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2022年4月

2022年4月20日 (水)

ザ・ワイルドワンズ 「ムーンライト・カクテル」

from『ON THE BEACH』、1981

Onthebeach

1. 白い水平線
2. ムーンライト・カクテル
3. ロング・ボード Jive
4. Dreamin'
5. 海と空と二人
6. 想い出の渚
7. 白いサンゴ礁
8. 夕陽と共に
9. 海は恋してる
10. 青空のある限り
11. 空に星があるように
-bonus truck
12. 雨のテレフォン
13. モノクローム

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今日は加瀬さんが旅立たれてから丸7年・・・毎年思うことですが、本当に早いものです。 

拙ブログでは毎年4月20日、ワイルドワンズ・ナンバーのお題記事を加瀬さんに捧げると決めています。
今年の更新に備えて購入したアルバムは、1981年リリースの『ON THE BEACH』。

ワンズの再結成については79年にシングル、アルバムのリリースがありますけど、後でご紹介する植田さんのインタビューを読むと、この『ON THE BEACH』製作から本格的に再結成、という認識のようです(記事タイトルは「ザ・ワイルドワンズ」としましたが、ここでの正式なバンド・クレジットは「加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ」)。

現時点で一番気に入っている、2曲目収録の「ムーンライト・カクテル」をお題に選びました。
今年もよろしくお願い申し上げます。


最初に『ON THE BEACH』というアルバム全体について、僕自身の勉強も兼ねて書いていきましょう。

まだまだワイルドワンズ白帯を自覚している僕が、今回まったく初めて聴いた1枚。
有り難いことに付属のブックレットには植田さんのインタビューが載っていて、リリース当時のことを詳しく語ってくださっています。
まずはそちらをお読みください。

Onthebeachcd2
Onthebeachcd3

※ 文末に記された年月日をご覧ください。CD再発に寄せて植田さんがこのインタビューを受けたのは、加瀬さんが旅立たれるほんのひと月前なのです・・・。言葉もありません。

僕としても「再結成間もないワンズってどんなだったんだろう?」と興味を惹かれ購入したわけですが、植田さんのインタビューを読みながら音を聴きはじめて、2曲目の「ムーンライト・カクテル」Aメロにさしかかったあたりで「あっ!」と思いました。
そうか、ワンズの再結成は単にGS回帰ブームの産物だっただけでなく、81年と言う時代がこのバンドの特性、音を求めたのだ!と。

植田さんの言葉にある通り、本格的な再結成の気運は日劇がきっかけだったでしょう。タイガース同窓会もそうですしね。

しかしそこに加えて、業界全体が彼等の個性を放っておかなかった、と想像します。
81年と言えば、大滝詠一さんのアルバム『A LONG VACATION』が大ヒットし、ナイアガラ界隈に留まらず邦楽界にマリン・サウンド、ビーチ・サウンドの一大ムーヴメントが起こっていました。
広義にはシティ・ポップの火付け役ともなったそのサウンド・ムーヴメントは、目利きの音楽人達がかつてのGSの雄・ワイルドワンズに抱いていたイメージとピタリ重なったのではないでしょうか。
植田さんが語る「オファーが増えた」大きな要因はそこでしょう。

『ON THE BEACH』はCDで言うと1~5曲目までが新曲、6~11曲目までがGS時代の名曲のリメイク&カバー曲という構成(12.、13曲目は同年シングルAB面をボーナス収録)。

Onthebeachcd1

新曲に着目すると(LPA面?)、もちろんオリジナルについては全曲加瀬さんの作曲で、1、2曲目の作詞が松本隆さんです。

松本さんは言わずと知れた『A LONG VACATION』の実質的なコンセプター。
新曲の中で、「ムーンライト・カクテル」は特に『A LONG VACATION』っぽくて(「カナリア諸島にて」に近いと感じました)、ワンズが以前から持っていたビーチ・サウンドの魅力を、ちょっと大人びたハイセンスな洒落っ気のあるアレンジとエフェクトで仕上げる手法です。
これこそ、時代が新生ワイルドワンズに求めた音だったんじゃないかなぁ。
(ワンズのこの路線は、CDではボーナス・トラック収録の同年末シングル盤「雨のテレフォン/モノクローム」に受け継がれ、『A LONG VACATION』をモロに意識したセンドリターンの深いディレイ処理を楽しめます)。

