ACTを楽曲的に掘り下げる!

2022年6月25日 (土)

沢田研二 「人生は一場の夢 Ⅳ」

from『act#5 SHAKESPERE』、1993

Shakes1

1. 人生は一場の夢 Ⅰ
2. 人生は一場の夢 Ⅱ
3. 丘の上の馬鹿
4. 人生は一場の夢 Ⅲ
5. Sailing
6. 人生は一場の夢 Ⅳ
7. Lucy in the sky with Diamonds
8. 愛しの妻と子供たち
9. タヴァン
10. 悲しみのアダージョ
11. アンジー
12. レディー・ジェーン
13. 私は言葉だ
14. I am the champion 孤独な

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6月25日です。
今年は、新譜『LICKY/一生懸命』を聴きながら、或いはタケジさんの作品集を手にとりながら祝杯を上げるジュリーファンが多いでしょう。
(27日註:タケジさんの作品集、発売延期になったんですね。昨日知りました。徹底的な修正のため発売時期がずれこむパターンは、小さな出版社に勤務する身としてはよく分かります。陰ながら応援しています!)

ジュリー、74歳のお誕生日おめでとうございます!

Paper31

↑ 毎年恒例、「ありがとう」と言ってそうなジュリーのショット。
 これ本当はあとひとまわり大きいサイズのポスターなんですけど、我が家でのスキャンはA4が限界・・・(泣)。

僕は先週3度目のワクチン接種を受けまして、昨年の1、2回目ほどではないものの今回もなかなかの副反応に往生しているところ。
やはり体質なんですかね・・・周囲ではまったく平気な人も多いのに。

そうでなくても関東圏は昨日からやたらと暑いし、ヘロヘロの状況の中、それでも6月25日の更新は外せない!ということで、短い文量で恐縮ですが今年のこの日もactシリーズから1曲、お題を借りて書いていきます。
よろしくおつき合いください。


選んだお題曲はact5作目『SHAKESPERE』から「人生は一場の夢 Ⅳ」。

作詞・加藤直さん、作曲・cobaさんのact黄金コンビのアレンジを異にした連作は「Ⅰ」から「Ⅳ」までありますけど(少なくとも『CD大全集』だと4曲。僕は未だに映像を観ていません汗)、個人的には「Ⅳ」が一番好きです。
4作の中では唯一のロック調で、豪華なカバー曲との共鳴が高いアレンジ、そして歌詞(「1」~「Ⅳ」それぞれ微妙に違いますよね)が気に入っています。

メロディー部とは独立した「テーマ」のような形で
「C→E♭→F→G」
という尖った進行があり、あとひと月に迫った全国ツアーで個人的にセトリ入りを要チェックしている「希望」に同じ理屈の進行が登場がします(あと「処女航海」(タイガース)「悲しき船乗り」「恋のバッド・チューニング」「KI・MA・GU・RE」「熱愛台風」等にも似た進行あり)。
これぞ「ロックなコード・リフ」なんですよねぇ。

特にジュリーが歌い終わってから、この進行部に載せて大暴れするゲタ夫さん→cobaさん狂乱のソロ・リレーが素晴らしい!


『CD大全集』で初めて楽曲タイトルを見た時すぐに連想したのは、有名な司馬遼太郎さんの『龍馬がいく』で知っていた、坂本龍馬の名言でした。
僕のような凡人にはなかなか合点し難いながら、崇高な真理ではありましょう。

act『SHAKESPERE』で加藤さんは「人生は一場の夢」であるとし(そもそもが「芝居」の作中歌なのですからね)、舞台のトータル・コンセプトとなりました。
映像を観ていない僕でも歌詞の違いに着目すれば、「Ⅰ」から「Ⅳ」までがそれぞれ時の流れを辿っていて、「Ⅳ」になると「お前の舟を七つの海を我がもの顔で」というように、主人公(シェイクスピア)が名声を成し自らの舟(龍馬のいう「舞台」と同義でしょう)は大きく威容のものとなり、そのぶん背負う(積んでいる)ものも増えて、さらに広い世界へ打って出ていこうとしている・・・そんなふうに歌詞解釈できます。

シェイクスピアやジュリーのように特別な人生とは格の差があるにせよ、凡庸たる身にも「歳月を重ねて自分の舟がグレードアップしてゆく」「我がもの顔、とは行かないまでも自分の旗を自然に掲げて世を闊歩し始める」感覚というのは年齢とともに出てくるわけで。なるほどなぁ、と改めて今回「Ⅳ」をしみじみと聴いた次第です。

ジュリーの歌人生はこの「Ⅳ」の時期が驚異的に長い。
いつから『Ⅳ』の段階に入ったかと言えば、世間的には歌謡大賞をとった時とかレコード大賞をとった時とか、それは70年代から既に、ということになり得ますが、ジュリー本人の感覚だとやっぱり独立した時なのかなぁ。
いや、それこそ新曲の詞にある「あきらめた時」なのかも。それがいつかなのかはジュリー自身にしか分からないけれど、そんなに若い時じゃなさそうですよね。

いずれにしても今74歳、ジュリーの舟は他に類を見ない独自の動力と研ぎ澄まされた積荷とともに、七つの海どころかその遥か果てへの航海途上、というのがファンとしては嬉しい。

正しく「まだまだ一生懸命」なジュリーが全国ツアーでどんな歌を歌ってくれるのか・・・。
7月からの各公演に期待しましょう!

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2021年6月25日 (金)

沢田研二 「淋しいのは君だけじゃない」

from『act#7 BUSTER KEATON』、1995

Buster1

1. another 1
2. ボクはスモークマン
3. あくび・デインジャラス
4. ストーン・フェイス
5. サマータイム
6. グレート・スピーカー
7. 青いカナリア
8. 淋しいのは君だけじゃない
9. チャップリンなんか知らないよ
10. 無題
11. another 2

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今年もやってきました、6月25日。
ジュリー、73歳のお誕生日おめでとうございます!

7401nitigeki12

↑ 毎年恒例・記事お題とはまったく関係ない、若ジュリーの「ありがとう」と言ってそうなショット。
 今年の出典は74年1月『沢田研二ショー』パンフレットより。
 
今日帰宅すると、『BALLADE』追加公演のお知らせハガキが届いていました。
(関東圏の我が家にはたぶん昨日到着していたんだと思うけど、昨日はポストを見ていなかったのです)

先のフォーラムMCで「秋の予定」を話してくれた際にはまだ確定ではなかったのか言及されなかった宮城、長野、新潟の地方公演もあり、さらには久々の神奈川県民ホールも。
ジュリーの誕生日とともにお知らせを受け取られた(言及のあった博多を含めた)各該当地のファンのみなさまの喜びが想像できるようです。
ジュリー、粋なことをしますねぇ。

ただ個人的には、渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)が月末の平日月曜日というのはキツイ・・・。
その日は早退ができそうもなく、僕の参加はツアー千穐楽、11月のフォーラム1本となりそうです。

ともあれ、とても嬉しい6月25日のジュリーからのお便りでした。

さて拙ブログで近年、ジュリー誕生月の6月に集中更新するパターンが多い『act』ナンバーお題記事。
今年はこの25日の1本のみとなってしまいましたが、ジュリー73歳の誕生日に『BUSTER KEATON』から「淋しいのは君だけじゃない」の記事を捧げ、お祝いに代えたいと思います。

Buster3


僕は数年前からエルヴィス・プレスリーの音源の勉強を始めており、ようやくプレスリー・ナンバーの知識も楽曲数3桁に迫るところまで来ました。

勉強開始のきっかけは、『act-CD大全集』各作品の中でも上位級に気に入った『ELVIS PRESLEY』収載曲のオリジナル・ヴァージョンに興味を持ったからです。
それまで僕はプレスリーについて「本当に有名な曲をいくつか、なんとか知っている」程度でしかなかったのです。「ハートブレイク・ホテル」とか「ラヴ・ミー・テンダー」とかね。
これではイカンとまず購入したのが豪華3枚組のベスト盤。act『ELVIS PRESLEY』で知った楽曲が次から次へと飛び出し、初聴から楽しんだことを覚えています。
まずジュリーのカバーで曲を知り、それからオリジナルを聴く・・・このパターンも良いものですね。

そんな3枚組ベスト盤の中で「えっ、これもプレスリーだったのか!」と驚きを以って遅まきながらの把握となったのが、「Are You Lonesome Tonight?」=邦題「今夜はひとりかい?」なるワルツ・バラード。
そう、これが本日のお題「淋しいのは君だけじゃない」の原曲というわけです。

Areyoulonesometonight

↑ 『ELVIS PRESLEY/GUITAR CHORD SONGBOOK』より

プレスリーの有名なヒット曲のひとつとしてよく知られているらしいですが、不勉強だった僕はCD『BUSTER KEATON』を聴いただけでは、この曲をプレスリーと結びつけることができませんでした。
調べますとなかなか面白い逸話を持つ曲のようで。
「今夜ひとりで淋しくしてるの?」と問いかける色男にして「キング」なエルヴィスの「語り」も含んだバラードに、一般リスナーばかりか業界の強者達すらメロメロにされたらしく・・・この曲のアンサー・ソングのような内容の歌を何人かの女性シンガーがこぞって歌ったのだとか(「淋しいに決まってるわよ!」みたいな感じ?)。
僕はこういう話、好きですねぇ。
歌がさらに歌を生む、という・・・ジュリー(最初はタローさん)の「Long Good-by」と、ピーさんの「道」もそうした関係にありますし。

