、体重計に乗るたびに自己最高記録を更新してゆく状況。参ったなぁ・・・。
まぁそんなことはいいとして、少しは梅雨らしい天気になって欲しいものです。
雨はイヤなんだけどそれ以上に、かなり深刻な水不足になったりしたら・・・と心配しています。


それでは本題。
「伝授!」などと言いながら実は僕自身が記事更新後に先輩方から色々と教わりまくっているという状況の「act月間」ですが、まだまだ続きます汗(今日を含めてあと4曲の予定です。ジュリーの誕生日が〆ですな)。
コメントくださる方ばかりでなく、メールやメッセージをくださる方・・・そして前回のお題「群衆」については、いつも拝見している大先輩のブロガー様が原曲のイロハを改めて記事に書いてくださって。
偶然題材が同じ時期に重なっただけかもしれませんが、僕の記事を読んで「群衆」のことを書いてくださったのであれば嬉しいなぁ、なんて思っています。
本当に勉強になります。

ちなみに、ジュリーが「群衆」をテレビで歌った時の映像は、You tubeでは現在検索ヒットしないのだそうです。残念です・・・。

前回記事では「ワルツを歌うジュリー」の格別な魅力、そしてそれがactの魅力に繋がっている、といったことを書きましたが、今日採り上げるのはactシリーズの中でも「ワルツ率」の高さで傑出する『BORIS VIAN』。
2作目にして「actのジュリーって素敵!」と気づかれたというJ先輩もいらっしゃいますが、それはジュリー・ワルツの魅力が思う存分堪能できる曲が多いことも一因だったのではないでしょうか。

『act-CD大全集』の『BORIS VIAN』収録曲で言うと、ワルツ・ナンバーは全部で5曲。
「気狂いワルツ」「原子爆弾のジャヴァ」「王様の牢屋」「鉄の花」、そしてもう1曲・・・何とも不思議な、複雑な、素敵なワルツ・ナンバーのアレンジに仕上げられた、「ジュリーファンのみなさまご存知の」名曲。
これにはタイムリーで観劇された先輩方もド肝を抜かれたことと想像します。
そう、今日のお題は、act版「きめてやる今夜」です。
毎度毎度僭越ながら、伝授!



Boris6


昨年、念願叶って『act-CD大全集』を購入し、まず最初にとり出してじっくり聴いた作品が『BORIS VIAN』でした。理由は、有名な「脱走兵」そしてこの「きめてやる今夜」が収録されていたからです。
グイグイとactの世界に惹き込まれながら聴いた「きめてやる今夜」・・・ ひっくり返りましたよ。
「あの曲が、こんなふうになるのか!」というセンス・オブ・ワンダーがactの醍醐味のひとつではありましょうが、これほどまでに変化するとは・・・。

お読みくださっている先輩方にとっては「常識!」なのですが一応書いておきますと・・・「きめてやる今夜」という楽曲は、2つありますよね。
まずジュリーが裕也さんのために作詞・作曲したオリジナル。さらに、井上大輔さんが別のメロディーをつけ83年にジュリーのシングルとしてリリースされたもの。
『BORIS VIAN』の「きめてやる今夜」は、最初のジュリー作曲のオリジナル・ヴァージョンをact的に解釈した「カバー曲」ということになります。

ジュリー作詞・作曲の方は、おそらく「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」或いは「ラヴ・イン・ベイン」(ザ・タイガース、PYGをタイムリーで知っていらっしゃる先輩方はご存知の曲ですよね)を参考に作られたのではないか、と僕は考えます。ゆったりとした8分の12の4拍子に載せ、トーキングっぽくメロディーを展開してゆくというね。
「口説く」がコンセプトだったのでしょう。

8分の12というリズムは3連符構成ですから、小刻みな「ワルツ」のニュアンスも含まれます。actでのcobaさんの斬新なアレンジは、この点に着目したものです。
それにしても、「きめてやる今夜」がここまで「劇」的なワルツ・ナンバーへ変貌するとは、ファン誰一人として想像できなかったのではないでしょうか。

