沢田研二 「カガヤケイノチ」
from『3月8日の雲』、2012.3.11
1. 3月8日の雲
2. 恨まないよ
3. F.A.P.P
4. カガヤケイノチ
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『3月8日の雲』全曲記事執筆シリーズも、今回で最後です。当初、3月いっぱいに書き終えるという目標を掲げておりましたが、予想外の大変なエネルギー消費に、達成には至りませんでした。
それはそのまま僕自身の力不足ということでもありましょうが、最後の曲まで入魂度は落ちませんでした。自分にとって、それは良かったなぁ、と思っています。
有終の美、となればよいのですが・・・いよいよ今日のお題は「カガヤケイノチ」です。
オフィシャル・サイトでは「シングル曲」としての追記があったナンバー。「シングル曲」の明確な表示が何に繋がるかと言うと、例えばアルバム・ヒットチャートのラジオ番組でこのCDがラインクインした時に、CDを代表してオンエアされるのが「カガヤケイノチ」になる、といったようなことです。
今のところ、そういう情報を僕は得ておりませんが・・・。
僕は今回の新譜を何度か聴いた段階で、すぐにこの「カガヤケイノチ」が一番好きになりました。
それは今でも変わっていません。
ただ・・・どういうふうに好きか、という個人的な思いについては、どんどん変わっていきました。
最初は、「こんなキレイな音は初めて聴いた!」と感動したアコースティック・ギターのワルツ・ストロークと、ジュリーのヴォーカルに惹かれました。
次第に、ジュリーがオフィシャルサイトに「この曲がシングルだよ」と追記した気持ちがそのまま伝わってくるような歌詞と、見事なまでに詞とシンクロした楽曲構成に心を奪われていきました。
発売前に執筆した楽曲予想記事の中で、唯一当たっていた(と自分で思った)のが、「カガヤケイノチ」について書いた
ジュリーの詞は、これが一番泣けそうな予感がします
という1行。
歌詞カードを見ながらエンディングのコーラスを一緒に歌うと・・・自然と涙がこみ上げてきていました。
この曲が4曲目で本当に良かった・・・ジュリーの歌詞を味わいながら、何度もその感動に浸っていました。
しかし、今。
同じ箇所を聴いた時にこみあげてくる涙と感動の意味合いが、少し違うものになってきています。
「ジュリーが自分に向けて歌ってくれているような感じ」
多くのジュリーファンが、色々なジュリーナンバーに抱いていらっしゃる感覚ですよね。
でも、僕にとってはこれ、結構珍しいことなんです。
僕が今回、そんな予期せぬ感覚に触れて、突然書きたくなったこと・・・それが今日のお題の最大のテーマであり、『3月8日の雲』レビューの締めくくりです。
またしても今回個人的な思いに偏りながらも・・・みなさまに心からお伝えしたいことがあります。
感謝を込めて。
「カガヤケイノチ」、伝授です!
これまで3曲の記事で、僕は繰り返し
「このアルバムは4曲でひとつ。通して聴くべき作品だ」
と書いてきました。
コメントをくださった多くの方々も、同じ感想でいらっしゃるようでした。でも、今の僕の考え方は、かなり変わってきています。
実は僕は、このアルバムの3曲目「F.A.P.P」までの記事を書き終えた後、何か虚脱状態のような感覚に陥ってしまいました。
そして・・・こんなことは初めての経験だったのですが、ジュリーのこの新譜をしばらく聴きたくない、という気持ちになりました。聴くのが辛くなってしまったのです。
救ってくれたのは、「カガヤケイノチ」でした。
思いもしなかった感情に戸惑いながらも
「もう1曲記事が残っている・・・頑張れ!」
と、自らを鼓舞しつつ「カガヤケイノチ」だけを抜き取って、1曲だけ繰り返し聴きました。
♪ 頑張ら ないでいい 泣いていいのに
B F# G#m D#m E B F#
笑って 生きて行くしかないのですね
B F# G#m D#m E F# B
イノチアルモノ ♪
Em B