97年の『ELVIS PRESLEY』に先駆けて95年の『BUSTER KEATON』、プレスリーも好きなリアルタイムのジュリーファンの先輩方は、ジュリーが「今夜はひとりかい?」を採り上げてくれて「わあ~」と感激されたでしょう。
また『BUSTER KEATON』では、全盛期にプレスリーと人気を2分したと聞くパット・ブーンのカバーである「あくび・デインジャラス」が歌われているのも面白い選曲だったんだなぁと思ったりします。

「淋しいのは君だけじゃない」は、日本語詞もジュリー自身です。
以前「VERDE~みどり」(『SALVADOR DALI』)の記事でも書いたように、原詞のフレーズやコンセプトをうまく採り入れつつ、actのテーマ人物の背景をキチンと反映させてくるのがジュリーのact自作詞群の魅力。

「淋しいのは君だけじゃない」 でのキートン像として、詞中で語りかける「君」があたかも自分の分身のような存在であることを感じさせてくれます。
ちょっと強引なようですけど、今改めてこの日本語詞を読んで思い出すのは、『BALLADE』に向けて僕が”全然当たらないセットリスト予想”シリーズで採り上げた「悲しくなると」でした。
「さびしさが逢いにきてくれる」という若き日のジュリー独特の感性が、「淋しいのは君だけじゃない」にも生かされているように感じるのです。
孤独(空白)の夜のひとり語り、ですね。

また、僕が初めてプレスリーの「今夜はひとりかい?」を聴いて歌詞を読んだ時、「おやっ?」と考えたことがありまして。
原詞で描かれているシチュエーションが、ジュリー83年の自作詞ナンバー「BURNING SEXY SILENT NIGHT」とかなり似ているなぁ、と。
ジュリーは世代的にこの曲をよく知っていたでしょう。もしかするとオマージュ元だったのかな?

楽曲自体の聴きどころはやはり「語り」のヴァースがあること。
プレスリーの方は丸々ワンコーラス語りに当てています(楽器のソロが無いシンプルなアレンジです)が、ジュリーはおよそその半分に限られ、なればこそ貴重。
トロンボーンのソロをある程度聴かせてから満を持して語り出す(その間、ソロがサックスに引き継がれる)、というのがニクイではありませんか。

『BUSTER KEATON』のホーンはトロンボーン×サックスという編成です。
ここにトランペットが加われば王道のホーン・セクションなんですけど、それが無い。必然、通常「縁の下の力持ち」的な役割のトロンボーンが主を張るパターンが多々あり、これが新鮮なんですよね。
トロンボーン独特のスライド感と落ち着いた音色が、「動き回る」サックスとよく対比されているようなアレンジ。「淋しいのは君だけじゃない」では双方のソロのリレーがありますから、なおさらその対比が際立ち、そこにジュリーの「語り」が加わるのが素晴らしい!
ちなみにキーは「今夜はひとりかい?」も「淋しいのは君だけじゃない」も同じハ長調です。1音上げてニ長調で歌った方がジュリーのキーには合っているかなぁ、と思いますが、ホーン・プレオヤーにとってはハ長調の方がありがたいでしょう。

さらに言うと、ホーンの陰でベースと共にリズムを支えているのが柴山さんのギターなのです。
これでビッグバンド・スタイルの雰囲気も楽しめる、という(ビッグバンドにおいてはギター或いはピアノが「リズム・セクション」に分類されます)。

多忙のため舞台演奏から外れざるを得なかったcobaさん不在のactで登板した柴山さん。
演奏の「重鎮」的な役割を果たし、ジュリーも頼もしかったのではないでしょうか。

ヴォーカルについては、「語り」はもちろんジュリーの歌そのものの「憑依力」が格別な1篇。
僕はよく「actシリーズでのワルツ率の高さ」を書きますけど、やっぱりジュリーが歌うワルツは良いですねぇ。
以前ジュリーは『EDIT PIAF』で歌ったワルツ・ナンバー「群衆」について「歌っていると興奮してくるんですよ!」と語ったことがありました。あの曲の場合はテンポやメロディーの抑揚の要素もあるかと思いますが、やっぱりワルツや3連符とジュリー・ヴォーカルの相性の良さはタイガース時代から継続してある、と思います。

加えて「生」の高揚感でしょうか。actの音源は生のステージですからね。
思えば『BALLADE』初日東京公演でのMC、「生がイイ」はファンの僕らとしても実感の言葉でした。
セットリストにワルツは無かったですけどね・・・。
(僕の予想は今回も大外れ。でも「3連」含めれば「渚のラブレター」と「ハートの青さなら 空にさえ負けない」がありましたよ!))。

95年はジュリー節目の年でした。
新譜を自らプロデュース、それはその後ずっと継続されています。
そんな年にactで演じたのがキートンだったというのも何か暗示的。そこで、どのような狙いでこのプレスリー・ナンバーが採り上げられたのか・・・そもそもプレスリーとキートンの関連は?
映像を観れば何か分かるのかなぁ。

ジュリー、プレスリー双方のヴァージョンともに興味尽きない名曲です。


それでは次回更新は7月4日の予定です。
この日はかつて大変お世話になり仲良くさせて頂いていたタイガース・ファンの先輩の命日で、先輩が旅立たれてからは毎年タイガースの曲を書く日と決めていますが、今年も昨年に続き不朽のライヴ盤『ザ・タイガース/サウンズ・イン・コロシアム』から洋楽カバー曲を採り上げたいと思っています。

あの名盤の中に「今年書くならこれしかないだろう」という1曲があるんですよね。
頑張りたいと思います。

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2020年6月25日 (木)

沢田研二 「エディットへ」

from『act#6 EDITH PIAF』、1994

Edith1

1. 変わらぬ愛 ~恋人たち~
2. バラ色の人生
3. 私の兵隊さん
4. PADAM PADAM
5. 大騒ぎだね エディット
6. 王様の牢屋
7. 群衆
8. 詩人の魂
9. 青くさい春
10. MON DIEU ~私の神様~
11. 想い出の恋人たち
12. 私は後悔しない ~水に流して~
13. パリは踊る 歌う
14. エディットへ
15. 愛の讃歌
16. 世界は廻る
17. すべてが愛のために

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今年もやってきました。6月25日。
今日は全国各地でジュリーファンからのお祝いの言葉が飛び交っていることでしょう。
もちろん、ここでも叫ばせて頂きます。

ジュリー、72歳のお誕生日おめでとうございます!

Paper074

↑ 毎年恒例、「ありがとう」と言ってそうな若ジュリーのショット

今年のジュリー誕生月を『ACT月間』とした時から、今日のお題はこの曲!と決めていました。
すべてのACTナンバーの中、現時点で僕が最も好きな歌。『EDITH PIAF』から「エディットへ」です。
ジュリー自作(作詞・作曲)のこの名曲の更新で、ジュリー72歳の誕生日をお祝いしたいと思います!

Edith3

「曲」と言うより「歌」と言いたくなるバラードです。
ACTの映像を未だ観ていない僕は、「エディットへ」がどのようなシーンで歌われていたのか分かりません。あくまで『CD大全集』の音源のみで感じとった詞の内容は、(ステージ上の)リアルな現実時間からピアフの時代へと遡るようにメッセージを届ける、というもの。
レクイエムのようにも感じるし、ラブレターのようでもあります。実際の舞台はそういうシーンではないのかもしれませんが、ジュリー自身がピアフに捧げた強い思い、リスペクトがひしひしと伝わってくる詞で、ジュリーがこれほどピアフへの敬愛の念を持っていたことを、僕はこの歌で初めて知りました。

まして僕は恥ずかしながらそれまでエディット・ピアフのいう有名な歌手の生い立ちや人生、どのような人であったかなどをほとんど知らずにいて、まずジュリーの「エディットへ」を聴くことで彼女の偉大さを知った、と言っても過言ではありません。
その後勤務先のシャンソン関連スコアに添えられた解説を読んだり、You Tube等でピアフが歌う映像を見たりした時、「ジュリーの歌の通りの歌手だったんだなぁ」と思ったものでした。

全然違うようでもあり、とても似ているようでもあるジュリーとピアフ。
ただ、「エディットへ」の歌詞中の「愛」はそのまま「歌」と置き換えることができ、それは近年のジュリーの創作姿勢と重なるところが多々ある、とは思っています。

最近の2年、ジュリーは新譜マキシシングルを柴山さんの作曲作品と自作曲の2曲入りという形(作詞はすべてジュリー)でリリースしていて、自身で作曲を担った昨年の「SHOUT!」、今年の「頑張んべえよ」はいずれも自らの歌人生をテーマとした詞が載っています。
凝った進行ではなく、ロックのスリー・コードを基本軸としヴォーカル・インパクトを重視した作曲。
血肉を伝えるようなメロディーが特徴的で、これは「エディットへ」と非常に近い作曲手法です。叙情的なメロディーなのにマイナー・コードへ移行しない、或いはリズムを分解すると8分の12のロッカ・バラードであることが分かるなど、「エディットへ」でジュリーは真っ直ぐに「ロック」なベクトルに立っているのです。
ピアフのことを歌うからといって無理にシャンソンに寄せたりしなかったことが、逆に説得力をもってピアフへのリスペクトを表現し得たのではないでしょうか。

cobaさんのアレンジももちろん、ジュリーの作曲の素晴らしさに応えています。
『EDITH PIAF』でのcobaさんのアレンジはACTシリーズの中では抜きん出て複雑な変化球ですが(「王様の牢屋」を『BORIS VIAN』ヴァージョンと比較するとよく分かります)、「エディットへ」は最もドラマティックかつ俯瞰的でもあると思います。

