ACTを楽曲的に掘り下げる!

2018年8月15日 (水)

沢田研二 「脱走兵」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

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1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

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73年目の『終戦の日』です。
先の大戦を知らずに生まれた僕が戦争のことをどのようにして知っていったか、と言うとこれが「学校で教わった」ということはまったく無くて。今はどうか分かりませんし、そもそも地域性もあるのでしょうが、僕の中学高校時の社会の歴史の授業って、大正デモクラシーあたりで1年がほぼ終わってしまっていました。
第二次大戦なんて、駆け足でしたねぇ。

ですから、親や祖父から話を聞く以外で少年時代に戦争を学ぶとなると、ほとんどが「本」でした。
そしてロックを聴くようになってからは、そこに「歌」も加わりました。戦争に限らず、多くの社会問題を僕はロック・ナンバーから学びました。

最初はジョン・レノンの影響だったと思いますが、僕はロックの中でも社会性の高い歌が好きになっていって、それが今やその面においても「世界一」と思える歌手・ジュリーとの巡り逢いは奇跡のような必然。
ただし「ロック」に特化することで自己完結してしまっていた僕は、世界各国各地、リアルタイムに戦争に立ち向かった「反戦歌」なるものを、ロック以外のジャンルで長らく知り得ませんでした。
今日はジュリーがact『BORIS VIAN』で採り上げたそんな反戦歌の代表格、「脱走兵」をお題に、1冊の本をこの夏みなさまにお勧めしようという記事です。
短いですが、おつきあいください。

Boris2

僕が「脱走兵」という曲を知ったのは20歳くらいの時で、普段は塾の先生をしているアマチュアのシンガーの方のストリートライヴ、と言うか教室ライヴの録音テープを聴いたのが最初でした。
ただ、当時はそれがオリジナルなのかどうかすら分からず、これほど有名な曲だとは思いもしませんでした。そのヴァージョンは

大統領殿
この手紙、お暇があれば読んで欲しい

と歌い出し、サビでは

僕は逃げる 何の武器も持たずに
憲兵達よ撃つがいい

と歌うものでした。
これがボリス・ヴィアンの原詩にかなり近い翻訳であることは、ずっと後になって知りました。

ジュリーの「脱走兵」は加藤直さんの日本語詞で、上記ヴァージョンとコンセプトやフレージングに差異は無く、こちらもヴィアンの原詩ほぼ直訳です。
そのヴィアンの原詩について僕は長らくかじった程度の知識しか持ちませんでしたが、つい先月購入した本でようやくその全容を掴み、詞および作曲、歌と世界の背景について学ぶことができました。
今日みなさまにお勧めしようというのがその本で

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竹村淳・著『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』

作中で紹介される「反戦歌」は全23曲。
日本人なら誰もが知る「さとうきび畑」や「もずが枯木で」についてもその背景、時代考証は目からウロコでしたし、イランの歌やイスラエルの歌には驚かされました。歌の成りたちのみならず、同時進行の世界情勢を分かり易く解説してくれているのです。
例えば「脱走兵」の項ではインドシナ戦争、アルジェリア戦争への深い言及があり、ヴィアンをとりまく「対国家」(フランス)の毅然たる構図も浮かびあがります。

この世界には、戦争は必要悪だと言う人がいます。神聖な儀式である、とすら言う人もいます。
僕はそれを正気の沙汰じゃないと思うけれど、事実そういう考えの人は今現在この国の舵とりをしている為政者の中にもハッキリといます。
ならば僕は、「戦争とは、正気でない為政者が民衆の正気を奪い操り狂気に駆り立てるところからひっそりと始まる人類の愚行」と言っておきましょう。

『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』で紹介される23曲のうち、不勉強な僕でも「よく知っている」と言える曲が2つありました。
まずボブ・ディランの「戦争の親玉」。
「世界の何処かで戦争を起こす」ことで潤う武器商売の胴元。つまりは「国家」であり「体制」。それをディランは「Masters of War」と表現しました。
もう1曲はビリー・ジョエルの「グッドナイト・サイゴン」。構想から完成まで時間のかかった曲として有名でしたが、著者の武村さんはそれをビリーのデビュー時の世相にまで着眼し紐解いてくれます。
ごく普通の善良な隣人、友人がある日突然「撃つ側」に身を置かざるを得ない不条理。ビリーの「この歌で多くの人達を傷つけてしまうのではないか」との苦悩は、近年のジュリーのそれとよく似ています。

「防衛装置移転」すなわち武器輸出解禁。安保法制の強行採決。過去のことではありません。この先の僕らの身に迫ってくる、切実な問題です。
残念ながら「戦争の親玉」も「グッドナイト・サイゴン」も、僕ら日本人の身近な歌になってしまったのです。

最後に。

『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』の「脱走兵」の項で竹村さんは、ほんのひと言ではありますが、ジュリーのact『BORIS VIAN』劇中歌ヴァージョンの「脱走兵」を紹介してくださっています。ジュリーファンとしては本当に嬉しいことです。
みなさまもご一読されてはいかがでしょうか。

竹村さんは世に幾多ある「脱走兵」の歌手別のヴァージョンの中で、ジュリーのそれを「異色」と位置づけました。原詩に忠実なのに異色とはこれいかに、と一瞬疑問を抱きましたが、これはおそらく「あのド派手ギンギンのスーパースター・沢田研二が「脱走兵」のような反戦歌を歌う」ことがイメージとして異色、とお考えだったのだろうなぁと納得。
ただ、ファン以外にはあまり知られてはいませんが、「反戦歌」と言うならば今のジュリーこそはこの極東の島国において時代を牽引する詩人であり歌手。
竹村さんに是非「un democratic love」や「我が窮状」を知って頂きたい。そしてそれらの名曲を紹介する第2弾、第3弾の続編刊行を期待したいです。



さて、僕の夏休みは今日まで。
明日からはまた仕事です。今月は決算月なのでかなり忙しくなります。次の更新もなるべく早くするつもりではいますが、少し時間はかかるかもしれません。
とにかくこの暑さです。月末の和光市公演を楽しみに、なんとかこの8月を乗りきりたいです。
みなさまもどうぞご自愛ください。

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2018年8月11日 (土)

沢田研二 「アラビアの唄」

from『act#8 宮沢賢治/act#10 むちゃくちゃでごじゃりまするがな』、1996

Miyamutya1

『宮沢賢治』(1996)
1. 異界
2. 運命 雨ニモ負ケズ
3. アラビアの唄
4. ポラーノの広場のうた
5. 星屑の歌 ~スターダスト
6. 百年の孤独
7. 私の青空
8. 笑う月
『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』(1998)
1. 美しき天然
2. ボタンとリボン
3. おなかグー(セ・シ・ボン)
4. 世の中変わったね
5. 君待てども
6. トンコ節
7. け・せら・せら(ケ・セラ・セラ)

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台風13号は僕の住む埼玉県は逸れていきましたが、東日本と東北の太平洋側に暴風雨をもたらし過ぎていきました。そんな中、去る8日のジュリー北とぴあ公演が無事開催されたのは幸いでしたが、改めて自然の脅威に身のすくむ思いです。
西日本豪雨の被災地もまだまだ平穏な日常、復興には時間がかかるとのこと・・・地球、大丈夫なのかと心配になります。
とにかくみなさまのご無事をお祈りします。


さて。
どれだけ年を重ねても、敬愛するミュージシャンの「新譜」が聴ける、というのはこれ以上ない幸せなことでして・・・その意味では、毎年必ず新曲をリリースしてくれるジュリーは僕にとって世界一の歌手です。
他にもボブ・ディランやニール・ヤングなどは短いスパンでどんどん新曲をリリースしてくれます。何度も書きますが、僕は「常に新しい創作に向かう」アーティストやバンドの姿勢をまず何よりも評価するのです。

そして来る2018年9月、ポール・マッカートニーの5年ぶりとなるニュー・アルバムのリリースが決定。
タイトルは『エジプト・ステーション』。アルバム冒頭とラストに配されるインスト2曲がトータル・コンセプトである「駅」の始発と執着を表し、2曲目からラス前の歌モノの楽曲群が、あっちへ行ったりこっちへ行ったりの豪華絢爛な「駅の旅」に見立てられているという・・・これは大変な大名盤の予感!
両A面シングルの2曲を先行で聴けるのですが、いずれも「ポールファンには間違いの無い」素晴らしい名曲。アルバムは既に密林さんで予約を済ませていて、到着が今から本当に楽しみです。
さらに、ちょうど北とぴあ公演の日だったのですが、「来日決定!」のニュースが何と朝刊にて第1報。

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もちろん僕は東京ドームに駆けつけます。
今年はジュリーで日本武道館にさいたまスーパーアリーナ、そしてポールで東京ドームと、大会場のLIVE参加が続くなぁ・・・。

それでは、拙ブログで今月開催中、短めの徒然日記風でどんどん更新してゆく『真夏のact月間』。
ジュリーのactシリーズの中で(あくまでもCD大全集で音源のみを聴いての個人的な印象ですが)全体的に『エジプト・ステーション』的な「異国ぶらり旅」のような感覚で楽しんでいる作品が、96年の『宮沢賢治』です。
今日はこの『宮沢賢治』から、ポールの新譜タイトルにある「エジプト」からの連想ということで(安易汗)「アラビアの唄」をお題に採り上げたいと思います~。


Miyamutya2

世代のせいでしょうか、僕はジュリーのactヴァージョンを聴くまでこの曲を知りませんでした。『CD大全集』で聴いた後も「有名な曲」とは思っていませんでした。
認識を一転したのは、朝ドラ『わろてんか』で登場人物がこの曲を歌うシーンが流れたから。
どうやら一定の世代以上では「誰もが知るスタンダード」らしいぞ、と思い改め調べると、これは元々アメリカ映画『受難者』の主題歌で、現地ではさほどヒットしなかったものの日本人の耳と相性が良かったらしく、堀内敬三さん訳詞、二村定一さんの歌による和製ジャズとして我が国では大ヒットしたのだそうです。

そんなに有名な曲なら勤務先にスコアがあるかな、と思い探しましたがなかなか見つからない・・・ようやく簡易なメロ譜をひとつ発見しました。


Arabiyanouta

『歌の宝石箱(第2巻)』より。解説文に列記されている「ダイナ」もジュリーは『act#4 SALVADOR DALI』で歌っていますね。

このスコアは、高齢者介護の現場で使用するいわゆる「音楽療法」のサブテキストとなる歌本。
歌がリリースされたのが昭和2年ということですから、なるほど高齢の方々にとっては「なつかしのメロディー」でしょうが、いやぁ普遍性の高い名曲です。
短いヴァースの中に同主音移調が登場し、勇壮な歌い出しとそれに続く哀愁漂う転調展開が、日本人の感性に異国情緒を訴えたのか・・・大ヒット当時は、「これまで聴いたことのない」斬新なメロディーのメリハリに皆が夢中になったに違いありません。

さてジュリーのヴァージョン。新たな日本語詞をつけるのではなく純粋なカバーです。何故そうしたかは映像を観ればたぶん分かるのかな。
編成はアコーディオン、バンドネオン、ベース・・・なのですが、実は僕は生音のアコーディオンとバンドネオンの区別がつきません。CDでミックスされている左右の音のどちらがどちらなのか、という状態(汗)。
通常のシンセサイザーによる擬似音だと、2つの音色設定は明快に異なります。バンドネオンはコーディオンより少し太く、幅がある感じ。例えば泰輝さんが「一握り人の罪」の間奏で使用しているのはバンドネオンのパッチだと思います。これが生音になると何故分からなくなるのか・・・情けない。

ジュリーのヴォーカルは、素晴らしく曲世界にマッチしています。『act宮沢賢治』は、ジュリーが全編に渡って「声を張る」歌い方を貫いているのが珍しく、それが大きな個性ではないでしょうか。
ジュリーは普通に歌っても声に艶があるので、阿久=大野時代の情念のナンバーであっても、近年の「祈り歌」でも、ことさら声を張って「朗々と」歌う必要はありません。そんなジュリーが敢えてこの歌い方をするならば、それは手管ではなく「表現」なのでしょう。
『宮沢賢治』はメインのナンバーが有名なベートーベンの『運命』で、これをどのように歌うか、と考えたところから舞台でのヴォーカル・スタイルが(他の曲にも影響を及んで)導き出されたと考えられます(それにしても、あの『運命』に「じゃじゃじゃ、じゃ~ん♪」と載せて歌ってしまおうという発想が凄い!)。
『CD大全集』では「アラビアの歌」はその「運命 雨ニモ負ケズ」の次に配されているので(実際の舞台でもそういう流れだったのでしょうか?)、曲調の変化から軽快な印象を抱かせますが、ジュリーは存分に声を張っていますよね。こういう歌い方のジュリーも(滅多に無いだけに)良いものです。

僕はどうしても演奏形態に囚われる傾向があるリスナーですから、当初CD大全集の中で「難解」だと思っていたのが『宮沢賢治』。
ある時そんなジュリーの「歌い方」に気づいてからはスルメ的に好きになりました。入り口がどうあれ、結局ジュリーの歌に意識が収束される・・・僕が初聴時から遅れて好きになるジュリーの作品には、どうやらそんな段階がいつもあるようですね。


それでは次回は15日の更新を目指します。
お題ももう決めています。多くのカレンダーに「終戦記念日」或いは「終戦の日」の記載が無くなってしまった今だからこそ、この日に書いておきたい1曲です。

今日からお盆休みという方々も多いでしょう。僕は今年の夏休みは出かけるのは近場だけにして、なるべくゆっくりしようと思っています。
腰はだいぶ良くなってはきたのですが、腰を庇う生活を続けていたら今度は膝とか股関節がね・・・そもそも僕は『ジュリー祭り』の時点からすると15キロも体重が増えてしまって、成人してからの長期間を40キロ台で過ごしてきたのが一気に60キロ台になったら、そりゃあ年齢を重ねた身体は悲鳴をあげたくなるのでしょう。

でも、ジュリーも北とぴあ公演で「太さは必要!」と力説していたみたいだし、まだまだ厳しい暑さが続きそうですが、休める時はゆっくり休んで・・・元気な古稀ジュリーを見倣い、夏を乗り切りたいです。
みなさまもどうぞご自愛ください。