今の僕にはこのジュリーの歌詞、メロディーと歌が、ほんの半月前とはまったく違って聴こえています。
「頑張らないでいい♪」
この言葉は、ジュリーファンにとっては新譜発売のずっと前から、すでに馴染みの深いフレーズだったと言えるでしょう。
「頑張ってる人に”頑張って”と言ったらイカン!」
というのはジュリーがLIVEのMCでよく語ってくれることですし、昨年の震災を受けての発言の中にも、「頑張らなくていい。ゆっくりゆっくりでええんや」と、ジュリーは被災地の復興にそんな思いをかけていたのでした。
僕は・・・そしておそらく多くのみなさまも、「カガヤケイノチ」の先述の歌詞・・・「頑張らないでいい♪」が、被災者の方々に向けられたものだと思っていますよね。
それは、たぶん間違いないことでしょう。
しかし今、被災者ではない僕が
「オマエ、そんなに無理して強くなろうとするなよ」
とジュリーにこの曲で言われているような気がしているのです。
ジュリーが「頑張らないでいい♪」と歌うのを聴くたびに、少し前までとはまったく別の感動に襲われ、涙が溢れてきます。
今だから言える本心を吐露すると。
ここまで3曲の考察記事執筆は、ジュリーの素晴らしさを語るにふさわしい楽曲ばかりで大いに気合も入り、張り切りましたが・・・一方ではとても辛かったのです。
どれも文句なく大好きな曲なのに、いざブログで語ろうとすると、何やら無性に怖かったです。
しかもその「怖さ」は、1曲目から3曲目へと進むに従って、加速度的に大きくなっていきました。
「3月8日の雲」「恨まないよ」「F.A.P.P」、これまで書いてきたそれぞれの記事中で僕は、色々と考えが至らなかったり、間違ったことを書いたりしたでしょう。
でも、僕なりに真剣に楽曲と向き合ったことは確かです。そうしないと書けないような3曲だったのです。
でも、この3曲に真剣に対峙し向き合うには、まず自分が苦しまなければならない、シンドイ思いをしなければならない・・・知らず知らずのうちにそんなふうに考えてしまいました。
そうでなければ、被災者の方々に申し訳ないような気がしていたのでしょうか・・・。
僕は、精神的にはまぁお気楽で鈍感な方だと自分では思っています。
そんな僕が、「F.A.P.P」の記事を書き終え、改めてこのアルバムを聴いた時・・・何だか胸が圧迫されるような感覚を覚えました。音を受け入れるのがキツい、と一瞬の思いがよぎりました。
「聴けなくなった?・・・そんなバカな!」
と自分で自分に驚愕しました。
CD発売当初
「凄いと思う・・・でも凄過ぎて、だんだん聴くのが怖くなった。聴けなくなってきた」
と仰っていた先輩がいらっしゃいます。
僕は「こんなに良いアルバムなのに、何故?」と思っていました。しかし僕は、随分遅れてそのお言葉を実感することになったのでした。
何がそんなに怖かったのか。
それは・・・心の平穏が失われる、という恐怖だったと思うのです。
今回の新譜に抵抗を感じていらっしゃるジュリーファンのかたは、意外と多いようです。
「好きになりたいのだけど、聴けない」・・・それは、そういった先輩方が無意識に「自分の気持ちがどうなってしまうかわからない」という”怖れ”に気づいていらっしゃるからでは・・・。
ジュリーの激しいメッセージが発する温度、あまりのまばゆさを、きっと鋭く直感していらっしゃる。
僕などは、ブログの楽曲考察記事ということで気合を入れて、いきなり曲の核心に踏み込んでいったは良いけれど、これは言わば・・・「かけ湯」をせずに50℃近いお風呂にそれと知らず飛び込むような行為だったわけで(伝わるかな?)・・・。
このアルバムの楽曲に真剣に対峙する。僕にとって楽曲考察の記事を書く、ということがそうだったのですが・・・それは、自分の限界ギリギリくらいの精神力を投じることが必要でした。
そうしていると、辛さ、苦しさなどのマイナスの感情との戦いが生じます。それに打ち勝っていくことは何とかできるにしても・・・次第に心がささくれだって、荒んでくる瞬間が確かにあったのでした。