例えば、オーソドックスにサブ・ドミナントやドミナントへコードが展開しても、ルートだけはトニック音をじっと持続させる手法。
僕は最初、Aメロ2つ目のコードを「Fsus4」でとってストロークでコピーしていましたが、響きが微妙に違う・・・。
そこで指弾きのアルペジオに切り替え、「B♭onF」に辿り着きました。
ジュリー作曲時点では普通に「B♭」だったに違いなく、近年の自作曲2作と共通する、武骨でシンプルな曲作りであることを逆算的に理解できたのです。

他にも、間奏部から緊張感のあるスネアが噛んできたり、最後のサビのリフレインで徐々にアコーディオンの刻みが増え最終的にはスネアとユニゾンするなど細かい部分での素晴らしさもありつつ、僕が曲中で最も大きなインパクトを感じたのはイントロ、間奏、後奏に登場する歌メロには無い進行部でした。
「女声コーラスのパート」と言った方が分かり易いでしょうか。歌メロとは別の独立したヴァース、つまりここでのコーラスはピアフの歌声を模していて、ジュリーのヴォーカル部とは「過去」と「現在」で時間が分かれている・・・そこまで計算されたアレンジなのかな、と。
そして、別時間故にイントロと間奏では重なることのなかった女声コーラスとジュリーの歌が最後の最後、サビの着地点でクロスするという、ここは本当に鳥肌ものです。ジュリーの時代とピアフの時代が歌の力で奇跡のように「共にある」瞬間ですね。

そんなアレンジに象徴されるように、「エディットへ」でのジュリーの詞にはピアフへのリスペクトのみならず、ジュリー自身が一流の歌手だからこそ持てるであろう「共感」を、僕ら聴き手は探らずにはいられません。
特に強烈なのは以下の歌詞部。

エディット 今の時代に
F                       B♭(onF)

生まれて   いたら
       C(onF)        F

窮屈で    厄介で 息もできない
    B♭(onF)    F          G7       C7sus4  C7

愛は 見世物にされ
F                  B♭(onF)

自由に   ならぬ
      C(onF)      F

あなたなら それでも やめない 愛を ♪
      B♭(onF)   F             G7       C7

「あなた(ピアフ)の時代」と「自分(ジュリー)の時代」。ジュリーが作詞をした「今の時代」とはひとまず『EDITH PIAF』公演のあった1994年と考えるとして、どうやら僕らはその後さらに窮屈で厄介な世の中へと流され続けているように思います。
現在2020年、ジュリーのこの詞が一層身につまされる。

先述の通り僕は「エディットへ」歌詞中の「愛」はすべて「歌」に置き換えることができると考えています。
すなわち窮屈で厄介な時代において今なお「歌は見世物にされ」ていると。そんな世に生まれていたとしてもあなたなら歌をやめないだろう、と94年のジュリーはピアフに向けて歌いました。これは正に、今現在のジュリーの覚悟そのものではないですか!

歌が「自由にならぬ」時代に徹底気的に「自由」を志す姿勢然り。だから僕は今回「エディットへ」のお題を、ジュリーが自らの歌人生をテーマとし作詞・作曲した「SHOUT!」「頑張んべぇよ」と並べて考えてみたくなったのです。

与え、裏切られ、それでも許し・・・40代にしてそんなふうにピアフの歌人生を表現できたジュリー。
自らゆく道もピアフに劣らず凄いです。

エディット・ピアフは言うまでもなく有名な歌手で、全世界に彼女のファンが数えきれないほどいらっしゃるでしょう。その中でどれくらいの人達が、ジュリーのACT『EDITH PIAF』を知っているでしょうか。ジュリーがピアフに捧げ作詞・作曲した「エディットへ」という真に愛の歌を知っているでしょうか。
少しでも多くのピアフのファンにこの歌を知って欲しい、と思っています。


ということで、4曲分と少ない曲数でしたが今年のジュリー誕生月の『ACT月間』はこれにて終了。
そして今後の予定ですが、7月4日にタイガース・ナンバーのお題で1本書いた後、すみませんが(ブログ更新の)夏休みを頂きます。
仕事では8月が本決算(コロナ禍に見舞われた今季は、当然ながら大変厳しい数字と向き合うことになりましょう)。加えてプライヴェートにおいて今年は猛烈に忙しい夏になりそうです。

秋からまた再始動いたします。とりあえずは来週、タイガースの記事でお会いしましょう。

今年はこれから厳しい暑さがやって来るようです。
みなさま体調にはくれぐれもお気をつけください。

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2020年6月21日 (日)

沢田研二 「VERDE ~みどり~」

from『act#4 SALVADOR DALI』、1992

Salvador1

1. スペイン・愛の記憶
2. 愛の神話・祝祭という名のお前
3. ガラの私
4. VERDE ~みどり~
5. 眠りよ
6. 愛はもう
7. 黒い天使
8. 恋のアランフェス
9. 白のタンゴ
10. 誕生にあたっての別れの歌

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梅雨ですな~。
ここ数日は割と涼しいですが、先週は気温が高く湿気が多く天気が安定せず・・・という日が続きました。
コロナ禍のこともあり、例年以上に体調管理に気を遣う季節となりましたね。

さて、6月の『ACT月間』更新シリーズも3曲目。
今日は『SALVADOR DALI』から、フラメンコ・ナンバーのカバーにしてジュリーの日本語詞のセンスが光る名曲「VERDE~みどり」を採り上げたいと思います。
よろしくおつき合いください。

Salvador3

現時点で『SALVADOR DALI』は、『CD大全集』の中で個人的に最も気に入っている作品です。
ジュリーの声がACTシリーズ中、抜きん出て妖艶に聴こえるのは僕だけでしょうか・・・?

最初に聴いた時、この作品のヴォーカルは「鉄人バンドで歌うジュリーに近いな」と感じたものです。
ベースレスというだけでなく、パーカッションのアレンジへの貢献度や、エレアコの音色とライヴ感。元々「アレンジフェチ」で、生のジュリーをまず鉄人バンドの演奏で知った僕にとって、『SALVADOR DALI』は特に「ジュリーの歌」をリアルに聴きとる上でとても自然な音に包まれているように思われます。
まぁ、アレンジについてはフラメンコを意識しているのですからベースレスは必然なんですけど。
収録楽曲のタイプも多彩で、中でも「愛の神話・祝祭という名のお前」そして今日のお題「VERDE~みどり」は、短調のメロディーが軽快なテンポでグイグイ押してくるあたり、いかにもジュリー・ヴォーカルの真骨頂という感じがして大好きです。

以前、「ジュリーは緑色が好き」という話を聞いたことがありました。
言われてみますとジュリーには自作詞で「greenboy」「緑色のKiss Kiss Kiss」という重要な曲があります。
「エメラルド・アイズ」も緑系。また朝水彼方さん作詞の「緑色の部屋」も名曲。あとはトッポさんのヴォーカル曲ではありますが、タイガース時代にも思索的なナンバー「緑の丘」。そして今日のお題「VERDE~みどり」・・・他にジュリー関連で緑系の曲ってあるかなぁ?

で、僕はこの「VERDE~みどり」、熱烈に「ジュリーの日本語詞」推しです。
冒頭キメの部分については「直訳」とも言ってよく、その上で語感が素晴らしいわけですが、物語的にはさすがACTシリーズ、さすがジュリーで、歌が進むに連れ「ダリ」を演じる上でのオリジナルとは異なる展開、言葉使いが堪能できます。
とにかく「驚くほど自然にメロディーに載ってる」点ではACTで採り上げられた幾多のカバー曲で(加藤直さんの詞も含めても)屈指の名篇ではないでしょうか。

その魅力を味わうためにも、まずは原曲、原詞を知っておきたいところ。
残念ながらスコアは発見できませんでしたが、とても勉強になるブログ様が見つかりました。

濱田吾愛さんの『フラメンコ・シティオ』

実は僕は不勉強にてジュリーのACTで出逢うまで「VERDE」という原曲自体を知りませんでした。
濱田さんの解説は大変詳しく分かり易く、楽曲の背景やフラメンコの特色、歴史をも学ぶことができます。
例えばこの曲をヒットさせた「ホセ・マヌエル・オルテガ・エレディア」の芸名が「マンサニータ」とのことで、これは「沢田研二」と「ジュリー」のような感じの使い分けなのかなと思いきや、調べたらそうではなく、昔はスペインの人って同姓同名がとても多かったので、本名ではなく「あだ名」で呼び合うことが通例となり慣習的に引き継がれてきているんですって。
歌手しかり、なのですねぇ。初めて知りました。

さらには「VERDE」の詞の原題が「夢遊病者のロマンセ」というのだそうで、これを知るだけでもジュリーの日本語詞への理解が深まります(特に3番のサイケデリックなフレーズ群)。
それに濱田さんの訳詞を読めば、いくつかの単語についてはジュリーもそのまま日本語詞に採用し端々に散りばめていることも分かります。

僕が凄いと思うのは、物語と情景描写が正に「シュール・レアリズム」であるにも関わらず、ジュリーの言葉の並べ方、語感、畳み掛けにより歌全体に漲る「求愛」のテンションです。
メロディーの勢いを加速させるかのようなフレーズ。日本語だからこその疾走感。
短調という共通点もありましょうが、「愛の神話・祝祭という名のお前」と同じテンションを感じます。さらにはほぼ同時期のオリジナル・アルバムに収録された「涙が満月を曇らせる」や「そのキスが欲しい」と同じような、ある意味破滅的なほど激しい「求愛」を自らのヴォーカルに託す・・・そんな日本語詞だと思うのですよ。