実は僕は最初、Aメロ部だけ5拍子に聴こえたんです。
そもそも、5拍子の曲ってワルツのいとこみたいなものです。「3+2」のリズムになりますからね。
5拍子で大ヒットした曲と言えばまずジャズの「テイク・ファイヴ」。有名な曲ですから普段ジャズに馴染みのないみなさまもご存知でしょう。銘柄は忘れたけど、栄養ドリンクのCMで毎日のようにテレビで流れていた時期がありました。
ちょっとマニアックな話をしますと、かつてUWFという団体で新しいスタイルのプロレスを確立させようとしていた頃の前田日明選手がこの「テイク・ファイヴ」を例に出し、「5拍子という変則のリズムでありながら広く世間に受け入れられ大ヒットした。UWFがやろうとしているのはそれと同じこと」と『週刊プロレス』のインタビューで語っていたことがあります。

確かに「5拍子」というと何か難しくてヒット性とは無縁のようですが、「テイク・ファイヴ」も明快な「3+2」のリズムとして楽しめる曲なんですよ。心地よいワルツのニュアンスを内包しているのです。
cobaさんアレンジの「きめてやる今夜」はワルツですが、Aメロには「テイク・ファイヴ」に似た「3+2」の雰囲気を感じます。「あれえっ3拍子?どの楽器がどうなってるの?」と戸惑いながらもウキウキする不思議な感覚、新鮮さに僕はまず惹かれました。

ということで、このact版「きめてやる今夜」は『BORIS VIAN』で歌われた曲の中でもとりわけ演奏難易度が高い、という点は間違いありません。
それを(当然のことながら)cobaさん達は涼しくも楽しげにスイスイと弾き、各パートは目まぐるしく絡み合い・・・感動的な名演です。
これが「俺達のテクは凄いだろ!」みたいに演奏されたらこんなふうには聴こえないわけで、ジュリーファンがよく知るこの曲を採り上げたという意味でも、actならではのジュリーの「キュート」を存分に引き出した象徴的な1曲、と言えるのではないでしょうか。

それに、元々素敵な曲なんですよね。

いいから聞きなよ 今夜は俺の話を
E                C#m      D            B7

イカれたロックンロール 俺には すべて ♪
E                     C#m        D     B7    E


(註:act版のコードで明記しています)


僕は井上さん作曲のシングルの方しか知らなかった時期が長く、当初はこのジュリーの作詞に「痛さ」を感じてしまっていましたが、女性を口説きに呼びつけておいて「まぁ俺の話を聞け。ロックンロール!」なんていう普通ならトンチンカン状況も

主人公を裕也さんだと考えると必然である

と分かり、この詞が大好きになったという経緯があります(お恥ずかしい話で、ごくごく最近のことです)。
かつてジョン・レノンが「ロックンロールだけがリアルで、他のものはリアルではない」と言ったことがありますが、裕也さんにとって「ロックンロール」とは「OK」。つまり「君は俺の相手としてリアル。合格、OK」だと口説いているわけですね。
そう言えば裕也さんはつい先日、某都知事について「ロックンロールじゃない」とコメントしていました。これすなわち完全否定です。続けて「フォーク」に言及した件は僕としては賛同しかねますが、裕也さんらしい勇み足だなぁとは思いました。

そんな裕也さんのロックンロールを体現したジュリー作詞・作曲の「きめてやる今夜」が、『BORIS VIAN』というactの世界にあって果たして違和感が無いものかどうか、と言うと・・・これが見事溶け込んでいます!

僕にとってその「違和感の無さ」のヒントは、CD1曲目収録の「俺はスノッブ」にあります。
僕は日頃、敬愛するJ先輩にactについて色々とお話を伺っているのですが、昨年お会いして『BORIS VIAN』の話題になった際「どの曲が好き?」と尋ねられたので、その時点での正直な気持ちのままに「王様の牢屋」「墓に唾をかけろ」「鉄の花」の3曲を挙げました。
すると先輩は「私は(舞台の)最初の方の曲が好き」とのことでまず「俺はスノッブ」を挙げられました。「ジュリーの声、素敵じゃない?」と。
こういう場合って、その先輩が僕の好みの向かう先を示してくださっているパターンが多いんです。ですから僕は「これはしたり」と思い、後日じっくり聴いてみますと・・・いやぁ本当に素晴らしくて。今は僕も『BORIS VIAN』の中で(あくまで『CD大全集』だけでの話ですが)「俺はスノッブ」が一番好きな曲になっています。
「馬糞の匂いが好きなのさ」と肉体派っぽくうそぶきながら(?)、セレブを「お相手」する「スノッブ」の物語は、正に「ロックンロール」のひと言で女性を口説き落とす「きめてやる今夜」の世界とまったく乖離するところなど無いではありませんか。