凡人たる自分が強く心を保つには、それも仕方のないことでしたし、それがジュリーの新譜に向き合い、作品のテーマとなっている震災や原発事故を自分で考えるために必要なことなんだ、と思っていました。
でもジュリーは、聴く人にそんなことを強要してはいなかったんですね。
「頑張らないでいい」
「強がらなくていい」
「苦しい時は、考えるのをやめたっていい」
「時には、向き合うことから逃げたっていい」
僕はここへきて、そんなふうに「カガヤケイノチ」を聴きました。
勝手な思い込みかもしれません。
それにしたって皮肉というか何というか・・・僕は自分が「頑張った」からこそ、そんな気持ちでこの曲を聴けるようになったのかなぁ、とも考えます。
その上で、若輩の身でとても生意気ながら・・・みなさまには「無理して頑張らないでください」と申しあげたいです。
もちろん、心身ともに元気な時にはジュリーのこの新譜を聴いて、ジュリーが提示したテーマを自分なりに考えるのはとても大切なことだと思います。
でも。
苦しい時は、逃げたっていいじゃないですか。
辛い時は、目も耳も、そむけたっていいじゃないですか。
このアルバムを聴くのが辛いと仰るかた・・・ならば、無理して聴くことはないのです。
聴ける時に聴けばいいし、対峙するのがシンドイ3曲を除いて、最後の「カガヤケイノチ」1曲だけを繰り返し聴いていたって良いと思うのです。
こんなことが起こったんだから、常に心を強く持っていなきゃだめだ、なんてことはないと思います。
無理して考え込んだせいで、優しい気持ち、穏やかな心を失くしてしまわないように。
本当に大切な「人の気持ち」というのが何なのか・・・ジュリーは「カガヤケイノチ」でそれを歌ってくれているんだと僕は思うなぁ・・・。
ジュリーの今回の新曲を聴いて、色々と考えて、苦しみ、悲しみ、戸惑い、悩み・・・確かにあります。
それが「ブレる」ということであれば、ジュリーは
「それでいいんだよ。それが当たり前だよ」
と言ってくれているのではないでしょうか。
そこで、逆に改めて知らされるのが、ジュリーの強さです。
ジュリーは強い・・・途方もなく強いですね。
ファンは、この新譜をただ聴く立場・・・それでもジュリーの歌を全身で受け止め、曲と対峙するには莫大なエネルギーを使わねばなりません。
とすれば・・・イチから歌いたいことを纏め上げ、作品に昇華し広く世に問うということをやってのけたジュリーの心身にかかるプレッシャー、注ぎ込まれたエネルギーは、一体どれほどのものなのか。
実際、色んなことを言われたでしょう。目にし、耳にしたでしょう。
ジュリーの心の負担は、想像を絶します。
それでもジュリーは、苦しみや悲しみを歌う以上の、大きな優しさを忘れなかった・・・穏やかな心を失うことなど無かった。
それがジュリーの強さです。それが「カガヤケイノチ」という曲です。僕はそう思います。
いつも遊びに伺っている先輩のブロガーさんが、僕の「F.A.P.P」の記事を過分なまでのお言葉で紹介してくださり
「きっと後には爽やかな風が吹いている」
と仰ってくださいました。
力を尽くして書いたことが少しでも報われたような気がして、嬉しかったです・・・。
そして、僕にとっての「爽やかな風」は、「カガヤケイノチ」という曲の中にこんなにもたくさん詰まっていたんだなぁ、と今大きな感謝の気持ちに包まれています。
僕はそう思えたから、現金なものでアッという間に復活。この大名盤をまた再び毎日ガンガン聴きまくっていますよ。
全曲通して聴いた時、最後に「カガヤケイノチ」が待っている・・・というのが、何物にも変えがたい歓びです。
人の心って、単純なのか複雑なのか、ですね・・・。
そういえば、昨年のことで少し思い出した話があります。
4月・・・仙台駅からすぐ近く、青葉通り沿い付近にある楽器・楽譜の有名ショップさんが、まだ3月11日以降の大きな痕跡の残る状況下で、お店を再オープンすることが決まりました。
店頭の商品はほとんどが傷んでしまっていたため、新たに品揃えからの再スタートです。各メーカーに、決意漲る書面と共に大量の発注が届きました。