最も衝撃的だった箇所は最後のヴァースです。
水に身を投げた女性の動かぬ冷たい顔、その緑の髪だけが水面でゆらゆら踊っているという。
描かれる情景はシュールと言うか恐怖ですらありますが、詞も歌も強烈になまめかしい・・・ここではジュリーが2行目でメロディーを崩してきて、cobaさんのアコーディオンがすぐさま呼応し速弾きになります。
アドリブかどうかは僕には分からないものの、それがまるで野性の求愛行動のように聴こえたり。
楽器編成が少ないぶん、ドキリとさせられます。

そもそも、「情熱の音楽」と言われるフラメンコは、40代の色気でジュリーが歌い演じるには格好の題材だったと言えそうです。

濱田さんのブログによれば、原曲「VERDE」は70年代末にヒットした歌なのだそうです。
意外な感じがしました。もっと古い60年代の歌だと思っていたからです。と言うのは、「VERDE」にはいわゆる「Aメロ」「Bメロ」「サビ」の変化が無く、嬰ヘ短調の短い同一ヴァースを延々と繰り返してゆく構成なのです。
このパターンが70年代末という時期にヒットするには、まず聴きながら歌詞を追いかける面白さ、さらには主題のメロディー一発で耳を捉えるキャッチーさ、そして何より歌い手の表現力が必須です。「VERDE」にはそれが備わっていて、だからこそジュリーの日本語詞と歌もここまでの名篇、名演に成り得たのでしょう。

僕はACTシリーズの映像をまだ鑑賞できていませんが、いざ!その時が来たらまずこの『SALVADOR DALI』から見ると思います。ズバリ「VERDE~みどり」の「演じ方」に興味が大きいのです。
フラメンコと言えば、ギターメインの伴奏以外に「踊り」が重要不可欠。「VERDE~みどり」のイントロ導入を担うタップ音、或いは楽器演奏が完全に引いてヴォーカル・ソロとなる5番のヴァース途中で聴こえてくる「オ~レ!」の声(cobaさんなのかなぁ?)。
どんなふうに舞台で演じられているのか、やはり音源だけだと想像がつかないんですよね。
もちろん、ストーリーと曲がどう絡んでくるか・・・まぁそれはすべてのACT作品について言えることですが。


それでは次回は6月25日、ジュリー72歳の誕生日に更新を予定しています。
あまり日数が無いけど、こればかりは何としても間に合わせなければ・・・。

お題は、個人的にすべてのACTナンバー中、現時点で一番好きな曲を考えています。頑張ります!

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2020年6月14日 (日)

沢田研二 「愛していると言っておくれ」

from『act#9 ELVIS PRESLEY』、1997

Elvis1

1. 無限のタブロー
2. 量見
3. Don't Be Cruel
4. 夜の王国
5. 仮面の天使
6. マッド・エキジビション
7. 心からロマンス
8. 愛していると言っておくれ
9. Can't Help Falling in Love
10. アメリカに捧ぐ
11. 俺には時間がない

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こちらは今日はいくらかマシのようですが・・・この一週間は暑かったですな~。雨風も酷かったですし。

僕は水曜日に持病の腰痛(ギックリ腰)を発症しまして、とても難儀をした一週間でもありました。例年、勤務先や通勤電車で冷房が入りはじめる時期に「ピキ~ン!」とやってしまうことが多いのですが、今回は自宅で発症しましたのですぐに安静の態勢になることができ、短期間で復活しました。これが仕事中に発症すると、家に帰宅するまでに悪化して、長引くんですよね・・・。

さて『ACT月間』です。今日は『ELVIS PRESLEY』からお題を採り上げます。

僕は数年前までは”キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリーの楽曲について、本当に有名なナンバーをいくつか知っているのみという状態でした。
『CD大全集』でジュリーのACT『ELVIS PRESLEY』を知ってオリジナル音源にも興味が沸き、さらにジュリー道の師匠の先輩からも「プレスリーは素敵だった」とのお話(その先輩はプレスリーもリアルタイムなのですから凄い!)があって本格的な勉強を開始。豪華な3枚組ベスト盤をはじめ数タイトルのCDを購入、今はようやく「少なくともジュリーが過去にカバーした楽曲はオリジナル音源も所有している」ところまでこぎつけました(70年代のステージでよく歌われたスタンダード・ロックンロールや、ACTの別作品『BUSTER KEATON』収録「淋しいのは君だけじゃない」なども含めて)。

その先輩も仰っていたのですが、プレスリーはテレビ番組出演時などの映像を合わせて聴く場合は圧倒的に初期のナンバーが魅力的です。
後追いでモノクロの映像を観るだけで途方も無いオーラが伝わってきますし、何しろあの目つきはヤバいです。視線を動かすたびに色気がだだ漏れになってる・・・「これはとんでもない歌手が現れた」と、当時全世界が釘づけになったのでしょうね。

ただ楽曲重視タイプの僕としては、「後期」と言ってよいのかな・・・60年代末から70年代のプレスリー・ナンバーも大いに気に入りました。
セールスに初期ほどの勢いが無くなってきた中で、詞曲、アレンジ、演奏、プロデュースとそれぞれのプロフェッショナルが知恵と手管を尽くして自らのアイデアをプレスリーに捧げ、実際に彼がそれを歌うというシチュエーション。ジュリーで言うと建さんプロデュースのEMI期の5枚のような雰囲気が感じられる「後期」プレスリーと、僕はとても波長が合うのです。
中でも特に惚れ込んでいる3曲が

・「イン・ザ・ゲットー」(収録アルバム『エルヴィス・イン・メンフィス』は素晴らしい名盤!)
・「バーニング・ラブ」(70年代後半のパブ・ロック・ムーヴメントにも通じる、完璧に僕好みの1曲)
そして
・「この胸のときめきを」

これが本日のお題、ジュリーACTヴァージョン「愛していると言っておくれ」の原曲です。
せりあがる3連符のグルーヴ。「あなただけでいい」「おまえがパラダイス」の例を出すまでもなく、ジュリー・ヴォーカルとの相性の良さが最初から約束されていたかのような名曲、熱唱系のバラードなのですね。
スコアも見つかりました。

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↑ 『オールディーズ・ベスト・ヒット100』より。オリジナルより1音高いト短調での採譜となっています。

僕は不勉強にて最近知った曲ですが、「この胸のときめきを」はプレスリーの代表的名シングル(70年にヒット)としてのみならず、それ以前にダスティ・スプリングフィールドが歌ったりしていて、かなり有名な曲のようです。
「枯葉」進行の三連バラードという以外に、同主音による近親移調が大きな特徴。物悲しい雰囲気で始まるメロディー(ヘ短調)がサビでド~ン!と明るく視界を開く(ヘ長調)構成は、これまたジュリーのキャリアでも「追憶」をはじめとする名曲に同パターンの例は多く、ACTで採り上げたのは大正解と言えるでしょう。

加えてジュリーはプレスリーとは得意とする声域が近いようで、「愛していると言っておくれ」はもちろん、『CD大全集』収載のプレスリー・ナンバー9曲中7曲までを同じキーで歌っています。
(例外は「Surrender」→「夜の王国」がホ短調→ニ短調の1音下げ、「Love Me Tender」→「マッド・エキジビション」がニ長調→ホ長調の1音上げ)

ACT『ELVIS PRESLEY』はジュリーの「歌い方」が本当に多彩で、「無限のタブロー」を初めて聴いた時に「ジュリー、こんな歌い方もするんだ?」と驚いたものです。朗々と・・・言葉は適当ではないのでしょうが「大げさ」に発声していますよね。
「愛していると言っておくれ」のヴォーカルもこれに近いのは、三連のリズムがそうさせているのでしょうか。
とにかく普段のオリジナル・アルバムでは聴くことのできない発声と間のとり方で、ACTシリーズならではの独特の「哀しみ」を感じるテイクです。
映像を観ずに聴くと、この歌は相当切羽詰まったシリアスな場面で歌われているのではと想像しますが、お客さんの歓声や拍手の雰囲気を考えると、「ショー」の一幕という感じもします。どんなシーンが正解なのかな?(←いい加減映像も観ろ、という話汗)

ジュリーのこの日本語詞がとても気に入っています。
原詞では、去りゆく人への恋慕を主人公の「あきらめきれない、でも受け入れざるを得ない」というスタンスで描きますが、ジュリーの場合はなかなかに往生際が悪くて、「愛している」と無理矢理言わせる。相手が言ったら言ったで「気持ちが伝わらない!」と怒る(笑)。

胸をえぐった 愛なき言葉
Fm     B♭m  E♭7   A♭

冷たい  視線  甘い 誘い ♪
D♭maj7  B♭m    Gm7-5  C7

恋人同士が危機的状況にあるのは原曲と同じではあるけれど、なんとか力技で繋ぎ止めよう、引っ張り抜こうと・・・僕にはそんなふうに聴こえるのです。

あとは語感。
先述したサビでの同主音移調に加え、この曲では最後のサビでド~ン!と1音上がりの転調が登場します。転調の箇所はジュリーの詞で言うと、「長い」までがヘ長調で、「刹那」からト長調。さぁ上がるよ!というタイミングにピッタリのフレーズです。

長い 刹那 ♪
   C7      D7

当然「訳詞」ではなくジュリー・オリジナルの日本語詞。劇中のシーンに何かヒントがあったとしても、この言葉選びはトコトン冴えていますね~。

あくまで『CD大全集』音源のみの評価として、個人的に『ELVIS PRESLEY』は10作品中4番手に好きな1枚。演奏がオーソドックスなロック・バンド・スタイルというのが波長が合う要因なのかもしれません。
素敵な女性メンバー達それぞれのこの作品以外のキャリア、その後の活躍についても機会あらば追いかけてみたいところです。

それでは次回、「ジュリーの日本語詞の語感」という点ではACT中でも屈指の名篇をお題に予定しています。
今回の「愛していると言っておくれ」とはまた違って、こちらは原詞に忠実で「訳詞」に近い箇所もあったりするんですけど、メロディーへのジュリーの言葉の載せ方がキレッキレで、しかも「求愛」の歌ですからね。ジュリーの官能ヴォーカル炸裂ですよ~。

さぁどの作品、どの曲でしょうか・・・。
ということで、また来週!