ちなみにアルバムの3曲目が植田さんの詞で、4、5曲目は三浦徳子さん。
僕は常々、ジュリーの『S/T/R/I/P/P/R』(81年)と『A WONDERFUL TIME.』(82年)での加瀬さんのプロデュースの大胆な変貌を安易に「邦洋問わず音楽の流行に敏感な加瀬さんが、パブ・ロックからシティ・ポップスへとシフトさせた」と考えていましたが、間にワイルドワンズの『ON THE BEACH』を挟むと、それが加瀬さんにとって自然な流れであったことが分かります(『WONDERFUL TIME.』ではなく『A WONDERFUL TIME.』っていうのも今にして考えれば・・・とか)。
日劇からの道程で80年の『G. S. I LOVE YOU』含め、一貫して三浦さんが噛んでいることや、銀次兄さんの尽力(『ON THE BEACH』では全曲のアレンジを加瀬さんとともに担当)など、その人脈からもジュリーの歴史と同時進行的に深い関わりを持つワイルドワンズの名盤、僕は本当に知るのが遅れたなぁと今思っています。

さて、僕が『ON THE BEACH』の中で「ムーンライト・カクテル」を特に気に入り今日のお題としたのにはまた別の理由もあります。
僕はワンズのことを2010年のジュリーWithザ・ワイルドワンズ結成きっかけで知っていきましたから、出発点であるジュリワンのアルバム、ツアーには今でも深い思い入れを持ちます。
「ムーンライト・カクテル」は、そのジュリワンにも繋がる曲だと感じたのですよ。

アルバム『JULIE WITH THE WILD ONES』の中で抜きん出て好きな曲が「プロフィール」(しかもこの曲、年齢を重ねれば重ねるほど沁みる!)。
「SUNSET OIL」なる作詞・作曲クレジットの謎は未だ解けないままですけど、鳥塚さんからジュリーへとリレーするヴォーカル、植田さんの絶妙なコーラス・・・僕にとっては「聴くと元気が出る歌」長年不動の第1位。
そう言えば2010年にNHK『SONGS』で「プロフィール」が採り上げられた時、柴山さんの鬼のアコギ・ストロークを観て僕は「これは”さらばシベリア鉄道”だ!」と盛り上がったっけ。これでジュリワンと『A LONG VACATION』も繋がった!(強引)

で、「ムーンライト・カクテル」の歌詞には「プロフィール」というフレーズが登場します。

籐椅子に もたれる君の プロフィール ♪
G7    C             Bm      Am7 D7   G

鳥塚さんの声で「プロフィ~ル♪」と歌われるだけで僕は萌えてしまうわけで。

あと、Aメロのコード進行に注目。

月灯りで洗うような濡れた瞳哀しく ♪
    G           Gaug         G6      G7

上昇型のクリシェ(和音の中の1つの音だけを変化させてゆく進行)です。
このポップな手法は世の楽曲に多く例があり、ジュリー・ナンバーでパッと思いつくだけでも「I'M IN BLUE」「単純な永遠」「失われた楽園」「Fridays Voice」「ロイヤル・ピーチ」等で採用されていますが、今は『JULIE WITH THE WILD ONES』の話をしていますから、この曲を挙げないわけにはいかないでしょう・・・。
ズバリ、「渚でシャララ」。

傷つけあうより ホホエミえらんで ♪
 G        Gaug       G6             G7

(「渚でシャララ」のオリジナル・キーはイ長調ですが、ここでは「ムーンライト・カクテル」と比較しやすいようにト長調に移調し明記しています)

加瀬さんがジュリワン本気のプロモーションに向けた看板シングルの「渚でシャララ」を作曲しながら、「そう言えばこのパターン、昔ワイルドワンズでもやったっけ」なんて考えていらしたかどうか・・・楽しく妄想できます。