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2018年8月 6日 (月)

沢田研二 「マッド・エキジビション」

from『act#9 ELVIS PRESLEY』、1997

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1. 無限のタブロー
2. 量見
3. Don't Be Cruel
4. 夜の王国
5. 仮面の天使
6. マッド・エキジビション
7. 心からロマンス
8. 愛していると言っておくれ
9. Can't Help Falling in Love
10. アメリカに捧ぐ
11. 俺には時間がない

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8月6日です。
広島は今、大変な状況です。西日本豪雨による甚大な被害、継続する過酷な猛暑。そんな中にあっても広島の人々はこの日の祈りを忘れることはないでしょう。
その姿に心からの敬意を以って、僕も祈ります。


それでは拙ブログ8月は『真夏のact月間』、今日は97年の『act#9 ELVIS PRESLEY』から、「マッド・エキジビション」をお題に採り上げます。
(拙ブログとしては)短めの文量で考察控え目、徒然風にサクサク更新すると決めたシリーズ。下書きのない一気執筆ですが、今日もよろしくおつきあい下さい。



Elvis4

前回記事ではパット・ブーンのカバーで「あくび・デインジャラス」を採り上げました。
パット・ブーンとエルヴィス・プレスリー。この2人は黒人が生んだR&Bを白人文化にまで浸透させたロック黎明期にあって2大スターと称されたそうです。
キャラクター的には優等生タイプ(ブーン)と不良タイプ(プレスリー)ということで、それぞれ各方面の評価は異なるようですね。ただ、いずれも「俗」のエネルギーを持った眩いスターだったんだろうなぁとリアルタイムで彼等を知らない僕は想像しています。
「雅」よりも「俗」のエネルギーの方が強大で大衆に膾炙しやすい、というのは6月の新宿カルチャーセンターで、かの人見豊先生が講義してくださった通り。
まぁ僕は自分の名前に「雅」が入っているので、人見先生がホワイトボードに「雅」の文字を書いてくれたのを見て「お~っ!」と思いましたけど(笑)。

さて、幾多あるプレスリー・ナンバーの中、最も日本人に知られ愛されている名曲となると、やはり「ラブ・ミー・テンダー」ではないでしょうか。
当時「ロックンロール」と聞くと「不良の音楽」と決めつけていたPTA的「雅」な頭の固い大人達も、この美しいバラード・ナンバーについては抵抗感が少なかった・・・タイガースで言えば「花の首飾り」のようなスタンスだったんじゃないかな。
今現在でもCMなどで耳にする機会も多いですから、プレスリーの名前すら知らない若い人達もこの曲のメロディーだけは知っている・・・柔らかくて普遍性が高い名曲と言えるでしょうか。

その「ラブ・ミー・テンダー」をカバーしたジュリーのactナンバーが、「マッド・エキジビション」。
日本語詞は加藤直さんでもジュリーでもなく音楽統括のcobaさんなのですね。横文字のフレーズも敢えて片仮名読みの語感で、母音のコブシを効かせるようにメロディーに載せているのが面白いです。
既に記事を書き終えている「グレート・スピーカー」(『BUSTER KEATON』)同様、多忙でステージ演奏までは参加できなくなったcobaさんが、それでもジュリーのactに惜しみない尽力を注ぎ、作曲・編曲のみならず日本語詞についても名篇を残している・・・actシリーズに漲るそんな熱量をリアルタイムで体感されている先輩方が本当に羨ましい!

映像を観ずに楽曲だけで掘り下げようとすると、「マッド・エキジビション」のcobaさんの詞はかなり難解。幻想的のようでもあるし、写実的のようでもあり・・・。

行き先       知れぬ
E    G#7(onD#)  C#m  E7(onB)

スウィート スウィート ドーナッツラヴ
A                             Am         E

月を なめるは あおい天使 ♪
E  C#7  F#7      B7         E

ここで登場する「ドーナッツラヴ」とは?
プレスリーの死因にまつわる都市伝説(事実とは異なります)と何か関係があるのでしょうか。
そうそう、「ドーナツ」と言えばいわゆる45回転レコードの「シングル盤」。この「ヒット曲」流布のスタイルを確立させたのがプレスリーなんですよね。
僕は「プレスリーとドーナッツ」の関係については、変な都市伝説よりもこちらの偉大な事実(功績)の方を広く世間に知って欲しいと常々思っていますが・・・。

この曲のジュリーの歌声に何故か「慟哭」を感じてしまうのは僕だけなのかなぁ。
具体的に悲しいフレーズが出てくるわけではないのに、「泣いている」ように聴こえてしまいます。その上でコミカル(と言うより自虐的?)な感覚もある・・・不思議な不思議なジュリー版「ラブ・ミー・テンダー」。
ジュリーがこの曲の中に何か「痛み」を見出して歌っているのかなぁとも思えます。

泣いているように聴こえる、と言えば最近の曲だと「un democratic love」。
「Don't love me so」・・・「そんなふうに僕を愛さないでくれ」と歌うわけですが、じゃあどんなふうに愛して欲しいのか。それがたぶん「Love me tender」・・・直訳すればズバリ「やさしく愛して」。
act『ELVIS PRESLEY』以前に英語原詞のまま「ラブ・ミー・テンダー」を歌ったことがあるジュリーは(『ロックン・ジュリー・ウィズ・タイガース』)、その時既に「ラブ・ミー・テンダー」ってどういう「愛し方」だろう?と考えたこともあると思うんですね。
「tender」の志は昨年リリースの2曲でも重要なキー・フレーズとなっていて、「ISONOMIA」では「TENDERNESS」、「揺るぎない優しさ」ではそのまま「優しさ」とジュリーの自作詞に採り入れられています。
そう考えるとプレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」は「祈り歌」のように思えてくるし、「ISONOMIA」も「揺るぎない優しさ」も「un democratic love」も、そして一連の「祈り歌」は逆に「LOVE SONG」なんだなぁ、と昨年お正月のセットリストが思い出されます。

人の痛みを懸命に思わずして「祈り歌」も「LOVE SONG」も歌えない。ましてや「平和」は語れない。
今日はジュリーの「マッド・エキジビション」を聴きながら、そんなふうに考える夜を過ごしました。

ちなみに、独自の日本語詞でカバーされた「ラブ・ミー・テンダー」と言えば、僕がジュリーの「マッド・エキジビション」より先に知っていたのがRCサクセションのヴァージョン(アルバム『カバーズ』収録)。

Lovemetenderrc

こちらは、「核などいらない」「放射能はいらない」と歌う痛烈なメッセージ・ソングでした。


僕はこの日8月6日の午前8時15分を、(休日でない限り)毎年ちょうど出勤で職場最寄の駅を降り立ったあたりで迎えます。
行き交う人を避け路肩に佇み、祈り、歩き出した1日。
73年目の、そして平成最後の「広島原爆の日」がこうして過ぎてゆきます・・・。

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2018年8月 2日 (木)

沢田研二 「あくび・デインジャラス」

from『act#7 BUSTER KEATON』、1995

Buster1

1. another 1
2. ボクはスモークマン
3. あくび・デインジャラス
4. ストーン・フェイス
5. サマータイム
6. グレート・スピーカー
7. 青いカナリア
8. 淋しいのは君だけじゃない
9. チャップリンなんか知らないよ
10. 無題
11. another 2

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今年も早いもので8月となりました。
本館は久々の更新です。いやぁ毎日毎日暑いですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

ジュリーの古稀ツアーも始まり、普段から師と慕う先輩がいつものように初日・武道館公演の感想レポートを送ってきてくださいました。
拝読すると改めてジュリーの新たな歴史のスタートを実感するのですが・・・その先輩がレポート中で「(ジュリーファンとしての)相方」とまで書いていらしたもうひとりの先輩がツアー直前に亡くなられたことがどうしても思い出され、「あぁ、この素晴らしいレポートを読む人が1人減ってしまったんだなぁ・・・」と、気も沈みがち。
加えて僕は先月痛めてしまった腰がまだ本調子とはいかず、連日の暑さもあって身体の調子も今ひとつという情けない状況です。
それに比べ、70歳にして怒涛のスケジュールを駆けるジュリーの体力は本当に凄い!
僕もグスグズしないで再スタートを切らねば・・・。


拙ブログ本館は10月のさいたまスーパーアリーナ公演まで、その日が満を持してのツアー参加初日となるYOKO君のために記事本文ではジュリー古稀ツアーについては一切触れません(コメント欄はその限りではありませんので、まだまだツアー・セットリストのネタバレ我慢中、という方々はご注意ください)。
そこで、気を入れ替えて頑張ってゆくこの8月いっぱいを『真夏のact月間』と銘うちまして、actナンバーのお題で更新していこうと思います。
気候に同調して暑苦しくならないように、本当に短めの文量で(笑)、濃厚な考察は封印、徒然日記風に思いついたことなど気ままに書きつつ、なるべく更新頻度の方は上げて猛暑を乗り切ろうというシリーズです。

まず今日は『act#7 BUSTER KEATON』から、「あくび・デインジャラス」をお題に採り上げます。
よろしくおつきあいの程を・・・。


Buster2

僕と同じ経験がある人ならお分かりと思いますが、ギックリ腰の大敵と言えば「くしゃみ」。

「あくび・デインジャラス」曲中の台詞でジュリーが「(あくびと違って)くしゃみは噛み殺さないよなぁ」と言っていますが、腰痛持ちは必死に噛み殺すのですよ~(笑)。油断して「へくしょん!」とやったら取り返しのつかない事態になりますから。
そうそう、『actCD大全集』歌詞カードでは、ジュリーが「くしゃみデインジャラス♪」と歌う箇所の詞は普通に「あくび」となっているんですけど、この「くしゃみ」なるフレーズの導入はジュリーが公演期間中に(直後の即興台詞に繋げる意味で)編み出したアドリブなのでしょうか。いずれにしてもジュリー独特の日本語詞によるactナンバー、語感もフレーズ使いも面白いですよねぇ。

くしゃみは余興 しゃっくりは愛嬌
                   C                    Am

げっぷは度胸だ あくびこそ悪徳 ♪
                 F     G7              C  B7  C

バスター・キートンならずとも、舞台を表現の場とする「演者」ジュリーにとって観客の「あくび」ほど罪深く悲しいものはない、ということなのかな。

でも僕らが普段生活していて、くしゃみ、しゃっくり、げっぷ、あくびの中で最ものんびりしていて平和なのは「あくび」でしょう。本人も気持ち良いですからね。あくびの後の爽快感は格別です。
ところが、ギックリ腰に対する「くしゃみ」同様、「あくび」を大敵とする病気もあります。
僕はその経験者で、ズバリ20代で患った「顎関節症」がそうなのです。酷くなってからお医者さんに行ったんですけど、「ゴキ!」とかやって貰えば治るものかと安易に考えていたら、「とにかく安静にしなさい」と。

その頃僕は月イチでギター弾き語りのライヴをやっていたので、「歌は歌っても大丈夫ですか?」とお医者さんに尋ねると「とんでもない!」とのことでね。でも歌わないわけにはいかないから無理を続けているとやっぱり症状は長引いて、結局3年ほど苦しめられました。
おとなしくしていればさほどのことはないのですが、大口空けると顎に激痛が走るんです。ハンバーガーにかぶりつく、とかそういうことができない・・・でも一番苦しかったのは、「あくび」がしたくなったら瞬時に噛み殺さなければならないこと。うっかり「ふわぁ~」とやったらそれこそデインジャラスですよ。
思いっきりあくびができないというストレスは、経験しないと分からない苦しみだと思います。

ジュリーのLIVEを観ながら客席であくびをするなど言語道断で正に「悪徳」の極みですが、何気ない日常生活において自由に気兼ねなくあくびができる、というのはとても大切で平和な瞬間なんですよね・・・。

「あくび・デインジャラス」の原曲は「スピーディー・ゴンザレス」。有名なアニメ・キャラクターとタイアップしたパット・ブーンの大ヒット曲・・・というのも僕は今回調べて初めて知りました(恥)。
僕はプレスリーについては辛うじて幾らかの楽曲知識は以前から持っていましたが、パット・ブーンってどんな持ち歌があるのか全然知らなかったんです。調べてみて「あぁ、”砂に書いたラブレター”とか歌ってた人か!」と。でも「スピーディー・ゴンザレス」は曲自体も知らなかった・・・(検索した原曲はこちら)。
ちなみに『actCD大全集』の歌詞カードではこの曲の原曲クレジットにタイトルのスペル誤植があって、「GONZALES」が「GOZALES」と記してありましたから、最初検索した時は迷子になりました。

オーソドックスなロックンロール。『BUSTER KEATON』の演奏陣の場合はトロンボーンの存在が大きくて、ゴリゴリの低音パートと優雅な高音パートを左右綺麗に振り分ける演奏が、変則編成でありながらとても自然。ロックンロールにも合います!
柴山さんのギターがこの編成上で高音パートの要、「影の力持ち」ですね。

進行的にはスリーコードではなく「Am」が組み込まれているのがポイントの曲です(パット・ブーンのオリジナルはロ長調のようですが、ジュリーのヴァージョンは半音高いハ長調)。
この進行を直系で受け継いでいる僕のよく知る洋楽だと、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」がすぐに思い出されます。Aメロをバラードに転換すればそのままベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」になりますし、ポップチューン王道中の王道。
ジュリーはいかなる曲も我がものとし歌えてしまう歌手ですが、だからこそシンプルな「王道」進行に載せたヴォーカルが圧巻なのですな~。
また「あくび・デインジャラス」のジュリーの日本語詞は2年後の「量見」に曲想ごと引き継がれている、と僕は見ますがいかがでしょうか。

こういうのはactならではのジュリー創作の魅力で、新規ファンにとってはまだまだ底知れぬ「魔の沼」。
相変わらず映像を観ずに(老後の楽しみにとってあります笑)CD音源の聴き込みだけで書いている状況ですが、今月のact月間はこんな感じの内容でサラッと矢継ぎ早の更新を重ねてゆくつもりです。
短めの文量だと最後まで読んでくださる人も多いでしょうし、なにせactについてはいつも以上に先輩方からコメントで色々と教わる・・・それが僕自身大きな楽しみなのです。今回もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今日がパット・ブーンだったので次回のお題はプレスリーにしようかな。
週明けの月曜日に更新できれば、と考えています。またすぐにお会いしましょう!