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2020年6月 6日 (土)

沢田研二 「バイ・バイ・ララバイ」

from『act#3 NINO ROTA』、1991

Nino1

1. 8 1/2
2. 時は過ぎてゆく
3. カザノヴァ
4. 天使の噂
5. 忘れ難き魅惑
6. ヴォラーレ
7. 道化師の涙
8. バイ・バイ・ララバイ
9. カビリア~夜よ
10. ジェルソミーナ
11. SARA
12. 夢の始まり
13. 8 1/2

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さぁ、ジュリーの誕生月1発目の更新です。
今年の全国ツアー中止は本当に残念ですが、『キネマの神様』主演決定のビッグニュースもありました。
とにかく今は、コロナ禍を乗り越えた先の楽しみを妄想しつつ皆で踏ん張ってゆきましょう!

拙ブログではこの6月を久々の『ACT月間』とします。
映像未鑑賞のまま『CD大全集』の音源のみで書く無謀なスタイルは今回もそのまま。至らぬ点は多々ありましょうが、そこは先輩方のコメントで補完して頂こうという他力本願(汗)。
候補各曲それぞれについて色々とテーマを考え、更新できそうな4曲のお題をピックアップしCDに編集、通勤時間に聴き込んでいます。

慌しい日々が戻ってきましたので週に一度きりの更新、しかも短めの文量にはなりそうですが、この4曲を6月内に書いていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

まず今日は『NINO LOTA』から。
とても有名な曲ですね・・・映画『太陽がいっぱい』主題曲のカバー、「バイ・バイ・ララバイ」を採り上げます!

Nino5

みなさま、今日6月6日が「何の日」かご存知ですか?
カレンダーの記載を見たことがないですし、あまり知られていないのでしょうが、「楽器の日」なんです。

楽譜業界では毎年この日にちなんで前後の期間に「音楽書祭り」というフェアを開催しています。
各出版社がそれぞれ数点のタイトルを選出、プレゼント応募要項を記したフェア用の帯をつけて全国店舗展開させるのですが、例年5月中旬から展開スタートとなるところ、今年は緊急事態宣言による全国的な店舗臨時休業の影響があり、今月に入ってようやく対象商品の流通が始まったばかり。

ちなみに、何故6月6日が楽器の日かというと

Img7311

緊急事態宣言は解除となったものの、不要不急の外出は控え自宅で過ごす、というのが皆の認識。
そんな中、「家でもできる新しい趣味を持つ」世間の動きも出てきているようで、例えば今はプラモデルの売上が伸びているのだそうです。
対して楽器や楽譜は基本的には人に教えて貰う「習い事」の面が強く、町の音楽教室なども未だ自粛中というケースも多くて苦戦しています。
でもね、ギターやウクレレ、鍵盤はしっかりしたスコアが手元にあれば、充分「独学」できるものです。
6歳の6月6日というのはともかくとして・・・この機会にみなさま、是非楽器を始めてみてはいかがでしょうか。
アコギやウクレレ、電子鍵盤は最初に格安のものを購入しても大きな問題はありませんから(ただし、エレキギターの格安ものはチューニングが合わないなどのトラブルがあり得ます)

何故こんな話をしているのか・・・実は今日のお題「バイ・バイ・ララバイ」の原曲である「太陽がいっぱい」は、僕が中学でギターを覚えた時、懸命に練習してマスターした曲のひとつなのです。
他に「マルセリーノの歌」「鉄道員」などを一緒に覚えました。今考えると、初心者がいきなり手をつけるには結構な難易度の高いスコアから始めたんですよね。

僕の場合は、父親が母親の誕生日に買ってきたアコギを横取りするという形で(母親がなかなか手にとらなかったので)ギターを始めました。
父は一緒にスタンダードな有名曲を収載した曲集も買ってきていたんですけど、そのスコアが初心者向きかどうかまでは考えなかったみたい。TAB譜表記も無い五線譜で、指弾きのアルペジオ・アレンジです。
これを素人の僕が独学で一からトライするというのは大変な試みでしたが、そこはほら、「ギターが弾けるようになれば女子にモテるであろう」という10代の少年の下心が為せるひたむきな努力ですよ(笑)。
結果、女子にモテることはなかったものの、弾けば「おおお~!」と周囲に感心されるような有名曲を弾きこなせるようになったわけです。

で、この弾き始め最初期にマスターした曲って、その後何年経とうがスラスラ弾けるんです。
ある程度弾けるようになってから覚えた曲は数年のブランクがあると「え~と、どうだったっけかな」と仕切り直すのですが、先述の3曲などは身体が覚えていて指が勝手に動くという。
懸命に一から練習する、というのは尊いこと。
これか
らそれを体得、経験を積めるみなさまが羨ましいくらいです。
楽器に興味のある方は是非この機に始めてみて下さい。苦労はしますが「極端に易し過ぎない」スコアを選ぶのが僕の個人的なお勧めです。

おっと、すみません長々と。
この機にその「太陽がいっぱい」のスコアを改めて探してみたところ、さすがは有名曲、ニーズに応じてキーもアレンジ解釈も様々なパターンが見つかりました。

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↑『映画音楽の巨匠/ニーノ・ロータの世界』より。ピアノ・ソロ、4分の3、ハ短調

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↑『魅惑のポピュラー・ギター名曲選』より。ギター・ソロ、8分の6、イ短調(TAB譜の方の初っ端のルート音採譜がいきなり間違ってる・・・!正しくは6弦ではなく5弦の開放です)

Img7355

↑『映画音楽名曲全集』より。メロ譜、4分の3、ニ短調

どうやらオリジナル・キーはニ短調のようで(僕も最初に覚えたのはニ短調でした。鍵盤やウクレレだと簡単ですが、ギターだとセーハやハイ・ポジションのフォーム率が高くて初心者には難しいキーだったのです)、ジュリーの「バイ・バイ・ララバイ」もそうです。

あくまで『CD大全集』音源のみの感想ですが、ACTシリーズ全体に共通する独特のジュリー・ヴォーカルの色気が特に際立っていると思う作品は、まず『SALVADOR DALI』、次いで『NINO ROTA』。その『NINO ROTA』の中でも「バイ・バイ・ララバイ」には「禁断の色気」とも言うべき危うい官能すら感じます。
これは原曲と映画『太陽がいっぱい』のイメージを持ちつつ加藤直さんの日本語詞を聴くからなのでしょうね。

もしも君が 今目覚めたなら
   Dm

この世  は   とても 退屈だろう
   F#dim  D7-9      Gm    C7       F

だから言わない 今さら さよならを ♪
    E♭       Dm         A7            Dm

実際のACT映像でこの曲がどんなシーンで歌われるのかを僕は知りません。しかしこの加藤さんの詞を耳にするとどうしても脳裏に浮かんでくるのは、『太陽がいっぱい』でのトムとフィリップの船上対決シーンです。
二度と動かぬ眠りについたフィリップを見つめるトム。彼の胸にあるのは果たして憎しみと妬みだけだったのだろうか、憧れや不可解な愛情がありはしなかっただろうか、と観る者を戸惑わせます。
『太陽がいっぱい』は、ホモ・セクシャルを盛り込んだとした先駆けの作品と言われることがあるのだそうで、とすればあのシーンはドラマ『七人の刑事』の「哀しきチェイサー」や映画『太陽を盗んだ男』にも引き継がれているのかなぁ、と。
僕は今週カミさんの勧めでドラマ版『火花』を毎日2話ずつ観賞し昨日全話観終えたばかりで、たとえ明快に性的な描写は無くとも、2人の魅力的な男性が登場し、それぞれの野望遂げられぬ道をひた走る物語とは、そんなふうに見えるものなのかと考えてしまったり。

僕はジュリーの「バイ・バイ・ララバイ」の声の色気にそれを感じたわけですが、感性の鈍い僕に映像無しでそこまで思わせるジュリーって・・・本人は意図しないところでやっぱり「魔性」なのでしょうか。
加えて、特にACTシリーズのジュリー・ヴォーカルはワルツと相性が良いことも再確認したのでした。


ということで今日は「自宅で過ごすことが多いこの機に楽器をはじめてみよう!」「男同士の愛憎」という本筋から逸れまくった2つのテーマで(笑)このお題を書かせて頂きました。
次回更新はもうちょっと楽曲そのものに突っ込んだ内容になるかと思います。

お題は、『CD大全集』の中でもこれまた大好物の作品『ELVIS PRESLEY』から。
この1、2年で僕はずいぶんプレスリーの曲を勉強しました。プレスリーのオリジナルも、ACTでのジュリーのカバーも大好きなナンバーをお届けいたします。
更新まで1週間ほどお待ちくださいませ。

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2018年8月23日 (木)

沢田研二 「パリは踊る 歌う」

from『act#6 EDITH PIAF』、1994

Edith1


1. 変わらぬ愛 ~恋人たち~
2. バラ色の人生
3. 私の兵隊さん
4. PADAM PADAM
5. 大騒ぎだね エディット
6. 王様の牢屋
7. 群衆
8. 詩人の魂
9. 青くさい春
10. MON DIEU ~私の神様~
11. 想い出の恋人たち
12. 私は後悔しない ~水に流して~
13. パリは踊る 歌う
14. エディットへ
15. 愛の讃歌
16. 世界は廻る
17. すべてが愛のために