通常メーカー側は、書籍などをダンボール箱で発送する場合、商品のサイズがまちまちだったりすると、「パッキン」といって、包装の梱包紙などを丸めたものを隙間に詰め込んで荷物を作ります。
その日、僕の勤務先はいつも通りにしてしまったのですが、あるメーカーさんは、「パッキン」の代わりにチョコレートなどのお菓子を大量に買ってきて、ダンボール箱の隙間に敷き詰めて発送なさったそうです。
後に、そのショップさんが「嬉しかった」と感動されていたというお話が伝わってきました。
「粋なことするなぁ。素敵だなぁ」
と感心したこと・・・そんなことを、今になって僕はまた思い出したのでした。
こういうことってやっぱり、普段から自然体の優しさと穏やかな心を持って被災地のみなさんに思いをかけていらっしゃる・・・そんな志のかたの、スッと思い浮かんだアイデアだったんだろうなぁ、と思うわけです。
今後、何かのきっかけで被災地の方とご縁があった際、「自分は今度のことをこう考えています」とか、「何と言葉をおかけすれば良いのか・・・」とか、そんな主張や迷いを抱くのではなく、自然にスッと日頃の思いを行動に示せる、言葉に表せる・・・そんな優しさを持つ人でありたい、と僕は今考えています。
ジュリーの「カガヤケイノチ」の歌詞に、僕は同様の思いを感じました。
♪ 歳 月が過ぎよう と
Dmaj7 D6 Dmaj7 D6
待ち つづけてる人 に
Dmaj7 D6 Dmaj7 D6
See 温もりを あげたい
Em Emmaj7 Em7 A Dmaj7 D6 Dmaj7 D6 ♪
少し前まで、今ひとつ咀嚼しきれていなかったこのAメロの2回し目の歌詞が、今なら分かるような気がするのです。
でも・・・泣けるのは、歌詞だけではありませんね。
それではいよいよ、ジュリーの素晴らしいヴォーカルと、下山さん渾身の作曲、鉄人バンドの暖かな演奏などについても語ってまいりましょう。
このアルバムの曲並びが、後になるに連れてどんどん高音域になってゆくことは、前回記事でも触れました。
64歳になろうというジュリーが・・・おそらく今年が最後の挑戦になるでしょう、レコーディング作品としては本当に久しぶりに、高い「ラ」の音を解禁したのです。
♪ ブ レ つづけても 貰った命 ♪
G A F#7 Bm Em A F#
「ブレつづけても♪」の「け♪」が高い「ラ」の音。
「F.A.P.P」の最高音としても登場したこの音。この曲では、それは正に奇蹟のヴォーカルです。
「カガヤケイノチ」の場合は「F.A.P.P」と比較すると全体的に音域設定が高めで、これは男性よりもむしろ女性のキーに合うのではないでしょうか。
Aメロの頭から既にメロディーがオクターブ超えということで、ジュリーは声を休める間もないほどなのです。
しかし何よりも、「カガヤケイノチ」の穏やかな曲調が、ジュリーがスッと気持ちを込められるものだったのでしょう。
そのため、そんなに高音域だとは思えないほどの自然で伸びやかな、それでいて力強いヴォーカルになっていますよね。
そこで、下山さんの作曲についてです。
発売前、「カガヤケイノチ」というタイトル、下山さん作曲、ということから僕もあれこれと予想をしまして、最初はエイトビートのポップ・チューンかな・・・とか、新調
したアコギで作曲するだろうから、「Beloved」みたいな感じかも、と思い直したりしました。
いずれも、外れました。
「カガヤケイノチ」は、アコースティック・ワルツでしたね。
ワルツとは意表を衝かれましたが・・・改めて聴くと、このリズムがジュリーの作詞のコンセプトと見事に融合しています。
穏やかに浮遊している感覚。ゆっくりと揺れながらも、安心できる確かな存在の上にしっかりと支えられているような感じです。
いつもお世話になっている先輩が、「ワルツは人間の一番の気持ちの音楽」という加古隆さんの言葉を教えてくださいました。さらに、「ジュリーが好きな”天然の
美”もワルツですね」とも。