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2017年6月25日 (日)

沢田研二 「愛の神話・祝祭という名のお前」

from『act#4 SALVADOR DALI』、1992

Salvador1

1. スペイン・愛の記憶
2. 愛の神話・祝祭という名のお前
3. ガラの私
4. VERDE ~みどり~
5. 眠りよ
6. 愛はもう
7. 黒い天使
8. 恋のアランフェス
9. 白のタンゴ
10. 誕生にあたっての別れの歌

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6月25日です。

ジュリー69歳のお誕生日です。おめでとうございます!


Pic010

↑ 近年恒例、「ありがとう」と言ってそうな若き日のジュリーのショットを今年も貼っております。これは・・・50年前くらいですか?

ジュリーファンにとっては、年に一度の祝祭日ですな~。全国各地でお祝いムードに包まれ「おめでとう」の声が飛び交う宴が催されていることでしょう。
僕は今日はこれから、男性タイガースファンの先輩であるYOUさんのLIVEに出かけます。ジュリーの歌を演奏してくれるわけではないみたいだけど、何と言ってもこの日付ですから、YOUさんお馴染みの長~いMCの内容には期待しています。
出かける前にこのブログでも、ジュリー誕生月に開催中の”act月間2017”の締めくくりお題としまして、今日はとてもおめでたい祝祭の名曲を採り上げ、ジュリー69歳のお誕生日に捧げたいと思います。

現時点で『actCD大全集』全discの中で個人的に最も好きな作品『SALVADOR DALI』から、「愛の神話・祝祭という名のお前」です。僭越ながら伝授!


Salvador2


僕がactナンバーで特に惹かれている曲は、まず『EDIT PIAF』収録のジュリー作詞・作曲作品である「エディットへ」。カバー曲だと『BORIS VIAN』収録の「俺はスノッブ」、或いは『SHAKESPERE』収録の「私は言葉だ」。
そして・・・actと言えばこの黄金コンビ、加藤直さん作詞、cobaさん作曲のオリジナル・ナンバーとなりますと、「とても1曲に決められない!」というくらい拮抗して惚れ込んでいる名曲が5曲。『BORIS VIAN』の「墓に唾をかけろ」、『NINO ROTA』の「SARA」、『BUSTER KEATON』の「another 1」、『ELVIS PRESLEY』の「無限のタブロー」、さらには今日のお題曲『SALVADOR DALI』の「愛の神話・祝祭という名のお前」です。

ちょっと前に放映された阿久悠さんの特集番組で、どなただったか忘れてしまいましたが、阿久悠さんの作詞を「狂気の伝達である」と語っていた方がいらっしゃいました。「狂気」と言うと少し怖い表現ですが、要はまず阿久悠さんがブッ飛んだ詞を書く、それを読んだ作曲家が「スパーク」してメロディーを作る、それがまた歌い手にも「スパーク」して伝達してゆく、ということ。
詞曲いずれが先にせよ、加藤さんとcobaさんのactナンバーには、かつての阿久=大野コンビが魅せてくれた「スパーク」の伝達と同じパワーを僕は感じます。
特にこの「愛の神話・祝祭という名のお前」。突き抜け、振り切った歌詞。短調の明快なメロディーでグイグイと容赦なく攻めてくる曲想。これはあの「勝手にしやがれ」とも共通しています。

単純にうわべだけの「スパーク」で詞曲によりかかってしまうレベルの歌手では、逆に作詞者・作曲者の「スパーク」は聴き手に伝わらないと思うのですよ。
「勝手にしやがれ」もそうですけど、ジュリーはそんなスパークの高熱を程好い温度までに冷ましてから自分に引き込む俯瞰力があり、耳あたり良く伝える驚異の才能の持ち主。「どんなことを歌っている」とか、「曲の進行はこういう理屈になっている」とか以前に、得体も知れず伝わってくるその歌声は驚くほどポップで大衆性があって、ハチャメチャにスパークしている楽曲の根本がとても分かりやすい形で耳に、心に入り込んできます。

「愛の神話・祝祭という名のお前」は、言うなれば「お前は俺のすべて」という歌ですよね。

私の子供  私の 母親
   Cm  Fm7     B♭7  E♭maj7

私の   恋人 私の女神 私のガラ ♪
   A♭maj7  Fm7 Dm7-5    G7   Cm

この情熱・狂乱のサビを歌手が押しつけがましく詞曲のスパーク温度をさらに上げて、沸騰して歌ったらかえって興ざめしそう。その点、ジュリーの歌、発声の温度は絶妙です。それがジュリー流、天性の「スパーク」。
語尾を子音と母音の2段階に分ける、色っぽくメロディーに絡んいるようでもあり突き放しているようでもあるジュリー独特の鼻濁音の発声を聴いていると、これはもうジュリー以外の人には歌えないだろう、ここまで伝えられないだろうと聴き手の方が興奮してスパークしてしまうという(笑)。
「これが天下の沢田研二じゃ、皆頭が高い!」と全世界に勝手に叫びたくなる名曲・・・ということで僕の中では「愛の神話・祝祭という名のお前」は、「勝手にしやがれ」と同格です。

ただ、考察記事を書こうというからにはここでちょっと興奮を抑えまして、なけなしの俯瞰力を総動員して程好い温度のスパーク伝授をしなければなりません。
ここからは楽曲の魅力を冷静に探っていきましょう。

祝祭という名のガラ
   A♭                Cm

まといつく緑の故郷 ♪
     A♭             Cm

実は、この曲を知るまで僕は「gala」という英単語を知らなかった(或いは忘れてしまっていた)のです。
改めて辞書を引いてみますと


Gala

ダリの奥さんであるガラについては昨年「眠りよ」の記事中で書きましたのでここでは割愛しますが、「ガラ=祝祭」の発想から加藤さんがビシッとキメたタイトルが「愛の神話・祝祭という名のお前」。
ジュリーという歌手が歌えばこのタイトルが「大上段」にはならないんですよね。歌の主人公(ダリ)の誇り高き断言であり、真理となるのです。

にしてもこの加藤さんの名篇、よくぞここまでメロディーにもお芝居の題材にも「嵌った」ものです。
舞台はスペイン、スペインと言えばフラメンコ。フラメンコは「情熱の音楽」であるとよく言われていて、メインの楽器であるギター演奏にしてもそうなのですが、その「情熱」を表現するためには逆に演じ手が「クール」であることが肝要だとされます。
淫らな官能、狂おしい求愛をして「愛の神話・祝祭という名のお前」という加藤さんの詞はとてつもなくクールであり、ジュリーの歌も同様です。
この曲に表れているのは、加藤さん、cobaさん、ジュリーによる「クールにスパークする狂気の伝達」ではないでしょうか。cobaさんのメロディーも、こんなに情熱的な曲なのに俯瞰力が物凄い。

はじめにカダケス 永遠の私の海
            Fm7        G7       Cm

それから熱烈 旅に誘う私の舟 ♪
            Fm7   G7         Cm

キーはハ短調。
メロディー、コード進行は短調ポップスの王道です。大げさな部分、トリッキーな部分は無いんですよ。サビはモロに「枯葉」進行だったりします。
ただし、「ここはまぁこんな感じでいいや」という妥協や迎合は一切ありません。
王道にしてオリジナル、一分の隙もなく練りこまれた各ヴァースの繋ぎ目と展開。そのプロフェッショナルな俯瞰力が「情熱の音楽」へと昇華されます。

「クールなスパーク」とは決して「おとなしい」ということではありません。詞も曲も、ジュリーの歌そして演奏もすごくテンション高いですよね。
それはcobaさんのアコーディオンからギターへとリレーする間奏を聴けば誰しも感じられる
でしょう。

『SALVADOR DALI』全編の演奏でcobaさんのアコーディオンと並び特筆すべきは、2本のギターのアンサンブル。スペインが舞台ということで採り入れられているフラメンコ・ギターです。
収録曲中多くの曲で登場する、じゃかじゃかとかき鳴らすように弾く奏法は、普通のアコギとは違い「ストローク」ではなく「ラスゲアード」なる呼称があります。これ、右手の爪で弾くらしいんですよ(僕には無理。指弾きはできるんですが、爪はなんだか怖くて・・・)。
ロック奏法においても僕の好きなギタリストの1人であるウィルコ・ジョンソンのように「爪弾き」の名手はいるんですけど、やっぱりフラメンコのラスゲアードというのは独特。「愛の神話・祝祭という名のお前」では、お馴染みトレモロ奏法と共にフラメンコ特有のラスゲアードを堪能することができます。
そこに噛みこむアコーディオン、バリージョ・・・「眠りよ」の記事でも書いたのですが、新規ファンの僕が遡って聴くと、『SALVADOR DALI』の演奏の魅力は「よくぞベースレスでここまで」という、言わば鉄人バンドのフラメンコ版という感じのcobaさんの素晴らしいアレンジあらばこそ。パターン的に特化した、ある意味「偏って」いるのにこれほどジュリーの歌とマッチするとは・・・ジュリー、cobaさん双方畏るべし!なのです。

そうそう、フラメンコって演奏の最中に時々シャウトと言うか、「かけ声」が入るじゃないですか。
「愛の神話・祝祭という名のお前」の間奏でも、よ~く聴くと「や~!」みたいなオフマイクの声が入っていて、僕はそういう「忘我の発声」みたいなニュアンスがメチャクチャ好きです。
CD1曲目「スペイン・愛の記憶」ではそんな声がハッキリ聴こえて、僕は当初それらを「間奏を盛り立てるジュリーの声」だと思ったのですが(いや、曲によっては実際そうかもしれませんが)、「VERDE ~みどり~」で伴奏がタップのみになりジュリーが歌う箇所でもかけ声が聴こえてきますから、「あぁ、これはバンドが”情熱のフラメンコ”を体現しているんだな」と気がついた次第。

ま~しかし、この曲は何と言ってもジュリーのヴォーカルなのですな~。
今回改めて『SALVADOR DALI』のCDを通して聴いて、やっぱり僕はactCD大全集のディスクの中ではこの作品が一番好きかなぁ、と思いました。
act全編に言えることなんでしょうけど、ジュリーの凄さは先程から書いている「俯瞰力」に加えてその驚嘆すべき「吸収力」「進歩力」に尽きると思います。新たな歌、新たなジャンルに挑むたびに、その楽曲の進行であったりアレンジであったり、とにかく「優れて特化している面」を軽々と吸収、会得してさらにまた次の新しい段階へと進んでゆく、年齢など関係ない成長。現在2017年も未だに続いているジュリーの特性・・・『SALVADOR DALI』はそんなジュリーの素晴らしい特性が実感し易い作品ではないかと思うのです。
フラメンコという良い意味で偏ったジャンルのアレンジ、独特のメロディー、官能の表現、ベースレスのアレンジ・・・ジュリーはそのすべてに悠々と対応し、歌手としてどんどん高みに昇っていきます。

ちょっと話が逸れるようですが・・・将棋界の新たなスーパースター・藤井聡太四段の大活躍については一般のニュースでも大きく採り上げられていますからみなさまもご存知でしょう。
彼に敗戦したあるベテラン棋士がこんなことを言っています。「今の藤井四段は、漫画のヒーローを見ているようだ」と。
どういうことかと言うと、史上最年少記録でプロ棋士に昇段した藤井四段は、直前の三段リーグ戦(将棋界では三段までが修行中の「奨励会員」で、四段以上がプロ棋士)を13勝5敗の成績で通過し四段に昇段しています。これは過酷な三段リーグにあって当然素晴らしい成績ではありますけど、その当時彼はまだプロではない奨励会員(三段)を相手に5敗している、ということでもあるわけですね。
それが一転、プロデビュー後の圧倒的な連勝劇(明日、歴代新記録の29連勝に挑戦します。ここまで来たら偉大な記録更新を見てみたいですが、相手の増田四段もかなりの強敵です)。
先述の棋士に言わせると、若き(というかまだ中学生なんですけど)藤井四段はプロデビュー後、対局相手の強い部分、優れている部分を易々と吸収し、次の対局までに信じられないほど強さを増していて、そんな状況が対局ごとにず~~っと続いている、と。
将棋の棋戦というのは勝ち続ければ続けるほど相手が強くなっていくわけですから、これを少年ジャンプの漫画で例えるならば、黄瀬涼太のパーフェクト・コピーが時間無制限で持続し、しかもコピー元の本家を凌ぐ強さを身につけ続けているということ(『黒子のバスケ』を知らない方々にはまったく分からない例えで申し訳ありません)。その棋士の言葉に説得力があるのは、連勝中の藤井四段と別棋戦で2度対戦して敗れている棋士だからです。1度目の対戦と2度目の対戦で、藤井四段の短期間での進化、成長を身をもって体感したのですね。

ジュリーの歌人生(これまでの道のり)って、正にそんな感じだと思うのですよ。
その中でもactシリーズ、特に『SALVADOR DALI』でのジャンプ・アップは驚異的。
「愛の神話・祝祭という名のお前」については、前後の年によく似た曲調、”短調のメロディーでバシバシ攻める”情熱系の名曲をジュリーは歌っています。91年の「涙が満月を曇らせる」、93年の「そのキスが欲しい」。いずれも大変な名曲ですが、ジュリーの歌の表現、柔軟性は、この3曲で年々グ~ッと右肩上がりでしょ?
ジュリーはデビューから50年、休まずそんな進化を続けているんだろうなぁと思える、その分かり易い楽曲例として「愛の神話・祝祭という名のお前」は本当に貴重なテイクだと僕は考えます。

個人的にこの曲のジュリーのヴォーカルで一番痺れるのは、サビのダメ押し部。嬰ハ短調への半音上がりの転調間際の声の伸ばし方です。
これもかつて歌った「スマイル・フォー・ミー」であったり「君をのせて」であったり「あなたへの愛」であったり・・・ずっと以前から「サビのダメ押し転調」曲を歌い吸収し続けてきたジュリーが、『SALVADOR DALI』の世界観を受けて応用し進化を遂げてこういうヴォーカルになっているわけで。
信じられないほどに素晴らしい、としか言えません。

今日で69歳となったジュリー。来年の古希イヤー、さらにその後・・・僕らはまだまだジュリーの底知れぬ進化を楽しむことができそうですね。
「男子3日会わざれば刮目して見よ」と言いますけど、まずは7月からの全国ツアー。チケット到着を心待ちにしながら、刮目して初日・NHKホールに参加したい、と意気込んでいる今日この頃です。
チケット到着が待ち遠しい!