そして、やはり肝はcobaさんのアレンジです。
「きめてやる今夜」をボリス・ヴィアンの世界に転換する素晴らしい解釈。それがきっと「ワルツ」のリズムなのですね。この楽しく華やかなリズムに乗せられているからでしょうか、act版「きめてやる今夜」のジュリーのヴォーカルって、いつもは飄々としたスノッブが「今回はマジです!」とラヴ・ソングを歌って真実の愛を懇願しているように聴こえる・・・。

歌っているジュリーは本当に楽しそうで、難解なリズムで普通なら歌い辛いはずのAメロでも、cobaさんが「ブン、チャッ、チャッ♪」の導入フレーズでジュリーのヴォーカルをリードしているので発声の瞬間瞬間がとても自然で心地よいです。
難しい内容を楽しく、気持ちよく魅せるというのは一流の証明。ジュリーもcobaさんも超一流のプロフェッショナルなんですねぇ・・・。

ちなみに僕がこの曲で一番好きな箇所は、間奏の最後にオフマイク(たぶん)での「アオッ!」というジュリーのシャウト一発。
実はact版「きめてやる今夜」は間奏で突然ハ長調に転調しています(歌メロ部はホ長調)。それがcobaさんの魔法のように磊落な下降フレーズで元のキーに舞い戻ってくるのですが、ジュリーの雄叫びはその直後。
つまり、cobaさんの熱演に向けての「ブラボー!」的な意味合いも込められているんじゃないかなぁ。



最後に、基本的にactの曲の記事ではやっていないのですが、今日はせっかくのお題ですので・・・オマケ画像のコーナーです!

まずは、今回の「act月間」記事中でたびたびご登場頂いている、act大好きな敬愛するJ先輩にお借りした『ニュー・ミュージック・マガジン』1973年7月号から、ジュリーと裕也さんの対談記事をどうぞ~。


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タイガースを率いてステージに立ちながら、客席にお気に入りの女性を見つけるとず~~~っとその人のことばかり見ていた、という裕也さん。ジュリーはそんな想い出を元に、「きめてやる今夜」を作ったとか。
ジュリーはこの対談の時にも、「そう言えば裕也さん、ステージではいつも・・・」なんて裕也さんのそんな様子を思い出しつつ喋っていたのかもしれませんね。

続いて・・・これまたいつも仲良くしてくださる先輩から以前お借りしてスキャンさせて頂いた切り抜き資料の中から、タイガース時代のジュリーと裕也さんのツーショットを含むフォト記事です。

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それでは次回更新は・・・。
今日採り上げた「きめてやる今夜」はジュリー作詞・作曲ですが、”actオリジナル”ではなく、あくまで既存の曲をact的解釈で選曲・アレンジした”セルフカバー”であると言えます。
ここらで次回から2曲ほど、加藤直さん、cobaさん、ジュリーを中心に「書き下ろし」された”actオリジナル”の名曲群を採り上げてみようと考えています。

まずはジュリーの作曲作品。
「ジョセフィーヌのために」と「遠い夏」をかけ合わせたような、ジュリーらしい自由で斬新なコード進行を擁しつつ、actを強く意識して作ったと思われるメロディー部が特に印象的な名曲。
決して目立たないけれど「聴けば聴くほど」のスルメ感覚がたまらない、とても好きな1曲です。
どうぞお楽しみに!

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2016年6月11日 (土)

沢田研二 「群衆」

from『act#6 EDITH PIAF』、1994

Edith1

1. 変わらぬ愛 ~恋人たち~
2. バラ色の人生
3. 私の兵隊さん
4. PADAM PADAM
5. 大騒ぎだね エディット
6. 王様の牢屋
7. 群衆
8. 詩人の魂
9. 青くさい春
10. MON DIEU ~私の神様~
11. 想い出の恋人たち
12. 私は後悔しない ~水に流して~
13. パリは踊る 歌う
14. エディットへ
15. 愛の讃歌
16. 世界は廻る
17. すべてが愛のために