ジュリー、あの曲が好きだったのか・・・僕はそのお話、今回初めて知りました。
ちなみに「天然の美」(=「美しき天然」)は明治時代に作られた唱歌だそうですが、曲中に1箇所だけ、転調もしていないのにとても斬新な音階が登場するところがあって、「凄い曲だなぁ」と、僕は以前から興味を持っていたものでした。
意外なところでこの曲のお話が伺えて、驚き感心させられた次第です。
さて、下山さんの「カガヤケイノチ」は、柴山さんの「F.A.P.P」に負けじと複雑な転調を駆使した、高度な楽曲です。
イントロからBメロまでが、ニ長調(部分的にロ短調への平行移調あり)。サビがロ長調。
短い伴奏部を挟んで2番(Bメロ途中からの導入)でそれを繰り返し、さぁ間奏ギターソロ!というところで突然半音上がってのハ長調へと昇華します。
「いざ間奏」で半音上がりのカッコ良さは、同じワルツ・ナンバーであるポール・マッカートニー&ウイングスの「夢の旅人」を思い出しました。
下山さんの中には、カントリーのイメージが最初にあったような気がします。
意外とテネシー・ワルツあたりの雰囲気が狙いかもしれません。アコギでそれを作る、というのがミソだったんだと思います。
仕上がった音源は、ジュリーの詞との融合や、それに伴う独特の浮遊感、浮上感を持つアレンジが施されたことで、まったく新しいジャンルのような、不思議な魅力を持ったナンバーとなりました。
例によりまして、ヴォーカル、コーラス以外のすべての演奏トラックを書きだしてみましょう。
・アコースティック・ギター(下山さん)
・エレキ・ギター(2番から噛む、サスティンの効いたリード・ギター。柴山さんのように聴こえるけど・・・自信がありません)
・キーボード(ポワ~ンという幻想的な音色。泰輝さん)
・オルガン(イントロや間奏のキーボードとは別の、シンプルなオルガンの音色。泰輝さん)
・謎の低音(1番Bメロから噛んでくる薄い低音。オルガンのようにも聴こえるし、シンセベースの一種のようでもあります。ほとんど主張の無い音で、2番以降はトラック判別すら困難。下手するとギターの音なのかも・・・)
・ドラムス(GRACE姉さん)
・エレキギター(最右トラックで、楽曲全編に渡ってあぶくをたてているような音。この音はギターなんですよ!たぶん柴山さん)
最左のアコースティック・ギター、最右のエレキギターは、ともに楽曲全体を最初から最後まで徹底して包みこんでいます。
ワルツが人間の一番の気持ちの音楽とするならば、「気持ち」を刻むワルツがアコースティック・ギター。呼応して浮遊感を演出するのがエレキギターという役割です。
問題は、もうひとつのエレキギター・トラック・・・中央のリード・ギターが柴山さんで合ってるのかなぁ、ということ。
作曲が下山さんだから、普通は下山さんだと考えるところなんですけど、音色やフレージングが「涙色の空」のリード・ギターにそっくりなものですから・・・。ならば、柴山さんかなぁ、というのが僕の推測です。
泰輝さんは最大で3つの音色を使い分けている可能性がありますが、別録りではないように思います。泰輝くさんが別録りを敢行したのは、このアルバムでは「3月8日の雲」1曲だけではないかなぁ・・・。
さて、演奏の見所については、これも例によりまして・・・LIVEでの配置予想と併せて語っていきます。
柴山さん・・・エレキギター
イントロからしばらくは、CD音源で右サイドから聴こえているおぶくを立てるような浮遊音を再現してくれるのではないでしょうか。しかしBメロからサビにかけては、単音弾きで低音のカバーに当たると予想します。
間奏のリードギターは、おそらく「涙色の空」のようなサスティンの効いた音色設定になるでしょう。「ちゅくぎゅ~ん!」はさすがにナイと思いますけどね。
あとは、何と言ってもコーラスです。エンディングの「笑顔~で~♪」のコーラス部で、文字通りの満面の笑顔をもって歌ってくれるのは、ステージ上では柴山さん一人だけでしょう。注目です!
下山さん・・・アコースティック・ギター
この曲はアコギでしょう!