それでは次回更新は・・・。
少し間隔が開きますが、いよいよジュリーのデビュー50周年記念全国ツアーが開幕する7月ということで、セットリスト予想シリーズに突入します。じっくりと3曲に絞って書こうと思っていて、お題も決めています。

拙ブログのセトリ予想と言えば、本人は当てる気満々で書いているのに蓋を開けたらてんで見当外れ、という”恒例・全然当たらないセットリスト予想”を毎回掲げています。ただし今回はちょっと路線が違うんです。
なにせ、ジュリー本人が「シングルばかり50曲歌う」と宣言しているのです。まだ記事未執筆のジュリー・シングルも数少なくなってきていますが、今回例えばその中から「愛の逃亡者」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」「背中まで45分」「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」「STEPPIN' STONES」「愛まで待てない」・・・これらのうち3曲選べば、全お題的中が濃厚なんですよ。
でもね。

そんなの、僕のブログらしくないじゃないですか!

ここはひとつ、「う~ん、その曲は50曲の中に入ってくるかどうか・・・」というギリギリのラインにいるシングルを厳選して3曲書いてみようかと。
もちろん僕的に「可能性はある」と考える曲であり、「是非生で聴いてみたい」という曲達です。
ですから、個人的には「これはまぁやらんだろう」と考えている「MEMORIES」とか「Stranger -Only Tonight」などは逆に書きません(もちろん、その2曲も万一セトリ入りしたらサプライズで嬉しいですよ!)。
あくまで、お読みくださるみなさまも一緒に「う~ん、ジュリーが選ぶ50曲の中に入るかって言うと、さてどうかなぁ?」と悩みつつ期待も持たせられる、といった感じの3曲で勝負を賭けます。題して

全力で外しにいったのに当たっちゃった!パターンを期待するセットリスト予想”シリーズ(←長いよ)。

渾身の厳選シングル3曲、どうぞお楽しみに!

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2017年6月21日 (水)

沢田研二 「王様の牢屋」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

Boris1

1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

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『大悪名』終わってしまいましたね・・・。
僕はラス前の17日に観劇し、千秋楽の18日は遠征の先輩方にお誘い頂き打ち上げだけ参加しまして、お話を伺うことができました。
最前列で観劇されていたMママ様からは、記念のお宝も頂いてしまいました。


20170618

とにかく素晴らしいフィナーレだったようです。

僕が参加した17日も大盛況でした。ジュリーのマルガリータはみなさまのお話通りとても似合っていました。本当に「カッコイイ親分」に見えますよね。
歌はもちろん素晴らしかった中で特に印象に残ったのは、曲のタイトルが分からないんですけど(恥)、一番最初にジュリーがソロで歌うワルツのバラード(柴山さんのアルペジオ伴奏)。詞もメロディーも沁みました。
当然お芝居も素晴らしく、下戸の朝吉親分(漠然さん)がお酒を飲んで「うげ~」となるシーンでは、お客さんの反応から「あぁ、このシーンは公演を重ねてどんどんユーモラスに変化しているんだな」と分かりました。

あとは前半のクライマックス、噂に聞いていた漠然さんが数珠を引きちぎるシーン。
もっと乱暴なシーンを想像していたんですけど、横に伸ばした数珠をスッと引っ張りちぎるのか~。なるほど、その方が「力持ちの親分」な感じが伝わるんですね。

僕はジュリーの音楽劇はこれまで『雨だれの挽歌』と昨年の『悪名』しか観ていませんから、ストーリーや挿入歌の繋がりが理解できていない部分も多いとは思います。それでも「これが最後」の音楽劇集大成の雰囲気はビシビシ伝わってきました。

他の出演者では、僕は『ちりとてちん』(2007-2008年のNHK朝ドラ。主演は貫地谷しほりさん)の大ファンですから(完全版のDVD持ってます)、徒然亭小草若役の茂山宗彦さんの演技を楽しみにしていました。
茂山さんの演技はもちろん期待通りに懐かしくとても良かったことに加え(そ~こ~ぬ~け~に最高でしたがな~)、改めて感嘆したのはこちらも『ちりとてちん』に出演されていた松永玲子さんの存在感でした。台詞がダイレクトに脳に飛び込んでくる感じで。
『ちりとてちん』で松永さんは主人公の故郷である小浜(福井県)の『魚屋食堂』の女将(と言うか「噂話好きのおばちゃん」)を演じていらっしゃいました。劇中、一人娘の順ちゃんの結婚が決まる回は松永さんが登場するシーンの中でも屈指の泣かせどころでしたが、「楽天的」なキャラが嵌った上での松永さんの「悲しみ」「戸惑い」の表現が素晴らしく、その個性はこの『大悪名』でも大いに、半端なく発揮されていました。
(『ちりとてちん』を観ていなかったみなさまには、よく分からない話ですみません・・・)

演奏陣ではやっぱりcobaさんですね~。
1本柱が通ると言うのか、演奏だけでなくその佇まいも含めて「バンマス」感、「音楽監督」感バリバリのプロフェッショナルです。生で体感できて感激です。

先日YOKO君にメールで『大悪名』観劇の報告をしてcobaさんのことを書いたら、彼は「ビョークの『ホモジェニック』はよく聴いてる」とのこと。
『ホモジェニック』はビョーク1997年リリースのアルバムで、ワールドツアーのメンバーだったcobaさんも当然レコーディング・メンバーとして参加しています。
僕は17日の観劇前にランチをご一緒した先輩から、cobaさんとジュリーの関わり(actを音楽監督のみに専念し伴奏陣からは外れた経緯など。この時のジュリーの「男気」はジュリーファンの間ではとても有名な逸話のようですね)を改めてレクチャーして頂けたのですが、ビョークの活動とリンクしてみると、なるほど当時cobaさんはactの曲作りと並行して世界で大活躍されていたわけです。
そんな歴史があって、ジュリー最後の音楽劇に駆けつけ渾身の演奏で花を添えてくださったcobaさん・・・そう考えると、ずっとジュリーを観続けてこられた先輩方の思いが今回の東京芸術劇場(もちろん他会場も)のあの熱気を作っていたのかもしれません。
劇の最初の演奏シーン、cobaさんのソロでジュリーはじめ出演者がcobaさんを取り囲むようにして踊っていた時のお客さんの拍手とかね・・・今思い出してようやく「あぁ、特別な公演だったんだなぁ」と。

昨年魅せられた柴山さんのギターと熊谷さんのドラムスも、cobaさんが入ることで昨年とはまた違い完全に「バンド」のアレンジで挑んできましたね。
ブルース調、或いはロックな曲ではチェロがベースを弾く(指で弾いていた曲もありましたね)というのもこの編成ならでは、でしょう。各パートに見せ場があり、本当に贅沢なバンド・サウンドでした。

カーテンコールでの役者陣、演奏陣、そのステージと満員のお客さんの一体感。2階席ならではのそんな光景を目に焼き付けて帰宅しました。
今回はDVDの発売予定が無いことを先日聞きまして驚いています。ジュリー最後の音楽劇『大悪名』を、1度の参加でしたが生で観ることができ、幸運でした。


さて、1週間ほど間が開きましたが今日は”act月間2017”第4回の更新です。
相変わらず「伝授!」などと言いながら実は記事を書き終えた後にみなさまから逆伝授を賜る、というスタイルの考察が続きます。『大悪名』千秋楽の日の打ち上げでも、ご一緒した先輩方から改めて「美しき天然」について教えて頂きましたし、今回もきっと更新後に勉強することがたくさんあるでしょう。

今日のお題は前々から、『大悪名』でのcobaさんの生演奏を聴いた上で閃いた曲を、と考えていました。
観劇を終えて色々と考えたんですけど、やっぱり「ワルツ」の曲が良いんじゃないかなぁ、と。
2階2列目(A席)だった僕の席からは5人の演奏陣がよく見えましたが、双眼鏡は持参しなかったのでcobaさん達の細かい表情までは分かりませんでした。
でも、なんとなく「あっ、cobaさん目を閉じて弾いてる!」と感じたのは、劇中で3曲(だったと思います)披露されたワルツ・ナンバーだったんです。
そこで今日は、いかにもcobaさんが目を閉じて弾いていらっしゃる光景が目に浮かんできそうなactのワルツ・ナンバーをお題に採り上げることにします。
『BORIS VIAN』から「王様の牢屋」、僭越ながら伝授!


Boris3


先輩とのご縁を頂いて念願の『actCD大全集』購入が叶った時、僕がまず最初に聴いたのがこのdisc-2『BORIS VIAN』でした。
理由は、収録曲にクレジットされていた「きめてやる今夜」「脱走兵」がお目当てだったから。その2曲はいずれも期待通りに素晴らしかったのですが(と言うか「きめてやる今夜」の方はリズム解釈にビックリした)、初めてCDを通して聴いて特に衝撃を受けた曲は「墓に唾をかけろ」「鉄の花」そしてこの「王様の牢屋」。僕がまず『BORIS VIAN』の中で大好きになったのはこの3曲でした(今は「俺はスノッブ」が一番好きになっています)。
『BORIS VIAN』が最初、というのはactのCDを聴く順番としてはとても良かったように思います。
「オリジナル・アルバムのジュリーとは違う!」強烈な感覚が分かり易い作品と言えるのではないでしょうか。

さて、「王様の牢屋」。みなさまご存知のように、actの「王様の牢屋」は2つありますね。
エディット・ピアフの歌ですから当然『EDIT PIAF』でも採り上げられています。素晴らしい名演ですが、そちらのヴァージョンはですね・・・僕のレベルでは到底採譜不可能!というくらい凝ったアレンジでございまして(この曲以外も、『EDIT PIAF』は難解なアレンジの曲が多いです)、すぐには考察に手をつけられません。
対して『BORIS VIAN』の「王様の牢屋」の方はポップ性が高いと言いますか、おそらくcobaさんの和音解釈は原曲に近い感じなのかな。
何とか自力の採譜も成りましたので今日はこちらを採り上げようという次第です。

映像を観ていない上、僕はボリス・ヴィアンの人物像もほとんど知らないに等しいので、何故エディット・ピアフのこの曲が『BORIS VIAN』で歌われたのかすら分かっていないんですけど、ちょっとネットで調べましたら、ボリス・ヴァイアンがエディット・ピアフの歌声を
「電話帳を読んだだけでも人を泣かすことができる」
と語った有名な逸話があるそうですね。
獄中にある想い人のこと女性の一人称で歌う「王様の牢屋」。それを男性のジュリーが切なく歌う・・・actならではの名演、名曲ですよね。

先程「自力で採譜した」と書いたように、この曲のスコアはまだ見つけることができていません(たぶんこの世に存在はしていると思うのですが・・・。エディット・ピアフの歌でact関連曲については、既に記事を書き終えている「群衆」の他、「愛の讃歌」「バラ色の日々」「水に流して」「私の神様」などのスコアは見つかっています)。
ただ、この曲に少し触れている文章は見つけました。


Img51835

↑ ピアノ伴奏譜『シャンソン名曲アルバム②』から解説ページ、「待合室」の項より

シャンソンのスタンダード・ナンバーって、どれも詞が良いんですよね。
また、「王様の牢屋」も日本語のカバーが幾多存在していて、その中には牢屋に閉じ込められているのが女性、という斬新な視点で歌われる日本語詞もあるのだそうです(これは、先輩ジュリー・ブロガーでいらっしゃるRスズキ様の過去記事で勉強しました。ありがとうございます!)。獄中の女性が彼氏に「ここにきて!」と訴える内容なのだとか・・・ひえ~。

actの「王様の牢屋」は、原詞のシチュエーションを踏襲しているようです。

お城の奥深くにある 王様の牢屋に
    Em Bm7   Em  D      C    B7   Em

閉じ込められた私のあの人
     G              Em  Bm   Em

Oh  Oh Oh Oh! ♪
Am  D7       G

前回「丘の上の馬鹿」の記事で「歌へと集約する詞曲一致」ということを書きましたが、いやぁ「王様の牢屋」もその点素晴らしい!

actでのキーはホ短調(原曲のオリジナル・キーはまだ調べきれていません)。しかし「閉じこめられたあの人 ♪」からは平行移調させる長調のニュアンスも含みます(着地のコードがGで、続く「二度と・・・♪」のヴァースからは明快にト長調)。にも関わらずここは出だし以上に悲しいんです。
詞が悲しいから、だけではありません。例えト長調のヴァースでも、メロディーそれ自体確かに悲しい感じがする・・・驚くべきことです。
この「長調の哀愁」を加藤直さんが見事に日本語で表現しきった日本語詞。それを「悲しい歌」「切ない歌」を歌わせたら天下一品のジュリーが歌うわけですから、物語の説得力が凄まじい!
しかもジュリーはこの曲では完全に「演じて」いますよね。それは前回採り上げた「丘の上の馬鹿」とはまた異なるジュリー・ヴォーカルの醍醐味です。

僕が最も愛するジュリー・アルバム『JULIEⅡ』制作時に池田道彦さんから「おまえは、”歌で演ずる”ということをやった方がいい」と言われ、その言葉がACTにも繋がっている、と『ジュリー三昧』で語られている、その「歌で演ずる」様子がCDだけでヒシヒシと伝わってくる作品が『BORIS VIAN』です。
僕がactを聴き始めて最初期に感じとっていたジュリーの魅力は「キュート」で、昨年の『悪名』を観劇することで追体験したような気分になったものでしたが、僕がそんなジュリーの魅力に気づけたのは、『BORIS VIAN』初聴時に受けた印象が大きいと思います。
『BORIS VIAN』には、語りかけるような、台詞を言っているような歌が多く、僕はそんなふうに歌うジュリーをまずは「キュート」だと感じたわけですね。
もちろん今日のお題「王様の牢屋」でも、そんなヴォーカル部が登場します。

罪ならあります 私も盗みました
C                           G

はい 王様 あの人の心を ♪
        Am           B7      Esus4  Em

この「はい」がね・・・初めて聴いた時はドキリとしました。これは、リアルタイムでジュリーの生歌を聴いた先輩方もそうだったんじゃないですか?