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あ、暑い・・・。
梅雨の時期って毎年こんなに暑いものでしたっけ?下手に歩き回ると身体が参ってしまいそう。
ということで、旅行は結局延期となりまして、今週も引き続き「act月間」にて土曜日更新です。上田城にはまた、もうちょっと涼しい時期に訪れることにしました。
10月くらいかな~。


最近改めて、「映像を観ずにCDで聴いた楽曲だけでactの考察記事を書く」ことがいかに無謀であったかを痛感させられていますが、「未知なるジュリー」を先輩方に色々と教えて頂く機会ともなり、ヒヨッコ的には非常に楽しい学習期間となっております。

今日採り上げるのは『EDITH PIAF』です。
『ジュリー三昧』でのジュリーの解説によれば、actも第6作を数え「そろそろ”歌を歌った人”をやるのもいいんじゃないの?」という話になり、そこでジュリーが「女の人がいい!」と言ったことで、「その生涯は(actの題材的にも)とても面白い」というエディット・ピアフに決まったのだそうですね。

僕は彼女がどのような生涯を送ったのかも知らず、と言うかそもそも彼女が歌った数々のシャンソン名曲すら数年前までほとんど知らなかったという・・・(恥)。
手持ちの資料で基本的なことをおさらいしてみました。

Edith1_2


↑ 『実用 音楽用語事典』より

なるほど・・・。


タブーとされた題材を多く取り上げ、率直に歌い上げたため多くの曲が放送禁止となった

そうなんだ・・・全然知りませんでした。
こうして少しでもエディット・ピアフという人を調べていくと、ジュリーの歌が彼女の生涯に本当にリンクしているように聴こえてくるのです。

ジュリーの入魂度は相当なもの・・・僕が「actすべての楽曲の中で一番好き!」と言っても良い14曲目収録の「エディッ トへ」を聴けばそれは明らか。「一流、一流を知る」とでも言うのか、おそらく僕らの分からない部分で、「歌手」の本質でリスペクトし共感している・・・ジュリーのそんな志を感じてしまいます。
エディット・ピアフについてほぼ何も知らないに等しい僕にも、この1曲を聴くだけで「こんな人だったんだろうなぁ」と感覚で伝わってくるようなジュリーの歌です。

この「エディットへ」はジュリーが1人で作詞・作曲したactオリジナル・ナンバーで、詞もメロディーもとにかくてらいやあざとさというものがなく、無理にキャッチーにもならず、正に「ジュリーの中から生まれてきた」ことを強く感じさせる名曲。
本当はこのact月間の更新で、僕は『EDITH PIAF』からこの曲をお題に採り上げたかったんですけど、cobaさんのアレンジ解釈が凄過ぎて未だ採譜作業が進められていないのですよ・・・。
いずれ気合を入れて書きたいと思っていますが、「ジュリーの作曲段階ではきっとこうだったんだろう」というレベルの採譜しかできないかもしれないなぁ。
ただ、少し前に「君をいま抱かせてくれ」で触れた「ジュリーの得意なコード進行」が作曲に採用されているのは間違いないです。

さて、そうなれば今回『EDITH PIAF』から採り上げるべき曲は、『ジュリー三昧』でジュリーがこの作品から
選んでかけてくれた曲・・・「群衆」で決まりでしょう。
ジュリー、ラジオで曰く

歌っていると興奮してくるんですよ!

とのことですから、そんなジュリーのヴォーカルを生で体感した先輩方の感動はいかばかり?
actの楽曲の中でも特に先輩方から大きな支持を得ている曲、と認識しております。
本当に僭越ながら、伝授!



Edith6


「群衆」のヴォーカルの素晴らしさ、さらには「歌っていると興奮してくる」とのジュリーの言葉・・・その秘密に「ワルツ」のリズムが挙げられると僕は考えます。

actのいくつかの作品では、歌われた楽曲群のワルツ率が非常に高いです『BORIS VIAN』など)。
『EDITH  PIAF』でも、「MON DIEU~私の神様」などはcobaさんが4拍子のブルース・ナンバーとして編曲としていますが、「群衆」は原曲のリズムとメロディーを重視、跳ねるワルツに仕上げられていますね。
ただし、和音の進行はよりポップに解釈されています。

手元には原曲のスコアがあります。

Lafoule


↑ 『シャンソン名曲全集』より

元々はペルーの歌だったそうです。と知るや脳内の「群衆」の人混みのイメージが、変わってアルパカの群れに・・・。
(後註:実際はアルゼンチンの歌だそうです。Rスズキ様のブログで勉強しました。ありがとうございます!)