ひたすらにそれを切望いたします。繰り返しになりますが、とにかく「カガヤケイノチ」のアコギ・ストロークは、洋楽含めて、僕がこれまで聴いてきたすべての音源の中で一番キレイなアコギの音でした。ほどよくシャリッとしていて、ハイコードは硬派に、ローコードは柔らかく鳴っています。
その威力を、是非LIVEでも体感させて欲しい・・・。
見所は、ハイコードの連発となる1番、2番のサビです。結構ヘッドから遠いところまで動き回る進行になっています。
そして最後のコーラス部のサビでは一転、ローコードでの優しいストロークになるはずです。ちなみにこの箇所だけに関して言えば、ギタリストにとって、完全に目をつむっていても弾けるほどの簡易な演奏ということもありますし、ならば下山さんのコーラス参加にも期待してみたいと思います。
泰輝さん・・・オルガンなど
基本、CD音源と同じ音色設定と予想します。イントロと、1番と2番の間の間奏部が泰輝さんのソロということになりますね。
イントロにしても間奏部にしても、例えば下山さんのアコギは「Dmaj7」をずっと引っ張っての演奏。「Dmaj7→D6」の循環を表現しているのは、泰輝さんのキーボード・フレーズなのです。キーボードが消えると今度はジュリーの歌うメロディーがその役を引き継ぎます。
ヴォーカルとキーボードのかけ合い、という意味でも、ジュリーと交互にスポットを浴びるなどの、照明の工夫が為されるかもしれません。
GRACE姉さん・・・ドラムス
1曲目「3月8日の雲」の記事中では、ブレイク部で炸裂する”鬼姫ロール”に注目、と書きました。
4曲目「カガヤケイノチ」にも、GRACE姉さんのドラムロールが登場します。ただ、聴こえ方はまったく違います。
「3月8日の雲」がハードな戦慄のロールとすれば、「カガヤケイノチ」は、優雅で前向きな、マーチング・ロール。これを、”くの一ロール”と名付けましょう。だって、下山さんの曲だもの(意味分かんないかた、ごめんなさい)。
しかしジュリーLIVEでのGRACE姉さんのステージで毎回驚かされるのは、「そのフレーズを叩きながらコーラスまでとりますか!」・・・というね。
今回もそれが観られるでしょうか。
リード・ギター部の「Hoo・・・♪」というコーラスに注目です。マーチング・ロールを叩きながらコーラスまで担うとなれば、これまた凄いことですよ!
それでは、最後になりましたが・・・。
「カガヤケイノチ」は目まぐるしい転調と難解な構成を擁する高度な楽曲と言えますが、耳当たりは穏やかで、清々しいポップ・チューンです。
転調部ごとのパーツ・・・Aメロ、Bメロ、サビをそれぞれ独立して切り取ってみると、抜群にメロディアスであることが分かります。難解なのは、美しい3種類のパーツを繋ぐ手管ということです。
特にサビのコード進行は古き良きフォーク・ソングの構成に通じるものがあり、親しみやすいメロディーとなっています。
そしてそのサビ部は、1番、2番のロ長調を終えた後、半音上がりの転調でハ長調のギター・ソロへと繋がり、そのまま最後の大コーラス部へと移行していきます。
ここまで、ハイ・コードを駆使して忙しく演奏されていたアコースティック・ギターは、最後の最後に最もシンプルで最も易しい王道のロー・コード進行となり、謎が解けるように解放され地に足を下ろしたストロークに変わります。
そして、#も♭も付かない裸のメロディーが待っているのです。
最後のサビ部だけが、明解で易しいメロディーと演奏に収束していくことは、何かこの曲のテーマ、本質をそのまま表しているように僕には思えます。
この最後のサビ部・・・ジュリーは「一緒に歌ってね」と、きっとそう言ってくれていますね。そう聴こえますよね。
これまでジュリーがステージなどで「一緒に歌って」とお客さんに語りかけたナンバーが過去にどのくらいあったのか・・・新規ファンの僕には分かりません。
『ジュリー祭り』が初のジュリーLIVEだった僕にとって、それを生で体感できた楽曲は「あなたに今夜はワインをふりかけ」ただ1曲です。よく考えたら、あの曲も「ラララ・・・♪」というハミング部が最後に待っているんですね。
シンプルで、覚えやすいハミング・リフレイン。
もう余計な言葉はいらない。難しいことは考えなくていい。ただ、歌がある。
ジュリーは、「笑顔で」「寡黙に」「カガヤケイノチ」の3つのフレーズだけを最後に残し、歌に託しました。
そして下山さんの作ったメロディー、コード進行とバンドの演奏も、最後の最後に究極にシンプルな形にまで収束されました。
それが『3月8日の雲~カガヤケイノチ』という作品の、必然のフィナーレなのだと僕は感じます。
みなさまの中に、昔ちょっと弾いていたギターがケースに埃をかぶった状態で保管されている、というかたはいらっしゃいませんか?
なかなかコードが覚えられなくて挫折したままになっている、と仰るかた・・・いらっしゃいませんか?