そして、「いかにも目を閉じて弾いていそうな」cobaさんのアコーディオン。
『大悪名』で生演奏を聴いて改めて感じたのですが、アコーディオンって不思議な楽器ですよね。他のパートとは流れている時間(リズム)が違っているような。
例えば「王様の牢屋」では

二度と出られないというのは本当ですか ♪
       C                  G         C           G

この、ジュリーの切ない「本当ですか♪」を追いかける「レミレミレミ・・・♪」の音色が、とてもゆっくり、ゆったりと 聴こえます。でも決して全体のテンポが変わっているわけではなくて、cobaさんのアコーディオンだけ別の時間が流れているように感じられるのです。
まるで主人公の女性の心情がそのまま伴奏に乗り移っているようで、これはアコーディオンという楽器でなければ出せないニュアンスなのでしょうね。

僕はactの映像を観ていないので状況はよく分からないのですが、この曲ではいったん「演奏終わったかな」というお客さんのフライングがあって、そこからドドドド~ともうひと盛り上がりあるじゃないですか。
今聴いていると、そのエンディングと同時進行で何やら舞台が動いているような感覚を受けます。
『大悪名』で曲のエンディングの間にセットが変わるシーンが何度かあり、僕はたぶんそれを「王様の牢屋」の荘厳なエンディングに重ねて聴いているのです。
ですからそれは「今まで(『大悪名』観劇以前)は感じていなかった」聴こえ方になっているということ。

このように、物語や曲調は全然違うのに、今の僕にとって「王様の牢屋」は何故かジュリー最後の音楽劇『大悪名』の様々なシーンを思い出しながら聴いてしまうactワルツ・ナンバーとなっています。
『BORIS VIAN』はactの中でも特にワルツ率の高い作品で、CDでは「気狂いワルツ」→「原子爆弾のジャヴァ」→「王様の牢屋」とワルツの曲が続いています。
ワルツって不思議な既視感があって、「何かを思い出す」脳の働きを刺激するリズムなのかなぁと思います。ジュリーが少年時代から心に残る歌として「美しき天然」を挙げているのも、ワルツのリズムに導かれる郷愁なのではないでしょうか。

僕はたまたま今回「王様の牢屋」を聴いて、観劇したばかりの『大悪名』を思い出しているわけですが、先輩方はこの曲を聴くとどんなことを思い出すのでしょう。
やっぱり生で観劇された『BORIS VIAN』でのワンシーン?それとも同年のツアー『単純な永遠』のこと?
いずれにしましても、新規ファンの僕としてはただただ羨ましいばかりです・・・。


それでは次回更新は・・・昨年と同じく、今年の”act月間”締めくくりのお題をジュリーのお誕生日に捧げたいと考えています。
今月から来月頭にかけてはちょっと予定が立て込んでいて(男性タイガース・ファンの先輩であるYOUさんのLIVEに行ったりします)、じっくり下書きする時間も無いのですが、なんとか6月25日の更新を目指し、「これぞジュリー!」という大好きなactオリジナル・ナンバー(加藤さん作詞、cobaさん作曲)を採り上げます。もちろんcobaさんのアコーディオンも大活躍する名曲ですよ~。

それが終わったら次は7月。
デビュー50周年の全国ツアーに向けて、”全然当たらないセットリスト予想”ならぬ”全力で外しにいくセットリスト予想”シリーズに突入の予定です。
今回ばかりは「外す方が難しい」ですからねぇ。でもそれは逆に、「全力で外しにいったのに当たっちゃった!」みたいな結果を実は期待しているわけで、当然ながら「是非聴きたい」曲ばかりを書くということなのです。

最後の音楽劇が大成功で閉幕し、今ジュリーファンは次なる大きな楽しみ・・・全国ツアーのチケット到着・第1弾を心待ちにしているところですよね。
例年のように、まずは8月までの公演のチケットが届けられるのでしょうか。到着は今月末か、来月頭か、もうちょっとギリギリになるのか・・・本当に楽しみです。
あまりに楽しみ過ぎて、早々に8月までの各会場のサイト様へのリンクなどサイドバーに貼ってみましたが、実は「五所川原」だけ座席表のページを見つけられないんですよ。僕の探し方が悪いのかなぁ?

とりあえずジュリー69歳の誕生日まであと数日、今年の拙ブログ”act月間”ラスト1曲の考察に全力でとり組みます。よろしくおつきあいのほどを・・・。

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2017年6月14日 (水)

沢田研二 「丘の上の馬鹿」

from『act#5 SHAKESPERE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

---------------------

『大悪名』はどんどん進化しているようです。
公演も残り少なくなり、「最後の音楽劇がもうすぐ終わってしまう」と思うと寂しいですね・・・。

僕の観劇は今週末ですが、実は先の土曜日にカミさんがひと足早く観劇しまして、いろいろ話を聞いて僕もちょっとストーリーをネタバレしてしまいました。
ジュリーについては「坊主と言うよりスキンヘッドだけど、意外やすごくカッコイイ。頭の形がエエのは当然として、耳の形がキレイなんやな」とのこと。
あと「ジュリーは和服系が似合う!いっそツアーの衣装も和服じゃアカンやろか」と斬新なことも言ってましたがそれはさすがにナイですよね(笑)。

さて、拙ブログ今年のジュリー誕生月記念”act月間2017”3曲目のお題は、『SHAKESPERE』から。
この作品は僕が普段からよく聴く洋楽ロックのカバーが演目の中心ですからCD初聴時からとっつき易く、なおかつジュリーのヴォーカル、加藤直さんの日本語詞やcobaさん達の演奏も「うわっ、あの曲がこうなるのか!」と衝撃大で、その後のリピート率も高いです。
その中から今日採り上げるのはビートルズのカバーで「丘の上の馬鹿」。
原曲「THE FOOL ON THE HILL」(以下、邦題の「フール・オン・ザ・ヒル」で記していきます)はAメロ、Bメロが長調、サビが同主音の短調というポール得意の近親移調が炸裂する大名曲。ポールの作曲作品としては音域がさほど広くなく、最高音も高い「ファ#」ということで、actのジュリーはポールと同じキーのニ長調(サビはニ短調)で歌っています。

思索的な歌詞を加藤さんがどう「進化」させたのか、cobaさんはじめ演奏陣の解釈、アレンジの妙など、原曲をよく知っているだけに考察ポイントも多い1曲です。
張り切って伝授!



Shakes4


「フール・オン・ザ・ヒル」は今年のポール・マッカートニー来日公演でセットリスト入りしていて、僕は今回5度目の参加となるポールのLIVEで初めてこの曲を生体感することができました。今までは何故か当たっていなかったんですよね。

5月の『あさいち』(ゴダイゴの浅野孝巳さん+お馴染み依知川さんのユニット)LIVEのMCでもポール来日公演の話がありましたが、お2人とも「今回は行かなかった」と(浅野さん曰く「でも、タケカワとミッキーとスティーヴは行った」とのこと。その3人ならきっと武道館に行ったんだろうなぁ)。
参加しなかった理由について浅野さんは「あんまり変わらないと思って・・・」ということなんですが、実は僕も今回は浅野さんと同じ気持ちがあって、当初は参加するつもりはなかったのです。
ポールってあんまりセットリストをいじらないんですよ。もちろん多少は入れ替えてくるんですけど、まぁ今回も想定の範囲内であろう、と。贅沢なセトリが実現したとしても、それは武道館(チケット代が東京ドームとは比較にならないくらい高過ぎて、僕ではとても参加は無理)の1日だけなんだろうなと思って。

でも、カミさんの友人にお誘い頂いたこともあってドームの初日に参加したら、これがとんでもなく素晴らしいセトリでね~。今回ばかりは武道館よりドーム初日の方がレア度が高かったんです。ウイングスの「ワインカラーの少女」なんて、結局この日しかやってない(現時点で日本ではこの1度きりしか歌われていない)ですから。
加えて個人的に初体感となる曲・・・「ジュニアズ・ファーム」「テンポラリー・セクレタリー」「ユー・ウォント・シー・ミー」など全部で11曲もありまして大興奮。そのうちの1曲が「フール・オン・ザ・ヒル」でした。

Thefoolonthehill

↑ バンドスコア『マジカル・ミステリー・ツアー』より


この、詞曲ともに大好きなビートルズ・ナンバーとのactでの出逢い・・・鮮烈でした。
『actCD大全集』歌詞カードのクレジットは普通に「レノン=マッカートニー」ですが(ビートルズの曲はジョンの単独作品、ポールの単独作品についてすべてそのように表記されます)、「フール・オン・ザ・ヒル」はポールの単独作です(一方で、『SHAKESPERE』収録のもうひとつのビートルズ・ナンバー「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」はほぼジョンの作品とされます)。

ジョンの死後にリリースされたポールのアルバム『タッグ・オブ・ウォー』の頃だったでしょうか、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンが「ポールは、自分ではそうは思っていないが優れた作詞家だ」と語っているのは、ビートルズ時代の「フール・オン・ザ・ヒル」をはじめとする名曲群(個人的にこの曲の他にポール作詞のビートルズ・ナンバーで好みなのは「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」と「ロッキー・ラクーン」。一般的には「エリナー・リグビー」の詞が「フール・オン・ザ・ヒル」と共に高い評価をされているようです))を念頭に置いての言葉だったでしょう。

世の真理を見抜いた一人の男が、その発見を誰からも支持されずむしろ虐げられ、今日も丘の上でただひとり世界が周り続けているのを眺めている・・・ポールのこの詞は、世界で初めて地動説を唱え断罪されたガリレオ・ガリレイにインスパイアされ、彼の孤独な蟄居生活を描いたものと言われてきました。
Wikiにもそう記してあるんですが、ポール自身は「誤解されやすい人のことを歌った」と語っているそうで(『ザ・ビートルズ全曲バイブル』より)、真偽は微妙。
ただ、ガリレオのことを歌った曲と念頭にして聴くと詞の味わいが一層増す名篇であることは確かです。

『SHAKESPERE』の舞台でこの名曲がどのように(詞のコンセプト含めて)ストーリーに噛んでくるのかと興味津々ですが、それは個人的に「老後の楽しみ」としてとっておいてあるact映像鑑賞の日まで待つとしまして、ここでは加藤直さんの日本語詞とポールの原詞を比較をしてみましょう。
全体のコンセプトはポールの詞と変わっていませんが、面白いのは加藤さんのヴァースが「新書き」部と「翻訳」部にきっちり分かれていることです。具体的には、ポールのオリジナルをほぼそのまま日本語訳しているのが2番、コンセプトは変えずに新たなストーリーを組み立て言葉と表現を書き下ろしているのが1番。

今日も 空に梯子
D6         Em7(onD)

立てかけて男が登って行く
      D6                Em7(onD)

一体何をするんだ 男が答える 星をつみにさ
   Em7       A7         D6     Bm7   Em7     A7

みんな笑うけど 男は大真面目
         Dm             Dm+5

ごらん あんなに 星にとどくほど ♪
      C7                   Dm         Dm7

素晴らしい!
もちろん表現的にも素晴らしいのですが、ポールのオリジナルとは全然違うシチュエーションなのに、「フール・オン・ザ・ヒル」という楽曲の世界観、ひいてはポールの作詞の本質をまったく変えていないという、それが素晴らしいのです。
これは既に記事を書き終えているドアーズ原曲の「私は言葉だ」やクイーン原曲の「I am the champion 孤独な」についても同じことが言えるんですけど。

ポールの詞には「フール・オン・ザ・ヒル」に限らず、難しい単語はほとんど出てきません。しかしその単語ひとつひとつを綿密、丁寧にメロディーに載せてしっかり発声する、その几帳面なまでの発声が詞の世界を昇華させるというのがポールの特性です。言葉や物語が「歌」に集約されることこそが前提というわけですね。
そしてこれは、歌手・ジュリーの特性と本当によく似ているのです。
ジュリーの歌の素晴らしさは、声質や音程に加えてその発声・・・メロディーに載った言葉が聴き手の耳から脳にグッと入ってくる瞬間の魅力があるのです。
加藤さんは、そんなジュリーとポール共通の特性をきっと見抜いていたと思いますよ。

ジュリーも加藤さんの日本語詞を一語一語丁寧に発声していますよね。
英語の原曲とはずいぶん語感も違ってくる中で、メロディーを
大事に歌うのが伝わってきます。その抑揚にはまやかし、誤魔化しが一切ありません。
ジュリーにとって(ポールにとっても)それが「歌」というものなんだろうなぁ、とactの「丘の上の馬鹿」には改めてそんなことを教わる思いです。

あと、歌詞とメロディーの一致、「歌」への集約ということで言えば、ポールがこの曲でニ長調からニ短調への近親移調を採り入れたことには理由があります。
オリジナルの詞は冒頭Aメロからサビへと向かって「1日」が経過していきます。まずは朝陽が昇り、主人公が丘の上から「世界が廻る」のを見つめ続けているうちに1日が終わり夜になる、と。
「夕暮れ」の切なさ、「夜」の孤独・・・それらを表現するために、サビのメロディーは短調へと変わらなければならないんですよ。
加藤さんの日本語詞、ジュリーのヴォーカルは見事その「詞曲一致」を体現していると思います。もしかすると劇中で「丘の上の馬鹿」が歌われるシーンでは、サビで照明が徐々に暗い色へと変わってゆく・・・そんな演出があったのかもしれないなぁと僕は想像しているのですが、さて実際どうなのでしょうか。