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更新遅れました(汗)。
さすがにお盆休み明けは仕事も忙しく・・・でもそれを見越して今月は恒例の大長文を封印して日記風『真夏のact月間』と定めたはずだったのに、情けない。7~8曲は書けるかな、と思っていたのが今日の更新合わせて5曲にとどまることになりました。
まぁ、忙しいというのは有難いこと。ジュリーを見ていても、忙しくしているのが生き生きと暮らすコツなのかなぁとも思ったりします。

それにしても時間が経つのは早い!
ここへ来てまた暑さが厳しくなってきたとは言え、今年の夏ももう終わりですよ・・・。


さて。
僕はつい先日、久々に映画『スウィングガールズ』のDVDを観ました。みなさまご存知でしょうか。2004年公開の大ヒット邦画で、楽器業界、楽譜業界が「空前の管楽器ブーム」の恩恵を授かったという、僕にとっては自分自身が映画に嵌った以上に仕事絡みでも強烈な体験をしたことで、忘れ難い名作映画です。

僕が持っている『スウィングガールズ』のDVDは、当時発売されたパッケージの中で最もグレードが高い3枚組のデラックス・エディション。
映画の影響でいきなりトランペットを購入し日々練習中だった僕は、このデラックス・エディションのオマケグッズ「トランペットの高音が出る御守(ねずみのぬいぐるみ)を今でもチューニングスライドに括りつけています。
結婚してからはなかなかトランペットを吹く機会も映画のDVDを観る機会も無かったのが何故急にDVDを鑑賞したのかと言うと・・・実は今カミさんが今年5~6月に放映された連続ドラマ版の『おっさんずラブ』にド嵌りしておりまして(放映終了から2ケ月以上経った今でもファンの熱量が下がらず社会現象にまでなっているらしい)、必然僕も引きずりこまれているという状況なんですけど、先日ふとカミさんが「(ドラマに)出演している役者さん達はこの番組を観るまで全然知らなかった」と言うので僕は、「俺は1人だけ知ってたよ」と。
それが『スウィングガールズ』にも出演していた眞島秀和さん(『おっさんずラブ』ではメインキャストの3人に次ぐ重要なキャラクター、武川主任を熱演)。
まぁそんなきっかけでカミさんに眞島さんが活躍する『スウィングガールズ』のDVD特典映像見せてあげたりして、ついでに本編も観てしまったという次第です。

『スウィングガールズ』劇中の演奏シーンはすべて出演俳優さんが実際に吹いています。メインキャストの5人はまったくの素人状態から撮影のために猛練習を重ねたわけですが、僕がこの映画の中で1番好きなのが、有名なスコットランド民謡「故郷の空」の演奏しているシーンです。
「どんな曲でもスウィングすればジャズになる」という劇中テーマへの登場人物達の最初の気づきとなる重要な楽曲として採り上げられたのが、「ジャズ」のイメージとはちょっと離れたこの名曲でした。
で、何が言いたいのかというと・・・。
ジュリーのactシリーズの中で最もジャズ・テイストが強い作品こそ、『EDITH PIAF』なんですね。

えっ、ピアフはジャズじゃなくてシャンソンでしょ?

・・・と疑問を抱いた方もいらっしゃるでしょう。
今日は『EDITH PIAF』から「パリは踊る 歌う」をお題に、そのあたりを少し書いておきたいと思います。

短い文量で徒然風に書く『真夏のact月間』、最終回でございます。よろしくおつき合いの程を・・・。


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以前、ジュリーのactナンバーはワルツ率が高い、と書いたことがあります。
顕著なのは『BORIS VIAN』ですけど、本来ならばそこは『EDITH PIAF』こそ筆頭であるべき。シャンソンのスタンダードにはワルツの名曲が多いですからね。

ところが『EDITH PIAF』はactシリーズの中でcobaさんのアプローチが抜きん出て挑戦的。あくまでも演奏についての話ですが、「群衆」などオリジナルに忠実なものが要所要所に配される一方で、原曲のイメージを一新するような大冒険アレンジを施した楽曲もいくつか見られます。
不勉強にてこのCDで初めて知ったシャンソン・ナンバーも僕にはいくつかあった中で、「PADAM PADAM」「MON DIEU ~私の神様~」などはワルツの原曲をことごとく4拍子に転換、ジャズ或いはブルースのテイストでアレンジを極めています。
そして・・・これは有名な曲ですからさすがに僕も原曲は知っていましたが、お題の「パリは踊る 歌う」。


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Souslecieldeparis2

↑ 『シャンソン名曲アルバム』より

スコアの通りこちらも原曲はワルツです。
cobaさんはこの曲をスウィング・ジャズの王道パターンに変貌させていて、actではコテコテの4拍子なのですよ。あまりにアレンジとして自然で違和感が無いので、もしかしたらジュリー以外にもこの曲を4拍子で歌った人が既にいて、僕は何気なくそれを耳にしたことがあったのかも、と考えたくらいです。

「どんな曲でもスウィングすればジャズになる」とは真に至言で、「パリは踊る 歌う」では原曲のアンニュイな短調メロディーが不思議にハッピーな雰囲気に・・・actジュリー・ヴァージョン最大の魅力はそこでしょう。
原曲同様にジュリーのヴァージョンも聴かせどころは「ムム~♪」と歌うハミング部。ジュリー、メチャクチャ楽しそうな発声だと思いませんか?

ただし!
cobaさんが大胆にアレンジ展開された曲がどれほどジャズに近づこうが、ジュリーの歌はどこまで行っても忠実に「シャンソン」なんですよね。
ジュリーはよほどフランスと相性が良いのか・・・ピアフへのリスペクトの強さ(書き下ろしのオリジナル曲「エディットへ」を聴けば、ジュリーのピアフへの並々ならぬ敬愛の情が分かります)も一因かもしれません。

同じように、ステージ上でどれほどアレンジが変わろうとも、楽器編成が変わろうとも、ジュリーの歌をジュリーが歌えば当然ながらそれはジュリー・ナンバー。
輝きを増す豊饒の楽曲群です。今回のact月間は「開催中のツアーのネタバレをしない」ということで書いてきましたが、まぁ既にツアーに参加したファンからしますとそういう想いを抱かせるツアーと言えましょう(YOKO君には、今ツアーの演奏形態についてだけは報告済み)。


ということで、僕の『OLD GUYS ROCK』ツアー2度目の参加会場となる和光市公演が迫ってきました。
仕事の決算期の慌しい中を、無理矢理時間を作って駆けつけるつもりです。
和光市は自宅の最寄り駅から電車で2駅。住所で「地元」認定を頂けたのか・・・どうかは分かりませんが、素晴らしい席を授かっています。

また、今週末はジュリー道の師匠の先輩と食事のお約束があります。
いつもご一緒していたもう1人の先輩が天国に旅立たれているのが本当に寂しいんですけど、しっかり薫陶を受けて、和光市公演に備えたいと思います。
レポは別館side-Bの方に書きますので、こちら本館はまたしばらくの間更新が滞りますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


台風20号が心配です。
関西、中国、四国、九州にお住まいのみなさま、被害の無いことをお祈りしています。

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2018年8月15日 (水)

沢田研二 「脱走兵」

from『act#2 BORIS VIAN』、1990

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1. 俺はスノッブ
2. 気狂いワルツ
3. 原子爆弾のジャヴァ
4. 王様の牢屋
5. MONA-LISA
6. きめてやる今夜
7. カルメン・ストォリー
8. 夜のタンゴ
9. 墓に唾をかけろ
10. 鉄の花
11. 脱走兵
12. 進歩エレジー
13. バラ色の人生

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73年目の『終戦の日』です。
先の大戦を知らずに生まれた僕が戦争のことをどのようにして知っていったか、と言うとこれが「学校で教わった」ということはまったく無くて。今はどうか分かりませんし、そもそも地域性もあるのでしょうが、僕の中学高校時の社会の歴史の授業って、大正デモクラシーあたりで1年がほぼ終わってしまっていました。
第二次大戦なんて、駆け足でしたねぇ。

ですから、親や祖父から話を聞く以外で少年時代に戦争を学ぶとなると、ほとんどが「本」でした。
そしてロックを聴くようになってからは、そこに「歌」も加わりました。戦争に限らず、多くの社会問題を僕はロック・ナンバーから学びました。

最初はジョン・レノンの影響だったと思いますが、僕はロックの中でも社会性の高い歌が好きになっていって、それが今やその面においても「世界一」と思える歌手・ジュリーとの巡り逢いは奇跡のような必然。
ただし「ロック」に特化することで自己完結してしまっていた僕は、世界各国各地、リアルタイムに戦争に立ち向かった「反戦歌」なるものを、ロック以外のジャンルで長らく知り得ませんでした。
今日はジュリーがact『BORIS VIAN』で採り上げたそんな反戦歌の代表格、「脱走兵」をお題に、1冊の本をこの夏みなさまにお勧めしようという記事です。
短いですが、おつきあいください。

Boris2

僕が「脱走兵」という曲を知ったのは20歳くらいの時で、普段は塾の先生をしているアマチュアのシンガーの方のストリートライヴ、と言うか教室ライヴの録音テープを聴いたのが最初でした。
ただ、当時はそれがオリジナルなのかどうかすら分からず、これほど有名な曲だとは思いもしませんでした。そのヴァージョンは