僕は確かにワンズについては後追いも後追い、少しずつ勉強している最中ではあるんですけど、『ジュリー祭り』以降ジュリーのLIVEに通い続けて特別に心に残っている公演は、『ジュリー祭り』を別格とすると、2010年のジュリワン八王子、2015年の『こっちの水苦いぞ』ツアー・ファイナル(東京国際フォーラム)の2本が突出しています。
いずれも「加瀬さんへの思い」抜きには語れないステージなのです。
アルバム『ON THE BEACH』は、「ムーンライト・カクテル」のジュリワンへの繋がり、さらにはそのジュリワン・ツアーで何度も生体感した「白い水平線」も収録されていて、僕の個人的な加瀬さんへの思いを甦らせてくれた名盤でした。

ワイルドワンズは翌1982年、『ON THE BEACH '82』というアルバムをリリースしているようで、こちらも近々に購入したいと思います。
さらに、じゃあ『ON THE BRACH』に先んじて79年にリリースされているアルバム『アンコール』は一体どういった経緯で?ということも僕はまだ知りません。もしかするとCD再発盤ならばそのあたりを解説するライナーがついてるかも・・・これまたいずれ購入しなければ。

加瀬さん。
僕の「ワイルドワンズ探究の旅」は、ゆっくりですがこれからも着実に進んでゆきます!

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2022年4月 8日 (金)

沢田研二 「痛み」

from『TRUE BLUE』、1988

Trueblue

1. TRUE BLUE
2. 強くなって
3. 笑ってやるハッ!ハッ !!
4. 旅芸人
5. EDEN
6. WALL IN NIGHT
7. 風の中
8. 痛み

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僕は今年も5月15日に開催が決まっているピーさんの四谷左門町LIVE(年長のタイガースファンの友人であるYOUさんが毎年主催)をお手伝いするので、今かなり忙しくしています。
例の尿管結石騒動で準備作業中断期間もあったため、現在急ピッチで追い込みをかけているのですが・・・。

ウクライナの惨状、そして当たり前のように侵略、虐殺がまかり通っている酷い現状をニュースで見聞きするうち、やはりこの曲は今採り上げなければ、との思いに駆られました。
急遽、更新いたします。


「80年代ジュリーの祈り歌アルバム」と言ってもよい名盤『TRUE BLUE』。

確か『OLD GUYS ROCK』ツアーの和光市公演で、開演前にたまたま近くの席の先輩お2人がこのアルバムについて「当時はピンと来なかったけど、今聴くとすごくいい」とお話されているのを耳にしました。
僕はリアルタイムのファンではないけれど、その先輩方のお話がよく分かるような気がします。

『ジュリー祭り』後、怒涛のように未聴のジュリー・アルバムを聴いていった僕も、当初『TRUE BLUE』は地味な印象が拭えずほとんどリピートしていませんでした。遅ればせながら再評価し大好きな1枚となったのは、ジュリーが『PRAY FOR EAST JAPAN』の歌作りにシフトしてからのことです。
『TRUE BLUE』って、近年のジュリーの創作姿勢と不思議にリンクする名盤なんですよね。

お題の「痛み」はジュリー自身ではなく松本一起さんの作詞ですが(作曲は篠原信彦さん)、以前「WALL IN NIGHT」の記事に書いたように、僕には『TRUE BLUE』ラスト収録の3曲(「WALL IN NIGHT」「風の中」「痛み」)には共通のコンセプトがあるように思え、特にジュリーの「祈り」を強く感じます。

とは言え、歌について感じること、歌詞解釈はその時々で違っていて。
例えば「WALL IN NIGHT」の記事を書いた時僕は『PRAY FOR JAPAN』と結びつけるようにして上記3曲の流れを聴いていました。
それが今は・・・。
僕には「痛み」がまるで独裁者を糾弾し憐れむような歌のように聴こえています。

人は欲望だけ追いかけて
   C  D        G         E7

人は自分のため武器を持つ
   C     D        G         Em

誰一人として他人の幸せ
     C       D       G   Em

奪う事なんてできないのに何故
     C       D         G         E7

僕は普段、文中で歌詞引用する際は最後に「♪」をつけるのですが、2012年以降のジュリー・ナンバーにはそれを躊躇われる歌が多くなってきました。
今回の「痛み」でも同じ感覚を持ったのは、それがジュリーの「祈り歌」の特性だからかもしれません。