2番サビでのジュリーのヴォーカルには、まるで3連シャッフルのようなリズムを感じます(『単純な永遠』収録の「不安にさせよう」みたいな感じ)。
これはおそらくバックで後ノリのニュアンスを出しているゲタ夫さんのベースとPONTAさんのドラムスに呼応しているのでしょう。初日からこうだったのではなくて、公演を重ね進化し辿り着いたヴォーカル・スタイルなのかなぁと考えています。

演奏で印象深いのは、やはりイントロからこの名曲をリズムの面でも和音の面でもリードするcobaさんのアコーディオンです。
ポールが「フール・オン・ザ・ヒル」について「父親の部屋のピアノでD6の和音を鳴らしていたらインスピレーションが沸いた」と話している、その「D6」。ニ長調のキーで「シ」の音が鳴っているというのがこの曲の伴奏の肝で、もちろんcobaさんもそうしていますが、原曲のピアノとはまた違った雰囲気になっていて。
アコーディオンの音ってすごく柔らかいですよね。原曲でのポールのピアノの場合「じゃん、じゃん、じゃん・・・♪」と4拍子連打のガッチリしたイメージで聴くところ、アコーディオンは裏拍から入っていくようななだらかさがあって、それでゲタ夫さんとPONTAさんが後ノリのニュアンスで演奏しているんじゃないかな。
また、原曲ではリコーダーとフルートが活躍するアレンジですが、act「丘の上の馬鹿」単音ではチェロとギターがそれぞれ新たなフレーズで優しく装飾しています。
シャキシャキとした「フール・オン・ザ・ヒル」、優雅な「丘の上の馬鹿」・・・これが僕の2つのヴァージョンから受ける演奏の印象の違い。
ただし、優雅と言ってもどこか寂しい、切ない感じがするのは原曲のメロディーそのものの魅力でもあり、ジュリー・ヴォーカルの対応力と説得力でもあり、加藤さん独特の語感でもあるのかなぁと。

『SHAKESPERE』には「私は言葉だ」であったり「I am the champion 孤独な」であったり、或いはcobaさん作曲の「愛しの妻と子供たち」のように、日本語特有のゴツゴツした語感がメロディーに載っているのをジュリーの発声で生かす、という手法が目立ちます。
加藤さんの技であり、『SHAKESPERE』という舞台の狙いでもあるでしょう。
いつになるかは分かりませんが、僕が改めてactの映像を勉強しようという時、一番最初に観るのはたぶんこの『SHAKESPERE』になるんじゃないかな。
今CDだけで聴いても大変な名盤と思っていますが。


それでは次回更新は、おそらく1週間ほど間隔が開いてしまうかと思います。
というのは・・・僕は今週末にいよいよ『大悪名』を観劇します。音の面で何と言っても楽しみなのは、初めて生で体感することになるcobaさんのアコーディオン。
実際にcobaさんの演奏を聴いて感動し触発されるところは必ずあるはずで、そこで閃いたactナンバーをお題に選ぼうと考えているのです。
バラードになるのか、ビート系になるのか。カバー曲になるかcobaさん或いはジュリーの作曲作品になるか・・・今は自分でもまったく想像できませんが、そんなことも含めて観劇を楽しみにしているところです。
もちろん記事冒頭で舞台の感想、ジュリーのマルガリータ・インパクトの話も交えながら、という内容になると思います。よろしくお願い申し上げます!

こちら関東は今週ここまで涼しい日が続いていますが、明日あたりからまた暑くなりそうで、週末の予想最高気温は25℃超え。
なんとか万全の体調で観劇当日を迎えたいものです。みなさまも充分お気をつけください。

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2017年6月10日 (土)

沢田研二 「量見」

from『act#9 ELVIS PRESLEY』、1997

Elvis1

1. 無限のタブロー
2. 量見
3. Don't Be Cruel
4. 夜の王国
5. 仮面の天使
6. マッド・エキジビション
7. 心からロマンス
8. 愛していると言っておくれ
9. Can't Help Falling in Love
10. アメリカに捧ぐ
11. 俺には時間がない

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昨日あたりから、またまた暑くなりました。
気温と天候の目まぐるしい変化についていけず、この季節恒例の風邪をひいてしまったDYNAMITEです。寝込むほどのことはありませんが、喉の軽い痛みなどの症状が出ています。
遂に『大悪名』池袋公演も始まりましたし、早く体調を戻さなければ・・・みなさまは大丈夫ですか?

風邪のせいかどうかは分かりませんが、先日仕事の外回り途中で大失態をやらかしましてね・・・。
移動中の電車で眠りこけてしまい、ちょうど目的駅で目が覚めて慌てて降りたんですね。
改札抜けたあたりで「あっ!」と。
持ち歩いていた封筒を座席に置き忘れてきたのです。請求書だのキャラクター商品の許諾シールだの、仕事関係の重要な書類一式を入れていた封筒でしたから、サ~ッと血の気が引いていきました。
すぐ駅員さんに届け出て、自分の記憶通りに
「進行方向前から2両目か3両目」
と座席位置を説明して捜索をかけて貰ったんですが、「見つからない」と。駅員さんは進行先の各駅にも届け出がないか電話をかけまくってくれまして、それでも今のところ該当する届け出も無いとのこと。
僕が悄然としておりますと駅員さんは、「その電車があと20分ほどしたら折り返してこの駅に戻ってきますから、念のため一緒に探してみましょう」と言ってくださり、電車の再到着を待ちました。やがて電車が来て一緒に探しましたがやはり見つかりません。
僕はもう「大変なことをやらかしてしまった。どう責任をとればよいのか・・・」と途方に暮れるばかり。ところが駅員さんは「一応、反対側の車両も見てみましょう」と言って全速力でダッシュして探しにいってくれて・・・見事そのまま座席に置いてあった封筒が見つかったんですよ、僕の記憶とは間逆の車両に。
もうね、電車の端から端までダッシュしてくれた親切な駅員さんには感謝しかなく「日本はいい国だなぁ」とか思うわけですが、それにしても酷いのは僕の記憶です。
いや、正確には記憶ではなくて「空間把握能力」。

同じハンデを持つ人なら分かってくださると思いますが、僕は酷い方向音痴で、道を間違う時は必ず間逆に間違います。これは自分の位置移動を正しく把握できないということなのです。
例えば、初めてビル屋内のお店に入ったら、僕は必ず自分が入ってきた方向とは正反対の方角に向かって店から出ようとします。ふざけているんじゃなくて、本当にそっちから入ってきたような気がするのです。
それにしても、電車を降りて階段登って改札グルッとしただけで、自分が電車の進行方向前に乗っていたか後ろに乗っていたかという記憶まで引っくり返るとは。
方向音痴のみなさま、もし今回の僕と同じようなケースに遭遇したら、「前から2、3両目もしくは後ろから2、3両目のいずれか」と申し出ましょう!

いやいや、くだらない枕を長々と失礼しました。

さて今年もジュリーの誕生月に張り切って書き始めた”actお題月間”・・・まず前回「美しき天然」を採り上げたわけですが、いやぁ昨年同様に記事を書き終えてから先輩方から教わることが、本来楽曲考察上とても大切なことだったりしましてね。
どうやら今年も濃密な勉強のひと月になりそう。またそれが僕にとってはすごく嬉しいことなのです。
普段から「伝授!と言いながら実はみなさまから逆伝授を受けている」スタイルがもう隠しようもなくなってきている拙ブログですが、そのぶん気合とジュリー愛だけはたっぷり込めて頑張ってまいりますよ~。

さて今日のactは『ELVIS PRESLEY』です。
採り上げるのは、有名なロックンロール・スタンダード「ハウンド・ドッグ」のカバーにして、ジュリー本領発揮の「らしい」訳詞とブッ飛んだヴォーカル・・・actならではの「ジュリー・ナンバー」として大好きな1曲です。
「量見」、伝授!



Elvis2


前回「美しき天然」の記事に続き、今回もまたまたヒヨッコDYNAMITEの「恥ずかしながらつい最近知った」話から始めなければなりません。
act『ELVIS PRESLEY』でゴキゲンな演奏を聴かせてくれる女の子バンド・・・彼女達が同年の全国ツアー『サーモスタットな夏』にコーラス隊として登場する”BOKE BOKE SISTERS”であったことを、僕は今年の2月に初めて把握しました(←遅過ぎますよね汗)。
『ELVIS PRESLEY』と『サーモスタットな夏』が同じ年であったことは頭に入っていたのに、まったく結びついていなかったという。いや、教わったことはあったのかもしれないけど、全然分かってなかったのかな。
僕は今でも、ジュリーファンなら当然の知識を改めて知りビックリする、ということが頻繁にありますがそれにしてもこれは酷い。
GRACE姉さんがバンドメンバーとなる前にBOKE BOKE SISTERSのオーディションを受けていた、という話は以前教えて頂けていましたが、僕はそれを

『サーモスタットな夏』の全国ツアー各公演にバンドと一緒に同行するBOKE BOKE SITERSなる女性コーラス隊の結成オーディション


だと思い込んでいたわけです。
ちょっと考えたらそんなワケ分からない話があるはずがない、と気づくはずですが・・・いやはや情けない。
2月に、いつもお世話になっている先輩に食事に誘って頂いた際たまたまそんな話が出て、僕が「ああっ、そういうことだったんですね!」と驚いていたら、その先輩だけでなく一緒にいたカミさんからも「えっ分かってなかったの?」と呆れられましたよ・・・(滝汗)。
それはさておき(いや、さておいてはイカンのですが)、cobaさんがアレンジ・プロデュースに専念し、『ELVIS PRESLEY』の伴奏陣を女の子ロック・バンドに託した、というのは素晴らしいアイデアです。演奏と共に「お姉ちゃんコーラス」にも重点を置いたわけですね(さらに、曲によってギタリストが鍵盤も担当できる、というのも重要な選考基準だったと思われます)。
50歳手前のジュリーが華やか、賑やかな女子バンド・メンバーを従えて歌う・・・それがactならではの「エルヴィスの一生を描く」意味を深めていると感じます。

『actCD大全集』に収録されているエルヴィスのカバーについては僕の知らなかった曲もいくつかありますが、「量見」のオリジナル・ナンバー「ハウンド・ドッグ」はさすがに知っていました。「エルヴィスに似ていないものはロックではない」というブライアン・セッツァーの名言をこの1曲に集約できるほどの、本当に有名なロックンロール・スタンダードですからね。
手元にはスコアもあります。


Hounddog

↑ 『50-60 ロックンロール・アゲイン』より


僕はプレスリーを生で聴くというのは世代的にも叶わぬことでしたが、「ハウンド・ドッグ」という楽曲自体は別のバンドの生LIVEで体感したことがありますよ。
ピンと来た人も多いでしょう。そう、この曲は瞳みのる&二十二世紀バンド2015年の全国ツアー『Let's Go カキツバタ』で、セットリスト前半を締めくくるナンバー(スタンディング・ヴォーカルのピーが演奏終了よりひと足早く踊りながらステージを後にする、という楽しい演出がありました)として採り上げられたのです。

act『ELVIS PRESLEY』では、添付したスコアの冒頭解説にあるブルース・トーンのコーラス・ワークを女声でバッチリ決めてくれています。
女子のバンドがロックンロール特有のルーズな(←それが良い!)コーラスを担う・・・これは本当にカッコイイです。先述した二十二世紀バンドもメンバーに女性2人がいるので、同じようにゴキゲンなコーラス・ワークが楽しめたことを今改めて思い出したり。

バンドに任せていた部分も大きいかとは思いますが、おおよその輪郭を提示していたであろうcobaさんのアレンジはズバリ王道。
エンディング、いったん終わると見せかけテンポを落とし3連ロッカ・バラードのコーダへと移行するのはエルヴィスも同じですが、締めくくりに採り入れた進行は
「C→C7(onE)→F→F#dim→G7+9」
「ド~ド、ミ~ミ、ファ~ファ、ファ#~ファ#、ソ♪」という音階移動はみなさまも何となく「あ、このパターンあるよね」と聴き慣れているはずです。
ちなみに、このロックンロール・エンディングお馴染みの進行を、サビメロのド真ん中に配したジュリー・ナンバーが1曲存在します。白井良明さん作曲の「GO-READY-GO」です。

恐れの中に 飛び込む勇気だけが
C        F      C                  F

難関突破   できる
C   C7(onE)  F    F#dim

生きるためならダイ ブ ♪
G                   E♭  C


↑ この曲のオリジナル・キーはト長調ですが、「量見」と比較しやすいようにハ長調に移調して表記しています。

「難関突破できる♪」の箇所です。
こんな使い方・・・少なくとも僕はジュリーの「GO-READY-GO」しか知りません。世の音楽のほとんどの進行例って、ジュリー・ナンバーだけですべて勉強できてしまうんじゃないかと思ってしまいます。actの曲について書いている今、それは一層思うところですね。

しかしまぁ、「量見」の場合は何と言ってもジュリーのあの物凄いヴォーカルにつきますわな~。

俺は名もねえ猟犬 あんたのもん
C

手前勝手な量見 持っちゃいねえ
                F7                    C

上眼使いで あんたの指図を待ってる ♪
      G7                     F7               C

僕は現時点ですと『actCD大全集』の中で一番のお気に入りは『SALVEDOR DALI』、僅差で『NINO ROTA』『SHAKESPERE』あたりが続く感じですが、もちろん『ELVIS PRESLEY』も大好きで、初めて聴いた時(本当に、軽い気持ちで聴き始めてしまったのですが)のジュリー・ヴォーカルのインパクトは忘れられません。CD冒頭の3曲「無限のタブロー」「量見」「Don't Be Cruel」の流れには本当にヤラれました。
ジュリーのヴォーカル、3曲それぞれ歌い方が全然違いますでしょ?