大統領殿
この手紙、お暇があれば読んで欲しい

と歌い出し、サビでは

僕は逃げる 何の武器も持たずに
憲兵達よ撃つがいい

と歌うものでした。
これがボリス・ヴィアンの原詩にかなり近い翻訳であることは、ずっと後になって知りました。

ジュリーの「脱走兵」は加藤直さんの日本語詞で、上記ヴァージョンとコンセプトやフレージングに差異は無く、こちらもヴィアンの原詩ほぼ直訳です。
そのヴィアンの原詩について僕は長らくかじった程度の知識しか持ちませんでしたが、つい先月購入した本でようやくその全容を掴み、詞および作曲、歌と世界の背景について学ぶことができました。
今日みなさまにお勧めしようというのがその本で

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竹村淳・著『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』

作中で紹介される「反戦歌」は全23曲。
日本人なら誰もが知る「さとうきび畑」や「もずが枯木で」についてもその背景、時代考証は目からウロコでしたし、イランの歌やイスラエルの歌には驚かされました。歌の成りたちのみならず、同時進行の世界情勢を分かり易く解説してくれているのです。
例えば「脱走兵」の項ではインドシナ戦争、アルジェリア戦争への深い言及があり、ヴィアンをとりまく「対国家」(フランス)の毅然たる構図も浮かびあがります。

この世界には、戦争は必要悪だと言う人がいます。神聖な儀式である、とすら言う人もいます。
僕はそれを正気の沙汰じゃないと思うけれど、事実そういう考えの人は今現在この国の舵とりをしている為政者の中にもハッキリといます。
ならば僕は、「戦争とは、正気でない為政者が民衆の正気を奪い操り狂気に駆り立てるところからひっそりと始まる人類の愚行」と言っておきましょう。

『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』で紹介される23曲のうち、不勉強な僕でも「よく知っている」と言える曲が2つありました。
まずボブ・ディランの「戦争の親玉」。
「世界の何処かで戦争を起こす」ことで潤う武器商売の胴元。つまりは「国家」であり「体制」。それをディランは「Masters of War」と表現しました。
もう1曲はビリー・ジョエルの「グッドナイト・サイゴン」。構想から完成まで時間のかかった曲として有名でしたが、著者の武村さんはそれをビリーのデビュー時の世相にまで着眼し紐解いてくれます。
ごく普通の善良な隣人、友人がある日突然「撃つ側」に身を置かざるを得ない不条理。ビリーの「この歌で多くの人達を傷つけてしまうのではないか」との苦悩は、近年のジュリーのそれとよく似ています。

「防衛装置移転」すなわち武器輸出解禁。安保法制の強行採決。過去のことではありません。この先の僕らの身に迫ってくる、切実な問題です。
残念ながら「戦争の親玉」も「グッドナイト・サイゴン」も、僕ら日本人の身近な歌になってしまったのです。

最後に。

『反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち』の「脱走兵」の項で竹村さんは、ほんのひと言ではありますが、ジュリーのact『BORIS VIAN』劇中歌ヴァージョンの「脱走兵」を紹介してくださっています。ジュリーファンとしては本当に嬉しいことです。
みなさまもご一読されてはいかがでしょうか。

竹村さんは世に幾多ある「脱走兵」の歌手別のヴァージョンの中で、ジュリーのそれを「異色」と位置づけました。原詩に忠実なのに異色とはこれいかに、と一瞬疑問を抱きましたが、これはおそらく「あのド派手ギンギンのスーパースター・沢田研二が「脱走兵」のような反戦歌を歌う」ことがイメージとして異色、とお考えだったのだろうなぁと納得。
ただ、ファン以外にはあまり知られてはいませんが、「反戦歌」と言うならば今のジュリーこそはこの極東の島国において時代を牽引する詩人であり歌手。
竹村さんに是非「un democratic love」や「我が窮状」を知って頂きたい。そしてそれらの名曲を紹介する第2弾、第3弾の続編刊行を期待したいです。



さて、僕の夏休みは今日まで。
明日からはまた仕事です。今月は決算月なのでかなり忙しくなります。次の更新もなるべく早くするつもりではいますが、少し時間はかかるかもしれません。
とにかくこの暑さです。月末の和光市公演を楽しみに、なんとかこの8月を乗りきりたいです。
みなさまもどうぞご自愛ください。

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2018年8月11日 (土)

沢田研二 「アラビアの唄」

from『act#8 宮沢賢治/act#10 むちゃくちゃでごじゃりまするがな』、1996

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『宮沢賢治』(1996)
1. 異界
2. 運命 雨ニモ負ケズ
3. アラビアの唄
4. ポラーノの広場のうた
5. 星屑の歌 ~スターダスト
6. 百年の孤独
7. 私の青空
8. 笑う月
『むちゃくちゃでごじゃりまするがな』(1998)
1. 美しき天然
2. ボタンとリボン
3. おなかグー(セ・シ・ボン)
4. 世の中変わったね
5. 君待てども
6. トンコ節
7. け・せら・せら(ケ・セラ・セラ)

--------------------

台風13号は僕の住む埼玉県は逸れていきましたが、東日本と東北の太平洋側に暴風雨をもたらし過ぎていきました。そんな中、去る8日のジュリー北とぴあ公演が無事開催されたのは幸いでしたが、改めて自然の脅威に身のすくむ思いです。
西日本豪雨の被災地もまだまだ平穏な日常、復興には時間がかかるとのこと・・・地球、大丈夫なのかと心配になります。
とにかくみなさまのご無事をお祈りします。


さて。
どれだけ年を重ねても、敬愛するミュージシャンの「新譜」が聴ける、というのはこれ以上ない幸せなことでして・・・その意味では、毎年必ず新曲をリリースしてくれるジュリーは僕にとって世界一の歌手です。
他にもボブ・ディランやニール・ヤングなどは短いスパンでどんどん新曲をリリースしてくれます。何度も書きますが、僕は「常に新しい創作に向かう」アーティストやバンドの姿勢をまず何よりも評価するのです。

そして来る2018年9月、ポール・マッカートニーの5年ぶりとなるニュー・アルバムのリリースが決定。
タイトルは『エジプト・ステーション』。アルバム冒頭とラストに配されるインスト2曲がトータル・コンセプトである「駅」の始発と執着を表し、2曲目からラス前の歌モノの楽曲群が、あっちへ行ったりこっちへ行ったりの豪華絢爛な「駅の旅」に見立てられているという・・・これは大変な大名盤の予感!
両A面シングルの2曲を先行で聴けるのですが、いずれも「ポールファンには間違いの無い」素晴らしい名曲。アルバムは既に密林さんで予約を済ませていて、到着が今から本当に楽しみです。
さらに、ちょうど北とぴあ公演の日だったのですが、「来日決定!」のニュースが何と朝刊にて第1報。

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もちろん僕は東京ドームに駆けつけます。
今年はジュリーで日本武道館にさいたまスーパーアリーナ、そしてポールで東京ドームと、大会場のLIVE参加が続くなぁ・・・。

それでは、拙ブログで今月開催中、短めの徒然日記風でどんどん更新してゆく『真夏のact月間』。
ジュリーのactシリーズの中で(あくまでもCD大全集で音源のみを聴いての個人的な印象ですが)全体的に『エジプト・ステーション』的な「異国ぶらり旅」のような感覚で楽しんでいる作品が、96年の『宮沢賢治』です。
今日はこの『宮沢賢治』から、ポールの新譜タイトルにある「エジプト」からの連想ということで(安易汗)「アラビアの唄」をお題に採り上げたいと思います~。


Miyamutya2

世代のせいでしょうか、僕はジュリーのactヴァージョンを聴くまでこの曲を知りませんでした。『CD大全集』で聴いた後も「有名な曲」とは思っていませんでした。
認識を一転したのは、朝ドラ『わろてんか』で登場人物がこの曲を歌うシーンが流れたから。
どうやら一定の世代以上では「誰もが知るスタンダード」らしいぞ、と思い改め調べると、これは元々アメリカ映画『受難者』の主題歌で、現地ではさほどヒットしなかったものの日本人の耳と相性が良かったらしく、堀内敬三さん訳詞、二村定一さんの歌による和製ジャズとして我が国では大ヒットしたのだそうです。

そんなに有名な曲なら勤務先にスコアがあるかな、と思い探しましたがなかなか見つからない・・・ようやく簡易なメロ譜をひとつ発見しました。


Arabiyanouta

『歌の宝石箱(第2巻)』より。解説文に列記されている「ダイナ」もジュリーは『act#4 SALVADOR DALI』で歌っていますね。

このスコアは、高齢者介護の現場で使用するいわゆる「音楽療法」のサブテキストとなる歌本。
歌がリリースされたのが昭和2年ということですから、なるほど高齢の方々にとっては「なつかしのメロディー」でしょうが、いやぁ普遍性の高い名曲です。
短いヴァースの中に同主音移調が登場し、勇壮な歌い出しとそれに続く哀愁漂う転調展開が、日本人の感性に異国情緒を訴えたのか・・・大ヒット当時は、「これまで聴いたことのない」斬新なメロディーのメリハリに皆が夢中になったに違いありません。

さてジュリーのヴァージョン。新たな日本語詞をつけるのではなく純粋なカバーです。何故そうしたかは映像を観ればたぶん分かるのかな。
編成はアコーディオン、バンドネオン、ベース・・・なのですが、実は僕は生音のアコーディオンとバンドネオンの区別がつきません。CDでミックスされている左右の音のどちらがどちらなのか、という状態(汗)。
通常のシンセサイザーによる擬似音だと、2つの音色設定は明快に異なります。バンドネオンはコーディオンより少し太く、幅がある感じ。例えば泰輝さんが「一握り人の罪」の間奏で使用しているのはバンドネオンのパッチだと思います。これが生音になると何故分からなくなるのか・・・情けない。