「カガヤケイノチ」の、簡単なコードだけで伴奏できる、一番最後のサビだけ弾いて歌ってみませんか?
普段こういうことはあまりブログには書かないようにしているんですけど、この曲だけは、みなさまに実際に声を出して歌ってみて欲しいのです。
覚えるコードは、初心者用の簡易なものが5つ。
その中で「F」と「G」は、本来もっと難しい正規のフォームがあるのですが、ここでは、下山さんがアコギを弾く際に愛用している、シンプルな変則フォーム(小指を全く使わない押さえ方)を覚えてみましょう。
(ギターの弦は、構えた時に上から6弦→1弦です)
「C」(鍵盤:左手=ド、右手=ド・ミ・ソ)
ひとさし指・・・2弦1フレット
中指・・・4弦2フレット
薬指・・・5弦3フレット
「G」(鍵盤:左手=ソ、右手=シ・レ・ソ)
ひとさし指・・・5弦2フレット
中指・・・6弦3フレット
薬指・・・1弦3フレット
「Am」(鍵盤:左手=ラ、右手=ド・ミ・ラ)
ひとさし指・・・2弦1フレット
中指・・・4弦2フレット
薬指・・・3弦2フレット
「Em」(鍵盤:左手=ミ、右手=シ・ミ・ソ)
中指・・・5弦2フレット
薬指・・・4弦2フレット
「F」(鍵盤:左手=ファ、右手=ド・ファ・ラ)
ひとさし指・・・1弦と2弦の1フレットを同時押さえ
中指・・・3弦2フレット
薬指・・・4弦3フレット
これだけ覚えれば、「カガヤケイノチ」エンディングのコーラスを永遠に繰り返し弾き語れます。世にギター初心者向けの曲多しと言えど、ジュリー・ナンバーでここまで、涙ながらにも楽しく簡単に弾き語れる曲は無いです。
それでは、いきますよ~。
♪ 笑~顔
C
♪ で~
G
♪ ラ~ララ~
Am
♪ ラララ
Em
♪ カガヤ
F
♪ ケイノ
C
♪ チ~
G
♪ 寡~黙
C
♪ に~
G
♪ ラ~ララ
Am
♪ ラララ
Em
♪ カガヤ
F
♪ ケイノ
G
♪ チ~
C
こうして歌う練習しとかないと、いざツアー本番では泣いちゃって泣いちゃって声にならず・・・なんてことになってしまいそうですからね。
といったところで。
遂に、この大名盤の全曲を、記事に書き終えることができました。
いやぁ・・・シンドかっただけに、感慨深いです。
このアルバムはずっと残っていく作品だと思いますから、何年か後に僕の記事など忘れられていようとも、その時代時代で様々な人がこの名盤を熱く評価し、何十年と確実に語り継がれていくと思います。
とにかく、収録曲について自分なりに考えることは考えました。あとはツアーを待つばかりです。
まずは、何とか初日に当選することを願うのみ。
そう言えば
パルシステムのチラシに、今年もジュリーのツアーが掲載されていました。
我が家で利用しているパルシステムのエリアでは、川口リリア、千葉文化会館、パストラルかぞ、栃木総合文化センター、前橋市民文化会館、結城市民文化センターの北関東6公演が取り扱われているようです。
多くの地元の方に観て頂きたい、曲を聴いて頂きたい、と思います。
それにしても何故、いつまでも2007年の写真がこうして使われているのでしょうか?
5年前のジュリー、さすがに若いですねぇ・・・。
さて・・・次回更新からは、過去のジュリー・ナンバー考察お題に戻ります。
『3月8日の雲』を書き終えた後だと、文章に臨む気持ちにも何やらギャップが生じてしまいそうで不安ですが、またいつもの感じで書いていけたら・・・と思っています。
現時点の構想でお題の予定としましては、ちょっとだけ執筆作業のお休みを頂きました後に(さすがに精魂尽き果てた感が・・・汗)、まず初期のナンバーを1曲書き、その後『ジュリー祭り』セットリストから3曲くらい採り上げるつもりでいます。
とりあえず次回記事では、瑞々しくも、静かな咆哮を感じさせるジュリー・ヴォーカルで気分一新、再スタートと行きたいところです。
よろしくお願い申し上げます!
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