「無限のタブロー」のようなヴォーカル・スタイルはジュリー・ナンバー唯一ですし、「Don't Be Cruel」の正にプレスリー直系のロカビリー・スタイルは他のジュリー・ナンバーに「MAYBE TONIGHT」くらいしか見あたりません。
そして「量見」。ドスの効いたシャウト、ねじ伏せるような発声で歌うロックンロール・・・これまた他のどのジュリー・ナンバーとも違う、と感じます。敢えて言えば「ゴー・スージー・ゴー」のライヴ・ヴァージョン(たまたまですが最近「凄ぇ!」と思いながら聴き直したばかり。『愛をもとめて』でかけてくれていたんです)が近いですけど、やはり20代半ばと40代ラストイヤーではジュリーの声質も発声のテクニックも大きく異なります。
ブルースや3連ロッカ・バラードでよく似た発声のナンバーはあるにせよ、ロックンロールでこの歌い方というのがね~。ジョンなら「ロックンロール・ミュージック」、ポールなら「のっぽのサリー」、ジュリーなら「量見」。これが僕の中でのロックンロール・スタンダードのカバー名演、ヴォーカリスト・ベスト3ですよ。

あとはジュリー自身による訳詞の面白さです。
actでのジュリーの作詞や訳詞は、同年リリースのオリジナル・アルバムと比較するとギャップが激しいこともまた魅力ですけど、「量見」についてはいかにも『サーモスタットな夏』の年のジュリー、って感じですね。

オリジナルの「ハウンド・ドッグ」は「猟犬」と「女たらし」のダブル・ミーニング。「猟犬」を軟派な女たらし野郎に見立てて、硬派な主人公(歌い手=プレスリー)が「猟犬」をコキ下ろすという内容です。
一方ジュリーは自らが演じるプレスリーを「猟犬」に見立てます。「猟犬」転じて「量見」の発音連想は今現在のジュリー作詞手法の根幹とも言うべきもの。
「量見」の場合はユーモラスながらも歌詞全体の言い回しには潔い気骨があり、「俺はただでは終わらんぞ」という展開がジュリーらしいプレスリー解釈です。

前に書いた「無限のタブロー」の考察記事でも触れたのですが、「いざ間奏!」のジュリーのシャウトが「がおっ!」と言うんですよね。これが最高にカッコ良い!
「ナメてたら噛みつくぞ!」みたいな感じ。
ロックンロール間奏間際のシャウトは普通なら「アオッ!」とか「カモン!」、はたまた「ゲリロン!(get it on)」とか言うところ、「量見」の「がおっ!」は「無限のタブロー」での「わっは~!」と共に物語(歌詞)的に必然性があり、actの舞台でなければ実現しなかったジュリーのシャウトを引き出しています。
さらに言えば「量見」はジュリー自身が訳詞だからこそ、そのシャウトが素晴らしいのですね。
ロックンロールそのものの捉え方でプレスリーを見ている・・・噛みつく相手である「あんた」は当然「体制」或いは「権力」ということになりましょう。

act映像未体験の僕はどうしても『actCD大全集』それぞれのディスクを「ジュリー渾身のヴォーカル・アルバム」のようにして聴いてしまいます。ですからactのコンセプトへの理解自体はまだまだ浅いとは言え、ジュリーの「声」の無限の拡がり、普段は(オリジナル・アルバムの時には)見られない、それぞれの楽曲に特化した発声を堪能することはできていると思います。
「ヴォーカル・アルバムとして捉えたactのディスク」の意味で『ELVIS PRESLEY』は大変な名盤です。
演奏も「軽さ」「隙間」の魅力が全開で、ハードな音圧を好む人は肌が合わないかもしれないけれど、個人的にはこういうロックは大好物。
みなさまはいかがでしょうか。


では次回更新は、これもまた「洋楽カバー」のお題を予定しています。
今日はプレスリーでしたが今度はビートルズです。実は僕はそのお題予定曲を、今年になって初めて生で体感したんですよ。もちろん4月のポール・マッカートニー来日公演で。
今までなかなか参加当日のセットリストで「当たらなかった」曲・・・ポールのLIVE5度目の参加にしてようやく聴くことができ、その時「よし、6月のact月間の時にこの曲を書こう!」と決めていました。

僕はビートルズの話になると勢いがつき過ぎていつも以上に大長文となる傾向がありますが、なんとか今日くらいの文量におさまるようにしたいと思います。
どうぞお楽しみに~。

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2017年6月 5日 (月)

沢田研二 「美しき天然」

from『act#8 宮沢賢治/act#10 むちゃくちゃでごじゃりまするがな』、1998

Miyamutya1

『宮沢賢治』(1996)
1. 異界
2. 運命 雨ニモ負ケズ
3. アラビアの唄
4. ポラーノの広場のうた
5. 星屑の歌 ~スターダスト
6. 百年の孤独
7. 私の青空
8. 笑う月
『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』(1998)
1. 美しき天然
2. ボタンとリボン
3. おなかグー(セ・シ・ボン)
4. 世の中変わったね
5. 君待てども
6. トンコ節
7. け・せら・せら(ケ・セラ・セラ)

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ちょっと更新間隔が開きました。
6月です。今年もジュリーの誕生月がやってきまして、拙ブログでは昨年同様この6月を”act月間”とし、act全10作品の中からジュリーが歌った名曲群をランダムに採り上げていくことにしました。
『大悪名』観劇もあるので、月の後半はその感想なども交えながら、という感じになりましょう。

まぁ相変わらず映像を観ていない状態のまま(汗)、CD『act大全集』に収録されたものの中から、あくまで楽曲に特化した片手落ちの考察記事です。
どのジュリー・ナンバーについてもそうなんですけど、僕のブログはコメントなどで先輩方から色々と教えて頂いて初めて「記事完成」と言える類の考察だと思っています。特にactはその意味合いが強く、昨年もcobaさんの「SARA」楽曲誕生秘話など教えて頂いたりしまして、記事を書き終えてから「おおっそうだったのか!」と気づかされる重要なポイント、逸話がたくさんありました。
今年もそうなるであろう、と期待して(甘えて)おります。

さて、「映像未体験」とは言ってもほとんどの作品については『act大全集』の曲の流れを追っていけば「あぁ、この曲はきっとこんなシーンだな」とか「こんなことを歌っているんだな」とか予想だったり妄想だったりできてしまうわけですが、ただひとつの例外、それが98年の『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』です。CDを聴いてもお芝居の内容やコンセプトがまるで想像できません。
そもそも他作品はすべて実在人物がタイトルになっているのに、act最後の10作目にしてこれは一体?

収録曲を俯瞰して言えるのは、ジュリーの作詞の面白さであったり、cobaさんのアコーディオンとNAOTOさんのヴァイオリンというシンプルな構成ながらバリバリの緊張感で奏でられる演奏の素晴らしさ。
そして何よりこれはあの『ROCK'AN TOUR '98』と同じ年の作品ですからね。ジュリー・ヴォーカルのキレ、情感、躍動感についてはそりゃ間違いはないわけで。

『act大全集』としては1枚のCDに『宮沢賢治』とダブル収録ながら、『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』の1曲目としてクレジットされたカバー曲「美しき天然」・・・今日はこの曲をお題に採り上げ、ジュリー自身がこの曲に幼少時からの思い入れがあったことなどにも触れながら、色々と書いてみたいと思います。
僭越ながら伝授!



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「美しき天然」はとても有名な曲・・・なんですよね?
本当に恥ずかしいことなのですが、僕がこの曲を知ったのはつい数年前・・・2012年でした。
その年の新譜『3月8日の雲』がリリースされ、戦慄と感動のままにSNSで次々に叫んでいた中で、「カガヤケイノチ」について「本当に厳かで美しいワルツ!」といった感じのことを書きましたら長崎の先輩が反応してくださって。「ジュリーはワルツが好きなのよ」と。
子供の頃からジュリーは「美しき天然」が好き、という有名な話があるとのことでしたが、僕は「美しき天然・・・なんでしょうかそれは?」状態だったという(恥)。

「有名な曲なのかなぁ?」と思い、翌日出社してスコアを探してみたわけです。
勤務先からは『日本叙情歌全集』という、全4巻全700曲に及ぶブ厚い(それぞれの巻が、ちょうど『忘却の天才』ブック・パッケージくらいの背圧)歌集を発売しています。僕の入社前から現在に至るロングセラー商品なのですが、何とその第1巻の1曲目に収載されているのが「美しき天然」でした。


Tennen

↑ 『日本抒情歌全集①』より

これすなわち、「超」がつく有名曲であることの証。
おそらく僕より少し年長、そこから上の世代の日本人ならば知らない人はいないであろう楽曲なのでしょう。いや、僕の世代でも知ってる人の方が多いのか・・・でも僕の小中学生時代にこの曲が音楽の教科書に載っていた、ということは無かったと思うなぁ。

で、スコアを眺めているうちに「あれっ、そう言えば”美しき天然”という字面にはジュリーの資料絡みで見覚えがあったはずだぞ」とビビビッと来ましてね。
今度は帰宅してから、多くの先輩方からお預かりしている切抜き資料を漁りまくり(笑)。
結果、2つの資料が見つかりました。
もちろんそれ以前に目を通していた資料でしたが、「美しき天然」なる曲を知らなかったため、その箇所については頭に残っていなかった、というわけ。

まずはMママ様の資料で、これは何の雑誌ですかね・・・『沢田研二に直撃100問』という企画です。


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読者からジュリーへの質問を公募してジュリー自身がそれに答える、というね。
ただしこちらの資料は質問者であるジュリーファンの先輩方のお名前がバッチリ載ってしまっておりますので記事本文の添付は控え、「美しき天然」に関する箇所だけ書き出すことにしましょう。
「思い出に残る歌は?」との質問に、ジュリーはこんなふうに答えています。


(メロディーをつけて)ズーチャチャ、ズーチャチャっていう、あれ。(考えて)”美しき天然”だ。理由はないけど、心に残ってる。

歌詞ではなく、ワルツのリズムに旋律を載せて口ずさんだということですから、ジュリーにとっては「ワルツ」が少年時代の原風景なのでしょう。

続きまして、大分の先輩から授かりました2008年の『日本経済新聞』夕刊記事の切り抜きです。
こちらについては、「美しき天然」の話が出てくる箇所以外もすべて添付しておきましょう(1枚目のスキャンがうまくいっていません。ごめんなさい)。


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還暦を迎えたジュリーが自身のこれまでの人生を振り返った時に挙げられた曲・・・「美しき天然」がジュリーの大切な1曲であることは間違いありませんね。

実は僕は『act大全集』のCD『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』については、昨年この「美しき天然」1曲だけを聴いて「なんか難しそうだな~」と思いそのままになっていました。全収録曲を通して聴いたのはつい先日のことです。
1曲だけ聴いた際には正直、ジュリーのヴォーカルにさほど魅せられるという感覚はありませんでした。普段好んで聴いているロックとはあまりに異なるタイプの曲ですしね。
ところが今回他楽曲を把握し、その上でさらに1曲目「美しき天然」に戻って聴いてみますと・・・いやぁこれは素晴らしい歌声です。
「じっくり聴く」心構えというものが、1曲単体で聴くのと他収録曲を聴いた後で聴くのとでは全然違うように思われます。ほら、他の曲は結構コミカルな歌詞、曲調が多いじゃないですか。歌の途中でお客さんがドッと沸く声が上がったり、曲のイントロがお客さんの笑い声と重なっていたり(愉快なシーンを受けて演奏が始まっている、ということでしょう)・・・舞台の雰囲気が最初の「美しき天然」とは一変しているわけですよね。

『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』への先輩方のご感想も、その多くは「う~ん・・・」というものでした。
おそらくそれは、このヒヨッコにうまくその魅力を説明できない、とのお考えだったのかと今にして思うのですが、僕は「あぁ、actの中ではいまひとつ、というみなさんそんな認識なのかな」と思い込んでしまいました。
でも今年の始めに、敬愛する先輩のおひとりが『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』を大絶賛されている、と伝え聞きまして・・・それが今回actのお題探しでまずはこの作品のCDだけでも通して聴き込んでみよう、と考えたきっかけとなった次第です。

もしかすると『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』って、一度目の観劇より二度目の観劇の方が良い、という作品だったのではありませんか?
この作品を高く評価する先輩方が複数回の観劇をされたかどうかは分かりませんが、少なくとも僕は「美しき天然」のジュリーの歌の素晴らしさを、他収録曲を聴いた上で改めて、という段になるまで理解できませんでした。いや、これは僕の感性が鈍いだけかな?

耳朶を震わすジュリーの歌。僕がそこから思い描くのは、無数の稲穂が大きく揺れ動く風景です。ですからジュリーの声は「風鳴り」ですね。
元々「美しき天然」は「故郷」とか「幼い頃」を思い起こさせる曲だと思いますから、聴き手がジュリーの歌から描くものは、それぞれが持つ原風景によって異なるでしょう。無数の稲穂は僕自身の故郷の風景です。

ちなみに僕はつい先日まで曲のタイトルを「うつくしきてんねん」と読んでいましたが、どうやら一般的には「うるわしきてんねん」と読むようです・・・ってそれはたぶん常識、僕が知らなかっただけ(汗)。

ジュリーと縁深いヴァイオリニスト、NAOTOさんについても僕がお名前を知ったのは遅く(恥)、2011年のことでした。これまた仕事の話なんですけど、その年に勤務先でご本人監修のスコアを出版したのです(NAOTOさんのオリジナル曲をメインとした、ヴァイオリン・ソロ+ピアノ伴奏の三段譜)。
NAOTOさんが過去にジュリーと共演されていたことも、その時たまたまJ先輩から教わりました。
スコアは売れ行きも良く、今では第2弾のスコアも出版しています。


Naotoacousticduo


僕はNAOTOさんの演奏を生で観たことはありませんが、LIVEに行かれたことのある先輩のお話では「まるで柴山さんみたいだった」と。とにかく演奏しながらよく身体が動くのだそうです。wikiにもそんな説明がありました。ギタリストならそれはよくある光景ですが、ヴァイオリニストとなると珍しいですよね。
『むちゃくちゃでごじゃりますがな』の演奏もそんな感じだったのかな。参加された先輩方、いかがでしたか?