スコアはロ短調の表記ですが、You tubeで検索し視聴すると、エディット・ピアフはこの曲をホ短調で歌っていたようです。一方、act版「群衆」のキーはイ短調で、ジュリーは本当に気持ち良さそうに歌います。
ジュリーが歌う「ワルツ」って、本能的と言うか邪気が無いと言うのか、おそらくジュリーにとって「原風景」のリズムなんだろうなぁ、と思います。
元々、20代の頃から好きな楽曲として「美しき天然」をよく挙げているジュリーですから(その「美しき天然」が収録されているact第10作『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』については僕はまだ充分に聴き込むことができていないのですが)。

どんなリズムであれジュリーのヴォーカルは素敵だけれど、ワルツはちょっとひと味違うように思えるんですよね。そしてそれはactでのジュリーの歌の素晴らしさにも繋がっていると思います。
actをやっていた頃のジュリーは、オリジナル・アルバムとactとでは同年の作品でも「歌」の印象が凄まじく違います。例えば『EDITH PIAF』と同年リリースのアルバムは『HELLO』。全然イメージ違いますよね。

後追いの僕はact、アルバムいずれのジュリーの歌にもただただ感嘆するしかなくそれぞれ大好きですが、タイムリーな先輩方のお話では、「もちろんどちらも大好き」と仰る方、「actの歌の方が好き」という方、「アルバムの方が好き」という方それぞれお好みがあるようで。例えば、僕が日頃からactについて色々と教わっているJ先輩は「act派」でいらっしゃいます。
僕がactとアルバムとで最も印象がかけ離れている、と考えているのは1991年(actは『SALVADOR DALI』、アルバムは『PANORAMA』)。で、そのact派の先輩が『PANORAMA』について「あまり個人的には好みのアルバムではないけれど、”夜明け前のセレナーデ”が好き」と仰っていたことがあるんです。
僕はその時「あぁ、それはきっと”ワルツ”だからですよ」とお話したものでした。

建さんプロデュース期の5枚の中、最も洋楽ロック・テイストとの融合を試みたアレンジで仕掛けも多彩なアルバム『PANORAMA』は、同時代のactとの比較はもちろん、ジュリー・アルバムの中でもここまでアレンジ主導でロックを押し出した作品は見当たりません。
ジュリーの歌は乱舞する装飾を泳ぎ渡り孤高のイノセンスを魅せてくれていて、僕は大変な名盤だと思っていますが、actでのジュリーの「歌」を聴いていると「これはジュリーの本質とは違うな」とも思えます。
そんな中、ふと「actのジュリー」が顔を覗かせている曲が、跳ねるワルツのリズムを擁した「夜明け前のセレナーデ」ではないでしょうか。「群衆」のような狂おしいヴォーカルではありませんが、ワルツのリズムに載るジュリーはとても心地良さげなのです。
(後註:勘違いしていました汗。『PANORAMA』と同年のact作品は『NINO ROTA』です~)

ただ、ワルツを歌うジュリーの中でもactの「群衆」は、多くの先輩方の熱烈な評価を考えれば特別、格別のようです。それは何故なのでしょうか。


「僭越ながら、私が詞を載せました」と言って『ジュリー三昧』でこの曲をかけてくれたジュリー。
となるとまず気になるのは、元々エディット・ピアフがどんな歌詞で歌っていたのか、ということです。
今はネットがありますから色々と検索してみました。
有名な曲ですから多くのサイトがヒットする中、一番勉強になった素晴らしいブログ様がこちらです。

このブログ様のおかげで、act版「群衆」のジュリーの日本語詞は、原曲に忠実な「訳詞」のスタイルであることが分かりました。
その上でどういう言葉を使っているか、どのような言い回しで「群衆」のストーリーを日本語で再現しているか・・・と改めて詞のフレーズに着目してみますと、いやぁジュリー、この訳詞は素晴らしい名篇です!