以前「un democratic love」の記事を書いた時に僕は「反日」の謗りを受けた経験があります。
これは本当に遺憾も甚だしいのですよ。自分の愛国心は相当なものだ、と自覚していますから。
同性の友人に政治的な考え方が違う人が多く、それでも親しく時に彼等と闊達に議論ができるのは、大げさに言えばお互いの「憂国の士たらん」とする志を認め合っているからです。

ただし僕は愛国であっても、「選民思想」を持ったことはありません。
日本民族が他民族より優れているとか、特別に選ばれた民族であるとは思っていません。我が国の歴史を重んじ誇りを持つことと、倨傲・大風な優越感に取り憑かれることはまったく別、という考えです。

どの国どの民族であっても、「我が民族は特別だ」との思想は結局それを掲げる個人の「自分は特別だ」に帰結する危険が高い・・・もちろんそれも人にはよるでょうが、選民思想というのは結局個人のコンプレックスから来るものなのだろう、と思っています。
いえ、コンプレックスを持つこと自体は悪いことではありません。
プーチンは身体が小さい方だったからこそ柔道に打ち込み「柔よく剛を制す」を会得したと言います。
そこまでは良い、むしろ素晴らしい。

しかし権力者となり長期政権の保身に走り選民思想を掲げる独裁者となった今。

此の世に一人で生まれてきたけど
        C       D         G         Em

誰でも一人で生きてはゆけない
      C      D         G         Em

「自分は特別」に帰結した者は「最終的には自ら以外を殲滅してしまい世界にたった1人とり残される」愚かな運命の歩みに気づけないのでしょうか。

夜明けを忘れて
G

世界は幕切れに向かう
G                  D7

そうなる前に、今すぐ戦争を止めること。
彼がウクライナ、ロシア双方の民の痛みを知り、引き返すための選択肢はそれしかありません。


最後に、「痛み」の音楽面について少し。
ト長調の王道進行によるバラード。このメロディーならばラヴ・ソングとの相性の良さを考えますが、そこに意外や痛烈な詞が載せてくる手法、これまたジュリー近年の「祈り歌」との共通点と言えるかなぁ。
アルバムがジュリーのセルフ・プロデュースですから、そのあたりの狙いも松本さんと打ち合わせがあったのかもしれませんね。

僕はよくジュリーナンバーの「詞曲の乖離」パターンでの逆説的な素晴らしさを書くことがありますけど、そもそもこの手法は歌い手の力量が無いと成立しないと思っています。

「痛み」に限らずアルバム『TRUE BLUE』を通してのジュリー・ヴォーカル・・・聴くたびに、後追いファンの僕は前作『告白-CONFESSION』から後作『彼は眠れない』までの3枚がたった3年(1年おき)にリリースされているという事実に驚かされます。

佐野元春さんが確立し大沢誉志幸さんなど幾多のヴォーカリストも踏襲、和製ロック界を席巻していた「ら行」「た行」のイングリッシュライクな発音・発声に挑んだ『告白 CONFESSION-』。
イカ天ブームに沸くセールス戦略の最中、吉田建さんをプロデュースに迎え「本物の実力」で切り込み多彩な表現を駆使した『彼は眠れない』。

その2枚の間にあって、まるでロックなテクニックに一切執着など無いかのような「歌」声でリリースされた『TRUE BLUE』の存在は光ります。
もちろん前後2枚でのジュリーのヴォーカル・テクニックは素晴らしい。しかし、じゃあジュリーの声や歌の本質の姿は?と問われれば、『TRUE BLUE』のヴォーカルの方だと思うんですね。

「痛み」のメッセージは、そんなジュリーの声で届けられるのです。
このヴォーカルでなかったら、コーダ部で大胆にバンドのインストに転換させたり、エンディングにS.E.を配するアレンジ・アイデアも単に奇をてらったように聴こえてしまうかもしれません。


間違いなくウクライナのことが関連していると思いますが、アクセス解析を見ると拙ブログでは先月から「脱走兵」(act『BORIS VIAN』)の記事が、特にジュリーファンではない一般の方々からも多く検索され読まれているようです。
世にある様々な反戦歌が今、再評価、再認識される動き・・・その一例なのでしょう。

ブログに来訪してくださった一般のみなさまにも、この機にジュリーの「痛み」という歌を知って頂ければ・・・と、切に思っています。

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