静寂を切り裂くようなイントロ・・・「美しき天然」でのNAOTOさんのヴァイオリンは曲の最初と最後でまったく表情が違います。凡人にはなかなか理解の及ばぬところなのでしょうが、優れた音楽家にとって「原風景」「故郷」とはまずこのイントロのような狂おしい、激しい旋律かきたてられ体現させるテーマなのでしょうか。
エンディングの音は逆に、ス~ッと宙へ溶けてゆくかのようで、お客さんがその音が消えるまで息を殺して舞台に集中する様子が、CDだけでも伝わってきます。
actの音源を録っているグローブ座は、公演の千秋楽なのでしょうか。舞台と客席の呼吸が「できあがっている」感じ。初日だとこうはいかないんじゃないかな?

狂おしいイントロはcobaさんのアコーディオンが始まると平穏へと転じ、「ワルツ」を意識させないまま進行します。僕レベルでは初聴だとジュリーの歌が始まるまで強拍、弱拍のニュアンスが掴みきれなかったのです。
ジュリーの話によればcobaさんは「目を閉じながら演奏する」ことが多いのだそうで(『大悪名』で確認できるかな?)、この「美しき天然」の演奏などはいかにも、と想像します。例えば「次のヴァースに行くよ!」という時のフレージングが一度たりとも同じではないという・・・cobaさんはその時その時で音とリズムに身を委ね、自然と目を閉じてしまわれるのでしょう。

空にさえずる 鳥の声
Cm               Fm    Cm

峯より落つる  滝 の音 ♪
Fm    Cm  G7   Cm G7 Cm

キーは原曲通りのハ短調で、まぁコードをとるなら上のようにスリー・コードになるのですが、「ド・レ・ラ♭」「レ・ファ・ソ」なんて構成の和音も登場しますし、あまりコードをふる意味はない曲なのかなぁと思います。

『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』は『actCD大全集』の中でも僕としてはまだまだ聴き込みが充分とは言えないながら、なかなか楽しそうな作品です。
アコーディオン、ヴァイオリンという最小限のアンサンブルが、実はactの妙諦なのかもしれません。主役がジュリーの歌なのですから。
映像は手元にありますのでいつでも鑑賞できますが、もう少し先になるかな~(老後の楽しみ?)。
どんな舞台なのか、『大全集』収録曲以外にどんな歌が歌われているのか・・・楽しみにしながら、まずはもっとCDを聴きこんでいこうと思います。

では”act月間”次のお題は、今日とはガラリと雰囲気を変えて「ロックンロール」を予定しています。
さぁどの曲でしょうか。お楽しみに!

今週の関東はグズグズした天気の日が多い予報ですが、みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。
お互い体調には気をつけて過ごしましょう。

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2016年6月25日 (土)

沢田研二 「I am the champion 孤独な」

from『act#5 SHAKESPEARE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

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無事、めでたき日に更新となりました。
ジュリー、68歳のお誕生日おめでとうございます!

Tgpic08

↑ 昨年に引き続き、「ありがとう、と言ってそうな若ジュリー」のショットを勝手に選び添付しました

今年も中野ブロードウェイの『まんだらけ海馬店』さんが「沢田研二 生誕祭り」を開催してくれるとのことで、今日は夫婦で中野まで出かけてきました。
今年の品揃えは、個人的には「珍しいものは高値で手が出せず、手ごろなものは既に持っている、見たことある」という状況ではありましたが、ジュリー等身大パネルと一緒に写真を撮ったりして楽しみました。
購入したのは『ペーパームーン』(2000年の方)のパンフレット、400円。これだけ何故か異様に安かったな~。ジュリーのショット、たくさん載ってるのに。


ジュリーも70越えまで、もうあと2年ですか・・・。
2009年の『PLEASURE PLEASURE』ツアーでジュリーが「ワタシの70越えを見届けてください!」と語っていたことを思い出しています。
その頃僕は本格的にジュリー堕ちして間もなかった時期でしたので、「これから10年近くもジュリーのLIVEが観られるのか。それをジュリーは約束してくれた!」と感動したものでしたが、いやぁ70越えどころか、まだまだこの先もお楽しみは続いていきそうですね。
ジュリー健在!は何よりの励み。この先のジュリーの変わらぬ健康と無事をお祈り申し上げます。
68歳の1年も、おいしいものがたくさん見つかりますように。ジュリーが望む世の中でありますように。


ジュリーはいつまでも若々しく元気でいてくれるけれど、その一方で今年は、個人的に思い入れを持つミュージシャンの訃報が相次いでいます。
先日、元ウイングスのギタリストだったヘンリー・マカロックが亡くなりました。
ウイングスのギタリストと言えば20代で亡くなってしまったジミー・マカロックの方がよく知られているかもしれませんが、ウイングス・ナンバーの中で「ギター・ソロ」に限って僕が最も感銘を受けた曲は、ヘンリーが考案し演奏した「マイ・ラヴ」のソロです。
パッと聴くだけだと風のように爽やかで耳馴染みの良いソロなんですけど、1音1音を拾っていくと、「これがバラードの音階なのか」と驚嘆することになります。スケールの使い方が特殊なのです。

ヘンリーの場合は僕は世代的に無理なこととは言え、こうして憧れのミュージシャンの訃報に接すると、「どうして1度だけでも生のLIVEで観ておかなかったのか」と後悔することばかり。ジョージ・ハリスンの時も、今年のデヴィッド・ボウイの時も。
そしてもうひとり・・・クイーンのフレディ・マーキュリー。
チャンスが無かったわけじゃないのに、僕はフレディの歌と演奏を生で体感できずじまいでした。

フレディ生誕70年にして没後25年の今年、クイーン+アダム・ランバートが来日します。
フレディ亡き今、「クイーンを観に行く」という感覚にはなれないのは事実だけれど、僕は彼等の武道館公演を観に行くことにしました。ブライアン・メイのギターとロジャー・テイラーのドラムスを胸に刻むために。
フレディへのリスペクト溢れるアダムのヴォーカルも、きっと素晴らしいでしょう。


さぁ、しめっぽい話はこのくらいで・・・今日は6月25日、おめでたい日なのですからね!
「じゅり枯れ」の厳しいこの6月、僕は「act月間」として更新を頑張ってきました。今日はいよいよその締めくくりのお題となります。

月はじめに「私は言葉だ」の記事で採り上げたact第5作『SHAKESPEARE』より、再び「原曲について語りまくることができる」名曲を選びました。
こんな難しい曲を堂々と自分の世界に引き込んで歌うジュリー、加藤さんとcobaさんの見事なact的解釈に僕は痺れっ放しです。

誰もが知るクイーン不朽の名曲のカバーで「I am the champion 孤独な」。僭越ながら伝授!



Shakes2


クイーンの原題は「We Are the Champion」。日本では「伝説のチャンピオン」の邦題で知られる、クイーンの特大ヒット・ナンバーです。
リリースから40年が過ぎてもまったく古さを感じさせない、正真正銘、空前絶後の名曲と断言できます。

Wearethechampions


↑ 『クイーン/スーパー・ベスト』より

シンコペーションのメロディーで「いきなりヴォーカルから」始まるパターンはフレディの得意技。
歌も演奏も非常に難易度の高い曲です。この曲をカラオケで流暢に3連に載せて歌える人を僕は見たことがありません。僕自身はと言うと、チャレンジする勇気すらありません(涙)。

8分の6の3連メロディーの抑揚がいかにもクイーン、聴き手がノッケから歌メロに引き込まれる原曲の魅力は、ジュリーの「I am the champion 孤独な」も同様です。出だしのヴォーカル一発のインパクトですね。
そこで重要なのが冒頭の「語感」だと僕は思います。
冒頭のメロディーに「伝説」というフレーズを当てた素晴らしいセンス。まずはそんな加藤さんの日本語詞について書いていきましょう。

伝説が    神話が
     Gm  Dm7       Gm  Dm7

まとわりつく  俺についてまわる
         Gm   Dm7                   Gm  Dm7      

やりきれない    たまらない
         B♭   B♭sus4      B♭  B♭sus4

ロマンチックな目で見ないで
        B♭         F7     Gm

お願いだから ♪
   C7         F       E♭(onF)  G


注:クイーンのオリジナル、ハ短調に対してジュリーは2音半下げのト短調でこの曲を歌っています。フレディの声域が常人離れして高過ぎるということですね。

部分的にはフレディの原詞を踏襲しつつも、これはやはりactならではの解釈による「作詞」に近い加藤さん渾身の名篇。その点は「私は言葉」と同じ。しかし「私は言葉だ」とは逆の意味で面白いのは、メロディーに載せる言葉の「数」です。
「私は言葉だ」では思いっきりメロディーの音節を逸脱してそのぶん音階も増えたり減ったりという箇所が多いのですが、「I am the champion 孤独な」では意外や原曲のメロディーに忠実だったりするのです。
フレディが早口で歌う箇所はジュリーも早口、トーキングっぽい箇所も同様です。加藤さんが、フレディの語感にまで徹底して詞を載せているわけですね。
しかも、とびきり刺激的な言葉で。

それを歌いきるジュリーがまた凄い。
ズバリ「I am the champion」なんてフレーズを歌って違和感が無い日本人歌手なんて他に誰もいませんよ。

この曲の加藤さんの詞をジュリーの歌で追っていくと、遅れてきたファンの僕は不思議に今現在のジュリーの音楽活動とのリンクを感じます。
僕は、決してファンに迎合しようとはしないジュリーの姿勢が大好きです。
それは心を閉じているとか、意地悪とかいうのとは違うと思います。稀に見る俯瞰力の持ち主なのではないでしょうか(まぁ、「天邪鬼」という面はあるにせよ)。

「褒められたら、そこに落とし穴がある、と思う性質ですよ」と語ったことがあるジュリー。
10代の頃から、ファンからの賞賛も周囲からの嫉妬も、他に比類ないほど浴び続けてきたジュリーのような人をしてこのような俯瞰力を持つ・・・驚くべきことです。その根幹の強さが「I am the champion 孤独な」の加藤さんの詞によって表現されているように、今僕はこの曲を聴いてしまうのです。

I am the champion 孤独な
C          Em              Am     F  G

闘争(たたかい)はやめない それでも
  C                            Em          F    C#dim

I am the champion I am the champion
Dm                       Fdim

淋しくはない     I am the champion
C      C7(onD)   E♭       F            Gm7

いつまでも ♪
      Cm

ジュリーにとって「ステージに立って歌う」のはもちろん楽しいことでしょうが、同時に「孤独な戦い」を続けてゆく宿命というものも感じ、立ち向かっているんじゃないかなぁ。特に2012年以降のツアーは・・・。

「孤独」はスーパースターの証。でもジュリーというスーパースターは「信じるな、夢を託すな」と、近寄り難いオーラを発し続けているように感じます。偉ぶってそうしているんじゃない・・・「真剣」なのでしょう。
生きることと歌うことが重ってくる。そんな歌手はそうはいません。真に王者・・・「champion」なんだなぁ。

さて、「I am the champion 孤独な」の演奏についてはどうでしょうか。
特筆すべきはポンタさんのドラムス。
ポンタさんが叩く3連符は独特のノリがあります(初めてポンタさんのドラムスで演奏された「君をのせて」をDVDで鑑賞した時は驚きました。これはYOKO君も同じこと言ってました)。ジョン・ボーナムともまた違う「後ノリ」のニュアンスがあり、とにかく重厚なのです。
ポンタさんは演奏途中に気合が乗ってくるとアドリブでロールを繰り出すことが多いんですけど、この曲の「2’23”」あたりで炸裂するロールは特に凄いです。普通に考えたら、オカズ入れるような箇所じゃないですし。

ドラムス以外だと、1番と2番の繋ぎ目(ここはクイーンのオリジナルをさらに過激に解釈したような斬新なアレンジになっています)のチェロがお気に入り。『SHAKESPEARE』の楽器編成は低音のチェロが黒子に徹しているのが素晴らしいと思いますが、ここは「ソロ」として魅せてくれます。
と言うかあまりに高度過ぎて、ジュリーがよく2番の歌メロにスッと入っていけるなぁ、という感動も大きいかな。このチェロのソロを配したアレンジは、クイーンのオリジナルとは印象が大きく異なりますね。


今、「伝説」とか「神話」とか褒められるとジュリーは「何言ってやがる」と思うのでしょう。でも、ファンとしては言いたくもなりますよね、こんな人を見ていたら。
クイーンの「We are the champion」の「champion」をさらにジュリーという歌手、演者に特化させての「I am the champion 孤独な」。「伝説のチャンピオン」という曲をアレンジも歌詞解釈も変えてカバーするなど、生半可な志のキャストでは無謀。
加藤さん、cobaさん、そしてジュリー。actって、とんでもなく奇跡的なキャスティングだったんですね・・・。



ということで。
ジュリー誕生月特別企画として頑張ってきた「act月間」の記事更新は、ひとまずこれにて終了。
まだまだ知らないこと、理解できていないことが多いactの楽曲考察に取り組むのは正直大変ではありましたが、先輩方に色々と教わる機会に恵まれ、「じゅり枯れ」の厳しいこのひと月があっという間に過ぎていきました。本当に新鮮で楽しい6月となりました。
ありがとうございます!
もし来年が今年と同じような感じのスケジュールだったら、またジュリー誕生月の6月にはact特集を組んで、「じゅり枯れ」の時期を濃密に過ごしたいものです。


さぁ、それでは!
次回更新までには1週間ほどお時間を頂きまして、7月からはいよいよ気持ちを『un democratic love』全国ツアー・モードに切り替えます。当然”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズの開幕です。
もちろん更新ペースは今月並みに・・・6曲ほど書きたいと思っています。
7月頭にはさすがにジュリーはもうセットリストを決めているのでしょうね。例によって僕の予想は全然当たらないかと思いますが、僕なりの予想根拠も示しつつ、張り切って書いていきたいです。

お題曲はほぼ決めています。
今年のツアーはインフォに「新曲+ジュリーの好きな曲」と明記があったことから、ヒット曲は数を抑え目にした(来年のデビュー50周年イヤーが、大ヒット曲満載となるのでしょう)鮮烈なセットリストを期待しています。
セトリ予想シリーズ、まず最初の2曲は『ジュリー三昧』でのジュリーの発言を根拠に、「ジュリーの好きな曲」(でも最近のツアーではご無沙汰なナンバー)を採り上げていきますよ~。
今回もよろしくおつき合いくださいませ~。

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