太陽の下 喜びに息も詰まりそうな町
   Am           Dm     G7                 Cmaj7

叫声と音楽が高まり 跳ね返り熱にうね る
   E7                Am         Dm     Bm7-5  E7

祭りの勢いに弾かれ 
   Am               Dm

麻痺し立ち尽くしていた
      G7                   Cmaj7

振り返るとあなたが後退り
      E7                      Am

誰かに押されてこの胸に ♪
       Bm7-5   E7      Am

美的に、とか知的にとかそういうことは一切考えていませんよね。ただ素直に日本語のフレーズが的確に連なり、忠実であるからこその卓越したセンス。自らが「歌う」ことを第一に考えた訳詞だと思います。
あとは、「情景」と「感情」の溶け具合が絶妙です。そのどちらかに偏っても台無しになる、というギリギリのところで日本語を生かし歌を生かすジュリー。

群衆に押され引きずられ 奴らを呪った
          G                        C

与えておき 奪ったのだ
G                           C

ファランドール踊る群衆は うつつと幻
                    E7                    Am

あなたに二度と逢えなかった ♪
         F           E7     (Am)

僕は楽曲考察の事を書く際、できる限り全編の採譜をして楽器を弾きながらジュリーと一緒に歌ってみる、ということを毎回心がけていますが、この曲は「弾く」ことはできても歌いきることはできませんでした。
特に最後のサビ・・・僕レベルではとても歌のテンションについていけません。
『ジュリー三昧』でこの曲をかけた後にジュリーが「こんなの、よう歌ってたな~」と言っていましたが、ジュリー自身にとっても『EDITH PIAF』での「群衆」は(自身の訳詞やcobaさん達の演奏も含めて)、史上最高級の名演だったと思っているのでしょう。
CDで聴いているだけで伝わってくる、ステージ上のジュリーの躍動と興奮。
実際生で観劇された先輩方がただただ羨ましく、圧倒されっ放しのヒヨッコなのでした。


ジュリーのヴォーカルのことばかり書いていますが、もちろんこの曲は演奏も素晴らしく、歌との一体感はact作品の中でも出色です。
単に、上手い歌手が歌い上手い演奏者が伴奏した、というものではありません。歌うジュリーとcobaさんを始めとする演奏者が双方を引っ張り或いは引き込まれ、瞬間瞬間を表現し構築してゆく・・・やはり生歌、生演奏というのはこうでなければ!
それができる人こそがプロフェッショナル。これは楽曲がシャンソンであろうがロックであろうが同じこと。「群衆」は正に真のプロフェッショナルによる名演を感じられる1曲です。ジュリーのヴォーカルが良い、というのはそういうことなんだと思います。

act作品の考察に取り組むことは、僕の偏った音楽知識を幅広くしてくれます。
『EDITH PIAF』は、先に触れた通りジュリー作詞・作曲のオリジナル書き下ろしナンバー「エディットへ」を熱烈に好きになったこともあり、個人的にはCDリピート率が非常に高い作品なのですが、cobaさんのアレンジが凄まじく凝っているので各曲の採譜が本当に大変。

しかし幸いなことに、エディット・ピアフの歌ったシャンソン名曲は広く大衆に膾炙しているので、ジュリーが『EDITH PIAF』で歌っているシャンソン・ナンバーの大半は、スコアが見つかっています。
今日のお題「群衆」も然りで、cobaさんはコード進行もかなり変えてきているとは言え、原曲のスコアの存在はとりあえず頼もしい限り。これからじっくりと他のシャンソンの名曲の構成、進行を研究し、機会あれば「群衆」以外の『EDITH PIAF』収録のシャンソンもどんどん書いていきたいと思っています。


それでは次回更新は・・・。
今日はactの楽曲(或いはアレンジ)の「ワルツ率の高さ」について触れましたが、作品全体の演目でのワルツ率で言うと、『CD大全集』収録曲で判断する限りでは『BORIS VIAN』が頭抜けています。
そこで、名ワルツ揃いの『BORIS VIAN』の中で、初めて聴いた時に「ええっ、この曲がワルツに?!」とひっくり返った曲を次のお題に、と考えています。
僕は『act-CD大全集』をこの手にした時、その曲が入っていたから、という理由で『BORIS VIAN』をまずイの一番に聴きました。それだけに、actならではのアレンジ解釈は衝撃的で、感銘を受けたものでした。

そう、ジュリー作詞・作曲のアレです。
お楽しみに!

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