ジュリーのヴォーカルは、素晴らしく曲世界にマッチしています。『act宮沢賢治』は、ジュリーが全編に渡って「声を張る」歌い方を貫いているのが珍しく、それが大きな個性ではないでしょうか。
ジュリーは普通に歌っても声に艶があるので、阿久=大野時代の情念のナンバーであっても、近年の「祈り歌」でも、ことさら声を張って「朗々と」歌う必要はありません。そんなジュリーが敢えてこの歌い方をするならば、それは手管ではなく「表現」なのでしょう。
『宮沢賢治』はメインのナンバーが有名なベートーベンの『運命』で、これをどのように歌うか、と考えたところから舞台でのヴォーカル・スタイルが(他の曲にも影響を及んで)導き出されたと考えられます(それにしても、あの『運命』に「じゃじゃじゃ、じゃ~ん♪」と載せて歌ってしまおうという発想が凄い!)。
『CD大全集』では「アラビアの歌」はその「運命 雨ニモ負ケズ」の次に配されているので(実際の舞台でもそういう流れだったのでしょうか?)、曲調の変化から軽快な印象を抱かせますが、ジュリーは存分に声を張っていますよね。こういう歌い方のジュリーも(滅多に無いだけに)良いものです。

僕はどうしても演奏形態に囚われる傾向があるリスナーですから、当初CD大全集の中で「難解」だと思っていたのが『宮沢賢治』。
ある時そんなジュリーの「歌い方」に気づいてからはスルメ的に好きになりました。入り口がどうあれ、結局ジュリーの歌に意識が収束される・・・僕が初聴時から遅れて好きになるジュリーの作品には、どうやらそんな段階がいつもあるようですね。


それでは次回は15日の更新を目指します。
お題ももう決めています。多くのカレンダーに「終戦記念日」或いは「終戦の日」の記載が無くなってしまった今だからこそ、この日に書いておきたい1曲です。

今日からお盆休みという方々も多いでしょう。僕は今年の夏休みは出かけるのは近場だけにして、なるべくゆっくりしようと思っています。
腰はだいぶ良くなってはきたのですが、腰を庇う生活を続けていたら今度は膝とか股関節がね・・・そもそも僕は『ジュリー祭り』の時点からすると15キロも体重が増えてしまって、成人してからの長期間を40キロ台で過ごしてきたのが一気に60キロ台になったら、そりゃあ年齢を重ねた身体は悲鳴をあげたくなるのでしょう。

でも、ジュリーも北とぴあ公演で「太さは必要!」と力説していたみたいだし、まだまだ厳しい暑さが続きそうですが、休める時はゆっくり休んで・・・元気な古稀ジュリーを見倣い、夏を乗り切りたいです。
みなさまもどうぞご自愛ください。

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2018年8月 6日 (月)

沢田研二 「マッド・エキジビション」

from『act#9 ELVIS PRESLEY』、1997

Elvis1

1. 無限のタブロー
2. 量見
3. Don't Be Cruel
4. 夜の王国
5. 仮面の天使
6. マッド・エキジビション
7. 心からロマンス
8. 愛していると言っておくれ
9. Can't Help Falling in Love
10. アメリカに捧ぐ
11. 俺には時間がない

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8月6日です。
広島は今、大変な状況です。西日本豪雨による甚大な被害、継続する過酷な猛暑。そんな中にあっても広島の人々はこの日の祈りを忘れることはないでしょう。
その姿に心からの敬意を以って、僕も祈ります。


それでは拙ブログ8月は『真夏のact月間』、今日は97年の『act#9 ELVIS PRESLEY』から、「マッド・エキジビション」をお題に採り上げます。
(拙ブログとしては)短めの文量で考察控え目、徒然風にサクサク更新すると決めたシリーズ。下書きのない一気執筆ですが、今日もよろしくおつきあい下さい。



Elvis4

前回記事ではパット・ブーンのカバーで「あくび・デインジャラス」を採り上げました。
パット・ブーンとエルヴィス・プレスリー。この2人は黒人が生んだR&Bを白人文化にまで浸透させたロック黎明期にあって2大スターと称されたそうです。
キャラクター的には優等生タイプ(ブーン)と不良タイプ(プレスリー)ということで、それぞれ各方面の評価は異なるようですね。ただ、いずれも「俗」のエネルギーを持った眩いスターだったんだろうなぁとリアルタイムで彼等を知らない僕は想像しています。
「雅」よりも「俗」のエネルギーの方が強大で大衆に膾炙しやすい、というのは6月の新宿カルチャーセンターで、かの人見豊先生が講義してくださった通り。
まぁ僕は自分の名前に「雅」が入っているので、人見先生がホワイトボードに「雅」の文字を書いてくれたのを見て「お~っ!」と思いましたけど(笑)。

さて、幾多あるプレスリー・ナンバーの中、最も日本人に知られ愛されている名曲となると、やはり「ラブ・ミー・テンダー」ではないでしょうか。
当時「ロックンロール」と聞くと「不良の音楽」と決めつけていたPTA的「雅」な頭の固い大人達も、この美しいバラード・ナンバーについては抵抗感が少なかった・・・タイガースで言えば「花の首飾り」のようなスタンスだったんじゃないかな。
今現在でもCMなどで耳にする機会も多いですから、プレスリーの名前すら知らない若い人達もこの曲のメロディーだけは知っている・・・柔らかくて普遍性が高い名曲と言えるでしょうか。

その「ラブ・ミー・テンダー」をカバーしたジュリーのactナンバーが、「マッド・エキジビション」。
日本語詞は加藤直さんでもジュリーでもなく音楽統括のcobaさんなのですね。横文字のフレーズも敢えて片仮名読みの語感で、母音のコブシを効かせるようにメロディーに載せているのが面白いです。
既に記事を書き終えている「グレート・スピーカー」(『BUSTER KEATON』)同様、多忙でステージ演奏までは参加できなくなったcobaさんが、それでもジュリーのactに惜しみない尽力を注ぎ、作曲・編曲のみならず日本語詞についても名篇を残している・・・actシリーズに漲るそんな熱量をリアルタイムで体感されている先輩方が本当に羨ましい!

映像を観ずに楽曲だけで掘り下げようとすると、「マッド・エキジビション」のcobaさんの詞はかなり難解。幻想的のようでもあるし、写実的のようでもあり・・・。

行き先       知れぬ
E    G#7(onD#)  C#m  E7(onB)

スウィート スウィート ドーナッツラヴ
A                             Am         E

月を なめるは あおい天使 ♪
E  C#7  F#7      B7         E

ここで登場する「ドーナッツラヴ」とは?
プレスリーの死因にまつわる都市伝説(事実とは異なります)と何か関係があるのでしょうか。
そうそう、「ドーナツ」と言えばいわゆる45回転レコードの「シングル盤」。この「ヒット曲」流布のスタイルを確立させたのがプレスリーなんですよね。
僕は「プレスリーとドーナッツ」の関係については、変な都市伝説よりもこちらの偉大な事実(功績)の方を広く世間に知って欲しいと常々思っていますが・・・。

この曲のジュリーの歌声に何故か「慟哭」を感じてしまうのは僕だけなのかなぁ。
具体的に悲しいフレーズが出てくるわけではないのに、「泣いている」ように聴こえてしまいます。その上でコミカル(と言うより自虐的?)な感覚もある・・・不思議な不思議なジュリー版「ラブ・ミー・テンダー」。
ジュリーがこの曲の中に何か「痛み」を見出して歌っているのかなぁとも思えます。

泣いているように聴こえる、と言えば最近の曲だと「un democratic love」。
「Don't love me so」・・・「そんなふうに僕を愛さないでくれ」と歌うわけですが、じゃあどんなふうに愛して欲しいのか。それがたぶん「Love me tender」・・・直訳すればズバリ「やさしく愛して」。
act『ELVIS PRESLEY』以前に英語原詞のまま「ラブ・ミー・テンダー」を歌ったことがあるジュリーは(『ロックン・ジュリー・ウィズ・タイガース』)、その時既に「ラブ・ミー・テンダー」ってどういう「愛し方」だろう?と考えたこともあると思うんですね。
「tender」の志は昨年リリースの2曲でも重要なキー・フレーズとなっていて、「ISONOMIA」では「TENDERNESS」、「揺るぎない優しさ」ではそのまま「優しさ」とジュリーの自作詞に採り入れられています。
そう考えるとプレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」は「祈り歌」のように思えてくるし、「ISONOMIA」も「揺るぎない優しさ」も「un democratic love」も、そして一連の「祈り歌」は逆に「LOVE SONG」なんだなぁ、と昨年お正月のセットリストが思い出されます。

人の痛みを懸命に思わずして「祈り歌」も「LOVE SONG」も歌えない。ましてや「平和」は語れない。
今日はジュリーの「マッド・エキジビション」を聴きながら、そんなふうに考える夜を過ごしました。

ちなみに、独自の日本語詞でカバーされた「ラブ・ミー・テンダー」と言えば、僕がジュリーの「マッド・エキジビション」より先に知っていたのがRCサクセションのヴァージョン(アルバム『カバーズ』収録)。

Lovemetenderrc

こちらは、「核などいらない」「放射能はいらない」と歌う痛烈なメッセージ・ソングでした。


僕はこの日8月6日の午前8時15分を、(休日でない限り)毎年ちょうど出勤で職場最寄の駅を降り立ったあたりで迎えます。
行き交う人を避け路肩に佇み、祈り、歩き出した1日。
73年目の、そして平成最後の「広島原爆の日」がこうして過ぎてゆきます・・・。

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